TOP >> ふぉーらむ >> 投稿内容

SIDE EFECT -投稿者: 日本魂  2001-09-10 18:00:59
 初めて投稿致します。
空想的平和主義者、これは何としても論破せねばなりません。
私は愛国精神を持っているつもりですし、昨今の靖国、教科書
従軍慰安婦等の問題については井沢先生の述べられていること
に賛同いたします。ただ私自身、整理のつかない部分があります。
SIDE EFECT−副交感です。徳川家康が300年以上の太平をもた
らした。よってノ−ベル平和賞ものであるとした意見、また大東
亜戦争において日本の植民地支配はアジアの一部の国々には幸運
をもたらしたとする意見ですが結果はその通りです。
が、本来の目的は別のところにあり結果はSIDE EFECTではないか
ということです。徳川家の、日本国の私欲のためだけに行った
ことが結果的に他の効果をもたらした−SIDE EFECTです。江戸
一般民のため、アジア諸国の植民地を防ぐためが本筋の目的えは
無かったのではないか。これは結果として評価されるべきか疑問
なのです。意見下さい。

Re:SIDE EFECT -投稿者: 上野  2001-09-11 03:47:55
「SIDE EF(F)ECT-副交感」とは初耳です。「副交感」と言うと交感神経
に対する副交感神経を想起します。
「副次効果」と言う程の意味で「副交感」を使っているように読みとれ
ますが、この点についてもう少しご説明願います。

Re:SIDE EFECT -投稿者: メタロチオネイン  2001-09-11 16:49:25
「副交感」の使い方に違和感があります
上野さんがご指摘のように解釈すれば
すっきりしますので、ご説明ください
「副交感神経」は、parasympathetic nerve  
「交感神経」は、sympathetic nerve
です。
テーマ以前の件で、すみません。

Re:SIDE EFECT -投稿者: 日本魂  2001-09-11 17:50:14
御2人の申される通りです。医療現場では本来の病気の治療中に目的以外の病気
が治癒する場合がありSAIDE EFFECT=副交感効果と呼ぶことがあります。これは
副次効果と引っかけてあり、一般的では無いでしょう。交感神経と副交感神経は
シ−ソ−のようにバランスを取っており、一方が下がると他方は優位となりま
す。治療にあたり副作用的な意味合いでこれに注意が必要な反面、バランス原理
を利用した治療もあります。ただ今回投稿した内容は、SAIDE EFFECTを期待して
事を運んでいないことに対する意見ですから、いずれにせよSAIDE EFFECT=副交
感というのは不適切でしょう。御迷惑をかけました。

Re:SIDE EFECT -投稿者: 日本魂  2001-09-11 18:11:27
御2人の申される通りです。
医療現場では本来の病気の治療中に
目的以外の病気が治癒する場合があり
SAIDE EFFECT=副交感効果と呼ぶこと
があります。これは副次効果と引っかけてあり、
一般的な言い方では無いでしょう。
交感神経と副交感神経はシ−ソ−のように
バランスを取っており、一方が下がると
他方は優位となります。副作用的な意味合いで
これに注意が必要な反面、バランス原理を利用した
治療もあります。ただ今回投稿した内容は、
SAIDE EFFECTを期待して事を運んでいないことに
対する意見ですから、いずれにせよ
SAIDE EFFECT=副交感というのは不適切でしょう。
 御迷惑をかけました。

Re:SIDE EFECT -投稿者: k1  2001-09-13 13:00:40
どうもお邪魔します。
言葉の定義についてはとりあえず置いておきまして、
私の意見を述べさして頂きます。
最初の投稿にある、徳川家康の意見についてなのですが、
私益→他益→公益という事になるのでは無いかと思います。
これについての説明ですが、普通に私達が生活している中にも
この図式は当てはまると思います。
具体的に申しますと、私達は自分が生きていく為に
働いています(私益)。しかしそれは自分が勤めている会社や
取引先等の利益にもなります(他益)。そして税金を納めるなど
をして、国や地方や外国の利益にもなります(公益)。
これによって言える事は正しい私益は自然と公益につながると
思います。
ただ私益以外の他益・公益は他者が判断するため意見が分かれる
のではないかと思います。なぜなら判断はそれを下す人の文化や
宗教、歴史、立場によって左右されるからです。
皆さんはどうお考えでしょう?

Re:SIDE EFECT -投稿者: 日本魂  2001-09-13 14:09:04
K1さん御意見ありがとうございます。
ただ少し違うのです。私の主張は。
プロ野球巨人軍にたとえてみます。
K1さんの意見だとこうなります。
 一人一人が自分の役割をきっちり果たす
 それは自分のため、生活のため。その積み重ね
 がチ−ム力をアップさせチ−ムに勝利を呼び
 結局は自分の年俸も上がる。
私が言いたいのはこうです。
 Wオ−ナ−は巨人のみが強く、人気球団で有り続ける
 ために、強引なル−ルを機構側に決めさせた。よって
 一部の球団は身売りを余儀なくされた。が、残った球団、
 新たに加わった球団で年俸事態はアップした。強引なやり方
 に恨みを持った人をしりめに、巨人以外で結果として
 恩恵に預かった人に対して、Wオ−ナ−は感謝を強要する。
 巨人、読売のみのことしか考えていなかったのに。
 (もちろんフィクション?です。)

Re:SIDE EFECT---単刀直入に -投稿者: やまかわ  2001-09-13 20:29:52
こんな用語があるなんて知りませんでした。が用語なんてどうでもいいんです。
要は、動機 目的に叶った結果が得られたことで正当な評価をすべきで
はないか--ということでしょう。ご指摘のように大東亞戦争(こう呼ぶ
日本魂さんの心情に共鳴します)えの止む無き状況があったにしろ結果
は敗戦、目的達成ならず、この汚名は歴史上永遠に消えません。
だが この戦争で植民地となった2つの国にもたらせたもので(韓,台)
その後1方で反日 1方で親日と全く違った結果を生みました。
又 アジア諸国の中で独立国が生まれました。それは歴史の事実結果と
して証明されます。
動機目的ー経過ー結果の1連の流れのなかに、必ずしも初志通りの結末
が来るとは限りません。結果の評価は、人 立場によって様々です。
身近な事でも--その人えの親切が返って仇に成るなんて日常茶飯事です
善意は全て善を生みません 善意で恨みを買う事だってあります。
結果良ければ全て良し---良い結果で評価すればいいんです。
ただし悪意悪行は罪業を作り誰もが喜ぶ結果は得られないのは当然です巨人の例
はちょっとネ  巨人は自分のことしか考えていない、そして
厄介なのは自分が良ければプロ球界が繁栄すると思いこんでいる所です
。単なる盟主と思いこんでいるもののオゴリです。
しかしこれが通用していたのも事実のようでした。
今人気も下降気味、あれだけの選手を集めて優勝もおぼつかない。
球界も地殻変動が起こっています。実は私はパリーグのフアンです。
むずむずしてきましたが、この話は又の機会を待ちましょう。

Re:SIDE EFECT -投稿者: k1  2001-09-14 13:13:25
日本魂さんの話を要約すると、目的があまりに自己中心であった
にもかかわらず、結果が良ければそれは誉められる事なのか?
という事でしょうか。
 私としては、どのような場合でも善悪というものは表裏一体
なので、それはそれでいいと思います。
 具体的に言いますと、例えばヒトラーですが彼の行ったユダヤ人
に対する殺戮を始めとする、数々の政策や戦争はあまりにも非道で
凶悪です。しかしヒトラーがいたからこそブロック経済に
対する反省や民主主義の欠陥の指摘等は現在の人類にとって
有益なものになっています。これはヒトラーがいたから気付
いた点です。
 つまり善悪は複雑に絡み合って実は良く分からないのです。
ですので、善悪を判断するのではなく評価するという姿勢が歴史
に対する正しい姿勢だと私は考えます。
皆さんはどうお考えでしょう。

Re:SIDE EFECT -投稿者: GARU  2001-10-09 00:13:32
日本魂さんはじめまして。
なかなか難しい論題ですね。

僕は思うんですが、結果としての評価とは二つほどあるのでは
ないでしょうか。
一つは、自分以外が同年代記に評価するもの。
これは、結果として出てませんので、そのときに「すばらしい」
とか、「ひどい」とかの評価が下されるでしょう。

もう一つは、後世に評価されるもの。
これは、すでに結果が出てますので、「すばらしい」とか
「ひどい」の評価の他に、「このような行為は、このような結果
を生む」とか、「このようにならないためには、このように
しなくてはいけない」という教訓のような評価を得られると
思います。

ある一族が権力を独占するためには、ライバルの力をそぎ落とす
ことが必須であること。そして、そのような一族は、必ず新たな
うねりに飲み込まれることを、私たちは歴史の中で知っています。
これは、心情がどうであれ、SIDE EFFECTであれ、事実はそうで
あったということを認めることから始まるのではないでしょうか?
歴史は、今を生きる人の教科書だと思います。難しい問題を
せまられるとき、教科書を見て解決しようとするではないですか。
その教科書には、事実を書くべきであって、心情により、
その内容を変えるべきでは無いと思うんです。
でないと、後世の人をミスリードしかねないじゃないですか。
(たとえば、大きな革命は、えてして外圧からの力を必要と
します。近いとこでは、明治維新や第二次世界大戦です。
もし、今後、外圧による革命が日本に起こったとき、これらの
革命を参考として、どのような政治を行うべきかを考えると
おもうのです。)
ですから、心情として評価されるということと、歴史の事実と
して評価されるというのは分けて考えなければならないと
思うのですが、どうでしょう?