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本能寺の変について -投稿者: 藤丸  2001-07-18 21:10:44
明智光秀といえばすぐに「本能寺の変」が連想されますが、
「本能寺の変」自体が光秀の単独犯行だったのか、それとも
他に黒幕がいたのか、いまだに議論が分かれています。

さて、京都府福知山市に「御霊神社」という神社があります。
ご存知の方も多いと思いますが、明智光秀を祀る神社です。
謀反人のはずの明智光秀が、それもなぜ「御霊」と言う名前の神社に
祀られているのでしょうか。井沢先生の「怨霊鎮魂説」から見ると
明智光秀に対する後ろめたさ、もしくは明智光秀の怨霊を怖れた
人間がいたためにこの神社が建立されたのではないか、という
結論になるのですが・・・・

皆様方は本能寺の変について、どのようにお考えでしょうか。

また、本能寺の変だけでなく、明智光秀や本能寺の変の黒幕と思われる
人物についてもご教授頂けませんでしょうか。

皆様方のご意見、是非お聞かせ下さいませ。

Re:本能寺の変について -投稿者: マサヒコ  2001-07-18 21:21:45
 始めまして。中3のマサヒコです。

 「再現日本史」を定期購読しているのですが、
その中に、面白い仮説がありました。信長に天下を
とらせたのも、また光秀に信長を殺害せしめたのも
「黒幕」が働いていたという説です。ぜひ一読を・・・


 井沢さんの「怨霊鎮魂説」確かに刺激的な
意見だと思いますが、なにか彼の史観は全てを
この方程式に当てはめてる感じがする・・・・

 堂でしょう????

Re:本能寺の変について -投稿者: さこん  2001-07-19 01:00:08
藤丸様

「御霊神社」ですか。そんな神社があるんですね。知りませんでした。
ちょっと調べてみたら、本能寺の変より112年後、当時の福知山城主
朽木稙昌が、宇賀御霊大神(保食神)に明智光秀を合祀した神社、
だそうですね。
福知山はかつて光秀の領地で、名君として尊敬されていたようです。
朽木氏って、確か足利将軍家を助けてきた家柄ですよね?義昭の奉公
衆でしたっけ?と、すると明智家ともつながりが深かったのでしょう
か。領民向けの政治的意味と、過去のつながりから建てたのですかね。
朝廷が何らかの援助をしていた、とかあれば怨霊鎮魂説ともリンク
しそうですけど・・・。誰か詳しく教えてくれませんでしょうか。

マサヒコ様

再現日本史、その号まだ本屋にあるのでしょうか。
立ち読みしたい・・・。
私も怨霊鎮魂説については万能視はできないかな〜、と思います。
時代だとか、社会階級とかで怨霊に対する考えかたって違ってくる
のではないかと思いますし。その辺は差し引いて考えないといけない
でしょうね。
ただ、日本史を考えるうえで重要な鍵であることは間違いないかと。

Re:本能寺の変について -投稿者: マサヒコ  2001-07-19 20:56:00
 無責任な発言で申し訳ございません。
信長に関する「再現日本史」

第二号「天下布武のシンボル安土城完成迫る!」
第四号「山崎の戦いで圧勝 秀吉、「天下取り」に王手!

以上のものは既刊です。

第十九号「信長上洛」 8月28日発売
第二十号「比叡山焼き討ち」 9月4日発売

 ぼくの掲示した記述は第四号だったと思います。
バックナンバーは沢山あると思います。

定価:560円  講談社より

Re:本能寺の変について -投稿者: YT  2001-08-09 18:27:33
私の研究?では、信長が天皇にまで譲位を勧告して来たことに
危機感を抱き、元来保守派で、室町幕府の再興、朝廷尊重の光秀を
抱き込んだ朝廷の陰謀と思います。かつ、秀吉も朝廷ー光秀の動き  を察知し
ていたと思います。なぜなら、秀吉は京都所司代のような
仕事を担当したことがあり、朝廷に人脈があること、更に、光秀の
毛利への使者を網を張って捕まえるなんて、予測してなければ
出来ませんよ。秀吉も信長に仕えることに疲れ、信長の独裁者として
天下統一に、危機感があったと思われます。謀反人にはなりたくない
ですから、光秀の反逆を、天下取りの絶好のチャンスと考えていた
のではないでしょうか。あの「中国大返し」は黒田官兵衛との作戦の
中にあったとしか思えないほど見事ではないですか。
天下を取った後、幕府ではなく、平氏のように、関白の道を選択し、
朝廷尊重の政治をしたことも、裏付けの一つです。正義感の強い、
教養人の光秀が「ジョーカー」を引き、勝負師秀吉は「ブラック・    ジャッ
ク」となるカードを引いたのです。

Re:本能寺の変について---それから -投稿者: やまかわ  2001-09-03 19:56:04
本能寺の変の黒幕は、光秀を差し向けた朝廷の陰謀とYTさんのご指摘
両者の従来の関係から推察して、有りうるはなしですね。
私は更に少しひねくって見てみたい---衝動的に広げてみます。
光秀=天海僧正の説から 黒幕を暴いていきます。
この説は(義経=ジンギスカン)ほどメジャア-級ではないがマイナ-な話題として
あります。(井沢元彦は義経は否定だったと記憶していますが、光秀のこの件は
どうなんでしょう。聞いて見たいですね)
だらだら長くなってもいかんので、無味乾燥だが、箇条書きで追ってみます。
@ 光秀、天海ともに大永6年(1526―28)同年の生まれ
A 本能寺の変から11日目、秀吉軍に追われて逃走中に土民の竹槍に
  討たれ、自害したがその首は表皮を剥がれ泥田に埋められたと、
  しかし自分の主君の首を泥田に埋めて逃げる家臣がいるのか?
  秀吉に届けられた首は---(このへんは義経の首が影武者杉目太郎
  であった?とそっくりですね)
B 家康、秀忠、家光3代にわたって政治の顧問役で仕えた天海が
  東照宮の造営、管理等の功績で晩年「慈眼大師」の名贈られたが
  京都府周山村の慈眼寺に光秀の木像、位牌が有るこの地は光秀の
  居城亀山のあった所---名前は偶然の一致なのか
C 生き延びた光秀が比叡山に逃れ天台宗の僧となる。がここ松禅寺の
  石灯篭に曰く「慶長20年2月17日 奉寄進願生光秀」とある。
  慶長20年は光秀が死んで?33年後のことである。そして不思議な
  符合だが豊臣が滅亡した同じ年。
  幽霊じゃあるまいし--何故今ここに光秀の名が。
D 日光東照宮周辺の紺碧な(中禅寺湖) (華厳の滝)等絶景な一帯を
  (明智平)と名付けた天海。何故こんな名を----
本能寺の変(1582)の謎は、そしてその黒幕は。
少し疲れましたので 次回に--春日の局 に気になることが。

Re:本能寺の変について -投稿者: 藤丸  2001-09-05 00:02:21
皆様、さまざまなご意見まことにありがとうございます。

>マサヒコ様

「再現日本史」での立花京子氏の言われる「黒幕」と目される人物は、
「足利義昭」だそうです。

「なんだ、前からある説じゃないか」と言われそうですが、
立花氏は「私見ではありますが」という前提で、
本能寺の変直前に誠仁親王からの三職推任について、

関白・太政大臣=織田信長
征夷大将軍=足利義尋(足利義昭の長男で信長の人質)
という説を述べられておりました。

つまり、当時はまだ将軍にあった足利義昭は朝廷から解任され、
自分の息子と織田信長によって室町幕府が再興される…
そうなったら自分は…

足利義昭にとって、この最悪とも言える人事構想を何としても避けた
かった、というのが立花氏の「足利義昭黒幕説」の骨子です。

Re:本能寺の変について---それから 2 -投稿者: やまかわ  2001-09-06 01:04:41
先ずこのテーマをだしていただいた藤丸さんに敬意を表します。
足利義昭の黒幕説も一考に価します。しかしドラマ性に少し欠けませんか
。(なんと不謹慎な−-)
考えてみますと、歴史書はあった結果の羅列でその無味乾燥なこと、
そこに至る人間と人間との業の糸のもつれが複雑に絡んで表われる人間
模様が織り成すもの---が歴史を生み出していると思っています。
そして本題の持つエキサイチングなドラマのキイワードが、「春日の局」。
春日の局は別名お福 稲葉正成と離婚して3代将軍家光の乳母となる。
秀忠 小督の両親は弟の国千代に将軍を譲らんと、将軍継嗣問題が
起こったのを巻き返したのが春日の局、(その陰に家康が)は有名な話。
(家光は、実は家康と春日の局との間に出来た子--こんな噂信じます?
)彼女は 光秀の重臣斎藤利三の末っ子で、斎藤利三と言えば本能寺の
襲撃時の指揮官で、信長追討の親玉だった。
家光の母はお江の方で光秀や斎藤に殺された信長の姪に当たる。
そんな彼女を何故 よりによって家光の乳母にしたのか。
今ここで 光秀=天海ならば、霧散していた糸が一本になり得る。
頭が良くてインテリで 信心深く 慎重で 忍耐強い光秀が一時の
激情で安易な行動に出るとは考えにくい。
信長にいじめられっ子(このエピソードは講談 小説で数多くあるが)
母を丹波攻めで敵波多野秀治に人質に預け代償に信長え講和に赴いた
波多野が手討ちに会う。母は磔にされて光秀 秀吉の前で丹波の地で
殺された。信長の無軌道な処置は光秀の母を殺したも同然であった。
これらが信長えの恨みの主なものとされている。
江戸を風水上最良の都市に変えた功績の多くは天海であった。
江戸城の壕をニ重 三重の螺旋形にしたのも天海と言はれる。
天海に成りおせた光秀が家康の側近になったとしたら、
春日の局を天海が推挙した事も無理が無い。
本能寺の変で一番得をしたのは誰?
陰謀 犯罪のつまるところ、ここに到達するのは推理の基本です。
そうです 本能寺の変の黒幕こそ 家康その人である。
何か入り混じって文意不明瞭な点ご勘弁下さい。
まだ不完全燃焼気味です ゆっくり頭の整理してみます。

本能寺の変:・家康黒幕説(その1) -投稿者: 藤丸  2001-09-07 20:27:10
やまかわ様

ドラマ性がなくてすみません(^^;)
「徳川家康黒幕説」ですと、
「松平信康」「春日局」「天海大僧正=明智光秀説」「日光東照宮」
などなど、確かにドラマ的要素が実に多いです。

井沢先生も「歴史の森の影法師」のなかで、

家康が家光の乳母に春日局を登用したことや、
「これは名将遺愛の槍であるから、そちもあやかるように」と
光秀が所有していた槍を家康が水野勝成に与えた事例などから、

「家康は、光秀主従に何らかの恩義を感じていたためではないか」と
書かれておりました。

他にも家康と光秀との関係について調べてみますと、
「柳営婦女伝」には、徳川秀忠の母、西郷局と明智光秀の側室が従姉妹(ともに
服部氏)とあり、
また、「披沙柬金」には本能寺の変直前に、光秀が家康主従に暗に知らせた様子
が記載されています。

Re:本能寺の変について---再び -投稿者: やまかわ  2001-09-07 23:03:09
藤丸様
どうも私助べえ根性が多くて、歴史をドラマチックに仕立ててみたくなる
不届きもんです。
しかし井沢元彦の知らづ知らづ影響が及ぼしていたのかも。
「歴史の森----」光秀の槍のこと知りませんでした。この本読んで
いないと思います 井沢のは歴史ミステリーが好きでかなり読んだ筈だが?
「言霊」以降彼のエッセイに首ったけで(逆説--)を初め、特に現代批評が
好きです。「柳営婦女傳」「披沙---」よくご存知ですね。広く勉強
しているんでしょうね。
そう言えば 本能寺の変の時 家康が街道でなく伊賀の山中を抜けて
伊賀忍者の助けを借り領地に帰った---その時わずかな手勢であったと
言え、伊賀は光秀ゆかりの地、これは事前に家康に知らせていたとした
ら、辻褄もあい 成るほど納得--ですよね。
又、大阪方に難癖をつけた、「方広寺」の(国家安泰---)の鐘銘事件
の作戦も光秀=天海が図った、とまあこんな具合にどんどんエスカレート
だが一方で、ひそかに隠された史実がおぼろげながら、姿をあらわして
いくのかも。とでも思わなければ面白くありませんよね。
有難うございました。