Name    : NO.イロハ
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Title   : 皆さん始めまして。
Comments: 
 皆さん始めまして。
 ここの掲示板は、去年の夏以来ROMしています。週に二回ぐらい
しか見ることができないのが非常に断念です。
 今展開している、Awajiさんとkitunoさんの議論をとても面白く
読まさせてもらっています。AWajiさんの鋭い突っ込みと博学には感心
するばかりです。
 しかしAwajiさんとKitunoさんの議論を読んで一つ、あれ?と思った
ところがあります。

それはAwjiさんの
>Awajiが梅原「太子怨霊説」に関して、先ず直感的に感じた疑問は、
>果たして太子には怨霊となる適性(資格)があるのか?と言う事で
>す。

>Awajiの一般的理解では、怨霊となるのは非業の死により怨念を残し
>た死者であり、その死者による加害者に対する復讐が怨霊の祟りと
>して意識される筈です。

>彼の一族が悲惨な目に会うのは、彼の死から約20数年の後ですね。
>Awajiとて「山背大兄怨霊説」ならば、その可能性は否定しません。
>しかしながら、死後20数年後に子孫が悲惨な目に会ったから改めて
>怨霊になると言うのは、幾ら何でも怨霊適性(資格?)から無理が
>あり過ぎるでしょう。
-------Name:Awaji ・ Time: 2000/ 1/28(金) 01:01:16----------
と、ここの部分です。

 なぜここの部分が、ひっかかったのか考えてみると、逆説の日本史の
第二巻にこのことに関する記述があることを思い出しました。
>---------------------------------<逆説の日本史第二巻>-------------------------------------
 歴史学者が梅原氏の主張に反対する最大の根拠は次のようなものであ
る。
         <中略>
「怨霊は、桓武天皇の弟早良皇太子や菅原道真のように、無実の罪で死
に追いやられたものがなる。ところが、飛鳥・奈良時代に無実の罪で殺
されたものは、蘇我石川麻呂、有間皇子、長屋王のように多数いるにも
かかわらず、彼らはまったく怨霊化していないし、怨霊として畏怖され
た形跡も無い。だから、この点から見ても平安時代以前に日本に怨霊信
仰が無かったことは確実だ」
そして、とどめはつぎのようだ。
「そもそも聖徳太子は自身に怨霊化する理由がない。太子は天寿を全う
して死んだのだ。無実の罪で死に追いやられたのではない。だからこそ
怨霊になるはずがない」
以上である。
---------------------------------------------------------<
と書かれています。
 この後、このことに対する反論がありますが、それを引用すると長いので要約
すると
>------------------------<反論要約>----------------------------
 怨霊信仰は古代中国に発生し、そもそもその人の子孫が根絶されて、と先祖の
霊を祀るものがいなくなると怨霊になる。
 そして、太子の子孫は皆殺しにあっているので怨霊の資格はある。しかも、太
子の子孫を皆殺しにした蘇我本家は中大兄皇子に滅ぼされている。そのことは、
古代人から見ると「太子の怨霊が蘇我本家に祟りし滅ぼした」と考えたのではい
か。
 また、怨霊となる条件が、「子孫皆殺し」から「無実の罪で殺される」に変わ
ったのは、長屋王の事件の時、長屋王を陥れた藤原四兄弟が、事件の後疫病で亡
くなった。そのことにより「長屋王が藤原四兄弟に祟りした」と当時の人々が考
え、それにより怨霊化の条件が変わったのである。
-----------------------------------------------------------<
と、このようになります。(あまり要約になってませんね(^_^;))
 これを読むと太子は怨霊になる資格があるように感じますが、Awajiさんは
どう考えられますか?
追伸 AwajiさんとKitunoさんの議論の腰を折って申し訳ないです。

Time    : 2000/ 2/ 1(火) 05:11:52

Name : 輔住 E-mail : Title : 昔の怨霊化の定義は知ってましたが Comments: NO.イロハさん、はじめまして >怨霊信仰は古代中国に発生し、そもそもその人の子孫が根絶されて、と先祖の >霊を祀るものがいなくなると怨霊になる。 私もこの定義の部分はしってました。 その上でAwajiさんの下記の指摘は >彼の一族が悲惨な目に会うのは、彼の死から約20数年の後ですね。 >Awajiとて「山背大兄怨霊説」ならば、その可能性は否定しません。 なぜかというと山背の子とかまで殺され祀るものがいなくなったのは 山背も同様です。 (つまり山背の子供でも生きていればよかったんですが、 それだと太子も怨霊化しない) やはり山背が怨霊と認められないのはおかしいと思わざるをえません。 Time : 2000/ 2/ 1(火) 12:40:28
Name : 輔住 E-mail : Title : すみません Comments: 「Awajiさんの下記の指摘は」 の後にもっとだと思いました。と書くのを 忘れました。 Time : 2000/ 2/ 1(火) 12:46:28
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 怨霊の定義 Comments: NO.イロハさん、初めまして。みなさん、お久しぶりです。どうも 「南朝正統論」と関わりがありそうので、一時的にROM解禁させ てもらいます。 NO.イロハさんの仰る通りで、無条件に怨霊かどうか? と問われ れば、太子は怨霊です。ここまではKANAK氏も認めていたので、 ほとんどの人が認めるのではないでしょうか? ただ、この掲示板は無条件ではありません。歴史の話をしていると いう条件付きです。「太子が怨霊かどうか」という文脈は歴史の中 で問われる為、「怨霊の定義」が「本来の定義」から変化すると思 います。 すなわち、Awaji氏の仰る定義になります。怨霊としての太子 の影響が歴史に与えた影響があるかないか? が問題となります。 となると、Awaji氏の仰る通りで、「誰が怨霊を恐れたか」と いう主語がある程度明確でなければ意味がありません 『逆説の日本史』2巻1章は、KANAK氏により、いくつかの明 らかな間違いが指摘されております。これらの間違いを除いて、 井沢説がすべて正しかったと仮定しても、聖徳太子が歴史の文脈に おいて怨霊と呼べるかどうか? 私見ですが、2巻1章の情報だけ で怨霊と呼ぶことは難しいと思います。何故なら、ここに書かれて いることは: 1:太子は日本における仏教の聖者である; 2:太子は怨霊である; 3:聖徳なる太子を聖徳太子と呼んで鎮魂した。 であり、太子が怨霊であってもなくても大差ない気がします。誰が どこまで鎮魂を意識したのかも不明です。 上記の私の読み方は「聖徳太子1人に焦点をあてれば」という条件 付きです。別な焦点をあてれば、怨霊の意義が出てくるのですが、 これ以上述べることは控えます。「南朝正統論」の議論についても 似たような焦点問題があって、大変だったので。。(苦笑) 「徳の字鎮魂」された天皇についても、どこまで怨霊だの鎮魂だの を意識して「徳」の字を付けられたのか? 分かりません。「顕徳」 に至って初めて意識した、な〜んてことがあるかも知れません。ま た、南朝正統論者が怨霊を意識しているようにも思えませんし。。 ひとつひとつの情報は非常に弱くてかつ不明瞭ですね。 現在においても、言霊や怨霊鎮魂思想が政治に与える影響は無視で きないことは分かっていても、その影響を抽出することは大変です。 どこまで抽出できるのか、井沢先生の今後のご活躍に期待しており ます。 ってな訳で、再びROMに戻ります。 Time : 2000/ 2/ 1(火) 18:11:09
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「怨霊資格」?? Comments: NO.イロハさん、はじめまして。 kitunoさん、輔住さん、みなさん、今日は。Awajiです。 NO.イロハさん・・・・貴重なコメント有難うございました。 (腰を折るどころか・・・何方に係らず横レス大歓迎です!) チョット説明不足だったかも知れませんが、Awajiが梅原さんの「隠 された十字架」を読んだのは、昭和47年頃だったと思います。 その時に直感的に感じた印象です。 確かに井沢さんは、怨霊概念が長屋王時代から変化したとおっしゃっ ています。しかし梅原さんがその様な見解をとっておられるのかどう かは定かではありません。 ただ、怨霊信仰の原点は祟神天皇の大物主祭祀にあるとされています が、ご承知のとおり大物主は子孫を断たれたわけではありませんね。 大物主は、井沢さんの以下の主張によっても、子孫を断たれたのでは 無く、現実世界における王権を奪われ、怨念の死を遂げた政治的敗者 とされています。 『国譲りの際アマテラスに国を譲ったオオクニヌシが「この国の現実 の政治(顕事=あらわごと)から手を引くその代わり、人間の運命に 関すること(幽事=かくりごと)はオオクニヌシの担当とする」とい うやり方のことです。なぜこんな事が行われるか? それは説明するまでもありませんね。要するに怨霊が怖いからです。 この世につきせぬ恨みを抱いて死んだ怨霊は、放っておくと飢饉、疫 病、災害あるいは戦争といったあらゆる災厄の原因となる。・・・』 言うまでも無く、大物主が怨霊とされたのは明かに長屋王に先行する 筈ですから、井沢さんが・・・・ 『怨霊となる条件が、「子孫皆殺し」から「無実の罪で殺される」に 変わったのは、長屋王の事件の時・・・それにより怨霊化の条件が変 わったのである。・・』とされるのは、カナリ無理があると思います。 従って、聖徳太子は怨霊の基本資格である「この世につきせぬ恨みを 抱いて死んだ」のでは無い、よって怨霊資格は無いと考えたものです。 (山背大兄であれば、ピッタリでしょうが・・・輔住さん注釈) なお、歴史学者が一般的に「怨霊」信仰と言う場合は、概ね次のもの を言います。  99/ 2/11 KANAKさん掲載文より引用  ******************************** 御霊信仰 「非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、これを融和してその崇りを免れ安穏 を確保しようとする信仰。原始的な信仰心意にあっては死霊はすべて畏怖の 対象となったが、わけても怨みをのんで死んだものの霊、その子孫によって 祀られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ、疫病や飢饉その他の 天災があると、その原因は多くそれら怨霊や祀られざる亡霊の崇りとされた。 『日本書紀』崇神天皇七年・・天皇が疫病流行の所由を卜して、神託により 大物主神の児大田田根子を捜し求めて、かれをして大物主神を祀らしめたと ころ、よく天下大平を得たとあるのは厳密な意味ではただちに御霊信仰と同 一視し難いとはいえ、その心意には共通するものがあり、御霊信仰の起源が きわめて古きにあったことを思わしめる。 しかし一般にその信仰の盛んになったのは平安時代以後のことで、特に御霊 の主体として特定の個人、多くは政治的失脚者の名が挙げられてその霊が盛 んに祭られるようになる。 その文献上の初見は『三代実録』貞観五年(863)「所謂御霊者 崇道天皇(早 良親王)、伊予親王、藤原夫人(吉子)及観察使(藤原仲成か)、橘逸勢 文室宮田麻呂等是也。・・・」ものと注せられているが、この六所の名につ いては異説もあり、後世さらに吉備大臣(真備)ならびに火雷神(菅原道真) を加えてこれを八所御霊と呼ぶようになった。・・・」 国史大辞典 ********************************** また、これもKANAKさんのご指摘ですが、古代の大王継承権を巡る争い は、継承ルールが明確では無かったことにもよると思いますが、世界 史的にも珍しいほど過酷なもので、血塗られた歴史と言っても良いほ どです。 (Awajiは聖徳太子が「和」を説いたのも、この様な内部抗争を続けて いたのでは諸外国に対抗できない・・・国内を天皇中心に団結させ、 強固な統一国家にすべきである・・・その「和」を形成するためには 仏教思想が必要である・・・と言う理念に基づくものでは無いかと考 えています。綺麗ごとを言えば山背はこの太子の教えに殉じた・・?) 因みにKANAKさんが、挙げられた・・・子孫を断たれた皇族で、怨霊 と意識されたかどうか不明とされるリストを再掲します。 (99/1/30 一部) 欽明以前で、子孫を断たれたと思われる天皇・皇族はさらに多数にの ぼりますが、何れも明確に怨霊と意識された事例は無いと思うのです。 *********************************** さて今回は、欽明期以降・・・死因等から怨念を残したと思われる皇族を抽出 して見ました。(力量は独断です) 力量   要因/死因    実子ー子孫    社寺 井沢鑑定 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 穴穂部皇子 ○      弑殺    ??ーXX    ??  ?? 宅部皇子  △      弑殺    ??ーXX    ??  ?? 崇峻天皇  ◎      弑殺    蜂子ーXX    ??  怨霊? 孝徳天皇  ◎      憤死?   有馬ーXX    ??  怨霊 有馬皇子  △   冤罪・誅殺    XX       ??  ?? 聖徳太子  ◎      自殺??  山背ー滅亡   法隆寺? 怨霊 山背大兄  ○      弑殺    滅亡      法隆寺? 怨霊? 古人大兄  ○   冤罪・誅殺    倭姫ーXX    ??  ?? 天智天皇  ◎      暗殺??  多数(後皇統)  ??  怨霊 大友皇子  ○      敗死    葛野(淡海氏) 三井寺? 怨霊 大津皇子  ○   冤罪・誅殺    粟津ー??    ??  ?? ::::::::::::::::::::::::::::::::: 長屋王   ○   冤罪・自殺    (高階氏)   東大寺??怨霊 贈淳仁天皇 ○ 廃立・33歳憤死     ??       ??  ?? 新田部親王 ○ ?? 道祖・塩焼の誅殺 ?? ?? 道祖王   ○  廃太子・誅殺    ??       ??  ?? 塩焼王   ○ 恵美連座・誅殺    ??       ??  ?? 和気王 ○ 謀反? 誅殺 大伴ー?? ?? ?? 称徳天皇  ◎      ??    XX       ??  怨霊 他戸親王  △   冤罪・誅殺    XX       ??  怨霊? 贈崇道天皇 ◎   冤罪・憤死    XX      御霊神社 怨霊 伊予親王  △   冤罪・誅殺    XX       ??  ?? 平城天皇  ◎  失権・??    高丘廃立(在原氏)??  ?? 文徳天皇  ○      急死    清和(3皇統)   ??  怨霊 ・・・そこで彼等が怨霊となったか?ならなかったのか?・・・何によって それが判断出来るのか? 何方かご説明頂けるでしょうか?? ********************************* 以上引用部分が多く恐縮ですが、取り敢えずお答えいたしました。 なお、Awajiが記憶する限り、KANAKさんが「太子怨霊説」に賛同 されたことは、無かったと思います。念のため・・・ Time : 2000/ 2/ 1(火) 21:38:58
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 怨霊の定義、その2 Comments: みなさん、こんにちは。 1度では終わりませんでした。再度、投稿いたします。 ◇怨霊基礎資格◇ > 御霊信仰 > 「(略)原始的な信仰心意にあっては(略) > その子孫によって祀られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ > (略)」 国史大辞典 Awaji shi wrote (2/1): > 従って、聖徳太子は怨霊の基本資格である「この世につきせぬ恨みを > 抱いて死んだ」のでは無い、よって怨霊資格は無いと考えたものです。 Awaji氏は『国史大辞典』を否定しているのでしょうか? そ れとも、「怨霊」と「祀られざる亡霊」は別物だから、キチンと区 別しろ、ということでしょうか? それとも原始時代ではないから でしょうか? なお、現在でも「祀られざる亡霊」は祟りをなすと、信心深い人は 信じていますが。。 ◇KANAK氏の件◇ Awaji shi wrote (2/1): > なお、Awajiが記憶する限り、KANAKさんが「太子怨霊説」に賛同 > されたことは、無かったと思います。念のため・・・ ここでの「太子怨霊説」での「怨霊の定義」は何でしょう? 無条 件ですか? それとも歴史を語る文脈の中ですか? もちろん、後 者ならば完全否定されています。 前回の私の投稿は、文脈の中で定義が変わるという話ですので、こ れが抜けると全くの無意味になります。Awaji氏は何故「文脈」 を省略したのでしょうか? KANAK shi wrote: > さて今回は、欽明期以降・・・死因等から怨念を残したと思われ > る皇族を抽出して見ました。 ... > 聖徳太子 「怨念を残したと思われる皇族」、すなわち怨霊ですね。無条件な 文脈では、「怨念を残したと思われる霊」のことを「怨霊」と呼ぶ のではないでしょうか? > 御霊信仰 > 「(略)原始的な信仰心意にあっては(略) > その子孫によって祀られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ > (略)」 国史大辞典 KANAK氏が『国史大辞典』を否定しているとは思えません。 KANAK shi wrote (99/2/24):(一部変更) > 人格的顕在型怨霊信仰: > 特定の怨念を残した死者に対する贖罪の念に由来する鎮魂行動で > あるが、鎮魂行動に必ず人格の顕在化を伴い、宗教施設・儀式も > 明確となるので、外部から完全に知り得る。 蛇足ですが、KANAK氏はこのレベル以上の怨霊を「怨霊」と呼 んでいます。鎮魂行為の主語は加害者であり、鎮魂行為の明確さも 求めています。当然、聖徳太子はこの条件を全く満たしません。 ただ、ここまでハードルを高くすると、現在の日本政治における怨 霊思想の影響なんて議論は不可能でしょうね。第2次世界大戦の敗 因分析をする際に、「怨霊思想の影響はない」と明確に断言できる のが、メリットかも知れません。(皮笑) ◇『逆説の日本史』の読み方◇ 『逆説の日本史』は寝転がって読むには適していますが、マジメに 読むと疲れます。週刊誌連載なので仕方ないのかも知れません。連 載が終わったら、マジメに読める書き下ろし簡潔版を書いて欲しい 所です。必ず購入しますので!! それから、この本ほど部分引用に適さない本はないかも知れません。 文脈が分からないと、言葉の定義が分からない箇所が多いです。議 論にも不向きで困ります。最も、週刊誌連載の大変さが分からない ので、これ以上は述べませんが。。 なお、Awaji氏の『逆説の日本史』の解釈部分についてのコメ ントは差し控えます。無意味な議論に突入するのは目に見えてます。 ここまで書けば、もう投稿せずに済むかな? それでは、ご機嫌よう!! Time : 2000/ 2/ 2(水) 17:58:55
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「文意に関して」?? Comments: みなさん、今日は。Awajiです。 Awajiは、この様なHPにおける意見交換においては、出来るだけ簡潔 に要点を記載せざるを得ないと思っています。 従って、文章の流れから概ねご賢察頂けると判断した場合は、語彙を省 略することがあります。 つまり「(鎮魂さるべき対象としての)怨霊は・・」と言うべき所を。 「怨霊は・・」と言う如き例です。 (あくまでも、例えば・・・と言う例示です) 「・・・したと思われる」と記述された場合も、前後の関係からみれば、 発言者自身の判断ではなく「(皆さんの意見を踏まえて、あらゆる可能 性を考慮すれば)・・・と思われる」と理解すべき場合もあるでしょう。 (少なくともAwajiは、その様に理解しました) しかしながら、読解力には個人差がありますし、過去のコメントの流れ を知らずに読めば、その真意が読み取れない場合もあると思います。 ついては、TAKATOKUさん同様にAwajiの意見が納得出来ないと思われる方 は、ご遠慮なく具体的に疑問点をご指摘願います。 KANAKさんのご意見に関しても、引用者であるAwajiの理解する範囲と責任 において、極力回答させて頂きます。 Time : 2000/ 2/ 2(水) 21:48:13
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「太子信仰」?? Comments: Kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 色々(まさにイロイロですが・・・(>_<;))な方のRESが入って来て、 結構良い話題になって来たようですね。(^0^)" ヤヌス神のような、お立場は理解していますが、行きがかり上、梅 原説に立って頑張って下さい。\(^o^)/ >>梅原氏も太子の実績は十分認めています。「『日本書紀』におい >>て太子の聖人説を捏造した」とは言っていないと思います。・・ >>梅原氏は、『日本書紀』で「太子を持ち上げている」という表現 >>をしています。 梅原さんは・・・ 「ここにきて『日本書紀』の著者は、なぜ冷静な歴史家の眼を捨て たかということである」 「なぜ『日本書紀』は、太子にかんして冷静な歴史観を捨て、この ような手放しの讃美を行ったか。」 P84 「われわれはそこにおいて、異常に美化された太子や、異常に活躍 した鎌足をみるけど、・・・」 P90 「手放しの讃美」「異常に美化」とおっしゃい、それに疑問を呈する ことで、不比等の関与説につなげておられますね。 従って、単に「持ち上げた」と言う程度では無いと思うのですが・・・ まあ、そう言った表現よりも、これが不比等による作為的なものであ ると言う論拠がイマイチ理解できないのです。 >>『日本古代史叢考』は、何年頃の本ですか? 昭和50年頃と思いますが、著者「坂本太郎」で検索すれば、出てく ると思います。(地方県立図書館レベルでは無理かも・・・kutuno さんは、お江戸だったでしょうか?) >>藤原氏は、聖徳太子の功績をたたえ、僧侶、行信の勧めにより、 >>聖徳尊霊と法隆寺での法華経講読を行います。 >>ここで初めて聖徳太子を神とする信仰が始まります。こうして聖 >>徳太子を利用することにより、藤原氏も仏教の保護者として民衆 >>にアピ−ルしていったのではないでしょうか。 さあ・・・どうでしょうか? 藤原氏が仏教の保護者(崇仏派)を意識したのは、天智時代に山階 寺を建てた頃(669?)からでしょう。その後天武時代に厩坂寺(?) を建て、そしてそれを平城遷都(710)に際して興福寺として官寺に 比する規模としたことで、充分過ぎる程天下にアピール出来たので は無いでしょうか? その後、不比等没以降になって、「書紀(720)」にも示されており、 既に僧侶・民衆からも崇敬の対象となっている聖徳太子にも眼を向け たのでは無いかと思います。 (ここには行信の勧奨もあったと思いますが、不比等の没=720後で あり、不比等は然程に太子に注目していたとは思えないのです。) なお、聖徳太子自身は、神祇に対する崇敬の念も欠かさなかったと 思いますが、後世において彼を「神」とした形跡は無いと思います。 あくまでも生身の菩薩であり、聖人でしょう。この点も所謂「怨霊 信仰」とは一線を画するものであり、太子怨霊説に対する否定材料 であると考えます。 >>Awajiさんは、即座に史料や本の紹介ができる環境に居られるので >>しょうか? 残念ながら一介のサラリーマンですので、その様な環境には居ませ ん。ただ、今までに会議室等やネット提供史料の多くを整理保存し ていますので、関係史料は簡単に引き出せるようになっています。 (図書館で昼寝するのも大好きですので、散歩がてら図書館に行っ ては書籍を検索をし、興味ある部分についてはカナリのコピー史料 も保管しています) 8についての梅原説擁護は、かなりシンドイでしょうね。無理なお 立場をお願いし、申し訳無く存じます。 (8.山背事件の実行者は、孝徳の側近か?その根拠は何か?) Awajiは、元来「巨勢氏」は親太子(山背)派であり、蘇我入鹿が 彼らを山背襲撃に向かわせたのは、一種の「踏絵」では無かったか と想像しています。(・・?) (古人の諫止発言もそれによるものでは無いか・・・ナ〜ンテ) 出来るだけ過激にならないように注意しますが、暴走気味の点があ れば、ご指摘下さいね。(・_・;) Time : 2000/ 2/ 2(水) 23:39:47
Name : kituno E-mail : Title : 8について Comments: 皆さん、こんばんは。 では、さっそく >8.山背事件の実行者は、孝徳の側近か?その根拠は何か? 山背事件に関わったのは孝徳天皇の側近だったにも関わらず 蘇我入鹿一人のせいにし、入鹿を殺した鎌足を正当化した、 という梅原氏の見解の根拠として、『上宮聖徳太子伝補けつ 記』の中で、「山背を謀略したのは6人である。」と述べら れていることをあげています。 その6人とは ・蘇我入鹿 ・蘇我蝦夷 ・孝徳天皇(当時軽皇子) ・巨勢徳陀古(孝徳朝の左大臣) ・大伴馬飼(孝徳朝の右大臣) ・中臣塩屋枚夫 また、藤原氏の『家伝』にも「蘇我入鹿、諸王子と謀り」と あります。 ところが『日本書紀』においては「蘇我臣入鹿、一人謀りて」 とあり、いかにも山背事件の責任が蘇我入鹿一人にあるかの ようにし、その後の中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿殺 害を太子一家惨殺への復讐であるかのように思わせようとす る意志が働いているかのように感じられる、と梅原氏は述べ られています。 >「和」を形成するためには仏教思想が必要である・・・と >言う理念に基づくものでは無いかと考えています。 >(綺麗ごとを言えば山背はこの太子の教えに殉じた・・?) 山背大兄皇子は、Awajiさんのおっしゃるとおり、太子の 「諸悪莫作、諸善奉行」の教えを守ったのです。 尚、『上宮聖徳太子伝補けつ記』は、久米邦武氏の『上宮 太子実録』の中で、「半確実な史料」として紹介されてい るそうです。 私個人としては、怨霊とは「人に恨まれるようなことをし た人の心に住みつくもの」「誰かを陥れ、死に追いやった 人の心に住みつくもの」「後ろめたさを抱えた人の心に住 みつくものだ」と思っています。 藤原氏は太子一族に対して、「後ろめたさ」があったので はないでしょうか。 きわめて単純な考えです。 Time : 2000/ 2/ 3(木) 00:10:35
Name : 輔住 E-mail : Title : 的外れかな? Comments: kitsunoさん、みなさん、こんにちは 私の単純な考えなんですが、山背事件に 藤原氏が後ろめたさをもっているのなら 山背を美化して、むしろ太子は目立たなく なってしまっても不思議はないような気もするのですが。 古代史音痴の意見なので的外れかもしれませんが Time : 2000/ 2/ 3(木) 12:46:06
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 怨霊の定義、マトメ。 Comments: みなさん、こんにちは。 今度こそマトメができそうです。 ◇マトメ◇ Awaji shi wrote (2/2): > つまり「(鎮魂さるべき対象としての)怨霊は・・」と言うべき所を。 > 「怨霊は・・」と言う如き例です。 ・聖徳太子は怨念を残したと考えられる(KANAK氏認定) ・聖徳太子は歴史でいう怨霊でない(KANAK氏認定) でしたが、Awaji氏の「怨霊」は、この間ということですね。 実質的には、“「怨霊」と「祀られざる亡霊」は別物だから、キチ ンと区別しろ”ということでしたか。。 「怨念を残した(残す可能性のある)霊」と「(鎮魂さるべき対象 としての)怨霊」の間の「霊」のために、何か特別な単語をつくっ た方がよいかも知れません。「顕幽未分離霊」とか(笑)。そうし ないと、井沢先生が『逆説の日本史』を執筆するモチベーションが 表現できませんね。。 ◇余談◇ kituno san wrote (2/3): > 山背大兄皇子は、Awajiさんのおっしゃるとおり、太子の > 「諸悪莫作、諸善奉行」の教えを守ったのです。 山背大兄皇子も立派な聖者ですな。。 それでは。。 Time : 2000/ 2/ 3(木) 18:27:13
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「処置無し」?? Comments: 今日は。Awajiです。 >>「怨念を残したと思われる皇族」、すなわち怨霊ですね。2/2 ↓ >「・・・したと思われる」と記述された場合も、前後の関係からみれば、 >発言者自身の判断ではなく「(皆さんの意見を踏まえて、あらゆる可能 >性を考慮すれば)・・・と思われる」と理解すべき場合もあるでしょう。 ↓ >>・聖徳太子は怨念を残したと考えられる(KANAK氏認定) 2/3 処置無し・・・・・お手上げです。 Time : 2000/ 2/ 3(木) 20:29:48
Name : kituno E-mail : Title : 藤原氏の後ろめたさ Comments: 輔住さん、皆さん、こんばんは。 >山背事件に藤原氏が後ろめたさをもっているのなら山背を美化して、 >むしろ太子は目立たなくなってしまっても不思議はないような気も >するのですが。 このご意見に対して、kitunoの考えを聞いてください。 藤原氏が「太子に対して後ろめたさ」を持っているというのは、太子 の残した偉業をそのまま利用した、ということも含みます。 太子と蘇我馬子が編纂した『国記』『天皇記』をうまく引用し、藤原 氏の都合のいいように改竄して作られたのが『記紀』であり、庶民か らの太子人気を利用して太子信仰を広め、藤原氏が仏教の保護者とし ての地位を確立していったのではないか、と思うのです。 その実、太子一族及び蘇我氏を滅ぼした陰の立て役者は、藤原氏だっ たというのが「太子への後ろめたさ」です。 山背大兄皇子は、太子の教えを忠実に守っただけで、太子のような偉 業は成し遂げていませんから、美化することもできなかったのです。 蘇我氏と藤原氏は、物部氏や大伴氏のように、神話・伝説の時代から 様々なエピソ−ドを残している連綿とした系譜を誇る豪族とどこか違 っている、という点でどこか共通しているように思います。 同じ成り上がりものとして、自分の氏族の都合のいいように書かれた 蘇我氏による歴史書の編纂や、天皇の外戚となり権力者としての地位 を固めていくやり方など、藤原氏は蘇我氏のやったことをそのまま受 け継いでいるのではないでしょうか。 ただ、違うことは蘇我氏は仏教によって国を治めようとしましたが、 藤原氏は従来の神道もうまく利用して中央集権国家を作り上げていっ たことにあると思うのです。 王権の犠牲となった個人の霊魂の恨みを理解し、心に罪の意識を堅 持して仏や僧への供養と布施を行えば、それが帳消しになるという 仏教の利点を利用しながら、共同体信仰として皇祖神を祀り、初穂 を名目とする租税を取り、疫病などの天災は、怨霊(元は個人の霊 魂の恨みだったにも関わらず)を祀らないことから生じる(祟り) と庶民に説き、神を祀るものの立場を最大限に利用して国土と人民 を支配することに成功したのが藤原氏だったのではないでしょうか。 皆さんのご意見もお聞かせください。 Time : 2000/ 2/ 3(木) 23:46:51
Name : ina E-mail : Title : 横レス Comments: 皆さんこんにちは KITUNOさんの、、 疫病などの天災は、怨霊(元は個人の霊魂の恨みだったにも関わらず)を祀らない ことから生じる(祟り)と庶民に説き、神を祀るものの立場を最大限に利用して国 土と人民を支配することに成功したのが藤原氏だったのではないでしょうか。  上記部分ですが、部分的に賛成です。  以前、称徳が怨霊かドウかを議論したときに述べたのですが、怨霊、というの は、支配階級からのいい訳(EXCUSE)であるというのが骨格です。   古代王制では、支配者の霊力が衰えると、戦争に負けたり、天災が起こるのだと 考えられており、その時には王は殺されて、新しい王がたてられた。  そこに王権世襲の要素は無いはずであるが、これは天壌無窮の神勅に反するため、 飢饉などの度に王が交代しなくても良いように考えられたのが怨霊、という考えである。  これによれば、何が起ころうと、鎮魂行為を行えば、王の交代は必要無い。  以上です。なお、これは怨霊信仰が史料にあらわれた時代を大きく遡って存在した (密かに怨霊を鎮魂した時代があった)という御意見に対する反証として提出 したものです。   Time : 2000/ 2/ 4(金) 05:50:29
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「山背事件の真相」?? Comments: kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 いよいよ、具体的核心部分に入ってきましたね。 (8.山背事件の実行者は、孝徳の側近か?その根拠は何か?) >>山背事件に関わったのは孝徳天皇の側近だったにも関わらず蘇我入 >>鹿一人のせいにし、入鹿を殺した鎌足を正当化した、という梅原氏 >>の見解の根拠として、『上宮聖徳太子伝補闕記』の中で、「山背を >>謀略 闕したのは6人である。」と述べられていることをあげてい >>ます。 仮に山背事件が孝徳の側近によるものだとしても、そこから鎌足に繋 げるのは、無理があると思いますが・・・それは別に考察するとして、 『上宮聖徳太子伝補闕記』の記述から山背事件における孝徳の関与に ついて考えて見たいと思います。 梅原さんの主張されるとおり、この記事は完全に否定すべきものとは 思いません。カナリ後代の書物としても何らかの史実を反映している 可能性があるでしょう。 Awajiは、蝦夷はこの事件に余り関与していなかったと見ています。 中大兄は入鹿と共に蝦夷も誅殺していますが、誅殺の理由としては、 蝦夷も山背事件に関与していたとしておいた方が、自然であるにも係 らず、敢えて関与していないとしているのは、それが史実だからと思 うからです。 しかし、入鹿が軽皇子(厳密には軽王と称すべきでしょう)や古人大 兄、さらに巨勢・大伴・高向等の重要人物に、ある程度の根回しをし ていた可能性は極めて大きいと思います。 (中臣については、塩屋枚夫と言う人物が分かりませんので判断不能 ですが、当時の有力貴族の一員である中臣氏にも同様の措置を取った 可能性はあると思います) 書紀では、高向氏は明かに入鹿の指示(命令)を拒否していますし、 本宗家滅亡時の動きから見ても蘇我氏内部でも意思統一はされていな かったのでしょう(蘇我倉山田も入鹿とは距離を置いていた可能性が 大です。このことは蝦夷が関与していなかった一つの傍証になると思 います)。 梅原さんは、高向氏が入鹿に抵抗しているのに、諸王(孝徳等)が抵 抗できなかったのは不審である・・・孝徳はむしろ積極的に関与して いたのでは無いか・・・としておられますね。 そして、孝徳時代に巨勢・大伴が大臣に起用されたことを以って彼ら を孝徳側近と見ておられる様ですね。 Awajiの見るところ・・・これは当時の政情をあまり理解されていな いことによる誤解だと思います。 まず、この当時の大和政権の構成を見てみると・・・推古崩御後にお ける山背・田村の継承争いで主要な役割を演じた人物(勢力)は凡そ 次のとおりです。(・・・要するに主要閣僚ですね。) 田村派・・・蘇我本宗家・大伴鯨・采女臣摩礼志・高向臣宇摩・中臣       連弥気(鎌足父)・難波吉士身刺      (阿部麻呂臣・河辺臣禰受・桜井臣和慈古)   山背派・・・許勢臣大麻呂・佐伯連東人・紀臣塩手・境部摩理勢臣 中立派・・・蘇我倉山田臣石川麻呂? このうち、采女臣(物部系)・中臣連・難波吉士は独自の武力は持っ ていなかった思われます。(物部は衰退気味、中臣・難波は文官系) また軽王等の皇族は、これら大豪族とは異なり全く独自の武力は有せ ず、入鹿の恫喝には極めて弱い立場にあったと思われます。 さて・・この後に蘇我同族の境部氏は、本宗家により滅ぼされます。 そうすると山背事件当時の(軍事)勢力は・・・以下のとおりです。 蘇我本宗家(蝦夷・入鹿)・・・圧倒的勢力 蘇我倉山田家・・・・・・・・・本宗家に次ぐ勢力、入鹿に反発 高向臣家・・・・・・・・・・・蘇我同族、入鹿に抵抗 河辺臣家・・・・・・・・・・・蘇我同族、 桜井臣家・・・・・・・・・・・蘇我同族、 許勢臣家・・・・・・・・・・・蘇我縁族であるが、本来山背派? 紀臣家・・・・・・・・・・・・蘇我縁族であるが、勢力微弱 阿部臣家・・・・・・・・・・・膳部臣(山背派)縁族、親孝徳派 大伴連家・・・・・・・・・・・古代からの近衛武力、衰退気味 佐伯連家・・・・・・・・・・・勢力微弱 この勢力分野の中で、入鹿が(本来山背派であった許勢臣に、その 忠誠心を確かめる意味で?)山背攻撃隊長を命じたのは極めて妥当 な人選でしょう。(おそらく高向臣を督戦としたかった?) しかし、古人大兄が入鹿の直接出陣を止めているのは、高向臣の動 向等から、万一の寝返りを恐れたためでは無いかと思っています。 (巨勢氏と太子=山背の親密関係は・・・「法王帝説」挽歌が暗示) さらに穿って見れば、許勢臣が死体確認もそこそこに、宮殿を焼き 払ったのは、山背を逃すためだったとすら思います。 (これは考え過ぎかも知れませんが・・・・) 逆に、最も親孝徳の立場にある筈の阿部臣が、何の動きも示してい ないのは、孝徳の消極的立場を物語っているのでは無いでしょうか? また、古人大兄が山背攻撃に消極的だったのを、疑問視しておられ ますが、これはむしろ当然のことだと思います。 (勿論、こう言った勢力関係の中で、鎌足が主導権を発揮する等と はとても思えません。せいぜい入鹿にはあまり逆らわず、時節を待 て・・・と軽皇子に進言した程度でしょう。) さて、その後・・・蘇我倉山田家を曳きこんだ中大兄と中臣鎌足の 連携で、蘇我本宗家を打倒し、高向臣・許勢臣は蘇我本宗家の直轄 部隊とも言うべき漢直を武装解除すると言う大功を挙げます。 >>その後の中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿殺害を太子一家惨 >>殺への復讐であるかのように思わせようとする意志が働いている >>かのように感じられる、と梅原氏は述べられています。 これも奇妙な読み方で、書紀は入鹿殺害を山背の復讐などとは記述 していません。あくまでも天皇家の権威を侵した者を誅殺したとし ていますね。 その結果、皇極・中大兄の支持による暫定政権とも言うべき孝徳が 即位するのですが、その構成は・・・・ 蘇我倉山田家・阿部臣家・許勢臣家・大伴連家が中心となるのは当 然で、特段何の不思議もありません。 そして、蘇我倉山田家が中大兄により大打撃を受け、孝徳側近とも 言うべき阿部臣麻呂が逝去した中で、許勢臣家・大伴連家が大臣の 地位を勝ち取るのは当然でしょう。 むしろ、彼らは孝徳と中大兄が対立した難波転都問題では、大臣で あるにも係らず、あっさりと孝徳を見限っていますね・・・彼らを 孝徳側近と見る根拠は殆ど見られないと思います。 巨勢臣徳太(593?−658)、大伴(馬養)長徳(?-651)略年譜 皇極 元年(642)巨勢・大伴、舒明天皇葬儀に誄を奏上す。 皇極 2年(643)巨勢、山背大兄襲撃の実行責任者。(小徳位) 皇極 4年(645)巨勢、蘇我入鹿誅殺に際し、漢直の反抗を排除。 孝徳 元年(645)蘇我倉山田、左大臣(持統等の祖父)          阿部、右大臣(有馬皇子の祖父)          巨勢、高麗使に詔を伝える。 孝徳 3年(647)巨勢、法隆寺食封三百戸施入の宣命。右大臣か? 孝徳 5年(649)阿部麻呂逝去。巨勢右大臣? 巨勢、蘇我石川誅殺の後に左大臣(大紫位)。          大伴、右大臣 孝徳 6年(650)巨勢、白雉献上の賀詞奏上。 孝徳 7年(651)巨勢、新羅征討の奏上。          大伴、逝去 孝徳 9年(653)難波廃都、孝徳孤立。 孝徳10年(654)孝徳崩御。 斉明 4年(658)巨勢、左大臣在職中逝去。 斉明 4年(658)蘇我連子右大臣(石川麻呂弟、不比等正室の父) >>山背大兄皇子は、Awajiさんのおっしゃるとおり、太子の「諸悪 >>莫作、諸善奉行」の教えを守ったのです。 お気持ちは、とても良く分かるのですが・・・これは梅原怨霊説に 鉄槌を下すものです。山背が太子の教えによって慫慂と死んだのに 太子が怨霊となって祟る(と考えられた)のでしょうか? 罪も無い鎌足の孫を、呪い殺す(と考えられた)のでしょうか? 取り敢えず、此処までですが・・・ツッコミあれば歓迎! Time : 2000/ 2/ 4(金) 09:00:22
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「行信配流等の問題」?? Comments: Kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。(追加) 概ね、梅原太子怨霊説の骨格をなす、以下の主要根拠及び推理の問題 点(誤謬)は、ほぼ指摘しましたので、その他気づいた点を申し上げ ます。 (反論その他ご質問は大歓迎です・・・ただし出来るだけ個別具体的 にお願いします) 1.救世観音及び法隆寺(夢殿)の様式等に関する問題 2.「書紀」の不比等主導成立説に関する問題 3.山背事件の鎌足陰謀説(首謀者・実行者)に関する問題 4.怨霊鎮魂(封殺)思想に関する問題 梅原さんは、行信を太子怨霊封殺の怪僧と印象付けるためか、次の様 に記述されています。 「次には彼は実に下手な厭魅を行って、前の犯罪の秘密まで暴露して しまったのである。下野国薬師寺は、後に道鏡が流される場所である が、政府としては、くさいものには蓋をしてしまいたいような気持ち であったと思う。」 P412 しかしながら、天平勝宝六年十一月に、大神朝臣多麻呂とともに下野 に流された薬師寺僧行信と、もともと元興寺僧であり東院を建立した 大僧都「行信」とが同一人であるかどうかは、従来から意見の分かれ るところです。 大僧都「行信」については、むしろ天平勝宝二年入寂説(七大寺年表) 、或いは天平勝宝五年入寂説が有力であり、この様に一方的に配流と 決め付ける記述は、著しく一般読者を誤誘導するもので、研究者の行 うべきこととは思えません。 (この記述を見た一般読者で、チョットおかしいな・・・と感じる人 が何人いるでしょうか? ほとんどは大僧都「行信」は厭魅を行うよ うな怪僧であり、その様な怪僧が建立した東院ならば何かいわくがあ るに違いないと印象付けられてしまうでしょう?) Awajiとしては極めて遺憾に思っています。 また、大僧都「行信」が、太子の怨霊を封じたとすれば、その功労者 である「行信」を配流するでしょうか? 梅原さんの説によれば、太子怨霊は鎮魂されたのではなく、寧ろ「行 信」の法力によって封印されているわけですから、封印役の「行信」 を配流等の手段で排除したりすれば、太子の怨霊が封印を破って暴れ 出すと恐れるのが当然でしょう? あるいは、太子の怨霊さえ封印した恐るべき法力を持つ「行信」を簡 単に配流するものでしょうか?(「行信」が怨念を持って配流先で死 亡し、怨霊と化すれば・・・誰がこれを鎮魂或いは封印するのか?) また、表面では太子を讃美し、裏面では頭に釘を打ち付けて封印する ・・・こんな裏表のある処遇で太子の祟りを防げると思ったのでしょ うか? こんなことをされれば、如何に温厚なAwaji(ウソツケの声あり?)で も怒り狂って、祟ってやろうと思うでしょうね。 これらの点から見ても、太子怨霊説・行信配流説には矛盾がありすぎ ると思いますが、いかがでしょうか?? Time : 2000/ 2/ 4(金) 12:29:40
Name : 輔住 E-mail : Title : やっぱり疑問 Comments: Kitsunoさん、みなさんこん@@は。 ろくな知識もないくせにいちゃもんをつけるようで 恐縮しますが、やっぱり疑問に思います。 >山背大兄皇子は、太子の教えを忠実に守っただけで、太子のような偉 >業は成し遂げていませんから、美化することもできなかったのです。 私は山背大兄皇子については太子の息子であること ぐらいしか知りません。しかし偉業とまでは 言わないまでも、政治家として無力とは考えにくいです。 彼は権力争いのため入鹿とそのグループに殺される。 つまり、ある程度の力を持っていたと考えられます。 美化が全くできないとは思えませんが。 Time : 2000/ 2/ 4(金) 13:19:50
Name : 輔住 E-mail : Title : ごめんなさい!kitunoさん Comments: 名前を間違えてKitsunoさんと書いてしまいました。 本当に申し訳ない。 Time : 2000/ 2/ 4(金) 13:44:23
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「天皇制の本質?」?? Comments: inaさん、みなさん、今日は。Awajiです。 (今日は風邪気味で休暇を取っています・・・) >>古代王制では、支配者の霊力が衰えると、戦争に負けたり、天 >>災が起こるのだと考えられており、その時には王は殺されて、 >>新しい王がたてられた。 >>そこに王権世襲の要素は無いはずであるが、これは天壌無窮の >>神勅に反するため、飢饉などの度に王が交代しなくても良いよ >>うに考えられたのが怨霊、という考えである。 失礼ながら、かなり良い着想だと思います。 フレーザーの原始祭祀王思想(王の霊力衰微→王の交代) 中国の易姓革命思想(王の徳失墜→天命による王朝の交代) から天壌無窮・万世一系思想への転換(或いは擁護)のため、災 厄を超越者(「天」或いは「最高神」)の意思から切り離し、怨 霊の所為にし、これを鎮魂することで切り抜けると言う事になる のかも知れませんね。 勿論ここには、王が抽象的な神の子(或いは天子)ではなく、神 の直系孫であると言う別の意味での王権擁護思想もあったと思い ます。 ただ、怨霊思想で切り抜ける場合は、その様な怨霊を発生させて しまい、災厄を招いた王の責任が追及される可能性もありますね。 Awajiは、加えて政治制度として王の失政責任を逃れ、天壌無窮・ 万世一系を擁護したのは、「君臨すれども、統治せず」の思想だ ったのでは無いかと睨んでいます。 つまり「統治(現実政治)を担当する権力」と「君臨(統治の根 元)を担当する権威」の分離です。 要するに、天皇は原則として「現実政治を担当する権力」を持た ない・・・従って、失政は生じない。 現実政治は蘇我・大兄・藤原・摂関・院・幕府・政府に任せ、彼 らが失政を行えば、統治者としての天皇の権威で、これを交代せ しめる。 つまり・・・・ 天或いは神→(革命)→王或いは王朝の交代 天皇   →(革命)→政治責任者の交代 では無かったかと思うのです。(この伝統に反し権力を行使しよ うとした天皇は、比較的短期の命脈しか持ち得なかった?) 勿論これは政治思想(理念)で、実際に権力者の交代が天皇の権 威だけで成し得たとは思いませんが、こう言う見方に立てば、日 本における政治の二重構造や、象徴天皇の意味が見えてくるよう な気がするのです。 Awajiは、このような隠された政治思想を確立したのも、推古の 摂政として現実政治に携わった・・・聖徳太子では無かったか?  と想像しています。 そして、国家危急存亡の大戦を指揮した、天智称制の意味もここ に有るのでは・・・と睨んでいます。 1.天孫・万世一系思想という絶対血統王権主義 2.君臨思想(権威・権力の分離)による王の政治責任免除 3.怨霊思想による天命(神意)罰からの王の失政責任防御 これらが2000年?になんなんとする、世界史上の奇観・・天皇制 の本質である・・・ナ〜〜ンチャッテ! チョット本題から離れましたが・・・雑感です。 Time : 2000/ 2/ 4(金) 16:11:50
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 怨霊の定義、終わらないとは思わなかった。。 Comments: みなさん、こんにちは。 ◇原義とおりの怨霊の件◇ ina氏の怨霊定義は政治的歴史的な意味での怨霊ですが、ここで の話は、原義とおりの意味での「怨霊」もしくは「祀られざる亡霊」 の話です。 Awaji wrote (2/2): > 「・・・したと思われる」と記述された場合も、前後の関係からみれば、 > 発言者自身の判断ではなく「(皆さんの意見を踏まえて、あらゆる可能 > 性を考慮すれば)・・・と思われる」と理解すべき場合もあるでしょう。 I wrote (2/3): > 聖徳太子は怨念を残したと考えられる(KANAK氏認定) それでは、「皆さん」は何に基づいて「思った」のでしょうか? 『国史大辞典』に基づいているのではないでしょうか? 結局の所、Awaji氏はKANAK氏が『国史大辞典』を否定し ているとは思っているのか。。 もはや、「どうぞご自由に」としか言えませんな。 Awaji shi wrote (2/3): > 処置無し・・・・・お手上げです。 今度は「馬鹿」ですか。「世界一」が消えただけ出世したようです。 しかし、相変わらず、人を侮辱するのが好きでんな。。 ◇顕幽未分離霊の件◇ 前回は思いつきでふざけて書きこんだのですが、やっぱり怨霊に変 わる別な単語をつくった方がよい気がしてきました。 「南朝正統論」、「第2次世界大戦の敗因」、「平和憲法の条文の 文言そのものは守るが、文言の意味は守らない」等々に言霊思想や 怨霊思想の影響がある、というのが井沢先生の主張だと思います。 そして、その研究のための『逆説の日本史』だと思います。 南朝正統論者は後醍醐の怨霊を恐れたとは思えない。日清戦争以降 の戦死者の怨霊を恐れたとも思えません。しかし、結果として、影 響を強く受けたかの如くです。あくまで「結果として」です。 「怨霊」とも「怨念」とも違うのだが、何か似たような概念が影響 しているのでしょう。結果的に顕界に影響をおよぼす霊であること だけは言えるので、「結果的顕界影響霊」。。 これも長すぎますが。。(笑) おしまい。 Time : 2000/ 2/ 4(金) 18:20:39
Name : ina E-mail : Title : 横レスへのレスに感謝 Comments:  Awajiさん、みなさん、こんにちは  どうも日本社会の二重構造に関する考察に私の怨霊論を入れていただいてありが とうございました。  ところで、日本は金、権力、名誉が同時には所有できない社会である、というの が、かつて言われていましたよね。 例として  大学教授は名誉はあるが、金も力もない。  開業医は金はあるが名誉も力もない。  役人は権力はあるが、金も名誉もない。  これらも権力の二重構造のように日本独自の現象でしょうか?  すこし歴史から外れるかもしれませんが、いつも心に引っかかっているので。 Time : 2000/ 2/ 5(土) 10:28:00
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「権力・名誉・金」?? Comments: inaさん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>ところで、日本は金、権力、名誉が同時には所有できない社会であ >>る、というのが、かつて言われていましたよね。・・・・ >>これらも権力の二重構造のように日本独自の現象でしょうか? ハテどうなんでしょうか? 少なくとも権力と名誉は、かなり一体的(だった)かも知れません。 名誉と言うものを何でとらえるかは問題でしょうが、少なくとも爵位 ・勲位で見れば、まさに権力者(政治家・官僚)のオンパレードです ね。 もっとも、かっては大実業家も結構爵位・勲位を受けていますから、 一概には言えませんが、やはり程度の差は明確でしょう・・・ 名誉を、世間一般からの尊敬度合いで見れば、時代によってかなり変 化するのでしょうが・・・権力や金とあまり縁が無い学者ですかね。 ダ・ステーッ(チョット発音悪し (>_<;) ではどうでしょうか? 日本よりも流動性が高く、同一人が学者ー官僚ー実業家に変身するの で、チョットわかりにくいのですが・・・・権力者(政治家・官僚) は清貧とは言わないまでも、かなり清潔であるような気がしますね。 印象ですが・・・権力と金が密接に結びついているのは、中国を中心 とする儒教的国家マンダリンが最も著しく、イスラム国家、ヒンドゥ ー国家、聖教国家、カソリック国家、プロテスタント国家の順に、こ れが希薄になる?? (ハンチントンさんならば、どう分析されるでしょうか?) 日本はナンノカンノと言っても、少なくともカソリック国家とプロテ スタント国家の中間位に位置すると思いますので、周辺の儒教的国家 からみれば、権力と金が分離されているように思います。 イロイロな意味で・・・日本はアジアの中では、何故かプロテスタン ト国家(文化)に似た倫理観があるような気がしますが、人種の坩堝 のなかで生活されての実感は如何でしょうか? 実に要領の得ないRESで、すみません。 Time : 2000/ 2/ 5(土) 22:10:07
Name : ina E-mail : Title : res Comments: Awajiさん、RESありがとうございました。  私の短い観察では、アメリカでは、名誉(一応学者としての成功としておきます) が、金とかなり直接に結びつくような印象をもちます。したがって、成功に向かって 迷いなく突き進めるのではないか、と思います。  日本の場合、孤独な努力を重ねて学者として成功することは清貧に結びつくため 悩む場合が多いように思います。  ただ、日本の状況も変わってきて、(西尾幹二「国民の歴史」) 加藤周一のようなオピニオンリーダーだった人に影響される人が激減し、名誉とい うものの質が変わっているかもしれません。  またKUTUNO三から梅原サイドの御意見が出ましたら、横レスを入れたい と思っております。 Time : 2000/ 2/ 7(月) 04:39:04
Name : 輔住 E-mail : Title : TAKATOKUさんへ Comments: こん@@は、当時、太子怨霊肯定派だった私は (今はAwajiさんの山背の指摘などから否定派に近いかな?) KANAKさんと議論・質問をしましたが、明らかに 井沢先生の太子怨霊説を否定してました。 特に「聖徳」の謚号という理由に対して否定してました。 Time : 2000/ 2/ 7(月) 14:35:37
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「稗田阿礼」?? Comments: みなさん、今日は。Awajiです。 ご承知のとおり、梅原さんは「古事記」は藤原不比等の製作によるもの と主張されています・・・デスネ(・・?) そこで、Awajiは「古事記」は舎人親王の製作によるもので、太安萬侶に 仮託したものと主張して見ましょう。(^0^)" 「古事記」序文 『時有舎人姓稗田名阿礼年是廿八。為人聡明度目誦払耳勒心。即勅語阿 礼令誦習帝皇日継及先代旧辞。然運移世異未行其事矣。・・・ 以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰録稗田阿礼所誦之勅語旧辞以献上者 謹随詔旨子細採撰。』 和銅五年(712)正月廿八日 正五位上勲五等 太朝臣安萬侶 つまり、元明天皇は「正史」の撰集を舎人親王に督促したのですが、当 時の現代史とも言うべき舒明以降は、関係者(皇族を含む)の利害が対 立し、姓名の表記法についても、なお調整が必要であったので、取り敢 えず半ば私的なものとして推古(実際には用明まで)までの草稿をまと め、奉呈したとするものです。 従って、公式の「正史」では無く、半私的なものであった為「続日本紀」 には記述されなかった。勿論、「正史」撰集責任者としての、舎人親王 の名は出せない。用明以前についても、なお編集の必要があり、飽くま でも草稿であった。 その根拠は・・・「舎人姓稗田名阿礼」にあり、これは密かに真の製作 者が、舎人親王であることを暗示したものである。何故ならば当時の役 人は必ず姓(カバネ)を有しており、公文書においてはこれを明記せね ばならない。しかるに姓(カバネ)を記していないのは、実在の人物で は無いことを示している。つまりは・・・・ 舎人姓稗田名阿礼→トネリ ヒタ アレ→舎人直吾(まさに私=舎人だ) と考えることが出来る。 天武十年には、舎人親王は六歳であるが、これを二十八歳としたのは、 舎人の事業が、この時に川島皇子(天智子)と共に詔を受けた忍壁皇子 の遺志を継承したことを暗示したものである。 (なお、不比等であれば当時二十三歳。ただし忍壁の年齢は不詳。) という次第ですが・・・まるで根拠になっていない?? (>_<;) ハイ! モチロン バカバカシイ  ジョークに過ぎません。 Time : 2000/ 2/ 7(月) 22:39:51
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 輔住さんへ Comments: RESありがとうございました。 Hozumi san wrote (2/7): > 明らかに井沢先生の太子怨霊説を否定してました。 もちろん、承知しています。 「怨霊太子の歴史的・政治的な意義はない。贖罪意識から、ちょっ と、鎮魂方法が派手になったかも知れない??」そんなニュアンス の話でした。 Hozumi san wrote (2/7): > 特に「聖徳」の謚号という理由に対して否定してました。 『逆説の日本史』は寝転がって読めるような構成になっていて、文 字通りに読むことはできません。でも、過去ログを読むと、みなさ ん文字通りに読んでいる人が多いですね。井沢先生の作家としての 文章力が効き過ぎているのかも知れません(笑)。 (その分、最初に読むときは非常に分かり易いですが。。) 「徳の字鎮魂」は個別的な観点で見ると価値がないと、私は思って います。 「徳の字鎮魂」、「源氏物語」、「南朝正統論」等々、一つ一つの 情報は無視できる程弱いのですが、全体的・通史的な観点で見ると、 なかなか有益な情報になっていると思います。塵も積もれば山とな る、です。その辺が『逆説の日本史』の面白さだと思っています。 それでは。。 Time : 2000/ 2/ 8(火) 18:02:54
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 補足です Comments: I wrote: > 贖罪意識から、ちょっと、鎮魂方法が派手になったかも知れない?? 「通常の死者に対する鎮魂よりも」という単語が抜けていました。 Time : 2000/ 2/ 8(火) 18:20:43
Name : 輔住 E-mail : Title : TAKATOKUさんへ Comments: 返信ありがとうございます。 >『逆説の日本史』は寝転がって読めるような構成になっていて、文 >字通りに読むことはできません。でも、過去ログを読むと、みなさ >ん文字通りに読んでいる人が多いですね。井沢先生の作家としての >文章力が効き過ぎているのかも知れません(笑)。 >(その分、最初に読むときは非常に分かり易いですが。。) でもこれはあなたの「逆説の日本史」への感想ですよね。 KANAKさんの文章とどういう関係があるんですか? Time : 2000/ 2/ 8(火) 19:22:58
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「太子への贖罪意識」 Comments: TAKATOKUさん、今日は。Awajiです。 >>「怨霊太子の歴史的・政治的な意義はない。贖罪意識から、通常の >>死者に対する鎮魂よりもちょっと、鎮魂方法が派手になったかも知 >>れない??」そんなニュアンスの話でした。 Awajiの知る限り「贖罪意識から」と言うニュアンスは無かったと思 いますので、念の為。 (贖罪意識があると言うことは・・・天平期において加害者意識を持 った人物がいたと言うことですが、KANAKさんはその様な加害者の存 在を一切否定されていた筈です。他人の意見を紹介する場合は、良く その意見を理解してからになさって下さいね・・・) Time : 2000/ 2/ 8(火) 22:04:50
Name : 輔住 E-mail : Title : 投稿したあと、KANAKさんの文章を読み返しましたが Comments: TAKATOKUさんへ >NO.イロハさんの仰る通りで、無条件に怨霊かどうか? と問われ >れば、太子は怨霊です。ここまではKANAK氏も認めていたので、 >ほとんどの人が認めるのではないでしょうか? と述べて、おりますがKANAKさんは太子を怨霊とは 認めていません。 TAKATOKUさんも引用したKANAKさんの99/2/24の投稿は 怨霊信仰に対するKANAKさんの考えを述べたものです。 (怨霊信仰自体は少なくても桓武以降は認識されているし  否定はしてません) しかし太子怨霊説については同じ投稿で下記のように否定しています。 >私は、例えば・・・「聖徳太子」は3〜4の人格的怨霊とは認め得ない。 >当然「法隆寺怨霊寺説=表象」は現時点では認められない。 Time : 2000/ 2/ 9(水) 08:06:29
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「神祇伯」?? Comments: kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。引き続き梅原怨霊説に関 する疑問です。 梅原さんは・・・ 鎌足を「神祇伯」に補任しょうとしたことを以って、あたかも山背事件 の論功行賞であるかのごとく、論じておられます。 「名家の出身ではない無名の一青年が、ここでなぜ神祇伯という栄誉あ る地位につくことができたか。・・・かれが神祇伯になったのは山背皇 子の悲劇からまだ二月とたっていない時である。なぜこの無名の、たい した家柄でない青年が、神祇伯の要職に、この事件のすぐ後につくこと ができたのであろうか。・・・皇極三年の中臣鎌足の神祇伯抜擢は、こ ういう陰謀家にたいする論功行賞ではなかろうか。・・・」 梅原さんは、中臣家がたいした家柄でなかったことを、さかんに強調さ れていますが、『上宮聖徳太子伝補闕記』においては、明らかに中臣家 の一員が参画していることが記されているのですから、『補闕記』に一 定の信憑性を認める以上、少なくとも山背事件当時に然るべき名家であ ると意識されていたことは否定できない筈です。 推古崩御時に鎌足の父鎌子(御食子=弥気)が、朝儀に参画しているこ とから察するに、中臣家当主は、当時においてほぼ後世の参議相当以上 (公卿)の官職にあったと思われ、相当な名家であったと見るべきでし ょう。 (欽明期においても物部尾輿と、中臣鎌子が排仏派の巨頭とされ、敏達 ・用明期にも中臣勝海は排仏派・・・後に転向・・していますから、そ れなりの名家と考えざるを得ない筈です。これをも不比等の捏造とする ならば、『補闕記』との関係でみれば、史料の恣意的解釈と言わざるを 得ません。) さて、それでは「神祇伯」とは、どの程度の官職なのでしょうか? 勿論、この当時は「神祇伯」と言う官職はありませんので、書紀記述の 時代における相当官職で考察する必要がありますが、律令制度において は、従四位下に位するものです。 以上の様な祭祀を家職とする名家の嫡子として生まれ、非常な俊才であ った鎌足が、31歳において家職である神祇伯(従四位下相当官)に補 任されることは、確かに抜擢には違いありませんが、然程異常な昇進と は思えません。 (当時それほど官位相当制が明確になっていたとは思えませんが・・) 勿論、入鹿が鎌足を自己の勢力下に取りこもうとした・・・或いは神祇 伯と言う官職に補任することで、その行動に制約を加えようとした・・ 可能性があり、鎌足も健康を理由にしてこれを避けたかも知れません。 (あるいは、父鎌子がこの頃逝去したことによるものかも・・・?) しかしながら、この記事を以って鎌足が山背事件に積極的に関与してい た「論功行賞」であるかの如く推理するのは、明らかに行き過ぎでは無 いかと思います。 そもそも当時において「名家の出身でもない無名の一青年」が、如何し て山背大兄殺害と言うような大陰謀を立案企画し、入鹿をはじめとする 居並ぶ大豪族を巻き込み実行できたのか・・・中大兄と蘇我倉山田の婚 姻を斡旋し得たのか・・・全く論理が一貫していないと思います。 さらに言えば、仮に山背事件が鎌足首謀であり、一旦霊安を得ていた太 子が、没後20数年を経ての子孫絶滅に怒って怨霊と化したとして・・・ 彼は何故に鎌足に祟らなかったのでしょう? ご承知のとおり鎌足は天智の絶大な信任を得て、大職冠として栄光ある 人生を全うしていますので、全く祟られた形跡はありません。 また仮に太子の怨霊が鎌足に祟り損ねたとして・・・思い直して・・・ その子不比等の代に祟ったでしょうか? 不比等も天武・持統以下の信任を得て娘を入内させ、極官右大臣として 栄華の人生を全うしていますので、これも祟りは及ばなかったのでしょ うね。 それなのに本人・子には何の祟りもしなかった太子の怨霊が、何故に100 年近くも経た孫の代になって、突然に祟り出した(と信じられた)ので しょうか? また太子・山背が祟るならば、孝徳・有馬はもっと祟る筈です(明かに 鎌足の関与度は高い)が、彼らの怨霊?には何か鎮魂(封殺)を行った のでしょうか? Awajiの知る限り、太子伝説・法隆寺・夢殿・救世観音 に比すべき何物もありません。 これは一体どう解釈すれば良いのでしょうか? 正直いって、太子怨霊説等というものは、バカバカシイにも程があると は思われませんか? (律令制度における官位相当制) 正一位・従一位 太政大臣 正二位・従二位 左右大臣 正三位 大納言 従三位 中納言 近衛大将 正四位上 卿 正四位下 参議 従四位上 大弁 従四位下 伯 近衛中将 正五位上 中弁 大輔・大判事 正五位下 少弁 近衛少将 従五位上 少納言 少輔 従五位下 大副 Time : 2000/ 2/10(木) 22:37:33
Name : kituno E-mail : Title : 一週間のご無沙汰です。 Comments: 2月5日は、聖徳太子の『日本書紀』上の命日です。 縁合って、一日遅れの6日に叡福寺の太子御廟にお参りしてきました。 一週間のうちにどこから突っ込みを入れたらよいかわからなくなって しまったのですが、とりあえず2月4日の時点に戻ってAwajiさんの 書き込みに対する突っ込み(?)をさせて貰います。 2000/ 2/ 4(金) 12:29:40より.. >書紀は入鹿殺害を山背の復讐などとは記述していません。 Awajiさんのご指摘どおり、『日本書紀』にはそのようなことは記さ れていません。 −『日本書紀』が山背の父聖徳太子を聖なる人間に祭り上げれば祭り 上げるほど、その子山背大兄皇子も聖となり、それを殺した蘇我入鹿 はますます悪となって、入鹿がますます悪となることにより入鹿を殺 した中臣鎌足はますます善となる。『日本書紀』には、もちろんその ようなあらわな論理的解釈をこの登場人物に加えていない。 しかしそう思わせるように書かれていて、我々はいつのまにかそのよ うに善悪の理解をするように読んでいる。− と梅原氏は『隠された十字架』の中で指摘しているのです。 >お気持ちは、とても良く分かるのですが・・・これは梅原怨霊説に 鉄槌を下すものです。 >山背が太子の教えによって慫慂と死んだのに太子が怨霊となって祟 >る(と考えられた)のでしょうか?罪も無い鎌足の孫を、呪い殺す >(と考えられた)のでしょうか? このことに関しては、私の考えを述べさせていただきます。 >聖徳太子は怨霊の基本資格である「この世につきせぬ恨みを抱い >て死んだ」のでは無い、よって怨霊資格は無いと考えたものです。 ..というAwajiさんの持つ怨霊の概念からいうと、太子は怨霊に なり得ないのかもしれません。 鎮魂の真の意味とは、罪悪感に苛まれている個人の自らの精神状態 を落ち着けようとする行為であり、奉ったり、祈ったりすることで 自分の罪の意識が許されるという安堵感を得ようとする行為だと思 います。 すなわち、怨霊の対象者(怨霊になりうるかどうか)は各々によっ て違い、怨霊とは難しく定義付けられるべきものではなく、個人が 最も恐るべき対象者に向けられる精神不安定が生む心理現象である と思うのです。 藤原氏は、聖徳太子一家の悲劇を利用して中臣鎌足らの行為の正当 性を訴え、日本に偉大な功績を残した太子の政策からヒントを得て その後の藤原氏の政治を確立していったのですから、藤原氏の鎮魂 の対象者は山背大兄皇子ではなく、「聖徳太子」になるのです。 山背大兄皇子は太子の遺志は受け継いだものの、器の小さい山背大 兄皇子には太子の理想主義はあまりにも大きすぎ、その後大王位継 承問題で焦りすぎ、自ら一家根絶の原因を作ってしまったものと思 われます。 「山背事件のシナリオは、藤原鎌足が書いた 」という梅原氏サイド に立ちきれない、矛盾したkitunoです。(^^;) 私個人としては、何度も言っているように太子を怨霊としたくはな いのです。 梅原氏の言うように怨霊鎮魂ではなく、太子の霊を讃え、篤く信仰 することによって、藤原不比等は太子を利用するだけ利用した罪悪 感から逃れたかったのだと思うのです。 藤原4兄弟の死についての太子怨霊説及び行信については、また後日。 Time : 2000/ 2/11(金) 00:19:52
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「藤原氏の罪悪感」?? Comments: kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 どうも、梅原説とは関係ない議論になってきましたので、チョット 論点が分かり難くなってきたのですが、取り敢えず・・・ >>山背の父聖徳太子を聖なる人間に祭り上げれば祭り上げるほど、 >>その子山背大兄皇子も聖となり、それを殺した蘇我入鹿はますま >>す悪となって、入鹿がますます悪となることにより入鹿を殺した >>中臣鎌足はますます善となる。『日本書紀』には、もちろんその >>ようなあらわな論理的解釈をこの登場人物に加えていない。 >>しかしそう思わせるように書かれていて、我々はいつのまにかそ >>のように善悪の理解をするように読んでいる。ー >>と梅原氏は『隠された十字架』の中で指摘しているのです。 おっしゃるとおりですが・・これは梅原さんが、太子を無理矢理怨 霊にデッチアゲルための一方的読み方に過ぎません。 「我々」は、当然ながら梅原さんのような読み方は出来ませんので、 「梅原流我々」から除外して頂かねばなりませんね。(^0^)" (kitunoさんは、どちらの「我々」が妥当な読み方を行っていると、 お感じでしょうか?) まず、太子が聖人だとしても、直ちに山背が聖になるわけではあり ません。(聖人から不肖の子が生まれるのは、しばしば有ることで す・・・Awajiは山背を不肖の子とは思いませんが、梅原さんの論 理展開には必然性がありません。) 次に、仮に山背が聖であっても凡であっても、故無く大王家の大兄 を殺害した蘇我入鹿は悪と考え得る筈です。 従って、それを誅殺し大王家の尊厳を護った中大兄と鎌足は善です。 「鞍作盡滅天宗、将傾日位。豈以天孫代鞍作乎」ですね。 日本書紀は明らかにこの様な倫理を貫いていますから、梅原さんが おっしゃる「ますます善悪論」等は、殆ど意味の無い解釈です。 >>藤原氏は、聖徳太子一家の悲劇を利用して中臣鎌足らの行為の正 >>当性を訴え、日本に偉大な功績を残した太子の政策からヒントを >>得てその後の藤原氏の政治を確立していったのですから、藤原氏 >>の鎮魂の対象者は山背大兄皇子ではなく、「聖徳太子」になるの >>です。 この辺りは、おっしゃるとおり梅原怨霊説からカナリ離れています ので、このご意見に限定して申し上げます。 >>藤原氏は、聖徳太子一家の悲劇を利用して中臣鎌足らの行為の正 >>当性を訴え、 この部分は、良く分からないのですが・・・仮に聖徳太子一家の悲 劇では無く、孝徳一家或いは古人一家の悲劇であっても(入鹿が孝 徳一家或いは古人一家を滅亡させたとして・・・ですが)大王継承 権者を殺害した入鹿を、中大兄と中臣鎌足が誅殺するのは正当性が ある筈です。 従って、鎌足らの行為は天皇制の論理によって正当なのであって、 太子一家の悲劇を利用したものではありません。 そもそも太子一家の悲劇を利用して・・・行為の正当性を訴える必 要性は何処にあるのでしょうか・・・? 仮に・・・太子一家の悲劇を利用して中臣鎌足らの行為の正当性を 訴えたとして・・何故それについて、罪悪感を持つのでしょうか? その理由が良く理解できないのですが・・・? さらに仮に、太子一家の悲劇によって、結果的に蘇我本宗家が滅び 、藤原一族が浮かび上がったとして・・・それに関して罪悪感を感 じるでしょうか? そんな感覚では、政治家(権力者)なんぞはとても務まらないので は?(政治家どころか、通常の市民生活すら送れないと思います。) >>日本に偉大な功績を残した太子の政策からヒントを得てその後の >>藤原氏の政治を確立していったのですから、・・・ >>梅原氏の言うように怨霊鎮魂ではなく、太子の霊を讃え、篤く信 >>仰することによって、藤原不比等は太子を利用するだけ利用した >>罪悪感から逃れたかったのだと思うのです。 これは、尚更分かりません。太子の政策からヒントを得て藤原氏が 政治を進めたならば、何故に罪悪感を感じねばならないのでしょう か? 聖人・偉人の政策を引き継ぐのですから、その人を崇敬・顕彰し、 政策の継承に誇りを感じこそすれ、そのことで罪悪感を持つ必要は 全く無いと思います。ましてや怨霊としてその崇りを恐れる理由等 は一切考えられないのですが・・・? >>藤原氏の鎮魂の対象者は山背大兄皇子ではなく、「聖徳太子」に >>なるのです。 従って、藤原氏は鎮魂の必要性を感じることは無く、仏法を興隆し、 新たな政治理念をもたらした偉大な聖人「聖徳太子」を崇敬・顕彰 し、その加護を願った・・山背はその様な偉大な人物とは認めてい なので特段の崇敬・顕彰は行わなかった・・・これが論理的帰結で は無いでしょうか? Time : 2000/ 2/11(金) 10:45:25
Name : コ ミ ユタカ E-mail : Y-KOMI@mtc.biglobe.ne.jp Title : 歴史の裏側 Comments: 権力側に立たない歴史の実態 Time : 2000/ 2/11(金) 13:36:59
Name : コ ミ ユタカ E-mail : Y-KOMI@mtc.biglobe.ne.jp Title : 歴史の裏側 Comments: 権力側に立たない歴史の実態 Time : 2000/ 2/11(金) 13:37:40
Name : kituno E-mail : Title : 論点がわからなく Comments: なってきたkitunoです。 Awajiさん、皆さん、こんばんは。 Awajiさんの素晴らしい書き込みの中から、少しずつ抜粋してのRESに なりました。 >鎌足らの行為は天皇制の論理によって正当なのであって、太子一家 >の悲劇を利用したものではありません。 『日本書紀』は、読み手がこういう風に読みとることを狙ったのでは ないでしょうか? つまり、「鎌足の行為は、天皇制の論理によって正当なのだ」という のがまさしく不比等の狙い。 「藤原氏が天皇制の論理によって正当な氏族であること」を暗に訴え ているのが『日本書紀』なのである、というのが梅原説です。 梅原氏は著書の中で「『日本書紀』の神代の部分は、天皇家のための アマテラス中心の神話体型のようであるが、実は藤原氏の祖先神に決 定的な役割をさせている」と述べられていますが、「神話においても、 山背事件から続く大化改新までの経緯においても、藤原氏は天皇家に 必要欠かざる一族であることを『日本書紀』で暗示しているのだ」と いうことをおっしゃりたいのではないでしょうか。 >太子の政策からヒントを得て藤原氏が政治を進めたならば、何故に >罪悪感を感じねばならないのでしょうか? >本人・子には何の祟りもしなかった太子の怨霊が、何故に100年近 >くも経た孫の代になって、突然に祟り出した(と信じられた)ので >しょうか? これは、怨霊信仰が広まった時期が関係していると思います。 藤原鎌足の頃は、さほど怨霊の観念が広まっていなかったのだと思い ます。 ただ、少しずつ王権の中枢部では、権力抗争の末に敗死した特定のも のの霊が恨みをもって表れるという観念が生まれつつあったのだと思 います。 「藤原4子の相次ぐ死が、権力の絶頂にあった藤原氏一族を絶望の淵 に陥れ、太子の怨霊と結びつけて行信が夢殿建設を光明皇后に勧めた」 というのが、『隠された十字架』における梅原説でした。 すなわち、太子の怨霊を恐れたのは、後世(怨霊信仰が浸透して後)の 藤原氏だったということです。 >正直いって、太子怨霊説等というものは、バカバカシイにも程がある >とは思われませんか? 話が最初に戻りました。 ここで 「救世観音」の製作年などが問題となるのですが、この掲示板 に書き込むようになって、私は「救世観音」は飛鳥仏である、と確信を 持つようになりましたから、太子怨霊説をバカバカしいとまでは言わな くとも、「救世観音」に代表される梅原氏の太子怨霊説は問題あり、と 思っています。 >その後、不比等没以降になって、「書紀(720)」にも示されており、 >既に僧侶・民衆からも崇敬の対象となっている聖徳太子にも眼を向け >たのでは無いかと思います。 おっしゃるとおりだと思います! 目を向けたのが橘三千代であり、光明皇后だと思います。 >会議室等やネット提供史料の多くを整理保存していますので、関係 >史料は簡単に引き出せるようになっています。 なるほど、そういう史料を整理保存する必要のある会社のサラリ−マ ンということですね!(^^)! Awajiさんの書き込みが前後入り乱れた形のRESです。 ホントに論点のまとまらないkitunoで申し訳ないと思っています。 Time : 2000/ 2/13(日) 00:02:27
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「中臣神話」?? Comments: kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 無理矢理に梅原さんの代弁者を、お願いしておきながら、その梅原説 をコキオロシテ・・・申し訳なく思っています。 (あくまでもkitunoさんのご意見を批判しているのでは無く、梅原さ んの論拠と推論を批判していますので、ソコントコ・・・よろしくご 理解下さい) でも・・・かなり梅原怨霊メーカーの呪縛が、とけてこられた様にも 思います。Awaji怨霊バスターとしても、乗りかけた船ですから、も う少し怨敵退散に向けて頑張らせて頂きます。(^0^)" 以下は・・・原点に返って、梅原説のみの批判とします。 (正直言ってkitunoさんの太子利用罪悪感理論は、無理でしょう? 矢張り梅原さんの鎌足首謀者説があって初めて、藤原氏の罪悪感→贖 罪意識→怨霊畏怖→鎮魂封殺行為論が成立すると思いますが?) >>つまり、「鎌足の行為は、天皇制の論理によって正当なのだ」とい >>うのがまさしく不比等の狙い。「藤原氏が天皇制の論理によって正 >>当な氏族であること」を暗に訴えているのが『日本書紀』なのであ >>る、というのが梅原説です。 これも既に申し上げたとおり、梅原さんが、太子を怨霊に仕立てるた めに、無理矢理そう解釈されただけのことですね。 暗にも明にも、舎人親王が見ても、長屋王が見ても(モチロンAwaji が見ても)、「鎌足の行為は、天皇制の論理によって正当なのだ」か ら「正当」だとされただけではないでしょうか? (仮に阿部氏が中大兄と共謀して、入鹿を誅殺してもその行為は「天 皇制の論理によって正当」とされた筈です。) 太平記に記述された楠木正成は、誰が見ても後醍醐に忠節を尽した忠 臣ですが・・・これは楠木の子孫が改竄したからとは言えませんね。 モチロン「書紀」成立時に、不比等は最大の権力者ですから、楠木と は同日に論じられませんが、鎌足が功臣と記述されたからと言って、 その子孫が改竄したからとは言えない筈です。 そもそも、不比等が権力者たり得たのは、あくまでも天皇家の信任が あったためで、それ以上のものではあり得ません。 従って、天皇家の歴史を自家に都合よく改竄する如き力があろう筈が ありませんし、仮に力があっても、その様な危険なことを敢えてする 程の馬鹿では無いでしょう。 因みに主要皇族や古代豪族の勢力を殆ど駆逐し、一時は軍事・行政を 完全に掌握した不比等の孫藤原仲麻呂(恵美押勝)ですら、一旦称徳 の逆鱗に触れれば、敢え無く斬殺されるのです。 まして、不比等の時代は天智・天武直系の親王達がうようよしている のですから、梅原さんが不比等を絶対権力者であるかの如く考えてお られるのは、全くの誤解でしょうね。(誤解と言うよりも、意図的誤 解と言うべきかも知れませんが・・・) >>梅原氏は著書の中で「『日本書紀』の神代の部分は、天皇家のため >>のアマテラス中心の神話体型のようであるが、実は藤原氏の祖先神 >>に決定的な役割をさせている」と述べられています・・ これも梅原さんの全くの誤解だと思います。一体全体「天児屋命」の 何処をみれば、決定的な役割を果たしたと言えるのでしょうか? 岩戸隠れにおける「天児屋」は、「布刀玉」や「天手力男」「天宇受 売」と共に行動しているに過ぎませんし、「天児屋」と並び称された 「布刀玉=太玉」は斎部氏と言う神祇官の祖神でしかありません。 また、天孫降臨に際しても、「布刀玉」「天宇受」「伊斯許理度」「 玉祖」等の五伴緒の一員に過ぎませんし、彼等の子孫は必ずしも後世 天皇家の重臣になったわけでも有りません。 つまり神代における「中臣」の先祖神の役割は、その程度の位置づけ でしか無いのです。 言うまでもなく、天孫降臨神話において、持統をアマテラスに擬した (藤原を高木神に擬した・・・?)等と言う馬鹿げた解釈等は、論評 すべき価値があるとは思いません。 神武即位に当っても、「太玉」の子孫とともに、祭祀に携わっただけ で、さしたる功績を上げたわけでは有りませんね。 その後も「中臣氏」が天皇家の柱石として「物部」や「大伴」の様な 重責を果たした記事もありません。つまりは「物部」や「大伴」が「 連姓」の軍事官僚として、「阿部」「葛城」「平群」「蘇我」が「臣 姓」の巨大豪族として、また経済官僚として天皇家の柱石であったの に比し、極めて地味な「連姓」の祭祀官僚であったに過ぎないと記述 されているのでは無いでしょうか? >>「藤原4子の相次ぐ死が、権力の絶頂にあった藤原氏一族を絶望の >>淵に陥れ、太子の怨霊と結びつけて行信が夢殿建設を光明皇后に勧 >>めた」というのが、『隠された十字架』における梅原説でした。す >>なわち、太子の怨霊を恐れたのは、後世(怨霊信仰が浸透して後) >>の藤原氏だったということです。 これも実に奇妙な理屈で、当時ようやく怨霊信仰が浸透したとしても、 太子加害当事者?の鎌足にも、その子の不比等にも祟らなかった太子 の怨霊が、突然に藤原4子に崇って彼等に死をもたらした・・・と信 じられた理論的説明にはなり得ないのでは? 聡明な光明皇后が、何故に太子は祖父や父には祟らず、孫の代に祟り 出したのでしょうか? と梅原怨霊代理人さんに質問すれば、彼は一 体何と答えるのでしょうか? 鎌足・不比等の時代には怨霊信仰が浸透していなかったから、太子も 崇りようなかった・・・と説明されるのでしょうか? (仮に鎌足・不比等にも明らかに悲運が襲ったが、当時は怨霊信仰が 浸透していなかったため、それを太子の怨霊の崇りとは考えなかった ・・・従って、鎮魂封殺することも考えつかなかった・・・と言う説 明は有り得ますが、そもそもその様な悲運が無かったのですよ!) まさか、怨霊の気紛れでしょう・・・とか、怨霊の気持ちは我々には 分かりません・・・とか、お答えになるとも思えませんが?? 繰り返しますが、梅原太子怨霊説等というものは、バカバカシイにも 程があるとは思われませんか? Time : 2000/ 2/13(日) 12:52:39
Name : kituno E-mail : Title : 循環論法? Comments: Awajiさん、皆さん、こんばんは。 >(正直言ってkitunoさんの太子利用罪悪感理論は、無理でしょう?矢張り梅原さ >んの鎌足首謀者説があって初めて、藤原氏の罪悪感→贖罪意識→怨霊畏怖→鎮魂封 >殺行為論が成立すると思いますが?) そのとおりです。「藤原氏罪悪感論」は梅原氏の説を受けたものです。 私は、梅原氏の「太子の怨霊鎮魂の為の夢殿建設と救世観音の製作説」に疑問を感 じるようになっただけで、山背事件鎌足首謀説を否定したわけではありません。 先日、私が申し上げたことの繰り返しになってしまうのですが、 蘇我氏と藤原氏は、物部氏や大伴氏のように神話・伝説の時代から様々なエピソ− ドを残している連綿とした系譜を誇る豪族とどこか違っている、という点でどこか 共通しているように思います。 同じ成り上がりものとして、自分の氏族の都合のいいように書かれた蘇我氏による 歴史書の編纂(『天皇記』『国記』)や、天皇の外戚として権力者としての地位を 固めていくやり方など、藤原氏は蘇我氏のやったことをそのまま受け継いでいます。 ただ、違うことは蘇我氏は仏教によって国を治めようとしましたが、藤原氏は従来 の神道もうまく利用して中央集権国家を作り上げていったことにあります。 記紀の神話は、天孫降臨の神話、つまりアマテラスが孫の二ニギを葦原の中つ国の 支配者として降臨させた話が中心ですが、これは、祖母から孫への譲位を神話化 したものであり、そういうことは8世紀初頭の政治的情勢の中でしか考えられず、 藤原不比等は自己の権威の元に律令制度を完遂するにはかかる宗教制度を必要とし たのです。 >一体全体「天児屋命」の何処をみれば、決定的な役割を果たしたと言えるので >しょうか? 失礼しました。 藤原氏の祖先神という表現が適切ではありませんでした。 藤原氏の氏社である「春日大社」の祭神「タケミカヅチ」「フツヌシ」に国譲りの 決定的役割を演じさせ、一緒に「天児屋命」を祀ることで藤原氏の神話における位 置を確立しようとしたということです。 ..これは、梅原氏の説です。 大伴氏や物部氏は、古くから天皇家と共に歴史を刻んできた氏族ですが、蘇我氏や 中臣氏は成り上がりものだからこそ、自分の氏族の存在感を歴史書の中で暗に訴え る必要があった、すなわち自分の氏族に都合の良い歴史書を必要としたのでその編 纂に踏み切ったとも言えるのではないでしょうか? >極めて地味な「連姓」の祭祀官僚であったに過ぎないと記述されているのでは無 いでしょうか? 『日本書紀』において「連姓」の祭祀官僚であっても、天皇家には必要不可欠な氏 族であることを強調したかったのだと思います。 >梅原怨霊代理人さんに質問すれば、彼は一体何と答えるのでしょうか? 「梅原怨霊代理人さん」「彼」とは、どなたのことを言っているのでしょう? 何だか質問の意味がよくわからないのですが? 残念ですが、私にはそのような彼は存在しません。 また繰り返しになりますが、「怨霊」って実際に存在するものではないでしょう? 怨霊を恐れる人の心の中に存在するのですから、鎌足や不比等に祟りがなくても何 の不思議も無いではないですか。 藤原四子が相次いで亡くなったために、太子の怨霊説が浮上したのですから。 山背事件の筋書きを書いた鎌足や『日本書紀』の編纂に少なからず関わった不比等 に祟りがなくても、「その子孫に祟りがあった」と怨霊信仰が浸透してきた時代の 人が考えたとしても、何の不思議もないと思うのですが。 「循環論法」というのでしょうか? 私の書き込みの内容も、 >繰り返しますが、梅原太子怨霊説等というものは、バカバカシイにも程があると >は思われませんか? という言葉を繰り返すAwajiさんも。 Time : 2000/ 2/14(月) 00:10:26
Name : 輔住 E-mail : Title : kitunoさんへ再び質問 Comments: kitunoさん、投稿読ませてもらいました。 少し気になる点があるので書かせてもらいます。 >藤原氏は、聖徳太子一家の悲劇を利用して中臣鎌足らの行為の正当 >性を訴え、日本に偉大な功績を残した太子の政策からヒントを得て >その後の藤原氏の政治を確立していったのですから、藤原氏の鎮魂 >の対象者は山背大兄皇子ではなく、「聖徳太子」になるのです。 >これは、怨霊信仰が広まった時期が関係していると思います。 >藤原鎌足の頃は、さほど怨霊の観念が広まっていなかったのだと思い >ます。 >すなわち、太子の怨霊を恐れたのは、後世(怨霊信仰が浸透して後)の >藤原氏だったということです。 これらを読んでいくと、以下の疑問があります。 1.政策を真似たという点で言えば、太子より蘇我氏の方が強いでしょう。 彼らのほうが強いでしょう。また、入鹿暗殺などもあればそちらの方を 意識するのでは? 2.藤原4兄弟が次々死んでしまった事で怨霊を恐れ出したというのは 分りますが、kitunoさんは誰が怨霊だったとお思いですか? 長屋王ですか?それとも彼の父・祖父ですか? 後者ならまだわかりますが、前者なら山背事件が関わりで恐れている という関係からして太子より山背を恐れるのが普通だと思います。 Time : 2000/ 2/14(月) 12:28:00
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : ご無沙汰してます Comments: みなさん こんにちわ 実生活が忙しくて ネット休んでます^^; 高徳帝のモガリ期間を もう一・二ヶ月延長して…(笑) Time : 2000/ 2/14(月) 17:06:19
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title :Comments: ロムにありました! 高徳帝がんばれ!ヾ(@゚▽゚@)ノ Time : 2000/ 2/14(月) 17:12:41
Name : コテキン E-mail : naka-dai@jf6.so-net.ne.jp Title : 私のサイト Comments: 皆様、お久しぶりです。 私のサイトで人取橋古戦場の写真展をはじめましたので、是非見に来て ください!!! それでは。 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4009/ Time : 2000/ 2/14(月) 20:30:07
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「光明皇后からの疑問」?? Comments: kitunoさん、みなさん。今日は。Awajiです。 循環論ではないと思っていますが、チョット論点が拡大し過ぎている ような気がしています。(・_・;) >>先日、私が申し上げたことの繰り返しになってしまうのですが、蘇 >>我氏と藤原氏は、物部氏や大伴氏のように神話・伝説の時代から様 >>々なエピソ−ドを残している連綿とした系譜を誇る豪族とどこか違 >>っている、という点でどこか共通しているように思います。 Awajiは全くそうは思わないんですが、何故その様に思われるのでしょ うか? 既に申し上げたとおりなので、繰り返しになってしまいますが・・・ 物部氏や大伴氏は主に軍事官僚であり・・・中臣氏や斎部氏は主に祭 祀官僚であった・・・だから歴史上華々しい活動は無く、伝承記述も 少ないのがむしろ当然ではないでしょうか? (斎部氏は高天原神話・天孫降臨神話にも出てくる太玉命の子孫です が、単なる祭祀官僚で終始しているため、中臣よりもさらに伝承記事 が少ないでしょう?) 蘇我氏は、同じ武内後裔氏族の葛城・平群等が没落した結果、それに 替わる代表氏族として、渡来人等を統括する地位を占め・・・巨大勢 力となった・・・従って葛城氏や平群氏が活躍している間は、書紀に 記述されるような事跡が少なくとも当然だと思いますが? 少なくとも「書紀」には、その様にごく自然な流れで記述されており、 蘇我氏(皇別)と中臣氏(神別)が成り上がり者として、共通する様 な要素は窺え無いと思います。 >>蘇我氏による歴史書の編纂(『天皇記』『国記』)や、天皇の外戚 >>として権力者としての地位を固めていくやり方など、藤原氏は蘇我 >>氏のやったことをそのまま受け継いでいます。 そうは思いません。外戚として地位を固めていくやり方は、東アジア 全体に共通する方法で、他氏もそれを目指したものの成功しなかった だけであり、必ずしも蘇我氏や藤原氏の特別なやり方とは言えないで しょう。 (中国では此れを封じるために、科挙貴族制度を取り入れましたが、 矢張り外戚の権力は強大なものでした。) また『天皇記』『国記』が蘇我氏の主導によるとは思いませんし、勿 論『書紀』『古事記』が藤原氏の主導によるとも思いません。あくま で聖徳太子や天武(持統)或いはその遺志を継いだ元明が主導し、官 僚の力を結集したものと考えたほうが、遥かに自然だと考えます。 (理由は既述しました。) >>ただ、違うことは蘇我氏は仏教によって国を治めようとしましたが、 >>藤原氏は従来の神道もうまく利用して中央集権国家を作り上げてい >>ったことにあります。 これについても、認識が異なります。太子や蘇我氏が「神道」を利用 しているのは明らかですし、それは蘇我・藤原を超えた国家政策だっ たと思います。(具体例は書紀の記述をご確認下さい。) >>記紀の神話は、天孫降臨の神話、つまりアマテラスが孫の二ニギを >>葦原の中つ国の支配者として降臨させた話が中心ですが、これは、 >>祖母から孫への譲位を神話化したものであり、そういうことは8世 >>紀初頭の政治的情勢の中でしか考えられず、藤原不比等は自己の権 >>威の元に律令制度を完遂するにはかかる宗教制度を必要としたので >>す。 これについては、既に若干触れたとおり、論評に値する意見とは思い ません。(その理由が必要であれば、別途申し上げたいと思います。) >>『日本書紀』において「連姓」の祭祀官僚であっても、天皇家には >>必要不可欠な氏族であることを強調したかったのだと思います。 おっしゃるとおり、「中臣氏」が天皇家にとって重要な祭祀氏族であ り、その意味で名門であると言う事実(と信じられていたと言う事実) 、そして同時に歴史を彩るような派手な事跡は然程無かったと言う事 実が、そのまま淡々と記述されているに過ぎないと申し上げているの ですが? さらに、仮に藤原氏が「書紀」「古事記」編纂に主導権を持っていた なら、何故に中臣祖の活躍を華々しく記述しなかったのかと言う別の 問題が有ると思いますが・・・? ・・・ところで、これらの議論は太子怨霊説を考察するに当って、不 可欠の要素でしょうか? 議論が拡散し過ぎるような気がしますので、出来れば太子怨霊説にか かわる部分に絞りたいと思いますが・・・・必要があれば、藤原氏の 成り立ち等については、別に議論しては如何でしょう? >>「梅原怨霊代理人さん」「彼」とは、どなたのことを言っているの >>でしょう? 少し諧謔的すぎて、分かりにくかったかもしれませんね。スミマセン。 勿論、梅原さんそのものを示しています。 >>また繰り返しになりますが、「怨霊」って実際に存在するものでは >>ないでしょう?怨霊を恐れる人の心の中に存在するのですから、鎌 >>足や不比等に祟りがなくても何の不思議も無いではないですか。 >>藤原四子が相次いで亡くなったために、太子の怨霊説が浮上したの >>ですから。 Awajiも繰り返します・・・おっしゃるとおり特定の死者を怨霊として 畏怖するのは、その人達に畏怖する理由(贖罪意識)があるからです ね。 従って、光明皇后等が太子を怨霊として畏怖すべき理由が存在するか? そして実際に畏怖したと判断すべき論拠があるか? を問題にしてい るのです。 つまり・・・・・ @藤原四兄弟が相次いで死亡します。(これは歴史的事実です) A光明皇后をはじめとする藤原一族は、これに不吉なものを感じます。  (これ自体は、容易に想像できることです。) Bそして何者かが藤原氏に祟りを為している・・と考えたとします。  (これは仮説ではありますが、一応想像可能かも知れません。つま   りは、kitunoさんのおっしゃる怨霊信仰の浸透?ですね。) Bその不安に付けこんで、誰か(例えば梅原さん)が、これは聖徳太  子怨霊の祟りだと説明したとします。(これは全くの仮説です。)  (梅原さんは、行信がそう言ったとされていますが、Awajiは否定   的です。従って梅原さんに太子怨霊説の代理人になって頂かざる   を得ないのです・・・・。) Cそして、聖徳太子が藤原一族に祟るのは、鎌足が山背大兄謀殺の首  謀者であったからだと説明します。  (勿論仮説の積み重ねですが、そう言わざるを得ない筈です。) Dその説明に対し光明皇后が次の疑問を言ったとしましょう・・・ *太子は、仏法を広め、和を貴び、忤(うらみ)を無くせ・・と説か  れた方ですが、その方が怨霊になり、罪も無い四兄弟を祟り殺され  たのでしょうか?あの太子の教えは全て嘘なのですか?  (梅原さんならば、あれは不比等が捏造したもので、本当の太子は  その様な聖人ではない。怨霊になって人を祟り殺すような唯の凡人 だったと説明されるのでしょうか?) *鎌足は本当に山背謀殺の首謀者なのでしょうか?何故にそうお考え  になるのですか?そう考える証拠があるのでしょうか?  (梅原さんは、光明皇后も鎌足が首謀者であったことを了知してい  たかの如く主張されていますが、Awajiは了知どころか、それ自体  が何の根拠も無い梅原さんのデッチアゲだと思っています=理由は  既述しています。光明が鎌足首謀説に納得するとは、とても思えま せん。)   *仮に鎌足が首謀者だったとして、何故に謀殺された山背大兄では無  く、既に二十年前に薨去された太子がお祟りになるのでしょうか?    (これは輔信さんも、特に疑問に感じておられるところです。真に 怨念を持って死んだ・・・つまり怨霊と意識さるべきは、どう考 えても山背大兄の方だと思うんですが? 梅原さんは、太子・山背親子連帯怨霊だから、親のほうだけ手当 てをしておけば、子のほうは心配無いとでもおっしゃるのでしょ うか?   尤もAwajiならば、実は怨霊となったのは山背大兄であって、その 崇りを封じるために、太子にお願いするのです・・トカナントカ 誤魔化すかも知れませんが?? (^0^)"?? )   *仮に鎌足が首謀者で、太子がそれを怒って怨霊になられたとしても、  何故に当事者の鎌足やその子には祟らず、薨去から100年も後の孫の  代になって祟られるのでしょうか?  怨霊と言うものは、まず直接の加害者に対して祟り、恨みを晴らす  ものであり、それでも恨みがおさまらない場合に、順次その子、さ  らには孫や関係者にも祟りを及ぼすものではないのでしょうか?  そもそも下手人の許勢臣大麻呂にすら、祟っておられないのでは無 いでしょうか?  (これが、Awajiが繰り返し提起している疑問点です。kitunoさん   のご説明で、この疑問が解消するとは思えませんが・・・・?)   *何故に孝徳・有馬皇子や古人大兄や長屋王(その他の藤原氏犠牲者 )等では無く、聖徳太子の祟りだとお考えになるのでしょうか?  孝徳・有馬皇子等は、お祟りにならず、太子・山背がお祟りになる とおっしゃる理由が分からないのですが?  (井沢さんは、長屋王も怨霊として意識されていたと主張されてい   ますが、梅原さんの見解は不明であり、孝徳・有馬については、   ご両人共に明確な鎮魂事象は示しておられません。Awajiは何れ   も怨霊と意識されていたとは思っていません。なお徳諡号問題は、   既に散々論議されたものであり、此処では触れません。 尤も梅原さんならば、孝徳・有馬や古人の悲運も太子の怨霊の崇 りだとおっしゃるかも知れませんが。) ・・・と言うような、誰が考えても当然の疑問を発したとします。 さて、この疑問に誰か(例えば梅原さん)は、マトモに回答が出来る でしょうか? Awajiには丸っきり回答出来る自信がありません。 (kitunoさんは、光明皇后を納得させる自信がおありでしょうか?) そして、光明皇后をはじめとする藤原一族は、どのようにこれらの問 題を理解し、聖徳太子の怨霊によるものだと信じ、その祟りを封じる 為に、夢殿を建設し、救世観音を造営し、その頭に鉄釘を打ち付けさ せたと言うのでしょうか? (既に申し上げたとおり、逆に怨霊を挑発しかねない手法だとすら思 えますが・・・) Awajiが、バカバカしいと申し上げているのは、以上の疑問の数々なの です。 さて・・・・ Kitunoさんは、「太子の怨霊鎮魂の為の夢殿建設と救世観音の製作説 には疑問を感じるようになった」とおっしゃっていますね。 と言うことは、太子が藤原氏によって怨霊と意識されたという梅原怨 霊説の最大の根拠(言わば物的証拠)に疑問を呈しておられるのでし ょう? また・・・・ 「梅原氏の言うように怨霊鎮魂ではなく、太子の霊を讃え、篤く信仰 することによって、藤原不比等は太子を利用するだけ利用した罪悪感 から逃れたかったのだと思うのです。」 これはチョット論旨がわかりません(何の罪悪感でしょうか?)が、 少なくとも梅原怨霊説をある程度否定され、太子利用罪悪感論に転換 されているかの如き発言ですね? それなのに、何故に山背事件の首謀者は鎌足である・・・藤原一族が 太子に贖罪意識を持っていた・・・太子は藤原一族に祟る怨霊である と考えられた・・・つまり一連の梅原怨霊説に信憑性を感じられるの か・・・その理由が良く分からないのですが。 Time : 2000/ 2/14(月) 23:31:31
Name : TAKATOKU E-mail : Title : KANAK氏の件 Comments: 忙しくて書きこみが遅くなりました。 ◇本題で〜す◇ Hozumi san wrote (2/9): > しかし太子怨霊説については同じ投稿で下記のように否定しています。 もちろん承知しています。 つまり、話が全く噛み合っていないことになります。(悲) Awaji shi wrote (2/9): > Awajiの知る限り「贖罪意識から」と言うニュアンスは無かったと思 > いますので、念の為。 多少は言葉が通じたようですね。 #「馬鹿」と言葉が通じたことになりますが。。 Awaji shi wrote (2/9): > (贖罪意識があると言うことは・・・天平期において加害者意識を持 > った人物がいたと言うことですが、KANAKさんはその様な加害者の存 > 在を一切否定されていた筈です。 もちろん、歴史の議論をする文脈では「一切否定」していました。 現在の議論の文脈(ここは強調しておきます!!)で言えば「一切 否定」というよりも「贖罪意識があったとしても歴史的政治的な価 値のある行動はしていない」ということでしょう。もちろん、 山背大兄皇子を死に追いやって何の贖罪意識も感じなかった可能性 もあります。それは個々人の個性ですから何とも言えません。まぁ、 常人ならば多少の贖罪意識は持つと思いますが。 #ところで、KANAK氏は「蘇我一族非常人説」もしくは「蘇我 #一族唯物論信仰説(仏教は阿片だ!)」な〜んて主張していまし #たか?(笑) なお、「贖罪意識から」というのは、私の主張とは関係ないので、 カットしてもOKです。原義とおりの「怨霊」には贖罪意識は必要 ありません。「怨念を残したと(思われた)霊」ですから。しかも、 「思う」の主語は加害者(およびその子孫)である必要もありませ ん。 #蛇足ですが、「怨霊鎮魂」の主語についても加害者である必要は #ありません。 「怨霊太子の歴史的・政治的な意義はない」(KANAK氏認定) ということだけにしましょう。繰り返しますが、KANAK氏が 『国史大辞典』を否定していても、私としては一向に構いませんの で、この辺で終わりにしたい所です。いっそのこと、“KANAK氏 は『国史大辞典』を否定していた”にしますか? 『国史大辞典』は間違っている(KANAK氏認定??) 私としてはどちらでもよいです。 しかしながら、こんなどうでもよい所で、こんなにつまづくようで は、「怨霊の定義」と『逆説の日本史』の関係なんて話にはなかな か到達できませんね。(悲) ◇余談で〜す◇ Hozumi san wrote (2/8): > でもこれはあなたの「逆説の日本史」への感想ですよね。 > KANAKさんの文章とどういう関係があるんですか? 残念ながら、これ以上詳しくは書けません。(笑) 文脈から適当に想像して下さい。 #これ以上の議論の拡大は避けたい所です。 #なお、分からなくても議論に差し支えありません。 Awaji shi wrote (2/8): > 他人の意見を紹介する場合は、良く > その意見を理解してからになさって下さいね・・・ 井沢先生の批判をするときは、井沢先生の意見を良く理解してから になさって下さいね・・・ ◇海野氏へ◇ 勝手に始めてます。(笑) ご覧の通り、相変わらずな状況ですが。。(悲) Time : 2000/ 2/15(火) 18:55:01
Name : つか E-mail : Title : 初めてきてみました。 Comments: インターネット歴2週間。初めてここにきてみました。 井沢さんの「言霊」に感銘を受けたものです。 本当に、このままでは、この国の将来は、どうなってしまうのでしょうか? いつの時代にも「今の若い者は」という言葉は、存在していると思いますが、「今の若い者は」自分の責任の とれる範囲をかなりオーバーしているように思えます。 耳障りのよい言葉でこの国をミスリードしてしまわぬよう、私もこの国の一員として心がけてゆきたいと思います。 Time : 2000/ 2/15(火) 20:13:14
Name : kituno E-mail : Title : 矛盾のお詫びと梅原説 Comments: 2/15 Awajiさん、輔住さん、皆さん、こんばんは。 悩める矛盾だらけのkitunoです。 まず、今までの私の書き込みにおいて、どの部分を梅原猛氏の著書から抜粋したの か明確にしなかったため、多くの矛盾を生み、読まれた方に疑問を感じさせてし まったことをお詫びしなくてはなりません。 Awajiさんのご指摘通り、太子怨霊説には疑問を感じていたのに、梅原サイドに立と うとしたので、数々矛盾だらけの発言となってしまいました。 私は、梅原氏説にかなりの影響を受けていながら、太子を怨霊にしたくない、とい う思いの中で揺れ動いているのです。 私が入手可能な範囲での太子に関する書物の中では、梅原氏の著書が最も優れてお り、全てに納得できなくても大変読み応えがあり「おもしろい」と感じているのは 事実です。 今後、梅原サイドとして書き込みをするときは、著書名とペ−ジを記入しますの で、興味を持たれた方は、実際に読んでみることをお薦めします。 >循環論ではないと思っていますが、チョット論点が拡大し過ぎているような気が しています。(・_・;) すみません。_(._.)_ 私は知りたいこと、興味のあることがたくさんあるものですから、BBSに書き込む機 会を得たとたん、博学者であられるAwajiさんについ、いろいろ聞いてみたくなり話 を広げすぎたようです。 >>...藤原不比等は自己の権威の元に律令制度を完遂するにはかかる宗教制度 を必要としたのです。 >これについては、既に若干触れたとおり、論評に値する意見とは思いません。 (その理由が必要であれば、別途申し上げたいと思います。) その理由を宜しくお願いします。 >光明皇后をはじめとする藤原一族は、どのようにこれらの問題を理解し、聖徳太 子の怨霊によるものだと信じ、その祟りを封じる為に、夢殿を建設し、救世観音を 造営し、その頭に鉄釘を打ち付けさせたと言うのでしょうか? 鉄釘に関しては、その後私も国立博物館の法隆寺館を再度訪れ、展示してある飛鳥 仏を見て、明らかに梅原氏の見解ミスであることを確信してきました。 展示してある小飛鳥仏27体中22体に、光背を後頭部に釘で打ち付けてあったか らです。飛鳥仏の特徴であることを納得したのです。 皆さんは、祟りを受けるとすれば誰が祟られるのが最も嫌ですか? 私は、自分より我が子やその子孫に祟りを受けるのが最も恐ろしいです。 「我が子を祟るなら、私を祟ってくれ」と怨霊に言うと思います。 私が光明皇后の立場になってみます。 行信があの強面で光明皇后に「太子の霊を鎮魂しない限り、今後も太子の怨霊が藤 原氏の子孫を祟り続けるでしょう」などど荒廃した東宮跡地で言ったとしたら、橘 三千代の邸宅になっていたその場所を、太子鎮魂のための夢殿建設に提供し、行信 にできる限りの怨霊封じをお願いしてしまうかもしれません。 梅原氏のこの部分の見解は『隠された十字架(平成3年板)』P427〜P433 に記されています。 >*仮に鎌足が首謀者だったとして、何故に謀殺された山背大兄では無く、既に二 十年前に薨去された太子がお祟りになるのでしょうか? このことに関しては、同書P57〜P65が詳しいかな? 輔住さんも私の梅原サイドに立ちきれない説を読まれるより、梅原氏の著書を実際 に読まれた方がいいです。 何れも、Awajiさんより、悉く否定されていますが..。(^^;) その是非はさておいても、説としてはたいへんおもしろいですよ。 合わせて、『神々の流竄』梅原氏の太子研究の集大成である『聖徳太子1〜4』も 是非一読下さい。 さて、話はまた飛んでしまうのですが、この論議の当初Awajiさんが提示された疑問 の中から 1.不比等は「書紀」の編纂にどの程度の主導権を発揮したか? 2.不比等の主導権は「書紀」を自家に都合よく記述させることが 出来るほどの権 力があったか? についての梅原氏の説を述べないとこの論議に終止符を打つことができないような 気がします。 まず、今日は、1について。 その理由として、梅原氏は著書『神々の流竄』P324からの記述において次のよ うに述べられています。 −−−−−−−−−− 1.記紀は中臣神道の思想、ミソギ、ハライを根本の思想にしている。 古代から民間に存在したミソギ、ハライの習わしを国家の事業とし、同時に一つ   の神学に体系化した中臣神道の祝詞思想が記紀神話を貫く思想となっている。 2.記紀の神話は、藤原氏以外の他氏に有利な記事は皆無。後に藤原氏の祭った   神々のみが圧倒的に重要な役割を果たしている。 以上の2点から考えると、古事記、日本書紀の撰修の中心に藤原氏以外を考えるこ とはできないのである。そしてその時の藤原氏の氏長が不比等なのである。 −−−−−−−−−− さて、2については明日また改めて書き込ませていただきます。 Time : 2000/ 2/16(水) 00:26:31
Name : 輔住 E-mail : Title : 返信です Comments: >このことに関しては、同書P57〜P65が詳しいかな? Kitunoさん >輔住さんも私の梅原サイドに立ちきれない説を読まれるより、梅原氏の著書を実際 >に読まれた方がいいです。 こんど梅原さんの本を読んでみます。でもその間にも議論は進むでしょうから また質問すると思いますがよろしくお願いします。 TAKATOKUさん 自分の想像力の無さを棚に上げ、少し厳しいことをいいます。 『国史大辞典』を読んだことはありませんが、 誰だって歴史の分厚い本を読んでたら「おや?」と思う部分はあると 思います。しかし全てが嘘とも思わないでしょう。 どうもあなたの言うことは極端すぎてなにが言いたいのか分からないです。 >>KANAKさんの文章とどういう関係があるんですか? >残念ながら、これ以上詳しくは書けません。(笑) >文脈から適当に想像して下さい。 想像できるなら上記のようなことは書いてません! KANAKさんの文の引用についてはこれ以上質問はしませんが こういう感じの返答では誰との議論も難しいと思いますよ。 Time : 2000/ 2/16(水) 12:49:05
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「橘夫人疑問」?? Comments: kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 kitunoさんのお立場は、一応理解しているつもりですが、梅原怨霊説 を批判する上で、つい言葉が過激になりがちで・・・スミマセン。 引き続き、梅原太子怨霊説に限定して申し上げます。 >>行信があの強面で光明皇后に「太子の霊を鎮魂しない限り、今後も >>太子の怨霊が藤原氏の子孫を祟り続けるでしょう」などど荒廃した >>東宮跡地で言ったとしたら、橘三千代の邸宅になっていたその場所 >>を、太子鎮魂のための夢殿建設に提供し、行信にできる限りの怨霊 >>封じをお願いしてしまうかもしれません。梅原氏のこの部分の見解 >>は『隠された十字架(平成3年板)』P427〜P433に記され >>ています。 まず、「荒廃した東宮跡地」と「橘三千代の邸宅になっていたその場 所」は論理的に両立し難いと思いますが・・・? (梅原さん自身も、その様にはおっしゃっていないと思います。) 梅原さんは、荒廃した東宮跡地に「夢殿」を建設し、併せて「橘三千 代の邸宅」の寄進を受けて移設したと推理されているのだと思います。 (つまり、その推理により藤原一族が如何に太子の鎮魂に務めたかを 印象付けられているのでしょう。) しかしながら例の如く、この東院伝法堂が橘三千代の邸宅であるかど うかについては、重大な疑義があります。と言うのは東院資材帳には 「正三位橘夫人」と有るのですが、橘三千代であれば天平五年(733) 従一位を追贈されていますので、天平十四年、天平十八年に正三位と 書かれる筈がありません。 むしろ天平九年従三位、天平勝宝元年正三位から従二位となった聖武 天皇夫人である橘古那可智に符合するからです。 (三千代の縁戚ではありますが・・・あくまでも橘氏です。) 従って、梅原さんの意見とは異なり、東院建設には藤原氏以外の多く の女性が協力した証拠にすらなり得るのです。 (チョット嫌になってしまいますが、二人の行信問題と殆ど同じ、二 人の橘夫人問題に関する梅原さん一流の誤解?に基づく牽強付会的推 理の線が濃厚です。) それでは、何故に東院建設には多くの高貴な女性が協力したか? お分かりだと思いますが・・・太子が解説した「三経義疏」つまり、 「勝鬘経」「維摩経」「法華経」は、全て何らかの形で女人成仏を説 いているからでしょう。 (特に明確なのは「勝鬘経」ですが、「維摩経」「法華経」も変成男 子と言う形ながら、男女差別に痛撃を加えています。) 勿論、太子は推古女帝の仏教帰依のため、これらの諸経を選んだので しょうが、どちらかと言えば男女差別的色彩が濃い仏教思想の中で、 これらの諸経を説いた太子に、あらためて高貴な女性の崇敬が集まっ たのも当然では無いでしょうか? その意味では、橘三千代が持物を寄進したとしても、別に不思議は無 いのですが・・・・ つまりは・・・東院建設は、太子怨霊封殺ではなく、太子顕彰・崇敬 によるものだと考える根拠になり得るものだと考えます。 >>皆さんは、祟りを受けるとすれば誰が祟られるのが最も嫌ですか? >>私は、自分より我が子やその子孫に祟りを受けるのが最も恐ろしい >>です。「我が子を祟るなら、私を祟ってくれ」と怨霊に言うと思い >>ます。 おっしゃる意味は良くわかります。仮に鎌足が山背謀殺の首謀者であ り、罪悪感を持っていたとして、鎌足の眼前で子や孫が次々に変死を した場合は、鎌足の心象には山背の怨霊が浮かび上がり、「我が子を 祟るなら、私を祟ってくれ」と言うかもしれませんね。 しかしながら、ご承知のとおりその様な事態は生じなかったのです。 従って仮に鎌足が首謀者であったとしても、鎌足や不比等の心象に 山背や太子の怨霊が浮かんで来るべくも有りません。 藤原四兄弟が次々に死亡したのは、鎌足や不比等が栄光の人生を全う した後のことですからね。 それでは果たして、四兄弟と同世代の光明皇后に、100年も前の山背 謀殺・・・それも祖父が首謀者であると信じる理由も無く・・祖父自 身や父が栄光の人生を辿っているのに・・兄弟の死において、その心 象に山背や太子の怨霊が浮かび上がるものかどうか・・・と言う問題 なのです。 誰が考えても不自然な筈です。それなのに梅原さんがその様に主張さ れているのは、救世観音等が怨霊封殺の表象を持っていると考えらた からでは無いでしょうか? 従って、救世観音が飛鳥仏であると認め、行信が太子封殺のために製 作した等と言う馬鹿話を否定すれば、当然梅原仮説(妄説に近いと思 いますが)は瓦解するしか無いと思いますが・・・? ・・・その他の藤原(中臣)論は、太子怨霊説に決着がついてからに させて頂きます。 Time : 2000/ 2/16(水) 23:26:44
Name : kituno E-mail : Title : 太子怨霊説を一段落させたいのですが..。 Comments: Awajiさん、皆さん、こんばんは。 一ヶ月に渡り、この場をお借りしているkitunoです。 井沢ファンの方の中には、憤慨されている方も多いと思います。 でも、もう少し書き込ませて下さい。 >kitunoさんのお立場は、一応理解しているつもりですが、梅原怨霊説を批判する 上で、つい言葉が過激になりがちで・・・スミマセン。 本当に理解していただけているのでしょうか。 私は、梅原氏を尊敬していますが、その説全てを肯定的に解釈しているわけではな く、梅原説に対するAwajiさんの説も、いつも「おもしろいな〜」「さすが!」と 思って拝読しています。 kitunoはいつも「客観的にこの論争を見られる立場だったらよかったな〜。」 (-_-;)と思っています。 RESしなくてはならないのは自分だと思うと、辛くなるときもあります。 皆さんもお気づきのことと思いますが、井沢氏の『逆説の日本史2−聖徳太子の称 号の謎−』に書かれていることは、その殆どが梅原説の継承に過ぎません。 太子怨霊説はもちろん、天孫降臨神話=持統天皇(祖母)から孫への譲位の神話化 説、藤原鎌足が中国の兵法書『六とう(字が出ない)』の愛読家であり陰謀家説、 藤原不比等が『記紀』の編纂に積極的に関わっている説などは、すでに梅原氏の著 書の中で論理的に述べられていることです。 その点から言うとこの論争の「梅原サイドの最適任者」は「井沢氏本人」だと思う のです。 梅原氏の『隠された十字架』『記紀・万葉のこころ』『神々の流竄』『藤原鎌足』 を読まれたことのある方には、納得していただけることだと思います。 >梅原さんは、荒廃した東宮跡地に「夢殿」を建設し、併せて「橘三千代の邸宅」 の寄進を受けて移設したと推理されているのだと思います。(つまり、その推理に より藤原一族が如何に太子の鎮魂に務めたかを印象付けられているのでしょう。) 私もそう解釈しているつもりです。 >勿論、太子は推古女帝の仏教帰依のため、これらの諸経を選んだのでしょうが、 どちらかと言えば男女差別的色彩が濃い仏教思想の中で、これらの諸経を説いた太 子に、あらためて高貴な女性の崇敬が集まったのも当然では無いでしょうか? >東院建設は、太子怨霊封殺ではなく、太子顕彰・崇敬によるものだと考える根拠 になり得るものだと考えます。 私も全く同意見です。 私ような梅原氏説をうまく伝えられないような者が梅原サイドに立つことは、所詮 無理なことだったのかもしれません。 そろそろ梅原サイドとしての私の立場から、解放してして下さい。 「推理を嫌う傾向のある史料至上主義の学者タイプ」であられる「史料を整理保存 する必要のある会社のサラリ−マン」のAwajiさん! 歴史的事件に対しては、人それぞれの違った考えを持っていて当たり前ですが、自 分の説を証明されるための梅原氏の何十年のも史料研究や地道な調査を、「妄想」 とされるのは、あまりにも酷なような気がしています。 Awajiさんが「太子怨霊説」を「バカげた説」と思われていることは、よくわかりま した。 梅原批判=井沢批判と受け取らせてもらい、私なりの太子考察の今後の参考にさせ ていただきます。 次は、Awajiさんの「藤原(中臣)論」を是非聞かせてください。 >2.不比等の主導権は「書紀」を自家に都合よく記述させることが 出来るほどの 権力があったか? これに関しては、藤原氏が傀儡としての女帝をフルに活用しているのではないか、 と言うのが梅原説だったように思います。 ・藤原不比等と元明天皇の関係を側近以上の関係と見ている。 ・自己の体制の上に自己の意による天皇をのせておくことで天皇制そのものをフル  に活用した。 だから、『記紀』の編纂にも十分関わることができた。 −−−−−−−−−−− 何故、元は単なる祭祀官僚であった中臣氏が中大兄皇子の側近となり、藤原不比等 以後の藤原氏が実権を握れるようになったのでしょうか? 「平安遷都は藤原氏の大陰謀」「光明皇后は藤原グル−プの利益代表」などの説も 交えて少しずつで結構ですから、Awajiさんの見解をわかりやすくお聞かせ下さい。 もし、史料を提供されるときは、漢文のままではなく、Awajiさんなりの読み下し文 も載せていただくと、私のような無学な者は、非常にありがたいのですが..。 宜しくお願いします。 Time : 2000/ 2/18(金) 00:29:37
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「太子怨霊説批判 FIN」?? Comments: kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>太子怨霊説を一段落させたいのですが..。 了解しました。 なお、個人的な問題ではありますが・・・・ >>「推理を嫌う傾向のある史料至上主義の学者タイプ」であられる「 >>史料を整理保存する必要のある会社のサラリ−マン」のAwajiさん! Awajiは、日本史にかんする専門教育を受けたものではありませんし、 歴史に関しては全くの門外漢のタダノ仏像オタクですから、ある程度 の根拠と論理性が有る推理は大好きです。 (歴史の真実は、所詮完全には知り得ないものであって、現在我々が 利用出来る様々な史料により、その蓋然性を推理するしかないと思っ ています・・・従って、自由な推理は我々素人にとっての特権だと考 えています。) ただ素人でも図書館へ行ってチョット調べれば直ぐに分かるような事 を確認もせず(或いは無視し)、徒に感傷的・情緒的推理を重ね、そ れをいかにも歴史的事実であるかのように公刊書籍の中で強弁される のは、研究者として如何なものだろうかと思うのです。 また史料を整理保存しているのは、単なる個人的趣味であり、仕事と は全く関係がありませんので、念の為。 (ご存知のとおり、インターネットのお陰で、とても簡単に史料が入 手出来る様になりましたので、ある程度整理しておけば原文引用など も実に簡単です・・・) さて、太子怨霊説を終結し、「藤原(中臣)論」に移るに際し、蛇足 だとは思いますが「蘇莫者」に関する坂本論文を紹介しておきます。 梅原さんは、聖霊会の際に舞われる「蘇莫者」について・・・ 「いったい蘇莫者とはどういう意味であろうか、文字通りにとれば、 蘇我の莫(な)き者、蘇我一門の亡霊という意味ではないか、蘇我一 門の精神的代表者である太子の霊が、蘇莫者という名でよばれても不 思議はない。」 ここで、梅原さんは唐の「古楽目録」に「蘇莫者」と言うものがある ことに付言しつつ、なおこの様な議論を展開してておられますが、坂 本さんによれば長承二年(1133)大神基政著「龍鳴抄」には、太子や 法隆寺とは無関係に大峯山山伏と山神「蘇莫者」の伝承が記されてい るとのことであり、「唐会要旨」にも「蘇莫遮」記事があるとのこと です。 阪本さんは・・・ 「氏のお好きな語呂合わせも極まった形で、まじめな学問的議論の 域外に逸脱する。唐では蘇莫遮と遮の字を使うのに、日本では者と 替えた所に相違があるといえば、また何をか言わんやである。太子 を蘇我の莫き者とどうして言えるのであろう。牽強付会も甚だしい 。」 と結んでおられますが、Awajiは豈に「蘇莫者」のみならんや・・・ と思っています。 Time : 2000/ 2/18(金) 22:09:28
Name : 傍観者 E-mail : Title : 蘇漠者 Comments: これに関しては「万葉を考える」あたりで解決しているでしょう 梅原氏著作の中でも初期の間違えが多く,梅原氏本人も既に間違えを見とめている部分 執拗に取り挙げてもナンセンスだと思いますが? Time : 2000/ 2/19(土) 00:14:26
Name : 傍観者 E-mail : Title : 訂正 Comments: 蘇漠者に関して梅原氏が言及しているのは聖徳太子三部作だったかも, 訂正します。 志操堅固だかどうだか知りませんが。 要するにAwaji氏は自分の発言を井沢先生に見てもらいたいいんでしょう? 屈折したファン感情ですね。 Time : 2000/ 2/19(土) 00:20:21
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「ナンセンス批判」?? Comments: 傍観者さん、はじめまして(かな??)。Awajiです。 >>梅原氏著作の中でも初期の間違えが多く,梅原氏本人も既に間違 >>えを見とめている部分執拗に取り挙げてもナンセンスだと思いま >>すが? ご指摘を感謝いたしますが、Awajiはkitunoさんがご質問の基礎と されている「隠された十字架」に関して、申し上げているのであっ て(昭和49年版ですが)、その後の梅原さんの訂正に関しては、了 知しておりません。 ところで梅原さんは「太子怨霊説」についても既に間違いを認めて おられるのでしょうか? なお、kitunoさんご質問の「中臣(藤原)論」についても、「隠さ れた十字架」及び「神々の流竄」(昭和60年版ですが、原作は昭和 45年頃ですね)しか知りませんが、既に間違いを認めておられるの であれば、ナンセンスな批判になりますので、その部分について予 めご教示頂けますか? (後書きで「私の一生のうちでもっとも未熟な論文・・・論文を書 く学問的用意が出来ていず・・・」とされていますが、どの部分を 否定されているのか良く分かりません。或いは既に全面否定されて いるのでしょうか?) >>志操堅固だかどうだか知りませんが。要するにAwaji氏は自分の発 >>言を井沢先生に見てもらいたいいんでしょう?屈折したファン感 >>情ですね。 屈折しているのかどうかは、貴方のご判断にお任せするしかありま せんが、だからどうだとおっしゃるのでしょうか? こういったご意見は・・・ナニセンスって呼べば良いのですか? Time : 2000/ 2/19(土) 11:20:33
Name : kituno E-mail : Title : 『藤原鎌足』 Comments: Awajiさん、皆さん、こんばんは。 またまた、Awajiさんへのお詫びから..。 >歴史に関しては全くの門外漢のタダノ仏像オタクですから、ある程度の根拠と論 理性が有る推理は大好きです。 私は、この「ある程度の根拠と論理性が有る推理」を「推理を嫌う傾向のある史料 至上主義の学者タイプ」と誤解してしまったようです。ごめんなさい。 Awajiさんとは、ここでしかお会いできないのが残念です。 「タダノ仏像オタク」と自称されるAwajiさんに仏像話もお伺いしたいのですが、 井沢先生の掲示板を私物化してしまいそうで、質問できません。(-_-;) >kitunoさんご質問の「中臣(藤原)論」についても、「隠された十字架」及び >「神々の流竄」(昭和60年版ですが、原作は昭和45年頃ですね)しか知りません >が、既に間違いを認めておられるのであれば、ナンセンスな批判になりますの >で、その部分について予めご教示頂けますか? これは、私に向けられたものでしょうか。 私は、また梅原サイドに立たないといけませんか? 梅原氏の「中臣(藤原)論」については、梅原猛氏、杉山二郎氏、田辺昭三氏の対 談形式『藤原鎌足』に詳しいのですが、「品切れ、増刷の見込みなし」の為、私も 図書館で読む以外は入手できずにいます。 元は単なる祭祀官僚であった中臣氏が中大兄皇子の側近となり、藤原不比等以後の 藤原氏が政治の実権を握れるようになったのでしょうか? 「平安遷都は藤原氏の大陰謀」「光明皇后は藤原グル−プの利益代表」などの説も 交えて少しずつで結構ですから、Awajiさんの見解を聞かせていただきたいのです。 (前回の書き込みの繰り返しで申しわけありません。) Time : 2000/ 2/20(日) 00:33:36
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「藤原家の勃興」?? Comments: kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>これは、私に向けられたものでしょうか。私は、また梅原サイドに >>立たないといけませんか? ・・・でも無いのですが、どうしても梅原説批判になると思います ので、氏が自己否認されている部分は、予め知っておきたいと思っ て傍観者さんはじめ、みなさんにお願いしたものです。 (ナンセンスな批判等と言われたくないもので・・・) さて・・・ >>元は単なる祭祀官僚であった中臣氏が中大兄皇子の側近となり、 >>藤原不比等以後の藤原氏が政治の実権を握れるようになったので >>しょうか? 極めて平凡な見解になりますが・・・ 言うまでもなく、大豪族が蘇我の権勢を恐れ憚っていた状況の中で、 蘇我本宗家打倒の策を練り成功させた功績によるものだと思います。 (おそらくこの時に蘇我本宗家の専横を許していれば、642年に王を 切り刻んで溝に捨て、668年国家滅亡に導いた高麗の泉蓋蘇文の如く になり、天皇家=倭国の権威は地に落ちていたことでしょう。) さらにその後、天智・天武が目指した天皇集権(律令)体制の確立に、 その能力を発揮したからでもあるでしょう。 (因みに、中臣家は祭祀官の家柄であったため、他氏が領主型貴族で あるのに比して給付型貴族的傾向があり、体質的に律令体制に抵抗が 無かった・・・とも想像していますが、勿論想像に過ぎません。) 壬申の乱以降、天武が不比等を重用したのも、父の功績と不比等自身 の能力を評価したからでしょうね。持統にとっては、激烈な皇位継承 争いのなかで、幾多の親王達を牽制し皇位を直系孫に譲る上でも不比 等の利用価値が最も高かったのでしょう。 (天皇家にとっての最大の功臣の嫡子であり、天神系の名門貴族でも ある上に政治的才能もある。他の皇別系等の名門貴族の様に過去のシ ガラミがあるわけでも無い・・・等でしょう。) なお、以下の部分について言えば・・・ >>藤原不比等と元明天皇の関係を側近以上の関係と見ている。 何の根拠も無い、単なる下司の勘繰りに過ぎないと思います。 (女帝と言うと・・・臣下との関係を云々するのは、一種のセクハラ 感覚ですね。元正や聖武は、その様な関係を知った上で、なお藤原氏 を重用したと思われますか?) >>自己の体制の上に自己の意による天皇をのせておくことで天皇制そ >>のものをフルに活用した。 当初は、逆に天皇達が彼の能力をフルに活用したとは思いますが、彼 が文武夫人の宮子、さらに聖武夫人の光明子を入内させたことから、 外戚としての影響力を付けるに到ったのでしょう。 (これは草壁・文武・聖武がいずれも虚弱体質で、天武・天智の様な 多妻多子を持てなかった・・・と言う偶然が大きく作用したと思いま す。) 取り敢えずは以上です。 Time : 2000/ 2/20(日) 09:49:46
Name : kituno E-mail : Title : 『記紀』の編纂について Comments: Awajiさん、皆さん、こんばんは。 >>元は単なる祭祀官僚であった中臣氏が中大兄皇子の側近となり、藤原不比等以後 の藤原氏が政治の実権を握れるようになったのでしょうか? という質問に対してのRESをありがとうございます。 ・蘇我本宗家打倒の策を練り成功させた功績 ・その後、天智・天武が目指した天皇集権(律令)体制の確立に、その能力を発揮  したこと ・天武が不比等を重用したのも、父の功績と不比等自身の能力を評価したこと ・激烈な皇位継承争いのなかで、幾多の親王達を牽制し皇位を直系孫に譲る上でも  不比等の利用価値が最も高かったこと をAwajiさんは、その理由としてあげられていますが、そうなると1/29にAwajiさんが上げられた疑問 1.不比等は『書紀』の編纂にどの程度の主導権を発揮できたか? 2.不比等の主導権は『書紀』を自家に都合よく記述出来るほどの権力があった   か? に自ずと答えられたような気がします。 鎌足の功績と不比等の能力を天智、天武、持統が評価したために、「諸氏族の伝承 の類を資料としながら天皇自ら保持する伝承を中心としての天皇支配の歴史書」= 『日本書紀』の編纂に不比等は関わるだけの主導権を発揮することができていたの ではないでしょうか? 以前Awajiさんは2/14における記載の中で、 >勿論『書紀』『古事記』が藤原氏の主導によるものと思いません。 と述べられていますが、『記紀』が藤原不比等のもとで編纂されたのではないか、 と主張されているのは梅原氏だけではないですよね。 Awajiさんが『記紀』は藤原氏主導のものではない、とされる理由及び「『記紀』は 聖徳太子や天武(持統)に遺志を継いだ元明が主導し、官僚の力を結集したもの」 とされる理由の記述部分を抜粋し、再度記載していただけないでしょうか? 読み返しても、どの部分がそうなのか、十分に読みとることができません。 (レベルの低いkitunoの為ご面倒をおかけします。) 『記紀』の完成は、元明、元正期ですから、梅原説のような男女の関係はなかった としても元明帝が喜ぶような「祖母から孫への天孫降臨話」中心の『古事記』をま ず天皇の私的書として提出し、天皇自身が読み、天皇家の正統性に自信を持たせ その後皇子と建て前として責任者にすえた対外及び国内のインテリに読ませるため の『日本書紀』を不比等が中心となって編纂し、『書紀』のみに中臣氏の活躍をそ れとなく折り込み、藤原氏が天皇家にとって欠くべからざる存在であったことを暗 示したかったのではないでしょうか。 中臣氏の活躍を華々しく記述しなかったのは、古代からの豪族への気遣いと天皇の ブレ−ンとしての「藤原氏」を半永久的に位置づけて置くために、蘇我氏のよ うな専横ぶりが身の破滅を招くことを悟っていたためではないでしょうか。 いつも、まとまりのない文章ですみません。 Time : 2000/ 2/20(日) 22:46:55
Name : kituno E-mail : Title : ごめんなさい。 Comments: >その後皇子と建て前として責任者にすえた を「建て前として皇子を責任者にすえた」と訂正してください。 疲れ気味かな〜。 改行ミスもあり、読みづらいですね。 Time : 2000/ 2/20(日) 22:52:53
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「祖神・建国神話の淵源」?? Comments: kitunoさん、今日は。Awajiです。 >>鎌足の功績と不比等の能力を天智、天武、持統が評価したために、 >>「諸氏族の伝承の類を資料としながら天皇自ら保持する伝承を中心 >>としての天皇支配の歴史書」=『日本書紀』の編纂に不比等は関わ >>るだけの主導権を発揮することができていたのではないでしょうか? 「書紀」に関して、不比等が主導権を発揮しなかったであろうと考え る理由は、既掲載の「書紀の撰集」 1/31 で申し上げたとおりです。 (7.の「鎌子」は「勝海」にご訂正下さい) 天武・持統が不比等を評価したことと、「書紀」の撰集に不比等が主 導権を発揮したこととは、直接には結びつかないと思いますが? (舎人親王も、警戒されながらも、能力は評価されていたでしょう) なお、さらに以下の部分を付記します。 8.太子主導の史書編纂において、既に天皇家を始めとする国家神話   (祖神信仰)が集成、記述されていたと考えるのが妥当であり、 その原本が失われていたとしても、当時の皇族・中央貴族は、そ の基となった伝承(国家神話)の骨格を了知していた筈である。   従って、それを大幅に改竄する(或いは創造する)ことは如何に   天皇の寵愛があったとしても、一臣下に出来ようとは思えないし、 敢えて行う必然性も無い。 (kitunoさんは、太子が「国記」「天皇記」を製作するに当って、祖 神神話・建国神話の類を一切無視したと思われますか? Awajiは、既に百済・高麗・新羅等においても、その様な神話を持って いたことが、中国史書等で窺えますから、韓諸国に優位を求め、天皇 家のレヂテマシーを強調すべき倭国の歴史を記述するに当っては、当 然それらが考慮されたと考えています。 勿論、それらの神話は太子時代以前に既にその骨格が完成していたと 見るべきであろうと考えています。) 9.蘇我氏、聖徳太子の「神道」に関する姿勢は、「書紀」に於いて 次のとおり記述されているが・・・(原文に沿って抄訳) 欽明十六年(555)春二月((百済王子に語った言葉)) 蘇我卿(稲目)曰く、昔天皇大泊瀬(雄略)之世に、汝の国高麗の為に 逼られ、危こと累卵の甚しき在り。是に於て天皇、神祇伯に敬て策を神 祇に受るを命ず。祝者(はふり)廼(すなは)ち神語に託し報曰す。 「邦を建るの神に屈請し、往きて将に亡とする主(百済王)を救はば、 必ず当に国家謐晴し、人物又安からむ。」是に由り神に請て往て救う。 所以に社稷安寧。原(もと)夫れ建邦の神者は、天地の割れ判れし代、 草木の言語せし時、天より降来し国家を造立せし神也り。頃(いま)、 汝の国は輟(すて)て不祀と聞く。方に今、前の過を悛悔し、神宮を修 理し、神霊を奉祭れば、国昌盛す可し。汝当に忘る莫れ。 推古十五年(607)春二月 詔して曰く、「朕聞くに、曩者(むかし)我が皇祖天皇等の世を宰むに、 天に跼れ地に蹐り、神祇を敬い禮す。周(あまね)く山川を祠り、幽に 乾坤(あめつち)に通ず。是を以て、陰陽(ふゆなつ)開き和ぎ造化の 共に調ふ。今朕が世に当りて、神祇を祭祀すに豈に怠り有らむや。故に 群臣共に心を竭(つく)して、神祇を拝すべし。」甲午に皇太子及大臣 (馬子)、百寮を率て神祇を祭拝す。 ここにおいて、天孫降臨=祖神信仰や自然信仰が示されており、神 仏共立思想(祭祀)が見られる。当然これら祭祀に際しては、中臣 ・斎部が神祇官として関与したと見るべきであり、不比等がこれら 建国神話や神仏共立思想を創設したとは考えられない。 (蘇我卿の言葉は整備され過ぎており、後世の文飾があると思われるが、 何らかの原形伝承が想像される。これらを不比等の捏造とする根拠は無 い。) 10.既に「魏志東夷伝」「後漢書」において、倭国の以下の祭祀が 記述されており・・・(適当に読み下して下さい) 其死有棺無槨封土作冢始死停喪十餘日當時不食肉喪主哭泣他人就歌舞 飲酒巳葬擧家詣水中澡浴以如練沐其行來渡海詣中國恒使一人不梳頭不 去{虫幾}蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人名之爲持衰若行者吉善共 顧其生口財物若有疾病遭暴害便欲殺之謂其持衰不謹 其死停喪十餘日家人哭泣不進酒食而等類就歌舞爲樂灼骨以卜用決吉 凶行來度海令一人不櫛沐不食肉不近婦人名曰持衰若在塗吉利則雇以財 物如病疾遭害以爲持衰不謹便共殺之 つまりは・・・殯・斎戒沐浴・禊・持衰・骨卜等の後世の「神道」 に繋がる思想・祭祀儀礼が窺える。これらが大王家において、よ り洗練され専門職が任じられたのは、容易に想像出来るところで あり、700年代に不比等が創設した等と考えるのは明らかに無理が ある。 >>元明帝が喜ぶような「祖母から孫への天孫降臨話」中心の『古事記』 >>をまず天皇の私的書として提出し、天皇自身が読み、天皇家の正統 >>性に自信を持たせその後皇子と建て前として責任者にすえた対外及 >>び国内のインテリに読ませるための『日本書紀』を不比等が中心と >>なって編纂し、・・・ 以上の状況からして、元明はじめ当時のインテリ(即ち皇族・中央貴 族です)は、祖神・建国神話を熟知していたと見るべきであり、仮に これに反する様な「祖母から孫への天孫降臨話」を創作したとしても、 彼等の反発と嘲笑を買うだけのことで、何の効果ももたらさないと思 われます。 持統を祖神アマテラスに擬すると言うが如きは、古代人の祖神信仰を 無視した空論に過ぎないと思いますが・・・ Time : 2000/ 2/20(日) 23:54:20
Name : 輔住 E-mail : Title : 現在 Comments: 「隠された十字架」を読み途中(というか読み始め) 読み終えたら、感想・疑問点などを書きます。 Time : 2000/ 2/21(月) 12:28:47
Name : kituno E-mail : Title : 「国記」「天皇記」 Comments: Awajiさん、皆さん、こんばんは。 なかなか話が止められないkitunoです。 「もういい加減にしたら!」というご批判の声が聞こえてきそうです。(^^;) >「書紀」に関して、不比等が主導権を発揮しなかったであろうと考える理由は、 既掲載の「書紀の撰集」 1/31 で申し上げたとおりです。 すみません。(また謝罪から^^;) この点については、完全な私の読み落としです。(私のファイルからすっぽり抜け 落ちていました。) 改めて、じっくり読み直します。 >kitunoさんは、太子が「国記」「天皇記」を製作するに当って、祖神神話・建国 神話の類を一切無視したと思われますか? 思いません。 『記紀』の神話の基礎は、太子と蘇我馬子によって編纂された「国記」「天皇記」 にあったと思います。ただ、それは蘇我氏にとって有利になるように書かれてお り、蘇我氏を朝敵(この言葉が適当かどうかわかりませんが)として滅ぼした藤原 氏がその部分を改竄した可能性はあると思っています。 乙巳の変の際、「国記」「天皇記」が蘇我蝦夷の手によって焼かれようとしたとい う経緯は、それらは「蘇我氏が保管するような形、蘇我氏のみが満足するような形 でしかまとまらなかった」ということが言えると思います。 この際、かろうじて「国記」が救い出され中大兄皇子に献上されたのは、ご周知の 通り。 天武朝の修史プロジェクトチ−ムも「国記」は参照したでしょう。 『記紀』において中臣氏の活躍を華々しく記述しなかったのは、 ・古代からの豪族への気遣いと天皇のブレ−ンとしての「藤原氏」として半永久的 に位置づけて置くために、蘇我氏のような専横ぶりが身の破滅を招くことを悟って いたためではなかったか ということの他に、 ・その基となった伝承(国家神話)の骨格を了知していた当時の皇族・中央貴族の 反発と嘲笑を招かないようにしたこと もあげられると思います。 『記紀』の成立期には、藤原氏はかなりの地位と権力を得ていましたから、他氏は 疑問に思っても藤原氏に対抗してそれを指摘するだけの力がなかったのではないか ということも考えられないですか? >元明はじめ当時のインテリ(即ち皇族・中央貴族です)は、祖神・建国神話を熟 知していたと見るべきであり、仮にこれに反する様な「祖母から孫への天孫降臨 話」を創作したとしても、彼等の反発と嘲笑を買うだけのことで、何の効果ももた らさないと思われます。 『古事記』はその序文の書きぶりからして天皇への私的書として献上されたもので あり、故に、当時のインテリや外国の方が目にすることが出来たのは、『日本書 紀』のみであったと考えています。『古事記』の発見が遅れたものその為ではない でしょうか。 その理由として『古事記』は万葉仮名で書かれ、『日本書紀』は漢文で書かれてい ることをあげたいと思います。 『日本書紀』の編纂に当たっては各氏族が持ち伝える伝承(おもに各氏族の始祖の 出自や祖先の功績といったもの)が、書承の時代を迎えるにあたり、氏族それぞれ の天皇家との親疎の度合いに応じつつ、天皇家の有する伝承との調整がはかられて いったものと思われます。諸氏の伝承の類を資料としたために、多くの異伝を併記 するという特色を示すことになったのだと思います。 AwajiさんのRESを読み、『日本書紀』が中国や朝鮮を十分意識した史書であり、そ れらの国に対しての「日本」独自の史書を作成したものということを確信させられ ました。 >持統を祖神アマテラスに擬すると言うが如きは、古代人の祖神信仰を無視した空 論に過ぎないと思いますが・・・ そうですね。 Time : 2000/ 2/21(月) 23:34:01
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「蘇我氏と神話」?? Comments: kitunoさん、みなさん。今日は。Awajiです。 >>蘇我氏を朝敵(この言葉が適当かどうかわかりませんが)として滅ぼ >>した藤原氏がその部分を改竄した可能性はあると思っています。 不比等を引き上げた持統の母系は、蘇我氏であることを、忘れないで下 さい。 さらに、蘇我氏は武内後裔氏族ですから、八代孝元の五世孫に当ります。 仮に「国記」「天皇記」が蘇我氏中心の史書であったとしても、祖神・ 建国神話とは何の関係もありませんね。 >>『記紀』において中臣氏の活躍を華々しく記述しなかったのは・・・ >>当時の皇族・中央貴族の反発と嘲笑を招かないようにしたこともあげ >>られると思います。 要は・・・『記紀』撰集には関与していなかったと言うことでは無いの ですか? >>『古事記』はその序文の書きぶりからして天皇への私的書・・・ >>『日本書紀』のみであったと考えています。・・・ おっしゃるとおりでしょう。Awajiもその様に申し上げた筈ですが? (「古事記」は、舎人親王と太安麻呂による当時の「中世史」草稿だと 考えています。舎人=稗田阿礼はジョークですが・・・(^0^)" >>そうですね。 早い話が・・・ 「記紀」の実際の著者は不比等であり・・・「古事記」は・・・新しい 宗教的イデオロギーを興味深い読み物にして、元明帝にたてまつった秘 書であり、・・・「書紀」はそういうイデオロギーによって、実際の歴 史を叙述し、藤原氏に都合の良いイデオロギーをそのまま国家のイデオ ロギーとして、律令国家を強化しようとした公式の歴史書である。・・ この梅原説を肯定すべき要素は一体なんですか? Time : 2000/ 2/22(火) 00:21:13
Name : kituno E-mail : Title : 勉強不足 Comments: Awajiさん、皆さん、こんばんは。 >不比等を引き上げた持統の母系は、蘇我氏であることを、忘れないで下さい。 でも、蘇我氏は蘇我氏でも、入鹿が聖徳太子一族を集団自決に追いやって以来蘇我 本家との間に溝ができていた蘇我倉山田麻呂の娘遠智娘ですよね。乙巳の変でも入 鹿殺害に重要な役割を果たしているではないですか。 >仮に「国記」「天皇記」が蘇我氏中心の史書であったとしても、祖神・建国神話 >とは何の関係もありませんね。 「国記」「天皇記」が蘇我氏中心の史書であったわけですから、それらの史書に 「蘇我氏が祖神・建国神話とは何の関係もなかった」とは断言できないはずです。 その部分を『記紀』において改竄したという可能性も考えられるのではないでしょ うか? 船史恵尺によって焼失を免れたはずの「国記」が現存していないのも改竄の証拠隠 滅の為ではないでしょうか? >要は・・・『記紀』撰集には関与していなかったと言うことでは無いのですか? 私はAwajiさんのように多くの資料を持っていませんので、あくまでも推測に過ぎな いのですが、『日本書紀』では入鹿暗殺の筋書きを中臣鎌足が作ったように書かれ ており、藤原不比等が作らせた「鎌足の伝記」「蘇我討伐物語」のようなものがそ のまま組み込まれているように思えるのです。 また、6世紀半ば以後に成長したとしか思えない「中臣氏」が『日本書紀』におい て、崇神朝以来、大伴氏、物部氏と並ぶ有力豪族であったかのような書き方をして あることも『記紀』の編纂に関与していたことの表れではないか、と思うのです。 Awajiさんの保管整理している資料の中に、「梅原氏以外に『記紀』の編纂に藤原氏 が関与していた説を唱えている方」に関するものないでしょうか? >この梅原説を肯定すべき要素は一体なんですか? 私には、力量不足,読解力不足でまとめられません。 すみません。 Time : 2000/ 2/22(火) 23:04:15
Name : kituno E-mail : Title : 追記 Comments: 『日本書紀』の持つイデオロギ−や、編纂当時の政治的状況から『記紀』の編纂に 藤原不比等が中心的役割を果たしたのではないかという説は、梅原氏の著書の中で も紹介されている上山春平氏の『神々の大系』が中心なのかと思います。 『神々の大系』とそれを批判する坂本太郎氏の『日本古代史叢考』を読み比べてみ たいと思います。 Awajiさんから教えていただいたこともよく踏まえて、勉強のやり直しです。 Time : 2000/ 2/22(火) 23:50:10
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「蘇我氏の残光」?? Comments: Kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>蘇我倉山田麻呂の娘遠智娘ですよね。乙巳の変でも入鹿殺害に重 >>要な役割を果たしているではないですか。 そのとおりですが・・・それがどうかしましたか? 要するに蘇我一族の伝承を受け継いでいる人達ですから、不比等如 きがその伝承を否定できないと申し上げているのです。 >>それらの史書に「蘇我氏が祖神・建国神話とは何の関係もなかっ >>た」とは断言できないはずです。 蘇我氏は、武内氏の後裔氏族であり、武内氏は景行期以降の氏族で すよ。時代的に祖神・建国神話と関係出来る筈が無いでしょう? (改竄も何も全く時代が違うのです) >>『日本書紀』では入鹿暗殺の筋書きを中臣鎌足が作ったように書 >>かれており、藤原不比等が作らせた「鎌足の伝記」「蘇我討伐物 >>語」のようなものがそのまま組み込まれているように思えるので >>す。 事実だから、事実として「書紀」に記述されていると考えては、何 故オカシイのですか?持統・元明は事件の当事者である天智の娘で すよ。事実を充分知っていた筈でしょう? (当時の蘇我氏関係者を掲載しておきます) >>6世紀半ば以後に成長したとしか思えない「中臣氏」が『日本書 >>紀』において、崇神朝以来、大伴氏、物部氏と並ぶ有力豪族であ >>ったかのような書き方をしてあることも『記紀』の編纂に関与し >>ていたことの表れではないか、と思うのです。 どうして「6世紀半ば以後に成長したとしか思えない」とお考えな のでしょうか? その理由が全く分かりません。 >>「梅原氏以外に『記紀』の編纂に藤原氏が関与していた説を唱え >>ている方」に関するものないでしょうか? 中臣の一族が「書紀」製作に関与していたのは、明らかですから、 全く藤原氏が関与していないとは思いません。 Awajiが申し上げているのは、不比等が主導して「神話」を造作した ・・・梅原説は馬鹿げていると言っているだけです。 本気でこんな説を唱えている学者は存じません。作家とかトンデモ 系のかたには支持者がおられるかも知れませんが・・・・ 以下、蘇我倉麻呂(蘇我馬子の子、蝦夷の弟))の子孫達です。 蘇我倉麻呂の子 *倉山田石川麻呂(XXX〜649)蘇我日向等の陰謀により誅殺さる。 *日向(身刺) (XXX〜XXX)筑紫大宰帥。 *連子 (XXX〜664)斉明期に左大臣 *赤兄 (XXX〜XXX)有馬事件首謀者、天智期左大臣。配流。 *果安 (XXX〜672)天智期大納言、壬申の乱において自尽。 蘇我倉山田石川麻呂の子 *興志 (XXX〜649)蘇我日向等の陰謀により誅殺さる。 *赤狛 (XXX〜649)蘇我日向等の陰謀により誅殺さる。 *(○○)・・・蘇我日向妻? *(乳媛)・・・孝徳妃 *(遠智媛)・・(XXX〜649)天智妃(持統天皇母)持統→草壁→元正・文武 (大田皇女母)大田→大津 *(姪媛)・・・天智妃(元明天皇母)元明→元正・文武→聖武 蘇我連子の子 *娼子・・・・・藤原不比等妻(武智麻呂・房前・宇合母) *安麻呂・・・・石川氏祖 *宮麻呂・・・・ *難波麻呂・・・ 蘇我赤兄の子 *常陸媛・・・・天智妃 *大莚媛・・・・(XXX〜724)天武妃(穂積親王母)正二位追贈 つまり・・・書紀成立前後の蘇我系(母系)子孫は、カナリの大物で、 とても不比等がその先祖伝承を弄れようとは思えないのです。 持統天皇(645〜702)天武后、686称制・670即位・697譲位 元明天皇(661〜721)草壁妃、706即位・715譲位 穂積親王(XXX〜715)705知太政官事・715一品親王 (彼等の父母は、645年の入鹿誅殺事件を知り尽くしていたでしょう?) 武智麻呂(680〜737)正一位左大臣、南家祖(豊成・仲麻呂父) 房前 (681〜737)従三位参議中務卿、北家祖(真楯父) 宇合 (694〜737)正三位参議式部卿、式家祖(百川父) 石川石足(667〜729)従三位権参議左大弁 石川年足(688〜762)正三位御史大夫文部卿神祇伯 Time : 2000/ 2/23(水) 00:24:45
Name : kituno E-mail : Title : 蘇我氏と藤原氏 Comments: Awajiさん、皆さん、こんばんは。 このところ、BBSをお騒がせしてしまったkitunoです。 >事実だから、事実として「書紀」に記述されていると考えては、何故オカシイの >ですか? オカシイとは思いませんが、不比等によって「鎌足の伝記」「蘇我討伐物語」が組 み込まれたという考え方もできるのではないか、ということです。 この説は、武光誠氏(明治学院大学教授)も提唱しています。 >持統・元明は事件の当事者である天智の娘ですよ。事実を充分知っていた筈で >しょう? だからこそ天武・持統体制を正統化するための歴史書が必要になったのではないでしょうか? 蘇我氏本宗家サイドに立ってみれば、中大兄皇子、中臣鎌足は時の権力者に対して の反逆者、蘇我山田石川麻呂は裏切り者になるわけですから、蘇我本宗家にとって 有利に書かれている「天皇記」「国記」の改竄の必要性はあったと思うのです。 このことに関しては、「水掛け論」になってしまうかもしれませんが。(^_^;) >中臣の一族が「書紀」製作に関与していたのは、明らかですから、全く藤原氏が >関与していないとは思いません。 >Awajiが申し上げているのは、不比等が主導して「神話」を造作した・・・梅原説 >は馬鹿げていると言っているだけです。 確かに「神話の部分を捏造したのではないか」というのは梅原氏の推論にすぎませ ん。 しかし「馬鹿げた」という梅原氏を中傷するような表現はすべきではないと思いま す。 これは、梅原氏に対するAwajiさんの偏見のような気がします。 このような表現をされるので、Awajiさんを「推論を嫌う学者タイプ」と私は感じて しまうのです。 「神話」の造作はさておいても、『日本書紀』に藤原不比等の意図が強くはたらい ているのではないか、という説を唱える学者の方も多いようです。 先述の武光誠氏、吉村武彦氏(明治大学文学部教授)、樋口清之氏(國學院大學名 誉教授)など。 >本気でこんな説を唱えている学者は存じません。作家とかトンデモ系のかたには >支持者がおられるかも知れませんが・・・・ この発言は、梅原氏の「不比等による神話捏造説」を踏まえてのことだとは思うの ですが、「作家やトンデモ系」と言われるのは、ちょっと誤解を招いてしまうので はないでしょうか? 作家の方々は、歴史を我々庶民に身近な物、わかりやすい物にしてくれています。 私が聖徳太子に興味を持ったのも、(Awajiさんには“馬鹿馬鹿しい”と言われてしまうかもしれませんが)山岸涼子氏の劇画、そして黒岩重吾氏の小説「聖徳太子」 でした。 信長に対する興味は津本陽氏、平氏や源氏は吉川英治氏です。 このHPを見ている方の多くは、井沢氏の著書を読み、よりわかりやすく歴史を捉 え、共感された方ではないでしょうか? ちなみに梅原氏は「哲学者」です。 トンデモ話も歴史の楽しみ方のひとつではないでしょうか? それを否定するような発言も偏見のような気がします。 (生意気なことを言ってすみません。^^;) 生意気ついでにAwajiさんの示してくださった蘇我氏の資料を見て感じたことを言わせてください。 母系として関わっている蘇我氏以外、すなわち男性の多くは、何らかの形で抹殺さ れています。そしていつのまにか藤原氏に関わる人物のみになっています。 母系として残った蘇我氏は「藤原氏の子孫」をつくっているわけです。 不比等が、蘇我氏の歴史を藤原氏にとって都合の良い物に改竄するよう『記紀』編纂 プロジェクトチ−ムに圧力をかけたこととしても、反発はできなかったように思 います。 そろそろkitunoの書き込みも、潮時のようです。 Awajiさん、いろいろご意見を聞かせていただき、ありがとうございました。 私も反省すべき点が多く、申し訳なく思っております。 m(_ _)m 最後に、Awajiさんが仏像オタクとなられたきっかけをお聞かせ願えないでしょう か? Time : 2000/ 2/24(木) 23:50:23
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「神々の流竄批判 FIN」?? Comments: kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 長らく、ご苦労様でした。最後にチョットくどいようですが・・・ >>オカシイとは思いませんが、不比等によって「鎌足の伝記」「蘇我討 >>伐物語」が組み込まれたという考え方もできるのではないか、という >>ことです。 >>この説は、武光誠氏(明治学院大学教授)も提唱しています。 余計なことかもしれませんが、誰が提唱しているかよりも、何を何に基 づいてどの様に提唱されているかを、重視されることをお勧めいたしま す。(武光さんが何を提唱しておられるのかは、知りませんが) まず、持統五年に藤原家が提出した記録には、入鹿事件について詳しく 書いてあったでしょうし、史官がそれを他の史料等と照合し、客観的に 正しいとして基礎史料にしたことは十分あり得ることです。 それを組み込まれたと言うならばそのとおりでしょうが、そうだとして 何らかの特別の意味があるとは、言えないでしょう? 問題は、不比等がこの事件を「鎌足の伝記」「蘇我討伐物語」等により、 歪曲して有利に「書紀」に反映させたかどうかです。(・_・;) この事件は、客観的に見て当時の天皇・皇族・貴族にとって「周知」の ものだったと考えられます。舎人親王傘下の編纂者が容易に記述し得る ものですし、安易に歪曲することが出来ようとは思えません。 それをワザワザ不比等製作の「鎌足の伝記」「蘇我討伐物語」に基づき、 記述したと考えるべき必然性が、何処にあるのでしょう? つまり・・・・ >>藤原不比等が作らせた「鎌足の伝記」「蘇我討伐物語」のようなもの >>がそのまま組み込まれているように思えるのです。 ↓ >持統・元明は事件の当事者である天智の娘ですよ。事実を充分知って >いた筈でしょう? ↓ >>だからこそ天武・持統体制を正統化するための歴史書が必要になった >>のではないでしょうか? *持統・元明(当時の皇族・貴族も)は、入鹿事件の真相を知り得る立 場にあった。 *従って、入鹿事件の記述が不比等製作によるものとすべき理由が無い。 *入鹿事件は、事実が事実として「書紀」に記述された可能性が高い。 と申し上げているのです・・「だからこそ・・・正統化する・・必要」 には論理的に繋がらないと思いますが? (・_・;) >>蘇我氏本宗家サイドに立ってみれば、中大兄皇子、中臣鎌足は時の権 >>力者に対しての反逆者、蘇我山田石川麻呂は裏切り者になるわけです >>から、蘇我本宗家にとって有利に書かれている「天皇記」「国記」の >>改竄の必要性はあったと思うのです。 前半は意味が良く分かりません。蘇我氏本宗家滅亡の後、誰が何の為に 本宗家サイドに立ってみるのでしょうか? Kitunoさんは、「天皇記」「国記」には蘇我氏が天皇(大王)となった ・・・と記述されていたとでもお考えなのでしょうか? 仮にそうであれば、中大兄皇子、中臣鎌足の行為を正当化する理屈付け や改竄が必要になると思いますが・・・・?(・_・;) Awajiはそうでは無かったと考えていますので、本宗家はアクマデモ天皇 制を脅かす可能性がある「不当な権力者」だと認識され得たと思います。 従って、その観点に立てば中大兄皇子、中臣鎌足の行為は誰がみても正 当としうるものであり、反逆とか裏切りとか言う概念が生じる筈が無い ものだと思いますが・・・・? また何度も申し上げますが、祖神・建国神話(高天原・天孫降臨・神武 東征)の時代には「蘇我氏」は存在していないのです。存在していない ものを有利にも、不利にも書きようがありません。 (壬申の乱に源平武士団の記述が有り得ないのと、同様にお考え下さい) それより遥か後代になって・・・蘇我本宗家(蝦夷・入鹿に関する)に 特に有利に書かれている「天皇記」「国記」部分が有れば、訂正される かもしれませんが、「天皇記」「国記」では推古時代は記述対象にはな り得ないのです。(理由はお分かりだと思いますが・・・) それ以前(武内〜馬子)の部分は、蘇我本宗家・蘇我倉山田家は未分離 ですから、両家に共通する先祖に関する事項と言う事になります。 従って、持統・元明にとっても直系母系祖に有利な記事の筈ですから、 余程のことが無い限り、容易に改竄?出来るとは考えられません。 (余程のことと言うのは、蘇我氏が正統天皇として記述されていたと言う ようなレベルのことを言います。) 一体「天皇記」「国記」の記述について、どの時期の何を不比等が改竄す る必要があったとお考(想像)えなのでしょうか? (極めて単純な問題なのですが、これが水掛け論になるとは夢にも思いま せんでした。出来れば・・・ご再考をお勧めします。) なお、、垂仁25年紀で、中臣連の遠祖大鹿嶋を物部連・大伴連よりも 上席であるように記述した辺りは、「天皇記」「国記」を藤原氏の意向 を戴して改竄した可能性があるかも知れません・・・単なるご愛嬌のレ ベルだと思いますが。 >>「馬鹿げた」という梅原氏を中傷するような表現はすべきではないと >>思います。 梅原さんは「神々の流竄」第1部で・・・ 「壷や、剣や、玉のみによって、上代史を論ずるわけにはゆかない。何 より、われわれはそこに人間を見なければならぬ。しかも神々を厚く信 じた人間を、そこに見なければならないのである・・・」 と古代人の信仰心を強調されつつ、一方で・・・・持統(元明)がアマ テラスだとか、鎌足(不比等)が高皇霊産だとか、古代人の祖神信仰を 無視した様な推論を、ろくな根拠も無く強弁されています。(上山さん も同様ですが・・・・)(-_-)" しかも・・・ 「戦後の唯物論の歴史家は、あたかも、人間が胃袋と生殖器だけで出来 ていて、それさえ満足させれば、人間は十分なのだという仮説にもとづ いて、研究をはじめたかのようである。おそらくそのような卑俗な人間 観は、彼の精神に対する絶望の産物でなかったら、自己の卑しさの反映 であったであろう。・・・」  と唯物論歴史家に対して「卑しさ」と言う人格攻撃さえ行っておられます。 (Awajiは唯物論歴史家を支持するものでは有りませんが、彼らの真摯な 研究姿勢を、このように決め付けつけられるのは「中傷」以外の何者でも 無いと思います。現時点においても彼らの研究業績を尊重し、部分的に活 用すべき部分は取り入れるべきです。) Awajiは梅原さんが、唯物論歴史家を「卑しい」とされるのならば、梅原 さんの「神話捏造説(人格では有りません)」は「馬鹿げ」ていると表現 せざるを得ません。(-_-)" << 唯物論歴史家達へのAwajiのレクィエムかな? >> (^0^)" >>「作家やトンデモ系」と言われるのは、ちょっと誤解を招いてしまうの >>ではないでしょうか? >>作家の方々は、歴史を我々庶民に身近な物、わかりやすい物にしてく >>れています。 Awajiも歴史小説は大好きで、司馬さんの小説は全巻読んでいますし、吉 川さん、山岡さん、海音寺さん、津本さん、の小説もかなり読んでいます。 (小松さんの歴史SF小説等も大好きです。) たしかに分かりやすく面白いと思いますが、それと歴史科学を混同しては いけないと思うのです。 小説は、あくまで小説家の自由な発想の展開に価値がある文芸作品として 評価すべきものであって、史実の探求とは基本的に求める処が異なってい ます。また、作家の方々が全てトンデモと言っているわけでもありません。 誤解を招きやすい表現であれば、訂正してお詫びいたします。 >>ちなみに梅原氏は「哲学者」です。トンデモ話も歴史の楽しみ方のひと >>つではないでしょうか?それを否定するような発言も偏見のような気が >>します。 そう言った非学問的作品としては、確かに梅原さんの書物は面白いと思い ます。しかし氏は、ご自身の書物を学問的に位置付けておられるのでは無 いでしょうか? そこに問題があると思うのですが?(-_-)" (トンデモを、トンデモとして記述されている作品=歴史SFは、大好き ですし意外な史実解明への手懸りになるかも知れないと思います。まさに 歴史の楽しみ方のひとつでしょうね。(^0^)" ) >>不比等が、蘇我氏の歴史を藤原氏にとって都合の良い物に改竄するよう >>『記紀』編纂プロジェクトチ−ムに圧力をかけたこととしても、反発は >>できなかったように思います。 蘇我氏の凋落は、おっしゃるとおりだと思います。 蘇我系の残存勢力は、倉山田家の悲劇に続く壬申の乱により壊滅的打撃を 受け、反発力は殆ど無かったでしょう。 反発するとしたら、母親の家系に誇りを持つ「持統」「元明」「穂積親王」 位でしょうが・・・これを不比等が無視したと思われますか? あるいは舎人親王は、それを唯々諾々と許したと思われますか? (ただし、一体どの時期の何を改竄するのか・・・良く分かりませんが。) ただ・・・ 崇峻弑殺が本当に蘇我氏の専断であったか? 蘇我蝦夷・入鹿の専横が、誇張されているのでは無いか? 等については、Awajiも疑いの目を持っています。しかしこれに関しては、 不比等の意向と言うより、当時の天皇・皇族・貴族全体の意向が反映され ている可能性があると思います。 >>最後に、Awajiさんが仏像オタクとなられたきっかけをお聞かせ願えな >>いでしょうか? 単なる美術品を越え、信仰に支えられた精神美を感じるからだと申し上げ ておきます。 (もっとも、何にでも好奇心を持つ人間で、日曜日には寒空の下で明日香 の亀ちゃんを見るために行列に加わる積もりです (^0^)" 今回は、お陰で色々と勉強させて頂いて感謝しています。 (疑問形の部分がありますが、回答を求めているわけでは有りません。 また、追加疑問点があれば、何時でもお受けいたします。) では、またいずれ・・・(^_^)/~ Time : 2000/ 2/25(金) 22:11:16
Name : kituno E-mail : Title : Awajiさん、 Comments: kitunoの子供のような数々の疑問に誠実に答えて下さり、ありがとうござい ました。 この1ヶ月半はとても楽しく論争に加わることができました。 藤原氏に関してkitunoは 1.不比等は「書紀」の編纂にどの程度の主導権を発揮したか? 2.不比等の主導権は「書紀」を自家に都合よく記述させることが出来るほ   どの権力があったか? の2点にこだわってみたかっただけなのです。 少し、梅原説から離れて考えてみたいと思いました。 本当はもっともっとお聞きしたいことがあるのですが、もう少し自分なり に調べてからまた機会があったら質問させていただきます。 >(もっとも、何にでも好奇心を持つ人間で、日曜日には寒空の下で明日香の亀 >ちゃんを見るために行列に加わる積もりです (^0^)" 私も全く同類の人間です!できれば私もその行列に加わり、亀ちゃんをなでなで してきたいです。近くの入鹿の首塚にも行って手を合わせてきたいです。 >今回は、お陰で色々と勉強させて頂いて感謝しています。(疑問形の部分がり >ますが、回答を求めているわけでは有りません。 >また、追加疑問点があれば、何時でもお受けいたします。) いろいろ失礼なことを申し上げたこと、お詫びいたします。 心から敬意を表し、感謝申し上げます。 仏像の話もゆっくり聞きたかったです。 では、何れまた。 Time : 2000/ 2/25(金) 22:42:25
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「12893」?? Comments: みなさん、今日は。Awajiです。 関西は寒い日が続いており、今日も一時雪が降りましたが、予定通り 酒船石遺跡の現説に行ってきました。 黒塚古墳の現説は、一時に十数人程度しか見学出来なかったので、早 朝でも二時間待ちでしたが、今回は昨年の苑池遺構よりも、さらに大 規模な遺跡ですので、半時間待ちで見学できました。12,893は整理番 号です。 今回の発掘で一番疑問に思ったのは、何故あんなに深く埋まっていた のか・・・でしたが、二本の尾根に挟まれた谷状の底部に構築された 遺構だった様です。(あれでは、構築間もなく土砂に埋まったのでは 無いかと思いました。) それと所謂「酒船石」と比較して、かなり精巧に製作されていると言 うことです。単なる印象ですが、同時代のものかどうかチョット疑問 すら感じました。今後さらなる周辺調査が期待されます。 (万葉ミュージアム建設を根本的に見直し、その費用を周辺調査と保 存公開に活かすべきです。遺跡破壊につながるミュージアム建設は、 一種の犯罪行為=文化財損壊では無いかと強く感じました。) 第十二次調査まとめ 「今回の調査では酒船石遺跡の北裾で、谷部分という閉鎖された空間 の中に遺構が存在することが明らかになりました。これらの遺構は石 造物を中心として石敷や階段状石垣などによって立体的な空間を作り 出しています。遺構には多くの砂岩切石が使われており、酒船石遺跡 の造営とともに造られたものと考えられます。酒船石遺跡は、「日本 書紀」にみえる「宮の東の山の石垣」、「両槻宮」との関係が指摘さ れてきましたが、今回の遺構はそれをさらに補強するものです。この ような大土木事業が可能であったのは天皇、ないしはそれに準ずる人 であったと思われます。」 (石垣等に使用されている砂岩は、天理=石上方面から運搬されたも のです。) 因みに以下・・・斉明紀です。 斉明二年紀 「田身嶺に、冠らしむるに周れる垣を以ってす。(田身は山の名なり。 此をば大務と曰ふ。)復、嶺の上の両つの槻の樹の辺に、観を起つ。 号けて両槻宮とす。亦は天宮と曰ふ。時に興事を好む。廼ち水工をし て渠穿らしむ。香山の西より、石上山に至る。舟二百隻を以って、石 上山の石を載みて、流の順に控引き、宮の東の山に石を累ねて垣とす。 時の人の謗りて曰はく、『狂心の渠。功夫を損し費すこと、三万余。 垣造る功夫を費し損すこと、七万余。宮材爛れ、山椒埋れたり』とい ふ。又、謗りて曰はく。『石の山丘を作る。作る随に自づからに破れ なむ』といふ。(若しは未だ成らざる時に拠りて、此の謗を作せるか) 又、吉野宮を作る。」 斉明四年紀十一月条 「天皇の治らす政事、三つの失あり。大きに倉庫を起てて、民財を積 み聚むること一つ。長く渠水を穿りて、公粮を損し費すこと二つ。舟 に石を載みて、運び積みて丘にすること三つ。」 Time : 2000/ 2/27(日) 22:04:25
Name : NO,イロハ E-mail : Title : 皆さん、お久しぶりです。 Comments:  皆さんお、ひさしぶりです。NO,イロハです。  Awajiさん、TAKATOKUさん、輔住さんには私の駄文に返事していだ きありがとうございます。色々ゴタゴタがありまして、返答できなくて、 すいません。久しぶりに来てみると「太子怨霊説」は終わってしまい残念 です。まぁ、AwajiさんとKitunoさんの高度な議論に参加するのなかなか たいへんですし(^_^;)。実際自分自身、太子が怨霊かどうかいろんな要因を 考慮しながら考えないといけないと考え直しました。    実は今、「大物主の祟り」について調べています。調べれは、調べるほ ど色々調べなけれはいけないことがふえて、なかなか大変です。  特に「古事記」の崇神天皇のところを読んでみると(Awajiさんと違い 現代語訳ですが(^_^;)やっぱり、「子孫の祭祀」を受けられないからことを 恨み祟ったのではないかと考えたりします。でもそうしたらAwajiさんの 指摘されたように、「子孫皆殺し」にあっていないのでやっぱり、違うの ではないか。いや、もしかしたら「子孫の祭祀」を受けられない状態は、 子孫が生存していても、ありうるのではないかと考えたりしています。 追伸 インターネットで調べてたら、山形県に「大物忌神社」と言うもの があるそうです。なんでも、平安時代に出羽を襲った大地震が、大物主の 祟りとされたらしいです。それで朝廷は、祟りを防ぐために鳥海山に大物 忌神社を建てたそうです。やっぱり、大物主は奥が深いです。 Time : 2000/ 2/29(火) 23:24:15