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邪馬台国と戦後民主主義の類似性(上) -投稿者: KABU  2002-05-26 13:46:57
私は戦後民主主義とかけて邪馬台国論争と解く。その心は。
どちらも世界の学的な水準から離れて答えのでない論議を
繰り返しています。ちゃんちゃん。古田武彦、安本美典、
松本清張、黒岩重吾、邦光史郎、高木彬光、梅沢恵美子、
関裕二、等々・・・の民間市井の古代史研究家の立論は
歴史学研究というよりは古代史を舞台にしたエンター
テーメントである。そして、それらが自己を知的遊戯に
過ぎず、「邪馬台国はどこにあったのか」「邪馬台国と
大和朝廷の関係はどうであったのか」等々の古代史上の
謎が今後解かれた場合にも、その正解とこれらの古代史
研究家の見解が一致していたとしてもそれは偶然に過ぎない、
そのことを自覚している限りなんら問題はない。
ご自由に書かれご自由に読みご自由に楽しまれればよい。
しかし、もし邪馬台国の存在した場所や2〜3世紀の日本列島
における邪馬台国の政治的なプレゼンス、はたまた、その
社会経済的な基盤を巡る謎が『三国志魏書東夷伝倭人条』や
『記紀』等々の文献資料から判明する(究明できた)と考える
のならばそれは大きな間違であると思う。中国正史の性格に
ついての岡田英弘さんの理解を私は妥当と考えるからである。

「「正史」を貫くものは、「正統」の原理である。
「正統」は現実政治の観念であって、現在の政府が中国
を統治する権限を、前政権から合法的な手続きをふんで
委譲された、ということを意味する。この現政権の「正統」性
を証明するために書くのが「正史」なのである」
(岡田『倭国の時代』43頁、文藝春秋・1976年)

<続く>

Re:邪馬台国と戦後民主主義の類似性(中) -投稿者: KABU  2002-05-26 13:51:09
<承前>

岡田英弘さんの理解が正しいとするならば、
『三国志』は正に魏から権力を簒奪した晋朝の皇室司馬氏の活躍
を顕彰し晋朝が中国を支配する正統性を印象付けるために
書かれたことになる。そして、同書が司馬氏の実質的な創業者
司馬懿の功績である東夷は倭国王の中国朝貢を可能な限り重大な
事件として描くことは必然なのである。ゆえに、倭国=邪馬台国は
多くの人口を持つ強国として記述され、邪馬台国は中国から極めて
遠く、かつ、卑弥呼の国は中国にとって地政学的に重要な国
(敵国の背後を容易に突ける位置にある国。)でなければなら
なくなる。そのような、正史の記述を元にした議論に
(文学研究や政治思想研究ならまだしも、)歴史学上の問題解決の
決定的な鍵を期待することは、蓋し、木に登りて魚を求める愚と
あまり差はない、と私は考える。日本の邪馬台国論争が国際的
にはほとんど注目されていないのも当然なのである(例えば、The Dorling
Kindersley, "History of the World" 1994 参照)。

延喜式にも記載されているような古い神社に祀られている神格の名前
の言語分析や分布調査、あるいは、民間伝承や民俗の分析結果を資料
として『記紀』の記述から「藤原不等人や持統天皇が隠そうとした
古代史の真実」なるものを究明し、もって、邪馬台国の位置論や邪馬
台国と大和朝廷の政治史の謎を解決できると考えるのも間違いで
ある。それは、邪馬台国時代(西暦2〜3世紀)の日本列島や朝鮮半島
のマクロ的な社会史や文化史を語る権限を持つかもしれないが、
肝心の邪馬台国自体が中国正史に記載された蜃気楼だからである。
それは、現実の投影であるとしても歴史的現実そのものではなく、
ゆえに蜃気楼自体を目標に思考と思索を続けたとしても目的地に到達
できない(邪馬台国を巡る古代史の謎に答えられない、)ことは
明らかだからである。そう、「邪馬壱国」もなかったし「邪馬臺国」
もなかった。そして、邪馬台国を巡るこのような無意味な論争が
果てしなく続き、毎年毎年、多くの研究書や通俗書、邪馬台国を題材
にした小説が出版されるのは中国の正史の性格に関する無理解による
のではないだろうか。

<続く>

Re:邪馬台国と戦後民主主義の類似性(下) -投稿者: KABU  2002-05-26 13:56:16
<承前>

私は大東亜戦争後の日本の戦後民主主義論も邪馬台国論争と大同小異
と考える。それは、他の世界の国々ではほとんど通用しない独自の
民主主義論であり、その独自の民主主義は極めて特殊な近代思想家の
諸テクストの解釈に起因しているのではないか、そう私は考えている。
国家を人民支配の装置と考えながらも、他方、総ての社会的な不平等
や紛争は国家の怠慢と支配の邪悪さに起因するのだからそれらを解決
する義務も国家が負っていると捉える国家観、歴史的かつ文化的な
一切の社会規範を「封建的」として「民主主義」と対立すると考える
社会観は極めて日本的な発想だと思う。民主主義は本来個々人の個性
の発揮や自由の発露と矛盾する全体主義的な思想である。
民主主義は、片や「代表制」と他方「リベラリズム」と結合すること
により初めて国家規模の組織に支配の正統性と正当性を付与する社会
思想に変化したのであって、国家が支配のための邪な装置であるとか、
民主主義が封建的やエスニカルな文化伝統と矛盾するとかは民主主義
の思想とはどのような意味でも関連するものではない。

比較的小規模の集団内の統治のイデオロギーや制度としてのデモクラ
シー(直接民主制)は、国民代表制と権力行使の恣意性を防止する
人権思想(リベラリズム)と結合することで国家規模の統治のイデオ
ロギーと制度原理になった。19世紀半ばのことである。けれども、
リベラリズムの核心たる、国家に論理的と理念的に先行する個人の
尊厳や天賦不可侵の人権なるものも所詮、現実の国家の力量と国民が
置かれた国際的な政治経済の状況の中で初めてその具体的な規範の意味
が確定するものである。国家予算や国家の安全保障能力を度外視して
ア・プリオリに確定する社会権や平和的生存権などはありえない。
また、ある憲法を持つ国民は固有名詞で語られる特定の国民(the
nation, the people, the Japanese)としての独自の文化と伝統と
国民統合のイデオロギーを持つ具体的な国民である。そこには普通
名詞の国民(a nation, one people)などは存在しない。

<続く>

Re:邪馬台国と戦後民主主義の類似性(続) -投稿者: KABU  2002-05-26 14:02:17
<承前>

しかるに、戦後日本の民主主義思想はこのような具体性と個性と特殊性
を捨象したデモクラシーをこそデモクラシーの核心と理解し、現実の
政治状況や社会状況を批判する。そのようなデモクラシー思想は世界
中捜してもどこにもないという言葉の正確な意味でユートピア的な
デモクラシー論でしかないのである。

ロックやルソーにモンテスキュー、ジェファーソンやトクヴィルに
J・S・ミルの思想を字面通り理解し(中には、原典を読まずに議論して
いると断言できるマスコミが製造する「論客」も少なくないが、)彼等
の思想が現実のイギリスやフランス、アメリカの社会状況と文化的伝統
を前提にした議論である(あるいはそのような議論でしかない、)こと
を理解しない姿勢。これらデモクラシーの洗礼者ヨハネやイエスの使徒
達の関心が、実は、自分の属する政治的と社会的なグループに現実政治
における正当性と正統性を付与することにあったことを等閑視する態度
は中国正史の性質を故意か過失か度外視している戦後の邪馬台国論の
論者とパラレルではないだろうか。そして、戦後民主主義論の経緯や
顛末は、どこにもない(確定しようもない、)邪馬台国を文献資料から
捜し回った戦後の邪馬台国論と極めて似ていると私は感じる。

私は、朝日新聞や日教組が撒き散らす戦後日本的な民主主義論が論者
の願望や思想として語られるのならば何の問題もないと思う。それこそ
それは言論の自由と思想の自由の領域である。そして、言論と思想と
信条の自由は(人身の自由と並んで、)リベラルデモクラシーの核心で
さえある。問題は戦後日本的な民主主義の論者が時代的にも地域的にも
(「戦後」の「日本」という)極めて特殊な民主主義観を世界の民主
主義の思想潮流から正統に演繹された思想であるかのように装っている
ことである。私は、素人にも理解できるデモクラシー論が今の日本社会
に求められていると思っている。畢竟、彼の冷徹果断な米国大統領に
よりペンシルヴァニア州はゲティスバークで1863年11月19日に発信され
た演説の顰に倣えば、「素人の素人による素人のための世界の常識を
踏まえた民主主義論」がまさに今、日本社会で求められていることを
私は疑わない。