Name    : ina
E-mail  : 
Title   : ビッガポー
Comments: 

Awajiさんあけましておめでとうございます。
発音いいですね。
テロの噂もあるようですが、Times Squareに行って来たい
のでこれから寝るつもりです。
障子はきれいになりましたでしょうか。

Time    : 2000/ 1/ 1(土) 01:13:42

Name : 勇者ロト E-mail : sakura-komichi@cam.hi-ho.ne.jp Title : 謹賀新年 Comments: みなさん、あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。 Time : 2000/ 1/ 1(土) 01:34:38
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音「謹賀新年」!! Comments: みなさん、明けましておめでとうございます。 inaさん・・・Times Squareですか、ウラヤマシイなあ! どうやらY2Kは、泰山鳴動ネズミも出ない・・・のようで! 出勤チェックも馬鹿馬鹿しい気がしますが・・・しょうがないですね。 今年もよろしくお願いします。 Time : 2000/ 1/ 1(土) 08:07:59
Name : マルゴー E-mail : Title : 謹賀新年・・・『鏡餅』 Comments: 皆さん明けましておめでとうございます。 はじめてカキコします。 お正月の鏡餅って、クニトコタチと言う神様の心臓だという説がありますが ホンとでしょうか? つきたてのホカホカのお餅は心臓っぽいですが・・・ やはり、クニトコタチもアマテラス系の神様たちに抹殺された神様なのか? なんて事、考えながら・・・これから、お雑煮をいただきます!(笑) Time : 2000/ 1/ 1(土) 08:31:12
Name : きんたろう E-mail : Title : おめでとうございます Comments: あけましておめでとうございます。 みなさん、今年もよろしくお願いします。(^^) 私のパソコンの時計は日付が1980年1月4日に遡っていました。 みなさんのパソコンはいかがでしたか?? ところで、「大社」「神宮」「神社」などと呼び方違いますが、(「明神」もありましたね) これらはどのような区別が成されているのでしょうか?? やはり大社が一番なのでしょうね??(^^) 出雲大社の参拝の様子をテレビで見ていたらふと思いました。 Time : 2000/ 1/ 2(日) 01:46:29
Name : ina E-mail : Title : 神宮 Comments: 神宮とだけ言えば伊勢神宮のことだそうですが、大社とどっちが上かとなると、 非常にこのHPらしい話題に突入しそうですね。 Time : 2000/ 1/ 2(日) 04:00:07
Name : まいご E-mail : Title : おめでとうございます Comments: みなさん、おめでとうございます。 大社といえば、出雲大社のことらしいですね。 どっちが上かとなると、伊勢神宮でしょうね? Time : 2000/ 1/ 2(日) 12:19:45
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 賀笑! Comments: 今年もよろしくお願いしま〜す うーん 今年は怨霊となってしまった?TAKATOKUさんの鎮魂のためにも 「怨霊説」の資料集めじゃ(笑) ~~\(__ )( __)/~~ハライタマエキヨメタマエ そういえば TAKATOKUさんのHNははじめっから「徳の字」鎮魂がされてる^^;;; ところで 公式HPの更新は期待できるのでしょうか? Time : 2000/ 1/ 2(日) 19:29:41
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 私を殺さないで。。 Comments: 新年明けましておめでとうございます。 本年もよろしくです!! 昨年末に述べましたが、「世界一の馬鹿」である私の日本語が理解 できる方と今年は議論させてもらいます。ご了承下さい。 Unno wrote: > 今年は怨霊となってしまった?TAKATOKUさんの鎮魂のためにも という訳で私は死んではおりまへん。。でも、生き怨霊を目指そう かな? TAKATOKU説を認めないと祟るでェ〜〜〜!! ってな訳で以下は補足です。 Unno wrote (12/29): > 広域暴力団井沢組では 足抜けご法度です(笑) ここなら死ねば解放されますネ。。 Unno wrote (12/29): > 怨霊会言霊一家井沢組でしょうか^^;;; ウォー!! 死んでも解放されまへんなァ。。 Unno wrote: > 公式HPの更新は期待できるのでしょうか? 私も期待はしています。。 ダイアリーだけでも更新して欲しいのですが。。>管理人さん Time : 2000/ 1/ 2(日) 20:24:40
Name : TAKATOKU E-mail : Title : ソンジョウ(ネンガジョウではありません) Comments: Unno wrote (12/27): > 南北朝正閏論 > 南朝正統説は信仰告白 両朝並立説は学問の良心 北朝正統説は現実政治 > という感じですかね〜 どうも海野さんの調査を読んでいると、1911年時点限定でも、 怨霊鎮魂的な要素が濃い感じですね。本人に怨霊鎮魂という自覚が あったかどうかはともかくとして、「悲惨なものにはカナワナイ」 という感じですね。消極的な怨霊鎮魂行為ですネ。「中日ドラゴン ズの論理」は井沢先生にかなり失礼だったかな。。 Unno wrote (12/27): > 北朝天皇が南朝を正統とする > 明治帝には まったく「エゴ」というものが見られないところが 驚異です ... > 明治帝が歴代表からはずされた諸帝の祭祀を静かに守られる 結局の所、明治天皇は「所詮、朕は傀儡である」とを思われていた ということでしょうか? 倒幕のスローガンである「尊王攘夷」の 「攘夷」はあっさり捨てられました。「攘夷」には、倒幕後の価値 がなかったからです。「尊王」も本質的には、捨てられたも同然な 気がしてきます。ただ「尊王」には、倒幕後も利用価値があったと いうだけで。。 ina wrote (12/30): > ということで、結局のところ私とは同意見にちかくなったと考えています。 アレレ。。 細部に関する考察ではかなりの相違があったのですが、 結論レベルでは同じですか。大同小異ならぬ、結同細異ですかね。 何にせよ、私にとっては心強い発言です。 歯痛なのに、RES下さりありがとうございました。お大事に。。 Time : 2000/ 1/ 2(日) 20:58:49
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「大社」?? Comments: きんたろうさん、inaさん、まいごさん、みなさん。明けましておめで ございます。Awajiです。 ごく平凡(常識的)なことですが・・・以下ご参考までに。 1.大社・・・延喜式神名帳 2,861神社のうち、名神祭を行う名神社が 306社ありました。令制では神階 正三位以上を「大社」 と定めていましたが、名神社は原則として 正三位以上で したので、これを「名神大社」と呼んでいます。 これが制度としての「大社」です。 (ただし、一般的には「出雲大社」を指すことが多く、 いわゆる太閤=秀吉の例のようです。) 2.大社・・・その後、明治太政官布告により、官幣大社・国幣大社等 の神格が定められ、約60社が「大社」と定められました。 これらの神社も「大社」と称している場合があります。 2.明神・・・この延喜式「名神」が神仏混交思想の中で「明神」と呼 ばれるようになったのでは無いか・・とされています。 3.神宮・・・基本的には 神階を持たない皇祖神「伊勢神宮」を言いま す。 いうまでも無く、「大社」とは全く別格の存在です。 ただし、宇佐・熱田等も「神宮」と呼ばれることがあり 、後世では「神宮」の範囲が拡大されています。 4.平安期以降で、どの「名神大社」が実際に「大社」を称していたの かは、良く分かりませんが、所謂「畿内二十二社」は通常「大社」 とされていたのでは無いかと思います。(未確認です) Time : 2000/ 1/ 2(日) 21:29:06
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「名神大社の神階」?? Comments: みなさん、今日は。Awajiの追加です。 因みに出雲大社の神階は、さほど高いものでは無く、概ね出雲熊野神社 よりも、下位にあったようです。 以下主要神社の神階サンプルです。 出雲(杵築)大社・・・仁寿元年(851)従三位 貞観元年(859)従二位 貞観九年(867)正二位 大神神社・・・・・・・貞観元年(859)正一位 熱田神宮・・・・・・・貞観元年(859)正二位 後に 正一位 春日神社・・・・・・・嘉祥三年(850)正一位 鹿嶋神宮・・・・・・・嘉祥三年(850)正一位 石上神社・・・・・・・貞観九年(867)正一位 松尾神社・・・・・・・貞観八年(866)正一位 ただし、これらは平安初期における神格ですから、それより以前の 格を示すとは言い切れませんので、念の為。 Time : 2000/ 1/ 2(日) 23:28:33
Name : きんたろう E-mail : Title : 昨日はアルコールづけ状態でした(^^) Comments: こんばんは、皆さん。 inaさん、まいごさん、Awajiさん、明けましておめでとうございます。 早速のレスを有り難うございました。 Awajiさん、詳しく教えていただいて有り難うございます。 出雲大社の神階は思ったよりも高くないのですね。予想外でした。(^^; 出雲大社には正月三日間で50万人以上の人達が参詣に訪れるそうですが... ところでinaさん、タイムズスクエアでは一体何が行われたのですか?? (テレビでも中継されていましたがよく理解していないのです) Time : 2000/ 1/ 3(月) 00:56:23
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : うわー 怨霊の跳梁じゃ〜(笑) Comments: 助けてぇ〜~~\(__ )( __)/~~祓いたまえ清めたまえぇぇ〜 >どうも海野さんの調査を読んでいると、1911年時点限定でも、 >怨霊鎮魂的な要素が濃い感じですね。 もちろん 射程距離に入れてます(^^) ただ 明治帝と宮内省の役人の心のうちのことなので 色々とやっかいなこともあります また 怨霊云々よりも「南朝正統論」や「天皇親政の建前」の影響が 終戦までの日本にどのように悪影響を与えていったかの考察も面白いと思います 「天皇機関説」とか リアリズムが抹殺されていく過程が面白い Time : 2000/ 1/ 3(月) 11:31:49
Name : ina E-mail : Title : 出雲大社 Comments:  そうですね。私も意外でした。神宮より大社が上!という議論の展開を密かに 期待していたのですが、、。  TAKATOKUさん、怨霊になられたかと思ってました。今年もよろしくお願 いします。  タイムススクエアはカウントダウンとクスダマが新年の行事ですが、引き続き 各国のパーフォーマーが登場していました。新年を迎える時間帯にあわせて、その 国のパーフォーマーが登場していたようです。  ようです、、というのは、結局私はジュリアーニ市長率いるニューヨーク市警 にブロックされ、周辺をうろうろしている間に終わってしまった訳でして、、。  情けない、、午後6時にはブロックされていたそうです。 Time : 2000/ 1/ 3(月) 13:20:10
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「大逆事件」?? Comments: 海野さん、みなさん、今日は。Awajiです。 1911年の「南北正閏問題」に関してですが、当時藤沢代議士の質問要旨 には・・・ 「文部省の編纂にかかる尋常小学校用日本歴史は、国民をして順逆・正 邪を誤らしめ、皇室の尊厳を傷つけ奉り、教育の根底を破壊する憂いな きか」 とあったそうです。つまりは「南北並立論」は「皇室の尊厳を傷つける」 ものであると非難しています。(多くのマスコミ等の非難も同様ですね) 彼等は、現皇室が北朝の系統であることは、全く問題にしていないよう で、「君主制=一天無二君」の原理に反するものであることのみを、問 題にし非難しているようです。 一方、この問題が提起されたのは、「大逆事件」との関係も、あるよう です。ご承知のとおり「大逆事件」の検挙が開始されたのが1910.5であ り、1911.1に幸徳秋水等12名が処刑されています。 この審理法廷において、幸徳は「現在の天皇は、南朝から皇位を奪った 北朝の子孫ではないか」と指摘し、裁判長を沈黙させたとも伝えられて います。一方ではロシアにおいて次第に革命の緊張が高まっています。 この様な「空気」のなかで、敢えて「南朝正統論」を奏上した桂(山県) と、それを裁可した明治天皇の心情を思うべきでしょう。 (Awajiは奏上に先んじて、天皇の内意を確認してと想像しています) つまりは、血統よりも皇統=天皇制の絶対的尊厳を優先させた・・・ 「大義滅親=エゴを捨てる」だと思います。これは矢張り南北合体によ る正統天皇の皇統継承者であるとの意識が確立していたからでは、無い でしょうか? なおこの思想は、ある意味では「社稷」思想であり、法理論としては、 「天皇機関説」に通じる筈なのですが・・・・社会主義革命への恐怖が 昭和にいたっての天皇絶対主義を増幅させたのかも知れません。 inaさん、きんたろうさん、「大社」について先走りしてしまったようで すみません。 Awajiが申し上げたのは単なる常識論ですから、ユニークな「大社」優位 論がありましたら、どうぞご紹介願います。 Time : 2000/ 1/ 3(月) 20:40:07
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 林檎の皮 Comments: みなさん、こんにちは。もはや、私は「南朝正統論」ではROM化 (怨霊化??)しております。Awaji氏、海野さん、輔住さん の議論の行方に注目しております。ところで、昨年12月28日の 議論で、問題点の一つが解決しましたので、今回はその報告だけさ せて下さい。 Awaji氏と海野さんの慎重な議論からして、もはや「主要因」 云々はズイブンと先の話になりそうですが。。 Awaji氏説: 「朱子学をリゴリスティックに適用したためで、それ以外の無視で きない副要因は見当たらない」 の前半部分に対する私の疑問点が氷解しました。Awaji氏の中 期的なスパンで見た主要因は「イモヅル理論」でしたので、これは 1911年時点限定の主要因という感じです。 私の疑問点はAwaji氏の根拠と結論のギャップにありました。 Awaji氏の根拠をどう読んでも「追求されて、仕方なく承諾し た」としか読めず、これはリゴリスティックの逆ではないか、とい う疑問を持っていたのです。 「リゴリスティック」すなわち「厳格主義(的)」という言葉には、 「かなり積極的な」意味が含まれているように、私は感じます。 Awaji氏によれば、この言葉には「積極的な」意味は含まれな いとのことです。 #ここでも、また言葉のミスマッチが発生しました。 積極的でない言葉を主要因に選ぶのはおかしい気もしますが、この 点についての解答はありませんでした。私としては、「追求されて、 仕方なく承諾した」という表現の方がかなり自然、そして「追求さ れた位で正統を変更しなければならない社会情勢とはいかなるもの か」そちらの理由の方が主要因としてフサワシイと考えています。 しかしながら、この辺の相違は歴史観の相違によるものと考えられ ますので、これ以上の議論は不要かと思います。 新Awaji氏説: 「朱子学をリゴリスティックに適用したためで、それ以外の無視で きない副要因は見当たらない。ただし、リゴリスティックという言 葉には積極的な意味はない」 私としてはやや物足りない感がありますが、特に不満はありません。 「主要因」を「林檎を食べること」にタトエると、「皮だけ食べた」 ような印象です。「林檎」には違いないけれど。。 そして、この ような史料に基づく真実の積み重ねの限界を述べたものが、 井沢先生の「中日ドラゴンズの論理」だと思います。Awaji氏 の「中日ドラゴンズの論理」(11/13) とも異なるのですが、まぁ、 いいでしょう。作家である井沢先生の文章に対する解釈ですら、こ んなに異なるのだから、言葉が合わない訳ですね。議論や討論なん て成立しようがないですネ。 さて、残った課題は、 「南朝正統論における、顕幽分離思想(定義未確定)の影響はどの 程度か? 無視できるか、できないか? 主要因と呼べるかどうか?」 です。そして、これが元々の本題ですが、議論の行方に注目してい ます。 Time : 2000/ 1/ 4(火) 17:57:43
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : げ 藤沢元「造」代議士だった^^; Comments: Awajiさん TAKATOKUさん こんばんわ Awajiさん曰く >つまりは「南北並立論」は「皇室の尊厳を傷つける」 >ものであると非難しています。(多くのマスコミ等の非難も同様ですね) >彼等は、現皇室が北朝の系統であることは、全く問題にしていないよう >で、「君主制=一天無二君」の原理に反するものであることのみを、問 >題にし非難しているようです。 藤沢代議士については 行動もさることながら主張も謎が多いです 当初の質問内容は 4ヶ条で 1.神器は皇位と没交渉なるか 2.楠(ママ)新田の諸氏は忠臣にあらざるか 3.足利尊氏は反逆の徒にあらざるか そして 4. >「文部省の編纂にかかる尋常小学校用日本歴史は、国民をして順逆・正 >邪を誤らしめ、皇室の尊厳を傷つけ奉り、教育の根底を破壊する憂いな >きか」 でしたが 衆議院に質問書を提出するときには 最後の一項のみとなりました (大阪毎日新聞M44・2・17より) 前3項の削除理由ですが 具体的な「南朝正統説」から Awajiさんの言われる「君主制=一天無二君」原理からの批判への軌道修正 と解釈できます 論理的に言えば 「北朝正統説」からも「並立説」に対して 「君主制=一天無二君」原理から批判が出来ますよね〜 >一方、この問題が提起されたのは、「大逆事件」との関係も、あるよう >です。 そうですね 年表に入れておきました http://unno.m78.com/historico/nambokucyou/nambokuyear.htm 面白いのは 大逆事件の判決の翌日に読売社説が出て一気に問題化したことです >この審理法廷において、幸徳は「現在の天皇は、南朝から皇位を奪った >北朝の子孫ではないか」と指摘し、裁判長を沈黙させたとも伝えられて >います。 げげ これは本当でしょうか?^^;;; 面白すぎる〜 この考え方こそ 小松原文相や桂首相が「南朝正統説」に対して ビビった理由でしょう 「純粋南朝正統説?」としては 論理的帰結としてこうなってしまうでしょう (なんで 熊沢天皇はこの時期に登場しなかったのでしょうかね〜^^;) そのような体制側の危機感に鈍感なのが藤沢代議士周辺と煽った新聞です 幸徳氏は本当にそんなこと言ったのでしょうか?^^; >一方ではロシアにおいて次第に革命の緊張が高まっています。 > >この様な「空気」のなかで、敢えて「南朝正統論」を奏上した桂(山県) >と、それを裁可した明治天皇の心情を思うべきでしょう。 >(Awajiは奏上に先んじて、天皇の内意を確認してと想像しています) うーむ つまり「南朝正統論」が先鋭化して 「北朝偽者」→「共和制(社会主義革命)」になることを恐れて 「南朝正統説」を丸呑みして体制に取りこんだと 解釈できますね >つまりは、血統よりも皇統=天皇制の絶対的尊厳を優先させた・・・ >「大義滅親=エゴを捨てる」だと思います。これは矢張り南北合体によ >る正統天皇の皇統継承者であるとの意識が確立していたからでは、無い >でしょうか? さて ここからが明治帝の内心の解釈で 私は「大義滅親」「怨霊鎮魂」「大義滅親+怨霊鎮魂」色々推理できると思います #もちろん 明治帝のみぞ知る真実でしょう とりあえず 「怨霊」TAKATOKUさんの鎮魂のために推理しますと(笑) 「怨霊鎮魂」の要素としては 1.「怨霊の跳梁」と解釈される事件の存在 2.「怨霊=政治的敗者」に対して 故人のプライド・希望・願望をかなえるような 虚構的な行為の存在 の二つに分析できると思います 「南北朝正閏問題」では 1.については 藤沢代議士周辺や教育家・儒学者らによる「南朝正統論」の主張 大逆事件など社会主義・共和主義者の台頭 これらを「後醍醐帝その他の怨霊の跳梁」と感じたか否かですが どうでしょうか? 私はその可能性があると思います だれか 日記を残してないのでしょうか? 2.については 教科書の記述を「南朝正統説」に書き換え(教科書の?)歴代表で南朝天皇を 正統として歴代を数えるようにする 追号や陵墓についての措置もこのころでしょうか? これは 敗者を勝者として遇する虚構的行為と解釈できます そして このような虚構的行為は世界史に類例は見当たらず 日本史・日本人に特徴的な行為と解釈できるでしょう 以上 大雑把ですが「南朝正統の決定」を「怨霊鎮魂」と解釈することは 可能と考えます                    あらあらかしこ Time : 2000/ 1/ 4(火) 20:17:32
Name : 輔住 E-mail : Title : 新年あけましてで正統論? Comments: みなさん、あけましておめでとうございます。 今年もここで楽しくやりたいとおもっています。 Awajiさん、返信ありがとうございます。 前回も申上げた通り 私は下記の言葉に反論しただけです。 >一方で「後醍醐」の正統性を否認する理論を構成するのも困難でしょう。 北朝を正統とする理論が「ない!」といっているように思えたからです。 >ただこの場合の問題は江戸期から明治期(特に明治初期)において、 >どちらが説得力のある「理論」を構成できたか・・では無いでしょ >うか? >極めて大雑把に言えば、こんなところだと思うのですが・・・Awajiの印 >象では、6:4??で南朝の言い分の方が筋がとおっていると思います。 >南朝正統論者も、概ねその様に感じたのでは無いでしょうか? >つまり、当時の論者にとって「正統(閏)論」の観点から「北朝正統」 >を理論付けることは、困難だったと思うのですが? 私は明治政府が南朝を正統としたのは幕末からの流れで当然だと思います。 その点はAwajiさんの言う通りです。 Awajiさんの言い分が間違っているわけでもないのです。 ただ当時、南朝が正統とされたからといって 北朝正統論は「困難」としてしまうのは別でしょう? (南朝正統論は筋が通っている、北朝正統論も筋が通っている 明治政府は南朝正統論をとった。それだけのこと) 別の見方をすれば北朝正統論もあるでしょうといいたかったのです。 私の個人的な意見では「Re:救世観音と「正統性とは」??」 Time : 1999/12/24(金) 11:55:11 で申上げた通り6:4で北朝。 でも時代によりどちらが正統として考えられても 不思議はありません。室町や江戸前期までは 北朝正統論が主流でしたし。 Time : 2000/ 1/ 5(水) 17:52:56
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「正閏論いろいろ」 Comments: 輔住さん、海野 荘一郎さん、みなさん、今日は。Awajiです。 輔住さん・・・ 「正閏論」の観点からは、勝った負けたが論点にならないことは、お認 め頂けたと思います。要するに「大義名分」がどちらに在ったかが論点 になりますね。 Awajiは「正閏」を論ずる場合に・・・・崇光が後継者を定めず退位(廃 位)し、約10ヶ月の空位が在り、やむなく出家が定まっていた皇子を、 祖母女院の聖旨で践祚した王統・・・「北朝」を、義において勝ると判 定するのはシンドイだろうと思いますが、その上でなお「北朝正統」優 位とおっしゃるならば、これ以上申し上げることはありません。 いろいろと有り難うございました。 海野さん・・・ まず、ご質問についてですが・・・ >>幸徳氏は本当にそんなこと言ったのでしょうか?^^; Awajiも原資料は知りません。法制史家 滝川政次郎が、担当検事 小松松 吉の回想として記述しているそうです。 (と言うことは公式裁判記録からは削除されていたのかも?) ー「日本の歴史」9南北朝の動乱ー中央公論社 次に率直な感想ですが・・・ >>とりあえず 「怨霊」TAKATOKUさんの鎮魂のために推理しますと(笑) まことにご苦労様です。\(^o^)/ご健闘を祈ります。 >>この考え方こそ 小松原文相や桂首相が「南朝正統説」に対してビビ >>った理由でしょう「純粋南朝正統説?」としては 論理的帰結としてこ >>うなってしまうでしょう >>(なんで 熊沢天皇はこの時期に登場しなかったのでしょうかね〜^^;) ナンタルコトヲ サンタルチア・・・(^0^)" 恐れ多くも明治大帝におかれては、天壌無窮の御神勅により、皇統連綿 二千五百五十年になんなんとする本邦唯一至尊の正統天皇にあらせられ る!この神聖なる地位をうかがうが如き大逆不逞の不忠者は罪万死に値 すべし!(言い回しが古いなあ、歳が分かっちゃう?) ・・・なあんて(>_<;) 即坐に デス バイ ハンギング でガショウネ。 要するに此処がカンジンのところで、南北合体により後小松以降の天皇 は、誰はばかる事の無い正統天皇だと言う認識が基本にあるのでしょう。 それを血統論で衝かれたので、裁判官先生ついオタオタしちゃった? 幸い?・・・現皇室の直系祖は、何れも南朝によって廃位された「光厳」 &「祟光」後は二代おいて合体後の「後花園」・・・で「光明」「後光 厳」「後円融」「後小松」は傍系祖だからワシャ知らん・・・と言うの は無責任かな?? >>「南朝正統論」の主張大逆事件など社会主義・共和主義者の台頭これ >>らを「後醍醐帝その他の怨霊の跳梁」と感じたか否かですがどうでし >>ょうか?  「南朝正統論=尊王斥覇」は、討幕から、明治(天皇)政府成立の基本 思想です。御一新以降も真っ先に天皇家に対する大忠臣として楠一族・ 北畠親房への追贈位が行われていますね。 やはり南朝優位の両統並立論と見ざるを得ません。(国民の目から見れ ば、南朝正統論と見えたでしょう) その後日清・日露の国難における大勝利を経て、明治44年になってです よ・・・今更「南朝の怨霊チャンの跳梁」を意識しますかね? 社会主義・共和主義者の出現を「怨霊の跳梁」と結び付けるのも苦し過 ぎるヨウデ! ところで、怨霊たるもの優れて個人的な存在と承知しておりますが、 後醍醐・後村上・長慶・後亀山のうち何方が最有力者なんでしょうか? 或いは連帯怨霊でしょうか? この場合可哀想な「自天王チャン」には怨霊資格は無いのでしょうか? >>私はその可能性があると思います。だれか日記を残してないのでしょ >>うか? その様な話は聞いたこともありません。発見されれば面白いのですが! 現段階では、無いと言う前提に立たざるを得ませんね・・・ >>これは 敗者を勝者として遇する虚構的行為と解釈できます。このよ >>うな虚構的行為は世界史に類例は見当たらず日本史・日本人に特徴的 >>な行為と解釈できるでしょう ・・・でしょうか? 「正統(閏)論」は、勝敗とは次元が異なる問題 だと思いますので、虚構的行為とはチョット違うのでは? 例えば中国の正閏論と言えば「蜀漢と魏」でしょうが、これは誰が見て も魏の勝利です。故に魏が正統王朝である?・・これでは正閏論の出る 幕はありませんね。 蜀漢正統論者といえど、別に蜀漢が勝ったと言っているわけではありま せんね。正統論と虚構的行為とは関係ないのでは? また日本的特徴行為とのことですが、世界史的には、これに類する例が あるのでしょうか?(Awajiが無知なだけかも?) どこかに親族関係にある両王統が並立し、最終的に合体した例があれば 参考になるのでしょうが・・・・ (バラ戦争の場合は、ランカスター家→ヨーク家と来て、結局のところ ランカスター系チューダー家がヨーク家と物理的にも合体してチューダー 王朝となったので、王統並立は在りませんでしたね。従ってチョット事 例が違うと思います。・・・うろ覚えで自信はありませんが) 余談ですが・・・ >>「南朝正統論における、顕幽分離思想(定義未確定)の影響はどの程 >>度か? 無視できるか、できないか? 主要因と呼べるかどうか?」 >>です。そして、これが元々の本題ですが、議論の行方に注目していま >>す。 残念ながらAwajiの論理回路は、「定義未確定の思想」の影響を議論( 考察)するようなレベルには達しておりませんので、単に「怨霊鎮魂= 南朝天皇の怨念による祟りを防止するためになされた諸々の鎮魂行為」 に関してのみ実証的(勿論状況証拠を含む)に考察させていただきます。 Time : 2000/ 1/ 5(水) 22:27:57
Name : 輔住 E-mail : Title : Awajiさんへのお礼 Comments: Awajiさん、そしてみなさん私の正統論につきあって くださってありがとうございます。 私は議論の最初の方で「勝ったのは北朝だ」と申し上げました。 それを基本線にAwajiさんと議論する気はありませんでした。 (その点はこちらの言い方が悪かったかなと思っています) ではなぜそれを最初に言った方というと確かにAwajiさんの おっしゃた通りそれは「正統論」にはなりませんが 「一種の考え方」としては成立します。 つまり、色々な見方があるという一例としてはいいと思ったので。 ではとりあえず区切りということで! Time : 2000/ 1/ 6(木) 12:16:53
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 定義未確定だからって。。 Comments: 海野さん、inaさん、輔住さん、みなさん、こんにちは。 ◇inaさんへ◇ ina wrote (1/3): > TAKATOKUさん、怨霊になられたかと思ってました。 > 今年もよろしくお願いします。 Unno wrote (1/4): > とりあえず 「怨霊」TAKATOKUさんの鎮魂のために推理しますと(笑) こちらこそ、よろしくお願いします。とりあえず、生き怨霊を目指 すつもりでした。。しかしながら、海野さんに鎮魂されて、パワー ダウンといったところです。 ◇輔住さんへ(2度目まして!)◇ もう区切りとのことですが。。 主張の確認をしたいのですが、「北朝に分がある」というよりも 「正閏論は決定的な要因でない」というのが輔住さんの主張ですか? それならば、輔住さんの意見に同意します。となると、Awaji 氏の意見とは完全に異なりますネ。 北朝に4分(Awaji説)も義があって、北朝正統にならないと いうことは、明治政府は「義」等考えていない、もしくは「北朝正 統にする気がない」としか、私には見えないのですが、どうでしょ う? 当時の政府権力をもってすれば、1分の理さえがあれば、理 由等なんとでもつけられるような気がします。後醍醐に対して悪い 印象を与えるのは朝飯前です。となると、 ・何故、明治政府は「義」を考えなかったか? もしくは、何故、  北朝正統にする気がなかったか? ・江戸時代に、何故南朝を正統とした朱子学が流行したか? 上記が最終的な論点になりそうな気がします。恐らく、海野さんと Awaji氏の議論のポイントもその辺にあるような気がします。 そのときはまた、輔住さんの意見も是非聞かせて下さい。 ◇海野さんへ◇ Unno wrote: > 教科書の記述を「南朝正統説」に書き換え(教科書の?)歴代表 > で南朝天皇を正統として歴代を数えるようにする この辺の微妙な言い回しもオモシロイですね。「現在の日本の首都 が東京なのか、京都なのか分からない」のと似たような感じですね。 「実は北朝正統でした」、なんてオチだったら笑えます。 ところで、明治維新は奇跡的だと明治天皇は考えたのでしょうか? 強大な幕府軍にアッサリと勝利したことに対して、どう考えたので しょうか? 「後醍醐の怨霊パワーのおかげ」と考えるのは難しい でしょうかね? 日露戦争についても同様ですが。。 今後の議論の展開も!楽しみにしております。どことは言いません が、ブラックなジョークも気に入っています。 ◇余談です◇ 今まで、「実のある議論」がしたくて、Awaji氏の侮辱発言に ヒタスラ耐えてきました。しかしながら、侮辱発言には侮辱発言で 応酬しないと、その侮辱発言を認めたことになるようですネ。逆に、 応酬すれば「場外乱闘」になって「実のある議論」ができないし。。 難しい所です。 #色々と勉強になりました。 海野さんの登場のおかげで、私が侮辱発言に侮辱発言で応酬しても、 実のある議論が続行しそうです。2重にも3重にも感謝してまっセ!! Awaji wrote: > 残念ながらAwajiの論理回路は、「定義未確定の思想」の影響を議論 > (考察)するようなレベルには達しておりませんので、 「定義未確定」はAwaji氏の意見を尊重して付けたジョークで すが、理解してもらえなかったようですナ。行間に我々の議論の精 度を表現したつもりです。まぁ、ノーマルな人間ならば、こんな冗 談は軽く受け流すでしょウニ。 #冗談の説明程ムナシイものはありまへんで。。 我々が少々定義未確定だから議論できないといった、精度の高い議 論はしていません。第一、「中日ドラゴンズの論理」ですら、全く 解釈が違うのです。できる訳がないでしょウニ。 Time : 2000/ 1/ 6(木) 19:48:52
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 近代合理主義と儒教と怨霊信仰と Comments: >Awajiも原資料は知りません。法制史家 滝川政次郎が、担当検事 小松松 >吉の回想として記述しているそうです。 >(と言うことは公式裁判記録からは削除されていたのかも?) >ー「日本の歴史」9南北朝の動乱ー中央公論社 ありがとうございます これは事実だとしたら幸徳怨霊憑依説(笑) の有力証拠になると思います(^^) 怨霊云々は別にしても 大逆事件の連累者が 久米邦武の「大日本古代史」を読んで「日本紀年の信ずべからざるを知り 不信の念を起こした」という発言が巷に広まったことが 南朝正統論者を刺激し 教科書のせいにしたという過程も面白いです >>とりあえず 「怨霊」TAKATOKUさんの鎮魂のために推理しますと(笑) > >まことにご苦労様です。\(^o^)/ご健闘を祈ります。 もとはといえば Awajiさんが怨霊を製造しなければ・・・(苦笑) >即坐に デス バイ ハンギング でガショウネ。 どうなんでしょう 純粋南朝正統論者としては熊沢天皇を担ぐとか^^; 十津川郷士の末裔とかいうひとが 南朝の末裔がいたら?という質問に 「今上さんとこに斬り込んで腹切らにゃ」とレスしたのには 驚きました^^;(オウムが南朝の後裔を探していたという話題で) >要するに此処がカンジンのところで、南北合体により後小松以降の天皇 >は、誰はばかる事の無い正統天皇だと言う認識が基本にあるのでしょう。 >それを血統論で衝かれたので、裁判官先生ついオタオタしちゃった? 単純な血統論を持ち出されるとやはり困るでしょう 純粋南朝正統論(仮名)=単純な血統論=明治天皇は偽者(伝幸徳) 通説南朝正統論(仮名)=南北朝合体論=明治天皇は正統 単純な頭脳の持ち主は やはり前者になると思います^^; >「南朝正統論=尊王斥覇」は、討幕から、明治(天皇)政府成立の基本 >思想です。御一新以降も真っ先に天皇家に対する大忠臣として楠一族・ >北畠親房への追贈位が行われていますね。 そもそも儒教は「怪力乱神を語らず」で 天皇家のシャーマニズムとは矛盾するんですよね 孝明帝が崩御されたのが1866年12月25日で 明治帝はすぐに践祚したでしょうが 即位は1868年8月27日で それまでなにをしていたかというと 讃岐の崇徳上皇に勅使を派遣し 御神霊の京都遷座を待って 即日即位式を行っている (井沢先生と小室直樹先生の話しですが 資料はあるでしょう) 「君を臣となし 臣を君となす」の遺言を残した 日本史上最大の怨霊(と考えられている)崇徳上皇ですから 怨霊鎮魂の儀式と言えるでしょう つまり 怨霊鎮魂を主とする天皇家の宗教・信仰も明治まで 生き延びている証拠と思われます >やはり南朝優位の両統並立論と見ざるを得ません。(国民の目から見れ >ば、南朝正統論と見えたでしょう) うーん ここは平行線ですね^^; >その後日清・日露の国難における大勝利を経て、明治44年になってです >よ・・・今更「南朝の怨霊チャンの跳梁」を意識しますかね? >社会主義・共和主義者の出現を「怨霊の跳梁」と結び付けるのも苦し過 >ぎるヨウデ! そう ここが肝心で「怨霊の跳梁」など近代合理主義の立場や 儒教の「怪力乱神を語らず」の立場からみたら「バカ」でしょう しかし 明治帝・皇室関係者・宮内省役人からしたらどうでしょうか 彼らの宗教信仰を近代合理主義の立場から裁くのではなく ありのままに観察するならば 崇徳上皇の慰霊する人たちですから 「怨霊の跳梁」と解釈した可能性は 多いにあると思います >ところで、怨霊たるもの優れて個人的な存在と承知しておりますが、 >後醍醐・後村上・長慶・後亀山のうち何方が最有力者なんでしょうか? >或いは連帯怨霊でしょうか? >この場合可哀想な「自天王チャン」には怨霊資格は無いのでしょうか? やっぱり後醍醐帝が大将でしょうか(笑) 「太平記巻27雲景未来紀の事」が怨霊信仰のある人たちの 内心をよく現していると思います 「異様な山伏が僧雲景を愛宕山の秘密の場所に案内しました・・・ そこへ金の鵄飛んできて中央上座に着座しました・・・ 中央上座の金の鵄が崇徳上皇 右側の大男は源為朝 左側の人々は後鳥羽上皇 後醍醐天皇をはじめ無念の死を遂げられた 帝王たちです 皆様お集まりになって 世の中に大きな禍をもたらすべく ご相談になっていらっしゃいます」 バリバリ連帯怨霊というか 怨霊にも上下の秩序があるようです^^; 自天王・南天王は前述の十津川郷でお墓が宮内庁の管理だったと思います 怨霊資格十分でしょう さらに 前述の瀧川政次郎氏には 「後南朝の自天王」(人物往来社「歴代天皇百二十四代」所収) というのがあるので 幸徳発言は嘘かもしれませんね〜 以下 次号につづく(笑) Time : 2000/ 1/ 6(木) 20:18:48
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : ( ゚o゚)ハッ TAKATOKUさん再怨霊化か?(笑) Comments: >「実は北朝正統でした」、なんてオチだったら笑えます。 変えたのは「教科書」の「歴代表」で 宮内庁に大切にしまわれている「皇統譜」はもとのままとか^^;疑ってます(笑) 京都の人って こういうイジワルをしそうでしょ?(笑) >ところで、明治維新は奇跡的だと明治天皇は考えたのでしょうか? 建武の「失政」を除けば 保元の乱以来武家に奪われていた政権の 奪還ですからね〜 >強大な幕府軍にアッサリと勝利したことに対して、どう考えたので >しょうか? 「後醍醐の怨霊パワーのおかげ」と考えるのは難しい >でしょうかね?  怨霊が恵みをもたらすのは菅原道真以来の信仰ですからね〜 南朝の忠臣にだけ感謝したのではないでしょうか? だから 南朝の帝王たちに祟られて・・・(笑) >日露戦争についても同様ですが。。 これは 怨霊云々は別にして 「奇跡」と考えられてようです 黄海・遼陽・沙河・黒溝台・奉天 軍人から見ても 「負けるはずが勝った」と思われようです これが のちに「神風」につながり 軍人の根拠のない冒険主義につながった と思います 近代合理主義からいえば「バカ」と思われるような思考がここにもあります Time : 2000/ 1/ 6(木) 20:35:00
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : あいさつが 抜けてました^^; Comments: Awajiさん TAKATOKUさん みなさん こんばんわ ところで  (■■■■■さんのために) この掲示板で「怨霊」となった人は何人いるのでしょうか?^^;;; Time : 2000/ 1/ 6(木) 20:38:57
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : ゴミ Comments: 「幸徳」ですもの 「徳」の字がまずかったのでしょうか?^^;;; Time : 2000/ 1/ 6(木) 22:15:06
Name : ina E-mail : Title : 箸墓 Comments:  週刊読売の広告ご覧になりましたか?  >女王卑弥呼の墓は奈良「箸墓古墳」だった。  >ハイテク測定法で「邪馬台国論争」に決着  >権威が断定  とありますが、どうなんでしょうか。 私は信じたくありませんが。 Time : 2000/ 1/ 7(金) 07:58:58
Name : 輔住 E-mail : Title : 明治政府と南北朝 Comments: TAKATOKUさん、みなさん、こんにちは。 >「正閏論は決定的な要因でない」というのが輔住さんの主張ですか? うまくいえないかもしれませんが「大義名分」のみで考えれば 南朝有利という結論が妥当でしょう。(後光厳の即位方法などを重視すれば) それが間違いとはいえません。 また「大義名分」も判断材料の一つだとは思います。でも「南北朝正統論」は それだけの問題ではないと思っています。 例えば当時の人たちはどのように考えたか等も材料の一つでしょう。 それらの材料から私が判断すると北朝有利となるのです。 ただそれと明治の状況からどういう判断が妥当かは 全く別の話です。 >1分の理さえがあれば、理由等なんとでもつけられるような気がします。後醍醐に対して悪い >印象を与えるのは朝飯前です。となると、 >・何故、明治政府は「義」を考えなかったか? もしくは、何故、 > 北朝正統にする気がなかったか? >・江戸時代に、何故南朝を正統とした朱子学が流行したか? まず徳川幕府が朱子学が広めた。それが幕末頃になると 「日本の主は徳川でなく天皇だ」と暴走(徳川から見て)してしまいますが そして彼らは南朝正統論者でした。こうした勢力が明治政府に多くいた。 (ただ後小松以後の現在の天皇家は認めていた。そうでなければ別でしょうが) ここで明治天皇が「北朝正統論」を強引に押しつけようとして 内乱になったら、さらにそれに諸外国が絡んできたら日本はめちゃくちゃです。 つまり当時の状況から考えて北朝正統をいってもメリットはなく 逆にデメリットがはるかに大きいと思います。 Time : 2000/ 1/ 7(金) 12:13:39
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : つづき Comments: Awajiさん みなさん こんばんわ おまたせしました >その様な話は聞いたこともありません。発見されれば面白いのですが! >現段階では、無いと言う前提に立たざるを得ませんね・・・ そうですね〜 井沢先生に探してもらいましょう! とりあえず 「怨霊言霊史観」からは資料の存在が推定されるということで(笑) >>これは 敗者を勝者として遇する虚構的行為と解釈できます。このよ >>うな虚構的行為は世界史に類例は見当たらず日本史・日本人に特徴的 >>な行為と解釈できるでしょう > >・・・でしょうか? 「正統(閏)論」は、勝敗とは次元が異なる問題 >だと思いますので、虚構的行為とはチョット違うのでは? そう 「正統(閏)論」のような学者の「結論」と 「結論にいたる論理的筋道」と対立説との「論争」と 歴史的事実としての「勝敗」とは この場合関係ないでしょう 事実として 北朝の政治的・軍事的勝利があり (南北朝合体はなく 謀略による勝利という立場です) 北朝の血統で皇位を独占する事実 「本朝皇胤紹運録」という勝利宣言 並立期間の北朝天皇を当然のように代数に数えること このような 「現実」を前提に考えると  明治44年の決定は 並立期間の北朝天皇を南朝天皇の下位におくという意味で 勝者と敗者に位置が転倒したと考えます (北朝正統説から南朝正統説への変化と考える立場から) さらにいえば 北朝正統「論」や「説」ではなく 北朝正統の「現実」から南朝正統「説」「論」への変化と 考えます その意味でも 「現実」から机上の「論理」への質的転換 すなわち「虚構的行為」と言えるのではないでしょうか? >例えば中国の正閏論と言えば「蜀漢と魏」でしょうが、これは誰が見て >も魏の勝利です。故に魏が正統王朝である?・・これでは正閏論の出る >幕はありませんね。 >蜀漢正統論者といえど、別に蜀漢が勝ったと言っているわけではありま >せんね。正統論と虚構的行為とは関係ないのでは? なるほど ひとつヒラメキました つまり 政治的軍事的には「曹魏」が勝利したけれども 道徳的には「蜀漢」が勝利したと主張したいのでしょうか? 朱熹でしたっけ? >また日本的特徴行為とのことですが、世界史的には、これに類する例が >あるのでしょうか?(Awajiが無知なだけかも?) >どこかに親族関係にある両王統が並立し、最終的に合体した例があれば >参考になるのでしょうが・・・・ >(バラ戦争の場合は、ランカスター家→ヨーク家と来て、結局のところ >ランカスター系チューダー家がヨーク家と物理的にも合体してチューダー >王朝となったので、王統並立は在りませんでしたね。従ってチョット事 >例が違うと思います。・・・うろ覚えで自信はありませんが) イングランドの王たちは 戦に負けると 山にこもらずに  スコットランドやフランスやオランダに逃げちゃうんでね〜(笑) イングランドに勝ち残っているほうが王位にあると されているみたいです(歴史家の判断でしょう) ランカスターのヘンリ6世とヨークのエドワード4世はキングとして 戦ってます まあ並立でしょう ヨーク派の勝利とともに議会はヘンリ6世の「王位継承権」を否定し 王の人事封土などの命令をさかのぼって無効とし ランカスター家の支配の全時代を「簒奪の時代」と決議します 新王朝の元で物理的に合体したので 参考にならなくなりますが^^; >どこかに親族関係にある両王統が並立し、最終的に合体した例 そこまで 限定しては考えていません もっと抽象的に 世界史に無尽蔵にある勝者と敗者の例すべてについて考えます (また 「合体」ですが歴史的事実としてなく 「詐欺」=謀略の勝利だったという立場です) 勝者の子孫が 敗者を「道徳的」勝利者として 自分の先祖よりも上位に置くことです 各国の王朝というのは 日本の天皇家のように 「万世一系」を建前としていないので「歴代数」とか気にしないですし カトリックの「教会大分裂」やイスラムのスンニ派カリフとシーア派 カリフの対立に近いと思います ここいらは もう少し調査が必要なので 次号に続く(笑) Time : 2000/ 1/ 7(金) 17:51:54
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 返事達 Comments: 輔住さん、海野さん、こんにちは。 ◇輔住さんへ(RESありがとうございます)◇ Hozumi wrote: > つまり当時の状況から考えて北朝正統をいってもメリットはなく > 逆にデメリットがはるかに大きいと思います。 結局の所、1911年時点限定の主要因としては、「メリット・デ メリット論」と「大義名分論」の2本立てという感じでしょうか? 特に、前者については同意します。となると、輔住さんの意見とA waji氏の意見はズイブン異なるんですね。 Hozumi wrote: > そして彼らは南朝正統論者でした。こうした勢力が明治政府に多くいた。 この辺ですよね、問題点は。南朝・北朝ともにドッチモドッチです から、40年もあれば、政府の役人の思想を変更することくらい簡 単だと思うのですよ、その気になれば。。 実際に、1911年以 降は北朝正統論者・並立論者を沈黙させる訳ですから、南朝正統論 者を沈黙させることも簡単だったと思うんですよ、理屈の上では。。 それから、輔住さんとAwaji氏の議論を読んだ感想ですが、北 朝を正統にできないのであれば、天皇家そのものを正統にできない 気がするんですよネ。藤原氏の傀儡だったり、武家の傀儡だったり、 と天皇家は傀儡であるのが自然な存在だから。。 大義名分をマジ メに論じるのは非常〜に危険な気がします。 「何故、江戸時代の朱子学が南朝正統論なのか?」というのも注目 ですが、『大日本史』が易姓革命思想なのかどうか? この辺も注 目しています。それと家康の「東照大権現」という名称との関係に ついても面白そうですネ。 ◇海野さんへ(RESありがとうございます)◇ Unno wrote: > 十津川郷士の末裔とかいうひとが 南朝の末裔がいたら?という質問に > 「今上さんとこに斬り込んで腹切らにゃ」とレスしたのには > 驚きました^^;(オウムが南朝の後裔を探していたという話題で) う〜ん、南朝正統論は危険思想ですねェ〜。 「南朝正統論=北朝5代ニセモノ論」だと思うのですが、実際の所、 どうなんでしょう? 顕幽分離思想のオモテ面が怨霊鎮魂思想ならば、ウラ面は「名と実 態の乖離」(う〜ん、うまく表現できない!!)でしょうか。顕幽 分離思想に慣れている?人にとっては、「南朝正統論=北朝5代ホ ンモノ論」?? ちょっと無理がある?? I wrote: > 強大な幕府軍にアッサリと勝利したことに対して、どう考えたので > しょうか? 「後醍醐の怨霊パワーのおかげ」と考えるのは難しい > でしょうかね? Unno wrote: > 怨霊が恵みをもたらすのは菅原道真以来の信仰ですからね〜 この辺の意見はAwaji氏によるものです:後醍醐の怨念はまず、 武家に向けられるはず。。 とのことでした。 Unno wrote: > この掲示板で「怨霊」となった人は何人いるのでしょうか? ■■■■■氏のために「怨霊」となったのは、安☆奈☆氏と V☆A M☆D☆A氏の2人です。私を含めれば3人です。 私としては、海野さんと■■■■■氏の議論が成立している限り、 特に不満はありません。怨霊パワーをためときます。。 #ためこんで、後に大爆発か!? Time : 2000/ 1/ 7(金) 18:15:13
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : う〜ん Comments: Awajiさん 怨霊のみなさんこんばんわ(笑) 伏字は 深い意味はないです^^; 歴史のヴァーリトゥードですから 観客は 派手な戦い(KO)を望んでいらっしゃるでしょう?(笑) ところで 「輔住」さんは「ほずみ」さんでしょうか「すけずみ」さんでしょうか? Awajiさんの言われるとおり後説が 日本史らしくて有力ですが^^; >V☆A M☆D☆A氏 (゚o゚;)ゲッ VIAさんも^^; でも 「怨霊」といわれるには 「祟り」が必要ですよね(危笑) Time : 2000/ 1/ 7(金) 19:13:17
Name : 勇者ロト E-mail : Title : re箸墓 Comments: inaさん、みなさんこん@@は。 週間読売は読んでないのですが、箸墓の築造年代がほぼ確定したということなん ですかね?年輪年代法という手法による検査が行われた結果なんでしょうか? それとも、何か発掘されたのでしょうか? いずれにしても纒向・黒塚遺跡などに対しての考古学的な見解は大和の地に相当 大きな勢力が西暦250年頃に存在したということだけは疑いのない事実なのだ と思います。もしかして大物主関連の遺跡ということはないのでしょうかね? Time : 2000/ 1/ 7(金) 21:20:44
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「箸墓=卑弥呼墓」?? Comments: inaさん、今日は。Awajiです。 >>女王卑弥呼の墓は奈良「箸墓古墳」だった。 さすがに早耳ですね(^o^) Awajiも取り敢えず読んでみましたが、予想通り全く新味の無いゴミ レポでした。(-_-)" 要するに、年輪法・土器編年・銅鏡編年・・・から見て、箸墓等の初 期纒向古墳群が魏志東夷伝の卑弥呼時代とオーバーラップしており、 年代的にこれらの一つを、卑弥呼の墓に擬しても矛盾が無いと言うだ けのことで、既に言い尽されたことを如何にも大袈裟に書いただけの ものですから、ご安心下さい。 ・・・もっともAwajiは、この説の蓋然性が高いのでは無いかと考えて おり、畿内説シンパであることはご承知のとおりです。 (救世観音とホケノ山古墳 1999/ 5/ 8(土) 前後に記述しています) Time : 2000/ 1/ 7(金) 21:46:12
Name : ina E-mail : Title : 卑弥呼 Comments:  ロトさん、Awajiさん、レスありがとうございました。  今、国民の歴史、639ページまで行きました。  中国史書の信頼性についてかなり低く書いてあります。前にAwajiさん がおっしゃったように中国史書を当てにせずにどうやってあの時代の歴史を考察 出来るのか、という面もありますが、西尾先生の筆はかなり説得力があります。 Time : 2000/ 1/ 7(金) 21:58:31
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「日本の原始信仰」?? Comments: 海野さん、今日は。バスターAwajiです。取り敢えず前編について・・ >>そう ここが肝心で「怨霊の跳梁」など近代合理主義の立場や儒教の >>「怪力乱神を語らず」の立場からみたら「バカ」でしょう Awajiは、大和の国・民に「怨霊信仰」「言霊信仰」等と言う人類共通の 原始信仰が根深く残存していることについて、否定するるものではあり ません。(救世観音と言霊信仰 1999/ 4/10 12/2再掲) 勿論、「天皇」と言う存在自体が、他国の「皇帝」「国王」に比して神 秘的ベールに被われたものである事も否定いたしません。 その前提において・・・ 1866年孝明崩御、明治帝僅かに14歳、二条某摂政・・・金無し、物無し、 人無し、兵無し・・・世情騒然・列強脅威!下手をすりゃあ国家分裂、 植民地化の危機・・・こんな時にゃあ、藁でも猫でも怨霊でも、縋りた くもなろうと思います。この原始的心情を決して「バカ」とは言いませ ん。仮にこの時期に「南朝正統論」を公認していれば、崇徳・後醍醐み んなまとめて怨霊鎮魂〜ナーンテ考えたくもなりますが・・(^o^) 日露大戦においては、明治帝自ら八百万神祇に祈り尽くしたでしょうし、 一方露帝だって神の前にぬかづいたでしょう。この心情も「バカ」とは 言いません。 問題は「旧来の陋習を破り・・」「世界に知識を求め・・」て、約半世 紀・・・良くも悪しくも近代日本が最も輝いた1910年代において、その 原始的心情を1860年代同様に評価すべきか?・・・と言うことですので 念の為。 >>自天王・南天王は前述の十津川郷でお墓が宮内庁の管理だったと思いま >>す怨霊資格十分でしょう ・・・で、どんな怨霊鎮魂がなされたでしょう? Time : 2000/ 1/ 7(金) 22:09:34
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「怨霊鎮魂」?? Comments: TAKATOKUさん・・・・今日は。Awajiです。 >>「定義未確定」はAwaji氏の意見を尊重して付けたジョークです >>が、理解してもらえなかったようですナ。 まことに失礼いたしました。Awajiは生来生真面目な性格ですので、「顕 幽分離」の「定義未確定」がジョークとは、思い至りませんでした。 なるほど・・・以下の部分もジョークだったのですね。 >>まぁ、冗談はさておき、正直言って、「顕幽分離思想」の「分離」の意 >>味はよくわかりません。10月22日頃の議論におけるVIA MED >>IA氏の説、もしくはAwaji説が正しいのか、それとも別な意味な >>のか、よく分かりません。 >>さらに、実も蓋もないのですが「顕幽分離思想」の定義もよく知りませ >>ん。ここでは「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂行為」という定義で話を続 >>けます。 12/2 貴方の意見を真面目に受け取っていたAwajiがアホでしたね。 >>我々が少々定義未確定だから議論できないといった、精度の高い議論 >>はしていません。 我々??・・・誰のことなのかしら?? Time : 2000/ 1/ 8(土) 00:24:19
Name : へなちょこ星人 E-mail : Title : バラ戦争 Comments: エドワード3世(プランタジネット朝) | エドワード(黒太子) | リチャード2世 (1377〜99) エドワード3世 | ジョン−―――(2代)――――――――――マーガレット |ランカスタ朝               ||―ヘンリ7世 ヘンリ4世(1399〜1413)―キャサリン―エドマンド | ヘンリ6世(1422〜61) | エドワード          (ヨーク朝) エドワード3世―(3代)―エドワード4世(1461〜83)―エドワード5世(1483)              リチャード3世(1483〜85) エリザベス(ヘンリー7世妃、ヘンリ8世母)  100年戦争がイングランド側の敗戦で終わり,イングランド内では敗戦の責任を追求する 声が強かった,その中でヨーク公(エドワード曾孫,エドワード4世父)が民衆の信望を 集めるが,貴族内ではそれほどでもなかった。    第1次内乱  1453年,ヘンリー6世不予のため,貴族はヨーク公を護国卿に推戴する。翌年ヘンリー6 世が意識を回復,ヨーク公は失脚するが,逆に宮廷側をセント・オーバンズで圧倒,軍事 上の勝利を収める。ヘンリー6世に男児が産まれたため,王妃とヨーク公が対立,王妃は宮 廷と議会を掌握,ヨーク公と対立する。数回の戦いの末,1459年ヨーク公敗北,ヨーク公 は本拠地のアイルランドに逃げる。宮廷はヨーク家の所領と貴族称号を奪い,王位継承欠 格者とする。しかし,1460年ヨーク側は巻き返し,ヘンリ6世を捕らえた。  しかし,ヨーク派の貴族でさえ,イングランド王への忠誠心は深く,ランカスター朝を 廃そうとするものはいなかった。しかし,この年の内にヨーク公はランカスタ派に敗北, 処刑された(ウェイクフィールドの戦い)。  しかし,ランカスタ派の軍紀は最悪で,ロンドン市民によって首都入城を拒まれる。彼 らの略奪のためである。そのうち,ヨーク公の長子エドワードはウェールズから東進,ロ ンドン市民に歓呼の声を持って迎え入れられる。  ウェイクフィールドの戦い当時ヘンリ6世はヨーク派の手中にあったが,ヨーク派はヨ ーク公処刑の責任を王に帰し,王を廃位,エドワード4世を推戴する(1461年)。ここに ランカスタ派とヨーク派の対立は決定的となり,どちらかがどちらかを滅ぼす他無くなる。 エドワード4世は1464年までにランカスタ派をほぼ全滅させ,1465年にはヘンリ4世を 再び捕らえる。エドワード4世は没収した所領をヨーク派貴族に分配して自歩を固める。    第2次内乱(1469〜71年)  エドワード4世とヨーク家の外戚ネヴィル家のウォリック伯が、権力の配分を巡って対 立,ヨーク派内の内ゲバ,ランカスタ派の残党を巻き込む戦いとなるが,エドワード4世 の勝利に終わる。ヘンリ6世の王子は戦死,ランカスタ朝は断絶。    第3次内乱  無理な縁組,相続によるヨーク派強化に,イングランドの広汎な貴族が反発,エドワード4 世の死後,エドワード4世の弟であるグロスタ公リチャード(ネヴィル家の遺産を相続し ていた)はそれに乗って,クーデタを起こして兄エドワード4世の家系を廃して,王とな る(1483年)。リチャード3世は恐怖政治を敷き、恣意的な支配を敷いて人望を失う。  ランカスタ派最後の生き残りである,リッチモンド伯(ウェールズの豪族の家系)ヘン リ=チューダーが小兵でリチャード3世に勝利。リチャード3世に味方するものが無かっ たためである。100年戦争とバラ戦争によって貴族は疲弊。ヘンリ7世は絶対王政への道を 開く。(1485年) Time : 2000/ 1/ 8(土) 01:30:32
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 怨霊メイカー・・・(笑) Comments: ◇へなちょこ星人さんへ◇ バラ戦争詳細ありがとうございます ブリタニカだと エドワード4世(在位1461〜1470 1471〜1483)と なっており いろいろ数え方はあるようですね ◇Awajiさんへ◇ >問題は「旧来の陋習を破り・・」「世界に知識を求め・・」て、約半世 >紀・・・良くも悪しくも近代日本が最も輝いた1910年代において、その >原始的心情を1860年代同様に評価すべきか?・・・と言うことですので >念の為 皇室関係者ではないので(笑)わかりませんが 1860年代といわず 今でも同様に評価すべきと言うのが 私の立場です もちろん 外からの観察ですが 毎年毎年 同じ行事をしているのは 一つの信仰を保存するためで その信仰こそが 「天皇家」の本質だと思います >>自天王・南天王は前述の十津川郷でお墓が宮内庁の管理だったと思いま >>す怨霊資格十分でしょう > >・・・で、どんな怨霊鎮魂がなされたでしょう? まず 訂正で自天王の史跡は十津川ではなく川上村・上北村にあるそうです 赤松から首を取り返した人々は「筋目」として「菊」の紋入りの袴で 祭祀を現在まで伝えています 墓が宮内庁管理なのかは うる覚えです^^; 墓が現存し「自天王神社」あるところが まず「怨霊鎮魂」と思います 敵対者の墓を暴き 遺物を一つ残らず破壊し尽すのが 世界的だと思います 次ぎに 一般人が「菊」のご紋を使用するのを黙認するのも 「怨霊鎮魂」といえるでしょう そのような「例外」を認める意図を推理すれば >貴方の意見を真面目に受け取っていたAwajiがアホでしたね。 (゚〇゚;)グェッ メイカー!(笑) ところで どなたか第三者の目で 純論理的に論点整理して下さる方はいませんか 立場に違いがわかって 理解が深まると思います(。-_-。)ポッ Time : 2000/ 1/ 8(土) 11:19:19
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南北合体の捉え方」?? Comments: 海野さん、今日は。再度・・・アンチ怨霊Awajiです。 (1/7つづき分に関してです。1/8分は別途) へなちょこ星人さん、ご解説ありがとうございました。 なお、Awajiはブービーメーカーとしての令名を輝かせていますが、 オンリョウメーカーには程遠いと思っているんですが・・・ >>「怨霊言霊史観」からは資料の存在が推定されるということで(笑) 「・・にせよ、結論が先に決まっている『史観』は、しょせん歪んだ レンズに過ぎない。歪んだレンズでは歴史の真の姿は決して見えない」 Awajiとしては、この『史観』に「怨霊言霊史観」を入れてみたりして ・・(^0^)" ところで、海野さんとAwajiの本問題に関する解釈の相違点ですが、次 の二点に在るような気がします。 @南北合体の意味・・両朝合体と見るか、謀略による北朝勝利か? A明治維新〜1911年・・北朝正統論か、南朝優位の並立論か? 勿論、本問題の論点は1911年の「南北正閏問題」において、明治(天 皇)政府が「南朝正統」を公認した動機(理由でも要因でもかまいま せんが)を考察することにあるのですから・・・もっと言えばこの動 機が主として「南朝怨霊鎮魂」にあるのかどうかを考察することにあ るのですから、先ずこの時代において彼等がどの様に考えたかを推理 する必要があると思うのですが、それでよろしいでしょうか? (これを極めて単純化すれば、明治帝がどの様に認識し、判断し、決 定したか・・・怨霊鎮魂の観点が不可欠なものであるかどうか・・・ を推理すれば良いと思うのですが如何でしょうか?) 以上の観点に立って・・・以下 >>明治44年の決定は並立期間の北朝天皇を南朝天皇の下位におくと >>いう意味で勝者と敗者に位置が転倒したと考えます(北朝正統説か >>ら南朝正統説への変化と考える立場から) 既に申し上げたところですが、明治天皇(同時代人も)は彼の立場を 南北合体の正統天皇と見なしたと思うのです。 「南北合体」が歴史的事実として、「両朝合体」か「北朝の謀略」か を論じることも大切でしょうが、Awajiは寧ろ明治天皇の立場でどう 考え得るかを論じているのですが、これはおかしいでしょうか? (当時の北朝が、如何考えたかすらも別問題だと思っています) 「南北合体」の実態は、北朝の違約により謀略と化したと考えて良い と思います。しかし、北朝が次の合体条件を示したのは事実でしょう。 一、神器帰座は譲国の儀による。 二、皇位は両統迭立とする。 三、国衙領は大覚寺(南朝)、長講堂領は持明院(北朝)支配とする。 これを後世から評価すれば、北朝が南朝を偽朝とせず、少なくとも並 立朝としての立場を尊重したと見なし得るでしょう? この一については、解釈が分かれていますが、完璧な儀式では無かった とする意見が多いようです。年号についても北朝年号を継続しています。 従って、北朝の違約は明らかです。 二についても明らかな違約です。三はほぼ約定を守っています。 しかし一について言えば、少なくとも後亀山に太上天皇の尊号を与えた ことで、一分是認したと見なし得ると思うのです。 確かに「準的の旧蹤なきも、特に礼敬の新制を垂れ、よろしく尊号を上 りて太上天皇となすべし」なんて嫌味を言っていますが、要するに尊号 を上つっているのは事実です。生存する明白な偽帝に太上天皇の尊号を 与える理由はありませんね? (逆に南朝も光厳に太上天皇尊号を与えていますから、双方ともに理屈 どおり偽帝・僭主とはせず、妥協的に処理しているのですね) 要するに明治帝(同時代人も)は、この事実をもって「南北朝合体」が なされ、少なくともその時点以降は、合体正統朝の正統天皇であると考 えて当然では無いでしょうか? そして「南北朝合体」がなされたことを認める立場に立てば、北朝と南 朝には勝者も敗者も無い、上位も下位も無い・・・一時並立の異常事態 があっただけだ・・・・と言うことが可能になると思うのです。これが 本来の「和式」処理法でしょう。 ところが、東アジアのグローバルスタンダードである儒子、特に朱子の 観点ではそうはいきませんね。この観点では「一天無二君」の原則に立 って「勝敗」と言う現実ではなく、「義=道徳と言う見方も可能です」 の正閏を決することを重視します。 しかも「尊王斥覇」の論理と「武家政治」と言う現実が「義」の判定に 係わり、「義」の判定が逆に「討幕」と言う現実政治に係わってきます。 要するに「南北朝正閏論(問題)」とは、この様な性格のものだと思い ます。 従って、本来どうでも良い親戚の内輪もめについても「正閏」を論じ、 それが討幕と言う政治改革のエネルギーとなったのでしょう。 >>なるほど ひとつヒラメキましたつまり 政治的軍事的には「曹魏」 >>が勝利したけれども道徳的には「蜀漢」が勝利したと主張したいので >>しょうか?朱熹でしたっけ? おっしゃるとおり。後世から朱熹的に解釈すれば・・・ 王道(義)の勝者(論理的勝者)・・・正閏論の正統・・・・南朝 覇道(戦)の勝者(現実的勝者)・・・正閏論の閏統・・・・北朝 と見るのでしょうね。 そして明治帝からみれば、両朝合体により以降は正閏の対立(勝敗) は解消し、大一統の正統王(天皇)となったと言うことだと思います。 しかし、依然として覇者(武家)の存在が、王道の完全な実現を妨げ 続けたので、討幕により王道(義)の勝者としての全きを果たした・・ 従って、その義からみれば、南朝正統とすべきである・・・ってこと では無いでしょうか?(何だか繰り返しになってしまいましたね。) なお、日本的特徴かどうかは、要するにこの問題を如何に解釈するか によって異なりますので、暫時休題としませんか? Time : 2000/ 1/ 8(土) 12:37:36
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「自天王の鎮魂」?? Comments: 海野さん、今日は。Awajiです。当日分の追加です。 >>毎年毎年 同じ行事をしているのは 一つの信仰を保存するため >>でその信仰こそが 「天皇家」の本質だと思います おっしゃるとうりだと思います。ただAwajiは「怨霊信仰」が「天皇 家」の本質だとは思っていない・・・と言うことなんです。 >>墓が宮内庁管理なのかは うる覚えです^^; 皇族は皇族ですから、宮内庁管理かも? >>敵対者の墓を暴き 遺物を一つ残らず破壊し尽すのが 世界的だと >>思います次ぎに 一般人が「菊」のご紋を使用するのを黙認するの >>も「怨霊鎮魂」といえるでしょう  そんなグローバルスタンダードは知りませんが・・・本当ですか? 中国でも結構歴代王朝の陵墓が残っていると思うのですが? 破壊し尽くすほうが、一部遊牧民族の特異例では無いでしょうか? 特に本邦においては敵対者を太上天皇とし、敵対者の最大の功臣の准 三后の号さえ存続させるんですから・・所詮は同宗同族ですからね。 ここにも滝川政次郎さんが顔を出すようですが・・・隠れキリシタン の様なものかも知れません・・・自天王神社は元々筋目の建設では? (筋目は自天王の崇りを畏怖して、神社を建てたものでは無いでしょ うから、単なる「鎮魂」で「怨霊鎮魂」では無いでしょう。「菊」紋 の使用は、何時頃 誰が黙認したのでしょうかね? 何れにしても、皇族の鎮魂に「菊」紋の使用を黙認するのは寧ろアタ リマエでしょう? この程度で「怨霊鎮魂」になるんでしょうか・・・・?) Time : 2000/ 1/ 8(土) 14:01:05
Name : きんたろう E-mail : Title : 朱子学と易性革命 Comments: こんばんは、皆さん。 Awajiさん、海野さん、TAKATOKUさん。 しっかりロムしていますよ。(^^) ここのところの話題からは少し外れるのですが、本場中国において易姓革命思想と 朱子学は一体どのように整合されたのか疑問になりました。 光圀が唱えた朱子学による名分論はある意味では血統を最重視する日本社会にとっては 受け入れ易いものだったのかもしれません。 日本では聖徳太子の時代の昔から(それ以前からも)中国(大陸)から様々な有形、 無形のものを取り入れて来たにも係わらずついに易姓革命思想だけは取り入れられ ませんでした。 中国は易姓革命の国です。 漢の劉邦を例に出すまでもないですが、明の朱元璋などは貧農の出身でありながら皇帝にまで出世することが出来ました。 これから見ても中国社会とは血統をさほど重視をしていないのは明白だと思います。 このような社会の中で名分論が果たしてどのように位置づけされたのか疑問が湧きました。 Time : 2000/ 1/ 8(土) 19:35:33
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : ところで タイトルの「救世観音」は何故ついているのですか? Comments: Awajiさん みなさん こんばんわ >Awajiとしては、この『史観』に「怨霊言霊史観」を入れてみたりして >・・(^0^)" 演繹的思考という意味ではそうですね ただ マルクスなり皇国なりは真理であるというのが前提です 一方 「怨霊史観」は仮説です 仮説の基づく演繹的推論です 資料というものは ある程度見当をつけて探すものでしょう? そう言う意味での存在の推定です(笑)絶対にあるという信仰じゃなくて と エラそうなことをいってますが 怨霊史観家元から 免許を頂いているわけではないので 単なる海野予想です(笑) #印税には貢献してるんだけどな〜(笑) >@南北合体の意味・・両朝合体と見るか、謀略による北朝勝利か? ここも 問題があって「あれは義満が勝手にやったこと」で 北朝天皇はタナからボタもちのつもりかもしれません >A明治維新〜1911年・・北朝正統論か、南朝優位の並立論か? ここですね 私は 学者や一般人はともかく 皇室周辺は「並立論」はありえない 北か南か二者択一だという立場です >(これを極めて単純化すれば、明治帝がどの様に認識し、判断し、決 >定したか・・・怨霊鎮魂の観点が不可欠なものであるかどうか・・・ >を推理すれば良いと思うのですが如何でしょうか?) もちろん もっとも重要なのは明治帝個人ですね ただ上奏があって即決されたのか 宮内省の中で討議されたのか 他の皇族はどうなのかも 場合によっては考慮対象でしょう 宗教「団体」ですから(笑) >既に申し上げたところですが、明治天皇(同時代人も)は彼の立場を >南北合体の正統天皇と見なしたと思うのです。 >「南北合体」が歴史的事実として、「両朝合体」か「北朝の謀略」か >を論じることも大切でしょうが、Awajiは寧ろ明治天皇の立場でどう >考え得るかを論じているのですが、これはおかしいでしょうか? >(当時の北朝が、如何考えたかすらも別問題だと思っています) どうなんでしょう そもそも明治帝にとっては 1911年まで自分の正統性に疑問など抱かなかったのでは ないでしょうか? 教科書問題が浮上して初めて 明治帝はみずからの正統性について考えはじめたのではないかと 考えてます その点 「武士階級・儒学者→臣民」と「天皇周辺」とは 考えが違うと考えるのが私の立場です >「南北合体」の実態は、北朝の違約により謀略と化したと考えて良い >と思います。しかし、北朝が次の合体条件を示したのは事実でしょう。 > >これを後世から評価すれば、北朝が南朝を偽朝とせず、少なくとも並 >立朝としての立場を尊重したと見なし得るでしょう? 前述の通り 「義満が勝手にやったこと」と思っている可能性が あります >この一については、解釈が分かれていますが、完璧な儀式では無かった >とする意見が多いようです。年号についても北朝年号を継続しています。 >従って、北朝の違約は明らかです。 >二についても明らかな違約です。三はほぼ約定を守っています。 そのため 「約束」など最初からなく だから「違約」でないとか^^; >しかし一について言えば、少なくとも後亀山に太上天皇の尊号を与えた >ことで、一分是認したと見なし得ると思うのです。 >確かに「準的の旧蹤なきも、特に礼敬の新制を垂れ、よろしく尊号を上 >りて太上天皇となすべし」なんて嫌味を言っていますが、要するに尊号 >を上つっているのは事実です。生存する明白な偽帝に太上天皇の尊号を >与える理由はありませんね? これについては 資料が何かはしりませんが そもそも3条件について北朝天皇家の同意があったわけではなく 最初は 偽帝に対して太上天皇の尊号を与えるのを拒んだとか しかし 義満に脅されてしぶしぶ与えたけれども 「不登極帝に与える敬礼」という(京都的^^;)イジワルをしますよね イジワルの意味を重く受け止めれば それは「即位していない」 すなわち 南朝は偽帝であるとの意思表示と解釈すべきでしょう そして「本朝皇胤紹運録」で 偽帝として記録する その状態で1911年まで来たと考えてます ただ この点 私も疑問があるので 南朝関係者(臣下でなく)を どのように祭祀してきたのか調査してます どの時点でどのような変更があったとか >要するに明治帝(同時代人も)は、この事実をもって「南北朝合体」が >なされ、少なくともその時点以降は、合体正統朝の正統天皇であると考 >えて当然では無いでしょうか? この点 同時代の一般人(南朝正統)と学者(並立)と 明治帝周辺(北朝正統)と 必ずしも同じでなく 1911年の教科書問題において 初めて 思想統一がなされたと考えます >従って、本来どうでも良い親戚の内輪もめについても「正閏」を論じ、 >それが討幕と言う政治改革のエネルギーとなったのでしょう。 この点も 認識の違いだと思うのですが 「親戚の内輪もめ」を軽く見るか重く見るかです 「近親憎悪」という言葉もありますし^^; 血統による皇位世襲ゆえに 互いの血統に対する恐れと憎しみがあると思います >なお、日本的特徴かどうかは、要するにこの問題を如何に解釈するか >によって異なりますので、暫時休題としませんか? そうですね 資料集めをしないと(笑) Time : 2000/ 1/ 8(土) 20:18:24
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : つづき Comments: Awajiさん みなさん こんばんわ >おっしゃるとうりだと思います。ただAwajiは「怨霊信仰」が「天皇 >家」の本質だとは思っていない・・・と言うことなんです。 私は天皇家の宗教というコインは 表が 勝者による万世一系の神国日本の統治で 裏が 敗者による怨霊の跳梁とその鎮魂だと思ってます >皇族は皇族ですから、宮内庁管理かも? どうなんでしょう 「皇統譜」に載っているのでしょうかね〜 天皇皇后だけの「大統譜」というのがあって 正本は宮内庁 副本は法務省にあるのですが 南朝系はどうなっているのでしょう?^^; まあ 知らぬが仏 さわらぬ神に祟りなしとも言いますが^^;;; >そんなグローバルスタンダードは知りませんが・・・本当ですか? >中国でも結構歴代王朝の陵墓が残っていると思うのですが? >破壊し尽くすほうが、一部遊牧民族の特異例では無いでしょうか? 山ですからね〜 ならすのはちょっと難しいかもしれません^^; 盗掘して財宝はもらって 遺体は捨てる 廃墓にしたと思います 血縁者は九族皆殺しで 祭祀も途絶える う〜ん 記録とか多くありそうですが 指摘されてみると これらを全世界体系的に考えてみるのも 面白いと思います 「敗者の祭祀」というテーマで まあ グローバルスタンダードといえば 東条英機首相以下 「A級戦犯」の遺体ですが 荼毘でなく「焼却」されて 遺族にも渡されなかった 「祭祀」を許さないという意志のあらわれでしょう >特に本邦においては敵対者を太上天皇とし、敵対者の最大の功臣の准 >三后の号さえ存続させるんですから・・所詮は同宗同族ですからね。 う〜ん 解釈の違いですね(笑) >ここにも滝川政次郎さんが顔を出すようですが・・・隠れキリシタン >の様なものかも知れません・・・自天王神社は元々筋目の建設では? 学者というより 信仰系のようです^^; 幸徳発言は面白いんだけどな〜(笑) 余談ですが 明治帝即位時の陰陽師が二人いて 土御門と「幸徳井」という名前だったという記述があったのですが 幸徳と関係ないですかね〜  >(筋目は自天王の崇りを畏怖して、神社を建てたものでは無いでしょ >うから、単なる「鎮魂」で「怨霊鎮魂」では無いでしょう。 筋目は違うでしょう 明治神宮みたいなもの? >「菊」紋の使用は、何時頃 誰が黙認したのでしょうかね? >何れにしても、皇族の鎮魂に「菊」紋の使用を黙認するのは寧ろアタ >リマエでしょう? 菊花紋を皇室以外ではっきり禁止したのは1871年だそうです 南朝関連では 「筋目=臣下」が羽織袴に使用しているのですから 例外も例外ですね 明治政府がとやかく言わなかったんでしょう >この程度で「怨霊鎮魂」になるんでしょうか・・・・?) 怨霊様に納得していただければいいんです(笑) 菊花紋を着た筋目が朝廷の儀式をするのを見て満足してくれれば 万々歳でしょう おれは天皇なんだな〜って^^; Time : 2000/ 1/ 8(土) 22:55:09
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 正統王朝の欠徳皇帝(笑) Comments: きんたろうさん みなさん こんばんわ 儒教最大の難問でしょうか 正統王朝の欠徳皇帝を倒して帝位を簒奪した有徳者は逆臣か正統皇帝か(笑) 中国では 血統よりも徳の有無を重視するような気がします また 正統王朝が永続するとは限らない!という認識もあるようです だから 黄門様も易姓革命を・・・(笑) Time : 2000/ 1/ 8(土) 23:07:28
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「裏信仰」?? Comments: 海野さん、今日は。「救世観音」のAwajiです。 しつこくタイトル「救世観音」を付けています(^_^)/~ お目障りかもしれませんが、ご容赦を・・・実はAwajiは歴史は不得意 分野でして、得意分野は「仏像」なのです。 このHPに参加させて頂いたのも、知人のKANAKさんが一連の井沢さん 批判を掲載されていた時に、その関係でROMしたものです。 その後「救世観音」に関して質問があったので、思い切ってRES参加し ましたが、本来タダノ仏像オタク(兼 若かりし頃の邪馬台国オタク) で、歴史関係ではドシロウトであるとの意味を込めて、タイトルにして います。(>_<;) 特に平安期以降については、高校の教科書程度しか知りません。 その割にエラソウなことを言っておりまして、スミマセン <(_ _)>ペコ (お陰で結構勉強させて頂き、皆さんには感謝しています) Via mediaさんからは望外の「源氏オタク」の尊号を頂きましたが・・・ (その後「紫式部男性論」は完結したのでしょうか?) さて、本題ですが、 @義満 「勝手連=独断専行」説・・・ですね、ただこの案は尊氏・直義 以来、何度も提案されているものですから、後小松さんワシャシランと は言えないと思うのですが・・・(^0^)" 交渉の任に当った吉田兼煕は、北朝歴代の側近ですしね・・・(・・?) A明治帝の南北朝認識・・・ですが、彼は「蜂須賀お家柄じゃのう」で知 られる様に歴史には詳しく、まして「帝王学」として朱子学から国学ま で叩き込まれた筈ですし、薩長土肥諸侯とは結構忌憚のない雑談をして いる様です。 討幕の基本思想であった「南北正閏論」の意味等は知り尽していたと想 像出来るのですが・・・(^o^) なお「南北正閏問題」に関する現在の歴史学者の多数説は、維新以降の明 治(天皇)政府が「南朝正統論」に立っており、帝大の学問的「並立論」 に基礎をおく国定教科書を改訂したのは、学問の自由に関する介入と見な している様ですね。 この点ではAwajiの「南朝優位の並立論(或いは統合論?)」とも異なっ ています。 >>私は天皇家の宗教というコインは >>表が 勝者による万世一系の神国日本の統治で >>裏が 敗者による怨霊の跳梁とその鎮魂だと思ってます 裏については、全く認識が違っていたりして・・・溝深し!(>_<;) >>盗掘して財宝はもらって 遺体は捨てる 廃墓にしたと思います 本当でしょうか? チョット信じられませんが・・・盗掘は民衆或いは 流民の仕業では? (明確な記録があれば、ご教示下さい。直ちに撤退します) >>筋目は違うでしょう 明治神宮みたいなもの? 金剛寺と言うちっちゃな寺の横手にあるみすぼらしい神社だと記憶して いるんですが、学生時代のことですからカン違いかも知れません。 どちらにしても、たいした神社で無いことは確かです。(・・?) >>「筋目=臣下」が羽織袴に使用しているのですから例外も例外ですね 一種の擬似神官装束かも知れませんが・・・? 概ね相違点が明確になったと思いますので、この辺で皆さんのご意見を お聞きするために休暇を取りませんか? Time : 2000/ 1/ 9(日) 00:39:25
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : ひとやすみしましょう(^^) Comments: >このHPに参加させて頂いたのも、知人のKANAKさんが一連の井沢さん >批判を掲載されていた時に、その関係でROMしたものです。 あ KANAKさんの投稿読んでみたいですね〜 誰か ログ持ってます? >その後「救世観音」に関して質問があったので、思い切ってRES参加し >ましたが、本来タダノ仏像オタク(兼 若かりし頃の邪馬台国オタク) >で、歴史関係ではドシロウトであるとの意味を込めて、タイトルにして >います。(>_<;) あれは 聖徳太子なのでしょうかね? そう言われると 他にない写実的な表情をしているようにも見えるし 仏像もシロウトなのでわかりません^^; >特に平安期以降については、高校の教科書程度しか知りません。 >その割にエラソウなことを言っておりまして、スミマセン <(_ _)>ペコ >(お陰で結構勉強させて頂き、皆さんには感謝しています) いや〜 私も図書館で資料を見なければ 何もわからないです 日本史の単語が覚えられなかったですね 変な読み方と 似たような用語の連発で >Via mediaさんからは望外の「源氏オタク」の尊号を頂きましたが・・・ >(その後「紫式部男性論」は完結したのでしょうか?) 土佐日記みたいなのですよね ユニークです >@義満 「勝手連=独断専行」説・・・ですね、ただこの案は尊氏・直義 > 以来、何度も提案されているものですから、後小松さんワシャシランと > は言えないと思うのですが・・・(^0^)" そこをシラッと言うのが 雲の上の人の食えないところでしょうか?^^; > 交渉の任に当った吉田兼煕は、北朝歴代の側近ですしね・・・(・・?) 義満に「お使いに行って来い」と言われたら拒否できないかも^^; 吉田兼煕パシリ説(笑) >A明治帝の南北朝認識・・・ですが、彼は「蜂須賀お家柄じゃのう」で知 > られる様に歴史には詳しく、 これは お人柄を表す良い話ですよね〜 テーブルの上に出ていた高価な葉巻を蜂須賀公?が数本ポケットに 入れたときの一言(笑)今の皇室では望むべくもない君臣相和す姿です > まして「帝王学」として朱子学から国学ま > で叩き込まれた筈ですし、薩長土肥諸侯とは結構忌憚のない雑談をして > いる様です。 あるとき 明治帝は「正成と孔明を比較して論ぜよ」との問いを 発せられたとか その意味では儒学に知識があったようです > 討幕の基本思想であった「南北正閏論」の意味等は知り尽していたと想 > 像出来るのですが・・・(^o^) しかし「臣下」の学と「帝王」の学は 自ずから違うのではないか? というのが 私の仮説です >なお「南北正閏問題」に関する現在の歴史学者の多数説は、維新以降の明 >治(天皇)政府が「南朝正統論」に立っており、帝大の学問的「並立論」 >に基礎をおく国定教科書を改訂したのは、学問の自由に関する介入と見な >している様ですね。 う〜ん これが多数説なのですか〜 >本当でしょうか? チョット信じられませんが・・・盗掘は民衆或いは >流民の仕業では? >(明確な記録があれば、ご教示下さい。直ちに撤退します) 「盗掘」というと泥棒の仕業ですので 城を攻め落としたときの「略奪」と同じ「勝者の権利」の行使でしょうか? 漢文の文献を調べて見たのですが すぐには見つかりませんでした 呉が楚の社稷と宗廟を壊した話 項羽が始皇帝陵を略奪した話 劉邦が鯨布の死体を塩漬けにしてみんなで食べた話とか 総合して そんなもんだろうと思っていたのですが 実証的に証明するには もうすこし調査が必要なようでです 越が呉を滅ぼしたところとか期待していたのですが 「越王は呉王を葬った」とあったので これも調査中です^^; 「敗者の祭祀論」(笑) アッバース革命後 シーア派粛清の為に アリーの家系の墓や聖地を 壊してならしてしまった話 ローマがカルタゴを滅ぼして 都市ごと壊して(カルタゴは町の中に墓がある)塩を撒いた話 ティベリウス・グラックスと300人の若者の遺体が 遺族からの火葬の願いを退けられ テヴェレ河に投げ込まれた話 ガイウス・グラックスの遺体もテヴェレ河に投げ込まされ 未亡人は喪服をつけることも許されなかった話 スッラがマリウスの墓を暴き遺灰をテヴェレ河に投げ込んだ話 これらと 「A級戦犯」の措置とつながる「哲学」が あると思うのですが もうすこし研究してみます >概ね相違点が明確になったと思いますので、この辺で皆さんのご意見を >お聞きするために休暇を取りませんか? そうですね ベルサイユ条約?(笑) Time : 2000/ 1/ 9(日) 16:29:08
Name : 緑茶王 E-mail : Title : ちょこっと正閏論ーはじめまして及びテスト Comments: みなさん、はじめまして。 私は「平家物語」が好きで、源平合戦の書籍を探しに本屋に行ったところ、 井沢先生の「逆説の日本史」を見つけ、それ以来楽しく読ませてもらっています。 「逆説の日本史」は、それまで読んできた書籍に比べ、平易な言葉で書かれて いて、読んでいて苦痛にならないので気に入っています。 ただ、私は、源平以外にはあまり興味がないので「逆説の日本史4・5」以外は 図書館を利用しています。 先日も7巻を借りようと思い、図書館に行ったのですが、貸し出し中でした。 けっこう図書館には足を運んでいるのですが、やはり人気があるのでしょうね。 毎回貸し出し中です。 それで、かわりに上横手雅敬(うわよこてまさたか)先生の「日本史の快楽」を 借りてきました。 これは「週間現代」に連載したエッセイをまとめたものですが、 その中に1911年の南北朝正閏論問題に関するものがあったので、 それを”次回”紹介したいと思います。 次回とするのは、 ふだん掲示板に書きこむことがないので、勝手が分からないことと、 この掲示板は”やまびこ”が起きやすい様なので、それを警戒してです。 (次回の投稿はかなりの長文になります) それでは。 Time : 2000/ 1/10(月) 07:46:49
Name : 緑茶王 E-mail : Title : 明治時代の南北朝正閏論についてー史学にも歴史あり Comments: みなさん、こんにちは。 上横手雅敬先生の「日本史の快楽」(講談社)から、明治時代の南北朝正閏論の 経緯について記述します。 1657(明暦3)徳川光圀・水戸藩による「大日本史」の編さん開始。  「大日本史」は南北朝時代の史料として、「太平記」を重視。 1867(慶応3)王政復古。 1868(明治元)明治天皇が京都から江戸城に移る。  南朝を正統とする「大日本史」は、明治以後も権威ある史書として尊敬されて  いた。 1882(明治15)「大日本編年史」の編さん開始。  明治政府は国家による歴史の編さんを計画し、それを行う機関の修史局を置き  「大日本編年史」の編さんが開始された。  明治政府により編修官に任命された重野安繹(しげのやすつぐ)、久米邦武  (くめくにたけ)らは、その編さん過程で「大日本史」の権威に疑問をいだく。 1886(明治19)学校令、高等中学校の発足。 1889(明治22)大日本帝国憲法発布。 1891(明治24)久米邦武 4月「太平記は史学に益なし」               10月「神道は祭天の古俗」を発表。  帝国大学教授であった久米邦武は、「太平記は史学に益なし」を発表し、  史実と考証を重んじる立場で「大日本史」の大義名分論を批判。これに対し、  水戸学派は強く反発する。  また、”後醍醐天皇が夢のお告げで楠木正成が召し出された”、”新田義貞が  剣を海に投げ入れると潮が引いた”という美談や”北条氏によって隠岐へ流さ  れる後醍醐天皇を元気づけた児島高徳(こじまたかのり)を架空の人物である”  など忠臣・孝子を抹殺したことが国民一般の不満をまねく。  同年、「神道は祭天の古俗」を発表し、”神道は天を祭る習俗であり、伊勢神  宮も天を祭る宮であるとし、神道を学理的に論ずれば、国体が損なわれるなど  という者がいるが、国体や皇室はそんな薄弱な朽縄(くちなわ)で維持されて  いるのだろうか”と述べる。  これを読んで激怒した神道家・国体論者たちは、批判の論陣を張っただけでな  く、直接久米を脅迫し、政府に久米を処分するよう要求した。 1892(明治25)久米邦武免官。  久米邦武は帝国大学を追われ、論文を発表した雑誌は発売禁止となる。さらに  「大日本編年史」の編さんも停止され、修史局の後身の史誌編さん掛(がかり)  も廃止される。 1894(明治27)日清戦争はじまる。 1902(明治35)教科書疑獄。  小学校教科書の採択をめぐり、全国的な汚職事件がおこる。 1903(明治36)小学校国定教科書公布。  南朝と北朝の対立について、修史局派の重野安繹、久米邦武らが主張した南北朝  対立説は、東京帝国大学のアカデミズム史学に継承されているものの、明治時代  の一般的な考えでは、水戸藩の「大日本史」による南朝正統説であった。  明治政府は、両朝の対立について態度を鮮明にしていないが、事実上、南朝を  正統視し、南朝に奉仕した忠臣たちを顕彰してきた。 1904(明治37)日露戦争はじまる。 1911(明治44)南北朝正閏論問題起こる。  国定教科書である「尋常小学日本歴史」が、学界の研究成果に基づき南北朝  対立説をとり、南朝・北朝を対等に扱っていることについて、民間の人々、  とくに小学校教員や政治家が南朝正統論を主張し、それが新聞などの言論機関  を動かし、世論を形成していった。  国定教科書の発行者である文部省は、世論の攻撃に対し、”研究の上、改訂  すべき点があれば改訂する”などと冷淡に対応していた。  しかし世論が硬化し、政治的に深刻化すると、南朝正統説に豹変し、桂太郎  内閣は、教科書を執筆した喜田貞吉(きたさだきち)に休職を命じた。  教科書は修正されて南朝を正統とし、北朝の諸天皇を天皇とは認めず、南北朝  時代を吉野朝時代と呼ぶことになった。 以上、上横手先生のエッセイの中から南北朝正閏論について 関連がありそうなものを年表風に並べてみました。 なお、疑問にはなるべく答えたいと思いますが、なにぶん歴史に関して、 まったくのシロウトですので、答えられるかどうか不安です。 それでは。 Time : 2000/ 1/10(月) 09:19:20
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「神社アレコレ」?? Comments: 海野さん、みなさん、今日は。Awajiです。 緑茶王さん、はじめまして。資料提供ありがとうございました。 以下・・・戦前の神社の社格ですが、何かの参考になるかも知れません ので、 明治4年(1871)太政官布告によって以下の官社制度が定められました。 官幣社(神祇官所管)・・・官幣大社・官幣中社 国幣社(地方官所管)・・・国幣中社・国幣小社 その後官幣小社・国幣大社・別格官幣社の制度が追加され、順次昇格が あったので、昭和20年に制度廃止の時点では、次のとおりとなっていま す。 神宮・・・・・・・・皇大神宮・豊受大神宮 官幣大社・・・・・・65社(ただし台湾等の外地6社を含む) 官幣中社・・・・・・23社 官幣小社・・・・・・ 4社 別格官幣社・・・・・27社 国幣大社・・・・・・ 6社 国幣中社・・・・・・47社 国幣小社・・・・・・43社(外地4社) 府県社 1,148、郷社 3,633、村社 44,934、無格社 59,997 このうち古代神(記紀)以外の神社は、次のとおりです(ただし、古社 でも祭神変更された神社も結構あるようですが・・・)蒙御免 官幣大社・・・・・白峰神宮(崇徳・淳仁) 明治元年創建(孝明遺志) 吉野神宮(後醍醐) 明治21年創建 平安神宮(桓武・孝明) 明治28年創建 明治神宮(明治) 大正9年創建 近江神宮(天智) 昭和15年創建 水無瀬神宮(後鳥羽他)明治6年神社・昭和14年神宮 赤間神宮(安徳) 明治8年神社・昭和15年神宮 官幣中社・・・・・鎌倉宮(護良)・井伊谷宮(宗良)・八代宮(懐良) 金崎宮(尊良・恒良)・北野神社(菅原道真) 太宰府神社(菅原道真)・台南神社(能久) 別格官幣社・・・・談山神社(藤原鎌足)・護王神社(和気清麿等) 小御門神社(藤原帥賢)・菊池神社(菊池武時等) 湊川神社(楠正成)・名和神社(名和長年) 阿倍野神社(北畠親房等)・藤島神社(源義貞) 結城神社(結城宗広)・豊栄神社(大江元就) 建勲神社(平信長)・豊国神社(豊臣秀吉) 東照宮(源家康)・常磐神社(源光圀・斉昭) 照国神社(源斉彬)・靖国神社(殉国・戦没者) 霊山神社(源親房等)・梨木神社(三条実萬等) 四条畷神社(楠正行)・唐沢山神社(藤原秀郷) 上杉神社(上杉謙信)・尾山神社(前田利家) 野田神社(毛利敬親)・北畠神社(北畠顕能) 佐嘉神社(鍋島直正)・山内神社(山内豊信等) *別格官幣社は、明治5年に勅旨により創建された湊川神社が始まり。 *鎌倉宮は明治2年、八代宮は明治13年の創建。 *上・下御霊神社は府社。 *水無瀬宮・赤間宮は、仏式(御影堂)としての淵源は古い。 *アカラサマな祭神変更で有名な事例として、神田明神があります。 明治7年に明治帝が立ち寄ることとなったため、教部省は逆臣である 祭神「平将門」を別殿に移し、大己貴・少彦名を主殿に迎えたとされ ています。 *自天(親)王神社の社格は不明です(神社事典等に記載なし)。 Time : 2000/ 1/10(月) 10:21:19
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 返事達 Comments: ◇inaさんへ◇ ヒミコの件、とりあえず、よかったですネ! 私も『国民の歴史』読みましたヨ。私も説得力あるように感じまし た。それに、学者による歴史学者批判なのですが、井沢先生のより も痛烈な印象を持ちました。 ◇へなちょこ星人さん、緑茶王さんへ◇ Henachoko-seijin wrote: > バラ戦争 Ryokuchaou wrote: > 以上、上横手先生のエッセイの中から南北朝正閏論について 初めまして! &情報提供ありがとうございました。 ところで、へなちょこ星人さん、緑茶王さんの結論はどんなもので すか? 差し支えなければ、教えて下さい。 ◇きんたろうさんへ◇ Kintaro wrote (1/8): > Awajiさん、海野さん、TAKATOKUさん。 > しっかりロムしていますよ。(^^) ゲロゲロ、ワテの名前も入ってるでねェッか。。 ワテだけ「直感的信仰」で勝負!!ですからねェ〜。 #誰か判官ビイキしてくれんかノー!! な〜んて。 でも、Awaji氏の侮辱発言には負けへんでェ〜。 #侮辱されると自説が正しいような気になってしまうんですよねェ〜。 Kintaro wrote (1/8): > これから見ても中国社会とは血統をさほど重視をしていないのは > 明白だと思います。 きんたろうさんの論点とは違うのですが、中国では血統を重視して いる、という話は聞いたことがあります。日本と違って女系は無視 同然ですが、男系は非常に重要視するらしいです。 #証拠は出せませんが、犯罪者の子孫の扱い等がそうらしい。。 日本人に分かりにくいのが「禅譲」という行為でしょうか。「放伐」 だけど「禅譲」。中国流の「虚構的行為」でしょうか?? #言霊信仰の名残り? それとも、治世に生かすというリアルな理由? 「放伐論=正統論」と、結局は、なって?しまう論理も訳が分かり ません。『逆説の日本史』を読む限り、こういう理屈モノは、本当 は「≠」なんだけど、現実は「=」というような印象を持ちます。 あるいは、過去形では「≠」だけど、現在形では「=」という印象 です。中国人はものすごく、ライアー&リアリストなんでしょうか?? ◇海野さんへ◇ Unno wrote (1/7): > 伏字は 深い意味はないです^^; あっ、そう? しかしながら、気に入ったので拝借させてもらいます。 名前を◇で囲むのも使わせてもらってます。 でも、顔文字には未だ抵抗があるんですよネェ〜〜。 それから、所謂半角カタカナも使いたくない。。 私のブラウザでは読めないので。。 Unno wrote (1/7): > でも 「怨霊」といわれるには 「祟り」が必要ですよね(危笑) うげげげェ。ってこたァ、俺が初代怨霊?? お望みとあらば、海野さんにも祟らせてモレーヤスガ。。 Unno wrote (1/8): > 印税には貢献してるんだけどな〜(笑) おー、これならば私も貢献してまッセ! 貢献してないのはAwaji氏だけじゃない?? ◇■■■■■氏へ◇ I wrote: > 「定義未確定」はAwaji氏の意見を尊重して付けたジョークです > が、理解してもらえなかったようですナ。 Awaji wrote (1/8): > まことに失礼いたしました。Awajiは生来生真面目な性格ですので、「顕 > 幽分離」の「定義未確定」がジョークとは、思い至りませんでした。 >なるほど・・・以下の部分もジョークだったのですね。 I wrote (12/2) > ここでは「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂行為」という定義で... #そうそう、「まことに失礼です!」 ようやっと、お分かりで!! 私の定義はとりあえず「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂行為」ですが、 実際は未確定でしョ。Awaji氏のおっしゃる通りで、主語その 他についての考察もできればBETTERという事です。この辺は 尊重している訳です。 #■■■■■氏はひょっとして、被害妄想? 今回に限らず、以前 #にも、結論のみの否定を根拠の否定と考えたり。。 大丈夫? #正気でっか? キチガイじゃないでしょうな?? I wrote: > 我々が少々定義未確定だから議論できないといった、精度の高い議論 > はしていません。 Awaji wrote (1/8): > 我々??・・・誰のことなのかしら?? 「我々?」さぁ、誰のことでしょうかねェ〜。「中日ドラゴンズの 論理」が理解できたら単数形にしてあげましょう!! #■■■■■氏の読解力では、まァ、無理でしょうナァ。。 Awaji wrote (1/8): > (修飾語略!)Awajiがアホでしたね。 #そうそう、■■■■■氏はアホです。ようやっと、お分かりで!! 冗談云々等どうでもよいんです。私のことなんか無視して、「林檎 の皮」のような薄ッペラな主要因を何とかして下さい。根拠はもち ろん大事だけれど、結論としてどんな言葉を選ぶのかというのも大 事だと思います。 Awaji wrote (1/9): > 歴史関係ではドシロウトであるとの意味を込めて、 つまり、井沢先生は「ドドシロウト」であると言いたいんでしょ? Time : 2000/ 1/10(月) 18:39:04
Name : TAKATOKU E-mail : Title : リゴリスティックな南北朝合体論(正統論じゃないよ〜) Comments: 海野さん、みなさん、こんにちは。海野説の輪郭が少しずつ分かっ てきました。逆に、ますます分からなくなるのがAwaji説(根 拠ではなくて結論のこと)です。また、井沢説と海野説も詳細はか なり異なりそうですネ。ますます楽しみです。今回は少々質問させ て下さい。まぁ、これは休戦の一環ということで: 南北正統問題が、北朝にとって、非常に問題となるのは、「南北朝 合体が正当でない」からでしょうか? 先祖に対する不孝というだ けでは済まない訳ですネ。 Awaji wrote (1/8): > そして「南北朝合体」がなされたことを認める立場に立てば、北朝と南 > 朝には勝者も敗者も無い、上位も下位も無い・・・一時並立の異常事態 > があっただけだ・・・・と言うことが可能になると思うのです。これが > 本来の「和式」処理法でしょう。 上位も下位もない・・これは言霊鎮魂式(=和式?)処理ですね。 これをリゴリスティックに判定するとどうなるんでしょうね? Unno wrote (1/6): > 純粋南朝正統論(仮名)=単純な血統論=明治天皇は偽者 になるような気がします。正統論では6対4(Awaji説)とい う僅差であるにも関わらず、リゴリスティックに判定したんですよ ね〜。「私見ですが」、合体論では8対2ぐらいで、合体していな いと見れそうです。つまり、リゴリスティックに判定すれば、合体 していない訳ですネ。 1911年時点限定の主要因と通史的な観点での主要因が異なるだ けで、「支離滅裂」とおっしゃったAwaji氏ですが、この辺は どんな説明があるんでしょうか。。楽しみです。 正統論は朱子学式で、合体論は和式ですか? #最も手強い意見ですナ! Unno wrote (1/8): > もちろん もっとも重要なのは明治帝個人ですね 繰り返しになりますが、1911年時点限定の主要因(あるいは無 視できない副要因?)として、「怨霊鎮魂思想」がある訳ですね? お手並み拝見させてもらいます。 Unno wrote (1/4): > 藤沢代議士周辺や教育家・儒学者らによる「南朝正統論」の主張 > 大逆事件など社会主義・共和主義者の台頭 > これらを「後醍醐帝その他の怨霊の跳梁」と感じたか否かですが > どうでしょうか? 私はその可能性があると思います 社会主義・共和主義者がどの程度の勢力でもって台頭してきたか知 らないのですが、少なくとも「南朝正統論」の台頭はビックリした ような気がします。以下の理由で: 1:まず、「あなたの先祖はニセモノです!」と突き上げられた事; 2:しかも、突き上げた人々というのが自分を支持してくれる人々   である 。。という異例さ; 3:リゴリスティックに考えれば、「南朝正統=自分はニセモノ」   なのに、そうではないらしい。この部分はリゴリスティックに   考えないで、自分の正統性は認めてもらえるようだ 。。とい   う異例さ; 4:北朝正統論者がカタクナならば分かる、それが現実政治へのメ   リットになるからだ。そうではなくて、北朝正統論者が柔軟で   南朝正統論者がカタクナな態度をとる 。。という異例さ(こ   れは、日本人ならば異例に考えないかも知れません、悲惨な人   間にはカナイマセンから。。); 5:「南朝正統」とすることによって、利益を得る人々が顕界に存   在しない(と考えられていた)にも関わらず、南朝正統論者が   がカタクナである 。。という異例さ; 6:「南朝正統」とすることによって、利益を得る人々が幽界には   存在する事 。。しかも特定の人達のみ; 私の考えられる理由はこの程度ですが、誤りや肝腎な事が抜けてい たら教えて頂きたいのですが。。 これが私の質問です。 以下は補足です。 Unno wrote (1/8): > ところで どなたか第三者の目で 純論理的に論点整理して下さ > る方はいませんか 誰もやらなければ、「言い出しっぺ」の私がやらなければなりませ んが。。 でも、私は第2者と言葉が合わず、第2者の根拠と結論 のギャップを埋められないんですが。。 Time : 2000/ 1/10(月) 18:57:12
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「伏せ字等」?? Comments: TAKATOKUさん、みなさん、今日は。Awajiです。 個人のご趣味について、トヤカク言うのもなんですが・・・ 特定の人間を示すのに、「伏せ字」を使用するのは如何なものでしょう か? はっきりとハンドルネームを使用して、発言に責任を持って頂いた ほうが良いと思います。 (^o^) それと併せて如何に怨霊発言にしても「キチガイ」と言うような言葉は、 使用しない方が良いと思いますが? (-_-)" なお、以前から申し上げているとおり、AwajiにはTAKATOKUさんの文章を 理解するだけの読解力は持ち合わせておりません。 (>_<;) Time : 2000/ 1/10(月) 19:46:06
Name : へなちょこ星人 E-mail : Title : 休戦とは? Comments: この休戦も,パリ和平協定と終わりそうですな。 となると,ニクソンは誰か? 北ヴェトナムは誰か? 哀れなカンボジアは誰か? サイゴン(どこでしょう?)は陥落するのか? 中越紛争は果たしてあるのか? 楽しみです。 Time : 2000/ 1/11(火) 00:10:10
Name : きんたろう E-mail : Title : OBゾーンからの逆襲 Comments: こんばんは、みなさん。 中国において歴代の王朝が交代してきたにもかかわらず宋の時代までは朱子学は 発生しませんでした。 秦、漢など歴代の王朝名は諸侯が各地に封じられた地名を採っています。 しかし、宋の時代の中国にとってモンゴルとはゴルフに例えるならばOBゾーンから プレーに参加しようとする者との認識だったのでしょうか?? OBゾーンにいる者にとっては易姓革命などもっての外だとの意思表明のようにも 感じられます。 話は変わりますがTAKATOKUさんが言われている >#証拠は出せませんが、犯罪者の子孫の扱い等がそうらしい。 これは前近代社会においては中国社会のみならず一般的であったと思います。 つまり奴隷の子供は奴隷ということではないでしょうか?? (当然その社会において程度の差はあります) また、こうした社会では時効の概念がありませんから「敵討ち」は生涯をかけて 行われる事になりました。 Time : 2000/ 1/11(火) 00:22:26
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 怨霊発言について(寝る前に一言だけ) Comments: ◇Awaji氏へ◇ 両件とも了解しました。 色々な掲示板がありますが、確かにここでは、侮辱発言は日常的に 飛び交っていますが、放送禁止用語みたいなものは飛び交っていま せんでしたね。かつて、KANAK氏が何か発言した程度でしたね。 そういえば、私の事を「世界一の馬鹿」(正確には同義語)と書い たAwaji氏も「馬鹿」という単語だけは否定しましたネ。放送 禁止用語みたいなものは、たとえオフザケモードでも使わないこと に致します。 Awaji氏に侮辱されまくっていたので、何を書いても構わない ような錯覚をしてました。そうか、同義語ならば「世界一の馬鹿」 とでも何とでも書いてよいが、「馬鹿」はダメなんですね。一つ勉 強になりました。 「伏せ字」についても用いられていませんでしたネ。私はこの掲示 板の慣習に従います。 従って、両件とも、以降、気を付けさせてもらいます。 Awaji wrote (1/10): > AwajiにはTAKATOKUさんの文章を > 理解するだけの読解力は持ち合わせておりません。 それは既に共通認識ですし、その事についてトヤカクいう気はあり ません。つまり、読解力云々は「私の文章に対して」ではなく 「井沢先生の文章に対して」です。「中日ドラゴンズの論理」は 井沢先生の文章ですし。。 Time : 2000/ 1/11(火) 01:26:07
Name : まいご E-mail : Title :Comments: にいってんだか!!!!!!!>TAKATOKU Time : 2000/ 1/11(火) 10:37:09
Name : ina E-mail : Title : お久しぶり Comments:  Takatokuさん。  こんにちは  とりあえず一点だけ質問させてください。 >上位も下位もない・・これは言霊鎮魂式(=和式?)処理ですね。これをリゴリ >スティックに判定するとどうなるんでしょうね?  上位も下位もない、というのが南北朝についての和式の見解であり、南朝正統、 というのが、朱子学をリゴリスティックに適用した時の結論、ですから、対立概念 です。  もし、質問が、和式の方法論をリゴリスティックに適用したら、ということなら、 やはり上位も下位もない、となると思います。  単にリゴリスティックに判定というのはありえず、何に基づいて、というのが 問題だと思うのですが。  その意味で少し詳しく質問をしていただきたいと思います。 Time : 2000/ 1/11(火) 10:41:24
Name : ina E-mail : Title : Awajiさま Comments:  こんにちは  神社の御教示ありがとうございました。  神田明神の話し、面白いですね。なんとなくひっかかるのは、明治天皇はどういう 理由で立ち寄られることに成ったのでしょうか?単に御休憩ということですか?  そうでないと、もともと平将門が祭られている神社に寄られる理由がわかりませ ん。それともある程度公平に、というか順番で天皇の御参拝を仰ぐことができる ようになっていたのでしょうか? Time : 2000/ 1/11(火) 11:14:22
Name : 輔住 E-mail : Title : 休んでいる間凄い議論!気分は浦島太郎 Comments: Time : 2000/ 1/11(火) 11:14:22 海野さん、みなさんこんにちは。 >ところで >「輔住」さんは「ほずみ」さんでしょうか「すけずみ」さんでしょうか? 「ほずみ」と読みます。一応、読み方ぐらいはかわいい方がいいかなと!(笑) では暑い議論を期待してます。 Time : 2000/ 1/11(火) 12:49:05
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 中越戦争 Comments: 私は現在の所、ちょっと風邪気味です。今年の風邪は胃にくるよう で、みなさんも気をつけましょう!! ◇へなちょこ星人さまへ◇ > 中越紛争は果たしてあるのか? 海野さんと私の議論ということ? それはないでしょ。質問する位 です。 海野予想 (1/6): > 変えたのは「教科書」の「歴代表」で > 宮内庁に大切にしまわれている「皇統譜」はもとのままとか^^; > 疑ってます(笑) を仮定すると、井沢説とかなり違う結論が出てくるのは、むしろ自 然な気がします。この海野予想。。非常に気に入っているので、ちょっ と語調がきつくなったかも知れません。 しかし、みんな激しいバトルが好きなんですねェ〜。 ◇きんたろうさんへ◇ RESありがとうございます。面白いですね。 何か新しい事が分かったら、また投稿させてもらいます。 ◇inaさんへ◇ RESありがとうございます。 ina wrote > 上位も下位もない、というのが南北朝についての和式の見解であ > り、南朝正統、というのが、朱子学をリゴリスティックに適用し > た時の結論、ですから、対立概念です。 そうですね。。 1:正統論と合体論が同じ基準がどうか? 2:同じ基準だった場合には、和式なのか、朱子学式なのか? 3:正統論は朱子学式で、合体論は和式なのか? 3というならばAwaji説でもOKです。 正統論・合体論ともに朱子学的なリゴリズム判定すると、純粋南朝 正統論になるのではないか? というのが疑問点です。 なお、正統論・合体論と書きましたが、正確には、分裂時の正統論、 合体時の正統論と書くべきかも知れません。 ◇まいごへ◇ 困ったことに、みんな激しいバトルが好きみたいです。 Time : 2000/ 1/11(火) 18:31:55
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : ( ゚o゚)ハッ 一日やすんでいる間に(笑) Comments: TAKATOKUさん(怨霊鎮魂の為に上座^^;)Awajiさん 緑茶王さん へなちょこ星人さん きんたろうさん まいごさん inaさん 輔住さん みなさん こんばんわ〜 いや〜 ■は確かに印象悪かったです<(_ _)> ☆がいいです って問題じゃない?(笑) 掲示板て 管理するひとがいないとカオスになるもんです^^; 文字だけのコミュニケーションだから 誤解もあるし(笑) ☆緑茶王さん☆ わざわざ まとめてくださいましてありがとうございます 教科書疑獄の前史は 非常に参考になります > これを読んで激怒した神道家・国体論者たちは、批判の論陣を張っただけでな > く、直接久米を脅迫し、政府に久米を処分するよう要求した > > 久米邦武は帝国大学を追われ、論文を発表した雑誌は発売禁止となる。さらに > 「大日本編年史」の編さんも停止され、修史局の後身の史誌編さん掛(がか > り)も廃止される。 興味深いです 非南朝正統論者が沈黙していく過程でしょうか? ☆TAKATOKUさんへ☆ >繰り返しになりますが、1911年時点限定の主要因(あるいは無 >視できない副要因?)として、「怨霊鎮魂思想」がある訳ですね? >お手並み拝見させてもらいます。 明治帝が「朕の直系の先祖が正統で どこが不都合なんじゃ」 と開き直るのも手だと思うのですがね 国内統治のためですが 日本では「政治」は「まつりごと」ですからね(笑) >社会主義・共和主義者がどの程度の勢力でもって台頭してきたか知 >らないのですが、少なくとも「南朝正統論」の台頭はビックリした >ような気がします。以下の理由で: 「『暗殺主義』第1巻第1号」とかすごいです 爆殺予告ですからね〜 大逆事件の精神的打撃はすごいものだったと思います >1:まず、「あなたの先祖はニセモノです!」と突き上げられた事; 皇位にある人でなければ わからないかもしれません 血統のみが権威の源泉ですから 泉は澄んでいるにこしたことはない >2:しかも、突き上げた人々というのが自分を支持してくれる人々 >  である 。。という異例さ; >3:リゴリスティックに考えれば、「南朝正統=自分はニセモノ」 >  なのに、そうではないらしい。この部分はリゴリスティックに >  考えないで、自分の正統性は認めてもらえるようだ 。。とい >  う異例さ; ここらへんが 笑えるんですよね なんか「2.26事件」とか思い出しますね 当人たちは尊王のつもりでも大逆になっていく まじめであればあるほど天皇の権威を傷つけていく >4:北朝正統論者がカタクナならば分かる、それが現実政治へのメ >  リットになるからだ。そうではなくて、北朝正統論者が柔軟で >  南朝正統論者がカタクナな態度をとる 。。という異例さ(こ >  れは、日本人ならば異例に考えないかも知れません、悲惨な人 >  間にはカナイマセンから。。); 命がけで北朝正統論を述べる忠臣がいないのが また興味深い ここらへんの沈黙的意思統一も 敗戦の原因になっていく >5:「南朝正統」とすることによって、利益を得る人々が顕界に存 >  在しない(と考えられていた)にも関わらず、南朝正統論者が >  がカタクナである 。。という異例さ; 南朝後裔がいないからこそ 気軽に主張できるのでしょう 熊沢天皇がいたら やっぱヤバイでしょう^^; >6:「南朝正統」とすることによって、利益を得る人々が幽界には >  存在する事 。。しかも特定の人達のみ; まあ 幽界で現実的利益があるかどうかは 死んでみないとわからないしね^^; あくまでも 霊魂や怨霊があると信じる人の心のうちを あるがままに見ようということですな >誰もやらなければ、「言い出しっぺ」の私がやらなければなりませ >んが。。 でも、私は第2者と言葉が合わず、第2者の根拠と結論 >のギャップを埋められないんですが。。 中立国とはいいがたいですからね〜(笑) Time : 2000/ 1/11(火) 19:03:52
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「神社アレコレ U」?? Comments: inaさん、みなさん、今日は。Awajiです。 先ずは、神社制度についての追加です。 延喜式に記された名神社制度は、次第に有名無実となり、そのうち主 要(一部式外)な二十二社を中心とする奉幣制度が定められます。 二十二社制度は、宇多天皇、昌泰元年(898)の頃からはじまったとさ れていますが、白河天皇、永保元年(1081)頃に確定したようです。 その後は、これらの神社が特に官社として意識されたと思われます。 (上七社) 伊勢神宮・・・・・・伊勢(天照大神・豊受大神) 石清水八幡宮・・・・山城(品陀別命=応神 他) 下鴨・上賀茂神社・・山城(賀茂別雷神・玉依姫命 他) 松尾神社・・・・・・山城(大山咋命 他) 平野神社・・・・・・山城(今木神=百済 他) 稲荷神社・・・・・・山城(倉稲魂神 他) 春日神社・・・・・・大和(建御賀豆智命 他) (中七社) 大原野神社・・・・・山城(建御賀豆智命 他)・・春日分社 大神神社・・・・・・大和(倭大物主櫛甕玉命) 石上神宮・・・・・・大和(布都御魂剣神) 大和神社・・・・・・大和(倭大国魂神 他)・・大己貴荒魂 広瀬神社・・・・・・大和(若宇迦売命) 龍田神社・・・・・・大和(天御柱命 他) 住吉神社・・・・・・摂津(表筒男命 他) (下八社) 日吉神社・・・・・・近江(大山咋神 他) 梅宮神社・・・・・・山城(酒解神 他) 吉田神社・・・・・・山城(建御賀豆智命 他)・・春日分社 広田神社・・・・・・摂津(撞賢木厳之御魂 他)・・天照荒魂 祇園社・・・・・・・山城(素戔嗚尊 他) 北野神社・・・・・・山城(菅原道真) 丹生川上神社・・・・大和(高オカミ神 他) 貴船神社・・・・・・山城(闇オカミ神 他) ある意味では、律令制度の崩壊と共に、天皇家の視野が畿内に限定 (集中)されていったことを物語るのかも知れません。 inaさん・・・・・ >>明治天皇はどういう理由で立ち寄られることに成ったのでしょう >>か?単に御休憩ということですか?そうでないと、もともと平将 >>門が祭られている神社に寄られる理由がわかりません。 さすがに鋭いご指摘ですね。 このエピソードが記述されていた雑誌では、陸軍特別演習に臨幸され た帰路に立ち寄ることを言い出されたとのことです。 神田明神は、江戸時代をつうじて市民に親しまれた神社ですから、素 通りしないで一度は参拝しておこうと思われたのでは無いでしょうか? 明治帝が「祭神=将門」であることを知っておられたかどうかは、分 かりませんが、教部省の措置から見て、ご存じなかったのかも知れま せん。 (知っておられて、敢えて参拝を言い出されたとすれば、お膝元に逆 臣「将門」が主神として祀られているのを何とかしろ・・・と言う意 味にも取れますが、おそらくそうでは無いと思います。 寧ろ、神田明神の祭神は「将門」か・・・それを朕が参拝するのは具 合悪かろう・・と教部省の措置に呵々大笑された様に思われます。) Time : 2000/ 1/11(火) 21:41:51
Name : 明人 E-mail : tkyuuri@hotmail.com Title : 日本リバータリアニズム運動(NLM)宣言 Comments: こんにちわ。明人といいます。 私の主催しておりますホームページ「Libertarianizm @ Japan] http://yokohama.cool.ne.jp/kyuuri/ を今後発展させていき、日本リバータリアン運動(=NLM)という 思想運動を展開していきたいと思っています。 そしてその主催者は、あの副島隆彦氏です。 副島氏の日本リバータリアン運動の宣言文が [きゅうりの自由な掲示板]というBBSに載せてあります。 これから、めちゃくちゃ密度の濃い、脳味噌の沸騰するような Site作りをしていくつもりです。 つきましては、興味のある方は、是非、HPの方を覗いてみてください。 副島氏を交えたMLによる展開も考えています。 詳しくは、HPの方でお知らせします。 それでは、よろしく。 #ちなみに、まだ作ったばかりなので、これから内容は充実させていきます。 http://yokohama.cool.ne.jp/kyuuri/ Time : 2000/ 1/11(火) 21:43:02
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論の解釈スタンス」?? Comments: 海野さん、みなさん。今日は。Awajiです。 少し早いかも知れませんが、そろそろラマダン明けと言うことで? かって、邪馬台国について議論があった時に、夫々スタンスを確認し たことがありましたね。 そこで、それに習って以下の基準で確認してはどうかと思うのですが? 1911年に明治(天皇)政府が「南朝正統論」を公認した理由に関する 解釈・・・ 南朝正統論=怨霊鎮魂×(1−K)+大義滅親×M+その他×N K=M+N 井沢説・・・・・0<K<0.2 でしょうか?(異論があればご指摘下さい) Awaji説・・・・・0.8<K<0.9 ただし 0.7<M<0.8 TAKATOKUさん説・・0.7<K<0.9 ただし 0.6<N<0.8 ??? (N=治世上の理由≒楠正成人気等に対する明治政府の迎合???) 海野さん。その他の方のスタンスは、どの辺になるのでしょうか? なお「大義滅親」は・・・11/20・22掲載の次の内容です(一部補注) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー @天皇の地位は唯一神聖なものであり、二朝並立論自体が容認すべからざ る思想である。 **勿論、これは天皇制のみならず、君主制全てについて言える原理だと 思いますが・・・ ↓ B従って、南北朝の正閏を確定せざるを得ない立場におかれて(い)た。 (リゴリスティクに考えなければ・・・先祖の聖旨は論ずべきに在らず とかなんとか言って、誤魔化しておけば良かったと思うのですが、政争の 具にされアイマイ論では清まされなくなってしまった。あるいは進んで、 大義名文論に立って正統性を明らかにしょうとした。) ↓ D現皇室は北朝系統であり、その直系祖である北朝天皇を偽帝とするのは 不孝極まりないが、正統性自体については「後亀山」から「後小松」に 譲位され、南北合体がなされているので、法制的には問題は無い。 **法制的と言うのは「大義名分上」と言う意味を含みます。 ↓ E従って、直系祖を逆賊扱いするのは、自己の血統上の正統性に係わる問 題と言う面があるものの、Dの論理でこれを補い、南朝正統論に決定し た。 **つまりは「一天無二君」「尊王斥覇」をリゴリスティクに適用した。 義(体制)・・・天皇(君主)制における天皇(君主)の絶対性(尊厳) 親(血統)・・・先祖が之を侵した(逆賊)事を天下に公認する不孝 を比較衡量した結果、ある意味では「大義親を滅す」とした明治天皇の苦 渋の選択だと思いますし、理論的には妥当な選択だと思うのです・・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Time : 2000/ 1/11(火) 23:13:49
Name : へなちょこ星人 E-mail : Title : 前回のラマダン明けは Comments: 1999年,12月31日でした。 Awajiさん,タイムリーですね。 Time : 2000/ 1/12(水) 00:01:13
Name : 緑茶王 E-mail : Title : 南北朝正閏問題ー緑茶の思うところ Comments: みなさん、こんにちは。 前回の投稿が、どの程度役に立つか分かりませんが、参考になれば幸いです。 緑茶は、この明治時代の南北朝正閏問題について、もともと興味がなかったので、 読み流していました。すみません。 それで、TAKATOKUさんとAwajiさんの議論において、何が問題になって いるのか?把握していなかったので、最初から読み返してみました。 ことの発端は、井沢先生の顕幽分離再説に対するAwajiさんの疑問。 それに対するTAKATOKUさんの井沢先生支持の表明だと思います。 (ただ、ログが流れていて「救世観音と「南朝正統論」?? 1999/ 9/15」  までたどり着けませんでした。その中には、井沢先生への疑問だけでなく、  「尊王斥覇論」に基づくもの(=朱子学をリゴリスティックに)  であったというAwajiさんの結論も含まれていたように思われます) それで緑茶の勝手な感想ですが、TAKATOKUさんは、Awajiさんと 南北朝正閏問題を議論しているのではないと思います。 TAKATOKUさんは、井沢先生とAwajiさんを比べた場合、 井沢先生を信じると主張しているのではないのでしょうか? しかし、”井沢先生は正しい”ということだけで、 議論を展開するのは無理があると思います。 (なぜ?と言われると非常に困ります^^  お互いに相手を嫌悪しあう結果になるのではないでしょうか?) 井沢先生の顕幽分離再説では、Awajiさんを納得させることは できないのでしょう。 ですから、「救世観音と「南朝正統論」?? 1999/ 9/15」の 投稿があったのだと思います。 やはり、これには井沢先生が答えなければならないと思います。 仮に、この掲示板上で、「顕幽分離」が明治時代の南北朝正閏問題に 影響したと結論が出たとします。 しかし、その結論の根拠と、井沢先生の書く「逆説の日本史 明治時代(仮)」 の根拠が同一になるとは限りません。 (仮定の話に仮定を重ねてしまいました) 緑茶にとって、今議論されている、”1911年の南北朝正閏問題”は、 明治時代に対する時代認識の再確認に有用だと思っています。 (自分でこの時代をつきつめて考えるのは苦手なもので。興味がないというか) TAKATOKUさんに、緑茶の結論を求められましたが、 緑茶がこの問題をどう考えているか、結論を述べるのは、控えておきます。 どうも私の考えは、TAKATOKUさんともAwajiさんとも海野さんとも 井沢先生とも違うようです。 つまり、まいごさんの「横入り」(1999/12/22)で言う、 >>後醍醐の実態がバレていて庶民に不評だったら、恐ら >>く、南朝正統にはならなかったと思っています。 >あなたは明治の天皇の権力はどの程度のものだと思ってるのですか? >情報操作など御手のものでしょう? そうは思わないのです。 ただ、それを説明するために、明治時代を考えるには国家主義の形成。 それを考えるには世界史。それを考えるにはキリスト教。 最終的には「宇宙は膨張している」という結果になってしまいます^^ ですから、基本的にROMでいたいと思います。以上雑感でした。 それでは。 Time : 2000/ 1/12(水) 07:15:32
Name : TAKATOKU E-mail : Title : えっ!! 15%も!! Comments: ◇緑茶王さんへ◇ > それで緑茶の勝手な感想ですが、TAKATOKUさんは、Awajiさんと > 南北朝正閏問題を議論しているのではないと思います。 いえいえ、少なくとも昨年までは「南朝正統論」の話をしていまし たヨ。 > TAKATOKUさんは、井沢先生とAwajiさんを比べた場合、 > 井沢先生を信じると主張しているのではないのでしょうか? > しかし、”井沢先生は正しい”ということだけで、 > 議論を展開するのは無理があると思います。 そうですか、それは残念ですね。私の意見は井沢先生の意見と同じ 等とは一言も言っていないはずですが。。 昨年12月27日にマ トメて述べたのですが、「中日ドラゴンズの論理」を介してならば、 主要因と呼べなくもないというのが私の意見です。井沢先生の意見 が何かは、厳密には、私は知りません。 今回のAwaji氏の投稿で分かったのですが、Awaji氏には この点は理解頂けているようです。 > 仮に、この掲示板上で、「顕幽分離」が明治時代の南北朝正閏問題に > 影響したと結論が出たとします。 > しかし、その結論の根拠と、井沢先生の書く「逆説の日本史 明治時代(仮)」 > の根拠が同一になるとは限りません。 同じにはならないと思います。なったら気持ち悪いし、それに。。 印税の一部を貰わないと。。(笑) > TAKATOKUさんに、緑茶の結論を求められましたが、 > 緑茶がこの問題をどう考えているか、結論を述べるのは、控えておきます。 了解しました。RES、ありがとうございました。 ◇海野さんへ◇ RESありがとうございました。勉強になりました。 > TAKATOKUさん(怨霊鎮魂の為に上座^^;) 恥ずかしい限りです。。 #鎮魂されるとオトナシイ?? > 掲示板て 管理するひとがいないとカオスになるもんです^^; > 文字だけのコミュニケーションだから 誤解もあるし(笑) そうですか、ここだけしか知らないもので。。 誤解を避ける為に、「(笑)」とかいうのも今回から借用させても らいます。 #借りっぱなしですが(笑) > 南朝後裔がいないからこそ 気軽に主張できるのでしょう > 熊沢天皇がいたら やっぱヤバイでしょう^^; もちろん、そうなんですよネ。だからこそ、みんながカタクナに信 じることができるんですよネ。そこが不思議な所で、そしてその理 由が知りたい訳でして。。 ◇Awaji氏へ◇ > TAKATOKUさん説・・0.7<K<0.9 ただし 0.6<N<0.8 ??? 私の説まで入れてもらったのですが、正直言って、無視してもらっ た方がアリガタイですネ。私の論点は一貫して「中日ドラゴンズの 論理」を介してです。最も、Awaji氏は「中日ドラゴンズの論 理」にご理解がないので、論じても無駄だと思います。 「物事は表層と深層があり、単純に述べられない」というのが私の 主張です。切り出す断面によっては「怨霊鎮魂行為」が見えるし、 切り出す断面によっては「治世上の都合」つまり「メリット・デメ リット論」になる訳です。 「一朝無二君」は建前で、「南朝正統にせよ」というのが本音であっ たことが、そのいい例でしょう。「朱子学」の中にも「怨霊鎮魂行為」 があると主張しています。切り出す断面の指定がなければ、何%等 とは言えません。 > (N=治世上の理由≒楠正成人気等に対する明治政府の迎合???) この辺もそうです。明治政府が楠木正成人気をつくりだしている訳で あって、迎合という言葉は不適切でしょう。そして、楠木正成人気政 策?が実を結ぶ理由として、衆による怨霊鎮魂行為があると考えてい ます。もっともこれは40年の政策の蓄積を無視して、1911年時 点におかれた立場で考えての主要因です。 > Awaji説・・・・・0.8<K<0.9 ただし 0.7<M<0.8 新Awaji氏説: 「朱子学をリゴリスティックに適用したためで、それ以外の無視で きない副要因は見当たらない。ただし、リゴリスティックという言 葉には積極的な意味はない」 15%もあって、無視できるだと!! そんな馬鹿な話。。おっと いけねぇ。。そんなノーマルでない話はないだろ!! 私と言葉が合わない訳がよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く分かりました。 それに、Awaji氏は、読み方によっては、「後醍醐の道徳的な 勝利者」と言っている訳でしょ、すごい意見だと思います。 Time : 2000/ 1/12(水) 18:40:15
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 「大義滅親」の儒教における地位 Comments: Awajiさん みなさん こんばんわ じつは「大義滅親」について考察中なのです そもそも 儒教は君臣の関係よりも親子の関係を重んじるわけですが 「大義滅親」は その例外なのか否定なのか調査していたんですよ 出典は 「春秋左氏伝 隠公四年」にあるようですが まだ読んでません 臣下(君子)の場合 「文章規範」の編者の謝枋得は 老いたる母親への孝養を優先し 宋が元に滅ぼされるのをだまって見ていて 母親が亡くなってから戦う 小人の場合 老親を養うためと称して脱走した兵に 孔子様がお金を与え 「孝養を尽すように」と諭して 故郷に返した有名な話 聖人の場合 「聖人の義務(良い政治をすること)」と「孝」と板ばさみになったとき 「天下を捨てて父に仕えるべき(意訳)」(孟子「尽心章句上 三五章」) もちろん 儒教では亜聖・孟子の主張も一説にすぎないが・・・ 日本では「保建大記」の栗山潜鋒によると 天皇家が政治の実権の失ったのは 皇位の恣意的な継承もさる事ながら 源義朝に父為義を処刑させた 乱倫が原因とするらしい 潜鋒先生は いかに天皇の命令とは言え 父を処刑するのは間違いで 義朝は 功績地位財産総てを投げ出して父親の赦免を願い 容れられなければ 隠遁するべきと説く(らしい^^;) というわけで「大義滅親」を研究中なんです どのような場合に 親を殺して良いか^^; 親を殺す義務が生じるのは臣下か 君主か^^; 詳しい人 教えてください Time : 2000/ 1/12(水) 19:07:13
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 極端な主要因 Comments: 物事には色々な側面があると申しましたが、その説明したいと思い ます。説明の都合上、ちょっと極端な話になります。ご了承下さい。 つまり、ちょっと極端な主要因を述べさせてもらいます。 1911年時点超超超超限定主要因: 「南朝を正統にせよ」との突き上げがあったから これなら、文句言う人はいない? Time : 2000/ 1/12(水) 19:08:50
Name : きんたろう E-mail : Title : 神社について Comments: こんばんは、inaさん、Awajiさん、みなさん。 わたしもあれから少し調べてみましたのでその結果報告です。(^^) 神宮とは皇大神宮(内宮)豊受大神官(外宮)の正式名称であり、皇祖神や天皇を 祭る神社、あるいは古来より特別の由緒ある神社で神宮を称するものがありますが それらはいずれも正式には別物だとの事でした。 ちなみに神社は古くは神の社とも神の宮とも言われていました。 沿革的には「やしろ」とは屋代のことで、神祭りをする屋舎を立てる場所を言い 「みや」は「御宿」を指し神祭りをする殿舎を意味したそうです。 Awajiさんがすでに書かれていますが、平安初期には宮号を持つ神社は社号を 持つ神社よりも格式が高いとされました。 延喜式の神名帳によると宮と称する事を許された神社は伊勢の大神宮(皇大神宮) と度会宮、豊受大神宮および両宮の別宮である荒祭宮・滝原宮・伊佐那岐の宮・月読宮 ・高宮のほか、香取神宮、鹿島神宮、八幡大菩薩筥崎宮、八幡大菩薩宇佐宮である との事です。 歴史的には天皇が三種の神器の一つである八咫鏡を斎鏡としてアマテラスを宮中に 祭りましたので皇居は神宮そのもののように思われていたそうです。 この時代は神人同居の時代と言われています。 崇神天皇がアマテラスを大和の笠縫に祭り、ここに初めて皇居と神宮とが区別され たとの事です。これは神人の分離と言われています。 Time : 2000/ 1/12(水) 23:01:05
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「大義滅親」?? Comments: 海野さん、TAKATOKUさん、みなさん、今日は。Awajiです。 きんたろうさん、詳しくご説明いただき有り難うございました。 海野さん・・・・ ご承知頂きたいのですが、Awajiが「大義滅親」と申し上げたのは、 >義(体制)・・・天皇(君主)制における天皇(君主)の絶対性(尊厳) >親(血統)・・・先祖が之を侵した(逆賊)事を天下に公認する不孝 >を比較衡量した結果、ある意味では「大義親を滅す」・・・ この「義と親」を比較して「義」を選んだ・・・「ある意味では」と言 うことであって、原義とは異なっています。 「春秋左氏伝 隠公四年」における原義では「父が子」を殺しています。 (春秋時代に、衛の大夫の石石昔が、逆臣となった公子である州吁と共 謀して衛の国君を弑殺した我が子石厚を、逆賊として殺害させた。) なお勿論、儒教と言えど先祖に対する近親があり、父に対する「孝」と、 何代も前の先祖に対する「孝」は、異なるでしょうね。 また、これは日本における儒教を論ずる場合に、必ず言われることです が、儒教倫理のうち「孝」の評価は、本家とは全く異なっていますね。 「忠」と「孝」の重みは明らかに逆転しています。 結局我々は「儒教」にしろ「仏教」にしろ、日本的土壌においてしか受 けいれていないと思っています。(勿論他の国においても同様ですが・・ これをカナリ本気で受け入れたのは「事大主義」を余儀なくされた韓国 位でしょう)・・・救世観音と「建前・本音雑感」10/5 参照 この範囲でAwajiの「大義滅親」を、ご理解願います。 10%〜20%について・・・ >>当然に様々な複合的動機(理由)がある筈です。明治天皇の脳裏に後醍 >>醐の霊安を祈る気持ちが微かに浮かんだかも知れません。 >>しかし、歴史解釈において重要なのは主動機(主要理由)でしょう? >>(これも我々のような個人の行為でも同じです) 11/20 或いは・・・公家の中には「これにより後醍醐帝の武家に対する御恨が 晴れた。後亀山帝の偽計にはめられた悔恨も晴れた」と感じた者もいた かも知れません。しかしこれらの要因を過大評価すべきでは無いと言う 意味です。チョット海野さんの情熱に対してサービスし過ぎましたか? (^0^)" >>1911年時点超超超超限定主要因:「南朝を正統にせよ」との突き >>上げがあったからこれなら、文句言う人はいない? 明治帝が、突き上げに屈したとは考えられません。あくまでも天皇制の 「義」に照らして、(苦渋の選択ながら)理性的に選択したと考えてお ります。 仮に明治帝が・・・ 「朕の直系の先祖が正統で どこが不都合なんじゃ」と開きなおって仕舞 っては、皇室の尊厳は失われてしまうと思います。 明治帝は「血統」よりも「皇統」を尊重することによって、皇室の「義」 を鮮明に示したのでは無いでしょうか? >>うーむ つまり「南朝正統論」が先鋭化して「北朝偽者」→「共和制( >>社会主義革命)」になることを恐れて「南朝正統説」を丸呑みして体制 >>に取りこんだと 解釈できますね 1/4 この”「共和制(社会主義革命)」になることを恐れて”を”皇室軽侮に いたることを懸念して”・・・・と少しニュアンスを変えれば、正鵠を得 ておられると思います。 Time : 2000/ 1/12(水) 23:30:45
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「ミヤ・ヤシロ追加」?? Comments: きんたろうさん、Awajiです。チョット蛇足ですが・・・・ >>沿革的には「やしろ」とは屋代のことで、神祭りをする屋舎を立て >>る場所を言い「みや」は「御宿」を指し神祭りをする殿舎を意味し >>たそうです 「やしろ」は神を祭る場所(神庭)ですが、次第に祭りが済むと撤 去される「仮屋」を示すようになった。 また「みや」は、次第に神のための「住居」そのものを示すように なったと、する説もあるようです。 先日は、突然お邪魔をして、スミマセンでした。 <(_ _)>ペコ あの人も随分勉強されているようですね。よろしくお伝え下さい。 (本当はこれが言いたかったので、ミヤ・ヤシロはの蛇足というより ミミズ足でした。(^o^) Time : 2000/ 1/13(木) 00:01:47
Name : ina E-mail : Title : 宮、社 Comments:  きんたろうさん、御教示ありがとうございました。   この手の格の問題は非常に面白いです。官位の変遷なども史書に現れない 事実を推測する足がかりになりそうですね。  宇佐がちゃんと宮の中に入っているのでこころ強いと思いました。 Time : 2000/ 1/13(木) 01:01:07
Name : 緑茶王 E-mail : Title : 謝罪。 Comments: みなさん、こんにちは。 変な横やりを入れてしまって、恥ずかしいかぎりです。 TAKATOKUさんへ。 前回の私の投稿は、 TAKATOKUさんがご指摘のとおり論点がずれているだけでなく、 感情論による言論封じにあたるものでした。 不快に思われているのではないでしょうか? 申し訳ありませんでした。 深く反省しております。 それでは。 Time : 2000/ 1/13(木) 03:03:57
Name : ina E-mail : Title : DEAR TAKATOKU Comments: こにちは  どうもレスありがとうございました。  ところで、TAKATOKUさんは中日ドラゴンズの論理を、どういうおつもり で使っておられるのか、教えていただけますか?  井沢先生の御著書の中では少なくとも、史料のみを信じて、史料に書かれないよ うな常識的な概念の存在を無視した論理、として使われています。  ですから、自分の意見が中日ドラゴンズの論理を介しているとか、−に依れば、 といって表明することは、有る意味では自己否定になるように思うのですが。  ここは一つどういう意味で使っておられるか、御説明くださいませ。 Time : 2000/ 1/13(木) 08:33:54
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「神社アレコレV」?? Comments: inaさん、きんたろうさん、神社ファンのみなさん、今日はAwajiです。 >>宇佐がちゃんと宮の中に入っているのでこころ強いと思いました。 ご同慶のいたりです。 (^0^)" ついでに申し上げておきますと・・・Awajiの記憶では、神名帳にお いて数ある名神大社のなかで「大社」と明記されているのは「出雲 (杵築)大社」だけだったように思います。 (記憶違いであればゴメンナサイ) 社格(神階)はさして高くないのに、何故「大社」と表記されたの か? Awajiは半ばジョーク的解釈ですが、一つの妄想を考えたことがあり ます。チョット恥ずかしいので(勇者ロトさんに叱られる?)、ここ では披露いたしかねますが、サテ何でしょう??? Awajiの妄想をズバリ当てられた方には・・・・・・・・・ 勿論・・・豪華賞品はございません。 (>_<;) Time : 2000/ 1/13(木) 12:28:15
Name : 勇者ロト E-mail : Title : もしかして Comments: 大赦?ですか?>Awajiさん。 Time : 2000/ 1/13(木) 12:43:52
Name : TAKATOKU E-mail : Title : Awaji説に賛成!? Comments: 緑茶王さん、inaさん、海野さん、Awajiさん(多少は言葉 が通じてきましたネ。名前を入れさせてもらいます)、輔住さん、 みなさん、こんにちは。今回は、こんな過激な!?タイトルで始め たいと思います。今までの議論は何だったんでしょうか!?(笑) ◇意見の訂正◇ まず、意見の訂正ですが、1911年時点の主要因を「治世上の都 合」から「メリットがデメリットを大きく上回る」すなわち「メリッ ト・デメリット説」に切り替えます。要するに輔住さんの言葉です。 私の中では両者の違いはほとんどないのですが、どうも治世上とい うと、一般庶民を相手にしているような印象を与えてしまう、とい うのがその理由です。「治世」の対象としては、政治家、役人、教 師、その他も含めてのつもりでした。 Awaji説の解釈についても、「リゴリスティックには積極的な 意味はない」と書きましたが、Awajiさんの今回の投稿の意味 ならば、多少「積極的」と解釈してもよい気がします。多少は言葉 が合ってきたようです。つまり、別な問題が発生したということで すガ。 ◇緑茶王さんへ(RESありがとうございます!)◇ ノープロブレムです。 「中日ドラゴンズの論理を介せば」ということは、厳密に解釈すれ ば、私は最初から井沢批判をしていたことになります。ただ、議論 を始めると、「怨霊鎮魂的な要素」が思ったよりズット濃くてビッ クリしている所です。要所要所にボディブローのように効いていて、 面白いです。 私の意見はあくまで私の意見であって、井沢先生と同じかどうかは 知りません。私の意見というよりは、私の解釈ですネ。もしかした ら、井沢先生の意見と近いかも知れない、という程度です。 私のことを「井沢信者」と呼んだ人もいて、笑ってしまったのです が。。 ◇inaさんへ(RESありがとうございます!)◇ まず、「分裂時の正統論」と「合体時の正統論」の話はOKでしょ うか? 私は両者の基準は同じだと思っています。inaさんはど うですか? ina wrote: > 宇佐がちゃんと宮の中に入っているのでこころ強いと思いました。 よかったですねェ〜。 ina wrote: > 井沢先生の御著書の中では少なくとも、史料のみを信じて、史料に書かれないよ > うな常識的な概念の存在を無視した論理、として使われています。 もちろん、これが「中日ドラゴンズの論理」です。「中日ドラゴン ズの論理基本形」ですネ。私の「中日ドラゴンズの論理」の解釈は デビュー時に書いたのですが、ここで再録させてもらいます。 I wrote (11/13): > 「中日ドラゴンズの論理」は資料史上 > 主義批判です。資料だけでは真実は分からない、と。そして、仮に > 資料が真実であったたとしても、それは表層的な真実かも知れない、 > と。表層的な真実でなかったとしても、さらに深い意味での真実で > はないかも知れない、と。以下、エンドレス。。 「中日ドラゴンズの論理拡張形」です。これが真の姿かも知れませ ん。常識的な概念が抜けやすいので、史料は表層的になりやすい、 というこです。 I wrote (11/13): > ドラゴンズという名前の命名に関して、井沢先生は「社長のエト > だから」という理由を不正解とし、「強そうな動物だから」とい > う理由を正解としています。どう考えても、正史である前者が10 > 点満点の正解なのですが、0〜1点程度の後者を井沢先生は主要 > 因と見ているのです。つまり『逆説の日本史』の精度はその程度 > ということだと思っています。言い替えれば、精度を下げることで、 > 日本史全体を眺めることを可能にしているのだと私は思っています。 > そして、精度が下がっているにもかかわらず、返って本質が見える > 所にファンは惹かれていると思うのですが、如何でしょうか? 「中日ドラゴンズの論理発展形(別角度形)」です。10点満点の 「社長のエトだから」を採用するか、0〜1点の「強そうな動物だ から」を採用するかは、自分の欲しいアウトプットに依存するので はないか、ということです。史料に書かれている表層要因は完璧 (なこともあるが)応用性に欠ける。深層要因は本質的であるが、 精度が下がる。という訳です。 今回の「南朝正統論」に関しても、どういう精度で要因分析をした いのか、という基準が定まらなければ、何も議論がすすまないと思っ ています。精度が高ければ表層的でも構わないのか? それとも精 度が落ちても本質部分を見極めたいか? そして、どの程度精度を 落とすのか? 早い話が、どういう切断面で要因分析するか? ということです。 常識的な切断面、つまり常識的な主要因についての私の意見は 昨年12月27日に述べています。 ina wrote: > ですから、自分の意見が中日ドラゴンズの論理を介しているとか、−に依れば、 > といって表明することは、有る意味では自己否定になるように思うのですが。 これはどういう意味でしょうか? 詳しく教えて下さい。 ちなみに、私のAwajiさんに対する読解力批判は上の私の文章 に対するものではありません。11月13日のAwajiさんの投 稿に対するものです。 長くなりましたが、こんな感じです。RESお待ちしてます。 ◇海野さんへ◇ Unno wrote (1/11): > 「『暗殺主義』第1巻第1号」とかすごいです 爆殺予告ですからね〜 > 大逆事件の精神的打撃はすごいものだったと思います そうですか。微々たる勢力であっても、自分を殺したがる勢力があ るのは、きっと驚異なんでしょうネ。私には永遠に分からないよう な気がします。#それはそれで寂しい? I wrote (1/10): > まず、「あなたの先祖はニセモノです!」と突き上げられた事; Unno wrote (1/11): > 皇位にある人でなければ わからないかもしれません > 血統のみが権威の源泉ですから 泉は澄んでいるにこしたことはない この辺の「突き上げ」をどうとらえるのか、論点になりそうです。 Awajiさんは、単なる「きっかけ」として解釈してる面もあり ます(私ではちょっと理解不能です)。 ◇Awajiさんへ(RESありがとうございます。)◇ Awaji wrote: > 10%〜20%について・・・ 了解しました。少しは言葉が合ってきたようですネ。でも未だ合わ ない方が多いですが。。 Awaji wrote: > 明治帝が、突き上げに屈したとは考えられません。あくまでも天皇制の > 「義」に照らして、(苦渋の選択ながら)理性的に選択したと考えてお > ります。 > 仮に明治帝が・・・ > 「朕の直系の先祖が正統で どこが不都合なんじゃ」と開きなおって仕舞 > っては、皇室の尊厳は失われてしまうと思います。 この部分は、言葉が合わないですネ。下は私と同意見ですが、上は 反対なんですよネ。私の言語世界では上下は「矛盾」しています。 「理性的な決断」というならば、これはある種積極的な理由と考え られますので、「リゴリスティック」という言葉は私の感性でも適 切と思います。つまり、「理性的な決断」かどうかが、新しい論点 ですね。 Awaji wrote: > この”「共和制(社会主義革命)」になることを恐れて”を”皇室軽侮に > いたることを懸念して”・・・・と少しニュアンスを変えれば、正鵠を得 > ておられると思います。 ここもOKです。つまり、Awaji説の後半は「メリット・デメ リット論」に見えるのですが。。 Awaji wrote (1/11): > Awaji説・・・・・0.8<K<0.9 ただし 0.7<M<0.8 さて、タイトルの件ですが、切断面を特定すれば、この意見に同意 致します。その断面とは「1911年時点限定、明治天皇と側近の 主語限定、そして言い訳切断面」です。 Time : 2000/ 1/13(木) 18:43:36
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 「矛盾」と書きましたが。。 Comments: ちょっと、訂正します。 I wrote: > この部分は、言葉が合わないですネ。下は私と同意見ですが、上は > 反対なんですよネ。私の言語世界では上下は「矛盾」しています。 明治天皇も、南朝正統論者も「理性的」な決断をしている。と仮定 すれば「矛盾」はしません。 Time : 2000/ 1/13(木) 18:58:10
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 「怨霊鎮魂」と「大義滅親」と「利」と Comments: Awajiさん みなさん こんばんわ >義(体制)・・・天皇(君主)制における天皇(君主)の絶対性(尊厳) >親(血統)・・・先祖が之を侵した(逆賊)事を天下に公認する不孝 >を比較衡量した結果、ある意味では「大義親を滅す」・・・ > >この範囲でAwajiの「大義滅親」を、ご理解願います。 了解です >「春秋左氏伝 隠公四年」における原義では「父が子」を殺しています。 >(春秋時代に、衛の大夫の石石昔が、逆臣となった公子である州吁と共 >謀して衛の国君を弑殺した我が子石厚を、逆賊として殺害させた。) 「親」というのは「父子関係」という概念をあらわすようですね^^; う〜ん 「大義滅親」って おおげさな気もしますが・・・ >また、これは日本における儒教を論ずる場合に、必ず言われることです >が、儒教倫理のうち「孝」の評価は、本家とは全く異なっていますね。 >「忠」と「孝」の重みは明らかに逆転しています。 近代国家を急いでつくるために 儒教倫理も利用したわけですが 「天皇陛下の赤子」のように 「忠」が「孝」と一体化したりする^^; >結局我々は「儒教」にしろ「仏教」にしろ、日本的土壌においてしか受 >けいれていないと思っています。(勿論他の国においても同様ですが・・ >これをカナリ本気で受け入れたのは「事大主義」を余儀なくされた韓国 >位でしょう)・・・救世観音と「建前・本音雑感」10/5 参照 この 日本的変容が面白いんですね〜 なんでも我流なのが(笑) 井沢先生は「和」「怨霊」「言霊」のようなもので この変容のダイナミズムを説明する仮説をたてられますが その説明に説得力があるのか 他にも「変容原理」があるのか 興味深いです >チョット海野さんの情熱に対してサービスし過ぎましたか? (^0^)" いや〜 もっとサービスしてください(笑) >明治帝が、突き上げに屈したとは考えられません。あくまでも天皇制の >「義」に照らして、(苦渋の選択ながら)理性的に選択したと考えてお >ります。 最近考えていることは 「不敬(笑)」なことですが 明治政府・明治帝にとっては「義」ではなく しょせん「利」なのかもしれない というようなことです 要は 政権と皇位を守ることだし 「利」と解釈できる 時の「法皇」山県有朋にとっては「南朝正統説=天皇親政」のほうが 自己の権力にとって都合がよい 文民統制がない軍隊 弱体化した内閣をあやつる内務省 「天皇親政」の建前があれば 逆に 非制度的な「傀儡=黒幕」政治が機能しやすい 山県のエゴの解析だけなら 至極簡単なんですよね 余談ですが 山県が死に 権力に巨大な「空洞」が出来て その空洞を少壮の軍人達のエゴが埋めたりしながら 「天皇親政」の「明治」政府は滅んでいくのですな〜 >「朕の直系の先祖が正統で どこが不都合なんじゃ」と開きなおって仕舞 >っては、皇室の尊厳は失われてしまうと思います。 >明治帝は「血統」よりも「皇統」を尊重することによって、皇室の「義」 >を鮮明に示したのでは無いでしょうか? 「南朝正統説」でも「北朝正統説」でも傷ついたと思います 「血統」と「皇統」の区別というのは あるようですね 帝国憲法の「告文」には「皇祖」「皇宗」「皇考」に誓う ヘンテコな文章がついてますが これが天皇家の信仰告白なのでしょう 天皇の統治権の「正統性」は「皇統」に由来するのですが その一天皇が「皇統」の変更を決定できるのか 実は疑問に思っているのです そのような「権威」が一天皇にあるのか まあ 実際に決定したんだからしょうがないけれど あきらかに「皇考=孝明帝」とは違った考えを採用される ことの重大性から考えると 決定が迅速過ぎるきらいがある 史上初めての「天皇爆殺予告」「大逆事件」などで 天皇周辺は恐慌状態だったのではないか とも疑っています そこを 山県につけこまれたとか・・・(笑) Time : 2000/ 1/13(木) 19:40:38
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 天皇であるがゆえに憎まれる Comments: TAKATOKUさん みなさん こんばんわ >> 「『暗殺主義』第1巻第1号」とかすごいです 爆殺予告ですからね〜 >> 大逆事件の精神的打撃はすごいものだったと思います > >そうですか。微々たる勢力であっても、自分を殺したがる勢力があ >るのは、きっと驚異なんでしょうネ。私には永遠に分からないよう >な気がします。#それはそれで寂しい? ベルツの日記が面白いです 「伊藤(博文)の大胆な放言には自分も驚かされた。・・・ 『皇太子に生まれるのは、まったく不運なことだ。生まれるが早いか、 至るところで礼式の鎖でしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に 躍らされなければならない』と。そういいながら伊藤は、 操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せたのである。」 一方「暗殺主義」第一巻第一号は 「日本国皇帝睦仁君足下 余等無政府主義革命党暗殺主義者は、 今足下に一言せんと欲す。 ・・・故に事実上彼また吾人と等しく猿類より進化せる者にして、 特別なる権能を有せざるを、今更余等の喋々またざる也。 ・・・ 睦仁足下 憐なる睦仁足下。足下の命は旦夕にせまれり、 爆裂弾は足下の周囲にありて、将さに爆裂せんとしつゝあり。さらば足下よ」  天皇とは 政治的実権があるわけでもないし(ホ−ムレスになる心配もないが) それで 憎まれたり尊敬されなかったら これほどつらく滑稽な存在はないでしょう  最近考えているのは  「明治帝の決断は間違っていたのではないか?」ということです^^; 「南朝正統説」を採用したことは 世論に迎合した近視眼的判断だったと^^; 日露戦争までは 植民地になるかならないかの存亡の危機で はっきり言って南朝だの北朝だの言ってる暇はなかった 儒教倫理や南朝の忠臣の顕彰や天皇親政幻想など ありとあらゆる利用できるものを動員して ロシアに勝利した 戦勝に一息ついたところで大逆事件や教科書問題がおきたわけですが いままでの「軍事的高度成長」路線に対する反省が必要だったのです そもそも 天皇に実務的能力があるわけではなく 「天皇親政」は まったくの虚構なわけです だから 「天皇親政」から「立憲君主制」への現実的政策変更が必要だった と思います そこで 教科書問題で明治帝が「退位」をちらつかせてゴネれば 「北朝正統→傀儡→立憲君主制」への理論的展開がありえたと思うのです 妄想の域ですが(笑) そうすれば のちの「天皇機関説」も至極まともな議論になります また 「南朝正統論」によって思想統一されたことが 「(学問の)自由」にとっていかに有害であったか 「北朝」「南朝」「並立」の学問の自由が確立されなかったのは いかにも残念 社会主義者や無政府主義者の「跳梁」は このような「不自由」のバロメーターのようなものですから まだ 粗筋状態ですが 「明治帝南朝正統説採用決定失政論」です(笑) Time : 2000/ 1/13(木) 20:46:01
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「大社」?? Comments: 勇者ロトさん、今日は。Awajiです。 早くも出雲の御大のご出座とは! ・・・コリャ チト マズイ コトニ ナリニケリ w(x_x)w 大赦?・・・・ 座布団一枚!! (^0^)" でも残念ながら「ブ〜〜」です。(>_<;) Time : 2000/ 1/13(木) 20:56:49
Name : ina E-mail : Title : RES Comments: Hello!  出勤時間ですので簡潔にしますが、以下の文のとおり、あなたは、史料至上主義 を、指す言葉を、史料至上主義の批判、として使っていたわけですね。 > 井沢先生の御著書の中では少なくとも、史料のみを信じて、史料に書かれないよ > うな常識的な概念の存在を無視した論理、として使われています。 もちろん、これが「中日ドラゴンズの論理」です。「中日ドラゴンズの論理基本形」 ですネ。私の「中日ドラゴンズの論理」の解釈は デビュー時に書いたのですが、ここで再録させてもらいます。I wrote (11/13):> 「中日ドラゴンズの論理」は資料史上> 主義批判です。資 Time : 2000/ 1/13(木) 21:13:52
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「顕幽分離論批判 FIN」?? Comments: 海野さん、TAKATOKUさん、みなさん。今日は。Awajiです。 ご承知のとおり、そもそも、Awajiが「南朝正統論」に関して問題提起 したのは、緑茶王さんご指摘のとおり、9/14「顕幽分離」からです。 これは井沢さんが「ヒストリー」において・・・ 「オオクニヌシ」「菅原道真」「源氏物語」「太平記」「南朝正統論」 「武家官位」・・・は全て「顕界」と「幽界」を分離して怨霊鎮魂を 図る=顕幽分離論で解釈できる。従って・・・ >やはり顕幽分離論は正しいのである。各時代の不可解な現象が、一つの >理論で説明できるということは、その理論が正しいということを示してい >る。しかし残念ながら今の日本の歴史学界では、縦割り行政のような専攻 >制度を採っているから、説明できない現象は「武家の官位」のように見捨 >てられ誰も論文の材料にしない、という真理の探究からはもっとも程遠い >姿勢で処理されることになるのである。 と主張され、歴史学会を批判されたことに関し、その妥当性を確認(検 証)したいと言うことにありました。そこで「源氏物語」から順次検証 を進め、「南朝正統論」に到ったものです。 従って、極めて無責任な言い方をすれば「南朝正統論」が「怨霊鎮魂説」 以外で解釈出来れば・・・そしてその解釈が少しでも「怨霊鎮魂説」より 蓋然性が高ければ・・・それで一応の検証目的は達せられたのです。 と言う観点から見れば、様々な条件付きにしても、海野さん、TAKATOKU さん共に「怨霊鎮魂説」から一歩距離を置かれた様に思いますので、以 上をもって、「ヒストリー顕幽分離論」に関する議論を終了させて頂き たいと思います。 いろいろと貴重な意見をうかがい、お陰でずいぶんと勉強させて頂きま した。ご協力を深謝いたします。 なお、蛇足ではありますが・・・以下 >>天皇とは 政治的実権があるわけでもないし(ホ−ムレスになる心 >>配もないが)それで 憎まれたり尊敬されなかったらこれほどつら >>く滑稽な存在はないでしょう  おっしゃるとおり、本来君主と言うものはそういうものでしょう。 しかも常に「ダモクレスの剣」の下に着座しているのですから「暗殺」 とも隣り合わせでしょう。(^o^)→カワイソウ (>_<;) >>「明治帝南朝正統説採用決定失政論」です(笑) Awajiは、歴史は往々にしてに皮肉な逆効果を生んでますので、後世 から当時の政策(判断)を審判するのは、慎重でありたいと思ってい ます。 しかし日本がその後辿った道は決して最良とは思えませんので、ある いはおっしゃるとおりかも知れません。 >>「親」というのは「父子関係」という概念をあらわすようですね^^; >>う〜ん 「大義滅親」って おおげさな気もしますが・・・ 通常「大義滅親」は以下のように定義されることが多いようです。 「大きな道義のために、私情を捨てること」 「公事のために、私情を捨てること」 「国家や君主に対する大きな義のためには、肉親を犠牲にすること」 これを君主自体の行為に適用したのは、「ある意味では」と言う条 件付きにしても、妥当と言えなかったかも知れません。 >>明治政府・明治帝にとっては「義」ではなくしょせん「利」なのか >>もしれないというようなことです この点は、Awajiの表現が不充分だったのかも知れませんが・・・ @〜Eで申し上げたことは、「義」を貫くことが「天皇制」の尊厳を 保つことになる・・・これは当然究極的には天皇制を利することにな る・・・と申し上げて来たつもりです。 「大欲は、無欲に似たり・・・」とでも申しましょうか?? (チョット≠かも??) Time : 2000/ 1/13(木) 23:31:48
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 違いましたか>Awajiさん Comments: では、大謝? 出雲の御大とは、むずがゆい通り名をいただきましてどうもすいません。 今回の出雲行きでは、「出雲から世界へ」のホームページの管理人さんとお会いし て、出雲に関する文献(古代史の本)を幾つか分けて頂いたのですが、まだまだ知 らないことが多く、不勉強さを改めて感じているところです。 宮と社の件なのですが、出雲大社由緒略記には、「出雲大神宮」と日本書紀に記さ れていたとあります。 これによると、 天日隅宮(あめのひすのみや)>日本書紀   ↓ 出雲大神宮(いずもおおかみのみや)>日本書紀   ↓ 所造天下大神宮(あめのしたつくらししおおかみのみや)>出雲国造神賀詞   ↓  杵築大神宮(きつきのおおやしろ)>延喜式   ↓ 天日栖宮(あめのひすみや)>出雲国風土記   ↓ 杵築宮(きつきのみや)>釋日本紀   ↓ 出雲国大社(いずものくにおおやしろ)>享保集成総論録 など、社名呼称の変遷があったということです。 延喜式神名帳には、「杵築大社」とあるそうですが、私の手もとのパンフレットに は「杵築大神宮(延喜式)」と記されています。読みは上記のように、「きつきの おおやしろ」ということですが、「宮」と「社」の呼称にきんたろうさんの挙げら れたような意味をもたせ、区別をしたのは、延喜式が作成されたあとの話で、それ 以前に大きな信仰圏をもっていた神社(宇佐なども含む)は全て「みや」と呼ばれ ていたのように思うのですが????????あくまで一般的な呼称としてです。 朝廷側からの正式な呼称ではないという意味です。 現代において「神社」と呼ばれる建造物は延喜式以前は「〜〜の宮」と呼ばれてい たということです。 つまり、宮・社の呼称の違いに延喜式以前のそれぞれの神社の信仰や権力の意味を 求めるのは難しいということではないかと思っています。 なんだか意味のわからない投稿になりましたが、深い意味はありません。 ちょっと運転疲れです! Time : 2000/ 1/13(木) 23:57:37
Name : 緑茶王 E-mail : Title : 南朝正統論ー通説に賛成。 Comments: みなさん、こんにちは。 TAKATOKUさんへ。 レス、ありがとうございました。 今回緑茶がTAKATOKUさんの論点を誤解した原因は、 井沢先生と同等に、歴史を研究されている学者の方々に 敬意を持つという立場から、 「井沢先生の顕幽分離再説での論理には納得できない」 という主観があったためでした。 Awajiさんと同様に、歴史学界を批判するに足る説であったか? その妥当性には疑問があります。 海野さんへ。仮の話にレスつけちゃいますが^^ >「明治帝南朝正統説採用決定失政論」です(笑) 緑茶には、なんの根拠もありませんが、 明治時代から1945年の敗戦までは、前へ突き進むしかなかった、 そんな感じを受けています。 #緑茶が参加するには難しい話でした。 #どちらかと言うと虚実諸々という話題のほうが好みです^^ それでは。 Time : 2000/ 1/14(金) 06:01:14
Name : 輔住 E-mail : Title : お礼 Comments: みなさん、こん@@は。 顕幽分離の議論も一区切りというところですか。 「南朝正統論」=「怨霊鎮魂」に反対という部分では またその理由も納得しています。 そういう意味ではAwajiさんと近かったんですよ(笑)。 明治政府が「怨霊」を軽視してたとは思いませんが (巣徳上皇に対する対応等から) ただ明治の南朝正統論は「怨霊」より「朱子学」の 影響と見たほうがいいと思いました。 みなさん、貴重なご意見ありがとうございました。 Time : 2000/ 1/14(金) 12:32:36
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : げげげ Comments: Awajiさん 緑茶王さん みなさん こんにちわ ◇Awajiさんへ◇ >と言う観点から見れば、様々な条件付きにしても、海野さん、TAKATOKU >さん共に「怨霊鎮魂説」から一歩距離を置かれた様に思いますので、以 >上をもって、「ヒストリー顕幽分離論」に関する議論を終了させて頂き >たいと思います。 いえいえ ターゲットは今も昔も「怨霊鎮魂」です(笑) そのために 「大義滅親」についてオリジナルから考察しているのです そもそも 天皇家や公家は「大義」なんて考えるような人たちじゃなく いつの時代も「利」「利」「利」だったな〜などと^^; すなわち 目的は 皇位と政権の維持=「利」 目標は 大逆事件・南北朝正統論による混乱の終息 手段は 南朝諸帝の怨霊鎮魂 「実利」と「怨霊鎮魂」の方が 相性が良いかな〜という仮説です 西洋の目的合理主義からすると 目的(目標)と手段の合理的関連性が 乏しい(ない^^;)のですが 「霊魂」や「怨霊」の実在を信じる宗教ですから このような非合理的なことになるのでしょう いままでの「虚構的行為」の伝統ゆえに 明治帝周辺は 南朝正統説採用を速やかに(拙速に^^;) 決断されることが可能だったのではないかと思います >Awajiは、歴史は往々にしてに皮肉な逆効果を生んでますので、後世 >から当時の政策(判断)を審判するのは、慎重でありたいと思っています。 まあ 現在から逆算の「結果論」「後知恵」であることにはかわりないですからね ただ 中島商工相辞任事件や天皇機関説事件など 閉塞的は言論状況の根源が「南朝正統論」にあって 私の立場からすると 南朝正統論の採用は唯一の選択肢ではないのですから 明治帝周辺ならびに政府の連中は「結果責任」を負わなければならないと 思うのです この場合は 明治帝の決断が内閣の奏上に拘束されるのであるならば 内閣のみの責任であるのは太平洋戦争における責任論と同じです(仮定ですが) >「ヒストリー顕幽分離論」に関する議論を終了させて頂きたいと思います。 「顕幽分離論」というのは イマイチなネーミング^^;というのが率直な感想です 「怨霊鎮魂」を含む概念のようですが^^; 思うに 「武家の官位」をも包摂する必要性から より抽象的なものが 必要になったのではないかと推測してきます まあ 立場の違いも鮮明になったことですし 私も少し休憩をしたいと思ってます ◇緑茶王さんへ◇ レスありがとうございます >明治時代から1945年の敗戦までは、前へ突き進むしかなかった、 >そんな感じを受けています。 う〜ん そのように考えると「運命論」に近づいてしまうようです Time : 2000/ 1/14(金) 16:32:08
Name : TAKATOKU E-mail : Title : えっ?? Comments: ◇前回の発言について◇ 「1911年時点限定、明治天皇と側近の主語限定、そして言い訳 切断面ならばAwaji氏に賛成です」は一歩引いたことにはなり ません。。 言い訳切断面ですから。。 ◇inaさんへ◇ 論点がよく分かりません。私への批判でしょうか? 批判はお受け しますよ。お手柔らかに(笑)、そして分かり易くお願いします。 I wrote: > まず、「分裂時の正統論」と「合体時の正統論」の話はOKでしょ > うか? 私は両者の基準は同じだと思っています。inaさんはど > うですか? ところで、「中日ドラゴンズの論理」の前に、まず、この話の返事 を教えて下さい。 ◇Awaji氏へ◇ > と言う観点から見れば、様々な条件付きにしても、海野さん、TAKATOKU > さん共に「怨霊鎮魂説」から一歩距離を置かれた様に思いますので、以 > 上をもって、「ヒストリー顕幽分離論」に関する議論を終了させて頂き > たいと思います。 ご冗談を。。 私は一歩も引いていませんが。。 昨年12月3日に、1911年時点限定の主要因は「利」(このと きは「治世上の理由」と書きましたが)と私は書いています。「義」 は言い訳と主張しています。 > 従って、極めて無責任な言い方をすれば「南朝正統論」が「怨霊鎮魂説」 > 以外で解釈出来れば・・・そしてその解釈が少しでも「怨霊鎮魂説」より > 蓋然性が高ければ・・・それで一応の検証目的は達せられたのです。 「朱子学」の中に「怨霊鎮魂」が入っているのです。「利」の中に も「怨霊鎮魂」が入っているのです。直接的な比較はできないんで す。何でも比較できるような単純じゃないんです。特に、歴史のよ うなモノはあらゆる角度、あらゆる切断面から複眼思考的に見るも のじゃないでしょうか? 違いますか? ◇緑茶王さんへ◇ RESありがとうございました。「通説に賛成」とのことですが、 ちなみに、私も「通説に賛成」ですからね。。 同意見ですね!(笑) > Awajiさんと同様に、歴史学界を批判するに足る説であったか? > その妥当性には疑問があります。 井沢先生のこの文章は、「ターゲット」がよく分からないので、ど の位字句通りに読んでよいのか、分かりづらい点はあります。論理 展開を少々端折ったと考えれば、現実に「顕幽分離」状態になって いて、しかも「後醍醐を道徳的な勝利者とする」には、ちと無理が ある訳で。。 と非常におおまかに考察すれば、十分妥当でしょう。 細かく見れば、要所要所でボディブロー(パンチじゃないが)のよ うに効いています。こういう観点で歴史を見ることも(「も」は強 調!)必要だと思います。 ◇海野さんへ◇ RESありがとうございます。勉強になりました。 > 最近考えていることは 「不敬(笑)」なことですが > 明治政府・明治帝にとっては「義」ではなく > しょせん「利」なのかもしれない というようなことです > 要は 政権と皇位を守ることだし 「利」と解釈できる 私もそう思います。「義」はカッコツケ(=言い訳)ですね。それ に、天皇は傀儡が自然な状態ですし。。 > 山県のエゴの解析だけなら 至極簡単なんですよね 「南朝正統論者はカタクナさ」は結果的に「山県の利益」のためだっ たんですなァ。。 Time : 2000/ 1/14(金) 17:36:39
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 休憩 Comments: 海野さん、みなさん、こんにちは。 > そもそも 天皇家や公家は「大義」なんて考えるような人たちじゃなく > いつの時代も「利」「利」「利」だったな〜などと^^; 不思議な存在ですよね〜。しかも、面倒で汚ない仕事はしないで、 いつも傀儡ばかり。。 それでも、地位はずっと保っていて。。 > いえいえ ターゲットは今も昔も「怨霊鎮魂」です(笑) > 目的は 皇位と政権の維持=「利」 > 目標は 大逆事件・南北朝正統論による混乱の終息 > 手段は 南朝諸帝の怨霊鎮魂 期待しております。目的・目標はOKですが、手段は? というか、 この意見で議論する気分になれない、という所です。海野さんの主 張は分かり易くてよいですネ。 > いままでの「虚構的行為」の伝統ゆえに > 明治帝周辺は 南朝正統説採用を速やかに(拙速に^^;) > 決断されることが可能だったのではないかと思います なるほど、自然な発想ですね。 > 「顕幽分離論」というのは イマイチなネーミング^^;というのが率直な感想です > 「怨霊鎮魂」を含む概念のようですが^^; > 「実利」と「怨霊鎮魂」の方が 相性が良いかな〜という仮説です 「実利」の為に「怨霊鎮魂」する訳ですから、合理的だと思います。 必ず、「怨霊鎮魂行為」をするのではなく、「利」にかなうと考え たときだけ、「利」にかなう範囲でする訳ですから。もっとも、衆 による鎮魂行為の動機はよくわかりませんが。。 どう考えるべき でしょうかね? ネーミングについては、昨年9月10日以降に、勇者ロトさん、 inaさん達の議論があります。 > 私も少し休憩をしたいと思ってます 「休憩」で助かります。。 「止めた」だと、また言葉の通じない Awaji氏とやらなければならないので。。 Awaji氏もほっ としているでしょう!!(笑) Time : 2000/ 1/14(金) 18:22:12
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 明治維新の最終勝利者 Comments: TAKATOKUさん みなさん こんばんわ >「南朝正統論者はカタクナさ」は結果的に「山県の利益」のためだっ >たんですなァ。。 う〜ん 藤沢代議士とか 儒学・教育関係者は 南朝正統「信者」だから 信条からいったら 当然の行為をしたまでで 山県は 明治帝周辺の混乱・パニックにつけこんで さらに確固たる地位を築いた ぬけめのない権臣というところでしょうか まあ 極私的な見解です(笑) Time : 2000/ 1/14(金) 21:35:57
Name : 勇者ロト E-mail : Title : もしかして3 Comments: 大蛇?そんなわけないですよね? Time : 2000/ 1/15(土) 00:47:44
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 怨霊☆☆☆☆☆説 Comments: 海野さん、みなさん、こんにちは。タイトルに関して最初に断って おきますが、固有名詞の伏字をしている訳ではありません!! 今 回はこんなタイトルで、休憩モード&お気楽モードで、大胆にも、 海野説補強を試みたいと思います。海野さん、RESお願いします。 ◇本題です◇ 「怨霊鎮魂」「怨霊鎮魂」「怨霊鎮魂」と何度も何度も書いてきた 気がするのですが、果たして「怨霊鎮魂」なのか? という疑問が 涌いてきました。さて、今回の大前提ですが: 「明治天皇は、倒幕がアッサリ成功したことを後醍醐の怨霊パワー のおかげと思った」 と仮定します。これは、Awaji氏の意見を尊重して考えた説で す。ちなみにAwaji氏の意見は「後醍醐の怨霊パワーは、まず 武家に向けられるハズ」というものです。そして、この仮定は認め てもよい、と思わせる発言をAwaji氏はしています。従って、 この仮定はそれほど不自然なものではありません。 Awaji wrote (12/24): > 明治初期に楠木一族に対する追贈位の大奮発が行われます。 > 楠木正成・・明治元年 従一位、明治13年 正一位、明治31年皇居前銅像 > 楠木正季・・明治13年 正三位 > 楠木正行・・明治6年 従三位、明治30年 従二位 > 楠木正時・・明治22年 正四位 > 彼等は、北朝に徹底抗戦したわけで... > まさかこの追贈位が、怨霊鎮魂とは思えません Unno wrote (1/6): > 南朝の忠臣に感謝したのではないでしょうか?(笑) さて、追贈位の大奮発に対する考察ですが、大前提を仮定した所で、 海野さんの「怨霊感謝説(笑)」までが限界のような気がします。 すなわち、Awaji氏の言う通りで「怨霊鎮魂」とは考えにくい です。なお、彼らは「怨霊」とは考えにくいのですが、怨霊である 後醍醐のために働くという意味も込めて「怨霊」と書きました。 そこで、タイトルの伏字を告白するのですが、「怨霊働きなさい説」 です。追贈位には、もちろん、倒幕時の感謝もあると思います。そ れだけではなく、追贈位してあげるから、今度は北朝の明治天皇の 為に「働きなさい」ということではないでしょうか? 天皇サイド には、これ位の図々しさはあるような気がします。 Unno wrote: > 目的は 皇位と政権の維持=「利」 > 目標は 大逆事件・南北朝正統論による混乱の終息 > 手段は 南朝諸帝の怨霊鎮魂 さて、海野説補強に入りたいと思います。 1:南朝正統とすることで、南朝諸帝の怨霊鎮魂をする。すなわち、   北朝天皇家子孫への祟りを止める。(通常の「怨霊鎮魂」に) 2:南朝正統となったことにより、北朝の子孫の繁栄が南朝諸帝の   利益につながる。したがって、怨霊パワーを北朝の子孫の為に   使うようになる。(「怨霊働きなさい」を追加する) 以上です。「怨霊パワーを怨霊恵み!に変化させる」というもので す。南朝の忠臣にした行為と同等の意味を持たせてみました。如何 でしょうか? >海野さん 使えそうでっか?? 煮るなり焼くなり、好きにして下さい!! ◇訂正です◇ I wrote: >「南朝正統論者はカタクナさ」は結果的に「山県の利益」のためだっ >たんですなァ。。 これじゃ、前半と後半がミスマッチですね。後半は“「山県の利益」 になってしまったんですなァ。。”に訂正します。海野さん、ご指 摘ありがとうございました。 ◇補足です◇ Unno wrote (1/13): > そこで 教科書問題で明治帝が「退位」をちらつかせてゴネれば なるほど、こんな技もあるのですネ。偉い人のみが許される技です ネ。 #私が「辞める」と言っても、返ってくるのは「どうぞ」だけだろ #うなァ。。(ぼやき) Time : 2000/ 1/15(土) 18:19:21
Name : kituno E-mail : kituno_i@yahoo.co.jp Title : 救世観音について Comments: Awajiさん、皆さん、はじめまして 私は、YAHOOの掲示板の日本史に「聖徳太子・織田信長に恋しています」 という浮ついた題のトピックを載せているkitunoと申します。 井沢先生のBBSは昨年の9月頃から拝読するようになりました。 前々から、Awajiさんが書き込みの前に必ず唱えられる 「救世観音」について是非お伺いしたいと思っていたのですが、 なかなか勇気がなく悶々としていました。 AwajiさんがきんたろうさんのHPに書き込んでくださり、 ここで質問するきっかけを得ることができました。 ありがとうございます。 では、さっそく・・・ 私の知っている限り「救世観音」というのは法隆寺のものしかありませんから、 Awajiさんがあの夢殿の像を意識していらっしゃることは間違いないと 思っていました。 太子にぞっこんの私ですが、実は法隆寺夢殿の「救世観音」を初めて見たとき、 「ぞっ」としてしまったのです。 暗いお堂の中の「救世観音」は、「不気味」な微笑みを浮かべていました。 他の観音仏像に見られる慈愛に満ちた表情を感じることができなかったのです。 何故、Awajiさんは数ある仏像の中で敢えて聖徳太子の写し身とされる 「救世観音」を唱えられるのでしょう。 聖徳太子の怨霊を封じ込める為の像である、という説については どのようにお考えですか? 何故製作当初から、白布で覆われ「秘仏」とされてきたのだと思いますか? 返信していただけると嬉しいです。 宜しくお願いします。 今の話題に関連していることではなく申しわけありません。 Time : 2000/ 1/15(土) 21:30:42
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「出雲大神宮」?? Comments: 勇者ロトさん、神社ファンのみなさん、今日は。Awajiです。 大謝?大蛇?・・・残念ですが、何れも「ブ〜〜」です。(>_<;) ヒント・・もう少し待って下さい(と言うほどの話ではありませんが) さて、出雲大社の名称変遷ですが、「神在月」と同様に以下にも千家 さんらしい強引さのヨウで・・・ (^0^)" 大体が、熊野神社の社格を乗っ取った方々ですから (・・?) 以下Awajiの印象です・・・ 古事記・・・天之御舎(あめのみあらか)) 書紀・・・・天日隅宮(あめのひすミのみや)神代紀第九段第二の一書 書紀・・・・出雲大神宮(いずもおおかみのみや)崇神紀60年 ですが、出雲大神宮は「出雲大神の宮」でしょう。これを恰も「大神宮」 の如く記述するのは、格上の「大神宮」を意識した一種のスリカエの様 な気がします。「出雲国造神賀詞」も同じく「所造天下大神の宮」でし ょう。 延喜式神名帳・・「杵築大神宮」は、出雲大社だけの「異本?」でしょ うか?明らかに「 杵築大社」が正当と思われます。 (読みそのものが「おおやしろ」ですものね (^0^)" >>それ以前に大きな信仰圏をもっていた神社(宇佐なども含む)は全て >>「みや」と呼ばれていたのように思うのですが???????? >>あくまで一般的な呼称としてです。 以下Awajiの妄想ですが・・・ 仏教伝来により「寺院」が建設されるまでは、原則として「ヤシロ」が 一般的だったと思います。その後中央における「寺院」建設にともなっ て、中央主神に「宮=神殿」が建設され、さらに各所に「寺院」が建設 されるに従って地方神の住居としての「宮=神殿」が建設されたのでし ょう。(それでも三輪・石上等は「無宮」でした) 従って、国分寺が建設された頃には、大部分の主要神社は「宮=神殿」 を建設していたと思います。(国造が郡司になり、官選国司が彼等の上 位に立った頃の慰撫策かも?・・・天智から天武・持統の頃?もう少し 古いかな??) 従って、記紀当時には夫々の現地においては「神の宮」と呼ぶのが一般 化していたと思います。 記紀で「XX(大)神の宮」と表現しているのは、そのためかも知れま せん。 しかし、その後において神社の格を制度的に明確にするため、かっての 語源に基づき「宮=ミヤ」格と「社=ヤシロ」を区別したのでは無いで しょうか?(結論的には、ロトさんの認識と同じです・・・我々だって 近所の神社はみんな「お宮さん」ですから) >>つまり、宮・社の呼称の違いに延喜式以前のそれぞれの神社の信仰 >>や権力の意味を求めるのは難しいということではないかと思ってい >>ます。 と言うことで・・・あくまでも中央から見ての格付けでしょうね。 ただ、中世にはこの格付けが乱れ、XX神社がXX神宮を名乗ったり、 正一位を自称したりしていますので、出雲が「大神宮」を名乗ってのは 記録上も確認されているようです。 Time : 2000/ 1/16(日) 01:15:09
Name : ina E-mail : Title : Dear Takatoku Comments: こんにちは  以下の話しでしたね。 そうですね。。1:正統論と合体論が同じ基準がどうか?2:同じ基準だった場合 には、和式なのか、朱子学式なのか?3:正統論は朱子学式で、合体論は和式なの か? 3というならばAwaji説でもOKです。正統論・合体論ともに朱子学的なリゴ リズム判定すると、純粋南朝正統論になるのではないか? というのが疑問点で す。  まことに済みませんでした。今理解したのですが、TAKATOKUさんは 朱子学リゴリズムでも並立論に到達できるのではないか?と考えていらっしゃ るのですね?  それで3つも選択肢があって、3ならAWAJI説でOK,という。ここが 私の浅はかなところでした。  この理解でよろしいでしょうか? Time : 2000/ 1/16(日) 08:08:09
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : でも「怨霊」の話って 雲をつかむような議論ですよね Comments: TAKATOKUさん みなさん こんにちわ >「明治天皇は、倒幕がアッサリ成功したことを後醍醐の怨霊パワー >のおかげと思った」 倒幕に関しては 「やっと祟徳帝の怨霊から解放された〜」 というのが明治帝周辺の意識だったのでしょう >「後醍醐の怨霊パワーは、まず武家に向けられるハズ」 そう 足利幕府はボロボロになりましたから(笑) それが 徳川幕府に向いたかどうかはわかりません 「憎っくき北朝をいじめる 愛い奴じゃ」とか(笑) というものです。そして、この仮定は認め てもよい、と思わせる発言をAwaji氏はしています。従って、 この仮定はそれほど不自然なものではありません。 >Awaji wrote (12/24): >>彼等は、北朝に徹底抗戦したわけで... >> まさかこの追贈位が、怨霊鎮魂とは思えません 楠木正成の「和議」の献策が採用されていれば 皇位は後醍醐系で 尊氏は幕府ということで 後醍醐よりも長系の北朝や南朝の皇族は皆殺しだったでしょうね >そこで、タイトルの伏字を告白するのですが、「怨霊働きなさい説」 >です。追贈位には、もちろん、倒幕時の感謝もあると思います。そ >れだけではなく、追贈位してあげるから、今度は北朝の明治天皇の >為に「働きなさい」ということではないでしょうか? 天皇サイド >には、これ位の図々しさはあるような気がします。 なるほど 感謝するだけでなく さらに「こき使う」のですね^^; 日露戦勝までは 植民地になるかならないかの状態ですから なんでも 利用したのでしょう(笑) さすがに せっつかれなければ 南朝正統説は採用しませんでしたが >1:南朝正統とすることで、南朝諸帝の怨霊鎮魂をする。すなわち、 >  北朝天皇家子孫への祟りを止める。(通常の「怨霊鎮魂」に) >2:南朝正統となったことにより、北朝の子孫の繁栄が南朝諸帝の >  利益につながる。したがって、怨霊パワーを北朝の子孫の為に >  使うようになる。(「怨霊働きなさい」を追加する) まあ 普通は1:だけでしょう とりあえず 狂信的な南朝正統論者に黙ってもらって 「純粋南朝正統論」のようなものを封じこめる あと 無政府主義者の爆殺計画とかも やめてもらおうと(笑) 1911年時点では それで必要にして十分ではないでしょうか? 「臣下の怨霊」ならまだしも 「帝王の怨霊」ですので さらに「こき使う」のは・・・(笑) >以上です。「怨霊パワーを怨霊恵み!に変化させる」というもので >す。南朝の忠臣にした行為と同等の意味を持たせてみました。如何 >でしょうか? 「怨霊が恵み多き神に変わる」天満宮的大転換ですね ただ 「南朝の忠臣の怨霊跳梁」と明治帝周辺が解釈する 「事件」がなければなりません あるいは 幕末の志士達の 熱狂的活動ぶりかも または 「南朝諸帝の怨霊」と「南朝忠臣の怨霊」の離間の計とか 冗談ですよ〜(笑) >使えそうでっか?? 煮るなり焼くなり、好きにして下さい!! 正成の怨霊を「こき使う」のはナイスかもしれません Time : 2000/ 1/16(日) 09:50:58
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「救世観音について」?? Comments: kitunoさん、今日は。Awajiです。 タイトル「救世観音」では、色々な方からご指摘頂いており、お騒 がせいたしております。<(_ _)>ペコ まず、このタイトルですが・・・以下のとおりです 1/9掲載 >しつこくタイトル「救世観音」を付けています(^_^)/~ >お目障りかもしれませんが、ご容赦を・・・実はAwajiは歴史は不得 >意分野でして、得意分野は「仏像」なのです。 >このHPに参加させて頂いたのも、知人のKANAKさんが一連の井沢さん >批判を掲載されていた時に、その関係でROMしたものです。 >その後「救世観音」に関して質問があったので、思い切ってRES参加し >ましたが、本来タダノ仏像オタク(兼 若かりし頃の邪馬台国オタク) >で、歴史関係ではドシロウトであるとの意味を込めて、タイトルにし >ています。(>_<;) なお、この「思い切ってRES参加」第一号は概ね以下のとおりで・・・ 梅原さんの怨霊説批判です。 (当然、梅原さんの怨霊説を、ほとんどそのまま継承された井沢説批判 でもあります。) ---------------------------------------------------------------- 法隆寺夢殿「救世観音」に興味をお持ちのようですが、仏像愛好家の端 くれとして、ご参考までに。(お暇になったらご覧くださいますか。) 梅原先生の「隠された十字架」による、救世観音の特徴は次のようなも のだったと思います。(他にあるかも知れません。) 1.背後が作られておらず、内が空洞になっている。 2.「救世観音」が儀軌にない特異な形状である。 3.持物が「宝珠」とされるが、火焔につつまれた「舎利瓶」である。 4.光背・宝冠が火焔模様である。 5.光背の支え木がなく、直接釘でもって頭に止められている。 その他は、非常に感傷的な先生の印象に過ぎないと思います。 (以下各項目についてのコメントです・・・・・・・99/ 3/ 3) --------------------------------------------------------------- その後の掲載は次のとおりです。 Title : 救世観音について・・・ Time : 1999/ 3/ 3(水) 23:45:37 Title : 救世観音について補足します Time : 1999/ 3/ 7(日) 10:03:57 Title : 救世観音と宝珠 Time : 1999/ 3/12(金) 22:54:07 Title : 救世観音と法隆寺怨霊寺説? Time : 1999/ 3/15(月) 22:08:38 (救世観音と法隆寺怨霊寺説?・・・については触れたくない事情 がありまして(>_<;)・・・あるメンバーの意見についての批判です) -------------------------------------------------------------- さて、kitunoさんのご意見に関してですが・・・ >>太子にぞっこんの私ですが、実は法隆寺夢殿の「救世観音」を初め >>て見たとき、「ぞっ」としてしまったのです。 >>暗いお堂の中の「救世観音」は、「不気味」な微笑みを浮かべてい >>ました。他の観音仏像に見られる慈愛に満ちた表情を感じることが >>できなかったのです。 この印象を持たれるかたは、実に多いですね。 梅原さんも「隠された十字架」で、高村光太郎(?)さんの直感を、 援用されています。しかし仏像の相好を捉えるのは実に困難です。 Awajiは恐らく十数回は、拝観していますが、天候・時刻により光線 が変化しますので、かなり印象が異なっていました。 勿論、拝観の角度によっても大きく変化します(救世観音の場合は、 角度は拝観位置の関係で、殆ど変えられませんが・・・所謂能面の表 情変化の類です) その結果・・・Awajiの結論は、飛鳥仏一般に見られるアルカイック・ スマイルであって、堂々たる表情の白鳳天平仏、慈愛の表情を主とす る藤原仏を見慣れた目で見ると、異様な印象を持たれるかも知れませ んが、飛鳥仏を見慣れると印象が変わる・・・と言うことでした。 (ただし、擬古仏の可能性があるかも知れませんが・・・・(・・?) お鼻の辺りが、少し汚れているのも奇異な印象を感じる一因かも?) kitunoさんは法隆寺小金銅仏(東京国立博物館別館)や北魏仏をご覧 になったことが、おありでしょうか? >>聖徳太子の怨霊を封じ込める為の像である、という説についてはど >>のようにお考えですか? 聖徳太子の顕彰・鎮魂の意味は感じますが、怨霊鎮魂とは思いません し、まして怨霊封じ込め(鎮魂とは全く別の概念です)とは思いませ ん。 >>何故製作当初から、白布で覆われ「秘仏」とされてきたのだと思い >>ますか? そもそもが、拝観の対象として製作されたものでは無く、顕彰鎮魂の 意味があった為では無いかと思っていますが、それ以上は分かりませ ん。 あまり、ご参考にならなかったと思いますが、ゴメンナサイ(>_<;) Time : 2000/ 1/16(日) 10:27:51
Name : mak E-mail : qzu03364@nifty.co.ne.jp Title : 素朴な質問 Comments: 井沢さんの怨霊説を面白く読んでいます。 さて、先日祖母の葬式の時にふと思ったのですが、死んだ人につける「戒名」には どんな歴史があるのでしょうか。 死んだ人に新しい名前(合理的に考えれば意味 のない行為)をつけたり、1周忌、3周忌としていつまでもお祭する。 また京都 には、迎え火、送り火という、死んだ人の魂を、お盆に迎え入れる行事が、各家で も行われていました。(今は少なくなったかも) これは仏教の行為なのか、日本 独自の宗教的行為なのでしょうか。 どなたか知っている人いませんか。 Time : 2000/ 1/16(日) 17:13:25
Name : mak E-mail : qzu03364 Title : 素朴な質問 Comments: 井沢さんの逆説の日本史を面白く読んでいます。 さて、先日の祖母の葬式でふと気づいたのですが、死んだ人につける「戒名」 には、どんな歴史があるのでしょうか。  死んだ人に名前を付けることは、合理的には無意味のはずですが・・・。 また、1周忌、3周忌、7周忌、13周忌などいつまでも供養を行う行為や、 京都にある、死んだ人の魂を受け入れる、「迎え火」「送り火」は、観光目的 ではなく、各家で実際に行われています。(今は少なくなったかも) これは仏教行事なのか、それとも日本独自の風習でしょうか。 どなたか知っているひといませんか。 Time : 2000/ 1/16(日) 17:23:26
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 「中日ドラゴンズの論理」ではなかった!! Comments: inaさん、おっしゃる意味が分かりました。THANK YOU VERY AND VERY MUCH!!!! です。 何度も読んだはずなのに、今まで気づきませんでした。。 1999/11/13(土) 06:56:32 にデビューした時から、散々、「中日ド ラゴンズの論理」という言葉を使ってきたのですが、使い方が間違っ ていました! おー恥ずかし。。 みなさん、大変失礼しました!!! 私が「中日ドラゴンズの論理」と思っていたのは、正確には「中日 ドラゴンズの論理の落とし穴に陥らないための考察法」でした。 >管理人様 私の発言の中の「中日ドラゴンズの論理」をすべて「中日ドラゴン ズの論理の落とし穴に陥らないための考察法」に置き換えて下さい!! 。。いくら何でも無理か。。(笑) >井沢先生 「中日ドラゴンズの論理の落とし穴に陥らないための考察法」に簡 潔な名前を付けて下さい!! 今回の過ちはどうも、私が中日ファンである、ことに原因がありそ うです。「中日ドラゴンズの論理」と聞いて、私にはまず悪い印象 はないですから。。 あ〜〜、悪い意味だったのか〜〜。 Time : 2000/ 1/16(日) 18:12:26
Name : TAKATOKU E-mail : Title : Awaji氏、何とか言いなさい!! Comments: ◇海野さん、inaさん◇ RESありがとうございます。後日、返事を書かせてもらいます。 ◇Awaji氏へ◇ 自説が不利になりそうな状況で「やめる」のはマズイんじゃないで しょうか? 普通の人ならば「やめた」=「敗北宣言」で許されますが、Awa ji氏のこのHPでの数々の侮辱発言等々を考えた場合に、いくら なんでも許されることではないでしょう。 私はAwaji氏がノーマルな人間だとは思っていません。申し訳 ありません。しかし、多少はノーマルな心があるならば、やらなけ ればいけないことがあると思います。 Awaji氏、何とか言いなさい。 もちろん、一番よい選択は、謝罪ではなく、海野さんとの議論を続 けることです。 Time : 2000/ 1/16(日) 18:27:59
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「大社ヒント」?? Comments: 勇者ロトさん、神社ファンのみなさん。今日は。Awajiです。 >>社格(神階)はさして高くないのに、何故「大社」と表記されたの >>か? この疑問に関するAwajiの妄想のもとは、『口遊』にあります。 ・・・これがヒントです。 海野さん、みなさん・・・・。 >>Awaji氏、何とか言いなさい!! >>自説が不利になりそうな状況で「やめる」のはマズイんじゃないでし >>ょうか? >>普通の人ならば「やめた」=「敗北宣言」で許されますが、 >>Awaji氏のこのHPでの数々の侮辱発言等々を考えた場合に、い >>くらなんでも許されることではないでしょう。 >>私はAwaji氏がノーマルな人間だとは思っていません。申し訳あ >>りません。しかし、多少はノーマルな心があるならば、やらなければ >>いけないことがあると思います。 TAKATOKUさんのこのご意見を、どう理解すれば良いのか教えて頂けな いでしょうか??・・・Awajiには理解不能です。 Time : 2000/ 1/16(日) 19:48:57
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : TAKATOKUさんへ Comments: まあ まあ あつくならずに^^; >自説が不利になりそうな状況で「やめる」のはマズイんじゃないで >しょうか? そのようなことはないでしょう 論点によっては Awajiさんの主張のほうが説得力があるものもありますし >普通の人ならば「やめた」=「敗北宣言」で許されますが、Awa >ji氏のこのHPでの数々の侮辱発言等々を考えた場合に、いくら >なんでも許されることではないでしょう。 まあ 長々と同じ話題がつづきすぎるのも ROMされてるかたは飽きるでしょうし 現時点では 平行線のままの論点もあるので ここで休憩ということです 「侮辱」は まあ ひどいことを書くな〜とは 思いますが^^;;; 「愛のムチ」かもしれませんよ(笑) 怨霊メイキングな感じですが^^;;; >私はAwaji氏がノーマルな人間だとは思っていません。申し訳 >ありません。 これは 穏当ではないです^^;;; 私が思うに 議論においての勝ち負けにこだわりすぎではないでしょうか? 日本人は 人格と主張が不可分一体なので まるで人格の勝ち負けのように 錯覚をしてしまうので クールな議論がしにくいのです まあ 厳格な掲示板の管理人であれば Awajiさんにもイエローカードが 出そうな表現もあったような気がします まあ われわれより 3回り以上^^;年上のような気がしますので 人生の大先輩からの「特大の愛のムチ(笑)」を受けて クールに楽しく議論できるように成長する よい機会と考えてはいかがでしょうか どんなに 説得力がある意見があっても 感情的であるために 認められないという現象はよくあります あえて 申し上げれば 井沢先生の「ヒストリー」の文章もそのようなきらいが なきにしもあらずです 歴史学者の「存在」「人格」を全否定したとも とられかねない表現で かなり 損をしていると思います 先生には ご自重していただきたいものです はい Time : 2000/ 1/16(日) 21:31:46
Name : kituno E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: 「救世観音」についてRESをありがとうございました。 1/9のAwajiさんの掲載については読ませていただいた上で 尚かつ「何故、救世観音なのか」という疑問が生じたものですから、 質問させていただきました。 Awajiさんの「救世観音」に対する思いを聞かせていただきたいと思ったのです。 >梅原さんの怨霊説批判です。(当然、梅原さんの怨霊説を、ほとんどそのまま継承された井沢説批判でもあります。) 私も「逆説の日本史」1.2巻を読んだとき、 単なる梅原説継承であると思いました。 1999/ 3/ 7(日)〜1999/ 3/ 7(日)の掲載については、 ゆっくり読ませていただきます。 >天候・時刻により光線が変化しますので、かなり印象が異なっていました。 おっしゃる通りです。 仏像は、見る角度・天候・拝観する側の心境などで、 その印象は大きく違って見えます。 私は、藤原仏を見なれた目で「救世観音」を見ていたのだと思います。 >kitunoさんは法隆寺小金銅仏(東京国立博物館別館)や北魏仏をご覧になったことが、おありでしょうか? 2度ほど、半日をかけてじっくり拝観してきました。 十人十色と言いますが、仏像も実に様々な特徴があり、 特に飛鳥仏は小さいながらも、杏仁形、目の膨らみ、 目尻を上げるなどの止利仏師の特徴を感じさせてくれました。 「救世観音」も飛鳥仏一般に見られるアルカイック・スマイルには 違いないのですが、太子の「写し身」と思って拝観したからか、 法隆寺の釈迦三尊像には感じられない人間味を感じました。 >そもそもが、拝観の対象として製作されたものでは無く、顕彰鎮魂の意味があった為では無いかと思っています 怨霊鎮魂ではなく顕彰鎮魂の意味があってというAwajiさんの考えを聞かせていただき、 鎮魂というと怨霊とか無念と結びつけたくなってしまうのは、偏った考え方だったかもしれないと思いました。 顕彰に対しても鎮魂が必要であることを初めて知った気がします。 私の些細な質問に丁寧に答えてくださり、 本当にありがとうございました。<(_ _)> 仏像も歴史も多角的に見ることが大切ですよね。 これからも、いろいろなご意見を拝読させていただきます。 Time : 2000/ 1/16(日) 21:51:41
Name : 傍観者 E-mail : Title : Awaji氏のFIN??「??」に期待 Comments: Awaji氏が井沢先生にかなり批判的(否定的?)であるに関わらず, この掲示板にいることが出来るのは, Awaji氏が,真実を追究するものである限りにおけるでありましょう。 >従って、極めて無責任な言い方をすれば「南朝正統論」が「怨霊鎮魂説」 >以外で解釈出来れば・・・そしてその解釈が少しでも「怨霊鎮魂説」より >蓋然性が高ければ・・・それで一応の検証目的は達せられたのです。 これでは、Awaji氏は,真実を追究するためにこのページにいるのではなく, 井沢先生と,このページに来るファンを離間させるためにこのページに来ている事になり, はなはだ問題であると思われます。 私としては,Awaji氏の「??」に期待したい。 いずれ新たな材料が見つかったときに,また議論に復帰される事を期待します。 Time : 2000/ 1/16(日) 23:30:40
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「ご忠告多謝」?? Comments: みなさん、今日は。Awajiです。 傍観者さん・・・・ おっしゃるとおりです。本音を言うと、Awajiの解釈でどこに根本的 不都合があるのですか? と思っていますが・・・これ以上は別の機 会に申し上げます。(充分真実の探求に接近できたと考えています) kitunoさん・・・・ ご丁寧にありがとうございました。 >>顕彰鎮魂の意味があって・・・ Awajiは顕彰・鎮魂と書いたつもりでした。スミマセン。顕彰・追慕・ 鎮魂と言う方が、より良いかもしれませんね。 「鎮魂」はネアンデルタール人が遺体に花を添えた時以来、我々人類に 共通の心理でしょう。現在でも「葬儀」「造墓」「墓参」「仏壇」すべ ては「鎮魂」心理に基づくもので、基本的には親族・友人に対して行わ れますが、偉大な人物や悲惨な人物に対しても顕彰・追慕の意味をも込 めて行われるのでは無いでしょうか? これは、怨念を残した(多くは悲惨な死を遂げた)人物の崇りを防ぐた めに行われる(多くは加害者側の贖罪意識に基づく)怨霊鎮魂行為とは 基本的に別概念だと思うのですが・・・良く混同されている様な気がし ます。 海野さん・・・・ そんなにお若いのですか? いずれ、また楽しく「討論」させて頂きたいと思います。 因みに・・・救世観音と「刀伊来寇」?? 1999/10/ 2 なってのは肩も凝らない話題と思いますが・・・でもないかな?? では、また近いうちに・・・シユレラ アリゲラ〜 (^_^)/~ Time : 2000/ 1/17(月) 00:40:14
Name : ina E-mail : Title : 無題 Comments: 南朝正統論」が「怨霊鎮魂説」>以外で解釈出来れば、、 のAwajiさんの言葉は、要するに、私のように、逆説の日本史ファンで、一読 して「そっかー、邪馬台国は九州で宇佐が卑弥呼の御墓だったのかー」と 思っている人間に、「九州説にはこんな欠陥があり、畿内説もこんな事実から可能性 はあるんだよ」と言うことをいえれば、とう意味だと思いますので、何ら問題ないと 思いますが、、。  井沢先生の本でも、例えば皇室関係で似た名前はつけない、とか明かな事実誤認 も有るわけで、これらを我々に御教示頂くことに何か問題がありますでしょうか? はる Time : 2000/ 1/17(月) 10:29:40
Name : 輔住 E-mail : Title : inaさんに賛成 Comments: > 井沢先生の本でも、例えば皇室関係で似た名前はつけない、とか明かな事実誤認 >も有るわけで、これらを我々に御教示頂くことに何か問題がありますでしょうか? 私もそう思います。間違っていると思う部分を理由を言って「指摘」 しているのですから 間違っていると思う事まで「うんうん」と肯いてあげるのは 思いやりではないとそんなニュアンスの事を井沢先生も 中国と朝日新聞の事でいってましたね。 Time : 2000/ 1/17(月) 12:32:59
Name : 傍観者 E-mail : Title : 私も Comments: 真実を求めていって、井沢先生とまったく逆の結論になろうとも、 かまわないと思います。 ただ顕幽分離から、離れたからそれでよしというのでは少し違うのではないかと・・・ せっかくここまできたのに、顕幽分離だけで区切ってしまうのももったいない。 観客からすれば、この議論はもっともっと可能性を含んでいた議論だと思うのです。 いつも、妥協を許さないAwaji氏らしくない気もするし。 今の段階の資料では、議論は出尽くした感もあります。 Awaji氏には、消極的なことを言わないで、 新たな資料が見つかれば、また議論をして、真実に近づいていただきたい気がする。 Time : 2000/ 1/17(月) 16:54:57
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 怨霊鎮魂原論 Comments: Awajiさん みなさん こんばんわ >「鎮魂」はネアンデルタール人が遺体に花を添えた時以来、我々人類に >共通の心理でしょう。現在でも「葬儀」「造墓」「墓参」「仏壇」すべ >ては「鎮魂」心理に基づくもので、基本的には親族・友人に対して行わ >れますが、偉大な人物や悲惨な人物に対しても顕彰・追慕の意味をも込 >めて行われるのでは無いでしょうか? > >これは、怨念を残した(多くは悲惨な死を遂げた)人物の崇りを防ぐた >めに行われる(多くは加害者側の贖罪意識に基づく)怨霊鎮魂行為とは >基本的に別概念だと思うのですが・・・良く混同されている様な気がし >ます。 「人は死ねばゴミになる」という本を出版した検事がいましたが そうとはかぎらない 精神作用の問題ですね〜 世界的に普遍的な「追慕」「慰霊」と 典型的な怨霊鎮魂モデルの「菅原道真ケース」の比較とか 有益かもしれませんね 個人的には「慰霊」というのは 「怨霊予防」に近いな〜と感じています^^; 草創期の「怨霊言霊史観」としては 「疑わしきは怨霊」の精神が必要でしょう(笑) 出雲大社から靖国神社まで いっぺんに説明しようとする大仮説ですから! Time : 2000/ 1/17(月) 17:09:30
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 加害者側の贖罪意識 Comments: いま ひらめいたのですが 怨霊云々 15年戦争是非論 は別にして 戦争に対して これほど 贖罪意識 罪の意識を持った民族は ないのではないでしょうか? 根っこでは 平安時代と つながっているように思えます Time : 2000/ 1/17(月) 17:17:54
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 一応、目的達成! Comments: みなさん、ありがとうございます。そして、みなさん、冷静ですネ!! そしてそして、傍観者さん、初めまして! &ありがとうございます。 ◇Awaji氏へ◇ Awaji wrote: > 海野さん・・・・ > いずれ、また楽しく「討論」させて頂きたいと思います。 この文言を待ってました。一応、「中止宣言」から「休憩宣言」へ の変化ですね。これならば、文句はありません。 Awaji wrote: > 本音を言うと、Awajiの解釈でどこに根本的 > 不都合があるのですか? と思っていますが 『逆説の日本史』を読めば多少は分かるのではないでしょうか? 読んで後に、批判すべきでしょう!! 読んでからの批判であれば、「ノーマルでない」とは言いません。 読まずに批判ために批判するから「ノーマルでない」と言うのです。 井沢ファンは表層的な要因だけでは満足しないのです。表層的な要 因も大切だけれど、深層的な要因も知りたいのです。 Awaji wrote: > 因みに・・・救世観音と「刀伊来寇」?? 1999/10/ 2 > なってのは肩も凝らない話題と思いますが・・・でもないかな?? これも海野さん(が興味を持てば。。ですが)やってもらいたいで すナ。私は「Awaji氏の読解力に問題あり」と思っています。 ◇傍観者さんへ◇ ありがとうございます。まさしくおっしゃる通りです。 Boukansya wrote: > これでは、Awaji氏は,真実を追究するためにこのページにいるのではなく, > 井沢先生と,このページに来るファンを離間させるためにこのページに来ている事 > になり,はなはだ問題であると思われます。 せめて、Awaji氏には『逆説の日本史』を読んでから批判して 欲しいと思っています。井沢先生の歴史学者批判が、歴史学者批判 ではなくて、歴史学者ムラ批判であることに気づけば、また批判の 視点も変わると思っているのですが。。 ◇inaさんへ◇ ina wrote: > 私のように、逆説の日本史ファンで、一読 > して「そっかー、邪馬台国は九州で宇佐が卑弥呼の御墓だったのかー」と > 思っている人間に、 そうですか。。 私は、全く反対でして、井沢先生の結論のほとん どは信じていません。考え方とかアプローチとか、そんな所が好き なんですね。後、非常に応用が効くところも好きですね。一口にファ ンといっても色々ですね。 いづれ歴史学者がこの分野に参入して、もっとよい結論を導いても らえたらありがたい。。 なんて想像してたりもします。その頃、 井沢先生が「パイオニア」としてヒーローになっているのか、それ とも単に「引きたて役」で終わっているのか。。 そんな楽しみも あると思うんですよね。 Time : 2000/ 1/17(月) 18:00:02
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 海野さん、ご迷惑をかけてすみません。 Comments: I wrote: > 自説が不利になりそうな状況で... Unno wrote: > そのようなことはないでしょう > 論点によっては Awajiさんの主張のほうが説得力があるものもありますし 相対的にAwaji説が不利とは言い切りませんが、「Awaji 説の矛盾らしき点が幾つか浮かび上がってきた」段階ですね。 Unno wrote: > 「侮辱」は まあ ひどいことを書くな〜とは 思いますが^^;;; 私に対する「侮辱」はいいんです。キッチリ仕返ししますから。 #こういう時の末尾は「(危笑)」でしょうか? Unno wrote: > どんなに 説得力がある意見があっても > 感情的であるために 認められないという現象はよくあります > あえて 申し上げれば > 井沢先生の「ヒストリー」の文章もそのようなきらいが なきにしもあらずです まぁ、井沢先生も難しい所でしょう。想像するに、「批判をしなけ れば、ファンには分かりづらい」、「論理は端折らないと簡潔に表 現できない」という所でしょうか。しかしながら、そうすれば、文 脈を読解できない人間に無意味な(と思われる)批判をされる訳で。。 「南朝正統怨霊鎮魂説」はなかなか気づきにくい非常にオモシロイ 視点だと思います。議論をしてみれば、ボディブローのように要所 要所で効いている事が確認できました。 #まぁ、海野さんはパンチ説?ですが。。 1:井沢先生の負担をかけずに、 2:批判すべきは批判して、 3:斬新な視点での新解釈を披露、 4:ファンは無料(接続代を除く)でそのサービスを受けられる。 今回の文章もファンサービスの一環としては、何ら問題ないでしょ う。VERY GOODです。もちろん、ファンでない人の怒りを 買う文章であることは承知しています。 #最も「歴史学者ムラ」への批判は、私は既に聞き飽きていますが。。 すべての人の批判を避けるのが目的ならば、「史料至上主義」にな るしかないと思います。Awaji氏の意見ような薄っぺらな意見 に満足するしかないような気がします。 Unno wrote: > 歴史学者の「存在」「人格」を全否定したとも とられかねない表現で 歴史学者の能力の高さは認めている訳ですから、井沢先生の批判は 「歴史学者ムラ」への批判です。井沢先生の批判は「歴史学者」に 対しても朗報だと思うんですがね〜。分析好きな歴史学者には。。 どうして、プロが想像してはいけないんでしょ? 理解に苦しみま す。歴史学者は最も歴史に精通しているのだから、史料至上主義と いう特定の史観にとらわれずに、あらゆる観点から歴史を考察すべ きでしょうに。。 Unno wrote: > 私が思うに 議論においての勝ち負けにこだわりすぎではないでしょうか? そう言われれば、「不徳の致す所」と言わざるをえません。私憤も 増えましたが、元々は公憤です。。 Time : 2000/ 1/17(月) 18:15:27
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「読解力」?? Comments: みなさん、今日は。Awajiです。 TAKATOKUさんは、以下のとおり一貫してAwajiが「中日ドラゴンズの論 理」をはじめとする井沢さんの文章をを理解していない。(読解力に欠け ている)と指摘され続けている様ですが・・・・ >>最も、Awaji氏は「中日ドラゴンズの論理」にご理解がないので、 >>論じても無駄だと思います。 2000/ 1/12 >>読解力云々は「私の文章に対して」ではなく「井沢先生の文章に対して」 >>です。「中日ドラゴンズの論理」は井沢先生の文章ですし。2000/ 1/11 >>「我々?」さぁ、誰のことでしょうかねェ〜。「中日ドラゴンズの論理」 >>が理解できたら単数形にしてあげましょう!! >>#■■■■■氏の読解力では、まァ、無理でしょうナァ。。2000/ 1/10 >>しかしながら、そうすれば、文脈を読解できない人間に無意味な(と思 >>われる)批判をされる訳で。。 2000/ 1/17 これは、Awajiが申し上げた11/13の以下の解釈(解釈による批判)につ いてのご指摘だと思います。 これだけ何度も指摘を受けると、或いは基本的部分についてAwajiが誤 解しているのでは・・・と言う不安を覚えます。 ついては・・・この解釈が井沢さんの文章を誤読したものであるかどう か、誤読しているとしたらどの部分か・・・ご指摘頂けるでしょうか? (>部分は原文、>>部分は原文における引用部分、**部分は今回の補注) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >「中日ドラゴンズ」の論理についてですが、これは実に簡単なことだと >思います。つまり・・・・・ >>では、たとえば歴史学者が次のように主張したとしょう、・・・ >>「・・・これは歴史学の立場から見て最も信頼できる史料にはっきりと >>書かれているのだから、間違いない。従ってそれ以外の理由はないので >>あって、たとえばタイガース等に対抗して命名されたというのは間違い >>である」これが・・・ **つまり井沢さんがおっしゃっているのは、inaさんがまとめれられた 様に「井沢先生の御著書の中では少なくとも、史料のみを信じて、史料に 書かれないような常識的な概念の存在を無視した論理、として使われてい ます。」でしょう。この部分はAwajiもほぼ同感です。 (と言うより余りにも当然のことで、議論の対象とはならないと思います) >と記述してあるのですが、マトモナ歴史学者は先ず絶対にこの様な主張は >しないのです。(これは確信をもって断言します) **井沢さんはさらに「歴史学者はこの常識的な概念を無視し、直接史料 のみで歴史を解釈している。これでは歴史の真実(この場合は中日ドラゴ ンズ命名の理由)は解明できない」と指摘され、歴史学(者)を批判され ています。Awajiはこの部分を含めて「中日ドラゴンズの理論」と解釈して います。 **そして歴史学(者)は、直接史料のみで歴史を解釈することは無い。 あらゆる間接史料等により、当時の「常識的な概念」を探求した上で、歴 史の真実(この場合は中日ドラゴンズ命名の理由)を解明しょうとしてい ると申し上げています。 >歴史学は、直接に歴史事象が記述されている「文献史料」を基本として、 >当時「ドラゴンズ」は社会的に如何なる意味を持っており、球団の名前と >して相応しいものであるかどうか。社長は本当に辰年生まれなのか(つま >り故意に曲筆がなされていないか)。当時の中日新聞等にはどの様に命名 >に関する記述が有るか(他史料との照合)。当時この名前がファンにどの >様に受け止められたのか(当時の社会的状況との照合)・・等々を検証し、 **そして歴史学(者)が、当時の「常識的概念」を探求するために行う であろう手段(間接史料の確認)を概説しています。 >「直接の命名理由は、社長のエトにあると考えられるが、その決定動機に >『ドラゴンズ=龍=強力な動物』というイメージがある事も否定出来ない >のではないだろうか、何故ならば当時のあらゆる状況から見て、社長のエ >トがネズミであったとしても、『中日ラット』と命名することは有り得ず >・・・・」と記述する筈です。 **そして通常の能力を有する歴史学(者)であれば、直接史料だけでな く、間接史料による当時の「常識的概念」をも考察し、歴史の真実(同) を解明するだろう・・・井沢さんの手法と同様である・・・と申し上げて いるのです。 >つまり井沢さんは、ご自分のイメージにより歴史学者を創造され、その創 >造した歴史学者を批判しておられるに過ぎないと思うのですが・・・・? **以上により、井沢さんが「中日ドラゴンズの理論」で示された歴史学 (者)への批判は的外れの批判である・・・と申し上げております。 **さらに付言するならば「常識的概念」とは、何から得られるのか? と言う問題があります。 「中日ドラゴンズ命名」の場合は、我々は命名時とほぼ同時代人ですから 我々の一般常識をほぼそのまま「常識的概念」とすることが可能でしょう。 しかし、多くの歴史事象の解明に当っては、当時の「常識的概念」そのも のを解明する必要があります。これは当然ながら様々な「史料=資料(考 古学・民俗学・人類学・宗教学etc.)」によらねばなりません。これを怠 れば単に恣意的な想像的解釈にしかならない・・・と思います。 以上のAwajiの理解は、井沢さんの「中日ドラゴンズの理論」の論旨を誤解 したものなのでしょうか?みなさんのご指摘をお待ちいたします。 Time : 2000/ 1/17(月) 22:05:54
Name : まいご E-mail : Title : 中日ドラゴンズの論理 Comments: それは、TAKATOKUの経典。きっとまいにち唱えているのだ。 Time : 2000/ 1/17(月) 23:25:03
Name : 茶倉 E-mail : mizo@hnt.ne.jp Title : 差し出がましいのは承知していますが Comments: みなさん始めまして。 ずっと ROM でいようと思っていたのですが。 TAKATOKUさんとAwajiさんのやりとり、私にはチョットやりきれなくなってきた ので、さしでがましいのを承知で、ひとこと。 Awajiさん、「中日ドラゴンズの論理」に関する解釈、全く当然の事ながら異論 ありません。(歴史学者がその「論理」から完全に自由であるかどうかは私には わかりませんが。。。井沢ファンですので。) TAKATOKU さんがなぜ、「中日ドラゴンズの論理」の解釈をめぐって Awaji さん の読解力を攻撃するのか、この点は私にも謎です。同様に TAKATOKU さんからの ご指摘を待つ立場です。 でも、TAKATOKU さんが Awaji さんへの態度を決定的にしたのは、実はこの部 分ではなく、「欠徳の主人に仕える人が忠臣」に関する Awaji さんの対応 (12/29)にあったと思います。このレトリック(気合術?)に対して、 Awaji さんが真っ正面から噛み付いたのが、おそらく TAKATOKU さんには信じ られなかったのだと思います。読解力うんぬん、井沢先生の著作を読みもせずに、 というのは、この時の Awaji さんの「侮辱」的な対応についてのTAKATOKUさん の「仕返し」だと思うのです。 お暇なときで結構ですから、この忠臣論について再説願えませんか? 失礼ながら、井沢先生の説(というか、こういう気合術が発せられた文脈)を 未読の場合、「逆説の日本史7」第2章にあたられるのが適当だと思います。 (この本での南朝正当論に関する議論は、Awajiさんの論と殆ど同じですが?) TAKATOKU さん、あなたの気持ちを勝手に忖度し、その上無責任な事まで書いて しまいました。失礼の段、お詫びします。勘違いなどありましたらご指摘下さい。 でも、もうちょっと冷静に...。 Time : 2000/ 1/18(火) 00:40:12
Name : ina E-mail : Title : 原典 Comments:  井沢先生の本を読まないと例えば忠臣、について議論できないでしょうか?   ちょっと信じられないことだと思います。  学会で南北朝の問題を議論していて、「お前は太平記を読んだのか?] と聞かれて、いいえ、と応えるなら、これは困ったことでしょうが、 「お前はオレの論文を読んだのか?」 と聞かれて「いいえ」と応えようと、それで議論する資格さえ失うことにはならな いでしょう。  あくまで歴史の議論であり、むしろ私は有る意味で井沢先生の造語である 「中日ドラゴンズの論理」を文章の中に無意味に挿入しているTAKATOKU さんの文章に違和感を覚えます。文章化されていない常識を無視しない研究態度、 これは当たり前のことです。  中日ドラゴンズの論理はAwajiさんの書かれている理解と同じですが、 実際これの意味についてここまで議論して共通認識に達しなければならないのか、 といささかの疲労感とともに思うのですが。 Time : 2000/ 1/18(火) 05:53:37
Name : まいご E-mail : Title : みなさんも Comments: TAKATOKUにはいやけがさしているようですね。 Time : 2000/ 1/18(火) 07:50:53
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「お願いします」?? Comments: みなさん、今日は。Awajiです。 Awajiが「読解力」について、つい泣き言をもらしたため、余計な 議論に引きずり込んでしまったようで、申し訳ありません。 いずれにしても、余り建設的な意見が出るような問題ではありませ んので、「中日ドラゴンズ問題」は打ちきりにして頂けないでしょ うか? Awajiが言い出しておいて勝手なお願いですが、よろしくお願いいた します。 まいごさん・・・・ 論者を呼び捨てにするのは、止めませんか? せめて「***** 氏」と言って頂きたいのですが・・・ 茶倉さん・・・・・ 貴重なご助言ありがとうございました。 正直に申し上げますと、Awajiは「逆説の日本史7」第2章を立ち読 みながら拝読いたしております。 確かに井沢さんの記述では、「欠徳の主人に仕える人が忠臣」と読む 人がいても無理は無いと思います。 しかしながら、これを記述どおり「忠臣の定義」と読んでしまえば、 井沢さんの見識が疑われるでしょう。 やはりこの部分は、如何にも作家らしい「強調話法=ある種のレトリ ック(修辞法)」と受け取るのが妥当だろうと思いました。 TAKATOKUさんご自身も・・・ >>日本の「忠臣」の定義と多少異なることを、分かり易く(つまり大 >>袈裟に)書かれたのだと思います。 とおっしゃっており、かつこの「定義」では多くの例外が生じること 、そしてそれらの例外に付いては常識的に判断すべきことを強調され ています。 つまりは通常我々が使う「定義」の概念である「ある概念、言語の意 味をより明確に定め、他の概念、言語との相違点を厳格化する」とは 別物であることを主張しておられるのです。 それなのに何時までも「忠臣の定義」にこだわっておられるので、つ い面倒くささも重なって辛辣な言葉で応酬してしまいました。これに よりTAKATOKUさんも気づかれるだろうと思ったのです。 (実際は残念ながら全く逆効果だったのですが・・・) 必要があれば、再説するのも吝かではありませんが、以上でご理解頂 けないでしょうか? Time : 2000/ 1/18(火) 11:22:34
Name : まいご E-mail : Title : TAKATOKUさん、Awajiさんそしてみなさん Comments: いまさら、遅いかもしれませんがどうもすいませんでした。 呼び捨てにしたこと、ふざけた投稿をしたことをここにお詫びします。 重ね重ね、すいませんでした。ごめんなさい。 Time : 2000/ 1/18(火) 12:02:27
Name : 腐儒 E-mail : Title : 君君たらずとも、臣臣たらざるべからず Comments: 皆様はじめまして、私は儒教が好きで、(といっても、たいした知識はありません) 今回の南北朝の議論を、儒教の目から見てどうかを考えてきた者であります。 Awaji氏ならこの上記の言葉は当然ご存知だと思います。 これはたとえ欠徳の君子であっても、臣下は、臣下としての礼儀を守るべきという言葉で、 井沢先生の、「太平記」論はこれで説明できるかと思います。 ただ、中国の場合、三度諌めても聴かれなければ、去る、つまり臣下から君子を拒絶することが許されています。 それが、朱子学の大義名分論となると少々話が変わってきまして、 臣下の方から君子をなかなか拒絶できないようになってきます。 実は本家中国では上の言葉は、長く忘れ去られてきました。 なのに、日本でだけは、なぜか、執拗に喧伝されます。 この言葉は、日本における儒教を考える上での、キーワードになります。 「逆説の日本史第7巻・第二章」を、少々意地悪に解釈すれば、 Awaji氏のように読めないことはないですが・・・ なお、井沢先生が否定されているのは、「朱子学」ではなく「朱子学の大義名分論」であろうかと思います。 私は井沢先生が、「朱子学はだめだ」と朱子学を一括りにしていることを疑問に思っています。 朱子学は、大変広い範囲を持った思想活動とも言うべき物です。 日本で儒教がもっとも盛んになるのは、江戸時代ですが、 朱子学すべてを否定すると、江戸時代ひいては明治維新、 さらに蘭学(蘭学の初級テキストは漢文であり、江戸時代の合理主義の根幹は朱子学です) 戦前戦後の経済成長まで否定しなければならなくなります。 (日本人の勤勉さに、朱子学が大きく影響を与えているのは、良く言われるところです) そういう雑なところが「逆説の日本史」にあることは、否定できないです。 Time : 2000/ 1/18(火) 13:52:31
Name : 腐儒 E-mail : Title : 付け足し Comments: >これはたとえ欠徳の君子であっても、臣下は、臣下としての礼儀を守るべきという言葉で、 これは、本家中国での、この言葉の本来の意味です。 日本では、 「上に立つ者の命令(人情に反した命令であっても)絶対」 という風に、誤解されて流布します。 かといって、中国のように君子を拒絶できるかというとそうではなく、 つまり儒教としては欠陥なのですが、 この言葉は、日本において、 上の者が自分勝手を押し通す時の口実に使われてきたといえます。 つまり、「君君たらずとも、臣臣たらざるべからず」は、元々 あまり良くない君子に対して使われる言葉です。 それが、体制側から出てくるというのが、日本の儒教理解の不思議なところです。 Time : 2000/ 1/18(火) 14:28:05
Name : きんたろう E-mail : Title : 質問です Comments: こんにちは、みなさん。 腐儒さん、初めまして。 詳しい説明を有り難うございました。 ところで腐儒さんに質問なのですが >日本人の勤勉さに、朱子学が大きく影響を与えているのは、良く言われるところです と言われいますがここのところがよく分かりません。(^^; (朱子学の是非はともかく) もう少し詳しい説明をお願いしたいと思います。 Time : 2000/ 1/18(火) 15:58:10
Name : くるみ E-mail : Title : まいごさんへ Comments: でも、そんなに気落ちしなくてもいいんじゃない?TAKATOKUさんはそんなんでしょげるようなたまじゃないわよ。 次の仕返しをむしろ楽しみにしましょう! Time : 2000/ 1/18(火) 17:14:39
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 読解力:「中日ドラゴンズの論理」と「忠臣」 Comments: みなさん、こんにちは。みなさんのおかげで、やっと、悪役になれ ました(苦笑)。「南朝正統論」が休憩に入って、一休みしたかっ たのですが、仕方ありませんネ。「中日ドラゴンズの論理」、続い て「忠臣」を片付けましょう。 ◇Awaji氏へ◇ まいごさんの件では失礼しました。私の不徳の致す所です。 。。さて、気を入れなおして。。 なかなかシツコクって感心致します。やはり、これくらいのシツコ サが必要なんですね。 Awaji氏の発言を抜きにして、私の発言のみをこうしてまとめ られると、私もなかなか怖いですね。(苦笑) #侮辱されまくった仕返しなんだけどな。。 I wrote (1/17): > しかしながら、そうすれば、文脈を読解できない人間に無意味な(と思 > われる)批判をされる訳で。。 ちなみに、これは11月13日の発言とは関係ありません。つまり、 Awaji氏のことは想定していませんでした。「無意味な」とい うのは、文章を字句通りに解釈して批判することを言います。とこ ろで、「南朝正統論」では。。 1:井沢批判を展開し、 2:議論を途中で打ち切り、 3:自説は正しいと自分で宣言する。 そういえば、3の所で字句通りの解釈がありましたね。となると、 Awaji氏と関係ありますね。 ◇刀伊来寇の件◇ 「中日ドラゴンズの論理」の前に「刀伊来寇」の件ですが、まず最 初に感謝しなければなりません。どうも苦情慣れしてしまったよう で、恥ずかしい限りです。情報提供ありがとうございました、と述 べさせてもらいます。 「刀伊来寇」は、言い出しっぺではないので、基本的にROMです が、指が滑ってしまったので少しだけ:『逆説の日本史』の情報が 正しければ、Awaji氏の情報を加えた所で大差ないのではない か、という印象です。井沢先生の主張はそれほど変化しないのでは ないか、という意味での「読解力」という言葉を用いました。 この議論には参加したくないので、印象のみで、詳細は述べません。 ご了承下さい。 ◇中日ドラゴンズの論理の件◇ 最初に断っておきますが、ここでの「中日ドラゴンズの論理」は、 私がよく用いている「発展形」とは異なります。「基本形」です。 Awaji wrote: > **そして通常の能力を有する歴史学(者)であれば、直接史料だけでな > く、間接史料による当時の「常識的概念」をも考察し、歴史の真実(同) > を解明するだろう・・・井沢さんの手法と同様である・・・と申し上げて > いるのです。 Awaji wrote: > **さらに付言するならば「常識的概念」とは、何から得られるのか? > と言う問題があります。 > しかし、多くの歴史事象の解明に当っては、当時の「常識的概念」そのも > のを解明する必要があります。これは当然ながら様々な「史料=資料(考 > 古学・民俗学・人類学・宗教学etc.)」によらねばなりません。 そうですか、この文言に対して3人の方が同意されて、否定は私だ けですか。。 ちょっと驚きですネ。 非常に常識的な話で申し訳ありませんが、タトエ話は話の本質部分 を抽出して簡略化したつくり話です。必ずしもクリアに抽出できる 訳ではありません。多少話がズレたとしても著者の意図を察しなけ ればなりません、所詮はタトエ話ですから。もし、これができなけ れば、読解力欠如と言われてもやむをえないでしょう。まぁ、あま りに常識的なので、これ以上は述べることは失礼ですね。 まず、「中日ドラゴンズの論理」はタトエ話ですから、文脈から 井沢先生の主張したいことを読み取らなければなりません。一番主 張したいことは、「史料(史料の組み合わせを含む)からでは常識 的概念は得られにくい」ですね。Awaji氏の文面からでは、こ の部分が読み取れません。1番大切なポイントですが。。 次に、井沢先生の文章であることを考慮しなければなりません。ご 存知の通り、井沢先生は「言霊怨霊史観」で通史をみてみようとい う壮大な研究テーマに取り組んでいる先生です。「言霊」「怨霊鎮 魂」を日常的に扱っていらっしゃる訳です。「言霊」「怨霊鎮魂」 は、人々が半ば意識し、半ば無意識な常識ですが、これを「常識的 概念」に含めても問題ないでしょう、井沢先生の文章ですから。こ れは2番目のポイントですね。 となると、井沢先生とAwaji氏の解釈が一致するための条件は、 「言霊」「怨霊鎮魂」も含めた「常識的概念」が史料から得られる こと、となります。これは真実でしょうか? 従って、井沢先生の主張と完全に異なると思います。 Awaji氏の文面だけに着目しても違いは分かると思います。 「中日ドラゴンズの論理」は井沢先生が史料至上主義から離れるメ リットについて述べたものです。通常の能力を有する歴史学者は史 料至上主義ではないのですか? 従って、両者が同様な手法になる 訳がありません。 ◇忠臣の件◇ 茶倉さん、初めまして! 私にとって「南朝」の話が最優先だったので、「忠臣」のことはど うでもよいのですが、せっかくの機会ですので書きこみます。 > TAKATOKU さん、あなたの気持ちを勝手に忖度し、... > 勘違いなどありましたらご指摘下さい。 そうですね。恐らく、勘違いだらけでしょう。(笑) 仕返するのは、仕返ししないとその侮辱を認めたことになるからで すヨ。公憤はありますが、怒ったり楽しんだりしている訳ではあり ません。正直、侮辱発言しなければならない私の不徳に、悲しんで おります。それから、温厚な私ですので、自主的に侮辱はしません。 Awaji wrote (12/28): > むしろ「主君の徳」にかかわらず、状況が不利なことを知りつつ忠誠を > 尽した「臣」とするべきです。 ちなみに、茶倉さんの「忠臣」の定義はこれですか? 私は違いま すよ。「忠臣」の定義は「主君の徳」にも関係ないし、「状況が不 利」である必要もありません。そういう状況とは無関係な概念だと 思っています。これが常識だと思っていますが、間違っていたらご 指摘下さい。さて、この常識を踏まえて以下を読んで下さい。 Awaji wrote (12/25): > まったく、仁も義もあったもんじゃない。 > 端宗に殉じた者達は、世祖の子孫である王により、忠臣と称えられる。 > これもある意味では義と孝の相克ですな、世の中難しいもんで・・・ I wrote (12/27): > 「欠徳の主人に仕える人が忠臣」これが井沢先生の > 定義だったと思います。 従って、どういう人を「忠臣」として「称えるか」という文脈です ので、ここでの「定義」は「忠臣と称えられるための定義」です。 しかも、本場と日本での定義の違いを強調したバージョンです。 Awaji氏の定義も、「忠臣」の定義ではなくって、「忠臣と称 えられるため定義」ですから、似たようなもんでしょ。ドッチモドッ チです。 「忠臣」の定義は非常に難しいので、「典型的な忠臣」の定義を示 すことで「忠臣の定義」とするのは、それほど不自然ではないと思 いますが、如何でしょうか? 別に「忠臣」の定義はAwaji氏のもので構いませんが、一応、 私の真意を説明させてもらいました。 以下は補足です。 侮辱発言ですので、仕返ししなければなりません。悲しい限りです。 Awaji wrote (1/18): > つまりは通常我々が使う「定義」の概念である「ある概念、言語の意 > 味をより明確に定め、他の概念、言語との相違点を厳格化する」とは > 別物であることを主張しておられるのです。 上記のように、私から見ればAwaji氏の定義も通常の定義では ありません。 Awaji wrote (1/18): > それなのに何時までも「忠臣の定義」にこだわっておられるので、つ > い面倒くささも重なって辛辣な言葉で応酬してしまいました。これに > よりTAKATOKUさんも気づかれるだろうと思ったのです。 冗談にも程ってもんがありマッセ!! しつこかったのはAwaji氏の方でしょう。 Time : 2000/ 1/18(火) 17:37:06
Name : TAKATOKU E-mail : Title : しょげるようなたま Comments: ◇くるみさんへ◇ > TAKATOKUさんはそんなんでしょげるようなたまじゃないわよ。 まいりましたの〜〜。(苦笑) しょげるよーなたまなんですよ。。これが。 ◇まいごさんへ◇ 欲を言えば。。 対立する両者が笑えるような、 もっと面白いツッコミがいーですな〜〜。(笑) Time : 2000/ 1/18(火) 17:47:51
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「中日ドラゴンズ・・もう良いでしょう」?? Comments: AKATOKUさん、今日は。Awajiです。取り敢えず「中日ドラゴンズ」につ いてです。 >>ちなみに、これは11月13日の発言とは関係ありません。つまり、 >>Awaji氏のことは想定していませんでした。 了解しました。 >>最初に断っておきますが、ここでの「中日ドラゴンズの論理」は、私 >>がよく用いている「発展形」とは異なります。「基本形」です。 当然です。「基本形」は井沢さんのご意見であり、「発展形」は貴方の 拡大解釈に過ぎません。Awajiが論じているのは、井沢さんのご意見に ついてです。 >>一番主張したいことは、「史料(史料の組み合わせを含む)からでは >>常識的概念は得られにくい」ですね。 では・・・「常識的概念」は何から得るのでしょうか? 史料=資料に 基づかない推理から得られるものは、単なる想像でしかありません。 井沢さんの主張といえど、基本的には全て史料に基づいたものでしょう。 ただ直接史料のみならず周辺史料から導きだされる「常識的概念」を、 もっと活用すべきだと主張されているに過ぎません。 >>井沢先生は「言霊怨霊史観」で通史をみてみようという壮大な研究テ >>ーマに取り組んでいる先生です。「言霊」「怨霊鎮魂」を日常的に扱 >>っていらっしゃる訳です。 井沢さんは、「言霊怨霊史観」と言う仮説が、通史的に適用出来ること を立証しょうと努力しておられる方です。Awajiもその努力は多としま すが、現段階では単なる「立証されざる仮説」に過ぎません。 >>「言霊」「怨霊鎮魂」は、人々が半ば意識し、半ば無意識な常識です >>が、これを「常識的概念」に含めても問題ないでしょう、井沢先生の >>文章ですから。これは2番目のポイントですね。 >>となると、井沢先生とAwaji氏の解釈が一致するための条件は、 >>「言霊」「怨霊鎮魂」も含めた「常識的概念」が史料から得られるこ >>と、となります。 >>これは真実でしょうか?従って、井沢先生の主張と完全に異なると思 >>います。 「言霊」「怨霊鎮魂」が歴史事象を解釈する上での「常識的概念」に含 まれるかどうか・・・が問題なのです。 つまり貴方の「言霊怨霊史観」と言う・・・現段階では「立証されざる 仮説」が通史的に見て「常識的」なのかどうかが問題なのでしょう? 井沢さんが「中日ドラゴンズ」の理論で、「常識的概念」に「言霊怨霊 史観」と言う「立証されざる仮説」をも含めておられるとは思いません。 仮に井沢さんがそう主張されているならば、「立証されざる仮説」によ る「常識的概念」を歴史事象の解釈に含めない歴史学(者)を批判され ていることになりますが、その様な批判は有り得ないでしょう? 「中日ドラゴンズ」で井沢さんがおっしゃっている「常識的概念」は、 あくまでも当時の諸状況から見て成立の蓋然性が高い状況証拠であり、 「立証されざる仮説」の類ではありません。 >>となると、井沢先生とAwaji氏の解釈が一致するための条件は、 >>「言霊」「怨霊鎮魂」も含めた「常識的概念」が史料から得られるこ >>と、となります。これは真実でしょうか?従って、井沢先生の主張と >>完全に異なると思います。 従って、ある歴史事象を解釈するに当って、「言霊」「怨霊鎮魂」が 当時の「常識的概念」であることを窺わせる「史料的根拠」があれば、 井沢さんは勿論、歴史学(者)もAwajiもそれを活かします。 無ければ、解釈には活かせません・・・これが歴史解釈の大原則でし ょう? >>Awaji氏の文面だけに着目しても違いは分かると思います。 >>「中日ドラゴンズの論理」は井沢先生が史料至上主義から離れるメ >>リットについて述べたものです。通常の能力を有する歴史学者は史 >>料至上主義ではないのですか? >>従って、両者が同様な手法になる訳がありません。 井沢さんが批判されている「史料至上主義」は、直接史料を金科玉条 とし、当時の「常識的概念」を無視する歴史解釈手法です。 通常の能力を有する歴史学者は、当然のこととして直接史料のみを 金科玉条とはしていません。当時の「常識的概念」をもアラユル史料 =資料を通じて探求し、歴史解釈に活かそうとしています。 その意味での「史料至上主義」であって、井沢さんの言われる意味で の「史料至上主義」では無いのです。 つまりは両者の基本的手法は同じではないでしょうか?と申し上げて いるのです。 それでは、何故両者の歴史解釈(結論)が異なってくるのか・・? お分かりだと思いますが、史料の選択・解読・解釈・推論が異なって いるからです。そしてどちらの選択・解読・解釈・推論がより蓋然性 が高いのか・・・を検証することが大切なのでは無いでしょうか? 実際・・・こんな当然のことを何時まで申し上げれば良いのでしょう かね? Time : 2000/ 1/18(火) 23:14:07
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「救世観音の過去ログ」?? Comments: kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 前回、kitunoさんは、救世観音に関する過去ログをゆっくり見ると おっしゃったのですが、このHPではチョット難しいと思います。 そこで、皆さんにはご迷惑でしょうが、過去ログを再掲載させて 頂きたいと思いますので、ご了承下さい。(長文です興味の無い方は 申し訳ありませんが、無視して下さい) Title : 救世観音について・・・ 1999/ 3/ 3(水) 23:45:37 ******************************** 宇津木和政さん、はじめまして。Awajiともうします。 法隆寺夢殿「救世観音」に興味をお持ちのようですが、仏像愛好家 の端くれとして、ご参考までに。(お暇になったらご覧くださいますか。) 梅原先生の「隠された十字架」による、救世観音の特徴は次のよう なものだったと思います。(他にあるかも知れません。) 1.背後が作られておらず、内が空洞になっている。 2.「救世観音」が儀軌にない特異な形状である。 3.持物が「宝珠」とされるが、火焔につつまれた「舎利瓶」である。 4.光背・宝冠が火焔模様である。 5.光背の支え木がなく、直接釘でもって頭に止められている。 その他は、非常に感傷的な先生の印象に過ぎないと思います。 そこで、1〜5についての私の感じです。 1.私は梅原先生より制作年代を古いと思っています。つまり「飛鳥仏」だ と感じるのです。そうすると木彫「飛鳥仏」は法隆寺以外には殆ど存在 していません。従って先生が「法隆寺仏」の特徴とされる部分は、木彫 「飛鳥仏」の特徴と考えることも出来ると思っています。 初期「飛鳥仏」に見られる特徴の一つは「正面観照性」とされています が、その点からの理解も必要だと思います。 2.大型木彫像の場合は亀裂が生じ易く、それを避ける為に内刳をするのは 然程不思議では無いと思います。後世では内刳をした上で、更めて蓋を 作り中に胎内仏や願文(さらには五臓六腑まであります)を収めた例も 多く存在します。そもそも、鋳造仏は全て中は空洞ですし「百済観音」 も形式は異なりますが、内刳はなされています。 ただ「百済観音」よりも「正面観照性」が強い時期の制作であるため、 内刳方式が安易になされているのでは無いかと思います。 2.「観音菩薩像」は儀軌の上でも三十三変化と言われる様に、様式が多岐 にわたっています。「宝珠」を持つ様式は四十八体小仏にも存在し、中 国南朝時代にもあると言われています。 3.「舎利瓶」と言う見方も有り得るかも知れませんが、少なくとも「飛鳥 仏」と見れば、その当時「火葬」の習慣はなく、「山背大兄」の「骨壷」 と言う印象は持ち得ません。 4.光背・宝冠の「火焔」模様については、仏像愛好家の立場から見ると、 余りにも多くの「火焔」模様に接していますので、梅原先生の仰る意味 が良く分かりません。 5.光背を直接頭部に接続する方式は、梅原先生ご自身が仰るように「法隆 寺四天王」にも見られます。現代の感覚からすると奇異に見られますが 、木彫像ならではの特殊性(金銅仏では有り得ない方式です)かも知れ ません。 以上のとおり、梅原先生の先入観による部分が大きいと思いますが、あくま でも仏像愛好家の端くれの印象ですので、程々にご理解願います。 Title : 救世観音について補足します   1999/ 3/ 7(日) 10:03:57 ********************************** 一寸蚊帳の外のお話ですが、3月3日掲載の救世観音についてです。 >大型木彫像の場合は亀裂が生じ易く、それを避ける為に内刳をするのは >然程不思議では無いと思います。 この内刳について補足しておきます。 「・・乾燥が進むにつれて、材の心を中心にして表面に割れができてく るのです。この干割れを防ぐためには、まず材の心を取り去ることを考 えねばなりません。そういうわけで、大略の形が彫り上がりますと、像 の背面に、長方形の窓を部分的にあけて、そこから像内を刳りぬいて、 木心をとりさるのです。これを内刳り、または背刳りと呼んでいます。」 ・・「仏像の見分け方」西村公朝・小川光三著(新潮社) >光背を直接頭部に接続する方式は、梅原先生ご自身が仰るように「法隆 >寺四天王」にも見られます。現代の感覚からすると奇異に見られますが >、木彫像ならではの特殊性(金銅仏では有り得ない方式です)かも知れ >ません。 これも少し分かり難かったかも知れませんので、補足します。 法隆寺四十八体小仏の例でみれば、金銅仏において光背を直接頭部に接続 する場合は、頭に一定の突起物を、一方光背に穴を作って置き、それを嵌 め込む方式だった様です。木彫仏ではこの方式は取り得ないので、金属を 頭部に打ち込んで接合するしかないでしょう。しかし、何れにしてもこの 直接接続方式は不安定であったため、分離方式が主流となったと思われま す。 なお、仏像の体に釘を打ち込むことは、それ程不思議なことではなく、木 造像を補強するために極く一般的に行われていますし、宝冠・白毫・螺髪 ・瓔珞を装着するため頭であろうと、顔であろう、胸であろうと、行われ ているようです。 Awajiが仏像制作を見学した時に、ある仏師さんは「仏さんを作るちゅうて もワシらがお作りしてる時は、只の材木じゃ。頭に跨ることもあれば、踏 みつけることもある。これが有り難い法要で魂を御入れして、皆さんに拝 んで頂いて始めて仏さんになりはる。 長う皆さんに拝んで頂くような仏さんを、御造りするためやったら釘でも 鎹でも、何でも打ち込みまっせ。そんなもんビビッテおれまっかいな。 救世観音ハンだっか、あれはワシも恐ろしゅうてようせんな。恐いちゅう ても別の問題やで、あの方法をワシらがやっても100年もよう保たん。 ヤッパリ光背は別にさしてもらいますわ。そやけどドナイシテモ一体に造 れちゅうんやったら、当時あれしか方法はありまへんな。・・・」 と言うようなことでした。仏師さんにも色々な方がおられると思いますが 、一つの考え方だと納得したものです。ご参考までに。 Title : 救世観音から鎌倉大仏へ??  1999/ 3/ 8(月) 21:30:28 ********************************* inaさん、こんにちは。 >>「私幣禁断の制」とは要するに勝手に神像を作ってはならない、という >>令でしょうか。偶像礼拝の禁止のような。 「私幣禁断の制」については、言葉足らずで申し訳ありませんでした。 これは「延喜式」で定められたもので、「伊勢神宮=天照大神」には天皇 以外何人たりと「幣」をあげることを禁じたものです。これは同時に「天 照大神」を祭神とする神社(宮)の建立を禁じたことを意味していると考 えています。 (その後、ごく近世には「皇大神宮」として建立されますが。) 従って「天照大神」の神像は原則的に有り得ないだろう、という意味で申 し上げたものです。 なお、対馬にはアマテル神の痕跡があるとされていますが、これが「天照 大神」と同一神であるかどうかについては、問題があると思っています。 そもそも、神道における「神」は西行法師の名歌、 「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」 に示されているように、神像として具象化するには馴染まないものがあるの では? さっちーさん、はじめまして。 >>「かまくらや みほとけなれど しゃかむには びなんにおわす なつこだちかな」 >>という歌を記憶しているのですが、だれの作でしたっけ? 与謝野晶子の歌ですね。 実はこの歌は仏像の印相を語るときによく話題にのぼるもので、「手違い?」 の歌とされています。 ご存知でしょうが、ここで歌われているのは鎌倉高徳院の阿弥陀大仏です。 従って、釈迦牟尼(シャーキャームニ=釈迦族の尊者)ではありません。 釈迦如来と阿弥陀如来(アミターバ・アミターユス=無量光・無量寿)では 印相が異なり容易に見分けられますが、鎌倉大仏は上品上生の阿弥陀定印で あり、釈迦如来等の禅定印ではありません。(所謂手が違います) 与謝野晶子はこれを知ったうえで、敢えて釈迦牟尼としたのか? 文学作品ですから、どちらでも良いのですが、Awajiは承知の上で歌ったと思 っています。 つまらない蛇足を申し上げてしまいました。スミマセン。 Title : 救世観音と金色     1999/ 3/10(水) 23:29:16 ********************************** みなさん、本題とは外れますが、またまた お邪魔します。Awajiです。 法隆寺救世観音も勿論そうですが、多くの仏像は金色に輝いていますね。 現在は金色がはがれて地肌になったり、黒光りしている多くの仏像にも微 かに金色の痕跡が残っているのは、ご承知のとおりです。 東大寺大仏建立に当たっても、黄金の調達に苦しみ、陸奥産金の知らせに 「聖武」は狂喜しています。何故これほど金色に拘ったのか? 勿論、単なるキンキラ趣味に基づくものでは有りません。これも一種の「 儀軌」によるものなのです。 「大智度論」という仏典によれば、如来には三十二の身体的特徴があると されています。所謂「如来三十二相」と言われるものです。 その中に「金色相」という部分があり、これによって如来、或いは如来に なるべき菩薩は、金色の肌で表す必要があったのです。その他にも「真青 眼相」「毛上向相」「正立手摩膝相」等があり、手が不自然に長すぎるの もこのためです。 青い目、金色の肌、巻毛・・・とくると白色人種を思わせますが、この理 由についても諸説があります。 実際にお釈迦さんは白色人種であった?本来禁止されていた仏像の制作が ギリシャ系人(ガンダーラ)によって開始された?単に理想的肉体を描い たものだ?等々ですがよくわかりません。 ところが、仏像を金色にするためには、主として二つの方法があります。 一つは石仏・木仏等に用いられたもので、下漆に金箔を貼り付ける方法。 もう一つは金銅仏に用いられたもので、水銀アマルガムで蒸着させる方法 です。後者は非常に危険な方法で、水銀中毒或いは水銀汚染を、もたらし かねないものです。 東大寺大仏等は、あれだけの規模ですから平城京北東部が水銀で汚染され た可能性を指摘する意見もあるようです。 常に金銅仏を持仏としていた皇族・貴族と水銀中毒の関係、平城京を捨て ようとした「聖武」の遷都の動き、「恒武」の遷都の決意に水銀汚染(廃 水汚染も有り得ます)問題もあったのか? 金銅仏(天平期以降急激に衰微します)と遷都にも意外な関係があるのか も知れませんね。 なお、仏教が一神教か、多神教かと言う議論があったように思いますが、 後世インド土俗宗教の影響(タントライズム=密教)により、一見多神教 であるかのような様相を呈するものの、飽くまで基本は人間が解脱するこ とにより仏になることにあり、その意味では無神論に近いものだと思いま す。(釈迦・薬師・阿弥陀・大日如来といえども元は凡夫であり、先師で あるに過ぎません)我が国においても禅宗(特に道元)はこの原理を徹底 して説いていると思います。 「仏々祖々皆本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり。鈍 もあり。痴もあり。然れども皆 改めて知識に従い、教行に依りしかば、 皆仏祖と成りしなり。」 Title : 救世観音と宝珠    1999/ 3/12(金) 22:54:07 ********************************* 難しい議論が続いているようですが、ノホホンと救世観音のAwajiです。 梅原先生の宝珠に関する解釈は、次のとおりです。 「この持物はふつう宝珠と考えられているが、明らかに宝珠ではない。 それは、すでにわれわれが法隆寺の至るところで見てきた舎利瓶の形である。 蓮台にのった舎利瓶、しかもその背後にはめらめらと火焔が燃えている。 そして救世観音がこの瓶を持つ手の形もまた妙である。あまりもちたくな いものをもっているようでもある。・・・・・・・ 炎々と燃える火焔の中に、聖徳太子は亡霊の如く立っている。放心したよ うに眼を空しく開け、体からは不思議に生々しい生気を漂わせて、舎利瓶 を、おそらくは自分の息子たちの舎利瓶をもって、そこに立っているので ある。・・・・・・ 哀れな太子よ、あなたの子孫を殺した者の子孫は、あなたを、かってあな たが住んでいた宮殿の跡に立たせて、この地で惨殺されたあなたの子孫た ちの骨をあなたにいだかせたのだ。あたかも、あなたがあなたの子孫たち を葬り、彼らの不幸な霊を慰めねばならぬかのように。怒れ、太子よ。 あなたの子孫を全滅させたのは彼らだ。・・・・」 かって、この文章を読んだ、我が家の奥方は一言。 「梅原さんは自己陶酔が激し過ぎるね。こんなんでは冷静に歴史なんか見 られへんのとチャウ?」・・・・でした。 まず、 1.この観音像は天平仏か、飛鳥仏か? 2.これは舎利瓶か、宝珠か? 3.舎利瓶とすれば仏舎利か、山背王達の骨瓶か? 4.手の形は何を意味するか?持ちたくないものを持っているようか? 5.火焔は何を意味するか?等を冷静に分析すべきでしょう。 1.擬古作と言われれば、それまでですが、宝珠型光背・赤楠材・杏仁目 ・アルカイックスマイル・細面鼻高・正面観照性・不完全な背刳等は 明らかに白鳳仏以前の特徴を備えています。 2.確かに舎利瓶と見れば舎利瓶。宝珠と見れば宝珠です。他の小金銅仏 の持つ宝珠はこれよりはるかに小さいので、形状は分かりませんが、 少なくとも宝珠を持つ観音像が存在する以上、舎利瓶と決め付けるの は無理があります。 3.火葬の慣習が天平以降のものであることから、山背王の骨瓶と言う見 方には無理があるでしょう。敢えて舎利瓶とするならば、仏舎利であ ると見るのが妥当だと思います。 4.手の形は主観的なものですから、何とも言えないのですが、宝珠の全 体像を示すため、不自然な形をとったとも見えます。小金銅仏の場合 は、このような微妙な手の形は表現できないので、両手で上下を包み 込むような形になっています。 5.火焔に付いては、既に申しあげたとおり、時代を超え仏像には付き物 とすら言えます。 ところで、飛鳥時代の宝珠と言えば、すぐに思い出すのは隋書の次の部分 です。 「 有阿蘇山其石無故火起接天者俗以爲異因行祷祭有如意寶珠其色青大如 鷄卵夜則有光云魚眼精也 新羅百濟皆以タイ爲大國多珎物並敬仰之恒通使徃來  大業三年其王多利思北孤遣使朝貢使者曰聞海西菩薩天子重興佛法故遣朝 拜兼沙門數十人來學佛法其國書曰日出處天子致書日没處天子無恙云云帝覽 之不悦謂鴻臚卿曰蠻夷書有無禮者勿復以聞」 つまり鶏卵大の夜光性の「如意寶珠」が特記されています。これが実際に如 何なる物であったかは良く分かりませんが、仏像で如意寶珠と言えば如意輪 観音の持物を連想させるものです。Awajiには舎利瓶と言うよりこの記事の 「如意寶珠」との関係に想像が掻き立てられるのです。 Time : 2000/ 1/19(水) 00:09:15
Name : ina E-mail : Title : 仏像の色 Comments:  Awajiさんこんにちは  昔の内容ですが、懐かしく読ませていただきました。確か始めに円空作の 男形アマテラスの質問を差し上げたときのものですね。  ところで、言い古されたことなのですが、現在大多数の仏像オタクの方は あの色、つまり金箔が剥げ落ちてくすんだような色、を含めて愛して居られ るわけですね。逆に、例えば地方のお金持ちや、水子供養などで多大な業績 を挙げられたお寺などが極彩色の仏像をたてられると、多分こちらが、オリ ジナルの色に近いにもかかわらず、浅ましいような感想を抱きがちだと思い ます。これは仏像オタクでさえない素人の感想ですが、関連して、なにか思 われることなどありますでしょうか? Time : 2000/ 1/19(水) 10:26:37
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 「中日ドラゴンズの論理」これで終わり?? Comments: みなさん、こんにちは。今回で「中日ドラゴンズの論理」は終わり にしたいですね。 Awaji wrote: > 取り敢えず「中日ドラゴンズ」についてです。 「取り敢えず」ですか。。 「忠臣」も終わらないんですナァ。 ◇中日ドラゴンズの論理の件◇ 驚きの連続でもはや驚くこともできません。しかし、その中で最も 驚いたのは、Awaji氏と議論が成立していることです(苦笑)。 私にとっては非常に嬉しいことです。(喜) Awaji wrote (1/18): > ただ直接史料のみならず周辺史料から導きだされる「常識的概念」を、 > もっと活用すべきだと主張されているに過ぎません。 そうです。私も同感です。なのに、どうしてこんなに私と解釈が違 うのでしょうか?? 井沢先生の主張は「もっと活用」の「もっと」 の程度問題ですよね。3文字だけれど、この差は大き過ぎる訳で!! Awaji wrote (1/18): > 「言霊」「怨霊鎮魂」が歴史事象を解釈する上での「常識的概念」に含 > まれるかどうか・・・が問題なのです。 『逆説の日本史』を読むと、ほぼ確実に含まれると思います。 「言霊」に関して言えば、平安時代は少なくとも認識していた。そ して、現在も「言霊」信仰が残っている。従って、その間も「言霊」 信仰が残っているのでは?? というような感じでしょうか。 想像するに、井沢先生は「常識的概念」と思っておられるでしょう。 また、間接的な証拠としては問題ないでしょう。ないのは直接的な 証拠です。 Awaji wrote (1/18): > 「中日ドラゴンズ」で井沢さんがおっしゃっている「常識的概念」は、 > あくまでも当時の諸状況から見て成立の蓋然性が高い状況証拠であり、 > 「立証されざる仮説」の類ではありません。 「立証されざる仮説」といっても最初は帰納的に考察する訳ですか らね。「状況証拠」に入るのでは? 同時代の状況証拠ではないが、 各時代を股にかける状況証拠というのもあるでしょう。 Awaji wrote (1/18): > 通常の能力を有する歴史学者は、当然のこととして直接史料のみを > 金科玉条とはしていません。当時の「常識的概念」をもアラユル史料 > =資料を通じて探求し、歴史解釈に活かそうとしています。 もちろん、そうでしょ。シロウト向けの本しか読みませんが、歴史 学者はアラユル史料を通じて「常識的概念」も探求していますね。 当然のことながら、それは史料の許す範囲です。個々の歴史学者の せいではないのですが、どうしても表層的な常識までしか許されな い、そんな印象を持ちます。 Awaji wrote (1/18): > 井沢さんが批判されている「史料至上主義」は、直接史料を金科玉条 > とし、当時の「常識的概念」を無視する歴史解釈手法です。 いくらなんでも、それはないでしょ。ドシロウト私ですら思いませ ん。「程度」問題でしょう。井沢先生から見ればそう見える、とい うことだと思いますが。 Awaji wrote (11/13): > 歴史学は、直接に歴史事象が記述されている「文献史料」を基本として、 > 当時「ドラゴンズ」は社会的に如何なる意味を持っており、球団の名前と > して相応しいものであるかどうか。社長は本当に辰年生まれなのか(つま > り故意に曲筆がなされていないか)。当時の中日新聞等にはどの様に命名 > に関する記述が有るか(他史料との照合)。当時この名前がファンにどの > 様に受け止められたのか(当時の社会的状況との照合)・・等々を検証し、 >「直接の命名理由は、社長のエトにあると考えられるが、その決定動機に >『ドラゴンズ=龍=強力な動物』というイメージがある事も否定出来ない > のではないだろうか、何故ならば当時のあらゆる状況から見て、社長のエ > トがネズミであったとしても、『中日ラット』と命名することは有り得ず > ・・・・」と記述する筈です。 「読解力」云々は、この文章を読んで感じたことです。あのタトエ 話をこんな風に解釈するとは、驚きですよ! 世の中、いろんな人 がいるんだな、って。(笑) もちろん、歴史学者が調べる気になったら上記の事は最低するでしょ うね。 Awaji wrote (1/18): > 実際・・・こんな当然のことを何時まで申し上げれば良いのでしょう > かね? 同感です。私も繰り返したくないので、平行線ということで、終わ りでどうでしょう? 「南朝正統論」と違って、終わっても誰も苦 情を言わないと思いますが。今回の投稿に対して、Awaji氏が 無視してくれれば、これで終わりにします。 ◇補足です◇ Awaji wrote (1/18): > つまりは両者の基本的手法は同じではないでしょうか?と申し上げて > いるのです。 井沢先生も歴史学者の仲間入りですね。。(笑) I wrote (1/18): > 最初に断っておきますが、ここでの「中日ドラゴンズの論理」は、私 > がよく用いている「発展形」とは異なります。「基本形」です。 Awaji wrote (1/18): > 当然です。「基本形」は井沢さんのご意見であり、「発展形」は貴方の > 拡大解釈に過ぎません。 こういう所で、Awaji氏に対する不信感が出てくるのですが。。 同意ならば、同様な文章をワザワザ繰り返す必要はないと思います がね。「拡大解釈に過ぎない」という単語を使って、私に対するイ メージダウンを狙っているのでしょうか? 理解に苦しみます。私 の印象は(きっと)最悪なので、そのような事は不要だと思います が。。(苦笑) 折角ですので、「発展形=拡大解釈」を思いついた経緯を紹介しま す:一言で言えば、「ドラゴンズ」の主要因の「社長の干支」が、 私にとって、役立つ情報だったからです。史料は表層的になりやす いかも知れないけれど、はっきりしていてGOODという印象を持 ちました。史料至上主義批判であるこの文章で、私は史料至上主義 の良さを感じることができた、という訳です。 ・中日ファンには、「社長の干支」と説明するのがGOOD。 ・プロスポーツ音痴には、「強そうな動物」と説明するのがGOOD。 という結論に至ったのです。歴史についても、マクロ的な観点で見 たい場合には、少々精度が落ちても、マクロ的な観点から説明する のがGOODと思います。今回の「南朝正統論」の話のように。 Time : 2000/ 1/19(水) 18:23:30
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 「巨人につぐ金満球団の論理」について Comments: 投稿長期休暇中につき TAKATOKU氏を見殺しに・・・(笑) ミニジャイアンツめ Time : 2000/ 1/19(水) 18:47:39
Name : まいご E-mail : Title : 海野さん Comments: さすがです。 Time : 2000/ 1/19(水) 19:13:56
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「世間仮虚」?? Comments: Inaさん、今日は。Awajiです。 今冬の列島は、史上まれに見る暖冬ですが、ハドソン河の水鳥チャン、 等は、元気に氷の中を泳いでいるでしょうか? >>あの色、つまり金箔が剥げ落ちてくすんだような色、を含めて愛し >>て居られるわけですね。 まことに鋭いご指摘で・・・これは仏像オタクのみならず、全ての古美 術愛好家に、つき付けられる匕首のようなものですね。 現在バチカンでは、ルネッサンス絵画の洗浄が大規模に行われています が、ダヴィンチやミケランジェロの名画もカナリ印象が変わってきまし たね。 もっと言うならば・・・名匠・名工が完成の喜びに笑みをもらした瞬間 から、顔料は化学変化を起こし、木部は変形をはじめるのですから・・ 美術作品は既に完成時点と同じものではありません。 正にこれ諸行無常・色即是空・・・・万物流転のなかで永遠の美を求む るや如何? 今・・・一期一会の瞬間において、あるがままのものを、あるがままに 感じ、あるがままに愛する・・・これ即ち刹那の美にして、彼我共に刹 那なるが故に永遠なり・・・ナ〜ンテ思っています。 (何を言ってるか訳分からん? はい言ってる方も分かりません!) 仏心のかけらも有せぬ金銭亡者の作成せるキンキラ仏像に「美」を感じ るも良し、後世に信仰を伝えんと浄財を集めし極彩色の仏像に「美」を 感じるも良し、野に朽ちる目鼻も定かならぬ石仏に「美」を感じるもこ れまた良し・・・何れを是とし、何れを否とするも、これ凡愚の我執に して、真にあらず。「世間仮虚唯佛是真」! (とは言うものの・・・やっぱり中宮寺弥勒菩薩が大好きです) 金満ジャイアンツ。準金満ドラゴンズ ・・・今年は申し訳ないが、タイガースにおまかせあれ! (何年言い続けたことやら・・・永遠の「XX」) Time : 2000/ 1/19(水) 23:11:27
Name : kituno E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: 過去ログを載せてくださり、ありがとうございます。 3月頃の書き込みはどうやってみればいいのかわからず、 あきらめかけていたところでした。 過去ログを読んで、 >擬古作と言われれば、それまでですが、 と言われているのを踏まえた上であらためて質問させてください。 1.「救世観音」を「飛鳥仏」とされると、法隆寺金堂の釈迦三尊像と あまり違わない頃の製作と思われるのですか? 法隆寺『東院資材帳』の天平宝治5年の記録に「上宮王等身観世音菩薩」と 書かれていますが、夢殿を含む東院の創立は天平11年の頃なので、 「救世観音」は「天平仏」であるが、法隆寺金堂の「尺寸王身」の釈迦三尊像を 意識して「飛鳥仏」風に作られたとは考えられないでしょうか? 2.「飛鳥大仏」や法隆寺の「小仏」は金銅仏ですが、木造であることは 「天平仏」だという根拠にはならないでしょうか? 3.しつこいようですが、なぜAwajiさんは、数ある仏像の中で「救世観音」を タイトル名に選ばれたのですか? 「救世観音」という仏像がお好きなのですか? Time : 2000/ 1/20(木) 00:15:39
Name : 破戒僧 E-mail : Title : あれれ? Comments: 外野からの放言ですみません 腐儒さん? 安部奈亮さんじゃない? なぜかって? 朱子学に熱心なとこ&最近は江戸時代にも凝ってるらしいし それに例によっての断言口調 *************************** 朱子学は、大変広い範囲を持った思想活動とも言うべき物です。 日本で儒教がもっとも盛んになるのは、江戸時代ですが、 朱子学すべてを否定すると、江戸時代ひいては明治維新、 さらに蘭学(蘭学の初級テキストは漢文であり、江戸時代の合理主義の根幹は朱子学です) 戦前戦後の経済成長まで否定しなければならなくなります。 (日本人の勤勉さに、朱子学が大きく影響を与えているのは、良く言われるところです) 2000/ 1/18(火) 13:52:31 *************************** 江戸から戦後までをあっさりとひとくくりで総括する豪快さ 特に最後のかっこ内の一文とか安部さんならではの書きっぷり ここまで書いてなんですけど、違ってたらごめんなさい>腐儒さん、安部奈亮さん&管理人さん Time : 2000/ 1/20(木) 00:32:21
Name : 緑茶王 E-mail : Title : 忠臣顕彰ー倒幕つながり。 Comments: みなさん、こんにちは。久しぶりです。 ちょっとタイミングが悪いかな?とも思うんですが、 もう終わっている(?)話題に一言。 明治政府が、南北朝時代の南朝側の武将を忠臣として顕彰したのは、 明治天皇の権威を高めるためだったのではないかと思っています。 つまり、いままで幕府打倒に成功した天皇は、後醍醐天皇と明治天皇です。 南朝の武将をたたえることで、日本国民に、 「お前たちも命がけで戦え」 と、そんな雰囲気づくりに役立っていたのではないでしょうか? この時代は国民の思想を一つにまとめる必要があったとも思います。 #ただの思いつきです。 それでは。 Time : 2000/ 1/20(木) 04:21:55
Name : ina E-mail : Title : 御神体 Comments:  AwajiさんどうもRESありがとうございました。  甘えついでに少し御教示いただきたいのですが、神社の御神体、というのは どう言うものなのでしょうか?  特に気になるのは、出雲で、向き、が問題になっていますよね。  となると、例えば、石(ころ)などでは方向を定義するのは無理ですね。  やはり名前を書いた紙なのか、まさか絵を書いた掛け軸ではないのでしょうが。  御教示頂ければ幸いです。 Time : 2000/ 1/20(木) 14:52:15
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 長期?ROM化 Comments: みなさん、こんにちは。 「準金満球団の論理」、「忠臣」ともに無事に終わったようなので、 私はROM化します。短期になるか長期になるか永遠にROMして いるか、それは状況次第ですが。。 この掲示板始まって以来の最大の嫌われ者なので、必要のない限り、 なるべくROMしています。 ◇海野氏へ◇ Unno wrote: > 投稿長期休暇中につき TAKATOKU氏を見殺しに・・・(笑) 見殺しでも、何殺しでも、ご自由にどうぞ!! 2度死ぬのも3度死ぬのも同じですからね。。(笑) しかしながら、色々とありがとうございました。 ◇Awaji氏へ◇ 「批判」に見えれば復活しませんが、「批判のための批判」に見え たら、復活して、しつこく食い下がるでしょう、きっと。 しかしながら、色々とありがとうございました。 ◇みなさんへ◇ みなさん、ありがとうございました。 それでは、しばしになるか、永遠になるか分かりませんが、 ご機嫌よう!! Time : 2000/ 1/20(木) 18:30:58
Name : まいご E-mail : Title : やっと Comments: 封印されたか!では永遠の別れを誓って乾杯! Time : 2000/ 1/20(木) 19:40:44
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : ( ゚o゚)ハッ やっぱり怨霊化してしまった^^; Comments: いえ そんな予感があったのです^^; ◇TAKATOKUさんへ◇ >この掲示板始まって以来の最大の嫌われ者なので、必要のない限り、 >なるべくROMしています。 もう 鳥居すね衛門なんだから〜(笑) >「批判」に見えれば復活しませんが、「批判のための批判」に見え >たら、復活して、しつこく食い下がるでしょう、きっと。 ここらへんの「公憤」を 客観的に相対化してみるべきだと思います そうすれば 次回会戦のときに役立つでしょう 井沢帝を擁し 逆賊(失礼^^;)Awaji氏に対して 奮励敢闘した 怨霊言霊史観の忠臣TAKATOKU氏の御霊を ここに顕彰し 怨霊言霊神社に合祀いたします^^;;; >それでは、しばしになるか、永遠になるか分かりませんが、 >ご機嫌よう!! それでは 再戦の日まで壮健なれ!(^^)/~~ ◇まいごさんへ◇ >封印されたか!では永遠の別れを誓って乾杯! こりゃこりゃ 一期一会の人間関係を大事にせにゃいけません(笑) Time : 2000/ 1/20(木) 21:14:54
Name : 緑茶王 E-mail : Title : 中日ドラゴンズの論理(?)ーゴミ Comments: みなさん、こんにちは。 TAKATOKUさん、お疲れ様でした。またいずれ議論しましょう。 で、今までの論議とは、全然関係ありませんが、 以下、バイト中ヒマだったので、こんなの作ってみました。 (フィクションです。推敲してません。) 後世の野球史を研究する者にとって、2000年前後の監督人事は、 大きな混乱をもたらすものであろう。 つまり、金満球団ジャイアン○の監督がなぜノムラではないのか? そんな疑問が浮かぶのは当然である。 当時最高の指揮官は誰か?と言ったら、それはノムラでほぼ間違い ないだろう。ノムラのデータ重視の、いわゆるID野球は野球界に おいて一つの革命であった。 一方、ジャイアン○は豊富な資金により各球団から主力選手を引き 抜き、常に優勝争いに食い込む球団である。 この両者が力を合わせれば、優勝などたやすいことではないか?そ う思うのは無理ないことだ。しかし、このような疑問の前に、より 深くその当時の情報を集めることが重要である。 なぜ金満球団の監督が能力で劣るナガシマなのか?それは、ナガシ マが国民的カリスマだからである。それはつまり、ナガシマがジャ イアン○を率いることで、観客が集まることを意味する。 ジャイアン○の資金源がナガシマに依存しているからこそ、ナガシ マは監督なのであり、ジャイアン○は金満球団なのである。 その点、ノムラではジャイアン○のファンを引き付けることはでき ない。 また、ノムラの現役時代を見れば知的で堅実なプレーでありながら、 同時代のナガシマの活躍の前に一歩かすんでしまう感もあるだろう。 それをノムラ本人が自覚していたのであれば、それはナガシマに対 する対抗心ともなり、ジャイアン○の監督など、彼のプライドが許 さないだろう。 また、ノムラを語るにおいて、その背後の、生き霊と化したノムラ サッチーの存在も、無視することはできないであろう。 このサッチーこそが、野球史における怨霊伝説の始まりである。 #オチが。。。もうちょい、こねくりまわしたほうがよかったか? それでは。 Time : 2000/ 1/21(金) 04:17:04
Name : きんたろう E-mail : Title : 神社について2 Comments: こんにちは、みなさん。 神社についてのレポート2です。 神社の社格を表す事を社号と言いますが、これには伊勢の「大神宮」以下「神宮」 「宮」「大社」「神社」「社」があります。 延喜式の頃は「神宮」は前回書いたとおりほんのわずかしかありませんでしたが その後かなり増えた(自称??)ため明治時代になってその整理を行ったとの事です。 日向三代の皇祖などを祭ってあるものを神宮と称し、特別由緒がある社及び皇族奉祀 の社を宮としました。 また大社は出雲大社のみに限って用いる事としたそうです。 さすがAwajiさんですね。(笑) なお、社は神社の略称とされたとの事です。 八百万の神々が日本中至る所にいらっしゃるので神社とは「相似形」ではあっても 「合同」ではないようですね。 ところで各地域に一宮とか二宮、三宮がありますがこれについて詳しい方からの 報告をお願いします。(^^) Time : 2000/ 1/21(金) 11:31:27
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「救世観音は擬古仏?」?? Comments: kitunoさん、今日は。Awajiです。 新幹線の中でぐっすり眠りましたので、眼が冴えてしまって・・・ 深夜のRESです。 「救世観音」の正確な制作年代は・・・おそらく現段階では、確定出 来ないと思います。 おっしゃるとおり・・・ 『東院資材帳』からは、天平宝治5年(761)以前であることは、まず 間違いないところですね。 『東院縁起』からは、天平11年(739)行信僧都が夢殿を再興(これ を創建と見るか?)した際に、太子在世中に造立した救世観音像を安 置したと言う伝承の信憑性を如何に考えるか? でしょうね。 (『東院縁起』を直接確認していませんが、再興と読むのが多数) まず、これを再興とみれば元の建築物は、おそらく70〜100年経過した と見ることが出来ると思いますので、630年〜660年に創建され、観音 像も安置されていた可能性があると思います。つまり太子薨去(620年) から山背大兄自尽(643年)までに観音造像があり得ると見ています。 白鳳前の木造仏としては法隆寺「四天王」「百済観音」、法輪寺「虚 空蔵菩薩」、中宮寺「菩薩半跏像(如意輪観音)」等がありますが、 これら諸仏像よりは明らかに古様です。 (これらの仏像を「天平仏」とは考え難いので、材質面から木造=天 平とすることは疑問ですが?) 擬古仏と見る場合、通常は元仏像の復旧と考える方が自然であり、全 く新たに造像する場合は、通常造像様式になると思います。 (多くの太子像がありますが、擬古的造像の例は無いと思います) ・・・と言うことで、Awajiとしては、釈迦三尊像より若干後〜四天王 像より若干前、つまり620〜640年代と見ていますが、それ以上は分かり ません。(太子造立であれば・・・と思いたい気持ちもありますが、お そらく太子の縁戚者による顕彰・追慕のためのものでしょう。) なお、Awajiが最も好きな仏像は、中宮寺「菩薩半跏像(弥勒菩薩?)」 です。タイトルを救世観音としたのは、単なるキッカケに過ぎません。 (^0^)" Time : 2000/ 1/22(土) 01:34:28
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「神社アレコレW」?? Comments: inaさん、きんたろうさん、神社ファンのみなさん、今日は。Awajiで す。ついでに深夜RES・・・続編です。 >>甘えついでに少し御教示いただきたいのですが、神社の御神体、と >>いうのはどう言うものなのでしょうか?  基本的には「無」でしょう。(^0^)" そもそもは、神の坐す(依り坐す)甘南備山・磐座・樹木等を拝する 拝殿、或いは祭事のための仮屋が「神社」の淵源ですから、厳密な意 味での神体は無かったでしょう。 その後は寺院・或いは儒礼(道教かも?)の形式が導入され、寺院・ 祠堂(観)にならって、神の住い・・・カミのミヤが意識され、神の ヨリシロ(御形・霊代・正体)として鏡・剣・玉や御幣が設けらたの では無いかと思います。 「神像」は「仏像」の影響によるもので、9世紀以降の創出でしょう。 「神画」は「密教曼荼羅」の影響によるもので、さらに後世のもので は無いかと思います。 取り敢えず・・・こんなところで <(_ _)>ペコ >>ところで各地域に一宮とか二宮、三宮がありますがこれについて詳 >>しい方からの報告をお願いします。(^^) 詳しくはありませんが・・・(>_<;) おおよそ10世紀頃から設けられたもので、赴任した国司が巡拝する順 を示したものとされています。 (当然、その国の有力神社の序列と関係します) 「一宮」は概ね明らかですが、「二宮・三宮」になると神社間で異見 が多いようです。 これが手抜きされると「総社」を設けることになります。 きんたろうさんは、常陸ですから「鹿島神宮」が一宮でしょう。 「総社」は府中の石岡市近辺にあると思います。 オヤスミナサイ(^_^)/~ Time : 2000/ 1/22(土) 02:31:20
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「戒名」?? Comments: makさん、はじめまして。Awajiです。 折角の掲載ですが、RESがつきませんね。そこで・・・チョット独断 的見解ですが・・・以下 (^0^)" >>死んだ人につける「戒名」には、どんな歴史があるのでしょうか。  >>死んだ人に名前を付けることは、合理的には無意味のはずですが・・ 死者に「戒名」を付けるのは、近世から始まった風習で、本来は戒律 を受けた人(原則的には出家者)の法名に由来するものです。 本来の仏教では、死者の霊魂は「解脱=成仏」しない限り「輪廻転生」 を続けるのですが、日本(東アジア)においては祖霊信仰との妥協の 産物として、次第に死者成仏(往生)の思想が生じます。 従って、死者を擬似出家したと見做し、法名(戒名)を与える習慣が 生じたと思います。 これが、封建時代の「院殿」「院」等の身分差別戒名、現代の金銭差 別戒名になりますが、もとより仏教とは無縁のものでしょう。 >>これは仏教行事なのか、それとも日本独自の風習でしょうか。どな >>たか知っているひといませんか。 これも同様の問題ですが・・・仏教的には中陰(49日)が過ぎると霊 魂は「輪廻転生」してしまいますので、子孫達とは無縁の存在となり ます。 しかしながら、中国における祖霊信仰(儒教の宗教的側面)との妥協 により祖霊共存・招魂思想と融合します。 日本に招来された「仏教」はその意味で「中国的仏教」であり「周忌 鎮魂=招魂」思想が含まれていました。 我国においては、儒教的に洗練された祖霊信仰よりも、さらに原始的 霊魂思想が残存していた(今も・・・)と思われ、中国的仏教思想は さらに日本的に変容します。 従って、仏教の衣を被った儒礼・・・さらに基層には日本的な原始霊 魂思想があると思いますが、これを語りだすと・・・一年ぐらいはか かるかも知れません。(>_<;) Time : 2000/ 1/22(土) 13:46:29
Name : kituno E-mail : Title : 藤原氏の太子信仰 Comments: Awajiさん、RESありがとうございます。 私の最も好きな仏像も中宮寺「弥勒菩薩半跏像」です。(*^_^*) 観る者を魅了して止まない微笑み、頬に軽く触れた指先まで、 優しく柔らかく美しい仏像だと思っています。 半跏思惟像は、広隆寺、中宮寺など太子縁の寺院に祀ることが多いので、 聖徳太子となんらかの結びつきがあるのかもしれません。 飛鳥時代の法隆寺「四天王」「百済観音」、法輪寺「虚空蔵菩薩」、 中宮寺「菩薩半跏像(如意輪観音)」等の木造仏は、「救世観音」に 見られるような杏仁目・アルカイックスマイルは見られません。 「救世観音」は、正面性が強く扁平で左右対称の止利様式の仏像なので、 法隆寺の釈迦三尊像を意識して造られたのではないか、というのが kitunoの考えです。 もし飛鳥仏だとすると、止利工房に木彫りの名手でもいたのでしょうか。 「百済観音」は、天衣の垂れ下がり具合など、側面から見ることも意識して 作られていると思います。 現在の法隆寺西院伽藍は再建ですが、東院は藤原氏の命を受けた行信が 太子の斑鳩宮跡に創立したのではないかと思っています。 太子の怨霊説はさておいても、藤原氏と聖徳太子との間に 何らかの因果関係を感じてしまいます。 蘇我氏を滅ぼしたはずの藤原氏が奈良遷都から八年も経過してから、 蘇我氏の氏寺である飛鳥の法興寺が元興寺としてにわかに奈良に移築されたこと、 光明皇后が太子が推古天皇に講読したといわれる「勝まん(字が出ません)経」を 好んで講読したこと、法隆寺東院創立の理由や財源などの問題も、藤原氏との 因果関係として興味のあるところです。 kituno の好きな仏像ベスト3は、中宮寺の「弥勒菩薩半跏像」、秋篠寺の 「伎芸天立像」、凛とした雰囲気の聖林寺の「十一面観音立像」です。 Awajiさんは、他にどんな仏像がお好きですか? Time : 2000/ 1/22(土) 22:27:59
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「勝鬘経」?? Comments: kitunoさん、今日は。Awajiです。 >>半跏思惟像は、広隆寺、中宮寺など太子縁の寺院に祀ることが多い >>ので、聖徳太子となんらかの結びつきがあるのかもしれません。 かも知れませんね。或いはこれらの仏像は「弥勒菩薩」と思われます が、北魏〜隋にかけて「弥勒信仰」が盛行していましたので、その影 響によるものかも知れません。 56億7千万年も待てません〜〜とかいって?? >>飛鳥時代の法隆寺「四天王」「百済観音」、法輪寺「虚空蔵菩薩」、 >>中宮寺「菩薩半跏像(如意輪観音)」等の木造仏は、「救世観音」 >>に見られるような杏仁目・アルカイックスマイルは見られません。 そうですね。その他の点から見ても明らかに「救世観音」より後世 の作風だと思いますが?(「四天王」がもっとも近似的) >>「救世観音」は、正面性が強く扁平で左右対称の止利様式の仏像 >>なので、法隆寺の釈迦三尊像を意識して造られたのではないか、 >>というのがkitunoの考えです。 前段はおっしゃるとおりですが、後段はどうでしょうね? 基本的には、同様式の像は同時代の制作と考えるべきだと思います。 Awajiは同様式の木造仏があっても、不自然とは思わないのですが。 >>もし飛鳥仏だとすると、止利工房に木彫りの名手でもいたのでし >>ょうか。「百済観音」は、天衣の垂れ下がり具合など、側面から >>見ることも意識して作られていると思います。 同様式だとしても、同工房とは限りませんし、飛鳥時代の技術水準 からすれば、木造仏を作造することは、さほど困難とは思えません。 (渡来系技術者の可能性が多いと思いますが・・・) おっしゃるとおり「百済観音」よりは「正面観照性」が強い先行時 期の制作と思われます。従って素直に「飛鳥仏」と見ているのです が、何か擬古仏にこだわられる特別の理由がおありでしょうか?? (擬古仏の可能性は20%程度・・・・以下かな?) >>光明皇后が太子が推古天皇に講読したといわれる「勝まん(字が >>出ません)経」を好んで講読したこと、法隆寺東院創立の理由や >>財源などの問題も、藤原氏との因果関係として興味のあるところ >>です。 「勝鬘経」は、男尊女卑思想を脱却し、珍しく王妃が主人公となり 如来蔵を説く経ですから、男勝りの光明が好むのは当然だと思いま す。(^0^)" kitunoさんはどうですか?・・・女性必読かも知れませんよ! 天平時代は仏教の国教化を強力に推進していますから、その先駆を なした太子を持ち上げるのは当然だと思いますし、藤原氏等がその 流れに沿って太子讃美を推進したのも自然だと思っています。 (勿論、行信の努力もあったでしょうが・・・・) 梅原さんは、チョット藤原氏を過大評価し過ぎているように感じて いるんですが?? Awajiの好きな仏像は、他に言えば・・・ 向源寺(渡岸寺) 十一面観音菩薩 薬師寺東院 聖観音菩薩 薬師寺 薬師三尊 法隆寺 夢違観音菩薩 観心寺 如意輪観音菩薩 興福寺 阿修羅・無着・世親像 東大寺戒壇院 四天王 観音寺(田辺) 十一面観音菩薩・・・聖林寺より雰囲気が好き! 広隆寺 弥勒菩薩 円成寺 大日如来 深大寺 釈迦如来・・・・・関東代表と言うことで! 東大寺 重源像 西大寺 叡尊像 唐招提寺 鑑真像 等がお勧めでしょう。常識的に過ぎるかも?(^0^)" Time : 2000/ 1/23(日) 10:57:07
Name : kituno E-mail : Title : Awajiさんへ.. 「勝鬘経」 Comments: 太子がまず「勝鬘経」を義しょ(また字がでません^^;)として選んだのも、 推古天皇に仏門に入って貰いたかったからですものね。 光明皇后が好むのも当然ですよね。 仏教の経典は、女性蔑視と思われるものが多く、その中に置いて 「勝鬘経」は女性が語った異例の経典だそうですが、 kitunoには、なかなか経典の理解はできません。(^^; ところで、貴族社会では奈良時代まで健康で力強く生きてきた女性が、 どうして飾り人形のような平安女性へとその地位が落としていったのでしょう? >天平時代は仏教の国教化を強力に推進していますから、 このことも藤原氏の中央集権化の一策だったと思います。 仏教だけでは国を治められないことを悟った藤原不比等が、 藤原氏の性を自分の血を受け継ぐ者にだけ名乗らせ仏教を保護し、 一方では従来の「中臣」姓を受け継がせ神事を司り、 うまく神仏習合を謀って中央集権化を押し進めていった、という説は、 納得のいくものだと思っています。 持統天皇の頃、判事を務めていた藤原不比等は、唐の律令を研究していましたが、 人民を管理するための制度である郡県制を導入する前に、母系社会である日本に 仏教の影響力を借りて女性蔑視の思想を広め、男性中心の封建的家父長制を確立 する必要があったのではないでしょうか。 そして村の共同体信仰として神々を束ねて皇祖神下に編成し、神の霊力の賦与を 代償として、初穂を名目とする租税をとり、国土と人民を支配することに成功した のが奈良時代ではないでしょうか。 梅原氏説は決して藤原氏を過大評価しているものではないと思っています。 >何か擬古仏にこだわられる特別の理由がおありでしょうか?? 「救世観音」が太子の等身の菩薩と『東院資材帳』に書かれていることから、 太子の亡くなったあとの7世紀前半の造像だと思うからです。 「日本書紀」において聖徳太子が持ち上げられているのは、藤原氏が仮面として 『仏教保護者の顔』としなければならなかったためで、あの「山背大兄皇子事件」 を背後で操っていたのは『藤原鎌足』で「鎌足が山背を殺し、蘇我を分断させ、 さらに蘇我入鹿を殺すという陰謀だった」という梅原説に強いインパクトを 受けたものですから。 その後の藤原氏の繁栄や「日本書紀」「古事記」の完成時期を考え合わせると、 とても納得のいく説だと思います。 太子の「尺寸王身」である法隆寺釈迦三尊像を真似た「太子の怨霊鎮魂のための 仏像」が「救世観音」というのもあり得ることではないかと思うのです。 >観音寺(田辺) 十一面観音菩薩・・・聖林寺より雰囲気が好き! 聖林寺の十一面観音菩薩とよく比較される仏像ですよね。 聖林寺の十一面観音菩薩はスラッとして緊張した面もちが男性的、 観音寺(田辺) 十一面観音菩薩は、残念ながらまだ実物を拝観した ことがありませんが、写真で見る限りおっとりと女性的な感じがします。 実物を是非拝観したいです。 Awajiさんの好きな仏像をたくさん書いていただいてありがとうございます。 私の好きな仏像がたくさんありました。 常識的な仏像はそれだけ作品としての価値も高く、多くの人に愛され、 信仰されているということですね。(*^_^*) 仏像談義もたくさんしたいのですが、このBBSにあまり仏像のことばかり 持ち込んでしまっては申し訳ないですよね。(^^;) Time : 2000/ 1/23(日) 23:38:21
Name : 傍観者 E-mail : Title : いえいえkitunoさん Comments: 井沢先生は,「趣味はお寺参りだ」と言ってますから 御自身で,好きなお寺の紹介をした本も書いてらっしゃいますし, いいんじゃないでしょうか? Time : 2000/ 1/23(日) 23:57:33
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「東院縁起」?? Comments: kitunoさん、今日は。Awajiです。 日曜日NHK12チャネル西村公朝さんの仏像再発見ご覧になりました か?仏像の拝観角度・光線角度からの見方等・・・結構参考になりま した。 >>ところで、貴族社会では奈良時代まで健康で力強く生きてきた女性 >>が、どうして飾り人形のような平安女性へとその地位が落としてい >>ったのでしょう? そう思われますか? Awajiは中国的倫理観から見れば、淫風とすら 見られかねない、自由恋愛や不倫を公然と和歌・日記・物語に表現し た平安女性はなかなかの者だと評価していますが・・・? (女性の結婚について家長権がほとんど見られない貴族社会と言うの は世界的にも珍しいと思っています・・・その代わり正妻の地位は、 極めて不安定なものとなっていますが) しかし、女性の地位を低下させたのは、やはり徐々に儒教的倫理観が 浸透し、家長権が強大化していった故かも知れませんね。これは仏教 思想の影響だとは思いませんが・・・(少しはあるかな?) >>「救世観音」が太子の等身の菩薩と『東院資材帳』に書かれている >>ことから、太子の亡くなったあとの7世紀前半の造像だと思うから >>です。 7世紀前半ですか? それならば以下のAwajiの見解とほぼ同時期にな り、梅原説と真っ向から対立するのですが・・・・(^0^)" >つまり太子薨去(620年)から山背大兄自尽(643年)までに観音造 >像があり得ると見ています。 1/22 飛鳥仏期・・・・540(仏教公伝)〜650(大化改新)年頃 白鳳仏期・・・・640(大化改新)〜720(平城遷都)年頃 天平仏期・・・・710(平城遷都)〜800(平安遷都)年頃 つまりは、堂々たる飛鳥仏になると思うのですが・・それともAwaji の時代区分が違っていますか?? >>太子の「尺寸王身」である法隆寺釈迦三尊像を真似た「太子の怨霊 >>鎮魂のための仏像」が「救世観音」というのもあり得ることではな >>いかと思うのです。 おっしゃるように「怨霊鎮魂像」とするならば、・・・『東院縁起』 の、天平11年(739)行信僧都が夢殿に「太子在世中に造立された救 世観音像を安置した」と言う伝承を否定した上で・・・・梅原さんの 主張の如く行信による8世紀初頭の擬古造像にしないと理屈に会わな いように思うのですが? (Awajiの立場は、太子在世中もあり得るが・・・少なくとも山背大 兄自尽までには造像されていた・・・従って様式どおり飛鳥仏と思わ れ、かつ山背大兄自尽以前の造像とすれば「怨霊鎮魂像」では有り得 ないということです。) なお、残念ながら「山背大兄事件」の影に「藤原鎌足」あり等とする 梅原さんの一連の怨霊仮説には、ほとんど説得力を感じていませんが、 これを論じ出すとかなり激烈な議論になりますので・・チョットご 勘弁を  (>_<;) その梅原仮説から救世観音を逆推理するのでは無く、そもそも法隆寺 ・救世観音を怨霊鎮魂(信仰)と見なす梅原さんの仮説に、何らかの 根拠があるかどうかを検証する方が有意義だと思っているんです。 (概ね、過去ログで申し上げたとおり、ほとんど根拠らしいものは、 見当たらないと思っていますが・・・・??) でも本音としては、仏像オタク同士で、こんな殺伐な議論は余りした く無いような気が・・・・・(・_・;) Time : 2000/ 1/24(月) 22:26:39
Name : kituno E-mail : Title : 仏像オタク同士 Comments: >日曜日NHK12チャネル 関東でもやっているのかな〜?何時からの番組ですか? 残念ながら、kitunoは殆どテレビは見ません。 ゆっくりテレビを見る時間がない、というか..。^^; >>「救世観音」が太子の等身の菩薩と『東院資材帳』に書かれていることから、太子の亡くなったあとの 7世紀前半の造像だと思うからです。 すみませんでした。矛盾している言い方ですよね。 ちょっと説明不足でした。 kitunoは、ずっと「救世観音」は飛鳥仏だと思っていたのです。 今も7世紀前半の作と思っていたいのです。 しかし、「聖徳太子の研究で梅原猛氏の右に出るものはない」とも思っています。 故に梅原氏の「行信により太子に似せて作ることを命じられた百済系の仏師が、 太子の怨霊を封じ込める目的で『救世観音』を作った」という説にとても ショックを受けてしまったのです。 梅原氏の説を読めば読むほど、「飛鳥仏である」と言い切れなくなっていました。 そこで敢えて擬古仏にこだわり、Awaji 氏の「擬古仏ではない」という根拠を 詳しくお伺いしたいと思いました。 確実な製作年代がわからないところが、「救世観音」の魅力のひとつ(^^) なのかもしれません。 >残念ながら「山背大兄事件」の影に「藤原鎌足」あり等とする梅原さんの一連の 怨霊仮説には、ほとんど説得力を感じていませんが、これを論じ出すとかなり激烈 な議論になりますので・・チョットご勘弁を  (>_<;) 勘弁できません。(^^;) まさに、kitunoがお聞きしたいのは、この部分なのですから。 太子を怨霊としたくないのが、kitunoの本音。 kitunoがYAHOO に「太子に恋」のトピックを載せた最大の理由なのです。 >本音としては、仏像オタク同士で、こんな殺伐な議論は余りしたく無いような 気が・・・・・(・_・;) だから、殺伐とした議論になるはずがないのです。 過去ログも繰り返し読ませていただきました。 それにプラス「山背大兄事件」のご意見も聞かせていただけないでしょうか。 擬古仏としての太子像で最も私が好きなのは、法隆寺聖霊院の 「『勝鬘経』を講読する太子45歳像」です。 体内には、蓬莱山に乗った「救世観音」の小金銅仏(飛鳥時代)と法華、 勝鬘、維摩の三経が納入されています。 間近で拝観できたときは、その厳しい表情に感動してしまいました。 Time : 2000/ 1/25(火) 21:51:06
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「梅原説の誤謬」?? Comments: kitunoさん、今日は。Awajiです。 了解しました。及ばずながら梅原さんの太子怨霊説を粉砕すべく努 力させて頂きます。 実を言うと、約二十五年前?に「隠された十字架」を読んだ時に、 梅原さんは一体何を言っているんだろうと・・・初めから拒否的に 受け取りましたので、もう一度読み直して見ますが・・・ 取り敢えず、kitunoさんが梅原サイドに立って、これこそ反論でき ないだろうと思われる点からご説明頂けますか?(どの部分からで も結構です) 取り敢えず「救世観音」が天平仏とする根拠が、梅原さんの仮説に よる逆推理であり、素直に「救世観音」を見れば山背大兄在世中に 造像された飛鳥仏とすべきことは、ご理解頂けたと思います。 続いて「救世観音」に関して、梅原さんの明らかな誤謬を挙げてお きます。梅原さんは次の様に述べておられますね。P412 「この仏師は、この仏像をつくって間もなく死んだと言う・・・ 太子の怨霊は、またしてもここに一人の犠牲者をつくったのである」 この部分は、「聖徳太子伝私記」によるものですが、原文は次のと おりです。 嘉禎4年(1238)顕真「聖徳太子伝私記」 「今此夢殿之内安御等身救世観音像 金薄押之 今世並昔日 不知其体 此則当寺々僧仏師奉採造之 即講堂安持之 是叶転輪聖王経説之二臂像 其仏師造畢不久死畢 不知其所以之者也」 一読してお分かりの様に、これは鎌倉時代に「救世観音」の模像を造 った時の仏師急死の記事です。しかるに梅原さんは行信の指示によっ て恐怖にかられながら「救世観音」像を造像した百済系仏師の急死と 記述しておられます。この様な基本的史料を誤読されるようでは、と ても歴史の真実に近づけません。 また、これに先立つ「救世観音」記事として次のものがあります。 保延6年(1140)大江親通「七大寺巡礼私記」 「塞帳奉拝件像之処 更非仏像 只等身俗形也 着冠帯 但左手持宝珠 伏右手覆宝珠上思惟 見形者在俗也 見印者救世観音 既知太子御影也 其御坐者重半帖畳十枚許其上所立給也 其外無他坐・・」 この記事では大江親通は明らかに畳の上に安置されている「救世観音」 を実見しています。つまり梅原さんの言うような「秘仏」では無かった のです。 また、江戸(元禄)時代に修理の釘が十一ヶ所にわたって打たれている ことも科学的に実証されています。これも梅原さんの「秘仏」記述と相 容れないものです。 取り敢えず「救世観音」自体について、梅原さんの延々と記述された情 緒的な「秘仏」記述を打ち消して置きたいと思います。 Time : 2000/ 1/26(水) 00:01:40
Name : kituno E-mail : Title : ごめんなさい。 Comments: >>勘弁できません。(^^;) などと、大変失礼なことを言ってしまい、申しわけありません。 私がここに書き込むようになって以来、常連の方、その他の方々の書き込みが全く なくなってしまったことを大変気にしています。 皆さん、どこかに移動されてしまったかのようです。 胃の痛む思いです。 ここは井沢元彦氏のHPであり、ここで梅原氏に対する意見を述べることは、遠慮すべきではないか、と思いました。 Awajiさんには、「救世観音」のことばかりでなく、聖徳太子のこと、藤原氏のこと その他仏像話などお伺いしたいことがたくさんあります。 どうでしょう? 私のトピックにおいてご意見を伺うわけにはいかないでしょうか? 私のトピックへは、きんたろうさんのHPから行けるようになっています。 (きんたろうさん、ありがとう) トピックへの書き込みは、YAHOOへの登録が必要だったり面倒なこともあるので、 無理にはお願いできないのですが...。 自分のトピックの書き込み数を増やしたいわけではありません。 あそこなら遠慮なく思い切り質問できるので、是非きていただきたいのです。 >取り敢えず、kitunoさんが梅原サイドに立って、これこそ反論できないだろうと 思われる点からご説明頂けますか?(どの部分からでも結構です) このことに関しては、できれば毎日少しずつお伺いしたいのです。 kitunoのトピックへの書き込みをしていただけない時は、ここを覗かれている井沢 氏ファンに大変申し訳ないので、非常に残念なのですが、これ以上話を進めること をあきらめようと思っています。 Time : 2000/ 1/26(水) 21:19:57
Name : ina E-mail : Title : 個人的な意見ですが。 Comments:  KITUNOさん、  今日は、Inaと申します。今のお話しは私はとても興味深く見ています。  仏像オタクどうしの和やかな雰囲気も大好きですので、私としてはこのまま ここで続けていただきたいですね。  このHPでも一時的にネタがきれたり、ということはあり、別に、遠慮している 訳では有りません。  私もどうやって口を挟もうか、とてぐすねひいているところです。  ということで、どうか続けてくださいませ。 Time : 2000/ 1/27(木) 01:25:33
Name : kituno E-mail : Title : 顕真「聖徳太子伝私記」 Comments: inaさん、暖かい言葉をありがとうございます。 昨日の私の書き込みに対するAwajiさんからのRESはいただけないのですが、 お一人でも、このように言ってくださるととても励みになります。 このまま、ここで続けていてもいいのでしょうか? 前回のAwajiさんの書き込み対して質問させてもらいます。 嘉禎4年(1238)顕真「聖徳太子伝私記」 「今此夢殿之内安御等身救世観音像 金薄押之 今世並昔日 不知其体」 ということは、鎌倉時代にはすでに像容が明らかでは無かったということだと思う のですが、明らかでなかったのに「救世観音」の模像を造ったというのは、どうい うことなのでしょう? >江戸(元禄)時代に修理の釘が十一ヶ所にわたって打たれていることも科学的に >実証されています。 このことについてもっと詳しく教えていただけないでしょうか? 何かに掲載されたのですか? 私は、明治17年にフェノロサと岡倉天心によって丈余の白布が取り除かれるまで その像容は明らかにされていなかったと信じてきましたので、とても驚きました。 Time : 2000/ 1/27(木) 23:56:39
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「秘仏の意味」?? Comments: kitunoさん、inaさん。今日は。Awajiです。 申し訳なのですが、貞操堅固なAwajiとしては、チョット浮気はしたく 無いので、トピックスへの書き込みはご容赦願います。ご要望に添えず ホントウニ ゴメンナサイネ ペコ と言うことでご質問に関して・・・・以下 >>明らかでなかったのに「救世観音」の模像を造ったというのは、ど >>ういうことなのでしょう? これについては、色々な解釈が有り得ますが、顕真は太子の侍者「調 子麿」の子孫を称し、太子の神秘化に努めた形跡がありますので、敢 えて「今世並昔日 不知其体」と記述したのであって、実際には実見し ていた可能性があります。と言うのは同書の補注裏書きに・・・ 「以左手仰臆前 上安宝珠 以右手覆宝珠之上其相似 XX此叶転輪聖王 経説・・・」とあり、明らかに実見しないと記述しえない「救世観音」 の形象描写がなされているためです。 何れにしても・・・梅原さんがオドロオドロシク強調されている「聖 徳太子伝私記」太子像造像の逸話は、鎌倉時代のことであり、行信と 関係付けるのは、単純な誤謬であることは、知っておく必要があると 思います。 >>私は、明治17年にフェノロサと岡倉天心によって丈余の白布が取 >>り除かれるまでその像容は明らかにされていなかったと信じてきま >>したので、とても驚きました。 梅原さんの記述からは、そう受け取るのは当然ですが、現在の厨子が 昭和15年に新造されるまでは、元禄9年(1696)大改修まで数次にわた って修理改造されており、少なくとも鎌倉初期まではかなり開放的な ものであったことが確認されています。これは大江親通「七大寺巡礼 私記」記述とも符合し、この時代には白布は無かった可能性が大です。 江戸期の修理釘については、昭和63年の部分修理時点で確認されたも ので、これは高田良信さんの「法隆寺の謎と秘話」に記述されていま す。(「隠された十字架」執筆の昭和47年時点では判明していません でした。) なお、ついでに申し上げておきますと・・・・ Awajiが梅原「太子怨霊説」に関して、先ず直感的に感じた疑問は、 果たして太子には怨霊となる適性(資格)があるのか?と言う事で す。 Awajiの一般的理解では、怨霊となるのは非業の死により怨念を残し た死者であり、その死者による加害者に対する復讐が怨霊の祟りと して意識される筈です。 しかし、太子は何処から見ても被害者として「非業の死」を遂げた とは思えません。彼の死亡時においては、その嫡子は有力皇位継承 者として健在でしたし、一族も特に権力者から悲惨な処遇を受けて いたわけでもありません。 仮に彼が蘇我氏との権力闘争に疲れ、厭世自殺したとしても、それ で怨霊になると言うのは筋が違い(?)すぎます。 彼の一族が悲惨な目に会うのは、彼の死から約20数年の後ですね。 Awajiとて「山背大兄怨霊説」ならば、その可能性は否定しません。 しかしながら、死後20数年後に子孫が悲惨な目に会ったから改めて 怨霊になると言うのは、幾ら何でも怨霊適性(資格?)から無理が あり過ぎるでしょう。 何故「山背大兄」が怨霊として意識されず、「聖徳太子」が怨霊と されるのか? 梅原さんには、まずこの疑問に明確にお答え頂く必 要があるでしょうね。 次に感じた疑問は、梅原さんは怨霊鎮魂の為に造像した「救世観音」 の頭に釘を打ち付けたり、子孫の遺骨を抱かせたりしている・・・ としておられますね。一体これで鎮魂になるのでしょうか?ワザワ ザ怨霊を挑発し、喧嘩を売っているようなものです。 「哀れな太子よ、あなたの子孫を殺した者の子孫は、あなたを、かっ てあなたが住んでいた宮殿の跡に立たせて、この地で惨殺されたあな たの子孫たちの骨をあなたにいだかせたのだ。あたかも、あなたがあ なたの子孫たちを葬り、彼らの不幸な霊を慰めねばならぬかのように。 怒れ、太子よ。・・・・」 なんて梅原さんに叱咤激励されなくとも、太子の怒りは爆発する筈 です。 一般に怨霊鎮魂とは、神に祭り上げたり、仮の天皇位を贈ったりし て、怨霊の怒りを鎮め宥めて祟りを防ぐものでは無いでしょうか? 勿論、龍神や悪鬼を鎮魂するのではなく、法力で封じこめると言う 災厄防止策もあり得るのですが、逆に言えば太子の怨霊は行信如き が頭に釘を打ち付けたり、門に中柱を設ける程度で封じこめられる ようなチャッチイものと認識されていたのでしょうか? この点においても、梅原さんは基本的に怨霊鎮魂思想、或いは怨霊 封殺思想を誤解しておられるのでは無いかと感じました。 なお、梅原さんは夢殿が墓所を連想させる旨強調されていますが、 Awajiもこれは墓所だと思います。つまりは太子の顕彰(崇敬)・ 追慕・鎮魂の聖廟でしょう。そのような聖廟にミダリニ立ち入る事 が許されないのは、当然のことだと思っています。 Time : 2000/ 1/28(金) 01:01:16
Name : 輔住 E-mail : Title : なるほど(このBBSで何度もそう思ったか数え切れないが) Comments: kitunoさん・Awajiさん梅原説についての議論 楽しく拝見させてもらっています。 >何故「山背大兄」が怨霊として意識されず、「聖徳太子」が怨霊と >されるのか? 梅原さんには、まずこの疑問に明確にお答え頂く必 >要があるでしょうね。 なるほど!。言われるまできづかなかったですね。 「太子」より「山背大兄」を恐れるのが普通ですよね。 Time : 2000/ 1/28(金) 12:12:55
Name : kituno E-mail : Title : 山背大兄事件 Comments: Awajiさんの説を伺い、感動してしまいました。 RESをありがとうございます。 >申し訳なのですが、貞操堅固なAwajiとしては、チョット浮気は >したく無いので、トピックスへの書き込みはご容赦願います。 >ご要望に添えずホントウニ ゴメンナサイネ ペコ 返って無理なお願いをし、申しわけありませんでした。<(_ _)> 輔住さんの書き込みにも励まされ、ここで質問を続けさせていた だきたいと思います。 私は、聖人化され怨霊化された聖徳太子の実像を知りたいと思っ て、太子のことを調べるようになりました。 天皇の子として生まれ、4人の妻をめとり、14人の子の父であ り、摂政として類い希な政治家だった太子の「人間としての太子」 を知りたかったのです。 私も、夢殿は「聖廟」である、と思っています。 梅原説は発表後、いろいろな反響を招き、反論も随分受けたよう ですね。梅原氏自身、その反論に対し「論の進め方にも幾多のま ずいところがあった」と認められたりもしています。 しかし、、「反論の大部分が私が多少調子に乗って言い過ぎた言 葉尻をとらえたもの」とか「それらの反論は、自分以外にも多く の人によって指摘されている法隆寺の多くの謎に答えているもの ではない」とも言っています。 梅原氏によって始まった「太子怨霊説」が再び井沢氏によって提 唱され、私は井沢氏の怨霊説は立論自体が推論に次ぐ推論である と感じながらも、なぜこうも太子は怨霊化されるのだろうと悲し い思いでした。 Awajiさんの説は、怨霊にされた太子を救ってくれたような気が します。 高田良信氏によると「救世観音」は太子在世当時に作られたもの で、寺伝によれば太子の念持仏であったとされているようですね。 >>明治17年にフェノロサと岡倉天心によって丈余の白布が取 り除かれるまで... これは、梅原説ではなく私が持っている仏像の解説書に書かれて いたことです。でも、その解説書も昭和48年頃に書かれた物な ので致し方ありません。(^_^;) >何故「山背大兄」が怨霊として意識されず、「聖徳太子」が怨 霊とされるのか? 「山背大兄」に推古天皇は、 「あなたは未熟で精神的に若すぎるところがあります。もし心中 に望むところがあっても、騒ぎ立てて言ってはなりませぬ。必ず 群臣の言を待って、それに従いなさい。」(本日のトピック書き 込みより)と言っていることからも、「山背大兄」は聖徳太子と は比べものにならないほど凡人に近かったのではないでしょうか。 怨霊となるだけの恐るべき存在ではなかった、それだけ周囲から 軽視されていたということではないでしょうか。 その大きさの違いは、あの御物の『聖徳太子及び二王子像』にも よく示されていると思います。 では、今日の質問。 藤原不比等がその編纂に関わったと思われる「日本書紀」におい ては聖徳太子を聖人化し、藤原氏が仏教の保護者ととなるために 聖徳太子を利用し、その実太子の子孫を根絶やしすることの脚本 を書いたのは鎌足で実際山背事件に関わったのは孝徳天皇の側近 だったにも関わらず蘇我入鹿一人のせいにし、入鹿を殺した鎌足 を正当化したために藤原氏は太子の怨霊を恐れた、という梅原氏 の見解については、どのようにお考えですか? Time : 2000/ 1/28(金) 23:36:28
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「聖徳太子の聖人化」?? Comments: kitunoさん、輔住さん、inaさん。今日は。Awajiです。 颯爽と白馬の騎士の登場で・・・良かったですね。 さて、ご質問にたいして・・・以下 >>しかし、、「反論の大部分が私が多少調子に乗って言い過ぎた言 >>葉尻をとらえたもの」とか「それらの反論は、自分以外にも多く >>の人によって指摘されている法隆寺の多くの謎に答えているもの >>ではない」とも言っています。 このご発言は良く知りませんでしたが・・・Awajiの知る限りでは、 「日本古代史叢考」 坂本太郎著 吉川弘文館 (昭和48年の法隆寺夏期講座講演をまとめたものです) がもっとも的確な批判であり、梅原説の主要部分は殆ど否定された と言う印象を持っています。これに対する梅原さんの反論は良く知 りません。(あるのかも知れませんが・・・) >>怨霊となるだけの恐るべき存在ではなかった、それだけ周囲から >>軽視されていたということではないでしょうか。その大きさの違 >>いは、あの御物の『聖徳太子及び二王子像』にもよく示されてい >>ると思います。 流石に鋭いご指摘です。Awajiもこれに対する反論はこれしか無いだ ろうと思っていました。 しかしながら、そうなると・・・怨霊仲間の「井上内親王」「早良 親王」「伊予親王」はそれ程の大物だったかと言う問題が生じます。 『聖徳太子及び二王子像』は太子生存中ですから、大兄は少年だっ たでしょうね。 太子薨去(622)・・・山背10代? 推古崩御(628)・・・山背20〜25? 山背薨去(643)・・・山背35〜40? ・・・とすれば、薨去時には立派に壮年に達しているおられる訳で、 堂々と怨霊足り得る能力を備えていたと思います。 それに対して太子は如何に大物でも、非業の死を遂げたわけではあ りませんので、怨念度が全く違うように思うんですね。 >>なぜこうも太子は怨霊化されるのだろうと悲しい思いでした。 聖像破壊は、世間の注目を集めるのに最も手っ取り早い・・と言っ て仕舞えば、梅原さんに叱られるでしょうか? さて、本題ですが・・・ >>藤原不比等がその編纂に関わったと思われる「日本書紀」におい >>ては聖徳太子を聖人化し、藤原氏が仏教の保護者ととなるために >>聖徳太子を利用し、その実太子の子孫を根絶やしすることの脚本 >>を書いたのは鎌足で実際山背事件に関わったのは孝徳天皇の側近 >>だったにも関わらず蘇我入鹿一人のせいにし、入鹿を殺した鎌足 >>を正当化したために藤原氏は太子の怨霊を恐れた、という梅原氏 >>の見解については、どのようにお考えですか? 1.不比等は「書紀」の編纂にどの程度の主導権を発揮したか? 2.不比等の主導権は「書紀」を自家に都合よく記述させることが 出来るほどの権力があったか? 3.それを裏付ける根拠、或いは痕跡は確認できるか? 4.不比等は本当に聖徳太子を聖人化したのか? 5.聖徳太子を聖人化したとすれば、その理由と根拠は何か? 6.太子を聖人化することで、何故藤原氏が仏教の保護者となるの か? 7.山背事件は鎌足の脚本による陰謀か?その根拠は何か? 8.山背事件の実行者は、孝徳の側近か?その根拠は何か? 9.山背事件における蘇我入鹿の役割は何か? 等を考察せねば、ならないと思いますが・・・これを論じると一冊 の本になりますね。(>_<;) そこで、先ず4〜6から行きましょうか? Awajiの見るところ、聖徳太子に関する評価は、斉明・天智・天武 時代には、ほぼ確立していたと思うのですが? 梅原さんが、不比等が聖人化したとされる根拠が分かりません。 特に、6の太子の聖人化によって、何故に藤原氏が仏教の保護者と なり得るのか、その理由が分かりません。 kitunoさん、みなさんは・・・どの様に思われますか?? (以下順次、検証したいと思います) Time : 2000/ 1/29(土) 10:51:49
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「救世観音の白布」?? Comments: kitunoさん、白馬の騎士さん、今日は。Awajiの・・・追加です。 >>明治17年にフェノロサと岡倉天心によって丈余の白布が取り除 >>かれるまでその像容は明らかにされていなかったと信じて・・・ >>これは、梅原説ではなく私が持っている仏像の解説書に書かれて >>いたことです。 これは梅原説です・・・以下 「たしかに西洋の科学精神は、この平和な極東の島にやってきて、 千二百年間、ただ一度も開けられたことのない厨子の扉を開けさせ 、千二百年もの間、誰の眼にもふれなかった仏像を衆人の眼にさら したのである」 P382 「この救世観音像が建造のとき以来秘仏となり、法隆寺の僧といえ ども誰一人見た者もなく、またその体が白布でぐるぐるまかれてい たという異常な事情が・・・呪いの人形でもあったのである。呪い の人形は絶対に人に見られてはならない。その犯罪は深く隠さねば ならない。そのために、全身に白布を何重にもまいて、けっして人 目にふれないようにする。」 P409 「この仏像を見て、行信はにんまり笑ったにちがいない。・・・ この見事な仏像に何重にも白布を巻いて、永久に人目にふれないよ うにする。これで、犯罪はまさに完了したのである。」P412 梅原さんは、大江親通「七大寺巡礼私記」その他の厨子修造記録 等を全く無視されて、ひたすらご自分の想像に酔っておられると しか言いようがありません。 Awajiは昭和63年調査以前、発刊時この記述を読んで吹き出して しまった記憶があります。 (Awajiの言い方は激烈でしょう?) Time : 2000/ 1/29(土) 13:10:03
Name : ina E-mail : Title : 梅原説 Comments:  梅原説について  1、この話しでは太子の聖人化がまずあり、あとに記述されている一連の 陰謀によって、太子の怨霊を恐れた、となっていますが、聖人化の理由が、 怨霊をなだめるためだった、という、(これも梅原説に含まれていましたよね) 論理と循環論法になっているように思います。 2、仏教の保護者となることがこの話しでは最終目的のように読めますが、不比等 の時期に、このことがそれほどの陰謀をめぐらすほど価値のあることだったか、 という疑問があります。  仏教をとりいれることの精神的な意味については「国民の歴史」にも若干の 記述がありますが、政治的な意味は蘇我、物部の以降は薄れているように思います。 Time : 2000/ 1/29(土) 13:26:16
Name : kituno E-mail : Title : 梅原サイドに立って Comments: 私が、輔住さん、inaさんの書き込みに励まされたのは確かですが、 「白馬の騎士さん」という表現は、的確ではないように思います。 私が、女性だからでしょうか? Awajiさんが以前提案されたように、私が「梅原サイドに立って」 みます。 1〜9まで全てに答えるとなるとかなりの量になってしまいます ので、まずは5からいきたいと思います。 私は、聖徳太子を聖人化した理由としての梅原説を次のように解 釈しています。 藤原鎌足の陰謀は、「山背大兄を殺し、蘇我氏を分断させ、さら に蘇我入鹿を殺す」ということでした。 鎌足は太子一族の根絶という倫理的不人気を蘇我氏に押しつけ、 当時19歳という血気盛んな時期にあった中大兄皇子を利用して 大化改新を成功させ、藤原氏はまんまと蘇我氏に取って代わって 政治を動かす立場まで成り上がっていったというわけです。 不比等の時代の『日本書紀』において聖徳太子を持ち上げ、聖人 化することによって、その聖徳太子の子孫を殺した蘇我入鹿を悪 者にし、その悪者を倒した中大兄皇子と中臣鎌足の行為を正当化 しようとしたのです。 つまり『日本書紀』における聖徳太子の聖人化の目的は、中臣鎌 足の行為を正義の復讐者の行為として強調する為だったのです。 山背事件の陰の首謀者を、梅原氏は中臣鎌足と考えました。 『日本書紀』はその藤原鎌足の行為を正当化するために稗田阿礼 という藤原不比等の傀儡の口承により書かれた本というわけです。 鎌足は皇極帝と親しい蘇我入鹿に取って代わりたかったのです。 中臣鎌足は後の孝徳天皇と蘇我入鹿をうまくたきつけておきなが ら、山背事件にはさも関わっていないことを証明するかのように、 山背事件の前日、中臣鎌足は三嶋に隠居しているのです。 アリバイ工作までしているわけです。 梅原先生、幼稚な解釈、文章ですみません。 梅原先生の意図と違っていたらごめんなさい。 >『聖徳太子及び二王子像』は太子生存中ですから、大兄は少 >年だったでしょうね。 おっしゃるとおりです。 これを例に挙げたのは、適切ではありませんでした。 「救世観音秘仏化」の問題については、今日図書館で高田良信 氏の書かれた『私の法隆寺案内』(平成2年NHK出版)の中に 「嘉禄3年(1227年)勝鬘会という法要の本尊とするため 救世観音の模像を造ったが、その直後、仏師が死亡したのでそ れ以来完全秘仏化とした。白布を巻いたのは江戸中期頃と想定 されるが、それを証明する資料はない」と記載されていました。 >(Awajiの言い方は激烈でしょう?) Awajiさんは、感じられたままのことを言われているだけなので、 激烈だとは、感じません。kitunoが鈍いのかな〜? では、次回は8について..。 Time : 2000/ 1/29(土) 23:37:48
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「太子聖人化の推理」?? Comments: inaさん、kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 「白馬の騎士」不適切発言により、使用停止します。<(_ _)>ペコ 図書館に行かれたのですね。「日本古代史叢考」 坂本太郎著  吉川弘文館・・はご覧になれませんでしたか? これをお読み頂ければ、梅原さんの推理についての問題点が、良く ご理解頂けたと思うのですが・・・(^0^)" ところで聖徳太子オタクさん(この発言は不適切ですか?)に対し て失礼だとは思いますが、一般教養書として以下の書籍は既読と考 えて良いでしょうか? 引用の関係で一応確認させて頂きます。(Awajiのネタ本ですので) 「聖徳太子」 坂本太郎著ー人物叢書 「聖徳太子」 田村圓澄著ー中公新書 「信仰の王権聖徳太子」武田佐知子著ー中公新書 「蘇我蝦夷・入鹿」 門脇禎二著ー人物叢書 さて、5ですが・・・ (5.聖徳太子を聖人化したとすれば、その理由と根拠は何か?) に関する梅原さんの全体推理は、概ねおっしゃるとおりだと思います。 しかしながらAwajiの提起は、こう言った全体推理に関するものではな く、この推理を構成している個別問題の妥当性を検証しょうとするも のです。(それによって、全体推理の妥当性を考察しょうと思います) つまり・・・・ 「書紀」において「聖徳太子」が聖人として記述されている。これは 事実です。しからばその理由が次のどれに該当するか・・・ですね。 ↓ @史実では無く、「書紀」において不比等が捏造(誇張)した。 Aほぼ史実によるもので、「書紀」はそれを単に記述した。 B史実とは言えないが、天武期までに成立した伝承を「書紀」は 史実として記述した。 >>不比等の時代の『日本書紀』において聖徳太子を持ち上げ、聖人 >>化することによって、その聖徳太子の子孫を殺した蘇我入鹿を悪 >>者にし、その悪者を倒した中大兄皇子と中臣鎌足の行為を正当化 >>しようとしたのです。 >>つまり『日本書紀』における聖徳太子の聖人化の目的は、中臣鎌 >>足の行為を正義の復讐者の行為として強調する為だったのです。 梅原推理はそうでしょうが、ここで問題は・・・ 仮に聖徳太子が平凡な人間であれば、皇位継承権者であるその子孫 を殺した蘇我は悪者では無くなるのか? と言うことです。 臣下である蘇我入鹿が、皇位継承権者である山背大兄を故なく殺害 したのであれば、聖徳太子が聖人であろうと無かろうと入鹿は悪者 であり、その悪者を倒し(皇室の尊厳を守った)中大兄皇子と中臣 鎌足の行為は正当(化できるの)では無いでしょうか? それを太子を虚偽の聖人化してまで、敢えて正義の復讐者として強 調する必要があるのでしょうか? Awajiは仮に不比等が聖徳太子聖人説を「書紀」で捏造(誇張)記述 したのであれば、(そんな事が出来ようとも思いませんが・・・) 太子信仰等が後世まで残存するとは思えませんし、そもそもその様 な捏造を敢えて行う必然性も感じません。 やはり太子生存中から、多くの僧侶や貴族の間に太子の事跡・人物・ 能力に対する崇敬の念があり、それが天武期(書紀制作開始時期)ま でに定着していた(多少の潤色はあったでしょう。特に山背の死に臨 んでの潔さはチョット綺麗すぎると思いますが・・・・)。 つまり限りなくAに近いと考えるのが、最も蓋然性が高いと思います。 (三経義疏や若草伽藍、その他多くの金石文も根拠となります) なお、6については言及が無かったのですが・・・ (6.太子を聖人化することで、何故藤原氏が仏教の保護者となるの か?) 言うまでもなく、蘇我も太子も同様に崇仏派ですから、蘇我を倒した からといって、藤原氏が仏教保護者と主張出来るものではありません。 逆に、不比等が太子に関する記事を捏造(誇張)出来得る立場にあっ たならば、不比等の父祖が太子の仏教興隆に協力し、信頼されていた 記事や、鎌足が及ばずながらも山背大兄襲撃を諌めた・・・ナンテ記 事を挿入し、「仏教保護者」と印象付けるのは、極めて容易だったと 思います。 しかし・・・事実は中臣家が仏教公認に抵抗した記事と、鎌子の背信 記事があるだけですね。これを梅原さんはどう説明されるのでしょう か? これらの諸点からみて、梅原さんが主張された・・・不比等が『日本 書紀』において聖徳太子を持ち上げ、聖人化した・・・と言う推理は、 ほとんどナンセンスだと考えています。 (inaさんの梅原循環論法説もおっしゃるとおりでしょう) Time : 2000/ 1/30(日) 10:19:37
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「書紀の撰集」?? Comments: Kitunoさん、みなさん、今日は。Awajiです。 8の・・・ (8.山背事件の実行者は、孝徳の側近か?その根拠は何か?) については、コメント頂けるとのことですので、お待ちします。 そこで、以下1〜3の問題についてです・・・ 1.不比等は「書紀」の編纂にどの程度の主導権を発揮したか? 2.不比等の主導権は「書紀」を自家に都合よく記述させることが 出来るほどの権力があったか? 3.それを裏付ける根拠、或いは痕跡は確認できるか? 梅原説では、「書紀」は不比等の主導により、藤原氏に都合が良いよ うに製作(創作?)されたかのように主張されています。(デスネ?) これについては、既紹介の「坂本論文」により批判されていますが、 その批判部分を中心として、Awajiの疑問点を・・・以下 1.「書紀」の編纂は、天武十年(681)に「帝紀及上古諸事」編纂   詔勅により、川島・忍壁皇子を責任者として開始されたと見ら れる。 『日本書紀』天武紀十年(681)三月条 「天皇御宇大極殿。以詔川島皇子・忍壁皇子・・・大錦下上毛野君 三千・小錦中忌部連首・小錦下阿曇連稲敷・難波連大形・大山上中 臣連大島・大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。大島・子首、 親執筆以録焉」 この事業においては、当然に聖徳太子編纂の帝紀・国記等 (の記憶)や有力豪族の記録、更には百済滅亡によって移住し てきた韓国系人の記録、その他外国史料をも土台として推進 されたと思われる。   従ってこの骨格を一個人が恣意的に歪曲することは、まず考え られない。(中臣氏も、その有力メンバーとして参加している) 2.この事業を補完するため、持統5年に有力氏族の家系伝承を提 出させている。 『日本書紀』持統紀五年(691)八月条 「詔十八氏、大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・ 上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿部・佐伯・采女・穂積・阿曇、 上進其祖等墓記」 藤原氏も他の氏族と並んでこれを提出しているが、当時は当主 の不比等は33歳で、ようやく判事に任じられた中堅官僚に過ぎ ず、当然ながら穏当な内容であったと思われる。 その後、最高官僚に昇進したとしても、手の平を返したように 藤原氏に都合の良いように、正史草稿を改竄出来るとは考えら れない。 (「書紀」において、多数の「一書」が併記されているのは、 この各氏族の異伝によるのでは無いか?) 2.最終編集責任者である舎人親王と不比等は、微妙なライバル関 係にあり、(不比等の没後、舎人親王は知太政官事として全権 を掌握)長屋王も勢力を伸ばしっつある時期において、天武・ 天智の血を受けた舎人一品親王の所管する書紀編纂事業に対し、 不比等が強度の干渉を行い得たとは考えにくい。 『続日本紀』養老四年(720)五月条 「先是一品舎人親王奉勅修日本紀。至是功成奏上。紀三十巻系図一巻」 3.不比等が『日本書紀』に登場するのは、持統三年・持統十年の 二度であるが、記事そのものが少ない上に、三年紀は「藤原朝 臣史」、十年紀は「藤原朝臣不比等」と記述され不統一である。 4.鎌足が『日本書紀』に初登場するのは、皇極三年紀「中臣鎌子 連」であるが、その後白雉五年紀「中臣鎌足連」に突然変化し、 その理由も定かに示されていない。(天智紀では諱名を記さない) 5.『大織冠伝』に記述された鎌足の功績が、しばしば『日本書紀』 では略されている。   (鎌足が「近江令」制定の功績者であること、鎌足が在世して いれば、壬申の乱は回避されていただろうとする天武の述懐等 は、不比等が関与していれば、当然父の偉大な事績として記述 された筈である) 6.中臣氏の神代からの事跡について、特に潤色文飾した形跡がな い。(『古語捨遺』とほぼ同様の内容である) 7.崇仏論争における中臣氏の事跡等について、潤色文飾した形跡 がない。   (中臣氏の排仏論、鎌子の背信と不名誉な結末が記述されてい るのみである。) ほぼ以上のとおりですが、如何でしょうか? なお・・・・ 「古事記」の稗田阿礼を不比等に擬したり、「書紀」神代紀のニニ ギ降臨神話を、当時の皇位継承を正当化するための不比等の創作と する梅原さんの推理は、Awajiから見れば一種のジョークとしか思え ませんので、ここでは論評の対象とはしません。 Time : 2000/ 1/31(月) 23:44:30
Name : kituno E-mail : Title : では、8より先に6を Comments: 忘れないでくださいね。 私は、Awajiさんの提案により、敢えて梅原サイドに立たせて貰って います。 梅原説をじゅうぶん理解できないまま梅原サイドに立ったりして、 梅原先生に申しわけ無いことをしているのかもしれません。 >Awajiは仮に不比等が聖徳太子聖人説を「書紀」で捏造(誇張) >記述したのであれば、(そんな事が出来ようとも思いませんが >・・・)太子信仰等が後世まで残存するとは思えませんし、そも >そもその様な捏造を敢えて行う必然性も感じません。 梅原氏も太子の実績は十分認めています。 「『日本書紀』において太子の聖人説を捏造した」とは言っていない と思います。そのように受け取れたとしたら、梅原サイドに立った私 の表現の仕方に問題がありました。 すみません。 梅原氏は、『日本書紀』で「太子を持ち上げている」という表現をし ています。 私個人としては、Awajiさんと同様のことを考えています。 梅原氏や井沢氏が言われるように太子を怨霊と見なす考え方があった なら、太子伝や太子信仰、法隆寺秘伝などにかならずその影響が伺え るはずです。 『日本古代史叢考』は、何年頃の本ですか? 『隠された十字架』は太子論を述べたものではなく、あくまでも「法 隆寺論」である、とその後の著書の中で述べられています。『隠され た十字架』においては、山背事件に鎌足がどこかで関わっているので はないか、「藤原氏」の目的は「蘇我氏」に取って代わることだった のではないか、ということを強調したかったのではないかと思います。 >6.太子を聖人化することで、何故藤原氏が仏教の保護者となるのか? 蘇我氏や聖徳太子は、それまでの神道と儒教国家から仏教的理想国家に しようと努力してきました。推古天皇の補佐役として聖徳太子が摂政と なり蘇我馬子がバックアップしていた30年間は、とても平和な時代だ ったと思います。 しかし、仏教的平和主義では、自分本位の権力者のとっては都合が悪く 国家の存続まで危うくすると当時の政治家達は、危機感を持ったのでは ないでしょうか。 しかし、太子の努力により、仏教を否定することはできなくなっていま した。 その後、大化改新というク−デタ−により蘇我氏を滅ぼし、蘇我氏や聖 徳太子の努力によって民衆まで広がりつつあった仏教をうまく取り入れ しかも中臣本来の祭祀としての役割を生かすべく神道と儒教との融合を 成功させたのが藤原氏だったと思うのです。 藤原氏は、聖徳太子の功績をたたえ、僧侶、行信の勧めにより、聖徳尊 霊と法隆寺での法華経講読を行います。 ここで初めて聖徳太子を神とする信仰が始まります。 こうして聖徳太子を利用することにより、藤原氏も仏教の保護者として 民衆にアピ−ルしていったのではないでしょうか。 一日の僅かな時間しか歴史の勉強に費やすことのできない私にとっては、 Awajiさんの本の紹介を本当にありがたく拝見しました。 本は、ちょっとの合間に開くことができますから。 「太子おたく」になりたくてもまだまだ不勉強でなれません。 Awajiさんの紹介してくれた本を一生懸命探して読んでみます。 人生は長い。これからたくさん本を読んで、おばあさんになっ た頃には、胸を張って「私は、太子おたくです」と言えるよう になりたいです。 Awajiさんは、即座に史料や本の紹介ができる環境に居られる のでしょうか?いつも、私ではとても入手できないような本や 史料を提示してくださるので、ありがたいと思っています。 Time : 2000/ 1/31(月) 23:52:59