Name    : __
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Title   : 仮説
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グループK=Awaji氏(証拠:(^0^)")



Time    : 2001/ 4/ 1(日) 19:56:09

Name : グループ K E-mail : Title : 証拠 Comments: (^0^)" (^^;) <(_ _)> (^_^)/~ (-_-)" (@_@)? (・・?) σ(^_^) (・_・;) (^.^; (・_・;) (^!^)~ (>_<;) (^o^) \(^o^)/ __さま、その他に面白い顔文字があれば、ご提供くださいね ! Time : 2001/ 4/ 1(日) 21:37:00
Name : シガツバカ E-mail : Title : ○△ケイホウハツレイチュウ Comments: トナリノ「ふぉーらむ」デ、ホンカクテキナ「2m」クジョガハジマッタ。 コチラニモエイキョウガオヨブカノウセイアリ、チュウイセヨ。 Time : 2001/ 4/ 1(日) 22:21:10
Name : 游惟 E-mail : Title : 毎度 Comments: いつもながら長文の丹念なご批判ありがとうございます。 全部の疑問にお答えするとより長文のレスとなり、さらにそれに対してより長文のレス・・・ と乗数的に文が長くなり、他の方々の迷惑になってもいけませんので、重要な点を かいつまんでお答えします。 >游惟さんも「貴族達は読み書きが出来た」ことを認めておられますね。それ >ならば5世紀の貴族・地方豪族を補佐する数百人の家臣(もちろん全員では >ありません)についても同様の可能性が認められる筈です。 >もちろん彼等の大部分が渡来人ということは考えられませんから、それから >数百年後の8世紀の日本人が、なお「純粋な日本人には文字の書ける人間が >殆どおらず」とされるのは、どう考えても無理があると思います。 貴族達、及びその上級家臣達は読み書きはできたでしょう。 しかし「できた」と言う意味は、現代の教養ある日本人なら、ある程度英語の読み書きはできるし、 発音(会話)もある程度はできる・・・・といった程度のことです。 一流大学を出た一流企業の社長なら英語商用文ぐらいは辞書なしで意味は分かるし、 音読することもできます。しかし、音読できたってそれは日本訛りのめちゃくちゃな発音であって、 ネイティブが聞けば英語などと言える代物ではありません。 また、それに対して英語で返信をする必要があればどうしますか? 大企業の社長が商用文の返信を自ら書くことなんかあり得ません。 部下に命じて起草させ、帰国子女などの英語翻訳専門の人間に翻訳させるのが当然です。 重要なものなら出来上がったあとで社長自身が英文に目を通すこともあるでしょうが。 平仮名・カタカナが発明される以前の日本人にとって、漢字・漢文は外国語なのです。 倭王武の上表文が立派な正格漢文体であるのは、中国帰化人の書記官に命じて起草させたからに 決まっています。出来上がった後で武自身が目を通し、意味は解ったでしょうが。 漢文体でなく、借音仮名による日本語音写にしてもそうです。 現代北京語は母音16種、子音21種、さらに4種類の声調(アクセント)があり、理屈の上では 1344種の音節があることになります。それに対し日本語の音節数は100ちょっとしかなく、 日本人がちょっとぐらい漢字を教わっても中国漢字音を発音することなど不可能です。 私自身学生時代に中国語を第二外国語としてずいぶん勉強し、今は台湾に住んでいますが、日本人が 中国漢字音を正確に聞き分け発音し分けるのがいかに難しいか、身を以て知っています。 日本に居て中国人と会話する必要もない人間が、漢字の読み書きを習ったところで 正確な中国漢字音を以て日本語を音写することなどできるはずがありません。 ところが、森博達氏が指摘しているように、日本書紀α群は正格漢文体で書かれ、借音仮名表記も 正確な中国音を以てなされているのです。つまり日本書紀α群は中国帰化人が記述したということです。 ただ、中国帰化人は数が少なかったため、多くは朝鮮帰化人が文書事務を代行していたのです。 朝鮮語と中国語は文法構造は全く異なる言語ですが、音韻体系に関しては、母音が日本語よりも ずっと多く二重・三重母音もあること、有声・無声(清濁音)の区別はないが有気・無気の区別 があること、閉音節(n,ng,p,t,kなどの子音で終わる音節)あることなどの点で両者は似ており、 実際に発音されている音節だけで500〜600種、理屈の上では3000種以上の音節を書き 分けることができ、中国漢字音をより正確に聞き分け、発音しわけ、書き分けるという点に於いては 日本語よりも格段に優れています。(但し朝鮮語には声調はない) 万葉集巻五の問題ですが、私は逆に巻五こそが朝鮮帰化人書記官記述の何よりの証拠だと考えています。 @まず、大宰府というところは対朝鮮外交・防衛の拠点であり、ここにたくさんの朝鮮帰化人達が配置 されていたことは明かです。日本書紀を書いたとされる筑紫史益も大宰府に居ました。 AAwajiさんが言うとおり大伴旅人は大宰帥、山上憶良は筑前守です。即ち彼らは学者でも文人でもなく、 官僚であり、政治家なのであって、彼らにとって歌詠みなど趣味・余興に過ぎないのです。 彼らがやるべき仕事は他にあるのであって、歌集の編集など自分でやる道理がありません。 B彼らが不意に頭に歌が浮かんだ時は、自ら短冊などに記録したかも知れません。 しかし、当時の貴族達の間では既に字数が少なくて済む訓読法という簡単な表記法があったのです。 「天原 振離見者 白真弓 張而懸有 夜路者将吉」 「あまのはら ふりさけみれば  しらまゆみ  はりてかけたり よみちはよけむ」万葉集289 といった表記法です。(ただし、本当にこう読むのかどうかはわからないですが) これは18字ですが、これを一字一音の借音仮名で書けば31字必要です。 簡略な表記法を知っている人間が、わざわざ手間暇かかる借音仮名などで記録するはずがありません。 英語を筆記体で書ける人間が、わざわざ活字体で書くことなどあり得ないのとおなじです。 彼らはこのような表記法でとりあえず記録しておき、後で帰化人書記官を呼んで「清書しとけ」 と命じたにちがいありません。 歌を読んだ旅人達にとっては趣味にすぎなくても、記録を命じられた書記官にとっては仕事ですから 一字一字丹念に借音仮名で記録していったということでしょう。 C万葉集巻五には天平二年一月十三日に大伴旅人邸で、大宰大弐・少弐初め九州中の国司を集めて 催された歌会の歌が集められていますが、これは見事に全て借音仮名で記録されています。 これは公式行事であり、この際には大宰府の帰化人書記官が総動員され、その場で口述筆記に当たった のではないでしょうか。 D防人歌は皆借音仮名で書かれていますが、防人は大宰府の管轄であり、万葉集に収められている 90首あまりの防人歌は当然大宰府の役人達が収集したはずです。(いくらAwajiさんでも防人達が 字が書けたとは主張しないでしょう) 無学文盲の防人達の歌と、が同じ借音仮名で表記されている ということは、歌を記録し、歌集として編纂したのは大宰府の書記官だということです。 このように、巻五において大伴旅人・山上憶良といった教養人達の歌が、大宰府という朝鮮帰化人書記官が 山ほどいる役所に於いて借音仮名で記録され編纂されたという事実こそが、借音仮名表記法が朝鮮帰化 人達の用字法であるということのなによりの証拠なのです。 Time : 2001/ 4/ 1(日) 22:40:30
Name : Awaji E-mail : Title : 万葉仮名に関してFIN Comments: 游惟さん今日は。Awajiです。 概ね予想通りの展開になりましたので、これを持って終了させて頂きます。 >>しかし「できた」と言う意味は、現代の教養ある日本人なら、ある程度英 >>語の読み書きはできるし、発音(会話)もある程度はできる・・・・とい >>った程度のことです。 游惟さんに、どうして当時の日本人の「自国語表記」能力が、現在の日本人 の「外国語表現」能力程度だとお分かりになるのでしょうか? >>平仮名・カタカナが発明される以前の日本人にとって、漢字・漢文は外国 >>語なのです。 言うまでもありませんが、ハングルが発明される以前の朝鮮人にとって、漢 字・漢文は外国語なのです。 日本人にとっては「自国語」を「外国語」によって「表記」するのですが、 朝鮮人にとっては「他国語」を「外国語」によって「表記」するのです。 どちらが困難であるかは、申し上げるまでもないでしょう? 日本人の発音が世界的に見ても、極めて単純であることは明らかです。 しかし、逆に言えば日本語を漢字で「借音表記」する場合は、中国語の発音 全部を理解する必要はありません。日本語の発音「借音」に使用すべき漢字 を記憶して置けばそれで充分なのです。(ハングルには多くの発音がありま すが、日本語をハングルで表記するのは極めて簡単です。復号母音などは必 要ありませんから、ほぼ五母音・九子音のみで済みますね。) 仮に日本語をローマ字表記する場合に、韓国人と日本人でどちらが日本人に とって、分かり易く正確に採録し表記しうるか、小生には明らかだと思いま すが? ただ発音とは別問題として、正格漢文を書くのは極めて困難です。これは朝 鮮人とて変わりはありません。従って漢文部分については中国人が推敲した ことは充分考えられますね。(この点において百済亡命官僚の能力が倭人官 僚よりも若干優れていた可能性はあります) >>官僚であり、政治家なのであって、彼らにとって歌詠みなど趣味・余興に >>過ぎないのです。 中国高官にとって「詩作」が如何に重視されていたか、平安期の貴族にとっ て「歌作」がどのような位置を占めていたかをお考え願います。 中国高官にとっては「詩」は「志」であり人格そのものの表現であり、日本 貴族にとっては「言」は「霊」であり、政=マツリゴトでもあったのです。 >>これは公式行事であり、この際には大宰府の帰化人書記官が総動員され、 >>その場で口述筆記に当たったのではないでしょうか。 公式行事であるからこそ、参加者は「言」についての教養・見識をを示すべ き晴れの場であり、「言」も「霊」も充分理解しない「外国人」に記録を任 せるものかどうかお考え下さい。 防人・東歌は下級官僚が記録した可能性が高いでしょう。ある意味では当時 の日本人の漢字使用能力は、その程度の下級官僚でもかなりの水準に達して いたと言う考え方もありうるのです。 5世紀の関東において、地方豪族及びその側近が倭習漢文で先祖系譜を記述 しうるならば、7〜8世紀の畿内・太宰府の官僚がその程度の水準に達して いないと断じる理由はありません。 これ以上は、見解の相違になりますから、游惟さんのご判断にお任せいたし ます。(貴重な意見交換ありがとうございました) Time : 2001/ 4/ 2(月) 00:44:38
Name : のんのん E-mail : Title : いきなりですが。 Comments: こんにちは。 始めて投稿する者です。今みなさんが話している内容と全然関係ないかもしれないけど聞いて下さい。 私の父は自衛官をしていました。父は自分の仕事に誇りを持っていたし、私もそんな父が自慢でした。しかし、 中学3年の社会科の公民の授業で、担当教諭が思いもかけない事を言ったのです。 「自衛隊は明らかに憲法に違反しているし、国民の税金を搾り取っている。」彼の発言は、私にはとてもショッ クでした。まるで父を悪者扱いされたようでしたし、税金泥棒扱いはひどいと思いました。 これは、軍隊アレルギーを持つ人たちの差別以外のなにものでもありません。子供の中立性を守るためにも、教 師がこんな事を言っていいものでしょうか。 だから私は、井沢さんの改憲論には基本的には賛成です。憲法上中途半端な位置に自衛隊があるからこそ、この ようないわれのない差別受けなければならないのです。平和主義の社則では、銀行は強盗から大切な資金を守れ ません。軍隊は国家維持のためには不可欠なものなのです。 シビリアンコントロールされた正式な軍隊を日本も持つべきです。 スイスは高い税金ときちんと整備された軍隊で永久中立国を維持しているのです。日本だけ、平和な世界をただ で手に入れることなんて、できるわけないじゃないですか。平和の代償は高くて当然だと思います。 それを、子供の未来をになう教師が分からないなんて、情けない。皆さんはどう、思いますか。 Time : 2001/ 4/ 2(月) 18:44:50
Name : \\ E-mail : Title : 同一人物 Comments: KANAK=Awaji??? Time : 2001/ 4/ 2(月) 21:32:06
Name : 游惟 E-mail : Title : これまでにしときましょう Comments: まあ、このへんでやめておきましょう。 Awajiさんのおっしゃることに対する反論は全てできますが、状況証拠だけを頼りの議論は 所詮水掛け論に終わるだけです。 ただ、ここでAwajiさんと議論していたようなことは、私の論全体の五分の一程度の比重であり、 枝葉の部分にすぎず、根幹的な部分はAwajiさんが「保留しておく」とした言語学的な部分にあります。 これまで私はこの説に関し四人の斯界では名の知られた国語学者と論議をしてきました。 数十年間国語学の研究に打ち込んできたプロとしての知識と自信とプライドに支えられた彼らは、 アマチュアのAwajiさんなどよりずっと頑迷固陋であり、つかみ合いにならんばかりの反撃をしてきます。 にもかかわらず、彼らは皆最終的には全面降伏しました。 Awajiさんより遙かに頑迷固陋な彼らを、なぜ全面降伏させることができたかと言えば、私の説は資料や 状況証拠によらず「実験」によって検証できるからなのです。 上代特殊仮名遣いオ段甲乙の書き分けに関し、これまで「有坂三法則」というものを初め、様々な方則 (癖)が発見されていますが、それらが実は同じ母音の条件異音に過ぎないことは、自分の口を動かし て発音してみれば確かめられます。逆に言えば、我々現代人も奈良時代と全く同じ法則で二つのオ段音 を発音し分けているのですが、それに気がついてないだけなのであり、私が指示する方法で発音実験して みればそのことに気づくのです。この実験は何十人に試しても同じ結果が出ます。 次に韓国人を連れてきて、「┻」「┫」が意味弁別にはたらく単語を発音させ、それを日本人たちが聞き 分けることができるか、また万葉集の歌のハングルで記述してどちらがより日本語らしく聞こえるかと いうような実験をして見せます。すると、日本人達は自分たちが聞いても殆ど区別できない音を韓国人 達は明確に区別し、発音し分けていることに納得します。 このようにして、自分で発音実験して自分が無意識に二つのオ段音を使い分けていたことに気づき、 また韓国人達がその二つのオ段音をちゃんと聞き分け発音し分けることを目の前で見た後は、 それまでどれほど屁理屈を捏ねていようとグーの音もでなくなるのです。 まあ、この音声学的部分に関して説明すると非常に長くなり、このHPの趣旨にもそぐわないので やめておきますが、興味がおありでしたら5月20日に神戸松蔭女子大学の国語学会で発表します ので、おいで下さい。 Time : 2001/ 4/ 2(月) 21:58:22
Name : Awaji E-mail : Title : 母音(条件異音)発音と漢字表記について、 Comments: 游惟さん、今晩は。Awajiです。 史的状況証拠に関しては終了いたしましたが、最後に留保していた発音問 題についてです。 要するに・・・ 「日本人にとっては同母音の条件異音に過ぎないものでも、より複雑な母 音体系を有する外国人には異母音として分別出来、実際に分別表記した。 これが上代仮名遣いと称される八母音表記の実体である。」 と言うことでしょうか? これについては言語学の素人としては、 @当時の日本人にも「同母音の条件異音」を分別する能力があり、表記上 も区別していたが、この区別が基本手母音に関わるものではなく、日常 的にさして意味の無いものであったため、次第に表記上の区別を無視す るに至った? A当時の日本人にも「同母音の条件異音」を分別する能力があり、漢字表 記に当っては厳格にこれを適用していたが、仮名文字表記と言うルース な表記法の普及とともに、さして意味の無いこの分別を無視するに至っ た?(表記がルースになるとともに、分別能力も失われていった?) B当時の日本人には「同母音の条件異音」を分別する能力はほとんどなか ったが、日本語の母音に対応する漢字を当てはめた音博士(外国人)は これを異音と認識し指導したので、日本人もこれに従って注意深く「条 件」によって「異音」として別漢字で表記すべく努めていた? しかし次第に実質的な意味がないことに気付くとともにこれを無視する に至った? C当時の日本人には「同母音の条件異音」を分別する能力は勿論、日本語 を漢字で表記する能力もほとんどなかったので、これを異音と認識して いる外国人が中心となって日本語を漢字表記した?読者である日本人は 何故に同音異表記であるのか理解不能のままこれを受け容れていた? (日本人が表記するに当って、これをどのように分別していたのかは、 良く分かりませんが、そのような事態は絶対になかったということでし ょうか?) しかし外国人である彼等も次世代に至って日本語に習熟するとともに、 分別能力そのものを失っていった? (あるいは、日本人の漢字表記能力が向上するとともに、日本人が表記 の中心となり、分別不能となった?) @〜Cのうち(その他にも有り得るでしょうが)言語学的にどの蓋然性が 高いのかについては、残念ながら小生には確信が持てません。 (敢えて言えば、B〜Aだと思います) しかし史的に状況証拠を見るならば、とてもCの蓋然性が高いとは考えら れませんが、これについては既に申し上げたとおりであり繰り返しません。 Time : 2001/ 4/ 2(月) 23:40:48
Name : Awaji E-mail : Title : 頑迷固陋ですか? Comments: 游惟さん、Awajiですがちょっと気になりますので、 >>Awajiさんより遙かに頑迷固陋な彼らを、なぜ全面降伏させることが >>できたかと言えば、・・・ 游惟さんの言語学に関する仮説に基づく史的推理について、小生は理由を あげて異議を申し上げましたが、それに対して「頑迷固陋」と決め付けら れたのは、極めて心外です。 こういった批判者に対する一方的レッテル貼りは、お止めになったほうが 宜しいのでは? 言語学についてはともかく、 Time : 2001/ 4/ 3(火) 09:15:10
Name : 游惟 E-mail : Title : Cが正解 Comments: おっしゃるとおりCが正解です。 日本語に限らず母語話者は母語の条件異音などには気づかないのが普通であり、たとえ気づいたとしても、 区別しても何の意味もない条件異音を書き分けたりすることなどあり得ません。 「上代特殊仮名遣い」という現象は、昭和のはじめに橋本進吉博士によって発見され(実際には江戸時代 に国学者の本居宣長・石塚龍麿も気づいていた)、それ以来有坂秀世・大野晋・服部四郎・馬淵和夫と いった国語学・言語学の精鋭達が70年以上もその謎の解明に挑戦してきました。 特に、有坂秀世は上代特殊仮名遣いの精密な分析から、 @オ段甲類とオ段乙類は同一語幹内に共存しない Aア段音とオ段乙類は同一語幹内に共存しない(ア段音と共存できるのはオ段甲類である) Bウ段音とオ段乙類は同一語幹内に共存しない(ウ段音と共存できるのはオ段甲類である) という「有坂三法則」を発見し、発表しています。 このAB法則に注目し、「アオ」「ウオ」と「イオ」「エオ」と自分で発音してみれば、「アオ」「ウオ」の 「オ」は円唇化するのに対し、「イオ」「エオ」の「オ」は円唇化しないことはすぐに解ります。 そんなことはないというなら、「アオアオアオアオ・・・」「イオイオイオイオ・・・」と早口で10回 繰り返してみればイヤでも認めざるを得なくなります。 即ち、円唇化した/O/(朝鮮語で言えば「┻」)が甲類であり、円唇化しない/O/(朝鮮語で言えば「┫」) が乙類だということは簡単にわかるのです。 ところがこの「有坂三法則」が発見され発表されて既に50年以上も経っているのに、私が気づくまで、 必死になって上代特殊仮名遣いの解明に挑んできたプロの国語学者・言語学者の誰一人、こんな簡単な ことに気がつかなかったのです。 私が気づくことができたのも、韓国に四年半住んで、朝鮮語の┻と┫を聞き分け、発音しわけることに 苦労した経験があったからであり、日本から出たことがなければやはり私も気づかなかったでしょう。 逆に清濁音を区別する日本人が朝鮮語を聞けば、韓国人が発音する「キムチ」の「キ」と「オイギムチ (きゅうりキムチ)」の「ギ」は明かに別の音です。しかし、清濁音を区別しない韓国人にはその二つ の音が別の音だという意識は全くなく、日本語を学ぶ際、語頭の濁音が発音できず「銀行」を「キンコ ウ」のようにしか発音できません。韓国人には「きんさん」と「ぎんさん」の区別はつかないのです。 母語の条件異音というものはそういうものです。 母語話者ならプロの学者でさえ気づかない発音の違いも、その音を区別する異言語話者なら子供だって気が つくのです。 上代特殊仮名遣いという現象は、日朝バイリンガルの白村江帰化人二世達が山ほど居た7世紀末〜8世紀 前半に成立した記紀万葉の借音仮名表記から発見された現象であり、この時期の日本語文書には南は大宰 府から北は陸奥に至るまで全国一律に見られるのです。そして八世紀後半になるとまた全国一律にこの現 象が消滅する・・・要は帰化人書記官達が三代目・四代目になって朝鮮語ができなくなったということでしょう。 「バイリンガルなら日本語が五母音だということは知っていたはずだ」と言うかも知れませんが、 話す方はバイリンガルでも彼らは漢字音は朝鮮音しか知らないのです。話す方はバイリンガルでも ハングルしか知らなければ、日本語オ段音は聞こえるままに┻か┫のどちらかで書き分けるしかない のであって、どちらでもよいというわけにはいきません。 私は朝鮮語では「キ」と「ギ」を区別しないことは知っていますが、ハングルを知らずカタカナで書く とすればやはり「キムチ」は「キ」、「オイギムチ」は「ギ」と聞こえるままに書きわけます。 上代特殊仮名遣いというのはこういう現象なのです。 Awajiさんは当時の日本人達は殆ど字が書けなかった、という私の主張に反発しておられるようですが、 貴族達は字は書けたし、漢文も読むことはできたでしょうし、漢詩だって作ることはできたでしょう。 (但し中国人が見れば噴飯ものだったでしょうが) しかし、貴族達が字が書け、漢文の読み書きができたとしても、殿上人と呼ばれるような身分の高い 貴族達が、自ら手を汚して記紀万葉などの編纂事務なんかやるわけがないのです。 現代だって、総理大臣親書だろうが、外国との条約だろうが、法律案だろうが、実際に起草し清書して いるのは各省庁の課長補佐以下のテクノクラートであって、大臣はおろか局長・課長クラスの人間だって そんなことはやりはしないのです。 このテクノクラート層を白村江以前は帰化人氏族の「史」達が担い、日本語文書が大量に現れる 7世紀末〜8世紀前半には白村江帰化人二世世代が担っていた・・・・と言っているだけです。 Time : 2001/ 4/ 3(火) 09:43:01
Name : グループK E-mail : Title : 日本人と韓国人の濁音・半濁音・清音 Comments: 游惟さま、はじめましてグループKの一員ですが、NHKでハングルを勉強 したことがあります。韓国に留学したことはありません。 おっしゃるように、韓国のかたは濁音と清音の使い分けが不得意でらっしゃ います。それなのに万葉仮名ではギ・ゲ・ゴ・ゾ・ド・ビ・ベなどの濁音が きっちりと書き分けれらています。これについてはどのようにお考えなので しょうか。 また、母音の変化としては「ゐ」「い」、「ゑ」「え」、「を」「お」など は鎌倉時代頃までは別の母音だったのが、室町時代頃から混用されだしたと いわれてます。日本でそういった変化があるのなら、韓国でも元の占領など をへて7世紀と16世紀で母音が変化したこともあると思います。 また現代の私達には同じ「え」としか聞こえないのですが、昔は「柄」は 「え」で「絵」は「ゑ」で、「家」は「いへ」でそれぞれ使い分けがされて いたといわれていますし、今でも「西え」ではなく「西へ」ですし「私わ」 ではなく「私は」と書かなければなりません。 発音は時代によって変わりますし、それによって発音と書き方は違ってくる のではないでしょうか。 私は文学部出身ではありませんので言語学や音韻問題は勉強していませんが、 現在の韓国で「┻」「┫」が使い分けられているといったことで、万葉仮名 の問題が解決するのでしょうか。濁音・半濁音・清音の日韓の大きな違いに ついても、ご意見をお聞かせ願います。 Time : 2001/ 4/ 3(火) 23:45:22
Name : 流れ板銀 E-mail : Title : 譜代の意味を考える Comments: 『週間ポスト』における今週の『逆説の日本史』第四十六話 〔天下人の条件 武田信玄の場合〕その7は如何なものか。 『武田二十四将図』という江戸時代の講談師が選んだ程度のものを 『史料』と言った時点で問題があるが、内容はさらに問題である。 「譜代」は代々特定の大名家(この場合は武田家)に仕えた 家臣である。小幡山城守虎盛が信虎・信玄と二代の当主に仕えて譜代に なれないのは当然で、虎盛の子孫の代で譜代になれるのかどうかが 「譜代」の血筋の問題となるのではなかろうか。 (つまり、本当に甲州純潔主義なのかどうか、という問題) 井沢氏が「もっとも標準的な説」として挙げた24人のうち、 氏が「そして、6から17までの十二人が譜代つまり先祖代々 武田家に仕えている武将である」と説明した17番の武将、 小幡豊後守昌盛こそは小幡虎盛の息子である。 虎盛の代に仕えてその息子が譜代として扱われているならば、 わずか二代で譜代になれる、極めてオープンな家であったとは 言えまいか。外様として入ってきた本人自身が「譜代」と呼ばれることは、 「譜代」という言葉の意味からして無理なのであって、それを 批判してまで信長を持ち上げようとするする魂胆が丸見えの氏の 論説にはウンザリである。 Time : 2001/ 4/ 4(水) 01:32:40
Name : アオ E-mail : Title : イオ Comments: アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ アオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ イオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオ Time : 2001/ 4/ 4(水) 02:39:38
Name : きんたろう E-mail : Title : ちょっと一言o(・_・)○☆ Comments: 週刊ポストの掲載を毎週楽しみにしている私にとって井沢先生の論説はウンザリす るものではありません。 信長の偉大さを理解してもらうために武田信玄を例に挙げたのはとても分かりやす いのではないかと思っています。 武田家が例え全国で二番目に??^^;;能力主義をとった開放的な家だとして も、信長に仕えて10年であれほど出世した人物を輩出した信長のところと比べれ ば一目瞭然だと思います。 Time : 2001/ 4/ 4(水) 09:24:21
Name : 流れ板銀 E-mail : Title : わずかな例を挙げても意味は無い。 Comments: 秀吉は「主君に気にいられれば出世は可能」というだけであろう。 信長というワンマン経営者の下であればこそ可能なことである。 武田家の香坂昌信は石和の豪農の息子であると言われているが、 それが後に『弓矢の御談合衆』に選ばれるほどの出世を遂げている。 むしろ、織田家が始め尾張半国からスタートしながら最終的に 600万石の大領土を形成した中で、重臣と呼び得る武将たちの ほとんどが尾張出身者で占められていることの方が「尾張純血主義」であろう。 尾張出身でなかった荒木村重や明智光秀は一度は家中で高い地位を得ながら、 結局はその地位を低下させていくのである。 例え頭では能力主義にしようと思っても、結局は尾張純血主義に なってしまうのが、信長だったと言えよう。 徳川家康の全国支配の手法を見ても明らかだが、天下統一とはむしろ 「天下を身内で固めること」である。そうしてこそ安定支配が可能となる。 「純血主義」の「多国籍企業」が…などと現代の価値観を持ち込むこと自体が そもそも誤っているのだ。信長は株主に選ばれた代表取締役ではなく、 あからさまなワンマン経営者だったのである。 「純血主義」を全く採用しなかった武将といえば、これはもう まったくのゼロから天下獲りをスタートした羽柴秀吉しかいなかったのでは なかろうか。 Time : 2001/ 4/ 4(水) 10:05:06
Name : なかの E-mail : Title : グループKさんへ Comments: おはようございます、なかのです。 もっと早くにお答えするつもりでしたが、游惟さんとAwajiさんが本格的に 始められたため、何となくタイミングを逸してしまいました。 (お二方の論争は興味深く、まとめて読ませて頂きました。) ご無沙汰していて非常に言いにくいのですが・・、 度々、誠に申し訳ありませんが、しばらく留守にします。 グループKさんの言われた「天智=紂王」説への批判について、 色々当たってみましたが、そもそも漢風諡号がいつ頃から 使われるようになったのかが分からず、それ以上進めませんでした。 淡海三船の人物像からして、かなり政治的立ち回りをしたという事以外に よく分かりませんでした。 私の個人的見解では、藤原仲麻呂が権力を握って「紫徽中台」とか 官職名を変えた頃が本格的な漢風諡号の始まりではないかと思います。 そして「天智=紂王」説と「天武=周の武王」説とが一体であると 思いましたので、余談になってしまいましたが、それについても 私なりに考えさせてもらいました。 本当はもっと、讖緯説について突っ込みたかったのですが・・。 井沢先生のいう「宗教的側面」でもありますので・・。 あと、記紀の成立について、朝鮮半島情勢との関係について、 額田女王や長槍騒動について、藤原鎌足について、聖徳太子と斎宮について、 トンデモなところでは高市皇子と十市皇女との不倫疑惑について、 そして「保留」になっている称制問題について・・、 まだいくつかありますが、 グループKさんの論説をお聞きしたかったです。 言うまでもなく、お相手が充分に出来なかったのは私の力不足です。 またこちらへお邪魔しますが、その時にはまたよろしくお願いします。 きんたろうさんも、またお相手下さい。 Time : 2001/ 4/ 4(水) 12:11:04
Name : グループ K E-mail : Title : なかのさんへ。。。 Comments: なかのさん・・・今日は。グループ Kです。 ご丁寧なご挨拶有り難うございました。 私は生来の田夫野人なものですから、いろいろと失礼なことも申し上げ ましたが、私にとっても実のある有意義な意見交換が出来ましたし、新 たな勉強の機会にもなりました。 あらためて、ご教示頂いた数々の資料や、有益な議論に心より感謝いた します。 これに懲りず又のご登場を、お待ちいたしております。ツァイチェン! Time : 2001/ 4/ 4(水) 17:50:13
Name : MK E-mail : Title : なかのさんへ、色々有難うございました。 Comments:  なかのさん、暫くお休みされたりしたので、お忙しいのかなと思っていましたが。 やはり、留守にされますか、さみしくなります。 ワ−プロで此処にしか書き込めない私を暖かく迎えてくださった ご恩は忘れません。はやく戻ってきてくださいね。  では、では、 See you again! Time : 2001/ 4/ 4(水) 20:48:54
Name : 游惟 E-mail : Title : グループKさんへ Comments: >おっしゃるように、韓国のかたは濁音と清音の使い分けが不得意でらっしゃ >います。それなのに万葉仮名ではギ・ゲ・ゴ・ゾ・ド・ビ・ベなどの濁音が >きっちりと書き分けれらています。これについてはどのようにお考えなので >しょうか。 万葉仮名(借音仮名)において、多くの場合清音と濁音が書き分けられていません。 これも朝鮮帰化人が記述した証拠の一つになると思います。(細かくは見ていませんが) >また、母音の変化としては「ゐ」「い」、「ゑ」「え」、「を」「お」など >は鎌倉時代頃までは別の母音だったのが、室町時代頃から混用されだしたと >いわれてます。日本でそういった変化があるのなら、韓国でも元の占領など >をへて7世紀と16世紀で母音が変化したこともあると思います。 「ヲ」と「オ」の問題は私の論文の中心論点の一つです。 今までは上代の「ヲ」は/wo/という発音であり、「オ」とは関係がないと考えられてきましたが、 私は「ヲ」「オ」は同じ「O」という音の甲乙であり、条件異音に過ぎないと考えています。 現代語でも「リンゴを食べたい」と言ってみれば解るように、我々が助詞の「を」を発音するときは 必ず円唇化しています。(つまり朝鮮語の┻になっています) 上代・上古において「雄」「緒」「尾」な「O」の単音節語は全て「ヲ」であり、「オ」で書かれる 単音節語は一つもありません(古語辞典を見ればすぐに解ります)が、「へその緒」「犬の尾」など と発音してみれば解るように、やはり現代人も円唇化した┻で発音しています。 また万葉仮名において語中の「O」は「アヲ」「サヲ」「ウヲ」「カヲリ」など全て「ヲ」で書かれて いますが、これらを発音してみればやはり円唇化します。(皆ア・ウ段音に接続しているでしょう?) このように考えれば「ヲ」「オ」は同じ「O」という音の甲乙であり、条件異音に過ぎず、時代が下る に従って次第に書き分けが混乱していっただけです。ただ、助詞の「ヲ」だけは助詞のマーカーとして 便利だったので今日まで残ったのでしょう。つまり「ヲ」「オ」の書き分けは上代特殊仮名遣いの名残り なのです。 >また現代の私達には同じ「え」としか聞こえないのですが、昔は「柄」は >「え」で「絵」は「ゑ」で 上代特殊仮名遣いのイ・エ段音(キヒミケヘメ)の甲乙については、円唇化ではなく先行する母音 との関係で起こる二重母音化ないし半母音化であり、ワ行の「ヰ」「ヱ」、ヤ行の「je」も、 ア行の「イ」「エ」と対立する乙類だと考えられます。なぜなら、これらの万葉仮名を朝鮮漢字音で見る とキヒミケヘメの乙類と同種の母音が現れるからです。 例えば「家」と言えば/je/、「上」と言えば/we/、「有為」と言えば/wi/に聞こえる、というような 現象であり、朝鮮語ではこれら半母音・二重母音も明確に書き分けます。 ただ「イ・エ段音の甲乙は条件異音に過ぎない」という説は服部四郎・松本克己 等によって唱えられ既に定説化しており、私はあまり深く立ち入っていません。 服部四郎 1976 「上日本語の母音体系と母音調和」 『月刊言語』5−6        1976 「上代日本語の母音要素は六つであって八つではない」 松本克巳 1995 『古代日本語母音論』 ひつじ書房 などをご参照下さい。 ただし、私の考えと彼らの考えが同じかどうかは解りません。 >「家」は「いへ」でそれぞれ使い分けがされて>いたといわれていますし、今でも「西え」 ではなく「西へ」ですし「私わ」ではなく「私は」と書かなければなりません。 >発音は時代によって変わりますし、それによって発音と書き方は違ってくる >のではないでしょうか。 これは国語学で「ハ行転呼音」と言われている現象で、奈良時代のハ行子音は「h」ではなく「P」、 即ち「パピプペポ」あったものが、平安時代中期には「ハヒフヘホ」に変わり、後期にはさらに 「ワヰウヱヲ」に変わっていったと言われる現象です。ただこれは朝鮮帰化人達が完全に日本人化 してしまった平安時代中期以降の現象であり、私の論とは直接関係ありません。 平安時代のことはともかく、奈良時代のハ行子音が「h」ではなく「P」であったことは確かだった ようで、朝鮮漢字音を見ても「P」音ですし、隋書倭国伝の「オホキミ」も「P」音ですし、琉球語 でも「ハナ」は「パナ」です。 何百年というタームで考えれば確かに発音も変化しますし、特に子音は比較的容易に変化します。 ハ行音だけでなく、サ行音も奈良時代には「シャ、シ、シュ、シェ、ショ」のような発音だった と言われており、朝鮮漢字音で見てもそうですし、九州などの一部方言では今でもそういう発音です。 しかし、8世紀前半には八つあった母音が2〜30年後に五つに減ったなどということはあり得ません。 >私は文学部出身ではありませんので言語学や音韻問題は勉強していませんが、 >現在の韓国で「┻」「┫」が使い分けられているといったことで、万葉仮名 >の問題が解決するのでしょうか。濁音・半濁音・清音の日韓の大きな違いに >ついても、ご意見をお聞かせ願います。 解決します。 ただし、私にとってこの「上代特殊仮名遣い」研究はもう終わった研究であり、これ以上やるつもりは ありません。ただ、専門(バ)家である国語学者がいくら資料とにらめっこしたって絶対見えてこないもの が、社会学者くずれの日本語教師である私には見えた・・・だから教えてあげた、それで十分なのです。 私には他にやる研究がたくさんあって、上代特殊仮名遣いなんぞにいつまでもかかずらわっては いられません。 ここから先のことは、国語学・朝鮮語学・音声学・日本史学それぞれの専門(バ)家のみなさん が、それぞれの専門的方法を以て検証し、否定するなり肯定するなりお好きにしていただいて結構。 但し、誰がどの角度から検証しようと絶対否定できないという自信は持っていますが。 Time : 2001/ 4/ 4(水) 21:02:55
Name : きんたろう E-mail : Title : ちょっと二言目( ^^)ノ ((((((●~* Comments: 本能寺の変は日本史における最大級の謎と言われていますよね。 それはこの原因を説明しようとしているどのような説も説得力を持ち得ていないか らであるという事でもあるように思っています。 それは何故かと言えば「光秀」が信長配下の武将達の中で最大級に出世した人物だ からなのは言うまでもありません。 一介の浪人だった光秀を最大級に評価してくれた信長に対して反旗を翻す十分な動 機がどうしても見つからないからだと思っています。 故にトンデモ的な説が数多く出来たのかなと思うのです。 ちなみに大日本史によれば光秀は土岐源氏とは全く無縁のものらしいですね。 秀吉とほとんど変わらない程度の出自だったは間違いがないと思っています。 本能寺の変の当時、光秀の領地は石高で柴田に次いで2位でしたが、京都近辺とい う土地柄を考えれば織田軍団中ナンバーワンの評価を光秀は受けていたと言っても 過言では無いと思っています。 本能寺の変の時点において織田領国はエアポケット状態になっていたと言われてい ます。 これは光秀の動機の一つにも挙げられていますよね。 しかし、当時において外部の者がこの状況を見た場合には全く別の風景が映ってい たのではないでしょうか?? つまり、信長のすぐ近くには光秀という巨大な「親衛隊隊長」が控えていたものと 見えたように思えるのです。 13000人もの大軍を擁する巨大な親衛隊である「光秀」が信長の近くにいると いう図式だったと理解されていたものと思っています。 ですからこれによって領国内に潜んでいたであろう多数の敗残兵たちやヒットマン は信長に対して全く手を出せない状態だったのではないでしょうか?? このように考えてくると本能寺の変とは「下克上」ではあり得ないと結論づける事 が出来ると思っています。 これは「下克上」ではなく「テロ」であると認識すべきものではないでしょうか?? ちなみに私は光秀乱心の原因を「老人性鬱病のようなもの」ではないかと思ってい ます。 つまり精神病の一種だとすると説明がつきやすいように感じているからです。 秀吉は信長の優秀な生徒として織田家を乗っ取っていきました。 これはゼロからの出発ではありませんよね(^o^) ところで流れ板銀さん、もう少し普通の文体で書き込みをお願いしますv(^o^) (内容じゃないですよ、念のため^^) なかのさん、お忙しそうですね?? こちらこそまたよろしくお願いします。 早く戻ってきてくださいね(^O^)y Time : 2001/ 4/ 4(水) 21:38:08
Name : HIRO E-mail : Title : ちょっとした疑問。 Comments: こんにちは。 ずっと前回の反省を込めてROMしてましたが、だいぶ私も大人になった(笑)のと 信長がらみでちょっと疼いてしまったので書き込みます。 流れ板銀さんへ: > 武田家の香坂昌信は石和の豪農の息子であると言われているが、 > それが後に『弓矢の御談合衆』に選ばれるほどの出世を遂げている。 武田の家臣団は基本形は「国人衆」で、軍団も独立してたと記憶しています。 それなら「石和の豪農」ってのは立派な「国人」ではないのでしょうか。 (あの時代は豪農、豪商は武装しているはずでしょうから。) 「尾張中村の貧農」出身といわれる(豪農説もある)秀吉とは単純に比較対象に 出来ないと思うのですがどうでしょう。 > 600万石の大領土を形成した中で、重臣と呼び得る武将たちの > ほとんどが尾張出身者で占められていることの方が「尾張純血主義」であろう。 元亀年間の信長の有力家臣団を見ると畿内統治がらみの文書に 柴田勝家・蜂屋頼隆・森可成・坂井政尚(時々、佐久間信盛が加わる)と 丹羽長秀・木下秀吉・中川重政・明智光秀の二チームの連名署名が良くあります。 これに、尾張の林秀貞、伊勢の滝川一益あたりが加わったのが基本構成でしょう。 この面々ですら既に森、蜂屋は美濃衆だし、明智は幕臣系、木下と滝川は 出自不明の(少なくとも「尾張出身武将」ではない)人間です。 > 尾張出身でなかった荒木村重や明智光秀は一度は家中で高い地位を得ながら、 > 結局はその地位を低下させていくのである。 この中で、中川重政(織田家親族系…と言われる)、林秀貞(譜代、家老)、 佐久間信盛(譜代)の尾張出身者も「一度は家中で高い地位を得ながら、 結局はその地位を低下させていく(…というか追放された)」人たちです。 (森、坂井は討死…そして残った面々が「軍団長」クラスになっている) 本能寺の変後、「織田家の跡目争い」≒「天下獲り」となった部分があったので 前田利家、佐々成政、池田恒興あたりが「譜代家臣」として表舞台に出てきた ので混乱しますが、彼らは重臣と呼べるほどの勢力ではありません。 彼ら程度の所領を持っていた勢力なら細川、筒井、高山、蒲生などなど多数います。 だから信長の末期に重臣と呼ばれる地位にいた「純血尾張者」は柴田&丹羽の 二人しかいないことになりますが…。 あと逆説になりますが、上記のように出身地を問わずに 「一度は家中で高い地位を得ながら、その地位を低下させていく」 のはこれ以上無い「能力主義」の証拠になると思うのですがどうでしょう。 >「純血主義」を全く採用しなかった武将といえば、これはもう > まったくのゼロから天下獲りをスタートした羽柴秀吉しかいなかったのでは むしろ、秀吉の有力家臣のほうが「身内」で固められているのでは。 福島正則(従兄弟)、加藤清正(又従兄弟)、羽柴秀長(弟)、豊臣秀次(甥)、 浅野長政(木下家の親族)に加えて長浜城主時代に集めた「近江純血」の 石田三成、長束長家、増田長盛…と秀吉政権の中枢が固められています。 話の流れそのものに関しては何も無いんですが、ちょっと反論の根拠の部分で 疑問に感じたので書いたものです。どのようにお考えですか? Time : 2001/ 4/ 4(水) 23:09:55
Name : ニッキー E-mail : Title : 信長ですか Comments: 信長の偉業は、むしろ拠点をつぎつぎと変えていったところにあるのではな かったでしょうか。武田信玄というか当時の戦国武将のほとんどは、拠点か ら同心円状に勢力範囲を広げています。これは自分の拠点の安全性を高める とはいえ保守的。天下を狙えるとは言い難いですね。 信長は尾張から岐阜、岐阜から安土と京都を目指しているところが特徴です。 いってみれば自分が常に最前線にいたからこそ、能力のある人物が活躍でき たといえます。 本能寺の変で信長が倒されたのは、京都を中心とした織田の勢力範囲が固ま ってからのことです。これは流れ板銀さんがいわれる「ワンマン経営者」の 落とし穴みたいなものです。危機的状況にいる時には全員で一致団結できる けど、安全性が確保された時に内部で疑心暗鬼がおこるのです。さらにトッ プの独断専横に対する不満もこういう時に噴出してきます。 もし信長が、京都を固めた時点で信玄のような合議制の大名に変身していた らどうだったでしょうか。秀吉の幕僚が、黒田如水のように戦争で名をあげ てきた人物から、天下が固まった時には石田三成ら組織内出世の武将と替わ っていたように。 あと、秀吉は100%純血とは言えないでしょう。加藤清正や石田三成はと もかく、福島正則は秀吉の身内でなければ大名になる人物とは言えません。 それにのちの「五奉行」に大谷吉継・小西行長が入らず、近江衆3人と親類 の浅野長政、美濃の前田玄以でした。 PAKUさんへ ここのレスではございませんが、おっしゃるとおりにします。 Time : 2001/ 4/ 5(木) 00:07:52
Name : 武田研究家 E-mail : Title : 長文すいません Comments: 信長の偉業は逆説〜の信長編でやったからもういいのではないかと。 それよりも、井沢氏の足軽大将→課長、侍大将→部長みたいな考え片に 問題があるでしょうね。 井沢氏は今週の『逆説の日本史』の中で 1.武田軍の主力は騎馬隊である 2.侍大将は騎馬隊を指揮し、足軽大将は足軽を指揮する 3.よって、足軽大将は侍大将よりもランクが下 という論理の展開をしていますね。 しかしながら、武田軍の主力が騎馬隊だと考える事自体、事実の誤認であると 言わざるを得ないと思われます。 武田家で残る十六点の軍役状の分析やライバルである上杉家の軍役、 あるいはお隣の北条家の軍役との比較を行ってみても、武田家が特別に 騎馬隊を重視したとか、あるいは騎馬隊が軍勢の中心であるという結論は 出てきません。 むしろ、軍団の編成に関してはどこも似たりよったりであるという結論が出ます。 とすると役職が「侍大将」であっても、率いる軍勢の編成は「足軽大将」と 変わらないと言えますから、『甲陽軍鑑』に記載されていないだけで 侍大将であっても相当数の足軽を率いていたと考えるのが普通であり、 主力部隊ではないから足軽大将はランクが低いという結論は導けないことに なるわけです。 それでは、足軽大将と侍大将を分けるものは何でしょうか。 それが出身地でないのは明らかで、甲斐出身で甲斐源氏の流れを汲む 曽根昌世のような武将でも足軽大将までしか出世できませんでした。 曽根昌世は信玄に「我が眼」と言わしめたほどの武将であるにもかかわらず、です。 とすると足軽大将と侍大将の差は何か。一目で分かるのが、率いる兵力です。 足軽大将では『鬼美濃』こと原虎胤でも30騎を率いるに過ぎません。 (前述の理由で、足軽の数は肩書きに左右されないものとして省いて説明する) 足軽大将は30騎以下の者ばかりであったと言えます。 対して、侍大将では香坂昌信の450騎や山県昌景の300騎は かなり多い例ですが、一番少ないのは秋山信友の50騎です。 この30騎と50騎の差が、足軽大将と侍大将の差であると言えます。 そして、率いる兵力は武将ごとの所領の石高(貫高)によって決まります。 つまり、侍大将は所領が多く、足軽大将は所領が少ないということになります。 「二十四将」に数えられたうちの外様の武将たちは、要は身一つで甲斐に やってきて、己の力だけで武功を挙げ、所領を得なければならなかった。 ちなみに、「外様」と分類された彼等が多くは信虎の代に活躍し、信玄の代では 早い段階で死んだものたちであることがこの場合、肝要です。 つまり、彼等の肩書きは信虎の代からのものであり、信虎の代には甲斐には 余りの土地はほとんどなかったが、信濃にはあまり勢力を広げられなかった。 つまり、この段階では新参者が大きな所領を得るのは不可能であった。 だから、彼等は活躍はすれども所領がそれに追いついていなかったと 考えられます。それが彼等が足軽大将どまりであった真の理由と考えられます。 以上の点、井沢氏におきましては御検討のほどを。 Time : 2001/ 4/ 5(木) 03:37:11
Name : ふっキレた E-mail : Title : つまり Comments: 井沢さんの認識って、後世に脚色された逸話、講談話、物語みたいなものがネタ元ってこと? 我々、歴史ファンと同じなのか?それとも解り易くレベルを落として書いてくれてるのか? Time : 2001/ 4/ 5(木) 10:20:40
Name : ニッキー E-mail : Title : すみません訂正 Comments: 「秀吉は100%純血とは言えないでしょう」 ではなくて、 「秀吉は100%実力主義とは言えないでしょう」 でした、混乱させてすみません。 PAKUさんへ またここのレスではないですけど(笑)了解です。 Time : 2001/ 4/ 5(木) 16:27:37
Name : MK E-mail : Title : 「歴史不思議物語」廣済堂文庫・飛鳥〜鎌倉編・戦国〜江戸編の2冊 Comments: 平成13年1月15日初版発行 井沢ファンならもうご存じだったかしら? 面白かったので、またまた買ってしまいました。写真が一杯入っているのが良いです。 ところで、本当は隣の板に書く方がいいのですが。この所2回位Y新聞に「日本人は 私達に悪い事をした謝れ」と中国や韓国の人に言われた女の子の話がでてましたが、 もううんざりする話で。曽野綾子さんの書かれた様に「外国の認識では謝罪はお金の 請求をお意味する」とか、「文化大革命」の事とかをはっきりと子供たちに教えなくては ならない時期になってきているのでしょうね。 Time : 2001/ 4/ 5(木) 20:00:22
Name : 一読者 E-mail : Title : おや? Comments: 今週の『逆説の日本史』の記述には矛盾がありますね。 すなわち、 「そして、6から17までの十二人が譜代つまり先祖代々武田家に 仕えている武将である。甲斐衆といってもいいだろう」 という部分と、 「要するに他国出身者(甲斐生まれであっても父の代には他国出身である 場合も含む)の指揮下に入りたくないという、地元意識、譜代の誇りが、 そうさせるのである」 という部分です。 なぜなら、二十四将の17番として挙げられている小幡豊後守昌盛が 外様衆として挙げられている小幡山城守虎盛の息子であるからです。 つまり、小幡豊後守が譜代であるという説明が間違っているのか、 あるいは父の代に他国出身である者が譜代になれないという 説明が間違っているのかのどちらかです。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 04:01:26
Name : 秋山 彩香(あやか) E-mail : ZAN23647@nifty.com Title : 天智と天武は赤の他人 Comments:  お邪魔します。 天智と天武の非兄弟説の論拠として、年齢逆転を挙げて居られるようですが、 『万葉集』から文学的解を述べます。 【寓喩(ぐうゆ)】とは、(表)の意味を離れて、(裏)に真意を込めたもの。 例 (表)四季     =(裏)【四つの皇統】      ○日本国    春(&菊&狐)=   【天智(新羅・隼人)系】=突厥(トルコ人)      ●大倭(やまと)国    夏(&松&蛇)=   【天武(高麗・物部)系】    秋(&竹&犬)=   【九州王朝(豊国)→蘇我大王家】    冬(&梅&亀)=   【藤原(百済・巨勢)系】 夏&秋&冬は、邪馬人(やまと)= 夷人(イラン人=巨勢→中臣)& 胡人(ペルシャ人=物部&蘇我)=夷と胡(いとこ)→従兄弟(いとこ) ※ 蝦夷(えみし)=「恵美(押勝=藤原朝臣仲麻呂)氏」 なお、邪馬人(やまと)は、邪馬壹(いち)国(連邦)の女王卑弥呼=壹与(→伊予)や、 邪馬台(やまと)国(連邦)の女王・台与(→豊)以来の女王(→中 太上天皇→中宮)君臨国でした。 連邦の、太政&左右(&内)大臣達は統治者で、それぞれの国では男王でした。 【蛇足】邪馬台(やまと)国(連邦)の台与(→豊)の都は 「福岡県田川郡(京都郡の西)香春(かわら)町」で、 「天の岩戸(鏡山)」は(三峯の)香春岳。  〜 春山の【万花】の艶と秋山の【千葉】の彩とを競ひ 〜 の 【万花・千葉】から、『万葉(集)』 冬【舒明=鎌足】こもり 春【天智】さり来れば〜 秋山【蘇我大王家】われは【額田王=大田皇女】 (巻一・一六) 春【弘文】過ぎて夏【天武】来たるらし白妙の衣【死装束】干したり天の香来山【高麗王】(巻一・二八) 石走る垂水の上の早蕨の萌え出づる春【天智系(の世)】になりにけるかも(巻八・巻頭歌) 冬【舒明=鎌足】こもり 春【天智】さり来れば〜 春【弘文】過ぎて夏【天武】来たるらし〜 の二首からも、【寓喩】を信じれば、四季=【四つの皇統】、が成立すると思います。 四季=【四つの皇統】、は『万葉集』のみならず、名だたる古典文学に共通しています。   『枕草子』冒頭から抜粋 春はあけぼの=【天智系は日の出の勢い】 夏は夜=【天武系は滅亡間近】 秋は夕暮れ=【蘇我大王家の勢いは日の入りに】→三夕歌 冬はつとめて(早朝)=【藤原系は新参者】  白き【斯廬(しろ・新羅の古名)き】灰【隼人(ハイト)】勝ち【寄り】になりぬるは悪ろし。 【★これこそが記録に残る紫式部(冬)の激怒理由。清少納言は(夏)】 『小倉百人一首』も『万葉集』同様、「皇統譜集」 「俳諧の季語」=【寓喩は、四つ(春・夏・秋・冬)の皇統】。  さて、 舒明(田村皇子=耽羅 または 丹羅皇子)=【藤原鎌足】 天智(中大兄皇子)=【新羅王・武烈=(金・春秋=実名)】=神道 天武(大海人皇子)=【高麗王 泉・蓋蘇文】=拝火(ゾロアスター)教 であり、天武は孝徳天皇【阿倍倉梯麻呂】の皇太弟です。 舒明の時の太上天皇は鏡王(斉明=大田皇女の母)で、彼女が百済大寺を建立か。 巨勢(→中臣)氏の信教は神道、藤原氏は仏教と、「信教を以て中臣と藤原を分けた」ようです。 本来は、内大臣・中衛高明閤下・房前(北卿)が「藤原」で、他の三家は「中臣」と私には思われます。 「万世一系」にする為に『書紀』は嘘を記載しているのです。  他方、 『万葉集』は、表裏一体の二重構造を持つ、(表)は歌集、(裏)は史書。 真の『万葉集』は、「大倭国・蘇我大王家【聖武天皇】の勅撰史書」になっています。 同時に「聖武天皇一代記(自叙伝)」です。 即ち「山柿の門」=赤人&人麻呂(いずれも★筆名)=【聖武天皇】です。 「君臣合体」は、「山上憶良に名を借りた、★借名の君子(くんし)&臣下・人麻呂」の事で、 実名は石川朝臣君子(きみこ。巻三・二四八の左注)=聖武天皇、です。    天平【勝宝】折り込み歌 銀(斯廬かね=新羅)も金(旧かね=金韓加羅)も玉(多摩=物部)も 何せむに【勝】れる【宝】子にしかめやも  憶良(巻五・八○七) 美努王や葛城王(橘諸兄の父=赤人)は、★別名の聖武天皇です。 ●聖武天皇(659〜759年の数え年百一歳=『古今和歌集』序) ☆生誕地は「遠里小野(現・大阪市南部の住吉大社付近。巻十六・三八一三)」 ★終焉地は「隠岐島・島後・西郷町・加茂(「鴨山の〜」の、かも)」 人麻呂は、さる文化勲章受章者の言う「柿本朝臣佐留」のような小物ではありません。 なお『万葉集』の「猿」=【藤原朝臣武智(無恥?無知)麻呂】 あな醜 賢しらをすと酒飲まぬ【禁酒政策】人をよく見ば猿【武智麻呂】にかも似る (巻三・三四七) 人麻呂は701年に渡唐(在唐16年)し、718年に帰日=倭歌衰退期間。 帰日後、泣血哀慟歌(巻二・二○七〜一九)=【持統挽歌】を詠む。 その持統に禁忌し、生まれたのが「我妹子が 形見における みどり兒【房前】の〜(巻二・二一三)」の「北家(法華)房前」です。 してみると、どうやら彼は「古典文学とは何か?その本質」をご存じ無いようです。 名だたる歌人&俳人&文学者達は皆知っていて、作品の中に『万葉集』と同様の【寓喩】で以て「知っていたよ」と語っています。 芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」は、『本朝文選』の「銀河の序」と併せて考えれば、 「佐渡に横たふ」=【天平十年〜十三年、佐渡流罪の中臣朝臣宅守=借名の美努王(人麻呂)】と解ります。 天の川安の川原に定めてし神し競へば麻呂待たなくに (巻十・二○三七)  この一首は●庚辰の年【天平十二年(740)】に作る。 聖武天皇即位は、『楽毅論(藤三娘)』成立後の、天平十六〜十七年の筈。 恐らくは、(大津皇子の即位時と同様)難波宮にて即位、平城京遷都。 知らぬは現代人莫迦りです。    真の『万葉集』  http://homepage1.nifty.com/shoumu/ より。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 04:03:46
Name : なかの E-mail : Title : 少し「バツが悪い」ですが・・ Comments: こんばんは、なかのです。 先日あんなことを言って、非常に言いにくいのですが・・、 今日の昼になって急遽スケジュールが一つぽっかりと空いてしまい、 明日まで時間が少しだけ取れそうなので、こちらへお邪魔します。 パンダさま(グループKさま)> お隣へわざわざ出向いて頂き、ご苦労様でした。 GSさんが言われるように、隣ではどうも「正論」が通じなくなっているようです。 ちょうど「天智・天武非兄弟説」を別の角度から 提示された方がおられるようなので、 可能性だけでのことですが、少し話を戻します。 「天智=紂王」説が成立するには、讖緯説とは別に、「天智」「天武」の諡号が 「天武=周の武王」という見方がなされていたとする時期に 成立していなくてはなりません。 この際に、グループKさんが言われるように、 当時の天皇が「天智の血を引いている」ことが どれだけ影響してくるのかが問題になります。 そこで持統ですが・・、 倉山田石川麻呂の粛清直後に持統の母は亡くなっています。 当時、持統は4歳か5歳ですが、幼い時に実母と外祖父を、 実の父によって事実上殺されたようなものです。 当時の人の心情を図り知ることは当然ながら不可能ですが、 ただ単に肉親というだけで持統が「天智=紂王」を否定するとは 一概に言えないのではないかと思います。 持統が天武の正夫人(後に皇后)となったのは 明らかに天智の娘であったからですが、 天武の後に持統が即位したのは、 「天智の娘」でなく天武の「皇后」だったからであると思います。 皇極などのように、天皇(大王)崩御後に皇后が即位したとする例もあります。 一方で「天智=漢の高祖」「天武=光武帝」的な記述をする日本書紀が 成立したのが元明〜元正期であり、 元明が「不改常典」を持ち出したところを見ると、 その頃までに「天智」という諡号(もしくはその「素案」のようなもの)が 無かったとしたら、つまり持統・文武の頃に、 その構図により「天智」が決められていなかったとしたら、 「天智=紂王」説はまず成り立たないと思います。 きんたろうさま、MKさま> 暖かいお言葉ありがとうございます。恐らく今月末には「解放」される見込みですので、そのときには改めてお願いします。 ニッキーさま> お隣では色々とありがとうございました。 秋山 彩香(あやか)さま> はじめまして。 ここでの天智・天武非兄弟説の言い出しっぺでもありますので、 ちょっと気づいたところを質問させて頂きます。 @全体的に「語呂合わせ」的ですが、それを裏付けるとまでは言わないものの、  それを匂わせる程度でも結構ですので、  「語呂合わせ」的でない史料・物証等があれば提示して頂きたいと思います。  これはお隣の2mさんの議論でもあったことですが・・、  ただ「ああ読める」「こう読める」だけでは、ここの常連の方々は  納得しないと思いますので・・。 A国語学者の大野晋先生が、古代の仮名遣いで母音が重なることは殆どなく、  (例えば現代語の「青い(aoi)」→「あをき(awoki)」など)  また母音から始まる言葉も殆ど無いとしており、  「邪馬臺」や「臺与」の「臺」字が「壱」であるという説について  否定的見解をしております。これについてお願いします。  更に、秋山さんの「邪馬臺」についての見解が、  片方で「臺」、もう片方で「壱」というのがよく分からないのですが・・。 債投動産さま> 堂本暁子とオノヨーコですか・・。 すみません、謎かけの趣旨がよく分かりませんでした。 確か二人とも60代後半ですね。 あととりあえず思い当たることは・・・。 堂本暁子:  ○アメリカ生まれの東京育ち  ○料理が得意  ○千葉に住んでいた祖母に可愛がられ千葉に愛着がある  ○TBS記者の時のルポ報道から参議院議員に転身  ○戦争時には長野県佐久市に疎開し、参院選出馬まで   長野県小諸市に自宅を構えていた オノヨーコ:  ○名門(財閥)の出身  ○アメリカ留学  ○前衛音楽家のハシリ的存在  ○ジョンレノンと結婚  ○長野県の軽井沢に別荘 くらいしかありませんが・・。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 20:04:46
Name : ブッタ E-mail : koike-m@mui.biglobe.ne.jp Title : 万葉集についての質問 Comments: 以下の件について質問します。 ○枕詞は被枕詞の気がして仕方がないのですが・・・。 ○柿本人麻呂について、百済系の海女族で政治批判をしたために葬られた人物で、 山部赤彦と同一人物ではないかと思うのですが・・・。 ○中臣鎌足百済系の渡来人だったために大織冠? ○天武が新羅系なら蘇我氏との兼ね合いをどうお考えになりますか? Time : 2001/ 4/ 6(金) 20:46:25
Name : 債投動産 E-mail : Title : 正解 Comments: なかのさん、 忘れかけていた頃にお答えをいただき恐縮です。やはりちょっと難しすぎたと反省しています。 正解は、意外や意外、  堂本暁子とオノヨーコは小学校時代のクラスメート でした。啓明学園という、東京都昭島市にある帰国子女教育の草分け的な学校で、戦中から戦後に かけての時期に机を並べていた同窓生です。これは偶然に発見しました。 それではまた、忘れた頃に戻ってきます。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 21:55:50
Name : なかの E-mail : Title : 秋山彩香さまへ> Comments: 申し訳ありませんが、引き続き質問を・・。 B「天智(新羅・隼人)系」とされていますが、  天智は白村江の戦いなどを見てもわかるようにどちらかというと百済に親しく、  井沢先生の説では新羅を憎んでいたとされています。  ブッダさんは「天武が新羅系なら」と言われていますが、  天智を新羅系でくくられていることについて、その根拠をお願いします。 C浅学で申し訳ありませんが、「夷人(イラン人=巨勢→中臣)」とされていますが、  当時から「イラン」の語があったのでしょうか・・?  現在のイランのある一帯は、私の知っている限り、  エラム王国→アッシリア帝国(紀元前7世紀頃)→メディア帝国(紀元前7世紀)  →アケメネス朝ペルシャ帝国(紀元前6世紀〜紀元前4世紀)  →マケドニア帝国(紀元前4世紀)→セレウコス朝シリア帝国(紀元前4〜3世紀)  →パルティア帝国(紀元前3〜紀元3世紀)→ササン朝ペルシャ帝国(紀元3〜7世紀)  →イスラム・カリフ4代(紀元7世紀)→イスラム・ウマイヤ朝(紀元7〜8世紀)  →イスラム・アッバース朝(紀元8世紀〜)  というように王朝が変わっており、その間に「イラン」の語は聞いたことがありません。  (あくまでうろ覚えです。特にアッシリアは怪しいですが・・?) D聖武天皇即位と「楽毅論」との関連が分かりませんので解説をお願いします。  「楽毅論」って、中国戦国時代の五本の指に入る名将であった楽毅について  評価した書物ですよね・・? あと余談ですが、 「胡人」という言葉を見ていて・・、 秦の始皇帝が予言者に秦の今後を占わせたところ 「これ秦を滅ぼすものは胡なり」 と言われ、万里の長城建設や名将蒙恬を大軍と共に北辺に駐留させるなどして 胡(当時の常識では匈奴を指す)への対策に追われたものの、 蓋を開けてみれば、秦を滅ぼしたのは二世皇帝の「胡」亥だった・・、という やや創作臭いオチのある話を思い出しました。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 22:13:00
Name : なかの E-mail : Title : 債投動産さまへ> Comments: ありがとうございました・・、ってこれ、難しすぎですよ。(笑) Time : 2001/ 4/ 6(金) 22:14:21
Name : 債投動産 E-mail : Title : 正解 Comments: なかのさん、 忘れかけていた頃にお答えをいただき恐縮です。やはりちょっと難しすぎたと反省しています。 正解は、意外や意外、  堂本暁子とオノヨーコは小学校時代のクラスメート でした。啓明学園という、東京都昭島市にある帰国子女教育の草分け的な学校で、戦中から戦後に かけての時期に机を並べていた同窓生です。これは偶然に発見しました。 それではまた、忘れた頃に戻ってきます。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 22:16:57
Name : グループK E-mail : Title : 諡号問題はお仕舞にしませんか? Comments: なかのさん、お速いお帰りで・・・グループKです。 >>ただ単に肉親というだけで持統が「天智=紂王」を否定するとは一概に言 >>えないのではないかと思います。 これは、絶対と言うほど有り得ないでしょう。「紂王」というのは、天地人 ともに許さざる悪逆非道の王です。実娘であり皇后という公的な立場に有る ものが、実の父を「紂王」に擬した(擬したことを認める)としたら不孝の 極みであり、自己の正統性に関わる問題であり、またチャイナ(唐)やコリ ア(新羅)の笑い者になることぐらいのことは、誰にでも解ることです。 (天武とて同様で、仮に彼が天智の実弟では無かったとしても、一方で実弟 と名乗りながら兄を「紂王」に擬する等ということは、絶対に有り得ないこ となのです。) 繰り返しますが、その意味で井沢さんが・・・ 「私は『天智』の子孫である三船が、こんな曾祖父の名を恥ずかしめるよう な諡号を贈る筈がないと思っている」 というのは歴史の常識を踏まえた実に正鵠を得た見解なのですが、その一方 で天皇という立場にある実子や孫が、 「こんな父や祖父の名を辱めるような諡号を贈った筈だ・・・」 とされるのは、実に矛盾に満ちた見解とは思われませんか? >>持統が天武の正夫人(後に皇后)となったのは明らかに天智の娘であった >>からですが、天武の後に持統が即位したのは、「天智の娘」でなく天武の >>「皇后」だったからであると思います。 もちろん、おっしゃるとおりですが・・・本件と何か関係がありますか? >>その頃までに「天智」という諡号(もしくはその「素案」のようなもの) >>が無かったとしたら、つまり持統・文武の頃に、その構図により「天智」 >>が決められていなかったとしたら、「天智=紂王」説はまず成り立たな >>いと思います。 文武が・・・ 「自分は『紂王』の如き悪逆非道の帝王の血統を継ぐものでもある・・・」 こんなことをワザワザ臣下と諸外国に向って宣言するとおっしゃるのでしょ うか? 絶対に有り得ないことです。 これも、繰り返しになりますが・・・書紀成立時(元正期 720年)には「天 武」「天智」等という「諡号」は影も形も無いのです。懐風藻(孝謙期 751 年)に至ってもこの影は見えません。 おそらく言われるように、称徳〜桓武の時代だと見るのが最も妥当で・・・ つまりは760年〜790年頃なのですネ。 称徳時代(764年〜)としても、光仁は既に50代・桓武も20代です。称徳が 素っ頓狂な物狂いで「天智=紂王」に擬したとしら、その意味は充分理解し 得る筈です。 光仁・桓武は・・・仮にも自分の直系の祖父や曾祖父が「紂王」とされたの であれば、即位とともにこんな「諡号」等は直ちに抹殺する筈でしょう? 井沢さんは、光仁・桓武期においても・・・唐や新羅の外交官に「貴国の君 主のご先祖は、紂王であられるか・・」なんて嘲笑されるのを放置するとで も思っておられるのでしょうか? そうだとすれば・・・全く信じ難い歴史センスだと言わざるを得ません。 「天智=紂王」「天武=武王」等というのは・・・歴史の基本知識に欠けた 作家の非常識な妄想でしか有り得ません。 「帝謚考」を著した鴎外が聞いたら・・・腹を抱えて大笑いするか(^0^)"、 悲嘆の涙にくれる程度の愚論です (>_<;) それから・・・秋山彩香さんのご意見は、発想の極致を示した素晴らしい一 辺の詩編です。とても俗人に理解できるものではないと思いますので、あま り細かいことを詰めないで頂ければ嬉しいのですが・・・ Time : 2001/ 4/ 6(金) 22:54:22
Name : なかの E-mail : Title : 速く帰って来たのではないのですが・・(笑) Comments: 帰ってきたというよりも、ちょっと予想外の時間が出来たので 立ち寄ったというのが正直なところですが・・。 グループKさま> レスありがとうございました。 そうですねえ。未練はかなりあるのですが・・(笑) 偉そうなことを言っても、色々当たってみたものの立証できそうもないので、 言われるとおり、別の話題をお願いします。 あと、秋山彩香さんの投稿についてですが・・、 私が10年近く前に安本美典氏の著書を読んだ時に、 「万葉集は朝鮮語で読めた」という種類のトンデモ本が意外に多く出回っていて、 しかもそれが結構売れていることを初めて知り、少なからず驚きを感じました。 秋山彩香さんの投稿内容がその種類のものかどうかは現段階で判断できませんが、 天智・天武問題を絡めて言われていましたので、 色々お聞きしようかと思ったまでのことです。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 23:07:38
Name : 游惟 E-mail : Title : なかのさんへ 横レス失礼! Comments:  横レス失礼します。 A国語学者の大野晋先生が、古代の仮名遣いで母音が重なることは殆どなく、  (例えば現代語の「青い(aoi)」→「あをき(awoki)」など)  また母音から始まる言葉も殆ど無いとしており、  これは「頭韻法則」と言って、万葉仮名の研究から「上代には語中に母音は現れない」 と古くから唱えられている説であり、大野先生のオリジナルでもなんでもありません。 大野先生は優れた日本語学者・言語学者ですが、上代特殊仮名遣いに関しては超保守派に 属する方で、有坂秀世以来の伝統的な学説を無批判に継承しているだけです。 下の方で私がグループKさんの質問に答えていますが、それを再掲します。 >「ヲ」と「オ」の問題は私の論文の中心論点の一つです。 >今までは上代の「ヲ」は/wo/という発音であり、「オ」とは関係がないと考えられてき >ましたが、私は「ヲ」「オ」は同じ「O」という音の甲乙であり、条件異音に過ぎない >と考えています。 >現代語でも「リンゴを食べたい」と言ってみれば解るように、我々が助詞の「を」を発 >音するときは必ず円唇化しています。(つまり朝鮮語の┻になっています) >上代・上古において「雄」「緒」「尾」な「O」の単音節語は全て「ヲ」であり、「オ」 >で書かれる単音節語は一つもありません(古語辞典を見ればすぐに解ります)が、「へ >その緒」「犬の尾」などと発音してみれば解るように、やはり現代人も円唇化した┻で >発音しています。 >また万葉仮名において語中の「O」は「アヲ」「サヲ」「ウヲ」「カヲリ」など全て「ヲ」 >で書かれていますが、これらを発音してみればやはり円唇化します。(皆ア・ウ段音に >接続しているでしょう?) >このように考えれば「ヲ」「オ」は同じ「O」という音の甲乙であり、条件異音に過ぎ >ず、時代が下るに従って次第に書き分けが混乱していっただけです。ただ、助詞の「ヲ」 >だけは助詞のマーカーとして便利だったので今日まで残ったのでしょう。つまり「ヲ」 >「オ」の書き分けは上代特殊仮名遣いの名残りなのです。  つまり、これまでは「ヲ」は/wo/であり、w音が入っているから母音ではない、という 理屈で「頭韻法則」が正当化されてきたわけですが、「ヲ」は実は円唇化した「O」母音 そのものなのであって、「アヲ」「サヲ」「ウヲ」「カヲリ」などでこれが語中に現れるこ とは「頭韻法則」などというものは成立しないと言うことになります。(ただ、「アオ」 と言えば/awo/に聞こえないこともない) また同じ理屈で >上代特殊仮名遣いのイ・エ段音(キヒミケヘメ)の甲乙については、円唇化ではなく先 >行する母音との関係で起こる二重母音化ないし半母音化であり、ワ行の「ヰ」「ヱ」、 >ヤ行の「je」も、ア行の「イ」「エ」と対立する乙類だと考えられます。なぜなら、こ >れらの万葉仮名を朝鮮漢字音で見るとキヒミケヘメの乙類と同種の母音が現れるからで >す。 >例えば「家」と言えば/je/、「上」と言えば/we/、「有為」と言えば/wi/に聞こえる、とい >うような現象であり、朝鮮語ではこれら半母音・二重母音も明確に書き分けます。 これまでは「ヰ」「ヱ」/je/は半母音であり母音ではない、という理屈で「頭韻法則」が正 当化されてきたのですが、これらは先行する母音との関係で生じるア行のイ・エの条件異 音に過ぎないのであり、これらが語中に現れる単語は山ほどあるのであって、「頭韻法則」 などというものは成立しないのです。 常識で考えてみればわかることですが、平安時代以降の人間が平気で語頭・語中の母音を 発音できるのに、奈良時代の人間には発音できなかった、などということはあり得ません。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 23:09:48
Name : 游惟 E-mail : Title : なかのさんへ 横レス失礼! Comments:  横レス失礼します。 A国語学者の大野晋先生が、古代の仮名遣いで母音が重なることは殆どなく、  (例えば現代語の「青い(aoi)」→「あをき(awoki)」など)  また母音から始まる言葉も殆ど無いとしており、  これは「頭韻法則」と言って、万葉仮名の研究から「上代には語中に母音は現れない」 と古くから唱えられている説であり、大野先生のオリジナルでもなんでもありません。 大野先生は優れた日本語学者・言語学者ですが、上代特殊仮名遣いに関しては超保守派に 属する方で、有坂秀世以来の伝統的な学説を無批判に継承しているだけです。 下の方で私がグループKさんの質問に答えていますが、それを再掲します。 >「ヲ」と「オ」の問題は私の論文の中心論点の一つです。 >今までは上代の「ヲ」は/wo/という発音であり、「オ」とは関係がないと考えられてき >ましたが、私は「ヲ」「オ」は同じ「O」という音の甲乙であり、条件異音に過ぎない >と考えています。 >現代語でも「リンゴを食べたい」と言ってみれば解るように、我々が助詞の「を」を発 >音するときは必ず円唇化しています。(つまり朝鮮語の┻になっています) >上代・上古において「雄」「緒」「尾」な「O」の単音節語は全て「ヲ」であり、「オ」 >で書かれる単音節語は一つもありません(古語辞典を見ればすぐに解ります)が、「へ >その緒」「犬の尾」などと発音してみれば解るように、やはり現代人も円唇化した┻で >発音しています。 >また万葉仮名において語中の「O」は「アヲ」「サヲ」「ウヲ」「カヲリ」など全て「ヲ」 >で書かれていますが、これらを発音してみればやはり円唇化します。(皆ア・ウ段音に >接続しているでしょう?) >このように考えれば「ヲ」「オ」は同じ「O」という音の甲乙であり、条件異音に過ぎ >ず、時代が下るに従って次第に書き分けが混乱していっただけです。ただ、助詞の「ヲ」 >だけは助詞のマーカーとして便利だったので今日まで残ったのでしょう。つまり「ヲ」 >「オ」の書き分けは上代特殊仮名遣いの名残りなのです。  つまり、これまでは「ヲ」は/wo/であり、w音が入っているから母音ではない、という 理屈で「頭韻法則」が正当化されてきたわけですが、「ヲ」は実は円唇化した「O」母音 そのものなのであって、「アヲ」「サヲ」「ウヲ」「カヲリ」などでこれが語中に現れるこ とは「頭韻法則」などというものは成立しないと言うことになります。(ただ、「アオ」 と言えば/awo/に聞こえないこともない) また同じ理屈で >上代特殊仮名遣いのイ・エ段音(キヒミケヘメ)の甲乙については、円唇化ではなく先 >行する母音との関係で起こる二重母音化ないし半母音化であり、ワ行の「ヰ」「ヱ」、 >ヤ行の「je」も、ア行の「イ」「エ」と対立する乙類だと考えられます。なぜなら、こ >れらの万葉仮名を朝鮮漢字音で見るとキヒミケヘメの乙類と同種の母音が現れるからで >す。 >例えば「家」と言えば/je/、「上」と言えば/we/、「有為」と言えば/wi/に聞こえる、とい >うような現象であり、朝鮮語ではこれら半母音・二重母音も明確に書き分けます。 これまでは「ヰ」「ヱ」/je/は半母音であり母音ではない、という理屈で「頭韻法則」が正 当化されてきたのですが、これらは先行する母音との関係で生じるア行のイ・エの条件異 音に過ぎないのであり、これらが語中に現れる単語は山ほどあるのであって、「頭韻法則」 などというものは成立しないのです。 常識で考えてみればわかることですが、平安時代以降の人間が平気で語頭・語中の母音を 発音できるのに、奈良時代の人間には発音できなかった、などということはあり得ません。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 23:15:34
Name : なかの E-mail : Title : 游惟さまへ Comments: なかのです。恐らく初めてかと思いますが、よろしくお願いします。 游惟さんのAwajiさんとの討論までは読ませていただいたつもりだったのですが・・。 ご丁寧に教えて頂き、ありがとうございました。 Time : 2001/ 4/ 6(金) 23:17:33
Name : MK E-mail : Title : 誤字脱字ご容赦ください。 Comments: ぅ〜〜なかのさん、やはりお優しい! 温かいお言葉有難うございます。(暖かい!じゃぁ〜なくて ) (〜〜〜恥ずかし〜〜〜〜〜いです。字を知らなくて私) ところで、日本茶掲示板が表示されません。昨日からです。 Nihon ChaChaCha Clubです。 時々見てて面白かったのですが、何かあったんでしょうか。 Time : 2001/ 4/ 7(土) 08:17:36
Name : MK E-mail : Title : 誤字脱字ご容赦ください。 Comments: ぅ〜〜なかのさん、やはりお優しい! 温かいお言葉有難うございます。(暖かい!じゃぁ〜なくて ) (〜〜〜恥ずかし〜〜〜〜〜いです。字を知らなくて私) ところで、日本茶掲示板が表示されません。昨日からです。 Nihon ChaChaCha Clubです。 時々見てて面白かったのですが、何かあったんでしょうか。 Time : 2001/ 4/ 7(土) 08:19:33
Name : グループK E-mail : Title : 最後に、天智諡号に関するトンデモです。 Comments: なかのさん、おはようございます。グループKです。 「天智」諡号問題は・・・ということで終了させて頂きますネ。 最後に、この問題について以下・・・少しトンデモ的意見です。(^0^)" 私は「諡号」制定は、おそらく桓武期に淡海三船が次の地位に有った時 に起案したものではないかと思っています。 782年 (桓武2)因幡守兼大学頭文章博士 784年 (桓武4)刑部卿兼因幡守兼大学頭 というのは・・・当時に制定された「漢風諡号」で「X武」というのは、 「神武」「天武」「文武」「聖武」ですが、逆に言うと当時の男性天皇 は「光仁」以外は全て「神武」の名をひく(?)「X武」ですね。 おそらくこれは偶然ではなく、統一的に起案されたものだと思います。 続く「桓武」も、おそらくこれを受け継いだ可能性が大きいでしょう。 「天智」は「天智玉」を意識したものとすれば、「天の命が革まる」と ともに「紂王」を離れ「武王」のものとなったのですから・・・・即ち 「天智玉」は「天命」のシンボルとされたもので・・・・和風諡号であ る「天命開別」に因んだものかも知れません。 「天智(玉)これ 仁を光(てらし)」・・・「天文(てんもん)は こ こに 聖(きよし)」なんてトンデモ的な語呂合わせ等は、はいかがな ものでしょうか? (^0^)" なお「聖徳」は、この時期に一括制定された「諡号」ではなく、先行し て奉呈された一種の「法号」であろうと言うのは、既に申し上げたとお りです。 もちろん「X徳=怨霊鎮魂諡号」等というのは、「懿徳」「仁徳」がそ の後に制定されたものなのですから、まず有り得ないことなのですが(^0^)" ところで、私は「天智=百済派、天武=新羅派」等という意見も良く分 からないのですが、なかのさんがこれに魅力を感じておられるのならば、 次いでにここで検証して見るのも良いかも・・・ 游惟さん・・・五巻 憶良の長歌・反歌をご存知だと思いますが、これら の歌を憶良が下書きなしにチュウで作成出来たとお考えでしょうか? また、これらの歌を憶良が朗詠中に漢字で音写出来る人間(しかも外国 人)が、この世に存在したとお考えでしょうか? 仮に原文が訓読漢文であったとしても、余程の天才でないと漢字音写な ど出来っこありませんが、仮に訓読漢文の原文が有るとすれば、それを ワザワザ外国人に漢字音写させるとお考えでしょうか? 私は、憶良自身が和語を漢字音写したものであると確信しています。 で・・・花見に出かけて、一首ひねってきます。(^0^)" Time : 2001/ 4/ 7(土) 09:05:35
Name : きんたろう E-mail : Title : 三言目^^;;(カメさん、笑) Comments: 私がダウンしている僅かの間になかのさんが復活していますねv(^o^) 予想以上に早く戻ってこられたのですね。 ところでちょっと質問なのですが、流れ板銀さんと武田研究家さんは同一人物なの でしょうか??笑 日本中で知らない人がいない(と思っている^^)くらいに有名な武田信玄は勿論 一流のものすごい人物です。 その武田信玄にしても信濃の領土獲得に人生のほとんどをかけた訳ですよね。 何しろ川中島の戦いとは要するに「長野県知事」戦の様なもの??^^;; このような超有名人を引き合いに出す事は読者にとってとても分かりやすいように 思っています。 ちなみに私は佐竹家19代当主義重のファンでもありますが、「鬼義重」の行動や 佐竹家家臣団を引き合いに出されても知らない人の方が多いでしょうから伝えよう とする論点がぼけてしまうように思っています、笑 Time : 2001/ 4/ 7(土) 15:02:46
Name : 游惟 E-mail : Title : グループKさんへ Comments: >仮に原文が訓読漢文であったとしても、余程の天才でないと漢字音写な >ど出来っこありませんが、仮に訓読漢文の原文が有るとすれば、それを >ワザワザ外国人に漢字音写させるとお考えでしょうか? >私は、憶良自身が和語を漢字音写したものであると確信しています。 >で・・・花見に出かけて、一首ひねってきます。(^0^)" 「外国人」とおっしゃいますが、私は最初から8世紀前半の朝鮮帰化人(白村江以降に大 量に入ってきた百済・高句麗帰化人二世世代)はバイリンガルであったはずだ、といって います。  幼児は語学の天才であり、言語形成期前後を一貫して二重言語環境に置かれた人間は完 全なバイリンガルに育ちます。私は職業柄、日本育ちの外国人、外国育ちの日本人の日− 英、日−中、日−朝、日−広東語等のバイリンガルの人間をたくさん知っていますが、彼 らの話す日本語は全くネイティブと変わりません。言語形成期を過ぎてから外国語(第二 言語)として日本語を勉強した「へんな外国人」の話す日本語とは全然違います。  そんなことは奈良時代だって変わるはずがなく、日本生まれの白村江帰化人二世達は日 本語も母語としてちゃんと話せたはずです。但し、学校もなかったこの時代、彼らの読み 書きは朝鮮語しかしゃべれない一世たる父から習ったはずであり、漢字音は朝鮮音しか知 らなかったはずです。  その彼らが成人して書記官として働いているうちに貴族達の書く日本式訓読法にも習熟 したでしょうから、日本語もネイティブである彼らにとって訓読法の原文を借音仮名に書 き直すことなどわけもなかったはずです。但し、漢字音写する際、漢字音は朝鮮音しか知 らないのだから朝鮮式でしか書けません。  完全なバイリンガルの人間は@二つの言語をともに母語として話せ、Aそのどちらの言 語でも思考できるが、B二つの言語体系は別の体系として頭の中に入っており決して混じ り合わない、という特徴を持っています。私自身東京生まれの両親の元で大阪で育った標 準語と関西弁のバイディアレクティック(二重方言話者)だからわかりますが、標準語と 関西弁は完全に別の体系として頭の中に入っており、一つのセンテンスの中に標準語と関 西弁が混在することはなく、岸辺シローのような変な標準語、変な関西弁は決してしゃべ れません。  ですから、日朝バイリンガルの書記官達が「訓読法の原文を借音仮名に書き直すことな どわけもなかった」といっても最初は結構苦労したと思います。例えば「アヲニヨシ」と いう言葉を音写する際は、まず日本語モードで「ア」を発音し、次に頭の中を朝鮮語モー ドに切り替えてそれに該当する音の漢字を捜して記述し、また日本語モードに切り替えて 「ヲ」を発音し、次に頭の中を朝鮮語モードに切り替えて・・・・という風に一音一音頭 の中のモードを切り替えて記述していったことでしょう。しかし、何度かやっているうち にすぐに慣れ、常用する漢字も決まっていったでしょうが。  このように彼らが完璧な日本語をしゃべれるバイリンガルでも借音仮名を書くときは朝 鮮語モードでしか書けないのであり、故に彼らの書いた借音仮名は日本語の条件異音を的 確に捉えているのです。そしてその条件異音の発生法則は現代日本語と全く同じです。  また、年代的に見て彼らバイリンガル世代が死に絶えるであろう八世紀後半から上代特 殊仮名遣いは急速に崩壊しはじめ、借音仮名からイ・エ・オ段甲乙の書き分けは消滅して いったたのです。  山上憶良自身が貧窮問答歌を自分で書いた可能性はもちろんありますが、もしそうなら それは山上憶良自身がバイリンガルの朝鮮帰化人だったということです。 Time : 2001/ 4/ 7(土) 18:48:44
Name : なかの E-mail : Title : オオカミ少年にならなければいいが・・(笑) Comments: こんばんは、なかのです。 以前にも言いましたとおり、しばらくこちらへは諸般の事情により来られません。 ただ時間の余裕が出来た時には顔を出したいと思いますので、 その時にはまたよろしくお願いします。 グループKさま> 天智・天武問題について現段階で本格的に取り組めそうもないので、 諡号に関してお付き合いですが・・、 私は、現段階で思いつくだけでも  @漢風諡号を贈る(もしくは名乗る)というのはいつ、誰が始めたのか  A過去の天皇の漢風諡号は一度につけられたのか、それとも段階的につけられたのか?  Bなぜ初代神武から67代三条まで2文字なのか?  C「後」字のつく諡号はなぜ桓武以降しか用いないのか?  D「徳」「武」などの用いられ方に意味があるのか? などの疑問点を感じています。 上記のうちDについては井沢先生やグループKさんが触れられていますが、 @Aとも関連しています。 @については、グループKさんは桓武期ではないかとされていますが、 私はやはり、藤原仲麻呂が政界の中心となっていたとされる 「中華かぶれ」の時期が怪しいのではないかと思います。 Bは・・、どうしてでしょうか? これは改めて考えたいと思います。 Cは分かりません。ただ桓武を「新王朝の初代」として考えていたのでは・・とすると、 まだ理由がつく・・のでしょうか?やっぱり分かりません。 そしてDですが・・、グループKさんが「徳」について言われましたので、 私は「武」についてです。 「武」のつく40代天武、42代文武、45代聖武、50代桓武の4代ですが、 この4代には、他の有力候補を「排除して」後継者になったという共通点があります。 そんなもの誰もそうだと言われるかもしれませんが、この4代に 限って言えば、何らかの政治工作や政変が関連して行われており、 それがなければ後継者にならなかった(なれなかった)かもしれないと思います。 天武については「壬申の乱」がありました。 これは天智が太子と定めた大友の近江王朝を天武が武力で打倒したものです。 天武が天智の弟であれ、異父兄であれ、少なくとも天智晩年の太子は大友であり、 現に「近江王朝」を継承しています。 文武については、淡海三船の祖父に当たる葛野王が、 天武の諸皇子を差し置いての継承に反論しようとした弓削皇子の発言を封じ込めて、 文武を太子に強く勧めたという故事があります。 聖武についてはあまり目立ちませんが、聖武立太子の前に、 文武夫人の紀氏と石川氏が密通の疑いで排斥されるという事件が起こっています。 これは藤原氏が一門の宮子(聖武母)を夫人にして聖武を太子にしようと 画策したものと言われており、その通りだと思います。 紀氏や石川氏(言うまでもなく元は蘇我氏)は名門です。そして文武との間に それぞれ皇子がいました。彼らは聖武のライバルであった筈であり、 また逆に、だからこそ藤原氏が紀氏・石川氏を排斥したのでしょう。 桓武は父の光仁が即位した時は「ただの皇族」でした。 天智系の光仁の即位は770年ですが、他戸親王が排斥された772年までは 天武系に光仁が「婿入り」したような格好になっていたのではと思います。 聖武の外孫である他戸が排斥された後に桓武は太子になっています。 4代に共通しているのは、「邪魔者」を排斥し、 自分の即位を「正統化」する必要があったということです。 諡号については、やはり讖緯説の影響を考慮する必要があるというのが私見です。 また、もう一人の「武」である25代の武烈についても検討しなくてはいけません。 倭王の「武」との関係は分かりませんが。 MKさま> すみません、変換ミスです。「温かい」ご指摘ありがとうございました。 最後に、先日の私の質問にあった「楽毅論」についてですが・・、 「逆説」の光明皇后のくだりにも「楽毅論」については明記されており、 あれだけを読むと「因縁をつけている」かのように誤解されかねませんので、 言いたかったことを補足します。 楽毅は中国の戦国時代の名将で、「史記列伝」に記載されており、 三国志の諸葛孔明が管仲と共に尊敬したとされる人物であり、 最近では宮城谷昌光氏の歴史小説にもなっています。 史記列伝から概略を述べますと・・、 魏の人であった楽毅は「時の人」であった趙の武霊王に仕え、 武霊王亡き後、有名な故事である「まず隗より初めよ」で人材募集をした燕の昭王に仕え、 厚く信頼されて軍政改革を行い、燕の宿敵であった斉を他国と共に攻略して、 更に燕軍単独で斉の70城を陥落させ、斉を壊滅寸前まで追いつめました。 昭王が亡くなり、その後に即位した太子(恵王)に讒言があったことから召還命令を受けましたが、 楽毅は恵王に憎まれていることは知っており、 帰国して罪に問われるのは信頼してくれた昭王を辱めるものとして、そのまま趙へ亡命しました。 趙の恵文王(武霊王の子)は楽毅を歓迎して封地を与えました。 一方で恵王は趙にいる楽毅を憎みましたが、同時に楽毅が趙軍を率いて攻めてくるのを恐れ、 楽毅に命令に背いたことをたしなめる文書を送りました。 楽毅はそれに対し、昭王に厚く信頼されたことへの感謝の気持ちなどを綴って 恵王に送り返しました。 この時の楽毅が綴った文章は後世の人に感銘を与え、 諸葛孔明の有名な「出師の表」に大きく影響を与えたと言われています。 「楽毅論」については、その宮城谷昌光氏の「楽毅」4巻の「あとがき」に さらりと書いてありますが、 三国志の時代に楽毅の評価が下がったのを憂えた晋の夏侯玄という人が 楽毅の再評価のために記し、それを読んで感動した書道の大家である王羲之が 自らそれを書き写したことで知られるようになりました。 つまり内容もさることながら、むしろ書道の「お手本」として広まったのです。 そのため光明皇后の「楽毅論」については、知識や教養はある程度必要ですが、 それ以上に「書家」として評価されています。 当時の光明皇后の頃の政界で、光明皇后が、なぜ「楽毅論」を書いたかというと、 「楽毅論」の主題である楽毅についてというより、つまり知識や教養というより、 むしろ、大家のお手本を真似て書いた「書家」としてのものと判断すべきでしょう。 Time : 2001/ 4/ 7(土) 20:21:29
Name : なかの E-mail : Title : オオカミ少年未満状態のうちに追加です Comments: きんたろうさま> お久しぶりです。(笑) 言われるとおり、武田信玄は一生涯をかけてと言っていいくらい、 信濃攻略に費やしています。 以前にここで高遠について色々調べたことがありましたが、 その時に武田信玄に関して数多くの記録が「信濃史料」に残されていることを 知り、改めてそれを感じました。 まさに川中島の戦いは「長野県知事選」だったのかも・・? お隣のHN:ニセモノさま> お隣ではありがとうございました。 すみませんが、HNにあまり記憶が無く、申し訳なく思っています。 そういえばここ数日、2mさんの姿をお見かけしませんが・・? Time : 2001/ 4/ 7(土) 20:59:27
Name : 游惟 E-mail : Title : やはり山上憶良自身が朝鮮帰化人でした Comments: やはり山上憶良は朝鮮帰化人のようです。 前のレスを書いてから、山上憶良朝鮮帰化人説というのをどこかで聞いたような気がしたので図書館へ行って調べて みましたが、中西進・杉本苑子はじめかなりの数の論文が出ており、もはや国文学会では定説となっているようです。 660年前後の生まれと言うと百済が滅亡した前後であり、赤ん坊の時に来日した白村江帰化人一世かも知れません。 若い頃に遣唐使に加わって中国へ留学したらしいですが、高向玄理初め初期の入唐留学生は朝鮮帰化人が多いことが 知られていますから、中国語と音韻的に近い朝鮮語をしゃべれる者が優先的に選ばれたと言うことでしょう。 憶良は本来なら低い身分だったようですが、学識を買われて皇子の家庭教師などをやり、60過ぎで筑前守に抜擢され ます。やはり、対新羅・対唐外交の窓口である大宰府のある筑前の守ですから、朝鮮語・中国語能力を買われての抜 擢でしょう。 本来対立していたはずの「貧窮問答歌を書いたのは山上憶良自身である」というグループKさんの主張と「借音仮名 を以て日本語を記述していたのはバイリンガルの朝鮮帰化人である」という私の主張はともに正しかったと考えてよ いことになります。 Time : 2001/ 4/ 7(土) 21:04:47
Name : HN:ニセモノ E-mail : Title : なかのさんへ Comments: いえ、別のHNで話をしたことがあるだけです。(笑 Time : 2001/ 4/ 7(土) 21:11:00
Name : Awaji E-mail : Title : 山上憶良は渡来人か? Comments: 游惟さん今日は。頑迷固陋(?)のAwajiです。 山上憶良の朝鮮渡来人説は、小生も良く存じていますが、定説どころの話で はありません。おっしゃるとおり660年頃の生まれと考えられますので、朝 鮮渡来人(百済人?)とすれば、臣姓を与えられた可能性はほとんどありま せん。(ゼロとまでは言いませんが) ご承知のとおり彼は臣姓なのですから、粟田氏の支族と見るのが歴史学会の 多数説です。ご確認下さい。 なお、彼は文武五年(701年)に粟田朝臣真人・高橋朝臣笠間の遣唐に、少録 (正八位相当の卑官)として随行し、704年に帰国していますから、留学生で はありません。 (おそらく粟田真人が支族のうちから秀才を引き立てたと思われます。) また高向漢人玄理は、時代はかなり遡りますが、読んで字の如く渡来人であ り、608年に留学し640年に帰国しています。姓はあくまで「史」です。 Time : 2001/ 4/ 7(土) 22:11:08
Name : 游惟 E-mail : Title : 山上憶良は渡来人か? Comments: やあやあAwajiさん。 それでは山上憶良は渡来人か否か、国文学界と歴史学界では意見が異なるということでしょう。 私は言語学的立場から山上憶良帰化人説を支持する、としておきます。 Time : 2001/ 4/ 7(土) 23:17:32
Name : グループK E-mail : Title : 諡号と追号について、 Comments: なかのさん。グループKです。 諡号問題はあまり興味がありませんが、どちらにしてもしばらくお休みとい うことですので、その時にあらためて申し上げます。 ただ、アクセスされることもあろうと思いますので取り敢えず、 @Aについては、釈日本紀くらいしか史料がありませんので、申し上げたと おりある程度までは絞れますが、それ以上は不明というしかありません。 Bについては、当時の日本人の苗字が殆ど二文字ですから、その関係ではな いでしょうか?(特に何か問題があるのでしょうか?) Cについては、 68代 37世の後一条からですね。これは「桓武」までと「嵯 峨」では追号の意味が変化したからでしょうが、済みませんがあまり興味が ありません。(「桓武」も「柏原」としての「後」追号ですね) Dについては、所謂「諡法問題」ですが、然程の問題があるとも思っていま せん。 なお、所謂「諡号」は神武〜桓武で一旦断絶し、原則として幕末に至るまで 「山(陵)号」或いは「院号」「在地号」「寺号」になります。ただ「崇徳」 「顕徳(後鳥羽)」「順徳」は古来特殊諡号とされていますねネ。 (おそらく井沢さんの「徳=怨霊鎮魂諡号」発想のヒントになった?) 時期については、淡海三船の可能性が高いと思いますので、彼が大学頭・文 章博士の頃と考えているだけです。称徳期である可能性も否定しません。 Time : 2001/ 4/ 7(土) 23:26:22
Name : 異常ヶ原落書 E-mail : Title : やれやれ Comments: 名前を変えても パンダはパンダ。 口調はまったく かわりません。 さんざん叩かれ 嫌がられ、 引っ込んだのかと 思いきや、 相変わらずの 思い込み。 笑ちゃうよね この執念。 言わなきゃいいのに 言っちまう。 内容などは なんのその、 書かずにいられぬ この根性。 どこぞの誰やと 同一人? どうでもよいけど もうよして! Time : 2001/ 4/ 8(日) 01:31:32
Name : IT E-mail : Title : その落書き Comments: iモードですか? Time : 2001/ 4/ 8(日) 01:59:11
Name : グループK E-mail : Title : ご声援に感謝! Comments: 異常ヶ原落書の筆者さん、おはようございます。何時もながらの 暖かいお励ましを頂き、まことにありがとうございました。 これからも我々一同、貴台をはじめ皆様のご期待にお応えすべく 一層奮励努力いたしますので、よろしくお願いいたします。 Time : 2001/ 4/ 8(日) 09:32:11
Name : MK E-mail : Title : あおによし奈良の都は、春爛漫 Comments:  奈良では、平城京跡をきれいにしようとしてるみたいで、広〜い田畑だった所に ぽつんと色鮮やかな朱塗の朱雀門が再建されています。  遠くに見えるは長屋王邸宅跡に建つ奈良そごう、去年12月に閉店! ”長屋王のたたりだ〜〜”な〜んて半分信じてる私は、日本人。 (唐招提寺は修理中で、薬師寺も講堂が修理中! USJのついでに奈良、京都  観光の方は十分に下調べしてからお越しください) Time : 2001/ 4/ 9(月) 13:57:14
Name : 武田研究家 E-mail : Title : 今週も長文スマソ Comments: 今週の『逆説の日本史』もツッコミどころ満載でしたね。 先週、私は足軽大将と侍大将について考察しましたし、 『一読者』さまは記述の矛盾点を指摘してくださいました。 その辺は過去ログを読んでいただけばよろしいかと思われます。 さて、それでは今週の話を。 まずは、この部分から。 「武田信玄ですら、その生涯に実力で幹部に抜擢した外様(新規採用組)は 山本勘助だけなのである。しかもそのポストは重役より一段も二段も下だ」 これは先週指摘しました通り、侍大将や足軽大将といった肩書きの一番の ポイントは所領の大きさです。当然、在地の国人領主の方がこの点では 有利であり、単純に肩書きでその武将が重用されたかどうかを判断するのは 間違いと言えます。 その好例が、徳川家康の『懐刀』と謳われた本多正信です。 正信は所領こそ本多忠勝や井伊直政といった武断派の武将より ずっと少なかったものの、彼は政権の中枢にいたのです。 戦国の大名家の政治機構を、現在の会社のような社内でのポストが そのまま給料につながるシステムと同一視することは間違いだと言えます。 そして次に、この部分。 「誤解しないで頂きたいが、たとえば国人クラスの真田一族は 信玄の勢力に屈服して服属したのであって、勘助や秀吉や光秀のように 浪人の身から新規採用されたのではない」 これはもう言葉もありません。ただ呆れ返るばかりです。 井沢氏は確信犯か、はたまたただの不勉強か―― 真田一族は信玄の勢力に屈服したのではなく、浪人の身から信玄に 仕えたのです。村上義清らとの戦に破れて所領を失った真田一族は 浪人として武田家に仕え、後に功績を認められて旧領を与えられたのです。 恐らく、先週『二十四将図』を「武田家の代表的な幹部を描いた」と紹介 したため、真田一族が武田家の幹部ではないとは言えない。しかし、 他国出身の者を幹部に据えたとは言いたくない。そんな所なのでしょう。 またこのような書き方をしたために、織田家の幹部でありながら「実力」を 否定されてしまったあわれな武将が何人かいることも付け加えておきましょう。 つまり、信長の場合でも、信長の勢力拡大に屈服して信長の配下となった者は 例え重臣となってもそれは「実力主義」故ではないのだ、と言っているのと 同じことなのですから。 ちなみに、先週、「もっとも標準的な説」として挙げられた24人の武将ですが、 この人選もとても「標準的」とは言えないと言っておきましょう。 小幡虎盛・昌盛の親子を両方二十四将に数える例は少なく、小幡昌盛ではなく 小幡上総介信貞を入れる方が標準的であることを、指摘しておきます。 (虎盛の小幡家と信貞の小幡家は全く別の家系です) そしてまた、小幡信貞は一族の反乱にあって本国の上野甘楽郡を追われ、 浪人として武田家に仕え、後に旧領を与えられた武将であることも、 付け加えておかねばならないでしょう。 あと、明智光秀は足利義昭の配下としてこれに従って織田家に来たのであって、 これを秀吉や一益と同列に扱うのは妥当なのでしょうか? Time : 2001/ 4/ 9(月) 23:55:46
Name : 道々の輩 E-mail : Title :Comments:  本多正信は 「権力をもつものは金力(?)を持つべきでない」 というポリシーを実行した稀有の人物だと思います。 ほとんど存在し得ないぐらいのエリートの鏡です。 例示としては「好例」とは言いがたいと思われます Time : 2001/ 4/10(火) 12:41:09
Name : 近江出身者 E-mail : Title : 本多正信の先行者 Comments: 本多正信が好例といいがたいのなら 石田三成がぴったりくるのではないでしょうか 潔癖症であるが故に本多以上に武断派に憎まれ 家康に利用されてしまう。。。 Time : 2001/ 4/10(火) 22:17:22
Name : 雪狼 E-mail : Title : なんか・・・ Comments: 話が微妙にずれているような気がするんですけど。 あ、私は「HN:ニセモノ」でしたが、某所で使っていた名前を持ち出してきました。 Time : 2001/ 4/10(火) 23:53:36
Name : Witnessor E-mail : Title : パンダさんへ Comments: よけいなおせっかいかもしれませんが、となりになかのさんがいらっしゃらないので、 マサヒコさんという方がひとりぼっちになっています。 このままでは、「あの方」のエジキになってしまうでしょう。 もしおヒマでしたら、お付き合いしてあげてください。 Time : 2001/ 4/11(水) 00:19:52
Name : MK E-mail : Title : 日本ちゃちゃちゃクラブ復旧したみたいです Comments: Nihon ChaChaCha Club(=NC4)は(勿論日本茶掲示板も)下記で接続できます。  http://210.164.207.194/     ・・ル−タ−の故障という事ですが・・・ 日本茶掲示板で平河さんのアジアのおじさん達を案内した話。  雪に大喜びし、子供が働いていない!列車が時間どおりに来る!  日本のシステムが素晴らしいと言ってくれた方々の話が、良くって。 皆さんごめんなさい。ここも狙われるんじゃないかと思ってたんで他人事と思えなくて。 リンクしあえば面白いと思います。 Time : 2001/ 4/11(水) 18:59:50
Name : HIRO E-mail : Title : 素朴な疑問。 Comments: 今回も、おっしゃる内容については何も無いんですが…。 > これは先週指摘しました通り、侍大将や足軽大将といった肩書きの一番の (中略) > そのまま給料につながるシステムと同一視することは間違いだと言えます。 要約すると 「肩書きとは概ね所領によって決まってしまう。」 「肩書きだけでは重用されたかどうかはわからない。」 として、その根拠として 「本多正信は所領が少ないが重用されていた。」 と、していますが 「所領が少なくても肩書きが立派な場合もある」のでは???? 本多正信は関東総奉行ですし、似たタイプの村井貞勝は京都所司代です。 当時は「石高」=「動員数」なのですから武将と官僚を「所領の大きさと重用の 度合い」という物差しで比較する時に混同するのは危険では? ひょっとして山本勘助は「能吏」として見出された存在なのでしょうか? 私はついつい講談なんかに出てくる「軍師」としてのイメージと川中島の 「キツツキ」で軍勢を率いているイメージが強くなってしまっているのですが これも「伝説」なのでしょうか。それなら納得できます。 Time : 2001/ 4/11(水) 21:46:48
Name : パンダ E-mail : Title : スミマセン。。。 Comments: パンダです。Witnessorさんへ。。。 先般は、あまりの非道さについ余計な口出しをしてしまいましたが、こ れ以上お隣さんには関わりたくないので、済みませんがご勘弁願います。 マサヒコさんが。。。どのような方かは存じませんが、通常の判断力を お持ちならば、「あの方」にたいしては三舎を避けられるでしょう。 サワラヌ「XX」に「XXX」なし。。。がよろしかろうと(^0^)" Time : 2001/ 4/12(木) 00:05:18
Name : 武田以下省略 E-mail : Title : 忍び Comments: >HIROさま 難しい問題です。本多正信は「所領こそ少ないが関東総奉行だったから 重用された」のではないわけで、「重用されていたから関東総奉行に 任命された」わけですよね。村井貞勝も朝廷や幕府の方面にコネを持つ 人物だったから京都所司代になったわけで。 優秀な人材でしかも主君と気が合う人物なら所領や肩書きに関わらず 重用されたでしょうし、古くからの国人領主や譜代で所領が広く肩書きが 筆頭家老などであっても主君に嫌われれば活躍も進言もできないでしょう。 勘助は能吏か?ということになると、それは違うでしょう。 能吏であればもっと史料が残ったはずです。 むしろ、「忍び」のような存在だったのではないでしょうか。 Time : 2001/ 4/12(木) 00:20:39
Name : HIRO E-mail : Title : 他説を批判する時に求められる根拠。 Comments: 武田研究家さんへ: > 優秀な人材でしかも主君と気が合う人物なら所領や肩書きに関わらず > 重用されたでしょうし、古くからの国人領主や譜代で所領が広く肩書きが > 筆頭家老などであっても主君に嫌われれば活躍も進言もできないでしょう。 …正に、この部分がここしばらく「逆説の日本史」に書かれているなかで話題に されているわけですよね。上記のことは織田家に特有のものなのか、それとも 同様のことが武田家でも行われていたのか。 井沢氏は「武田家は所領や肩書きにとらわれて能力主義になれなかった。」 という主張を展開されて、武田研究家様はそれに反論された。 その「反論の根拠」として挙げられた内容について私が質問したのです。 私は、山本勘助が重用されたかどうかは問題にしてません。 井沢氏の主張は間違いだと言われた武田研究家さんの反論の根拠が薄弱なもの だったので、そこを指摘して他に根拠となる例は無いのでしょうか? …と聞いただけのものです。 せめて批判の根拠をしっかりとして欲しいんですよ。それが当人の主観に基づく ものかその反論を支持するような資料ないし事例があるのかどうかくらいは。 それが欠けていると「私の意見が正しいのだからお前のは間違いだ」的な主張が 飛び交ってしまい、建設的な議論になってくれない…国会みたいに(笑)。 だから、 > むしろ、「忍び」のような存在だったのではないでしょうか。 と推論を述べられるのならば、他人の説を批判する根拠にならないですよね。 井沢氏のように状況証拠でも構いませんが(学問じゃないから)、それを 支持するような根拠が何かありませんか? Time : 2001/ 4/12(木) 04:49:02
Name : HIRO E-mail : Title : 補足 Comments: 以前にパンダさんと議論してた時に「相手の意見を封殺しようとしている」と 言われたことがあったので、補足しておきます。 「私はこう思う」ってことには何も言いません。 少なくとも言っているつもりはありません。 でも「だから井沢説は間違いだ」と批判するのなら客観性を持たせて欲しいと。 そうしないと水掛け論になってしまう…と。それだけです。 Time : 2001/ 4/12(木) 04:55:05
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : HIRO様に1票! Comments:  お久しぶりです。 貧乏暇なしで、しばらくずっと、ROMを強いられてきて言いいたいことも なかなかいえなかったのですが、HIRO様のご意見に大いに賛同します。 (言いたいことをおっしゃっていただきありがとうございました) もうちょっとしたらまた顔を出します。 皆様、批判は大切ですが、根拠薄弱な非難は止めましょう。 Time : 2001/ 4/12(木) 09:59:07
Name : 雪狼 E-mail : Title : ちょっと話がずれてきそうなので Comments: 横から失礼します。 >「武田家は所領や肩書きにとらわれて能力主義になれなかった。」 これに対する反論は、下のほうで高坂弾正の例を挙げている方がいますから、充分ではないかと思います。 山本勘助という伝説的な人物について。仮に伝えられるように軍師だとして、 もし重臣より数段落ちる動員数であったとしても「軍師」として採用されていたとすれば、 それは能力を見込まれているというべきです。これが本多・石田の例につながるです。 ということで、傍観者なりに整理させていただきました。 次は武田研究家さんの熱論、楽しみにしています。 Time : 2001/ 4/12(木) 10:35:03
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 雪狼様、はじめまして。 Comments:  はじめまして。ちょっと時間が取れたので・・・。 よくわからないので、ご教示ください。 高坂弾正は確かに高い地位を得ましたが、小生のイメージでは 幼いころから信玄の寵愛を受け、そばにいるうちに 軍事的な才能が身に付いたというものですが (素人ゆえ違っていたらご指摘ください) もともと能力を変われて抜擢されたのではない(と思い込んでいる)ので、 全くの例外のように思いますがいかがでしょうか。 Time : 2001/ 4/12(木) 11:26:03
Name : 大阪誤字脱字王 E-mail : Title : すみません、訂正です。 Comments: 能力を変われて-->能力を買われて です。 この日本語システムも勝手についてきたもので、 能力を買われて使っているわけではありませんので、 ご容赦ください。 Time : 2001/ 4/12(木) 11:29:18
Name : パンダ E-mail : Title : 織田・武田の人材登用に関する横レスですが。。。 Comments: パンダです。武田・織田問題に関して、横レスですが。。。 この問題の論点は、井沢さんが以下の対称図式を示された。。。 (まあ、従来から一般的な印象としては言われていたことかも知れませんが) @織田信長は能力主義的発想で、尾張国侍・譜代家臣以外からも積極的に  人材登用を図った。(これが天下統一を進めた織田軍団の進歩性である) A武田信玄は門地主義的発想で、甲斐国侍・譜代臣以外からの積極的な  人材登用を怠った。(これが天下統一を逸した武田軍団の保守性である) この対称図式に対して、武田研究家(雪狼)さんが。。。 A。武田信玄とて能力主義的発想で人材登用を図っている。 B。人材登用という点では侍大将・足軽大将と言う観点からのみ判断するの   は無理がある。 という観点から実例を示して異議を唱えられたのではないかと思います。 (私は井沢さんのご意見を存じませんので、武田研究家さん等の引用文から 判断しただけですが。。。) そこへ、豊臣秀吉・徳川家康の人材登用方式が絡んできて話しがヤヤコシ クなったのではないかと思います。 (これは別問題として、武田・織田に絞った方が理解しやすいのでは?) 武田研究家さん等の示された実例は。。。 T。真田の登用に関する井沢さんの事実誤認問題。 (彼は甲斐国侍として登用されたのではなく、浪人から登用されたもので ある。。。従って能力主義的登用の例とするべきである) U。香坂昌信の身分問題 (彼は富農とはいえ侍身分ですらなかったが、『弓矢の御談合衆』に選ば れるほどの出世をしている。。。これは能力主義的登用の例である) V。小幡豊後守昌盛の譜代問題 (彼は二代目にして武田家譜代とされている。。。従って譜代取り立てその ものについてすら能力主義的に扱われていた例とすべきである。井沢さんの 「武田家譜代」の概念=解釈には矛盾があるのではないか。。。) W。山本勘助に関する問題 (彼は出自も明らかではない人物であるが、軍師的な地位にあった可能性が ある。。。従って典型的な能力主義的人材活用の例となりうる? しかし 彼に関しては謎の部分が多いので、能力主義的人材活用の例としては妥当で はないかもしれない?) というような所だと思います。(漏れがあるかも知れませんが。。。) 私としてはさらに。。。 @。武田信玄の人材登用例は、彼が上洛を目指して(?)駿河・三河・美濃   を攻略中に示されたものである。 A。従って織田信長の人材登用例と、対称するならば信長の美濃攻略中と比   較すべきものであろう。(ほとんど武田信玄と変わらなかったかも?) B。武田信玄が上洛し、天下に覇を唱えるべき状況に到った場合にどのよう   な人材登用(活用)を行ったか。。。は不明である。 従って、この様な対称図式による歴史考察(結論)は、慎重になされるべき であろうと思います。 なお武田研究家さん等のご意見には、以上のような具体的な例証があります ので、取り敢えずの人材登用問題に関する井沢見解批判としては当を得たも のではないかと思いますが。。。 Time : 2001/ 4/12(木) 18:30:41
Name : パンダ E-mail : Title : 織田・武田についての補足です。。。 Comments: パンダです。。。少し補足しておきます。 武田研究家さんが。。。 山本勘助が「能吏」であったならば史料が残った筈であり、むしろ「忍び」の うような存在だったのではないか。。。 と推測されたのに対して、HIROさんが根拠不足としておられますが、「忍び」 という表現はともかく、「能吏」であったならばより明確な存在として史料が 残った筈であり、それがないのは「能吏」ではなかったことを窺わせる。。。 というのは立派な状況証拠ではないでしょうか? さらに言えば。。。武田研究家さんは山本勘助のような史料的に不明確な人物 を除外しても、武田信玄の能力主義人物登用は立証できるとしておられるので すから、これをもって井沢説批判の根拠薄弱とされるのは妥当ではないと思い ます。 むしろ大阪JF生さんが、高坂寵童説によって武田信玄の能力主義的人材登用に 疑問を投げかけておられるのが良く分からないのですが、仮に寵童であったと しても(その故に信玄の薫陶を得て軍事的才能を身に付けたとしても)。。。 要するに結果的に軍事的才能があるものを抜擢したことには変わりがないと思 います。 彼に軍事的才能がないにも関わらず、寵童というだけで抜擢されたのならば、 非能力主義的人材登用でしょうが、彼には実力があったことを認めておられる のでしょう? 出自(出仕のきっかけ)の如何に関わらず、結果的に能力(実力)があれば抜 擢し、なければ抜擢しない。。。これが一般的に言われる「能力主義的人材登 用」だと思うのですが? Time : 2001/ 4/12(木) 20:00:52
Name : 雪狼 E-mail : Title : パンダさんに先を越されていました Comments: 大阪JF生さん、お世話になっております。はじめましてかどうかは別としまして(笑) 高坂弾正@海津城城主は、ご指摘のように寵童あがりですね。 「そばにいるうちに軍事的な才能が身に付いた」というのは伝説的な感じがしますが、 おそらくは信玄の教育があったものと思われます。ここは本題と無関係ですが。・・・ パンダさんがご指摘のように、その能力を買われて海津城を任せられたのであり、 能力主義の一つと考えてもいいかと思います。 他にも内藤(工藤)昌豊の例があります。 北条氏に仕えていながら身ひとつで逃亡し、武田氏に仕えようというこの人物を、 能力を見極めて登用したばかりか名門内藤家の跡取りに指名しています。 穴山信君(梅雪)ら重臣が疑惑の目で見、警戒していたにもかかわらず。 このように、決して井沢氏が書いているような「能力主義をとらない」というのに、 武田研究家さんがツッコミを入れているものと思います。 私は武田信玄という人物を、織田信長に匹敵しうる人物ほどには評価していませんが、 人材登用の点では信長ほどではないにしても思いきったほうではないかと思っています。 なおパンダさん、私は「A」のほうにしか関与しておりませんので、念のため。 Time : 2001/ 4/12(木) 23:27:22
Name : きんたろう E-mail : Title : さりげなく四言目(^^ゞ)(しつこかったかも??自爆^^;;) Comments: HIROさんや大阪JF生さんの意見とほとんど同じ様なものなのですが、要する に信長と信玄を比べた場合の人材抜擢の程度を問題にしている訳ですよね?? オール・オア・ナッシングかどうかを検討しているのではないと思っていました。 もしオール・オア・ナッシングの観点を重視するのであれば「専務」「常務」まで 出世した人物が武田家にもいたのかどうかについてだけを調べれば良いのではない でしょうか??^^ ところで武田研究家さんは流れ板銀さんと理解してよろしいのですね?? (回答がなかったので、笑) Time : 2001/ 4/13(金) 00:21:04
Name : HIRO E-mail : Title : なんか違う方向に進んでませんか??? Comments: パンダさんへ: おひさしぶりです。 > 「能吏」であったならばより明確な存在として史料が > 残った筈であり、それがないのは「能吏」ではなかったことを窺わせる。。。 > というのは立派な状況証拠ではないでしょうか? うーん…と、ちょっと話が違うと思います。 山本勘助が「能吏」であるかどうかについての話じゃなかったはずです。 武田研究家さんが井沢説批判の根拠に「山本勘助」の比較例として 「本多正信」を提示されたのですが、一方は「軍師」一方は「能吏」 として頭角を現したと一般には思われているわけです。 だから私は「その二人を同一視するのは??」と書いたのです。 …でも、これは「山本勘助=軍師」「本多正信=能吏」という前提が無ければ 批判が成立しないんです。もし「軍師」ってのが「伝説」で、実は能吏だった のだとすれば、私の批判は頓珍漢なものになる。 だから質問したのです。 「私が知らないだけで、実はそうなのですか?」と。 それに対し > むしろ、「忍び」のような存在だったのではないでしょうか。 と書かれたので、その時点で「所領が少なくても重用された例がある」 で本多正信を用いるのは妥当ではない…ということになります。 だからそれに代わる根拠を示してくれない限り客観性が失われたままです。 これを「根拠薄弱」と言ったんですが…なりませんか? > さらに言えば。。。武田研究家さんは山本勘助のような史料的に不明確な人物 > を除外しても、武田信玄の能力主義人物登用は立証できるとしておられるので > すから、これをもって井沢説批判の根拠薄弱とされるのは妥当ではないと思い > ます。 すみません、色々書いては消しての繰り返しで結局書けませんでした。 どうしてかというと、おっしゃる意味を計りかねたからです。 前回のパンダさんとのやり取りでも泥沼化していった部分なので早めに書いて おきますが、私は「だから井沢説が正しい」とも「だから武田研究家さん説は間違い」 とも言ってませんよ。誤解のなきように。 Time : 2001/ 4/13(金) 00:31:55
Name : パンダ E-mail : Title : 信長と信玄。。。 Comments: パンダです。明日から暫らく不在ですので取り敢えず。。。 きんたろうさんへ。。。 私も雪狼さんと同様に、武田信玄は織田信長に比すべき人物ではなかった ように思っています。良かれ悪しかれ信長は傑出した人物だったでしょう。 しかし、信玄には信長よりも新しい時代を切り開くうえでのハンディが遥 かに多かったようにも思います。 甲斐・信濃という農業・工業生産性の低い、流通(情報)経路のメインル ートから外れた、上洛への距離が遠すぎる土地柄、土着(在地)性の強い 兵農分離が困難な保守的家臣団、上杉謙信という強力なライバルの存在、 余りにも名門であるゆえの過去のシガラミ。。。 如何に信長同様に能力的人材登用を図ろうとも、これでは行動に関する制 約が多すぎると言うものです(要するに信玄には天下統一は困難である)。 ですから仮に井沢さんがこの両者を対比するに当って「能力的人材登用」 を中心に据えておられるのならば。。。しかも客観的に天下人を意識し得 る時期の信長と、そこに至る前に没した信玄とですが。。。それは武田家 研究者さんのご指摘の如くおかしいのではないか、もっと遥かに重要な諸 要素を考察さるべきでは無いかと思うのです。 同時期における信長と信玄を対比する限り、能力主義的人材登用に関して 然程の差異は無いという研究者さんの具体的ご指摘は、井沢さんの見解よ りも余程説得力があると思うのですが。。。。? HIROさんへ。。。了解しました。 私にとっては、本多正信と山本勘助の比較は、そもそも本件の論点である 井沢さんの信長・信玄対比論批判から外れたものであり、敢えて言えばほ とんど無関係な議論ですので、あまり重視していませんでした。 (勘助が「能吏」というべき存在でないのは確かですが。。。) 従って、HIROさんや大阪JF生さんがおっしゃる「根拠薄弱」が本論に関す るものでなく、勘助に関するものであれば。。。了解します。 井沢さんの信長・信玄対比論批判に関してであれば、了解できません。 これに関しては、かなり確実な「根拠」が示されています。。。それだけ のことです。 Time : 2001/ 4/13(金) 01:28:51
Name : 通りすがり@ネットサーフィン E-mail : Title : 能吏? Comments: 本多正信がただの能吏ならあんなに有名にならないし、 武断派の連中にも嫌われなかっただろうね。 正信はやっぱり謀略のエキスパートでしょ。 Time : 2001/ 4/13(金) 01:30:25
Name : 通りすがり@ネットサーフィン E-mail : Title : 能吏? Comments: 本多正信がただの能吏ならあんなに有名にならないし、 武断派の連中にも嫌われなかっただろうね。 正信はやっぱり謀略のエキスパートでしょ。 Time : 2001/ 4/13(金) 01:45:27
Name : 源氏の長者 E-mail : Title : 毛利はどうでしょう? Comments: 横レス失礼します。 毛利も織田と似たような条件であったのに なぜ信長のように天下を目指さなかったのでしょうか? Time : 2001/ 4/13(金) 03:53:56
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 雪狼様、お返事ありがとうございました。 Comments:  雪狼様、お返事ありがとうございました。 なんかいろいろな方が実際にはかかわっているようですね。 しかし、言い出しっぺのご本人たちが沈黙しているのは??? かなりの方が実は同一人物???  それはさておき、もう過去ログは見れないでしょうが、 小生の意見をまともに聞かない(聞けない?)ので、 パンダ様とは議論不可能ということが判明していますから、 「ご主張」にはタッチしません。 今回は直接雪狼様との議論のみにしたいと思います。  もし、ワンマン社長が長年の愛人を抜擢したら、 本当に能力があったとしても周りはそうとらないでしょう。 常識的に見て、身内の人事でしかないでしょう。 やはり好例としては無理があります。 贔屓目でたまたまやらせてみたら、存外に(逃げ弾正として) 大成功だったという可能性もおおいにありますね。 地位が人を育てることはよくあります。 (単なる想像ですので、史料的に否定できるならご指摘ください。 でもどの時点で「能力」が判断されたのでしょうか? 実際にやらせて見ないとわからないようにおもいますが・・・。) いずれにせよ、公平な能力人事だと判断されたでしょうか? そう判断されるためには、かなりの実力主義人事を続けている 必要があるでしょう。 どなたかが、「わずかな例を挙げても意味は無い」とおっしゃっていましたよね。 小生はきんたろう様の最初の例示は逆に十分だと思いますが、 言い出しっぺのかたがたの例は(自覚されていないようですが) 不十分だと思います。  小生もHIROさま同様、どちらの議論が正しいとも間違っているとも 言っていません。ただ、まだ相手の説を覆せるほどの根拠は見出せないと 判断します。 でも、好例として挙げられたものがすぐクレームがつくようでは、 通常の企業のプレゼンなら、やはりとりあえずボツの企画でしょう。 どこかビジョンがおかしいと思います。 (しかもライバル会社において、ライバル製品をけなしてのプレゼンですよ。 小生にはよく理解できません・・・。 ただ、本当に自社製品の欠陥を指摘されるなら、それはありがたい意見として 受け止め、その会社は改善に努めるべきです。 「敵国語」として英語を廃止するような馬鹿な真似はするべきでないでしょう。 そういう意味で、批判は大いに結構といっています。)  それで、きんたろう様とおそらく同じ主張なのですが、 能力人事があったかなかったかのみの議論ではなく、基本的に程度の問題なのです。 小生は武田非研究家ですので、不幸にして今回挙げられた内藤家の方はよく知りません。 名門とはどの程度の地位で、どんな実績を残された方なのですか? 信長が登用した面々と比肩するぐらいの方なのですか? そうなら、小生の無知を恥じることになるだけですが、よろしくご教示ください。  ところで、皆様もあまり触れていらっしゃらないようですので、 一言個人的な「感想」を述べますが、 能力主義の人事をしたから信長がえらく、信玄がだめだとは思いません。 武田研究家の方(々?)はその点誤解されているのでは?どうも感情的な物言いでしたので。 企業でも実力主義で幹部にあがった人をヘッドハンティングされて えらい目にあうこともありますし、ファミリー的人事で成功している企業もあります。 森蘭丸(この愛人はどうなのか・・・?)の忠告も聞かず光秀を信用した信長も、 前者的な無様さを示しています。 今回のテーマも、大局的に見てこの企業の特徴は何かという議論と同じ議論だと思っています。 枝葉はあまり見ない方が、森が見えますよね。 なお、いつものことながら週末は留守にします。 今日なら空き時間が獲れる可能性はありますが・・・。 Time : 2001/ 4/13(金) 10:34:19
Name : きんたろう E-mail : Title : いそぎ書き込み、笑 Comments: こんにちは^^;; 今日は午前中ちょっと時間が出来ました。 まさかパンダさんからレスをもらえるとは思ってもいませんでしたv(^o^) でもこれを書いてもパンダさんは不在なのですね^^;; >私も雪狼さんと同様に、武田信玄は織田信長に比すべき人物ではなかった >ように思っています。良かれ悪しかれ信長は傑出した人物だったでしょう。 私も同様に思っています^^ 日本史上において信長に比すべき人物が見あたらないことがそもそもこの話題の原 因なのかも知れませんね?? しかし、このように両者を対比する事によって信長の偉大さがより伝わってくるの ではなでしょうか??^^ 勿論、パンダさんが書かれている信玄を取り巻く客観的状況については私も同じよ うに理解していますよ。 ちなみに佐竹氏の場合ですが、よそで生まれ育った者が家臣になった場合は3代の 間は牢人と称されていたようです。 譜代、外様とは区別されていました。 Time : 2001/ 4/13(金) 11:20:32
Name : 雪狼 E-mail : Title : どもども Comments: 私は「武田研究家さん」ではありません。 水色の掲示板(笑)に出入りしていて、先日も大阪JF生さんと会話を交わしておりますよ。 私も武田研究家ではないので、詳しいことはよく知りません。 おおまかなことを挙げてみただけにすぎないのです。 武田研究家さんのように詳しい方がフォローしてくれることを期待していたのですが、 残念ながらまだご登場ではないようです。 >いずれにせよ、公平な能力人事だと判断されたでしょうか? >そう判断されるためには、かなりの実力主義人事を続けている >必要があるでしょう。 おもしろいところです。確かに愛人を登用したのでは誰も納得しませんね。 納得していたのかどうか、客観的な知る限りでは証拠はありません。 反対が出なかったとしても、武田信玄に対して反対できる人がいなかった、とも考えられます。 すると(話はそれますが)信玄は意外とデモクラティックではなく独裁政治か? 大阪JF生さんが論じているのが程度の問題、というのはわかっています。 その点では、先述の通り「信長ほどではない」というのが私の意見です。  今読み返してみると、確かに流れ銀板さんの書き方は感情的になっているようで。  私は過去に「武田信玄が長生きしても、信長に勝つのは難しいと思う」と書いたら、  武田ファンの方に掲示板上で罵られましたけど、 もしかしてその時の人ですか?(笑) 織田信長と武田信玄の大きな違いは、また別のかたが挙げてますけど、 拠点を次々に変えているか一個所にとどまっていたか、ですね。だから >如何に信長同様に能力的人材登用を図ろうとも、これでは行動に関する制 >約が多すぎると言うものです(要するに信玄には天下統一は困難である)。 というパンダさんのご意見がありますが、 武田が信州をとったら次は飛騨、次は美濃、・・・と動くことで地理的な欠点を補えたのであり、 ここは武田の保守性・・・というか信長のオリジナリティの勝利でしょう。 そして信長は「過去にとらわれない考え」を持っていたからこそ、 秀吉・光秀のような放浪農民・放浪武士を取り立てていけたといえるでしょう。 逆に自分の考えを理解できない譜代家臣を疎外したことにもつながるようです。 武田信玄は、人材を見る目は確かにありました。 真田・曾根・内藤・高坂など、能力主義で採用している重臣も相当数です。 もちろん信長に比べると新規採用枠が少なかった、ということには違いありません。 ただこれで天下人かどうかを比較するのは家の方針の問題だから、困難かと考えます。 それよりも信長の「土地」に関するオリジナリティが勝っていたといったほうが、 武田ファンの方も納得してくれるでしょうか。 Time : 2001/ 4/13(金) 11:49:37
Name : 武田研究家リターンズ E-mail : Title : さて… Comments: 武田信虎や里見義尭は信長より早く居城移転をやってますし、 信長の「オリジナル」かどうかはまた別問題ですけどね。 内藤昌豊は父・工藤虎豊の代には武田家臣でした。が、工藤虎豊は 武田信虎の勘気に触れて殺され、一族は関東に逃れました。 そして信玄がクーデターによって政権奪取後、昌豊は呼び戻されて 武田家臣の列に復帰することになったわけです。 香坂昌信の例が「実力主義とは認め難い」となると前田利家や本多忠勝の 実力も疑わにゃならなくなるんで面倒ですね(笑) 信玄の時代で難しいのは、国人とか地侍と農民との間に明確な境界が ないってことですね。 香坂昌信の「豪農の息子」というのも然りですし、 秀吉の出生も結局はよくわからないわけですし。 勘助に比べれば実在も確実で事実上の軍師であり築城技術者であった のではないかとも言われている馬場信春のような武将でも、 出身は武川衆という地侍集団に属した地侍の一人でしかないわけで。 農民とも武士ともつかぬ、よくわからん出身の人間が勝頼の代には 筆頭家老であった事実だけでも、武田家が実力本意だった事は確かでは? ちなみにその一介の地侍に過ぎなかった馬場信春に兵法を仕込んだのは 他国出身者である小幡虎盛だと言われています。 で、馬場信春がその知識を伝えた相手が他国出身者である真田昌幸。 与える所領こそ持ってなかったけど光秀を召し抱えた足利義昭は 能力主義なのかな?(笑) Time : 2001/ 4/13(金) 12:48:39
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : お返事ありがとうございました。 Comments:  雪狼様、早速のお返事ありがとうございました。 昼休みの合間にちょっと・・・。 戦国の将でdemocraticな人がいるのでしょうか? という冗談はさておき、 今回のご意見はよくわかりました。 小生が意見をはさむところはありません。 どうもありがとうございました。 でも武田研究家様のご意見は? Time : 2001/ 4/13(金) 13:02:17
Name : MK E-mail : Title : 少しだけお邪魔します。 Comments:  ウサチュウさん お体どうなさったんですか。吃驚しました。 どうぞ無理なさいません様に。  産経の人生相談の「人生応援団」の頼藤和寛神戸女学院大教授が亡くなられました。 53才阪大医学部卒のお医者さん。直腸ガンなんて早期に発見されてたら直るのに!! すごく尊敬してたから、悔しくて悲しいです。 皆さんもどうぞお体大切に、おかしいと思われたらすぐに病院へ。 Time : 2001/ 4/13(金) 17:42:07
Name : HIRO E-mail : Title : 一撃離脱モード Comments: あまり時間が無いので、ちょっとだけ。 居城移転の話ですが、信長のオリジナルってのは変だと思いますよ。 なにより、あそこの爺さん(信貞)の代から拠点コロコロ変わってますから。 親父さんの信秀は勝幡城→那古屋城→末森城(信長元服)→古渡城と移ってる。 距離の問題はともかく、独創的かと言われると「うーん…」と思ってしまう。 ついでに、信長が副将軍を蹴って堺を押さえたのが「先進性」の例として出るけど 祖父の信貞が津島湊を押さえることに執心し、その財力を基に信秀が尾張の一族を まとめていた…ってことを考えると、別に独創的なわけでもないんじゃ…と。 あと「能力主義」と「兵農分離」についても書きたかった…けど一次退散。 Time : 2001/ 4/13(金) 18:35:26
Name : 雪狼 E-mail : Title : どもども Comments: オリジナルという言い方は間違いでしたね、すみません。 もっとも居城そのものよりも本拠地とした国を変えていったところが、信長の特徴だと思います。 本城を中心に領土を同心円状に広げることによって、自分のお膝元は安泰というものです。 こういう時は大体にして、自分を脅かさない存在を取り立てますが、 信長は常に戦いの最前線にあったからこそ、「戦える人材」を特に求めていたのでしょう。 なお、実力主義をとらない場合はどんな例があるか、ちょっと考えてみました。 秀吉が遠戚にあたる加藤清正・福島正則を登用したのは、 彼らに武将としての実力が備わっていたから、一応実力主義とも考えられます。 ところが小早川秀秋を例にとると、首をかしげる存在ですね。 つまり実力主義を採用しないということは、 能力を無視しても自分のお気に入りか親戚を大抜擢し、権力を与えることでしょうか。 >武田研究家さん フォローありがとうございます。内藤のことは、ちょっと記憶違いだったようです。 >HIROさん 離脱とは残念です。戻ってきてください。 Time : 2001/ 4/13(金) 23:28:20
Name : メス猫 E-mail : Title : MKさんって Comments: MagenKrebs略ですか? Time : 2001/ 4/15(日) 00:16:23
Name : HIRO E-mail : Title : 雪狼さんへ Comments: 書いている途中に仕事が入ってしまったので 中途半端だったけどそのままアップしただけです。 ちょっと続きはまだ書けませんがいなくなるわけじゃありません。 Time : 2001/ 4/15(日) 00:21:01
Name : MK E-mail : Title : ぅわぁ〜〜ばれたか??? Comments: メス猫さんへ。 確かに祖母はマ−ゲンクレブス(胃ガン)で亡くなっております。 私もかとも思いますが、今現在私は元気です。  隣の隣の板の方へ、良い本が文庫になりました。 とても読みやすい本なので読んでない方は一読お薦めします。  「日本の驕慢 韓国の傲慢」(にほんのおごり かんこくのたかぶり)   渡辺昇一氏と呉善花氏との対話本(徳間文庫発行) Time : 2001/ 4/15(日) 09:49:31
Name : パンダ E-mail : Title : 重ねて信長・信玄対比論について。。。 Comments: パンダです。きんたろうさんへ。。。高遠桜・神代桜・大糸桜等々と信濃 路界隈の桜巡狩から咋深夜に無事(?)帰宅しました。 高遠の夜桜は、仁科五郎麾下の将兵の霊が乗り移ったかと思うばかりの妖 しい美しさで。。。(笑い) さて。。。 >>しかし、このように両者を対比する事によって信長の偉大さがより伝わ >>ってくるのではなでしょうか??^ 私も信長という人物を描き出すために、信玄と対比するのは非常に有効だ と思います。様々な客観条件が異なるとはいえ、戦国末期に出現した武将 ・政治家として、やはりこの二人は傑出していると思うからです。 それだけに二人を対比する以上は、その武将・政治家としての資質、能力、 政略を出来るだけ正確に認識する必要がある。。。その事実認識に誤りが あれば、信長に関する歴史解釈(偉大さの理解)そのものに重大な誤解が 生じると思うのですね。 私は井沢さんのご意見を直接読んでいませんので、誤解しているのかも知 れませんが。。。武田研究家さんや雪狼さんの一連のご意見から察するに 。。。井沢さんはこの二人を「能力主義=人材登用(活用)」という視点 (切り口)を通じて対比されたと理解しました。 つまりは。。。以下(既出)のように理解したのです。 @織田信長は能力主義的発想で、尾張国侍・譜代家臣以外からも積極的に  人材登用を図った。(これが天下統一を進めた織田軍団の進歩性である) A武田信玄は門地主義的発想で、甲斐国侍・譜代臣以外からの積極的な  人材登用を怠った。(これが天下統一を逸した武田軍団の保守性である) Bこの@Aの対比において、信長の偉大さを解説(主張)しておられる。 この井沢説理解は誤っているのでしょうか? 大阪JF生さん(私とは議論 なさらないとのことですので、ご回答は不要ですが。。。)は、 >>能力主義の人事をしたから信長がえらく、信玄がだめだとは思いません。 とおっしゃっていますね。。。私が井沢さんに言いたかったのは、正にこ のこと(Bと以下のC部分)でもあるのです(笑い)。 A.井沢さんが、主張されている(?)、信長の能力主義、信玄の門地主 義という事実認識が妥当(充分な根拠がある)ものなのか? B.井沢さんが、そう言った事実認識によって信長・信玄の資質・能力・ 政略を対比しておられる(?)のは妥当なものなのか? C.井沢さんが、信玄と対比して。。。信長の偉大さをこのような「能力 主義=人材登用(活用)」を中心に解説しておられる(?)のは妥当 なものなのか? もしも井沢さんが。。。信長も信玄も彼等の置かれた状況に応じて(もち ろん客観的状況そのものが異なっていたのだからその程度も当然異なって いたが)、それぞれに能力主義的人材登用(活用)を図った。従って信長 の偉大さ(二人の本質的な差異)は、この点にあるのではなく、むしろよ り重要なのは。。。。 というような事実認識と歴史解説を示しておられるのならば、私は何も 申し上げることはないのですネ(笑い) 一体井沢さんの論点は、何処にあるのか(大阪JF生さんは、井沢さんの 論点をどうお考えなのか。。。私の井沢説理解が誤っているのかどうか 。。。)是非お聞かせ頂きたいところですね。。。(笑い) で。。。Aの事実認識についてですが、井沢さんが。。。 「武田信玄ですら、その生涯に実力で幹部に抜擢した外様(新規採用組) は山本勘助だけなのである。しかもそのポストは重役より一段も二段も下 だ」 と言うように信玄の能力主義人材登用(活用)を認識されているのならば、 武田研究家さんがご指摘されたように。。。真田一族・小幡上総介信貞・ 香坂昌信・高坂弾正等の幹部抜擢を「誤解あるいは無視・軽視」されてい ると言わざるを得ないのではないでしょうか? 織田信長ですら、「天下布武」を意識し飛躍的に軍団規模を拡大するまで の時期においては、実力で幹部に抜擢した外様(新規採用組)は。。。然 程いないように思うんですが。。。? さらに、ここでは外様の概念を「新規採用」としておられますが、小幡豊 後守昌盛のような二代目は外様ではなく譜代としておられるのでしょうか ??? (この部分は一読者さんのご指摘のように最も肝心の部分で「外様・譜代」 の概念が混乱していると思います。) 私には井沢説の論点が良く分からないのですが。。。少なくともAの様な (不正確な)事実認識に従ってBを導いておられるのならば、これは読者 を誤解に導くものであり極めて問題である。。。と思いますし、さらにB の視点に立って信長の偉大さをCのように主張されているのならば、この 誤解をさらに拡大するものであり、不正確かつ不適切だと思うのですが 。。。私の考え方は間違っているのでしょうか??? Time : 2001/ 4/15(日) 14:21:19
Name : HIRO E-mail : Title : パンダさんへ: Comments: こんにちは。 なんか、微妙…に違うんですけど私には説明できません(笑)。 何より、 > 私は井沢さんのご意見を直接読んでいませんので、 ってのはどうなんでしょう??? 何も一次資料を読めって話じゃないんですから、井沢説について云々するなら まず彼の文章を読んでからにされた方がいいのではないでしょうか? 日頃膨大な史料を駆使して文章を書かれるパンダさんらしくないですよ。 Time : 2001/ 4/15(日) 15:23:22
Name : メス猫 E-mail : Title : 直接読んでいません Comments: というのはKANAK時代からのグループKさんの一貫した姿勢です。  ま、問題はないんじゃないですか。わざわざ金を出して買えるか、という矜持と も取れますし、ただそれなら、買ってませんと書けばいいのに読んでません、では議論が成立しにくい気はしますけどね。 Time : 2001/ 4/15(日) 15:50:12
Name : パンダ E-mail : Title : 私の井沢説理解。。。 Comments: パンダです。メス猫さん、HIROさんへ。。。 私の記憶では。。。KANAKさんは、当初の大崎さん(だったかな?)と のNifty会議室議論では「逆説日本史」を読んでいないとおっしゃっていま したが、その後は購入・読破されて直接「本文」を引用の上で、批判されて いたと思いますが。。。違いますか? 今回の問題は。。。週間誌掲載段階の話ですよね(違うのですか)?? 私は、週刊誌はあまり読みませんので、あくまでも武田研究者さんや雪猫さ んのご紹介をもとに意見を申し上げていますが、私の本件に関する井沢説( 論旨)理解が妥当なものであれば。。。特段問題はないと思いますが?? なお、何度もお願いしているとおり、私の理解が間違っているのならば、そ の旨ご指摘下さい。 (実際のところ大阪JF生さんが。。。実力主義人事をもって信長と信玄の優 劣を論じるのは妥当ではない。。。旨の発言を行っておられますが、このご 意見が井沢さんの主張によるものなのか、大阪JF生さんの井沢説批判なのか 。。。良く分からないので、是非ご確認頂きたいと思っているのです。仮に 井沢さんご自身が、そのようにおっしゃっているのならば、私のこの部分に ついての批判は全くの的外れになりますので、お詫びして撤回しますが。。。) Time : 2001/ 4/15(日) 17:28:01
Name : HIRO E-mail : Title : 結果は方法を正当化するのですか? Comments: そうか…パンダさんって読まないで反論する人だったのですか…。 > 意見が井沢さんの主張によるものなのか、大阪JF生さんの井沢説批判なのか > 。。。良く分からないので、是非ご確認頂きたいと思っているのです。仮に こういう部分で、すでに歯車が微妙に狂っているという気はしませんか? つまり「わからないけど、批判しました。違ってたら言ってね(はーと)。」 ってスタンスなんですから。 少なくとも武田研究家さん、雪狼さんのバイアスがかかった(悪い意味じゃないですよ) 内容を元に井沢氏の文章の論評をするのは井沢氏に失礼ではないでしょうか? (まるで朝日新聞だけ読んで検定教科書批判している…みたいな状態ですよ(笑)。) 「結果的に妥当だったらば問題ないでしょ?」って話ではないのでは。 パンダさんってそんな無責任な人だと思いませんでした、ちょっとショック…。 Time : 2001/ 4/15(日) 20:08:14
Name : パンダ E-mail : Title : 方法論よりも結果論。。。 Comments: パンダです。HIROさんへ。。。 方法論批判も結構ですが。。。結果論はさらに重要だと思うんですね。 要するに貴方は、大阪JF生さんの次のご意見をどのように判断されている のでしょうか? >>能力主義の人事をしたから信長がえらく、信玄がだめだとは思いません。 武田研究家さんや雪狼さんのご紹介に、どのようなバイアスがかかってい るのかは存じませんが、少なくとも井沢さんの原文が引用されています。 私は(何度も言いますが。。。)それに基づいて井沢さんのご意見を判断 する限り。。。このご意見は井沢さんの見解とは真っ向から対立するもの だと思いますが。。。貴方から見てそれは間違っているのでしょうか? また、私の井沢説に関する理解は「要約」として示しております。この理 解は基本的に間違っているのでしょうか? 貴方が、井沢さんの信長・信玄論に関する武田研究家さんや雪狼さんの紹 介に朝日新聞報道と同様の問題があると判断されるのならば。。。具体的 に指摘されては如何でしょうか? 勿論それに基づく私の理解に誤解がある のならば、ご遠慮なく具体的にご指摘ください。 私は、「」=留保条件 付きの意見が必ずしも無責任とも失礼とも思いませ んが、結果的に見当違いの意見になっているのならば即座に撤回します。 Time : 2001/ 4/15(日) 22:03:48
Name : 雪狼 E-mail : Title : 雪猫にされている(笑)・・・17:28 Comments: 私は犬のほうが好きです。猫科はあまり好みません。(笑) 論の展開方法に重点が移ってきましたけど、 HIROさんの兵農分離の話、楽しみです。 (先日は早とちりして、すみません・・・) Time : 2001/ 4/15(日) 22:26:09
Name : 研究家の息子。 E-mail : Title : バイアス? Comments: ま、井沢氏の信長礼賛もまた「バイアスのかかった」ものだと思いますが(^^; 言うなれば産経新聞と朝日新聞を並べてみたがどうにも中道を図りかねると いうか(笑) その一例を挙げるならば、井沢氏は『逆説の日本史』7巻において、 1.「座」は値段を吊り上げ、庶民を苦しめている。 2.だから「楽一楽座」をやった信長は偉大だ という論理展開をしていました。しかし、嘘ですね。 信長が発給した座の特権を保証する朱印状も確認されており、 事実、信長が潰した座は信長に逆らった京山崎の油座ただ一つだけなわけで。 美濃加納の市における既存の楽市の保証や安土における人集めのための 楽市を拡大解釈してしまっていると言えます。 基本的に井沢氏の歴史学としての知識は不備な点が多く、 彼の説を語るには結局の所、自分で知識を補うしかない。 ところが、補ってみたら氏の説そのものが成り立たない事も多い。 それを肝に命じておくべきだと思いますね。 Time : 2001/ 4/15(日) 23:35:41
Name : HIRO E-mail : Title : パンダさんへ Comments: > 方法論批判も結構ですが。。。結果論はさらに重要だと思うんですね。 いえ…あの…「どっちが重要か」って話だったんですか? 私はパンダさん御自身の「発言の責任」について聞いたつもりだったのですが。 > 貴方が、井沢さんの信長・信玄論に関する武田研究家さんや雪狼さんの紹 > 介に朝日新聞報道と同様の問題があると判断されるのならば。。。具体的 …そんなこと言ってませんよぉ。うん、絶対言ってない。 「パンダさんに朝日新聞信者と同様の問題がある」と言っただけですもん(笑)。 > 少なくとも井沢さんの原文が引用されています。 毎週、4Pにわたって書かれている文章の一部が引用されていればOKって いうなら、話した内容の一部を取り出して「神の国」「三国人」とやったのも 良いことになってしまいますが…。 最低限、論評をするなら書いた本人が纏めた最小単位で読まないと失礼では? (「先週号を読まないほうが悪い」って作家は傲慢だと思うけど。) だって一部を抜き出せばいくらでも挙げ足取りが可能ですよ。文章なんて。 (武田研究家さんや雪狼さんがそうだって言ってるわけじゃないですよ。) > 私は、「」=留保条件 付きの意見が必ずしも無責任とも失礼とも思いませ > んが、結果的に見当違いの意見になっているのならば即座に撤回します。 「私は『伝聞で他人の評価を下し、批判する』ことはなんとも思わない。結果として それが偏見だったり、間違いだったら撤回すればそれでOK」と言われるんでしたら、 これ以上は平行線ですので何も言いません…というか、もう何も言えません。 > 勿論それに基づく私の理解に誤解がある > のならば、ご遠慮なく具体的にご指摘ください。 自分は元の文章も読まず、虫食い状態のままで論評するから 間違いがあるならそれを逐次指摘しろ…と。 私は遠慮しますよぉ…そんな面倒くさいこと(笑)。 (「元の文章を読め!」で終りなんですから) …大阪JF生さんが怒るのもわかる気がする(笑)。 会社でこんな態度で書類書いたら怒られませんか?? (パンダさんって実はお偉いさん??) Time : 2001/ 4/15(日) 23:42:35
Name : HIRO E-mail : Title : 誤解を生じさせやすい私の文章。 Comments: ごめんなさい。 バイアスって単に「心の傾向」くらいの意味です。 他にいい言葉が思いつかなかったので使ってしまいました。 悪い意味じゃないってのはそういうつもりでした。 私、他人の態度に云々しておきながら時々言うことが過激になってるんですよね。 (昔書いた「トンデモ」とか) まず自分ですね、反省。 Time : 2001/ 4/15(日) 23:50:03
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : HIRO様、ご迷惑をおかけしました。 Comments:  お気持ちを察していただき(?)、ありがとうございます。 ただ、もはや怒りの感情もありません。 議論を拒否している他人の文章を あそこまで曲げるかたですからね・・・。 あきれるばかりです。・・・・・・・・・・・・・・(*)  それにしても「えらい」が客観的な評価だとは 知りませんでした。勉強(?)になりました。 でも、態度に全く改善の兆しが見えないので、 ずっと議論拒否のままでしょう。 ただ、HIRO様はじめ、小生の文章の解釈を強要された 方々には、心からお詫び申し上げます。 とくにHIRO様には、こちらが勝手に1票投じたために ご迷惑をおかけいたしました。 どうして意見の異なる方々にそんなことを 強要するのでしょうかね????(*リフレイン) やはりHIRO様がおっしゃるように、どんな無理難題でも 通せるような地位の方でしょうかね。(*リフレイン) (ヘタクソな脚韻をふんでひとりごちてみました)  ところで、基本的に「意見」というのは バイアスがかかったものですので、 HIRO様の表現が悪かったとは小生は思いません。  HIRO様のお立場では言いにくいと勝手に思い込んで、 当然ながら小生の責任のもとで少し理系的余談: ちなみに、カセットテープなどの録音時にかけるバイアスは 「忠実・明快に原音を再生させるために」必要不可欠なもので、 適切にかけてやらないといけないのですね。 最近はこの手の「バイアス」は死語になったのでしょうか? 「イコライザー」はすでに死んでいる・・? 失礼しました。 Time : 2001/ 4/16(月) 12:06:34
Name : 研究家娘。 E-mail : Title : いやはや…… Comments: ども〜武田研究家でございます。 ちと時間が無いので、今週の『逆説の日本史』の分はまた後程。 >大阪JFさま なるほど、「バイアス」とはそのような意味でございましたか。 小生の無知にて皆様には不快な思いをさせてしまいました。 どうもすいません。 ただし、井沢氏への批判を止めるわけではありません(爆) 今週もツッコミ所が満載ですね。 Time : 2001/ 4/16(月) 12:55:14
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : はじめまして? Comments:  ちょっと時間が取れました。続きは明日にでもまた・・・。  おそらくはじめてではないと思いますが、 一応直接やりとりするのは最初なので、 どうもはじめまして・・・。なんとお呼びしていいのやら・・・。 あんまり拙論を理解していただいたようには思えませんが、 まあ小生のことはどうでもいいです。 でもいったい何人の方がいらっしゃるのか、 人数・性別不詳で、正直気味が悪いですね。 それでご批判は結構ですが、もう少しきちんと筋道を 立ててお話いただけませんでしょうか。 おっしゃっていることは、飛躍が多く、 あまり納得できるものではありません。 小生のような血の巡りの悪い人間には、単に井沢先生の結論に、 しゃにむに反対しているようにみえるだけで、 根拠がイマイチよくわかりません。 (自説を主張されるだけなら十分な根拠かもしれません。 ただ、小生にとっては、納得しがたいだけです。 気分的には例の「根拠ある」判決に噛み付く桜井女史の如し?) その点見事に、統制がとれていらっしゃいますね。 実際、小生がいままであげた疑問は何一つ解決していません。 (雪狼様は個人的に筋を通されましたので、ご意見納得しました。)  楽市楽座の件も、あの恐怖の信長だったら、 ひとつ本気でつぶせば、後はどうなるか想像できそうですが、 すべて自らの手でつぶさないと楽市楽座に関しては 効果をあげたことにならないのでしょうか? 手を出す必要がなかった可能性もあると思いますが、 そうはお考えではないのでしょうか? それとも比叡山ひとつ程度の焼き討ちでとどまっていたら、 (IFでごめんなさい) 信長は宗教に寛容であったといえたのでしょうか? 「歴史」に弱い小生には理解不能です・・・。 (なお、何度もお断りしますが、あなたがた(?)のように 他人の考えを否定しているわけではなく、逆に 「他人の考えを否定できるほどの確実な根拠がない」 文章だといっているだけですよ。) Time : 2001/ 4/16(月) 16:23:57
Name : 武田研究家 E-mail : Title : もし貴方が「信者」であるならば、私が何を言っても無駄ですが、一応。 Comments: > 楽市楽座の件も、あの恐怖の信長だったら、ひとつ本気でつぶせば、後はどう >なるか想像できそうですが、すべて自らの手でつぶさないと楽市楽座に関しては >効果をあげたことにならないのでしょうか? だからですねえ……『逆説の日本史』7巻の論旨は 1.「座」が商品の値段を吊り上げ、庶民の生活を圧迫している。 2.信長は「楽市楽座」を施行した。 というこの二点に関してはまあ大まかにいって事実です。 しかし「楽市楽座」によって「座」の特権が否定されたわけではないし、 ましてや「座」という中世的な権威体制が否定されたとか崩壊したという 事実はまったく無いわけです。 信長による例えば近江の油座の特権を保証する書状などが現存していますが、 要するに信長が「楽市」を施行した特定の城下を除く、信長領内の ほとんど全ての地域では「座」が生き残ってその特権を振るっていたわけで、 本当にそれだけで信長が「先進的」と言えるのか、あるいは「庶民の生活が 楽になった」と言えるのか、ということなんです。 一つ潰せば見せしめに…云々ではなく、信長自身が座の特権を肯定していた。 そういう「事実」を何故、見ようとしないのか? 私が一々井沢氏に噛みつくのはそういった明らかな「知的不誠実」が 随所に散見されるからです。 楽市そのものは治外法権の場である寺内町や門前町では早くから見られた もので、楽市が大名によって保証された例としては六角義賢や今川氏真が 信長より早く、信長による美濃加納の市の例はそれより後になりますが、 じゃあ六角政権下の近江は庶民の生活は楽だったか?あるいは今川氏真 の治めた東海地方は?と聞かれたら、貴殿ならどう答えますか? >それとも比叡山ひとつ程度の焼き討ちでとどまっていたら、(IFでごめんなさ >い)信長は宗教に寛容であったといえたのでしょうか? >「歴史」に弱い小生には理解不能です・・・。 「座」の場合は信長が自らその特権を認める書状を出したわけで、 信長は寺社に対してはそのような事はなく、問題の質が本質的に異なります。 比叡山の件の場合、信長が最初に山門領(延暦寺山門派の寺領)を 横領したために対立関係が出来ており、さらに延暦寺が浅井・朝倉の拠点として 比叡山を使わせたことで対立がさらに深まり、信長は山門領の返還を含む 譲歩案を出しますが、比叡山は応じず、焼き討ちへとつながります。 これを単純に「宗教弾圧」と見るのは無理があり、理由のある対立であったことは 知っておくべきです。 Time : 2001/ 4/16(月) 23:46:04
Name : 雪狼 E-mail : Title : あの凄惨な長島本願寺・・・・ Comments: 宗教の話が出たところなので、ちょっと話題がそれるかもしれませんが・・・・ 木曽川河口の、水運を利用した堅城長島の戦いのことです。 織田信長というと本願寺勢力との長年にわたる抗争を思い浮かべました。それで ・大阪JF生さんの「宗教に寛容か?」 ・武田研究家さんの「理由のある対立」 から、ちょっと補足になるかどうか。 ただし前にも述べた通り、私は戦国史に詳しいわけでもないので、 間違っているところは訂正・ご指摘をお願いします。 水の守りがある長島に信長がてこずったことは知られていますね。 信長は船を集め、伊勢湾と木曽川を封鎖して兵糧攻めにしました。 あの凄惨な飢餓の攻防戦は、こうして本願寺が一人残らず殺されてしまうわけですが・・・ 長島本願寺の親分の子と武田勝頼の妹は婚姻関係にあって、 後ろ盾として互いに力を貸していたからですね。 武田勝頼によって徳川に属していた高天神城が落とされたのは、 長島勢力が織田の足を引っ張り徳川への援軍を出させなかったからです。 つまりこれまた、織田・徳川対武田・長島本願寺という図式があり、 宗教戦争というものではなくて、 武田研究家さんのいわれるところの「理由のある戦い」だといえるでしょう。 それで織田の国替えの話と武田の地元密着?とをここでまた。 もし勝頼が、信長のように得た土地をそのまま居城にしていたらどうかというところ。 勝頼は高天神城を取ったあと、甲府に引き返しています。 長島が包囲されるのはその直後で、 もし勝頼が援軍を出すとすればまた甲府から出てこなければならず、 手間がかかるわけですね。 高天神城を本拠としていたら、そこから三河・尾張に出るのは近いけど、 一度甲府に戻って出兵だとその分ロスも多くなるというわけです。 信長と他の戦国武将とが違った理由。それはここにあるのでしょう。 信長は常に、次の敵を倒していく攻めの姿勢でした。 勝頼−というかほとんどの武将−は、自分の領土を拡張し、 本拠地を固めていく守りの姿勢です。 話がずれてきた? Time : 2001/ 4/17(火) 00:14:16
Name : きんたろう E-mail : Title : 寝る前に Comments: こんばんは、パンダさん。 >高遠桜・神代桜・大糸桜等々と信濃路界隈の桜巡狩から咋深夜に無事(?)帰宅 >しました。 >高遠の夜桜は、仁科五郎麾下の将兵の霊が乗り移ったかと思うばかりの妖しい美 >しさで。。。(笑い) それはさぞ美しい風景を満喫されたと思います。 何ともタイムリーでしたね^^ 長野と言えば野沢菜と蕎麦!! 観光客はこれを味わいたいのに「鮮度の落ちた」刺身を出すところが長野の面白い ところです、笑 ところで神世の時代には「信濃」を「しなぬ」と言ったそうですね?? 信玄は信長よりも長生きしたにも係わらず、信長の勢力よりも結局は小さかったと いう事が全てを物語っていると思っています。 勿論、信長と比較されるという事から見ても、相似形に近いものを持っていたと言 っても良いのかも知れませんね?? ちなみに武田難鱈間鱈さんの書き込み内容についてはコメントを差し控えさせても らいますね。 何しろ簡単な回答すらしない人の文章などまともに読む気になれないので...笑 悪しからず。 以上でこの話題からは離脱します。 Time : 2001/ 4/17(火) 00:52:14
Name : 武田研究家 E-mail : Title : 今週の分、アウトライン Comments: 全部一回で説明すると恐ろしく膨大な量になる……ので、要旨だけ。 信じられない、という人は言って下さい。丁寧に説明します。 「では、信玄の民政は何が良かったか?  もちろん、年貢(税金)が安かったことがある」 これは嘘。御家人衆・軍役衆・惣百姓という農民の分類を作って 1.年貢を納めず、軍役だけを負担する家 2.年貢・軍役ともに半分ずつ負担する家 3.軍役に就かず、年貢だけを納める家 という制度を確立したために、それまでよりも負担のバランスが改善された 事は確か。だが、他国と比べて「軽い」とまでは言えない。 『甲州法度』に逃亡した農民の扱いに関する記述が多いことも、 それをうかがわせる。 「武田信玄、上杉謙信、毛利元就、北条氏康、今川義元――この五人に 共通するものと言ってもいい。  それは、全員、金山(銀山)を持っているということなのだ。 (中略) だから名将の条件には「財力がある」ということがあり、金山を 持っている武将が歴史に名を残しているのは、そういう理由がある」 武田・上杉は金山を「私有」した形跡がない。すなわち、民間業者が金を 採掘し、大名はそれを「代価を払って」購入したのである。 金は少量でも価値が高く、贈答や褒賞など用途は沢山あったから、 彼等は買ってでも金を手に入れたのである。 毛利元就が始めは国人クラスであったことを挙げていながら、毛利家が 銀山の力で発展したと考えるのも間違い。毛利家が石見という日本一の 銀山を手に入れたのは、大内氏を打倒し、さらに尼子氏を倒した後である。 それまでの、たかだか千貫そこそこの代官の家から所領を広げた元就の 手腕を忘れている。 「信長は金山を持っていないという点にも御注目願いたい」 毛利元就の勢力拡大すら「銀山のおかげ」に帰結する井沢氏が、 信長領内の生野や波多野の銀山を無視するとは公平さに欠ける。 Time : 2001/ 4/17(火) 02:04:17
Name : 雪狼 E-mail : Title : 武田 Comments: おはようございます。 きんたろうさん> >信玄は信長よりも長生きしたにも係わらず、信長の勢力よりも結局は小さかったと >いう事が全てを物語っていると思っています。 これは私から答えていいですか。過去にも話題に出たことですが、 信長が領土を拡大したのは、一直線に京都を目指した国替えを続けたことにあると思うのです。 武田信玄は信濃をとっても甲府に引き返し、また信濃に出てくる時に膨大な時間がかかっていました。 信長はこのようなロスを省いた戦い方をしていたので、 武田・北条・毛利などの列強に勝ったのであろうと私は考えております。 人材登用の件も、このように拡大し続ける企業のほうが新規採用も多いのは当然で、 信玄の「実力主義」なども問題にならないほど新規のものを召し抱えることが出来たといえるでしょう。 (もっとも、明智光秀・木下藤吉郎は拡大する前に得た傑物ですが。) 武田研究家さん> 金山のことは、そのような事情だとは知りませんでした。ありがとうございます。 >>「では、信玄の民政は何が良かったか? >> もちろん、年貢(税金)が安かったことがある」 >これは嘘。 に関しては、こんな話をなにかで読んだことがありました。 天文20年(1551年)、度重なる苛酷な年貢の取り立てに耐え切れなくなり、 農民が全員逃亡して村がひとつからっぽになった、と。 信玄の治世がうまくいっていたことは有名ですが、 搾取者には違いないというネガティブな一面を我々は忘れてなりません。 あと昨日の書き込みを読み直し気になったのですが、 大阪JF生さんは井沢信者でもなんでもなく、疑問に思ったことを書いてみただけですね。 それに対する答え方を工夫してくださるだけで感情的な行き違いが回避できますので、 その方面もよろしくお願いします。 Time : 2001/ 4/17(火) 09:53:27
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : ちょっと長めですが、ご検討ください: Comments:  とうとうきんたろう様にまで見捨てられてしまいましたね。 こちらの意見の曲げ方もどなたかそっくりですし、小生も潮時かも・・・。 気を取り直して、まずは座から: >その一例を挙げるならば、井沢氏は『逆説の日本史』7巻において、 >1.「座」は値段を吊り上げ、庶民を苦しめている。 >2.だから「楽一楽座」をやった信長は偉大だ >という論理展開をしていました。しかし、嘘ですね。 とおっしゃるのと、 >だからですねえ……『逆説の日本史』7巻の論旨は >1.「座」が商品の値段を吊り上げ、庶民の生活を圧迫している。 >2.信長は「楽市楽座」を施行した。 >というこの二点に関してはまあ大まかにいって事実です。 の温度差はどう解釈すればいいのやら? 最初のは間違いだったとお認めになったのでしょうか? (念のため、えらいかどうかは主観的で、範囲の限定も考慮すべきですからね) 何度も言いますが、後者の書き方なら小生は文句を言いません。 でも、その舌の根も乾かないうちに >ほとんど全ての地域では「座」が生き残ってその特権を振るっていたわけで、 >本当にそれだけで信長が「先進的」と言えるのか、あるいは「庶民の生活が >楽になった」と言えるのか、ということなんです。 とおっしゃるのなら、いったいどっちなのか、まったくわかりません??? 2番目のご意見はいったいどこからきたのでしょう? しかも庶民の生活についてのデータが示されていません。 (小生のような素人に、六角政権下の近江は庶民の生活のデータなど、 要求しないでください。無理ですので、そちらでお示しください。) これは知的不誠実ではないのでしょうか?  細かいことはよくわかりませんが、小生は大まかな特徴の話しかしていません。 自称歴史音痴で知識のない小生の歴史的知識の不備をあげつらっても仕方ないでしょう。 その点は無知として扱っていただいて結構ですが、 内容にクレームをつけているのでなく、文章に飛躍があって納得しがたい と申し上げているに過ぎません。 繰り返すのに疲れたので、もう少しご理解いただけませんか?  おそらく根本的なところの認識が違っていると思われますので、少し脱線:  単純に「実力」と一言でおっしゃっている記事が多いのですが、 そんな客観的な基準はありません。まさか「実力テスト」で点数化して いたわけでもないでしょう(これとて、客観的ではありませんが・・・)。 したがって、あくまでも親分の主観的な判断で、 「こいつは使えそうだ」ということであって、自分の基準に合わない もしくは気に入らないやつは「実力」がないとされるでしょう。 それから、当然のことながら、戦うための集団ですから、見所のないやつばかりで 勝てるはずもなく、多少危険を冒しても実力者を取る必要は皆あるのは当然です。 そういう意味で、きんたろう様も、この問題は端から「程度問題」だと おっしゃったのであって、ご主張のようなあるなしの問題ではなかったわけです。 (小生は当然のことが認識されていなかったので驚きました。) そうかんがえたとき、実力主義は上記の意味で実力のない者を、 どれだけ非情に切り捨てられるかということと表裏一体でしょう。 そうかんがえてもなお、信玄も信長同様、おなじ実力主義なのでしょうか? 小生のイメージでは、信玄は非情な武将ではないのですが・・・。 >問題の質が本質的に異なります は、逃げ口上にお使いですが、もっと本質的に使うべきことでしょう。 問題は表面的なデータでなく、本質です。 武田領の記事にもクレームをお付けですが、それなら信玄公が慕われた理由は? (ついでに信長公も) 文章があまりにも定型化されすぎて閉口します: 1.井沢先生の説はとりあえず揚げ足を取る。 2.せっかく浮き彫りにされた特徴をだいなしにする。   (○○と××では差異がないという常套句) 3.そのため歴史的因果関係が全く不明になる。 これが歴史「学」なのですか? これでは何の特徴もない人が、たまたまこんなことをしたというのが歴史ですね。 もちろん、現代の会社の組織と軍団の組織は時代が違って比較できないですから、 因果関係もわからないし、歴史知識はまったく利用不可能というわけですね。 時代も違えば、人間も違うので、単純比較が不可能なのは当然でしょう。 しかし、あえて比較することで見えるものもあるのです。 それが歴史学ではないのでしょうか?井沢先生はそれに挑んでおられます。 (違うならやはり小生は、歴史音痴なのでしょうね。) もしそうでないなら、歴史は専門家以外は全く学ぶ必要がありませんね。 小生は信者ではありませんし、その立場では発言していません。 批判するには足らないとしか言ってませんが、 井沢先生の説のみが正しいとどこで言ったのでしょう? 再三述べていることもお分かりでないのに・・・?  それでお願いしたいのは、1については病気でしょうから仕方なく無視することに しても、2,3について一貫した説明をいただけないでしょうか。 つまり、「特徴を述べ、因果関係を語る」という簡単なことです。 何度も言いますが、現状では矛盾と飛躍と細かい知識に満ちて、 小生には理解不可能な繰り返しですので、 歴史的因果関係が全くわからなくなってしまっています。 (もちろん、末梢的な部分で納得できない部分がないわけではありません。 あくまで、全体的な特徴として述べております。) その線で今後ご尽力いただけませんか? 破壊は子供でもできますが、建設は大人でないとなかなか無理ですからね。 Time : 2001/ 4/17(火) 10:59:15
Name : 雪狼 E-mail : Title : あらら。。。 Comments: 武田研究家さんの知識量は私のような小物では太刀打ちできるレベルではなく、 ただただ感心するばかりではあるのですが・・・・ 議論が噛み合わずキャッチボールになっていないというのが現状でしょうか。 この冷めはじめた雰囲気、実にもったいないと思う次第です。 大阪JF生さん・きんたろうさんとも、疑問点への質問をしているので、 そこに答えていただけるとこの板も非常に盛り上がり、いいムードで論を交わせるのですが。 すばらしい知識や情報が、正確に相手に伝わらないということがよくあります。 これはゼロよりもマイナスを生む危険があることを、我々は注意しなければなりません。 武田研究家さん、どうか大阪JF生さんの質問には丁寧なご回答をお願いします。 (興味深いところをついているから、私も楽しみにしておりますよって。) Time : 2001/ 4/17(火) 13:23:42
Name : 武田研究家 E-mail : Title : 大坂JF生どの Comments: >の温度差はどう解釈すればいいのやら?最初のは間違いだったとお認めになった >のでしょうか? コピペではないので、論理展開が毎度毎度同じ…というわけにもいかないのです。 一度目で信長の座に対する二面性を御理解頂けなかったようなので、一部を 省略したまでです。だからもう一度、違う形で書きます。 『逆説の日本史』7巻における「座」に関する井沢氏の論理展開は 1.座は値段を吊り上げ、庶民の生活を圧迫している。 2.信長は「楽市楽座」という政策を行った 3.1・2より、信長は座を廃止した。(よって、信長は偉大だ!) というものであると理解しています。これはよろしいでしょうか? 良ければ次の書き込みにて続きを書こうと思います。 >そういう意味で、きんたろう様も、この問題は端から「程度問題」だとおっ >しゃったのであって、ご主張のようなあるなしの問題ではなかったわけです。 >(小生は当然のことが認識されていなかったので驚きました。) 実力主義云々の話題は程度問題ではありませんよ。私は基本的に井沢氏の 『逆説の日本史』の矛盾点に対して反論する形を取っています。 ですから、私が矛盾や事実誤認として挙げた部分について 私の指摘が正しいのか正しく無いのか、正しく無いのならその根拠を 教えていただければ済むのであって、程度問題として扱うのはそれ以降、 すわなち、史実を踏まえた上での二次的な議論として行われるものだと 思われるのですが。 言うなれば、山本勘助に関しては本多正信を例に引いて不評でしたが、 それはそれで議論していく内容でしょうし、真田一族は幹部なのか そうでないのか、そもそも国人クラスが屈服したという認識自体が 間違いだという点に関してはまた議論していくべきでしょう。 そういった点を踏まえた上で、実力主義の徹底という部分について、 始めて程度問題が議論されるべきなのであって、残念ながら現状は その前段階にすら至れていないと思われます。 >は、逃げ口上にお使いですが、もっと本質的に使うべきことでしょう。問題は表 >面的なデータでなく、本質です。 逃げ口上とは非道いですね。 比叡山との対立が単純な宗教問題ではないことを説明したではありませんか。 それと商業活動の問題である座の話とが、「本質的に異なる」のは当然だと 思いますが。 >武田領の記事にもクレームをお付けですが、それなら信玄公が慕われた理由は? >(ついでに信長公も) クレームではなく、事実を指摘したまでです。誤解無きよう。 太閤秀吉の治世において、豊臣家の直轄領における税率は実に七公三民にまで 達していたと言われていますが、秀吉は人気のある武将です。 庶民の負担というものは時代にかかわらず得てして重い物なので、 その当時は村を捨てて逃げ出す者までいたとしても、時間がたってみれば 何の事はなかったと思えたり、あるいは「あの頃の方が良かった」と思える 物すらあるでしょう。善政とは減税のことだなどとアッサリ言ってのけ、 史料に目を向け様ともしない方が問題だと思いますが。 というわけで、負担に関しては後世の我々が信玄を嫌いになったり恨んだり するほどの事はないのです。江戸時代だって負担は重かったのですから。 むしろ負担は重かったけれども、信玄は民政の「安定」のためには尽力した。 農業も商業も信玄の代に大いに発展した。それもまた事実です。 そして何より、戦国の当時より名将と謳われ、江戸時代には講談のヒーローで あった信玄の「地元」であったこと。これに勝る理由はないでしょう。 信長もまた然り。名将の故郷であるということは、それだけで愛郷心に 響くものです。 >1.井沢先生の説はとりあえず揚げ足を取る。 >2.せっかく浮き彫りにされた特徴をだいなしにする。(○○と××では差異がな    いという常套句) >3.そのため歴史的因果関係が全く不明になる。 まず第一に、私は揚げ足を取っているのではありません。 井沢氏の連載自体に、私は何らの影響力も及ぼせていません。 そして一度文章を世に出してしまったからには、そしてそれが 歴史について解説する内容であるからには、矛盾や間違いがあれば 指摘されるのは当たり前だと思いますが。 私程度の人間に矛盾点や事実誤認を指摘されるレベルで本を書く方が 無理があると思います。これが歴史小説の連載だったら、 私だって文句を言ったりしませんけどね。 >これが歴史「学」なのですか?これでは何の特徴もない人が、たまたまこんなこ >とをしたというのが歴史ですね。 このくらいの量の掲示板の書き込みだけでは、とても一つ一つの事実関係を 明らかにするほどの量はありませんから、どうしてもいくつかの事実だけを かいつまんで説明することになってしまいます。 それで、そのように見えてしまうのかもしれません。 ですが、何事にも裏があり事情があり因果関係があるものであることは 当然の事ですし、私だって認めていることです。 ただ、講談レベルの虚構で話を進めるなら兎も角、一歩踏みこむには 扱う話の範囲が広すぎて扱え切れていないだけなのです…… >しかし、あえて比較することで見えるものもあるのです。それが歴史学ではない >のでしょうか?井沢先生はそれに挑んでおられます。 >(違うならやはり小生は、歴史音痴なのでしょうね。) 比較するための材料は史実の究明によって得られます。 決して講談レベルで戦国時代を語ることではありません。 しかし本当に詳しく始めたら、なるほど初心者にはツライでしょう。 ですから、それをできるだけ噛み砕いて説明するのが作家の腕の 見せ所になるのでしょう。今の段階ではそれ以前としか言えませんが。 >もしそうでないなら、歴史は専門家以外は全く学ぶ必要がありませんね。 研究するのは専門家の役目で構いません。しかし、学ぶのは別です。 裏の裏を知ってこそ面白い、という部分はあると思いますし、 それを知らねば実生活に活かすことなどとても出来ないでしょう。 (信長は天才だった…で終わってはそれを活かす道はありません。 しかし、その発想の元や裏の事情まで知ればきっと役に立つはずです) 確かにそこまでやれば難しいものになるかもしれませんが、 それをいかに伝えるかが問題なのです。 Time : 2001/ 4/18(水) 00:42:24
Name : HIRO E-mail : Title : 自分のを書かずにこんなの書いている…。 Comments: こういうこと書いていると「難癖だ」と言われるんでしょうか? 武田研究家さん: > 事は確か。だが、他国と比べて「軽い」とまでは言えない。 > 『甲州法度』に逃亡した農民の扱いに関する記述が多いことも、 > それをうかがわせる。 仰りたい事はわかるんですよ。 でも、ご自身が言われているように日本中どこでも農民の負担が重かったとして、 そして甲州法度に逃亡農民の扱いに関する記述が多いこととあわせて書いたとして、 そこから「他国との比較が可能で、軽くは無いのだ。」という結論に繋がる理由が どうしても判らないんですよね…。 > 武田・上杉は金山を「私有」した形跡がない。すなわち、民間業者が金を > 採掘し、大名はそれを「代価を払って」購入したのである。 これも、「私有した形跡が無い」のと「代価を払った」の間はものすごい離れて いると思うんですが、そういう史料は存在するのでしょうか??? 別に代価ってのは軍事力(≒治安警備)でも、流通許可でもいいわけで、それではなく 「彼等は買ってでも金を手に入れたのである。」とされる根拠は何なのでしょう?? > 毛利元就が始めは国人クラスであったことを挙げていながら、毛利家が > 銀山の力で発展したと考えるのも間違い。毛利家が石見という日本一の これは私も同感。 毛利躍進の陰には、広島湾岸への進出と水軍(直轄の川内衆と、村上水軍)を 押さえたことによる瀬戸内の経済掌握が大きいというのはある程度の定説ですね。 (ちなみに厳島は当時の代表的な交易港でした…つまり経済戦争という側面もある。) ついでに、上杉謙信の重要な財源は金銀山よりも青苧(あおそ)と言われる野生植物 から織られた越後上布ですね。こっちの方が収入が多い。 (勿論、ある程度以上のサイズになるためには金銀鉱山からの収入が必要だったのは 事実ですけど。) >> 「信長は金山を持っていないという点にも御注目願いたい」 > 毛利元就の勢力拡大すら「銀山のおかげ」に帰結する井沢氏が、 > 信長領内の生野や波多野の銀山を無視するとは公平さに欠ける。 うーん…これはあまりにも「批判のための批判」になってませんか。 「織田信長も毛利元就も銀山が主ではなかった。」じゃだめなんですか? 武田研究家さんの言われるように、毛利元就が石見銀山を手中に納めたのは 彼がある程度の経済力、軍事力を手に入れた後ですが、それを言ったら織田信長が 生野銀山を手に入れたのはどんなに早くても永禄12年(1969)確実に手に入った と思われるのは天正5年(1977)なんですから。 この時期の信長をして「信長の勢力拡大は生野銀山によってなされた」なんて 絶対に言えませんよ。羽柴秀吉の経済力が飛躍的に大きくなったことは確かですが。 > 私の指摘が正しいのか正しく無いのか、正しく無いのならその根拠を 私が言っているのは 「正しいかどうかを判断するのには示された根拠が弱いので、判断に苦しむ。 だから他にあるのなら補足してください。」 ということなんですよ。 ミもフタもない言い方をしてしまえば「どっちもどっち」で、 その論証が「自説の展開」に用いられているか「他説の批判」に用いられているかの 差で、武田研究家さんへのツッコミが厳しくなっている…って状態ですかねぇ。 こういうネタで何人笑ってくれるのかわかりませんが… 「武田信玄の方が素晴らしい。理由はUFOに乗ってきたエロヒムがそう言ったからだ。」 「織田信長の方が素晴らしい。理由は宇宙意思バシャールが私に語ってくれたからだ。」 この二つはそれぞれで言ってる分にはいいんですよ。言論は自由ですから。 (他の人が相手にするとかどうかはまた別の次元の問題ですよ。) でも、 「武田信玄の方が素晴らしい。理由はUFOに乗ってきたエロヒムがそう言ったからだ。」 「上の論は間違っている。理由は宇宙意思バシャールが私に語ってくれたからだ。」 ってのは成り立たないでしょ?反論の方が客観性を求められるものなんですよ。 Time : 2001/ 4/18(水) 02:51:29
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 再度、お願いいたします。 Comments:  とりあえず、お返事ありがとうございます。 小生の文句に反論されるのが精一杯のようですが、 そんなことは求めておりませんので、誤解なきよう。 HIRO様もおっしゃっているように、説明が不十分なので、 質問をしないと理解できないだけで、それを求めてもなお不十分なので、 前回もう一歩踏み込んでお願いしたわけです。 2つの理論を比較して優劣を比較するためには、 同じレベルの論述として考慮せねばなりません。 つまり、一応の特徴と因果関係が双方で語られていなければなりません。 もちろん、あからさまに言わなくても読み手の想像力で 補えることも多いのですが、武田研究家様の場合は あれだけ細かいデータをお示しになりながら、好例に乏しいため 特徴や因果関係が全くわからず、小生には不可能だったということです。 前回、「庶民の生活か楽になったか」という視点を武田研究家様ご自身が 批判の大きな根拠として提出されたのですが、データがなかったので、 ご質問したわけです。今回もどうも灰色決着ですね? それでは、批判ではなく難癖だといわれても仕方ないでしょう。 何度も言いますが、「ひとつの見方」として武田研究家様のご意見に 文句をつけているのでなく、他人の意見を「ウソです」といえるレベルでない と申しあげているに過ぎません。 これだけ同じことをいわないとお分かりでないのに、 史料なら公平に読み取れるとおっしゃるわけですか????? データというのはさまざまな解釈が可能です。 ひとつの文書の存在が確認されても、それによって、 「だから、○○という傾向が強かった」ともいえるし、 「数少ないので、○○という傾向は弱かった」といえるわけです。 そこに、表現者の考えを示す必要がありますが、 井沢先生の方はよくわかりますが、武田研究家様のは理解しがたいと 申し上げているのです(全体的な特徴・因果関係として)。  冒頭の部分も、言葉の間違いを「論理の展開」と無理強いされるなら、 認めるわけにはいきませんので、後読めなくなってしまいます。 比叡山の例とて、小生の例示が悪かっただけで、本来どういう質問なのかは お分かりのはずですね(上記のデータ解釈の問題です)? そこから逃げているといったに過ぎません。  ぜひ、細かすぎるデータを整理して、本当に「好例」に絞り、 特徴および因果関係についてのご意見お聞かせ願います。 よろしくお願い申し上げます。 Time : 2001/ 4/18(水) 09:48:56
Name : 雪狼 E-mail : Title : うーん。。。 Comments: ちょっと残念。またすれ違いが出ているようで。 >実力主義云々の話題は程度問題ではありませんよ。私は基本的に井沢氏の >『逆説の日本史』の矛盾点に対して反論する形を取っています。 ここは理解しています。 井沢氏の文が「武田は能力主義になれなかった」=(武田は能力を無視して採用した、と読める) というところに、真田や高坂の例を挙げて反論なさっているわけですね。 ようは、井沢氏が織田と武田という2大名将を比較して、 ちょっと一方の特徴を肥大化し過ぎではないか、と私は思うんですな。 例えば大阪JF生さんと先日脱線した際に触れたデモクラティックの件ですが、 「合議制をとる武田信玄は民主的大名だ」なんていうとツッコミの対象になるわけです。 こういうことなんです。 織田信長が「家臣の7割は能力で、他は譜代から採用」とあれば、“どちらかというと”能力重視の人ですね。 実際に秀吉・光秀などはよそ者ながら大出世した人ですから、 何割の問題は別としても能力のあるものを抜擢する人には違いないんです。 大阪JF生さんが質問なさっているところは、 「武田信玄の登用枠の何割が能力を買われた新参者なのか」 あるいは 「新参者で秀吉や光秀ほどに大抜擢され一団の隊長になったものがあるか」 なんです。 (上は氏の質問であって、反論ではないこともご理解ください。) もし「40%能力主義、あとは譜代から」だと、やはり能力主義とは言い難くなるわけなんです。 織田信長の家臣から柴田勝家だけを強調して「譜代を重視」とするのが間違いであるように、 武田の家臣から高坂だけを強調して論じるのも間違いです。 このあたりが「程度問題」ということなのですよ。 武田の重臣を見ると、穴山・小山田といった親類衆が幅を利かせています。 彼らに対して馬場らが遠慮して発言できていないとすれば、 いかに能力を買って抜擢した新参者がいても、譜代重視といわなければならなくなります。 この辺はどうでしょうか。知っていれば横から答えたいけど、私は詳しいことがわからないので。 HIROさん> 銀山云々のことですけど、・・・ ・井沢氏は「毛利は銀山で拡大した」という(これは両名ご指摘の通り嘘) ・井沢氏は信長の銀山に触れていない ・井沢氏の結論「だから信長はすごい」(?!) に対して、武田研究家さんの言い分は、 >毛利が(拡大の後に得た)銀山で拡大したことになるのなら、 >信長だって同様に生野波多野の銀山で拡大したことになってもいい ということかと思います。 武田研究家さんのお気持ちは分かるんですが、 井沢氏の発言が飛躍したもの(私もそれは認めます)であるなら、 対抗するには飛躍したものではなく史実に沿った形で論証いただければ、と。 Time : 2001/ 4/18(水) 10:31:41
Name : パンダ E-mail : Title : 批判は批判として。。。 Comments: パンダです。雪狼さんへ。。。「良」く見ると「苗」になっていました。失礼 をお詫びいたします。 みなさんへ。。。基本的に、ある歴史解釈を検証・批判するに当たっては。。。 @その歴史解釈の根拠となっている歴史的事実の認識が妥当(正しい)かどうか。 (諸資料との整合性があり、かつ合理的・具体的根拠が示されているかどうか。) A歴史的事実の認識から導き出された歴史解釈(結論)に論理性があるかどうか。  (推論過程に思惟妥当性があるかどうか) が問題になります。勿論その歴史解釈よりも、より真実性(蓋然性の高い)があ る別の歴史解釈を示す方法もありますが、それが示されていなくとも検証・批判 そのものに、誤った歴史解釈が世間に流布されるのを止めるという大きな意味が あるのです。 例えが良くないことは、承知の上で申し上げれば。。。 A容疑者が真犯人であると主張する説に対しては、その証拠と推理が妥当性を 欠くものであることを証明すれば、それで批判(否定説)としては充分なので す。 もちろんA容疑者以外のBが真犯人であることを、より妥当性がある証拠と推 理で証明する方法もありますが、それが示されなかっても。。。A容疑者真犯 人説は誤りとして否定され得ます。 ただ、裁判と歴史解釈の差は。。。疑わしき場合であっても、その程度(蓋然 性)によって真犯人となし得る。。。と言うところにあります。つまり心証形 成の厳密さが異なるわけです。 余りにも当然のことを申し上げたのは、このHPは井沢さんのファン(信者と は言いません)が中心となっていますので、時としてこの基本原則が忘れらて いる様に感じるからです。 例えば金・銀山について言えば。。。。HIROさんのご指摘のとおり「織田信長 も毛利元就も銀山が主ではなかった。」のです。つまりは雪狼さんがご指摘の とおり、、、、 「武田信玄、上杉謙信、毛利元就、北条氏康、今川義元――この五人に共通す るものと言ってもいい。それは、全員、金山(銀山)を持っているということ なのだ。 (中略)だから名将の条件には「財力がある」ということがあり、金山を持っ ている武将が歴史に名を残しているのは、そういう理由がある」 この井沢さんの事実認識は、「武田信玄」の鉱山経営の如何に関わらず、「毛 利元就」において既に誤っており、「上杉謙信」についても誤っている可能性 があるのです。(おそらく「今川義元」も。。?)従ってこの事実誤認に基づ く「織田信長」対比推論及び歴史解釈は、武田研究家さんのおっしゃるとおり、 根拠なし(デタラメ)と言わざるを得ないのです。 実力主義(人材登用)に関して言えば。。。 「武田信玄ですら、その生涯に実力で幹部に抜擢した外様(新規採用組)は山 本勘助だけなのである。しかもそのポストは重役より一段も二段も下だ」 と言う事実認識も。。。少なくとも真田・香坂・小幡等の幹部抜擢があったの は事実であり、「勘助だけ」と言うのは明らかに間違っているのでしょう? きんたろうさんやその他の方のご指摘のとおり、要するに実力主義人事につい ての「信長」と「信玄」の差は「程度の問題」に過ぎないのです。 従って「信長実力主義=多国籍企業=天下統一可能」との対比における「信玄 純血主義=同族会社=天下統一不能」という歴史解釈は、この様な誤った事実 認識に基くものであり、妥当なものとは言えない。。。この問題についての井 沢説の批判(否定)は、これで充分なのです。 武田研究家さんが「信玄の方が信長より実力主義的人材抜擢を行った」あるい は「実力主義的人材抜擢という点では全く遜色がなかった」と主張しておられ るのならば、その根拠を示される必要がありますが、決してそうではないので すから。。。 (どちらが、より実力主義的か。。。と言うことならば、私は躊躇なく信長に 軍配を上げます。もともと織田家の様な出来星大名が天下布武を目指したので すから人材不足→抜擢は当然ですし、それだけに信賞必罰も厳しく行われたこ とでしょう。しかし仮に信玄が上洛に成功し、天下を相手に統一事業に乗り出 したならば、如何に鎌倉以来の名門とて人材起用は変化したかも知れませんし、 賞罰も厳しくなったかも知れません。。。これは所詮IFでしかありませんがネ。) 要するに飽くまで井沢さんの主張を支持されるのならば、その根拠となってい る認識、、、、 「武田信玄、上杉謙信、毛利元就、北条氏康、今川義元――この五人に共通・・・」 「生涯に実力で幹部に抜擢した外様(新規採用組)は山本勘助だけ・・・」 「信玄の民政は何が良かったか?もちろん、年貢(税金)が安かったこと がある」 等の正当性は(本来は井沢さん自身が反論立証されるべきものですが、それ が不可能ならば)むしろ支持者の方々で立証(武田研究家さんの批判を否定) されるのが、筋というものではないでしょうか? それでは信長と信玄の差(差があるのは事実でしょう。。。)は他の何々に 求めるべきか。。。これは雪狼さんが一部提示されたように。。。井沢説批 判(否定)とは別次元の問題として論じれば良いことだと思いますです。 Time : 2001/ 4/18(水) 17:50:53
Name : HIRO E-mail : Title : はぁ…。 Comments: パンダさんへ: > A容疑者が真犯人であると主張する説に対しては、その証拠と推理が妥当性を > 欠くものであることを証明すれば、それで批判(否定説)としては充分なので > す。 「いや、これで批判としては十分ではない」といってる人は誰ですか? 私ですか?雪狼さんですか?大阪JF生さんですか?きんたろうさんですか? 皆さんが(そして私も)言っているのはその前半部分、 > 妥当性を欠くものであることを証明すれば、 だって言ってるじゃないですか。そこが結局弱いんだと。 「証明できる」ってのは主観じゃダメなんだって言ってるんですよ。 それに対してコメントをしてくれない武田研究家さんにきんたろうさんは あいそをつかし、大阪JF生さんは怒り(怒ってないのかな?)、雪狼さんは 気付いてないのかと思い、噛み砕いて説明しているのではないですか?? あと、勝手に私もそのように言っているかのような文章を書かれてましたので それだけ修正しておきます。 (普通の読解力のある人なら勘違いしないとは思いますが。) > 「武田信玄、上杉謙信、毛利元就、北条氏康、今川義元――この五人に共通す > るものと言ってもいい。それは、全員、金山(銀山)を持っているということ > なのだ。 > (中略)だから名将の条件には「財力がある」ということがあり、金山を持っ > ている武将が歴史に名を残しているのは、そういう理由がある」 私が言ったのは「鉱山が主ではない」ということであって、上の文章そのものに 間違いを見つけることは出来ません。確かに五人には「金銀鉱山を持っていた。」 という共通点があります。それに名将の条件には「財力がある」ということも、 金山を持っている武将が歴史に名を残している例が多いことも確かです。 雪狼さんがどう思われているかわかりませんが、私は少なくともそんなこと 言ってませんので、今後はそういう場面で引用しないで下さいね。 Time : 2001/ 4/18(水) 19:06:07
Name : パンダ E-mail : Title : 立証すべきは、井沢さんです。。。 Comments: パンダです。HIROさんへ。。。 >>皆さんが(そして私も)言っているのはその前半部分、 >妥当性を欠くものであることを証明すれば、 >>だって言ってるじゃないですか。そこが結局弱いんだと。「証明できる」 >>ってのは主観じゃダメなんだって言ってるんですよ。 井沢さんの根拠である、、、 「武田信玄ですら、その生涯に実力で幹部に抜擢した外様(新規採用組)は 山本勘助だけなのである。」 これが明らかな間違いであることは、客観的に証明されていませんか? これは妥当性のある事実認識とお考えですか? 是非お答え下さい。 私のような無知識な人間は、信玄が実力で幹部に抜擢した新規採用組が、そ の存在すら定かではない「勘助」だけだ。。。と言われると、なるほど信玄 と言うのは信長と全く違って、マルッキリの譜代純血主義だったのだナア〜 と信じ込んでしまいます。 ところが武田研究家さんのご指摘で、真田・香坂・小幡等の例を見れば。。 なあんだ信玄だって新規採用組を結構抜擢してるじゃない。。。信長と信玄 違いと言ったって程度の差に過ぎないじゃあないの。。。「井沢説却下」と なりますよ! 金さん銀さんについて言えば、、、 「名将と呼ばれる・・・一つの共通点・・・それは全員、金山(鉱山)を持 っているということなのだ。・・・だから名将の条件には『財力がある』と いうことがあり、金山を持っている武将が歴史に名を残しているのは、そう いう理由がある。・・・これに対して・・・信長は金山を持っていない・・ 金鉱以外の別の財源を持っていたからである。」 なのですよ。。。正に貴方が指摘されたとおり、毛利元就も(織田信長同様) に)鉱山を持たない状態で名将だったのです。上杉謙信だって鉱山によって 『財力』を持ったわけではないのです。おそらく今川義元だってそうだと思 いますよ。だから「名将の共通点」は、鉱山を持っていると言う井沢さんの 認識には明らかに客観的妥当性が無いのです。 通常戦国の群雄として挙げられるのは。。。 武田信玄、上杉謙信、毛利元就、北条氏康、今川義元。。。朝倉義景、尼子 晴久、大内義隆、長宗我部元親、大友義鎮、竜造寺隆信、島津義久、浅井長 政 等でしょう? 彼等の『財力』と「鉱山」の相関関係を明らかに示されるべきは。。。それ を主張されている井沢さんのほうではないでしょうか? 税金論だってそうですよ、、、 「信玄の民政は何が良かったか?もちろん、年貢(税金)が安かったこと がある」 信玄は治水等に配慮して農業振興、災害防止(民政)に努めた。。。のかも 知れません。しかし彼が他の戦国大名よりも年貢の軽減に努めたとされる根 拠は何なのでしょうか? 勝海舟がそう言っている。。。だけであればお笑い種でしかありません。 郷土の尊敬を集めているのは『減税』とは程遠い西郷だってそうですし、熊 本では「清正公」ですし、茨城では「光圀公」でしょう?。。。井沢さんが 「信玄が『減税』に努めた」と主張されるのであれば、その客観的根拠を示 すべきは井沢さんの責任です。 武田研究家さんに、「信玄が『酷税』を課した」ことを証明せよと言われる のは、立証責任の転嫁だと言わざるを得ません。 武田研究家さん。。。余計な差し出口で、かえってご迷惑だったかも知れま せんが、引き続き信玄についてイロイロとご教示願います。 私のような無知識者には、とても勉強になります。 Time : 2001/ 4/18(水) 23:09:03
Name : 雪狼 E-mail : Title : 噛み砕くのは得意です、オオカミ(噛み)なので・・・ Comments: というつまらん落語はさておき。まずひとつ訂正させていただくと、 私は鉱山の話は関与しておりませんので、念のため。。。。 ただ武田研究家さんの気持ちを汲みとって発言しているのにとどまっています。 ちょっとクールダウンで言葉の遊びを・・・ 「信玄は身内の実力者を重要視し、信長はよそ者の実力者を採用した」 これだと、ただの本人の方針の違いで遜色はないと思います。 程度問題というよりは、思想の問題でなんとも言いがたいですね。 ところが上の文の裏を考えると、 「信玄は身内の実力者を重要視したのは、よそ者にいい人材が少なかったから」 「信長はよそ者の実力者を採用したのは、身内にまともなのがいなかったから(?!)」 とも解釈でき、今度は信長の実力主義の本質にも「?マーク」がつくかもしれない。 Time : 2001/ 4/19(木) 00:08:45
Name : 研究家 E-mail : Title : 荒れ模様 Comments: 根拠が弱い根拠が弱い……聞き飽きた。 史料として明らかであることだけ列挙するから、後は勝手に 解釈してくれ。 1.金山について 謙信が遺した黄金2万7000両の分類が記録されているが、それは 「御利平の金」「所々より参金」「かい金(買い金)」「土蔵在金」である。 つまり、金貸し業務の利益、大名や商人やらからの献上、購入した黄金、 謙信以前からの遺産である。金山から掘り出した分と読めるものは無い。 また武田氏にあっては金山衆に出された書状などから読み取れる限り、 金山衆は民間人と同じ扱いを受けており、信玄に雇われているとは言い難い。 雇われていないなら民間業者だと考えられる。ならば、金は彼等の商品である。 また『甲陽軍鑑』では上洛のための軍資金7000両を集めるために種々の 税金を課した事が記されており、仮に金山を私有していたとしても、それが 大きな収入であったとは考え難い。それ以外にも武田信虎の代には財政難から 棟別銭の徴収を開始した事などが確認されており、金山の収入があったとしても 大きな財源であったとはやはり考え難い。 2.信玄の税率 恵林寺の検地帳によれば軍役を負担しない惣百姓で税率は五割ほどである。 しかしこれに棟別銭や各種の賦役が課されるので、軽いとは言い難い。 少なくとも、江戸時代よりは重い。 3.実力主義 もうこれは解釈論にしかならんので解説省略。 Time : 2001/ 4/19(木) 00:31:16
Name : 研究家 E-mail : Title : これは主観だよ(笑) Comments: 史料云々は置いといて…… 長野業正や真田昌幸はスケールが小さいから名将じゃないってのは なんだか無茶苦茶な事を言っているような…… Time : 2001/ 4/19(木) 00:37:32
Name : age26 E-mail : Title : 議論がかみ合わない理由 Comments: 以前からロムしてる者ですが、それぞれの方の文脈から以下のよう な印象を受けたのですが、違いますか? 違ってたらごめんなさい。 HIROさん&大阪JF生さんの主張:  「信玄の話は信長の偉大さを示すための比喩にすぎないので、ちょっと   した誇張又は嘘(山本勘助の件等)は大目に見ればいいじゃん。」 武田研究家さん&パンダさんの主張:  「たとえ比喩であっても事実認識に誤認があり、そこから結論を導き出   すのはまずいでしょう。」 これではかみ合わないわけです。(笑) Time : 2001/ 4/19(木) 00:43:05
Name : パンダ E-mail : Title : age26さんは正しい。。。 Comments: ほぼ、おっしゃるとおり。。。(笑い) どうせ、井沢流のお話なんだから多少の誇張や嘘は大目に見てチョ! って正直におっしゃるのなら、別の議論になりますが、反論根拠が 薄弱とか議論を歪めるとか。。。尤もらしいことをおっしゃるから、 こうなるんです(笑い) Time : 2001/ 4/19(木) 08:34:31
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 再度、ご一考を Comments:  どうしてかの方がいちいち口出しするのか? 同じグループの方なのでしょうね。 どうでもいいけど、一人で説明できないのですか? やっぱりよくわかりませんね。 (かの方の言い分は無視しております。 小生はあなたに質問・お願いしているのであって、 議論を拒否している方には口出ししてほしくありません。) 雪狼様が再三おっしゃっていますが、 税率が重い軽いはかなり相対的・主観的なものですね。 肥沃な土地があるところと、そうでないところでも差があるでしょう。 甲斐はどうなのでしょう。 比較されていないのでわかりませんが、他の土地との比較(同時代)は どうなのですか? また、当時の生産力から見て後の時代より税率が高いのは 当然のように思いますが、その点いかがなのでしょう? ミミタコでしょうが、研究家様の文章では判定不可能なのです。 おっしゃることを盲信するなら別ですが、それを強要されるのでしょうか? HIRO様がすでにご指摘なので、小生は黙っていましたが、 >私の指摘が正しいのか正しく無いのか、正しく無いのならその根拠を >教えていただければ済むのであって、程度問題として扱うのはそれ以降、 >すわなち、史実を踏まえた上での二次的な議論として行われるものだと >思われるのですが ・・・ >ですが、何事にも裏があり事情があり因果関係があるものであることは >当然の事ですし、私だって認めていることです。 >ただ、講談レベルの虚構で話を進めるなら兎も角、一歩踏みこむには >扱う話の範囲が広すぎて扱え切れていないだけなのです…… は盲信しろ!といっているように聞こえます。 少なくとも自説の結論を主張なさった以上、質問に答えるべきだと思いますが。 どなたかのように、他人の意見を説明せよといっておりませんよ。 ご自身のしかも「武田研究家」と称される得意分野のご意見について 説明することができないのでしょうか? 「裏にはいろいろ事情があるが、説明できない。 しかしわれわれはいろいろ知っているのだから信じなさい。」 では事実上「トンデモ」となんら差異はありません。 講談レベルにも達していないというべきでしょう。 >というわけで、負担に関しては後世の我々が信玄を嫌いになったり恨んだり >するほどの事はないのです。江戸時代だって負担は重かったのですから。 >むしろ負担は重かったけれども、信玄は民政の「安定」のためには尽力した。 >農業も商業も信玄の代に大いに発展した。それもまた事実です。 以前の文章ですが、前半は重くないと読め、後半は重いとなっています。 前半のような解釈なら問題ないと思いますが、同一人物が違った意見を 述べているので、わからなくなり、質問しているだけです。 残念ながら、何一つ解決しておりませんね。 さらに、ご意見を述べたいのならば、 ご自身のお言葉で、一貫したご説明をいただきたいものです。 ご一考のほどを。 Time : 2001/ 4/19(木) 10:00:04
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : age26様へ Comments: はじめまして。ちょっと時間が取れたので、補足。 あなたもグループの一員ですか? おっしゃっていることはもちろん違っています。 (HIRO様はまた別のご意見かもしれません) 武田研究家様の主張:  「たとえ比喩であっても事実認識に誤認があり、そこから結論を導き出   すのはまずいでしょう。」 これはそのようですね。同じグループの方も賛同されていますし。 大阪JF生の主張:  「その事実認識はほんとうに誤認と言い切れるレベルなのか。 また、ネグれるレベルなのか。知りたいので教えてほしい。 (しかし、どうも後者のように読めるので、) さらに、描いておられる特徴や因果関係を明示してほしい」 でも答えていただけないので、何度も質問している。 おそらく、雪狼様はこの点了解されていると思うのですが、 age26様ふくむグループの方は、なぜそうお読みでないのでしょう? これではかみ合わないわけです。(笑) Time : 2001/ 4/19(木) 10:46:17
Name : PAKU E-mail : Title : ちょこっと一言。 Comments: 突然すみません。 パンダさんグループの方たちは歴史的史実をひとつひとつ丁寧に積み上げて 構成していこうしている非常に誠実な方たちのようにかんじます。 丁寧に基礎から家を作ろうとしている職人気質の大工さんに対して 新進気鋭の井沢建築士が「そんなに手間隙かけずに俺のデザインでドーンと 作っちまえ」ってな感じで言ってくるものだから、癇に障っちゃった。 パンダさん達からは職人たちの卓越した技のような知識は良く見えるん だけど、全体としてのデザインであるテーマが見えてこないんです。 その点井沢先生のテーマはわかり易くて面白い。 コクトーのピアノに対してのチェリビダッケの解釈はその対比としては 面白いんだけど、私はやはり小沢のように対比した二つのものを合わせ もった演奏のほうが好きですし完成されてると思います。 なんとか良い職人に裏打ちされた素晴らしいデザインの家を建てることは できないのでしょうか。 Time : 2001/ 4/19(木) 12:20:25
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : PAKU様へ、とりいそぎ Comments:  PAKU様のおっしゃるとおりだと思います。 age26様の記事と小生の記事の差はまさにそこにあるわけです。 対立するものでなく、補い合えるものだと思っています。 議論が一段楽したら、いずれ提案したいと思っています。 Time : 2001/ 4/19(木) 13:07:10
Name : 雪狼 E-mail : Title : いや Comments: >>どうせ、井沢流のお話なんだから多少の誇張や嘘は大目に見てチョ! いや、大阪JF生さんもHIROさんもそんなことはおっしゃっていませんよ。 パンダさん・研究家さんにお願いなのは、質問と反論とを混同しないでということです。 >>雪狼様が再三おっしゃっていますが、 >>税率が重い軽いはかなり相対的・主観的なものですね。 いや、私は言ってないっす(笑) 織田信長は「俺についてこい」というワンマン大将。 秀吉・光秀・一益などはそれを理解するタイプであり、だからこそ出世できました。 佐久間信盛は何をいわれてもわからないから、追放された。 「部下がついていかないのが悪い」これが定説。 武田勝頼がよくいわれるのは、「重臣を無視したのが悪い」。 しかし重臣たちが大将についていかないのが悪いとも言える。 大将に部下がついていくべきだといいたいのか、 大将は部下のいうことを聞くべきだといいたいのか。 Time : 2001/ 4/19(木) 13:13:17
Name : 研究科 E-mail : Title : 時間無いから短く Comments: >パンダさん達からは職人たちの卓越した技のような知識は良く見えるん >だけど、全体としてのデザインであるテーマが見えてこないんです。 >その点井沢先生のテーマはわかり易くて面白い。 そりゃ当然でしょう(苦笑) 話を講談レベルの虚飾に満ち溢れた面白おかしい話題で埋めているのだから。 分かりやすいけど、何の役にも立たない。 物事を比較するのに単純化する技法はなるほど学問の基本ですが、 単純化する段階で外部から嘘の情報を盛り込んだらそれは イカンでしょう。井沢氏がやっているのはそういうことなのです。 >大阪JF生さん 盲信しろなんて言いませんよ。ただ、たまには井沢さん以外の本も 読んだらどうですか? 私が書いた内容はそれほど専門的でない本でも載ってますよ。 私が何言ってもどうせ揚げ足取りにしか見えないんでしょうし。 あと……「農民にとって重い負担だと感じる」のと「数学的な税率」とは 分けて考えれば済む話ですよ。 Time : 2001/ 4/19(木) 13:48:23
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 雪狼様、すみませんでした Comments:  雪狼様、変な書き方で申し訳ありませんでした。 程度問題の方をうまく解説されていたので、 「雪狼様が程度問題で再三述べられたのと同様に」 と書くべきでした。ごめんなさい。 Time : 2001/ 4/19(木) 15:13:53
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 処方その1、取り急ぎ・・・ Comments:  どうしようもありませんね。 全く聞く耳をもっておられないようですね。 小生は井沢先生に影響されてから、 歴史書は幅広く読み始めたところです。 信玄についてはあまり読んでいませんがね。 小生の求める記述は、どんな本にでも書いている様なことですか? ではなぜ答えていただけないのです?だから質問していたのです。 むしろ、今回の点では、井沢先生は逆説的でなく、 常識レベルにとどまっています。 だから問題なのでしょうね・・・。  小生は理系ながら、自然科学も社会科学も同列で論じてきて おりますが、あなたのような実験レポートは大学生でも 指導教授には読んでもらえませんよ。 「データの比較がなってない!」 「データの解釈が不十分」 「論旨がつながらない」 でも最も言われるのは、 「情緒的表現が多すぎる」 ということです。 他人をけなして自分を高く見せようというのは見苦しいだけですね。 本当にちゃんとした話ならば、なにもいわずとも強烈な批判になります。 理系の研究はほとんどそうですし、 雪狼様からも「客観的・史料的にのべられたら?」と 言われていますよ。耳に入らないのですか?  だから、お勧めしたいことのうちのひとつは、 キャラもHNも変えて、客観的な批判のみに絞って この場所に参加されたらどうですか? あなたが物事を客観視できる方なら、さほど難しくはないでしょう。 ご意見が妥当な批判なら、みんなの賛同を得られるだろうし、 弱いところがあれば、他人の意見は利益になるでしょう。 お互いに損はないと思いますが・・・。 時間がないので、別の道は明日にでも・・・・。 Time : 2001/ 4/19(木) 15:30:45
Name : パンダ E-mail : Title : 井沢「建築士」さんに、お願いしたいこと。。。 Comments: パンダです。PAKUさんへ。。。 武田研究家さんはともかく、私には近世史に関する職人技などはありませ ん。。。しかしながらPAKUさんのおっしゃっていることは良く分かります。 おそらく感性(例えば小説)の世界に置いては、分かりやすくて面白けれ ば一つの価値が生じるかも知れません。ですから井沢さんが古代であれ、 近世であれ。。。日本史を題材として、どんなデザインで、どんなテーマ を示されようと。。。おおいに結構だと思います。 しかしいやしくも知性(例えば史学)の世界に置いては、合理的根拠と妥 当な論理なしにデザインやテーマを示すのは、無責任極まりないことです。 井沢さんのデザインでドーンと作るのは良いでしょう。。。しかしチョッ ト風が吹けば屋根が吹き飛び、雨が降れば水浸しになるような建物を作り、 そこに住民を誘導するのはあまりにも危険ですよ。。。もっとしっかりそ の建物の材料や構造をご確認なさっては如何ですか。。。それが住民に対 する「建築士」の責任ではありませんか。。。私が井沢さんに申し上げた いのは以上のことなのです。 もっとも。。。如何に危険であろうが俺はここに住みたいんだ。。。とお っしゃる方に対しては、言うだけ無駄かも知れませんが。。。 それから。。。(PAKUさんにではありません) >>どうしてかの方がいちいち口出しするのか? >>議論を拒否している方には口出ししてほしくありません。 とのことですが。。。ご自分で議論を拒否なさっておいて、その人間には 横レスをするなと言うことでしょうか。。。違いますよね? 武田研究家さんへ。。。 井沢さんは「上杉謙信」も金(銀)山を持っていたとされていますが、長 尾家の領内で『財力』となるような金(銀)山って何処のことなのでしょ うか? もちろん越後も広いので細々とした鉱山はあったかも知れません が、景虎が名将として上杉管領家を継いだ頃に、取り立てて金(銀)山と 言う程のものがあったのでしょうか? お暇があればお教え願います。 なお、井沢さんが「信玄の民政は何が良かったか?もちろん、年貢(税金) が安かったことがある」とされている根拠は。。。どのような「データの 比較」や「データの解釈」によるものでしょうか? 小生が知る限り。。。勝が「信玄が、ただの武将でなかったことは・・・ これは当時民政がよくゆき届いて、人民が心服していた証拠ではないか」 と言ったことしか無いように思うのですが。。。? その他に何か示され ているのでしょうか? これもついでに、お教え下さい。 Time : 2001/ 4/19(木) 17:34:00
Name : とりあたま E-mail : Title : ここって・・・・ Comments: ここは「逆説の日本史」ご愛読者のコーナー ですよね? ・・・「誤愛読者のコーナー」 ではないですよね? Time : 2001/ 4/19(木) 23:57:00
Name : 雪狼 E-mail : Title : 話がすれ違っているのは・・・ Comments: 研究家さんとパンダさんは、井沢氏の書いた記事に対する史実の誤認を指摘。 これは当然すべきことです。パンダさんが述べられることに賛成の立場です。 一方で、大阪JF生さんとHIROさんは、 「どの程度まで井沢氏の言葉が許容範囲か」で質問なさっているんです。 私が唯一関与している「能力主義」の話。 武田の門地主義にしても、やはり武田一門の諸将が重要視されていたのは違いないわけです。 「程度問題」というのは、一門と新参者とで、 どちらが幅を利かせていたか、を質問したのであって、 「武田が能力主義をとらなかった」を主張しているわけじゃないのですよ。 下のほうで「僅かな例を挙げても仕方ない」と発言した方がいますが、 >真田などの新参者抜擢が「僅かな例」かもしれない。 >他にもどのくらいよそから採用しているのでしょうか。 という質問。研究家さん、ここは私の質問ということで、 お時間のある時に答えてくだされば幸いです。 パンダさんはさすがに「白黒」で話されますが(すみませんね、いつもつまらんギャグで)、 世界には青や赤や黄もあり、そして5つの色が混ざり合うことで無限に色合いが出てきます。 そういった部分の話をしたほうが、この板も鮮やかになるし楽しいわけであり。 皆様、「井沢氏が正しいか、正しくないか」ではない次元で会話しませんか? つまり(パンダさんが前に提案なさっていますが)大阪JF生さんとHIROさんには、 研究家さんパンダさんの井沢氏批判とは離れたところで質問なさってみてはいかがかと。 Time : 2001/ 4/20(金) 00:22:58
Name : 武田研究家 E-mail : Title : やれやれ…… Comments: >大坂JF生どの どんなに説明しても飛躍だとしか感じられない人には私が何を言っても無駄です。 あなたが本当に「歴史書」など幅広く読んで勉強しているなら、 何時かは真実が見えてくるでしょう。 >パンダさん >武田研究家さんへ。。。井沢さんは「上杉謙信」も金(銀)山を持っていたとさ >れていますが、長尾家の領内で『財力』となるような金(銀)山って何処のこと >なのでしょうか? もちろん越後も広いので細々とした鉱山はあったかも知れま >せんが、景虎が名将として上杉管領家を継いだ頃に、取り立てて金(銀)山と >言う程のものがあったのでしょうか? お暇があればお教え願います。 秀吉の治世においては「伏見蔵納目録」によれば全国の金の産出量の 6割は佐渡と越後からです。 しかしながら、佐渡金山の中心となる相川金山の本格的な開発は慶長期を 待たねばならず、加えて上杉家が佐渡を領有したのは秀吉が景勝に佐渡仕置を 命じた天正十四年以降であり、佐渡の金山は謙信の所有とは言えません。 すると越後の金山が問題となりますが、有名なのは高根金山と上田銀山でしょう。 しかし高根金山は越後・出羽の国境に近い岩船郡にあり、そこは揚北衆の土地で、 謙信の代まで国人衆が割拠していた上杉家にこれを召し上げる力があったとは 考えられず、「上杉家の金山」と称するのは無理があります。 上田銀山は現在の南魚沼群にありましたが、この地は謙信の府内長尾家とは 対立する勢力である上田長尾家の所領であり、これまた謙信が領有したと 考えるのは無理があります。 単純に越後に金山が存在したからと言ってそれが上杉家の所有であると 考えるのは無理なのであり、その経営で上杉謙信が軍資金を稼いだとするのも また無理な話。やはり肝心なのは北陸道・直江津を押さえて流通を支配した こと、そこから一歩踏み込めば青苧などの特産品の流通を支配できたことが 上杉家の財源であったと考えるべきであると私は考えます。 >なお、井沢さんが「信玄の民政は何が良かったか?もちろん、年貢(税金)が安 >かったことがある」とされている根拠は。。。どのような「データの比較」や >「データの解釈」によるものでしょうか?小生が知る限り。。。勝が「信玄が、 >ただの武将でなかったことは・・・これは当時民政がよくゆき届いて、人民が心 >服していた証拠ではないか」と言ったことしか無いように思うのですが。。。? >その他に何か示されているのでしょうか? これもついでに、お教え下さい。 信長について勝が「信長という男は……租税を軽うし、民力を養い……」と 述べたと引用していますが、信玄については減税に触れてはいませんね。 要は井沢氏が「善政=減税」という公式を勝手に妄想し、信玄が善政を 敷いたならやったことは当然減税だ…ということなのでしょう。 「善政=減税」は経済学としては無知としか言えませんが…… 井沢氏自身はデータを示していませんが、歴史家としては小和田哲男氏 あたりが信玄の税率を「四公六民」だったと主張していますね。その根拠は 不明です。私が『恵林寺検地帳』など確実な史料を見た限りでは税率は 軍役を負担しない惣百姓で五割。 農閑期に軍役を負担する軍役衆で三割。 常時軍役を負担する御家人衆で税は無し。 といった所でした。他家との比較は難しいですが…… Time : 2001/ 4/20(金) 01:25:57
Name : 武田研究家 E-mail : Title : 浪人が幹部まで出世する例はそもそも少ない… Comments: >雪狼どの >>真田などの新参者抜擢が「僅かな例」かもしれない。 >>他にもどのくらいよそから採用しているのでしょうか。 > >という質問。研究家さん、ここは私の質問ということで、 >お時間のある時に答えてくだされば幸いです。 他所から採用しなきゃ実力主義じゃない……と考えた段階で、というか それに乗って意見を書いた段階で、我々は井沢マジックに嵌められている…… とまあ置いといて、 浪人を新規採用となると少ないですよ。有能なら地元で就職すると 思いますし。 有名な武将では真田幸綱、小幡信貞ぐらいでしょう。武田家には「浪人組」が あって常時数百人の浪人が雇われていたみたいですけど、幹部クラスまで 昇ったのはこれぐらいだと思います。 ま、織田家にしてからが「浪人を新規採用して幹部まで昇った例」は 滝川一益かせいぜい羽柴秀吉まで、 明智光秀は足利義昭にくっついて来たんだから 浪人とは言えないような気もしますが。 Time : 2001/ 4/20(金) 01:38:53
Name : age26 E-mail : Title : 大阪JF生さんへ Comments: はじめまして。 > おっしゃっていることはもちろん違っています。 > (HIRO様はまた別のご意見かもしれません) 了解しました。 どちらかといえば井沢氏の歴史ミステリーが好きな私は、逆説の日本史も小説を 読むような感覚で読んでいるので、「多少の誇張や嘘は大目に見ればいい。」と 思ってるんです。(笑) だから、ひょっとして大阪JF生さんも私と同じかと思い質問してみました。 失礼しました。 ところで、私みたいな考えを持ってる方ってこの掲示板にはいないんですかね〜。(笑) > あなたもグループの一員ですか? 違います。 その様に思われるとパンダさんグループの方々にとってもご迷惑でしょうから、 これだけははっきりと否定しておきます。 Time : 2001/ 4/20(金) 01:39:21
Name : とりあたま E-mail : Title : 井沢先生だって人の子ですよ Comments: あの〜、皆さん、もっと冷静に・・・・ 井沢先生は神様じゃないですから・・・・人間ですよ。生身の。 そりゃ〜間違える事だってあるんですから。完璧な人間なんていませんよお〜。 第一、徳川綱吉のことでは、ちゃんと自己批判(死語!)していますよお〜。 (隣国の主席なんかはどうなるんでしょ?「完璧な人間」の命令で、数百万/ 数千万の人命が消されたんですから。おっと今も、いやそれ以上に) 第一、井沢先生だって、何回もだまされているんですからねえ〜。 フィクション大魔王(五島勉)、小林惠子、小室直樹、ETC・・・ これだけの詐欺師にだまされる伊沢先生って、善人なんでしょうか? (それを承知であえてお付き合いしてるならば、伊沢先生を「根本敬」 とよばせていただきますが♪) 「だますなら、素敵にだまして♪(from悪徳商法?マニアックス)」 皆さん、大人なんですから、お願いですから大人らしい対応なさってえ〜! Time : 2001/ 4/20(金) 01:57:14
Name : ppp E-mail : Title : 武田研究家さん並びにパンダさん Comments: 久しぶりに覗いてみたらミョウチクリンな騒ぎになっているようでびっくりしました。なんだかよくわからない ヒトにしつこくケンカを売られてお気の毒ですが、あなた方のような方がいてこそ「とんでも歴史家」のとんで もぶりが立証されるわけですね。報酬があるわけでもないのに、本当に貴重な行いをなさっていると思います。 私は歴史の専門家でも研究者でもありませんから個々の歴史解釈、歴史認識には言を持ちえませんが、だからこ そここでの「討論」が公平に見られるとも言えますね。(と言っても「討論」にすらなっていないようですが。) 大阪JF生さん、大学教授うんぬんの記述がありましたので、一大学教員としてはっきり言わせていただきますが、 ご両人のおっしゃっていることは論拠もしっかりしているし、論理展開もわかりやすく、明解で反論としてしっ かりと成り立っているものです。パンダさんの文章をよく読んでください。反証、反論というものがどういうも のかこれも非常に分かりやすく説明されています。「討論の直接の相手以外の意見は聞き入れない」という姿勢 では話にも何もなりませんよ。(特にこのような場において) 大阪JF生さんやHIROさんが無理に反発しようとすればするほど「井沢支持者」ひいては井沢元彦氏の著作物の信 頼性、信憑性がなくなっていくように思えるのは私だけなのでしょうか。 Time : 2001/ 4/20(金) 04:26:52
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : PPP様へ Comments:  ppp様、はじめましで。 大学の教授をなさっている方ですね。 小生は理系といえども本来実験系ではないので、 初歩的なレベルのデータクリティークしか 存じていませんが、その基準でものを言ったにすぎませんよ。 この程度はどこでもやっていることです。 したがって率直に「学部レベル」といえるわけです。 それは社会科学でも全く同じだと想像しています。 ところでPPP様の分野では、あのような情緒的表現は 日常茶飯事なのでしょうか。その点が主張の主体なのですが・・・。 小生が言うことは耳に入らなくてもいいですが、 レフェリーを買って出られている雪狼様の言葉を よくお聞きになれば、小生たちを誤解されていることが よくお分かりのはずです。 小生は上記の基準で質問をしただけであって、まともに答えず、 「何を言っても飛躍!」と拒否されているに過ぎないのですよ。 age26様に、全く同じことを申し上げ、理解していただいただけに 残念ですね。  ただし、今回研究家様がかの方と議論されている分については、 全く問題ありませんし、まともな議論だと思いますよ。 小生が望んでいるのはこういう議論なのですよ。 それに反対なされるわけですか??? Time : 2001/ 4/20(金) 09:51:25
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : すこし長めのフィクションです。 Comments: 何度言っても誤解されるし、とりあたま様のお言葉もいただいたし、 ちょっと気楽な感じのよみものにしました。 (ちょっと長くて恐縮ですが・・・) ---------------------------------------------- ある心象風景 I館にて --- 春の部  ある春の日の夕方、上京した笠男は先輩の英雄に連れられ、 うまさと安さで評判の肉料理を出すというI館に行った。 うわさにたがわず、安くてうまい料理だった。 「英雄さん、さすがにうまいッスね。最高級といわずとも、  ちょっと有名なレストランなら行ったこともありますが、高ェだけで  評判倒れがほとんどッスからね。さすが英雄さんッス。」 「そうだろ、ここは賞楽館系列でも安くてうまい店と評判だ!」 しかし冷ややかにこちらを見ていた、いかにもグルメっぽい人物がいた。 「英雄さん、ここに不釣合いの人ですね。あ、目があっちまった。」 「おまえたち、これが本当の肉料理と思っているのかね?」 「はあ・・・。」 「とんでもない。これは詐欺だ!こんなのは本来の肉の味ではない!」 「英雄さん、ここでこんな悪口を大声で言って大丈夫ッスかね。  そんな要求もここにはそぐわないと思うッス」 「ここは合理化が行き届いていて用心棒などは廃止しているからねェ。」 その後もぶつぶつ言っているので、ある品のよい紳士はたまらず店を出た。 「あのう、僕らは結構おいしいと思うのですが…。」 「だから素人は困る。この切り口をみたまえ。本来のいい肉はここを  見ればわかる。○○産××種2001年モノなら、こういう切り口なのだ!」 「そんなこといわれてもねェ英雄さん、そんなもの見たこともないッスよ。」 「それなら、そんないい肉を使った料理は、どこに行けば味わえます?」 「そうさな、青井の本正あたりかな・・それからええと・・・」 それを聞いていた出入り業者のいなせなお兄さんが付け加えた。 「わが大神精肉店は、風鈴の高昌にもその肉は搬入した覚えがありやすぜ」 「ああそうだったな。そこも有名じゃ。あとは有名なところは知らんな…。」 ・・・  しかし残念なことに、どちらの店も閉まっていた。すぐに開きそうもない。 「英雄さん、高い割に評判倒れでつぶれてしもうたんちゃうやろか?」 「いやいや期間限定かも知れない、とりあえず別の店でも思い出してもらおうぜ」 ・・・ 「そうか、それは残念だ。日本では数少ない本当の店だったのだがな。」 「そんなこと言うて、まずくてつぶれたん違うんッスか?」 「何を言う、無礼者め! かの有名な店を知らない方がおかしい!」 「そんなことおっしゃっても、我々には味の確かめようが・・。」 「そうッスよね英雄さん、やっぱり実際に食べてうまくなくっちゃ。」 「大神精肉店は調理は出来ませんが、いい肉ならいつでもそろえてみせますぜ」 「それなら、いちど料理してくれませんか? 先生!」 「いやわしは調理はせん! 心当たりの友人に頼まねばなるまい。」 しかしその友人は、期待はずれで料理が実は下手だった。 「英雄さん、どちらかといえばまずいッスよ。これ。」 「うーむ、うまいとは言えないな。」 「こんなものではないぞ! 本当は誰が味わっても違いが歴然じゃ!」 「そんなこと言われても、こちらも高い金を払ったのですし…」 「今度は料理のできるやつを連れてくるわい!」 「できれば肉の調達はそちらでお願いします」 しかしそれ以降、まだ約束は果たされないままである…。 肩透かしを食わされた笠男は怒っているが、もともとすべて 英雄のおごりで、その後もI館でおごってもらった。 満腹になって「まあうまけりゃいいか・・」笠男は即物的な俗物であった。 「でも、I館のシェフなら最高級の素材を与えられたらもっとうまい料理に  するんじゃないッスか、英雄さん。有名店の味よりもずっと・・・」 「そうなんだ、それを頼んだんだが、拒否されちゃってね。」 うまいものが食いたいだけの笠雄は残念に思った・・・。 Time : 2001/ 4/20(金) 10:06:05
Name : 雪狼 E-mail : Title : あれこれ Comments: 研究家さん> れすありがとうございました。 >他所から採用しなきゃ実力主義じゃない……と考えた段階で、というか >それに乗って意見を書いた段階で、我々は井沢マジックに嵌められている…… 私もそのように思います。まして身内に有能な実力者がいた武田ですから、 これはこれで実力主義であることを我々は認めなければなりませんね。 例えば武田勝頼、最期を迎える前の軍議で、 小山田か真田か、どちらの意見を採用するというところで悩んでいましたね。 後世からすれば真田が名将、小山田は裏切り者ですから、 小山田の意見に従うのは「あほかいな」といわれそうですけど、 当時の武田家内部への影響力動員能力を考えると、小山田のほうが「実力者」に違いない。 今から当時を裁くのは正しくないというのが井沢氏の意見ですから、(その姿勢をくずさんでほしい) われわれも歴史の結果から逆算した話はしないようにしたいところです。 減税と善政についての因果関係もおもしろく読ませていただきました。 ありがとうございます。 pppさん> HIROさん大阪JF生さんは「反発している」のではないですよ。 それにお二人とも「井沢信者」(?)ではないと思われます。 資料の正確さにおいて、武田研究家さんの考察がしっかりしているのは明らかですが、 パンダさんや私に答えてくれたような文を、大阪JF生さんはお求めだったのです。 研究家さんから納得いくお答えをいただいたので、 論が飛躍しているとかなんとかの話はここらで打ちきり、としませんか? Time : 2001/ 4/20(金) 10:25:45
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : PPPさ様、すみません訂正です。 Comments:  ppp様、訂正です。 最後に言ったことも半分訂正です。 せっかくよくなりかけた議論、 後半破綻していました。 よかったのは前半のやり取りのみです。 Time : 2001/ 4/20(金) 10:27:52
Name : 志田糺 E-mail : Title : ちょこっと一言 Comments: PAKUさんのお話、面白いですね。 グループKさんの面々も、その他の人々も、歴史に興味があっても知識のない 我々には相当の刺激を与えてくれます。さりとて、検証せよといわれても無理です。楽しく、読ませていただくのみということで。 PAKUさんの例証に加えて一言、私からの例証。 アメリカのソフトウェアはバグだらけ、日本人は一生懸命、それを修正します。 日本のユーザーはアメリカのソフトは素晴らしいと思い、それだけを買い求める。 デザインと職人とは裏表ですが、これは現代的な建築。 それでも、職人が集るだけで、家がたち、デザイン・職人分業も家がたつ。 どちらが良いか言えませんが、この対立は人の宿命のようです。 アリはあのように精巧なアリ塚を作りますが、アリ塚以外は作れない。 人って、アリ塚壊すのが好きではありません。 もちろん、アリまで壊す人も多いですが、私の主義ではない。 学者というか日本人が現在、物が作れなくなったのは本当でしょうか。 もちろん、世界に比較してですが、数学や言語や、 日本人はいろいろな物を真似ると同じく、作ってきたと思いますが。 万世一系も作文ですが、逆説の日本史も作文。 どちらが、日本の将来を決めるのに有効でしょうか。それは知りたい。 逆説の日本史はわかりやすい、だから批判もしやすい。 万世一系は難しい、だから批判が難しい。 歴史三段論法は史実が命、さりとて、史実の検証の方が大切で難しい。 歴史グランドデザインは絵姿が命、さりとて、翼賛的な補完がないと完成しない。 私は後者を選びますが、そのためには前者は相当な武器です。 まだまだ、フレームは壊れていないので、頑張ってください。井沢さん。 というのが私の信条。気持ちとしては素晴らしいい歴史グランドデザインを 井沢さんに続いて、誰か書いて欲しい。もちろん、あったら教えて欲しい。 Time : 2001/ 4/20(金) 10:38:19
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 雪狼様、 Comments:  いろいろご尽力いただきありがとうございます。 たしかに、すこしながらも改善の兆しが見えてきたので、 うれしい限りです。 雪狼様とのやり取りはよかったですね。 また小和田氏の説もとり上げ、それと比較しつつ自説を 述べられた部分、根拠がほしいところですが、 納得できないことはありません。 研究家様が情緒的表現さえ止めていただければ、ご提案に 沿いたいと存じます。 Time : 2001/ 4/20(金) 10:55:07
Name : 雪狼 E-mail : Title : 「門地」と「能力」は対立するものではない Comments: 「信玄は身内の実力者を重要視し、信長はよそ者の実力者を採用した」 これはなんら遜色のない実力主義で、思想あるいは家の方針の問題でしょう。 門地と能力は反対のものではなく、次元の違うものであることはだれでもわかりますね。 ですから、「門地」と「能力」を見た上での採用の形としては、次のようなパターンがあります。 <能力主義の例> 1.身内・地元の能力あるものを採用。 2.身内よりも外部に能力のあるものを求める。 <門地主義の例> 3.身内ならだれでも採用。能力を問わず。よそ者は入れず。 4.よそ者は能力があっても出世できない。 能力主義でもめていたのは、井沢氏の書き方が「武田=4」であるとしているからです。 しかし研究家さんの発言からは、「武田=1」であることがわかります。 そして「よそ者であっても能力があれば可。」(真田など)もあるのですから、 信玄の能力主義には問題ないと思われます。 もしどうしても「信玄の門地主義・非能力主義」を井沢さんが主張するのでしたら、 「地元から採用枠が多いから」を理由にするのではなく、 よそ者の実力者が斥けられた例を挙げることが求められます。 信長が2であることに異論はないのですが、 信長だって使えない?息子どもを排斥してまでよそ者に任せるほどでもないのだから、 井沢さんの極論がここでの議論にまで焦点をボケさせる結果になったのではないか。 Time : 2001/ 4/20(金) 11:53:41
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 雪狼様へ Comments:  ちょっとの合間に一言。  面白い分析・まともな議論でうれしいですね。 と同時に、すれ違いの理由がよくわかりました。 小生は、雪狼様の2を重視していたのでした。 井沢先生の話もそうだと思っていました。 だから信長の方にダイナミズムがうまれたという説明は 自然だと思っていました。  でも、通常のイメージとして2と4で少々2が強い のではないのでしょうか? 以前梅雪が警戒していたとおっしゃっていましたが、 それは採用時でしょうか?もっと後でしょうか? 信長の方は、採用時には比較的ゆるかったように思いますが、 どうなのでしょうか? つまり、以前にも述べましたが、今回は井沢先生が常識的過ぎたから、 あまりうまくなかったので、「極論」でなく「常識」の方が 悪かったのではないでしょうか? それに反して、研究家様のご意見のほうが逆説的だった。 (不勉強ゆえ、初耳のことが多かった。) そう感じるのですが、おかしなイメージでしょうか?  たくさん質問しておきながら、また週明けまで留守にします。 どうもすみません。 また、フィクションのご感想・ご批判もお願いします。 (ちょっと補足:最後に拒否されたのはシェフでなく先生からです。) Time : 2001/ 4/20(金) 15:28:29
Name : 八直屋 E-mail : gr6m-kwnb@asahi-net.or.jp Title : ppp さんへ Comments: ppp さん wrote:(改行済) > 私は歴史の専門家でも研究者でもありませんから > 個々の歴史解釈、歴史認識には言を持ちえませんが、 > だからこそここでの「討論」が公平に見られるとも言えますね。 私には ppp さんは一大学教員ではなく「煽り」に見えます。 念の為に言うと「pppさんが大学教員とは信じられない」と いう意味ではなく、「大学で教鞭を取っているような知的な 人の書いた文章とは思えない」という意味です。  ついでに言えば pppさんの文章は品が無いだけでなく、 やたら横に伸びてて非常に読みにくいので適当な改行を 入れてくれないかな。 初投稿じゃないんでしょ? それでは。 Time : 2001/ 4/20(金) 21:53:26
Name : とりあたま E-mail : Title : ちょっと一休み Comments: なにやらまた荒れ模様。 私には何でこんなに荒れるのか・・・・と思うんですが。 それはさておき、図書館の検索機で「武田信玄」と入力したところ、 あることあること・・・・。 さて、そんななかで「面白い」と思える本が何冊かありましたので。 紹介がてらに・・・・ @笹本正治著「戦国大名の日常 信虎・信玄・勝頼」 講談社選書メチエ184 A鈴木眞哉著「天下人の条件」 洋泉社 B加来耕三著「武田信玄と無敵軍団」 講談社 特に@とAは内容がとても濃いです。 他にも面白い本があるのですが、手元にないので・・・・ 「これは!」と思う本がありましたら、また書きこみます。 ではまた・・・・ Time : 2001/ 4/20(金) 22:31:49
Name : 武田研究家 E-mail : Title : まったくもって申し訳ない…… Comments: >大坂JF生さま 非道いことを書いてしまい、申し訳ない……その責を負い、本日この時をもって、 私こと『武田研究家』はこの掲示板より姿を消そうと存ずる。 それでは、失礼いたした。 Time : 2001/ 4/21(土) 00:00:00
Name : 雪狼 E-mail : Title : 能力主義=2の考察 Comments: 大阪JF生さん、こんにちは。 イメージとしては、どうしても外部からでも採用する形を能力主義というのですね。 これは武田研究家さんがおっしゃったように、就職を考えるなら地元に、が多いため、 武田の場合、甲斐の国の中から人材が集まったためでしょう。 対する織田は、東海道の尾張という土地柄、鎌倉と京都を通過していく人々が集まります。  (山岳に囲まれた甲斐は守りに適しているものの、  保守的で他者を受け入れにくい環境を作るのかもしれません。) そのため信長のもとには何か一つのものにしがみつく発想のものではなく、 流動的でソフトな考え方が生れてきたのではないでしょうか。 私が何度かここで述べた、国替えの話はこれにつながってくるものです。 なお、新参の家臣を採用したときに譜代家臣が警戒し、または嫉妬するのは、 どこの世界でも同じではないでしょうか。 信長にしても、秀吉や光秀が出世していくと、 柴田・佐々・佐久間といった武将たちはおもしろくなかったようですね。 丹羽や前田のように彼らを理解する重臣がいてこそ、 新参者でも活躍できる場を得られたのだと思います。 しかし私は織田信長の専門ではないため、 書いていることは穴だらけだと専門の方から笑われるかもしれません?! Time : 2001/ 4/21(土) 00:39:47
Name : パンダ E-mail : Title : 武田研究家さん、ありがとうございました。。。 Comments: パンダです。武田研究家さんへ。。。いろいろとありがとうございました。 (今後もROMされますか?) 今回の質問。。。上杉謙信と金(銀)鉱山の関係についても、詳細かつ具 体的な解説を頂き、お陰で良く分かりました。 私はこの時代については、高校生並みの知識しかありませんが、それでも 井沢さんが主張されている謙信の「財力」と金山の関係については、その 根拠が理解できませんでした。 ご解説は状況証拠として充分理解できるものであり、要するに謙信の「財 力」と金山保有とを結びつけるべき根拠は、何も無いと言うことが理解出 来ました。(素人が陥りやすい、アナクロリズムでしょう。。。) 従って、井沢さんの以下のご意見。。。 「戦国武将の中で。名将と呼ばれる人物には、実は一つ共通点があるのだ が、おわかりだろうか? 武田信玄、上杉謙信、毛利元就、北条氏康、今川 義元――この五人に共通するものと言ってもいい。それは、全員、金山( 銀山)を持っているということなのだ。名将の条件とは、戦争に強いこと、 と答える人が多い。確かに間違いではないのだが・・・長野業政や真田昌 幸は戦争に強い武将と呼ばれても、名将とは呼ばれない。やはりスケール が小さいのである・・・だから名将の条件には「財力がある」ということ があり、金山を持っている武将が歴史に名を残しているのは、そういう理 由がある」 おそらく義元についても同様ではないかと想像しますが、この五人共通と いう例示のうち。。。毛利元就・上杉謙信が名将=金山保有とされる共通 条件から除外されれば、この意見の評価は自ずから明らかだと思いました。 それと「名将」についてですが。。。私の語感からすれば「名将とは軍事 能力の極めて高い指揮官(武将)」で充分だと思います。 井沢さんが「名将」とされた「信長、信玄、謙信、元就、氏康、義元」は、 軍事指揮官(武将)であると同時に領国統治者(戦国大名)であり、この 両面を兼ね備えた人達を「戦国期の名将」条件としておられるようですね。 しかし孫子、呉子、李瞬臣、霍去病、韓信をはじめとする歴史に名を残し た「名将」は、その軍事能力によって「名将」とされているのであって、 このような領国統治能力は問題とされていません。 私は長野業政や真田昌幸(真田幸村も)は、戦国期であったとしても、そ の軍事能力によって「名将」と呼ばれ得るし現実に呼ばれていると思いま す。こういった独善的(恣意的)な概念定義は、避けて頂きたいものです。 それから。。。分かり易く面白い(私はそう思いませんが、多分視聴率が 高いのだから世間ではそう思われているのでしょう。。。)時事解説なら ば久米宏さんですね。。。私などはかれは単なるエンターテイナーであっ て、時事解説者としては全く評価出来ないと思っていますがね(笑い) 彼の「肉料理」をお好みになるのは、もちろん趣味嗜好の問題ですから、 ご自由ですが。。。これが健康に良いかどうかは知りません。 Time : 2001/ 4/21(土) 12:16:39
Name : PAKU E-mail : Title : なんといいますか Comments: 私の言っている事が、 >その点井沢先生のテーマはわかり易くて面白い。 ここだけに曲解されてるように思えてならないのでちょこっともう一言。 マルクス主義歴史観よりもっとましなテーゼを出していてだけませんかね。 あの家は「見栄」というシロアリに柱をぼろぼろにされて今はもう 重要文化財になってしまいそうなので。 Time : 2001/ 4/21(土) 23:31:18
Name : 残留思念 E-mail : Title : それはあなた個人の問題です。 Comments: >PAKUさま >マルクス主義歴史観よりもっとましなテーゼを出していてだけませんかね。 「歴史観」の如く「観」と言った時点でそれは既にイデオロギーの範疇ですね。 言うなれば「井沢式逆説史観」であるとか近頃流行りの「網野史観」のような。 物事を単純化・抽象化して分かり易くするのもいいですが、 あるがままの広大な歴史の宇宙を気の向くままに探索するのも面白いものですよ。 たかだか一個人の頭脳で複雑に絡み合った過去の事象を公式化することなど 所詮は不可能なのですから…… Time : 2001/ 4/21(土) 23:59:34
Name : パンダ E-mail : Title : 史観。。。 Comments: パンダです。PAKUさんへ。。。 史観ですか。。。ユダヤ教史観、キリスト教史観、イスラム史観、中華史観 、唯物史観、皇国史観、怨霊史観(?) etc このような「史観」が、どれだけ歴史科学を歪めてきたことでしょう。。。 本当にこのような「史観」が必要なのでしょうか? 「史観」なき歴史科学は科学にあらず。。。むかし懐かしいマルキストが 一つ覚えのように繰り返していたことを思い出します。 Time : 2001/ 4/22(日) 00:22:53
Name : 秋山 彩香(あやか) E-mail : ZAN23647@nifty.com Title : ブッダさんへ Comments: 1)枕詞は被枕詞の気がして仕方がないのですが・・・。 全てとは言いませんが、大勢はそうでしょう。 例えば「足日木の」=「山」は、「足らし日木(彦)の」=【山(皇統)】の【寓喩】が存在するようです。 {「木」は「き」と「木の葉」の「こ」に入れ替わる発音があります。} 2)柿本人麻呂について、百済系の海女族で政治批判をしたために葬られた人物で、 山部赤彦と同一人物ではないか と思うのですが・・・。 『万葉集』と『古今和歌集』(仮名&真名)序とを読み解けば、「山柿の門」=いずれも筆名の【人麻呂&赤人】であ り、「君臣合体」=【憶良(借名の聖武天皇=君子・くんし)&臣下・人麻呂(&赤人)】になります。憶良歌の「 【勝】れる【宝】(巻五・八○七)」は、聖武天皇に関連(大仏殿開眼など)する天平【勝宝】=折込歌であり、次の 家持歌は共通する語句=【降る雪の】を持つ、光明皇后との冬相聞になっています。  新しき年の初めの初春の今日【降る雪の】いやしけ吉事  最終歌    藤皇后(光明子)、(聖武)天皇に奉る御歌一首(巻八・一六六二)  我が背子と二人見ませば幾ばくかこの【降る雪の】嬉しくあらまし 『万葉集』の家持は、大伴宿禰家持本人では無く、借名の聖武天皇です。 ですから、聖武天皇没の759年(の最終歌)が最後で、これ以降『万葉集』に一首も詠んでいない家持本人の歌はありません。  有名な「陸奥の国に金を出だす詔書を賀く歌(巻十八・四一一八)一首」の十句目に「君【太上天皇・宮子(巻二・ 巻頭歌の磐姫皇后)】の御代御代」が、四十三句目に「 朕御世【聖武天皇】尓(白文)」があります。  大伴宿禰旅人の歌(巻三・三一五)の「万代尓不改将有」にしたって、聖武天皇の宣命「かけまくも畏き淡海大津宮 御宇倭根子天皇(天智天皇)の万世尓不改常典と立て賜ひ敷き賜へる法の随に〜」を踏まえたものです。『万葉集』の 大伴旅人もまた「借名の聖武天皇」です。 即ち、『万葉集』の「集」は、中国・六朝詩{四六駢儷(べんれい)体=対句}の影響を強く受けた「個人集」の意味 であり、『万葉集』は『聖武天皇の個人集(自叙伝・一代記)』にもなっています。 3)中臣鎌足百済系の渡来人だったために大織冠?  鎌足【舒明】は、孝徳天皇【天武の兄】を裏切って、天智天皇(日本国&新羅)側に寝返っています。 唐の援軍に依り「白村江(はくすきのえ)の戦い」で勝利した天智系は鎌足の功を労い、「大織冠」を授けられたのです。 その鎌足【丹羅・巨勢氏】も天智同様、孝徳の皇太弟・天武に依って殺されています。  その天武が大津皇子の父・大友皇子(弘文)を「壬申の乱」で、母・大田皇女を毒殺(李 寧煕(イ ヨンヒ)説を支持) したゆえに、大津【聖徳太子】皇子は天武【崇峻】を弑逆し、高松塚古墳に移葬しています。  天武弑逆を同時代に書けなかったゆえに、時代を遡らせて、「聖徳太子の崇峻弑逆」としたのです。  ここでは内容まで触れませんが、『万葉と海彼』中西進著 角川書店に「引喩としての典故」として、「大津皇子 【諡号は聖徳太子】の真情」が描かれています。それを読むと、謀反ではなく、あくまでも敵討ちです。 4)天武が新羅系なら蘇我氏との兼ね合いをどうお考えになりますか?  天武は新羅系ではありません。隋や唐に徹頭徹尾逆らった、高麗王の泉・蓋蘇文(せん・がいそぶん=いり・かすみ。 小林惠子説を支持)です。  蘇我氏は阿蘇我(アショカ)仏教女王国の大王(女王)家であり、隋や唐に朝貢していましたが、同時に百済(巨勢・ 中臣氏)王家や高麗(物部・天武)王家や新羅(天智)王家のそれぞれの自治は認めながら、軍事的に緩く纏めていた 一段上の大王家でした。 【いわゆる、邪馬台(やまと)国(連邦)=豊国(首長国)=九州王朝が四国を経由し、畿内へ東遷し、大倭(やまと)国。】 孝徳{や大海人皇子(天武)}に依る、蘇我大王家簒奪【大化(大国化)改新】に憤りを感じた天智【新羅王武烈】は 「白村江の戦い」で勝利し、「本来は蘇我大王家の中皇命(なかつ すめらみこと)たる額田王(巻一・一六)=大田皇女」 から実権を奪い、(大倭国蘇我大王家から見れば、摂政太政大臣の)大友皇子(弘文天皇)が君臨&治世【天智系は基本的 に男帝君臨&治世】したのです。 【※ 大倭国=大国(『隋書』には「イ妥 国」と表記)+倭国。『万葉集』に、639年に合併建国(都は四国の松山、と在り)】 【寓喩】は立派な文学表現です。 僭越ではありますが、それが理解出来ない人には百回話しても 「馬の耳に念仏」「猫に小判」と私には思われます。 我が国の当時の(裏=真の)古代史が『万葉集』に【寓喩】を以て 書かれているのですから、【寓喩】が理解出来なければ、 私にもどうしようもありません。 【寓喩】とは何か?を自分で勉強して頂く以外に。 我が国の歴史を、聖武天皇がそのような記載方法を採用したのですから……。 他の名だたる歌人&俳人&文学者達と同様に私も【寓喩】を発見し、史実を手に入れただけの話です。 コペルニクスやガリレオ等の「地動説」同様、『万葉集』の【寓喩】は裁判官や大衆に直ぐに理解出来る性質のものではないのでしょうか? ともあれ、私は「聖徳太子【大津皇子】の正体は聖武天皇、の発見者」です。 私の HP 真の『万葉集』は200有余ページの記述です。 ここには到底全てを書けませんので、  http://homepage1.nifty.com/shoumu/ へのお越しを呼びかけて置きます。 Time : 2001/ 4/22(日) 02:58:26
Name : 秋山 彩香(あやか) E-mail : ZAN23647@nifty.com Title : なかのさんへ Comments: 秋山 彩香(あやか)さま> はじめまして。  初めまして、宜しく。m(_ _)m パソコンの絶不調ゆえに繋げず、回答が遅れて済みません。 お詫び申し上げます。 取りあえず、やっと復活出来ました。原因はモデムの故障との事。 @全体的に「語呂合わせ」的ですが、それを裏付けるとまでは言わないものの、  それを匂わせる程度でも結構ですので、  「語呂合わせ」的でない史料・物証等があれば提示して頂きたいと思います。 僭越ですが、貴方が古典文学(とりわけ『万葉集』)の【寓喩】を学び、理解する以外にありません。 『万葉集』の【寓喩】が名だたる古典文学に共通している事が解りさえすれば、謎は解明出来ます。 私の HP 真の『万葉集』には【寓喩】も一通り提示してあります。 【寓喩】が存在すると思うか、思わないかは貴方の感性次第です。 思われなければ、何を話しても無駄でしょう。 例えば、「神や仏」と同一視するのは極論にしても……。     真の『万葉集』  http://homepage1.nifty.com/shoumu/ A国語学者の大野晋先生が、古代の仮名遣いで母音が重なることは殆どなく、  (例えば現代語の「青い(aoi)」→「あをき(awoki)」など)  また母音から始まる言葉も殆ど無いとしており、  「邪馬臺」や「臺与」の「臺」字が「壱」であるという説について  否定的見解をしております。これについてお願いします。 私見は、『魏志倭人伝(通称)』に記載は「★邪馬壹(いち)国(連邦)」。 卑弥呼【当初は男王】→共立された女王・壹与(→伊予)、です。 また『万葉集』の豊国【九州王朝】が東遷して畿内へ=「●邪馬台(やまと)国(連邦)の首長国」です。 邪馬人(やまと)に依る、邪馬台(やまと)国→大倭(やまと)国→大和(やまと)朝廷へと。 邪馬壹(いち)国(連邦)・壹与(→伊予)から邪馬台(やまと)国(連邦)・台与(→豊)へ。 その「天の岩戸」の鏡山(『万葉集』巻三・四二○〜二)= 福岡県田川郡(京都郡の西隣)香春町の香春(かわら)岳。 >ちょうど「天智・天武非兄弟説」を別の角度から >提示された方がおられるようなので、 >可能性だけでのことですが、少し話を戻します。 >「天智=紂王」説が成立するには、讖緯説とは別に、「天智」「天武」>の諡号が「天武=周の武王」という見方がなされていたとする時期に >成立していなくてはなりません。  成立は奈良時代後半(760年代以降か)と思われますが、平安時代に入って、 『日本書紀』や『万葉集』等と同様に、見直しや変更(例えば、柏原→桓武)が有ったと思われます。  【私見】は、『日本書紀』、『古事記』、『懐風藻』、『万葉集』の作者(詠者や記載者)及び主たる編纂者は【(行基→)聖武天皇】です。 いずれも中国の典故を下敷きにしています。 『記・紀・藻・集』の四書纏めて文学的解明(謎解き)をしなければ真実は見えないように作られているようです。  その四書の中での私の解明部分は『万葉集』です。 『万葉集』は表裏一体の二重構造を持つ、(表)は歌集、(裏)は史書、になっています。 真の『万葉集』は「大倭国・蘇我大王家【聖武天皇】の勅撰史書(巻五・八○九の左注に 「撰定」と在り)になっています。また正式文書の「御宇」を使用。 ☆『日本書紀』は「神武天皇【大津皇子】」を開祖とする「万世一系」を建前に編纂された{(表)国内&唐}向けの正史のようです。 神武天皇{神日本(やまと)☆磐余彦『書紀』=神倭(やまと)★磐余彦『古事記』}は『万葉集』の以下の歌から、「大津皇子を投影」しています。   大津皇子、死を被りし時に、★磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌 百伝ふ★磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ (巻三・四一九) 大津皇子【人麻呂】の真の両親は、父・大友皇子(弘文天皇)、母・大田皇女【額田王(大倭国・蘇我大王家の中皇命)】と併せて考えれば、 おのずからそうなるように仕組まれています。 結果的に、『書紀』は日本国(春)天智{隼人(ハイト)・突厥(トルコ人)}系の正史です。 「万世一系」を建前にしていますので、改竄は最も多い。 ★『古事記』はその(春)天智系の上に君臨する(秋)大倭国・蘇我大王(女王)家{邪馬人(やまと)・胡人(ペルシャ人)}の勅撰史書ですが、 『書紀』後に編纂されています。 もの憶(おぼ)えの良い【憶良】=稗田阿礼は筆名の、筆録者・太安万侶は借名の、【聖武天皇】です。 「偽書」と言われる由縁がここにあります。 聖徳太子【聖武天皇】の『三経義疏(法華経・唯摩経・勝鬘経)』も、です。 勝鬘(しょうまん)経は「沙弥・勝満(しょうまん)=聖武天皇」作なのですから。 天平【勝宝】成立の『懐風藻』や『万葉集(巻十五までか)』も大倭国・蘇我大王家に属しています。 >そこで持統ですが・・、 >倉山田石川麻呂の粛清直後に持統の母は亡くなっています。 >当時、持統は4歳か5歳ですが、幼い時に実母と外祖父を、 >実の父によって事実上殺されたようなものです。 >持統が天武の正夫人(後に皇后)となったのは >明らかに天智の娘であったからですが、  持統は決して天智の実娘ではありません。 『日本書紀』の「孝徳天皇条五年」に記載の、 「夏四月、吐火羅(とから)国の男二人、女二人、舎衛(しゃえ)の女一人、風に会って日向に漂着した」ところの 「舎衛(ガンジス河中流域のシュラーバースティ)の女」=【持統天皇】です。 持統{鵜野讃良(さらら)皇女}は、『平家物語』冒頭の「沙羅(シュラーバースティ)双樹」→ 「流れ寄せたる椰子の実ひとつ(島崎藤村)」と思われます。 >天武の後に持統が即位したのは、  天武の後に持統は即位していません。正史の欺瞞です。 天武(崇峻)の後は大津皇子(聖徳太子)が即位(681〜686年)しています。  大津皇子【久米(仙人)禅師】は天武に弓を引いています。 弓を引く(巻二・九六〜一○○)=【謀反・反旗を翻す。】 二人【太上天皇と天皇】行けど行き過ぎかたき秋山【蘇我大王家】を いかにか君【大津皇子】が独り越ゆらむ (巻二・一○六) 大津皇子は天武の皇后・鵜野讃良皇女(のちに持統)に禁忌したのが、 失脚理由。 久米(仙人)禅師は洗濯中の女性(持統)の太股を見て、天(皇位)から落ちた。 『万葉集』では大津皇子の後は「河島皇子」→「草壁皇子尊」へと続いています。 朱鳥の元号は「石川郎女(巻二・一一○)=君臨者・大伯(明日香)皇女」と 先の皇子尊=【統治者・草壁皇子尊】の治世です。  大名児(おおなこ)【君臨者・大伯皇女】を彼方【越智方】野辺に  刈る草【かや・伽耶】の束の間【足かけ四年間の治世】も我忘れめや            (巻二・一一○) 後の皇子尊=太政大臣【高市皇子尊】の治世です。 即ち、太政大臣・大友皇子(明治に追号され、弘文)と同様の地位に居た。 高市皇子尊の子・長屋は長屋王では無く、木簡の「長屋親王(殿下)」が正解。 【大倭国・蘇我大王家(女系社会)は、大王(女王)&大臣(皇子が共立され)と言う一対の治世方法。】 >「天智の娘」でなく天武の「皇后」だったからであると思います。 >皇極などのように、天皇(大王)崩御後に皇后が即位したとする例もあります。 >一方で「天智=漢の高祖」「天武=光武帝」的な記述をする日本書紀が 成立したのが元明〜元正期であり、 >元明が「不改常典」を持ち出したところを見ると、 >その頃までに「天智」という諡号(もしくはその「素案」のようなもの)が >無かったとしたら、つまり持統・文武の頃に、 >その構図により「天智」が決められていなかったとしたら、 >「天智=紂王」説はまず成り立たないと思います。 古代史家・小林惠子説の、「新羅・文武王が渡来して、文武天皇」を私は支持しています。 「不改常典」の、葛野(かどの)王=大津皇子、が【私見】です。 当時、少なくとも、皇統が四つ在ったので相剋に依り、「縦」の継承に成らなかっただけで、天智系(男系)は天智を 日本国の始祖(近陵)として、その天智は大海人皇子に捕らえられ(沓塚)結果暗殺、大友皇子即位して弘文【用明天 皇と思われる】、そして大津皇子【聖徳太子】へと。 【敏達(荼毘を逆に=物議を醸した・お陀仏)天皇=天武か、推古天皇=大田皇女、が目下の私見。 大津皇子の父・弘文は物部麻呂(天武と同族)に首を刎ねられ、関ヶ原にて首実検されています。 仇討ちゆえに、高松塚古墳の被葬者・天武も首無し死体(三種の神器の剣は木刀、天界の乗り物=北斗七星は描かれず)】  蘇我大王家の額田王=中皇命(職掌)、{大和=邪馬人(やまと)}三山の(巻一・一三)、 香具山(かぐやま)の(ま)を抜けば、【かぐや(ま)姫『竹取物語』=大田皇女(額田王)】です。 蘇我大王家の中皇命=大田皇女を娶ったのは、(職掌)中大兄【大友(→弘文)・隼人】です。 近松門左衛門はそれを知っていて、「お山(浄瑠璃)」と。 或いは江戸時代あたりも「山の神」。 『万葉集』の「山」=【皇統(&君臨者)&統治者&治世など】、 「川」=【皇統&君臨者など】。 のちに合い言葉「山」・「川」に。 なお、雲根火雄男志等(白文)=舒明【鎌足】、耳梨=【大海人皇子】、です。  但し、持統歌(巻一・二八)の「天の高来山(白文)」=【天武】です。  春【弘文朝】過ぎて夏【天武朝】来たるらし  白妙の衣【斯廬(しろ)絶え=弘文の死装束】干【乾】したり天の香来山 【干す、の白文は、乾坤(意味は、天地)の乾(天)】 (白文は)高来(こうらい)山=高麗王の泉・蓋蘇文=大海人皇子(天武)】 B「天智(新羅・隼人)系」とされていますが、  天智は白村江の戦いなどを見てもわかるようにどちらかというと百済に親しく、  井沢先生の説では新羅を憎んでいたとされています。  ブッダさんは「天武が新羅系なら」と言われていますが、  天智を新羅系でくくられていることについて、その根拠をお願いします。  そんな事はありません。  『万葉集』は倭歌集ですし、『古事記』は文学的記述に優れています。 その中で『万葉集』は【寓喩】と言う文学的解無しに読み解く事が出来ない構造になっています。 『万葉集』は表裏一体の二重構造を持つ、(表)は歌集、(裏)は史書。 主な【寓喩】に「四季(春夏秋冬)」=【四つの皇統】があります。 【寓喩】は『万葉集』のみならず、童謡&唱歌の一部まで及んでいます。 ここでは詳しく触れませんが、名だたる古典文学は『万葉集』の【寓喩】と一致しています。 俳諧の季語も、『万葉集』の【寓喩】と共通しています。         ☆日本国(&新羅は扶養国)=蚊帳【伽耶】の外 「春(菊&狐)」=【天智(隼人・新羅)系】三井寺の祖神「新羅明神」が境内に鎮座しています。もともとの信教は「神道」。 邪馬人(やまと)の都・大和は危険ゆえに近江遷都。 (新羅王の金・春秋=天智の実名。正体を解らなくする為に正史は金・春秋を消す。)         ★大倭国(イ妥 国(だいこく)+倭国) 「夏(松&蛇)」=【天武(物部・高麗)系】 (高麗王の泉・蓋蘇文=天武の実名。正体は天智同様抹殺。孝徳天皇【阿倍倉梯麻呂】の皇太弟。 「面智男雲(メンシルダクモ)(巻二・一六○)」は「拝火(ゾロアスター)教」のお題目。仏教の「南無阿弥陀仏」に相当。 なお「安陪」は「拝火(ゾロアスター)教」の経典「アベスター」から。) 「秋(竹&犬)」=【蘇我(百済本国=(旧)奴国→豊国)大王家】 {大津皇子【諡号は聖徳太子】=人麻呂=行基=聖武天皇(石川朝臣君子・きみこ=実名。 大津皇子の死は文学的&天(皇位)。弘文=[夕波千鳥(巻三・二六八)]と 大田皇女{天武により毒殺=李 寧煕(イ ヨンヒ)説を支持}の子。 大津皇子は天武(崇峻)を弑逆→高松塚古墳に移葬。 壁画(女子群像など)は失脚後に描く。「樹下美人図」=「鳥毛立女屏風」と極似のふっくら美人。 【奇想天外過ぎて丸で「とんでも本」や小説の世界だが、 「事実は小説より奇なり」だから私にはどうしようも無い。 文学と名だたる歌人&俳人&文学者達と同様の、私の感性を信じるのみ。】} 「冬(梅&亀)」=【藤原(朝鮮半島の百済・巨勢)系】 {舒明天皇=田村(耽羅)皇子=藤原鎌足(藤原系の始祖)。} なお、(真の)『万葉集』は、(裏)に隠された【寓喩】に依る真意、 「大倭国・蘇我大王家【聖武天皇】の勅撰史書」です。 旅人も憶良も家持も【借名の聖武天皇】です。 故に「(表)の歌集『万葉集』は聖武天皇の個人集」でもあります。 ●我々現代人は「宝石箱&宝石=【史書『万葉集』】付きの、オルゴール=【歌集『万葉集』】」の内、 オルゴール=【歌集『万葉集』】しか知らなかったのです。 C浅学で申し訳ありませんが、「夷人(イラン人=巨勢→中臣)」とされていますが、  当時から「イラン」の語があったのでしょうか・・? 当時に「イラン」は無かったと思われます。在ったのは「夷人」です。 夷(い)と胡(こ)=いとこ(→従兄弟) 「天皇号」も天武(通説?)以前は無かったように。 D聖武天皇即位と「楽毅論」との関連が分かりませんので解説をお願いします。  「楽毅論」って、中国戦国時代の五本の指に入る名将であった楽毅について  評価した書物ですよね・・? その通りですが、光明子が皇后になる前【「藤三娘」のサイン】に書写したものと考えます。 文武天皇妃「宮子は蘇我大王家以外の初の太上天皇(君臨者)」と思われます。 人麻呂(大津皇子)は宮子に禁忌し、双子の石川朝臣広世&広成【高円宮】を産ませしめていますが、 渡唐中(701〜718年=倭歌衰退期間)にバレて、同族の嬪・石川利刀(とね・とす)郎女の籍に編入される。 紀・嬪=【太上天皇・宮子】は【太上天皇号】を、石川・嬪も嬪号を落とされる。 宮子は藤原氏に依って幽閉されるも、藤原四氏の死【天然痘では無く、政争死】に依り、玄ム【げんぼう=石川朝臣 広成】と再会し、更に夫・美努王【人麻呂→聖武天皇】とも再会。 大伴小虫【筆名?の美努王(のちに即位し、聖武)】は中臣宮処東人【藤原武智麻呂】を囲碁の最中、話が長屋王 (通説)に及んだ時、激怒し斬殺。 【これが不比等長男、武智麻呂の子・仲麻呂(恵美押勝)の「聖武天皇に謀反」の第一原因、 第二原因は血鹿島(ちかのしま)にて大野東人(石川朝臣広成か)の広嗣斬殺。 石川朝臣広成は血鹿島(ちかのしま)流罪。好去好来の歌(巻五・八九八)→ 脱出も水底に。(巻五・九○二〜九一一)】  話は前後しますが、  天の川安の川原に定まりて神し競へば麻呂待たなくに (巻十・二○五七)    この歌一首は、庚申の年【天平十二(740)年】に作る。    柿本朝臣人麻呂歌集。 美努王は天平十三年の大赦にて帰京。 それを知っていた芭蕉は、  荒海【安羅の海人】や佐渡に横たふ【佐渡流罪の美努王】  天の川【白水郎(あま)=泉郎=泉路(大津皇子辞世詩)に赴く男。】 それを知っていた良寛は、  いにしへにかはらぬものは荒磯海とむかひに見ゆる佐渡の島なり 荒=【安羅(百済)=蘇我系】、磯=【石(いそ)の上(かみ)布留=物部系】 と五合庵(六合=むこう、を念頭に)にて、美努王(行基)を偲んでいます。  我が国の「歴史学」より「古典文学」の方が余程、「真の学問」足り得ると思うのは私だけでしょうか……。  異常ヶ原落書氏のように、他人の説をただ貶すのは容易い事です。 そうではなくて、対抗し得る説にて反論するのが議論だと思います。 皆様は如何お考えでしょうか? のちに、宮子は天平【勝宝】前半の太上天皇、後半は光明皇后【孝謙天皇(2001年4月15日以降の私見)】と思われます。 『続日本紀』には「孝謙、重祚して称徳太上天皇」の記載は確か、ありません。 【宮子=『万葉集』(巻二・冒頭)の嫉妬深い磐姫皇后=(安珍=行基=聖武天皇)清姫。】 Time : 2001/ 4/22(日) 03:02:07
Name : 空転 E-mail : Title : 史観って大変 Comments: まあ、現代の合理的な見方もある程度、史観かもしれませんね。(笑) 例えば 第二次大戦中のドイツにすべて合理的な見方はできないでしょうねえ。 いわば、ある程度「ヒトラー史観(?)」に立たないと、説明できないもの があるように思います。 すべてに現代で言う「理性的判断」を当てはめては、間違うような気がします。つまり理性史観かなあ。(笑) 少なくとも、当時は合理性よりこっちを重んじた、を見つけるのも科学の様な 気がします。 ともあれ、「なんか一方」ってのがまずいんでしょうねえ。 例えのヒトラーが悪かったかな。前みたいに日本軍の方がいいかなあ。(笑) 少なくともスターリンよりはヒトラーの方が合理的というか現代的ですもの。 「ヒトラーがいなければあるいはロンメルはでなかった」って言われるあたり ...(笑) 失礼しました。 Time : 2001/ 4/22(日) 10:06:46
Name : パンダ E-mail : Title : 彼等の「史観」と、通史的「史観」。。。 Comments: パンダです。空転さんへ。。。おっしゃるとおりだと思います。 ヒトラー、スターリン、マオツァオトン(その権力を支持した社会勢力) なりの行動を理解(解釈)するためには、彼等がどのような史観(歴史観 ・世界観)を持って(に立って)いたか、。。。を考察することは欠かせ ません。 当然、彼等の「史観」が所謂「合理的」なものであったかどうか、さらに どのような「非合理性」を持っていたか。。。も考察の対象でしょう。 しかし、彼等の行動なり世界観なりが生じた理由を「唯物史観」「人民史 観(?)」と言うような通史的枠組みで解釈すべきか。。。それとも、「合 理的=科学的」に様々な具体的事実分析を行い、それによって「合理的= 科学的」に考察した上で解釈すべきか。。。は全く別問題だと思うのです。 いわゆる「史観主義」の方々は、ヒトラー、スターリン、マオツァオトン を一括して考察(解釈)すべき「史観」。。。言い換えれば天智・桓武・ 頼朝・尊氏・信長・家康・東条を一括考察(解釈)すべき「史観」。。。 を求めておられるように思うのですが。。。? Time : 2001/ 4/22(日) 11:57:52
Name : PAKU E-mail : Title : 失礼しました Comments: パンダさん >いわゆる「史観主義」の方々は、ヒトラー、スターリン、マオツァオトン >を一括して考察(解釈)すべき「史観」。。。言い換えれば天智・桓武・ >頼朝・尊氏・信長・家康・東条を一括考察(解釈)すべき「史観」。。。 >を求めておられるように思うのですが。。。? そういうことですね。 歴史が時間の連続性である限り、このような通史的な視点は欠かす事 の出来ないものだと思う故に、ある意味しょうがない事かと思います。 通史的考察なき歴史研究にはどうもしっくりこないとこがあるのですね。 おっしゃるとうり、個人的見解なので要望として(雑音ぐらいにしか聞こえ ないかもしれませんが)お聞きとどめいただければ結構です。 失礼しました。 Time : 2001/ 4/22(日) 13:33:55
Name : 空転 E-mail : Title : 誰かと思っちゃいました。(笑) Comments: 雑誌の記事で「人民戦争論」の紹介が載っていて解りました。(笑) Time : 2001/ 4/22(日) 13:54:40
Name : 空転 E-mail : Title : あ、 Comments: 毛沢東のことです。すみません。 Time : 2001/ 4/22(日) 14:00:07
Name : 雪狼 E-mail : Title : 足利家の置き文 Comments: 今日、店頭で「天皇になろうとした将軍」を立ち読みしてきました。 それでこの足利家の置き文が気になったので。  (1)(2)    (3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10) 源義家−義国−(足利)義康−義重−義氏−泰氏−頼氏−家時−貞氏−尊氏−義詮  (0)(1)    (2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10) 義家が「7代後に天下を取る」と宣言したものの、 その7代目が失敗して切腹し、7代目が「3代後に」というのが定説です。 7+3=10で、10代目の尊氏がその予言通りになった…ですが。 切腹したのは家時ですから、上の系図を見てのとおり、 義家を1代目とした時、家時は8代目にあたることになります。 もし義家を数えず、ということなら家時は7代目に違いないですが、 そうすると3代後(義家から10代目)というのは尊氏の次、義詮になります。 つまり代の数え方が途中から変わっているのです。 井沢氏は、 ・足利家だけに置き文が伝わるのは変 ・義家の時代に武士が天下を取るなどと思うはずがない と、いいところに気づいているものの、なぜ代数に疑問点をつけなかったのでしょうか。 そもそも7代目を待つとか数え方が変わってもいいという理論の前に、 5代目の頼朝が天下を取っていることを思うと、置き文は不要でしょう。 置き文を捏造したのは家時というよりも、尊氏とその側近ではないかと思われます。 ところで隣のふぉーらむの環境問題を解決するため、私はそちらに移ります。 それでは皆様、ごきげんよう。 Time : 2001/ 4/22(日) 17:15:47
Name : とりあたま E-mail : Title : >銀河 彩香様 Comments: >銀河 彩香様 はじめまして。とりあたまと申します。 銀河 彩香様のHP拝見させていただきました。 「本能寺の変の黒幕」楽しみにしております。 私も、本能寺の変には黒幕がいた可能性があるのでは?と考えております。 安土城跡にに「総見寺」という寺院が残っていますが、炎上した安土城に なぜ総見寺が存在するのか?と思ってました。単に焼け残った、という だけだ、と言ってしまえば簡単ですが、もともと総見寺は信長が神格化を 意図した宗教的建築物と言われています。もし意図的に残された(あるい は再建された)とすれば、やはり総見寺は信長の「怨霊対策」では?と 思えるんです。もっとも、総見寺は、江戸時代に信長の子孫の大名によって 菩提寺としていくつも建てられてますので、「菩提寺」といわれれば、それ までですが。 さて、「総見」とはどのような意味なのか、銀河様のお考えを教えて いただけませんでしょうか。 私の考えでは、どうもある仏様を暗示しているとしか思えないんですが。 その仏様は、時に救いようのない悪人を懲らしめるため、あえて残酷な行為を 行う暴虐な国王として姿をかえて人間世界に降りてくる、とされています。 一向宗に対する弾圧、比叡山焼き討ちなどなど・・・ (もっとも信長の残虐さは、かなり誇張されているようですが・・・・) 暴虐な国王=信長、とすれば、妙に合点が行くのですが、いかがでしょうか? ps:過去のログでは聖武天皇の謚号は、中国の梁の武帝に由来するのでは? という説が掲載されてました。(残ってるでしょうか?) 両者とも「仏教に傾倒しすぎた」という点では納得します。 ではまた・・・・ Time : 2001/ 4/22(日) 19:04:20
Name : 残留思念 E-mail : Title : 安土城、焼けたのはかの「天主」だけ Comments: >とりあたまさま >安土城跡にに「総見寺」という寺院が残っていますが、炎上した安土城になぜ総 >見寺が存在するのか?と思ってました。 最新の発掘調査の結果も踏まえて答えますと、「焼けた」のは天主だけである ということになりそうです。二の丸等はその後一年半ほど使用されたと 考えられています。ですから、総見寺が残っていても不思議はありません。 安土城自体は本能寺の変、続く山崎の合戦などを経て後も その役目を終えてはおらず、天正十年十二月に織田信雄が岐阜城に 織田信孝を攻めて降伏させ、三法師を奪って安土城に入った事からも この段階でまだ安土城が城として機能していたことがわかります。 この後、三法師(織田秀信)が天正十二年十二月に安土城を退去して 坂本城に向かった時点でついに安土城は廃城となり、その翌年より始まった 近江八幡山城の築城の材料として解体されたものと考えられています。 総見寺は城域内ではありますが独立した寺ですから、解体されずに 残ったのではないでしょうか。 Time : 2001/ 4/22(日) 22:43:02
Name : 残留思念 E-mail : Title : 総見寺 Comments: >とりあたまさま 「総見寺」 臨済宗妙心寺派の寺。本尊は十一面観世音菩薩。 「総見」とは団体が芝居などの興行を見物すること。総見物。 総見寺の山号は安土山・遠景山。 信長の事を「総見公」とする呼び方があります。『総見記』などは その例です。私見ですが、信長は安土の城より天下を睥睨する 存在として祭られていたのでしょう…… また本尊の十一面観音も意味深ですね。 十一面観音は修羅道より人を救うとされております。 修羅の道とは意味の無い殺し合いの道。すなわち、戦乱の世そのものとも 言えます。戦いの末に倒れて行った兵たちが墜ちる道とも言えましょう。 信長があの世の心配をしたのか、あるいは従う者たちへのせめてもの配慮か。 いずれにしろ、色々と考えさせる寺です。 Time : 2001/ 4/22(日) 23:16:24
Name : じゃっじめんと E-mail : Title : 投稿が無責任に過ぎる Comments: 2001/ 4/12(木) 04:49:02のHIROさんの投稿、 およびそれを受けた2001/ 4/12(木) 09:59:07の大阪JF生さんの投稿は まさに正論です。 何を言っても構わない(内容にもよる?)が、 批判するのならそれなりに根拠をつけてほしいものです。 Time : 2001/ 4/22(日) 23:49:58
Name : MK E-mail : Title : ぅわぁ〜〜ん よくわかりません 仲良くしてね。 Comments: 22日のTV 知ってるつもり「孔子に学ぶ乱世に生きる人生の真理は」 よかったですね。21日の国宝探訪「秘められた王朝絵巻」も素晴らしかった。  どうも文字だけでは分かりにくいのですよ。絵や写真が入ると俄然わかり やすくなります。又、今は皆平均化してるけど昔は、隣国とは髪型や服装が 全く違ったのでしょう。こちらに自信があるからこそ相手の良さが認められる とも思いますし。  TVの映像見て 孔子は凄い!でも日本とは全然違うと思ったMKでした。 Time : 2001/ 4/23(月) 01:02:09
Name : 秋山 彩香(あやか) E-mail : ZAN23647@nifty.com Title : とりあたまさんへ Comments:  初めまして、とりあたまさん。宜しくお願い致します。m(_ _)m 拙 HP にお越し頂き、感謝。  「総見寺は怨霊対策」は面白い見方ですね。 これは貴方の方が詳しいようです。 貴方の説として主張されれば良いのでは。  どの仏様を暗示しているのか、具体的にお教え下さい。 今まで信長自身には余り興味が無く(^_^;、「総見(寺)」は初耳です。  この二行のみ書いた後、気が付いた残留思念さんの文を読み、挿入しています。 残留思念さんのフォローは素晴らしいではありませんか。  邪馬人(やまと)は基本的に、女王君臨国(連邦)ですから、 君臨者を目指した足利尊氏や信長は一方では嫌われ者です。 【天智系(春)新羅・隼人は「白村江(はくすきのえ)の戦い」で勝利し、 律令を積極的に採り入れた男帝君臨国。】 なお、関白秀吉(統治者=天下人)は「北政所(→淀君)を君臨者に」仕立てています。 家康も同様に「春日局」を。「家光=家康+光秀」。 二代目将軍秀忠は妻がお江【信長縁】ゆえに、「国家 安康」に難癖を付け豊臣家を滅ぼし、秀忠を「一代限りの将軍」に。 (諡号の)怨霊に関しては「徳&崇&孝&聖(最大)」等があり、 大筋では井沢説を支持しています。 【私見】の「父・武智麻呂を殺された仲麻呂謀反に依る、聖武天皇(人麻呂)の 隠岐島流罪(&没)」は井沢説の補強に成り得る筈です。 梅原猛氏の「柿本朝臣佐留・鴨島流刑死説」は当然否定しますが。 ps:過去のログでは聖武天皇の謚号は、中国の梁の武帝に由来するのでは? という説が掲載されてました。(残ってるでしょうか?) 両者とも「仏教に傾倒しすぎた」という点では納得します。  暫くぶりなので残念ながら残っていません。 なるほど「仏教に傾倒しすぎた」点は否定しませんが、 我が国の文化が仏教の基に成り立っていたと言っても過言ではないと思います。  私は、唐末期の「安史の乱」の「安禄山(アレキサンダー)の諡号→ 聖武」からでは無いかと思っていました。 梁の武帝の諡号も「聖武」ですか、知りたいものです。 なお安禄山(アレキサンダー)の出自も聖武天皇と同じペルシャ人(胡人)です。 また聖武天皇は七福神の「恵比寿(海人)」のモデルと思われます。 Time : 2001/ 4/23(月) 06:44:58
Name : MK E-mail : Title : ぅわぁ〜〜ん 分かりません その2 Comments:  私はだだの読者で、age26さん同様「小説を読むような感覚で」読んでいます。 専門家でもないので詳しい反証もできません。ただ多くの人を納得させるには 分かりやすさが必要だと思っているだけです。読みたい本がたくさん出てきたので しばらくお休みします。お邪魔しました。後はよろしく。 PS.4/15日に法隆寺の「聖霊会舞楽大法要」を見てきました。聖徳太子の御聖諱 1380年の法要で10年毎に行なわれるのだそうです。あちこちに”ばん”?という籏 みたいな飾りが付けられていて、とても綺麗でした。 Time : 2001/ 4/23(月) 08:43:18
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 皆様への、お礼とお詫び Comments:  雪狼様、お返事ありがとうございました。 ジャッジメント様、拙論ご理解いただきありがとうございました。 武田研究家様、小生は貴方のお説に反対したのではなく、 感情的な批判にいたる理由が理解できなかったことだけ ご承知ください。 別記事で、小生なりに休み中に調べたことをレポートいたします。 小生は、上記の疑問は自分なりに解決できたと考えます。 留守中にいろいろあったようで、まだ全体を掌握していませんが、 大急ぎで読んだ時点ながら、お礼申し上げます。 と同時に、このBBSを荒らした一人として、 皆様にお詫び申し上げます。 上述しましたが、別記事のレポートをご参照ください。 (でも、とりあたま様の記事にアクセスできていたら、 苦労の必要がなかったかも・・・) Time : 2001/ 4/23(月) 09:28:49
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 今朝、初めてアクセスする以前のレポートです。 Comments:  以下はとりあたま様の記事を読んでいない時点で、書いたレポートです。 ---------------------  どうもいろいろ引っかかって分らないので、先週雪狼様あてに、 疑問を述べたのですが、出かけのついでにJ堂に寄って (1時間ほどですが)立ち読みして調べてみました。 単なる妄想の可能性もありますが、小生の疑問は氷解しました。 例のグループの方でないなら、面白そうな歴史仮説と見苦しい非難の 間には別の何かがあると感じていたのです。説に賛同か否かは別として、 主張されたいことおよびその理由がわかりました。 少し長くなりますが、皆様のご意見もお聞かせください。 まず重要な仮説から述べます。これをめぐって解けていきました: 主仮説:研究家様は、信州大学教授 笹本正治氏かその関係者である。  信玄の(たとえば金山関連の)定説は現在どうなっているか, 専門書を方っばしから調べました。ほとんどの本は金山は信玄の 所有であることを疑っていないようでしたが、陳列本内で唯一 笹本正治著「戦国大名武田氏の研究」思文閣書店、1993 が、「従来私有といわれていた金山は、全て私有だとはかぎらない」 ということを主張していました。むしろ、穴山家が私有していた 可能性が強いものもあるように書いてありました。 もちろん書き方、他者による引用がまだないことから見て 著者のオリジナルな説でしょう。しかも、場所がずれているとはいえ, 笹本正治著「戦国大名武田氏の信濃支配」名著書店、1990 にはその記述はまったく触れられていないようでしたから, (タイムラグはありますが)この間に成し遂げた研究と思われます。 この時点では、タネ本を発見した程度にしか思っていませんでした。 もし仮にご本人だとしても、まだ世間的にはあまり知られていない (どなたからも笹本氏の説だという指摘もありませんでした) と専門家以外なら考えても良い段階でしょう。ここで知的不誠実はすこし言いすぎです。 (内容的には大きくても)細かい発展を見落としたことは無理もないことです。 それにしてはこのBBSでの非難の感情が、小生の理解を超えるほど強すぎました。  ファンなら御存知でしょうが、逆説の日本史冒頭にはフレイザーの金枝篇を 掲げてあります。この本は、専門家からは2次資料に頼りすぎているという批判を 受けているそうですが、井沢先生もその批判なら甘んじてお受けになるでしょう。 通史において個人が全て1次資料にあたって確認するのは不可能です。 もちろん、できる限りその努力は必要だと思いますが、各時代のもっと狭い範囲でも、 専門の研究者個人が一生をかけてもその作業が終えられるかどうかは疑問です。 その点、見当違いの批判も多いのですが, 「ちょっと調べたらわかるはず」 この言葉に引っかかっていたのでした。多くの歴史家たちでさえ疑ってこなかった (今回、調べてさらに確認できた)ことを、こう表現するのは, 井沢先生批判にとどまらず、全ての歴史家を敵に回すのほどの暴言ではないかと 当初感じたので、「ちょっと変なのではないか?」と正直疑いました。 さらに、BBSの記述程度で、「影響を及ぼせていない」というのも首をひねりました。 不安定な記述と感情表現から、小生はレベルが低い方だと判定してしまいました。  専門書というのは部外者がホイホイ買うのはためらうぐらいの値段です。 しかももともと乏しいわが記憶容量に詰め込むには無理が生じてきました。 J堂はテーブルと椅子も置いてあって立ち読み(座り読み?)を許容していますが, 大急ぎで大量に調べたので、座っている余裕はなく、疲れてきました。 時間もなく、しかたないので、新書程度で定説レベルのことでもいいから書いてある 本を買おうと思い探していると、なんと 笹本正治著「武田信玄」中公新書、1997 があったではありませんか。疑問が全て吹っ飛びました。逆説の信玄です! この本のことをいいたかったのでしょう!上記専門書のダイジェストです。 ということは世間的な認知度が一定度あるといえます。 しかも、スタイルといい、データといい、研究家様そのものでした。 (小生は買いましたが、ひょっとしたら新手のCMだった?・・冗談です。) 上記の主仮説をここで確信しました。まったくの他人なら、笹本氏の説であることを 明記しないはずはないでしょう。と同時に納得しました! 新書で主張されているような新説を見落とすのは少しいただけないでしょう。 井沢先生に対する怒りはここからきていたのですね?知的不誠実とはこれですね!? つまり、「逆説とうたいながら、あまりにも常識的な説にとらわれすぎている。 新書程度の2次(?)資料を見落とすのはけしからん!」ということですね? 小生がいだいていた「どっちが逆説かわからない」という感覚は間違いではなく、 むしろ、「逆説の日本史!もっと逆説せよ!」というエールにも思えます。  ただし、一言苦言申し上げます。もしご本人で大学教授というお立場ならば、 ちょっと行きすぎた感情表現だったし、むしろそんなことはすべきでないと 指導するお立場なのではありませんか?関係者の方でも笹本氏を汚していませんか? 主仮説が正しいなら、これで一応感情的に言っておきたいことは消滅しましたよね? ぜひ今後お立場も考え、客観的な表現に限って自説を展開されることを望みます。 ------------------------- 小生は別に言論封じをしようとしていません。研究家様、ご理解ください。 Time : 2001/ 4/23(月) 09:36:10
Name : 武田研究家@最後の書き込み E-mail : Title : >大坂JF生さま Comments: まず笹本氏及びその関係者の方々の名誉の為に言っておきますと、 私はその両者のどちらでもありませんし、出典を明らかにしなかったのは 井沢氏への挑発の意味を込めてであります。 (しかし残念ながら、井沢氏はこの掲示板の内容には無頓着の御様子。 よってこれ以上、このスタイルを貫く理由は無く、続ける意志もありません。) 大坂JF生様を「信者」呼ばわりし、自分で吹っ掛けた議論を 自分で拒絶するという稚拙な行動を取ってしまった事、 真に申し訳無く思っております。 故に「武田研究家」はこれを持ちまして引退させて戴く所存であります。 ご迷惑を掛けた皆様方、大変申し訳ございませんでした。 なお、大坂JF生さまが以前に提案された通りになってしまうかも しれませんが、私が別HNにて議論に参加する可能性を、皆様には 御容赦いただきたく思っております。 付け加えるなら、下の方にて数度の書き込みをしている「残留思念」は 私の分身であります。皆様に御許可願えるまでは、他HNも含めまして、 この掲示板における言論活動の一切を停止いたす所存であります。 それでは。 Time : 2001/ 4/23(月) 17:51:16
Name : とりあたま E-mail : Title : ご返事、ありがとうございます。 Comments: >残留思念様 明快な回答、ありがとうございます。 燃えたのは「天主=信長記念塔」だけだったのですか・・・・ 信長に関する本のほとんどが「安土城は全焼した・・・・」と書かれていたのを 鵜呑みにしておりましたので。いやはやお恥ずかしいかぎりです(赤面) 「華厳経」にという経典には、観音様が、ときに応じて「満足王(無厭足王)」という国王に姿を変えて、仏の 教えに従わない国民に暴虐の限りを尽くす、と言う場面があります。この場面の意図は、時には「手荒な事をし ても救済させる」という事でしょうが、どうしても満足王と信長がオーバーラップしてしまうもので・・・ >銀河 彩香様 お返事ありがとうございます。 安禄山の謚号が「聖武」とは、はじめて知りました。 その記載は「旧唐書」「新唐書」に書かれているのでしょうか? それとも他の記録でしょうか。出典についてのご指示、お願い致します。 あと、「聖武の謚号は梁の武帝に因んだもの」というログは残ってました。 3/21の債投動産様のログです。かなり下ですので見つけるには一苦労しますが。 久しぶりに「天智=紂王」の事が出ましたのでちょっと蛇足。 「・・紂王の子、武庚禄父は、周の武王の死後、武王の弟らと反乱を起こし、  自ら天子と称し、父に釐王(きおう)と謚(おくりな)した・・」 (貝塚茂樹著「古代殷帝国」307P) さて、大漢和辞典をめくってみると・・・ 「釐、有伐而還曰釐、資淵受諌曰釐、慈恵愛親曰釐」とありました。 軍事に優れ、家臣の意見を良く聞き、親族を愛した・・・・という 意味でしょうか。「紂王」とは正反対の謚号ですなあ。もともと 「紂王」とは周側が勝手につけたものですし。 あ、ずいぶん長くなってしまいました。そろそろ引っ込みます。 では・・・・ Time : 2001/ 4/23(月) 21:12:36
Name : きんたろう E-mail : Title : 武田研究家さんへ Comments: こちらこそ失礼な書き方をした部分が多くてすみませんでした。 提案なのですが、例えば「私が知っている武田家について」といった趣旨で書き込 みをされてはいかがでしょうか?? ここに来られている皆さんはそれぞれ得意分野をもっているのですが(私は例外、 笑)、武田家の詳細について書かれた人はいなかったように記憶しています。 信長との比較や、井沢先生への難癖(失礼^^;;)ではない内容を主として書か れるならばとても興味を持って読む人が多いように感じています。 よろしくお願いしますね。 Time : 2001/ 4/23(月) 22:46:58
Name : 日本@名無史さん E-mail : Title : 自己満足に浸って妄想しているのはどこのどなたの事やら(藁 Comments: >Name : 武田研究家@反論のため復活 >E-mail : >Title : >「にちゃんねらー」どの >Comments: >悪いが『逆説の日本史』が武田信玄編になるまでここに来たことはない。 >何でもかんでも同一人物にして自己満足に浸るのは妄想の中だけにして欲しい。 >他の方の名誉のために。 そういうアナタこそ2ちゃんねらーでショ? レスの時間の早さはなに? Time : 2001/ 4/24(火) 00:49:25
Name : 名無しさん E-mail : Title : 少しは2ちゃんで Comments: 掲示板でのやりとりを研鑚なさっては?(藁 ね?頭がカチカチの、あるパターンの人達。 つまりは、こういうやりとりがヘタクソなんですな。 自分が言い出しっぺの場合や、人の意見への第一回目の応対などは 非常によくできてると思うんですよ。 ところが、何度も応酬しているうちに どんどん意固地になって我を通そうとする。 ひとつだけ良いところは、 そこに提示されている史料や定説が参考になることです。 まさに官製の公刊書というか ○○白書みたいなものとして利用すれば良いですな。 Time : 2001/ 4/24(火) 01:09:07
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 武田研究家様へ Comments:  無理やり引っ張り出したみたいで、申し訳ありません。 お返事どうもありがとうございました。 こちらこそ、行きがかりとはいえ、ずいぶん失礼な物言いに なっていたと思います。どうもすみませんでした。  井沢先生は全くここを無視されているわけではないと思います。 一度だけですが、ここのことを連載で取り上げられたこともあります。 でも、タイムラグがありますから、連載の最中に影響を与えるのは 無理でしょう。したがって、「それ以前にすでに主張したのに・・」 という思いがあったのかと考えました。 見事にはずしたようですね。可能性は否定されてはいませんが、 ご自身のご申告は尊重いたします。  現在の連載は井沢理論の「第1次近似」と小生はとらえていますので、 今後多くの修正を要することは確かでしょう。 長い目で見て、笹本説は受け入れられる可能性が高いと思います。 ただ、感情的なやり取りが入っている段階では誰もあまり見たく ないに違いありません。ご賢察お願い申し上げます。 Time : 2001/ 4/24(火) 09:57:46
Name : パンダ E-mail : Title : 相手をお間違えなきよう。。。 Comments: パンダです。日本@名無史さんへ。。。 本来は無視すべきものでしょうが、チョット気になりますので、、 >>自己満足に浸って妄想しているのはどこのどなたの事やら(藁 以前に刀伊来寇について「しつこい」と言われたのは以下のやりとりの とおり私ですから、武田研究家さんとは何の関係もありません。 従って、武田研究家さんが。。。 「何でもかんでも同一人物にして自己満足に浸るのは妄想の中だけにし て欲しい」 とおっしゃるのは当然のことです。 イチャモンを付けるのならば、相手を間違わないようにして下さい。 (ただし、私に言いたいことがあるなら、わざわざコピーしていただく ことはありません。これからはたまに覗くつもりですから、2CHの中で 幾らでもご勝手に。。。) なお、私がお詫びする筋合いのものではありませんが、武田研究家さん には、とんだトバッチリでご迷惑をお掛けしてしまいました。。。 ******************************** Name : パンダ E-mail : Title : シルキーシックスさんへ Comments: >> あーあ〜ぁ・・・・・ >>またかよ・・・しかしま、しぶといね〜 これは、私の「刀伊来寇」に対するご意見でしょうか? もしも、そうであるならば、そうおっしゃって下さいませんか。 みなさんが、そのように思っておられるのなら、直ちに打ち切ります。 Time : 2000/ 8/30(水) 11:25:34 ******************************** Time : 2001/ 4/24(火) 19:04:33
Name : めもり E-mail : Title : ここは2チャンネルでは無く井沢板です。 Comments: 初めまして。 どなたかが言われていましたが、お隣で、つい最近までこちらで活躍されていた とある方に「まだまだ若いのかな?」の一言で議論を煙に巻かれためもりといいます。 以前に数名の方が言われているように、無責任な批判の投稿は見ていて見苦しいので、 それこそお隣のAikouさんが言うように「紳士的」に願いたいものです。 そして、2ch的な会話をしたい方は2chへどうぞ。 ここは2chではなく井沢掲示板ですよ。 パンダさんへ(あと武田研究家さんにも) ご自身の投稿への意見・批判に対しては、きちんと答えるということもありますが、 自分が投げ込んだ石によってどれだけ水面に波が広がるのかだけを 楽しんでいるだけの方々に、真剣にお答えする必要は無いと思います。 また一方で、そういう方々につけ込まれるようなことも…、 これ以上は大人ですから言わなくても良いでしょう。 見て下さい、ここの常連となっているきんたろうさんやMKさんには 被害が起こっていないではないですか? Time : 2001/ 4/24(火) 23:01:05
Name : えまのん E-mail : Title : めもり氏へ質問 Comments: では尋ねますが、井沢掲示板はいつから空想小説の発表の場になったのですか? 万葉集がこう読めるというトンデモ投稿を昨年末ころから何度か見かけますけど。 Time : 2001/ 4/24(火) 23:30:14
Name : 春曲げ丼 E-mail : Title : 万葉集 Comments: みなさん、いったい何を言ってるんですか? 万葉集をヘブライ語で読めば、これが人類審判の書だってことぐらい、 誰の目から見ても明らかじゃないですか! 定説ですよ、これは。 Time : 2001/ 4/25(水) 12:14:10
Name : とりあたま E-mail : Title : 「どうころんでも社会科」 Comments: また、面白い本を見つけました。 清水義範著 え・西原理恵子「どうころんでも社会科」講談社 とても読みやすい内容なのですが、西原理恵子氏の漫画が秀逸。 とくに33Pの 「私の出身地は高知県。高知県といえば坂本竜馬で有名。(中略)  私が思いますに、坂本竜馬が偉大だったのではなく、  ○○○○○(あえて自粛しますね)のふかしがぁ・・・・」 「ふかし・・・」大笑い。本質をついてます。 自虐ふかし、唯物ふかし、網野ふかし・・・ふかしもいろいろあります。 坂本龍馬で思い出したんですが、「銀魔伝」の続きはどうなったんでしょうか? 伊沢先生、再開、楽しみにしております。 Time : 2001/ 4/25(水) 13:04:29
Name : えまのん E-mail : Title : 裏のHPから見ての感想 Comments: ±は、そのコピペ的内容、下に大きくスペースを空ける特徴などから、 3月末から4月上旬にかけてふぉーらむを荒らした「Name:2、Title:m」と 同一の犯行と見た。 Time : 2001/ 4/26(木) 00:04:09
Name : 名無し@針の筵 E-mail : Title : 今週はダメダメ〜 Comments: ちょっと真面目になりましょう。 というわけで、誰もやらないので今週の『逆説の日本史』について。 今週で信玄編も終わり。一体どの辺が「逆説」だったのか? よくわかりません。ここ数週間、時代遅れの「通説」ばかり読まされています。 だいたいにして「民衆を虐げる寺社」と「虐げられる民衆」という図式は これまで50年間の「通説」となっていた「マルクス主義史観」そのもの。 実際には中世の民衆による経済活動が我々の想像以上に活発であったことは 網野義彦氏らが明らかにしています。 また「信長は楽市・楽座によって民衆を古い権力から解放した」というのも これまた50年も前に豊田武氏が唱えて以来の「通説」ですが、 信長よりずっと以前から「楽市」が存在し、そしてそれはあらゆる 公権力が干渉できないアジール(平和領域)であったことが 近年、網野義彦氏や勝俣鎮夫氏らによって明らかにされていますし、 寺社の持つ自治権故にこの「楽市」が寺内町に発展したこともまた 明らかにされています。信長が岐阜において加納の市を楽市とした ことは有名ですが、加納の市は円徳寺の寺内町として発展した町であり、 信長が楽市とする以前から楽市だったことが分かっています。 つまり、信長は既にあった楽市を保証したわけですが、大名によって 楽市が保証された例としては六角義賢や今川氏真などが信長よりも早く、 また勝俣鎮夫氏などは、これまであらゆる公権力の干渉を受けなかった 楽市が大名によって保証されるということ自体、その自由性の面で 一歩後退であると主張しているほどです。 また信長が既存の「座」のほとんどに対して、その特権を保証していた 点も見落としてはならないでしょう。「楽市」を保証された場所では 取引が自由となるので自ずから「楽座」の状態となるのですが、 「楽座」が「座」の廃止を意味するのではなく、あくまでも「楽市」に 伴って出現する自由取引の状態を表しているに過ぎないということは 見落とすべきでは無いと思われます。 「楽市」を保証された場所は経済の中心となりやすく、信長が岐阜で楽市を 保証したのも、あるいは安土において楽市を実施したのもそれを狙っての事 だと思われますが、一方で、流通面で大きな力を持つ従来の座の特権を保証する 事によって流通を自分の支配下に収めることが信長の目的であったと思われます。 信長がただ単に民衆のために旧権力を破壊したというのは大きな間違いだと 言わざるを得ず、商業の中心となる「楽市」と流通を支配する旧来からの「座」 との両輪による経済支配こそが信長の目的だったのでなないでしょうか。 関所の撤廃は信長の施策の一つですが、伊勢など統一勢力が現れなかった ために中小の国人衆が割拠していた地域では「私関」の撤廃は 楽だったと思われますが、信長ですら京都周辺の関所を撤廃することは できなかった(あるいは意図的にしなかった?)ことを見落としてはなりません。 以前、井沢氏の何かの著書で「信長は関所を撤廃したから討たれた(光秀の 接近に気付かなかった)」という意見を見かけたことがありますが、 京都周辺の関所はその時まだ撤廃されていなかったので、間違いであると 言えましょう。 Time : 2001/ 4/26(木) 00:12:35
Name : えまのん E-mail : Title : ちょっとまじめに Comments: では、信長は今はやりの「構造改革」を(少なくとも一部)着手したと いうことで良いのですか? これまでスクラップ&ビルドを評価されてきた信長がなんでもかんでもと いうのではなく、政治的に行ったということで良いのですか? だとすると、信長はやはり優れた「政治家」であったということですね。 Time : 2001/ 4/26(木) 00:29:17
Name : ふーん…… E-mail : Title : 結局 Comments: 一番肝心な所に手をつけられないまま、信長は死んだ。 だから彼の評価は何とも言えない。 Time : 2001/ 4/26(木) 01:20:55
Name : 游惟 E-mail : Title : 万葉集トンデモ説 Comments: 万葉集が朝鮮語で読めるかどうかはわかりませんし、万葉集の歌に裏の意味が隠されてい るかどうかはわかりません。 ただ、言語学的に見て、一字一音の借音仮名を用いて万葉集の字面を書いたのが朝鮮帰化 人であることは確実であり、古事記・日本書紀(中国帰化人が書いたとされるα群を除く) の字面を書いたのも朝鮮帰化人です。 私の説がトンデモかどうかは今後の歴史が証明するでしょう。 Time : 2001/ 4/26(木) 09:05:22
Name : 春曲げ丼 E-mail : Title : 万葉集 Comments: だから、言ったでしょ。 万葉集はヘブライ語。人類審判の書。 これは定説ですよ、定説。 Time : 2001/ 4/26(木) 12:32:08
Name : いいかげんにしなさいよ E-mail : Title : みっともない Comments: 万葉集はスワヒリ語で書かれた「カーマスートラ」でしょうが。 何をいってんですか。 いいかげんにしなさいよ。みっともない。ここは伊沢板ですよ。 Time : 2001/ 4/26(木) 14:19:27
Name : 荒れたね E-mail : Title : それぞれ Comments: 信長に対する解釈色々 1、好意的な解釈 信長は構造改革に取り組んだ 2、普通の解釈 楽市は信長がいなくても存在した。国人衆が勝手に作った私関を認めないのは 他の戦国大名でも同じである。つまり、信長でなくとも天下人の条件を持つ者はいた。 3、揚げ足取りの解釈 信長の後継者が秀吉で秀吉が天下を取ったから信長のやり方が正しかったと 主張するならば、信玄の後継者はそのやり方を模倣した家康である。 ならば最後に天下を取り、しかも持続させた家康が勝者なのだからして、 正しかったのは信玄のやり方だったのである。 4、作家に多い信長絶賛タイプ 全て信長の発明だ。信長は偉大だ。最新の歴史学なんぞ知らぬ。信長は天才だ。 信長様マンセー Time : 2001/ 4/26(木) 17:03:00
Name : まだまだ E-mail : Title : 信長様マンセー! Comments: この掲示板が荒れるのは、わが殿「織田信長」様への帰依が足りぬからであーる。 すみやかに信長様に帰依せねば、やがては無限地獄に堕ちるであろう! 信長様マンセー! (広報部長:明智光秀) Time : 2001/ 4/26(木) 20:59:02
Name : 傍観者 E-mail : Title : これこれ Comments: ここを2ちゃんねるより面白くしてどうするんですか(藁) Time : 2001/ 4/26(木) 22:57:40
Name : ついにでた E-mail : Title : ついにでた Comments: あキレたトンデモ中のトンデモが万葉集トンデモをトンデモ中のトンデモとあキレたことを、 あっ、キレた Time : 2001/ 4/27(金) 00:06:45
Name : あキらレた E-mail : Title : 死んでも直らない下々の輩へ Comments: だから言っただろ、俺はこのハンドル二度と使わねぇって。 馬っ鹿じゃないのっ! Time : 2001/ 4/27(金) 00:19:16
Name : 「と」学会会員 E-mail : Title : あはは〜 Comments: もう何が何やら(^^; Time : 2001/ 4/27(金) 00:23:08
Name : まだまだまだだ E-mail : Title : 信長様マンマンセー! Comments: 信長様に帰依したものは弓矢も刀も効かぬわあー! 信長様に帰依したものはすでに生死を克服したわあー! 信長様の前では、この世の善悪正邪なぞ関係ないわあー! 信長様に帰依してしまえば、電波トンデモ、おのずから快し。 南無第六天魔王、南無第六天魔王ー! 天にまします信長様は、 神にしませば、歴史にも、隠れし国(大韓帝国)を戻したまひぬ・・・・。 (だから公報部長は明智光秀だってぱ。「寓喩」よ。「ぐ・う・ゆ」。  いいかげん、わかってよう。もう。いやん。ばかん。辰韓。弁韓。倭。) Time : 2001/ 4/27(金) 02:02:10
Name : 雪狼 E-mail : Title : 「揚げ足取り」の解釈 Comments: しかし徳川よりももっと後に天下を取ったのは長州藩=毛利であり、 最も正しかったのは毛利元就のやり方である。 捻じ曲げると、 長門=毛利、薩摩=島津が力を合わせて討幕したのであり、 最初こそ失敗したものの、西軍を組織した石田三成が正しかった、 にもなりかねない。 そういえば坂本竜馬の土佐も、改易したけど長宗我部の国でした。 一人芝居の話ですけど、秋山さんだけはどう見ても別人でしょう。 Time : 2001/ 4/27(金) 10:48:18
Name : LL E-mail : Title : 思うに Comments: 「資料はあくまでも資料であって事実とは限らないし、  ましてや真実ではない。  事象に属性を絡めれば認識となり、認識は極めて主体的なものである」 「人それぞれ価値観は異なる」 Time : 2001/ 4/27(金) 16:50:54
Name : パンダ E-mail : Title : 思うに Comments: 「事実はあくまで事実であって、客観的存在である。 客観的存在を認識する過程と結果は、各人の主観に帰する」 「資料とは、客観的事実と主観的認識との、儚いしかし唯一 の架け橋である」 「 公開せる秘事である。 Time : 2001/ 4/27(金) 17:49:43
Name : えまのん E-mail : Title : 思う前と思った後に Comments: われおもう、ゆえにわれあり なぜ日本人は事実を見たがらないのか? 歪んだ性根に文章音痴。その態度を斬る! っていうようなコピー、何の本だったか覚えている方、手を上げなくて結構ですから ぜひご一報を。 パンダさん 続きは…あるのですか? それとも転送ミスですか? スノーウルフさん 他は怪しいと思います。彼女だけは異質だから違うというのは同感です。 特に粘る人と「二度と」を強調する人が怪しいです。 Time : 2001/ 4/27(金) 23:15:09
Name : 2ちゃんねらー E-mail : Title : 悲しい現実 Comments: 信長様は世界に先駆けて産業革命を成し遂げるに違いない(堺屋太一) ↑この方は超弩級のドキュソです。相手にしてはいけません。 信長様は西洋のあらゆる哲学者・偉人に匹敵する(秋山駿) 長篠の合戦は世界で一番早い鉄砲の集団戦法(津本陽・司馬遼太郎・その他無数) 信長様は民衆の味方だ(井沢元彦) ドキュソ発見ドキュソ発見! ある意味日本人も悲しいよな。作家には信長ドキュソが多いけど、 要はそれぐらいしか誇れそうな人間がいねーんだよ。 だからって事実を歪曲しまくる作家どもは逝ってヨシ! Time : 2001/ 4/27(金) 23:30:30
Name : P&Aと朴のファンクラブ E-mail : Title : 変人2ちゃんねらーから妄想2ちゃんねらーへ Comments: ↓の各作家、「様」を付けていたか? どこに付けていたか言ってみなさいよ。 ついにこの板も汚染されはじめたか、、、 Time : 2001/ 4/27(金) 23:48:26
Name : 丸禿丼 E-mail : Title : ブラック信長計画 Comments: 井沢氏のような信長ファンはまだともかく、 ここの所、手を変え品を変え名を変え登場している信長オタク、 日本テレビの日曜夕方の「ブラックジャイアンツ」と思考回路が同じだね。 歪んだ形でしか信長を愛せない、かわいそうに。 Time : 2001/ 4/27(金) 23:54:23
Name : パンダ E-mail : Title : スミマセン、、ミスです。。。 Comments: パンダです。えまのんさんへ。。。BSとEnterの押し間違いで、ご 迷惑をお掛けしました。 「真実は、我々にとって永遠の公開せる秘事である」 と書こうと思ったのですが。。。チョット気障過ぎて、2CHの坊や達に ドキュソ(ウザイかな?)って言われそうなので、止めたものです。 (どなたか。。。ドキュソとかAGEっていうのはどういう意味か教えて 下さいませんか?) Time : 2001/ 4/28(土) 00:08:37
Name : Stereo sound E-mail : Title : ちょっとすみません Comments:  どなたかその2chのアドレスを教えていただけませんか?  2m氏もなんか最近面白くないので。常識とやらを身につけられたようです。 Time : 2001/ 4/28(土) 00:09:15
Name : えまのん E-mail : Title : パンダさんへ Comments: ご丁寧にどうも、、 ドキュソとかageとかは2ch用語です。 あまりはっきりと覚えていませんが、、、 ドキュソは「キュ」を「ク」に読み替えれば分かるでしょうが、卑下する言葉です。 ageは元の意味が良くわかりませんが、コーナー内で板の順番を強引に上げるときに 使うパスワードのようなものです。 詳しくは同板に解説用の板がありますので、そちらを見てください。 (こんな解説したくない、、) Time : 2001/ 4/28(土) 00:13:22
Name : 2ちゃんねらー E-mail : Title : すてれおさうんど氏へ Comments: ふぉーらむのαという人の投稿を読みなさい。 Time : 2001/ 4/28(土) 00:15:17
Name : 廃棄物処理班 E-mail : Title : あなたも汚染されている Comments: >2m氏もなんか最近面白くないので。常識とやらを身につけられたようです。 ですと!? 危険です、あなたは確実に汚染されている! それとも、あなたはアレと「常識」を共有できるのか? Time : 2001/ 4/28(土) 00:36:11
Name : 雪狼 E-mail : Title : 「秋山さんを巻き込むな」とは私の言葉ではございません Comments: えまのんさん> 「秋山さんを巻き込むな」とは、一人芝居のリストの中にある方の裏での発言でしょう(笑) あなたの書き方じゃあ、その人が自己弁護出来なくなりますよ(藁) 芝寥多老は某小説で、ある偉人を誉めるために私の郷土の偉人を貶めておるゆえ、嫌いである。 一方を貶め他方を誉めるという書き方は、間違っても立派な態度とは言えない。 2ちゃんねらーさん、ドキュソの中にしばりょーを数えてくれて感謝。 Time : 2001/ 4/28(土) 00:54:51
Name : ゆきおおかみ E-mail : Title : すんません Comments: えまのんさん、先に自分の書き込みが、 その方の自己弁護をさせないものになっておりましたね。 申し訳ありません Time : 2001/ 4/28(土) 01:17:46
Name : 2ちゃんねらー E-mail : Title : 用語解説 Comments: 「ドキュソ」とは「ドキュン」の「ン」を「ソ」に見たてた物です。 いっちゃってる思考回路の持ち主に対して使います。 「age」は「上げ」です。書き込みがあった掲示板は順番が先頭に なります。長い間書き込みが無いと逆に順番が下がり、ログ落ちします。 そうならないために、内容は無いがとりあえず書き込む…それが「age」です。 えまのん氏、適当な事を書かないように。 Time : 2001/ 4/28(土) 02:05:08
Name : 2ちゃんねらー E-mail : Title : たかが2ちゃんねらー、されど2ちゃんねらー Comments: 奇しくもえまのん氏が言ったように、現実を見ようとしない日本人が多い。 それこそ「ドキュソ」レベルの作家が意味も無く売上を伸ばす中、 信長の真実に迫ろうとする多くの良書が初版のみで絶版していく。 歴史への興味とはそういう物ではあるまいに。 堺屋太一氏の妄想は解説不可能なので放っておく。 秋山駿なる作家が『信長』なる信長評論にて信長を西洋の哲学者や偉人に 見立てたのは典型的な西洋コンプレックスの日本人のやることである。 外人の名前を引用すれば知的だと思っている哀れな男だ。 司馬遼太郎始め多くの人間が長篠の合戦をして世界初の集団鉄砲戦術だと 説くのは無知の極みである。『信長公記』曰く「鉄砲千挺計」、すなわち たかだか千挺の鉄砲を集めただけで「世界初」とは…… 現在、世界初の栄誉に輝いているのはスペインのゴンサロ・デ・コルドバ将軍 である。彼は1503年の段階で野戦築城と鉄砲二千挺を組み合わせた戦術を 実行したのである。 長篠にそっくりな事がその72年前、しかも二倍の規模で行われているのである。 これを知らぬ存ぜぬで通すばかりか信長を強引に「世界初」にしたがるのは もう哀れなるコンプレックスの塊としか言い様が無い。 Time : 2001/ 4/28(土) 02:17:54
Name : 秋山 彩香(あやか) E-mail : Title : age Comments: あそこがかゆい Time : 2001/ 4/28(土) 07:44:50
Name : 名無史さんX世 E-mail : Title : 新説提示かと思った Comments: えまのん氏へ 井沢元彦著「言霊U」をお読みください。 同書にある「万葉集」についての公式見解は下記のとおり。 >日本では『万葉集』という、世界中、どこにもないようなアンソロジーがあるのも、そのお蔭だ。 >アンソロジーというのは、いわゆる多くの詩人の作品を集めた詩集という意味だが、 >しかし本来は名歌選という意味である。 >ところが日本の万葉集というのは、万(よろず)の言(こと)の葉(は)といわれるくらい、 >名もなき庶民の歌まで、そしてあまり人が言わないことだが、秀作とは言えない歌まで >載せられている。それはなぜかといえば、言葉というものがその人間の魂であるからだ。 >つまり万葉集とは、単なる言葉の記号を集めた記号集ではなくて、一種の慰霊碑なのである。 >慰霊碑と異いうより、もっと即物的な表現をすれば、墓地であるということすら言えよう。 >墓地というのは、かつて生きて存在していた人が埋められている場所だが、日本人の言霊感覚で言えば、 >言葉というのは単なる記号ではなく、その人間の分身のようなものだから、その分身を多く集め、 >後に伝えている万葉集は、まさに墓地であると言えるのである。 ↓の偽者さん、ここでageを使っても上がらないよ。(ワラ Time : 2001/ 4/28(土) 09:38:44
Name : パンダ E-mail : Title : 余計なことを、お聞きしてしまいました。。。 Comments: パンダです。えまのんさんへ。。。(2ちゃんねらーさんにも) つまらないことをお聞きして、すみませんでした。 もうすこし、エスプリの効いた言葉かと思ったもので。。。(笑い) Time : 2001/ 4/28(土) 11:02:49
Name : 七資産酸性 E-mail : Title : そうか、そうだったのか Comments: 2001/ 4/28(土) 02:17:54の2ちゃんねらー氏へ 前回のカキコはえまのん氏からの質問に答えただけのつもりだったのですが、 (えまのん氏の内容は「言霊U」のサブタイトルの−但し一部おかしい−と思われる) そういう意図があったのですか…。 実は信長「崇拝」に対する批判を井沢氏の言葉を借りて表現していたものとは、 全く気づきませんでした。 Time : 2001/ 4/28(土) 21:38:13
Name : MK E-mail : Title : ぅわぁ〜〜「北野天神縁起」絵巻が見られる!! Comments:  逆説を読んで、見たい見たいと思っていた絵巻が公開されてます。 「北野天満宮神宝展」 京都国立博物館にて5月13日まで(5月7日休館)  太宰府に左遷されて亡くなった菅原道真公が「天神さん」になられて  京都御所に落雷!! な〜んか楽しくなっちゃう(おっと失礼!)  GW皆さんいかがお過ごしですか。私は皆さんのおかげで色んな考え方が あるのが分かってとても嬉しいです。 Time : 2001/ 4/29(日) 09:36:18
Name : 始終ROM E-mail : Title : 雪狼さん Comments: 雪狼さん、確か塾か何かの講師でしたね。 どこぞの出版社にワタリつけて本を出してはどうでしょうか? 「井沢板を語る」とか。 Time : 2001/ 4/29(日) 15:18:13
Name : 始終ROM E-mail : Title : 雪狼さんへ Comments: 井沢氏が読者の意見を自分の著書に反映させるという発想がおかしいように思える という趣旨のアンチテーゼと理解してよいのですか? それと、最近のカキコの表現が2ch的ですよ。 あとすいません、下の「始終RAM」、身内の犯行でした。お騒がせしてすみません。 Time : 2001/ 4/29(日) 17:46:59
Name : スノーウルフ E-mail : Title : 始終ROMさんへ返答 Comments: そんなところです。 この掲示板の意義がまったく不明なので、2chにあった書き込みを引っ張ってきました。 本当にこの掲示板を意見交換の場としたいのであれば、 武田研究家さんが指摘したような井沢氏の史実誤認をはじめとして、 ご自分の勘違いや史実を歪曲したところを直すか、 それとも井沢氏に対して指摘したことが間違いである新たな証拠を出すなど、 ご自分の著作への責任を果たしていただきたいものです。 Time : 2001/ 4/29(日) 21:01:30
Name : えまのん E-mail : Title : 受けなかった Comments: 思ったよりも早くツッコミが入ってしまいました。 2ちゃんねらーさん、ご足労おかけしました。そのとおりです。 井沢説は50年前の定説の焼き直しなのですか? あと、下のバカ投稿は、以前からここでバカ騒ぎしていることを「いいかげんに」と、 そしてマトモな投稿を「はやく入れて」と言ってるとみなして聞き流しましょう。 どこにでも役立たずのゴシップ雑誌はあるものです。 あまり言うとこの投稿もそれにカウントされそう。 名無史さんX世(七資産酸性さん?)、ありがとうござんした。 Time : 2001/ 4/29(日) 21:04:15
Name : opopo E-mail : Title : なるほど。 Comments: たしかに、この掲示板の意義は不明ですね。歴史好きの集まりとしての意義は非常 に大きいと思いますが、井沢先生が主催者である意義はまったく理解できません。 井沢先生、どうか一度この掲示板を開設している理由と、掲示板の内容がいかに著作 に反映されているかを教えてください。こういう掲示板を開いている以上、多くの 読者の疑問には答える義務があると思います。 Time : 2001/ 4/29(日) 22:17:56
Name : えまのん E-mail : Title : 井沢板の存在意義??? Comments: 掲示板に「みなさまと自由なディスカッションをしていくための掲示板です。」と 出ているところを素直に読むと、「みなさまと」誰がの部分で、やはり井沢先生が という主語があると見るべきでしょう。 以前にパンダさんがこの件について代返していたように記憶していますが、 確かに井沢先生は多忙でしょうし、こちらの相手を一々していられないというのも 分からないでもないですが、常時とまでいかなくとも、月1回とかでも良いと 思うので、それなりに対応するべきかというのが皆の意見ではないでしょうか。 ただ、少なくともここにカキコしている人の大半は井沢ファンであり、一部投稿に 見られるようなミーちゃんハーちゃん的な態度は、一部に批判があるように、 あまり賛成できません。 「「逆説の日本史」ご愛読者のための掲示板です」というサブタイトルがついて いますが、「逆説」以外にも「言霊」シリーズでも良いのでは、と思っています。 Time : 2001/ 4/29(日) 22:32:46
Name : 2ちゃんねらー@戦国板 E-mail : Title : 井沢板の2ちゃんねる化。自由といえば自由だが? Comments: >えまのんさん >井沢説は50年前の定説の焼き直しなのですか? はいその通りです(藁 それ以上でもそれ以下でもないので、簡潔に終わります(藁藁 Time : 2001/ 4/30(月) 00:16:22
Name : Stereo Sound E-mail : Title : レスをありがとう Comments:  ございました。  ちょっと覗いてみましたが、なんと楽しいサイト。ただあれでは2mさんが喜ん でしまうでしょうね。ちょっとしたスター気取り。  今度は2mさんもプライベートセックス(って要するに、、)にふけるそうなのでまた大変。 Time : 2001/ 4/30(月) 00:35:54
Name : 雪狼 E-mail : Title : 国際化と英語教育?? Comments: 今日また井沢氏の本を立ち読みしてきました。(買うほどの価値を考えた上で:ワラ) で、その中に書いてあった英語教育と国際化の話について。 >英語教育で何をすべきか、それは「会話」である これ井沢氏の論。私が学生時代に知ったかぶりでとうとうと論じていたことと酷似していますが、 井沢氏は、それでは、「会話」を学にはどのようにすべきであると考えていらっしゃるのでしょう。 井沢氏が英語をどの程度お話しになるのか疑問ですが、 日本以外の国で外国語を学ぶのに、どのような方法を取っているかご存知でしょうか。 ロシアの日本語学校においては、文法を教えることの出来ないものはお払い箱です。 会話に文法?とは、よく教育の「き」の字も知らない人が反論しています。 例えば、子供が言葉を覚える際、文法の学習などしない、と。これは間違い。 母国語として育つものと、外国語として学ぶものとの区別をする必要があります。 まず、英語から日本語に翻訳して理解する−これが学習の最初でしょう。 母国語の日本語を覚えたときは翻訳などしませんが、 少なくとも外国語を始めたときは翻訳することが必要です。 井沢氏は英語で会話する時、一度として翻訳したことがないのでしょうか? それが出来るのはバイリンガルというレベルに達している人であり、 中学生ひいては小学生にそれを要求するような考えは、はっきりいって教育者として論外。 「会話」を学習すべきだ、というのなら、どうやって会話を学習するのか、 そこまで論じないと教育論をしていることにはなりませんよ。隣の厨房と同じです。 あらかじめ言っておきますが、対話を授業で練習するのは、 文法を知らないものにはまったくの無意味です。 上に挙げた文で「信長」が「ピョートル大帝」に変わっても文を作れる・・・ これが文法というものです。これがないのは九官鳥かオウムと同じで、 まともな会話など出来ません。 井沢氏の本には、「NOといえる日本」とかいう本を引き合いにしていましたが、 NOというにもYESというにも、それは英語が出来る出来ないの問題ではなくて、 先に日本語で言えるかどうか、から始まるのではないでしょうか。 井沢氏の問題のすり替えには正直のところ腹が立つのを通り越して呆れる思いです。 Time : 2001/ 4/30(月) 19:15:02
Name : 雪狼 E-mail : Title : >上に挙げた文章 Comments: 消えていました。 「信長は世界で最も優れた政治家です」 と書いていたのです。 学校で会話の練習を週5時間ほどしても、1ヵ月でやっと向こうの子供の1日相当。 これで本当に会話が出来るようになるか??? 子供が話せるようになるまで2年はかかりますが、 700ヵ月でやっと2歳レベルというわけですか・・・ ところで井沢氏は英和辞典など持たないの? Time : 2001/ 4/30(月) 19:18:27
Name : ビアフラ E-mail : biafra@sirius.ocn.ne.jp Title : 天皇家の祖はどこから? Comments:  初めまして。  7年前になりますが、韓国の済州島に旅行したときのことです。ガイドの人から、この島の成り立ちの神話を 聞きました。それによると、ハンナ山の北の毛興の穴から、良、高、夫の三聖人が現れ、この島を治めた…と。  後に勘違いと分かったのですが、彼らのうちの1人が、日本に渡ったと。実際は、日本より3人の女性と、穀 物の種が送られ、それぞれ、3聖人の妃となって島の祖となったのだそうです。  話の勘違いから、天皇家の祖先は、もしかしたら、朝鮮半島から来たのでは…と思ったのですが、その後「逆 説の日本史(古代黎明編)」を読んだ際、同じ様なことが載っていました。  日本と任那(加羅国)は、内官(うちつおみ;夫婦の意)の関係と述べられてますが、もしかすると、任那か ら王(王妃)を迎え入れて、今の天皇家ができあがり、その仲立ちを百済がしたのではないかと思います。だか ら、中大兄皇子や斉明天皇が百済援助にこだわったのでは?この考察は、違ってるかもしれませんが、少なくと も、天皇家の祖は、朝鮮半島と何らかの関わりがあると思います。 Time : 2001/ 4/30(月) 21:31:24
Name : パンダ E-mail : Title : せめて。。。 Comments: ピアフラさん。。。せめて「魏志東夷伝」「宋書」「唐書」「広開土王碑文」 「三国史記」「三国遺事」の「倭」関係部分程度はお読みになることを、お勧 めします。「百済」「任那」と「倭国」の力関係が少しはお分かりになると思 います。 Time : 2001/ 4/30(月) 22:10:16
Name : 2ちゃんねらー E-mail : Title : 捏造 Comments: 一つ覚えておくべき事。 天照大神は女性ではありません。 神道の歴史を遡れば天照大神が男であるという結論になります。 古代は神話と歴史が交じり合う時代です。 宗教学の知識が半端なままでは古代は語れないと思います。 Time : 2001/ 4/30(月) 23:24:00
Name : 2ちゃんねたー E-mail : Title : 追加 Comments: 下の投稿、タイトルは『捏造好きの隣国さんへ』と書こうとしたんですが、 途中で切れてしまいました…… 天皇家が半島から渡ってこようが宇宙からやってこようが私は構わないのですが、 まず神道でアマテラスが女性だから……という発想から始めると間違いだという 指摘をさせていただきました。 >雪狼さま 井沢氏は色んな方面で無茶してますねえ…… 明治・大正の英語の達人たち(新渡戸稲造とか内村鑑三とか?)は 皆そろって「日本語の達人」でもありました。 私自身は文法そのものの教育は熟語として覚えても文法として 覚えても結局は覚えにゃならんのでどちらでも良いと思いますが、 まず日本語ありき。これはだけは譲れませんな。 井沢氏は何か言ってました? Time : 2001/ 4/30(月) 23:30:29
Name : 梅林ヶ流 E-mail : Title : 雪狼のワイン Comments: あんたのようなワイナーがぐたぐた言うから日本の英語教育は良くならないんだよ。 英語教育のエの字も分からんくせに、偉そうなことを言うんじゃないよ。 翻訳教育のほうが会話教育より必要だっていうなら、それ証明してみせろよ! Time : 2001/ 4/30(月) 23:40:59
Name : パンダ E-mail : Title : アマテラス。。。 Comments: 2ちゃんねたー(ねらー?)さんへ。。。 >>神道の歴史を遡れば天照大神が男であるという結論になります。 「記紀」以前に遡りうる「神道の歴史」って何かあるのでしょうか? 日本の「祖神」「太陽神」が女性であっても、宗教学的には特に問題 はないと思いますが? もちろん、これを天皇家の半島出身説と結び つけることは無茶でしょうが(半島出身ならば逆に「祖神」は男性に なるでしょう)。。。 ああ、梅原・上山さんの持統=アマテラスや安本さんの卑弥呼=アマテ ラスはチョットご勘弁下さい(笑い) Time : 2001/ 4/30(月) 23:58:43