Name    : naoki
E-mail  : 
Title   : Awaji san thank you very much
Comments: 
Dear Awaji san 
Thank you for your information. I am sure it will be very helpful. 
Actually, kotodamaism is a part of my paper, I will deal with it as a feature of Japanese mass 
media in comparison to British media. 


Time    : 2000/ 5/ 1(月) 01:19:11

Name : naoki E-mail : Title : Awaji san thank you very much Comments: Dear Awaji san Thank you for your information. I am sure it will be very helpful. Actually, kotodamaism is a part of my paper, I will deal with it as a feature of Japanese mass media in comparison to British media. Time : 2000/ 5/ 1(月) 01:20:19
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 秋山様、ありがとうございました Comments: 秋山 彩香様,詳しく解説頂き,ありがとうございました。 まだ、御説をちゃんと理解したと到底言える段階では有りませんので, 意見は控えますが、まずはお礼申し上げます。 一通り受け止めるだけでも,相当時間が必要なようですので, もう少し時間をください。 でも、「なんとなく」といえるほどのレベルで申し訳ないのですが, おっしゃりたい事の取っ掛かりはつかめたような気がします。 Time : 2000/ 5/ 1(月) 09:52:10
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 出雲大社は蘇我氏鎮魂施設? Comments:  はじめまして、前から考えていたことで、皆さんの意見をお聞きしたいと思いましたので、メールしました。  私は、出雲大社は蘇我氏鎮魂施設ではと考えています。その根拠を箇条書きにしておきますので、意見を聞かせてください。  1.出雲大社本殿の裏にあるスサノオの宮(スサノオとはオオクニヌシの父親、いや祖父だったかな?)の名前がソガ社 (ソガの字は確認する資料を持ってませんが、読み方は間違いないです)という。  2.蘇我氏、物部氏は出雲豪族出身といわれている。また、島根県には物部神社なるものもある。  3.出雲国造に命じて大社を造らせた斉明天皇は、蘇我入鹿暗殺当時、皇極天皇であった。  4.大和には、伝承として天皇家より出雲のほうが早く大和にやってきたというものがある。また、大和の聖地、三輪山 に奉られている神の名はオオモノヌシという出雲の神である。  5.天皇家最大の年中儀式(たしか新嘗祭)では、主祭神に奉られているのがオオモノヌシであり(もしかしたら、名前 が違うかもしれないけど、まあ出雲の神です)アマテラスはその横に鎮座している。  6.最も不可解なのが、首塚や石舞台古墳などの蘇我氏にまつわるものが、今でも残っている。本当に悪人であったら、 それらのものを残すはずがない。これは怨霊と考えるのが日本史のルールに乗っ取っていると考えられる。また、扶桑略記 には斉明元年に蘇我入鹿の怨霊が出たと書いてある。  7.それにも関わらず、蘇我氏の鎮魂施設はこれといって見当らない。  思いつくのはこんなところです。私も歴史の事実に関心があり、誠意を持って書いてありますのでデタラメは書いてません。 しかし、個人が趣味で調べたものですから、その正確性に限界がある場合は遠慮なく言ってください。  ただ、1の大社本殿の裏にあるスサノオのソガ社は、自分の目で確認してますので、間違いはないです。 Time : 2000/ 5/ 1(月) 19:50:25
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「kotodamaism」?? Comments: Dear Mr. Naoki It's my pleasure the information to be useful for you, and also you to get a high technique of "Ninpou kodamagaesi".  But I can see hardly any clear evidence, which showes me Kotodamaism's influence in mass media. (^.^; So I think that a feature of Japanese mass media's rather only Escapism(?) from the reality of the world,or 0pportunism for the masses than kotodamaism. By the way・・・ Could you please speak(write ?)Japanese, if you do ?<(_ _)> Bacause,as you know, my ability of English comversasion's too poor to explain my opinion about this. Once,I introduced some idea abouto kotodamaism at 1999/ 4/10(土) 21:28:51 Title : 救世観音と言霊信仰. 1999/12/ 2(木) 23:08:45 Title : 救世観音と「顕幽分離ー言霊信仰」. See(read ?) you again !! (^_^)/~ (This ward's also from Kotodamaism, don't you think so ? ) Time : 2000/ 5/ 1(月) 22:49:40
Name : boukansha E-mail : Title : Schorlarship is chalenging. Comments: Mr.Awaji I think that scholarship is chalenging. Kotodamaism is very intersting approach to Japanese culture. So `kotodamaism and Japanese mass media` would be very curious theme I think. Anyway, it may turn out that there is no relation between kotodama and Japanese mass media, but it is also advancemnt of understanding in Japanese culture. So it is not so good to descourage Mr.Naoki from his theme. Time : 2000/ 5/ 2(火) 00:13:01
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 蘇我氏ですか?? Comments: ゆきひろさん、こん@@は。ご意見びっくりして読ませていただきました。 面白い解釈ですね。 因みに1の漢字は「素鵞社」です。江戸期に建てられたと聞きますが?? どうなんでしょう?斉明天皇の頃にも素鵞社は建てられてたのでしょうか? 素鵞社はスサノオが降臨した須我神社を勧請したものではないでしょうか? このへんは正直よくわかりません。 出雲国造は大国主を斎奉るのが本分ではなく、スサノオを奉じるのが本来の職務 のようですから・・・・・。蘇我とは関係ないような気がします。須我が素鵞に 転じたのだと思いますが、蘇我氏とは意外でびっくりしてます。 眠いので今日はこのへんで失礼します。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 00:59:06
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「objection」?? Comments: Dear Mr.Boukansha Thaks for your commennt. I also think that a challenging's very importannt for the progress of scholarship,even if it's misunderstanding. So I'll never descourage Mr.Naoki from his theme. If you felt so about my opinion,I had to say "gomennnasai". But I think tahat it's valuable for Mr.Naoki to know another opinion about Kotodamaism. Bcause a challenger for a new theme had to begin to know some objections,and to make effort to overcome them. Mr.Naoki! Ware you descouraged by my opinion ? Time : 2000/ 5/ 2(火) 09:39:49
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 秋山彩香様,質問の山になってしまいました。 Comments:  投稿されたご意見を読めば読むほど多くの疑問が出てきました。 まず、=【】とか「投影」とか「モデル」とされている部分ですが, これは、片方が実在しない人物という事でしょうか? 単に境遇が似ているだけというようにも受け取れますが・・ たとえば「最大の根拠」でまずつまずくのですが, > 一番の根拠は、聖徳太子の国書「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に >致す、恙なきや〜」の返書に「朕は宝命を欽承して〜」の文言が在る事です。 >この「朕は宝命を欽承して〜」は、元になる隋の開祖の高祖・文帝の文言「天命を >受ける」と同様に「王朝の開祖のみが言い得る文言」だからです。 >而して煬帝は隋の二代目です。依って煬帝は「天命を受ける」や「「朕は宝命を >欽承して〜」の文言が使用出来ません。 は、この返書が偽者という意味でしょうか?(または、改竄?) またそれは、聖徳太子の存在を否定するのでしょうか? 小生の読解力ではどちらか分かりませんでした。 けれどももし本物なら、煬帝は日本の裏の事情には関係なく書いているので、 信頼できる史料でしょうね。  それから、聖徳太子とされる大津皇子ですが,今までのまとめをしますと:    大津皇子は、天武の息子でなく弘文の息子で,高市皇子も天武の息子でなく   天智の息子。両人とも即位した。高市皇子は皇位と引き換えに裏切って従順だったので,   天武に重く用いられた。しかし、大津は(なぜ,生かされたのでしょう?)両親の恨みを   はらすため,681年に天武を殺害し(これを史実とする根拠が不明ですが),   即位して飛鳥浄御原宮を建設した。けれども、わずか5年後にセクハラで失脚した。  この筋道では、大津はまるでどこかの知事のように無能扱いですが、これで良いのですか? もっと有能な方だと思っていたのですが。(まとめが間違っていたらご指摘ください) 天武を恨んでいるなら,高市皇子もうらんでいるはずですね。やはり殺害したのですか? また、高市皇子が即位したのはいつになるのでしょう?  当てはまりそうな時期がないのですが・・・。 また、高市皇子は人麻呂と懇意で、弔いの歌も有ったように聞いておりますが、 一寸つじつまが合わないように思います。  日本書紀では,683年2月1日に大津がはじめて朝政を執ったという記述がありますが, これが改竄されたものなら,その理由はいったいなんでしょう。 小生は史料至上主義者ではありませんので,理由があってでたらめを書くことは よくあることだと思っていますが,無意味な改竄は信頼性を損ねるだけで, 作者たちにとって何の利益もないと考えますので、その意味の書き換えはほとんどないと 思っています。 もちろん,それは万葉集に対しても同じで, >『万葉集』は「聖武天皇の言霊」であり、一言一句、無駄や嘘はありません。 というのも単純には信じられません。(根拠をいずれお示しになると思いますので, そのときにどの程度信頼できるか判断しますが。)  基本的に小生は文学音痴なので,歌からの解釈が良く分かりません。 たとえば,二度引用されている >ふたり【太上天皇と天皇】行けど行き過ぎかたき秋山【蘇我大王家の皇統】を >いかにか君【大津皇子、太上天皇に即位】がひとり越ゆらむ (巻二・一○六) という歌も,【】内のように解釈するのは可能ですが,無理があるように 思えますので,この解釈でもって何がしかの根拠にされるのは、さらに困難と 存じます。確かにノストラダムスのように歌の多義性を否定はしませんが。  念のため申し添えますが,小生は反論しているのではなく、質問しております。 基本的にお説が面白いから,意見を書いているのです。 (天武は孝徳の皇太弟などの説は、興味シンシンです。根拠が欲しいですが。) でも失礼いないい方かもしれませんが,このままの記事の書き方を続けられても, 多くの方の賛同は得がたいように思います。もう少し,たとえ「反対説の持ち主」 であっても、ある程度納得できる形に著述を洗練される事を望むからです。 あえて厳しい言い方をしますと,断定調であるのもかかわらずあいまいさが多く, 用語の使用に少し独断・偏見が見うけられるように感じます。 もう少し根拠が明瞭になり,読者が秋山様が描く世界に無理なく入り込めるよう 違った角度から論じていただけたらありがたく存じます。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 10:36:57
Name : 通りすがりの爺 E-mail : Title : ここは、いったい・・・? Comments: 皆様、お邪魔いたします。 秋山様の「私見」は大きく外れてもいませんが、当たってもいません。 大津に聖徳太子を投影させる。これは、ナイスな推理ですが、それだけではハズレ です。推測の域からは出られないですね。 人物の推理も違います。 鎌子=舒明とか、こういうのはね・・・・・・(苦笑)。 記紀の内容を鵜呑みにしない姿勢は、賞賛します。しかし、です。 いろいろな本等ともっと照らし合わせて、組み立てられると良いかと考えます。 推理小説ならば、面白いでしょうね。 では、失礼しました。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 11:27:41
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: どうもありがとうございます。 そのソガ社(漢字ありがとうございます。 入力したくても、むずかしいので・・・) は奇妙なんですよ。 なぜなら、神社というのは、たいがいその裏山とか 周りの敷地がセットになってます。 つまり、その社だけが神社ではないのです。 その証拠に、ドライブしていて 周りに比べて、やたら古い木が生い茂っているところは 僕の経験では、まず神社か古墳です。 つまり、日本では森林を重要視する信仰が神社だと思うのです。 まあ、神社信仰とはそれだけではないですが。 しかし、この森林信仰は縄文人の信仰の名残だと考えてます。 ほら、狩猟文化でしょう。 そうしたら、出雲大社の裏にある山も禁足地です。 簡単に言うと、聖地ですよね。 それに、周りから見ると、そこは一段と木が古そうです。 つまり、出雲大社の重要な信仰の地がその禁足地の裏山です。 そうすると、出雲大社の本殿の裏にソガ社はあります。 そのソガ社の裏に禁足地があるのです。 変でしょう? 出雲大社に入ると、拝殿があって本殿があって その裏にひっそりとソガ社があって、そして禁足地なんですよ。 仮にソガ社が重要なものでないのなら 本殿の横とかそんなところにあるでしょう。 じっさい、本殿の横には 大和朝廷側の神が奉ってある社があるんだから 明らかに別扱いだと思うのですが。 その須我神社(島根県のでしょ?)ですが、 小さい頃にいったことあるんです。 日本国最初の神社なんですよ。 そうすると、ますますおかしくないですか? なにゆえに、スサノオが降臨した神社と 蘇我氏が同じ音をふむのか 出雲大社の四拍手は死を意味するものです。 おそらく間違いないでしょう。 それくらい、この国の民族は言葉を重要視します。 ならば、何故、蘇我氏がスサノオが降臨した神社と 同じ音を氏とするのか? やっぱり疑問ですよ。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 16:18:27
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 勇者ロトさんへ パート2 Comments: 本日2度目です。最初のメールを見てください。 訂正です。 僕が言ってた日本最初の神社は 須佐神社です。たしか・・・ ここは、看板にも日本最初の神社という 意味の言葉が書いてあります。 それにしても、そのスサノオが降臨した 神社を出雲大社に持ってきたら(勧進っていうのかな?) その社の名前がソガ社ですよ。 やっぱりあやしい。 そのスサノオとオオクニヌシの国譲りはご存知ですよね。 僕は、この神話と大化の改新がダブるんですよ。 また、須佐神社と荒神谷遺跡(銅剣が出た)と 銅鐸が出た遺跡(名前忘れました)は非常に近いです。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 17:24:40
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「須=素=ス」 Comments: ゆきひろさん、出雲大人勇者ロトさん、今日は。Awajiです。 おっしゃるとおり「素鵞」は、「須我・須賀(スガ)」ですね。 須佐之男命は、素戔嗚尊とも表記されていますから、須=素=スでしょう。 (素戔嗚を、「ソ」サノヲとは読みません。) 須我(賀)神社は「八雲立つ、出雲八重垣・・・」で知られる須佐之男の本拠 であり、大国主の祖先神とされていますから、出雲大社の摂社として勧進され ているのは当然で、これを「ソガ」と読んで、蘇我と引っ付けるのは、チョッ ト無理でしょう。 ところで、 >>蘇我氏、物部氏は出雲豪族出身といわれている。 こんな話は聞いたことがないのですが、どなたかがおっしゃっているのでし ょうか? >>本当に悪人であったら、それらのものを残すはずがない。 磐井の反乱は、当時の大王家にとって極めて大きな危機で、当然悪人とされて いますが、その墳墓と思われるものは、残っています。 「残すはずがない」とは、言えないと思うんですが??? もっとも、石舞台の石室が露出しているのは、蘇我本宗家に対する報復と見る 説もあるようですが、これはAwajiには判断できません。なお、首塚は単なる 後世の伝承でしょう。 なお、 >>怨霊と考えるのが日本史のルールに・・・蘇我氏の鎮魂施設はこれといっ >>て見当らない。 Awajiは、欽明期以降、桓武期(光仁期の井上皇后等を含む)以前に単なる陵 墓等の(霊安)鎮魂施設ならばともかく、非業の死を遂げた多くの「人物」の 明確な(怨霊)鎮魂施設の存在は全く知りませんが、ゆきひろさんは何かご存 知ですか?? 要するに あに、蘇我本宗家のみならんやと思います。 (法隆寺・東大寺の怨霊鎮魂施設説等は、まったく信じられません。) また「四拍手=死」は、このHPでも坂本博士の論文を中心に議論されていま すが、既にある種のジョークでしかありえないと思っていますが・・・・ Time : 2000/ 5/ 2(火) 17:32:38
Name : 勇者ロト E-mail : Title : ゆきひろさんへ Comments: ゆきひろさん、こん@@は。 蘇我と素鵞社が通じるかどうかはさておいて、出雲大社が怨霊鎮魂施設かどうか? については、今まで散々考えてきました。先日ホームページを立ち上げまして、そ の話題について私の意見をそちらで纏めて掲載しておりますので、御手数ですが、 まずそちらをご覧になっていただけないでしょうか?御願いします。 何度もここを同じ話題で汚すのもどうかと思いますので、蘇我=素鵞社は有り得る か?については後ほど考えを書き込みたいとおもいますが、今のところ蘇我=素鵞 は成り立ちにくいと思っています。 下記ページです。 http://kigaru.gaiax.com/home/dragon_suplex20c/main Time : 2000/ 5/ 2(火) 17:57:11
Name : 勇者ロト E-mail : Title : Awajiさんに Comments: 先を越されたようですね。因みに素鵞社の読みは「そがのやしろ」なんです。 確か。でもスサノオ降臨の地須我(スガ)と、蘇我(ソガ)は音を踏みません。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 18:03:05
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 勇者ロトさん Awajiさんへ Comments: 読みはソガです。これはその社の 前にある立て札に読みがながふってあります。 しかし、何故?スサノオ降臨の場所と関係のある 本殿裏の社がソガというかなんです。 しかも、普通に読んだら、ソではなくスですよ。 スサと読んでも不思議ではなく 何故に、無理がありそうな読み方の ソガなのか? それが気になるんです。 また首塚などが伝承といいますが それも気になるんです。 常識で考えて 歴史上の極悪人とされている人物の 首塚の伝承を残すものでしょうか? かえって、その伝承すら抹殺しないでしょうか? (時代も洋の東西も違いすぎますが、ヒトラーなど 例としてあげられるのでは) しかも、磐井の墓と違い、首塚は大和です。 朝廷の本拠でそんな伝承を許すことが 理解できないんです。 結局悪人というのは、敵対していた相手に対し 使われる言葉ですよね。自己を正当化するために。 自分を善しとすれば、相手は悪になるというように。 欽明期以降の鎮魂施設は知りません。 ただ、どこかが一番最初に建てられた 施設ですよね。それまでは墓が施設だとしても 四拍手を死とするかは別にしても 四拍手自体は特殊だと思います。 その特殊性は気になりませんか? また、出雲大社の宮司さんの家系も含めて 蘇我氏の出雲出身説は 関祐二氏の本を鵜呑みです。 それ以上の根拠はありません。 勇者ロトさんのページは今から見ます。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 19:42:51
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: ページを見ました。 善悪の意味が違うとおもいますよ。 例えば、体制側を善とすると 反体制は悪です。 しかし、反体制側は自らのことを悪と思いますか? 本人達は善だと思っているんです。 それはキリスト教とイスラム教を見ても理解できるでしょう。 お互いに、本人達は善だと思っているし、 相手は悪だと思っている。 善悪なんて、立場が変われば変化するんです。 それゆえに、オオクニヌシの解釈が 出雲とそれ以外では異なるんだと思いますよ。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 19:59:42
Name : 勇者ロト E-mail : Title : ゆきひろさんへ Comments: ゆきひろさん、わさわざ読んでいただいてありがとうございました。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 21:05:46
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: ホームページ面白かったです。また、立ち寄ります。 それで僕の言いたいことをまとめときますね。 何故?斉明天皇が出雲に大社を造ることを命じたのか?    彼女と出雲は何か関係があるのか? 何故?千家氏という、天皇家と関係がある家系が    宮司を務めるのか? 何故?本殿は移築されていても(今回出土の柱から判断)    江戸期(知らなかったのですが)に    ソガ社が本殿裏に移築されたのか?    このソガ社の移築が天皇家の了解無しに行われたとは    宮司や出雲大社の歴史や天皇家の関わりから    考えにくい 何故?スサノオが降臨した土地に、そんな天皇家にとって    重要視されている社を建てる必要があるのか? 僕は出雲という土地はアンデス地方と似ていると思うんです。 古代アンデスは、インカ帝国などがあり 独自の文化を育んできました。 しかし、スペインに征服されて、その文化は途絶えました。 もしくは極めてキリスト教化しました。 結果、現在アンデス文明を研究しようとしても よく判りません。何故なら、その文化の直系の子孫は 途絶えてしまったのだから。 全員が何らかの形でキリスト教文化の影響を受けましたからね。 その点は出雲の立場もよく似ています。 アマテラスとは異なるスサノオという存在があり、 銅鐸が大量に出てみたり。 しかし、出雲とアンデスの最大の違いは アンデスにはサン・ピエトロ大聖堂 みたいなものはないということです。 あくまで、新大陸の教会であって バチカンと同格の都市などないと思います。 しかし、出雲は同じ征服された(そう思われる)土地でも 出雲大社という、ある種特別な神殿があるのです。 これが、最大の疑問です。 そこが蘇我氏と関係あるかないか?は正直二番目の興味です。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 22:22:14
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「此云素鵝」 Comments: ゆきひろさん、勇者ロトさん、今日は。Awajiです。 (最新コメントは未読です) 出雲大社では、「素鵞」を「ソガ」と読ませているのですか? チョットビックリ ですね w(゚o゚)w oh! ご存知のとおり、書紀本書では以下のとおり、記述されています。 「然後、行覓将婚之処。遂到出雲清地。(清地、此云素鵝)乃言曰、 吾心清清之」 つまり明らかに「素鵝=スガ(鵞は鵝の異字体)」なのです。 何故、大社がこれを「ソガ」と読ませているのかは、分かりませんが、 おそらく中世に誤読した可能性が大だと思います。 >>何故?スサノオ降臨の場所と関係のある本殿裏の社がソガというか >>なんです。 なお、「須佐神社」は、簸川郡佐田町。「須我(賀)神社」は、大原 郡大東町。降臨は、簸の川上。「出雲大社」は、出雲市ですから、全 く場所が違います。 なお、これもご存知のとおり、杵築大社の祭神は、記紀では「大国主」 ですが、平安中期には「素戔嗚」に変わり、その後十七世紀になって、 再び「大国主」に戻されています。 おそらく「素鵞社」が、この地に勧進されたのは、おそらくこの祭神変 更の関係だと思います。 >>また首塚などが伝承といいますがそれも気になるんです。常識で考え >>て歴史上の極悪人とされている人物の首塚の伝承を残すものでしょう >>か?かえって、その伝承すら抹殺しないでしょうか? そのような常識は、何処にもありません。酒呑童子から将門に到るまで、 悪人(反逆者)の伝承(物)は、満ち溢れています。なおヒトラーの例 は、意味が分かりません。 >>ただ、どこかが一番最初に建てられた施設ですよね。 もっとも確実な「人物怨霊鎮魂施設」は、貞観五年(863)御霊会による 御霊神社でしょう。「神霊鎮魂施設」では、大三輪神社とされますが、こ の祭祀時期は不明です。(記紀では崇神期とされています) >>四拍手自体は特殊だと思います。その特殊性は気になりませんか? 全く気になりません。以下ご参照頂ければ、お分かりになると思いますが、 これは古儀によるものです。なお伊勢神宮では、今も両段四拍手ですし、弥彦 神社においても、この風が残っているそうです。 (四拍手=死は、いわゆる梅原さん特有のトンデモ的奇説です。) 梅原氏はまた四と死との連想を強調しようとして、出雲大社ではカシワ手を四 つ打つ。カシワ手を四つの神社は他にはないという。しかし、このことは出雲 大社が大国主神の死霊を祭ったという証には少しもならない。神に対し四拝ま たは四拍手することは、日本古来の一般の風習であり、出雲大社に限ったこと ではない。今日出雲大社で四拍手を行うとすれば、それは旧儀を忠実に伝えて いるだけのことである。 四拍手が古礼であることは、『儀式』巻三践祚大嘗祭儀に、・・・・跪いて手 を拍つこと四度とあり、・・・・・『日本後記』延暦十八年・・の文もある。 これによって正月朝賀の拝は通例四拝であったことがわかる。渤海使の参列を 慮って四拝を再拝にかえたというからである。 これについて、平安時代 藤原公任の著した『北山抄』の説明は丁寧である。 『本朝之風、四度拝神、謂之両段再拝』・・・これらの文献によって、四拝が 決して珍しいことではなく、古来から伝えられた慣習であること、従って死の 観念などの介入する余地の全くないことは、明らかであると思う。            「日本古代史叢考」 坂本太郎著 吉川弘文館 >>蘇我氏の出雲出身説は関祐二氏の本を鵜呑みです。 関祐二氏?良く存じませんが、一体何を根拠としておられるのでしょうか? Time : 2000/ 5/ 2(火) 22:45:43
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 勇者ロトさんAwajiさん 質問です Comments: 須佐神社の件ありがとうございます。 これは本当にわからないのですが 出雲大社は実は出雲市ではないですよね。 あそこは大社町といって、出雲市のとなりなんですよ。 確か。 まずその理由。 つまり、何故出雲市ではないのか? それと、出雲市と出雲大社は、たしか、ひらがなで書くと いずも と いづも だったと思うのです。 何故?同じ字で隣にあるのに、違う字を使うのか?です。 Awajiさんへ ソガと誤読した理由。 また、それを放置している理由はなんだと思いますか? 将門の首は祟ると思うのですが? そして、将門場合は本当の悪人ではなく 朝廷にとっての悪人です。 関東武士(一部としておきます)にとって 将門は英雄だと思いますよ。 ヒトラーの墓がどこにあって、 そこに花を手向ける人がいるか?ということです。 まあ、ヒトラーの信奉者ならするでしょうが、 それをベルリンで堂々と出来ますか? 首塚とはそれくらい異常なものだと思いますよ。 本当の悪人ならば。 僕は、蘇我氏をたんなる敵対勢力だと思ってますけど。 また、常識とはもしかしたら 僕個人の常識かもしれませんが 悪人の首塚など残したくないという心境です。 また四拍手を古礼と片付けるのなら 何故?新しい方法が出来たか?です。 古礼を続ければ良いのに その理由が問題と思いますよ。 それは祭神変更にも言えますよね。 ただ、四と死を抜きにしても 日本語では音を重要視しませんか? 同音異義語といって。 それを重要とするか?しないか?は 個人的見解があるでしょうが、 全くないとは言えないでしょう? Time : 2000/ 5/ 2(火) 23:16:23
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 素鵞社と出雲の歴史背景についての妄想 Comments: で、本題です。 素鵞社はどうしてソガと発音するのか?それは確かに疑問といえば疑問です。 しかし、蘇我氏との関係があまりはっきりしない以上、発音が転化したとか、 出雲訛りでは、スガよりソガに聞こえるとか??? 井沢先生は、客座五神と大国主の配置から客座五神を拝ませているのだ。 と、されてます。私は出雲大社の配置は大国主や客座五神よりも素鵞社つまり、 スサノオを拝ませているんじゃないかとたった今閃きました。 現在の出雲大社の祭神は第1に大国主とされてます。 しかし、それを祀る役目を負った出雲国造は第1の神としてスサノオを祀ってい たのです。出雲国造神賀詞によるとイザナギの「日真名子」としてスサノオを第 1番目の神として扱っています。これは天照との関係をアピールするために大国 主でなく、スサノオをもってきたとか、出雲の王としての順序からスサノオを最 初にもってきたとか思ってましたが、出雲国造は江戸期まで何もかもスサノオを 中心に祭祀をとり行っていたようです。熊野神社だけでなく杵築大社においても。 火継式などで熊野(スサノオ)の優位を演じさせる神事が残っていることなどは その名残であるでしょうし、中世まで熊野神社の方が社格が高かったという事も その理由としてあげられるでしょう。 しかし、江戸期の杵築大社改築により大国主を第1としないといけなくなった。 これはおそらく経済事情が主な理由でしょう。大国主を第1とする事によって、 大社の収益が上がるような事態になったからではないでしょうか?これは信仰 の保持を第一義と考える国造であり祭祀者でもある出雲国造家(千家・北島家) とっては重大事なのです。 地方の寺社勢力はしたたかです。勢いのあるものに味方するためにスサノオを 一端隠し、大国主に乗り換え、また朝廷が力を持っていた平安期には朝廷との 繋がりのあるスサノオを表に立てた。 江戸初期といえば、天海僧正が日枝山王社を通じ大国主の神格を利用しようとし ていた頃でもあります。 大国主を再び表に出したのは、つまり江戸幕府や松江藩からの援助を期待しての ことではないでしょうか? しかし出雲国造は、スサノオ第一主義を捨てられなかったため、本殿の真裏に素鵞 社を建て、本殿を通してスサノオを拝ませようとした。 というのは、無理がありすぎ????? 以下は、出雲歴史的背景についての私の妄想です。 平安期までに今回みつかったあれほどの巨大神殿を作れた背景には出雲国造が、 かなり裕福だったからだと思われます。それはスサノオ=天照の弟という関係 から朝廷へのアピールができたからだと思われます。それゆえからか出雲の場 合は他国の「くにのみやっこ」よりもいろいろな特権がある「こくそう」なのです。 それだけでなく、地理的優位を生かし半島勢力と交易などを通じ非公式に繋がって いた可能性も捨てきれません。 上淀廃寺は飛鳥に最初の寺院が建てられたのとほぼ同時期に寺院として建立さ れています。これは中央の寺院よりも洗練された寺院建築方式(彩色壁画など 洗練された仏教建築)によってたてらたといわれています。これなども出雲地方 の勢力が独自交易をしていた傍証になりうると思われます。出雲国造の裕福さも こういった交易資産によって賄われていたと思っています。 斉明期に出雲は、完全に大和朝廷の支配下にはいり、新しい出雲を治める態勢 が整ったのではないかと思っています。これの最大の理由としては四隅突出型 墳丘墓を挙げておきます。四隅突出型墳丘墓は出雲独特の墓制で、大和朝廷の 前方後円墳とはちがった形式の古墳で、3世紀から6世紀にかけて築造されてい ます。5世紀に入ると東出雲を中心に前方後円墳が増加します。 墓制が違ういうことは祭祀や信仰の形態が違ったという事であると思います。 つまりは、天孫による支配思想が出雲国内には浸透してなかったという事の裏 返しではないでしょうか? それを出雲支配が始まったときに大和朝廷は最大限認めざるを得なかった。 ということだと思います。それほど出雲を大事にしなくてはいけない何か?がこの 時期にあったのだと思います。 だからこそ、斉明が大社を建てさせたと言う記述があるのではないでしょうか? 神話によって国譲りが前倒しされていた可能性もあります。出雲国風土記には、 大国主は出雲以外を天孫に譲る事は承諾するが出雲は譲らないと宣言したとも とれる記述もあるようです(未確認です) 注意しなくてはいけないのは、青銅器を埋めた出雲と四隅突出を築造した出雲が 同じ出雲なのか?ということです。時代が大きくずれていますので、青銅器が出た 出雲、四隅を築造した出雲、大社を建てた出雲を同様に論じようとするのは無理が あると思われます。 古代の日本列島にとって出雲は半島北部との通用門なのです。 日本国内の情勢だけでは、計り知れないものがあったと見ています。 Time : 2000/ 5/ 2(火) 23:44:35
Name : 勇者ロト E-mail : Title : のんびり書き込み作ってるうちに Comments: また、Awajiさんとゆきひろさんに先を越されたようです(^。^)/ 何?蘇我=素鵞社は二の次だったのですか! それを先にきいてればよかったなぁ。 >何故?斉明天皇が出雲に大社を造ることを命じたのか?    彼女と出雲は何か関係があるのか? 私の妄想では、出雲を軍事的に降しても住民支配に戸惑ったため 斉明期に杵築に出雲の住民のための祭祀を続けられるための施設 を作ったのではないかという事です。 鳥取の稲吉遺跡では3世紀から4世紀にかけての古墳から今回有名 になった大社復元図にそっくりな絵を書いた土器が見つかっている そうです。つまり大社式の祭祀は古墳時代から続いていた可能性も 在りうるということです。決して斉明がゼロから建てたものではな いと思っています。 >何故?千家氏という、天皇家と関係がある家系が    宮司を務めるのか? 出雲大社の場合は宮司というより、国造ですから、他国の国造で も地元祭祀の宮司となった天皇家の関係者がいるはずです。 ちなみに、北嶋家という家系もあります。 >何故?本殿は移築されていても(今回出土の柱から判断)    江戸期(知らなかったのですが)に    ソガ社が本殿裏に移築されたのか?    このソガ社の移築が天皇家の了解無しに行われたとは    宮司や出雲大社の歴史や天皇家の関わりから    考えにくい 移築といっても、後ろの山自体にもともとスサノオと大国主を共に 祭っていた可能性もなきにしもあらずだと思います。平安期は逆に 大国主が本殿真裏にまつられてたのかも??? >何故?スサノオが降臨した土地に、そんな天皇家にとって    重要視されている社を建てる必要があるのか? ちょっと意味がわかりません。 Time : 2000/ 5/ 3(水) 00:07:29
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: 斉明期に出雲が支配下に入った?のだったら、 何故それを明記したものがないんでしょう? また、斉明天皇はあの当時、国内的にも国外的にも 大変な時期でした。 海外に派兵しようという時期に、やっと出雲を治めたばかり というのは無理ではないでしょうか? また、天孫降臨思想というのは、出雲にとって関係ない話で なおかつ、自分の国を取られる思想ですからね。 そんなもの受け入れますかね? 結局、それほど出雲を大切にする何か?が問題なんですよね。 また、確かに青銅器は無理ですね。ごめんなさい。 Time : 2000/ 5/ 3(水) 00:10:02
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「斉明修造」?? Comments: ゆきひろさん、ロトさん、今日は、Awajiです。 (チャットみたいになりましたね!ロトさんのご意見は詳細未読です) >>あそこは大社町といって、出雲市のとなりなんですよ。確か。 >>まずその理由。つまり、何故出雲市ではないのか? そうでしたか、うっかりミスでした。出雲市に合併されていないのは、大 社という観光資源があって、財政が豊かだからではないでしょうか? (町長さんに、お確かめください。Awajiの判断圏外です。(@_@)) >>何故?同じ字で隣にあるのに、違う字を使うのか?です。 国字行政の問題でしょうか? 実際ふりがなは混乱の極致にありますね。 >>ソガと誤読した理由。また、それを放置している理由はなんだと思いま >>すか? 「ソ」は漢音、「ス」は呉音です。呉音は一般的に僧侶読みと言いますか ら、神主さんは漢音読みにした??(ジョークです。) 実際、中世には考えられない誤読例が良くありますので・・・理由不明です。 放置は、対面上今更改められなのかも知れませんが・・・不明です。 >>将門場合は本当の悪人ではなく朝廷にとっての悪人です。 勿論、蘇我本宗家だって同じです。民衆にとっては単なる政争の犠牲者 です。 >>ヒトラーの墓がどこにあって、そこに花を手向ける人がいるか? ああ、そういう意味ですか・・・首塚って、ご覧になったことがありま すか? そぞろ哀れを誘うもので、花なんか手向けるような代物ではありません。 >>何故?新しい方法が出来たか?です。 書いてあるでしょう? 朝議が簡素化されたので、それに習ったのです。 ただ、一部(地方)神社には、お目こぼしがあったようですが。 >>日本語では音を重要視しませんか?同音異義語といって。 あに、日本語のみならんや! です。なお、ここでは省略しましたが、 坂本論文には、万葉仮名において「四」がどの様に写音されたかという 例がありますが、「四」音を忌み嫌った類例は全くありません。 >>それは祭神変更にも言えますよね。 祭神変更の理由については、一度ご自分でお考えになって下さい。 なお、斉明天皇五年記事に関して、 「是歳、命出雲国造、脩厳神之宮。」とありますが、その直後に於友郡 (意宇郡)記事がありますので、この神之宮は「熊野神社」とする説が 有力です。(Awajiはどちらとも判断できません) ロトさんの斉明に関する、ご意見はザット見ですが、チョット時期がず れているように思います。 Time : 2000/ 5/ 3(水) 00:21:35
Name : 勇者ロト E-mail : Title : アンデスの例えについては Comments: ゆきひろさんの主観が混じっていると思われますし、私はアンデスについて一切の 予備知識がありませんので、似ているかどうかわかりません。 何故出雲市でないのか? は、出雲大社社領と松江藩の領地が違ったとか?? 経済的理由、地理的理由などいろんな理由があるとおもいますので大社町役場 に聞いてみてください。 私としては、大社の社領が関係しているのでは??と思ってます。 字にはあまり深い意味はないのかもしれませんよ。 スガのところでも言ったように昔の出雲弁の発音は独特だったようですから。 ではおやすみなさい。 Time : 2000/ 5/ 3(水) 00:23:30
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 熊野という可能性もあるのですか>斉明修造 Comments: それは、気がつきませんでした。>Awajiさん 確かに、出雲国造の奉じる神としては、令義解に熊野のスサノオと明記されてますね。 >ロトさんの斉明に関する、ご意見はザット見ですが、チョット時期がず >れているように思います。 この辺りは私も自信も何もありません。ご意見御願いします。m(__)m ゆきひろさん >斉明期に出雲が支配下に入った?のだったら、 >何故それを明記したものがないんでしょう? だって、天孫降臨前に出雲は国譲りした事になってますから、二重になると変でし ょ? それよりも、私の妄想が過ぎている畏れのほうが強いです! なんたって出雲史観??です。私の意見は出雲ひいきの記述なので割り引いてく ださい。 >また、斉明天皇はあの当時、国内的にも国外的にも >大変な時期でした。 >海外に派兵しようという時期に、やっと出雲を治めたばかり >というのは無理ではないでしょうか そういう大変な時期だったからこそ、出雲に対する措置が必要だったのでは? 斉明期になってというのはやはり無理がありすぎ??m(__)m Time : 2000/ 5/ 3(水) 00:38:47
Name : ゆきひろ E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: 蘇我入鹿暗殺については、 蘇我入鹿が悪人であるから、殺した。 というのが、朝廷側の主張です。 だから、首塚があるのはおかしいと言ったのです。 それに対して、蘇我入鹿は 民衆から見ればたんなる政争の犠牲者。 であるならば、民衆は蘇我入鹿を悪人と 思ってないということですよね。 朝廷は悪人だと主張し、民衆はそう思っていないなら、 首塚が出来てもおかしくないような気がするが、 その首塚を何故朝廷は壊さないのか?ですよね。 それとも、民衆の心境を察知して残しておいたのなら 朝廷は蘇我入鹿を悪人とは思ってない。ということですか? 結局、殺害したことに正当性はないということですか? では、正当性が無いとすると、 何故?蘇我入鹿暗殺が行われたのか 考えてみる価値はありますね。 Time : 2000/ 5/ 3(水) 02:01:02
Name : Naoki E-mail : Title : Dear Awaji san Comments: Thank you for giving me a lot of comments, and Awajisan I am afraid I can not write Japanese on this computer, but I can read Japanese, so you can write it from next time. Anyway, as Awajisan mentioned, it must be quite hard to see the relatioship between Kotodamaism and Japanese mass media theoretically. Moreover, I have noticed that I will have to study Kotodamaism and Japanese history more, because my knowledge of kotodamaism is quite poor with which it is very difficult for me to have debates right now. Please just let me explain why I have chosen this topic. When I read Ktodama writen by Mr.Izawa, I was really impressed, and I think Awajisan Mr.Izawa adapted Kotodamaism to Journalism quite a lot on that book. He mentioned something like "Kotobanoiikae", "difficulties of negative future's prospectus by press" and so on, didn't he?. So, I just immediately thought Kotodamaism associated with Japanese culture have got quite strong influences towards mass media. This is the simplest reason why I decided to do this research. What do you think? And I have been just followed Mr.Izawa's books and his concept in terms of relatioship Kotodamaism and journalism including mass media, and I realized I would have to get more references. That is the whole thing. Finally, I am not discouraged by your opinion at all! I am very pleased with obtaining a lot of different opinions even negative one which eventually lead my paper to being sophisticated. I will try to do my best. Time : 2000/ 5/ 3(水) 02:27:42
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 素粒子のソ? Comments: 素粒子のソ?なのかなあ? まあ、いいや。 個人的に出雲大社を好きでよく行くんですけど。 あそこって、いったい何なんでしょうね? 日本史はそこまで、よく知らないけど 出雲大社は興味ありますよ。 今度行かれる方がいれば、 本殿裏の そがのやしろ の あたりはおすすめですね。 空気が気持ち良いんですよ。 これ本当に。 勇者ロトさん、Awajiさん ゆきひろの訳のわからん質問に どうも、ありがとうございます。 ただ、ひとつだけ、アンデス話ですが 説明を 別にどこでも良いんですけど 征服された土地って 土着の文化が消えていくと思いません? それゆえに、マヤ文字なんかもよくわからない。 でも、あれを使っていた人達は確かにいたんですよね。 そして、征服した土地に建てる宗教施設は 本家本元の分家ですよ。だいたい。 しかし、出雲の国譲りを征服と考えると 出雲大社の規模といい、扱いといい 面白いな、と思うんですね。 ちょっと、Awajiさんに質問です。 四を忌み嫌うのはいつからですかね? だって、病院に行くと四のつく病室は 少ないですよ。 Time : 2000/ 5/ 3(水) 06:20:17
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「fairy tale」?? Comments: Dear Naoki I understood the reason, why you don't write Japanese. If your PC software don't fit to Kannji exactly, I'll continue to write so-called poor English for you. And now ,I understood your basic plan for the dissertation . I already introduced myself, I'm just a buddha's statues ”Otaku”. So I didn't know any Mr.Izawa's opinion about Japanese histry & culture. But when my friend Mr.Kanak commented on Mr.Izawa's explanation of olden japanese histry at this HP,I red his books for the first time. And was shocked to find out so many basic misunderstandings and farfetchings. Of course, I know that the truth of histry isn't allowed us to see , and many explanations can be asserted. But I think,it should be logical and be based on primary knowledges at least,if not,it shoudld be only a fairy tale. And I fear that it'll mislead someone for analyzing today's Japan. (I nevar say all his opinions being fairy tales. Particularly I agree so many his comments on mass media,even if by different reason.) I hope you to study many primary explanations of Japanese histry & culture,and to complete a beautiful dissertation for mass media ! Please forgive me about my rustic comment Time : 2000/ 5/ 3(水) 10:40:03
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「出雲とは?」 Comments: ゆきひろさん、勇者ロトさん、今日は。Awajiです。 蘇我氏鎮魂説も、何処かへ行ったようですから、そろそろFINですね。 最後に・・・アンデスと出雲ですが、一方は全く異質の文化・文明による 征服であり、もう一方は類似文化・文明圏における覇権争いと言うべきも のでしょう。これ以上は申し上げませんが・・・ >>四を忌み嫌うのはいつからですかね?だって、病院に行くと四のつく病 >>室は少ないですよ。 おそらく、仏滅・友引・丙午等の下らない迷信が流行った頃からでしょう。 或いは明治初期からかも知れませんが・・・明治期まで四階などはありま せんから。(ジョークです)・・・多分徳川期かな?? >>その首塚を何故朝廷は壊さないのか?ですよね。 おそらく、首塚の伝承が生まれたのは、中世以降だと思います。 いくら朝廷が閑人でも、飛鳥寺の片隅にある小さな石塔を壊すようなこと までは、思いもつかないでしょう。 斉明が、神之宮の修造を命じたのは、このころ韓半島の緊迫から、後顧の 憂いを絶つため、阿部臣に命じて蝦夷・粛慎国を平定させていることと、 関係しているように思います。 Awajiは、ご承知のとおり出雲族(銅鐸族)の一部は、天孫族(銅鏡族)と の抗争劣勢によって、 出雲→@大和→A尾張→B関東Cへと東遷(避)したと考えていますが、 当然ながら、夫々の土地で天孫族と融和した部族も多く、出雲は彼等の神 聖な故地であリ、一定の権威を保ち続けたと妄想しています。 従って、唐・新羅との決戦の可能性に備え、国内の出雲系人達を心服させ、 国内の結束を固めるための政策的配慮があったのでは無いでしょうか? @がイワユル国譲り神話・・・・・・・・・・紀元前 Aがイワユル神武東征神話・・・・・・・・・紀元一世紀頃 Bがイワユル崇神拡大伝承・・・・・・・・・紀元三世紀頃 Cがイワユル日本武尊伝承・・・・・・・・・紀元四世紀頃 出雲が殆ど完全に大和勢力下に置かれたのは、B〜Cの時期でしょう。 Time : 2000/ 5/ 3(水) 12:25:51
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 類似文化なの? Comments: 勇者ロトさん、Awajiさんこんにちは ちょっとお聞きしたいのですが、 日本では、狩猟文化と農耕文化の衝突があった と思うのですが? それについてはどうですか? 狩猟文化といっても、生産の基盤を狩猟によるもので 農耕を全くしないということではないですよ。 とりあえず、狩猟文化と農耕文化の衝突 ついてはどうですか? 双方は基本的に相反するものでしょ? 例えば、狩猟文化は森林は必要ですよね。 狩をするために。 農耕文化は、森林は伐採して農地にする。 このふたつの文化は、 森林の扱いに対して相反しますよね。 ただ、最終的に 農耕文化が勝ったのは(天孫族を農耕と考えるから) 組織力でしょ? 生産力を自然に基本的に依存する狩猟は 人口を急に増加できないですからね。 結局、森林にいる獲物の数に関係する。 それにくらべ、農耕文化は農地を広げ 生産力を自ら変化させられるので 人口の増加が可能ですよね。 そういう意味での組織力です。 僕は、出雲文化を狩猟文化の名残だと考えてます。 その根拠は無いに等しいですね。 ですから、聞かないで下さい。 ただ、Awajiさんの言うとおり 東避したのだとすると 可能性はありませんか? 東国というのは、西日本に比べて 農耕の始りは遅いです。 その東国に逃げていける文化 それが出雲だと また、その東国を忌み嫌うのが 天孫族ではないか? ではその天孫族と東国の違いとは? 僕は、農耕文化と狩猟文化ではないかと思います。 ですから、農耕(天孫族)狩猟(出雲)とすると 類似文化とはいえないでしょう? ただ、出雲を狩猟文化と証明できないと 成り立たない論ですけどね。 つけくわえると、出雲にしても東国にしても 最後までかたくなに 狩猟だけをしていたということではないですよ。 農耕は受け入れていったと思います。 ただ、文化間の衝突の原因は あったのではないかということです。 Time : 2000/ 5/ 3(水) 13:09:21
Name : 勇者ロト E-mail : Title : ゆきひろさんへ Comments: ご指名いただいて恐縮ですが、そのへんはよく解りません。 Time : 2000/ 5/ 3(水) 13:51:33
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「出雲族」?? Comments: ゆきひろさん、勇者ロトさん、今日は。Awajiです。 おっしゃるとおり、狩猟文化とか農耕文化というのは、相対的なもので、 衝突と言うほどのものはなかったと思います。(遊牧文化ならば充分衝 突がありえますが・・・) 少なくとも銅鐸には、小規模ながら水田農耕とみられる文様があります し、狩猟・採集文化段階では精巧な金属祭祀器を大量生産するような、 国家(部族連合)的段階に達することは、困難だろうと思います。 (専門技術者集団が必要で、食糧の剰余生産が可能でなければ無理です) 従って、Awajiの妄想する両者の間に、そういった基本的相違があったと は思いません。(もちろん、一部の住民が山岳部に逃れて採集・狩猟を 余儀なくされたことはありえます) ただ、採集・狩猟のウエイトが、より高かった縄文系人は、東日本に多 かったと思いますし、敢えて比較的すれば、出雲族には若干その傾向が あったかも知れませんね。 勇者ロトさん・・・敢えて大胆な妄想的区分けをすれば、 天孫族=銅鏡族=太陽信仰(アマテラス)=水平地水田農耕=日照祈願 出雲族=銅鐸族=雷神信仰(スサノヲ )=傾斜地水田農耕=降雨祈願 なんて如何でしょうか??? タケミカヅチは太陽神の部下武神として、 雷神を設けることで、出雲族の雷神と対抗させた・・・ナ〜ンテ!! Time : 2000/ 5/ 3(水) 14:50:04
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 雷神スサノオ Comments: Awajiさん、こん@@は。 確かに、そういう具合に分類できますよね。きんたろうさんもホームページ上で おっしゃってましたが、雷神的神格はスサノオの中(変ないいまわしです)に、 見つける事ができると思います。 実は銅鐸と太陽祭祀が関係あるのではないかと思ってはいるのですが、「降雨 祈願」という一言に納得です。 銅鏡祭祀は、太陽祭祀のような自然崇拝的な祭祀というより首長霊祭祀といった 後の天皇祭祀に直結しそうな、組織の序列を強く意識した祭祀のような気がして います。 きんたろうさんのページは下記です。雷神について書かれてます。  http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/ Time : 2000/ 5/ 3(水) 17:32:27
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「出雲の意気地」?? Comments: 勇者ロトさん、今日は。Awajiです。 「雷神スサノヲノ」・・・きんたろうさんのHPですね。早速拝見します。 最近は、さっぱりアクセスしていないのですが、kitunoさんや、みなさん はお元気ですか? 実は、この議論はむかし、あるフォーラムで「銅鐸の謎」という特集があ ったときに、展開したものの一部なのです。 これは、さらに全国の「天神さん」は、実は菅原道真と言うのは後付けで、 より古い「雷神信仰」が基礎にあったのでは無いかと言う妄想になるので すが・・・・ところで、 >>出雲国風土記には、大国主は出雲以外を天孫に譲る事は承諾するが出雲 >>は譲らないと宣言したともとれる記述もあるようです(未確認です) これは、おそらく意宇郡母里郷(モリノサト)条ですね。 オオナモチが「越の八口」から帰国した時に、母里郷長江山で次のように 言ったそうです。 「私が造り、治めてきた国々は、天皇が平和な世として統治するよう、お まかせします。ただ、この出雲の国だけは、私の魂のとどまる国として、 玉のように大切に守ります。」 この「守る」が「母里」になったと言う地名説話です。長江山は水晶の産 地で、「玉」を懸けたとも言われています。出雲独立維持宣言ともとれる 説話を解文として朝廷に提出したのですから、出雲族のせめてもの意気地 を示しているのかも知れませんね。(^0^)" Time : 2000/ 5/ 3(水) 18:53:57
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 思想の違い・・・ Comments: 勇者ロトさん、Awajiさん こんにちは。 勇者ロトさんが、墓制などから見て、 出雲には思想の違いがある・・・ と書かれていますが。そこが問題だと思いますよ。 僕が言うのは、元来思想の違うところに あんな大神殿を建てるか?ということです。 そして、Awajiさんが言われる 遊牧民なら衝突はありえる・・・ というのも、テリトリー争いを言っているのなら 狩猟民と農耕民のテリトリー争いもひどいですよ。 一方は森林を守る、もう一方は森林を開拓する、ですから。 それに、狩猟民も農耕を受け入れたと思ってます。 それは生産効率からいって。 しかし、信仰の違いはあったのではないかということです。 北海道のアイヌは、基本的に森林に対する信仰ですからね。イオマンテ(熊送り) という祭祀にも現れてます。 ただ、アイヌと縄文人の関係を示すことは別の問題としてありますが しかし、狩猟民(この場合出雲)と農耕民(天孫族)の生産方式が 似てきてからといっても、信仰まで一致するとは言えないでしょ? それは、世界の宗教紛争を見ても・・・ ソガ社ですが、皆さんの意見を聞いていると 逆にご質問してみたいです。 ソガ社を誤読とし、それを訂正しない。またその理由はわからない。なら それは、言い方によっては意図的である。とも言えますね。 そして、 大国主をダイコクさま、として出雲で信仰されているのを ご存知ですか? しかし、本来ダイコクさまとは、大黒様なんですよ。 では、何故大国主がダイコクさまになったかと言うと、 大国がダイコクと読めるからです。 出雲に詳しい勇者ロトさんなら、知っているでしょう? だから、同じ音であるソガ社と蘇我を関連つけてみたのです。 首塚にしても、ひとこと 民衆を苦しめたから朝廷が暗殺した蘇我入鹿の首塚を 誰が建てるんですか?たとえ、時代が下ったとしても 入鹿を支持する、もしくは哀れむから建てるんでしょ? そうすると、民衆を苦しめたから暗殺した、という 朝廷の言い分は怪しくないですか? また、蘇我入鹿は一部の民衆を苦しめたから、という解釈は成り立ちにくいと思います。 もしそうならば、何故大多数の民衆が首塚を壊さないかです。 それは、石舞台古墳についても同様です。 民衆を苦しめたのに、何故にあんなものを造る必要があるのかです。 首塚は後世にしても、石舞台古墳は後世ではないでしょう。 ソガ社と蘇我氏の関係を示す証拠はないと思いますね。 そんな証拠があったら、とんでもないことになる。 民衆を苦しめたから暗殺した蘇我入鹿や蘇我氏を 実は、朝廷が奉ってました。なんて、言えませんよね。 正当性がないことを白状したことになる。 Time : 2000/ 5/ 4(木) 16:31:53
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 怪しいのはわかるのですが??? Comments: ゆきひろさん、こん@@は。 せっかく話題をふって頂いてなんですが、怪しいことしかわからないです。 どう回答してよいやら途方にくれております。 ゆきひろさんの挙げられた諸点は、おっしゃる通り怪しいです。 だからといって、そく怨霊鎮魂に結びつけるのはどんなもんでしょう? もちろん、そう(怨霊鎮魂というように)お考えになるのは、自由ですが、 私自信はそうは思えないと理由をつけて御答したと思いますが?? 現段階では、私の意見は思い込みです。そしてゆきひろさんがあやしいと思う のもそうなのではないでしょうか? わたしには、怨霊鎮魂に無理やりこじつけているようにしか考えられないのです。 私の意見も勿論「こじつけ」の部分が多いですので、当惑させている事と思って おります。他の解釈も十分成り立つわけですから、そういう可能性もありうると いう事で、私の意見を読んでいただけたら幸いです。 私は、ゆきひろさんに怨霊鎮魂説を捨てろと言っているわけではありません。 私もゆきひろさんの話をいくら読んでも大社が怨霊鎮魂のために建てられたとは 思えないのです。思う思わないという事になると平行線でしかないですよね? 怨霊とは関係なく建てられたが、後世そういう意味をもって考えられていた事も 100%否定はできないと思っています。ですから蘇我氏を出されたとき、驚く 反面新しい根拠が出されるのかと思いすごく期待しました。でも蘇我氏と大社の 関係を示す証拠は隠されたとおっしゃる。 それでは正直話の進めようがないのではないでしょうか? あくまで解釈の問題であって怨霊だとみれば怨霊ですし、怨霊でないといえば 怨霊には見えないという事ですよね? ゆきひろさんも、私のページを読んで私と同じ様に思われた事だと思います。 このまま、この話題をつづけても合意にはいたらないと思います。 怪しいとお考えだという事以外の新しい根拠がでない限り実りのない会話に なると思います。このへんで終了したいのですが?? Time : 2000/ 5/ 4(木) 20:34:59
Name : ゆきひろ E-mail : Title : 投了ですね Comments: いや、別に僕の意見を賛成するしないではないんです。 僕も、大社を完全にそんな風に考えてないですし。 正直、二割くらいはシャレで造ったんじゃないかと 思っているくらいで、これ本当の話。 ただ、ここまで自論を展開した理由はあるんですね。 それは、勇者ロトさんが、このホームページを見てくださいと 教えて下さったメールです。 何度も同じ話題でここを汚すのもどうかと思いますので・・・ という文ですね。 僕は、自分の意見が正しいとも、 それを他人に押し付けるつもりもありません。 ただ、こんな解釈はどうですか?と提案しただけです。 しかし、自分が持っている論を ろくに理解されないまま 「汚す」と言われるのは、嬉しくないですしね。 多少ムキになったのは、僕も反省してます。 また、ここに参加することがあったら 気楽に相手をしてください。 Time : 2000/ 5/ 5(金) 00:16:34
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「出雲大社 FIN」 Comments: ゆきひろさん、今日は。Awajiです。 >>墓制などから見て、出雲には思想の違いがある・・・と書かれています >>が。そこが問題だと思いますよ。僕が言うのは、元来思想の違うところ >>にあんな大神殿を建てるか?ということです。 墓制という言葉で、墓型も含めるならば、古代日本列島には四隅突出型も あれば、円墳・方墳・前方後円墳(帆立貝式墳)・前方後方墳・双方中円 墳といろいろなものがあり、竪穴式も横穴式もあり、室や槨も様々です。 これらの相違は、どの程度の思想の違いを示しているか・・・ですが、明 らかに同一勢力(思想)内でも異なっていることがありますね。現在でも、 日本全国で同一宗派でも墓制や葬制が若干異なるのは、ご存知でしょう? で・・・出雲に大きな神殿が建てられていたことに、何の不思議があるの ですか? >>一方は森林を守る、もう一方は森林を開拓する、ですから。それに、狩 >>猟民も農耕を受け入れたと思ってます。 ゆきひろさんが、イワユル出雲族が採集・狩猟段階にとどまっていたと考 える理由は何ですか? 銅鐸・銅剣を大量生産したり、大形の方墳を造ることが出来るのは、採集 ・狩猟段階では不可能だといったでしょう? イワユル出雲族は、弥生期に は明らかに農耕段階に達していたのです。従って、このご意見は前提に問 題があるだけのことです。 勿論、農耕段階に達している高度文明の諸民族の思想・信仰が異なってい るのも自明のことですが・・・・・。 >>ソガ社を誤読とし、それを訂正しない。またその理由はわからない。な >>らそれは、言い方によっては意図的である。とも言えますね。 理由の分からない間違いが、意図的かどうかは分かりません。 「新しい」は、「アラタシイ」と読むべきですが、現在日本では「アタラ シイ」と誤読していますね。筑紫は「チクシ」が正しいと思われますが、 ほとんどの人は「ツクシ」と読んでいます。何故でしょうか? 少なくとも、記紀においては「須賀」と「素鵝」は同音同義として表記さ れているのです。「素鵝」と「素鵞」は異字体表記です。Awajiにとっては (古代史考察においては)それで充分です。中世出雲の神官が訛ったのか、 誤読を押し通しているのかは分かりませんが、これが「素戔嗚尊」由来の須 我(賀)神社であることは、明らかです。これを特段の根拠も無く「蘇我」 と結びつけるなどと言うのは、牽強付会にも程があります。 >>大国主をダイコクさま、として出雲で信仰されているのをご存知ですか? 出雲だけではありませし、大黒天だけでもありません。素戔嗚尊は牛頭天王 とされ、豊受稲荷は茶枳尼天とされているのです。お分かりだと思いますが、 後世の神仏混交(本地垂迹)思想によるものです。 そもそも大黒天は仏教教義の上では、台所の守護神とされ袋を担ぐ姿で現さ れます。これが類似音であることとあいまって、国土開拓に勤しんだ大国主 と混交されたのです。 同音をもって、「素鵞」を「蘇我」とするのとは全く関係ありません。 >>民衆を苦しめたから朝廷が暗殺した蘇我入鹿の首塚を誰が建てるんですか? 蘇我入鹿は民衆を苦しめたから朝廷が暗殺したのですか?そんなお話しは初 めて聞きました。蘇我入鹿の首塚を誰かが建てたと言う話も初耳です。 イワユル首塚と呼ばれているのは、南北朝時代に飛鳥寺の片隅に置かれた石 塔です。これが、飛鳥寺の衰退によって、寺域の外になってしまったので、 何時しか入鹿の首塚という伝承が生まれたものでしょう。 (理由はともかく、寺院には多くの石塔が建てられています。この石塔が南 北朝時代に建てられたのは、疑いありませんから、本来蘇我入鹿と結びつけ るのは無理があります。) >>それは、石舞台古墳についても同様です。民衆を苦しめたのに、何故にあ >>んなものを造る必要があるのかです。 民衆云々は上記のとおりです。石舞台は蘇我馬子墳墓の可能性があるとされ ていますが、そうであれば(Awajiはそうだと思っています)、造ったのはそ の子孫達(蝦夷・倉麻呂等)に決まっているでしょう? 権力者である父の墓を、後継者である子供たちが造ったのが、何が不思議な のですか? 何でもかんでも、(隠された)怨霊に結びつける推理を楽しまれるのは結構 ですし、思い付きを提唱されるのも結構ですが・・・ある程度歴史の基本的 知識を身に付けてからにされた方が、お互いに有意義だと思います。 Time : 2000/ 5/ 5(金) 00:53:10
Name : 勇者ロト E-mail : Title : それは迂闊でしたすいません。お詫びと言い訳>ゆきひろさんへ Comments: ゆきひろさん、こん@@は。 どうも、書き方が悪かったようで、イヤな思いをさせてしまったようですね。 どうもすいませんでした。m(__)m >しかし、自分が持っている論を >ろくに理解されないまま >「汚す」と言われるのは、嬉しくないですしね。 この「汚す」というのは、私の出雲大社怨霊鎮魂説に掛かる言葉です。 何も、ゆきひろさんの意見に対しての言葉ではありません。 去年、私が何度にもわけて死柏手、大国主の神座についての書きこみをこの掲示 板にしたからです。井沢先生の掲示板なので井沢説に対する反対意見を何度も書 きこむのはどうか?と思いましたので、そう書かせていただきました。 ゆきひろさんの文章は初めての投稿ですから、ここを読むのを楽しみにしている 方も新しい興味が湧いたと思います。私も蘇我氏の名前を見付けたとき興味が湧 きましたから、みなさんも私と同様に興味を持たれた事だったと思っております。 ただ私の死柏手反対論の文章を何度も見るのはいやでしょうから敢えて「汚す」 という言葉を使いました。ご理解下さい。 迂闊な言葉使いをして本当にもうしわけございませんでした。お許し下さい。 Time : 2000/ 5/ 5(金) 01:27:03
Name : 山森 国造 E-mail : kokuzou@land.hokuriku.ne.jp Title : ホームページの紹介 (題名) 拝啓 天皇皇后両陛下様 Comments: はじめまして、ヤマモリ コクゾウ と申します。 私のホームページの紹介をさせて下さい。   題名 拝啓 天皇皇后両陛下様 http://www.hokuriku.ne.jp/ac-21/ 両陛下にお手紙を差し上げるための、 落語で言うところの「まくら」に相当する ホームページです。 不思議な事に、私のホームページが一応完成した時、 郷土出身者の 森 総理大臣が誕生していた。 よろしければ、御覧下さい。 井沢先生へ 何かに取り上げて下されば、幸いです。 よろしくお願い申し上げます。 Time : 2000/ 5/ 6(土) 01:00:22
Name : ゆきひろ E-mail : Title : ありがとうございます Comments: いやあ、僕のほうの誤解もあったんですね。 それは、心がスッキリしました。 ありがとうございます。 おかしいとは思ったんですよ。 勇者ロトさんの文章を見ていて 人を侮辱する人間には見えなかったので 僕も誤解してすみませんでした。 Awajiさんにも 謝っておかないといけませんね。 僕の誤解の結果、Awajiさんにも 多大な迷惑をかけたと思いますので どうもすいませんでした。 勇者ロトさん、Awajiさん 以後も気楽に ゆきひろ を 相手してやってください。 Time : 2000/ 5/ 6(土) 02:54:58
Name : ゆきひろ E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: 僕の誤解からとはいえ、 Awajiさんにご迷惑をかけて 申し訳ありませんでした。 また、Awajiさんのおっしゃる通りであって 自らの不明を恥じております。 本当に、どうもすいませんでした。 Time : 2000/ 5/ 6(土) 03:18:08
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「こちらこそ」 Comments: ゆきひろさん、今日は。Awajiです。 ご迷惑なんて、とんでもないことですし、何も恥じられることもありませ ん。 Awajiも言い過ぎたと思っていたところなのですが、快くご了解頂いて、感 謝いたします。 これからもイロイロな発想が浮かんだら、ドンドン掲載さ れたら良いと思います。Awajiもドンドン批判します(ゆきひろさんも、ご 遠慮なく再批判なさって下さい)。 これからもよろしくお願いします。 Time : 2000/ 5/ 6(土) 09:23:54
Name : 勇者ロト E-mail : Title : ゆきひろさん Comments: ご理解いただきありがとうございました。m(__)m Time : 2000/ 5/ 7(日) 16:25:32
Name : ジム・フェルプス E-mail : Title : 筑紫の読み Comments:  以前やった仕事で、「筑紫」にルビをふる必要が生じて、「つくし」にするか 「ちくし」にするかで大問題になったことがあります。その時は「現地では全部 『ちく』だった」という理由で「ちくし」を選びました。実際、東筑、筑前、筑 後、筑紫丘高校、筑紫駅など、現地で見聞したもので「つく」と読むものは一つ もなかったんです。多事争論のおじさんも「ちくし」だし(笑)  この判断に際して、まったく根拠ナシの直感なんですが、記紀で「つくし」と 読まれているのは、要するに地域差だろうという推論がありました。筑の字は、 畿内以東では「つく」、九州では「ちく」と読まれていたのではないかと。  九州には「原」と書いて「ばる」と読む地名も多かったりするし、同じ字でも 地域差で微妙に読みが違うことはあったんじゃないでしょうか? Time : 2000/ 5/10(水) 11:32:18
Name : ジム・フェルプス E-mail : Title : 筑紫の読み Comments:  以前やった仕事で、「筑紫」にルビをふる必要が生じて、「つくし」にするか 「ちくし」にするかで大問題になったことがあります。その時は「現地では全部 『ちく』だった」という理由で「ちくし」を選びました。実際、東筑、筑前、筑 後、筑紫丘高校、筑紫駅など、現地で見聞したもので「つく」と読むものは一つ もなかったんです。多事争論のおじさんも「ちくし」だし(笑)  この判断に際して、まったく根拠ナシの直感なんですが、記紀で「つくし」と 読まれているのは、要するに地域差だろうという推論がありました。筑の字は、 畿内以東では「つく」、九州では「ちく」と読まれていたのではないかと。  九州には「原」と書いて「ばる」と読む地名も多かったりするし、同じ字でも 地域差で微妙に読みが違うことはあったんじゃないでしょうか? Time : 2000/ 5/10(水) 11:33:07
Name : ジム・フェルプス E-mail : Title : ごめんなさい・・・ Comments: 二重に押しちゃったみたいです。 どなたかにたのめば消してもらえるんでしょうか??? Time : 2000/ 5/10(水) 11:34:56
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 怨霊の定義 Comments: 輔住さん、こんにちは。議論中止と言ったのですが、ちょっと気に なったので投稿させてもらいます。 KANAK氏は現在、この掲示版に投稿していない状態ですので、 これ以上の深入りは避けて。。 つまり、「輔住さんの想像するK ANAK氏の意見」という限定は取り外して、以下を読んで下さい。 Hozumi san wrote (4/21): > そうした怨霊の定義から聖徳太子怨霊説は間違いだと > KANAKさんは考えているということで > つまりその2つは別物で整合性の問題ではないと私は思ったのです。 に関して、実はよく分からないのですが。。 “「怨念を残したと 恐れられた霊」と歴史学でいう「怨霊」は異なる”という私の当初 の意見には同意しているのでしょうか? 言いかえれば文脈に応じ て「怨霊」の定義は変化する。さらに言いかえれば、他人の文章を 批判するときには、「文字面」だけを読むのではなく、「文脈」を 含めて読まなければならない。。 ここまでは同意事項でしょうか? つまるところ、輔住さんと私の意見の相違点は、“「怨念を残した と恐れられた霊」と歴史学でいう「怨霊」の異なり方”が異なる (ややこしいですね。。)ということでしょうか? 「恐れ具合の 強弱」や「儀式の種類」で区別するのではなく、(重複部分は多い にせよ)もっと別次元なものということでしょうか? なんとなく、輔住さんの主張も分かってきたのですが、今回は書か ずに、輔住さんの返事を待たせてもらいます。 Time : 2000/ 5/12(金) 02:26:34
Name : 輔住 E-mail : Title : TAKATOKUさんへ Comments: TAKATOKUさん、こんにちは。 ただ少し意味が分りません。 >「怨念を残したと恐れられた霊」と歴史学でいう「怨霊」は異なる 本人が怨霊になると意思があったというのと、怨霊としておそれられた 人物は異なる場合があるという意味なら同意はしますが。 >「文脈」を含めて読まなければならない。 この部分は言いたいことは理解してるつもりですが、 それは自分が深読みしすぎというばあいもありますから お互い気を付けましょう。 つまり「文脈」を読もうとすることはいいと思いますが あまりそれにこだわることもないと思います。 全く見当違いな返信でしたら申し訳ありません。 Time : 2000/ 5/12(金) 12:41:39
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 輔住さんへ Comments: いつもながら早いレスポンスありがとうございます。 Hozumi san wrote (5/12): > 本人が怨霊になると意思があったというのと、怨霊としておそれられた > 人物は異なる場合があるという意味なら同意はしますが。 なるほど。私の予想は外れでした。 前回の輔住さんの発言から、私が思ったのは、「恐れられる怨霊」 と「政治的に利用される怨霊」の違いかと思いました。これは、完 璧に外しました。(苦笑) #先日、国立博物館で後鳥羽院の手形(亡くなる数週間前のだった #と思う)を見てきたのですが、後に怨霊と恐れられた人物とは思 #えませんでした。それで、どの程度恐れられたのだろうか? 政 #治的に利用されただけかも? な〜んて、ふと思いました。 Time : 2000/ 5/12(金) 19:06:34
Name : TAKATOKU E-mail : Title : ジム・フェルプスさんへ Comments: 初めまして。初対面なのに恐縮ですが、一つ質問させて下さい。あ なたのWEBページを読むと、高裁でも上杉氏が勝訴したように読 めますが、SAPIOには出版差し止めと書いてありました。どち らが正しいのでしょうか? それとも両者は矛盾しないのでしょう か? それから、もう一つ。初対面なのに、おせっかいなのですが。。(苦笑) 井沢ファンへの謝罪・2重投稿の謝罪の前に、まず「犯罪者」呼ば わりしたご本人への謝罪が先だと思いますが、如何でしょうか? #法律的には、犯罪者呼ばわりしても構わないのかも知れませんが。。 Time : 2000/ 5/13(土) 00:27:00
Name : ヤス E-mail : Title : ジムさんではありませんが Comments:  こんにちは。  結論からいうと、両者は矛盾しません。  出版差し止めは、コマの配置換えによる同一性保持権侵害を 理由としたもので、それ以外の小林氏の主張は退けられました。 しかも、仮執行はついてませんし、上杉氏は上告しましたので、 確定するまでは引き続き販売できます。  また、引用そのものについては、引用されたすべてのカット について、適法(複製権の侵害ではない)との判決です。  他の著作物同様、漫画のコマも引用できるという司法判断が 明確に示された、すなわち、小林氏が裁判や「新・ゴー宣」で 行った主張が失当であったという点では、上杉氏側の実質的な 勝利とみて差し支えないでしょう。  ちなみに、訴訟費用の負担割合は、小林氏 249/250、上杉氏 側 1/250でした。  著作権については、poli_wag氏のページで、この裁判を含め 詳しい解説がされていますので、参考にされてはいかがでしょ うか。 http://www.geocities.com/poli_wag/ Time : 2000/ 5/16(火) 00:31:46
Name : 輔住 E-mail : Title : すこし興味があるので Comments: TAKATOKUさん >輔住さんの発言から、私が思ったのは、「恐れられる怨霊」 >と「政治的に利用される怨霊」の違いかと思いました。 わたしは両者の違いは見抜けません。 質問ですがTAKATOKUさんにとって前者は誰で後者は誰ですか? Time : 2000/ 5/17(水) 12:42:07
Name : TAKATOKU E-mail : Title : ヤスさんへ Comments: ヤスさん(初めまして! &ありがとうございます)、こんにちは。 Yasu-san wrote (5/16): > 結論からいうと、両者は矛盾しません。 そうなんですか。。 やはり、一方だけの主張では事実は分かりま せんね。(苦笑) > 小林氏が裁判や「新・ゴー宣」で > 行った主張が失当であったという点では、上杉氏側の実質的な > 勝利とみて差し支えないでしょう。 なるほど、状況がよく分かってきました。 現時点での私の印象では、「上杉氏は小林氏を利用して金儲けをた くらんだ」位なものです。著作権の上でどうか、論じる能力は、私 には、全くありません。プレイステーションがらみの裁判でSON Yが敗訴したという噂を聞いたことがありますが、法律上の問題と 道徳上の問題は多少ズレがあるものかも知れません。 小林氏の怒りは理解できるものの、「小林氏の実質的な被害はない」、 「高々50数点の引用である」、しかも「訴訟そのものが取材対象 を増やすという目的も兼ねている以上、同情の余地はない」という 気もします。そこで判決が気になるのですが。。 ならば、「何故、上杉氏の全面勝訴にならないのか?」という疑問 も涌いてきます。つまり、「出版差し止め」という判決を象徴する ような(しかし、実態は逆)判決をするのでしょうか? シロウト には全く理解し難いです。裁判所は何故、こんな分かりにくい判決 を下すのでしょうか? 結局、コマの配置換えをやめれば出版可能ということですか?? > http://www.geocities.com/poli_wag/ ちょっと覗いてみましたが、シロウトが簡単に理解できるものでは ありませんね。。(苦笑) 勉強してみます。 最後に。。的確で分かり易い回答。。ありがとうございました。知 識は全くありませんが、良識ある市民の(つもり??)私です。今 後ともよろしくお願いします。 #良識ある。。ということは、文字面ばかりで、文脈を理解しない #人間は嫌うということです。。ご了承下さい。 Time : 2000/ 5/18(木) 22:38:33
Name : ヤス E-mail : Title : 著作権裁判について Comments: TAKATOKUさん、こんにちは。 一応、念のため申し上げるのですが、この件に関しては、著作権と いう視点でのみ興味があるので、両者の歴史認識等々への賛否は また別問題だということをご了承ください。 >現時点での私の印象では、「上杉氏は小林氏を利用して金儲けをた >くらんだ」位なものです。著作権の上でどうか、論じる能力は、私 もちろん、そう考える人がいてもおかしくありません。ですが、一般に 知名度が高いほど、批判にさらされるのも事実です。誰も知らない、 影響力もほとんどないような相手を批判するような本を出版しても 意味がありませんよね。  また、引用についていえば、道徳も関係ありません。我々がネット 上で議論するにしても、対象を明示するために引用は必要です。 まして、小林氏は漫画というメディアの特性をフルに活用して、諸々の 主張を行っているのですから、その視覚的効果等も含めて批判されるのも 至極当然といえましょう。対象を正確に示そうと思えば、コマの引用は 不可欠なわけです。 「人のものを勝手に使うな」という主張も描かれてましたが、許諾が 必要となれば、自由な批評が封じられるおそれがあるからこそ、法で 引用を認めているわけです。公に何らかの表現を行うということは、 そうしたことを受け入れなければなりません。人のものをこっそり くすねるのとは違います。 >ならば、「何故、上杉氏の全面勝訴にならないのか?」という疑問 >も涌いてきます。つまり、「出版差し止め」という判決を象徴する たとえ1か所でも侵害と認定された以上、原著作者が差し止めを求めて いるのですから、全体としてはほぼオッケーだからといって、出版は できないということです。たとえていえば、刺身定食で食中毒が出たら てんぷら定食や生姜焼き定食が全く問題なかったとしても店は営業停止、 そんなとこでしょうか。適切なたとえかは分かりませんが。 判決も、どこがオッケーでどこがダメなのかは明確に示しています。 もちろん、上告審でこの侵害の認定が覆り、全面勝訴となる可能性も ないとはいえません。 >結局、コマの配置換えをやめれば出版可能ということですか?? 控訴審における認定に従えば、そういうことになります。コマを引用 すること自体は何ら問題ありませんから、元々の形態のままで引用す ればよいわけです。 この裁判がらみで問題なのは、「新・ゴー宣」において、小林氏が、 著作権法上明らかな誤りを主張したり事実・判決等の歪曲を行ったり していることです。次号の「新・ゴー宣」で控訴審判決について 取り上げるようですが、小林氏がどのような主張を行うのか、注目 したいと思います。 Time : 2000/ 5/19(金) 00:32:03
Name : TAKATOKU E-mail : Title : Re: 著作権裁判について Comments: ヤスさん、こんにちは。 Yasu-san wrote (5/19): > 両者の歴史認識等々への賛否は > また別問題だということをご了承ください。 もちろんです。 > たとえ1か所でも侵害と認定された以上、原著作者が差し止めを求めて > いるのですから、全体としてはほぼオッケーだからといって、出版は > できないということです。 >> 結局、コマの配置換えをやめれば出版可能ということですか?? > 控訴審における認定に従えば、そういうことになります。コマを引用 > すること自体は何ら問題ありませんから、元々の形態のままで引用す > ればよいわけです。 なるほど。そのように考えるのですか。。 分かり易い解説、ありがとうございます。 > もちろん、上告審でこの侵害の認定が覆り、全面勝訴となる可能性も > ないとはいえません。 確かに。。 あの程度で改ざんとは思えません。また、全面勝訴に ならなくても、引用そのものがOKである以上、小林氏の大敗訴 (そんな言葉ある??)と言えますね。 > また、引用についていえば、道徳も関係ありません。 なるほど。。 #一般の人が「限りなく黒に近い灰色」と思っていたことが、実は #「真っ白」だった訳ですから、今後、悪用する人は増えそうな気 #がします。 > この裁判がらみで問題なのは、「新・ゴー宣」において、小林氏が、 > 著作権法上明らかな誤りを主張したり事実・判決等の歪曲を行ったり > していることです。 なるほど。。 勉強になりました。ありがとうございます。 Time : 2000/ 5/19(金) 18:57:59
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 政治技術としての怨霊 Comments: 輔住さん、こんにちは。 まず「政治的に利用される怨霊」ですが、「政治技術としての怨霊」 と訂正します。こちらのが的確な表現な気がします。また、宗教技 術は政治技術の一部であると考えています。 なお、現在の文脈は非常に複雑で、KANAK氏の怨霊観を輔住さ んがどう感じたか、という文脈です。(苦笑) KANAK氏の (99/2/24) の発言は半ばジョークなので、細かく読 解して批判するのは無意味です。しかし、ジョークである分、KA NAK氏の怨霊観がよく分かる発言だと、私は思います。 KANAK shi wrote (99/2/24): > レベル1:原始的怨霊信仰 > 一般的に死霊に対する畏怖から来る単純な鎮魂行動。贖罪 > 意識を持つ場合は行動が増幅され得る。 > レベル2:神格的怨霊信仰 > レベル3:人格的潜在型怨霊信仰 > レベル4:人格的秘匿型怨霊信仰 > レベル5:人格的顕在型怨霊信仰(ここから先の怨霊をを怨霊と呼ぶ) > 特定の怨念を残した死者に対する贖罪の念に由来する鎮魂 > 行動であるが、鎮魂行動に必ず人格の顕在化を伴い、宗教 > 施設・儀式も明確となるので、外部から完全に知り得る。 > レベル6:人格的悪霊型怨霊信仰 > 贖罪意識というより、本来の悪霊(人格的出現?)に対す > る鎮魂行動動である。 これをどう読み取るか、ですが。。 KANAK shi wrote (99/2/24): > 怨霊信仰=「怨念を残した特定死者の祟りを畏怖し、鎮魂祭祀する信仰」 とあるので、私は単純に恐れ具合のレベルだと判断しました。しか し、4月21日の輔住さんの「別物」発言を受けて、色々と考えま した。 Hozumi san wrote (5/17): > 質問ですがTAKATOKUさんにとって前者は誰で後者は誰ですか? 「誰」というのではなく、「尺度」と考えてもらいたいのですが。。 「恐れられる怨霊」: 「恐れられる」という度合いに着目した尺度。レベル3〜5をまと めて、「レベル1」、「レベル3〜5」、「レベル6」という分け 方をする尺度(レベル2はよく分からないので除外しました)。 「政治技術としての怨霊」:レベル3〜5の違いに着目した尺度。 「恐れられる」という度合いは考えない。 以上です。 この辺の怨霊観について、もっと有意義な議論も可能だと思うので すが、どこかに知識と知恵を完備した人いませんかね〜〜〜。 #知識ばかりで知恵のない人はNGです。(皮笑) Time : 2000/ 5/21(日) 12:26:07
Name : きんたろう E-mail : Title : バック・トゥ・ザ・掲示板^^ Comments: こんにちは^^ 久しぶりに書き込みに来ました。 実は先日突然閃いた(要するに単なる思いつき^^)事があります。 それは天皇家に名字がない理由とは易姓革命思想に対抗するために考え出されたも のではないかというものです^^;; 姓がなければ易姓革命を起こしようが無いという発想から天皇家では名字を持たな かった、あるいは捨てたのではないでしようか?? はっきり言ってこれは単なる思いつきですので皆さんからのご意見をよろしくお願 いしたいと思います V_(^O^)_V Time : 2000/ 5/21(日) 22:04:50
Name : 薩摩人 E-mail : Title : きんたろうさん、実はわたしも・・・・・ Comments: みなさん、こんにちは わたしも学生時代に易姓革命について同じ様なことを思いついて 教官(近世=特に「農村におけるなんちゃらかんちゃら」の自称、権威)に尋ねたことがあります。 答え 「関係ないね」の一言! 詳しくは覚えてませんけど天皇(家)というのは、そういうものを超越した存在だそうです。 冗談と思って聞いてましたけど、なんでも「天の意思」そのものなので 下界?の姓を名乗ってる者どもに取って変わられるなど考えられないそうです。 そもそも「姓」自体、天皇が臣下にくれてやるものなのだそうです。 (かなり焼酎がまわってきて、ますます饒舌な先生曰く) ******************************************************************** もともと天皇(と後に称されるようになった実力者)は、まさしく時の実力No.1のが No.2以下の豪族たちから盟主的に据えられてたんだから、戦国大名といっしょのことたい! いちいち名前を覚えるのが面倒だから肩書きで呼んでいたんだけど 世の中が落ち着いたらいつのまにか世襲になって強大な権力を持ったから 取り巻き連中といっしょに、自らを神格化して・・・むにゃむにゃ・・・・・ ******************************************************************** という、かなり乱暴なお説教をくらいました。 でも、なんとなく言いたいことは分かるような気がします。 Time : 2000/ 5/22(月) 12:50:42
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 易姓革命 Comments: きんたろうさん(お久しぶり!)、薩摩人さん(初めまして!)、 みなさん、こんにちは。 Kintaro san wrote (5/21): > それは天皇家に名字がない理由とは易姓革命思想に対抗するため > に考え出されたものではないかというものです^^;; 天皇家が2000年以上も君臨していることを当たり前と思わない 所が、井沢ファンらしい。。 #この掲示板にふさわしい話題ですね。 確かに、天皇家に姓があったとしたら、易姓革命は起こし易そうで す。最も、革命家に対しての抑止力になるかどうかは不明ですが。。 いずれにせよ、「姓がない」ことは、天皇家と他家とを差別化する 為の政治的演出として、非常に効果があっただろうと思っています。 無意味なコメントですみません。 Time : 2000/ 5/22(月) 17:44:00
Name : きんたろう E-mail : Title : 久しぶりですね^^ Comments: 薩摩人さん、TAKATOKUさん、レスを有り難うございました。 みなさん、こんばんは。 薩摩人さんも私と同じ事を考えられましたか^^ 意見が合いますねV_(^O^)_V それにしても教官の >「関係ないね」の一言! は残念ですね^^;; もう少しぐるぐる話してくれれば面白いのにと思うのですが... 私も何となく分かるような気はするのですが大王家の「初期」段階??においては どうなのかなという疑問は残っています。 TAKATOKUさん、 >天皇家が2000年以上も君臨していることを当たり前と思わない >所が、井沢ファンらしい。。 >#この掲示板にふさわしい話題ですね。 よくぞ私が井沢ファンだと見抜きましたね!!(爆) さすがです。 ところで易姓革命思想が日本に伝わったのはかなり昔のことだと思いますのでその 時点では天皇家はまだ2000年以上君臨してはいなかったと思います^^;; Time : 2000/ 5/22(月) 23:29:13
Name : 薩摩人 E-mail : Title : 初期の大王について Comments: みなさん、こんちは! TAKATOKUさん、以後お見知りおきを〜(平伏) きんたろうさん、酔っぱらいの主張の続きです。 初期の大王というのは、普通に姓があったと思います。 まあ、いろいろあったでしょうが記紀編纂の頃には易姓革命の思想も 知識階級には知れ渡っていたでしょうし、取巻き連中にしても大王家が強大で 万世一系、神聖ニシテ犯スベカラズの方が自身の保身の為には好都合であったでしょう。 そんなこんなで意図的に姓を隠したり無理矢理系図をこじつけたのかもしれませんね。 ここからは画期的!な話です(自画自賛) 【ごく初期の大王は臨時職ではなかったのか?】 どんぐりの背比べ段階の各豪族達の間で何か争いが起こる もしくは、倭国が一致して対処すべき問題が起こった場合の調停役というか リーダーシップが必要な場合だけ置かれたのではないか? こう考えると「欠史八代」の謎もとける!? 例えば、ある大王が10年間ぐらい努めたとします。 その後、100年ぐらい平穏無事な時が過ぎ、問題発生!そこで別の大王が推挙されますが この方がいまいちシャンとしていなかったり、王の霊力不足と思われる事態が起こる。 よっしゃあ!次の大王さんへ! この場合、初めの大王の在位は110年となるわけです。2番目は短命、3番目以降も 同じ様にカウントする・・・で崇神天皇の頃には、大王家は強大で世襲になっていたし 崇神天皇以降は記録も残っていて、記紀編纂の頃の知識階級はその記録を大体知っていた。 こうなると万世一系でなければならない連中は困り果ててしまいますが 適当に架空の大王を創作して挿入するような不敬は世間が黙っちゃいない。 またエピソード不足の件は、これは本当に記録とか記憶が残ってなかったか 輝ける事績が無い・・・内輪もめばっかり調整していた。 残すと恥ずべき内容であった。(例えば中国に朝貢=隷属?していたとか)ので書きづらい。 とはいうものの、現大王家と関係は無い?けど国家の功労者の方々のことを デタラメ創作するわけにもいかない。 とりとめなくなってしまいましたが、酔っぱらいの主張でした〜! Time : 2000/ 5/24(水) 19:15:34
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 天皇家君臨の謎 Comments: きんたろうさん、ありがとうございます。 Kintaro san wrote (5/22): > ところで易姓革命思想が日本に伝わったのはかなり昔のことだと > 思いますのでその時点では天皇家はまだ2000年以上君臨して > はいなかったと思います^^;; 「天皇家の意図」がきんたろうさんの主張でしたね。どうも、私一 人が先走ってしまったようです。すみません。 ただ、きんたろうさんの質問の背景には天皇家が2000年以上君 臨した理由に対する興味があると思って、そのような発言になりま した。私も(だけ?)この理由について興味があります。 革命が起きなかった理由(の候補)として、「姓の有無」もあるか と思いますが、「怨霊思想」も候補の一つだと私は思っています。 なにせ、 ・怨霊になる能力・技術 ・天変地異を怨霊のせいにする能力・技術 ・その怨霊を鎮魂する能力・技術 を兼ね備えた天皇家です。この能力・技術が政治的パワーを生み、 革命抑止効果を持った可能性は大きいと思っています。(笑) Time : 2000/ 5/24(水) 20:27:50
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 欠史八代 Comments: 薩摩人さん、こんにちは。これからもよろしくお願いしま〜す。(平伏返し) 「欠史八代」に関する薩摩人さん説も非常に面白いですね。私は自 説を述べるような能力はありませんが、「欠史八代」にどのような 合理的な理由を見出せるか、非常に興味があります。 ところで、2点だけ質問させて下さい。私の持っている資料による と、 1 神武 前660. 1. 1 〜 前585. 3.11 2 綏靖 前581. 1. 8 〜 前549. 5.10 とあります。そこで、 A:空白の4年弱はどのように解釈するのでしょうか? B:最短でも綏靖天皇の32年弱の在位で、非常に長いのですが、   王の霊力不足と思われる事態は起きなかったのでしょうか? な〜んて疑問も湧いてきます。何か閃いた時でよいので、閃いたら 投稿してください。よろしくお願いします。 Time : 2000/ 5/24(水) 21:16:20
Name : 薩摩人 E-mail : Title : Re:欠史八代 Comments: みなさん、こんにちは TAKATOKUさん 申し訳ございません。わたしの書き方がよくなかったですね。 【ごく初期の大王は臨時職ではなかったのか?】 は、薩摩人説ではなくて、10数年前の学生10数名&教官4名の酒の席での 言いたい放題をご紹介したものです。 真面目な議論の場であるココに「酔っぱらいの主張」を持ち込んですみませんでした。 所謂「トンデモ」の類の放言ですので、無視して下さい。 と言いつつも、 A: すみません、まったくわかりません。 B: 王の霊力不足の具体例は、まったくわかりません。 在位年数は、こういうことになると思います(BC.660が本当かは置いといて・・・) 実際の綏靖の在位がBC.581〜BC.580の1年間であったとしても 次の安寧就任のBC.549までの空位の期間も綏靖にカウントする。 ではでは〜    Time : 2000/ 5/25(木) 17:34:11
Name : きんたろう E-mail : Title : 続きです(たぶん) Comments: こんばんは、みなさん。 薩摩人さん、TAKATOKUさん、レスを有り難うございました。 日本において革命が行われなかった理由とは基本的にはコップの中の嵐に過ぎなか ったため枠そのものを打ち破ることがなかったものだからだろうと考えています。 例えるならばシチューを作ろうとして煮込んでいる鍋の中が日本の社会なのかも知 れません?? あまりに長く煮込みすぎてしまい鍋に焦げ付いたり、思ったよりも味が濃くなり過 ぎてしまったようなものなのではないでしょうか?? それが案外予想以上の意味づけになったりしているのかも知れませんね??^^ シチューを作っている本人(この場合は創造者たる神かな??、笑)にすら意図を 外れた結果になっていると考えてみたら面白いかも知れませんよV_(^O^)_V でもこれでは逆に面白くないかな...?? 苗字については本姓、俗姓、姓、連、などはっきり言ってよく分からないところが あると思っています。 唯一はっきりしている(と思う)のは中国風の苗字は古代においては存在していな かったという点だと思います。 その後における中国大陸との交流の結果として少なくとも対外的には姓を名乗るようになっていったのではないでしようか?? 内部的には各集団の差別化のために蘇我、物部等の一種の渾名をつけた??のかも 知れないですね??(全然自信なし) Time : 2000/ 5/25(木) 19:12:58
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 欠史八代(薩摩人さん周辺説) Comments: 薩摩人さん、ありがとうございます。 みなさん、こんにちは。 薩摩人さんが強硬に主張すれば、トンデモ説になるでしょうが、あ くまで可能性の一つというならば、トンデモ説ではないと思います。 質問Aですが。。 この質問は取り消します。神武〜綏靖の間の空 位期間は4年です。薩摩人さん説ならば、長い(記録上の)空位期 間は必要ないはず、と思い質問したのです。しかし、他の天皇間の 空位は最長で、懿徳〜孝昭の1年半でした。これ位ならば何らかの 誤差範囲と考えた方がよいでしょうね。失礼しました。 質問Bですが。。 王の霊力不足と思われる事態の直後に、必ず、 次の王を立てる訳ではない。。 こんな感じでしょうか? すると、 次と整合していない気がしますが。。 Satsumajin san wrote (5/24): > この方がいまいちシャンとしていなかったり、王の霊力不足と思 > われる事態が起こる。 > よっしゃあ!次の大王さんへ! ってな訳で、王の霊力不足と思われる事態はなかった、と考えた方 が説としてよいような感想を持ちました。 以上です。面白い説、ありがとうございました。 Time : 2000/ 5/25(木) 19:45:40
Name : 輔住 E-mail : Title : 怨霊観 Comments: TAKATOKUさん、返事遅れました。 >「誰」というのではなく、「尺度」と考えてもらいたいのですが。。 >「恐れられる」という度合いに着目した尺度。レベル3〜5をまと >めて、「レベル1」、「レベル3〜5」、「レベル6」という分け >方をする尺度 ちょっと抽象的になりすぎて私には厳しいですね。 この前の質問を繰り返しますが TAKATOKUさんはどの人物がどのレベルと考えてますか。 崇徳とか後鳥羽とか道真とか。 Time : 2000/ 5/26(金) 12:37:09
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 怨霊レベル Comments: 輔住さん、こんにちは。 Hozumi san wrote (5/26): > TAKATOKUさんはどの人物がどのレベルと考えてますか。 私には厳しいですね。。(笑) KANAK氏のあの半ばジョークの投稿は、KANAK氏の博識の なせる技です。私ごときにできる訳がありません。ただ、輔住さん がどうしてもとおっしゃるならば。。 > 崇徳とか後鳥羽とか道真とか。 「政治技術としての怨霊」:一応「レベル0〜2」「レベル3」 「レベル4」「レベル5〜6」の4段階に分ければ、3者とも「レ ベル5〜6」になるのではないでしょうか。歴史学者も認める怨霊 ですから。 「恐れられる怨霊」:「レベル0」、「レベル1」、「レベル3〜 5」、「レベル6」の4段階で分けます。後鳥羽院、菅原道真とも に、天変地異を起こしていますですが、まぁ「レベル3〜5」でしょ う。崇徳院は天皇家にとって「レベル6」かも?? ってな感じです。なお、「政治的に利用」を「政治技術」に変えた のはKANAK氏に配慮してです。私は、怨霊鎮魂行為そのものが ある種の政治的なパワーを持っていると考えています。あるいは、 和社会の日本における意思決定の問題に利用されていると考えてい ます。でも、思っているだけで論じる能力がない。。 誰か代わり に論じてくれまへんか〜〜。(笑) Time : 2000/ 5/29(月) 18:59:00
Name : 鬼木貴子 E-mail : hotcakep@ma4.justnet.ne.jp Title : お世話になりました Comments: 5月29日月曜日。 今日はお世話になりました。旅行読売の鬼木です。西葛西まで送ってもらった ものです、お世話になりました。ありがとうございます。なかなか面白いお話をさせていただいたことで、自分も楽しかったです。 Time : 2000/ 5/29(月) 22:14:03
Name : 輔住 E-mail : Title : 返信ありがとうございます Comments: TAKATOKUさん、質問に答えていただきありがとうございます。 >私には厳しいですね。。(笑) そんなつもりはないんですけど(笑) ただ私に理解できるまでのレベルにしてもらおうと 思っているだけですよ。(再び笑)。 >崇徳院は天皇家にとって「レベル6」かも?? そうですね。明治まで恐れられてますから! 学生時代、授業で習ったときは「保元の乱」で名前が 出ただけぐらいのイメージしかなかったけどね。 「民をもって皇となし...」すさまじい怨念ですよね。 Time : 2000/ 5/30(火) 12:43:00