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敵(ライバル)の存在について -投稿者: ふぉふぉふぉ  2002-10-21 15:02:03
現在、共産主義も衰退して民主主義のライバル足りえない存在にな
ったたが、私自身は共産主義という「悪の帝国」があったからこそ今
の豊かな暮らしを享受していると感じる。
理論など詳しいことは分からないが、マルクスのいた時代はそれこ
そ資本家が労働者を搾取していたのは明らかだ。だから資本家を打
倒せよとアジったのは資本家をビビらせ、労働者に権利意識を植え
付けた点でその後の社会保障の発展につながった(暴力革命などを
やられたらまずいから)と思う。
冷戦も植民地の独立運動を支援したといえるし、大日本帝国の存在
も白人だけが近代化できるという意識を払拭したといえる。敵が説
得力のあることを言えば(実行すれば)自らの考えを修正せざるを得ないし、修正
しなければそいつは終わりだ。自らが気づかない、考えようとしない事を気づか
せる敵の存在はありがたい(憎むかもし
れないが)。
結局、言いたいことはまったく違った考えを持って強力な相手がい
ないとだめなのだ。
ずっと変わらない困ったのもいるけど。単なる迷惑だけの存在が。

Re:敵(ライバル)の存在について -投稿者: 大山健一  2002-10-22 10:55:21
 私も敵(ライバル)の存在は重要だと思います。昔、「あしたのジョー」という
マンガが
ありましたが主人公の矢吹丈はライバルである力石と出会うことによって自ら成
長し、
又、ライバルである力石も大きく成長していきました。その力石亡き後ジョーを
立ち直らせ
たのもやはりライバルの存在であり、終には最強の敵ホセとの戦いの中真っ白に
燃え尽きる
のである。もし、ジョーに力石がいなければあれほどのボクサーにはなって
いなかったであろうし、力石の死後ライバル(カーロス)なくして復活はなかった
とみる。
 ライバルとは自らを気づかせ、そして成長させてくれるものであるだろう。例
えば、
ガンダムではシャアとアムロという二人のライバルがいるが、互いなくして
ニュータイプ
としての革新はなかったであろう。更にララァの死後シャアが復活できたのも
アムロがいたからであり、そのアムロが復活するのもシャアによってではなかっ
たか。
全く違った考えを持った存在なくして人にしろ組織にしろ変わることはないであ
ろう。
大日本帝国にしても当時はブロック経済が進行しつつある中で生き残るために
選択した決断が歴史である。もし、その歴史がなければ今のような自由経済社会
があったかどうか。
 少なくとも後進国である日本(大日本帝国)の異議申し立てがあって世界は始めて
別の可能性に気づいたのではないか。歴史として確かに日本の存在なくして
世界が現在のようになった可能性もある、しかしそれは現実の歴史において
日本が果たした役割を聊かでも減ずるものではないと私は思う。

Re:敵(ライバル)の存在について -投稿者: 游惟  2002-10-25 20:08:26
要するにヘーゲルが言うように歴史は弁証法的に発展していくということでしょ
う。
一つのテーゼに対し、アンチテーゼが現れ、その抗争の結果両者を融合
したジンテーゼに収斂する。するとまたそのジンテーゼに対し、アンチ
テーゼが現れ・・・・ということの繰り返しで歴史は進んでいきます。

今日の日本は自由資本主義と「空想的共産主義」のせめぎ合いの結果生
じた実質上の共産主義社会ですが(民衆の大半が払った税金よりも多く
の恩恵を国から得ている国が共産主義でなくてなんでしょう)、それは
今や完全に行き詰まっており、早晩崩壊すると思われます。

しかし、今日の日本共産主義に対するアンチテーゼが何であり、どんな
形のジンテーゼに収斂していくのか、私には想像もつきません。これま
での行き過ぎた平等主義・人権主義・空想的平和主義・反国家主義のア
ンチテーゼならば差別主義・人権無視主義・軍国主義・超国家主義とい
うことになりますが、そんな方向に進むとも思えないし・・・・・

隠れたメッセージ -投稿者: ふぉふぉふぉ  2002-10-30 19:41:03
本当に言いたかったことはここに来る人の意見が似通っていて競争
が少ないということです。
「生意気な!」と思うかもしれませんが全く逆の説得力のある意見が
飛んでこないと自らの考えが正しいと勘違いする恐れがあるからです。
答えはひとつではないが、あるひとつの方向性もしくは答えに収束
すると思う。その過程で修正が起きるわけで、180度転換する場
合もあると思うのです。だから違った考えを持った、たとえば共産
主義者が参加してきたらな、と思ったのでした。やっぱり生意気で
した(笑)。