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国民と無縁な文部科学省とはそも何? -投稿者: KABU  2002-12-14 13:36:50
昨年度実施された「教育課程実施状況調査」の結果が13日文部科学省から発表さ
れた。同省は「おおむね良好」という。「安心した」と感じた父母や教育関係
者、国民がどれくらいいるだろうか? 「アホかおのれは」と思った人々が間違
い無く多数派だと思う。私も後者の一人だ。最早、この国の官庁は国家や国民と
何の関連も持たない<利益集団>である。学力が本当に下がったのかどうかの
<科学的論争>をしているのではないよ。文部科学省のお役人さま。この調査事
実を見て「学力が下がった」「学習指導要領を改めねば」と思う、国民が大多数
であることが政策決定と修正において重要なのだよ。そりゃ−、政策は事実の上
に組み立てられるべきでしょうよ。でもね、事実とはこの場合、全体の正解率や
過去の問題と同じ問題の正解率等々であり、それをいかに評価するかではない。
同じ事実を踏まえ、国民の大多数が子供達の学力状況に危惧を抱いているという
事実が政策立案担当者が考慮するべき事実である。一刻も早く<ゆとり教育>を
撤回し、学習指導要領を改変すべきではないか。私はそう思う。

P/S
私の<ゆとり教育>に関する考えについては下記の拙稿をご一読いただければ幸
いです。『ゆとり教育路線批判 寝言は寝て言え文部官僚』http:
//plaza11.mbn.or.jp/~matsuo2000/E/E29.htm

元「秀才」に教育は不向き -投稿者: okajoe  2002-12-14 19:41:26
 このテーマで投稿する以上、そのスタンスをはっきりさせた方が良いと思うの
で言いま
すが、私は十数年、塾の講師や家庭教師をしてきた者です。
文部科学省の「おおむね良好」には、私は脱力感を覚えました。白痴を基準とす
れば良好かも
しれませんが、私が接する範囲でも、子供たちの学力低下は悲惨です。それで
も、塾の月謝を払
える親の子は救いようがありますが、この不況の中で生活費に苦しむ親の子は救
われません。
 中3の成績が比較的増しだったので問題ない、との発言もありましたが、高校
受験を目
の前にした中3生の親は、借金してでも塾に行かそうとするのです。それは、月
謝を受け
取る側の立場の身としては、心苦しくて悲しいほどです。その成果として何とか
得た学力
を「おおむね良好」で片付けられたのでは、親も子も浮かばれません。
 重いテーマで、論点も多いですが、私の人生にもかかわる問題なので、考えが
まとまり
次第、次々に書いていこうと思います。
 KABUさんのホームページの文も膨大なので、ゆっくり読んで、反論などが
あれば、
そのときにまた書きます。

大学院まで行って、今無職!! -投稿者: GARU  2002-12-15 22:22:04
ゆとり教育っすか・・・
最初(円周率をほぼ3とする)という発表を聞いて、
僕の周りでは「なんだそりゃ〜!!」って声が多く聞こえました。
ただ、僕としては(円周率をほぼ3)でも構わないと思ってたんですね。
それは、昔の数学者が円に正六角を当てはめて、だいたい3より
大きいくらいになると推測したという話を聞いてたせいで、
3.14を覚えるより、なぜ、ほぼ3くらいなのか、その発見過程を
教える方が有意義だと思っていたからなんです。
まぁ、これは教える側の問題で、この指導要項になった時点で
教師がどう考えたかによるんですけど。
僕は、文部科学省をよいふうにとらえて深読みしてみました。
実際は文部科学省は言葉が少ないのか、何も考えていないのか、
良くわかんないところがありますね。

勉強って、そもそもなに? -投稿者: GARU  2002-12-15 22:23:45
ちょっと、話がずれるかもしれませんが、みなさんは勉強という
ものを、どのように考えていますか?

僕は勉強には2種類あって、
ひとつは時間にとらわれずに学んでいくもの
例えば、日常会話や挨拶などの社会道徳、しつけや自分の
興味のあることなどなど、
もうひとつが、勉強する時間が決まっているもの
それば、国・数・社・理・英などの学校の勉強です。

で、この時間の決まっている勉強はなぜしなくてはならないのか?
というとこなんですけど。僕は、こう考えています。

人は、物を食べなくては生きていけない。
食べるためには、お金を稼がなくてはいけない。
センスのある人はセンスを生かせる方向に努力して
一握りの大金を得る人になる。

しかし、それはほんの一握りの人で、大半は誰のもとで
お金を稼ぐ。その誰かにしてみれば、努力できない人より
努力できる人と付き合って行きたいのは道理ってわけで、
その努力を何で見るのか?

好きなことなら努力できて当たり前、嫌いなことこそ
努力できる人が本当に努力できる人なのでは・・・

そう考えると、学校での勉強とは「努力できる自分を他人に
見せる道具」なのではないかと思うのです。

ただ、今の現状が悲劇なのは、教えるほうも、教えられるほうも
「なぜ、勉強するのか?」に対して答えを見付け出せてない。
また、教えられるほうは、さらに「その先の目的・ビジョン」
がわからないからではないでしょうか?
努力する目的を作ること、これが今急務なのではないでしょうか?
(このことに早く気付いていれば、いま無職ではないんですけどね^^;)
勉強?今一生懸命してますよ。就職しちゃったら使わなそうですけど。
皆さんは、どう考えます?

(連文ですみません)

円周率=3はイクナイ! -投稿者: 道灌山  2002-12-16 03:59:42
いずれokajoeさんが論を展開するのでしょうが…
小学校で算数が嫌いになる子供は、小数・分数の計算でつまずいて以後、
算数が分からなくなるからです。
私は県立高校卒の中年女性が「小数のわり算を知らなかった(間違えて
計算していた)」例を知っています。この女性はバカでなく、むしろ
利発な人でした。高校入試は他分野で補ったのでしょうが、小数の
わり算ができなくても高校を卒業できたという例です。こういう事は
結構あるのかも知れません。

円周率を3で済ますことになると、そこで小数計算のチェックがなされ
なくなります。小数計算ができないのに上の過程へ進む子供が増えます。
教師も小数計算を教える苦労が減ることになります。「ゆとり教育」
とは、教師のゆとりであって、子供のゆとりにはなりません。
もっと有り体に言えば、教師の「手抜き教育」を推奨することになる訳です。

まずは算数 (1) -投稿者: okajoe  2002-12-16 11:14:33
円の話が出ているので、まずそれから。
「円の中に正六角形を書け」と、何も教えないでやらせると子供たちは悩みなが
ら、多くは
中心から60度(360÷6)を分度器で測って円弧まで線を延ばし、その交点
(6個)を
結んで正六角形を書きます。円を書いたコンパスでそのまま円周を切って行くや
り方をす
る子は、ほぼ全員誰か(親か塾)に習った子です。
これだけでも、数学的意味を説明すると1時間終わるほど奥が深いのですが、た
いていの
学校では、「こんなもんだから覚えとけ」で終わってしまっているようです。
円の中に正三角形が六個入っていて、その辺は半径と同じだから、正六角形の外
周は半径
の6倍だ、ということは、書いてみれば一目瞭然で、その外側にある円周はそれ
より少し
長いことも教えるまでもありません。また、そのことは円の大きさに関係ないこ
ともわか
りますから、円周が半径の何倍かであることもわかります。その「何倍」を正確
に求める
ことは数学史の重要課題でしたから、話せばいくらでも時間がかかりますが、と
りあえず
は「昔の偉い人が計算したら、だいたい3.14だった。」でいいでしょう。
「昔の偉い人」
を尊敬することも大事です。
 中学入試の問題集には円の面積を計算するものが多くあり、3.14を使うよ
う指示が
あります。これをやると、× 3.14の掛け算を頻繁にやらなければならない
ので、賢
い子は掛け算の3.14の段を覚えてしまったりします。同じ計算を何度もする
より、覚
えてしまった方が楽だからです。こういうのでも「塾の詰め込み」と言う人がい
るのです。
 最近私は高校生の数学を担当することがほとんどになっていますが、いつも思
うのは、
小学校の算数をしっかり理解している子にとっては、数学は楽に点が取れる憩い
の場で、
「数楽」ですが、計算法を何とかマスターして点を取っていた子は本当に苦しみ
ます。特
に女の子でまじめな子で、小学校では満点ばかり取っていたような子は、ドッと
落ち込む
場合も多いで、「数が苦」です。公式の暗記と練習では追いつかないほど公式が
多いので。
                     続きはまた近日中

ゆとり教育路線批判の視点(上) -投稿者: KABU  2002-12-16 17:15:54
>okajoeさま 道灌山さま GARUさま 
ゆとり教育は本来は、総ての教育関係者に自己責任を問うものである
と思います。それは、保護者(父母)にも子供達にも教師や教育委員会
にも権限と責任を与えるものだと。そして、日本の国際競争力の維持
発展と日本社会の治安維持(秩序維持)はその自己責任の競争の過程で
自ずと実現するに違いないというのが、この一見ヒューマンでマイルド
な「ゆとり教育路線」という衣の下の鎧ではないでしょうか。
この衣が剥ぎ取られた場合のゆとり教育路線の妥当性について私は必ず
しも否定しませんが(もちろん、能力主義=メリットシステムに基づく
奨学金制度の拡充を前提にしてですが)、現在の「ゆとり教育」なる
ものは、@権限も責任も中途半端に与えられ、A自己責任の原則を徹底
するために不可欠と思われるセフティーネット(例えば、奨学金や飛び
級や多様な進路の保障等々、)を整備することなく、B教師や教育現場
の管理職および教育委員会の既得権益や既存の責務に触ることなく
(ということは、本質的な説明がされることなく、)実行されている
点で必敗の施策であると私は思います。そして、この政策失敗のツケを
自分の体と人生で払わされるのは現在の子供達にほかなりません。
これが、私が「寝言は寝ていえ文部官僚」と吼える所以であります。

ゆとり教育路線批判の視点(下) -投稿者: KABU  2002-12-16 17:19:26
円周率は「3」と教えるのか「3.14」と教えるか、あるいは、
「3.14159265358979323846264338327950288・・」と教えるか。円周
率を円に内接する図形と外接する図形によって円を挟み撃ちにさせる
ことで理解させるか、あるいは、「昔むかし偉い人が・・」と諭すの
か、学力低下に絡みいろいろな学科内在的な議論が現行の学習指導要領
が公示されて以来ここ5〜6年出されています。私はこれらの議論が常に
意識すべきポイントの1つを日本人の国際競争力の維持向上と考えま
す。日本も日本人も(まして、今の子供達が大人になる頃には一層、)
鎖国をしているわけではないのですから。1〜2ディケードの後、労働力
市場での競争において日本人は完敗するのではないか。それも仕方があ
るまい。日本人の能力が低いのならね。そう思います。自業自得なのだ
から。しかし、政治の怠慢と行政の狡猾によって自己の能力開発の機会
を奪われた子供達にとっては「仕方がない」ではすまないのではない
か、私はそう考えます。