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小和田哲男氏と呪術 -投稿者: 岡島  2002-06-12 22:17:28
井沢さんは常々、日本の歴史学の欠陥として「呪術的側面の無視
ないし軽視」を指摘されていらっしゃいますが、戦国史を代表す
る学者の素晴らしい説を見つけました。

その学者とは誰あろう、小和田哲男氏でございます。

『永禄三年(一五六〇)五月十九日の桶狭間の戦いは、よく知ら
れているように、わずか二千の織田信長軍が、二万五千と、十倍
以上の今川義元軍を破った奇襲戦であるが、信長の奇襲が成功し
た要因として、この日の集中豪雨という自然現象があったという
ことは、意外と知られていない。信長軍が、義元の休憩している
桶狭間山に接近していく過程で、大雨が降らなければ、この日の
信長による奇襲が成功したかどうかわからないといっても過言で
はない。
 大雨が、信長側の移動を隠す煙幕の役割を果たしたことが一つ
であり、義元側の哨戒の兵がその任務を遂行できないほどの激し
い雨だったことがもう一つの理由である。
 これをただ信長側の運の良さで片づけてしまってよいものだろ
うか。むしろ、信長が、この日の気象がどうなるのかを事前に知
っていて、その天気予報を作戦に取り入れたと考える方が正しい
見方ではないかと思われる。
 信長は、伊東法師という名前の軍配者を抱えていた。この伊東
法師が「観天望気」に長けていたという記載はないが、先の駒井
高白斎の例からすると、軍配者が天気予報を行っていた可能性は
高いのではなかろうか。』
(呪術と占星の戦国史 新潮選書 1998年 P90)

小和田哲男氏と呪術(その2) -投稿者: 岡島  2002-06-12 22:18:08
ファンタスティック!!

既にお気づきであろうと思いますが、この説が成り立つ条件と
しては、伊東法師なる軍配者が桶狭間において集中豪雨がある
ということを「予言できた」ということが必須であります。

もちろん、昔の人が、現在の気象庁とは違ったやり方で天気予報
を行って、それが結構当たっていた。という可能性があるかもし
れないということを簡単に否定することはできないかもしれませ
ん。

百歩譲ってそうだとしても、局地的な集中豪雨を、少なくとも数
時間前に予測するのはさすがに不可能でしょう。

千歩譲って可能だとしても、確実に的中させなければなりませ
ん。仮に5割の確率で当てられたのだとしたら、それは驚異的な
高確率でありますが、実戦では役に立ちません。

一万歩譲って10割近くの的中率であったとしても、その時間に
今川義元が桶狭間にいなければ無意味であることはいうまでもあ
りません。

一億歩譲って義元がその時、その場所にいることまで予言できて
いたのなら、日本の中世にはノストラダムスを遥かに凌駕する予
言者が存在していたということになるでしょう! ! !

「まえがき」によると、小和田氏は『たとえば、「今日は日が悪
いから戦いをやめた」とか、「いつ出陣したらよいかを山伏に占
わせた」とかの記述があると、「どうせ、軍記物の作者の創作で
あろう」程度にしか考えていなかった。特に、呪術にかかわる事
柄に関しては、私自身、あまり、占いとか呪い(まじない)を信
じてこなかったこともあって、頭から「眉唾だ」と、否定してか
かる傾向があった。(P9)』そうなのですが、転向されたみたい
です。

極端から極端への典型ですね。私にはこんな人が「戦国時代研究
の第一人者」などと呼ばれているようではお先真っ暗であると思
えてなりません。

Re:小和田哲男氏と呪術 -投稿者: 薫  2002-06-23 02:31:00
はじめまして。
私は、批判をされている人物の事は、よく知りません。
しかし、「諸葛公明が赤壁の戦いで風向きが変わる事を
呪術ではなく、付近の住人に聞き取りをしていた」
と言う説を読んだ事があるので、伊東法師が同じような
事をしたとしてもおかしくはないと思います。
 桶狭間は、行ったことがありますが、私も急に雨に降られて
困った記憶があります。昔の人は、今のような技術がなかった
分だけ、天気予報を肌で感じる事ができたのではないでしょうか?
 信長は、雨が降る確率があることを知っていた。と、しても
不思議はないと思うのですが?

Re:小和田哲男氏と呪術 -投稿者: 岡島  2002-06-24 20:39:38
もう一度よくお読みになって、考えてみて下さい。

小和田説を読めば、伊東法師が予言したのは、単なる「明日は晴
れか、雨か」という程度のものではありません。桶狭間に「集中
豪雨」があることを、その時刻まで含めて予知したということに
なってしまうのです。通説にはこの予期せぬ(小和田説によれば
今川方だけが予期せぬ、つまり今川方にはその手の人がいない
か、無能であったということになる)集中豪雨が織田方に勝利を
もたらしたという説があります。(実際はどうだか怪しいと思い
ます。信長は雨があがってから攻撃命令を出したのですから。)

つまり、これだと朝から雨が降っていた、あるいは雲行きが怪し
かったのでは今川も用心するので意味がないのです。そんな正確
な予知ができると思いますか?予知がはずれたからここは一旦引
き上げようというような余裕があったとも思われませんし危険こ
の上ありません。今川本陣の近くで雨が降るのを待っていたとし
たら見つかる可能性大でマヌケな話です。(もっとも何時何分に
降るのかわかっていたのであれば別ですが)。信長はそんな情報
で一か八かの賭けにでたのでしょうか。しかも通説では信長が出
撃した時には義元がどこにいるのかわからなかったはずです。も
ちろん義元もじっとしていたわけではありません。それなのに何
で桶狭間に雨が降るとことを頼りにすることができるのでしょう
か。

小和田氏は歴史における宗教的・呪術的要素を重視するというこ
との意味を勘違いなさっているのではないかと思えてしかたあり
ません。

私は素人ですので、記述におかしな所があったら是非指摘して下
さい。

ちなみに小和田氏は諸葛孔明のことをあまりご存知でないように
思われます。(私も横山氏の漫画で知っているだけですが)。
『呪術と占星の戦国史』の中で、駒井高白斎という軍配者が「観
天望気」(空の状況を観察して、天気を予測すること。雲形、雲
の動き、風、太陽や月の見え方などから経験的に予想する。広辞
苑より)(【望気】空にただよう雲気を見て、人事の吉凶を占う
こと。また、その人や、その術。漢字源より)をしているのを発
見して非常に驚いておられますが、なぜそんなに驚くのかが私に
は逆に不思議です。

Re:小和田哲男氏と呪術 -投稿者: 薫  2002-06-26 23:22:42
再度ですが、ここは、小和田氏を抜いて(知らないので)
書きたいと思います。
 織田信長と云う人は、大変に慎重な人だったと、思っています。
今川が、上洛するという事を事前に考えていたとしても
可笑しくはないと思います。上洛するならば、三河を越え、どこに
陣をはるか。また、今川も同じ事を考えていたと思います。
「雨」というものを今川は、どう思っていたでしょう。
織田は、どこで自分を迎え撃つと思っていたでしょう。
両者にズレが無かったでしょうか?
 計算をした作戦であっても、それを隠しておいた方が
信長には、よかったと思います。そのほうが「あいつは、神が
ついている」ということになり、それが、「呪術」の一番の
効果なんじゃないのかな?と思うのです。