Name    : 勇者ロト
E-mail  : 
Title   : Awajiさんへ
Comments: 
こん@@は。
>従って、幽界と顕界を別物として、その栄誉を分離授与すると言う
>「顕幽分離思想」とは思想的に相反関係にあると思うのですが・・・・
>如何でしょう?

まつたく同感です。「分離」という認識はおかしいと思います。




Time    : 1999/12/ 1(水) 01:19:34

Name : ina E-mail : Title : 円空さん Comments:  Awajiさん、こんにちは  どうも何回にもわたって御教示ありがとうございました。 私は「見た」という記憶はあるのですが、当時の図録も高価な写真集も手元に なく、確認できません。  こちらこそ感謝しています。  ロトさんもありがとうございました。 Time : 1999/12/ 1(水) 04:48:39
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 今夜(前夜?)もドランクです Comments: Awajiさん、きんたろうさん、みなさんこんばんは。今夜(前 夜?)もチビチビやりながら、コメントを書いております。やはり、 日本の歴史を考えるときは、日本酒ですね。まぁ、冗談はさておき: Awajiさんの最近の発言を読んで、細かい事で反論をしたい所 もいくつか(たくさん?)あるのですが、それは後日にコメントさ せてもらいます。大まかな所としては、次の2つの言葉がキーワー ドのような気がします。 1:「主動機」 2:「考察対象は1911年決定」 Awaji wrote (11/20 10:28): > なお、念の為申し上げますが、ある政治決定が為される場合、その動機 > (理由)が単一と言うことは有り得ません。 > 当然に様々な複合的動機(理由)がある筈です。明治天皇の脳裏に後醍 > 醐の霊安を祈る気持ちが微かに浮かんだかも知れません。 > しかし、歴史解釈において重要なのは主動機(主要理由)でしょう? 最後の1文を除き、賛成します。明治天皇自身が思ったかどうかは 知りませんが、側近の中には後醍醐の祟りを気にした人はいたでしょ うね。それはそうと、「歴史解釈において重要なのは主動機(主要 理由)でしょう?」という常識?は私には通用しません。最も、 「主要」という言葉の定義によっては、私にも通用しますが。。 私は『逆説の日本史』を井沢先生とは異なり、応用日本史ととらえ ています。すなわち、現在につながる要因は、副要因であっても、 重要な要素と考えている訳です。現在の日本の政治家・マスコミの 言動、あるいは自分の周りの人々の言動の理解し難い部分を『逆説 の日本史』がかなり補っているので、井沢ファンなのです。そして、 正確な定義は不明ですが、「顕幽分離論」でどこまで説明できるの か、非常に注目している訳です。 私が最初に「中日ドラゴンズの論理」を持ち出したのは、主要因を 論ずるのが目的ではないからです。議論の最初から、私は現在につ ながる副要因について考えていたのです。 Awajiさんは「ここには中日ドラゴンズの理論は見られません」 と 11/16-23:35 に述べておりますが、この点どう思われますか? 私との議論は可能ですか? Awaji wrote (11/21 23:49): > そして、国会の議論を契機として1911年にいたって第二次桂内閣が明治天 > 皇の裁可によってこれを公認し、国定教科書を改訂したのですから、Awaji > にとってあくまで「南朝正統論」の考察対象は1911年決定にあるのですが、 > おかしいでしょうか? もちろん、ある時点にフォーカスすることも、大切なアプローチだ と思います。しかしながら、今回の議論に関しては、1911年の 時点だけをフォーカスするようなことはナンセンスだと思います。 特に、応用日本史の観点から言わせてもらえば、それまでの歴史的 な経緯は無視できないからです。 まぁ、仮に1911年にフォーカスしましょうか。となると、「顕 幽分離論」はかなり薄くなりますが、「尊王斥覇論をリゴリスティッ クに適用したこと」はさらに薄くなると思います。 というのも、この時期、明治政府が安定していて、楠木正成が忠臣 として称えられていて、かつ後醍醐が神聖な存在であったので、二 者択一となれば、南朝を正統としなければならないでしょう。ここ には、顕幽分離も朱子学もないような気がします。治世上都合がよ いことと、Awajiさんが Awaji wrote (11/22 21:43): > 義(体制)・・・天皇(君主)制における天皇(君主)の絶対性(尊厳) > 親(血統)・・・先祖が之を侵した(逆賊)事を天下に公認する不孝 > を比較衡量した結果、ある意味では「大義親を滅す」とした明治天皇の苦 > 渋の選択だと思いますし、理論的には妥当な選択だと思うのですが・・・ と述べられたように、害よりも益が多いと考えたからでしょう。最 も、明治天皇の側近の中には、顕幽分離論的な側面を持っていた人 もいるでしょうが。つまり、北朝を正統とすると、後醍醐の祟りに よって、明治政府が不安定になったら困ると考えた側近も1人位は いたかも知れません。 さらに言えば、「尊王斥覇論をリゴリスティックに適用した」なら ば、1911年ではなく、明治維新の直後にでも南朝が正統となっ ていたと思います。如何でしょうか? Awajiさんのペースになかなかついて行けませんが、今回はこ の辺りで終わりにします。なお、Awajiさんの今夜(昨夜?) のコメントについては考察しておりません。この点、ご了承下さい。 アルコールがないと何も考えられないもので。。 Time : 1999/12/ 1(水) 18:27:27
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「歴史解釈における主動機」?? Comments: TAKATOKUさん、今日は。Awajiです。 RESありがとうございました。出張帰りの深夜帰宅ですので、一言・・ >>「歴史解釈において重要なのは主動機(主要理由)でしょう?」とい >>う常識?は私には通用しません。最も、「主要」という言葉の定義に >>よっては、私にも通用しますが。。 要するに・・・一人や二人の変わり者が側近にいたとしても、Awajiに は興味はありません。歴史解釈はあくまでも主動機(主要理由)を考察 すべきものと考えています。 勿論、これは井沢さんも同じ考えで・・・以下のとおり述べておられま す。 「各時代の不可解な現象が、一つの理論で説明できるということは、そ の理論が正しいということを示ている。しかし残念ながら今の日本の歴 史学界では、・・・・・という真理の探究からはもっとも程遠い姿勢で 処理されることになるのである。」 Awajiが本件について議論している主動機は、この井沢さんの主張が妥 当なものかどうかを検証することにありますので・・・・ >>私は『逆説の日本史』を井沢先生とは異なり、応用日本史ととらえて >>います。すなわち、現在につながる要因は、副要因であっても、重要 >>な要素と考えている訳です。 こういった。議論はご勘弁願いたいのですが? ------------------------------------------------------------  ようやく「逆説の日本史」第7巻のあとがきを書き終えたところです。 (発行は9月初旬の予定)。  ところで最近すばらしいことを発見しました。とりあえず、このホー ムページの読者のみなさんだけにお知らせしようと思います。・・・ なぜこんな事が行われるか?・・・・・・・・・・・ それは説明するまでもありませんね。要するに怨霊が怖いからです。 ・・・・・・・・その鎮魂の方法が中国においては子孫に祀らせるとい うやり方だったのが、日本ではその怨霊の生前ほしがっていたものを与 えるというやり方に替わっていった。アマテラスはオオクニヌシから日 本の支配権を奪ったが、それに替わるものとして幽事の主催者という地 位を与えた。 これがすべての考え方の基本であり、・・・・・・・・  顕幽分離は古代だけでなく日本史を通して強い影響を及ぼしている。 後の例を挙げれば菅原道真が現実の世界では藤原氏に破れたが、幽界で は太政大臣となり天神として祀られたのがその典型である。・・・・・  そう考えてくれば「太平記」も顕幽分離の思想で書かれているという ことに気づく。ただ「太平記」が源氏物語と違って少し複雑なのは、前 半は明らかに輸入哲学である朱子学の思想で書かれているということだ。 ・・・・・・・・  もう一つ読者の方からE−mailで質問を受けた。それは、かいつ まんでいうと、南北朝の争いにおいて南朝は負けたのに、何故戦前は( ^^^^^^^^^^^^ 正確に言うと明治時代以前から)南朝のほうが正統とされてきたのです ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ か?今の天皇は北朝なのに、という質問である。  もうわかりましたか?  この質問に対して、私は、江戸時代に朱子学が盛んになり、その結果 南朝の方が正統とされたのでしょうという、まるで視野の狭い○○○○ のような回答をしてしまった。 さてもう答えがわかったでしょう?  顕幽分離論のキーワードに「フィクション」(虚構)がある。物語の ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 中で源氏が勝つのも、道真が太政大臣になるのも、いってみれはフィクシ ョンであり現実の世界には本来何の影響もないはずだ。しかしそれが影響 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 力をもち怨霊の鎮魂になると考えるところから、日本の政治も文化も始ま ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ っている。・・・・・・・・  もう一つの例はさらに明白だ。歴史では南朝は滅び北朝が勝利を収めた。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ だからこそ、ちょうど源氏物語のように南朝は正統でなければならないの ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ だ。現実には南朝の子孫は絶滅しているから、正統と認めたところで実害 は何もない。菅原道真を太政大臣にするのと同じことだ。朱子学というの ^^^^^^^^^^^^^^ は単にその理屈付けに利用されたに過ぎないのである。かつて仏教が怨霊 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 鎮魂の道具にされたのと同じ事だ。  やはり顕幽分離論は正しいのである。各時代の不可解な現象が、一つの ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 理論で説明できるということは、その理論が正しいということを示してい ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ る。しかし残念ながら今の日本の歴史学界では、縦割り行政のような専攻 制度を採っているから、説明できない現象は「武家の官位」のように見捨 てられ誰も論文の材料にしない、という真理の探究からはもっとも程遠い ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 姿勢で処理されることになるのである。  それにしてもこんな簡単なことに気がつかないなんて、私の頭も相当固 くなってきたらしい。これからは気をつけることにしよう。 Time : 1999/12/ 2(木) 00:15:06
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 言霊的信仰と顕幽分離思想 Comments: 勇者ロトさん(はじめまして!)、Awajiさん、みなさんこん ばんは。 南朝の話から、やや大きな話題になり、とても私が答えられるよう な問題ではありませんが、私の理解の範囲で述べたいと思います。 南朝の話は、後日にでも。(いつ頃になるか分かりませんが。。) おまけに、Awajiさんだけでなく、勇者ロトさんも私の意見に 反対となると、とても大変な議論になりそうですね。まぁ、冗談は さておき、 正直言って、「顕幽分離思想」の「分離」の意味はよくわかりませ ん。10月22日頃の議論におけるVIA MEDIA氏の説、 もしくはAwaji説が正しいのか、それとも別な意味なのか、よ く分かりません。さらに、実も蓋もないのですが「顕幽分離思想」 の定義もよく知りません。ここでは「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂 行為」という定義で話を続けます。井沢先生の定義では、これより 狭い意味かも知れません。あるいは、広い意味、ひょっとして全然 違う意味かも知れません。 Awaji wrote: > と申し上げておりますが「言霊的信仰」とは、言葉と言う非現実界 > (幽界)の霊力をもって、現実界(顕界)にその言葉の意味するとこ > ろを実現させると言う信仰思想です。 > 従って、幽界と顕界を別物として、その栄誉を分離授与すると言う > 「顕幽分離思想」とは思想的に相反関係にあると思うのですが・・・・ なるほど、理性的な考え方ですね。ただ、私はそうは思わないので す。Awajiさんと私の井沢理論に対する理解の根本的な相違は ここにありそうですね。 「言霊的信仰」と「顕幽分離思想」は相反関係どころか、非常に密 接な関係にあると、私は考えます。 Awajiさんは何故、故人に栄誉を与えるのだと思いますか?何 故、栄誉を与えることが鎮魂になるのですか?言葉に霊力があると 考えなければ、そんなことは無意味ではないですか? 「言霊的信仰」とは、発言した事と、実際に起こった事に対して関 係があると考える信仰です。発言した事が必ず起こる、という信仰 ではありません。この辺は非常に微妙です。つまり、言葉は霊力を 持っているものの、オールマイティな霊力は持っていないのです。 「死人を生き返らせる程の霊力があると考えていたか?」、恐らく そこまでは考えてなかったと思います。(考えた人もいるかも知れ ませんが。。) #法則:言霊パワーはドラゴンボールよりも力が弱い!? 足利義満に天皇位を与えても、「足利義満が生き返って天皇になる」 というそこまでの霊力はないのです。足利義満は幽界でその霊力そ のものには満足するものの、「顕界で天皇になる」ことはできない のです。したがって「幽界での鎮魂行為になる上に、顕界の被害は ほとんどない」となるのです。意識的か無意識的か分かりませんが、 そこまで計算して言霊による鎮魂をするのでしょう。非常にいやら しいやり方ですね。 どうでしょう?「言霊的信仰」と「顕幽分離思想」は相反どころか、 非常に整合性があると思いませんか? もっとも、太平記の後半部分が鎮魂になることの説明は、やや複雑? な利害計算が必要です。一見すると、「言霊的信仰」と「顕幽分離 思想」が相反しているように見えるかも知れません。 もう少し書きたいのですが、本日はここでタイプアップです。 Awajiさんに返事を書かなければいけない箇所を別ファイルに して保存しているのですが、そのファイルの行数が500行を越え てしまいました。ペースが遅くて申し訳ないですが、がんばって返 事を書きたいと思っております。 Time : 1999/12/ 2(木) 17:52:13
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 詭弁かもわかりませんが Comments: みなさん、こん@@は。TAKATOKUさんはじめまして、 >勇者ロトさんも私の意見に反対となると、 >とても大変な議論になりそうですね。 >まぁ、冗談はさておき、 私は、TAKATOKUさんの意見に反対というわけではありません。何しろ今までの TAKATOKUさんの意見をちゃんと読んでません(すいません)ので反対するも何も TAKATOKUさんが何をおっしゃっているのか具体的に全く理解できておりません。 したがって前回のAwajiさんの意見への賛成は「顕幽分離」という考察形態につ いてのもので、井沢先生への疑義なのです。 一見したところTAKATOKUさんの主張は 「顕幽分離論は日本人の深層意識を表すもので、歴史を動かす主体というよりも  歴史上の人物が何かを決定するときにこれが左右した可能性がある」 ということですね?違っていたらごめんなさい。 この意見は、はっきりいって証明不能です。人間の心理を読むという事は読み手に よって大きな違いがあるものだと思っています。吉良さんも自分の領地では尊敬 された殿様ですが、播州赤穂はじめ吉良の領地以外では「いけずなやつ」です。 逆から考えるとTAKATOKUさんのこの意見は変えようがないと思いますし、顕幽が 人間のものの考え方に作用するという部分については私も賛成です。 私が顕幽分離論に反対するのは、顕幽分離というある種意味と概念がわかりづらい 言葉を歴史を読み解くための公式のように用いる井沢先生の考えに同意しかねる。 という事と、顕幽を分離するという言葉の使い方自体が間違っていると認識してい るからです。 歴史上の人物は日本人に限らず、人間は常に顕幽を意識して人生を送っている と思います。死後の世界や、死後の名声を気にせず生きる人間の方が少ないと 思っています。巨大古墳や壮麗な社寺はそれを表しているように思います。 そこで問題なのが、鎮魂でも言霊でもいいんですが、分離して現実世界に影響 がないと当時の人間が認識できるなら怨霊など恐れることはないのではないか? と思うのですがいかがでしょう? 私が思うのは、日本人は顕幽分離ができなかったということです。 鎮魂行為を行うことは、顕幽を分離するという認識より顕幽を合一させるという 認識のほうがあたっていると思うからです。 具体的にいうと、菅原道真を天神として祭り鎮魂する事は、怨霊となった道真を 神と認識しなおし幽界に崇め奉り、その神威を借りて顕界に良い影響を及ぼすと いう事です。 ここで注意していただきたいのは、顕幽分離は鎮魂行為そのものを指し、一旦分離 して崇めることにより現実世界に安堵感をもたらすというところまで考えて、日本 人の死生観や深層意識を考察したほうがいいのではないかと思うからです。 私は、分離という認識では足らないと思います。顕幽自在論といったほうが日本人 の怨霊観を表していると思います。宗教儀式により怨霊を神格化しそれを現実世界 の安定に繋げるということは顕幽を自在に認識できる要素をもっていたと言えるの ではないでしょうか? 自在に認識したという事も結果論でしかないのですが・・・・・。 そしてAwajiさんが主張なされている「顕幽分離思想が歴史事件の本質か否か?」 については、本質とは言えないと思っています。もし本質が顕幽分離なら政敵の怨 霊化を考慮に入れていては何もできないと思うからです。 仮に顕幽分離思想が日本人の深層意識を支配していたとしても、それが歴史の 本質であるとは思えないのです。顕幽分離では説明がつかない事の方が多いよ うに思っています。 これは顕幽分離論を適用して、これは適用しないということであれば歴史の本質を 認識するということからは離れていくような気もします。 政敵の怨霊化を恐れて不可思議な行動を起こした事件もあるとは思いますが、 歴史全体を顕幽分離という認識で全て理解できるものなのでしょうか? 私は歴史の呪術的要素を再認識するという井沢先生の姿勢には反対ではありませ ん。むしろ賛成です。しかし西洋断代史的歴史観が怨霊を切り捨てたように、顕 幽分理論がそれ以外の歴史認識を切り捨てようとしてしているのではないか?と も、「ふ」と思ったりしています。怨霊が関係しいると思われる部分だけを特に 深く書かれているだけなのかもしれませんけども・・・・。 今までの歴史認識の足りない部分を補うという意味では「怨霊・言霊」について の考察などはいい事だと思います。 いくら考えても井沢先生の顕幽分離論の意味が図りかねています。私の読みが足り ないのかもわかりませんが、正直なところ意味が判らないというのが現在の認識な のです。 顕幽分離論どころか、私自身の意見も何が言いたかったのかわからなくなってき ましたので今日はこのへんで失礼します。ちんぷんかんぷんでどうもすいません。 Time : 1999/12/ 2(木) 22:12:23
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「顕幽分離ー言霊信仰」?? Comments: AKATOKUさん、勇者ロトさん、みなさん、今日は。Awajiです。 (直前のロトさんのご発言は未消化です) >>顕幽分離思想」の「分離」の意味はよくわかりません。・・・・ >>さらに、実も蓋もないのですが「顕幽分離思想」の定義もよく知りま >>せん。 実はAwajiにも良く分かりませんし、そのような思想が成立し得るのか どうかも分かりません。何故ならば「顕幽分離論」は井沢さんの示され た概念であるにも係わらず、正確な概念定義がなされていないからです。 (その意味ではロトさんの否認論に近いのですが・・・) しかしながらAwajiは、井沢さんが「顕幽分離論」で、「南朝正統論」や 「武家官位」問題が説明できるとおっしゃっているので、ヒストリーに 示されたオオクニヌシや菅原道真の例から、敢えて「顕幽分離論」の概 念定義を以下のとおり構成したものです。 >怨霊信仰に基づく鎮魂行為の一形態として、顕界(現実世界)で奪っ >た権力・栄誉を幽界(非現実世界)において与えること。 >つまりは顕界の権力・栄誉と幽界の権力・栄誉の分離付与。 >(怨霊鎮魂の方法論) これは、井沢さんが示された・・・・ >>「この国の現実の政治(顕事=あらわごと)から手を引くその代わり、 >>人間の運命に関すること(幽事=かくりごと)はオオクニヌシの担当 >>とする」というやり方のことです。なぜこんな事が行われるか? >>それは説明するまでもありませんね。要するに怨霊が怖いからです。 ・・・・・・・・・ >>日本ではその怨霊の生前ほしがっていたものを与えるというやり方に >>替わっていった。アマテラスはオオクニヌシから日本の支配権を奪っ >>たが、それに替わるものとして幽事の主催者という地位を与えた。 >>これがすべての考え方の基本であり・・・・ を整理したものに過ぎないのです。(整理が間違っていますか?) その上で百歩譲って仮にそういう思想があり得るとした場合、その概念定 義が、「南朝正統論」等の説明として妥当性があるかどうかを検証してい るだけのことです。 (勿論「顕幽分離論」は「怨霊鎮魂」の手段として位置づけられていま す。従って「怨霊鎮魂」の本質である「崇りを恐れ封じる」と言う意味 で、権側と衆側を分離考察すべきであると言う意見を加えています) さらに井沢さんは、 >>顕幽分離論のキーワードに「フィクション」(虚構)がある。物語の >>中で源氏が勝つのも、道真が太政大臣になるのも、いってみれはフィ >>クションであり現実の世界には本来何の影響もないはずだ。しかしそ >>れが影響力をもち怨霊の鎮魂になると考えるところから、日本の政治 >>も文化も始まっている。 と述べておられますね。 つまりは「物語(言葉)」は「現実世界(顕界)には影響しない」が、 「怨霊(幽界)の鎮魂」になる・・・とされていますよね。 しかし「言霊信仰」というのは、「言葉」が「現実世界に影響」すると 言う思想なのですから、相反概念だと申し上げているのです。 抽象論は、ここまでにして・・・ご質問にお答えします。 >>Awajiさんは何故、故人に栄誉を与えるのだと思いますか? >>何故、栄誉を与えることが鎮魂になるのですか?言葉に霊力があると >>考えなければ、そんなことは無意味ではないですか? 「故人」が求めて得られなかった「栄誉」を与えることは、言葉に霊力 (霊力とは言葉が意味することを実現させる力です)がある無しとは無 関係に「栄誉」そのものです。 多くの貴族が死後に天皇の外祖父となったこと(要するに娘の子が天皇 になることです)によって「官位官職」を贈られていますね。 戦前では戦死者に対する「勲位勲章」が贈られ、戦後でも故人に対して 「勲位勲章」が贈られていましたよね。 これは「贈勲位官位官職」と言う「栄誉」であり、そこには言葉の霊力 とは無関係に、意味ある「栄誉」があったと思いますが? >>「言霊的信仰」とは、発言した事と、実際に起こった事に対して関係 >>があると考える信仰です。発言した事が必ず起こる、という信仰では >>ありません。 「発言したことが必ず起こる」と考えるのは狂人だけです。だれもその 様なことは考えません。言霊信仰とは「起こり得る」と考えることです。 その考え方については、 Title : 救世観音と言霊信仰 1999/ 4/10(土) 21:28:51 で若干ふれていますが・・・・・以下(部分再掲)ご参照下さい。 >>足利義満に天皇位を与えても、「足利義満が生き返って天皇になる」 >>というそこまでの霊力はないのです。足利義満は幽界でその霊力その >>ものには満足するものの、「顕界で天皇になる」ことはできないので >>す。したがって「幽界での鎮魂行為になる上に、顕界の被害はほとん >>どない」となるのです。 前段はそのとおりです。しかし後段は違います。 仮に「足利義満」に天皇位を与えれば(そんなことは考えられないので すが・・・)その子には天皇位継承権が生じますね。つまり直ちに顕界 に影響が生じるのです。従って准母の関係で「太上天皇位」を与えるこ とは建議されましたが、それすら義持は辞退したのでしょうね。 (この問題は、いろいろな意見があると思いますので、この限りにして おきます・・・必要があれば別途議論しましょう) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (一部修正のうえ再掲載) 言霊(信仰)については、みなさんも興味を、お持ちだと思いますが、一応 定義としては次のものがあるようです。(ランダムです) 言語にこもる精霊、または霊力をいう。言葉に霊力がこもっているという信 仰は未開民族や古代史族に広く見られ、「ベーダ」や「旧約聖書」にも存在 した。・・・言霊は本来、神の発する詞章や呪言がその神の威力によって言 葉通りの効果を現すという信仰であり、のち神の言葉という意識が薄れて言 語自体の精霊が信じられるに至ったと、折口信夫は説いている。・・・また 、仏教の真言陀羅尼・念仏・法華唱題の行法や、教派神道の神理教など、一 面的には日本古来の言霊信仰の素地の上に成立したものということができよ う。・・・・ 「国史大辞典」 ことばに宿る霊の意。古代の日本人は、ことばに霊が宿っており、その霊の 持つ力がはたらいて、ことばに表すことを現実に実現する、と考えていた。 ・・・ことばに霊が宿っており、ことばとして表したことが実現するという 考えは、日本だけのものではなく多くの民族が持っていた。旧約聖書の「創 世記」に、「神が光りあれよと言われると、光が出来た」とあるのをはじめ として、・・・陀羅尼を尊重するのは、言霊の信仰の一種と考えてよいであ ろう。・・・ 「日本史大事典」 古代日本の信仰で、言語にやどる神霊。言語の霊妙な働き。「新潮国語辞典」 言語の持つ神秘的な霊力。言語にやどる神霊。あらゆる物に精霊の存在を認 める古代人特有の思考方法にもとづくもので、上代人はその用い方により人 間の禍福が左右されると信じていた。 「角川古語辞典」 言葉に内在すると信じられた霊力。言語が発せられると、その内容が実現す ると信じられた。 「岩波国語辞典」 古代日本で、言葉に宿ると考えられた霊的な力。ことばの不思議な働き。 「講談社日本語大辞典」 言葉に一種不思議な働きがあると信ずる考え。宗教的・信仰的な、また言語 学的でもある考え。 「三省堂新明解漢和辞典」 日本の古代から江戸期まであった言語観。言語に霊力がやどり、言語表現の 内容が現実に実現すると信じたこと。特に江戸末期の神秘主義的国学者が信 仰・・・ 「平凡社小百科事典」 原始宗教に関する諸問題ーー ・・呪物崇拝(フェティシズム)の根底にある「呪力」(マナ)の信仰は、 言葉についても認められる。めでたい言葉はめでたい結果を生み、不吉な言 葉は不吉な結果をもたらすが、それは言葉がもつ呪力の作用によるものだと するのが「言霊信仰」である。・・・ 言霊信仰と修辞法ーー 以上「ヨゴト」「ホカヒ」「ヨミウタ」が古代文学のきわめて重要な部分を 占めていることを見たが、その根底にはめでたい言葉の呪力(言霊)はめで たい結果をもたらす、という言霊信仰があることは言うまでもない。 「言霊」とは言葉が内臓する霊力であって、族長や天皇に奉られる寿詞(ヨ ゴト)や寿歌は、その霊力によって族長や天皇の繁栄をもたらす、と考えら れたのである。古代歌謡における枕詞や序詞の修辞法も、言霊信仰がその発 生、発達を促した原動力である。 「日本語に探る古代信仰」中公新書 言葉に宿る霊ー忌み詞ーー 日本は万葉の昔から「言霊のさきはう国」といわれ、言語にすら霊の存在を 認める国である。そうした国柄だけに、歌ばかりでなく言葉そのものを大切 にし、それに神秘的な力がこもっているとする。人名ばかりでなく、動植物 、事物、行為にいたるまで、時と場合によってその本名を避けて忌み詞つま り替え名を用いる風習が今日に生きている。 「日本人のタブー」現代新書 内外の風気わずかに発すれば、かならず響くを名づけて声という。響きはか ならず声による。声はすなわち響きの本なり。声おこって虚しからず、かな らず物の名を表するを、号して字という。名はかならず体を招く。これを実 相と名づく。 「声字実相義」空海 現象世界で発せられる声も、宇宙のエネルギーである本源的な声のあらわれ であり、名もその本源的な声とつながる。だから名もまた単なる符丁ではな くて、名を呼ぶということは、単なる意志の伝達というだけにとどまらず、 古くから不可思議な現象をひきおこすと信じられた。・・・・ 古代インドにおいて、真実なる言葉が魔をはらい、福をもたらすとされてい たのも、このことと関連している。・・・・ ラテン語のカンターレは、歌うという意味であるが、もともと魔法にかける とか、呪術を行使するということであった。またドイツで名前をいうナーメ は、もとは本源的な言葉の威力によって、不思議をあらわすことでもあった。 古代日本における言霊の信仰も、状況は似ている。 「密教」岩波新書 以上の諸点から見ると、 1.人類共通の原始的精神現象として捉える場合。 2.東アジア、或いは古代人、と言う風に空間・時間を限定的に捉える場合。 3.日本、或いは江戸期、と言う風に更に限定的に捉える場合。 があるように思います。勿論これは対立的ではなく、同心円的に理解すべき でしょうが、言霊について議論する場合には一応念頭に置くべきだと思いま す。 Awajiは、基本的には日本(人)の特異性として言霊信仰を過大評価するの ではなく、1の立場から個別的にアプローチすべきものだと考えています。 「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神なり。」JOHN福音書 「子曰く、必ずや名を正さんかと。・・名正しからざれば、則ち言順わず。 故に君子これを名づくれば、必ず言うべくす。これを言えば、必ず行うべく す。君子その言に於いて、苟くもする所無きのみ」 「論語」子路編 ですね。 例えば別離の言葉で言えば、全人類的に次の2系統があります。 A群 see you again。 auf wieder sehen 。再見。いずれ近々。またね〜。 B群 good bye。leben Sie wohl。安寧ヒカセヨ。お元気で。ご機嫌よろしゅう。 この場合、B群は明らかに「言霊」的発想があると思います。(A群にも おるのでしょうね) 寿詞であれば、「Good bless you!」「万歳!」等も同様でしょう。 ただ「怨霊信仰」と同様に、「言霊信仰」についても日本(人)の精神構造 に、より多くの影響を及ぼしていることは認めるべきかも知れません。 その程度と、原因について、みなさんはどのようにお考えでしょうか? (上記のように、ヒンドゥー文化圏でより顕著に認められると言う見方もあ りますね。日本における平安初期以降の言霊信仰の定着と、密教思想との関 係も、より深く考察すべきかもしれません。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Time : 1999/12/ 2(木) 23:07:21
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「顕幽分離ー言霊信仰」?? Comments: AKATOKUさん、勇者ロトさん、みなさん、今日は。Awajiです。 (直前のロトさんのご発言は未消化です) >>顕幽分離思想」の「分離」の意味はよくわかりません。・・・・ >>さらに、実も蓋もないのですが「顕幽分離思想」の定義もよく知りま >>せん。 実はAwajiにも良く分かりませんし、そのような思想が成立し得るのか どうかも分かりません。何故ならば「顕幽分離論」は井沢さんの示され た概念であるにも係わらず、正確な概念定義がなされていないからです。 (その意味ではロトさんの否認論に近いのですが・・・) しかしながらAwajiは、井沢さんが「顕幽分離論」で、「南朝正統論」や 「武家官位」問題が説明できるとおっしゃっているので、ヒストリーに 示されたオオクニヌシや菅原道真の例から、敢えて「顕幽分離論」の概 念定義を以下のとおり構成したものです。 >怨霊信仰に基づく鎮魂行為の一形態として、顕界(現実世界)で奪っ >た権力・栄誉を幽界(非現実世界)において与えること。 >つまりは顕界の権力・栄誉と幽界の権力・栄誉の分離付与。 >(怨霊鎮魂の方法論) これは、井沢さんが示された・・・・ >>「この国の現実の政治(顕事=あらわごと)から手を引くその代わり、 >>人間の運命に関すること(幽事=かくりごと)はオオクニヌシの担当 >>とする」というやり方のことです。なぜこんな事が行われるか? >>それは説明するまでもありませんね。要するに怨霊が怖いからです。 ・・・・・・・・・ >>日本ではその怨霊の生前ほしがっていたものを与えるというやり方に >>替わっていった。アマテラスはオオクニヌシから日本の支配権を奪っ >>たが、それに替わるものとして幽事の主催者という地位を与えた。 >>これがすべての考え方の基本であり・・・・ を整理したものに過ぎないのです。(整理が間違っていますか?) その上で百歩譲って仮にそういう思想があり得るとした場合、その概念定 義が、「南朝正統論」等の説明として妥当性があるかどうかを検証してい るだけのことです。 (勿論「顕幽分離論」は「怨霊鎮魂」の手段として位置づけられていま す。従って「怨霊鎮魂」の本質である「崇りを恐れ封じる」と言う意味 で、権側と衆側を分離考察すべきであると言う意見を加えています) さらに井沢さんは、 >>顕幽分離論のキーワードに「フィクション」(虚構)がある。物語の >>中で源氏が勝つのも、道真が太政大臣になるのも、いってみれはフィ >>クションであり現実の世界には本来何の影響もないはずだ。しかしそ >>れが影響力をもち怨霊の鎮魂になると考えるところから、日本の政治 >>も文化も始まっている。 と述べておられますね。 つまりは「物語(言葉)」は「現実世界(顕界)には影響しない」が、 「怨霊(幽界)の鎮魂」になる・・・とされていますよね。 しかし「言霊信仰」というのは、「言葉」が「現実世界に影響」すると 言う思想なのですから、相反概念だと申し上げているのです。 抽象論は、ここまでにして・・・ご質問にお答えします。 >>Awajiさんは何故、故人に栄誉を与えるのだと思いますか? >>何故、栄誉を与えることが鎮魂になるのですか?言葉に霊力があると >>考えなければ、そんなことは無意味ではないですか? 「故人」が求めて得られなかった「栄誉」を与えることは、言葉に霊力 (霊力とは言葉が意味することを実現させる力です)がある無しとは無 関係に「栄誉」そのものです。 多くの貴族が死後に天皇の外祖父となったこと(要するに娘の子が天皇 になることです)によって「官位官職」を贈られていますね。 戦前では戦死者に対する「勲位勲章」が贈られ、戦後でも故人に対して 「勲位勲章」が贈られていましたよね。 これは「贈勲位官位官職」と言う「栄誉」であり、そこには言葉の霊力 とは無関係に、意味ある「栄誉」があったと思いますが? >>「言霊的信仰」とは、発言した事と、実際に起こった事に対して関係 >>があると考える信仰です。発言した事が必ず起こる、という信仰では >>ありません。 「発言したことが必ず起こる」と考えるのは狂人だけです。だれもその 様なことは考えません。言霊信仰とは「起こり得る」と考えることです。 その考え方については、 Title : 救世観音と言霊信仰 1999/ 4/10(土) 21:28:51 で若干ふれていますが・・・・・以下(部分再掲)ご参照下さい。 >>足利義満に天皇位を与えても、「足利義満が生き返って天皇になる」 >>というそこまでの霊力はないのです。足利義満は幽界でその霊力その >>ものには満足するものの、「顕界で天皇になる」ことはできないので >>す。したがって「幽界での鎮魂行為になる上に、顕界の被害はほとん >>どない」となるのです。 前段はそのとおりです。しかし後段は違います。 仮に「足利義満」に天皇位を与えれば(そんなことは考えられないので すが・・・)その子には天皇位継承権が生じますね。つまり直ちに顕界 に影響が生じるのです。従って准母の関係で「太上天皇位」を与えるこ とは建議されましたが、それすら義持は辞退したのでしょうね。 (この問題は、いろいろな意見があると思いますので、この限りにして おきます・・・必要があれば別途議論しましょう) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (一部修正のうえ再掲載) 言霊(信仰)については、みなさんも興味を、お持ちだと思いますが、一応 定義としては次のものがあるようです。(ランダムです) 言語にこもる精霊、または霊力をいう。言葉に霊力がこもっているという信 仰は未開民族や古代史族に広く見られ、「ベーダ」や「旧約聖書」にも存在 した。・・・言霊は本来、神の発する詞章や呪言がその神の威力によって言 葉通りの効果を現すという信仰であり、のち神の言葉という意識が薄れて言 語自体の精霊が信じられるに至ったと、折口信夫は説いている。・・・また 、仏教の真言陀羅尼・念仏・法華唱題の行法や、教派神道の神理教など、一 面的には日本古来の言霊信仰の素地の上に成立したものということができよ う。・・・・ 「国史大辞典」 ことばに宿る霊の意。古代の日本人は、ことばに霊が宿っており、その霊の 持つ力がはたらいて、ことばに表すことを現実に実現する、と考えていた。 ・・・ことばに霊が宿っており、ことばとして表したことが実現するという 考えは、日本だけのものではなく多くの民族が持っていた。旧約聖書の「創 世記」に、「神が光りあれよと言われると、光が出来た」とあるのをはじめ として、・・・陀羅尼を尊重するのは、言霊の信仰の一種と考えてよいであ ろう。・・・ 「日本史大事典」 古代日本の信仰で、言語にやどる神霊。言語の霊妙な働き。「新潮国語辞典」 言語の持つ神秘的な霊力。言語にやどる神霊。あらゆる物に精霊の存在を認 める古代人特有の思考方法にもとづくもので、上代人はその用い方により人 間の禍福が左右されると信じていた。 「角川古語辞典」 言葉に内在すると信じられた霊力。言語が発せられると、その内容が実現す ると信じられた。 「岩波国語辞典」 古代日本で、言葉に宿ると考えられた霊的な力。ことばの不思議な働き。 「講談社日本語大辞典」 言葉に一種不思議な働きがあると信ずる考え。宗教的・信仰的な、また言語 学的でもある考え。 「三省堂新明解漢和辞典」 日本の古代から江戸期まであった言語観。言語に霊力がやどり、言語表現の 内容が現実に実現すると信じたこと。特に江戸末期の神秘主義的国学者が信 仰・・・ 「平凡社小百科事典」 原始宗教に関する諸問題ーー ・・呪物崇拝(フェティシズム)の根底にある「呪力」(マナ)の信仰は、 言葉についても認められる。めでたい言葉はめでたい結果を生み、不吉な言 葉は不吉な結果をもたらすが、それは言葉がもつ呪力の作用によるものだと するのが「言霊信仰」である。・・・ 言霊信仰と修辞法ーー 以上「ヨゴト」「ホカヒ」「ヨミウタ」が古代文学のきわめて重要な部分を 占めていることを見たが、その根底にはめでたい言葉の呪力(言霊)はめで たい結果をもたらす、という言霊信仰があることは言うまでもない。 「言霊」とは言葉が内臓する霊力であって、族長や天皇に奉られる寿詞(ヨ ゴト)や寿歌は、その霊力によって族長や天皇の繁栄をもたらす、と考えら れたのである。古代歌謡における枕詞や序詞の修辞法も、言霊信仰がその発 生、発達を促した原動力である。 「日本語に探る古代信仰」中公新書 言葉に宿る霊ー忌み詞ーー 日本は万葉の昔から「言霊のさきはう国」といわれ、言語にすら霊の存在を 認める国である。そうした国柄だけに、歌ばかりでなく言葉そのものを大切 にし、それに神秘的な力がこもっているとする。人名ばかりでなく、動植物 、事物、行為にいたるまで、時と場合によってその本名を避けて忌み詞つま り替え名を用いる風習が今日に生きている。 「日本人のタブー」現代新書 内外の風気わずかに発すれば、かならず響くを名づけて声という。響きはか ならず声による。声はすなわち響きの本なり。声おこって虚しからず、かな らず物の名を表するを、号して字という。名はかならず体を招く。これを実 相と名づく。 「声字実相義」空海 現象世界で発せられる声も、宇宙のエネルギーである本源的な声のあらわれ であり、名もその本源的な声とつながる。だから名もまた単なる符丁ではな くて、名を呼ぶということは、単なる意志の伝達というだけにとどまらず、 古くから不可思議な現象をひきおこすと信じられた。・・・・ 古代インドにおいて、真実なる言葉が魔をはらい、福をもたらすとされてい たのも、このことと関連している。・・・・ ラテン語のカンターレは、歌うという意味であるが、もともと魔法にかける とか、呪術を行使するということであった。またドイツで名前をいうナーメ は、もとは本源的な言葉の威力によって、不思議をあらわすことでもあった。 古代日本における言霊の信仰も、状況は似ている。 「密教」岩波新書 以上の諸点から見ると、 1.人類共通の原始的精神現象として捉える場合。 2.東アジア、或いは古代人、と言う風に空間・時間を限定的に捉える場合。 3.日本、或いは江戸期、と言う風に更に限定的に捉える場合。 があるように思います。勿論これは対立的ではなく、同心円的に理解すべき でしょうが、言霊について議論する場合には一応念頭に置くべきだと思いま す。 Awajiは、基本的には日本(人)の特異性として言霊信仰を過大評価するの ではなく、1の立場から個別的にアプローチすべきものだと考えています。 「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神なり。」JOHN福音書 「子曰く、必ずや名を正さんかと。・・名正しからざれば、則ち言順わず。 故に君子これを名づくれば、必ず言うべくす。これを言えば、必ず行うべく す。君子その言に於いて、苟くもする所無きのみ」 「論語」子路編 ですね。 例えば別離の言葉で言えば、全人類的に次の2系統があります。 A群 see you again。 auf wieder sehen 。再見。いずれ近々。またね〜。 B群 good bye。leben Sie wohl。安寧ヒカセヨ。お元気で。ご機嫌よろしゅう。 この場合、B群は明らかに「言霊」的発想があると思います。(A群にも おるのでしょうね) 寿詞であれば、「Good bless you!」「万歳!」等も同様でしょう。 ただ「怨霊信仰」と同様に、「言霊信仰」についても日本(人)の精神構造 に、より多くの影響を及ぼしていることは認めるべきかも知れません。 その程度と、原因について、みなさんはどのようにお考えでしょうか? (上記のように、ヒンドゥー文化圏でより顕著に認められると言う見方もあ りますね。日本における平安初期以降の言霊信仰の定着と、密教思想との関 係も、より深く考察すべきかもしれません。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Time : 1999/12/ 2(木) 23:08:45
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「顕幽分離ー言霊信仰」?? Comments: AKATOKUさん、勇者ロトさん、みなさん、今日は。Awajiです。 (直前のロトさんのご発言は未消化です) >>顕幽分離思想」の「分離」の意味はよくわかりません。・・・・ >>さらに、実も蓋もないのですが「顕幽分離思想」の定義もよく知りま >>せん。 実はAwajiにも良く分かりませんし、そのような思想が成立し得るのか どうかも分かりません。何故ならば「顕幽分離論」は井沢さんの示され た概念であるにも係わらず、正確な概念定義がなされていないからです。 (その意味ではロトさんの否認論に近いのですが・・・) しかしながらAwajiは、井沢さんが「顕幽分離論」で、「南朝正統論」や 「武家官位」問題が説明できるとおっしゃっているので、ヒストリーに 示されたオオクニヌシや菅原道真の例から、敢えて「顕幽分離論」の概 念定義を以下のとおり構成したものです。 >怨霊信仰に基づく鎮魂行為の一形態として、顕界(現実世界)で奪っ >た権力・栄誉を幽界(非現実世界)において与えること。 >つまりは顕界の権力・栄誉と幽界の権力・栄誉の分離付与。 >(怨霊鎮魂の方法論) これは、井沢さんが示された・・・・ >>「この国の現実の政治(顕事=あらわごと)から手を引くその代わり、 >>人間の運命に関すること(幽事=かくりごと)はオオクニヌシの担当 >>とする」というやり方のことです。なぜこんな事が行われるか? >>それは説明するまでもありませんね。要するに怨霊が怖いからです。 ・・・・・・・・・ >>日本ではその怨霊の生前ほしがっていたものを与えるというやり方に >>替わっていった。アマテラスはオオクニヌシから日本の支配権を奪っ >>たが、それに替わるものとして幽事の主催者という地位を与えた。 >>これがすべての考え方の基本であり・・・・ を整理したものに過ぎないのです。(整理が間違っていますか?) その上で百歩譲って仮にそういう思想があり得るとした場合、その概念定 義が、「南朝正統論」等の説明として妥当性があるかどうかを検証してい るだけのことです。 (勿論「顕幽分離論」は「怨霊鎮魂」の手段として位置づけられていま す。従って「怨霊鎮魂」の本質である「崇りを恐れ封じる」と言う意味 で、権側と衆側を分離考察すべきであると言う意見を加えています) さらに井沢さんは、 >>顕幽分離論のキーワードに「フィクション」(虚構)がある。物語の >>中で源氏が勝つのも、道真が太政大臣になるのも、いってみれはフィ >>クションであり現実の世界には本来何の影響もないはずだ。しかしそ >>れが影響力をもち怨霊の鎮魂になると考えるところから、日本の政治 >>も文化も始まっている。 と述べておられますね。 つまりは「物語(言葉)」は「現実世界(顕界)には影響しない」が、 「怨霊(幽界)の鎮魂」になる・・・とされていますよね。 しかし「言霊信仰」というのは、「言葉」が「現実世界に影響」すると 言う思想なのですから、相反概念だと申し上げているのです。 抽象論は、ここまでにして・・・ご質問にお答えします。 >>Awajiさんは何故、故人に栄誉を与えるのだと思いますか? >>何故、栄誉を与えることが鎮魂になるのですか?言葉に霊力があると >>考えなければ、そんなことは無意味ではないですか? 「故人」が求めて得られなかった「栄誉」を与えることは、言葉に霊力 (霊力とは言葉が意味することを実現させる力です)がある無しとは無 関係に「栄誉」そのものです。 多くの貴族が死後に天皇の外祖父となったこと(要するに娘の子が天皇 になることです)によって「官位官職」を贈られていますね。 戦前では戦死者に対する「勲位勲章」が贈られ、戦後でも故人に対して 「勲位勲章」が贈られていましたよね。 これは「贈勲位官位官職」と言う「栄誉」であり、そこには言葉の霊力 とは無関係に、意味ある「栄誉」があったと思いますが? >>「言霊的信仰」とは、発言した事と、実際に起こった事に対して関係 >>があると考える信仰です。発言した事が必ず起こる、という信仰では >>ありません。 「発言したことが必ず起こる」と考えるのは狂人だけです。だれもその 様なことは考えません。言霊信仰とは「起こり得る」と考えることです。 その考え方については、 Title : 救世観音と言霊信仰 1999/ 4/10(土) 21:28:51 で若干ふれていますが・・・・・以下(部分再掲)ご参照下さい。 >>足利義満に天皇位を与えても、「足利義満が生き返って天皇になる」 >>というそこまでの霊力はないのです。足利義満は幽界でその霊力その >>ものには満足するものの、「顕界で天皇になる」ことはできないので >>す。したがって「幽界での鎮魂行為になる上に、顕界の被害はほとん >>どない」となるのです。 前段はそのとおりです。しかし後段は違います。 仮に「足利義満」に天皇位を与えれば(そんなことは考えられないので すが・・・)その子には天皇位継承権が生じますね。つまり直ちに顕界 に影響が生じるのです。従って准母の関係で「太上天皇位」を与えるこ とは建議されましたが、それすら義持は辞退したのでしょうね。 (この問題は、いろいろな意見があると思いますので、この限りにして おきます・・・必要があれば別途議論しましょう) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (一部修正のうえ再掲載) 言霊(信仰)については、みなさんも興味を、お持ちだと思いますが、一応 定義としては次のものがあるようです。(ランダムです) 言語にこもる精霊、または霊力をいう。言葉に霊力がこもっているという信 仰は未開民族や古代史族に広く見られ、「ベーダ」や「旧約聖書」にも存在 した。・・・言霊は本来、神の発する詞章や呪言がその神の威力によって言 葉通りの効果を現すという信仰であり、のち神の言葉という意識が薄れて言 語自体の精霊が信じられるに至ったと、折口信夫は説いている。・・・また 、仏教の真言陀羅尼・念仏・法華唱題の行法や、教派神道の神理教など、一 面的には日本古来の言霊信仰の素地の上に成立したものということができよ う。・・・・ 「国史大辞典」 ことばに宿る霊の意。古代の日本人は、ことばに霊が宿っており、その霊の 持つ力がはたらいて、ことばに表すことを現実に実現する、と考えていた。 ・・・ことばに霊が宿っており、ことばとして表したことが実現するという 考えは、日本だけのものではなく多くの民族が持っていた。旧約聖書の「創 世記」に、「神が光りあれよと言われると、光が出来た」とあるのをはじめ として、・・・陀羅尼を尊重するのは、言霊の信仰の一種と考えてよいであ ろう。・・・ 「日本史大事典」 古代日本の信仰で、言語にやどる神霊。言語の霊妙な働き。「新潮国語辞典」 言語の持つ神秘的な霊力。言語にやどる神霊。あらゆる物に精霊の存在を認 める古代人特有の思考方法にもとづくもので、上代人はその用い方により人 間の禍福が左右されると信じていた。 「角川古語辞典」 言葉に内在すると信じられた霊力。言語が発せられると、その内容が実現す ると信じられた。 「岩波国語辞典」 古代日本で、言葉に宿ると考えられた霊的な力。ことばの不思議な働き。 「講談社日本語大辞典」 言葉に一種不思議な働きがあると信ずる考え。宗教的・信仰的な、また言語 学的でもある考え。 「三省堂新明解漢和辞典」 日本の古代から江戸期まであった言語観。言語に霊力がやどり、言語表現の 内容が現実に実現すると信じたこと。特に江戸末期の神秘主義的国学者が信 仰・・・ 「平凡社小百科事典」 原始宗教に関する諸問題ーー ・・呪物崇拝(フェティシズム)の根底にある「呪力」(マナ)の信仰は、 言葉についても認められる。めでたい言葉はめでたい結果を生み、不吉な言 葉は不吉な結果をもたらすが、それは言葉がもつ呪力の作用によるものだと するのが「言霊信仰」である。・・・ 言霊信仰と修辞法ーー 以上「ヨゴト」「ホカヒ」「ヨミウタ」が古代文学のきわめて重要な部分を 占めていることを見たが、その根底にはめでたい言葉の呪力(言霊)はめで たい結果をもたらす、という言霊信仰があることは言うまでもない。 「言霊」とは言葉が内臓する霊力であって、族長や天皇に奉られる寿詞(ヨ ゴト)や寿歌は、その霊力によって族長や天皇の繁栄をもたらす、と考えら れたのである。古代歌謡における枕詞や序詞の修辞法も、言霊信仰がその発 生、発達を促した原動力である。 「日本語に探る古代信仰」中公新書 言葉に宿る霊ー忌み詞ーー 日本は万葉の昔から「言霊のさきはう国」といわれ、言語にすら霊の存在を 認める国である。そうした国柄だけに、歌ばかりでなく言葉そのものを大切 にし、それに神秘的な力がこもっているとする。人名ばかりでなく、動植物 、事物、行為にいたるまで、時と場合によってその本名を避けて忌み詞つま り替え名を用いる風習が今日に生きている。 「日本人のタブー」現代新書 内外の風気わずかに発すれば、かならず響くを名づけて声という。響きはか ならず声による。声はすなわち響きの本なり。声おこって虚しからず、かな らず物の名を表するを、号して字という。名はかならず体を招く。これを実 相と名づく。 「声字実相義」空海 現象世界で発せられる声も、宇宙のエネルギーである本源的な声のあらわれ であり、名もその本源的な声とつながる。だから名もまた単なる符丁ではな くて、名を呼ぶということは、単なる意志の伝達というだけにとどまらず、 古くから不可思議な現象をひきおこすと信じられた。・・・・ 古代インドにおいて、真実なる言葉が魔をはらい、福をもたらすとされてい たのも、このことと関連している。・・・・ ラテン語のカンターレは、歌うという意味であるが、もともと魔法にかける とか、呪術を行使するということであった。またドイツで名前をいうナーメ は、もとは本源的な言葉の威力によって、不思議をあらわすことでもあった。 古代日本における言霊の信仰も、状況は似ている。 「密教」岩波新書 以上の諸点から見ると、 1.人類共通の原始的精神現象として捉える場合。 2.東アジア、或いは古代人、と言う風に空間・時間を限定的に捉える場合。 3.日本、或いは江戸期、と言う風に更に限定的に捉える場合。 があるように思います。勿論これは対立的ではなく、同心円的に理解すべき でしょうが、言霊について議論する場合には一応念頭に置くべきだと思いま す。 Awajiは、基本的には日本(人)の特異性として言霊信仰を過大評価するの ではなく、1の立場から個別的にアプローチすべきものだと考えています。 「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神なり。」JOHN福音書 「子曰く、必ずや名を正さんかと。・・名正しからざれば、則ち言順わず。 故に君子これを名づくれば、必ず言うべくす。これを言えば、必ず行うべく す。君子その言に於いて、苟くもする所無きのみ」 「論語」子路編 ですね。 例えば別離の言葉で言えば、全人類的に次の2系統があります。 A群 see you again。 auf wieder sehen 。再見。いずれ近々。またね〜。 B群 good bye。leben Sie wohl。安寧ヒカセヨ。お元気で。ご機嫌よろしゅう。 この場合、B群は明らかに「言霊」的発想があると思います。(A群にも おるのでしょうね) 寿詞であれば、「Good bless you!」「万歳!」等も同様でしょう。 ただ「怨霊信仰」と同様に、「言霊信仰」についても日本(人)の精神構造 に、より多くの影響を及ぼしていることは認めるべきかも知れません。 その程度と、原因について、みなさんはどのようにお考えでしょうか? (上記のように、ヒンドゥー文化圏でより顕著に認められると言う見方もあ りますね。日本における平安初期以降の言霊信仰の定着と、密教思想との関 係も、より深く考察すべきかもしれません。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Time : 1999/12/ 2(木) 23:09:22
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「顕幽分離論ーー言霊信仰」?? Comments: TAKATOKUさん、勇者ロトさん、みなさん、今日は。Awajiです。 (直前のロトさんのご発言は未消化です) >>顕幽分離思想」の「分離」の意味はよくわかりません。・・・・ >>さらに、実も蓋もないのですが「顕幽分離思想」の定義もよく知りま >>せん。 実はAwajiにも良く分かりませんし、そのような思想が成立し得るのか どうかも分かりません。何故ならば「顕幽分離論」は井沢さんの示され た概念であるにも係わらず、正確な概念定義がなされていないからです。 しかしながらAwajiは、井沢さんが「顕幽分離論」で、「南朝正統論」や 「武家官位」問題が説明できるとおっしゃっているので、ヒストリーに 示されたオオクニヌシや菅原道真の例から、敢えて「顕幽分離論」の概 念定義を以下のとおり構成したものです。 >怨霊信仰に基づく鎮魂行為の一形態として、顕界(現実世界)で奪っ >た権力・栄誉を幽界(非現実世界)において与えること。 >つまりは顕界の権力・栄誉と幽界の権力・栄誉の分離付与。 >(怨霊鎮魂の方法論) これは、井沢さんが示された・・・・ >>「この国の現実の政治(顕事=あらわごと)から手を引くその代わり、 >>人間の運命に関すること(幽事=かくりごと)はオオクニヌシの担当 >>とする」というやり方のことです。なぜこんな事が行われるか? >>それは説明するまでもありませんね。要するに怨霊が怖いからです。 ・・・・・・・・・ >>日本ではその怨霊の生前ほしがっていたものを与えるというやり方に >>替わっていった。アマテラスはオオクニヌシから日本の支配権を奪っ >>たが、それに替わるものとして幽事の主催者という地位を与えた。 >>これがすべての考え方の基本であり・・・・ を整理したものに過ぎないのです。(整理が間違っていますか?) その上で百歩譲って、仮にそういう思想があり得るとした場合、その概 念定義が、「南朝正統論」等の説明として妥当性があるかどうかを検証 しているだけのことです。 (勿論「顕幽分離論」は「怨霊鎮魂」の手段として位置づけられていま す。従って「怨霊鎮魂」の本質である「崇りを恐れ封じる」と言う意味 で、権側と衆側を分離考察すべきであると言う意見を加えています) さらに井沢さんは、 >>顕幽分離論のキーワードに「フィクション」(虚構)がある。物語の >>中で源氏が勝つのも、道真が太政大臣になるのも、いってみれはフィ >>クションであり現実の世界には本来何の影響もないはずだ。しかしそ >>れが影響力をもち怨霊の鎮魂になると考えるところから、日本の政治 >>も文化も始まっている。 と述べておられますね。 つまりは「物語(言葉)」は「現実世界(顕界)には影響しない」が、 「怨霊(幽界)の鎮魂」になる・・・とされていますよね。 しかし「言霊信仰」というのは、「言葉」が「現実世界に影響」すると 言う思想なのですから、相反概念だと申し上げているのです。 抽象論は、ここまでにして・・・ご質問にお答えします。 >>Awajiさんは何故、故人に栄誉を与えるのだと思いますか? >>何故、栄誉を与えることが鎮魂になるのですか?言葉に霊力があると >>考えなければ、そんなことは無意味ではないですか? 「故人」が求めて得られなかった「栄誉」を与えることは、言葉に霊力 (霊力とは言葉が意味することを実現させる力です)がある無しとは無 関係に「栄誉」そのものです。 多くの貴族が死後に天皇の外祖父となったこと(要するに娘の子が天皇 になることです)によって「官位官職」を贈られていますね。 戦前では戦死者に対する「勲位勲章」が贈られ、戦後でも故人に対して 「勲位勲章」が贈られていましたよね。 これは「贈勲位官位官職」と言う「栄誉」であり、そこには言葉の霊力 とは無関係に、意味ある「栄誉」があったと思いますが? >>「言霊的信仰」とは、発言した事と、実際に起こった事に対して関係 >>があると考える信仰です。発言した事が必ず起こる、という信仰では >>ありません。 「発言したことが必ず起こる」と考えるのは狂人だけです。だれもその 様なことは考えません。言霊信仰の考え方については、 Title : 救世観音と言霊信仰 1999/ 4/10(土) 21:28:51 で若干ふれていますが・・・・・続き(部分再掲)ご参照下さい。 >>足利義満に天皇位を与えても、「足利義満が生き返って天皇になる」 >>というそこまでの霊力はないのです。足利義満は幽界でその霊力その >>ものには満足するものの、「顕界で天皇になる」ことはできないので >>す。したがって「幽界での鎮魂行為になる上に、顕界の被害はほとん >>どない」となるのです。 前段はそのとおりです。しかし後段は違います。 仮に「足利義満」に天皇位を与えれば(そんなことは考えられないので すが・・・)その子には天皇位継承権が生じますね。つまり直ちに顕界 に影響が生じるのです。従って准母の関係で「太上天皇位」を与えるこ とは建議されましたが、それすら義持は拒否したのでしょうね。 (この問題は、いろいろな意見があると思いますので、この限りにして おきます・・・必要があれば別途議論しましょう) Time : 1999/12/ 2(木) 23:12:43
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「顕幽分離論ーー言霊信仰」?? Comments: TAKATOKUさん、勇者ロトさん、みなさん、今日は。Awajiです。 (直前のロトさんのご発言は未消化です) >>顕幽分離思想」の「分離」の意味はよくわかりません。・・・・ >>さらに、実も蓋もないのですが「顕幽分離思想」の定義もよく知りま >>せん。 実はAwajiにも良く分かりませんし、そのような思想が成立し得るのか どうかも分かりません。何故ならば「顕幽分離論」は井沢さんの示され た概念であるにも係わらず、正確な概念定義がなされていないからです。 しかしながらAwajiは、井沢さんが「顕幽分離論」で、「南朝正統論」や 「武家官位」問題が説明できるとおっしゃっているので、ヒストリーに 示されたオオクニヌシや菅原道真の例から、敢えて「顕幽分離論」の概 念定義を以下のとおり構成したものです。 >怨霊信仰に基づく鎮魂行為の一形態として、顕界(現実世界)で奪っ >た権力・栄誉を幽界(非現実世界)において与えること。 >つまりは顕界の権力・栄誉と幽界の権力・栄誉の分離付与。 >(怨霊鎮魂の方法論) これは、井沢さんが示された・・・・ >>「この国の現実の政治(顕事=あらわごと)から手を引くその代わり、 >>人間の運命に関すること(幽事=かくりごと)はオオクニヌシの担当 >>とする」というやり方のことです。なぜこんな事が行われるか? >>それは説明するまでもありませんね。要するに怨霊が怖いからです。 ・・・・・・・・・ >>日本ではその怨霊の生前ほしがっていたものを与えるというやり方に >>替わっていった。アマテラスはオオクニヌシから日本の支配権を奪っ >>たが、それに替わるものとして幽事の主催者という地位を与えた。 >>これがすべての考え方の基本であり・・・・ を整理したものに過ぎないのです。(整理が間違っていますか?) その上で百歩譲って、仮にそういう思想があり得るとした場合、その概 念定義が、「南朝正統論」等の説明として妥当性があるかどうかを検証 しているだけのことです。 (勿論「顕幽分離論」は「怨霊鎮魂」の手段として位置づけられていま す。従って「怨霊鎮魂」の本質である「崇りを恐れ封じる」と言う意味 で、権側と衆側を分離考察すべきであると言う意見を加えています) さらに井沢さんは、 >>顕幽分離論のキーワードに「フィクション」(虚構)がある。物語の >>中で源氏が勝つのも、道真が太政大臣になるのも、いってみれはフィ >>クションであり現実の世界には本来何の影響もないはずだ。しかしそ >>れが影響力をもち怨霊の鎮魂になると考えるところから、日本の政治 >>も文化も始まっている。 と述べておられますね。 つまりは「物語(言葉)」は「現実世界(顕界)には影響しない」が、 「怨霊(幽界)の鎮魂」になる・・・とされていますよね。 しかし「言霊信仰」というのは、「言葉」が「現実世界に影響」すると 言う思想なのですから、相反概念だと申し上げているのです。 抽象論は、ここまでにして・・・ご質問にお答えします。 >>Awajiさんは何故、故人に栄誉を与えるのだと思いますか? >>何故、栄誉を与えることが鎮魂になるのですか?言葉に霊力があると >>考えなければ、そんなことは無意味ではないですか? 「故人」が求めて得られなかった「栄誉」を与えることは、言葉に霊力 (霊力とは言葉が意味することを実現させる力です)がある無しとは無 関係に「栄誉」そのものです。 多くの貴族が死後に天皇の外祖父となったこと(要するに娘の子が天皇 になることです)によって「官位官職」を贈られていますね。 戦前では戦死者に対する「勲位勲章」が贈られ、戦後でも故人に対して 「勲位勲章」が贈られていましたよね。 これは「贈勲位官位官職」と言う「栄誉」であり、そこには言葉の霊力 とは無関係に、意味ある「栄誉」があったと思いますが? >>「言霊的信仰」とは、発言した事と、実際に起こった事に対して関係 >>があると考える信仰です。発言した事が必ず起こる、という信仰では >>ありません。 「発言したことが必ず起こる」と考えるのは狂人だけです。だれもその 様なことは考えません。言霊信仰の考え方については、 Title : 救世観音と言霊信仰 1999/ 4/10(土) 21:28:51 で若干ふれていますが・・・・・続き(部分再掲)ご参照下さい。 >>足利義満に天皇位を与えても、「足利義満が生き返って天皇になる」 >>というそこまでの霊力はないのです。足利義満は幽界でその霊力その >>ものには満足するものの、「顕界で天皇になる」ことはできないので >>す。したがって「幽界での鎮魂行為になる上に、顕界の被害はほとん >>どない」となるのです。 前段はそのとおりです。しかし後段は違います。 仮に「足利義満」に天皇位を与えれば(そんなことは考えられないので すが・・・)その子には天皇位継承権が生じますね。つまり直ちに顕界 に影響が生じるのです。従って准母の関係で「太上天皇位」を与えるこ とは建議されましたが、それすら義持は拒否したのでしょうね。 (この問題は、いろいろな意見があると思いますので、この限りにして おきます・・・必要があれば別途議論しましょう) Time : 1999/12/ 2(木) 23:13:15
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「顕幽分離論ーー言霊信仰」続き?? Comments: 続き・・・(一部修正のうえ再掲載) 言霊(信仰)については、みなさんも興味を、お持ちだと思いますが、一応 定義としては次のものがあるようです。(ランダムです) 言語にこもる精霊、または霊力をいう。言葉に霊力がこもっているという信 仰は未開民族や古代史族に広く見られ、「ベーダ」や「旧約聖書」にも存在 した。・・・言霊は本来、神の発する詞章や呪言がその神の威力によって言 葉通りの効果を現すという信仰であり、のち神の言葉という意識が薄れて言 語自体の精霊が信じられるに至ったと、折口信夫は説いている。・・・また 、仏教の真言陀羅尼・念仏・法華唱題の行法や、教派神道の神理教など、一 面的には日本古来の言霊信仰の素地の上に成立したものということができよ う。・・・・ 「国史大辞典」 ことばに宿る霊の意。古代の日本人は、ことばに霊が宿っており、その霊の 持つ力がはたらいて、ことばに表すことを現実に実現する、と考えていた。 ・・・ことばに霊が宿っており、ことばとして表したことが実現するという 考えは、日本だけのものではなく多くの民族が持っていた。旧約聖書の「創 世記」に、「神が光りあれよと言われると、光が出来た」とあるのをはじめ として、・・・陀羅尼を尊重するのは、言霊の信仰の一種と考えてよいであ ろう。・・・ 「日本史大事典」 古代日本の信仰で、言語にやどる神霊。言語の霊妙な働き。「新潮国語辞典」 言語の持つ神秘的な霊力。言語にやどる神霊。あらゆる物に精霊の存在を認 める古代人特有の思考方法にもとづくもので、上代人はその用い方により人 間の禍福が左右されると信じていた。 「角川古語辞典」 言葉に内在すると信じられた霊力。言語が発せられると、その内容が実現す ると信じられた。 「岩波国語辞典」 古代日本で、言葉に宿ると考えられた霊的な力。ことばの不思議な働き。 「講談社日本語大辞典」 言葉に一種不思議な働きがあると信ずる考え。宗教的・信仰的な、また言語 学的でもある考え。 「三省堂新明解漢和辞典」 日本の古代から江戸期まであった言語観。言語に霊力がやどり、言語表現の 内容が現実に実現すると信じたこと。特に江戸末期の神秘主義的国学者が信 仰・・・ 「平凡社小百科事典」 原始宗教に関する諸問題ーー ・・呪物崇拝(フェティシズム)の根底にある「呪力」(マナ)の信仰は、 言葉についても認められる。めでたい言葉はめでたい結果を生み、不吉な言 葉は不吉な結果をもたらすが、それは言葉がもつ呪力の作用によるものだと するのが「言霊信仰」である。・・・ 言霊信仰と修辞法ーー 以上「ヨゴト」「ホカヒ」「ヨミウタ」が古代文学のきわめて重要な部分を 占めていることを見たが、その根底にはめでたい言葉の呪力(言霊)はめで たい結果をもたらす、という言霊信仰があることは言うまでもない。 「言霊」とは言葉が内臓する霊力であって、族長や天皇に奉られる寿詞(ヨ ゴト)や寿歌は、その霊力によって族長や天皇の繁栄をもたらす、と考えら れたのである。古代歌謡における枕詞や序詞の修辞法も、言霊信仰がその発 生、発達を促した原動力である。 「日本語に探る古代信仰」中公新書 言葉に宿る霊ー忌み詞ーー 日本は万葉の昔から「言霊のさきはう国」といわれ、言語にすら霊の存在を 認める国である。そうした国柄だけに、歌ばかりでなく言葉そのものを大切 にし、それに神秘的な力がこもっているとする。人名ばかりでなく、動植物 、事物、行為にいたるまで、時と場合によってその本名を避けて忌み詞つま り替え名を用いる風習が今日に生きている。 「日本人のタブー」現代新書 内外の風気わずかに発すれば、かならず響くを名づけて声という。響きはか ならず声による。声はすなわち響きの本なり。声おこって虚しからず、かな らず物の名を表するを、号して字という。名はかならず体を招く。これを実 相と名づく。 「声字実相義」空海 現象世界で発せられる声も、宇宙のエネルギーである本源的な声のあらわれ であり、名もその本源的な声とつながる。だから名もまた単なる符丁ではな くて、名を呼ぶということは、単なる意志の伝達というだけにとどまらず、 古くから不可思議な現象をひきおこすと信じられた。・・・・ 古代インドにおいて、真実なる言葉が魔をはらい、福をもたらすとされてい たのも、このことと関連している。・・・・ ラテン語のカンターレは、歌うという意味であるが、もともと魔法にかける とか、呪術を行使するということであった。またドイツで名前をいうナーメ は、もとは本源的な言葉の威力によって、不思議をあらわすことでもあった。 古代日本における言霊の信仰も、状況は似ている。 「密教」岩波新書 以上の諸点から見ると、 1.人類共通の原始的精神現象として捉える場合。 2.東アジア、或いは古代人、と言う風に空間・時間を限定的に捉える場合。 3.日本、或いは江戸期、と言う風に更に限定的に捉える場合。 があるように思います。勿論これは対立的ではなく、同心円的に理解すべき でしょうが、言霊について議論する場合には一応念頭に置くべきだと思いま す。 Awajiは、基本的には日本(人)の特異性として言霊信仰を過大評価するの ではなく、1の立場から個別的にアプローチすべきものだと考えています。 「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神なり。」JOHN福音書 「子曰く、必ずや名を正さんかと。・・名正しからざれば、則ち言順わず。 故に君子これを名づくれば、必ず言うべくす。これを言えば、必ず行うべく す。君子その言に於いて、苟くもする所無きのみ」 「論語」子路編 ですね。 例えば別離の言葉で言えば、全人類的に次の2系統があります。 A群 see you again。 auf wieder sehen 。再見。いずれ近々。またね〜。 B群 good bye。leben Sie wohl。安寧ヒカセヨ。お元気で。ご機嫌よろしゅう。 この場合、B群は明らかに「言霊」的発想があると思います。(A群にも おるのでしょうね) 寿詞であれば、「Good bless you!」「万歳!」等も同様でしょう。 ただ「怨霊信仰」と同様に、「言霊信仰」についても日本(人)の精神構造 に、より多くの影響を及ぼしていることは認めるべきかも知れません。 その程度と、原因について、みなさんはどのようにお考えでしょうか? (上記のように、ヒンドゥー文化圏でより顕著に認められると言う見方もあ りますね。日本における平安初期以降の言霊信仰の定着と、密教思想との関 係も、より深く考察すべきかもしれません。) Time : 1999/12/ 2(木) 23:16:21
Name : AWAJI E-mail : Title : 山彦になりました・・・スミマセン Comments: Awajiです。長文の山彦です。失礼しました。 (一旦取り消した筈なんですが??) Time : 1999/12/ 2(木) 23:31:11
Name : きんたろう E-mail : Title : 免許皆伝 Comments: こんにちは、Awajiさん、みなさん。 TAKATOKUさん、展開を楽しみにしていますよ。 Awajiさんの「特大超山びこの術」に免許皆伝を差し上げます。(^^) Time : 1999/12/ 3(金) 10:58:20
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 歴史は止まっているもの?動いているもの? Comments: Awajiさん、みなさん、こんばんは。今日はこのようなタイト ルで始めさせてもらいます。なお、以前にも述べたと思いますが、 私の記述は1日遅れの記述ですが、ご了承下さい。 出典は忘れましたが、つぎのような統計データがあるそうです。 「一番、ボケやすい職業は何か?」、答えは歴史学者だそうです。 その理由はいたって簡単で、「過去の文献ばかり見ていて、新しい 刺激に乏しいから」だそうです。 もちろん、どのようなデータを集めたのか知りませんが、恐らく、 統計的な検定には耐えられないデータでしょう。さらにはデータ捏 造もあるかも知れません。 データの種類はともかく、世間的には「歴史は止まっているもの」 と考えているのでしょうね。実際に史料の内容は変化する訳ではな いので、これは一つの真理です。一方で、歴史を現在の自分の生活 に役立てたいと考えている人もいます。私もその1人です。過去と 異なり、現在は動いているので、現在の時代に合わせて歴史を学び たいと思っています。つまり「歴史は現在とリンクして動いている」 という見方も一つの真理なのです。 冷戦の崩壊に伴い、現在、日本人のアイデンティティに対する興味 が増してきています。そのような時代背景の元で『逆説の日本史』 のヒットが生まれているのだと思います。歴史に興味のなかった理 科系の私が興味を持つ程なので、相当なことです。現在の日本人の 不可解な言動は、日本人の不可解なアイデンティティを元にしてい る訳で、日本人のアイデンティティにスポットライトを当てて、歴 史を再構築することは非常に意義のあることだと考えます。 I wrote: > 私は『逆説の日本史』を井沢先生とは異なり、応用日本史ととらえて > います。すなわち、現在につながる要因は、副要因であっても、重要 > な要素と考えている訳です。 Awaji wrote: > こういった。議論はご勘弁願いたいのですが? つまるところ、Awajiさんは「止まっている歴史」、私は「動 いている歴史」について論じているので、論点が噛み合わないとい うことなのでしょうか? Awaji wrote: > 歴史解釈はあくまでも主動機(主要理由)を考察 > すべきものと考えています。 「真理」という言葉と同様で、「主動機」という言葉もなかなか難 しい言葉だと思います。以前、横山さんと議論になったのですが、 表面的な真理も真理ならば、深い真理も真理、あるいは別角度から 眺めても真理です。同様なことは「主動機」についても言えるので す。 1:1911年時点にフォーカスすれば、治世上の理由が主動機で しょう。(Awajiさんの反論がないですが、これは認めていま すか?) 2:江戸後期から1911年までを眺めれば、朱子学的な要因が濃 いでしょう。(これはAwajiさんの意見に近いですね。) 3:日本の始まりから1999年(1911年ではない!)までを 眺めれば、つまり全部眺めれば、顕幽分離的な要因が浮かび上がっ てきます。(これについてはAwajiさんは否定されていること は承知してます) とりあえず、主動機が3つ考えられますが、どの意見も一長一短で、 これが主動機とは言えないような気がします。あるいは、「3つと も主動機だ」という言い方もできますが。1は最も適切ですが、深 みがないため、現実への応用が限られるという欠点があります。2 は手頃かも知れません。しかしながら、日本における朱子学の意義 についての考察が不可欠です。3は目から鱗が落ちるような意見で すが、これだけではややボケている気がします。 “私の意見が「副要因」だから議論できない”、というならば、 「通史的な観点で見た主動機」という言葉で置き換えてもらって構 いません。ただ、私の感覚でいえば、「無視できない副要因」とい うのが一番ピッタリな表現ですが。。 どうでしょう?これならば議論可能ですか? 私の意見をタトエ話を用いて表現すれば、3がボディブローで、2 がフェイントで、1が実際に顔面にヒットし、かつノックアウトさ せたパンチという感じです。何をノックアウトの主要因とすべきな んでしょうかね? 。。最後に。。一言だけ愚痴を書かせてください。この部分はみな さま向けではなく、Awajiさん向けです。 Awaji wrote: > 要するに・・・一人や二人の変わり者が側近にいたとしても、Awajiに > は興味はありません。 要するに、私の意見は「一人や二人の変わり者の側近を相手にして いる」ということでしょうか?そのようなことは思ってもいないし、 書いてもいませんよ。 Time : 1999/12/ 3(金) 17:41:31
Name : まいご E-mail : Title : 歴史? Comments: TAKATOKUさんこんちは。はしめまして。 >日本の始まりから1999年(1911年ではない!)までを >眺めれば、つまり全部眺めれば、顕幽分離的な要因が浮かび上がっ >てきます。 それって歴史なの? つまり、1999年からでないと見えないってことの裏返しだよね? 大国主にたとえれば、出雲大社を建てた人たち、建てるように命じた人たち は大国主が怨霊だなんて思いも寄らなかった。そののちの信仰でも怨霊って意識 されたことはない。でもいろいろ考えあわせて現代からみれば大国主は怨霊であ る。ってことだよね? Time : 1999/12/ 3(金) 21:59:41
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「歴史考察」?? Comments: TAKATOKUさん、今日は、Awajiです。 本日は同期会帰りですが、かなり醒めていますので・・・ >>データの種類はともかく、世間的には「歴史は止まっているもの」と考 >>えているのでしょうね。実際に史料の内容は変化する訳ではないので、 >>これは一つの真理です。 意味が分かりません。歴史は動いているに決まっています。 動いているからこそ、その経過を示す史料によって、その動きを考察する のです。そしてその動きを出来るだけ正確に考察することによって、現代 及び未来の洞察に活かすことが出来るのでは無いでしょうか??? 応用日本史と言う概念も良く分かりません。 (正直いってこの様な抽象的議論=神学論争は理解出来かねます。) 1911年に関するフォーカスについて・・・以下 >>もちろん、ある時点にフォーカスすることも、大切なアプローチだと >>思います。しかしながら、今回の議論に関しては、1911年の時点 >>だけをフォーカスするようなことはナンセンスだと思います。 今回の議論は、「何故南朝が正統とされたのか?」だと思います。 とすれば、「南朝が正統とされた時期」つまりは1911年にフォーカスせ ねばならないでしょう? >>それまでの歴史的な経緯は無視できないからです。まぁ、仮に1911 >>年にフォーカスしましょうか。となると、「顕幽分離論」はかなり薄く >>なりますが、「尊王斥覇論をリゴリスティックに適用したこと」はさら >>に薄くなると思います。 それまでの歴史的経緯は「何故南朝を正統とする意見が主流だったか」と 言う問題ですね。主として・・・ 1.光圀は「大日本史」において「何故南朝正統論」を主張したか。 2.幕末期に尊王攘夷派は「何故南朝正統論」に拘ったのか?・・ですね しかし、幾ら何でも光圀の「南朝正統論」が「南朝怨霊鎮魂」に由来する と考える人はいないでしょう。幕末期においても同様だとおもいます。 ここに見られるのは、朱子学的「尊王斥覇論」では無いでしょうか? 光圀は、君臣の大義を論理付けたかったのでしょうが、尊王斥覇にまで 踏み込んでしまったと言うべきかもしれませんが(きんたろうさん説) (「尊王斥覇論」は言い換えれば「君主制の基本原則」でもあります) しかし、明治(天皇親政)政府は「南朝正統論」を公認せず、1911年迄こ の点を曖昧にし続けたのです。 これは北朝天皇が現皇室の先祖に当るためだと思いますが、「尊王斥覇論 =君主制の基本原則」をリゴリスティックに適用しなかったのですね。 Awajiはこれも一つの方法だったと思います。つまりは「皇室の先祖の聖 旨はこれを論ぜず」でウヤムヤにしてしまえばすむことだったとも思いま す。 しかし、1911年に桂内閣攻撃の「為にする議論」として、「南北正閏論」 が提起されたに際しては、敢えて正面からこれを捉え、有る意味では「尊 王斥覇論=君主制の基本原則」をリゴリスティックに適用して「南朝正統 論」を選択公認した。つまりは・・・ > 義(体制)・・・天皇(君主)制における天皇(君主)の絶対性(尊厳) > 親(血統)・・・先祖が之を侵した(逆賊)事を天下に公認する不孝 > を比較衡量した結果、ある意味では「大義親を滅す」とした明治天皇の苦 > 渋の選択だと思いますし、理論的には妥当な選択だと思うのですが・・・ では無いでしょうか?Awajiはこの選択には・・・・ >なお、この決定が明治天皇崩御の前年になされたことも、ある意味を感じ >ます。つまり彼はこの様な重大決定を次代に持ち越さず、自己の権威と責 >任において決着しておきたかったのかも知れないとも想像します。 と言う明治天皇の次代を思いやる(懸念する)動機もあったのでな無いか と思っていますが、これは副次的動機と言うべきでしょう。 イズレニシテモ・・・どのタイミングにしても、井沢さんが主張されるよ うな「顕幽分離的南朝怨霊鎮魂」でもって「南朝正統論」を解釈すること は、非論理的であり妥当性に欠けると思う次第です。 >>日本の始まりから1999年(1911年ではない!)までを眺めれば、 >>つまり全部眺めれば、顕幽分離的な要因が浮かび上がってきます。 まったく意味が分かりません。「顕幽分離的な要因」とは「言霊的信仰に 関する怨霊鎮魂行為」的要因と言うことですね。 何を眺めれば、何処にそのような要因が浮かび上がるのでしょうか??? >>「通史的な観点で見た主動機」という言葉で置き換えてもらって構いま >>せん。 これも全く意味が分かりません。ある行為の動機は、その時点において考 察すべきものです。その動機の背景をなす思想を考察するのは当然ですが、 これは「通史的な観点で見た主動機」ではありません。 > 要するに・・・一人や二人の変わり者が側近にいたとしても、Awajiに > は興味はありません。 >>要するに、私の意見は「一人や二人の変わり者の側近を相手にしている」 >>ということでしょうか?そのようなことは思ってもいないし、書いても >>いませんよ。 以下の部分に関する単なる感想です。仮にこのような側近がいても無視す べきだと思っています。 >最後の1文を除き、賛成します。明治天皇自身が思ったかどうかは知りま >せんが、側近の中には後醍醐の祟りを気にした人はいたでしょうね。 >>私の感覚でいえば、「無視できない副要因」というのが一番ピッタリな >>表現ですが。。どうでしょう?これならば議論可能ですか? 要するに・・・南朝が正統とされた動機(理由)のどの部分に「言霊的信 仰に関する怨霊鎮魂行為」的要因が認められるのか、具体的にご指摘願い ます。 正直いって、「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂行為」と言う概念を含め、残 念ながら何をおっしゃっているのか、Awajiには理解できないのです。 Time : 1999/12/ 4(土) 00:08:51
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 共通言語 Comments: きんたろうさん、勇者ロトさん、Awajiさん、みなさんこんば んは。Awajiさんの山彦の術にきんたろうさんは尊敬の念?を 抱いたようですが、私はそうではありません。なぜなら、山彦のよ うで、実際には3種類の僅かに異なる文面が飛び交っているからで す。やはり完全なコピーでなければ、山彦じゃないですよぉ!!まぁ、 冗談はさておき(どれか1つに絞るとなると、やはり最後の文面で すか?): Yusya-Roto wrote: > 私は、TAKATOKUさんの意見に反対というわけではありません。何しろ今までの > TAKATOKUさんの意見をちゃんと読んでません(すいません)ので反対するも何も > TAKATOKUさんが何をおっしゃっているのか具体的に全く理解できておりません。 おー、泣きたくなるような意見ですねぇ。しかしながら、これは仕 方のないことです。Awajiさんと私の議論は面白くないからで す。まぁ、より正確に言えば、Awajiさんと私は全く議論して いないからです。未だお互いに共通に議論できる土台を模索してい る段階ですから。 理科系の議論と異なり、文科系の議論は大変ですね。何しろ、共通 の言語がないのですから。理科系の議論では、数学という言霊の支 配を受けない共通言語があるので、数学モデルを構築できれば、後 の議論は簡単になります。それに誤差に対する議論もある程度確立 されているため、少々の認識の相違は数学という言語がカバーして くれます。つまり、有意義な議論が比較的に簡単に実現できるので すが。 なお、Awajiさんと私の南朝正統論に対するスタンスは以下の 通りです: Awaji説: 朱子学をリゴリスティックに適用したため。その他の副要因は考え られない。 私の説: 顕幽分離論的な側面は無視できない。顕幽分離論を唯一の主要因と するには抵抗があるが、主要因の一つとしては認めてもよい。 Time : 1999/12/ 4(土) 21:02:47
Name : TAKATOKU E-mail : Title : リゴリスティック?? Comments: まいごさん(初めまして!)、Awajiさん、みなさんこんばん は。今日はこのようなタイトルで始めたいと思います。理科系の私 は語彙が少ないのが悩みの種でして、なんと「リゴリスティック」 という言葉を知りませんでした。おかげで、一つ賢くなることがで きました。ありがとうございます。まぁ、こんな話は置いておいて: Awaji wrote: > しかし、明治(天皇親政)政府は「南朝正統論」を公認せず、1911年迄こ > の点を曖昧にし続けたのです。 > これは北朝天皇が現皇室の先祖に当るためだと思いますが、「尊王斥覇論 > =君主制の基本原則」をリゴリスティックに適用しなかったのですね。 なるほど、リゴリスティックに適用しなかったのは、認めて頂ける のですね? Awaji wrote: > しかし、1911年に桂内閣攻撃の「為にする議論」として、「南北正閏論」 > が提起されたに際しては、敢えて正面からこれを捉え、有る意味では「尊 > 王斥覇論=君主制の基本原則」をリゴリスティックに適用して「南朝正統 > 論」を選択公認した。つまりは・・・ 「ある意味ではリゴリスティック」ということは、「リゴリスティッ クでない」ということですね? 「南朝正統論」は治世上都合がよいのですよ。「並立論」や「北朝 正統論」では治世上都合が悪いのですよ。「南朝正統論」で不都合 な点は自分の先祖を否定することだけです。 Awaji wrote: > つまりは「皇室の先祖の聖旨はこれを論ぜず」でウヤムヤにして > しまえばすむことだったとも思います。 ... > と言う明治天皇の次代を思いやる(懸念する)動機もあったのでな無いか > と思っていますが、これは副次的動機と言うべきでしょう。 後半については同意致します。前半については否定します。ウヤム ヤにするのが都合悪いので、明治天皇は自らの責任を取ったのでは ないでしょうか? 以下は補足です。 Awaji wrote: > 歴史は動いているに決まっています。 おー!!断言されていますねぇ。私は「止まった歴史」について考 察することも非常に価値があると考えていますよ。「動く歴史」は 「止まった歴史」を元にして構築されるからです。つまり、直接役 には立たないが、間接的に役に立つからです。それに、「史料至上 主義」と呼ばれるほど、史料にべったりな歴史も重要な歴史だと認 識しています。特に、史料中毒な位史料が好きな歴史学者がそのよ うな歴史を構築してくれるのは非常に良いことだと思います。 Awaji wrote: > 以下の部分に関する単なる感想です。仮にこのような側近がいても無視す > べきだと思っています。 もちろん、そのような側近がいた「だけ」では、主要因として、無 視してよいです。当たり前の事ですね。 Awaji wrote: > 要するに・・・南朝が正統とされた動機(理由)のどの部分に「言霊的信 > 仰に関する怨霊鎮魂行為」的要因が認められるのか、具体的にご指摘願い > ます。 実も蓋もないですが、証拠はありません。いえいえ冗談です。証拠 はこれから考えます。私の意見は私の直感から出たものですから、 即座に答えられず申し訳ありません。議論の過程で少しずつ、述べ ていく(つまり、思い付く)ことになると思います。例えば次のよ うに: I wrote: > 最後の1文を除き、賛成します。明治天皇自身が思ったかどうかは知りま > せんが、側近の中には後醍醐の祟りを気にした人はいたでしょうね。 側近の中にいた可能性は高いと思います。崇徳上皇の祟りを気にし ていたのですから。となると、もしかしたら、「南朝正統論」を側 近に説得する際に、「顕幽分離論」は使えたかも知れないですね。 となると、北朝の天皇:光厳・光明・祟光・後光厳・後円融の霊に 納得してもらう際にも「顕幽分離論」は使えたかも知れないですね。 もちろん、これ「だけ」では主要因とは言えませんが。 Maigo wrote: > つまり、1999年からでないと見えないってことの裏返しだよね? 「1999年からでないと」ではなく、「1999年も」です。現 在の不可解な行動も考慮して、それを逆算して当時の状況を考察す るという意味です。もちろん、現在から分かることは限られますが。 大国主のタトエ話は、ちょっと難しくて理解できませんでした。 次回投稿は木曜日以降になります。 Time : 1999/12/ 4(土) 21:06:34
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「困り果てました・・顕幽分離論FIN」?? Comments: TAKATOKU、今日は。Awajiです。 はっきりいって疲れました。要するにTAKATOKUのおっしゃっていること が理解出来ないのです。ご質問には出来るだけお答えしてきたつもりで すが、それに関しては無反応なので、理解頂いたのか頂いていないのか も分かりません(典型的なのは言霊信仰に関するものですが)し、Awaji としては言い尽くしましたので、特に具体的ご指摘が無ければ、今回で 終了させて頂きます。 >>なるほど、リゴリスティックに適用しなかったのは、認めて頂けるの >>ですね? 1911年までは「南朝正統」を公認しなかった・・・つまりは「尊王斥覇 論=君主制の基本原則」をリゴリスティックに適用しなかった・・・ 認めるも認めないもAwajiが繰り返し、何度も申し上げていることでしょ う?? >>つまりは・・・「ある意味ではリゴリスティック」ということは、「 >>リゴリスティックでない」ということですね? 「ある意味では」と言うのは、以下の@〜Eの理由を「「尊王斥覇論= 君主制の基本原則」と言う一言でまとめるならば・・・と言う意味です。 議論の流れの中でご理解頂けませんか? >>「南朝正統論」は治世上都合がよいのですよ。「並立論」や「北朝正 >>統論」では治世上都合が悪いのですよ。「南朝正統論」で不都合な点 >>は自分の先祖を否定することだけです。 これもAwajiが、きんたろうさんとの議論以前から、以下のとおり何度も 申し上げて来たところでしょう?? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー @天皇の地位は唯一神聖なものであり、二朝並立論自体が容認すべからざ る思想である。 ↓ E従って、直系祖を逆賊扱いするのは、自己の血統上の正統性に係わる問 題と言う面があるものの、Dの論理でこれを補い、南朝正統論に決定し た。 言い換えれば、 義(体制)・・・天皇(君主)制における天皇(君主)の絶対性(尊厳) 親(血統)・・・先祖が之を侵した(逆賊)事を天下に公認する不孝 を比較衡量した結果、ある意味では「大義親を滅す」とした明治天皇の苦 渋の選択だと思いますし、理論的には妥当な選択だと思うのですが・・・ おかしいでしょうか?? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >>前半については否定します。ウヤムヤにするのが都合悪いので、明治 >>天皇は自らの責任を取ったのではないでしょうか? これもAwajiが何度も申し上げているところです。明治維新以来の方針に 依って、ウヤムヤにしておく選択肢もあったが、明治(天皇)政府は、 敢えて1911年に決断を下した。これは論理としては正しい・・と申し上 げている筈です。 もともとウヤムヤにしておくのが都合悪いのならば、明治(天皇)政府 が自ら「南朝正統論」を積極的に唱える筈ですが、1911年の国会質問に より、これを受ける形で敢えて「公認」した経緯をお考え下さい。 ところで、貴方はAwajiの意見を読んだ上で、以上の疑問をおっしゃって いるのですか??? >>おー!!断言されていますねぇ。私は「止まった歴史」について考察 >>することも非常に価値があると考えていますよ。「動く歴史」は「止 >>まった歴史」を元にして構築されるからです。 歴史は動いているに決まっています。止まった歴史などはありません。 (何度でも断言します)貴方のおっしゃっている「動く歴史」と「止ま った歴史」と言う区分は(良く分かりませんが)歴史の考察(理解)の 方法論なのでしょうか? >>つまり「歴史は現在とリンクして動いている」という見方も一つの真 >>理なのです。 これが「動く歴史」と言う「歴史考察の方法」ならば、Awajiには何の ことか全く理解できません。 >>つまり、直接役には立たないが、間接的に役に立つからです。それに、 >>「史料至上主義」と呼ばれるほど、史料にべったりな歴史も重要な歴 >>史だと認識しています。特に、史料中毒な位史料が好きな歴史学者が >>そのような歴史を構築してくれるのは非常に良いことだと思います。 Awajiは、何度も申し上げているとおり、「史料至上主義」であること を希求している歴史愛好家(本来は仏像オタクですが)です。 あらゆる「史料」を整合的に解釈することで、歴史の真実に少しでも近 づきたい。それが如何なる動きを示しているかを考察することで現在、 未来の洞察に役立てれば・・と考えていますが?? 勿論これは「歴史」ではなく「歴史考察の方法」です。 「史料」を無視(軽視)して歴史を考察するのは、客観性を持たない単 なる妄想です。歴史の真実には絶対に近づけないでしょう?? >>日本の始まりから1999年(1911年ではない!)までを眺めれ >>ば、つまり全部眺めれば、顕幽分離的な要因が浮かび上がってきます。 >>実も蓋もないですが、証拠はありません。いえいえ冗談です。証拠は >>これから考えます。私の意見は私の直感から出たものですから、即座 >>に答えられず申し訳ありません。議論の過程で少しずつ、述べていく >>(つまり、思い付く)ことになると思います。 「顕幽分離的な要因に関する証拠はこれから考える」・・しかし、日本 史を眺めれば「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂行為」的要因が認められる ・・・これは論理ではありませんね。直感的信仰ですか?? 理系であろうと、文系であろうと、議論には一定の根拠に基づく論理が 必要です。証拠を思い付かれたら、あらためておうかがいいたしますが、 証拠も論理も無いご意見に関する議論は、以上をもってご勘弁願います。 Time : 1999/12/ 5(日) 00:50:08
Name : まいご E-mail : Title : TAKATOKUさんへ Comments: >「1999年からでないと」ではなく、「1999年も」です。現 >在の不可解な行動も考慮して、それを逆算して当時の状況を考察す >るという意味です。もちろん、現在から分かることは限られますが。 >大国主のタトエ話は、ちょっと難しくて理解できませんでした。 なにが、どのように「難しくて理解できませんでした」なんでしょう? Time : 1999/12/ 5(日) 07:21:34
Name : 基政 E-mail : masaru@nakasawa.com Title : 丹波の一揆 その後? Comments: 先日喫茶店で週間ポストに連載されている記事を拝読致しました。 建武の新政府側から見れば一揆であった丹波武士団の流れを引く者として、 後編を楽しみにしております。 私も史料第一主義に近いと思いますが、伝承の中にも時々眩しい光を放っている ものもありますので、一概に排除することはしていません。(^^) ここでお願いなのですが、承久以降京都に設置されました六波羅探題の名簿がど こかの本に書かれていませんでしょうか? 評定衆、引付衆、等の一覧をさがしていますので、宜しくご教授下さい。m(_)m Time : 1999/12/ 6(月) 14:30:10
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「六波羅探題」?? Comments: 基政さん、はじめまして。Awajiです。 >>承久以降京都に設置されました六波羅探題の名簿がどこかの本に書 >>かれていませんでしょうか? 「国史大辞典」には記載されていませんでしたか? もし記載されていなければ「鎌倉武家事典」編 出雲隆ー青蛙房 に記載されていますが、チョット入手は困難かも? (Awajiも持っていませんが、何時でも借りれますので、どうしても 必要であれば・・・) >>私も史料第一主義に近いと思いますが、伝承の中にも時々眩しい光 >>を放っているものもありますので、一概に排除することはしていま >>せん。(^^) 全く同感です。民間伝承や、奇祭儀式、奇習等でも、その由来を尋ね れば立派な「史料」になる事がありますね。(^0^)" Time : 1999/12/ 6(月) 23:53:01
Name : きんたろう E-mail : Title : 水戸黄門漫遊記への軌跡 Comments: こんばんは、みなさん。 水戸学の話題が出たことでもありますから、水戸黄門について少々述べさせて下さい。 日本人で水戸黄門の事を知らない人はまずいないと言ってもいいのではないでしょうか。 各地へ行った時に感じたのですが、茨城県の事を東北地方にあると勘違いしている 人でも水戸黄門がいた所ですよ、と言うと大体の人は納得するようです。 (どのように納得するのかは??笑) たぶん茨城を代表する人物としては水戸黄門が最も有名だろうと思います。(^^) 光圀は大日本史編纂事業のために彼の史臣(史臣とは歴史学に携わる家臣という意味) 達を全国へと派遣しました。延宝4年から元禄6年までの18年間に13回もの 史料調査を行っています。 貞享2年には佐々宗淳(助さん)らを約半年間も九州(鹿児島まで)、さらに中国、 北陸地方にわたって調査させています。 史臣達が史料採取作業をスムーズに行えるために、現場の領地の大名達には光圀自らが 便宜を図ってくれとの手紙を書き送りました。こうして日本全国各地には光圀の手紙が 存在することになったのです。 彼の分身とも言える史臣達が全国をくまなく調査に訪れたことと、光圀直筆の手紙 が全国各地存在したことが、後の世に「水戸黄門漫遊記」がつくられた大きな理由 の一つと考えられています。 Time : 1999/12/ 7(火) 00:47:02
Name : 輔住 E-mail : Title : 余計な一言 Comments: 最近「史料」のことが話題になっていますね。 よけいな一言かもしれませんが「史料」を軽視しているような 発言も(誤解かもしれませんが)ありますね。 私は「史料」は歴史議論をするためには絶対必要な材料だと思っています。 そして材料をどのように料理するかは人それぞれ異なるものでしょう。 史料を重視することは当然です。重視することと鵜呑みにすることは違います。 (例えばAという出来事についてBの史料とCの史料では全然違うことも よくあるでしょう、そして最終的に個人々々で判断するでしょう) Time : 1999/12/ 7(火) 12:54:46
Name : 便所の火事 E-mail : Title : 六波羅探題一覧 Comments: 「日本史分類年表」桑田忠親監修、東京書籍 という本に、征夷大将軍、執権、連署、南北六波羅の一覧があります この本にはほかにも摂政関白、左右大臣、内大臣、足利幕府の管領 武家転奏、古河公方、江戸幕府の老中、京都所司代、近代の国務大臣 などの一覧があります。 北六波羅 北条泰時(1221〜1224) 北条時氏(1224〜1230) 北条重時(1230〜1247) 北条長時(1247〜1256) 北条時重(1256〜1269) 北条義宗(1271〜1276) 北条時村(78〜87) 北条兼時(87〜93) 北条久時(93〜97) 北条宗方(97〜1301) 北条基時(01〜03) 北条時範(03〜07) 北条貞房(08〜09) 金沢貞顕(10〜13) 北条時敦(15〜20) 北条範実(21〜30) 北条仲時(30〜自害) 南六波羅 北条時房(1221〜24) 北条時盛(24〜42) 北条時輔(64〜72) 北条時国(75〜84) 北条兼時(84〜87) 北条盛房(88〜97) 大仏宗宣(97〜1302) 金沢貞顕(02〜10) 北条時敦(10〜15) 北条維時(15〜24) 金沢貞将(24〜30) 北条時益(30〜自害) Time : 1999/12/ 8(水) 15:47:31
Name : TAKATOKU E-mail : Title : タトエ話 Comments: I wrote: > 大国主のタトエ話は、ちょっと難しくて理解できませんでした。 Maigo wrote: > なにが、どのように「難しくて理解できませんでした」なんでしょう? 通常タトエ話は、難しい話題を簡単な話題で置きかえ、理解しやす くさせるための手法です。つまり、タトエ話の前提となるものは、 多くの人に認められる話でなければなりません。しかるに、 Maigo wrote: > 大国主にたとえれば、出雲大社を建てた人たち、建てるように命じた人たち > は大国主が怨霊だなんて思いも寄らなかった。そののちの信仰でも怨霊って意識 > されたことはない。 残念ながら、私はこのことを知りません。また、今現在、私は 「大国主」の話に興味を持っておりません。悪しからずご了承下さ い。 Time : 1999/12/ 9(木) 17:41:02
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 南朝正統論:議論終了?? Comments: Awajiさん、みなさん、こんばんは。Awajiさん、侮辱的 な発言??(そうじゃないかも知れませんが。。)、ありがとうご ざいます。私は歴史に関しては全くの無知ですので、遠慮なく侮辱 して下さい。まぁ、こんなことはさておき: Awaji wrote: > はっきりいって疲れました。要するにTAKATOKUのおっしゃっていること > が理解出来ないのです。 Awajiさんが困り果てたように、実は、私も困り果てています。 Awajiさんの思想背景は井沢ファンとは異なるので、その背景 も知るべく様々な質問をさせて頂いたのですが、結局の所、議論の 取りかかる口が見当たりませんでした。Awajiさんとの議論が 難しいことは承知しておりましたが、「まさかここまでとは」、と いう感じです。ROMのままでは分からなかったことなので、その 点では投稿してみて良かったです。 Awaji wrote: > ご質問には出来るだけお答えしてきたつもりで > すが、それに関しては無反応なので、理解頂いたのか頂いていないのか > も分かりません(典型的なのは言霊信仰に関するものですが) 私は議論するには「共通言語」の確立が不可欠だと思っております。 長文の解答を下さるのはありがたいのですが、「共通言語」の確立 の妨げになるものは後回しさせて頂きました。それに関して反論を 加えると議論の収拾がつかなくなると思ったからです。しかしなが ら、話題を絞ってみると、1911年の時点に話題を限定するしか なく、有意義な議論にはなりませんでしたね。 「言霊信仰」に関してはこの議論が落ち着いた後に、述べさせても らいます。それ以外の話題に関しても同様です。 #宿題の行数は800行を越えました。 Awaji wrote: > 「顕幽分離的な要因に関する証拠はこれから考える」・・しかし、日本 > 史を眺めれば「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂行為」的要因が認められる > ・・・これは論理ではありませんね。直感的信仰ですか?? 顕幽分離論はきわめて非論理的な話です。しかも、あまり意識され ることはありません。直感的「信仰」という発言、Awajiさん はもしかしたら私を馬鹿にしたかったのかもしれませんが、顕幽分 離思想は日本人の「信仰」についての話です。 #それに、ある程度の共通言語がないと、書きにくいのですよ。ホ #ントのところ! 議論終了となれば、もはやどうでもよいかも知れませんが、以下は 補足です。 I wrote: > 「南朝正統論」は治世上都合がよいのですよ。「並立論」や「北朝正 > 統論」では治世上都合が悪いのですよ。「南朝正統論」で不都合な点 > は自分の先祖を否定することだけです。 Awaji wrote: > これもAwajiが、きんたろうさんとの議論以前から、以下のとおり何度も > 申し上げて来たところでしょう?? #なるほど。Awajiさんの性格がの一端が見えるようですね。 私がここで述べたかったことは「治世上都合悪いとき(たとえば、 討幕を決意した時など)には適用しなくって、治世上都合がよい時 に適用することを、リゴリステッィクに朱子学を適用したと言うの かどうか?」です。表現が婉曲的過ぎますか? Awaji wrote: > もともとウヤムヤにしておくのが都合悪いのならば、明治(天皇)政府 > が自ら「南朝正統論」を積極的に唱える筈ですが、1911年の国会質問に > より、これを受ける形で敢えて「公認」した経緯をお考え下さい。 「ウヤムヤにしておく事は治世上都合悪い」と内心思っていたが、 1911年の国会質問までは決断できなかったのではないですか? 両者の相関はかなり高いです。 これで議論終了ならば、次回投稿は議論のマトメとなります。 Time : 1999/12/ 9(木) 17:45:20
Name : まいご E-mail : Title : 失礼しました Comments: >残念ながら、私はこのことを知りません。また、今現在、私は >「大国主」の話に興味を持っておりません。悪しからずご了承下さ >い。 私も実は良く知らない。 だが、井沢さんのヒストリーを読むと、 オオクニヌシとアマテラスの神話が顕幽分離の根本 だという雰囲気だったので例えにとって、顕幽分離 にお詳しそうなあなたに質問したのだが拒否されて はしかたない。 文系は言語世界が違うという仰せだが、そんなこと をいうより顕幽分離論というのを定義したほうが、 話が早いような気がしたのだが拒否されては仕方ない。 例えをかえてみよう 1南北朝当時、北朝はじめ公家、幕府とも後醍醐が怨霊  になるとは思っていなかった。 2後醍醐が死んでからも後醍醐を怨霊としてはあつかって  いない。 3後醍醐は太平記が流行った後も具体的には怨霊として  まつられなかった。 だが、江戸時代の国学隆盛時の議論によって「おかしい」と 思われはじめ明治時代の終わりになって怨霊として認識され あわてて怨霊鎮魂のため正統とされた。 ということですか? とお聞きしたかったのだがこれでも無理ですか? Time : 1999/12/ 9(木) 19:28:13
Name : まいご E-mail : Title : もうしわけないでした Comments: 下の投稿はTAKATOKU様宛てでした。 読み返すと私ごときの文系学生(専門はボ経済学) が偉そうな書き方をしているのに気がつきました。 気を悪くしないでください。 Time : 1999/12/ 9(木) 19:35:20
Name : まいご E-mail : Title : ふと思ったのですが Comments: 井沢さんのファン・支持者は理系の人が多いですね。 私は面白いとはおもうのだが、井沢さんの論を支持するか? と問われれば、正直なところあまり支持できない。 文系的な解釈と理系的な解釈で違いがあるのでしょうか? Time : 1999/12/ 9(木) 19:39:58
Name : 勇者ロト E-mail : Title : まいごさんへ Comments: こん@@は。 >顕幽分離論というのを定義したほうが、話が早いような気がしたのだが 確かにそうかも知れません。ですが定義するのが難しかったからこそ、こういう 展開になったのではないでしょうか?顕幽分離論については、井沢先生ご自身か らの明確な定義づけを待つより他にないのではないかと最近思っています。 文章の受け取り方には個人差があるでしょうし、読者の方で勝手に定義づけを行 っても井沢先生の論旨とは違ってくる恐れもあると思います。ですから、顕幽分 離論については棚上げしたほうがいいような気もしています。 「怨霊鎮魂」という要素があったか、なかったかで考えたほうがいいのではない でしょうか? >井沢さんのファン・支持者は理系の人が多いですね。 >文系的な解釈と理系的な解釈で違いがあるのでしょうか これについては、ぼんやりと私も思っていました。勿論こちらで発言される方にた またま理系の人が多いだけなのかもしれませんのでなんとも言えないのですが、一 度こちらで発言させてもらったように歴史認識を公式化するような点が理系の方で も歴史に興味を持ち理解するのを容易にしている部分もあるのではないかとも、思 っています。正直高校時代によく頭に入らなかった平安時代の流れとかは井沢説に 触れることで理解が深くなったような印象を持っています。 最後に下らない突っ込みです(笑) >専門はボ経済学 というのは、あ法学部というのと同様の流れからきているのでしょうか? 未だにこういう言い方するんですね(笑)私も、ぼ経済学部でした(爆)10年ほ ど前の話ですが。それとも「ボ」は単なる消し忘れ?なんでしょうか? 南北朝問題とは何の関係のない投稿でした。失礼しました。 Time : 1999/12/ 9(木) 23:04:55
Name : まいご E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: >確かにそうかも知れません。ですが定義するのが難しかったからこそ、こういう >展開になったのではないでしょうか? そうだったんですか?すいません。 >ボ経済学 昔はやっていたのですか?私はオリジナルのつもりでした。 くだらないボケにつっこんでくれてありがとう。 同じ文章を読んで理系と文系で解釈が違うという事が ありうるのかな?と思っています。 周辺知識の差なのかもしれないとおもうんだが・・・・? Time : 1999/12/10(金) 17:56:47
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 文科系・理科系 Comments: 勇者ロトさん、まいごさん、みなさん、こんにちは。今日はこのよ うなタイトルで気楽に書きたいと思います。ただし、議論モードで はないので、シビアな突っ込みはなしですよォ。 コンピュータとコンピュータ・ネットワークの劇的な進化に伴い、 文科系・理科系の定義も変わっているような気がします。 勇者ロトさん、まいごさんの経済学も、その一部は今では理科系で すし、数学の一部等は、逆に文科系と言われていますネ。 Maigo wrote: > 井沢さんのファン・支持者は理系の人が多いですね。 私が思うにですが、理科系の共通言語は言霊の影響を全く受けない 「数学」という言語です。日常的に言霊の影響をモロに受ける「日 本語」とそうでない外来語?の「数学」を使っている訳です。両言 語を使っていて感じる(無意識的な)違和感を井沢先生がうまく表 現して顕在化(意識的に)しているのだと思います。その辺に、 井沢先生が理科系に受ける原因があるような気がします。 私自身、今まで冗談で怒られた事が多いのですが、言霊を意識して、 冗談(の種類を変えて)を言うと、今まで怒っていた人にとても受 けるので、井沢理論の効果に驚いています。血液型による性格分類 というのもありますが、言霊イスト度による性格分類もできそうな、 そんな気分です。 #井沢理論はバッチリ応用が効きます!! もう一つ、井沢理論が理科系に受ける原因があると思うのです。そ れは、現在から逆算して過去を考察するという手法も取り入れてい るからです。理科系の実験を通じて得られるデータは、欲しいデー タそのものではないことが多いのです。つまり、得られたデータか ら逆算して、欲しいデータの雰囲気?を得るのです。つまり、逆算 することの有効性を日常的に認識しているのです。 Yusya-Roto wrote: > 歴史認識を公式化するような点が理系の方で > も歴史に興味を持ち理解するのを容易にしている部分もあるのではないか 私もそう思います。当たり前の話ですが、理科系で実験する箇所は 公式化されていない箇所です。公式化されていて結果がわかるよう な所は実験する必要がないからです。そして、どこまで公式化でき るのか、その点に常に注目が集まります。歴史についても、どこま で法則的な成分を抽出できるのか?非常に注目しています。 #まぁ公式よりも、どこまで役立つかという観点のが大きいですが。 あれれ??お気楽モードの割には、マジメに書いてしまいました。 すみません。次に、まいごさんへのお返事モードへ移行します。 Maigo wrote: > 1南北朝当時、北朝はじめ公家、幕府とも後醍醐が怨霊 >  になるとは思っていなかった。 > 2後醍醐が死んでからも後醍醐を怨霊としてはあつかって >  いない。 > 3後醍醐は太平記が流行った後も具体的には怨霊として >  まつられなかった。 > だが、江戸時代の国学隆盛時の議論によって「おかしい」と > 思われはじめ明治時代の終わりになって怨霊として認識され > あわてて怨霊鎮魂のため正統とされた。 > ということですか? いえいえ、私の意見とは全く違います。私見ですが、公家の中には 怨霊として明確に意識した人が多いと思います。しかしながら、公 家以外のほとんどの人は無意識だと思います。国学についてはよく 知りませんが。 1:怨霊となった後醍醐よりも、生きている後醍醐のが怖いでしょ う。怨霊になると分かっていても戦わざるをえないと思います。 2:南朝が健在な時点では、怨霊として盛大に?まつる気にはなれ なかったと思います。あるかどうか分からない??祟りよりも、現 実の南朝のが怖いからです。この時点で南朝を正統にするなど、もっ てのほかです。 3:『太平記』そのものが怨霊鎮魂行為です。『太平記』の流行に ついても怨霊鎮魂行為と深い関わりがあると思います(この点につ いては後日議論になると思うので、今回は軽く受け流して下さい)。 ただし、それを怨霊鎮魂行為として明確に意識したかどうか、それ は別問題です。 残り:江戸時代においても、怨霊としての明確に意識はされていな いと思います。一部の公家を除いて、すべて「なんとなく」だと思 います。さらに、明治時代の終わりに限定してしまえば、怨霊鎮魂 行為という要素はほとんど薄いと思います。単に、治世上で有効だ からです。最も、「何故治世上で有効か?」という議論になれば、 怨霊鎮魂と関係があります。 どうでしょうか? #正直言って、井沢先生の主張に対する認識がこれほど私と異なる #とは思っていませんでした。でも「大国主」より分かり易かった #ですヨ! 次はAwajiさんへの返事モードです。 #お気楽モードなので、突っ込みは無しですヨ! Awaji wrote: > 理系であろうと、文系であろうと、議論には一定の根拠に基づく論理が > 必要です。 理科系では論理的な議論で意見が分かれることはありません。論理 的な議論は誰が議論しても同じ結果になるからです。意見が分かれ るのは非論理的な箇所です。具体的には数理モデルを構築する所と もう一つは数理モデルが導いた結論をどう解釈するか、です。文科 系についても「共通言語」が確立すれば、議論の対象は非論理的な 箇所が多くなると信じています。もちろん、理科系ほど明確な議論 ができないことは承知しています。最も、「一定の根拠」は必要で すが。 最後に。 今日の日本においては、文科系・理科系の区別は「数学」の不得意・ 得意という観点(あるいは「国語」の得意・不得意)で区別するこ とが割合多いですが、それは無意味だと思います。なんとかならな いもんですかねーー??これに関しても言霊の影響があるんでしょ うか?? Time : 1999/12/10(金) 18:46:58
Name : まいご E-mail : Title : 私見? Comments: >怨霊鎮魂行為として明確に意識したかどうか、それ >は別問題です。 当時の人が明確に意識してないのに、なんでそれがあった と誰が意識するのか? それは現代の井沢さんの著書を読んだ読者以外にありえない。 ということは、現代からしか怨霊はみえない。 すなわち、怨霊鎮魂の意味があったとはいえない。 と思います。 >いえいえ、私の意見とは全く違います。私見ですが、公家の中には >怨霊として明確に意識した人が多いと思います。しかしながら、公 >家以外のほとんどの人は無意識だと思います。国学についてはよく >知りませんが。 こんな大事な結論に等しい前提を考えた理由が「私見」ではどうし ても納得することが私にはできない。 私見ですが、歴史を論ずるというより井沢信者としての姿勢しか 私には見えてこない。 私見ですが、これ以上話してもお互い何も得られないような気がする。 残念です。私もこの問題についてはこれで終わりにしたい。 TAKATOKUさんからは、私が井沢否定者にしかみえないように・・・・。 Time : 1999/12/10(金) 20:08:33
Name : コテキン E-mail : Title : 史料について Comments: 皆さん、お久しぶりです。(覚えてる?) 私は以前、史料についてここに意見を書いたのですが、舌足らずだった ので誤解されてしまったのでちょっと詳しく書いてみます。 支那にとって歴史とは権力者によって自由に書き換えられるものらしい ですから「正史」というものは盲目的に信用できないものだと思います。 しかし、支那には「正史」の他にもたくさんの史料がありますからそれ らの史料を検証して整合性をつけるのが歴史の真実に近づく最良の手段 だと私は思います。ただ、日本の歴史学者の中には自分のイデオロギー に都合の良い史料のみを選別したり、あるいは史料を自分の都合のよい ようにねじ曲げて解釈する人がいるようですので「歴史素人」の私には 頭の痛い話です。 Time : 1999/12/11(土) 02:34:05
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「中国史書等の史料」?? Comments: コテキンさん、お久しぶりです。Awajiです。 >>シナの歴史は、時の権力者によって自由に変えられるものらしいです >>から「正史」というものは簡単に信用できないものらしいです。 1999/11/14(日) 01:18:51 >>支那にとって歴史とは権力者によって自由に書き換えられるものらし >>いですから「正史」というものは盲目的に信用できないものだと思い >>ます。 1999/12/11(土) 02:34:05 少しニュアンスは変わりましたが、「中国正史」に対する一方的決め付 けは同じですね。何か特別な意味があるのでしょうか? 従ってAwajiも、もう一度繰り返します。 >中国正史に関する信憑性の問題ですが・・・ >何れの民族も、国も、王朝も、完全に正しい史書などと言うものは持ち得 >ませんし、権力に媚びた嘘だらけの史書などと言うものも保ち得ません。 >従って、一般論として中国史書が信頼出来るか、出来ないかと言うよう >な議論は、殆ど意味を成さないと思うのです。・・・・・ >当然「史記」から「元史」にいたる様々な史書は、それぞれ成立の時期、 >経緯、状況が異なっているのですから、それぞれに異なった評価が与え >られて然るべきでしょう。 >少なくとも、過去の中国に於いて、権力の介入を最小限に止めるため、 >隔世正史製作の伝統が守られていたのは、皆さんがご指摘されていると >ころですし、司馬遷が権力に抗して宮刑に処せられながらも「史記」を >完成した気概が、史官に脈々と伝えられたのも否定し切れない筈です。 如何ですか? >>ただ、日本の歴史学者の中には自分のイデオロギー >>に都合の良い史料のみを選別したり、あるいは史料を自分の都合のよ >>いようにねじ曲げて解釈する人がいるようですので「歴史素人」の私 >>には頭の痛い話です。 勿論、その様な歴史学者もおられるかも知れません。 しかし、世界的にみれば日本の歴史学者は、最も客観的であろうと努力 しておられる方に属しますし、バラエティも認められます。 逆に言えば、如何にも客観的であるかのように装う特定の方の意見を信 じてしまうのが、最も危険なことだと思います。 (例えば「支那にとって歴史とは権力者によって自由に書き換えられる」 と言うような極端な決め付けも、これに属します) 如何に頭が痛くとも、教科書からトンデモ説まで色々な説に接して、自 分也の批判力を磨き鍛えることが、大切なのでは無いでしょうか? 「歴史学」にも「政治学」にも王道はありませんので・・・・。 Time : 1999/12/11(土) 10:28:37
Name : コテキン E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: お久しぶりです。 >少しニュアンスは変わりましたが、「中国正史」に対する一方的決め付 >けは同じですね。何か特別な意味があるのでしょうか? 特別な意味はないです。「中国共産党」は嫌いですけど中国自体が嫌いな わけでもなければ差別心もありません。ただシナの歴史とはそういう物だ と純粋に思っているだけです。 >逆に言えば、如何にも客観的であるかのように装う特定の方の意見を信 >じてしまうのが、最も危険なことだと思います。 >(例えば「支那にとって歴史とは権力者によって自由に書き換えられる」 >と言うような極端な決め付けも、これに属します) その通りだと思います。自分も知らず知らずのうちにそのような考えになっ てたかもしれません。肝に銘じます。 >如何に頭が痛くとも、教科書からトンデモ説まで色々な説に接して、自 >分也の批判力を磨き鍛えることが、大切なのでは無いでしょうか? 大変ですけど努力してみます。 私は自分の考えを批判していただくためにここの掲示板に書き込んでいま すのでAwajiのような碩学の方に批判していただいて光栄に思っています。 まだまだ私も未熟なのでこれからもよろしくお願いします。 Time : 1999/12/11(土) 11:31:56
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「呼称シナ」?? Comments: コテキンさん、今日は。Awajiです。 早速ご理解頂き、ありがとうございました。 Awajiは、恐らくコテキンさんの三倍近くは無駄飯を食べていますので、 多少は余計に本なども読んでいると思いますが、これからも皆さんのご 意見を聞いたり、Awajiの意見を批判して頂きながら、少しずつ勉強して いきたいと考えています。こちらこそよろしくお願いします。 ところで、チョット一言ですが・・・ 「シナ」と言う呼称は、お止めになりませんか? 西欧諸国が「チャイナ」等の呼称を使うのに、何故「シナ」が悪いのか? 中国自身、一時は「シナ」を呼称と認めていたではないか? こういった理屈は、とても「大人」が言うべき事とは思えません。 相手が嫌ならば、そう呼ばないと言うのが「大人」の付合いです。 「ビルマ」が「ミャンマー」と呼んでくれと言うならばそう呼べばいい。 「日本」は国家象徴を「天皇」と呼んでいるから「日王」とは呼ばない。 かって「倭」と称して「朝貢」したけど、今は「倭」とは呼ばない。 お互いに、何も相手が嫌だと言うのにワザワザ屁理屈をこねてまで、そう 呼ぶのは大人げ無い(馬鹿らしい)と思いませんか? Time : 1999/12/11(土) 20:33:41
Name : コテキン E-mail : Title : シナ呼称 Comments: 了解しました。 別に「シナ」という言葉にこだわってるわけではないですので・・・ Time : 1999/12/11(土) 20:58:06
Name : 海生 E-mail : Title : 救世観音は、百済観音 Comments: はじめまして。かなり、濃い内容のBBSなので、立ち寄らせていただきました。 法隆寺の救世観音が、実は本当は百済観音で、百済観音と言われているものが 救世観音だった……。というのは、本当でしょうか? 今、百済観音と呼ばれているものが、本来のご本尊だったらしいのです。 どなたか、ご存知でしたら教えていただけるとうれしいです。 大塔宮護良親王についても調べているのですが、南北朝における彼への ご意見を聞かせてください。 では……。 Time : 1999/12/12(日) 10:31:50
Name : 基政 E-mail : masaru@nakasawa.com Title : 名簿ありがとう Comments: >便所の火事さん 早速ご教示下さいましてありがとうございました。 詳しくUPしていただき、お手数をおかけいたしました。申し訳ございません。 早速資料館へ行って調べてきます。m(_)m 不勉強まるわかりですね。(^^; Time : 1999/12/13(月) 15:05:17
Name : 基政 E-mail : masaru@nakasawa.com Title : 評定衆の名簿 Comments: >Awajiさん 早速有り難うございました。 国史大辞典ですか。うーん、開架してある処にはなかったようです。 近々資料館(京都です)へゆきますので、調べてみます。m(_)m 室町幕府奉行人や引付衆の一覧は手元にコピーしてあるのですが、鎌倉期の ものをみたことがないので、伝承を確認できないんです。(^^) 私は南北朝期の丹波勢が面白くて、長年ゴソゴソしています。 今後とも宜しくお願いします。 Time : 1999/12/13(月) 15:22:11
Name : 基政 E-mail : msaru@nakasawa.com Title : 建武の親政と丹波勢 Comments: 南朝正統論などという難問には首を突っ込めませんので、軽く流して下さい。 後醍醐天皇が隠岐の島を脱出して兵を募られた時に、有力な丹波勢は殆ど呼応し て六波羅探題の攻撃に向かいました。 太平記によると、荻野彦六、足立三郎が華々しく活躍し、高氏の篠村八幡旗揚げ には久下弥三郎時重が一番の旗印を掲げていち早く駆けつけたとあります。 丹波勢の活躍には目を見張るものがありますが、新政府は恩賞を与えるべき武士団 の所領を没収し、公家や寺院に与えたことから、丹波勢の不満が爆発し、一揆に なったようです。 私んちの関係では、丹波大山庄の地頭職が取り上げられて東寺に永年寄進されて しまいました。(南朝・北朝どちらからも) それに怒った久下・中澤・波々伯部・荻野は、新政府が任命した守護を攻撃し、 摂津へ追い払ってしまい、自分たちに都合の良い仁木氏を守護に据えるという、 何とも凄い事をやっておりました。 これらの武士団が統治していた所領もたぶん没収されたでしょうね。 尊氏は3度にわたって京都を追われ丹波に逃れていますが、源氏の庶流である 久下・中澤を余程信用していたのでしょう。 尊氏が幕府を開いてからは、久下・荻野は守護代に、中澤は引付衆や右筆方奉行 人にと、それぞれ恩賞を得て一族の繁栄を迎えたようです。 さて、週間ポストを買い損ねたので、近くの喫茶店へ行って来ましょう。 Time : 1999/12/13(月) 16:09:43
Name : 輔住 E-mail : Title : 護良親王 Comments: 海生さんはじめまして! 私は観音については何も知らないので 大塔宮護良親王についての意見だけを述べたいと 思います。 やはりVS鎌倉幕府での彼の功績は 大きいと思います。後醍醐が捕まった時、 彼までそうなっていたら討幕は失敗したかもしれません。 もちろん楠木正成や足利尊氏などの活躍も大きいですが。 討幕後、尊氏と対立し敗れます。 「梅松論」によると、「高氏より父がうらめしい。」と言ったらしいですが、 本当そうでしょう。尊氏が護良親王を罠にはめようとしたのは 当然です。親王自身も尊氏を失脚させるために策をたてたのだし。 だが父が最終的に自分より尊氏の味方をしたことが、信じられなかったと思う。 無念だったでしょうとしかいいようがありません。 Time : 1999/12/13(月) 17:10:49
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「百済観音」?? Comments: 海生さん、はじめまして。自称「仏像オタク」のAwajiです。 >>法隆寺の救世観音が、実は本当は百済観音で、百済観音と言われてい >>るものが救世観音だった……。というのは、本当でしょうか? >>今、百済観音と呼ばれているものが、本来のご本尊だったらしいのです。 残念ながら、こういった話は聞いたことが無いのですが、ここでおっし ゃっている「救世観音」は法隆寺夢殿の「救世観音」のことでしょうか? 失礼ながら、何かの勘違いでは無いかと思うのですが、もし何方かの説で あれば、お名前と所説の主要根拠を、ご紹介頂けないでしょうか? 基政さん、手抜きでスミマセンでした。<(_ _)>ペコ Time : 1999/12/13(月) 21:45:29
Name : 海生 E-mail : Title : ありがとうございました。 Comments: Awajiさん、ご意見ありがとうございました。 夢殿の救世観音が……、というのは、本に載っていたものではなく、 法隆寺に縁の深い方から聞いたものなのです。だから、真偽を確かめたかったので すが……。文献などには記載されていないのですね。 謎のまま、放っておくことにしました。考えてもわからないですし……。 輔住さん、ご意見ありがとうございました。 そうですね、輔住さんのおっしゃる通りだと思います。 ただ、この間読んだ「護良親王の伝説」と言う本で、彼の首が本尊として祭られて いる神社が山梨にあると知りました。宗教的な加工を施されていて、著者は文観と の関連性を指摘しておりました。後醍醐天皇は邪教に傾倒なさっていたようなの で……。立川教の本を見ました所、この本尊を製作するために護良親王を利用なさったのならば、人として許せない行為だと思いました。 Time : 1999/12/14(火) 10:37:41
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 「井沢信者」と「ターゲット」と「議論のマトメ」 Comments: まいごさん、Awajiさん、みなさん、こんにちは&お久しぶり です。ここしばらく忙しいのですが、今回はこのようなタイトルで 投稿したいと思います。アラカルトモードです。なお、書きこみ現 在、日本酒を飲んでいない、つまりシラフですので、日本人の繊細 な感性を忘れているかも知れません。まぁ、こんなことはさておき: まず、まいごさんへの(最後の?)返事モードです。 Maigo wrote (12/10): > 当時の人が明確に意識してないのに、なんでそれがあった > と誰が意識するのか? > それは現代の井沢さんの著書を読んだ読者以外にありえない。 > ということは、現代からしか怨霊はみえない。 > すなわち、怨霊鎮魂の意味があったとはいえない。 素早い結論ですネ!! 意識・無意識の話は、後日Awajiさんと議論になると思います (Awajiさんが相手をしてくれれば。。ですが)。従って、今 回はこれ以上書きこみません。ご了承下さい。 Maigo wrote (12/10): > 私見ですが、歴史を論ずるというより井沢信者としての姿勢しか > 私には見えてこない。 そうですか? ズイブン踏絵を踏んでしまった気がするのですが、井沢信者に見え るんですね。私は「ファン」は支援者であると同時に最大の批判者 だと思っています。まぁ、プロスポーツのファンを見れば明らかだ と思いますが。私もたくさんの著書を購入したファンということで、 ちょっと甘えさせてもらって、みなさんと議論しながら、井沢批判 もしていたりしますヨ。もちろん、ファンによる批判なので、批判 のための批判ではありません。まぁ、「批判」という言葉は似合わ ないかも知れませんが。 Maigo wrote: > 私見ですが、これ以上話してもお互い何も得られないような気がする。 > 残念です。私もこの問題についてはこれで終わりにしたい。 > TAKATOKUさんからは、私が井沢否定者にしかみえないように・・・・。 最後の一文を除き同意致します。 否定者と言っても、Awajiさんのようにファンでない否定者も あれば、アンチファン・タイプの否定者もありますが、どちらでしょ う?後者ならば議論可能かも知れません。 Maigo wrote: > こんな大事な結論に等しい前提を考えた理由が「私見」ではどうし > ても納得することが私にはできない。 ほぉー、「私見」がいけないのですか?? ちなみに、「私見ですが」のターゲットはアンチファンを含めた 井沢ファン向けです。つまり、まいごさん向けではない、と思いま す。 まぁ、私の投稿のターゲットは誰でもよいのですが、分からないの が井沢先生の発言のターゲットです。『逆説の日本史』のターゲッ トは『週刊ポスト』で読むサラリーマンのおっちゃんと、単行本で 読む歴史好きな人間のちょうど中間ぐらいにみえます。そのせいか、 週刊誌で読むときは迫力が足りない気がするし、単行本で読むとき は乱暴な気がして面白いのですが。HPでの発言のターゲットは誰 なんでしょうか??よく分かりません。 Izawa wrote: > 歴史では南朝は滅び北朝が勝利を収めた。だからこそ、ちょうど > 源氏物語のように南朝は正統でなければならないのだ。 この発言と「南朝が正統になったのは、南朝が滅びたからだ」は同 じ意味なのか、違う意味なのか。よく分かりません。荒っぽく解釈 すれば同じだし、繊細に解釈すれば全く別物ですネ。 後者の意味ならば、私にとっては納得がいくのですが、前者を字句 通りに解釈すれば、納得はできません。というのも、歴史の展開次 第では、1999年になっても南朝正統にはならなかった気がする からです。 というわけで「南朝正統論」と話がつながるのですが、最後に、 Awajiさんとの議論のマトメモードです。 >Awajiさん ど素人の相手をして下さり、ありがとうございした。 議論の都合上、話が拡大するのはやむを得ないことです。この議論 に関しても、「顕幽分離思想」、「言霊」、はたまた歴史観に至る まで話題は拡大したのですが、議論の糸口は見つかりませんでした。 唯一、議論できそうな場所は1911年時点での主要因で、 Awajiさんは「朱子学をリゴリスティックに適用したため」と いう意見を持ち、私の意見は「治世上で都合がよいから」です。し かしながら、途中で打ち切りとなりました。 私は有用で面白ければ、あらゆる角度から歴史を見るべきだと思っ ています。時刻に関して言えば、ある時点に限定するもよし、少し 長い期間で見るもよし、思いきって全体を一気に見るもよし、です。 史料に関しても、史料至上主義でもよし、史料から離れても離れ具 合が分かればまたよし、です。現在から逆算するのもよし、です。 Awaji wrote (12/4): > 今回の議論は、「何故南朝が正統とされたのか?」だと思います。 > とすれば、「南朝が正統とされた時期」つまりは1911年にフォーカスせ > ねばならないでしょう? 私が一番困ったのはこの発言なのですが、それがAwajiさんの 主義ならば、それはそれで一向に構いません。Awajiさんの歴 史観で井沢理論を見れば到底許せるものではないことも分かりまし た。 しかしながら、逆にいえば、井沢先生および井沢ファンが Awajiさんの主義に合わせる必要もないのです。恐らく、 井沢先生はAwajiさんとは全く違った観点で歴史を見ているこ とと、推察しています。今回の話に限定させてもらえば、 Awajiさんの井沢批判は、「批判のための批判」と受け取られ ても仕方ないと思いました。 以上です。 Time : 1999/12/16(木) 18:33:20
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論・・・本当にコレッキリ」?? Comments: TAKATOKUさん、おひさしぶりです。Awajiです。 RESすべきか、どうか・・ずいぶん迷いましたが、お名指しですので、 一応・・・・以下 正直云って、貴方のおっしゃっていることが、日本語(言語)による 論理として、依然として良く分からないのです・・・・ 本当にコレッキリにして下さい。 > 今回の議論は、「何故南朝が正統とされたのか?」だと思います。 > とすれば、「南朝が正統とされた時期」つまりは1911年にフォーカ >スせ ねばならないでしょう? >>私が一番困ったのはこの発言なのですが、それがAwajiさんの >>主義ならば、それはそれで一向に構いません。・・・・しかしなが >>ら、逆にいえば、井沢先生および井沢ファンがAwajiさんの主 >>義に合わせる必要もないのです。 このご意見は、何を意味しておられるのでしょうか? そもそも、議論の出発点は、井沢さんの以下の部分の妥当性について です。(ヒストリー) 『もう一つ読者の方からE−mailで質問を受けた。それは、かいつ まんでいうと、南北朝の争いにおいて南朝は負けたのに、何故戦前は( 正確に言うと明治時代以前から)南朝のほうが正統とされてきたのです か?今の天皇は北朝なのに、という質問である。』 『歴史では南朝は滅び北朝が勝利を収めた。だからこそ、ちょうど源氏 物語のように南朝は正統でなければならないのだ。現実には南朝の子孫 は絶滅しているから、正統と認めたところで実害は何もない。菅原道真 を太政大臣にするのと同じことだ。朱子学というのは単にその理屈付け に利用されたに過ぎないのである。かつて仏教が怨霊鎮魂の道具にされ たのと同じ事だ。やはり顕幽分離論は正しいのである。各時代の不可解 な現象が、一つの理論で説明できるということは、その理論が正しいと いうことを示している。』 つまり、ここで井沢さんが問題とされているのは 「何故南朝が正統とされたのか?」ですよね・・・違いますか??? そして井沢さんは、その理由を「南朝怨霊鎮魂」に求めておられるの ですね・・・違いますか??? (「顕幽分離」と言う意味不明の言葉は議論を混乱させるだけなので、 勇者ロトさんのご意見により「怨霊鎮魂」と表現します) 従って、この問題は「南朝が正統とされた時期」において、その理由 を「怨霊鎮魂」として解釈することの妥当性を考察しなければならな いでしょう・・・これは主義ではありません。当然の論理の展開です ・・・・一体何が困るのですか?? (なお、「大日本史=朱子学(光圀)」やその影響下にある討幕思想に おける「南朝正統論」を含めるとすれば、なおさら「南朝怨霊鎮魂」と は無関係であることも既に申し上げたとおりです。) >>今回の話に限定させてもらえば、Awajiさんの井沢批判は、 >>「批判のための批判」と受け取られても仕方ないと思いました。 貴方の云う「批判のための批判」って、一体何なのですか??? Awajiは、一定の論拠を示して・・・「南朝正統論」を「怨霊鎮魂」と 解釈することは、妥当性を欠くと申し上げているのです。 その上で、仮に「怨霊鎮魂」と解釈されるならば、その論拠を示して 下さいと申し上げた筈です。 これを「批判のための批判」とされるならば、全ての批判は不可能で す。是非ともこの様な『意味不明の誹謗発言』は、ご撤回頂きたいと 存じます。 >>1911年時点での主要因で、Awajiさんは「朱子学をリゴリ >>スティックに適用したため」という意見を持ち、私の意見は「治世 >>上で都合がよいから」です。 何度申し上げればお分かり頂けるのでしょうか? Awajiの発言を良く理解して下さい。(念の為後段に再録します。) なお、貴方は「治世上で都合」がよいから、とされるのですね? 要するに「怨霊鎮魂」ではないと、おっしゃっているのでしょう ・・・違いますか?? これは、Awajiの意見と基本的に同じなのですよ・・・にも係わらず 一方で、貴方は「顕幽分離」と言う名の意味不明の「怨霊鎮魂」だと 主張される >>日本の始まりから1999年(1911年ではない!)までを眺めれ >>ば、つまり全部眺めれば、顕幽分離的な要因が浮かび上がってきます。 ・・・支離滅裂とは思いませんか??? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以下、Awajiの1911年における「南朝正統論」解釈の再々々録です 救世観音と「南朝正統論X」?? 1999/11/20(土) 10:28:08 これに対して南朝正統論は、明治政府(天皇)にとって・・・・ @天皇の地位は唯一神聖なものであり、二朝並立論自体が容認すべからざ る思想である。 A日本の歴史において、明らかに二朝並立が在ったのは、室町初期の所謂 南北朝時代である。 B従って、南北朝の正閏を確定せざるを得ない立場におかれていた。 (リゴリスティクに考えなければ・・・先祖の聖旨は論ずべきに在らずと かなんとか言って、誤魔化しておけば良かったと思うのですが、政争の具 にされてしまった) C正統天皇である後醍醐の意志と、これに対抗しての足利の光明擁立経緯 からして、北朝正統論には無理があり過ぎる。かと言って並立論は@に 反する。 D現皇室は北朝系統であり、その直系祖である北朝天皇を偽帝とするのは 不孝極まりないが、正統性自体については「後亀山」から「後小松」に 譲位され、南北合体がなされているので、法制的には問題は無い。 E従って、直系祖を逆賊扱いするのは、自己の血統上の正統性に係わる問 題と言う面があるものの、Dの論理でこれを補い、南朝正統論に決定し た。 と言うところが主動機(理由)と考えるのですが・・・ やはり「顕幽分離論」が主動機(理由)とすべきでしょうか??? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (一部省略ですが、正直何度再録すれば、お分かり頂けるのか・・・嫌に なってしまいます) Time : 1999/12/16(木) 23:13:26
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 南北朝正閏論 Comments: 南朝正統説 北朝正統説 両朝並立説 と三つあるらしい 明治時代において 「南朝正統説」が唱えられることそれ自体が 「不敬」罪にならないところが 私には興味深い つきつめれば 「明治帝の血統は正統ではない あんたは偽者の子孫で 逆臣の傀儡の系統だ」と主張するのだから^^; しかし 「南朝正統論」者もそこまで主張するつもりないところが 論理的につきつめない日本人らしいところでしょうか?^^; 明治44年の明治政府や明治帝の決定の真意はどうなのでしょうか? 明治帝にしてみれば 「不孝」としかいいようがない つきつめれば 今上天皇(当時)の正統性 明治政府の統治の正当性まで 傷つけかねない決定でしょう 「朕の直系の先祖が正統で どこが悪い」と開き直れない当時の思想状況に 興味があります 水戸学もそうで 武家(徳川家)の支配を肯定するならば 北朝正統論を採用するべきで 北朝が正統でなければ 北朝から政治を委任された 室町幕府(武家)の支配の正当性や 徳川幕府の支配の正当性まで揺らいでしまう 極めて非政治的な価値判断でしょう 突き詰めれば 将軍家の権威に傷をつけかねない議論なのですが そうではなく 平然と「南朝正統論」が主張された当時の思想状況に たいへん興味があります Time : 1999/12/19(日) 19:14:48
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 上陸成功?? Comments: 海野さん(初めまして!!)、みなさん、こんにちは。タイトルの 由来は「とまり木」の11月6日をご覧下さい。私の分もカウント に入れて頂けるならば、とりあえずレスワンですね。まぁ、こんな ことはさておき: 私はAwajiさんの提示された情報を元に、無謀にもその Awajiさんと議論をしている者です。 海野さんのご意見が私と同じかどうかは不明ですが、少なくとも 今回の海野さんの意見には全面的に賛成します。それに、少なく とも海野さんのご意見はAwaijさんの意見とは異なるようで すね。 もしご存知でしたら、2つ程教えて頂きたいのですが。 Unno wrote: > 南朝正統説 北朝正統説 両朝並立説 と三つあるらしい 『逆説の日本史』を読む限り、南北朝合一時では「北朝正統」だっ た訳です。いつしか「両朝並立」になり、そして、1911年に 「南朝正統」になりました。この「両朝並立」になった時期・経緯 等ご存知でしたら教えて下さい。「南朝正統」になった要因と深い 関係がある気がするのです。 Unno wrote: > 水戸学もそうで > 武家(徳川家)の支配を肯定するならば 北朝正統論を採用するべきで ... > 突き詰めれば 将軍家の権威に傷をつけかねない議論なのですが もう一つは、“水戸光圀の『大日本史』は徳川将軍家の権威を高め る為に作成されたものなのでしょうか?”です。 私はこれといった意見を持っていないのですが、単純にそう考えて よいのか疑問に思っています。というのも、この時期の御三家の家 格は、家康との血縁関係が密なので、逆に低かったように聞いてい ます。見方をかえれば将軍家にとって、ライバルにもなる可能性が あり、そして、取り潰しの対象にもなりかねないのですが。 Time : 1999/12/20(月) 18:07:37
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 議論で絶対に負けない方法 Comments: Awajiさん、海野さん、みんさん、こんにちは。今回はこのよ うなタイトルで「南朝正統論」の議論をしたいと思います。私にも 海野さんのような文章力があれば、こんな拙い議論をせずにすんだ かも知れないのですが、私には文章力も!ないので仕方ありません。 まぁ、そんなことはさておき: 「議論で絶対に負けない方法」は色々とあると思いますが、一番単 純なものは、「負けそうになったら議論そのものをブチ壊す」とい うものです。例えば、 1:相手の根拠を絶対に認めない; 2:話題を不必要に拡大して、論点を絞らせない; 3:相手を侮辱し、冷静な議論をさせない; 等々です。それから、「敗北宣言」とは、「相手の理解力のなさを 侮辱し、議論から撤退する」ことでしょうか。 Awajiさんの「議論打ち切り宣言」はてっきり敗北宣言なのか と勘違いして「批判のための批判」とマトメさせてもらったのです が、そうでもないようなので、議論を再開させたいと思います。 ところで、私の「南朝正統論」に関するAwajiさんとの議論は 言わば「負ける気」でやっております。博学なAwajiさんと無 知な私とでは、普通は、最初から勝負が見えているようなものです。 それに、私は上記の「絶対に負けない方法」の逆をやっています。 すなわち、 1:Awajiさんの根拠を全面的に認めている; 2:話題を絞りに絞り、Awajiさんの土俵で議論している   (具体的には、共通言語の確立している1911年時点に話を 絞っている); 3:Awajiさんの侮辱発言に対して侮辱発言で応酬しない; をモットーにしています。私は無知ですが、それだから逆に、議論 の相手としてはかなり制御しやすい相手だと思いますが、如何でしょ うか? 前置きが長くなりましたが、議論を再開したいと思います。現在の 議題は共通言語の確立している「1911年時点での南朝正統論の 主要因は何か?」です。Awajiさんの主張は「朱子学をリゴリ スティックに適用したため」であり、私の主張は「治世上で都合が よいから」です。 Awaji wrote: > なお、貴方は「治世上で都合」がよいから、とされるのですね? > 要するに「怨霊鎮魂」ではないと、おっしゃっているのでしょう > ・・・違いますか?? 1911年の時点にフォーカスすれば、「怨霊鎮魂的な要素は薄い」 と以前書きました。2、3度書いたと思います。 #最も「怨霊鎮魂」は宗教である一面を持ちながら、そうでない一 #面も持っているので、色々と難しいのですが。 Awaji wrote: > これは、Awajiの意見と基本的に同じなのですよ・・・ いえいえ、以下の2つの点で、基本的に異なります。 A:「リゴリスティック」 大きな違いは「リゴリスティック」という単語です。2重の意味で 私は否定します。1つは、「日本版朱子学は朱子学をリゴリスティッ クに適用しなかった」そしてもう1つは「その日本版朱子学ですら リゴリスティックに適用しなかった」です。前者については、現在 の所、共通言語が存在しないので、議論はできないのですが、後者 については議論可能でしょう。 I wrote (12/9): > 私がここで述べたかったことは「治世上都合悪いとき(たとえば、 > 討幕を決意した時など)には適用しなくって、治世上都合がよい時 > に適用することを、リゴリステッィクに朱子学を適用したと言うの > かどうか?」です。表現が婉曲的過ぎますか? に対する反論をお待ちしています。 B:「1911年時点に限定しなければ。。」 「南朝正統論」に朱子学が大きな役割を果たしていることは、多く の人が認めていることでしょう。井沢先生も、そして恐らく歴史学 者も賛成していることでしょう。私も異存はないです。しかしなが ら、1911年の一時点に絞ると、「朱子学の影響はほとんどない」 と私は主張しています。 Awaji wrote (12/4): > 今回の議論は、「何故南朝が正統とされたのか?」だと思います。 > とすれば、「南朝が正統とされた時期」つまりは1911年にフォーカ > スせねばならないでしょう? と述べられている以上、全く異なる意見とみなすしかありません。 50年ないし100年のスパンで見れば、朱子学が主要因と言って も構いません。しかし、この考え方を許せば、2000年のスパン で見ることも許されますネ。 「1911年時点に議論を絞る」事はAwajiさんの主張ですし、 唯一議論が成立する箇所です。得られるものは少ないかも知れませ んが、議論の突破口になる可能性は十分あります。 それに、「南朝正当論」の議論としては、ちっぽけな議論になります が、非常に大きな話題を含んでいると考えています。すなわち、「歴 史的な事実に対する主要因は、その事柄が起こった時点に限定して考 察すべきかどうか。またその有用性についてはどうか」ということを 議論していることになるからです。言いかえれば、この議論によって “「主要因」の定義を定めたい”のです。 以下は補足です。 I wrote: > 日本の始まりから1999年(1911年ではない!)までを眺めれ > ば、つまり全部眺めれば、顕幽分離的な要因が浮かび上がってきます。 Awaji wrote: > ・・・支離滅裂とは思いませんか??? 同じ事柄でも、眺める角度や深さが変われば、異なる意見が出てく るのは当然です。最も、異なると言っても「何が主で何が副か」あ るいは「何が表層で何が深層か」という程度の話ですヨ。 それに、支離滅裂かどうかは議論後でも述べられますネ。 Awaji wrote: > 貴方の云う「批判のための批判」って、一体何なのですか??? この場合に関して、一言で言えば、「相手の歴史観を無視して、自 分の歴史観のみを唯一正しいものとして、批判すること」です。 Awajiさんの投稿目的が井沢批判にあることは、誰でも知って いることです。Awajiさんがどのように表現しようとも、みん な分かってます。従って、Awajiさんの意見に一分の理がある 場合は、単なる「批判」です。そうでない場合は「(井沢)批判の ための(無意味な)批判」になる訳です。 Awaji wrote: > Awajiは、一定の論拠を示して・・・「南朝正統論」を「怨霊鎮魂」と > 解釈することは、妥当性を欠くと申し上げているのです。 > その上で、仮に「怨霊鎮魂」と解釈されるならば、その論拠を示して > 下さいと申し上げた筈です。 それならば何故議論を打ち切るのですか?「共通言語」の定まった 箇所からでも始めて下さい。そして、「主要因」という言葉の定義 が定まったら、「怨霊鎮魂」の議論に戻りましょう。 Time : 1999/12/20(月) 18:13:38
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : TAKATOKUさん はじめまして! Comments: あんまり勝ち負けにこだわるよりも^^; 有益な意見交換の場として 考えたほうが平和です^^; 感情的な応酬よりも 冷静で楽しい意見交換のほうが 「井沢スクール(学派)」には ふさわしい(笑) 「わをもってたっとしとなす」(笑) また 井沢先生の説を全部支持する義理はないわけですし 逆に (建設的で)批判的な意見は われわれをより豊かにすると思います 井沢史観が「なんでも怨霊言霊史観^^;」といわれるのは そのとおりでしょう その有効射程距離を考えるのには 批判的な意見は貴重だと思います 井沢史観でさえも 相対的に評価すべきでしょう 日本史は あんまりくわしくないので質問には即答できません(笑) 調べてきま〜す^^; 中国やヨーロッパじゃ「南朝正統論」は主張しただけで処刑ではないでしょうか? イスラームじゃ 第4代カリフ・アリーの子孫が正統だと主張する シーア派みたいに 永遠にスンニ派と対立するのが筋 明治帝が「南朝正統論」を採用するのは スンニ派がシーア派の教義を 採用するようなもので 奇妙としか言いようがない というか 南北朝最終統一の「ウルトラC」なのかもしれません^^; Time : 1999/12/20(月) 18:59:59
Name : ina E-mail : Title : TAKATOKUさん はじめまして! Comments: こんにちは みなさん  今の議論、始めはどうも理解できなかったのですが、最近じっくり読んでいま す。  TAKATOKUさんは冷静にやってらっしゃるので、好感を持っていますが、191 1年問題についてはAwajiさんの意見と同じように思えます。下の反論Aについては、言葉の上ではそう言えますが、実際はAwaji説と同じだと思います。    あと思うのは、議論の展開については井沢ファンとあ、学派とかいうのを持ちこ むのはどうかな?と思っています。  議論をしていけば、蓋然性の高低、というものはある程度クリアになってくる わけですが、たとえば最後の段階で、「それでも邪馬台国は宇佐にあった」と いうのはいいでしょう。しかし論理構築に井沢ファンだからとか、アンチ井沢だ から、という話しは関係ないと思っています。  少なくともAwajiさんの論理展開に井沢説だからどうこう、、というのは 見られないと思いますが。 Time : 1999/12/21(火) 04:12:24
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 水戸光圀と藤沢元蔵 Comments: ◇inaさんへ◇ はじめまして >あと思うのは、議論の展開については井沢ファンと >あ、学派とかいうのを持ちこむのはどうかな?と思っています。 これはそうですね 他人に押し付けるべきではないですね 私個人は 「学説の日本史」愛読者として 井沢スクール(ド素人日本史探偵団?)に勝手に所属しているつもりです(笑) ◇TAKATOKUさんへ◇ >海野さんのような文章力があれば いや〜 文章力があるなんて言われたのは生まれて初めてです(照) 中学校のとき 国語の先生に「おまえは日本人か?」と言われるほどの 国語力でした(笑)読点のつけ方が いまだに理解できない・・・ >『逆説の日本史』を読む限り、南北朝合一時では「北朝正統」だった訳です。 >いつしか「両朝並立」になり、そして、1911年に「南朝正統」に >なりました。この「両朝並立」になった時期・経緯等ご存知でしたら教えて >下さい。「南朝正統」になった要因と深い関係がある気がするのです。 1911年まで 皇位の事実状態としては「北朝正統説」でしょう 孝明帝が「百二十二代孫」と北朝の系統による代数で自署しているのが 証拠だそうです 「両朝並立説」は 明治以後儒学から歴史学が切り離されて 「こうあるべき」という倫理的判断と関係なく 事実を素直に観察すれば「両朝」が並立しているという学者の立場でしょう 明治44年の教科書問題は 「両朝並立説」が「南朝正統説」に攻撃された わけですが 結末は 明治帝ならびに明治政府が 「北朝正統説」を放棄し「南朝正統説」を採用することになります すぐに明治帝は崩御されるわけで かんぐれば この時の「不孝」な決定に 悩まされたのではないかと思います また最初に 教科書にナンクセつけた藤沢元蔵代議士ってのも 謎なんです >もう一つは、“水戸光圀の『大日本史』は徳川将軍家の権威を >高める為に作成されたものなのでしょうか?”です。 うーん 確かに「将軍家の権威を高めるため」ではないようです 将軍綱吉と仲が悪かった(官位をあげてもらえなかった)光圀公ですからね〜 「皇統を正閏し 人臣を是非し あつめて一家の言を成す」ため つまり 光圀の個人的好みのためのようです 綱吉政治に対する 怨念の集大成か? 将軍家への呪いか?(笑) >私はこれといった意見を持っていないのですが、単純にそう考えて >よいのか疑問に思っています。というのも、この時期の御三家の家 >格は、家康との血縁関係が密なので、逆に低かったように聞いてい >ます。見方をかえれば将軍家にとって、ライバルにもなる可能性が >あり、そして、取り潰しの対象にもなりかねないのですが。 水戸藩は不思議な藩で 参勤交代は免除されて江戸定府する「唯一」の藩です 一方で 御三家と言っても 尾張・紀州は藩主は 従二位権大納言になれるのに 水戸藩主は 従三位権中納言で 明かに同格ではない 「副将軍」というのが何に由来するのか 現在調査中です また 山岡荘八「伊達正宗(六)」に >水戸の修史事業が 家康の遺言とも言うべき「公家法度」に出ていることを >的確にしている歴史家は少ない とあるのですで こちらも調査中です 山岡先生なので 怪しげですが(笑) Time : 1999/12/21(火) 16:07:43
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 認知・非認知 Comments: inaさん(初めまして!)、海野さん、Awajiさん、みなさ ん、こんにちは。今回はこのようなタイトルではじめたいと思いま す。「認知・非認知」といっても、私に認知しなければいけない子 供がいるとか、いないとかの話ではありません。まぁ、こんなアホ な話はさておき: 海野さん、情報提供ありがとうございます。一気に話が難しくなっ てきましたね。私の頭では、ちょっと消化しきれないので、2・3 日猶予を下さい。 っという訳で、inaさんへの返事モードです。 ina wrote: > 191 > 1年問題についてはAwajiさんの意見と同じように思えます。下の反論Aに > ついては、言葉の上ではそう言えますが、実際はAwaji説と同じだと思います。 inaさんの思想背景が不明なので、行間が読みきれません。した がって、一つ確認させて頂きたいのですが: A:Awajiさんの提供された根拠と「治世上での都合良さ」が 同じなのか? B:それとも、「朱子学をリゴリスティックに適用した」と「治世 上での都合良さ」が同じなのか? C:それとも、「1911年の一時点に限定する」というのは、暗 黙のうちに「50年ないし100年のスパンで考える」ということ になるのでしょうか? どれに当たる(あるいは当たらない)のでしょうか? Aであれば、inaさんと私の考え方は近く、inaさんと Awajiさんの考え方は遠いですヨ。Awajiさんと私は同じ 根拠を元にして、別々な結論を導いているのですから。 Bの可能性はなさそうですが、Bならば、inaさんと(前回投稿 時の)Awajiさんとは近く、inaさんと私の考え方はかなり 違います。 「朱子学」という非常に妥協を許さない宗教を「リゴリスティック」 に適用するのです。それは「治世上での都合良さ」と同じになるよ うには見えません。「朱子学をリゴリスティックに適用した」とい う表現はむしろ「治世上での都合悪い時」に用いられると思います。 Cはある意味、常識的な考え方です。私の考えにも再び近づきます。 しかしながら、また「主要因」の定義から始めなければなりません。 それに、「50から100」がOKならば「2000」でもよいで はないか、という理屈にもつながります。 私としては「治世上」も「朱子学」もそして「怨霊鎮魂」も、全部 主要因とみなして構わない立場です。あんまり「主要因」の定義に コダワッていません。しかしながら、議論相手のAwajiさんは 非常に「主要因」の定義にコダワッているのです。 「常識的」に考えれば、inaさんのご指摘も分かります。しかし、 より厳密な議論をするために、「やや非常識モード」で議論してい るとご理解下さい。 #「主要因」の定義なんて、「常識的」にはしないでしょう? ina wrote: > しかし論理構築に井沢ファンだからとか、アンチ井沢だ > から、という話しは関係ないと思っています。 私の不徳の致す所です。つい、愚痴が出てしまうようです。 井沢ファン、アンチ井沢、そしてどちらでもないAwajiさんに 至るまで、論理構築という点では関係がありません。おっしゃる通 りです。ただ、ちょっと(かなり??)面倒になるだけです。しか しながら、共通言語を探る努力を惜しんではいけませんネ。 ina wrote: > 少なくともAwajiさんの論理展開に井沢説だからどうこう、、というのは > 見られないと思いますが。 これはある意味当然のことなのですヨ。 ここでやっと、タイトルの「認知・非認知」という話になります。 私は(井沢先生もそうだと思いますが)、従来の歴史学のアプロー チの有用性は認知しています。その上で、井沢先生のアプローチの 有用性も認知しているのです。つまり、両方認知しているので、両 者を意識しながら議論をするのです。しかも、両者に対するコダワ リがないので、文字として表現できるのです。 ところが、Awajiさんは、ご本人の表現はともかくとして、 井沢先生の流儀の「非認知」を目的として、議論をしているのです。 もちろん、管理人さんが許可している以上、それはそれで構わない ことです。「井沢流を認めない」ということは、文字で表現される ことはないのです。表現することは「認知」につながるからです。 つまり、文字として表現できない程、「従来の流儀」と「井沢流」 に対する非常に大きなコダワリがあるのです。それで、 Awajiさんがあんなに「主要因」の定義にコダワっているのだ と思います。如何でしょうか? #まぁ、実際に議論してみないと、分からないかも知れませんが。。 Time : 1999/12/21(火) 19:12:55
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「光圀の南朝正統論」?? Comments: 海野 荘一郎さん、はじめまして。Awajiです。 inaさん、すみません。 >>1911年まで 皇位の事実状態としては「北朝正統説」でしょう >>孝明帝が「百二十二代孫」と北朝の系統による代数で自署しているの >>が証拠だそうです おっしゃるとおりでしょうね。しかしながら1911年まで南朝天皇を天皇 扱いしなかった訳でもありません(御陵・追号等)ので、事実状態として は北朝優位の両朝並立と言っても良いと思います。 さらに言うならば、「南北朝」と称される「天皇並立」そのものが、義 満の工作によって「後亀山」が退位し、「後小松」を正統天皇と認めた ・・・南北合体と言う事態により、一旦意味を無くしてしまったような 気がします。 もっと言えば、本来世界史的に見れば、日本には「南北朝」等と言うべ き「王朝対立」は存在しませんね。あくまでも、天皇親族間の「皇統= 継承対立」と考えるべきものでは無いでしょうか? それをワザワザ「南北正閏論」として論じる事自体が、朱子学的リゴリ ズムと言う気がします。ただ一旦論じ始めれば「南朝正統論」に行きつ くしか無いと思いますが・・・・ >>明治時代において 「南朝正統説」が唱えられることそれ自体が「不敬」 >>罪にならないところが 私には興味深い つきつめれば「明治帝の血統 >>は正統ではないあんたは偽者の子孫で 逆臣の傀儡の系統だ」と主張す >>るのだから^^; これも、その延長線上で考えれば良いと思うのですが・・・ 要は、皇族間の継承争いと見れば、突き詰めて考える程のことは無いと 言う考え方も有り得たと思うのです。 しかし維新のイデオロギーが朱子学的「尊王斥覇論」に基づいていたの は事実ですし、そのゆえに単なる皇族間の継承争いとして片づけられな い所まで発展してしまったのも事実でしょう。 一方で「後醍醐」の正統性を否認する理論を構成するのも困難でしょう。 従って、天皇制(君主制)の基本からして、「後醍醐=南朝」を正統と する主張を「不敬」とはなし得ないとおもうのです。 そこで、理屈抜きに両統正統と割り切ってしまう選択肢もあったと思う のですが(事実40数年間はそうしてきたわけです)、それでは二君並立 を認めることになってしまいます。そこで40数年間のアイマイ論を捨て、 敢えて朱子学的リゴリスティック論に転換したと思うのです。 (この転換を「治世の都合」と表現するのは一向に構いませんが、それ では、40年数年間は「治世の都合」は無かったのか・・・1911年に「治 世上の変化」があったのか?と言うことになりますので、明治天皇が国 会でこの問題が取上げられたのをキッカケとして、後世に「祖先に対す る不孝」を犯させず、自己の代でこのアイマイ状態にピリオドを打つ決 断を下した・・・と考えているわけです) つまり、それを説明したのが以下の@〜Eなのです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 従って、以下の理論展開になったのでは無いでしょうか?? @〜C省略 D現皇室は北朝系統であり、その直系祖である北朝天皇を偽帝とするのは 不孝極まりないが、正統性自体については「後亀山」から「後小松」に 譲位され、南北合体がなされているので、法制的には問題は無い。  **法制的と言うのは「大義名分上」と言う意味を含みます。  **現天皇が正統かつ至高の存在である事自体は肯定されます。 E従って、直系祖を逆賊扱いするのは、自己の血統上の正統性に係わる問 題と言う面があるものの、Dの論理でこれを補い、南朝正統論に決定し た。 と言うところが主動機(理由)と考えるのですが・・・言い換えれば、 義(体制)・・・天皇(君主)制における天皇(君主)の絶対性(尊厳) 親(血統)・・・先祖が之を侵した(逆賊)事を天下に公認する不孝 を比較衡量した結果、ある意味では「大義親を滅す」とした明治天皇の苦 渋の選択だと思いますし、理論的には妥当な選択だと思うのですが・・・ おかしいでしょうか?? なお、この決定が明治天皇崩御の前年になされたことも、ある意味を感じ ます。つまり彼はこの様な重大決定を次代に持ち越さず、自己の権威と責 任において決着しておきたかったのかも知れないとも想像します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 何れにしても、「南朝天皇」の崇りを恐れて、「怨霊鎮魂」のために「南 朝正統」を公認したとは思いませんが、この解釈は「一分の理もない」と 云うような、無理な解釈なのでしょうか? >>水戸学もそうで武家(徳川家)の支配を肯定するならば 北朝正統論を >>採用するべきで北朝が正統でなければ >>北朝から政治を委任された室町幕府(武家)の支配の正当性や 徳川幕 >>府の支配の正当性まで揺らいでしまう極めて非政治的な価値判断・・・ >>「皇統を正閏し 人臣を是非し あつめて一家の言を成す」ため >>つまり 光圀の個人的好みのためのようです綱吉政治に対する 怨念の >>集大成か? 将軍家への呪いか?(笑) Awajiは、この点に関しては・・・きんたろうさんの説に近いのですが、 光圀は、「南朝正統論」が将軍家に不利をもたらすとは、想定していなか ったと思っています(斉昭ですらそうです)。 つまり、朱子学的(でなくとも)「君臣の大義」から・・・ @室町(足利)幕府は、その成立に当っては正統天皇からの政治委任を 受けたとは言いがたい。従ってそれに抵抗した新田氏は忠臣である。 Aしかし、少なくとも「南北合体=義満」以降は、(合体)正統天皇か ら政治を委任されたと言える。従って、室町武家政権は正統天皇から 政治を委任されることで、正当化された。 Cこれに比して、江戸(徳川)幕府は、その成立時点において、正統天 皇(合体正統天皇の子孫)から政治を委任されたもので、完全な正当 性がある。 D加えて先祖である(と称した)新田氏は正統天皇(後醍醐)に殉じた 名誉ある家柄であり、子孫の徳川が支配権を認められたのは当然であ る。 (これは付けたしですが、心情的にはそう思ったのでは無いかと思います) 以上によって「南朝正統論」は「徳川幕府」にとって「権威を高める」 ことこそあれ、「不利をもたらす」ものではないと考えたのでは無いでしょ うか? ただこれは、より大きな命題である「尊王斥覇論=武家政権否認論」に 繋がる危険性があったのですが、光圀はもとより斉昭に到っても、朱子 学の君臣の大義を、主として将軍と大名(武士)、大名と陪臣の関係の 規範として理解しており、それ以上の展開は想定していなかったと思う のですが・・如何でしょうか? (きんたろうさんご指摘の「焼き芋」説で、理解できると思います) Time : 1999/12/21(火) 22:58:12
Name : ina E-mail : Title : Hello! Comments: TAKATOKUさん、海野さん、Awajiさん、こんにちは 海野さん、どうもRESをありがとうございました。 TAKATOKUさん、どうもありがとうございます。  はっきり言って、TAKATOKUさんの議論のスタイルは私の好きなものですね。こ のスタイルですと、論点がはっきりして気持ちがいいです。ということで、 TAKATOKU‘S  それに、「50から100」がOKならば「2000」でもよいではないか、という理屈に もつながります。私としては「治世上」も「朱子学」もそして「怨霊鎮魂」も、全部 主要因とみなして構わない立場です。あんまり「主要因」の定義にコダワッていません。 しかしながら、議論相手のAwajiさんは非常に「主要因」の定義にコダワッているの です。 質問  主要因と言うことですが、これはAwajiさんが拘っていると言うより、言葉の意味 の問題ではないでしょうか?つまり、主、という以上、いくつかあるうち、最も大きな影 響力をもったもの、であり、敢えて一つ選ぶ時にピックアップされるべきものを指してい るはずです。とすれば、「治世上」も「朱子学」もそして「怨霊鎮魂」も主、という言い方 は文章としておかしいのでは? もっと下書きは作ったのですが、Awajiさんが書きこみされましたので、今回はこの 位に、、。 Time : 1999/12/22(水) 07:44:57
Name : 輔住 E-mail : Title : 正統論? Comments: Awajiさん、みなさん今日は。 徳川と豊臣のことを書きたいと言っておきながら延びてしまっている輔住です。 今回の議論は全体的にはAwajiさんの意見に賛成ですが 下記の部分は反対です。 >一方で「後醍醐」の正統性を否認する理論を構成するのも困難でしょう。 多少乱暴な言い方ですが勝ったのは北朝です。また当時(南北朝時代) 大半は北朝を支持していました。こういう部分から「北朝正統論」も 理論として成立すると思います。 また3種の神器の観点から「南朝正統論」から一見成立しそうですが、 その観点からいったら少なくても光厳天皇の即位は認めるべきです。 これを認めないのは3種の神器があっても正当な天皇ではないということです。 個人的には南朝正統論を通すとしても 後醍醐→光厳→後醍醐→後村上→(中略)→後亀山→後小松だと思うし、 北朝を正統とすれば 後醍醐→光厳→後醍醐→光明→(中略)→円融→後小松だと思っています。 Time : 1999/12/22(水) 12:22:26
Name : 丸太町七本松にあり E-mail : Title : 基政さんへ Comments: 「日本史総覧U 古代二・中世一」に、 鎌倉幕府諸4職表があり、そこに、 連署、政所執事、問注所執事、評定衆、 引付衆、六波羅探題、鎮西探題、の一覧があります。 ほかに、鎌倉幕府守護一覧もあります。 参考にしてください。 Time : 1999/12/22(水) 15:01:52
Name : TAKATOKU E-mail : Title : TAKATOKU の TOKU は「徳」それとも不「徳」 Comments: 海野さん、みなさん、こんにちは。今回はこのようなタイトルでや りたいと思います。海野さんの21日の投稿は、私のボンクラな頭 では未だ消化しきれていません。従って、20日の海野さんの投稿 の返事モードです。 Unno wrote: > あんまり勝ち負けにこだわるよりも^^; いやー、まさしく「不徳の致すところ」です。 Awajiさんと私の議論は、Awajiさんが相手にしてくれれ ば、Awajiさんの勝ちで終わるでしょう。しかしながら、私と しては、いい勝負(すなわち、いい議論)に持ちこんで、このHP を健全な議論の場にしたいのです。 #私に「勝つ気」はありませんヨ。 「泥をかぶる」つもりです。これが「徳」なのか、不「徳」なのか 分かりませんが。 Unno wrote: > また 井沢先生の説を全部支持する義理はないわけですし > 逆に (建設的で)批判的な意見は われわれをより豊かにすると思います 私もそう思っています。井沢説はもっともっと批判されるべきです。 その為に、「批判のための批判」を排除して、「批判」の場にした いと考えています。ご理解下さい。 Time : 1999/12/22(水) 17:35:31
Name : TAKATOKU E-mail : Title : ノック・アウト Comments: inaさん、みんさん、こんにちは。今回はこのようなタイトルで すが、ノック知事の話をする訳ではありません。またアホなこと書 いてしまいましたが、inaさんへの返事モードです。 ina wrote: > もっと下書きは作ったのですが、Awajiさんが書きこみされましたので、 > 今回はこの位に、、。 ここだけはAwajiさんに内緒なのですが、Awajiさんは私 の意見をほとんど理解していません。したがって、inaさん自身 の言葉で書いていただきたいのですが、如何でしょう? 私の昨日の発言に対してA,B,Cあるいはそれ以外のうちのどれ でしょうか? inaさんの質問に答える前に、もう3つ程質問させて下さい。思 想背景が読めないと文章は書けないので、よろしくお願いします。 その1:「朱子学というヒステリックな宗教をリゴリスティックに 適用する」という言葉で何を連想しますか? その2:1911年当時、後醍醐の実態が庶民にバレていて、もの すごく不評だったと仮定します。この場合に、南朝正統になったと 思いますか? その3:ボクシングの試合をしました。試合前に十分なトレーニン グを行い、かつコンディション調整にも成功しました。そして試合 が始まります。序盤にボディブローが決まって、相手の体力を奪い ました。その効果が中盤に表れました。フェイントが決まり、直後 の顔面へのパンチでKOさせました。さて、KOの主要因は何でしょ うか?(考え方だけでも結構です) Time : 1999/12/22(水) 17:39:18
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 「一分の理もない批判のための批判」と断言した理由 Comments: Awajiさん、海野さん、inaさん、みなさん、こんにちは。 今回はこのようなタイトルで始めさせてもらいます。議論と議論で ないの中間モード(ややこしい??)です。それでは: Awaji wrote: > おっしゃるとおりでしょうね。しかしながら1911年まで南朝天皇を天皇 > 扱いしなかった訳でもありません(御陵・追号等)ので、事実状態として > は北朝優位の両朝並立と言っても良いと思います。 南朝天皇を天皇扱いしたのは、「怨霊鎮魂の為」とかいうオチはつ かないでしょうね? 何故、天皇扱いしたんでしょう? Awaji wrote: > 何れにしても、「南朝天皇」の崇りを恐れて、「怨霊鎮魂」のために「南 > 朝正統」を公認したとは思いませんが、この解釈は「一分の理もない」と > 云うような、無理な解釈なのでしょうか? この解釈に「一分の理もない」と書いた記憶はありません(一体全 体、どの部分をお読みになっているのでしょうか?)。第一、私自 身がAwajiさんの情報を元にしているのですヨ。そんな事書く わけないですネ。「朱子学をリゴリスティックに適用したためで、 それ以外の副要因は見当たらない」というAwajiさんの結論 (特に、後半部分)に対して疑問を持っているだけです。分かりま すよネ? #私の意見をネジ曲げないで!!! ちょっと付けたしさせてもらえば、Awajiさんのこの解釈は、 「朱子学を利用した」あるいは「利用された」だけであり、1911 年時点限定の(形容詞が長い!!)「主要因」にはならないと思っ ています。さらに付け足せば、「治世上の都合良さ」とは後醍醐・ 楠木正成に対する庶民の尊敬・人気とマッチするという意味の都合 の良さです。後醍醐の実態がバレていて庶民に不評だったら、恐ら く、南朝正統にはならなかったと思っています。 それから「怨霊鎮魂」が「祟り」を恐れてする行為かどうか、それ はこれからの議題ですネ? 結論が早すぎます。 ところで、「主要因」の定義はどちらへ行ってしまったんでしょう か? 唯一の議論の係り口だったのですから、返事をお待ちしてい ます。 I wrote (12/9): > 私がここで述べたかったことは「治世上都合悪いとき(たとえば、 > 討幕を決意した時など)には適用しなくって、治世上都合がよい時 > に適用することを、リゴリステッィクに朱子学を適用したと言うの > かどうか?」です。表現が婉曲的過ぎますか? なお、私が「一分の理もない批判のための批判」と結論づけた理由 は何でしょうか? ちなみに、私が「Awajiさんの説に一分の 理もない」と思ったからではありません。Awajiさん自身がそ う認めたからです。つまり、Awajiさんが議論を打ち切って、 敗北を認めたので、「一分の理もない批判のための批判」と申し上 げたのです。議論再開ならば、もちろん、この発言は取り消します が、如何でしょう? Time : 1999/12/22(水) 17:43:40
Name : まいご E-mail : Title : 横入り Comments: おばんでやんす。 >南朝天皇を天皇扱いしたのは、「怨霊鎮魂の為」とかいうオチはつ >かないでしょうね? 何故、天皇扱いしたんでしょう? 実際に天皇だったから天皇扱いをしたのでしょう? >この解釈に「一分の理もない」と書いた記憶はありません(一体全 >体、どの部分をお読みになっているのでしょうか?)。第一、私自 >身がAwajiさんの情報を元にしているのですヨ。そんな事書く >わけないですネ。「朱子学をリゴリスティックに適用したためで、 >それ以外の副要因は見当たらない」というAwajiさんの結論 >(特に、後半部分)に対して疑問を持っているだけです。分かりま >すよネ? 副要因ならいくつでもなんとでもいえる。その中から怨霊鎮魂を特に 導き出す理由に何らかの根拠を副えるほうが先です。 怨霊鎮魂が主要因でないということには同意なさるのですね? >後醍醐の実態がバレていて庶民に不評だったら、恐ら >く、南朝正統にはならなかったと思っています。 あなたは明治の天皇の権力はどの程度のものだと思ってるのですか? 情報操作など御手のものでしょう?後醍醐の実態が何を意味するか わかりませんが、黙っていれば済むことです。条件として考える必要 がありますか?   主要因として怨霊鎮魂が隠されているという事はあなたも否定するのですね? そうでないなら、Awajiさんの主張の意味をよく御読みとりになったほうが いいのでは?あなたの書き方では怨霊鎮魂が主要因であるとしか読めないの です。主要因でないものについては興味がないとAwajiさんはおっしゃって るのでは? >ここだけはAwajiさんに内緒なのですが、Awajiさんは私 >の意見をほとんど理解していません。 ちなみに私もさっぱり理解できません。他の方はわかりますか? ボクシングと南北正閏論にどういう相関関係があるのですか? >「泥をかぶる」つもりです。これが「徳」なのか、不「徳」なのか >分かりませんが。 泥をかぶりたいのなら山野美容学校をお勧めします。(ギャグです おこらないでね?) Time : 1999/12/22(水) 19:48:04
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : うー 下書きしている間にいっぱい書きこみが・・・ Comments: Awajiさん はじめまして >おっしゃるとおりでしょうね。しかしながら1911年まで南朝天皇を天皇 >扱いしなかった訳でもありません(御陵・追号等)ので、事実状態として >は北朝優位の両朝並立と言っても良いと思います。 これには 少し異論があります 「両朝並立説」というのは 直接の利害関係のない学者のみが 気楽に唱えうるもので 当事者達には「正統か偽者か」 「オールオアナッシング」「殺すか殺されるか」の対立だと思います 「御陵・追号等」は死後 故人の願望・意思・プライドを形だけ尊重して (霊魂が存在するという仮定のもとに)怨まれないようにする 懐の痛まない偽善的虚構的行為と思いますので これをもって「両朝並立」と解釈するのは無理があると思います 公定の帝王系図である「本朝皇胤紹運録」では 北朝を正統としている らしいので やはり「北朝正統説」で1911年まできたと 見るべきだと思います >さらに言うならば、「南北朝」と称される「天皇並立」そのものが、義 >満の工作によって「後亀山」が退位し、「後小松」を正統天皇と認めた >・・・南北合体と言う事態により、一旦意味を無くしてしまったような >気がします。 ここらへんも疑問で「譲国の儀式」の約束は反故されてしまいますよね 「逆説の日本史7」のP212に  (1)三種の神器は平氏から義経が奪還したときの故事にならった (2)後亀山帝は 上皇の尊号は認められても「不登極帝に与える礼敬」 とされた という記述があります(たぶん資料があるのでしょう(^^;;;) 事実だとすれば 「北朝正統説」の有力証拠でしょう >もっと言えば、本来世界史的に見れば、日本には「南北朝」等と言うべ >き「王朝対立」は存在しませんね。あくまでも、天皇親族間の「皇統= >継承対立」と考えるべきものでは無いでしょうか? 新鮮な視点だと思います 正閏論といえば 蜀漢と曹魏ですが 異なる帝国=王朝の対立ですしね イギリスの バラ戦争に近いかもしれません ただ「朝」を「天子の政治を行うところ 朝廷」と考えると 場所的には 二つの朝廷があるので 南北朝なのでしょうか >一方で「後醍醐」の正統性を否認する理論を構成するのも困難でしょう。 どうなんでしょう 両統迭立の紳士協定を最初に破ったのは 後醍醐帝ですし 建武の「失政」という 「天皇による滑稽なまでの恣意的独裁政治」の汚点とか 理論化した人はいないのでしょうか? ということで 論点を勝手にまとめると 「南北朝正閏論」の性質を「両朝並立説」が成り立ちうる問題と (「殺すか殺されるか」の問題と) とらえるか否かに違いがあるようです また 1911年の変化を 「北朝正統説」→「南朝正統説」 「両朝並立説」→「南朝正統説」 どちらに考えるかにも 違いがあるようです 以下は また後日 Time : 1999/12/22(水) 20:34:20
Name : くるみ E-mail : Title : TAKATOKUさんへ Comments: 私もあなたの言うことさっぱりわかりません。なんか論旨が明確なようでちっとも 明確でなく、たんに屁理屈をつけてるようにしか思えないのはなぜ?その点Awajiさ んのは正しいかどうかは知らないけれど、とても明快ですよ。最近ちょっと調子に のりすぎよね。わけが分からないから議論を止めたいと言ったら負けを認めたこと になるなんて言ったら、通りすがりさんがお元気だったら何と言ってお怒りになっ たことかしら。 Time : 1999/12/22(水) 20:48:41
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 余談ですが Comments: 長いこと オウム真理教関係の掲示板で 「一連の事件は 国家やユダヤとかのでっち上げだ」と主張する 信者や応援する「キチガイ?」と議論してましたが それにくらべたら ここは天国ですな〜(笑) Time : 1999/12/22(水) 20:49:35
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : げげ 誤解されるかな?(^^; Comments: お互いの立場を尊重しながら 実りある意見交換ができるということです(^^;;; Time : 1999/12/22(水) 21:02:15
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「正統性とは」?? Comments: みなさん、今日は。輔住さん、おひさしぶりです。Awajiです。 ほろ酔いで帰宅してみると、凄い書き込みですので、順次RESします。 輔住さん・・・・ >>多少乱暴な言い方ですが勝ったのは北朝です。また当時(南北朝時代) >>大半は北朝を支持していました。こういう部分から「北朝正統論」も >>理論として成立すると思います。 そうですね。Awajiも乱暴な言い方をしますが・・・実体論ならそれで良 いと思うんですが、理論としてはどうでしょうか? @確かに北朝が勝ちました。勝ったから正統と言うのは「力は正義なり」  と言うことになりかねませんね?チョット正統論とは違うような気がし  ます。 A確かに大半は北朝を支持していました。支持者が多いから正統と言うの  は「多数決原理」と言うことになりかねませんね。(ジョーク気味)  これもチョット違うような気がします。 >>また3種の神器の観点から「南朝正統論」から一見成立しそうですが、 Bレガリア所持の原則でしょうか? これは君主の地位を飾る象徴ではあ  りますが、これを以って正統性を判断すべきかどうかカナリ疑問です。 それでは・・・何を以って日本天皇の正統性を判断すべきか??? 実際には、実体論が大きな意味を持つ事を承知の上で敢えて言えば ・・・以下 @アマテラスの直系孫であること・・・具体的には天皇親族で、臣籍に  降りていない者であること。 A「治天の君」から、次期天皇として指名された者であること。  (多くの場合は、「治天の君」から、東宮宣下を受けた者であること) B朝議(参議以上の朝廷意思決定機関)において推戴された者であること。   C「承久の変」以降は・・・幕府(武家政権)の賛同を得た者であること。 以上の順で各条件を満たし、践祚・即位の儀を経たものでは無いでしょう か??(勿論ご異議はあると思いますが・・・) 「三種の神器」は、このAを象徴的(外見的)に示すものとして、重視さ れたものではあっても、所詮それ以上の意味は無いと思います。 (後鳥羽は、安徳生存中に神器無しに、後白河の聖旨で践祚しています) 仮に、この観点から見れば・・・「後醍醐」は何処から見ても正統天皇で あり、かつ「治天の君」だったと思います。 従って、如何に得手勝手な人間であっても、彼が譲位(退位)を認めない 限り彼の地位は不動であり、彼の意思に反して正統天皇たり得ない・・・ これが日本におけるリゴリスティックな「君主制の大義」では無いかと思 うのです。 >>個人的には南朝正統論を通すとしても >>後醍醐→光厳→後醍醐→後村上→(中略)→後亀山→後小松だと思うし、 >>北朝を正統とすれば >>後醍醐→光厳→後醍醐→光明→(中略)→円融→後小松だと思っています。 93 95 96 94 後伏見ーー花園 後醍醐ーーー後二条 │A B │ 97 光厳ーーー光明 後村上 │C D │ 99 98 祟光ーーー後光厳 後亀山ーーー長慶 │ │ E (栄仁) 後円融 │ │100 (貞成) 後小松 │102 │101 後花園 称光 │ 103 後土御門 1318年 ○後醍醐 践祚 1321年 ○後醍醐 親政(治天の君) 1326年 △光厳 立太子 1331年 討幕挙兵 ○後醍醐幽閉 同 △光厳 践祚 1332年 ○後醍醐 隠岐配流 1333年 ○後醍醐 復位・△光厳 廃立(鎌倉幕府滅亡) 1336年 △光明 擁立即位・○後醍醐 吉野脱出(南北朝並立) 1338年 △崇光 立太子 1339年 ○後村上践祚・○後醍醐 崩御 1348年 △光明 譲位・△崇光 践祚 1351年 △崇光 廃立・尊氏、義詮 南朝に下る 1352年 △後光厳 践祚 1364年 △光厳 崩御 1368年 ○後村上 崩御・○長慶 践祚 1371年 △後光厳譲位・△後円融 践祚 1374年 △後光厳 崩御 1380年 △光明 崩御 1382年 △後円融 譲位・△後小松 践祚 1383年 ○長慶 譲位・○後亀山 践祚 1392年 ○後亀山 退位・△後小松 合体天皇 1393年 △後円融 崩御 1394年 ○長慶 崩御 1398年 △崇光 崩御 (以上・・・蒙御免です) まず@の観点からすれば、全員合格です。 次にAの観点からすれば、後小松は(例え詐術によるものであっても) 後亀山からも承認(追認)されていますので、合格です(以下同)。 後亀山が帰京せず、後醍醐同様に吉野で頑張り、息子を践祚させれば チョット問題があるでしょうがノコノコ帰京してしまっては、後小松 を認めたことになると思います。 それでは、 光厳は・・・本来、大覚寺・持明院の両統迭立の盟約からしても、後 醍醐の後継者たるべき人物です。しかしながら後醍醐の意に反し即位。 後醍醐復位(重祚ではない)とともに廃立されてしまったので、合格 取消しと言うところでしょう。 光明は・・・これが一番問題でしょうが、後醍醐から践祚されたとし ても、即位前に後醍醐の吉野脱出で践祚取消し?とすればチョット合 格とは言い難い。(以下、崇光・後光厳・後円融まで同様) 後村上・・・後醍醐により践祚され、即位しているので合格とせざるを 得ない(以下、長慶・後亀山まで同様) となるのだと思います。 なお、Awajiの本音は・・・親戚の本家争いなんだから、ドッチモド ッチで両統並立で良いじゃないか・・と言うところなんですが、「天 に二君無し」に拘るならば、光明即位後も後醍醐が退位を否定して頑 張っている以上、光明の即位について瑕疵を認めざるを得ないのかな (南朝正統論)・・・と言うところです。 Time : 1999/12/22(水) 23:39:39
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「ワカラナイモノはワカラナイ」 Comments: TAKATOKUさん、今日は。Awajiです。 >>Awajiさんは私の意見をほとんど理解していません。 全くおっしゃるとおりです。Awajiの全ての言語能力・論理解析力・歴史 知識を動員しても、貴方のおっしゃっていることは理解出来ないのです。 これを敗北宣言とされるならば、それも結構です。敗北宣言をした者の 意見(批判)は、一分の理もない批判のための批判だと強弁されるなら ば、それも結構です。要するに理解出来ないものについては、反論出来 ないのです。 Awajiの意見に対する評価は、皆さんにお任せいたします。 ただ、念の為・・・貴方が再三掲載されている >>ところで、「主要因」の定義はどちらへ行ってしまったんでしょうか?  >>唯一の議論の係り口だったのですから、返事をお待ちしています。 >>I wrote (12/9): >>私がここで述べたかったことは「治世上都合悪いとき(たとえば、 >>討幕を決意した時など)には適用しなくって、治世上都合がよい時 >>に適用することを、リゴリステッィクに朱子学を適用したと言うの >>かどうか?」です。表現が婉曲的過ぎますか? について申し上げます。先ずここで言われる「主要因の定義」と言う 意味が分かりませんが・・・それはさて置き本論についてです。 正直云って反論も何も・・・ご質問の意味が全くわかりません。 「討幕を決意した時」この主語は何ですか(誰が決意した時ですか)?? 討幕を決意した・・・のは薩長討幕派のことでしょうか? それとも勤皇浪士のことでしょうか? 或いは天皇(朝廷)ですか? 「討幕を決意した時=治世上都合悪い時」とは、どの時期ですか? おそらく幕末のことだと推察しますが、それで良いのですか? ただ、同じ幕末でも決意した主体によって、時期は微妙にズレルんです よね。 まあ何れにしても幕末時に「治世上都合が悪い」の主体は「治世責任を 有していた」徳川幕府(将軍家)でしょうね? 一方「治世上都合が良い時」の主体は維新以降「治世責任を有していた」 明治(天皇)政府ですよね? 当然に同じ問題(尊王斥覇)に関しても、両者にとって、治世上の都合 の良さ、悪さは相反しますよね。 相反する主体が、同じ問題をリゴリスティックに適用するかを問題にさ れているのでしょうか? 要するに・・・一体何を問題にされているのか・・・申し訳ありません が、Awajiの能力では理解不能なんです。 なお、貴方が「治世上の都合」とおっしゃっているのは「天皇(君主) 制の原理=天に二君無し」のことだと誤解していました。だからAwaji と基本的に同じだと申し上げていたのですが・・・後醍醐・楠木正成に 対する庶民の尊敬・人気ですか・・・何をかいわんやです。 >>「朱子学をリゴリスティックに適用したためで、それ以外の副要因は >>見当たらない」というAwajiさんの結論(特に、後半部分) Awajiは、そんな事は言っていません・・・・以下 >なお、念の為申し上げますが、ある政治決定が為される場合、その動機 >(理由)が単一と言うことは有り得ません。(我々のような個人の決定 >においてすら、そうですね)当然に様々な複合的動機(理由)がある筈 >です。明治天皇の脳裏に後醍醐の霊安を祈る気持ちが微かに浮かんだか >も知れません。しかし、歴史解釈において重要なのは主動機(主要理由) >でしょう?(これも我々のような個人の行為でも同じです) 11/20 また、井沢さんも・・・「南朝正統論」は「顕幽分離=怨霊鎮魂」と言う 主動機(理由)で解釈されるべきだと主張されているのです・・念の為。 Time : 1999/12/23(木) 01:39:52
Name : ina E-mail : Title : Answer Comments:  こんにちはTAKATOKUさん  答えをまず、、Bです。  では私の思想背景を検討する御質問にお答えしたいと思います。  その前に、私も一応、このHPは一年以上お世話になっていて、KANAK時代 も参加していました。Awajiさんに論争を挑んだこともありますし、何を隠そう、 「それでも邪馬台国は宇佐にあった」といったのは私です。  それはさておき、TAKATOKUさんが雑誌の編集者になったら雑誌がよく売 れるんじゃないでしょうか?はっきり言いまして、楽しいです。  その1  これからは特に連想が湧かない、というか、むしろ朱子学をヒステリックな宗教 とするTAKATOKUさんの思想背景が読み取れるだけですが、、。  rigorism自体はなんらかの議論をすれば当然出てくる行き方でしょう。議論が 紛糾すればするほど。  その2  朱子学をrigorismにのっとって適用すればやはりそうなったでしょう。庶民レベ ルの判官びいきは怨霊信仰だ、と私もかつてAwajiさんに反論していました が、これは1911年の話しには関係してこないでしょう。あくまで政治レベル の話しではないでしょうか。  その3  主要因といえば、直後の顔面へのパンチです。主要因はいくつもいくつも挙げて はおかしいでしょう。  タイソンの中止になる前の復帰試合を五ドル九五セント払って見ていました。  彼の動きは鈍く、インターネットの視聴者参加の判定でも彼は不利。  解説者が彼の動きはまるでスローモーションだ、と言った直後、タイソン必殺の パンチが顔面ヒット。相手はマットに沈みました。これは少し例えが違って申し訳無かったですが、。  判定の場合は主要因が議論の余地があっても、TAKATOKUさんの例は議論の余地なく、最後のパンチが主要因ですね。  ところでノックさん、辞任ですか。フィガロの結婚を昨日見てきたのですが、 全編セクハラの嵐。あの伯爵(領主)も今なら即刻辞任ですね。  Time : 1999/12/23(木) 05:12:52
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「明治政府の正閏論」?? Comments: 海野 荘一郎さん、みなさん、今日は。Awajiです。 まず、明治維新から「南朝正統論」が公認された1911年の間について、 問題を絞らせて頂きます。(これがAwajiのメインテーマですので) >>1911年の変化を >>「北朝正統説」→「南朝正統説」 >>「両朝並立説」→「南朝正統説」 >>どちらに考えるかにも 違いがあるようです 発端は国定教科書記述問題ですね。 Awaji・・・ >南北朝正閏問題は1911年に国定教科書の記述を巡って三上参次・吉 >田東伍・黒板勝美・喜田貞吉等が論戦を繰り広げ、国会でも取上げ >られた結果、第二次桂内閣が南朝正統を閣議決定し天皇裁可により >公認されたものですね。 9/15 海野さん・・・ >>明治44年の教科書問題は 「両朝並立説」が「南朝正統説」に攻 >>撃されたわけですが・・・ 12/21 我々の認識は一致しているわけで、国定教科書は「両朝並立論」だっ たわけですね。 ただ海野さんは、国定教科書は単なる学者の理屈であって、明治(天 皇)政府の公式見解は「北朝正統論」であったと、お考えなのでしょ うね? Awajiは、この「国定教科書記述」と「政府公式見解」を分離して考 えることに疑問を感じているのです。 と言うのは「国定教科書」は、維新以来の近代国民国家形成強化のた めの国民思想教育の根幹であり、正に政府公式見解そのものだと思う のですが、おかしいでしょうか? (これが帝国大学における論議であれば、海野さんのおっしゃるとお りだと思いますが・・・) 従って、明治(天皇)政府自体が、国民に対して「両朝並立論=北朝 も南朝も正統」を教育しているのですから、1911年まで「北朝正統論」 とは見做し難い・・・と思うのですが? 取り敢えず本件を議論し、南北朝対立時代、両朝合体以降の室町時代、 戦国時代、江戸時代(光圀=南朝正統論)に及ぼしたいと思いますが、 如何でしょうか? Time : 1999/12/23(木) 12:44:33
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 南北朝正閏「問題」 Comments: 南北朝正閏「論」とは別に 1911年の教科書問題を 南北朝正閏「問題」というらしいですね >まず、明治維新から「南朝正統論」が公認された1911年の間について、 >問題を絞らせて頂きます。(これがAwajiのメインテーマですので) (略) >取り敢えず本件を議論し、南北朝対立時代、両朝合体以降の室町時代、 >戦国時代、江戸時代(光圀=南朝正統論)に及ぼしたいと思いますが、 >如何でしょうか? 賛成です  いままで 光圀を調べてましたが 面白すぎます(笑) 儒教では正統王朝は永続する必要がない!「大日本史」は易姓革命思想らしい 正統王朝は後小松帝までで あとは徳川家への易姓革命らしいです^^; すると 欠徳の将軍も倒されるべきと・・・ それから 御三家は天皇の直臣という思想を持っていた形跡があるし・・・ (尾張徳川吉通の訓戒を伝えたという近松茂矩「御伝」) >我々の認識は一致しているわけで、国定教科書は「両朝並立論」だっ >たわけですね (゚-゚)(。_。)うんうん  明治43年に文部省編纂の国定教科書「尋常小学日本歴史」の教師用が発行されて その記述が「南北朝並立」も立場をとっていたことが問題の発端 明治43年12月 峰間鹿水らが問題とする 明治44年 1月 読売新聞が社説で文部大臣に善処を要求 明治44年 2月 無所属の藤沢元蔵代議士が質問趣意書を議会に提出 明治43年まで どうしてたのか調査中です >ただ海野さんは、国定教科書は単なる学者の理屈であって、明治(天皇)政府 >の公式見解は「北朝正統論」であったと、お考えなのでしょうね? (゚-゚)(。_。)うんうん >Awajiは、この「国定教科書記述」と「政府公式見解」を分離して考 >えることに疑問を感じているのです。 >と言うのは「国定教科書」は、維新以来の近代国民国家形成強化のた >めの国民思想教育の根幹であり、正に政府公式見解そのものだと思う >のですが、おかしいでしょうか? 論点はここですね 文部省は「国定教科書」をもって 「政府公式見解」とみられるとは思ってもみなかったのではないでしょうか? 問題になって初めて 事の重大さに気がついたような気がします わたしは宮内省の方の動きを調べているのですが 資料がないのですよね〜 事が皇位の正統性に関する限り 宮内省の所管のような気がします 余談ですが >ある意味では「大義親を滅す」とした明治天皇の苦 >渋の選択だと思いますし、理論的には妥当な選択だと思うのですが・・・ (略) >なお、この決定が明治天皇崩御の前年になされたことも、ある意味を感じ >ます。つまり彼はこの様な重大決定を次代に持ち越さず、自己の権威と責 >任において決着しておきたかったのかも知れないとも想像します 「忠(臣を顕彰)ならんと欲すれば孝ならず 孝ならんと欲すれば忠ならず」 平重盛のような苦しみを明治帝に与えて「不忠」な連中ですな(笑) 昨今の 雅子妃への史上最大のセクシャルハラスメントみたいに 言葉は敬語で慇懃だけれど 非人間的な苦しみを平気で皇族に与える 日本人の特性でしょうか? Time : 1999/12/23(木) 17:33:53
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「明治正閏問題・・雑感」?? Comments: 海野 荘一郎さん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>重盛のような苦しみを明治帝に与えて「不忠」な連中ですな(笑) この代議士先生、桂に饗応されて芸者屋で沈没し、議会質問をすっぽ かしたそうですね。大阪からはろくな政治家が出まへんな。(>_<;) >>昨今の 雅子妃への史上最大のセクシャルハラスメントみたいに >>言葉は敬語で慇懃だけれど 非人間的な苦しみを平気で皇族に与え >>る日本人の特性でしょうか? 確かに、今回の女性の人権を無視したマスコミの馬鹿騒ぎは非道い(-_-)" ただ、この点では大英帝国の連中も・・・勝るとも劣らんようで? >>文部省は「国定教科書」をもって「政府公式見解」とみられると >>は思ってもみなかったのではないでしょうか? >>問題になって初めて 事の重大さに気がついたような気がします ただ、忠良なる臣民にとっては、お上(天皇)のお説きになる歴史観 だったでしょうし、文部官僚がそれに気づかなかったとも思えないの ですが・・・もう少し調べる必要があるかも知れませんね。(・・?) 明治43年までの明治(天皇)政府の見解については、楽しみにしてい ます。Awajiも機会があれば確認しますが、以前に別件で皇室典範制 定(明治22年)に関する貴族院議事録を読んだ時には、睡魔に襲われ、 イマイチポイントが掴めませんでした。(>_<;) なお、明治初期に楠木一族に対する追贈位の大奮発が行われますね。 楠木正成・・明治元年 従一位、明治13年 正一位、明治31年皇居前銅像 楠木正季・・明治13年 正三位 楠木正行・・明治6年 従三位、明治30年 従二位 楠木正時・・明治22年 正四位 彼等は、北朝に徹底抗戦したわけで、北朝正統論からすれば逆臣スレス レですね。まさかこの追贈位が、怨霊鎮魂とは思えませんし、治世の都 合とやらでも無いと思うのですが・・・やはり「尊王斥覇」の立場で、 強大な覇者(足利)に抵抗した、「天皇家」の大忠臣として顕彰したの では無いでしょうか? とすれば・・・・・ 因みに、帝国陸軍最強をウタワレタ?大阪八連隊のシンボルは菊水でし た。(また負けたか八連隊・・・それでは勲章九連隊) ・・・・・・ゴミレスでした。 Time : 1999/12/24(金) 00:08:58
Name : 輔住 E-mail : Title : Re:救世観音と「正統性とは」?? Comments: Awajiさんご意見ありがとうございます。 以下、私の返信です。 >@確かに北朝が勝ちました。勝ったから正統と言うのは「力は正義なり」 > と言うことになりかねませんね?チョット正統論とは違うような気がし > ます。 でも現実としてそういうものも必要ですよね。 後醍醐も力で鎌倉幕府を倒して 持明院統から皇位継承権を奪おうとしました。 >それでは・・・何を以って日本天皇の正統性を判断すべきか??? >実際には、実体論が大きな意味を持つ事を承知の上で敢えて言えば >・・・以下 >@アマテラスの直系孫であること・・・具体的には天皇親族で、臣籍に > 降りていない者であること。 >A「治天の君」から、次期天皇として指名された者であること。 > (多くの場合は、「治天の君」から、東宮宣下を受けた者であること) >B朝議(参議以上の朝廷意思決定機関)において推戴された者であること。   >C「承久の変」以降は・・・幕府(武家政権)の賛同を得た者であること。 これはAwajiさんの言う通りだと思います。 ではこの条件で北朝と南朝を比べてみます。 @はAwajiさんの言う通りどちらも問題ありません。 Aは後光厳以後は北朝は減点でしょうね。3上皇も連れ去れましたから。 でもそれ以前は別です。 >光明は・・・これが一番問題でしょうが、後醍醐から践祚されたとし >ても、即位前に後醍醐の吉野脱出で践祚取消し?とすればチョット合 >格とは言い難い。 北朝から見ればそんなことはありません。後醍醐から光明に皇位が 移った時点で後醍醐は「治天の君」ではなく「ただの上皇」です。 「治天の君」は光厳上皇が「治天の君」です。 北朝からみれば吉野脱出した後は「まだ自分は天皇」と言い張る 法螺吹きにすぎません。 (南朝にAがないというわけではありません!北朝から見てです) Bはどちらも問題ないと思います。強いて言えば 朝議の構成員の妥当さからいうと北朝が若干有利に思えますが。 Cはどう見ても北朝有利でしょう。南朝は「武家政権」など認めていません。 相対的に見ても6:4で北朝有利に見えますが。 Time : 1999/12/24(金) 11:55:11
Name : TAKATOKU E-mail : Title : オモシロイ Comments: 海野さん、みなさん、こんにちは。 Unno wrote (12/23): > 儒教では正統王朝は永続する必要がない!「大日本史」は易姓革命思想らしい > 正統王朝は後小松帝までで あとは徳川家への易姓革命らしいです^^; > すると 欠徳の将軍も倒されるべきと・・・ 面白すぎます!! ところで、こういうものはどこで調べるのでしょうか? 市販されている本なんかじゃ、ダメでしょうね。 Unno wrote (12/20): > あんまり勝ち負けにこだわるよりも^^; > 有益な意見交換の場として 考えたほうが平和です^^; Unno wrote (12/22): > 長いこと オウム真理教関係の掲示板で > 「一連の事件は 国家やユダヤとかのでっち上げだ」と主張する > 信者や応援する「キチガイ?」と議論してましたが あれれ、なんか矛盾しているような。。 海野さんの経歴も面白そうですネ。 Time : 1999/12/24(金) 17:38:18
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 主要因・主動機 Comments: Awaijさん、海野さん、inaさん、くるみさん(初めまして!)、 みんさん、こんにちは。前回の投稿で一気に悪役になれるかな、と 思ったら、みんな冷静ですねぇ。私のジョーク(しかも、辛し明太 子入りです!!)が通じるのでしょうか? それとも、読者は4, 5人なんでしょうか? まずは、Awajiさんに。「批判のための批判」は訂正させて頂 きます。失礼しました。海野さんとのレベルの高い議論を期待して おります。時々横槍をいれると思いますが。 海野さんのレベルが高いので、「主要因」の定義など、地道な話題 は後回しにした方がよいですね。 という訳で、以下は補足です。 何故、私の意見が全く通じないのか、あれこれ考えたのですが、混 乱の原因は「主要因」と「主動機」の違いでしょうか? 私も「通史的な観点で見た主動機」と何度か誤って書いてしまった ようですが、これは、もちろん「主要因」の誤りです。「動機」な らば、今回の議論では、1911年時点に限定するよりないです。 50年継続したものでなければ「50年のスパンでみた主動機」と は言えない訳ですから。 「主動機」、すなわち「1911年時点の主要因」ならば、これま での議論をふまえて、「怨霊鎮魂の影響は薄い」、すなわち、無視 してよいと主張します。 「50年のスパンでみた主要因」を「朱子学の影響」としたのは、 「朱子学」を用いて討幕を成功させ、さらに、治世に生かしてきた 訳です。その50年分の蓄積を考えれば、「朱子学」を主要因と見 る訳です。 「1911年時点の主要因」という書き方をすれば、その50年間 の蓄積を無視して、その当時おかれた状況だけで判断すると考えま す。後醍醐を神聖なものとしてきた50年間を無視するのです。単 に、後醍醐は神聖なものと国民は「思っている」、という状況です。 もちろん、そう「思わせた」のですが、それは無視するのです。 「通史的な観点でみた主要因」というのは、まぁ、誤解を避ける為 に、「14世紀から1911年までのすべてを考慮した主要因」と しましょうか。南朝天皇に対する天皇家の扱い、『太平記』の流行、 朱子学の流行(南朝を正統としない朱子学もあるそうですが)、等々、 すべてを考慮する訳です。主語についての問題はあります。 Awaji wrote: > まあ何れにしても幕末時に「治世上都合が悪い」の主体は「治世責任を > 有していた」徳川幕府(将軍家)でしょうね? 書き方がまずかったですが、主語はもちろん、明治天皇・明治政府 です。文脈で分かりませんか? 討幕を決意して、明治天皇を担ぎました。幕府方と多少の戦争があっ たのですが、その時点で南朝を正統とする事ですから、ここでの 「治世上都合が悪い」は、「士気が上がらない」くらいに解釈して もらいたいのですが。明治天皇を偽者扱いするだけでなく、それに、 南朝は負けたので、かなり縁起が悪いです。 I wrote: > 「朱子学をリゴリスティックに適用したためで、それ以外の副要因は > 見当たらない」というAwajiさんの結論(特に、後半部分) Awaji wrote: > Awajiは、そんな事は言っていません・・・・以下 「それ以外の副要因」とは「無視できる副要因」のことを指しませ ん。「無視できない副要因」のつもりです。 #言葉は難しいですネ。 Awaji wrote (12/21): > おっしゃるとおりでしょうね。しかしながら1911年まで南朝天皇を天皇 > 扱いしなかった訳でもありません(御陵・追号等)ので、事実状態として > は北朝優位の両朝並立と言っても良いと思います。 もっとも、これが「怨霊鎮魂」の為でなければ、Awajiさんと 私の議論は自動的に終了ですガ。。 Time : 1999/12/24(金) 17:42:57
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 納得々々 Comments: inaさん、海野さん、Awajiさん、みなさん、こんにちは。 私の意見が全く通じないので、私だけ別な言語世界にいるのか、と 誤解していました。inaさんの加入で誤解が一つ解けました。あ りがとうございます。もちろん、一つ解決ということは、別な問題 が発生した訳になるのですが。。 Ina wrote: > 答えをまず、、Bです。 アレレ、これだけは無さそうな気がしましたが、そうですか。しか しながら、 Ina wrote: > その2 > 朱子学をrigorismにのっとって適用すればやはりそうなったでしょう。 ... > これは1911年の話しには関係してこないでしょう。あくまで政治レベル > の話しではないでしょうか。 と、この想定質問で謎が解けました(想定質問はかなり有効な手法 ですネ!)。この考えでいけば、私でも、Bになります。これを大 前提とすれば、私もAwaji説に賛成しますヨ。 #しかしながら、こんな状況でも南朝正統になったならば、別な要 #因もありそうですが。。 別な要因というのは、もちろん「怨霊 #鎮魂」で、しかもかなり「濃い」要因になる気がします。ただ、 #井沢先生の文章からでは、私には、そんな風に読み取れません。 発生した別の問題というのは:私はもし後醍醐が不評であれば、 「北朝正統」あるいは「両朝並立のまま」になったと思うのですヨ。 南朝を正統とするメリットがないからです。教科書に後醍醐の実態 (すなわち、不徳ぶり)がズラズラと書かれていれば、「南朝正統」 に何ぞなりえない気がするのですが。みなさんは、そう思われてい ないようですネ。海野さんもそうですか? #不思議だなぁ? Ina wrote: > その3 > 主要因といえば、直後の顔面へのパンチです。主要因はいくつもいくつも挙げて > はおかしいでしょう。 おー、分かりやすいですネ。この考え方はAwajiさんに近い? ですね。そして、私からは最も遠い!! ものすごーい、フェイン トが決まってもパンチが主要因なのですよね? サッカーのタトエにすればよかったかなぁ? 中田が、キーパーも 外すものスゴーイ、スルーパスを出して、それをフリーのゴン中山 が受け、無人のゴールにシュートして決めても、主要因はゴン中山 のシュートと言うんですよネ? 一口に井沢ファンと言っても、色々なんですねぇ。 残りは補足です。 Ina wrote: > その1 > むしろ朱子学をヒステリックな宗教 > とするTAKATOKUさんの思想背景が読み取れるだけですが、、。 この部分は井沢先生の説です。 Ina wrote: > TAKATOKUさんが雑誌の編集者になったら雑誌がよく売 > れるんじゃないでしょうか? ご、ご、ご冗談を! 私の場合はまず日本語の勉強からですなァ。 Time : 1999/12/24(金) 17:46:05
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : とりあえず年表を作成 Comments: イブなのに〜(怨) http://unno.m78.com/historico/nambokuyear.htm 辞めさせられた喜田貞吉博士と小笠原文相の回顧録の抜粋みつけました 現在 解読中です Time : 1999/12/24(金) 18:12:38
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : TAKATOKUさんへ Comments: >面白すぎます!! >ところで、こういうものはどこで調べるのでしょうか? >市販されている本なんかじゃ、ダメでしょうね。 まず 図書館の日本史関係の辞典類をひきまくります 今回は「南北朝」「徳川光圀」「水戸」 吉村弘文館の「國史大辭典」がなかなかいいです 「大日本史」が革命思想らしいことは この「國史大辭典」に出てました つぎに 真面目本を読む 最後に 歴史トンデモ本(笑)を疑いながら読む 今回発見のトンデモ本は 「日本王朝興亡史」鹿島昇 「徳川十五代の闇史」小林久三 あくまでも 疑って読むこと 内容は支離滅裂の一言(笑) >Unno wrote (12/20): >> あんまり勝ち負けにこだわるよりも^^; >> 有益な意見交換の場として 考えたほうが平和です^^; >Unno wrote (12/22): >> 長いこと オウム真理教関係の掲示板で >> 「一連の事件は 国家やユダヤとかのでっち上げだ」と主張する >> 信者や応援する「キチガイ?」と議論してましたが > >あれれ、なんか矛盾しているような。。 この場合はオウム信者と応援者が完全に間違っているのでいいのです もう Awajiさんより過激な?応酬をしてました(笑) オウム信者は勧誘のために冤罪だと宣伝するし 極左セクト連中は オウムに便乗して社会不安を煽るためにオウムを擁護する わけのわからない キチガイも登場する 凄惨な戦いでした(笑) 地下鉄サリン事件の毒ガスは 実は「(純粋)サリン」ではない可能性もあるし 松本智津夫被告は 命令しているだけなので 弟子達が勝手にやったと主張されると てごわい(笑) ちなみに 教団の公式見解は「弟子が勝手にやってごめんなさい」です(笑) Time : 1999/12/24(金) 19:46:53
Name : くるみ E-mail : Title : イブだというのに... Comments: TAKATOKUさん、だいぶ私にも理解できるようになったわ。その調子でわかりやすく お願いね。じゃ、また。 Time : 1999/12/24(金) 19:58:01
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「アイマイストの正閏論」?? Comments: 輔住さん、みなさん、今日は。Awajiです。 RESありがとうございます。 既に申し上げたとおり、Awajiの本音は「ドッチモドッチ」説・・・つまり は、南北両統(not 両朝)並立エジャナイカ説です。 従って、夫々ニュアンスは異なりますが、徳川光圀・新井白石・明治政府 (1911年以降)の「南朝正統論」を推察すれば・・・そして敢えてどちら かに判定せざるを得ないならば・・と言うことですので、ご了承願います。 >@確かに北朝が勝ちました。勝ったから正統と言うのは「力は正義なり」 >と言うことになりかねませんね?チョット正統論とは違うような気がし >ます。 >>でも現実としてそういうものも必要ですよね。後醍醐も力で鎌倉幕府を >>倒して持明院統から皇位継承権を奪おうとしました。 全くおっしゃるとおりで、現実政治は所詮パワーポリティックスの世界で す。 従って、実体論はそのとおりですが、「正統論」は論理(倫理と言うべき かも?)の次元の問題ですから、勝ったのだから論理的に正統だとは言え ないと思うのです。この意見がとおるならば、誰も「正統論」等は論じな いのでは?(「放伐論」ならば、別の問題になりますが・・・・) >>北朝から見ればそんなことはありません。後醍醐から光明に皇位が移っ >>た時点で後醍醐は「治天の君」ではなく「ただの上皇」です。 >>「治天の君」は光厳上皇が「治天の君」です。北朝からみれば吉野脱出 >>した後は「まだ自分は天皇」と言い張る法螺吹きにすぎません。 >>(南朝にAがないというわけではありません!北朝から見てです) おっしゃるとおり、この部分かも知れませんね。逆に南朝からみれば、光 厳は上皇とは言うものの、後醍醐から皇位を取り消されて、文句も言えな かった欠格天皇(言うならば不登極もいいところ)ですから、とても「治 天の君」どころでは無いと言うことでしょう。 光厳が欠格天皇であり、上皇として「治天の君」たり得ないとすれば、光 明も当然減点でしょうし、後光厳はおっしゃるとおり女院からの践祚では、 話しにもならない・・・・Cは確かに南朝からすれば、問題外でしょう。 これは勿論南朝からの見方ですが、後世のリゴリストから見ても、そう判 定されていたのでは無いでしょうか? (もっと単純に北朝は足利の傀儡に過ぎない・・・と断定しただけかも知れ ませんが?) Awajiは基本的にアイマイストですが、どうしてもリゴレと言われれば南朝 に近い見解になります。 大体、尊氏や義詮自体が南朝に降伏して、南朝年号を正当(南朝正統)と 言ったり色々変節するから、余計に北朝の権威(正統性)が揺らぐんです よね。 仮に、北朝(実際には義満)が後亀山との盟約を守って、後小松の次に後 亀山皇子親王を即位させれば「正統論」はどうなるのか・・・アイマイス トとすれば「正閏論者」にチョックラ聞いてみたい気もします。 (歴史にIF無し・・・いえアクマデモ論理としてです) Time : 1999/12/24(金) 20:40:48
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : Re:雑感 Comments: Awajiさん みなさん こんにちは >この代議士先生、桂に饗応されて芸者屋で沈没し、議会質問をすっぽ >かしたそうですね。 桂首相(たぶん山県有朋の意向も)との会談で 急に軟化しましたね〜 この代議士先生の父親が「関西の碩儒南岳翁」と言われる人だそうです ちなみに 藤沢元彦代議士は 井沢先生と一文字違い^^;;; >ただ、この点では大英帝国の連中も・・・勝るとも劣らんようで? 大英帝国の方はダブル不倫ですからね〜(爆) ダイアナ美化は 英国流怨霊鎮魂でしょうか?(危笑) >ただ、忠良なる臣民にとっては、お上(天皇)のお説きになる歴史観 >だったでしょうし、文部官僚がそれに気づかなかったとも思えないの >ですが・・・もう少し調べる必要があるかも知れませんね。(・・?) 責任者の喜田博士の回顧録HTML化してみました http://unno.m78.com/historico/nambokucyou/kida.htm これを読むと 歴史学者として謙虚に事実を記述して 解釈・認定を避けたという感じでしょうか? 今にして思えば「教科書」の両論併記は一つの見識だったと思います 尊敬できる歴史家だったのではないでしょうか? Time : 1999/12/25(土) 16:27:37
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 余談 私家版「孝悌」北朝正統説(笑) Comments: 輔住さん Awajiさん みなさんこんにちは  わたしも 輔住さんにならって北朝正統説をたててみます 南朝の怨霊の皆さん おこらないでね〜 そもそも 古代からの権力闘争は相続法のあいまいさ 兄弟相続なのか 長子相続なのか 実力主義なのかが 一義的に決まっていなかったことによる 儒教においては 長幼の序を重んじ 子は父に従い 弟は兄に譲ることによって 秩序を保とうと考えてきた すなわち 長子相続法こそ儒教にふさわしい相続法である! そこで 長子相続法を基準に皇統の混乱を裁くと そもそも 兄である持明院統と 弟である大覚寺統が 迭立したのが間違いで 持明院統が正統である(笑) また 大覚寺統においても 後二条帝が兄 後醍醐帝が弟 後二条帝の長子が相続すべきだった ゆえに 両統迭立の混乱を解消するのであるならば 持明院統の長子相続を正統とすべきで しかるに 弟系の弟である後醍醐帝が 儒教の人倫秩序をたてに 自己の子孫を持って皇位を独占しようとするのは 矛盾が大きい・・・と(笑) Time : 1999/12/25(土) 17:09:38
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「相続法」?? Comments: 海野さん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>儒教においては 長幼の序を重んじ子は父に従い 弟は兄に譲ること >>によって 秩序を保とうと考えてきたすなわち 長子相続法こそ儒教 >>にふさわしい相続法である! そうなんですが、儒教においては嫡庶の区別もうるさい。正妃が長子を 生んでくれれば良いが、なかなかそうもいかない・・・これが揉める元 になるのでしょうね。 トルコ帝国では皇位継承の決定とともに、他の継承権者(兄弟)は全員 死を賜わったそうですが、本当なのかしら? チョット信じられない感覚なんですが・・・・・??? 朱子学リゴリズムの御本家をもって任じる李朝においても、四代 世宗 (第四子=ハングル創制の名君)の直孫である六代 端宗は、叔父であ る首陽大君(七代 世祖)に王位を簒奪され、アッサリ殺害されちゃう。 まったく、仁も義もあったもんじゃない。 端宗に殉じた者達は、世祖の子孫である王により、忠臣と称えられる。 これもある意味では義と孝の相克ですな、世の中難しいもんで・・・ >>責任者の喜田博士の回顧録HTML化してみました >>これを読むと 歴史学者として謙虚に事実を記述して解釈・認定を避 >>けたという感じでしょうか?今にして思えば「教科書」の両論併記は >>一つの見識だったと思います ありがとうございました。Awajiもこれ(両統並立)が一番無難な見解 だったと思いますが、「一天無二君」で迫られると苦しいのも事実です。 Time : 1999/12/25(土) 19:04:49
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「討幕思想」?? Comments: TAKATOKUさん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>まずは、Awajiさんに。「批判のための批判」は訂正させて頂 >>きます。失礼しました。 ご理解頂き、ありがとうございました。<(_ _)>ペコ ところで、まだ下記の部分に拘っておられる様ですね? >>私がここで述べたかったことは「治世上都合悪いとき(たとえば、 >>討幕を決意した時など)には適用しなくって、治世上都合がよい時 >>に適用することを、リゴリステッィクに朱子学を適用したと言うの >>かどうか?」です。表現が婉曲的過ぎますか? >>書き方がまずかったですが、主語はもちろん、明治天皇・明治政府 >>です。文脈で分かりませんか? >>討幕を決意して、明治天皇を担ぎました。幕府方と多少の戦争があ >>ったのですが、その時点で南朝を正統とする事ですから、ここでの >>「治世上都合が悪い」は、「士気が上がらない」くらいに解釈して >>もらいたいのですが。明治天皇を偽者扱いするだけでなく、それに、 >>南朝は負けたので、かなり縁起が悪いです。 主語は、或いは朝廷(天皇)かな?とも思いました。しかしそれなら ば、「治世上都合悪いとき(たとえば、討幕を決意した時など)には 適用しなくって」と言う意味が良く分かりませんでした。 確かに朝廷は、アカラサマニは「南朝正統論」を唱えてはいません。 しかし、貴方は討幕派の思想的支柱が「尊王斥覇」であったことはご 存知ですね。そしてそれが、同時に「南朝正統論」に繋がるものであ ることもご承知ですね。 討幕軍が「尊王斥覇≒(南朝正統論)」を、スローガンとし錦旗の下 で、大いに「士気を上げた」のは、子供でも知っていることですから、 「都合が悪い」どころでは無い筈です。 (勿論、この子供でも知っていることに疑問を持ち、議論することは、 御自由ですが・・・貴方の目的がそこにあるとも思えません) そこでマスマス訳がわからなくなったのです。 既に、Awajiも以下のとおり、討幕派は「南朝正統論」であったと申し 上げていますね。勿論、貴方はこの意見をご承知だった筈です。 >ご承知のとおり「尊王斥覇論」は、尊王討幕のメインイデオロギーで >あり、言うならば明治新政府(建前としての天皇親政=王政復古)成 >立の基礎となった思想ですね。 >従って、この思想を徹底すれば、足利と云う覇者に擁立され、後醍醐 >と云う王者に対抗して並立即位した光厳系天皇の正統性を否認せざる >を得なかったと思います。(一種の朱子学的リゴリズムだとは思いま >すが) 11/13 >しかし、明治(天皇親政)政府は「南朝正統論」を公認せず、1911年 >迄この点を曖昧にし続けたのです。 >これは北朝天皇が現皇室の先祖に当るためだと思いますが、「尊王斥 >覇論=君主制の基本原則」をリゴリスティックに適用しなかったので >すね。 12/4 **この点については、海野さんは公式的には「北朝正統論」だった と判断され、Awajiは「北朝優位の両朝(統)並立」と判断しています。 (しかし、庶民には「南朝優位」と映ったように思っています。) >しかし、1911年に桂内閣攻撃の「為にする議論」として、「南北正閏 >論」が提起されたに際しては、敢えて正面からこれを捉え、有る意味 >では「尊王斥覇論=君主制の基本原則」をリゴリスティックに適用し >て「南朝正統論」を選択公認した。つまりは・・・ 12/4 以上の経緯をご承知の上でのご質問だとは思うのですが・・・? (ツマリハ何を問題とされているのか、サッパリ分かりません) なお、「顕幽分離」と言うような造語は別として、すべての「言語」 には、その「言語」が有する一般的共通概念があります。 これを無視されては、議論が成り立ちません。史学を論じる場合は、 「治世」「言霊信仰」「怨霊信仰(鎮魂)」等々について、歴史用語 としての一般概念を尊重して下さいませんか? >>「1911年時点の主要因」という書き方をすれば、その50年間 >>の蓄積を無視して、その当時おかれた状況だけで判断すると考えま >>す。・・・・ この一連のご意見は、根本的に誤解しておられます。 1911年時点の日本の状況には、当然ながら人類の社会・政治・経済・ 宗教等の全ての歴史が蓄積されています。従って、その時点で発生し た歴史事象については、その発生原因について知り得る限りの過去か ら現在にいたる具体的資料を比較検討し、その最も主要な要因を推論 し一定の判断を下すことを、目指しているのです。 >>「通史的な観点でみた主要因」というのは、まぁ、誤解を避ける為 >>に、「14世紀から1911年までのすべてを考慮した主要因」と >>しましょうか。南朝天皇に対する天皇家の扱い、『太平記』の流行、 >>朱子学の流行(南朝を正統としない朱子学もあるそうですが)、等 >>々、すべてを考慮する訳です。主語についての問題はあります。 従って、ここに言われている「通史的な観点でみた主要因」が、(14 世紀に限定しませんが)井沢さんであろうと、Awajiであろうと、歴 史学者であろうと、通常行う歴考察の手法なのです。 勿論、その結論が異なるのは、史資料の選択・解釈・推論・判断の適 否によるものだと思いますが・・・・ Time : 1999/12/25(土) 20:58:26
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 小松原文相回顧録UPしました Comments: Awajiさん みなさん こんばんわ >そうなんですが、儒教においては嫡庶の区別もうるさい。正妃が長子を >生んでくれれば良いが、なかなかそうもいかない・・・これが揉める元 >になるのでしょうね。 頼朝は義平より年下だけれど 家督相続したし 信長も信広より年下 正夫人の子の相続というのは 案外定着してたようですね >トルコ帝国では皇位継承の決定とともに、他の継承権者(兄弟)は全員 >死を賜わったそうですが、本当なのかしら? >チョット信じられない感覚なんですが・・・・・??? 皇帝が競争相手の兄弟を殺しまくったという どこにでもある?話はあるようです ただ 制度としてあったかは疑問で オスマン皇帝系図を見ると 兄弟世襲がやたらと多いです ちなみに オスマン帝国皇帝には正夫人はなく 女性は全員奴隷だそうです^^; 唯一の例外は スレイマン大帝と結婚して皇后になったロッサーナ だけだそうです このロシア女は大帝を見事に尻にひいたんでしょうね〜^^; >朱子学リゴリズムの御本家をもって任じる李朝においても、四代 世宗 >(第四子=ハングル創制の名君)の直孫である六代 端宗は、叔父であ >る首陽大君(七代 世祖)に王位を簒奪され、アッサリ殺害されちゃう。 >まったく、仁も義もあったもんじゃない。 皇族というか 皇位が目の前にある人にとっては 儒教道徳なんて関係ないのですね エサの前の犬といっしょで(笑) >端宗に殉じた者達は、世祖の子孫である王により、忠臣と称えられる。 >これもある意味では義と孝の相克ですな、世の中難しいもんで・・・ 隣国の例ですが 儒教徒の行動様式としては参考になりますね〜 小松原文相回顧録 http://unno.m78.com/historico/nambokucyou/komatubara.htm http://unno.m78.com/historico/nambokucyou/index.html かなり ビビってますね〜^^; 藤沢代議士サイドの熱狂ぶりも興味深いです Time : 1999/12/26(日) 17:16:19
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「本朝皇胤紹運録」?? Comments: 海野 荘一郎さん、みなさん、今日は。Awajiです。 小松原文相回顧録・・・ありがとうございました。 お返しといっては何ですが・・・本朝皇胤紹運録に関して資料提供です。 (お約束ですので、コメントはいたしません・・国史大辞典抜粋) 本朝皇胤紹運録・・・応永33年(1426)頃、後小松上皇の命により、洞 院満季が制作したとされる。当初収載の下限は称光院であったが、三条 西実隆がその後を書き継ぎ、その後も補填されていった。 **1426年は「後亀山」崩御(1424)の2年後になります。 本朝皇胤紹運録・・・における南朝天皇(院)の記述抜粋。 後醍醐・・「・・・正慶二(元弘三也)閏二・二十四、密に陰州謫処を 御出で、伯州大山寺に幸す。同五月彼寺を出で、帝都に御赴く。 六月五日二条富小路殿に還幸、皇位に復す。・・・ 建武三年正・十、尊氏等の軍襲来に依り山門に幸す。同三十日、東軍敗 北に依り洛陽に還幸。五・二十五、重ねて山門に幸す。十・十、又還幸。 十一・二尊号。 十二・二十一、又密かに花山院亭を御出で金峯山に遷御す。其後重ねて 帝王を号す。暦慶二・八・十六、吉野行宮に於て崩。(五十二)」 後村上・・義良親王(陸奥大守。南方に於いて君を称す。号村上天皇云々) 長慶・・・寛成親王(法名覚理。南方に於いて自立。号長慶院) 後亀山・・熈成王(法名金剛心。吉野より降り、後に太上天皇尊号を蒙 る。号後亀山院) **この時代の天皇は、原則として「XX天皇」ではなく「XX院」と 表記されています。(号村上天皇は例外的表記です) **「南朝天皇」は時として「南方主」「南方君」と表記されています。 Time : 1999/12/26(日) 22:11:40
Name : 輔住 E-mail : Title : 天に2日あり! Comments: Awajiさん、ご意見ありがとうございます。 海野さん、補足ありがとうございます。 持明院統と大覚寺統は同腹の兄弟です。 父が弟を溺愛した事から起きた出来事ですね。 >逆に南朝からみれば、光厳は上皇とは言うものの、後醍醐から皇位を取り消されて、 >文句も言えなかった欠格天皇(言うならば不登極もいいところ)ですから >これは勿論南朝からの見方ですが、後世のリゴリストから見ても、そう判 >定されていたのでは無いでしょうか? >(もっと単純に北朝は足利の傀儡に過ぎない・・・と断定しただけかも知れ >ませんが?) これは明らかに後者だと思います。南朝はともかく 後世の人間まで前者のような見方をするのは問題があります。 御承知の通り、天皇家は軍隊を持ってません。 したがって、武力で皇位を降ろされたら、ほかに武力を持った 人間が味方するまでは泣き寝入りするしかありません。 後醍醐だって隠岐に流されたとき、護良親王や楠木正成まで 敗れていたらそうなってました。 つまり前者は「実体論」の一種だと思いますが違いますか? >大体、尊氏や義詮自体が南朝に降伏して、南朝年号を正当(南朝正統)と >言ったり色々変節するから、余計に北朝の権威(正統性)が揺らぐんです >よね。 これはそのとおりです。こんなことしなきゃ3上皇がいなくなるなんてことは なかったし、守護大名の「都合が悪くなれば南朝につけばいい」というのを 増長させてしまった。 ちなみに北朝は南北朝合一の時、賊が盗んだものが帰ってきたという 対応をしています。(安徳→後鳥羽と同じ対応) まあ、歴史家が「天に2日なし」というのを(そういう時代があるにもかかわらず) 無理矢理当てはめるのが一番問題だと思いますが(笑)。 Time : 1999/12/27(月) 12:04:01
Name : TAKATOKU E-mail : Title : スルメのような。。 Comments: Awajiさん(RESありがとうございます)、海野さん、 くるみさん、みなさん、こんにちは。今回は、こんなタイトルで始 めさせてもらいます。内容はAwajiさんの前回投稿に対する返 事です。 どうもAwajiさんが情報提供して下さるのは非常にアリガタイ 事なのですが、その度に怨霊鎮魂的要素が少しずつ濃くなっていく ようです。私の頭はまさにパニック状態です。「どういう立場の人 と議論してるんだっけ?」っと。 Awaji wrote: > なお、「顕幽分離」と言うような造語は別として、すべての「言語」 > には、その「言語」が有する一般的共通概念があります。 > これを無視されては、議論が成り立ちません。史学を論じる場合は、 > 「治世」「言霊信仰」「怨霊信仰(鎮魂)」等々について、歴史用語 > としての一般概念を尊重して下さいませんか? Awajiさんと議論が成立しないことに、私は非常に不満を感じ ていました。それで、「共通言語」がないと不満を漏らしたのです が、やはり「共通言語」がなかったのですネ。 くるみさんの批判、及びAwajiさんと海野さんのテンポのよい 議論等々、どうも私には理がないようです。お詫びしなければなり ません。 #何故、理がないのか、サッパリ分かりませんが。。私の言語能力 #の限界なんでしょう。。恐らく。。 Awajiさんの論旨もやっと分かってきました。やっと、議論に 入れそうな気配です。しかしながら、私は議論からは撤退した方が よさそうですネ。どうも私が入ると「言葉」の問題でつまずいて、 先へ進めませんので。もちろん、言い出しっぺですので、最後まで お付き合いさせてもらいます。 Awaji wrote: > ところで、まだ下記の部分に拘っておられる様ですね? ... > 討幕軍が「尊王斥覇≒(南朝正統論)」を、スローガンとし錦旗の下 > で、大いに「士気を上げた」のは、子供でも知っていることですから、 > 「都合が悪い」どころでは無い筈です。 どうもこの部分は重要そうですネ。 「南朝正統」を全焼火事、「衆による怨霊鎮魂思想」を家にタトエ ると、明治政府が火をつけて回った訳ではなくて、明治政府はボヤ 状態の家に灯油をかけて回ったという感じでしょうか? 「尊王斥覇≒(南朝正統論)」もちろん、理屈上はそうですが、そ うならない所が不思議な所だと思います。つまり、「尊王斥覇」と 「北朝非正統」とが直接結びつかない所が論点のような気がします。 さらに、「北朝非正統論」と「北朝5代ニセモノ論」とが結びつか ない所も論点ですネ。 Unno wrote (12/19): > 明治時代において 「南朝正統説」が唱えられることそれ自体が > 「不敬」罪にならないところが 私には興味深い > つきつめれば 「明治帝の血統は正統ではない > あんたは偽者の子孫で 逆臣の傀儡の系統だ」と主張するのだから^^; > しかし 「南朝正統論」者もそこまで主張するつもりないところが > 論理的につきつめない日本人らしいところでしょうか?^^; この文章、なかなか「スルメのような味わい深さ」があるなぁ、と、 海野さんには失礼かも知れませんが、もう一度褒めさせてもらいま す。 Awaji wrote: > この一連のご意見は、根本的に誤解しておられます。 ... > 従って、ここに言われている「通史的な観点でみた主要因」が、(14 > 世紀に限定しませんが)井沢さんであろうと、Awajiであろうと、歴 > 史学者であろうと、通常行う歴考察の手法なのです。 そうですか。しかしながら「通常」というのは「今まで」という事 ですネ。『逆説の日本史』が新しい学問分野であるとしたら、別に 「今まで」の手法にトラワレなくてもよいのですヨ。 #理科系の人間にとっては「通常=正しい」ではないんです。むし #ろ「通常≠正しい」という感じのが強いです。「技術や学問は常 #に進歩する」という感じです。 「真実」という言葉と同様で、「主要因」も難しい言葉だと思いま す。表層的な「主要因」もあれば深層的な「主要因」もあり、また 別角度から見た「主要因」もあるからです。どの「主要因」を「主 要因」とするかは、その人が注目しているアウトプットに依存して くると考えます。すなわち、「中日ドラゴンズの論理」です。 Awaji wrote: > 端宗に殉じた者達は、世祖の子孫である王により、忠臣と称えられる。 本題とは関係ありませんが、この文章に関して一言だけ。「負けた 人間は欠徳」、「欠徳の主人に仕える人が忠臣」これが井沢先生の 定義だったと思います。 #新たな火種? Time : 1999/12/27(月) 18:22:08
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 非常識の日本史 Comments: inaさん、Awajiさん、海野さん、きんたろうさん、みなさ ん、こんにちは。「常識」の反対が「非常識」ならば、『逆説の日 本史』は『非常識の日本史』でしょうか? 注意は惹きそうですが、 サッパリ売れないでしょうネ。 Awajiさんと海野さんのハイレベルな議論に水を差さないよう、 私はしばらくの間控え目に投稿します。みなさんと私とでは言語空 間が全く異なっているようで、私が発言すると「誤解」の乱反射状 態になってしまうようです。 #乱反射状態、これはこれでオモシロイですが、実がないので。。 とは言うものの、私が今回の議論の「言い出しっぺ」ですので、中 間報告を兼ねて、「私見」のマトメをさせてもらいます。最後に、 inaさんに対する返事も書きました。 「顕幽分離思想」の述語は大体の想像がつくものの主語に関する問 題があります。そういう問題点があることを意識しながら、定義未 確定ですが「顕幽分離思想」という単語を使わせてもらいます。 まず「私見」ですが、最初の投稿 (11/13) から、それほど意見は変 化していません。むしろ、不思議なことに、Awajiさんの情報 によって強化した感じです。私は無知なので情報を持っておらず、 今回の議論に関してはAwajiさん、海野さんの情報を使わせて もらいました。一部、きんたろうさんの情報も入っていますが、引 用は省略させてもらいます。さて、「南朝正統」に関しては「顕幽 分離思想」と「朱子学」という信仰(宗教・習慣を含む)が複雑に 関係しているので、以下のように分割して考えました。 A:1911年時点限定の主要因 B:50年〜100年のスパンで考える主要因 C:通史的な観点で考える主要因 まず「A」ですが、ここでの立場は、1911年時点の当時の状況 のみを考えるという立場です。これまで経緯は無視します。まず結 論から、ここでの主要因は「治世上の都合の良さ」と思っています。 当時は明治天皇の権威が高く、「南朝正統」とした場合の「治世上 の不都合さ」があまりない。そして、これまでの経緯(これは無視 しますが)もあって、後醍醐天皇・楠木正成に関する尊厳・人気が 高いという状況です。したがって「北朝正統」とするのは都合が悪 い、となると「現状維持」か「南朝正統」なのですが、後醍醐天皇 を積極的に利用する気なのでしょう、「南朝正統」として治世に役 立てたのだと思います。 「朱子学をリゴリスティックに適用した」、というのはありえない と思っています。というのも、後醍醐の実態(すなわち欠徳ぶり) がバレバレで、治世に利用できなかったら、「南朝正統」にならな いと思うからです。「理屈よりも利益が優先する」、すなわち「理 屈は後から付ける」という立場です。 ここに以下の2点で「顕幽分離思想」が見られると思います。 1つは、今までの統治はうまく行っているので、下手に後醍醐の霊 を怒らせて、統治がうまくいかなくなったら困るということ。従っ て、「北朝正統」および「両朝並立」は選びにくい。 もう1つは、「顕幽分離思想」が逆の意味でも作用するということ です。国民は「顕幽分離思想」に慣れているので、「南朝を正統と した所で、国民は明治天皇をニセモノとは思わない」。さらに踏み 込めば、「否定された北朝5代もニセモノとは思わない」です。 「どちらが正義か」ということに国民は関心がなく、「どちらが悲 惨か」ということに関心がある、ということです。 しかしながら、この2点は、「A」ではなく「C」に含めるべきで しょう。これらは、積極的な理由というよりは、消極的な理由にな るので、「A」の主要因とは呼べないと考えます。また、両者とも (特に後者)「治世上の都合よさ」とも関連があるので、「治世上 の都合よさ」という言葉の中に含めてしまってよいでしょう。 次に「B」ですが、これが一番分かり易いと思います。50年ない し100年の蓄積を考える立場ですが、結論は「朱子学の影響」で す。より正確には「日本版朱子学の影響」です。朱子学を用いて討 幕に成功、その後も治世に生かしてきたのです。そしてその朱子学 の理念に従って、「南朝正統」としたのです。「日本版」という箇 所以外は異論はないでしょう。 そして「C」ですが、これが最も厄介です。結論は「顕幽分離思想」 なのですが、ほとんど証明は不可能かと思います。まず、「南朝を 悲惨な殺し方で消滅させたのに、何故、北朝は天皇扱いしたのか?」 という問題があります。これは「悲惨な殺し方」の正当化ではなく、 逆に、北朝の不当性を高めることになる訳です。 『太平記』は怨霊鎮魂行為かどうか、その流行は「衆による」怨霊 鎮魂行為かどうか、そしてそれはどの程度「南朝正統」と関連があ るのか? 何故、日本版朱子学では、南朝を正統としたのか? 本場の朱子学 の理論に従って、南朝を正統としない朱子学もあったのだが、それ は流行しなかった。何故か? 様々な問題点があるものの、「顕幽分離思想の影響」と考えた。 以上が現在の結論で、ここからinaさん(質問に答えてくださり ありがとうございました)への返事モードに入ります。「主要因が 3つもあるのはおかしい」という指摘です。ごもっともです。しか しながら、これら3者は直接比較ができません。困りましたァ。 私は、常識的には次のように考えます:歴史的事実はその事が起こっ た時点に限定して考える。今回で言えば「治世上の都合よさ」です。 しかしながら、その時点に限定して得られたものが、あまりに断片 的であったならば、その時点から数年ないし数十年さかのぼって考 えるべきです。今回で言えば「治世上の都合よさ」は断片的である ので却下して、「日本版朱子学の影響」とするのが、最も適切と考 えます。また、その時点から数百年もさかのぼれば、ピンボケする と考えます。「顕幽分離思想の影響」が「南朝正統」の主要因であ るならば、何故1911年にそれが起きたのか? という説明がで きない。。 言い替えれば「C」は暗黙に認めるものであり、「主 要因」と呼ぶのは「A」か「B」であると思います。 つまり『逆説の日本史』は「非常識の日本史」なのです。もちろん、 これはある意味当たり前の事で、『逆説の日本史』は常識を打ち破 るのが目的ですから。 井沢先生がどのような観点で、南朝正統の主要因を顕幽分離思想と したのか、分かりません。「C」がなければ「B」もない。「B」 もなければ「A」もない。だから「C」が主要因というのか? そ れとも次のような観点なのか? 過去に起こった事柄は、未来の影響は受けない。従って、未来永劫、 主要因も変化しないという「止まった歴史観」に対して、もうひと つ別な歴史観もあります。「現在とリンクして動く歴史観」です。 過去に起こった事柄の中から現在に生かせる部分を抽出しようとい う歴史観です。この歴史観では、「現在」の状況に応じて、同じ事 件の主要因が変化します。一言で言えば「中日ドラゴンズの論理」 です。 I wrote: > 「真実」という言葉と同様で、「主要因」も難しい言葉だと思いま > す。表層的な「主要因」もあれば深層的な「主要因」もあり、また > 別角度から見た「主要因」もあるからです。どの「主要因」を「主 > 要因」とするかは、その人が注目しているアウトプットに依存して > くると考えます。すなわち、「中日ドラゴンズの論理」です。 井沢先生および井沢ファンは現在、「マクロ日本史」に興味を持た れているハズですが、それと「中日ドラゴンズの論理」を組み合わ せれば、「顕幽分離思想の影響」を主要因としてもよい気もします。 という訳で、私の総合的な結論は、常識的には「日本版朱子学の影 響」であり、「顕幽分離思想の影響は無視できない副要因」です。 ここまで読んで下さりありがとうございました。 Time : 1999/12/27(月) 18:30:23
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : 「皇統譜」見られる人います?(笑) Comments: Awajiさん 輔住さん TAKATOKUさん こんばんわ 南北朝正閏論 南朝正統説は信仰告白 両朝並立説は学問の良心 北朝正統説は現実政治 という感じですかね〜 ◇Awajiさんへ◇ >お返しといっては何ですが・・・本朝皇胤紹運録に関して資料提供です。 ありがとうございますぅ なるほど こういうふうに記述されているのですか〜 そういえば 雅子妃が結婚されるときに 戸籍を入れるのではなく 「皇統譜」に記載されるとか 報道されていた記憶があります 南北朝あたりの記載はどうなっているのでしょうかね〜 でも 陵墓といっしょで やっぱり非公開ですかね^^; ◇輔住さんへ◇ >持明院統と大覚寺統は同腹の兄弟です。 >父が弟を溺愛した事から起きた出来事ですね。 ということは すべては後嵯峨帝の責任ですね(笑) これは 鳥羽院の恣意的な皇位世襲方針が 保元の乱を招いたのと似てますね 歴代欠徳帝ランキング上位に入りますな しかし こういう冗談も敗戦前は「不敬罪」ですからね^^;;; しかも 両朝並立説や北朝正統説すら言い出せない「雰囲気・空気」というのは その時代を体験してみないと わからないのかもしれません ◇TAKATOKUさんへ◇ >Awajiさんと海野さんのハイレベルな議論に水を差さないよう いや〜 それほどでも(クレヨンしんちゃん風^^;) >非常識の日本史 北朝天皇が南朝を正統とする 明治帝には まったく「エゴ」というものが見られないところが 驚異です 西洋やオリエントの絶対君主だったら もう 南朝正統論者をバッサバッサと殺しまくる 並立論者も殺す(笑) でも 日本では北朝正統説と並立説が沈黙する 明治帝が歴代表からはずされた諸帝の祭祀を静かに守られる ここらへんの不思議な力学が 日本史の醍醐味ではないでしょうか? まあ 「天皇親政幻想」というものが支配していた時代ですからね〜 この幻想が 本音と建前の乖離につながり 欽定憲法(改正が非常に困難)や統帥権の独立(少壮軍人の跋扈)によって 最後には 国を滅ぼすことになった 「天皇親政幻想」を打ち破る勢力が出てこなかったことが悲しいです 共産主義じゃなくて^^;;; Time : 1999/12/27(月) 20:41:51
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「北朝傀儡論」?? Comments: 輔住さん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>まあ、歴史家が「天に2日なし」というのを(そういう時代があるに >>もかかわらず)無理矢理当てはめるのが一番問題だと思いますが(笑)。 全くそのとおりなのですが、それを無理矢理当てはめるのが、朱子学的 (あるいは君主論的)リゴリズムだと思います。そこでAwajiは本音とし ては両統並立論ですが、敢えて無理矢理当てはめるとしたら、どちらに 分(義)があったか・・・を論じているつもりです。 >(もっと単純に北朝は足利の傀儡に過ぎない・・・と断定しただけかも >知れませんが?) >>これは明らかに後者だと思います。南朝はともかく後世の人間まで前 >>者のような見方をするのは問題があります。 この見方をとってしまえば、理屈は簡単です。傀儡「北朝」には如何な る「義」も存在しない。「義」は「南朝」にあり「南朝正統」である・・ >しかし維新のイデオロギーが朱子学的「尊王斥覇論」に基づいていたのは >事実ですし、そのゆえに単なる皇族間の継承争いとして片づけられない所 >まで発展してしまったのも事実でしょう。 >一方で「後醍醐」の正統性を否認する理論を構成するのも困難でしょう。                               12/21 >一方で「後醍醐」の正統性を否認する理論を構成するのも困難でしょう。   ↓ >傀儡とする「北朝」の正統性を認める理論を構成するのも困難でしょう。 これならば、よろしいのでしょうか? Awajiは、単純に北朝を傀儡と決め付けず、双方の「義」を比較して見れ ば、どちらに軍配が上げ得るかを、考察しているつもりですが・・・・ それは不必要だとおっしゃるのでしょうか? 以下は蛇足ですが、そもそもこの問題の論点は、時系列的にみれば、 Awaji・・ >要は、皇族間の継承争いと見れば、突き詰めて考える程のことは無いと言 >う考え方も有り得たと思うのです。 >しかし維新のイデオロギーが朱子学的「尊王斥覇論」に基づいていたのは >事実ですし、そのゆえに単なる皇族間の継承争いとして片づけられない所 >まで発展してしまったのも事実でしょう。 >一方で「後醍醐」の正統性を否認する理論を構成するのも困難でしょう。                               12/21 Herr sukezumi・・ >>多少乱暴な言い方ですが勝ったのは北朝です。また当時(南北朝時代) >>大半は北朝を支持していました。こういう部分から「北朝正統論」も理 >>論として成立すると思います。               12/22 Awaji・・ >@確かに北朝が勝ちました。勝ったから正統と言うのは「力は正義なり」 > と言うことになりかねませんね?チョット正統論とは違うような気がし > ます。                         12/22 Herr sukezumi・・ >>でも現実としてそういうものも必要ですよね。後醍醐も力で鎌倉幕府を >>倒して持明院統から皇位継承権を奪おうとしました。    12/24 Awaji・・ >全くおっしゃるとおりで、現実政治は所詮パワーポリティックスの世界で >す。従って、実体論はそのとおりですが、「正統論」は論理(倫理と言う >べきかも?)の次元の問題ですから、勝ったのだから論理的に正統だとは >言えないと思うのです。この意見がとおるならば、誰も「正統論」等は論 >じないのでは?(「放伐論」ならば、別の問題になりますが・・・・)                              12/25 >逆に南朝からみれば、光厳は上皇とは言うものの、後醍醐から皇位を取 >り消されて、文句も言えなかった欠格天皇(言うならば不登極もいいと >ころ)ですから・・・・・ >これは勿論南朝からの見方ですが、後世のリゴリストから見ても、そう判 >定されていたのでは無いでしょうか?            12/25 Herr sukezumi・・ >>御承知の通り、天皇家は軍隊を持ってません。したがって、武力で皇位 >>を降ろされたら、ほかに武力を持った人間が味方するまでは泣き寝入り >>するしかありません。後醍醐だって隠岐に流されたとき、護良親王や楠 >>木正成まで敗れていたらそうなってました。 >>つまり前者は「実体論」の一種だと思いますが違いますか?  12/27 つまり、Awajiが言っているのは、 武力による権力の実質的移動・・・・・・・・「実体」 権力の移動に関する義の理屈・・・・・・・・「理論」 とお考え下さい。この件について具体的に言うならば、以下になります。 光厳は武力による鎌倉幕府滅亡に伴い、皇位を引きずり下ろされた「実体」 光厳は治天の君である後醍醐により皇位継承を否認された・・・・「理論」 確かに煩瑣な理屈である事は否定しませんが・・・・(>_<;) >>ちなみに北朝は南北朝合一の時、賊が盗んだものが帰ってきたという >>対応をしています。(安徳→後鳥羽と同じ対応) 以下は同様に「義」に関するさらに煩瑣な理屈ですが・・・蛇足として 理論的には、安徳は正統天皇として神器を帯同していましたが、治天の 君たる後白河が、安徳を廃立し、後鳥羽に聖旨による践祚を行ったこと により、神器変換の義務が生じたが、それに応じなかったので、源氏軍 により強制変換させた・・・と言うことでしょうね? 賊が盗んだものが帰ってきたものとは、全く違うと思いますが? 南北合一においては、本来の盟約は「譲国の儀」により譲渡するべきと ころ、それを破約した・・・両統迭立についても同時に破約ですから、 理論としては(実体としての武力を背景とした)北朝の不義では無いで しょうか? 従って、北朝がそう言った対応を行ったことで、後世が論理として南北 朝の正統性を論ずる材料には成らないと思います。 ただし、後亀山はそれを不服として吉野に脱出したものの、その後帰京 して静かに余生を送っているので、実体としても理論としても、合体を 認(追認)めたと見なさざるを得ないと思うのですが・・・・ P.S. > 端宗に殉じた者達は、世祖の子孫である王により、忠臣と称えられる。 Herr TAKATOKU・・・ >>本題とは関係ありませんが、この文章に関して一言だけ。「負けた人 >>間は欠徳」、「欠徳の主人に仕える人が忠臣」これが井沢先生の定義 >>だったと思います。 「忠臣」の定義は、主君の欠徳とは無関係ですから、井沢さんがそんな ことをおっしゃる筈がありません。仮にそう言った記述があるならば、 例え欠徳の主君に仕える「臣」であろうと「君臣の義」に忠実な「臣」 は「忠臣」だと言うレトリックでは無いでしょうか? もし、この定義が正しければ、紂王と武王の戦闘において、紂王の旗の 下で死んだ殷臣は忠臣、武王の旗の下で死んだ周臣は忠臣に非ず??? 鳥居強右衛門は徳川家の大忠臣ですが、これは家康が欠徳だから??? そんな馬鹿な定義は有り得ないでしょう?? Time : 1999/12/27(月) 23:57:56
Name : 輔住 E-mail : Title : 南朝も北朝も理論はあるのです Comments: Awajiさん、みなさん、こん@@は。 >Awajiは、単純に北朝を傀儡と決め付けず、双方の「義」を比較して見れ >ば、どちらに軍配が上げ得るかを、考察しているつもりですが・・・・ >それは不必要だとおっしゃるのでしょうか? 私も傀儡と決め付けているわけではありません。 私も私なりに考察しているのです。 (北朝に傀儡的な部分はあると思います。でもそれが全てとは私は思ってません) >>一方で「後醍醐」の正統性を否認する理論を構成するのも困難でしょう。 >>傀儡とする「北朝」の正統性を認める理論を構成するのも困難でしょう。 >これならば、よろしいのでしょうか? 私は南朝を正統とする理論があるなら北朝を正統とする理論もあるといいたかっただけです。 少なくても北朝正統論にもいままで述べてきたように暴論ではないでしょう? >光厳は武力による鎌倉幕府滅亡に伴い、皇位を引きずり下ろされた「実体」 >光厳は治天の君である後醍醐により皇位継承を否認された・・・・「理論」 これが成り立たないとはいいません。でもそれなら 後醍醐は2度武力で皇位を引きずり下ろされた「実体」 今後は北朝のみが治天の君となる・・・・・・「理論」 というのも同様ですよ。 >両統迭立についても同時に破約ですから、 >理論としては(実体としての武力を背景とした)北朝の不義では無いで >しょうか? これも同じです。「義」で論じてもおあいこです。 確かに南北朝合一では北朝が不義理です。 でもそれをいうなら後醍醐が両統迭立を破ろうとして 討幕を志したのも「不義」です。 つまり理論において片方が「困難」とはいいきれないでしょう。 それではみなさん、良いお年を。 Time : 1999/12/28(火) 12:35:08
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 言葉の定義 Comments: Awajiさん、海野さん、輔住さん(初めまして!)、みなさん、 こんにちは。 南朝正統論の議論に関しては、Awajiさん、海野さん、 輔住さんにしばしお任せします。私としては、Awajiさんの意 見に納得できずに、無謀を承知で投稿を始めたのですが、みなさん の興味を惹くことができて満足しております。現在のような充実し た議論の場となることが私の希望でした。議論の展開に期待してお ります。もちろん、議論に納得できなければまた復帰します。分か らなければ質問もさせてもらいます。 どうも「言葉」の定義でつまずいているのですが、後学のため一つ 教えて下さい。たくさん(!)あるのですが、一つ選ぶとすれば 「リゴリスティック」という言葉です。辞書を引くと「厳粛主義」 とあります。そこで質問ですが: 1:「厳粛主義」というと、ズイブンと積極的な印象を、私は持ち   ます。これは「積極的な」言葉なのでしょうか、それとも「消   極的な」言葉でしょうか、それとも「どちらでもない」のでしょ   うか? 2:「やむを得ず厳粛に」という言葉は「厳粛に」と似たような言   葉なのでしょうか? 私の定義では前者は消極的で、後者は積   極的な印象です。つまり、全くの別物、どちらかというと正反   対に近い印象なのですが。 3:もし「やむを得ず厳粛に」が消極的な言葉ならば、「主要因」   としてはやや不適当な気がします。むしろ「やむを得ず」とい   う状況の方が「主要因」としてふさわしい気がしますが、その   点どうでしょうか? 以上です。「南朝正統論」とは無関係に、単に言葉としてどうか、 知りたいのですが、如何でしょうか? 以下で議論する気はありませんが。。 Awaji wrote: > 「忠臣」の定義は、主君の欠徳とは無関係ですから、井沢さんがそんな > ことをおっしゃる筈がありません。仮にそう言った記述があるならば、 > 例え欠徳の主君に仕える「臣」であろうと「君臣の義」に忠実な「臣」 > は「忠臣」だと言うレトリックでは無いでしょうか? 徳のある主君に仕えることは、未来に希望があるので、忠臣ではな い。負けの見えている主君に、未来が真っ暗な主君に、それでも仕 えることが、忠臣だったと思いますヨ。日本の「忠臣」の定義と多 少異なることを、分かり易く(つまり大袈裟に)書かれたのだと思 います。 Awaji wrote: > もし、この定義が正しければ、紂王と武王の戦闘において、紂王の旗の > 下で死んだ殷臣は忠臣、武王の旗の下で死んだ周臣は忠臣に非ず??? そんなに文字通りに解釈されては困ります。多少は常識の範囲内で お願いします。 鳥居強右衛門は日本ではもちろんのこと、本場でも「忠臣」だと私 は思います(出身地が近いので「信じています」ですガ)。もし仮 に「忠臣」でないとするならば、想像するに、次のように考えるの でしょうか? #すごいリアリズムですが。。 鳥居強右衛門の行動は「家康への忠義」ではなく「一族繁栄」のた めである。 Awaji wrote: > 従って、ここに言われている「通史的な観点でみた主要因」が、(14 > 世紀に限定しませんが)井沢さんであろうと、Awajiであろうと、歴 > 史学者であろうと、通常行う歴考察の手法なのです。 この部分の返事は「そうでしたか。議論の展開に期待しております」 に訂正します。 Unno wrote: > 両朝並立説や北朝正統説すら言い出せない「雰囲気・空気」という... > 北朝天皇が南朝を正統とする ... > ここらへんの不思議な力学が 日本史の醍醐味ではないでしょうか? 全く臍曲がりな力学ですなァ。どんな風にヒン曲がっているのか知 りたいものです。 Hozumi wrote (12/22): > 今回の議論は全体的にはAwajiさんの意見に賛成ですが とのことですが、充実したご議論を期待しております。 それでは、みなさんよいお年を!! Time : 1999/12/28(火) 17:55:32
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「リゴリズム&忠臣」?? Comments: TAKATOKUさん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>「リゴリスティック」という言葉です。辞書を引くと「厳粛主義」と >>あります。そこで質問ですが・・・ 「厳粛主義(的)」あるいは「厳格主義(的)」ですね。カントの道徳 説では反享楽主義を意味します。つまり感情や欲望をおさえる禁欲的道 徳律です。また一つの原理を非情に厳格・忠実に適用する立場を意味す ることもあります。 Awajiは、次の意見の中でこの言葉を使用しています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >>寧ろ先祖たる北朝天皇の皇位を否認し、現実世界における南朝天皇の唯 >>一正統性を認めることです。これは、ある意味では先祖を天皇に対する >>謀叛人(逆賊)とすることでもあるのですから、・・・・ >>それを押してまで、敢えて「南朝正統=北朝否定」としたのは、既に申 >>し上げたとおり、王政復古の基本思想であった「尊王斥覇論」をリゴリ >>スティックに適用したことによるものだとしか思えないのです。 11/16 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー @天皇の地位は唯一神聖なものであり、二朝並立論自体が容認すべからざ る思想である。 **勿論、これは天皇制のみならず、君主制全てについて言える原理だと 思いますが・・・ A日本の歴史において、明らかに二朝並立が在ったのは、室町初期の所謂 南北朝時代である。 B従って、南北朝の正閏を確定せざるを得ない立場におかれて(い)た。 (リゴリスティクに考えなければ・・・先祖の聖旨は論ずべきに在らず とかなんとか言って、誤魔化しておけば良かったと思うのですが、政争の 具にされてしまった) 11/22 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >>しかし、幾ら何でも光圀の「南朝正統論」が「南朝怨霊鎮魂」に由来す >>ると考える人はいないでしょう。幕末期においても同様だとおもいます。 >>ここに見られるのは、朱子学的「尊王斥覇論」では無いでしょうか? >>光圀は、君臣の大義を論理付けたかったのでしょうが、尊王斥覇にまで >>踏み込んでしまったと言うべきかもしれませんが(きんたろうさん説) (「尊王斥覇論」は言い換えれば「君主制の基本原則」でもあります) >>しかし、明治(天皇親政)政府は「南朝正統論」を公認せず、1911年迄 >>この点を曖昧にし続けたのです。 >>これは北朝天皇が現皇室の先祖に当るためだと思いますが、「尊王斥覇 >>論=君主制の基本原則」をリゴリスティックに適用しなかったのですね。 >>しかし、1911年に桂内閣攻撃の「為にする議論」として、「南北正閏論」 >>が提起されたに際しては、敢えて正面からこれを捉え、有る意味では「 >>尊王斥覇論=君主制の基本原則」をリゴリスティックに適用して「南朝 >>正統論」を選択公認した。つまりは・・・ 12/4 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >>そこで、理屈抜きに両統正統と割り切ってしまう選択肢もあったと思う >>のですが(事実40数年間はそうしてきたわけです)、それでは二君並立 >>を認めることになってしまいます。そこで40数年間のアイマイ論を捨て、 >>敢えて朱子学的リゴリスティック論に転換したと思うのです。 12/21 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・・・概ね以上だったと思います。ツマリハ @明治(天皇)政府としては、情(感情)としては、直系祖たる北朝を正 統としたいところだろう。 Aそれが王政復古=「尊王斥覇」の原理からして無理としても、せめて両 朝並立として、直系祖の北朝を逆賊とするのは避けたかっただろう。 Bしかし1911年には、その情を押さえて王政復古=「尊王斥覇」及び「一 ^^^^^^^^^ 天無二君」と言う原理を厳格・忠実に適用し、南朝正統を公認した。 ^^^^^^^^^^^^ と言う意味で使用しております。従って「積極的」「消極的」というよう な意識はありません。 >>徳のある主君に仕えることは、未来に希望があるので、忠臣ではない。 >>負けの見えている主君に、未来が真っ暗な主君に、それでも仕えるこ >>とが、忠臣だったと思いますヨ。日本の「忠臣」の定義と多少異なる >>ことを、分かり易く(つまり大袈裟に)書かれたのだと思います。 典型的な例として、「蜀漢・劉備」と「魏・曹操」で見てみましょう。 どちらが「徳」ある君主かは、若干の議論があるかも知れませんが、劉 備を欠徳(曹操を有徳)と決め付けるのは無理では無いでしょうか? しかし、客観的には蜀漢の置かれた状況は厳しく、未来に希望は少なか ったと思います。 つまり、「君主の徳」と「未来への希望」は、乖離していたのです。 諸葛亮は「出師表」で知られる典型的忠臣ですね。それは状況が不利で あることを知りつつ、劉備及びその遺児に忠誠を尽したからです。 何も主君が欠徳だったからではありません。 井沢さんが本当に「忠臣」の定義を「欠徳君主に仕えた臣」とされるた ならば、それは驚くべき誤認です。 むしろ「主君の徳」にかかわらず、状況が不利なことを知りつつ忠誠を 尽した「臣」とするべきです。 Awajiには信じられませんし、貴方以外にそれを信じる方がいるとも思え ません。 Time : 1999/12/28(火) 23:22:26
Name : ina E-mail : Title : TAKATOKUさんへ Comments:  RESありがとうございます。ところで年末というのに歯が痛くなり、 集中できませんので、しばらく時間を下さい。ではよいお年を Time : 1999/12/29(水) 13:55:05
Name : TAKATOKU E-mail : Title : サヨウナラ Comments: 投稿チャンスがありましたので、簡単に書かせてもらいます。 Awaji様: I wrote: > そんなに文字通りに解釈されては困ります。多少は常識の範囲内で > お願いします。 この文言をご理解下されば幸いです。 本場と日本の定義の共通点を述べた文脈ならともかく、相違点を述 べた文脈であること、それをお忘れなく。想定する読者層、書かれ た文脈に依存して、表現が大きく変化するのは当然です。もちろん、 常識がなければ、その変化に対応できないでしょう。 Awaji wrote: > Awajiには信じられませんし、貴方以外にそれを信じる方がいるとも思え > ません。 「世界一の馬鹿」の称号ですね。喜んでお受け致します。「共通言 語が存在しなかった事」、「侮辱され続けた事」、今の私にとって は、幸せの極みです。ノーマル人間の証ですネ。 ありがとうございました、そして、さようなら。 Time : 1999/12/29(水) 17:21:49
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : こらこら Comments: 広域暴力団井沢組では 足抜けご法度です(笑)>TAKATOKUさん じゃ みなさん来年も楽しく激しく?やりましょう(^^)/~~~ Time : 1999/12/29(水) 19:26:12
Name : 海野 荘一郎 E-mail : unno@m78.com Title : うーん Comments: 怨霊会言霊一家井沢組でしょうか^^;;; Time : 1999/12/29(水) 19:27:55
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「討・論」?? Comments: TAKATOKUさん・・・・Awajiです。 「馬鹿」なんてとんでもない! 「信念」を持つことは立派なことです。 そしてそれを強硬に主張すれば、対論者からの風当たりが激しいのも 当然でしょう・・・何たって「討・論」じゃあないですか。 Awajiの悪態?なんぞは、屁で吹き飛ばして下さい。(^0^)" (下品な発言をお許し下さいね・・・品性高潔なinaさんと楽しくや って下さい・・・デワマタイズレ (^_^)/~) Time : 1999/12/29(水) 22:03:03
Name : ina E-mail : Title : TAKATOKUさんへ Comments: TAKATOKU’S 私の総合的な結論は、常識的には「日本版朱子学の影響」であり、「顕幽分離思想 の影響は無視できない副要因」です。 ということで、結局のところ私とは同意見にちかくなったと考えています。  サッカーの話しが出ていましたが、あれに関してあ、サッカーの場合、アシスト 王、なんてのも有りますから、様々な要因を評価しているわけですね。1911年 の問題に関しても、アシストとかいろんな評価に分けてみると良いかもしれませ ん。その時はまたTAKATOKUさんの出番ですよ。 Time : 1999/12/30(木) 12:07:38
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南北朝の各理論」?? Comments: 輔住さん、みなさん、今日は。Awajiです。 年末休暇に入られた様ですが、来世紀にでも見てください。 Awajiは障子の張り替えのため、乾くのを待っていますので、この時間 を利用して・・・以下。 >>私は南朝を正統とする理論があるなら北朝を正統とする理論もあるとい >>いたかっただけです。 全くおっしゃるとおりです。当然「理論」は対立する双方に存在します。 >しかし維新のイデオロギーが朱子学的「尊王斥覇論」に基づいていたの >は事実ですし、そのゆえに単なる皇族間の継承争いとして片づけられな >い所まで発展してしまったのも事実でしょう。 >一方で「後醍醐」の正統性を否認する理論を構成するのも困難でしょう。 ただこの場合の問題は江戸期から明治期(特に明治初期)において、 どちらが説得力のある「理論」を構成できたか・・では無いでしょ うか? また、この場合の「理論」とは「正統(閏)論」における「理論」で す。従って、勝った負けたを「理論」とすることは出来ない筈です。 仮に当時の論客に「北朝が勝ったのだから正統だ・・」と言えば、彼 等がどう受け取るかを。ご想像頂ければ分かるでしょう。 (この点が、どうも噛み合っていないと思います) >>後醍醐は2度武力で皇位を引きずり下ろされた「実体」 >>今後は北朝のみが治天の君となる・・・・・・「理論」 この「今後は・・・」の部分は、単なる北朝正統論の「結論」ですね。 その結論を如何に「理論」付けるかと言うのが「正閏論」だと思うの ですが? その意味では、 >もっと単純に北朝は足利の傀儡に過ぎない・・・と断定しただけかも知 >れませんが?   ↓ >傀儡「北朝」には如何なる「義」も存在しない。「義」は「南朝」にあ >り「南朝正統」である ・・・も一見「理論」らしく見えても、単なる「結論」であり「理論」 では有り得ません。「傀儡=非正統」であることを如何に「理論」付 けるかが問題だと思います。 ですから、やはり夫々の局面毎の「理論」を検討し、全体の「理論」を 比較検討すべきもので・・・ >光厳が欠格天皇であり、上皇として「治天の君」たり得ないとすれば、光 >明も当然減点でしょうし、後光厳はおっしゃるとおり女院からの践祚では、 >話しにもならない・・・・Cは確かに南朝からすれば、問題外でしょう。 こう言う問題を >>これは明らかに後者だと思います。南朝はともかく後世の人間まで前者 >>のような見方をするのは問題があります。 と切って捨てられては、困るのです。 以下、極めて煩瑣かつ不充分ですが、夫々の局面における双方の「理論」 を考えて見たいと思います。(あまり自信はありませんが・・・) 1.後醍醐の幽閉と光厳の即位(1331.10〜1332.3) 「実体」・・後醍醐が鎌倉幕府の武力に敗れ、光厳に譲位し、上皇とし て隠岐に配流された。 「南朝」・・幕府が武力で天皇を退位させたのは不義である。正統天皇 (治天の君)が納得しない限り、譲位は無効である。 「北朝」・・両統更迭は先帝の遺志である。後醍醐が一旦上皇となった 限り、光厳の即位には義があり、正統天皇である。 2.後醍醐の復位と光減の退位(1333.4〜1333.6) 「実体」・・武力による鎌倉幕府滅亡に伴い、光厳は皇位を引きずり下 ろされ、後醍醐が復位した。 「南朝」・・光厳は治天の君である後醍醐により皇位継承を否認され、 後醍醐が正統天皇の地位継続を宣した。 「北朝」・・光厳は武力により、正統天皇の地位を奪われた。 *ここで、武力支持勢力の逆転があったので、光厳としてはやむを得な かったかも知れませんが、光厳は殆ど抵抗も無く後醍醐の言い分を認め てしまった様に思います。 仮に後醍醐「重祚」に持ちこんでいれば、光厳は一旦は「正統天皇」と 見なし得たと思うんですが・・・・ただ1333.12上皇となっているとこ ろからすれば、偽帝とも言い難いとは思いますが・・・ 3.後醍醐の退位と光明の即位、後醍醐脱出(1336.8〜1336.12) 「実体」・・後醍醐が足利の武力に敗れ、光明に譲位し、上皇となった が、吉野に脱出し、正統天皇であることを宣言した。 「南朝」・・足利が武力で天皇を退位させたのは不義である。正統天皇 (治天の君)が納得しない限り、譲位は無効である。       光厳は、上皇とは名ばかりで治天の君たり得ない。 「北朝」・・両統更迭は先帝の遺志である。後醍醐が一旦上皇となった 限り、光明の即位には義があり、正統天皇である。       仮に後醍醐が納得していなくとも、光厳上皇(治天の君) の践祚により、正統性は確認されている。 4.後醍醐→後村上、光明→崇光の譲位 ・・・・・何れにとっても、上記の延長戦に過ぎない。 5.崇光の退位と後光厳の即位(1351.11〜1352.8) 「実体」・・足利の内紛により、一時南朝が武力的に優位となり、崇光 は廃立された。その後足利の武力が回復し、南朝は三上皇 を拉致し南遷した。北朝は空位を埋めるため女院により、 後光厳を践祚・即位させた。 「南朝」・・崇光が後継者を定めず退位(廃立)したのは、後村上の正 統性を認めたに等しい。10ヶ月の北朝空位の後、後光厳が 女院により践祚したと言うのは、如何なる義もない。 「北朝」・・崇光の退位は、武力によるもので、・・・       後光厳の女院践祚は・・・       ただし、その後三上皇により追認されたもので、正統天皇 である。 *この辺は「北朝」にとって泣き所です。崇光の退位を武力強制で無効 と言えば、後醍醐の退位も同様に無効となってしまい、北朝成立そのも のが危うくなってしまう・・・この部分を上手く「理論」付けないと困 るんでしょうね。 6.後光厳→後小松、後村上→後亀山 ・・・実体は「南朝」衰退の一途であるが、「論理」としては上記の延 長戦に過ぎない。 7.後小松退位(譲位)による南北合体(1392.10〜1416.9) 「実体」・・南朝勢力は衰退の一途をたどり、北朝の合体和睦案により、       後亀山退位。ただし北朝の違約により一時後亀山は吉野に       脱出するも回復の見こみ無く帰京。 「南朝」・・合体条件は「譲国の儀」「後亀山皇子迭立」であり、これ らは南朝の正統性を一旦認めたものである。違約は不義で あるが、やむなくこれを追認し合体の事実を承認する。 「北朝」・・偽帝を称する者に対する偽計であって、南朝の正統性を認 めたものでは無い。後亀山を上皇としたのも妥協の産物に 過ぎない。 極めて大雑把に言えば、こんなところだと思うのですが・・・Awajiの印 象では、6:4??で南朝の言い分の方が筋がとおっていると思います。 南朝正統論者も、概ねその様に感じたのでは無いでしょうか? つまり、当時の論者にとって「正統(閏)論」の観点から「北朝正統」 を理論付けることは、困難だったと思うのですが? Time : 1999/12/30(木) 13:35:47
Name : ina E-mail : Title : Awajiさんへ Comments:  2000年というのは20世紀ではないでしょうか?  1世紀は1年から始まったはずですので、、。  下手な突っ込みどうもすみません。 Time : 1999/12/31(金) 14:06:10
Name : Awaji E-mail : Title : 来ミレニアム??? Comments: inaさんへ・・・・一本取られました。(>_<;) 来millenniumでした・・・これって「来二千年紀」って訳すのでしょう か?或いは「新千年紀」?・・・・(・・?) ビッガポー(デシタネ?)は、Y2Kで物騒な噂もあるようで・・・ まあ、たいしたことも無いでしょうが、妙齢の女性に唇を奪われないよ うご用心を! どっちにしても良いお年をお迎え下さい。\(^o^)/ Time : 1999/12/31(金) 14:57:31