Name    : 安部奈亮
E-mail  : s00v0128@ip.media.kyoto-u.ac.jp
Title   : INDEPENDENCE DAY
Comments: 
 Awajiさん、そう言うことならそのうちお答えします。でも,なぜ最初から,
1999/10/31(日) 11:28:45における書きこみのように質問せず,人によっては罵倒に聞こえ
る形で質問をなさるのですか?

 井沢先生のホームページであるのに,井沢先生のファンが訪問して,その多くが嫌にな
って去るこの掲示板の現状は異常です。
 勿論アンチ・井沢ファンは来るなと言っているわけではありません。ただ,顔の見えな
いインターネットでの議論くらいで人の意見は変えられません。井沢ファンの意見も変え
られなければ,アンチ・井沢ファンの意見も変えられませんし,変えようと思ってはなら
ない。どこかで手打ちが必要です。
 掲示板くらいで,自説の根拠をすべて説明することは不可能です。だからと言って,そ
れを完全には出来ない人の意見を無意味と決め付けることは,学会ならともかく,趣味で
細々とでも真実に近づこうとする者が集まる、このような掲示板ではしてはならないと思
います。
 ここでの,アンチ・井沢ファンの人たちの行為は,その範を越えていると思います。
 意識・無意識に関わらず,井沢先生のファンを嫌な気持ちにさせること度々です。
 勿論,井沢先生の説でも不完全なところもありましょうし,ファンはそれを指摘し,改
めることに対して吝かであってはならないでしょう。しかし、井沢先生のファンでなくす
るように仕向けることは決してしてはならないでしょう。

 日本人が沈黙するとき,その多くは拒絶を表しています(この場合グローバルスタンダ
ート云々は意味を持たない)。

 私がこの掲示板に来るのは,井沢先生と会うためであり,同じく井沢先生の作品を愛す
る友と会うためです。愛する井沢先生の作品が誤解されているときは,その誤解を解くた
めに努力はしますが,井沢先生に対して反対の立場を取る人たちと付き合う義務は基本的
にはないと思っています。

Time    : 1999/11/ 1(月) 00:50:21

Name : 勇者ロト E-mail : Title : 聖徳太子 Comments: みなさん、こん@@は。 ダイエー優勝してしまいましたね。あれよあれよという間に勝っちゃったという印 象です。来年こそ阪神にも頑張ってもらいたいと思います。サッチ−も無罪?とな ったことですし野村監督も野球に集中できるのではないでしょうか? 聖徳太子といえば仏教ですが、彼は仏教を崇拝する一方、日本古来の朝廷の神事も 廃することがなかったようです。つまり仏教の好いところ(都合のいいところ)だ けを導入したのだと思います。勿論個人的には相当深く仏教に傾倒していたようで すが、政治家としてのバランス感覚で仏教と日本固有の信仰を使い分けていたので はと思います。 では、日本固有の信仰とはなんでしょうか?これを神道というのはあたらないと思 います。神道とは以前も書き込みましたが仏教の導入以後に意識され、形式化され たものだと思っています。 それ以前の日本における信仰の根本は、「祖先信仰」だと思います。つまり血統主 義ではないでしょうか?太子と馬子は仏教の振興に力を尽くす一方、「天皇記、国 記」の編纂を行っています。これは血統主義に基づく祖先信仰ではないでしょうか? 「天皇記、国記」は現存していないようですが、その内容には興味がひかれます。 私は、仏教思想とは一味違ったものだつたのではないかと思っています。 「天皇記、国記」はおそらく、太子の時代の国のかたちと国家思想をあらためて、 書き綴ったものでないかと思っています。「記紀」の太子・馬子版を想像している のですが、みなさんは、「天皇記、国記」はどういったものだとお考えですか? どなたか、よければご意見下さい。お願い致します。 Time : 1999/11/ 1(月) 02:10:00
Name : Raffle E-mail : Title : 天皇記、国記 Comments: はじめまして  もしかして前王朝の歴史の記載されたもので、今想定されているものと全く 異なる事実が記載されていた。この時ばかりは前王朝にたいする日本固有の寛容性 (怨霊信仰に基づく)は適用されなかった、というのはどうですか?  以上、ド素人の思いつきでした。 Time : 1999/11/ 1(月) 11:34:27
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「罵倒??」 Comments: 安部さん、今日は。Awajiです。RESありがとうございました。 >>Awajiさん、そう言うことならそのうちお答えします。でも,な >>ぜ最初から,1999/10/31(日) 11:28:45における書きこみのように質問 >>せず,人によっては罵倒に聞こえる形で質問をなさるのですか? Awajiの感覚がおかしいのかも知れませんが・・・最初の質問(及び督促) の該当部分は以下のとおりですね? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・・・・・・・(省略) 因みに彼が万寿元年(1024)に従三位に叙された時も「関白猶子右近中将 源師房叙従三位」と記されているようです。 「養子」と「猶子」は混同されることもあり、彼自身についても記述が混 用されていますが、実態としては明確に「別氏族の猶子」でしょうね。 (この区別はここでは詳述いたしません。) 従って・・・ >>源師房は御堂流の後継者の次席にされます。・・・・ >>師房が次席であった証拠に、・・・御堂流から除かれています。これは師 >>房に遠慮してのことです。  と言う如き記述には無理があると思いますが、これは安部さんのご意見です か?それとも「藤原頼通の時代―摂関政治から院政へ」(平凡社、坂本賞三) の元記述によるものですか?? もし後者であるとすれば、チョット問題が大きいのですが・・・ Time : 1999/ 9/25(土) 19:34:00 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 安部さんお久しぶりです。Awajiです。少し時間的余裕が出来て顔を出さ れたようですね。もし学業に差し障りがないようでしたら、かなり時間 も経過していますので、次の質問にご回答頂ければありがたいのですが? (特に三番目の問題が重要ですので、これだけでも結構です) ・・・・・・・・・・・・(省略) *「養子・猶子」1999/ 9/25(土) 19:34:00 従って・・・ >>源師房は御堂流の後継者の次席にされます。・・・・ >>師房が次席であった証拠に、・・・御堂流から除かれています。これは師 >>房に遠慮してのことです。  と言う如き記述には無理があると思いますが、これは安部さんのご意見です か?それとも「藤原頼通の時代―摂関政治から院政へ」(平凡社、坂本賞三) の元記述によるものですか?? もし後者であるとすれば、チョット問題が大きいのですが・・・ 以上三点です。 Time : 1999/10/28(木) 12:24:26 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この文章の何処が「人によっては罵倒に聞こえる形で質問」なのでしょうか? (或いは全く別の部分でしょうか?) Time : 1999/11/ 1(月) 12:30:47
Name : 海野 荘一郎 E-mail : historico@geocities.co.jp Title : おじゃまします Comments: こちらが正式掲示板ですね ログを読む限り雰囲気悪そうですのが・・・(^^; 井沢先生の「逆説の日本史」の「歴史的」意義というのは 評価されているのでしょうか? 私は世界史に比べて日本史には興味がもてなくて 単なる単語の記憶だけで終わって あとは忘れるばかりでしたが 井沢先生の連載によって やっと歴史の大きな流れや人物たちに 興味がもてるようになりましたし 世界史の中における日本史の特長についても考えるようになりました 極私的には 先生の連載に日本歴史学?上の 「歴史的」意義があるように思われるのですが どうでしょう?(笑) Time : 1999/11/ 1(月) 12:39:42
Name : コテキン E-mail : Title : コテキン版関ヶ原論 Comments: 加藤清正は何故東軍(徳川方)についたのか? 巷では、石田三成憎しでついたとか、豊臣家中の尾張派(武断派)と近江派( 文治派)の対立からだとかいろいろ説があるが、俺はどれも的を得ていないな と思います。果たして清正は私情で政策を誤るような愚将だったのだろうか? 清正は家康に恩を売るために東軍についたのだと思います。清正は、豊臣が天 下を維持できる力がないことと知っていたのでしょう。ならば、家康に与して 家康に恩を売ることにより豊臣を一大名として存続させようとしたのだと思い ます。戦後の彼の行動を見ても一目瞭然だと思います。 今回、始めて歴史論の真似事をさせてもらいました。 突っ込まれるのが怖い・・・・・ Time : 1999/11/ 1(月) 16:34:54
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: 質問するのはタダだと思っているからそんな事になるんだろうな。答えるほうは 手間と時間と電話代を使っているということなんか、なにも考えてないんだろ。 Time : 1999/11/ 1(月) 18:02:31
Name : ネットキット E-mail : Title : 「天皇記、国記」 Comments: 勇者ロトさん、Raffleさんはじめまして! 「天皇記、国記」は通説では燃えてしまったので内容が不明とあるそうですけど、 これらの国家に関わる大事な書物にコピーが当時存在しなかったと言うのはなんか 不自然だと私は思ってます。 「燃えてしまった」ではなく「燃やした」が正解なような気がします。 本当はどうかは判らないですが…  憶測なので深く突っ込まれてもお答えできませんので、悪しからず A^^;) Time : 1999/11/ 1(月) 20:47:03
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 天皇記・国記 Comments: みなさん、こん@@は。サッチ−・ミッチー戦争に続いてマリアン・デヴィ夫人の 戦いが始まったようです。女性は元気ですね。不景気など何処の空という感じです。 Raffleさんレスありがとうございます。何方にも反応頂けないかと思いびび っていました。 さて、天皇記・国記は、「前王朝つまり蘇我天皇の系譜を綴ったものであったかも しれない」という風にRaffleさんのご意見を理解してよろしいでしょうか? 違っていたらごめんなさい。ただすぐにはご返事いただくことが不可能ですので そういう前提として話を進めさせていただきます。ご了承下さい。 私もそう思っていました。蘇我氏と天皇家違う系統の王朝だったからこそ、その歴 史を抹殺してしまう必要があり、蘇我氏(王朝)滅亡と共に闇に葬られたのではな いかと考えていました。 しかし、そうであれば何故新王朝の後裔(天皇家)はその正統たる歴史書である記 紀に天皇記国記の存在を記す必要があったのか?という疑問が湧きあがりました。 勿論現物は蘇我氏滅亡と同じくしてなくなっているのでその内容を隠滅するだけで よかったのかもしれませんが、いっそのこと天皇記・国記の編纂自体を隠滅するほ うがより完璧に歴史の彼方に葬ることができるはずです。 天皇記・国記の編纂は推古28年の事とされています。しかし問題なのはこれが編 纂の開始を表すのか、はたまた完成を表すのかも疑問なのです。 蘇我氏の滅亡時には、天皇記・国記は蘇我氏の館にあったそうです。編纂が完了し ていてたとすれば、蘇我天皇が当時の最高権力であったといえるかもしれません。 しかし編纂途中であったとすればどうでしょう? 蝦夷は太子と馬子によって創められた天皇記・国記の編纂事業という国家意識の根 幹にかかわる仕事を受け継いで、各豪族の系譜、歴史の記述を進めていたその途上 大化の改新によって中断させられた。しかし編纂に参加した官僚たちは編纂途中の 天皇記・国記の断片をもってもしくはその記憶を辿って記紀編纂に繋げたという風 に考えています。だからこそ天皇記・国記の名称は生き残れたのではないでしょうか? 国記については、改新後に中大兄皇子の手に渡ったということですが、中大兄がそ れを元に記紀の編纂を思い立ったのだと思っています。 Time : 1999/11/ 1(月) 22:23:01
Name : 勇者ロト E-mail : Title : ネットキットさん Comments: レスありがとうございました。 コピーというか、断片は少なくとも記紀編纂時までは残っていてたと考えています。 編纂事業という国家事業に携わる優秀な役人を蝦夷とともに皆殺しにしたとは思い にくいと思いませんか? 工藤ーっ!FA宣言したのなら阪神にきてくれー!!!!!!!!!!!!!! ここでさけんでもムダでした(笑)すいません。 Time : 1999/11/ 1(月) 22:49:16
Name : 大一大万大吉 E-mail : Title : コテキンさん Comments: 加藤・福島の7将が石田三成を襲撃したことについて、前田家家臣・村井勘十 郎は次のように記している。 「殿様(前田利家)死去。三日七つ刻より世情騒ぎ出し、それより四〜五日過 ぎ候て、石田治部少輔を佐和山へ追遣り候事に付き、若き大名衆、内府の御意 に入度体にて・・・・」 つまり、家康に気に入られたくての行動であると、当時の人々は見ていた。 豊臣を守るために家康に恩を売るためというのは納得出来ない。家康そのもの を倒すほうが早いと思いませんか? もし秀頼のためというなら、家康に恩を売ったというよりも騙されたと見たほ うがいいのでは? 豊臣を大名として温存するためという考えは不可能。豊臣は徳川の幕藩体制に 組み込まれたわけではない。歴史の教科書に慣れているとそのような考えをだ れしも起こしがちだが(もちろん私もそうだった)、丁寧に史料を見ていけば そうではないことがおわかりいただけると思う。 二条城で家康・秀頼が会見した時のこと。 「秀頼公上洛、則家康公の二条へ御越、家康公庭上まで出給ふ」 (庭まで行って出迎えるというのは、主人が家臣に対してすることではない) 「まづ秀頼公を御成の間へ入れ申し」 ここは二条城で最高の座席。貴人を迎えるためなどの。 「その後家康公出御あり、互いの御礼あるべきの旨」 対等のあいさつ、の意味。 確かに秀頼が上座を辞退し家康に譲ったわけだが、これは年長者であり千姫の 祖父にあたる家康に対する儀礼と見るべきである。 結論。加藤清正はただ豊臣を君主と見ていただけであり、徳川に対して恩を売 るとか、後のことを考えた行動をとるような政治的に優れた人物ではない。 もちろん武人として、また国主として優れていたことは私も認める。 コテキンさん、私の文体は気になさらずに。 つっこみですが、私も昔はさんざんやられました。 これからもがんばってください。 私が出ると雰囲気が悪いといわれるので、 そろそろ退散いたします。 Time : 1999/11/ 2(火) 01:07:49
Name : XXXXXX E-mail : Title : 大一大万大吉氏 Comments: あんたがひっこむんなら、おいらもひっこむよ。 Time : 1999/11/ 2(火) 07:17:26
Name : Raffle E-mail : Title : 勇者さま Comments: しかし、そうであれば何故新王朝の後裔(天皇家)はその正統たる歴史書である記 紀に天皇記国記の存在を記す必要があったのか?という疑問が湧きあがりました。  私はこれについては権威付けであると考えています。編纂の時点で、記紀と言え ども新たに編纂された歴史書ですから、現在の新刊で推薦の言葉が必要であるよう に権威が必要だったのではないでしょうか。  政権交代後の官僚の態度については、私は前王朝への思い入れ、みたいなものは 想像しにくいのですが。  曲解のしすぎかな?    ところで単純な質問はよろしいでしょうか? Time : 1999/11/ 2(火) 07:44:43
Name : 薩摩人 E-mail : Title : 久々に来てみたら Comments: みんな気張っちょるねぇー! Time : 1999/11/ 2(火) 09:35:26
Name : 輔住 E-mail : Title : 清正 Comments: コテキンさん、大一大万大吉さん、みなさんこんにちは。 加藤清正についてですが、私は石田や小西との対立が原因が 最大の理由として東軍についたと思います。 多分、家康が実権を握っても「秀頼が成長するまで」と 思っていたでしょう。 (つまり豊臣を守る気持ちはあったが家康の野望には気づかなかった) 家康に恩を売って、豊臣家を守るというのなら 戦後は(清正や武断派の武将の数人が)政権の重要ポストにつくのを 条件に東軍につくでしょう。 ところがそうした動きはなく、ただの「領土UP」で終わりです。 Time : 1999/11/ 2(火) 11:09:34
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 国記、帝記の行方 Comments: に関しては、私は定説に特に疑問はないのですが、 蘇我本宗家が滅びたときに、消えてしまったかの ようにいわれているのは少し気にかかります。 蘇我氏が強かったとしても、天皇家がもう一部くらい持っていてもいいはずです。 多分資料くらいは残ったと思います。 ただ、国家のアイデンティティーの大元の歴史書が、 天皇の手元になくて、臣下の手にあったというのは不思議です。 もし残っていたとしたら、桓武天皇が、朝鮮半島に関わる記録を 焼却したときに消されたのかもしれません。 Time : 1999/11/ 2(火) 16:27:55
Name : ネットキット E-mail : Title : 朝鮮半島の記憶? Comments: 安部奈亮さんへ >もし残っていたとしたら、桓武天皇が、朝鮮半島に関わる記録を >焼却したときに消されたのかもしれません。 あのぉ〜、これ意味が一寸判りづらいのですが、桓武天皇が天皇家のルーツが 朝鮮半島である事を抹殺したと言う意味なのでしょうか? それとも純然たる 朝鮮半島からの帰化人達や文化伝播の証拠隠滅? 天武天皇系列の呪縛から脱する為に平城京から都を移している、ぐらいの感覚 しかありませんでしたが。。。。 Time : 1999/11/ 2(火) 18:24:01
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 権威と隠滅 Comments: みなさん、こん@@は、阪神は工藤取りに動かないようです。あかんかってもとりあえずいってみたらええのに・・・・・・・。 安部さん >ただ、国家のアイデンティティーの大元の歴史書が、 >天皇の手元になくて、臣下の手にあったというのは不思議です という事は、蘇我氏滅亡の時点で天皇記国記は完成していたとお考えなのですね。 私は蘇我邸にあったのは編纂途中だったからではないかと想像しています。渡来 系の氏族を束ねる立場にあった蘇我蝦夷は渡来人の文筆能力によって天皇記・国記 を編纂させ、完成の暁に天皇家に納めるつもりだったのではと考えています。 ちょっと想像部分が多すぎますし、天皇の宮において編纂を進めなかった理由には ならないとは思いますが・・・・・・・・。 Raffleさん 権威づけということですが、この場合は聖徳太子への権威づけではなく、史書から 史書への権威付けという意味ですよね?聖徳太子が編纂したという権威を利用した のではなく、記紀には天皇記・国記の内容も含まれていてさらに訂正を施したより 完全な歴史書という意味での権威づけですか? もしそうなら、天皇記・国記は古事記序文のいうところの「帝皇の日継と先代の旧 辞」と同じようなものというお考えですか?いわゆる帝紀・旧辞と天皇記・国記が 同じ物なら、記紀特に古事記はそれを纏めなおしたものと宣言しているわけですね。 前王朝への思い入れというのは、蘇我王朝への忠誠心ということでしょうか? 私は忠誠心があってもなかっても、編纂した内容の隠滅はできないのではと考えて おります。彼らの中に少しでも正統とか正しい歴史という意識があれば蘇我王朝が 存在したという重大な事実を完全に隠滅することを承諾したとは思えません。 蘇我蝦夷邸が焼け落ちたとき、国記を持ち出したといわれる船氏は渡来系の氏族で す。彼は焼け落ちる邸宅から命がけで国記をもちだし、それを改竄するのを黙って みていたのでしょうか?正しい歴史を書き残すという情熱が船氏に国記の持ち出し を実行させたのではないかと考えています。 だんだん何がいいたいのかわからなくなってきましたので今日はこのへんで失礼し ます。 最後に >ところで単純な質問はよろしいでしょうか ということですが、どういった質問でしょうか? 私に十分な回答ができるかどうかが心配です。 私の想像が入りまくった答えでよろしければいつでもお答したいと思います。 質問への答えを見て嫌にならないでくださいね。お願いします。 Time : 1999/11/ 2(火) 21:07:20
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「天皇記・国記」?? Comments: 勇者ロトさん、みなさん。今日は。Awajiです。 「天皇記・国記」についてですが、チョット一言です。 (直前部分は未読のまま発信しますがお許しを・・・) @「天皇記・国記」の焼失・・・ 書紀によれば「蘇我臣蝦夷等臨誄、悉焼天皇記・国記・珍宝。船史恵尺、 即疾取所焼国記、而奉献中大兄」とありますので、国記は焼失を免れ たと思われます。(この記述を疑うべき理由は余り無いでしょう。) A蘇我宅にあった理由・・・ 推古紀28年「是歳、皇太子・嶋大臣共議之、録天皇記及国記・・等本記」 とありますが、翌年二月に皇太子(聖徳太子)が薨去しています。 この録本記(もとつふみをしるす)は草稿と思われ、太子急死のため未完 のまま共同作業者の蘇我宅に置かれていた可能性があるでしょう。 未完であるため、コピーも無く天皇家に置かれていなかったとも考えられ ます。 (620年から645年の25年間も未完と言うのは不自然と思われるかも知れま せんが、書紀も天武発案680年頃から720年の40年間を要しています。) 仮にこれが実質的蘇我王朝等を意味するものならば、書紀は蘇我宅保管の 事実をも抹殺するでしょうから、特に政治的意味はないと思われます。 B残存国記と書紀・・・ この国記が書紀の底本となったのは先ず間違いないと思われます。 (これを否定すべき積極的根拠は無いと思います。) C国記は何故現存しないのか・・・ この当時の古書は、殆ど現存していません。(多くの逸文で存在したこと は確実ですが・・・)桓武以下が貴族・官吏の必須教養とした書紀でさえ 系図は消失しており、風土記も極一部のみしか現存していません。 従って、正史完成後は単なる底本となった「国記」が現存しないことに特 に不思議は無いと思います。 D桓武は「国記」を焚書したか・・・ 桓武は、天智直系孫であることを強調し、天武系の復活を峻拒しましたが、 一方では、天照ー神武ー応神ー継体ー天智の天皇家万世一系を正統付ける 神国思想史書である「日本書紀」を強力に推奨していますので、その底本 であろう「国記」を焚書するとはチョット考えられないでしょう。 E天皇記・国記の思想・・・ 書紀によれば、推古15年「・・・今当朕世、祭祀神祇、豈有怠乎。故群臣 共為喝心、宜拝神祇。甲午、皇太子及大臣、率百寮以祭拝神祇」とあり、 仏教と共に神祇崇拝が重要な政治的意味を持っていたと思われます。 この神祇崇拝に、天皇家を中心とする祖神(先祖)崇拝的要素があったこ とは容易に想像されますが、一方ではその基底に自然崇拝的要素があった ことも否定できないでしょう。 この自然崇拝の最大のものが「太陽崇拝」であり、大王(天皇)家は祖神 を「太陽」とすることで、祖神(先祖)崇拝と自然崇拝を巧みに融合させ たと思われます。この思想は、おそらく卑弥呼以前にほぼ確立していたの では無いかと考えております。 以上・・・概ね勇者ロトさんのご意見に賛成ですが、細部は異なっている かも知れません。 Time : 1999/11/ 2(火) 23:05:18
Name : Raffle E-mail : Title : 勇者ロトさま Comments:  こんにちは  どうも私をかいかぶられているのか、と不安です。  私の曖昧な考えがクリアにまとまっていまして、恐縮します。 おっしゃるように史書から史書への権威付けという意味です。 そして、まさに天皇記・国記は古事記序文のいうところの「帝皇の日継と先代の旧 辞」と同じようなもの、というつもりでおります。    中国での歴史記述者の、真実に対する誠実さ、というのは良く言われる事であり ますし、船氏は渡来系の氏族ですから、そう言った意味では改ざんはなかった、と いう御意見は納得できるものですね。  ところで私は以前にも申し上げた通り、Awaji氏のように、骨の有る方で無 く、マル経の学生の話しを聞けば、そうだ、と思い、また、反対の意見を聞けば、 そうだ、と思っていたので、フラフラ人間です。  それを御承知願っての質問。  中国の歴史家の、歴史記述に対する誠実さ、というのは単なる中国美化ではない のですか?対して日本では御用歴史書が編纂されている、という対比のための。 Time : 1999/11/ 3(水) 07:56:54
Name : ネットキット E-mail : Title : ちょっと質問! Comments: 記紀が話しに上がったついでと言ってはなんですが、 先代旧事本記や古史古伝と呼ばれているものは偽書になるのでしょうか? 竹内文書などは偽書臭い気がするのですが、富士宮下文書あたりは富士山の活動 記録が正確なのも科学的に証明されているようで、ある程度正しい史実の反映が あると思っいるのですが、実際はどうなのでしょうか? 何方か詳しい方教えて下さい。 Time : 1999/11/ 3(水) 18:18:52
Name : コテキン E-mail : Title : 清正2 Comments: 加藤清正と石田三成は何故対立していたのか? 俺の勝手な考えですが、おそらく秀吉死後の豊臣家の方針の考え方が 原因だと思います。性格の違いもあるのでしょうが・・・ 三成はあくまで家康と戦い、豊臣の天下を守ろうと考えていた。だが 清正は秀吉亡き後の豊臣には、徳川家康に対抗できる人物がいないこ とを知っていた。それ故、清正は豊臣家は徳川家の元で一大名として 存続すれば良いと考えていたのである。前田利家の死後に三成の暗殺 を企てたのも、豊臣の害になる(と、清正は考えていた)三成を排除 しようとしたのである。 続く。 Time : 1999/11/ 3(水) 21:06:19
Name : きんたろう E-mail : Title : 中国人が最も信頼するものは Comments: こんばんは、Raffleさん。 はじめまして。 陳舜臣先生は中国人が最も信頼するのは歴史ではなかろうかと書かれています。 中国人は書かれた歴史、これから書かれるであろう歴史を人間生活そのものとして 尊重するとのことです。 歴史に書かれなかった行動はなかったものと同じである、と中国人の心理の中には その様な歴史主義が潜んでいるとも書かれています。 青史に名をとどめる事が男子の本懐であり、まだ志を得ない書生は「千年の史策無名を恥ず」 と自分を励ましたとあります。 歴史を絶対視するエピソードとしては春秋時代に斉の荘公を殺した事件があります。 現代が「歴史」として書かれるのは前例に従えばかなり後の時代になると思います。 利害関係のない人物が書くことになるのではないでしょうか。 ちなみに「新元史」が完成したのは20世紀になってからとの事です。 Time : 1999/11/ 3(水) 22:16:15
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 中国史書と卑字 Comments: みなさん、こん@@は、まあしかしなんですね。文化の日。公立の施設は入場料が 無料になる所も多かったようです。何処かへお出かけになって文化的な1日をお送 りになられましたか?私は公立の文化施設はここ10数年図書館くらいしか利用し てません。図書館はもともと入場料とらないし・・・・。 Raffleさん、ご心配なく。私もどんな思想の記事を読んでもなるほどと思う 定見のない人間です。でも、思想にこだわるより、その時々の好奇心がみたされる ほうがいいと思っています。今の所(笑)。(明日には言う事が変わってるかもし れません) 中国史書の信憑性は、中国の歴史についてのみ十分な信用がおけるものだと思いま す。この問題は、以前邪馬臺国の話題が出たときにも考えたのですが、積極的に否 定する材料がないかぎり、ある特定の国家や人間の評価について、意図的な作為が あるとは考えにくいということです。しかし日本を含む周辺国の記述については意 図的なものでないはないにせよ間違いを含んでいると思いますし、誤謬はあると思 っています。司馬遷以来の伝統もある事ですし、情報源自体の間違い以外を除くと ほぼ正確なものではないでしょうか?情報源の間違いによって起こる誤謬も作者に とっては真実だったのでしょう。 以前は魏志倭人伝には陳寿の司馬懿に対する遠慮があり、司馬懿が担当していた東 夷方面(邪馬臺国)の記述に誇張があると思っていましたが、Awajiさんのご 指摘により少し考えが変わりました。邪馬臺国の記述があやふや?なのは情報自体 があやふやであったために起こったことだと思ってます。 中国史書については魏志倭人伝くらいしか(しかも訳本)読んだことがないのです が、中国美化の意識は勿論あったと思います。それは周辺国に対して卑字を使用し ていることからも推測できると思います。かといって内容に信憑性があるかないか は別問題だと思います。少なくとも作者たちにとっては真実であったのだろうと考 えています。 同じように、記紀なども決して単なる「御用社史」とはいいきれないと思っていま す。中国とは違い「万世一系の思想」をもとに書かれたものであるため脚色はある と思いますが、事件、事実の記述については信憑性があるのではないかと思ってい ます。記紀の編纂に関しては、中国史書の影響も受けて行われたものであるでしょ うから中国史書を書いた人間たちの思い、態度も、記紀を編纂したものたちに影響 を与えたのではないかと考えています。 つまり、中国史書の信憑性は、記紀との対比から求められるものではなく、記紀に しても、万世一系の思想を固めるためだけに書かれた信憑性がないものではないと 考えています。 今日もなんだかよくわからなくなってしまいました。御容赦下さい。 Time : 1999/11/ 3(水) 22:26:12
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 古史古伝 Comments: ネットキットさん、こん@@は。 古史古伝といえば、安本美典氏の東日流外三郡誌に対する記述を雑誌かなんかで 読んだ記憶があります。使用している紙、言葉などから偽書の疑いが濃いという ことでした。宮下文献、竹内文献、九鬼文献などがよく知られた古史古伝だと思 います。上記、先代旧辞本紀大成経なども有名ですね。 これらの文献は出てきた場所、伝えた氏族など各地に分散しているのにも関わら ず、同様の内容が記述されている部分が多いそうなので何かしら口承による伝承 が反映しているのではないかとも思います。また古事記や日本書紀の一書とも符 号する部分もあるということですので、おそらくは全くの出鱈目ではないと思い ます。ただ記紀を元に作られた新しい時代の神話である可能性も高く、現在の大 勢は「偽書」という判断が多いそうです。 実物の訳本なども読んだことがないので私には判断できかねます。 一編の真実は伝えているのではないかとも思いますが、皇国史観に反対する?意図 から書かれた偽書の可能性もあるとは思います。 でも、面白そうですね。機会があれば読んでみたいと思います。 Time : 1999/11/ 3(水) 23:10:53
Name : ネットキット E-mail : Title : 中国による歴史は正確か? Comments: 皆さん中国の歴史がとても正確だったと思われている様ですが、私はそれに 異議があります。 考えても見てください、現在の中国は南京大虐殺を30万人と言って歴史に 記入しているのです。当時20万人しか居なかった南京でですよ? 今ここで南京事件を取り上げる気は無いですが、現在の中国の歴史が指導者に とって都合が良いように書かれているのは事実だと思います。 逆に現在は兎も角、昔は正確だったと言う方もいると思いますが、私は昔も 結構いい加減で時の権力者に媚びた歴史だったのではないかと思っています。 夏の桀や殷の紂が奇妙に良く似たストーリーで暴君だったことなどはあまり 史実の反映とは思えないのは私だけでしょうか? 滅ぼされる王朝の多くの最後が暴君や暗愚な君主を描くのも必ずしも正しくは ないと思っています。中には徳川慶喜のような政権末期でも立派だった君主も いたのではないでしょうか? 私はどんなに贔屓目に見ても、新政権(新王朝)の正当性を否定する様な史実 は絶対に書かれなかったと思っています。 Time : 1999/11/ 3(水) 23:23:13
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 日本人が書く日本史よりは Comments: 正確だと思いますよ。 4千年前から,昔にしては大変正確な歴史を書きつづけているのは中国人くらいでしょう。 ただし,前王朝の末期の記述は本当のことは書けなかったかもしれません。 儒教をそれなりに信じていた人は,歴史にはめったなことでは 恣意的な記事は入れないはずです。 勇者ロトさんの言われるように,いいかげんな情報源ゆえの間違いはあると思いますけれど, その場合も、正確にいいかげんに?記述していると思います。 中華思想と言うフィルターは当然かかっています。 しかし,それを取り除くことは可能です。 同じ王朝が先祖に遠慮しながら,または物語(大鏡,栄華物語,太平記等) とは,段違いに正確だと思います。 何でそうかと言われると,一言では表しにくいのですが・・・ Time : 1999/11/ 4(木) 01:09:14
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 湯武放伐はどこまで本当か? Comments: 文王,武王が名君だったのは本当だと思います。 しかし,悪逆紂王と言うのは怪しいと思います。 周の支配を正当化するために、濡れ衣をかけられた可能性は高いでしょう。 あれは、当時としては辺境の遊牧民であった周が, 商を侵略したのだと思います。 封建制も,先住民を支配するために,諸侯を全国に配置した 侵略王朝がよくやる,軍事支配でしょう。 しかし,これを書いてしまうと孔子,孟子が歴史を捏造したことになり, 儒学を信じるものにとっては苦しい。 これだけは譲れない,中国人の神話なのかもしれません。 Time : 1999/11/ 4(木) 01:19:46
Name : Raffle E-mail : Title : みなさんどうもありがとう Comments:  こんにちは  なにか、みなさんものすごい(量的にも質的にも)書きこみをありがとうござい ました。私も陳舜臣先生の対談が頭の中にありました。    皆さんはどうか存じませんが、私は井沢元彦先生の文章を読みたくて、SAPI Oを購読しております。今回の中国についての特集記事を皆さんはどう読まれまし たか?   あの記事を半分くらい受けとめても、それだけで私は中国人が歴史に対しては誠 実だったとはとても考えられないのですが。 Time : 1999/11/ 4(木) 09:13:31
Name : きんたろう E-mail : Title : 焼肉定食 Comments: こんにちは、みなさん。 ネットキットさん、はじめまして。 中国の王朝の交代原理は「徳」の喪失にありますから、前王朝の末期が徳を失って いたと書くのは当然といえば当然です。 個人的に優れていようがそれはどうでも良いことになるのではないかと思います。 安部さんも書かれていましたが、先祖が違う事が事実を情け容赦なく書くことが できた要因の一つだと思っています。 こうした点が公平さと呼ばれものを生み出したのではないでしょうか。 ちなみに現在を「歴史」として書くのは遙か彼方の未来でしょうからその内容に ついては現在の権力者の影響の届かないところで行われる事になるはずです。 ネットキットさんは少し誤解されていると思いました。 「南京事件」については「トンデモ説」として後世では紹介されることになるかも 知れませんね。 Time : 1999/11/ 4(木) 10:21:49
Name : 輔住 E-mail : Title : コテキンさんへ Comments: >徳川家康に対抗できる人物がいないこ >とを知っていた。それ故、清正は豊臣家は徳川家の元で一大名として >存続すれば良いと考えていたのである。 上記のように思った理由を書いていただけるとありがたいのですが。 私は清正が豊臣が徳川の下でも我慢してくださいと説得するような ことをいつしたか疑問ですが。 Time : 1999/11/ 4(木) 12:48:22
Name : 通りすがりJr E-mail : Title : **? Comments: とてものことに、手間や電話料を気にしているとは思えないが? 「罵倒」や「朝鮮半島の記憶?」についても、このまま言いっぱなしに するつもりなの? ガキじゃああるまいし・・・ Time : 1999/11/ 4(木) 14:33:09
Name : コテキン E-mail : Title : 清正・3 Comments: 輔住さんへ つっこんでくれて有り難う!( ^)o(^ ) 誰も相手してくんないから寂しかった〜(:_;) では、本題。 大一大万大吉さんは、清正は、家康に気に入られたくて三成を暗殺しよ うとしたと書いてます。俺もその通りだと思います。俺が問題にしたい のは、清正は何故、家康に気に入られようとしたのか?である。 つまり、豊臣の家臣である自分が家康に心証が良ければ良い分、家康と 有利に交渉(性交渉じゃないよ)ができると考えたからである。 つまり、清正が東軍についたのは、決して自家の安泰のためばかりでは 無く(もちろんそれもあったと思います)、豊臣の安泰の為にもなると 清正は考えていたのである。 続く。 Time : 1999/11/ 4(木) 16:43:31
Name : B E-mail : Title : ごめんなさい。 Comments: 雰囲気を悪くするつもりはないのですが。常連としてちょくちょく議論に参加して おきながら、他人からの真剣な質問を無視するというのは私には理解できない精神 構造なのですが、いかがなものでしょうか。論争する値打ちのない質問を受けた が、自分の発言は議論する価値があるから投稿しているのだとお考えなのですか。 Time : 1999/11/ 4(木) 18:02:25
Name : @@@ E-mail : Title : 南京大虐殺は歴史(正史)ではない Comments: みなさん、はじめまして。ずっとロムしていたのですが 一言だけ聞いてください。 南京大虐殺が歴史として中国人により正史にきざまれるのは 中国共産党がなくなって以降のことだと思います。 つまり未来です。その意味できんたろうさんに賛成です。 中国人にとって「正統な歴史」とは違う描かれた王朝 とは違う王朝によって記述された歴史ではないでしょうか? こう考えるとまだ、中国共産党により支配されている限り 南京大虐殺は現段階で歴史とはいえないのでは? 南京大虐殺の有無をもって中国の史書がいいかげんだとい う意見には賛成しかねます。 Time : 1999/11/ 4(木) 18:09:15
Name : ネットキット E-mail : Title : 中国の歴史書 Comments: 安部奈亮さんへ 日本書記や古事記はよっぽど信頼されてないのでしょうか? それとも中国の歴史を正確無比とお考えですか? 私に言わせればどっちもどっちだったと思います。昔の中国の方が歴史を技術的に 筆記する能力が上だっただけな様に思います。 それから、儒教がいくら進んでいても歴史書を書く本人の思い違いや時の権力者 からの圧力は必ずあると思います。現在の日本だって教科書に「侵略の文字を記 入しろ!」と言う様な圧力がありますよ。儒教だから、と言うのは理由にならない と思いますけど… きんたろうさん、@@@さん 始めまして。 「次の新しい中国の王朝は正しい歴史を書いてくれるだろう」と思ってらっしゃる 様ですが、南京大虐殺があったとされている時代はまさしく前王朝の「中華民国」 の時です。次の「中華人民共和国」があった!あった!と騒いでいる事実はどのよ うにお考えでしょうか? 私は過去がどうあれ、これから20年30年と月日が経つと南京大虐殺が史実と認定 されてしまうのが心配です。後世の人間が日本側の資料をみて「やっぱり有った」 などと判断される恐れはないと言い切れるのでしょうか? Time : 1999/11/ 4(木) 19:19:26
Name : @@@ E-mail : Title : ネットキットさまへ Comments: >次の新しい中国の王朝は正しい歴史を書いてくれるだろう」と思ってらっしゃる そんなことはおもってません。 これを持って中国の史書がいいかげんだとはいえないといってるのですが? 事実はどうであろうと正史を書き残す人間たちはそのことを事実として書き 残し、書いている最中に権力者により、史実の改竄を迫られたとしても、そ れを受け入れなかったであろうということです。 南京大虐殺があつたかなかったということについては、私には想像もつきません。 >次の「中華人民共和国」があった!あった!と騒いでいる事実 そうなんですか?知りませんでした。すいません。 >私は過去がどうあれ、これから20年30年と月日が経つと南京大虐殺> >が史実と認定されてしまうのが心配です。後世の人間が日本側の資 >料をみて「やっぱり有った」などと判断される恐れはないと言い切 >れるのでしょうか? それはそうでしょうね。私も心配です。でも私にはどうしようもできません。 ということで、これで失礼させていただきます。再びロムに戻ることに致します。 Time : 1999/11/ 4(木) 19:47:15
Name : ネットキット E-mail : Title : 中国の歴史書 その2 Comments: @@@さんへ さっそくの御返事ありがとうございます。 >そんなことはおもってません。 すいませんでした、一方的に決め付けたように受け取られてしまいましたね。 お詫びします。 <(__)> >これを持って中国の史書がいいかげんだとはいえないといってるのですが? はい。言えません。でも正確だったとも言えないと思います。 私が根拠としているのは王朝交代時の前王朝の書き方が気になった為、全てが 正確ではないと思ったに過ぎません。それにその当時の技術的限界が真実を遠ざ けている可能性も考えられると思います。 歴史書とは常に批判される立場にあるべきだと思います。同じ時代の別々の国が できれば敵対する国が同じ事象を同じ様に書いていれば、それを真理とみなすのが 歴史書の鉄則だと思います。 私だって中国の歴史書が全て嘘八百だったとは思っていませんよ! 念のため。 Time : 1999/11/ 4(木) 20:11:15
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「古史古伝類」?? Comments: ネットキットさん、勇者ロトさん、今日は。Awajiです。 ネットキットさん・・・「看聞御記」は、お読み頂きましたか? さて・・・古史古伝ですが、次の書籍に比較的コンパクトにまとめられて いますので、ご紹介いたします。 「異端 日本古代史書の謎」ー大和書房 ミニエンサイクロペディアシリーズ10ー田中勝也著 上記・天書・舊事大成経・秀真伝・富士宮下文書・東日流外三郡誌 日本総国風土記・九鬼文書・契丹古伝 等の異端古伝が簡潔に紹介されてい ます。 「歴史読本 消された歴史書『古史古伝』」昭和63年11月号にも 但馬故事記・桓檀古記 等が紹介されていますが、チョット際物的です。 Time : 1999/11/ 4(木) 22:27:35
Name : きんたろう E-mail : Title : 木鐸(別に深い意味はなし) Comments: こんばんは、みなさん。 ネットキットさん、素速いレスを有り難うございました。 私の記憶ではまだ「清朝」の正史の編纂には取りかかってはいないはずです。 その理由は前にも書いたとおりで、まだ書く時期ではないとの判断からだと思っています。 これこそが中国人が歴史の前で神聖になる姿だと思います。 中華民国史についてはさらにその後になるのは明白です。 「南京事件」については常識で考えれば「不可能」な事は明白だと思います。 虐殺の伝統もなく、またその必要もなく、実行する人員も足りず、といった 様々な面から見てもあり得ないことだと思います。 Time : 1999/11/ 5(金) 00:53:08
Name : 輔住 E-mail : Title : 理由が??? Comments: コテキンさん やっぱり「理由」がわからないね。 たとえば、三成襲撃事件が家康に気に入られるために やったと言いましたね。 それは「保身」が主な理由だったというのならば ひとつの筋が通っていると思います。 でもそれだけじゃないとコテキンさんはおっしゃってる ならそう考える理由が知りたい。 家康との交渉材料といわれても 家康が関ヶ原以前に豊臣を滅ぼすうんぬんなど 言えるはずがないでしょう。 (そんなことをいったら家康は自滅) 申し訳ありませんがいままでの話だと ただ清正を贔屓しているだけという印象です。 Time : 1999/11/ 5(金) 14:55:19
Name : とろ E-mail : Title : 伊達政宗の手紙 Comments:  数年前、とある東北の財界人(故人)が自分の一代記の中で郷土の英雄 伊達政宗について言及していた文章を見たことがあります。その中で彼は このような見解を出していました。  「政宗はこのような手紙を書いている。『秀吉公亡き後、このまま 秀頼公を大阪城に留めておけばよからぬ輩が若君を利用して天下を大乱に 陥れ、若君の地位が危うくなるかもしれない。そうなる前に適当な地に お国替えするなどしてしかるべき対応をしておくべきではないかと思う。』 おそらくほとんどの大名も同じ思いであっただろうが、結局淀君の 我が儘がそれを駄目にしてしまった。・・・」  織田大蔵『大物になる本』三笠書房(だったと思います。もしかしたら 別の小説かなにかかもしれません。)より。  この本は別に歴史の本ではありませんが、根拠を示している分検討の余地は あると思います。どなたか他にこの手紙のことをご存じな方いないで しょうか??(僕の記憶違いの可能性もあります。そうだとしたら本当に 申し訳ありません。) コテキンさん、輔住さんもおっしゃっていますが、まず貴方がそのように 思われた理由となる根拠を示していただけないでしょうか。 原典や古文書でなく、小説などでもかまいません。 僕も加藤清正のことは海音寺潮五郎で読んだくらいしか知りませんが、 その範囲でかまわなければお答えしようと思います。 Time : 1999/11/ 5(金) 15:25:26
Name : コテキン E-mail : Title : 輔住さんの問いに答える Comments: 加藤清正は、関ヶ原の戦後、慶長一六年に没するまで豊臣家に忠誠を尽くして いました。二条城での家康との会見の折りには豊臣秀頼の側についていまし た。これは、自家の安泰のみを考えている人には出来ない行動です。当時の徳 川家の最大の敵である豊臣に忠誠を尽くせば、家康に睨まれ家をつぶすことに なります(実際、潰された)。それくらいのことは清正ほどの者ならば分かっ ていたと思います。それでもなお、豊臣に忠誠を誓ったのは清正には家の安泰 よりも豊臣への忠誠の方が大事だったのだろうと俺は推測しています。 あと、家康が戦前に豊臣を潰すなどと公言しなくても(するわけない)当時の 情勢から見て、豊臣家が家康に滅ぼされる可能性を推測することが充分可能だ ったと思います。 Time : 1999/11/ 5(金) 19:27:50
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 古史古伝 Comments: Awajiさん、ご紹介ありがとうございました。 今読んでいる本(道元関係)が読み終わったら書店で探してみたいと思います。 Time : 1999/11/ 5(金) 21:55:02
Name : 名探偵!金田一耕介の孫娘 E-mail : Title : 清正 Comments: みなさーん、こんばんは! 清正の話題が出たので一言! 清正が家康に取り入ろうとしたというのは、飽くまで豊臣家大老としての家康に 対してだとおもうの。 豊臣家への個人的な忠誠心という面から見れば、おそらく家中でも一.二だっと 思います。あと正則も三成も秀家もそうだと思います。 でも、この忠誠心は政治的においをもたないと思ってます。 でも三成だけが「政権を持つ豊臣家」を残そうという意識があったんじゃないかな? 加藤や福島の忠誠心というのは、秀吉が織田家に持っていた忠誠心に近いもので それは「政権」のあるなしに関わらない個人的な意味合いが強いもので、三成の よーに豊臣政権が未来にまで続くためのものではなかったと思います。 加藤や福島は武将として織田から豊臣への政権交替を見て育ちました。 それは、実力主義による政権交替の形態だと思います。豊臣から徳川への政権交替 も彼らとしては同じ意味合いだったのではないでしょうか? つまり、「天下の仕置きは家康に」ということと、「豊臣家の個人的存続」が両立 すると踏んでの行動だと思います。実際織田の宗家は秀吉全盛の時代形式的・血筋 的にも存続していますが、これは非常に甘い読みだったと思います。勿論千姫まで 輿入れさせた家康が秀頼に牙を剥くとは思えなかったのは解らない気はしません。 家康は自分が老いるたびに増していく将来への禍根への焦燥を除くため豊臣政権 だけでなく豊臣家自体を滅ぼそうとするという事に関ヶ原の時点で思いがおよば なかったのでしょう。 それに気がついたのは、関ヶ原の後になってからだったのでしょう。 しかし、遅すぎました。家康から積極的に豊臣家を守ろうとするはずだった勢力 を自らが滅ぼす手伝いをしてしまったのですから・・・・・。 その後悔は、おそらく身も千切れんばかりのものだったと思います。 だからこそ、肥後の大名となってまでも秀頼の命を守るためだけに自らの命をかけ 警備の役目を背負ったのではないでしょうか? 清正も福島も戦国武将としては大変有能な人物だったのには間違いないでしょう。 ですが、平時の政治家としては向いていなかったのだと思います。 家康も加藤の命を賭けた忠誠を目にしたからこそすぐには、秀頼征伐には動けな かったのかもしれません。清正の死を確信したからこそ1611年に大名たちに あらためて徳川幕府への忠誠を誓わせる誓紙3か条を取ったのだと思います。 清正の命も1611年で終わったようです。豊臣家の命運もこの年はっきりした のかもしれません。 Time : 1999/11/ 5(金) 22:42:52
Name : Toshy E-mail : Title : コテキンさんへ Comments: あなたの歴史に対する勉強は、はっきりいって幼稚そのものです。 いまなお「豊臣が徳川の一大名に落ちた」などと考えている人がいるとは、驚き。 9月7日にToshyが書いた「関白vs征夷大将軍」を読めばわかりますが、 ことはそんなに単純じゃないのよ。 あなたの知識は、せいぜいお子様向けの入門書か小説でしょうが、 史書に目を通してからモノを言ってください。 徳川が豊臣を滅ぼす可能性を、清正は見ていた?わはははは。 (笑いが止まらんわ) 繰り返すけど、当時はね、徳川は豊臣の大老であり、 いずれは天下を豊臣に返すと、みんな思っていたの。 あの親徳川の伊達政宗ですら。 もう一度Toshyの「関白vs征夷大将軍」をお読みください。 史実そのものです。あなたの妄想とは違います。 まあ、あなたには高度な書き込みを理解する頭などないでしょうが。 Time : 1999/11/ 5(金) 23:15:04
Name : 名探偵!金田一耕介の孫娘 E-mail : Title : Toshyさんへ Comments: こんにちはー! >いずれは天下を豊臣に返すと、みんな思っていたの。 ここは、ちょっと疑問なのです。本当にそうなんでしょうか? 当時は、織田から豊臣への政権移行が行われ、ほとんどの大名はその成り行きを 知っています。そのきっかけはカリスマ的主導者の死です。秀吉の死後、幼い 秀頼を守護していた家康が、秀吉が織田家にしたのと同じことをせずに、大人しく 政権を返すと本気で思っていたのでしょうか?もちろん建前上は家康は豊臣の大老 でした。それ以外の身分つまり征夷大将軍を豊臣家からではなく自らの力で手にし た時にはほとんどの大名は気がついたのではないでしょうか? 遅くても征夷大将軍に家康がなったときにはみんな豊臣政権が有名無実化 したことは理解したのではないでしょうか? ちょっとずれた質問なのかもしれません。 Time : 1999/11/ 6(土) 00:28:07
Name : くずみ ゆら E-mail : Title : 久しぶりの書き込みです Comments: 皆様お久しぶり、もしくは初めまして。 南京大虐殺について一言ですが・・・ ネットキット様が >南京大虐殺があったとされている時代はまさしく >前王朝の「中華民国」の時です。 と書き込みされてますが・・・ あの戦争当時、既に現在の中国を支配する勢力が存在して日本と の戦争に参加していた事実をお忘ではないでしょうか? 形式的には当時の中国を代表する政府は「中華民国」でしたが、 国民党政権は共産党政権(=中華人民共和国)と手を結び、日本 に対して共闘していたはずです。 南京大虐殺を中華民国の歴史と言うのは無理があるように思います。 私は中華人民共和国建国の戦いの歴史と認識する方が無理がないよ うな気がしますが・・・いかがでしょうか? Time : 1999/11/ 6(土) 02:05:20
Name : コテキン E-mail : Title : Toshyさんへ Comments: どうも、早速書き込み読ませていただきました。 ただ、「豊臣が徳川の一大名に落ちた」など、書いてないですよ。俺は「清正 は豊臣を一大名として存続させようとした」書いたのです。 あと、それから 俺の書き込みを批判するのは自由ですけど、あなたの批判にはかなりの悪意が みなぎってるようですね。たしかにToshyさんからしたら俺などは幼稚な のでしょう。だけどもうちょっと言い方ってもんがあるんじゃない? まあ、あなたと罵倒合戦をやらかす気は毛頭ないので俺はここらで撤退させて もらいます。 それでは。 Time : 1999/11/ 6(土) 07:11:45
Name : コテキン E-mail : Title : 暴慢児Toshyさんへ Comments: 俺が何故、ここの掲示板に清正論を書いたかと言いますと、自分の発言を叩き 台にして批判に耳を傾け自分の考えを深めようと思い、書いたわけです。 だから批判は大歓迎だし、輔住さんや大一大万大吉さんの批判にも感謝こそす れ両氏に悪意などは持っておりません。 しかし、あなたの批判には感情の面でかなり受け入れづらいものがあります。 自分は今までにいろいろな議論系掲示板に顔を出し、批判や罵倒もたくさん受 けているのでさほどショックは無いけど、これがもし初めて顔を出すような人 だったら衝撃はどれほどのものだろうかToshyさんには分かっているのだ ろうか?たとえあなたの発言が正論であったとしてもあなたの下の書き込みを 読んだ他の人たちはどういう印象をもつだろうか恐らく考えたことなどないの でしょう。ここの掲示板の参加者はいざ知らず、たいていの人はあなたの言葉使いに良い印象は持たないと思います。 議論にハマルのも結構だけど、もうちょっと「対人距離」を身につけたらいか がか?一応、警告しておく。 Time : 1999/11/ 6(土) 07:38:54
Name : はなたれ E-mail : Title : コテキン氏へ Comments: 私も、同感です。ここの掲示板は一部へんな人がいる。 Toshy氏のあなたのへの文には、悪意しか感じられない。 あなたではなくToshy氏のような人にこそ、撤退していただきたい。 Toshy氏は、この投稿をみてまた激怒するかもしれない。 もしくは、殊勝に「あなたのため」とか「真実」とか「史実」とか をならべたて、一見立派な謝罪と好い訳をするかもしれない。 多分、悪意を覆い隠して・・・・・。 Time : 1999/11/ 6(土) 07:50:41
Name : アトムボーイ1 E-mail : Title : うーむ Comments:  コテキンさんへ  はじめまして  前の関ヶ原の時から参加しているものですが、、。  Toshyさんの言いたいのは、要するに以前の議論も踏まえてほしい、という ことだと思いますよ。  前回、といってもごく最近にかなり煮詰まった議論をしたばかりだったのでああ いう表現になっただけだと思います。  彼特有の言いまわしのようなものですから、気にせずまた一緒にやりましょう。 Time : 1999/11/ 6(土) 11:17:39
Name : じゃがいも E-mail : Title : 私も反省しよっと。 Comments: コテキンさんと Toshyさんの書き込みを見ていると「ふぉーらむ」の おいらとあおつ氏の空気に似ているかもしれない。 あおつ氏には結構きつい言い方をしたと今は反省してます。 (だからと云って「南京大虐殺はなかった」の主張は取り下げるつもりは  無いです) でも、じゃがいもは個人的にあおつ氏に恨みはありませんからね。>あおつ氏 お互い意見が食い違うというだけで相手の人格攻撃をしてしまうのは、 本当に良く無いと思います。 此処は意見を戦わせても個人攻撃や相手の意見を頭っから否定するのは慎む べきですね。 Time : 1999/11/ 6(土) 12:33:40
Name : きんたろう E-mail : Title : 日々反省(^^) Comments: 皆さんこんにちは。 コテキンさん、Toshyさんはいい人ですよ。 アトムボーイ1さんも書かれていますが「関ヶ原」についてはつい最近も話題に なったのです。 やはり最初の登場の仕方が「山びこの術」という究極奥義(笑)とともにありました からイメージ的にどんな人かなというところがあったのだと思います。 (私も驚きました。理由は前に書いたとおり) はなたれさんも過去ログを読まれればToshyさんが尊敬すべき人物だということが よく分かると思います。 悪意を持つほど親しく知らないのですから誤解ですよ。 Time : 1999/11/ 6(土) 13:27:49
Name : きんたろう E-mail : Title : 日々反省(^^) Comments: 皆さんこんにちは。 コテキンさん、Toshyさんはいい人ですよ。 アトムボーイ1さんも書かれていますが「関ヶ原」についてはつい最近も話題に なったのです。 やはり最初の登場の仕方が「山びこの術」という究極奥義(笑)とともにありました からイメージ的にどんな人かなというところがあったのだと思います。 (私も驚きました。理由は前に書いたとおり) はなたれさんも過去ログを読まれればToshyさんが尊敬すべき人物だということが よく分かると思います。 悪意を持つほど親しく知らないのですから誤解ですよ。 Time : 1999/11/ 6(土) 14:12:08
Name : きんたろう E-mail : Title : 失礼しました(^^) Comments: ボタン操作を間違えました。 山びこ1回返しの術でした。 Time : 1999/11/ 6(土) 14:15:20
Name : 暴慢児Toshy E-mail : Title : コテキンさんへ Comments: 大変申し訳ありませんでした。 私も、ひどい感情的反論を受けたことがあるのです。 もちろん私は不真面目な方なので、 まともに感じたことはありませんが。 Time : 1999/11/ 6(土) 23:05:39
Name : Toshy E-mail : Title : はなたれさん、ご忠告感謝しますよ Comments: 私には建前というものがないので、お許し願います。 ひどすぎでしたね。まじで反省。 コテキンさん、もう一度。大変申し訳ないことを致しました。 Time : 1999/11/ 6(土) 23:12:47
Name : ネットキット E-mail : Title : 日本人の良い点? Comments: 日本人は自分が悪いと思ったら率直に「すいませんでした」と素直に謝れる人が 結構多いですよね。 (^-^)V これが行き過ぎると所謂、自虐史観になってしまうのでしょうが、反省する点を 考えれば良い事だと思います。某国人のように他人には侵略を反省しろと促すのに 自分達も弱い他国には侵略して、反省の色も見せないようじゃ困りものですよね。 ベナン国のゾマホン氏も「白人は黒人をあんなに誘拐して殺戮したけど、ちぃ〜とも謝ってないよぉ!、日本人謝りすぎね!」と言ってました。 議論で白熱してついついって言うのは有るので、皆さんも礼儀をわきまえて討論 に励みましょう! (なに、カッコつけてんだよぉ〜!)>自分  (^-^;)7 Awajiさんへ 「看聞御記」の件ですか? ((((((((((((((((((((((((^^;) ごめんなさい、まだです。年内には東京に出ますのでその時に調べます。 すいません。 m(__;)m Time : 1999/11/ 6(土) 23:39:00
Name : 根来衆/晴紀 E-mail : Title : まあ、解決してよかったっす。 Comments: Toshyさんはいい人です(^^)/ コテキンさん、許しておくれやす。 家康は、結構加藤清正を警戒してたようですね。 福島正則よりも加藤清正を高く評価していたようです。 ひとかどの人物であったのでしょう。 Time : 1999/11/ 7(日) 00:47:04
Name : 大一大万大吉 E-mail : Title : 性懲りもなく帰ってきた男。 Comments: コテキンさん、Toshy氏の発言は、あなたが私の言葉を無視して 論を進めたことによるものとして、つまりあなたが聞く耳を持たない ものと思ってのこととお思いなされたし。 私としても、自分の言葉を素通りされて不愉快に思っていました。も し彼(彼女ではないと思うが)が暴言を吐かなかったら、私が同じこ とをいっていたでしょう。彼に悪意はないと思うよ。 なおToshy氏の関ヶ原の知識はアマチュアレベルに達しているが、 プロはいくらでもいるから気になされる事勿れ。 それにしても、Toshy氏も相当プッツンですね。よほど前に自説 を感情論だといわれて、腹に据えかねるものがあったと見える。あれ ほど気にするなと、前にいっていたのに。 金田一さん、意気消沈のToshy氏にかわり、私がお答えしよう。 先日のことでかなり私に対し反感を抱いているようだが、この辺は私 のほうが詳しいと思うので。 Toshy氏とかぶって申し訳ないが、徳川と親しい伊達政宗ですら、 次のように言っています。  いかに太閤様御子に候とも、日本の御置目など取り行なはれるべき  御人に御座なく候由(略)御国の二三ヶ国もまたその内も進せられ  候て、・・・・・・ つまり日本の政治を取り行なう器量がないとわかったら、国の二つ三 つでもくれてやったらいい、と家康の側近今井宗薫に書簡をしたため ています。これは、秀頼が成人後に天下を回復するという前提のもと で書かれたものです。家康に親しいはずの政宗がこんなことを書いて いること、これだけで十分ではないですか? 関ヶ原戦後の島津討伐の計画、大名仕置きなどは、すべて豊臣の名の もとに行なわれました。つまり徳川は、いつまで経っても豊臣政権の 枠組みの中でしか政務を取り仕切れなかったのです。関ヶ原で豊臣が 敗れ一大名に転落というのは、歴史教科書の先入観ですよ。 徳川が征夷大将軍に任じられたところで、豊臣家の威光にはなんの関 係もありません。豊臣は「関白」をめざしていたのですから。「有名 無実」といっても、征夷大将軍も関白も朝廷の一官職。いや、官位か らいえば関白の方が強い。例え武力はなくても(有名無実でも)、で す。朝廷の「錦の御旗」と同じようなものです。 秀頼は幼少ながらも、着実に官位を上げていったのです。秀忠よりも はるかに上回っていました。だから家康の死後は、秀忠を上回る秀頼 が名実共に天下を回復し、征夷大将軍といえども「関白秀頼」の風下 につくことは、だれもが考えていたというわけ。 再びコテキンさんへ。加藤清正の豊臣に対する忘恩、あなたは知って いますか? もし豊臣のためだと主張するなら、まずはここから始め ることですね。どのように説明するか、楽しみです。 Time : 1999/11/ 7(日) 00:59:16
Name : 根来衆/晴紀 E-mail : Title : まあ、解決してよかったっす。 Comments: Toshyさんはいい人です(^^)/ コテキンさん、許しておくれやす。 家康は、結構加藤清正を警戒してたようですね。 福島正則よりも加藤清正を高く評価していたようです。 ひとかどの人物であったのでしょう。 Time : 1999/11/ 7(日) 01:08:32
Name : 根来衆 E-mail : Title : 2重投稿しちゃった。ごめんやす Comments: 2重投稿してしまいました。すみません。 関ヶ原はあまり詳しくないので、私は皆様のご意見を拝聴する ばかりですね。 青勝て!赤勝て!どっちも負けろ!負けた狸は死んじまえ!(笑) (by平成狸合戦ポンポコ) 悪意はありません(爆) Time : 1999/11/ 7(日) 01:17:04
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「看聞御記・・・念の為」 Comments: ネットキットさん、今日は。Awajiです。 >>看聞御記」の件ですか? ((((((((((((((((((((((((^^;) >>ごめんなさい、まだです。年内には東京に出ますのでその時に調べま >>す。すいません。 m(__;)m ・・・ああ、督促ではありません。 救世観音と「看聞御記」1999/10/24(日) 18:50:34 についての御意見で もありましたら、うかがいたいと思っただけです。 余計なことを言って、すみませんでした。<(_ _)>ペコ Time : 1999/11/ 7(日) 19:08:08
Name : 大一大万大吉 E-mail : Title : たぶん最後の投稿 Comments: あらためて昨日の書き込みを読み直して思うこと。 はなたれさん、ここでは前から誹謗が出たことがありました。安部氏やAwaji氏に対するものなど。 あなたはそれまで一度として何も言わなかったのに、今回Toshy氏に関係する発言はなぜですか? ただ一度だけの発言でここまでいうとは、コテキン氏と仲がいいか、 Toshy氏を嫌っているだけではないの? なお、「アマチュア」という言葉は彼を貶めるものではありません。 道楽で「IF」を論じたり、人の意見に聞く耳持たず自説を並べる人は、アマチュア以前の問題です。 私はもう、このHNでは書き込まないでしょう。 関ヶ原論も、初心者の方々に教えてあげるのは私の趣味ではないですから。 Time : 1999/11/ 7(日) 20:22:26
Name : 名探偵!金田一耕介の孫娘 E-mail : Title : 勘違いしてました Comments: Toshyさんの言われた当時というのは関ヶ原前ですよね? 勘違いしてました。わざわざレスしていただいてすいません。>大吉さん。 反感は少しあります。何しろあの書き方は嫌味です>私もいえないかもしれない(笑) ちょっと偉そうです。はっきり言わせてもらうと。>これも私もいえないかもしれないけど(笑) 先日、あなたに反論したのは、Sinさんの書き込みの続きをみたかったからです。 それを遮るような、話の仕方だったのでそれをちよっと待ってもらいたかったので す。Sinさんに投稿を奨めたものとしてはSinさんの考えを全部聞きたかった で、あなたの投稿の内容自体に反論するつもりではなかったのですが・・・。 もちろん、そんな知識も持ち合わせていませんしね。 では、またね! Time : 1999/11/ 7(日) 22:55:41
Name : コテキン E-mail : Title : 最終回 Comments: Toshyさんへ 貴方の意見を参考にしなかったことは素直に謝ります。 ただね、わざとやったわけじゃないんだよ。ここのルールを知らなかった だけです。Toshyさんにはそこのところをご理解してほしいです。 大一大万大吉さんへ ルールを破った人には罵詈雑言もOKとは恐れ入りました。 貴方の素晴らしい言葉遣いにただただ感心しております。 貴方には「歴史」よりも「道徳教育」のほうがお似合いですね。どうぞ 遠慮なくここにくればよろしい。俺は二度とここにはこない。どうぞ好 きなだけ書き込みに精をお出しください。俺は礼節を欠いてまでも議論 に熱中する人たちとは一緒にされたくないです。ネットの世界には貴方 のように豊富な知識で他者を威圧する「おたく論客」がたくさんいます 例を挙げると、前田日明編集長の「武道通信」の掲示板に、「高卒の前 田氏は、政治を語るには頭が悪すぎる」などと暴言を吐いた奴がいます おそらく貴方もこのような輩と同類なのでしょう。あと最後に言います けど、俺とはなたれさんとは何の関係もないです。ただはなたれさんは 「おたく論客」に罵倒されている自分を哀れんで俺を支援してくれたの だと思います。最早おたくと化したあなたには「人情」など理解できな いのでしょう。一面あわれです。 はなたれさんへ かばってくれてありがとう!! 嬉しかったよ!! それじゃ! Time : 1999/11/ 7(日) 23:59:00
Name : XXXXXX E-mail : Title : 大一大万大吉氏 Comments: 宣言やぶったね。 >関ヶ原論も、初心者の方々に教えてあげるのは私の趣味ではないですから。 だれもあんたに教えてもらおうなんておもっちゃいない。 Time : 1999/11/ 8(月) 01:43:08
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: 自分の意見を無視するやつには罵倒OK、とは凄い論理だな。 無視されている、と言うのは、要するに相手にされていないだけの事であろう。 それに、ルール、とは何だ? このサイトには、どんな質問にも、どんな意見 にも、ちゃんと応答しなければならない、それをしない者は罵倒されてしかる べきだ、と言うようなルールでもあるのか? Time : 1999/11/ 8(月) 06:23:11
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: 要するに、歴史談義と言う名の宗教論争をやっているだけなんだな。 Time : 1999/11/ 8(月) 06:24:27
Name : はなたれ E-mail : Title : 大一大万大吉氏へ Comments: 正直がっかりしている。 尊大な態度はみていてはらがたつ。 あんたは知識をふりかざしいるだけだ。 Toshy氏もそうだが、知っているということは そんなにえらいのか? 誹謗された? そんな態度ではされて当然だろう。 ほんとにされたのか? 自分にはんたいするやつには誹謗したといいがかりをつけ 排除しているだけでないのか? 感情的な意見?あんたも十二分に傲慢で感情的だ。 それに気がつかない無知はあんたの関ヶ原以外の知識のなさを暴露しているだけだ。 だれかもいっていたが、私もあんたに教えてもらいたいとはおもわない。 Time : 1999/11/ 8(月) 07:30:51
Name : 輔住 E-mail : Title : お詫びと質問 Comments: みなさんこんにちは。しばらく見ないうちに 大変な事になってますね。 コテキンさん理由の説明ありがとうございます。 きつい発言を受けたようですが 許してあげて下さい。私の発言も少しきつかったと 思います。謝罪します。 まだこのHPを見ておいででしたら戻ってきて下さい。 まだ質問したい事もあります。 二条城での会見のとき清正が秀頼を 守ろうとしたのは間違いないでしょう。 ただ関ケ原から10年以上後です。その間 徳川・豊臣で様々なやりとりがありましたから、 この時期は清正も家康の野望に気づき秀頼を 守ろうとしたと思います。 でも関ヶ原前に野望気づいていたとは私には 思えないのですが。 前にも書きましたが関ヶ原の頃は 清正は家康を牽制するような ことはしていません。 むしろ助けていたのです。 Time : 1999/11/ 8(月) 10:18:46
Name : Toshy E-mail : Title : また謝罪 Comments: みなさま、私の言葉のため不愉快な思いをさせたこと、謝罪します。 大吉氏は、私と個人的な交友のある人であることがわかりました。 今回の彼の憎まれ口は、私に代わって矢面に立つためですので、 お願いですからここはお収めください。 なお金田一さんへの返答ですが、Toshyがいったことは戦前ではなく戦後です。 詳細はみなさまがかまわなければ書かせていただきます。 Time : 1999/11/ 8(月) 11:09:36
Name : とろ E-mail : Title : 大一大万大吉さんへ。 Comments: 私が読んだ「伊達政宗の手紙」というのは 貴方が引用したものであると思います。 長年の謎が解けました。 どうもありがとうございます。 Time : 1999/11/ 8(月) 11:18:59
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「罵倒の確認」?? Comments: みなさん、今日は。Awajiです。 どう言うわけか「関が原」は、何時も荒れ模様ですが、そろそろ小降りに なったようですね。 ところで、Awajiも安部さんから「養子・猶子」に関する質問について、 「人によっては罵倒に聞こえる形で質問」等というご指摘を受け、驚いて どの部分かをお聞きしたのですが、1週間経っても具体的なご指摘があり ません。 従って、この部分は安部さんの勘違いと言う事で理解させて頂きます。 ご異論のある方は、何方にかかわらず具体的にご指摘を、お願いいたしま す。 通りすがりさん・・・・・ いつも愉快な「つぶやき」をご披露頂き、ありがとうございます。 楽しみにしていますので、もう少し立ち止まって色々な「つぶやき」をお 聞かせ下さい。 Time : 1999/11/ 8(月) 12:41:54
Name : Toshy E-mail : Title : 追伸 Comments: はなたれさん、私は知っているのがえらいといったことはないのですが、 その様に取られる発言をしたこと、謝罪申し上げます。 なお実際の大吉氏は尊大ではないので、ご理解ください。 知り合い(彼は師匠です)への身びいきに対する非難は受ける覚悟です。 とろさん、大吉氏への返答ありがとうございました。 Time : 1999/11/ 8(月) 13:04:14
Name : 輔住 E-mail : Title : Awajiさん、安部さんへ Comments: Awajiさん、安部さん、みなさんこんにちは。 私が御二人の議論を見ていて感じるのは Awajiさんは安部さんに対して言い方が きついなと思う事があります。 (どこがといわれると少々困りますが全体的に) 前の投稿で言ったように自分もきつい言葉を 相手にいってしまうことはあるので 人の事はいえませんが 過去、安部さんの意見は時として推論が 先走りしてしまっていると思う 場合も確かにあります。 Awajiさんはその部分に意見や質問を しているだけで他意はないと思いますが。 今回の投稿は御二人のことを誤解してしまっている 部分もあると思います。その部分はご指摘ください。 Time : 1999/11/ 8(月) 15:33:20
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「意見交換」?? Comments: 輔住さん、今日は。Awajiです。 >>Awajiさんは安部さんに対して言い方がきついなと思う事があります。 >>(どこがといわれると少々困りますが全体的に) これは仰るとおりだと思います。 その一つの理由は(安部さんの口癖かも知れないのですが)殆どが原則 的に「断定調」で書かれていることにあると思います。 どなたかも言っておられたのですが、通常かなりの根拠があればともか く、推論部分は「否定疑問調」「疑問調」「推論調」で記述されますね。 ところが安部さんの場合は、かなり驚くべき発言を「断定調」で記述さ れますので、どうしても「明確な根拠」や「推論過程」をお示しくださ い・・・或いは「根拠」や「論理」に欠落がありますよ・・・となって しまいます。 それに対して殆どの場合はご回答が無く、今回のように単にYESかNOかを お聞きしているに過ぎない場合でも、「そのうちに・・」等とおっしゃ るので、ついAwajiも詰問調になってしまいます。 そもそも我々がこう言ったHPで意見を交換するのは、自分の推論を提 示することで皆さんから疑問点や問題点を指摘いただき、そのご批判に お答えする努力の過程で、さらに自分の知識を深め、論理を磨き、歴史 の真実に少しでも近づくことにあると思っているのですが・・・ 安部さんには、この考え方が通じないような気もしてきました。 実際のところ安部さんが何故ああいった「断定調」で記述され、しかも 当然生じる疑問点にはお答えにならないのか、理解できないのですが、 もう面倒くさくなってきたのも事実です。 Time : 1999/11/ 8(月) 18:27:21
Name : はなたれ E-mail : Title : Toshy氏へ Comments: 了解いたしました。 Toshy氏ならびに大一大万大吉氏へ 今日、学校から帰って今まであなた方の投稿を中心に過去ログを見れる限りよませていただきました。 こちらの書き込みはじっくりと読むだけで四時間近く掛かってしまいました。 あらためてあなたたちの知識はすごいと思います。 私も歴史は大好きで、こちらのページを夏休み中に見つけて以来書き込むチャンスをうかがっていました。 10日ほど前いちど書き込みを作ったのですが、登録するをクリックするつもりが取り消してしまっていらいロムしてました。 コテキンさんの投稿にも興味がわいたので注目していました。 それを小ばかにしたようなあなた(Toshy氏)の投稿を見てつい感情的なことを言ってしまいました。 反省して後悔しております。 といっても文句を言ったことに対してでなく過去ログを良く読まなかったことに対してです。 あなたが何故多くの方にかばわれるの不思議でしたが過去ログをよんで少しわかりました。 でも、おいらのような無知なものはここへ書き込むことは許さないというような印象をうけました。 過去ログをよんでわかったことはやっぱりおいらじゃだめだということでした。 初心者は消えます。こんど来るときは文句でなく意見を書き込むつもりです。知識をつけて。 今度は初心者にもやさしくしてね。おいらのお願いです。 Time : 1999/11/ 8(月) 21:30:49
Name : Toshy E-mail : Title : はなたれさん、ありがとうございました。 Comments: 大吉氏のあなたに対する発言は、私からお詫びさせてください。 彼は学問には厳しい人なので、あんな言い方になったのです。 今あなたの言葉を読んで、すごくうれしい気持ちです。感激しました(TT) Time : 1999/11/ 8(月) 23:05:01
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: そもそもここは井沢先生のホームページではないのか? 井沢先生は、歴史の専門家ではなかったと思うがね。 専門家面した者が寄り集まり、重箱の隅を突付くような論法で、初心者の自由な 意見や素朴な疑問を封殺している、としか見えないやり方は、どう考えても、逆 説の日本史のコンセプトとは相反する物だとしか思えないがね。 Time : 1999/11/ 9(火) 12:34:15
Name : 居座り E-mail : Title : 通りすがりさん Comments:  あなたも電話代が大変ですね。 Time : 1999/11/ 9(火) 12:53:47
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 皆様お久しぶりですが,一言・・・ Comments:  皆様,お久しぶりです。 しばらくこなかった間にいろいろあったようですね。 タイムリーに意見を出せなかったのは残念です。 小生にもこのようになった責任の一端は有ったと思いますので, お詫びさせていただくと同時に、自戒の意味を込めて 今回の件について少し意見を述べます。  基本的には初心者(今回登場された方々がそうだとは思いませんが) にはもっと寛容であるべきだと思います。 少なくとも,このページの参加者は、歴史考察に愛情を持っている 方々でしょう。言ってみれば,野球が好きで草野球で熱心にプレイ されている人と似ています。そのとき,野球が下手だけれども 参加してみたいという人がいれば,通常は快く受け入れるでしょう。 なかには「常勝チーム」であることのみを目指して,技術的に劣るものは 排除するというようなこともありえますが,少々行きすぎているでしょう。 「へたくそ!」という罵声は親しくなった人たちへの激励にはなりますが, 参加したばかりの人には、排除の声にしか聞こえません。  学校教育の一番の失敗は「間違ったことを言えない場作り」であったと、 小生は思います。小生はfalliblist(可謬主義者)ですので,試行錯誤の中からの 真実への接近を好みます。というより、失敗こそ成功の元だと考えます。 そう言う意味で,(いずれはここでも話題になりそうないわくつきの)世阿弥の 「風姿花伝」に有るような、「初心者には余りやかましく言わない」教育法が 好きです。ただし、これは好みの問題かもしれません。  しかし一方では、草野球とは言え技術の向上を目指さない単なる時間つぶしでは、 やはりもったいないと思います。勝利のみにはこだわりませんが, やはりエラーを少なくするように練習もすべきでしょう。 小生は,Awaji様によく質問をしましたが,必ず丁寧な回答が帰ってきました。 このようなコミュニケーションは一つの練習でしょう。 このようにやり取りしている間に,確かに歴史認識は高まっていったはずです。 そう言うポリシーで、Awaji様は、ほかの人にも接しておられるわけです。 しかし、同じレベルでまだ様子のわからない人に対応するのは少し無理があります。 (念のためですが,決してAwaji様がそのように対応していたといっているのでは ありません。ひきあいにだしてしまってどうもすみません。)  通りすがり様の一連の言葉も心にとめるべきでしょう。 やはり各人が、それぞれのレベルで自由に発言できる場になることを望みます。 「撤退宣言」を何度も聞くのはつらいものがあります。  もはや決着のついたついた議論への抽象的な意見に過ぎないかもしれませんが, 皆様のご意見がいただければ,幸いです。 Time : 1999/11/10(水) 10:04:05
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「若者に望むこと」?? Comments: 大阪JF生さん、みなさん、今日は。Awajiです。 大阪JF生さんの穏当なご意見に賛成です。 (Awajiの気持ちをご理解頂きありがとうございました) ただ、今回の一連の騒動?で感じたのは、残念ながら青年のひ弱さです。 確かにご自身で何度も釈明しておられる様に、Toshyさんの言葉は厳 しかったかも知れません。 Awaji自身も、感情も表せば、厳しい指摘も行います。 しかし、若者がそれに怯んで引込むような柔な精神では、とても欧米や アジアの青年達とは議論は出来ないでしょう。 我々が左翼学生と議論していた頃は、こんな生易しいものではありません でしたね。マルクス批判は即低脳扱いされたものです。 戦前には生命の危険を感じながらも右翼将校と議論した方もおられるので す。 勿論、HPでの意見交換とは性格が違うでしょう。しかし、言論を尊重す ると言う事は、場合によってはあらゆる批判と罵倒の中でなおかつ冷静に 自己の意見を主張する気概をもつと言う事なのではないでしょうか? 若者よ・・・言論の世界は決して甘くはないぞ!  理由を示さぬ沈黙は、即ち承服とみなされる! 退席は即ち言論の放棄であり、軽蔑の対象でしかない! 自己の主張が間違いであれば、堂々と撤回すれば良いではないか! ・・・それまでは自己の信念に基づき、堂々と主張を開陳して欲しい! 大袈裟過ぎるかも知れませんが、チョットこんな感想を持ちました。 Time : 1999/11/10(水) 18:49:39
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: 「戦うべき時、戦わざるべき時を知る者こそ、真の勇者なり」・・孫子 (注:手元に資料がないので、もしかしたら「勇者」の部分の記述は間 違っているかも知れない) TPOを弁えず、なんでもかんでも論争すればよいと思っている者は、 単に愚かなだけであろう。 Time : 1999/11/10(水) 21:35:03
Name : 通りすがりJr E-mail : Title : *? Comments: 孫武の説くところは「兵」なり。 「孫子曰、兵者国之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也」 兵(戦争)と説(論争)を弁えざる輩にして、即ち愚となさざるや。 Time : 1999/11/10(水) 22:39:19
Name : ゴクリ E-mail : Title : 家康の本心は? Comments: Toshyさん、皆さん、はじめまして。 ゴクリと申します。 今回初めて書きこませて頂きます。 私はつい最近まで、全くの教科書的先入観から、 「関ヶ原の戦いの後、豊臣家は徳川の傘下に入った。」 と考えていましたが、一連のToshyさんの発 言を拝見して、考えを改め初めている者です。 そこで、Toshyさんに質問があります。 > このままでいくと、秀頼成人の時に関白になることは当時の人たちにとって常識であり、 > その時に徳川家は豊臣家に政権を返し、屈しなければならなくなるはずだったのです。 > 繰り返すけど、当時はね、徳川は豊臣の大老であり、 > いずれは天下を豊臣に返すと、みんな思っていたの。 という発言は、具体例(伊達正宗の手紙)もあり、 大変説得力があるように思えますが、では、家康の 本心はどうなのでしょう? 関ケ原の戦いを、家康はどの様にとらえていたのでしょうか? 天下分け目の戦い(つまり、この戦いに勝利して、豊臣から政権を奪う)と認識し ていたのか、それとも、単に豊臣政権内での勢力拡大を狙っただけなのか。 もし後者なら、家康が政権剥奪を狙い、行動し出すのはいつ頃とお考えですか? > いずれは天下を豊臣に返すと、みんな思っていたの。 この「みんな」に、家康本人も含まれるのであれば、関ケ原の直後ではないですよね。 また、石田三成は、「このままだといずれ家康に天下を奪われる。」 という漠然とした危険性を感じていたような気がします。 というより、そういう認識が、彼を「関ヶ原」に走らせたと考えていました。 Toshyさんは、この事も否定されますか? ご教示頂ければ幸いです。 私は、関ヶ原に限らず、歴史に関してごく一般的な知識しか持ち合わせていません。 (関ヶ原については、司馬遼太郎さんの小説で興味を持っただけです。) ですから、Toshyさんの発言に異論がある訳ではなく、 単なる素人の素朴な疑問ですので、誤解なさらないでください。 この件について皆様方のご意見もお聞かせ頂けたら幸いです。 Time : 1999/11/10(水) 23:46:19
Name : コテキン E-mail : Title : 早々と復帰する馬鹿な俺 Comments: 「ひ弱」とまでいわれちゃ書かないわけにはいかないわな! 風邪が治ったらもう一度書かせて頂きます。 そんときはまた敬愛(爆笑)するToshy様にご教示頂こうか・・・ 今日の格言 「武士に二言あり」 Time : 1999/11/11(木) 04:16:47
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: 兵法は生活の知恵として充分に応用が可能である。 無論、生活の知恵も兵法に生きて来るだろう。 この程度の相互応用が理解できないのは定説に凝り固まって 頭が硬直しているからだな。 まあ、象牙の塔のような蛸壺社会に生きるのならそれでもいいのだろうな。 前にも言ったがここは井沢先生のページのはずだ。 それを忘れて、あたかも自分がここの主のようにふるまい、井沢ファンにネチネチ と重箱の隅をつつくような質問責めをやらかすやり方はためにする議論以外の何物 でもない。 更に、他人に対しては説明を強要するが、自分は定説に立っているから、大して説 明する必要もない、と言う寸法だ。 そうやって一人悦に入ってるようだが、まさに裸の王様だな。 「先生と呼ばれる程の馬鹿でなし」・・作者不明 Time : 1999/11/11(木) 06:40:41
Name : アトムボーイ1 E-mail : Title : コテキンさんへ Comments:  いいぞ!  一緒にやろう! Time : 1999/11/11(木) 07:16:55
Name : きんたろう E-mail : Title : 期待していますよ Comments: こんにちは。 コテキンさん、早く風邪を治して下さいね。(^^) 私も豊臣と徳川の組織吸収の違いについて書く予定です。 今はちょっと時間がないのでもう少ししたら(いつになるのか不明??、笑) 書き込むつもりです。 Time : 1999/11/11(木) 09:17:25
Name : Awaji E-mail : Title : コテキンさん、ありがとう! Comments: コテキンさん、はじめまして。Awajiと申します。 思い切って随分失礼な事を申し上げましたが、復帰のきっかけとして 頂き、心から嬉しく思います。 僅かな??電話料金で、みなさんが寄って集って、知識や論理の不足 を補って下さると思えば、こんな有り難いことはありません。 シノゴノ「つぶやき」を言うのは、大人達に任せておいて、青年らしく ドンドン意見を言って、ドンドン恥をかいて、ドンドン成長して下さい。 今日の格言「聞くは一時の恥、知らざるは一生の損」 ただ・・・「俺」は、お使いにならない方が良いのでは? Time : 1999/11/11(木) 09:39:13
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 反応いただき、ありがとうございました。 Comments:  お返事および、反応いただいた方々にお礼申し上げます。 コテキン様も復帰なさることになって、少しは発言に 意義があったのかなとうれしく思います。 コテキン様には、遠慮なさらず自由に意見を述べていただけるように お願いいたします。  Awaji様 ただお一人、名指しをしてしまって不安だったのですが, 寛容に対応・ご理解いただき、ありがとうございます。 (特に常連の安部様には、少々強く発言されていましたし) ずっと叱咤激励されているとは感じておりましたが, 罵倒は出来る限り避けていただくという程度の意味で, 今後とも御手柔らかにお願い申し上げます。  通りすがり様 はじめまして。 直接ご意見に返事をするのも小生がはじめてかもしれません。 たしかにここは井沢ファンクラブ的なHPであることはもちろんですが, 小生が井沢説の反論についても議論に参加しているのは 少しでも井沢先生の役に立ってみたいという思いからでもあります。 「逆説の日本史」は、明確な視点に立って日本通史をクロッキーする 初めての試みと捉えております。理論構築で最初にアタックするときは, 当然、多少でも無理をしてその視点ですべてを疑うべきで, 実際井沢先生はそうなされていると存じます。 その結果、冷静に見れば無理が有る個所も出てくるでしょう。 その点で批判が出て当然だと思います。 ちゃんと井沢説を読みもせずに鹿十を決めこむ専門家よりも, まともに批判していただくのはありがたいことだと考えています。 その議論を井沢先生がご覧になって発奮され、改訂版では、 意見修正、あるいはさらに強力な理論武装による自説強化が 出てくることを楽しみにしています。 (まだ完結もしていない時点で、相当気が早いですが・・) 同じような意味で、議論に参加されている方もいると存じますので, その点ご理解ください。 もちろん、たびたびご指摘のように、議論において罵倒や人格攻撃のように 受け取れるものはご遠慮願いたい気持ちは同じだと存じます。 純粋に歴史をディスカッションできる場になることを望んでおります。 Time : 1999/11/11(木) 10:04:42
Name : コテキン E-mail : Title : 関ヶ原以後 Comments: おはようございます。みなさん、有り難うございます。 前回を反省して、Toshyさんの9月7日以降の書き込みを読ませて 頂きました。読まずに書き込みをしたのは軽率でした。すみません。 ただ、私にはみんなが徳川が豊臣に政権を返すと思っていたというのは ちょっと考えられません。確かに、豊臣家は関ヶ原戦後、微禄したとは いえ、城の普請の義務も無く、徳川の一大名とはいえませんでしたが、 恐らく、徳川はいずれは豊臣を滅ぼすであろうと予測した者は少なから ずいたと思います。織田−豊臣への政権簒奪という先例を知っている人 達が家康がそう簡単に政権を返上するとは思っていなかったと思います。 あと、伊達政宗の手紙から察すると政宗はToshyさんの言う「関白 型公儀」こそが豊臣家を滅ぼす要因になると考えていたようです。その 手紙から察すると、関ヶ原戦後、豊臣は官位を返上し、徳川の幕藩体制 に組み込まれるべしという意見があったのだろうと推測します。 これは予測なのですが、加藤清正もそう考えていたのかもしれません。 Time : 1999/11/11(木) 11:52:33
Name : Toshy E-mail : Title : コテキンさん、ゴクリさん、こんにちは Comments: >そんときはまた敬愛(爆笑)するToshy様にご教示頂こうか・・・ 先日はすみませんでした。教示するかどうかはべつとして、話だけはしたいと思います。 で、ゴクリさんへ 某所でも同様の質問を受け、いろいろと聞いてみましたところ、 家康の本心としては、豊臣を滅ぼす気ではなかったかと思います。 つまり当時は、豊臣・徳川の二重支配の時代であり、 諸大名は朝廷の権威として豊臣を、武力のものに徳川を主君としていたのですね。 徳川家康の実力支配ではあるものの、 家康の死後、または秀頼の関白誕生によって、 政権はもとの君主である豊臣に戻るであろうと予測していたのが、 伊達政宗の書簡に現れていると思います。 徳川家康としては、自分の寿命が尽きるか秀頼が関白になる前に、 豊臣を滅ぼそうとしていたのではないでしょうか。 ちょっとまとまってからまた書かせください。 私ごときをご指名ありがとうございました。 Time : 1999/11/11(木) 11:57:27
Name : 輔住 E-mail : Title : うれしい! Comments: コテキンさんが復帰を決意してくれました。 とてもうれしいです。 私もきんたろうさん、同様、豊臣と徳川の ことを近いうち書きたいと思っています。 そのときはご意見をよろしくお願いします。 Time : 1999/11/11(木) 12:06:17
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: 例えわずかであろうと、嫌がらせのために議論を吹っかけて来る奴の質問に答える ために電話代と手間と時間を遣う義理など全くないはずだ。 自分が納得して払うなら別に何の問題もない。 その程度の事が理解できないのだから度し難い話だ。 大阪JF生様 あなたは礼儀正しい方のようなので、私も自分で出来る限りの礼は尽くさせて いただきます。 私は何も議論をするなとは言っていませんし、井沢先生に反対する立場の者は ここに来るなとは言っていないはずです。 私が主張しているのは基本的に一点のみ。要するに、ためにする議論マニアの 嫌がらせ戦法を無視するのは恥でも何でもない、と言う事だけです。 ここの議論を拝見していますと、初めて発言した人や初心者に対し、定説を馬鹿 にするな、だとか、お前のような程度の低い者は発言するな、だとか言ったよう な言葉を吐く方が多いように見受けます。 しかし、ここは議論のみの場ではないはず。議論とは無関係に自分の考えを開陳 するのも自由なのではないですかね。 それを、気に食わない発言にはけんか腰で議論を吹っかける。吹っかけられた方 が嫌がって無視したら、逃げるな、とはやし立てる。こんなやり方は私には到底 まともとは思えませんね。 無論、議論を吹っかける自由はあると思いますが、吹っかけられた議論を無視す る自由だってあるはずです。 ましてや、どなたかもおっしゃっておられたと思いますが、定説に反対する立場 の者がこのような掲示板でしっかり議論を尽くすのは事実上不可能です。なぜな ら、定説側の者は、それは定説で認められていない、と言えばおしまいですが、 定説に反対しようとすれば、そのための膨大な資料と論説を書き込まねばならな くなるからです。 時間的にも手間的にも余裕のあるプロや専門家の議論マニアならともかく、通常 の生活を送っている人間には、とてもそれだけの時間や手間の余裕はないと思い ます。 にもかかわらず、専門的な知識をここで詳細に開陳しなければならないとか、た めにする議論マニアと泥沼的論争をやらなければならないとか言われれば、恐ら く、通常の歴史ファンなら嫌になってここを去るだけでしょう。 議論をしたい者はどんどんやればいいでしょう。しかし、議論とは無関係に自分 の考えを述べるのもその人の自由であるはずです。質問に名を借りた嫌がらせに 答えないからと言って罵倒されるいわれなどあるはずもないでしょう。 他の方はどうお考えかは知りませんが、少なくとも私の感覚では、そのような議 論マニアのためにする質問まがいのけんかを無視しても、全く恥じる事などない とばかりか、寧ろ誇るべき事だと思っております。 Time : 1999/11/11(木) 12:52:00
Name : Toshy E-mail : Title : コテキンさんへ Comments: ありがとうございました。 関ヶ原以後では、清正も家康の野望を見抜いていたという可能性はあります。 まえに書いたように、 家康が征夷大将軍になることは秀頼の関白とは無関係なので、 平和的に政権を簒奪したことは確かですね。 「関白型公儀」が豊臣を滅ぼす要因になったというのは、 正しい見解だと思います。 徳川は、それで、豊臣を滅ぼし安泰を図ったのでしょう。 定説のように一大名に落ちたものであれば、滅ぼす必要はなかったのですから。 Time : 1999/11/11(木) 13:02:43
Name : 薩摩人 E-mail : Title : ふむふむ・・・ Comments: みなさま、こんにちは〜! いつも楽しく拝見させていただいております。 で、たまぁーに、発言させていただいております。 通りすがりさんの御意見 >前にも言ったがここは井沢先生のページのはずだ。〜云々 そうでしょうか? 確かに、井沢先生の頁でしょうが、 井沢ファンクラブの頁ではないと思います。 ファンだけで和気あいあいとやりたいのならば そういうHPでやればいい。 (常連さんの運営されておられるHPもあるようですし・・・) まさか先生も自分の応援エールだけを期待して このHPを運営されているのではないと思います。 要は >もとより、議論百出を期待していますが、 >ネット上のエチケットを守ることもお忘れなく。 ということではないでしょうか? まあ、わたしもネット上のエチケットというものには自信がありませんが・・・ では、これにて失礼します。 Time : 1999/11/11(木) 13:04:44
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 通りすがり様,お返事ありがとうございました。 Comments:  詳細なお返事ありがとうございました。 基本的には小生と同じ意見と受け止めさせていただきました。 以前から、  「質問に答えない自由は当然あります」 と主張しつづけ、  「答えたがらないものに、無理強いする権利はないはずです」 とも言いつづけてきました。(かなり古い話かも・・)  それで、前回のような言い方になったのは、小生自身が  「井沢説の批判は大いに歓迎します」 と、皆様にお願いしつづけてきたからです。ただし、  「非難や誹謗中傷は困ります」 という条件付でした。それが、意図から少しずれて 結果的にはあまりいい方向に行かずに、通りすがり様たちの 気分を害してしまう状況にいたったのかもしれません。 前回の文は、そのことに対する言い訳に過ぎませんでした。 誤解を与えるような文章で、申し訳ありませんでした。 今後も的確なご指摘お願いいたします。 Time : 1999/11/11(木) 13:25:19
Name : 輔住 E-mail : Title : 通りすがりさん&みなさんへ Comments: あなたのいってることは分かるけど、 無視するなとはいいませんが、常識的な 範囲で答えてはほしいという「希望」は あります。 だから自分が持ってきた話題なら てきどに答えてほしいぐらいのね。 もちろん強要するわけではないし、 なかには答えにくい質問もあります。 議論中に熱くなりすぎ、誤解を受けてしまうことも あると思いますが、議論マニアというわけでは ないと思います。 人それぞれできる範囲で書き込めばいいと思います。 Time : 1999/11/11(木) 13:30:21
Name : コテキン E-mail : Title : 私的な意見 Comments: 議論のエチケットについての議論が盛んなようですので私からも一言。 私とToshyさんとの騒動についてですが、今としては意図的では無いと はいえ、結果としてToshyさんの意見を無視したことは悪いと反省して います。それに私としてもToshyさんに偉そうに説教できるほど高尚な 人間ではありませんので以後、この件を蒸し返す気はありません。 私はかつてとある議論系の掲示板で某昭和ヒトケタ作家を「卑怯」と批判し たところ、ある主婦から「上の世代を断罪する人」と論難されたことがあり、 私が「批判と断罪は別ではないのか?」と反論してもそれに答えず、「仲良 くやりましょう」とかモラルの話に反らそうとするため頭に来てきつい反論 を書いたところ掲示板の参加者の大顰蹙を買い、それ以後私が書き込みをし ても誰も反応しなくなってしまいました。というわけで私はしばらく議論系 の掲示板から離れていたのですが、あの西村議員の辞任騒ぎを契機に再び戻 ってきました。私は、再び書き込みをするにあたって、以前のような感情的 な書き込みだけはするまいと肝に銘じました。 だからToshyさんがこの掲示板から姿を消すことは私の本意ではありま せん。かつて私と論争した主婦に比べればToshyさんのほうが誠実だと 思います。 Time : 1999/11/11(木) 13:34:06
Name : はなたれ E-mail : Title : 議論?があるからこその面白さ Comments: みなさん、こんにちは。ひ弱な若者のひとりです。 わたしが、このページをロムするきっかけとなったのは、議論が盛んだからです。 いろいろな意見を一つのページで見れるのはいいと思います。 でも反面、突っ込みに対する恐ろしさ?もあるわけです。 今回、Toshy氏らに文句をいったのは、コテキン氏の意見が間違っている(かどうかわかりませんが) からといって、「頭が悪い」というゆうような挑発の仕方をしたからです。 冷静に考えてみると、議論を活発化させる意図もToshy氏にはあったのかもしれないと思います。 このやりかたに対しては「もっと他に言い方があるだろう」と今も思います。 井沢先生の著作はほんの少ししかよんでないので「ファンの集い的」ページならロムさえしなかったかもしれません。 散髪屋においてあった週刊ポストがここを見るきっかけでしたが、予想以上に濃い内容のページでした。 その濃さは反論によって濃くなったものだと思います。 正直、私にとってはレベルが高すぎるページですので参加するのは難しいですが、 読むだけで楽しんでいる人の方が多いと思います。 ですから、井沢ファンだけでない人の意見も読んでみたいと思ってます。 まぁ主催者である井沢先生自身が「議論お断り」とするならしょうがないですが・・・・・・。 そんなことおっしゃってないですよね? 以上、素人の呟きです。 Time : 1999/11/11(木) 14:32:52
Name : Toshy E-mail : Title : はなたれさん、コテキンさんへ Comments: 善意にとってくれて、ありがとう!うれしいです。 先日のことについて、私は何を言われても返す言葉がないので、黙っています(笑) Time : 1999/11/11(木) 23:19:01
Name : ゴクリ E-mail : Title : 続・家康の本心は? Comments: Toshyさん、レス有難う御座います。 > 家康の本心としては、豊臣を滅ぼす気ではなかったかと思います。 そうかも知れませんね。 家康が関ヶ原戦以前から、天下取りに明確な意志を持ち行動していた というのは、結果を知っている我々だからこそ言えるだけで、 実際はどうであったかはわかりません。 関ヶ原戦の勝利後に、徐々に家康の野望が膨らみ初めたと 考える方が自然かもしれませんね。 どの時点で他の人が家康の野望に気づいたのかは、 まだ議論の余地があると思いますが。 今後の皆様方の関ヶ原論を楽しみにしております。 はなたれさん > 読むだけで楽しんでいる人の方が多いと思います。 そうですね。 私は3ヶ月前にこの掲示板を見つけ、それ以来楽しく拝見しております。 私のような無学の者には、この掲示板での博識な方々の意見はとても刺激的です。 ここで発言される方々には(もちろん私も含めて)、多数の「沈黙の読者」が 存在する事を忘れないで欲しいですね。 Time : 1999/11/12(金) 01:58:13
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「ためにする議論」?? Comments: 通りすがりさん、みなさん、今日は。Awajiです。 通りすがりさんは「ためにする議論」と言う言葉がお好きなようですね。 少しニュアンスは違いますが、世間では「批判のための批判」と言う言葉 も良く使われることがあります。 これらの言葉は、概ね政治家・斯界の権威・イデオロギストによって使用 される事が多いようですが、これらの方々がこの言葉を使用される意味は 良くわかります。つまりその殆どは、自説が批判される事を許さない言論 忌避の意味でしょう。 因みに井沢さんは、執拗に「朝日新聞」を批判されていますが、そのご意 見には然るべき根拠や理由が示されていますので、その限りでは「ために する議論」とも「批判のための批判」とも思えません。 仮に「朝日新聞」が、これらの批判を「ためにする議論」とか「批判のた めの批判」として無視するならば、「朝日新聞」は自ら言論機関としての 誇りを捨てたと見なされてもやむをえないでしょう。 これと同様に、井沢さんも歴史学者であろうと無かろうと、その通史的見 解と共に個々の歴史事象について独自の歴史解釈を公に示しておられるの ですから、それに対する批判は、その根拠や理由が示されているものであ る限り、正面から受け止められるべきものだと思います。 まさか井沢さんがこの様な言論を忌避されるとは考えられないことです。 (勿論、個人には夫々時間的制約や、仕事の優先順位が有りますから、暫 時これを見送らざるを得ない事は有り得るでしょう。その場合は「無視」 はしないが現在はその余裕が無い旨の釈明があってしかるべきで、現に井 沢さんはKANAKさんに対して、その意味にとれる釈明をされています。) さらに言えば、小なりと言えど公開された場(HP)において、何らかの 所説を発表する場合も、基本的には同様だと思います。 勿論、その所説に対する質問や疑問を無視され、或いは議論を拒否される のはその方のご自由です。 しかし沈黙の理由として「ためにする議論」と言うような、理屈を持ち出 されるのは、如何なものかと思います。 所説を述べるのが自由なら、質問或いは疑問を呈するのも自由であり、督 促も自由でしょう。そもそも「ためにする議論」かどうかを何方がどのよ う判断されるべきものなのか理解できません。 (勿論、回答が無い事を「罵倒」する自由まで有るとは思いません。ただ 常連的に所説を述べられているにも係らず、余りにも度々いろいろな方か ら寄せられた質問疑問に回答がなされ無ければ、その理由を知りたいと思 うのも、有る意味では当然では無いでしょうか。) なお・・・このHPにおいては「定説側の者は、それは定説で認められて いない、と言えばおしまいですが」と言うような議論は、殆ど記憶にあり ません。 それぞれ、通説的見解であろうと無かろうと、その根拠と論理を示したう えで自己の主張を述べておられると思います。 (敢えていえば、Awajiの「源氏物語」感性に関するものくらいだと思いま すが、これについても後段で具体的に見解を示しています。) なお、勝手ながらこの様な抽象的議論については、これにて暫時打ち止め とさせて頂くとともに、安部さんに対する現時点での質問は全て撤回し、 今後も質問は一切差し控えさせていただきますので、ご了承願います。 Time : 1999/11/12(金) 12:27:53
Name : Raffle E-mail : Title : 南朝正統論 Comments:  こんにちは  戦前の南朝正統論について御存知のかたがいらっしゃったら、御教示下さい。  井沢先生の顕幽分離論は読みましたが、普通にはいわゆる政争の道具になった、 という理解ですよね。それにしてもどうして、という思いはぬぐいされないのです が、、。 Time : 1999/11/12(金) 14:35:45
Name : 輔住 E-mail : Title : Re:南朝正統論 Comments: Raffleさん、 南朝正統論について簡単に言うと 水戸光圀が言い出してからこの説は 広まりました。そして明治維新にも 大きな影響を与えました。 政府は当初(天皇が北朝の子孫だからか?) 両統丙立の立場でしたが、 後醍醐天皇や楠木正成が英雄とされ、 足利尊氏が逆賊とされてました。 足利尊氏を褒めた大臣が辞任したりなどの 事件があり、その後、政府は 南朝正統の立場を取るようになったのです。 Time : 1999/11/12(金) 17:12:20
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: 全くもって、ためにする議論マニアと言うのはどうしようもないようだ。 自分の発言に対する責任は全て自分で負うと言う前提ならば、発言するのは自 由だし、質問するのも自由であろう。無論、自分の発言に対する批判を受ける 義務があるのは当然の事で、そんな事は一々議論するまでもない。 批判されて沈黙した場合、それはその批判を甘受した、とみなされてもやむを 得ない、と言うだけの事であって、それに反論するか否かも元発言者の自由で あるはずだ。 しかし、批判を受ける事と、相手の質問に答える義務があるかないか、と言う 事は、全く別の問題である。質問に対して回答しなければならない義務などど こにもないし、拒否するのは自由であるはずだ。 更に、拒否する理由として、例えば、相手の発言スタイルが気に食わない、と か、相手の質問の仕方が無礼であるとか、色々とあるだろうが、例えそれが何 であろうと、その理由を述べねばならぬ義務もなかろう。要するに、質問に対 する回答を拒否する、と言うだけで充分であるはずだ。無論、ためにする議論 だから回答しない、と考えるのも自由だろうし、回答を拒否する理由を一々相 手に言う義務などあろうはずもない。 そもそも、ここで発言をする事が即ち議論に参加する事だと考えているのだと したら、全く度し難い話だ。 質問をすると言う事は、相手に対して相応の負担をかけると言う事である。な らば、相手が答え易い形で質問をするのが当然であろう。明らかに相手を不快 にさせる形で質問しておきながら、相手がまともに答えると考えているのだろ うか。 けんか腰で質問をしておきながら、相手が回答を拒否したからと言って、逃げ ただのひ弱だのと囃し立てるのは、要するに、必要最低限の礼儀も心得ていな い愚者であると言うに過ぎない。 そのような愚者の愚問に対して、まともに答える義務などあろうはずもないだ ろう。 Time : 1999/11/12(金) 17:20:35
Name : ロム専門 E-mail : Title : 通りすがりさんへ Comments: 結局の所、何がいいたいのでしょう? もっと具体的に言っていただけませんか? Time : 1999/11/12(金) 21:05:37
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南北正統論について」?? Comments: Raffleさん、輔住さん、今日は。Awajiです。 南朝正統論については・・・・ 救世観音と「南朝正統論」?? 1999/ 9/15(水) 22:01:18 で簡単に触れていますので、よろしければ御参照下さい。 Time : 1999/11/12(金) 22:31:41
Name : コテキン E-mail : Title : 等持院 Comments: 幕末、何者かが足利家の菩提寺である等持院にある足利尊氏・足利義詮・ 足利義満三代の木像の首を切り落としたという事件があったらしいです。 詳しくは分かりませんが。 Time : 1999/11/13(土) 00:34:52
Name : 薩摩人 E-mail : Title : わからん・・・ Comments: みなさま、こんばんは。 Awajiさんが、「もう止めよう」と、おっしゃっておられるのを 申し訳ございませんが、ちょっと発言させて下さい。 通りすがりさんへ >ためにする議論マニアの嫌がらせ戦法・・云々・・・ この部分は具体的に、この掲示板の中のどの部分のことを おっしゃておられるのでしょうか。 わたしは今までこの掲示板を読んできて そのように感じたことはありませんが。 >ここは議論のみの場ではないはず。 >議論とは無関係に自分の考えを開陳するのも >自由なのではないですかね。 まったくその通りですね。 安部奈亮さんの一連の秋篠寺に関する考察は その代表例だと思います。 >定説側の者は、それは定説で認められていない、 >と言えばおしまいですが、・・云々・・・ このような乱暴な発言をされる方は、 この掲示板にはおられないと思うのですが。 但し、史料の解釈に関しては、ある程度「定説」を 踏まえるのは当然のことと思います。 史料をきちんと解釈した上での大胆な仮説(逆説)は 多いに結構ですが、デタラメな史料の読み下しに基づく解釈と それに基づく仮説というのは、ちょっといただけないですね。 >相手が答え易い形で質問をするのが当然であろう。 例えば、Awajiさんの質問は、とても丁寧で 誰にでも分かり易いスタイルだと思います。 まず相手に対する自分の疑問点を提示し、 それに関する自説を述べる。 自説を述べるにあたっては、その根拠を明確に提示する。 大学や他研究機関、一般企業の業務においても この様な親切丁寧で礼儀正しい質問又は意見は珍しいですよ。 わたしも具体的な歴史談義に参加させていただく際は このようにありたいと考えております。 最後に >自分の発言に対する責任は全て自分で負う >と言う前提ならば、・・云々・・・ ちょっとおしゃっておられる意味がわかりません。 自分の発言に対し、他の誰かに責任を負わせることを 前提とした議論など、有り得るのでしょうか? これって唯物史観で云うところの「自己矛盾」ってやつですね。 以上、通りすがりさんの発言に対して感じたことを 述べさせていただきました。 ※ もしかして、このような発言やわたしのことを 「ためにする議論」、及びそのマニアと呼ぶのでしょうか? Time : 1999/11/13(土) 00:35:04
Name : TAKATOKU E-mail : Title : Awaji氏の南北正統論について Comments: はじめまして。 ずっとROMでいるつもりでしたが、一つ発言させて下さい。 Awaji wrote: (9/15 22:01) > 1.南朝正統論は単に幽事問題で実害(顕事)は生じないか。 > 2.この議論の影に「南朝怨霊鎮魂思想」があったか。 > 3.吉田・黒板等の表面的議論は何を論点としていたか。 の部分についてですが。。。 まず、1についてですが、後亀山→後小松で問題が実害が生じるな らば、称光→後花園でも実害は生じないのでしょうか?という疑問 が湧いてきます。 次に、2についてですが、井沢先生著『天皇になろうとした将軍』 を読んでの私の感想ですが、「南朝怨霊鎮魂思想」があった可能性 も否定できないと思います。もちろん、1911年の議論で話題に なったかどうかは知りません。 3についてはよく分かりませんが、このような感想を持ちました。 最後に、井沢ファンとしての私のスタンスを書かせて下さい。 『天皇になろうとした将軍』を読んで、私は井沢ファンになったの ですが、『逆説の日本史1巻』の序論も非常に気に入っています。 その中に「中日ドラゴンズの論理」というのがあるのですが、ドラ ゴンズという名前の命名に関して、井沢先生は「社長のエトだから」 という理由を不正解とし、「強そうな動物だから」という理由を正 解としています。どう考えても、正史である前者が10点満点の正 解なのですが、0〜1点程度の後者を井沢先生は主要因と見ている のです。つまり『逆説の日本史』の精度はその程度(すみません (_o_)) ということだと思っています。言い替えれば、精度を下げることで、 日本史全体を眺めることを可能にしているのだと私は思っています。 そして、精度が下がっているにもかかわらず、返って本質が見える 所にファンは惹かれていると思うのですが、如何でしょうか? ちょっと曖昧な意見で申し訳ないですが、私はAwaji氏の分析 が間違いとは述べていません。ただ、井沢先生の芸風が怒りをかっ ている事は理解できますが、「中日ドラゴンズの論理」から言えば、 井沢先生の「顕幽分離論再説」はなかなか良い線をいっていると感 じるのですが、如何でしょうか? Time : 1999/11/13(土) 06:56:32
Name : TAKATOKU E-mail : Title : ちょっと強目の表現で。 Comments: 前回が初投稿だったので、ちょっと控え目な表現になっていました。 少し強目に書くと。。 Awaji wrote: (9/15 22:01) > これらの諸点から見て、南朝正統論はやはり王政復古の精神的根拠であっ > た「尊王斥覇論」に基づくもので「顕幽分離論」で説明することは無理が > ある様に思うのですが・・・・?? 「尊王斥覇論」だけ(!)で正統が変わるとは、私にはちょっと信 じられません。仮に、Awaji氏説の「尊王斥覇論」が真実に近 いとしても、「顕幽分離論」という土台があって、はじめて「尊王 斥覇論」も論じることができるような気がするのですが、如何でしょ うか? Time : 1999/11/13(土) 08:03:53
Name : 横山雅彦 E-mail : Title : TAKATOKUさんに質問 Comments: >『逆説の日本史』の精度はその程度(すみません (_o_))ということだと思って >います。言い替えれば、精度を下げることで、 >日本史全体を眺めることを可能にしているのだと私は思っています。  私は「中日ドラゴンズの論理」は「資料史上主義」(道鏡のあたりを見ると「資 料史上主義」というより「先例史上主義」つまり学説の批判が先輩や恩師の否定に つながるという考え、例:丸山ワクチンと緒方(この字だったっけ)パロチン)の 批判及び「(その時代の)常識は常識であるがゆえに却って資料に載らない」とい うことだと思います。社長の干支がもし「鼠」だったら「中日ラッツ」になってい たのかということだと思います。その辺のところをもう少し詳しく説明していただ けないでしょうか。 Time : 1999/11/13(土) 08:14:18
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 横山雅彦様 Comments: リアクション、ありがとうございます。 > 私は「中日ドラゴンズの論理」は... 手元に1巻がないのですが、私の理解では。。 「中日ドラゴンズの論理」は横山さんのおっしゃる通り、資料史上 主義批判です。資料だけでは真実は分からない、と。そして、仮に 資料が真実であったたとしても、それは表層的な真実かも知れない、 と。表層的な真実でなかったとしても、さらに深い意味での真実で はないかも知れない、と。以下、エンドレス。。 まるで、言葉遊びのようですが。私は、理科系の人間だからでしょ うか、「真実」の意味は分かりません。ただ、問題となっているの は、結局「真実」に何を期待するか?ということだと思っています。 井沢先生は、『逆説の日本史』を「マクロ日本史」ととららえてい るようです。先生に対して、失礼かも知れませんが、私は「応用日 本史」ととらえています。「応用日本史」として「真実」に期待す ることは、現在の日本で役に立つことです。そのような観点でみる と、「顕幽分離論再説」はなかなか良い線をいっていると、私は直 感するのです。 どうでしょう?説明になっていますか? Time : 1999/11/13(土) 09:08:33
Name : Raffle E-mail : Title : 南朝正統論 Comments:  Awajiさん、輔住さん、TAKATOKUさん、こんにちは  早速のレスポンスをありがとうございました。  南朝正統論の国会論戦の始まりは足利尊氏の評価が発端だったですよね?  結果として現在の皇室の正統性の否定になる南朝正統論が勝ちを収め、皇室 もそれを認めた、ということが不思議で成らないのです。  一つ仮説として、南朝の正統に話が及ぶ前に楠正成が忠臣として完全に確立 した存在だった、ということは考えられないでしょうか?  皇居の前の楠正成の像はいつ出来たかご存知ですか?私は知らないのですが、、。  水戸史学が南朝正統論を確立した時点では朝廷が実質的な権力を持っておらず、 議論に対する制約は無かったかもしれませんが、やはりここでも湧く疑問は王政 復古の精神的支柱とも成る論が担ぎ出す天皇が正統でないという主張を引っさげて いるのも不思議です。 Time : 1999/11/13(土) 11:16:32
Name : Raffle E-mail : Title : コテキンさん Comments:  どうも御教示ありがとうございました。  やはりその事件は尊王思想が足利尊氏に対する否定的感情と結びついている、 ということを意味するのでしょうか? Time : 1999/11/13(土) 11:27:21
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論U」?? Comments: AKATOKUさん、横山雅彦さん、はじめまして(デスネ?)。Awajiです。 南朝正統論にコメント頂き、ありがとうございます。 (以下本日掲載分は未読のまま発信します。ご了承下さい) 1.南朝正統論は単に幽事問題で実害(顕事)は生じないか。 >>1についてですが、後亀山→後小松で問題が実害が生じるならば、 >>称光→後花園でも実害は生じないのでしょうか?という疑問が湧いてき >>ます。 すみません。チョット意味が分からないので、的外れの回答になるかも知 れませんが・・・以下。 93 95 96 94 後伏見ーー花園 後醍醐ーーー後二条 │A B │ 97 光厳ーーー光明 後村上 │C D │ 99 98 祟光ーーー後光厳 後亀山ーーー長慶 │ │ E (栄仁) 後円融 │ │100 (貞成) 後小松 │102 │101 後花園 称光 │ 103 後土御門 │ │ 現皇室 上記の系譜において、左側のA〜Eが所謂「北朝」ですね。そして南北朝 並立論では、これらの天皇(つまり光厳系)についても即位を認めていた と思います。 しかしながら南朝正統論によりA〜Eの天皇は、天皇としての地位を否定 されたのですから、現皇室の直系祖は極論すれば天皇を僭称していたと公 認したことになります。 勿論皇統としては、南朝「後亀山」から「後小松」に譲位され、南北合体 がなされた訳ですから、現皇室の正統性そのものに係わるものでは無いと も言えますが、現皇室にとっては並立天皇の直系孫とするか、僭称天皇 (偽帝)の直系孫とするかは、やはりその正統性(顕事)に係わる重大問 題であり、単なる「幽事」とは言えないのでは無いかと言う意味です。 現に後世の「熊沢天皇」問題は、北朝天皇否認によって生じた「実害」と 言えるのでは無いでしょうか?(半ばジョークです) 称光→後花園は、並立も異論も無い単純な皇統継承ですから、正統論とは 関係が無いと思いますが?(この部分のご論旨が良く分かりません) >>次に、2についてですが、・・・・ >>「南朝怨霊鎮魂思想」があった可能性も否定できないと思います。もち >>ろん、1911年の議論で話題になったかどうかは知りません。 おっしゃるとおり、室町期に「南朝怨霊鎮魂思想」があったことは、誰し も認めるところだと思います。しかしその上で南北並立論が公式に認めら れてきたと思います(つまり南朝正統論では無かった)から、井沢さんが 主張されている・・・・ >>何故戦前は(正確に言うと明治時代以前から)南朝のほうが正統とされ >>てきたのですか?今の天皇は北朝なのに、という質問である。・・・ >>もう一つの例はさらに明白だ。歴史では南朝は滅び北朝が勝利を収めた。 >>だからこそ、ちょうど源氏物語のように南朝は正統でなければならない >>のだ。現実には南朝の子孫は絶滅しているから、正統と認めたところで >>実害は何もない。菅原道真を太政大臣にするのと同じことだ。朱子学と >>いうのは単にその理屈付けに利用されたに過ぎないのである。 南朝正統論(特に幕末明治期)の思想的根拠として「南朝怨霊鎮魂思想」 や「顕幽分離論」を主要因とするのは無理があると思うのです。 仮に「後亀山」から「後小松」譲位により南北合体がなされた頃に、光厳 (北朝)系天皇の皇統独占が確立したうえで、なお且つ南朝正統論により 光厳系天皇即位が否認されたのならば、そう言った理論も有り得るかも知 れないと思いますが・・・(チョットややこしい言い方でスミマセン) >>「尊王斥覇論」だけ(!)で正統が変わるとは、私にはちょっと信じら >>れません。・・・・・・・ >>「尊王斥覇論」が真実に近いとしても、「顕幽分離論」という土台があ >>って、はじめて「尊王斥覇論」も論じることができるような気がするの >>ですが、如何でしょうか? ご承知のとおり「尊王斥覇論」は、尊王討幕のメインイデオロギーであり 、言うならば明治新政府(建前としての天皇親政=王政復古)成立の基礎 となった思想ですね。 従って、この思想を徹底すれば、足利と云う覇者に擁立され、後醍醐と云 う王者に対抗して並立即位した光厳系天皇の正統性を否認せざるを得なか ったと思います。(一種の朱子学的リゴリズムだとは思いますが) 従って、敢えて「顕幽分離論」と云う思想を云々する必然性は感じられな いのですが・・・。 >>言い替えれば、精度を下げることで、日本史全体を眺めることを可能に >>しているのだと私は思っています。 >>そして、精度が下がっているにもかかわらず、返って本質が見える所に >>ファンは惹かれていると思うのですが、如何でしょうか? Awajiは井沢さんの所論をイラストマップだと申し上げているのですが、 おそらく同様の意味になるのかも知れません。 従って、井沢さんの個々の歴史事象についての解釈を検証することによっ て、井沢さんの「怨霊思想」に基づく通史的解釈の有効性(つまりは本質 が見えてくるかどうかです)を考察したいと思っているのです。 この辺が、ファンの方とのアプローチの相違であり、重箱の隅をツツクと 叱られるのですが、Awajiは若い頃に散々「木を見て、森を見ない」と言 われ続けたせいか・・・真に森を理解するためには、航空写真等で作り上 げたイラストマップを、一本一本の木の種類・生育・寄生動物等々で確認 することが不可欠だと考えています。 そして、その状況に関してイラストマップとの乖離があれば、イラストマ ップそのものを再検討するのが当然だと思っているのです。 (まして、個々の状況について誤りがあれば、歴史の旅人を迷路に導かな いためにも直ちに修正するのがマップ製作者の義務だと思っています。) 中日ドラゴンズ問題に関しては、良く知りませんので稿をあらためます。 Time : 1999/11/13(土) 11:55:23
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「中日ドラゴンズ」?? Comments: AKATOKUさん、横山雅彦さん、Raffleさん、今日は。Awajiです。 「中日ドラゴンズ」の論理についてですが、これは実に簡単なことだと 思います。つまり・・・・・ >>では、たとえば歴史学者が次のように主張したとしょう、・・・ >>「・・・これは歴史学の立場から見て最も信頼できる史料にはっきりと >>書かれているのだから、間違いない。従ってそれ以外の理由はないので >>あって、たとえばタイガース等に対抗して命名されたというのは間違い >>である」これが・・・ と記述してあるのですが、マトモナ歴史学者は先ず絶対にこの様な主張は しないのです。(これは確信をもって断言します) 歴史学は、直接に歴史事象が記述されている「文献史料」を基本として、 当時「ドラゴンズ」は社会的に如何なる意味を持っており、球団の名前と して相応しいものであるかどうか。社長は本当に辰年生まれなのか(つま り故意に曲筆がなされていないか)。当時の中日新聞等にはどの様に命名 に関する記述が有るか(他史料との照合)。当時この名前がファンにどの 様に受け止められたのか(当時の社会的状況との照合)・・等々を検証し、 「直接の命名理由は、社長のエトにあると考えられるが、その決定動機に 『ドラゴンズ=龍=強力な動物』というイメージがある事も否定出来ない のではないだろうか、何故ならば当時のあらゆる状況から見て、社長のエ トがネズミであったとしても、『中日ラット』と命名することは有り得ず ・・・・」と記述する筈です。 つまり井沢さんは、ご自分のイメージにより歴史学者を創造され、その創 造した歴史学者を批判しておられるに過ぎないと思うのですが・・・・? Time : 1999/11/13(土) 12:50:18
Name : たこでちゅ E-mail : Title : 愚者ってだれのこと?(通りすがりさんへ) Comments: 私は薩摩人さんの意見に全面的に賛成です。ロム専門さんも述べておられるよう に、結局あなたはだれの、だれに対する、どういう発言が気に入らないのかはっき りと述べていただけませんか。それが明らかでないのに、あなたのような発言を毎 回のように読まなければならないのはたいへん不愉快です。まあしいていえば、ぎ りぎり思い当たるとすれば、Awajiさんの安部さんに対する質問でしょうか。しかし ながら、Bさんも述べているように、歴史の真実に近づきたいと思って議論してい るならば、Awajiさんのようなスタイルになるのは当然であり(むしろ丁寧です)、 私の1年半のHP歴から察するに、そういう考えでこの掲示板に参加している人は けっこう多いと思います(大阪JF生さんも、歴史の考察はこの掲示板の大きな意 義の一つと述べていましたね。)。たいして、安部さんはこの掲示板においては大 常連の一人であり(初心者や新参者ではけっしてない!)、別に質問などされなく ても最低週に一回は、3つのどれかに発言しています。したがって、手間や時間や 電話代は彼の場合はとくにかからないわけで、Awajiさんが彼に要求したことは、た だ彼の意見の最後に一言加えるだけのことです。おまけに彼の断定的な発言スタイ ルは、あなたの言葉を借りれば、はじめからけんか腰で自分の新説を述べているよ うなものです。もし私の専門分野の学会で、彼の調子でとうとうと意見(たとえ教 授の意見の受け売りであろうと)を述べる人がいれば、私は間違いなく質問します し、それに対しては堂々と答えることを期待するでしょう。それができなければ、 なんじゃあれは、となってしまいます。ここは学会ではないというのはごもっとも ですが、一部の愛好者の方々は、ここが学会であっても遜色はないと思われるよう なやりとりをしばしばされていて(内容のレベルのことは私にはわかりませんが、 ただやりとりの雰囲気のことを言っているのです。)、安部さんもそういう人たち の一人だったはずです(以前、堂々とした論陣を張って、尊敬を受けたこともあっ たかと記憶しています。)。その彼が、自分に都合の悪い(?)一部の質問に限っ て答えないというのはまったく解せないことです。あなたの発言は、一般論として は理解できます(とくにはじめて参加したような人に対しては)が、Awajiさんと安 部さんの間のやりとりに適用するのはまったく的外れです。今後あなたが同様の趣 旨で御発言なさるときは、はっきりと具体例を挙げた上で、お願いいたします。そ うでなければ、わけのわからないつぶやきを毎回のように聞かされるのは、まった くもって度し難い話です。 Time : 1999/11/13(土) 13:37:13
Name : たこでちゅ E-mail : Title : 愚者ってだれのこと?(通りすがりさんへ) Comments: 私は薩摩人さんの意見に全面的に賛成です。ロム専門さんも述べておられるよう に、結局あなたはだれの、だれに対する、どういう発言が気に入らないのかはっき りと述べていただけませんか。それが明らかでないのに、あなたのような発言を毎 回のように読まなければならないのはたいへん不愉快です。まあしいていえば、ぎ りぎり思い当たるとすれば、Awajiさんの安部さんに対する質問でしょうか。しかし ながら、Bさんも述べているように、歴史の真実に近づきたいと思って議論してい るならば、Awajiさんのようなスタイルになるのは当然であり(むしろ丁寧です)、 私の1年半のHP歴から察するに、そういう考えでこの掲示板に参加している人は けっこう多いと思います(大阪JF生さんも、歴史の考察はこの掲示板の大きな意 義の一つと述べていましたね。)。たいして、安部さんはこの掲示板においては大 常連の一人であり(初心者や新参者ではけっしてない!)、別に質問などされなく ても最低週に一回は、3つのどれかに発言しています。したがって、手間や時間や 電話代は彼の場合はとくにかからないわけで、Awajiさんが彼に要求したことは、た だ彼の意見の最後に一言加えるだけのことです。おまけに彼の断定的な発言スタイ ルは、あなたの言葉を借りれば、はじめからけんか腰で自分の新説を述べているよ うなものです。もし私の専門分野の学会で、彼の調子でとうとうと意見(たとえ教 授の意見の受け売りであろうと)を述べる人がいれば、私は間違いなく質問します し、それに対しては堂々と答えることを期待するでしょう。それができなければ、 なんじゃあれは、となってしまいます。ここは学会ではないというのはごもっとも ですが、一部の愛好者の方々は、ここが学会であっても遜色はないと思われるよう なやりとりをしばしばされていて(内容のレベルのことは私にはわかりませんが、 ただやりとりの雰囲気のことを言っているのです。)、安部さんもそういう人たち の一人だったはずです(以前、堂々とした論陣を張って、尊敬を受けたこともあっ たかと記憶しています。)。その彼が、自分に都合の悪い(?)一部の質問に限っ て答えないというのはまったく解せないことです。あなたの発言は、一般論として は理解できます(とくにはじめて参加したような人に対しては)が、Awajiさんと安 部さんの間のやりとりに適用するのはまったく的外れです。今後あなたが同様の趣 旨で御発言なさるときは、はっきりと具体例を挙げた上で、お願いいたします。そ うでなければ、わけのわからないつぶやきを毎回のように聞かされるのは、まった くもって度し難い話です。 Time : 1999/11/13(土) 14:03:20
Name : たこでちゅ E-mail : Title : 愚者ってだれ?(通りすがりさんへ) Comments: 私は薩摩人さんの意見に全面的に賛成です。ロム専門さんも述べておられるよう に、結局あなたはだれの、だれに対する、どういう発言が気に入らないのかはっき りと述べていただけませんか。それが明らかでないのに、あなたの同じ内容の発言 を毎回読まなければならないのはたいへん不愉快です。まあしいていえば、ぎりぎ り思い当たるとすれば、Awajiさんの安部さんに対する質問でしょうか。しかしなが ら、Bさんも述べているように、歴史の真実に近づきたいと思って議論しているな らば、Awajiさんのようなスタイルになるのは当然であり(むしろ丁寧です)、私の 1年半のHP歴から察するに、そういう考えでこの掲示板に参加している人はけっ こう多いと思います(大阪JF生さんも、歴史の考察はこの掲示板の大きな意義の 一つと述べていましたね。)。たいして、安部さんはこの掲示板においては大常連 の一人であり(初心者や新参者ではけっしてない!)、別に質問などされなくても 最低週に一回は、3つのどれかに発言しています。したがって、手間や時間や電話 代は彼の場合はとくにかからないわけで、Awajiさんが彼に要求したことは、ただ彼 の意見の最後に一言加えるだけのことです。おまけに彼の断定的な発言スタイル は、あなたの言葉を借りれば、はじめからけんか腰で自分の新説を述べているよう なものです。もし私の専門分野の学会で、彼の調子でとうとうと意見(たとえ教授 の意見の受け売りであろうと)を述べる人がいれば、私は間違いなく質問します し、それに対しては堂々と答えることを期待するでしょう。それができなければ、 なんじゃあれは、となってしまいます。ここは学会ではないというのはごもっとも ですが、一部の愛好者の方々は、ここが学会であっても遜色はないと思われるよう なやりとりをしばしばされていて(内容のレベルのことは私にはわかりませんが、 ただやりとりの雰囲気のことを言っているのです。)、安部さんもそういう人たち の一人だったはずです(以前、堂々とした論陣を張って、尊敬を受けたこともあっ たかと記憶しています。)。その彼が、自分に都合の悪い(?)一部の質問に限っ て答えないというのはまったく解せないことです。あなたの発言は、一般論として は理解できますが、Awajiさんと安部さんの間のやりとりに適用するのはまったく的 外れです。今後あなたが同様の趣旨で御発言なさるときは、はっきりと具体例を挙 げた上で、お願いいたします。わけのわからないつぶやきを毎回のように聞かされ るのは、まったくもって度し難い話です。 Time : 1999/11/13(土) 14:08:40
Name : 横山 雅彦 E-mail : Title : たこでちゅさんへ他 Comments:  たこでちゅさん、同じ内容を3度も重複して投稿しないでください。通りすがり さんには問題があると思いますが。もし徹底的にやりたければお互いメールアドレ スを公開して二人でやってください。ここはあなた達二人だけの場所ではありませ んので。  TAKATOKUさん、レスありがとうございます。そこで問題になるのは「事実と意 味」だと思います。「林檎が木から落ちる」が「事実」で、その背後には惑星の運 動をも支配する「重力」という法則がありますが、「意味」はありません。「意 味」を見出すのは人間の「文化」です。「人間の死」も科学的に見れば単なる化学 反応でしかないでしょうが、人間はそこに「意味」を見出すから悲しみを感じるわ けです。歴史でいえば年表に載せる/載せないで既に「意味」の問題になるわけで す。「事実」だけから言えば「ホロコースト」も「野良猫がニャンと鳴いた」も 「事実」には違いありませんから。要するに「史観」が重要なわけです。井沢先生 は「言霊信仰及び怨霊信仰等の視点で日本史を見る」というテーマで「逆説の日本 史」を書かれたのです。あなたも理系なら「ゲーテルの不完全性定理(?)」はご 存知でしょう。少しまとまりがなくてごめんなさい。また書くかもしれません。  Awajiさんへ、井沢先生は実際の歴史学者や学説を見て批判されているので はないでしょうか。「道鏡」の件といい「宗教=迷信」とした福沢諭吉とマルクス 主義唯物論のどちらの影響か知らないけど宗教の影響を軽視及び無視したり。もし 批判されるんでしたら井沢先生が具体的に歴史学者や学説を批判した個所について 批判してください。失礼しました。  管理人さんに提案です。この掲示板はREAD ONLYにして、他にツリー型掲示板を 作って、そこで「南朝正当論」「関が原」とテーマ別に議論してもらってはいかが でしょうか。「テーマ別」の範疇に入らない投稿は「フォーラム」「とまり木」に してもらうとして。  あと、「資料史上主義」×→「資料至上主義」○でした。 Time : 1999/11/13(土) 18:32:32
Name : コテキン E-mail : Title : 山びこの術 Comments: ここの掲示板は「登録する」ボタンを押した数だけ書き込まれてしまうので す。俺もボタン連射でとんでもないことになってしまいました(下参照)。 この技(?)を俗に「山びこの術」というらしいです。 初めての方は気をつけましょう! Time : 1999/11/13(土) 18:43:25
Name : とろ E-mail : Title : 「氷の橋」 Comments:  「『逆説の日本史』の歴史学者批判」についての話題がありましたので一言。  以下は私が卒論に苦しんでいた頃、恩師と交わした会話です。 「・・・先生はよく『小説じゃないんだから根拠をしっかり 書け』とよくおっしゃいますが、逆に論文など書いていて 『小説家はいいなぁ、確かな根拠がなくても想像だけで 自由な発想が出来て・・・』と思いません?」 「じゃ逆に聞くけど、君が建築家で一生懸命ロシアあたりで橋の設計を やっていたとする。そこに芸術家がやってきて『こんな寒いところなら コンクリートや金属を使わなくても、氷の橋を造ればきれいだし 安上がりじゃないか。』って言われたらどうする?」 「・・・まぁ『三国志』にも氷の城の話が出てきますし検討の余地は あると思いますけど、やはり安全性の面を確かめないと迂闊なことは 出来ないと思いますね。」 「そうなんだよ。歴史を「仮想」「娯楽」として考えるなら小説のようにある程度の 根拠があったら自由奔放な想像したっていいけど、僕たち学者は歴史を 「真実」や「現実に連なるもの」として捉える以上そうはいかないんだ。 僕たちは「事実」という安全性を無視して筆は進められない。 小説が悪いという訳じゃないけど、歴史学とは「別物」と思って欲しいね。 もちろん空想から出来た『物語』が一流の作品であれば僕らも面白いし、 それから僕たちが学ぶって事は大いにあり得るけど・・・」 こんな事を言ったら怒られるかもしれませんが、私は『逆説の日本史』は 「歴史学」ではなく、「仮想小説」あるいは「現代批評」の類だと思っています。 具体的に指摘することは出来ませんが、論文のように「ここはどうして?」 「これの根拠は?」と疑問を挟みたくなる箇所が非常に多いのです。「書いて ある」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、はっきり言ってその記述量は 「少ない」です。私達がゼミの発表で同様の文章を書いたら間違いなく袋叩きにあいます。  ただ、私は『逆説の日本史』そのものは好きですし、井沢先生が主張なさって いる現代問題の批評等は基本的に支持しております。KANAKさんなどは「井沢先生の文章は 真摯な研究に人生を捧げた学者を侮辱している」と捉えられていたようですが、 私の知る限り「学者」の側にはまだまだゆとりがありましたよ。少なくとも 「私の文章が門外漢に批判されても、その根拠が曖昧ならばどちらが恥をかいているかは 一目瞭然だ。」との趣旨の発言を同時にしていました。私はどちらかというと 「専門家以外の歴史論」を色眼鏡で見る恩師をはじめとする人たちの態度は あまり好きではありませんでしたが、彼らがそれだけの自負やプライドのもと 日々の研究に励んでいるその姿勢には尊敬の念を抱いておりました。 ・・・ちょっとずれた話題になったかも? Time : 1999/11/13(土) 19:26:17
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「具体的批判」?? Comments: 横山雅彦さん、今日は。Awajiです。 >> Awajiさんへ、井沢先生は実際の歴史学者や学説を見て批判され >>ているのではないでしょうか。「道鏡」の件といい「宗教=迷信」とし >>た福沢諭吉とマルクス主義唯物論のどちらの影響か知らないけど宗教の >>影響を軽視及び無視したり。もし批判されるんでしたら井沢先生が具体 >>的に歴史学者や学説を批判した個所について批判してください。失礼し >>ました。 今回は「中日ドラゴンズ」の話がありましたので、少し抽象的になったか も知れませんが、Awajiは、知人のKANAKさんの関係で、このHPに参加さ せて頂いて以来、常に具体的な項目について疑問点を申し上げてきたつも りなのですが? 「道鏡」についてもKANAKさんが「称徳」にからみ、散々具体的に論じられ ました。 最近では・・・ 「顕幽分離論 1999/ 9/13(月) 23:51:48」以降の「源氏物語論」等から 今回の「南北朝正統論」再掲まで 「刀伊来寇 1999/10/ 2(土) 22:03:24」(掲載するも無反応ですが) で、かなり具体的に申し上げたつもりなのですが、お読み頂いた上でのご 意見でしょうか? (それで重箱の隅をツツクような批判をするなと言われております。) Time : 1999/11/13(土) 19:36:22
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「小説OR史論」?? Comments: とろさん、はじめまして。Awajiです。 >>KANAKさんなどは「井沢先生の文章は真摯な研究に人生を捧げた学者を >>侮辱している」と捉えられていたようですが、私の知る限り「学者」の >>側にはまだまだゆとりがありましたよ。少なくとも「私の文章が門外漢 >>に批判されても、その根拠が曖昧ならばどちらが恥をかいているかは一 >>目瞭然だ。」・・・ KANAKさんの非難は「小説」や「随筆」ならば、素人が「歴史論」と受 け取るような表現や「学説批判」は差し控えるべきだ。と言うことでし た。 さらに、井沢さんの「学説・学者」に対する侮辱的表現が、歴史学に対 して全く無垢な状態の青年達に与える影響を懸念されたのであって、当 の歴史学者達が無視していることは、充分承知の上だったと思います。 Time : 1999/11/13(土) 19:57:12
Name : たこでちゅ E-mail : Title : 横山さん、他御迷惑をおかけした方へ Comments: コテキンさんのおっしゃる通りで、自分では登録したつもりだったのに、自分の画 面にはそれが表示されず、表示されるまで推考を交えながらボタンを押しつづけた ため、ああなってしまいました。別に3度同じことを投稿して、ことさら強調する 意図はまったくありませんでした。どうもすみません。 Time : 1999/11/13(土) 19:58:44
Name : 横山 雅彦 E-mail : Title : たこでちゅさんへ他 Comments:  たこでちゅさん、同じ内容を3度も重複して投稿しないでください。通りすがり さんには問題があると思いますが。もし徹底的にやりたければお互いメールアドレ スを公開して二人でやってください。ここはあなた達二人だけの場所ではありませ んので。  TAKATOKUさん、レスありがとうございます。そこで問題になるのは「事実と意 味」だと思います。「林檎が木から落ちる」が「事実」で、その背後には惑星の運 動をも支配する「重力」という法則がありますが、「意味」はありません。「意 味」を見出すのは人間の「文化」です。「人間の死」も科学的に見れば単なる化学 反応でしかないでしょうが、人間はそこに「意味」を見出すから悲しみを感じるわ けです。歴史でいえば年表に載せる/載せないで既に「意味」の問題になるわけで す。「事実」だけから言えば「ホロコースト」も「野良猫がニャンと鳴いた」も 「事実」には違いありませんから。要するに「史観」が重要なわけです。井沢先生 は「言霊信仰及び怨霊信仰等の視点で日本史を見る」というテーマで「逆説の日本 史」を書かれたのです。あなたも理系なら「ゲーテルの不完全性定理(?)」はご 存知でしょう。少しまとまりがなくてごめんなさい。また書くかもしれません。  Awajiさんへ、井沢先生は実際の歴史学者や学説を見て批判されているので はないでしょうか。「道鏡」の件といい「宗教=迷信」とした福沢諭吉とマルクス 主義唯物論のどちらの影響か知らないけど宗教の影響を軽視及び無視したり。もし 批判されるんでしたら井沢先生が具体的に歴史学者や学説を批判した個所について 批判してください。失礼しました。  管理人さんに提案です。この掲示板はREAD ONLYにして、他にツリー型掲示板を 作って、そこで「南朝正当論」「関が原」とテーマ別に議論してもらってはいかが でしょうか。「テーマ別」の範疇に入らない投稿は「フォーラム」「とまり木」に してもらうとして。  あと、「資料史上主義」×→「資料至上主義」○でした。 Time : 1999/11/13(土) 20:15:26
Name : たこでちゅ E-mail : Title : 教えてください。 Comments: 横山さんの文章の中にゲーデルの不完全性定理が出てきますが、文全体の趣旨とど ういう関係があるのですか。次回投稿されるときの末尾で結構ですから、教えてく ださい。 Time : 1999/11/13(土) 20:18:31
Name : 横山 雅彦 E-mail : Title : 皆様に謝罪 Comments:  ネットから一旦切断して再接続したら2重投稿になってしまいました。たこで ちゅさんさんを批判しながら自分も結果として同じことをやってしまいました。皆 様に謝罪します。管理人さんへ、この投稿と共に2重投稿になった分を削除するこ とはできないのでしょうか。  Awajiさんへ、それらについては読んでおりません。軽々しく批判したこと をお詫びいたします。Awajiさんが自分で歴史を色々勉強・研究した上で発言 ・批判されていることは分かりましたのでこの件についてはもう言いません。自分 の及ぶ範囲でないことは分かりましたので。最後に素人の発言にきちんと答えてく ださったAwajiさんに感謝して終わります。 Time : 1999/11/13(土) 20:33:57
Name : とろ E-mail : Title : Re.救世観音と「小説OR史論」?? Comments:  Awajiさん、こんばんは。とろです。  早速のレスどうもありがとうございました。 >KANAKさんの非難は「小説」や「随筆」ならば、素人が「歴史論」と受 >け取るような表現や「学説批判」は差し控えるべきだ。と言うことでした。 >さらに、井沢さんの「学説・学者」に対する侮辱的表現が、歴史学に対 >して全く無垢な状態の青年達に与える影響を懸念されたのであって、当 >の歴史学者達が無視していることは、充分承知の上だったと思います。  まず、先ほどの書き込みはあくまで私個人の体験から「歴史学の現場」が小説の 類をどのようにみなしているかを紹介したかったのであり、特定個人の批判が 目的でなかったことをお断りしておきます。  過去ログが読めないので失念していましたが確かにKANAKさんの文章には 歴史学者に対する侮蔑に対する憤りより、学生に対する悪影響を懸念する 気持ちがより強く出ておりましたね。不正確な引用になってしまったことをお詫びします。 Time : 1999/11/13(土) 21:00:14
Name : ネットキット E-mail : Title : 再び、中国の歴史はいいかげん? Comments: 西尾幹二氏の「国民の歴史」でも支那の歴史はいい加減だと主張されてましたね。 木下に寝ていた平の秀吉などの話は思わず吹き出してしまいます。  「やっぱり!」って思ったのは私だけでしょうか? (^-^;)7 Time : 1999/11/13(土) 22:26:26
Name : ina E-mail : Title : 史論 Comments:  みなさま、御無沙汰しております。  以前、KANAKさんがいらっしゃったときも、史論と歴史読み物、についての 話をしました。  今話題の中日ドラゴンズの論理を始めとして、面白い論理にはある程度の穴があ るものかも知れません。実際、ドラゴンズという一つの球団の例だけを取って、推 論が行われることはまず考えられず、また、アメリカのチーム名を考えても、強そ うなものばかり、では有りませんね。  なおかつ、それが版を重ね、私のようにハードカバーと文庫両方持っている者が いるのは、面白いからです。  しかし、そういった面白い論を無批判に受け入れることは問題があり、例は違い ますが、前Awajiさんに御教示頂いた宇佐神宮と伊勢神宮の官位の問題、私が 声高に述べた、宇佐一位、伊勢ニ位、がまったく資料的根拠がなかった、という ショッキングなことがありました。その時は主に勇者ロトさんの御尽力で根拠にな る 資料がないことが分かったのですが、ここでの議論を経て私の目が開かれた一瞬で した。  本当に素晴らしいHPだと思います。そして、膨大な資料を駆使して反論を加え て下さるだけでなくこちら拙い反論にも全力で答えてくださるAwajiさんの存 在、私もまた参加したいと思います。  ところで、Awajiさん、男形のアマテラス像について以前にもお聞きしたの ですが、新しい知見とかございますでしょうか。 Time : 1999/11/14(日) 00:27:50
Name : コテキン E-mail : Title : シナの歴史 Comments: シナの歴史は、時の権力者によって自由に変えられるものらしい ですから「正史」というものは簡単に信用できないものらしいで す。だからそのような物を頼りに日本の古代史を探究するのはと んでもない事だと私は思います。 Time : 1999/11/14(日) 01:18:51
Name : Yahoo!掲示板 E-mail : Title : 井沢元彦氏の「犯罪」 Comments: http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.f0.0f.89750&topicid=1141m00&msgid=80k0vd$kan$1@m00.yahoo.co.jp Time : 1999/11/14(日) 02:17:47
Name : 横山 雅彦 E-mail : Title : たこでちゅさんへ他 Comments:  たこでちゅさんはゲーデルの不完全性定理をご存知の上でおっしゃられておられ るのでしょう。でしたらお分かりのようにあまり適切な用い方はしていません。 「完全に中立的な絶対的真理には到達できない。」ぐらいの意味で用いています。 TAKATOKUさんが「真実」という言葉を使ったので持ち出しただけです。  Yahoo!掲示板で「井沢元彦氏の『犯罪』」というのがあるらしいですけど、井沢 先生が早稲田大学法学部卒だからって法律には憲法もあれば民法もあるし、井沢先 生がどのゼミに所属していたかも言わずに「法学部卒=著作権法に熟知=小林よし のり氏に何も言わないのは犯罪」というのは無茶苦茶だと思う。井沢先生は作家だ けどそれだと漫画家の小林よしのり氏と同レベルだし、「自分は作家だから漫画 の著作権等にかかわる慣習を知らないし、ましてやプロの漫画家である小林よしの り氏にどうこう言えるレベルではない。」と思ったから何も言わなかったのではな いのか。 Time : 1999/11/14(日) 07:58:59
Name : たこでちゅ E-mail : Title : 横山さんへ Comments: ありがとうございました。 Time : 1999/11/14(日) 08:24:02
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「中国正史」?? Comments: コテキンさん、ネットキットさん、みなさん。今日は、Awajiです。 中国正史に関する信憑性の問題ですが・・・ 何れの民族も、国も、王朝も、完全に正しい史書などと言うものは持 ち得ませんし、権力に媚びた嘘だらけの史書などと言うものも保ち得 ません。 従って、一般論として中国史書が信頼出来るか、出来ないかと言うよう な議論は、殆ど意味を成さないと思うのです。 現代は、過去に比べて遥かに権力による情報操作が行われやすい時代で すし、取り分け社会主義国における情報操作が著しいのは明らかでしょ う。よって当然ながら現代の中国政府の歴史に対する姿勢を以って、過 去の中国史書を云々することは出来ないと思います。 それは恰も、大戦中の大本営発表が不正確であったから、日本書紀の記 述も信頼できないと断ずる様なものでは無いでしょうか? 当然「史記」から「元史」にいたる様々な史書は、それぞれ成立の時期 、経緯、状況が異なっているのですから、それぞれに異なった評価が与 えられて然るべきでしょう。 少なくとも、過去の中国に於いて、権力の介入を最小限に止めるため、 隔世正史製作の伝統が守られていたのは、皆さんがご指摘されていると ころですし、司馬遷が権力に抗して宮刑に処せられながらも「史記」を 完成した気概が、史官に脈々と伝えられたのも否定し切れない筈です。 つまり、極めて困難ながらもそれぞれの史書のそれぞれの記事について、 原史料の保存状況、記述の時期、記述者の姿勢、権力者との関係、史書 ・文学書相互の整合性、金石文・外国史書との照合、考古学所見との整 合性等々・・・・・あらゆる角度から検証しつつ、個別にその信憑性を 推論するしか無いでしょうし、それが歴史学と言うものでは無いでしょ うか? コテキンさん、貴方は中国正史を頼りするのはとんでもないとして、 一何をもって日本の古代史を探求されるお積もりでしょうか? この場合、頼りにすると言うのは、盲信することとは全く別物であるこ とは言うまでもありませんが・・・・ Time : 1999/11/14(日) 10:04:33
Name : コテキン E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: 言い方がまずかったですね。 「頼りに」ではなく、「盲信」と書くべきでした。 すみません。 Time : 1999/11/14(日) 11:46:01
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「男形アマテラス」?? Comments: コテキンさん、inaさん、今日は。Awajiです。 コテキンさん・・・ 早速のRESありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。 inaさん・・・・ >>男形のアマテラス像について以前にもお聞きしたのですが、新しい知見 >>とかございますでしょうか。 スミマセン<(_ _)>ペコ。頭から放れていました。 仏像オタクとして、機会を見つけて確認したいと思います。督促なしでお 待ち下さいますか? Time : 1999/11/14(日) 13:53:56
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: 私の書き込みを読んで不愉快になる、と言うのは、個人の感情論である。 その論法が通用するのなら、私も特定の個人の名を挙げ、不愉快だから そんな書き方をして欲しくない、と言う事もできるわけだ。 いずれにせよ、管理者でもない立場の人間が発言封じ的発言をするとは かたはらいたい話ではあるな。 断っておくが、私は不快感は表明しても、発言するな、とは言っていな い。 Time : 1999/11/14(日) 14:52:36
Name : ina E-mail : Title : どうもどうも Comments: Awajiさん、、、今日は、Inaです。  督促なしの期限なしでお待ちします。  結構面白いテーマだと思いますので、、。  (自分でも調べたいのですが、今海外におります) Time : 1999/11/14(日) 15:20:34
Name : たこでちゅ E-mail : Title : 勝手に想像するな。 Comments: 私はきわめて強い不快感を表しただけで、発言するなとは一言も言っていない。そ れを発言するなととるほどの想像力があるなら、自分の発言こそ、この掲示板では 細かいことを質問するなと言って仕切ろうとしているようなものであることになぜ 気づかないのだ。自分のことを棚に上げるのもいいかげんにしろ。Awajiさんがこの 掲示板でかけがえのない存在であることは一目瞭然だ。こんな輩に愚者扱いされた 彼が気の毒でしようがない。 みなさんに御迷惑をおかけするのはいやなので、今後この件については一切発言し ないことにいたします。 やりたければ一人で勝手にやれ。 Time : 1999/11/14(日) 17:59:07
Name : 通りすがり E-mail : Title :Comments: 言われるまでもない。私は一人で勝手にやっている。 ついでに言うと、初めて登場した者に向かって、千年来の読者を馬鹿にするな と言うような発言をするものがかけがえのない存在であるのなら、この掲示板 の価値はその程度の物だと言うだけの事だ。 更に言うと、井沢先生のサイトに来て井沢ファンにいちゃもんを付けるのなら ば、逆説の日本史ぐらいは読んでおくのが当然だと思うけどね。 Time : 1999/11/14(日) 19:03:31
Name : まいご E-mail : Title : 通りすがりなら Comments: はやくとおりすぎりゃいいのに・ Time : 1999/11/15(月) 09:52:58
Name : 通りすがり 乾分 E-mail : Title : 終幕?? Comments: 第五幕(終幕) 場所・・・・・大川端町辻 登場人物・・・親方 権助、乾分 為五郎、外 (為)おう、てえそうな人だかりだか、いってえなんだ。 (ー)なんでも大の男が、大声でわめいてるらしいが、あっしらも良うは    知れぬ。 (為)どいたどいた。いってえ何事でえ。 (権)うるせえ。てめえらの知ったことか。どいつもこいつも馬鹿ばっか    りだぁな。 (為)あれ、こいつは権助親方じゃあねですかい。いってえどうなすった。 (権)そういうおめえは・・・・なんでえ為じゃあねえか。 (為)へえ、その為五郎でござんすが、いってえ何をわめいていなさるんで。 (権)何もかにもあるもんか、横丁の淡路亭板ヱ門ってえ講釈師の馬鹿さ    加減を皆に教えてやっているところよ。 (為)それにしても往来のど真ん中で、おやおや着物の裾が泥まみれじゃ    あござんせんか。 (権)なにかまうもんけえ。おう・・・皆の衆・・まずは聞いてくれ。 (為)これこれ、また大きな声で・・・ちったあ慎みなせえ。やい、見世    物じゃあねえんだ。さっさといきやがれ。 (権)為よ、まあひととおり聞いてくれ。 (為)へえ、いくらでも聞きやすが、ここは往来だ。まずはそこいらの料    理屋へでもいきやしょうぜ。 (権)何をいいやがる。俺はてめえばかりじゃねえ。皆にいってやりてえ    んだ。 (為)へいへい、分かっておりやす。それにしても往来でわめいていては、    皆が迷惑千万で・・・親方の顔にかかわりまさあね。ここはひとまず。 (権)いや、俺はここを離れねえ。 (為)親方いい加減になせえ。アワジッテエ・イチャモンとかいう野郎の    馬鹿さ加減は皆が決めるこった。馬鹿話ばかりの講釈師からはじね    んに客足が遠のき、とどのつまりは尻に帆かけてとんずらってぇ寸    法でさあね。 (権)・・・・・ (為)さあ、あっしの肩につかまって・・・こうおいでなせえ。 (権)うるせえ・・・ほおっておきゃがれ。 (為)おっと親方。そっちえ行きゃあ大川だ。つらあ洗うにゃ流が早すぎ    まさあ。さあさあ、駄々をこねずに・・・それそれこうつかまって    おいでなせえ。    ほんに今夜は、やけに夜烏がなきゃああがる・・・烏も夜風が冷て    えか。    おや、やけに重いと思ったら、お休みじゃあねえですか。まあ罪の    ねえお人だあ〜。       チョン・・・チョン・・チョン・・・・・・・・(幕)        Time : 1999/11/15(月) 17:52:07
Name : きんたろう E-mail : Title : この印籠が目に入らぬか!!!(笑) Comments: こんばんは、みなさん。 Raffleさん、こんばんは。 南朝正統論といえば水戸学ですよね。 水戸と言えば水戸黄門が有名です。(^^) 水戸光圀がどうして大日本史を編纂しようとしたのかと考えたことがあります。 今回体調を壊していて新たに書けないものですから自分のホームページから持ってきました。 知っている方は申し訳ありません。(^^) 光圀が大日本史を編纂しようと思った理由は様々な動機があったと考えられます が、その一つに徳川家の正当性を証明しようとしたことがあると思います。 家康は馬上で天下を取りましたが、統治の手段のひとつとして朱子学を選び徳川家 の安定 (パックストクガワ)を図ろうとしました。 孫である光圀はその意志を継いだものと私は考えています。 徳川家は三河の松平郷出身の豪族にすぎませんのでとても源氏であるとは思われま せん。しかし、自分の先祖を源氏の名門と無理矢理結びつけ(新田郷から流れ着い てきた坊主?)て、その子孫であるということで源氏を名乗っていました。 新田義貞は足利尊氏と争い敗れ去りましたが新田氏は足利氏と同格のほとんど源氏 本流と言っていい名門です。(しかし室町時代の有力大名の山名氏は新田氏ですが) 征夷大将軍が足利氏であった室町幕府の後にできた江戸幕府は足利氏と同格の血筋 を示す必要があったのではないかと思います。そのために新田義貞を高く評価する という結論こそが第一にあったのではないでしょうか。 田義貞を評価することは必然的に南朝を正当化する事になり、また南朝方であった 楠正成を評価することにつながります。 自らの血筋を誇るためには天皇家の神聖さを訴え、そしてその血筋つながるもので あるということの証明をする事になります。それは精神的には天皇家以上に勢力を 誇った藤原家と同じようなものだったと思います。 しかしこれは絶えざる王朝としての朝廷の価値、評価を高めることになりました が、徳川家にとっては幕末の尊皇攘夷などの予想外の反応を引き出したことは歴史 の皮肉かもしれません。 Time : 1999/11/15(月) 19:31:00
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 横山雅彦様 Comments: Yokoyama wrote (11.14 07:58) >  たこでちゅさんはゲーデルの不完全性定理をご存知の上で... ... > 「完全に中立的な絶対的真理には到達できない。」ぐらいの意味 > で用いています。TAKATOKUさんが「真実」という言葉を使ったの > で持ち出しただけです。 「真実」という言葉を使ったのは、ある種の冗談です。この文脈で は「有益な情報かどうか?」ということを考慮したかったと解釈し て下さい。 つまり、言い換えれば、「中日ドラゴンズの論理」とは、著者に、 後世の人々を騙す気がなかったとしても、後世の人々にとって最も 有益な情報が書かれているとは限らない、と私は解釈しています。 #ちなみに、私は中日ファンでもあるので、「社長の干支」という #のは、有益な情報でした。 もちろん、「ゲーデルの不完全性定理」がどのような定理かは知っ ているつもりですが、ただ、証明論の枠組みを越えてこの定理を考 えたことはありません。確かに、この定理は非常に驚くべき事です し、そのフォーミュレーションもなかなか感動的です。どういう意 味で逆理なのか、論理的に述べられています。ところで、歴史とは 離れますが、この定理の哲学的?解釈は「完全に中立的な絶対的真 理には到達できない」になるのですか?? ところで、数学に詳しい友人の話ですが、「人間が証明した定理を コンピュータでチェックすることはできるが、コンピュータが証明 した定理を人間がチェックするのは不可能だ」そうです。というの も、コンピュータの計算能力に対して、人間の能力&寿命は小さす ぎるそうだ。ゲーデルの定理とは種類の異なる、別な哲学的解釈が 必要?? Time : 1999/11/15(月) 20:22:44
Name : 横山 雅彦 E-mail : Title : TAKATOKUさんへ Comments:  どうやらTAKATOKUさんは私よりも「ゲーデルの不完全性定理」をご存知のようで すね。こりゃ「釈迦に説法」してしまいましたか。私は科学朝日に書いてあった 「ある程度以上のまともな論理体形なら必ずのその中に証明できない”公理”が存 在する。」「その論理が無矛盾がどうかも論理体形の中だけでは証明できない。」 ぐらいしか知識がないもので。TAKATOKUさんごめんなさい。私は「井沢掲示板」か ら撤退します。ここは「逆説の日本史」ぐらいしか読んでいない私ごときがいる場 所ではないようなので。 Time : 1999/11/16(火) 07:48:16
Name : Raffle E-mail : Title : 水戸といえば Comments: 納豆の産地ですが、、。 こんにちは、きんたろうさん、Raffleです。  御教示感謝します。  何のために、というと徳川の権威を高めるためで結果として裏目にでた、という 事ですね。  ただ、御説明のなかで疑問に思ったのは、新田から南朝まではつながりますが、 それが楠につながる経路が不明なのと、戦前楠があれほどクローズアップされた理 由が疑問に思われます。  御質問ばかりで申し訳有りません。そのうち資料を提示してぎゃふんと言わせま すよ。 Time : 1999/11/16(火) 13:33:45
Name : TAKATOKU E-mail : Title : Awaji様 Comments: リアクションありがとうございます。私は、KANAKさんの意味 での「ど素人」ではなくて、「真実」の「ど素人」なので、どこま で議論になるのか分かりませんが、コメントさせて下さい。また、 井沢先生の著書はもちろんのこと、Awajiさんやその他の方の 発言等もすべて「真実」と考えて、コメントしますが、この点、ご 了承下さい。 Awaji wrote: > 1.南朝正統論は単に幽事問題で実害(顕事)は生じないか。 むしろ、実害が生じるならば、北朝正統論になる気がするのです。 主要因が「尊王斥覇論」なのか、「顕幽分離論」なのか、私には、 分かりませんが、いずれにせよ、南朝を正統としても実害がないか ら南朝正統論が採用されたのではないでしょうか? I wrote: > 後亀山→後小松で問題が実害が生じるならば、称光→後花園でも > 実害は生じないのでしょうか? と書いたのは:3代、4代祖先が天皇ならば、皇位継承権があるの ではないか?ということです。しかも、後ろめたくない程の。つま り、北朝が傷つかない範囲で、悲惨でかつ朱子学の理を通した南朝 に少し名をあげて、利用しようと考えた、とか。。 Awaji wrote: > 南朝正統論(特に幕末明治期)の思想的根拠として「南朝怨霊鎮 > 魂思想」や「顕幽分離論」を主要因とするのは無理があると思う > のです。 Awaji wrote: > おっしゃるとおり、室町期に「南朝怨霊鎮魂思想」があったこと > は、誰しも認めるところだと思います。しかしその上で南北並立 > 論が公式に認められてきたと思います... という事は、室町・江戸時代に「南朝怨霊鎮魂思想」や「顕幽分離 論」があったと、Awajiさんは認めているのでしょうか?私が 気になるのはその点です。 Awajiさんの主張は: 室町・江戸時代に南北並立論が認められた背景には、「南朝怨霊鎮 魂思想」があるが、幕末明治期の南朝正統論の思想的根拠としては 無理がある。 ということでしょうか? Awaji wrote: > Awajiは井沢さんの所論をイラストマップだと申し上げているので > すが、おそらく同様の意味になるのかも知れません。 「イラストマップ」という単語の語感に少々の抵抗を感じますが、 同様の意味かも知れませんね。ただ、ファンの一人である私が期待 しているのは、「マクロ日本史」ではなく、「応用日本史」ですが。。 Awaji wrote: > この辺が、ファンの方とのアプローチの相違であり、重箱の隅を > ツツクと叱られるのですが、Awajiは若い頃に散々「木を見て、森 > を見ない」と言われ続けたせいか・・・ 有益ならば、重箱の隅をツツク必要があると思います。また、木も 見て、かつ、森も見なければならない、と思います。ただ、普通の ファンはその能力がない、もしくは、その能力を得るまでの時間的 なユトリがないので、自分の直感に頼るしかないのですが。 私は、正直に言って、井沢先生の「言霊」や「怨霊思想」について、 どこまで理解できているのか分かりません。ただ、私の周りの人々 (私ではないですが!!)の言動を観察していると、何故か非常に 信憑性があるように思えるのです。 Time : 1999/11/16(火) 18:04:07
Name : きんたろう E-mail : Title : やはり納豆は水戸が一番!!(^^) Comments: こんばんは、Raffleさん。 みなさん、こんばんは。 Raffleさん、お手柔らかにお願いしますね。(^^) 実は大日本史編纂理由についての考察については続編があります。 質問にストレートに答えてはいないのですが、少しかすっていると思いますので 載せてみます。(^^) 家康は実力で天下人になりましたが(運も実力のうちです)、自分の子孫達にも 同じように天下人になることを望みました。 これは言い換えれば恒久的な平和の実現ということです。 下克上の時代でしたから個人の「実力」こそが全てでした。 秀吉は信長亡き後の織田家を乗っ取りました。そして家康は秀吉亡き後の豊臣家に 取って代わったわけです。 秀吉は信長個人に対して忠誠を誓っていました。織田家ではありませんでした。 だからこそ信長亡き後あのように行動できたのだと思います。豊臣家をつぶした 家康にとってもそれは同様でした。 家康は部下と言うよりは外様でしたからよけい徹底して行動する事が出来たのだと 思います。 信長と同盟を結んでからの20年間、家康は信長を裏切ることなく行動してきました。 それは信長配下の武将であった秀吉には十分に分かっていた事だと思います。 秀吉は家康の「律儀者ぶり」をかなり高く評価していたようです。 そして家康は秀吉の組織に組み入れられた後は信長に対したのと同じように裏切る ことはありませんでした。(小牧長久手の戦いはその前) 秀吉亡き後の家康の行動は歴史の示すとおりですが、これは裏切りでも何でもあり ません。なぜなら家康は秀吉個人に対して忠誠を誓ったのであって豊臣家に対して ではなかったからです。これは当時の常識であったような気がします。 だからこそ多数の武将達はそれを当然のことと認め秀吉、家康に従ったのではない でしょうか。 信長から秀吉、家康と続いた時「天下は回りもの」というコンセンサスが出来たよ うに思っています。 家康はそれを固定化しようとしました。 秀吉の採った方法はあまりに稚拙で容易に崩されてしまいました。 この理由としては当時の常識を上回ることが出来なかったからだと思います。 家康はそのための方法の一つとして朱子学を選びました。 これは徳川家にとっては非常に都合のいい論法でした。 しかし家康自身はともかく能力が未知数の彼の子孫達までトップの地位につくべき だと回りに納得させるには根拠が希薄すぎました。 光圀はその論理的根拠を示すために大日本史を編纂しようと思い立ったのだと思い ます。その方法論は日本的伝統の血統論であったわけです。 徳川家が代々将軍家を続けるのは当然である、という血統の正当性を示すために 新田義貞を評価しようとしました。 それは南朝の正統性という徳川家にとっては実際どうでもいい結論を生み出しましたが、 北朝も南朝と同じくアマテラスの子孫であることには変わりなく、自分たちより 貴種である天皇家に対してそれ以上の踏み込みは出来なかったのではないかと思います。 Time : 1999/11/16(火) 19:19:24
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論V」?? Comments: TAKATOKUさん、みなさん。今日は。Awajiです。 RES有り難うございました。「南朝正統論」と「顕幽分離」を考察する に当っては、まず井沢さんの言われるところの「顕幽分離」の概念規定 を明らかにしておく必要があると思うのですが、既に議論があったとお り、これが中々難物でして・・・ Awajiの理解する「顕幽分離」とは、オオクニヌシ(大物主)怨霊鎮魂 に典型的に示されたもので・・・ 現実世界(顕事)で世俗権力を剥奪された者(政治的敗者)に対し、 現実世界における加害者(政治的勝者)が贖罪意識をもって、 非現実世界(幽事)における祭祀権力等を与える怨霊鎮魂行為です。 菅原道真等の場合は、これとは少し異なりますが・・・ 現実世界(顕事)で世俗権力を剥奪され、不名誉かつ悲惨な死を与えら れた者(政治的敗者)に対し、同じく・・非現実世界(幽事)的な権力 ・栄誉(官位官職)を与える怨霊鎮魂行為です。 つまり共通概念は、現実世界(顕事)の悲惨と、非現実世界(幽事)の 栄華を、現実世界の勝利者が分離授与する鎮魂手段であろうと思います。 この理解に立って、「南北正統論」と「顕幽分離」を考察したいのです が、如何でしょうか? もしも「顕幽分離」の概念規定が、これと異なるものならば、当然に異 なる考察が必要となりますので、ご指摘ください。 さて、この概念に沿って「南北正統論」を考察するならば・・・ 現実世界(顕事)で子孫の皇統継承権を奪われた南朝天皇に対し、 現実世界における加害者(政治的勝者)である北朝天皇の子孫(明治)が、 非現実世界(幽事)における・・・でしょうか??? 北朝天皇の子孫が与えたものは、非現実世界(幽事)における権力・栄誉 ではなく、寧ろ先祖たる北朝天皇の皇位を否認し、現実世界における南朝 天皇の唯一正統性を認めることです。 これは、ある意味では先祖を天皇に対する謀叛人(逆賊)とすることでも あるのですから、現実世界(顕事)に係わる問題と考えるべきでは無いか ・・・と言うことなのです。 >>南朝を正統としても実害がないから南朝正統論が採用されたのではない >>でしょうか? 勿論、北朝天皇の子孫(明治)から見れば、南北合体により南朝天皇(後 亀山)から北朝系天皇(後小松)に正当に譲位されたのですから、その皇 統の正統性自体については問題(実害)は無いとも言えます。 しかし先祖を逆賊と天下に公表するのは矢張り、単なる非現実世界(幽事) の問題とは言えないのでは無いでしょうか? >>むしろ、実害が生じるならば、北朝正統論になる気がするのです。 それを押してまで、敢えて「南朝正統=北朝否定」としたのは、既に申し 上げたとおり、王政復古の基本思想であった「尊王斥覇論」をリゴリステ ィックに適用したことによるものだとしか思えないのです。 さらに明治時代において、南朝天皇の怨霊鎮魂が本当に意識されていたで しょうか? 少なくとも、当時この問題を論じた様々な議論は、明らかに「天に二君 (南北並立)無し」とした場合に、何れを正統と見るべきかであって、南 朝天皇の怨霊鎮魂等というような意見の片鱗も窺え無いと思います。 (ここには中日ドラゴンズの理論は見られません) >>3代、4代祖先が天皇ならば、皇位継承権があるのではないか?という >>ことです。 当然あると思います。従って光厳系内部で称光→後花園の皇位継承がなさ れたのですが? >>しかも、後ろめたくない程の。つまり、北朝が傷つかない範囲で、悲惨 >>でかつ朱子学の理を通した南朝に少し名をあげて、利用しようと考えた、 >>とか。。 スミマセン。やはり良く意味が分かりません。 >>という事は、室町・江戸時代に「南朝怨霊鎮魂思想」や「顕幽分離論」 >>があったと、Awajiさんは認めているのでしょうか? 南朝天皇に対する加害者である足利尊氏以下三代の将軍と、その擁立した 光厳・光明・祟光・後光厳・後円融の北朝天皇は「南朝怨霊鎮魂思想」を 持っていたと思います。 しかし、後亀山から譲位された後小松や、四代義持になれば、それはカナ リ薄れたと思います。(義満辺りでもチョット疑問ですが・・・) まして、戦国・織豊・徳川期の天皇や権力者がそれを意識していたとは思 いません。 さらに既に申し上げたとおり、室町期には南北朝並立論だと思いますので、 如何なる意味の「顕幽分離」も無いと思いますが、明治の「南朝正統認定」 以前に何か「顕幽分離」に該当するような具体的行為があるのでしょうか? 逆に言えば、室町期においてすら「顕幽分離」行為が見られないにも係わ らず、明治期に到って何故ことさらに「顕幽分離思想」に基づく「南朝怨 霊鎮魂行為」がなされたのか? と言うことでもあります。 Time : 1999/11/16(火) 23:35:25
Name : TAKATOKU E-mail : Title : 南朝正統論と顕幽分離論的側面 Comments: Awajiさん、Raffleさん、きんたろうさん、こんにちは& 初めまして。Raffleさん、きんたろうさんも平行して南朝正 統論について議論されているようですが、私にリアクションできる 程の能力がないので、楽しく読ませて頂くにとどまっております。 水戸光圀が将軍家の為にと考えていたかどうかという点で、ちょっ とひっかかるのですが、かと言って他に意見がある訳ではありませ ん。井沢説ではどうなるのか、楽しみですね。 さて、Awajiさん、いつもリアクションありがとうございます。 直感的な感想しか述べてないにもかかわらず、議論の相手をして下 さり、感謝しております。おかげ様で、Awajiさんの発言によ り、論点が分かってまいりました。 Awaji wrote: > 「南朝正統論」と「顕幽分離」を考察するに当っては、まず井沢さん > の言われるところの「顕幽分離」の概念規定を明らかにしておく > 必要があると思うのですが、これが中々難物でして・・・ ... > つまり共通概念は、現実世界(顕事)の悲惨と、非現実世界(幽事)の > 栄華を、現実世界の勝利者が分離授与する鎮魂手段であろうと思います。 確かに難物ですね。正確な定義を井沢先生に伺ってみたいものです。 さて、Awajiさんの定義で気になる点といえば、主語の「現実 世界の勝利者(加害者)が」の部分です。というのも源義経・楠正成・ 西郷隆盛等に対して人々が慕うのも「顕幽分離」と考えられる気が するからです。主語以外は特に問題ないと思いますが、どうでしょ うか? Awaji wrote: > 現実世界(顕事)で子孫の皇統継承権を奪われた南朝天皇に対し、 > 現実世界における加害者(政治的勝者)である北朝天皇の子孫(明治)が、 > 非現実世界(幽事)における・・・でしょうか??? まず、論点の1つは明治天皇が加害者の意識を持っていたか、とい うことですね? Awaji wrote: > 北朝天皇の子孫が与えたものは、非現実世界(幽事)における権力・栄誉 > ではなく、寧ろ先祖たる北朝天皇の皇位を否認し、現実世界における南朝 > 天皇の唯一正統性を認めることです。 論点その2は、南朝正統論は必ずしも幽事の栄華とはならない、と いうことですね。並立論の段階で、既に栄華はあるので。 以上、論点は2つということで議論したいと思います。 #議論というよりも、私の感想ですが。 まず、論点その1「明治天皇が加害者の意識を持っていたか」につ いてですが。 Awaji wrote: > 南朝天皇に対する加害者である足利尊氏以下三代の将軍と、その擁立した > 光厳・光明・祟光・後光厳・後円融の北朝天皇は「南朝怨霊鎮魂思想」を > 持っていたと思います。 > しかし、後亀山から譲位された後小松や、四代義持になれば、それはカナ > リ薄れたと思います。(義満辺りでもチョット疑問ですが・・・) > まして、戦国・織豊・徳川期の天皇や権力者がそれを意識していたとは思 > いません。 私の感想はAwajiさんとちょっと異なるのですが、まず、足利尊氏 以下三代の将軍と、その擁立した光厳・光明・祟光・後光厳・後円融 の北朝天皇は「南朝怨霊鎮魂思想」が持っていたかどうか、少しひっ かかる所があります。というのも、南朝が未だ健在だったからです。 もちろん、後ろめたい感覚は多分にあったと思いますが、南朝怨霊 鎮魂思想を持つに至ったかどうか、不明です。まぁ、この部分は論 点とは関係ないので、どうでもよいですが。むしろ、光厳・光明・ 祟光・後光厳・後円融の北朝天皇が鎮魂思想を持っていたならば、 顕幽分離論にとって有利ですが。 『天皇になろうとした将軍』によれば、特に悲惨なのは後南朝です。 戦国・織豊・徳川期の権力者が持たなかったという点では、 Awajiさんと同じ感想を持っています。ただ、その頃の天皇家 は恐らく持っていたのではないか、と思います。と、いうのも、 『逆説の日本史』によれば、明治天皇は、南北朝よりもさらに前の 時代の崇徳上皇の祟りを気にしているようですから。江戸期の天皇 が「武家に実質的な権力を奪われ続けているのは、崇徳上皇や 後醍醐天皇の祟りではないか」、という気持ちをずーーーーーっと 持ち続けた可能性も考えられます。加害者の意識というよりも、祟 りの被害者としての意識のが強いような気もします。いずれにせよ、 鎮魂したい動機はあった可能性があります。 論点その2「南朝正統論は必ずしも幽事の栄華とはならない、むし ろ北朝の正統性を否認している」についてですが。 Awaji wrote: > それを押してまで、敢えて「南朝正統=北朝否定」としたのは、既に申し > 上げたとおり、王政復古の基本思想であった「尊王斥覇論」をリゴリステ > ィックに適用したことによるものだとしか思えないのです。 この点については、よく分からないのですが、否定も肯定もできな いので、肯定ということで話を続けます。江戸時代に朱子学がどの ような地位を占めていたのか、また後醍醐の意味での朱子学とどの 程度変化しているのか、分からないので。 #『逆説の日本史』幕末編はいつごろ始まるのでしょうか?? #随分先?? 朱子学と関連して、一つ疑問なのが、「なぜ後醍醐が王なのか?」 「結果から見れば覇ではないのか?」という点です。このこと自体 にも既に顕幽分離論的な背景があるような気がしてならないです。 さて、朱子学がAwajiさんの上記の記述のように非寛容なもの ならば、朱子学の信奉者である後醍醐天皇は並立論に満足するだろ うか?という疑問が湧いてきます。正確には、満足するとまわりが 考えていたか?ということですが。そして、鎮魂の為には、南朝天 皇の唯一正統性まで認めなければならないのではないか?というこ とです。 ところで、王政復古の基本思想の一つである「攘夷論」はあっさり と否定されました。いかに大切なスローガンでも現実に害をなすよ うなものは否定されています。つまり、「南朝正統論」はそこまで 害をなすと考えていなかったのではないか?と思います。 Awaji wrote: > これは、ある意味では先祖を天皇に対する謀叛人(逆賊)とすることでも > あるのですから、現実世界(顕事)に係わる問題と考えるべきでは無いか 私もそう思います。しかも、大問題に発展する可能性があります。 特に江戸期ならば、幕府の介入を招く恐れもあります。ただ、明治 期、特に西南戦争以降ならば、そこまでの心配はないですが。 Awaji wrote: > 逆に言えば、室町期においてすら「顕幽分離」行為が見られないにも係わ > らず、明治期に到って何故ことさらに「顕幽分離思想」に基づく「南朝怨 > 霊鎮魂行為」がなされたのか? と言うことでもあります。 上に記したことと重なるのですが、武家が実質的な力を持っている 時期に、南朝を唯一の正統とすることは不可能なのではないでしょ うか?リスクが高過ぎます。それに、どのような過程を経て並立論 が成立したのか知りませんが、ひょっとすると、並立論自体が南朝 怨霊鎮魂行為ということも考えられます(理由は後述)。 と、やや歯切れの悪い議論ですが、「南朝正統論」において「顕幽 分離論」的な側面も(!)あったのではないか、という私の直感は 今のところ変わっていません。 以下は補足です。 I wrote: > 北朝が傷つかない範囲で、悲惨でかつ朱子学の理を通した南朝に > 少し名をあげて、利用しようと考えた、とか。。 Awaji wrote: > スミマセン。やはり良く意味が分かりません。 資料を読む能力がなくて非常に悲しいのですが、南朝正統論の目的 の一つに、今後の治世に役立てようという側面もあったのではない か、ということです。しかもこちらの方が主目的な気がするのです。 ただ、本題に関係あると思うのですが、議論の上では不要かも知れ ません。また、このことが事実でないならば、「中日ドラゴンズの 論理」は関係ないかも知れません。 なお、「治世に役立つ」という点についても、顕幽分離思想を持つ 日本国民を相手にしている訳なので、ここでも「顕幽分離論」は無 関係ではない気がします。 Awaji wrote: > 勿論、北朝天皇の子孫(明治)から見れば、南北合体により南朝天皇 > (後亀山)から北朝系天皇(後小松)に正当に譲位されたのですから... この点、井沢説とは異なるようです。「正当な譲位」ではなく、 「義満の詐欺的行為により、神器は盗まれていたことになった」と 井沢先生は考えているようです。したがって、この部分は議論から は外しました。ただ、「並立論の段階でも鎮魂行為かも?」という 私の意見はこのことを根拠としています。 Time : 1999/11/17(水) 18:02:07
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論W」?? Comments: TAKATOKUさん、みなさん。今日は。Awajiです。 早速(文字どおり)のRESで、w(゚o゚)w oh! です。 チョット・・ドゥランク気味ですが、明日から出張ですので、取敢えず ・・・ >>さて、Awajiさんの定義で気になる点といえば、主語の「現実世 >>界の勝利者(加害者)が」の部分です。というのも源義経・楠正成・ >>西郷隆盛等に対して人々が慕うのも「顕幽分離」と考えられる気がす >>るからです。 そう!ここなんです。Awajiと井沢さん?の見解が分かれるのは! 救世観音と「権衆分離論」??1999/ 9/18(土) 23:38:06 で申し上げたのですが・・・「顕幽分離」といえど「怨霊鎮魂」の一つの 手段ですから、「鎮魂行為」の性格を次の二つに大別しなければ、その意 味(特に政治的)が曖昧になってしまうのでは?と言うことなのです。 つまり、源義経について言えば、頼朝が永福寺を建立したのは「権」で、 民衆の判官びいきは「衆」だと思うのですが、いかがでしょう? 権・・・権力者(政治的勝者)が、政治的敗者の怨霊から自らの安全を守 るため、多くは贖罪意識をもって行う様々な鎮魂行為。 (本来言うところの怨霊鎮魂信仰) 衆・・・非権力者(民衆)が、政治的敗者(特に義に殉じた英雄的人物) の非業の死を悼み、畏怖同情の念をもって行う様々な鎮魂行為。 (本来は英雄崇拝心理に近いが、その悲劇性が怨霊信仰的色彩を持つもの) >>まず、足利尊氏以下三代の将軍と、その擁立した光厳・光明・祟光・・ >>「南朝怨霊鎮魂思想」が持っていたかどうか、少しひっかかる所があ >>ります。というのも、南朝が未だ健在だったからです。もちろん、後 >>ろめたい感覚は多分にあったと思いますが、南朝怨霊鎮魂思想を持つ >>に至ったかどうか、不明です。 南朝最大の怨霊は、後醍醐天皇でしょう(1339没)。「南朝怨霊鎮魂」は 基本的に・・・彼に始まれり!ではないでしょうか? >>むしろ、光厳・光明・祟光・後光厳・後円融の北朝天皇が鎮魂思想を持 >>っていたならば、顕幽分離論にとって有利ですが。『天皇になろうとし >>た将軍』によれば、特に悲惨なのは後南朝です。 既にお尋ねしているところですが・・・ 足利や北朝天皇は、どの様な「顕幽分離」による「怨霊鎮魂行為」を行っ たのでしょうか? 特に悲惨な後南朝の怨念に対し行った具体的「顕幽分離」による「怨霊鎮 魂行為」ってあるのでしょうか? 寺院を建てて鎮魂を祈らせる程度のことで、お茶を濁しただけだと思いま すが? (何かあるかも知れませんので、お気づきの事実があればご紹介願います) >>江戸期の天皇が「武家に実質的な権力を奪われ続けているのは、崇徳上 >>皇や後醍醐天皇の祟りではないか」・・・・ >>加害者の意識というよりも、祟りの被害者としての意識のが強いような >>気もします。いずれにせよ、鎮魂したい動機はあった可能性があります。 崇徳上皇はともかく、後醍醐天皇は、武家に権力を奪われたのですから、 その怨念は武家に向かうのが筋ではないでしょうか? >>朱子学と関連して、一つ疑問なのが、「なぜ後醍醐が王なのか?」「結 >>果から見れば覇ではないのか?」という点です。 後醍醐天皇が「覇」であれば、「王」は誰になるのですか?このご意見は チョットご勘弁下さい。 >>このこと自体にも既に顕幽分離論的な背景があるような気がしてならな >>いです。 ここでおっしゃっている「顕幽分離論的な背景」と言うのは具体的には、 どの様な「顕幽分離論」なのでしょうか?正直いって良く意味が分かりま せん。 >>朱子学の信奉者である後醍醐天皇は並立論に満足するだろうか?という >>疑問が湧いてきます。 >>そして、鎮魂の為には、南朝天皇の唯一正統性まで認めなければならな >>いのではないか?ということです。 とんでもない!後醍醐天皇は、二朝並立論に絶対に満足しませんよ! 南朝天皇の唯一正統性を主張し、これに反する足利と闘い続け、足利を 呪いつつ悶死したのでは・・・・?? ここのところ、ご論旨が良く分かりません。??? >>「治世に役立つ」という点についても、顕幽分離思想を持つ日本国民を >>相手にしている訳なので、ここでも「顕幽分離論」は無関係ではない気 >>がします。 この部分における「顕幽分離論」の概念も良く分かりません。 一度TAKATOKUさんの「顕幽分離」概念を整理・説明して頂けないでしょう か? >>どのような過程を経て並立論が成立したのか知りませんが、ひょっとす >>ると、並立論自体が南朝怨霊鎮魂行為ということも考えられます(理由 >>は後述)・・・・・ >>「並立論の段階でも鎮魂行為かも?」という私の意見はこのことを根拠 >>としています。 どうも良く分からないのですが(酔っているのでしょうか?) 誰から見ても正統天皇であった後醍醐天皇の意図に反して、鎌倉幕府が光 厳を擁立し、さらに足利が光明を擁立したのですね。(両統迭立問題はあ りますが・・・) そして、この擁立事実に対する苦しい理屈付けが「並立論」では無いでし ょうか? それが、どうして「南朝怨霊鎮魂行為」なのか・・・理解できません。 >>「正当な譲位」ではなく、「義満の詐欺的行為により、神器は盗まれて >>いたことになった」と井沢先生は考えているようです。 彼は将来の「皇位迭立」を期待して譲位したのですから、一種の「詐欺的 行為」であったのは事実でしょう。しかし自己の意思で後小松に神器を譲 って上皇になり、一時吉野に潜行したにせよ、称光在位下の京に帰り、そ こで崩御しているのですから、正当な譲位(南北合体を追認)と見ざるを 得ないのでは無いでしょうか? 走り書きですので、ご遠慮なく疑問点をご指摘下さい。 ただ・・・もう少し分かり易く、具体的にご説明いただけれな有難いので すが・・・スミマセン。 Time : 1999/11/17(水) 22:58:38
Name : Awaji E-mail : Title : チョット酔ってますね!! Comments: 以下の部分・・・少し説明不足ですね。更めて説明します。 あやすみなさあい・・・ とんでもない!後醍醐天皇は、二朝並立論に絶対に満足しませんよ! 南朝天皇の唯一正統性を主張し、これに反する足利と闘い続け、足利を 呪いつつ悶死したのでは・・・・?? ここのところ、ご論旨が良く分かりません。??? Time : 1999/11/17(水) 23:54:31
Name : TAKATOKU E-mail : Title : Awaji様 Comments: RESありがとうございます。おかげで、私は自分の主張したい事 が明確になってきました。ところで、私も出張なので、次回の投稿 は月末になりますが、今回は少しだけコメントさせて下さい。前回 の私の拙い説明と無知(+Awajiさんのドランクぶり??)で 誤解を招いた点の補足も書きました。 また、自分考えの問題点も分かってきました。やっぱり、ROMで は分からないことも多いですね。議論に参加して下さり、ありがと うございます。ただ、今の所、本題に対する考えは大きく変わって いません。 Awaji wrote: > 救世観音と「権衆分離論」??1999/ 9/18(土) 23:38:06 過去にこのような議論があったこと、すっかり忘れていました。な るほど「顕幽分離」は難しい概念ですね。「権衆分離論」の他にも、 怨霊鎮魂にも積極的なものもあれば、消極的なものもあり、どこま で定義に含めるのか、色々難しい問題がありそうです。月末に書く ときはこの点もできたら考慮したいです。 I wrote: > 朱子学と関連して、一つ疑問なのが、「なぜ後醍醐が王なのか?」「結 > 果から見れば覇ではないのか?」という点です。 Awaji wrote: > 後醍醐天皇が「覇」であれば、「王」は誰になるのですか?このご意見は > チョットご勘弁下さい。 誰が王で誰が覇か、という論点で書いたのではありません。「王」 と「覇」の違いが「徳」の有無によるものならば、欠徳の後醍醐を 「王」とすることには、無理があるのではないか?という意味です。 「徳」がないために滅んだ後醍醐を「王」とするには、何かしらの 思想背景抜きには語れないような気がします、と書きたかったので す。 どうでしょう?これなら「チョットご勘弁下さい」からは遠ざかり ますか? I wrote: > そして、鎮魂の為には、南朝天皇の唯一正統性まで認めなければならな > いのではないか?ということです。 Awaji wrote: > とんでもない!後醍醐天皇は、二朝並立論に絶対に満足しませんよ! > 南朝天皇の唯一正統性を主張し、これに反する足利と闘い続け、足利を > 呪いつつ悶死したのでは・・・・?? 全く同感です。また、そのように書いたつもりです。 最後にもう一つ質問させて下さい。王政復古の基本思想であった 「尊王斥覇論」はリゴリスティックに適用された(Awaji説) のに、もう一つの「攘夷論」はあっさりと否定されました。この事 についてどう思われますか? Time : 1999/11/19(金) 18:29:54
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論X」?? Comments: TAKATOKUさん、みなさん。今日は。Awajiです。 先日は、失礼いたしました。浮世の付合いも厳しいもので??? (酔ったら書くな・・書くなら飲むな・・ハイ!) > 後醍醐天皇が「覇」であれば、「王」は誰になるのですか?このご意 >見はチョットご勘弁下さい。 >>「王」と「覇」の違いが「徳」の有無によるものならば、欠徳の後醍 >>醐を「王」とすることには、無理があるのではないか?という意味で >>す。「徳」がないために滅んだ後醍醐を「王」とするには、何かしら >>の思想背景抜きには語れないような気がします、と書きたかったので >>す。 TAKATOKUさんがおっしゃりたいのは、敢えて言うならば、先祖からの 「王統」を継体持統して「王」となった後醍醐天皇が、「王」たるに相 応しい徳ある「王」かどうかの問題では無いでしょうか? 仮に欠徳の「王」であっても、彼を「覇」とする考えは、東洋思想から は導き得ないのでは? と言う意味なのですが・・・・ 次にドランク発言の件ですが、更めて以下・・・ >>さて、朱子学がAwajiさんの上記の記述のように非寛容なものな >>らば、朱子学の信奉者である後醍醐天皇は並立論に満足するだろうか? >>という疑問が湧いてきます。 >>正確には、満足するとまわりが考えていたか?ということですが。そ >>して、鎮魂の為には、南朝天皇の唯一正統性まで認めなければならな >>いのではないか?ということです。 後醍醐天皇は、朱子学が非寛容であろうと無かろうと、また朱子学の信 奉者であろうと無かろうと、現に天皇なのですから二朝並立に満足する ことは絶対に有り得ません。 彼にとって北朝天皇は、同族と言えども、足利と言う逆賊(覇者)に擁 立された偽帝でしか無いでしょう? (彼がこの様に考えていることは、当然「まわり」承知している筈です) 従って、彼が並立論に満足し得ないことは、疑問の余地がありません。 ここでTAKATOKUさんが何に関して「疑問が湧いてきます」と言っておら れるのか・・・良く分からないのですが?? さて、そう言う考えを抱きながら、偽帝を廃立し得ず悶死した後醍醐の 怨念を、足利将軍家及び北朝天皇が恐れたことは、充分考えられると思 います。(つまり怨霊鎮魂が必要だったでしょう) しかしながら、彼等はたかだか寺を建立して、後醍醐鎮魂祈祷を行う程 度でお茶を濁し、南朝天皇「後亀山」を欺いて「後小松」に譲位させる ことで南北合体を果たし、さらに合体に抵抗する直系孫(後南朝)を根 絶やしにしたのですね。 つまり鎮魂どころか。彼等は怨霊を益々怒らせるするような行為を重ね た訳です。 それでは彼等は、せめても「顕幽分離論」による「怨霊鎮魂行為」を、 行ったでしょうか?何度も繰り返しますがAwajiには見当たりません。 (何か「顕幽分離的行為」があればご指摘下さい) それなのに、何百年も後の明治期になって、突然に後醍醐初め南朝天皇 の怨霊鎮魂のため、「顕幽分離論」により「南朝正統」を公認したので しょうか? Awajiにはとても考えられない(当時の議論からも窺えない)・・・と言 うことなのです。 なお、念の為申し上げますが、ある政治決定が為される場合、その動機 (理由)が単一と言うことは有り得ません。 (我々のような個人の決定においてすら、そうですね) 当然に様々な複合的動機(理由)がある筈です。明治天皇の脳裏に後醍 醐の霊安を祈る気持ちが微かに浮かんだかも知れません。 しかし、歴史解釈において重要なのは主動機(主要理由)でしょう? (これも我々のような個人の行為でも同じです) >>上に記したことと重なるのですが、武家が実質的な力を持っている時期 >>に、南朝を唯一の正統とすることは不可能なのではないでしょうか? >>リスクが高過ぎます。 このご意見も良く分かりません。足利幕府時代であればそうかも知れませ んが、織豊政権以降は何の問題も無い筈です。現に光圀は南朝正統論と言 うべき立場にあったのでは?? (水戸学の権威・・・きんたろうさん。如何でしょう?) >>王政復古の基本思想であった「尊王斥覇論」はリゴリスティックに適用 >>された(Awaji説)のに、もう一つの「攘夷論」はあっさりと否定 >>されました。この事についてどう思われますか? 問題の重要性が全く異なるのでは無いでしょうか? 「尊王斥覇論」は明治維新(王政復古)の成立に関する基本思想ですが、 「攘夷論」は、政権のとるべき外交方針に過ぎません。 そもそも本来の「尊王攘夷」とは、「南宋」が夷狄である「金」に脅かさ れている様な状況で議論さるべき国家存立問題ですが、幕末に喧伝された 「攘夷論」は孝明天皇の開国忌避思想を盾にとって、開国を決定した幕府 にイチャモンを付ける口実に過ぎないでしょう。 要するに天皇親政政権が「知識ヲ世界ニ求メ・・・」と思えば、それで終 息するレベルの問題ですよね。 これに対して南朝正統論は、明治政府(天皇)にとって・・・・ @天皇の地位は唯一神聖なものであり、二朝並立論自体が容認すべからざ る思想である。 A日本の歴史において、明らかに二朝並立が在ったのは、室町初期の所謂 南北朝時代である。 B従って、南北朝の正閏を確定せざるを得ない立場におかれていた。 (リゴリスティクに考えなければ・・・先祖の聖旨は論ずべきに在らずと かなんとか言って、誤魔化しておけば良かったと思うのですが、政争の具 にされてしまった) C正統天皇である後醍醐の意志と、これに対抗しての足利の光明擁立経緯 からして、北朝正統論には無理があり過ぎる。かと言って並立論は@に 反する。(幕末の討幕エネルギーは「尊王斥覇論」によるところがあり、 既に南朝正統論が時代の「空気」であったのでは?) これも水戸学の出番ですね・・・ D現皇室は北朝系統であり、その直系祖である北朝天皇を偽帝とするのは 不孝極まりないが、正統性自体については「後亀山」から「後小松」に 譲位され、南北合体がなされているので、法制的には問題は無い。 E従って、直系祖を逆賊扱いするのは、自己の血統上の正統性に係わる問 題と言う面があるものの、Dの論理でこれを補い、南朝正統論に決定し た。 と言うところが主動機(理由)と考えるのですが・・・ やはり「顕幽分離論」が主動機(理由)とすべきでしょうか??? 正直言って、本来タダノ「仏像オタク」であるAwajiは、朱子学的イデオ ロギストは苦手です。 権威者のきんたろうでなくとも、何方に係わらず朱子学的見解をご解説下 さい。横RES大歓迎です\(^o^)/ Time : 1999/11/20(土) 10:28:08
Name : きんたろう E-mail : Title : 印籠と納豆?? Comments: こんばんは、Awajiさん、TAKATOKUさん、Raffleさん、みなさん。 私が水戸学の権威のきんたろうです。(嘘です、笑) Awajiさんへは特選納豆一年分を差し上げましょう。(すみません、またまた嘘です、笑) 光圀が修史館(後の彰考館)で大日本史の編纂をはじめようとした理由は「日本の 正しい姿を歴史から学ぶ」ということであったと言われています。 これをさらに私なりに解釈したのがこの前に投稿した内容になります。 大日本史は名分論に立脚していますが、この理由としては考えられるのは家臣を統治する手段の変更ではないかと思います。 一種の理論武装だと思います。 今までは「利」によっていたもから「義」への変換だと理解しています。 光圀は南朝正統論者であったようですがそれはあくまで徳川家のために存在した理 由のように思っています。 光圀自身は家康の孫ですから、家康を卑しめることはすなわち自分に跳ね返ってき ますので徳川のために行動を起こしたと考える方が素直だと思うのです。 光圀は御三家の大名でありましたが、将軍からみれば家臣でした。 そしてその立場を十分に理解していたと思います しかし、玉突き事故のように思いも寄らない結果を生み出すのも歴史です。 光圀の死によって水戸学は衰えました。 しかし、大日本史の編纂は光圀の死後も続けられることになります。 これが後期水戸学を生み出す原因になるのではないかと思っています。 Time : 1999/11/20(土) 23:01:43
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論Y」?? Comments: きんたろうさん、みなさん。今日は。Awajiです。 呼べば応える・・・本家?やまびこの術ですね。有り難うございます。 (Awajiは特選納豆よりも、アンキモの酒粕漬けが・・・??) 光圀の意図はおっしゃるとおりでしょうね。 要するに「君臣秩序」を理屈づけたかっただけで、「易姓革命論」や「 尊王斥覇論」については巧みに棚上げしている様な感じがします。 しかし、本来の朱子学では「尊王」と来れば「斥覇」でしょうから、後 世の討幕思想に繋がる危険性を内臓してはいたのでしょうね。 >>しかし、玉突き事故のように思いも寄らない結果を生み出すのも歴史 >>です。 正にそのとおりですね。国学の徒による「廃仏棄釈」なんてのも、その 典型的な例でしょう。 そもそも程朱学が、異民族征服王朝(夷狄)の元や清で官学に成るなん てのも程朱は想像もしなかったでしょう。 もともと藤田東湖一派の後期水戸学においても「尊王攘夷」は、幕藩体 制強化のための政治理論だった筈ですし、公武合体派においても単なる 反井伊大老のスローガンであって、討幕とは程遠いものだった筈ですよ ね。 「尊王攘夷」を唱えた斉昭にすれば、これが討幕のスローガンになった と知れば、ビックリ仰天でしょう。 (しかも攘夷を叫んでいる者は、本音では開国・富国強兵を考えている のですから、朱子学といい国学といい、イデオロギーとはいい加減なも のです。) ところで・・・本件のメインテーマですが、きんたろうさんは、明治新 政府の「南朝正統公認」の主動機(理由)を「怨霊鎮魂顕幽分離論」によ るものとお考えでしょうか? Time : 1999/11/21(日) 10:03:56
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論Z」?? Comments: きんたろうさん、みなさん。今日は。Awajiですがチョット追加です。 明治(天皇)新政府が「南朝正統論」を決定した主動機(理由)は、既 に申し上げておりますが、こういった議論においては、その時代背景も 念頭においておくことが必要だと思います。 それではこれが正式に決定されたのは如何なる時代でしょう? 救世観音と「南朝正統論」??1999/ 9/15(水) 22:01:18 >>Awajiが知る限りでは、南北朝正閏問題は1911年に国定教科書の記述を >>巡って三上参次・吉田東伍・黒板勝美・喜田貞吉等が論戦を繰り広げ、 >>国会でも取上げられた結果、第二次桂内閣が南朝正統を閣議決定し天 >>皇裁可により公認されたものですね。 で申し上げたとおり・・・1911年(明治44年)3.14に国定教科書の改訂 が布告されますね。 つまり1905年に日露戦争に勝利し、1910年に日韓併合がなされた直後の 、富国強兵が結実した帝国主義的国家発揚期でもあり、明治天皇の権威 が最も高まった時期でもあります。また翌年に明治天皇が崩御(1912.7 .30)し、大正デモクラシーと呼ばれる時代が始まります。 この時期に本当に「南朝怨霊鎮魂」のために「顕幽分離論」が意識され たのでしょうか? これが明治初期ならばともかく、Awajiには、如何考えても時代錯誤のよ うな気がするのですが・・・・いかがでしょう? Time : 1999/11/21(日) 21:27:49
Name : きんたろう E-mail : Title : きんと雲の術と命名(^^) Comments: こんばんは、Awajiさん、みなさん。 呼ばれてすぐに答えるのは「山びこの術」基本形のバージョンアップ(笑)ですね。 私はこれを「きんと雲の術」と名付けました。 それにしても「納豆」ではなく「あんこう」を指名するとはAwajiさんはなか なか通ですね。(^^; >国学の徒による「廃仏棄釈」なんてのも、その典型的な例でしょう >そもそも程朱学が、異民族征服王朝(夷狄)の元や清で官学に成るなんてのも >程朱は想像もしなかったでしょう 正にそのとおりだと思います。 例えて言うならば、光圀は焼き芋を食べようとたき火をしていましたが、彼が去った 後山火事になってしまったのを光圀の責任にされたようなもの??ではないかと思 います。(変な例えですみません) >きんたろうさんは、明治新政府の「南朝正統公認」の主動機(理由)を >「怨霊鎮魂顕幽分離論」によるものとお考えでしょうか? 本当にどうして明治に南朝か正統とされたのでしょうか?? 実のところよく分かりません。(^^; 少なくとも明治天皇本人にとっては南朝を正統とすることは不本意だったろうと 思っています。 倒幕こそが第一の目標だったにもかかわらず主勢力はそれを隠し水戸学を利用しよ うとしました。 その結果多数引き入れることに成功したわけです。 しかし彼らを理論的に納得させるには南朝こそが正当であるという「儀式」をしな ければ、自分たちの欺瞞が露見してしまう恐れがあったからではないでしょうか?? 明治維新の功労者達にとっては実はどうでもいいことだったと思われますが、南朝 を容認しなければならないほど明治政府の初期は不安定だったと言うことなのだと 思います。 Time : 1999/11/21(日) 22:07:10
Name : まいご E-mail : Title : 南朝を正統としたのは Comments: 明治政府は特定の誰かの利益のために出来上がったのでなく、 天皇の意思によってできたのだという意思表明なのでは? 南朝は足利幕府とは関係なく後醍醐(といえばモンキーマジック) の意思によって成立し存続したということになぞらえたのでは? Time : 1999/11/21(日) 23:17:39
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論[」?? Comments: きんたろうさん、みなさん。今日は。Awajiです。 (本件は、まいごさんの御発言については未消化発信です) 今回のクイックRESは「超きんと雲の術」ですか? それとも「時間差きんと雲の術」でしょうか? >つまり1905年に日露戦争に勝利し、1910年に日韓併合がなされた直後の >、富国強兵が結実した帝国主義的国家発揚期でもあり、明治天皇の権威 >が最も高まった時期でもあります。1999/11/21(日) 21:27:49 >>明治維新の功労者達にとっては実はどうでもいいことだったと思われま >>すが、南朝を容認しなければならないほど明治政府の初期は不安定だっ >>たと言うことなのだと思います。1999/11/21(日) 22:07:10 確かに、明治政府の初期は極めて不安定だったと思いますが、その時代は 「空気」は「南朝正統論」であっても、これを公認はしなかったのですね。 そして、国会の議論を契機として1911年にいたって第二次桂内閣が明治天 皇の裁可によってこれを公認し、国定教科書を改訂したのですから、Awaji にとってあくまで「南朝正統論」の考察対象は1911年決定にあるのですが、 おかしいでしょうか? それとも1911年においても明治政府は不安定だったと言う御見解なのでし ょうか? Time : 1999/11/21(日) 23:49:30
Name : きんたろう E-mail : Title : 時間差きんと雲の術です Comments: こんばんは、みなさん。 二度目の登場です。 先ほどのAwajiさんへの書き込みは「時間差」の方です。 今読見ました。 >考察対象は1911年決定にあるのです おっしゃるとおりだと思います。 先ほどの書き込みの理由はワン オブ ゼムと言うことにして下さい。(^^) よく分からないですね。(^^; 一晩考えてみます。 Time : 1999/11/22(月) 00:45:15
Name : きんたろう E-mail : Title : はっきり言ってよく分かりませんでした(^^; Comments: こんばんは、Awajiさん、みなさん。 昨晩は「一人時間差レス」ですみませんでした。 じっくりと考えてみたのですが、どうもよく分かりませんでした。 本当に不思議ですよね。 似た事例がないものかなと考えていたら、90年代以降の教科書問題や元細川首相 たちの「謝罪表明」が何となく似ているように感じました。 ピンぼけと言う点で非情に似通ったものなのではないかと感じています。 このレスそのものが天然ピンぼけの可能性がありますが... Time : 1999/11/22(月) 21:25:14
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論\」?? Comments: きんたろうさん、まいごさん、みなさん。今日は。Awajiです。 きんたろうさん・・・・ 時間差きんと雲の術とのこと、了解しました。 またTAKATOKUさんとは異なり、井沢さんの示された「顕幽分離論」につ いても、必ずしも容認されていないことも了解いたしました・・・ さて、そこで1911年明治(天皇)政府の「南朝正統論」公認ですが、こ の主動機(理由)に関しては、次のとおりAwajiなりの想定を示しており ます。 救世観音と「南朝正統論X」?? 1999/11/20(土) 10:28:08 この想定に関しては、いかがお考えでしょうか?特に無理があるとお考 えの部分をご指摘頂ければありがたいのですが・・・・ (Cの部分等について、若干補足しておきましたが、さらに詳細に申し上 げる必要があるでしょうか?) Awajiにとっては、若干リゴリスティックな感は否めないものの、筋とし てはそれなりに自然な決定だと思うのですが? (勿論、副次的動機が他に有ったかも知れませんが・・・それを論じるの は、ここでのメインテーマではないように思います。) まいごさんのご意見も煎じ詰めれば、同様のご趣旨だと理解していますの で、よろしくお願い申し上げます。 以下・・救世観音と「南朝正統論X」??・・該当部分再掲(若干訂正) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これに対して南朝正統論は、明治政府(天皇)にとって・・・・ @天皇の地位は唯一神聖なものであり、二朝並立論自体が容認すべからざ る思想である。 **勿論、これは天皇制のみならず、君主制全てについて言える原理だと 思いますが・・・ A日本の歴史において、明らかに二朝並立が在ったのは、室町初期の所謂 南北朝時代である。 B従って、南北朝の正閏を確定せざるを得ない立場におかれて(い)た。 (リゴリスティクに考えなければ・・・先祖の聖旨は論ずべきに在らずと かなんとか言って、誤魔化しておけば良かったと思うのですが、政争の具 にされてしまった) C正統天皇である後醍醐の意志と、これに対抗しての足利の光明擁立経緯 からして、北朝正統論には無理があり過ぎる。かと言って並立論は@の 原理に反する。 (幕末の討幕エネルギーは「尊王斥覇論」によるところがあり、 既に南 朝正統論が時代の「空気」であったのでは?) これも水戸学の出番ですね・・・ **仮に「尊王斥覇論」によらなくとも、現実に正統の王(後醍醐)が存 在し、退位の意思を全く示していないにも係らず、別の同族の王(光明) を擁立すると言う事は、中国であろうと西欧であろうと、アラユル王制に おいて反逆に外ならないと思います。彼はこれを認めざるを得なかったの だと思います。 D現皇室は北朝系統であり、その直系祖である北朝天皇を偽帝とするのは 不孝極まりないが、正統性自体については「後亀山」から「後小松」に 譲位され、南北合体がなされているので、法制的には問題は無い。       ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ **法制的と言うのは「大義名分上」と言う意味を含みます。 E従って、直系祖を逆賊扱いするのは、自己の血統上の正統性に係わる問 題と言う面があるものの、Dの論理でこれを補い、南朝正統論に決定し た。 と言うところが主動機(理由)と考えるのですが・・・ 言い換えれば、 義(体制)・・・天皇(君主)制における天皇(君主)の絶対性(尊厳) 親(血統)・・・先祖が之を侵した(逆賊)事を天下に公認する不孝 を比較衡量した結果、ある意味では「大義親を滅す」とした明治天皇の苦 渋の選択だと思いますし、理論的には妥当な選択だと思うのですが・・・ おかしいでしょうか?? なお、この決定が明治天皇崩御の前年になされたことも、ある意味を感じ ます。つまり彼はこの様な重大決定を次代に持ち越さず、自己の権威と責 任において決着しておきたかったのかも知れないとも想像します。 Time : 1999/11/22(月) 21:43:01
Name : きんたろう E-mail : Title : 梅干しなら水戸より紀州かも?? Comments: こんばんは、Awajiさん、みなさん。 Awajiさんが理由に挙げられている点に付いての感想ですが、とてもきれいに まとまっていると思いました。 ただこの理屈はきれいであるが故に「建前」に使われたのではないか??という感 じがしました。 本当の理由はAwajiさんが最後に書かれているところにあるのではないかと 思いました。 明治天皇は能力に優れた人物だったらしいですね。実力で大将にまでいけるほどだった??と聞いたような記憶です。 しかし大正天皇は徳川九代将軍のようなものだったと聞いています。 明治維新がなったとき、志士たちは水戸学の弟子(のようなもの??)ですから 南朝正統論が世間で一般化したのだと思っています。 そして南朝正統説は疑う事の無い歴史的事実とされていったのではないでしょうか?? 明治天皇は自分の子供の将来を案じたのではないか??とふと思いました。(思いつきです) Time : 1999/11/23(火) 01:39:18
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「南朝正統論]」?? Comments: きんたろうさん、みなさん。今日は。Awajiです。 >>Awajiさんが理由に挙げられている点に付いての感想ですが、と >>てもきれいにまとまっていると思いました。 >>ただこの理屈はきれいであるが故に「建前」に使われたのではないか >>??という感じがしました。 ????・・・アレアレ??? >>よく分からないですね。(^^;一晩考えてみます。・・・ >>じっくりと考えてみたのですが、どうもよく分かりませんでした。 >>本当に不思議ですよね。・・・・・・ >>ピンぼけと言う点で非情に似通ったものなのではないかと感じています よく分からない・・・本当に不思議だ・・・ピンぼけだ・・・と散々お っしゃるので、既にこう言う理由を申し上げておりますが、この理由で はご納得頂けませんか?・・・・とお聞きしたのですね。 そうすると今度は・・・この理屈はきれいだから「建前」だとおっしゃ のですか?・・・チョット参りましたね(・・?) >>本当の理由はAwajiさんが最後に書かれているところにあるので >>はないかと思いました。 これは明治天皇が、この時期に「南北正閏論」に終止符を打った理由で あって、必ずしも「南朝正統論」を採った理由では無いと思いますが? >>明治維新がなったとき、志士たちは水戸学の弟子(のようなもの??) >>ですから南朝正統論が世間で一般化したのだと思っています。そして >>南朝正統説は疑う事の無い歴史的事実とされていったのではないでし >>ょうか?? 前段はおっしゃるとおりだと思います。 しかしながら1911年までは「南朝正統論」は公式には認められておらず (疑うことの無い歴史的事実とはされていません)、この時期にいたっ て、初めて明治天皇がこれを裁可・公認した・・・ その理由(主動機)は何だろうと言うのが、この議論のメインテーマだ と思うのですが? 何れにしても、Awajiの「南朝正統論」に関する論点は・・・これが井 沢さんの主張されているように「顕幽分離論」による「南朝怨霊鎮魂」 として理解できるかどうかです。 これについては、我々の見解はほぼ一致していると思いますので、取り 敢えず「きれいにまとめて(>_<;) ・・」おきます。 いろいろと貴重なご意見ありがとうございました。<(_ _)>ペコ TAKATOKUさん・・・ 勝手に議論を進めてしまって、申し訳ありませんでした。 以上(以下?)のAwajiの意見に関して「顕幽分離論」の立場からの疑 問がございましたら、何方に係わらずご遠慮なくどうぞ・・・ Time : 1999/11/23(火) 09:10:28
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「源氏物語掲載のお願い」?? Comments: VIA MEDIAさん、今日は。Awajiです。 偶然に、お隣の掲載を見たのですが、あらためて「源氏物語」について のご意見(藤本説)を述べておられるのですね。 まさかとは思いますが・・所謂「源氏物語オタク」「レディ・ムラサキ 原理主義者」には、不肖Awajiをも意識して頂いている様な気もします。 元々は、この「掲示板」で発言された「男性作者論」の延長だと思いま すので、よろしければ発言完了後で結構ですから、この「掲示板」にも 転載頂けないでしょうか? いろいろな疑問点を、指摘して差し上げたいと存じますが? (Awajiは、この「掲示板」でしか発言しませんので、お手数ですが、 是非お願いいたします。) Time : 1999/11/24(水) 01:05:24
Name : CHRD E-mail : Title : 尊王 Comments: 朱子学の受容によって発生した尊王論の思想発展経過は、山本七平「 現人神の 創作者達 」に詳述されています。 楠木正成がそれまでの戦術の鬼才から大忠臣に変じた背景も説明されております。 崎門学が維新の原動力であったこと、維新後これを忘れさったため、つまり思想 として清算しなかったため、南北正閏論、機関説として噴き出てきて日本の運命 を狂わせる一因となった、という論旨です。 発表されて十年以上になりますが、少しも知られておらないように思われます。 Time : 1999/11/24(水) 12:51:02
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 難波宮発掘の記事について Comments:  みなさまおひさしぶりです。 現在の話題に全く乗り遅れてしまいましたので, 関連のないことで恐縮ですが,ひとつ話題提供します。 ご意見お聞かせください。  昨日の毎日新聞(大阪版)に難波宮発掘の話が載っていました。 注目されたのは,「大化」という元号が出土品に使用されておらず, 門脇禎二氏らの改新否定論があわせて紹介されていました。つまり 「日本書紀」のこの個所の記述が編者による後世の虚構にすぎないと するもので、遷都は当然有ったものの,特筆すべき改革はなかったと いう説です。別の元号しか見つからなかったことから,否定論が 強化されたという論調でしたが,この話題が全国版には出なかった かもしれませんので,報告がてらに書いてみました。 小生自身はこのような説があることを初めて知りましたので, 皆様どのようにお考え(お感じ)かをお聞かせください。 Time : 1999/11/24(水) 17:09:42
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「難波宮木簡」?? Comments: 大阪JF生さん、お久しぶりです。Awajiです。 何でも口を出す奴と思われるのも嫌ですので(もう思われている?)、 差し控えていましたが、コメントが無いようですので・・・・・ 難波宮跡で。戊申(648年)の文字が記された木簡と、同時に献上札と 見られる木簡が発見されたと言う記事ですね。 この辺りの主な書紀記事を見ると・・・ 大化元年(645) 6月・・・蘇我入鹿誅殺、孝徳即位、大化元号制定 同 8月・・・戸籍作成の詔書 同 9月・・・古人大兄誅殺 同 12月・・・難波長柄豊崎に遷都詔 大化2年(646) 1月・・・改新の詔書 同 8月・・・位階新訂 大化3年(647)12月・・・武庫行宮、七色十三階の官制 大化4年(648) 1月・・・難波豊崎行幸 4月・・・十二階官制廃止 大化5年(649) 2月・・・十九階の官制 3月・・・蘇我石川麻呂誅殺 白雉元年(650) 1月・・・味経宮(難波海辺)行幸 2月・・・改元 12月・・・正式遷都 >>注目されたのは,「大化」という元号が出土品に使用されておらず, >>門脇禎二氏らの改新否定論があわせて紹介されていました。 >>つまり「日本書紀」のこの個所の記述が編者による後世の虚構にすぎ >>ないとするもので、遷都は当然有ったものの,特筆すべき改革はなか >>ったという説です。 つまり @戊申(648年)は、大化4年に当るにも係わらず、木簡に年号が記されて いない。 Aこれは大化年号制定と言う書紀記事が、虚構であることを強く意味する。 B年号記事が虚構であれば、同時に大化の改新と称される一連の改革も虚 構であることを示唆する。 と言う議論でしょうか?・・・以下Awajiの感想です。 A.遺物(木簡)の残留(発見)は、極めて偶発的なものであり、この木簡 に年号が記されていないことを以って、直ちに当時年号が使用されてい なかったと結論付け、年号記事を虚構とするのは疑問である。 (仮に年号が記述されていれば、ほぼ99%確認できます。つまり物証は事実 が有った確実な証拠になりますが、物証が無い事でもって事実を全面否定す る証拠にはなりにくいのです。) B.従来、難波遷都に関しても疑問視する向きもあったが、これに関しては むしろ書紀の記述の正しさが強化された。 C.仮に年号記事が虚構であったとしても、これを以って直ちに改新につい ても虚構とは言い難い。 D.逆に地方の産物が、648年当時に組織的に難波にもたらされていた事実を 窺わせるものであり、律令体制の骨格がほぼ完成していたと見ることも 可能であることから、改新肯定説を強化したとも言える。 ・・・・と思いますが、如何でしょうか? >>別の元号しか見つからなかったことから,否定論が強化されたという論調 >>でしたが, この「別の元号」という意味は、良く分かりません。 Time : 1999/11/25(木) 22:53:03
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Awaji様,ありがとうございました +α Comments:  お返事ありがとうございました。 おそらく、Awaji様からコメントがいただけるのではないかと 思っていましたが(実は頼りにして、口を出して欲しいと願っていた?) 期待通りでした。重ねて御礼申し上げます。  また、あいまいな記憶に頼ったため,拙記事に不正確な点があり、 >この「別の元号」という意味は、良く分かりません。 というご迷惑をおかけして,どうもすみませんでした。 これは、戊申年のことにすぎませんでした。  いいたかったことも、概ねご推察のとおりの主旨で, 解説いただいた点は,穏当で,的確でした。 その点,記事に違和感を持ったので,質問させていただいたのでした。  念のため,小生が気になった個所を記事から抜き出しますと:  「改新の詔」についての記述は、大宝律令の条文を引き写したと  見られる部分があるなど,編者によって潤色されたことが明らかで,  「日本書紀」の記述をうのみにして,天皇、豪族の私有地・  私有民の廃止、戸籍の制定などの大改革があったと論じることは  出来ないというのが現在の学会の共通した認識になっている。 というもので、佐々木泰造氏の署名記事でした。潤色は大いにありえても ちょっと本当かなと思ったのでした。この引用だけだと、佐々木氏にとって、 フェア―でないかもしれませんので、続きを拾いますと,  しかし、一連の変革の中で否定しがたいものもある。クーデターの  直後に断行された難波遷都もその一つ。・・・  大化の改新の意義を認める立場は、難波遷都に新政権の並々ならぬ  決意を読み取り,遷都によって天皇中心の政治機構を実現するための  条件が整ったと考える。 となっております。  それで、ここからはAwaji様宛ではなく,皆さんに聞いていただきたいこと なのですが,以前の論争で,あまり口を挟めなかったので,ここで一言 発言させてください。  今回の件を見ても,Awaji様は,必ずしも「定説」一辺倒ではありません。 小生がかなり有名な先生方の,ほぼ定説とされているような説について 語っても、独立にご自身の考えを筋道を立てて述べられております。 決して定説の虎の威を借りているようなことはありません。 基本的には,よほどの事が無い限り,史料をまずは信用してみよう という立場である事は、以前表明されていたと思いますが・・。 まあ、皆様は良くご存知と思いますが,一部そのような発言が 有って,このような意見がなかったようなので、この場を借りて, 発言させていただきました。 Time : 1999/11/26(金) 10:24:23
Name : 儀地さん E-mail : 99m3509@nmoon.aichi-u.ac.jp Title : deha,motomeru Comments:  新しい教科書、それは、日本史限定なのかな、まあ、西尾 幹二の最新本は読んでないから、 はっきりしたことは分からないが、1つだけ、世界史のデータは有るのかな。これが抜けると はっきりしたことが分からないからね、これを行っている新しい教科書を作る会を支持する。 第二次世界大戦時の日本と大日本帝国憲法制定当時の日本は、違う。軍隊では、皇軍の意味が 違う。奥宮 正武氏によると、1890年代ぐらいの日本軍は立派だった。皇軍は、天皇直属とい う意味だけでなく、礼儀正しい軍だった。井沢先生へ、ここ、注目。それで、南京大虐殺につ いて、これは、皇軍として、有るまじき行為とか、原因は、日本の状況が分かってない人が、 かってにやってしまったとか。ここらは、まだ整理が付いてないから、おかしな事をいってる 可能性あり。批判は、私のメールでとどけるようにお願いします。従軍慰安婦も、おなじこと かも、批判する人は、証拠を明記して下さい。ただの非難はお断り。東京裁判史観改正に賛成 。ただ、日本軍が行った犯罪は、軍だけでなく,官僚や、なかには、すばらしいことをやった ひともいる。具体的な論議は後程。 Time : 1999/11/26(金) 12:08:26
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「記紀再評価」?? Comments: 大阪JF生さん、今日は。Awajiです。 仏像オタク(ムラサキオタク??)の生半可なタワゴトに共感頂き、あ りがとうございました。 以下、余計な一言ですが・・・ 現在の古代史の「定説・・・多数的意見」は、かっての「皇国史観」の 反動もあって津田史学の影響が強く、記紀の記述に対して否定的であり、 「日本」の民族・国家・天皇(大王)制の成立を、より遅く見る傾向が あると感じています。 直接関係は有りませんが、我々が教わった「縄文人」は、まるで「ネア ンデルタール人」のような姿でしたね。(>_<;) 後漢に金印を授受されたのは、高々部族の酋長クラスでしかない・・・ 魏志の時代に「連合国家」等が存在するはずが無い・・・・ 古代天皇系譜等は曲筆作成に決まっている・・・・ 応神は神話的存在であり、せいぜいが河内の地方政権に過ぎない・・・ 継体時代に中央政権等は存在せず、越前の地方王の大和侵攻だ・・・・ 天智時代に天皇制があった等とは、考えられない・・・・・ 大化の改新、中央集権国家への改革等は虚構に過ぎない・・・・ しかし考古学所見では・・・ 既に「縄文時代」には部族国家の萌芽が見られ、列島全体の交易が見ら れる・・・ 弥生時代には明らかに階級分化や国家的権力の存在が窺える・・・ 魏志時代には、小国の分立があり、それらが緊密な紐帯を形成していた 形跡がある・・・ 五世紀中頃の地方豪族ですら、既に明確な系譜伝承を有していた・・・ 天武時代には、かなりの規模の貨幣鋳造が行われていた・・・ 記紀の記述を裏付ける遺構が全国的に発見され続けている・・・ ように、民族・国家の成立がより遡る傾向があると思います。 Awajiは、そろそろ記紀の史料的価値を再認識すべきでは無いかと考えて いるのです・・・ さらに余計な一言ですが・・・・ このHPには当然ながら井沢さんのファンの方が多くおられますので、 時として所謂「史料至上主義」批判的な発言が出されます。 Awajiは、「史料至上主義」に立って努力しようとしている者なので、こ の機会に申し上げておきたいのですが、史学における「史料」とは「正 史」の類のみならず、その時代が残したアラユル「資料」の総称だと言 う事なのです。 それら「資料」の性格・内容からその軽重を勘案して、より整合的に歴 史を解釈することが史学の使命であり、その意味では井沢さんの批判さ れている様な意味での「史料(正史)至上主義」は我国の歴史学には存 在しないと思っています。 ただAwajiも、1911年「南朝正統論」公認に際しては、明治天皇の直接 意向があったのでは無いかと申し上げましたが、文献史料的には桂内閣 の奏上を裁可したのみで、天皇の意向は一切記述されていないと思いま す。 従って、これを文献記録が無い、或いは明治天皇は立憲君主を意識して いたので内閣決定に干渉しない筈である、として批判される方もおられ るかも知れません。 しかし、当時の政治情勢(桂内閣の立場)等からして、皇統(天皇先祖) の正統性に係わる重大事を、単に内閣で決定しえたのか・・・と考えれ ば、事前に天皇の意向を打診しその意向に沿った可能性を想像する事も 許されるのでは無いかと思いますので、必ずしも文献のみで歴史を考察 しているわけでは無いのですが・・・・ Time : 1999/11/26(金) 23:10:07
Name : 勇者ロト E-mail : Title : inaさんへ Comments: こん@@は。みなさんご無沙汰してます。 円空による?男形天照皇大神坐像の情報みつけました。 きんたろうさんのページはご存知ですね? そちらの掲示板から情報へのリンクをしておきましたのでご覧になってください。 探しておられるのとは違うかもしれませんがご報告させていただきます。 Time : 1999/11/27(土) 20:31:11
Name : ina E-mail : Title : 円空 Comments:  どうもありがとうございました。多分同じものだと思います。 Time : 1999/11/28(日) 07:38:01
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「円空・・男形天照大神像」?? Comments: inaさん、勇者ロト。今日は。Awajiです。 円空さんによる「男形天照皇大神坐像」について以下・・・・ 「円空の神像にはいろいろ解せないものがあるが、龍泉寺の『天照 皇太神』と、背銘墨書のある神像と、美濃郡上郡美並村根村神明神 社の背銘ある天照皇大神像は男神である。天照大神の本地、雨宝童 子には女神的表現がみられるが、天照大神を男神としてあらわすの は、祇園祭の鉾人形以外に私はしらない。神話では高天原で素戔鳴 尊が攻めのぼったとき、天照大神は髪をみずらにまいて弓矢をもち 、男装したということはある。しかし神職の姿をしたり、顎鬚を生 やすとは論外である。これは円空の造像がかなり恣意独善で、御神 体は氏子に見せるものではないから、かなり自由な作り方をしたの ではないかとおもう。実際に、円空ブームで研究者が祠をかきまわ して、はじめて氏子が神体を見たという神像や本地仏はかなり多い。 なにかの機会に氏子総代が祠をあけたところ、仏像だったために、 氏子は御神体をぬすんだ泥棒が代りに仏像をいれたといって、さわ いだ・・・・・・あるいは円空は、神は目に見えぬもので、司祭者 や巫女に憑るのだから、司祭者をまつればよいといった顕斎の哲学 で、司祭者を御神体につくったとするのも、思いすごしであろう。」 ー「円空と木喰」五来重著(淡交社刊) 確かに円空仏は、儀軌や種子に拘らずに自由奔放に造像されていま すので、男性形の理由は良く分からないというところでしょう。 ただ、後段の顕斎の哲学は単なる思い過ごし以上のもんがあるので は無いかと思います。 要するに、この円空さんの造像をもって天照大神男性説を論じるの は、余りにも根拠薄弱だと思いますが・・・・ Time : 1999/11/28(日) 19:20:38
Name : 勇者ロト E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: こん@@は。 大丈夫です。私もinaさんも円空仏からアマテラス男神説を論じるつもりは ありません。ご安心下さい。男形の坐像があったなら見てみたいというただの 好奇心です。円空の時代と古事記では時代も違いすぎますし根拠とするには希薄 すぎるのは承知しています。 ただ原初(古事記成立以前)の太陽神としてアマテラスが男神として認識されて いたのではないか?という事については別の神の名前から想像しています。 それについては、Yahooの掲示板 日本史の「大国主は実在したとおもいますか?」のコーナーで考えている途中です。 「火御子」の時のように挫折する可能性大です(笑) くだらない妄想の羅列ですがよろしければご意見ください。 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=topics&board=yahoo.2e.06.835208&type=r ご指摘の顕斎の哲学については、納得のいく解釈の一つだと思います。 Time : 1999/11/28(日) 19:58:26
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「大国主は・・・」?? Comments: 勇者ロトさん、お久しぶりです。Awajiです。 本論、ご了解頂きありがとうございました。 なお、原初の太陽神が男神であったかどうかに関するご意見ですが、 Yahooのコーナーは余りにも大量で、チョット時間的余裕がありませ ん。 もしよろしければ、簡潔にご論旨のみ掲載頂ければ、ご一緒に考察 させて頂きますが・・・宗教心理的には、太陽が男性・大地が女性 ・太陽光がスペルマ・その結実が穀物とされることが多い様なので 、有り得ないとは思わないのですが、今まで我国においてその明確 な痕跡を証明する所説に接したことがありません。 根拠なき珍説は、残念ながら世に満ち溢れていますが・・・ Time : 1999/11/28(日) 21:14:36
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 天照 Comments: Awajiさん、こん@@は。 未だ結論らしいものにも到達していませんので、ある程度までまとまりましたら こちらへ書き込みさせていただきたいと思います。根拠なき珍説の類である可能性 を十二分に備えています。 では、いずれという事で今日のところは失礼します。 Yahooのトピック覗いていてただきありがとうございました。 Time : 1999/11/28(日) 21:39:40
Name : ina E-mail : Title : Awajiさま Comments:  文献の御教示どうもありがとうございました。  甘えついでに、、アマテラスが女神という認識へ一般レベルではどうだったか、 という点は如何でしょうか。  儀軌や種子に拘らずに自由奔放に、という点からみるか、単なる「知らなかっ た」と言う点から見るか、ということですが。 Time : 1999/11/29(月) 01:04:26
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「天照大神の女性認識」?? Comments: inaさん、今日は。Awajiです。 ビッガポーにお住まいなのですね。それならばチョットした資料を 確認するのもままならないかも知れませんね。 Awajiは、概ね月に一二度は図書館で昼寝をしていますので、ある程 度時間的余裕が頂けるならば、書籍確認のお手伝い位はいたします。 ご遠慮なくお申しで下さい。 >>アマテラスが女神という認識へ一般レベルではどうだったか、とい >.う点は如何でしょうか。 天照大神が女性である事が、江戸期にどの程度知られていたかですが、 江戸期はAwajiの識別圏外なので良く分かりません。 ただ・・・ 神官達にとって、日本書紀(古事記)は必修科目でしょうから、これ を知らないと言う事は、まず有り得ないと思います。 僧侶にとっても、神仏混交思想が主流ですから、ほぼ同様だったので は無いかと想像します。 さらに、武士・地主・大商人達においても国学や和歌は基礎教養とし て結構浸透していた様なので、全く知らなかったとは思えません。 問題は・・・一般農民や庶民達ですが、彼らの知識は神官・僧侶、あ るいは伊勢信仰を支えていた「御師」に寄る処が多いと思われますの で、全く知られていなかった言う事はチョット考えられません。 「ひのもとの やまとのくには むかしより おんなならでは よの あけぬくに」とか「おたが おいせの おやじゃから」等と言う俗謡 も岩戸神話、三貴子誕生神話を基礎としていますし、その他神話に由 来する洒落等もあるようですので、庶民の間でもかなり常識化されて いたのでは無いでしょうか? ただ、大黒天と大国主・茶枳尼天と稲荷が混同されたり、須佐男が牛 頭天王となったり、神仏混交によるかなりの混乱がありますので、地 方によっては奇説を唱える神官もいたかも知れませんね。 そこで円空さんですが、彼は一応天台宗の基礎教育を受けていたとさ れていますので、天照が女性であることを知らなかったとは思えませ ん。 また、彼の生地である美濃南部は伊勢に近く、抜け参りの経験者もい たと思われますので、その点からも知らなかったとは、思えないので すが・・・ 神像を見ると、明かに「神官」を模したと思われますので、顕斎思想 によるものと考えるのが、最も妥当ではないかと考えています。 ただ、天才円空さんの発想を、我々凡人が詮索すること自体に無理が あるのかも知れませんが・・・ なお祇園祭神像については別途確認したいと思います。 Time : 1999/11/29(月) 21:48:33
Name : ina E-mail : Title : 仏像って? Comments:  Awajiさま、どうも御教示ありがとうございました。  確かにこれは!という説明は難しいようですね。  ところで、円空には愛知県に、木材をバッと砕いて、単4電池くらいの大きさの 仏像を沢山作っているのがあります。このおかげで、数の上で我が岐阜県は円空 仏2位に甘んじているわけですが、仏像、というのは人形、とどう区別するので しょうか?合掌か何かの印を結んでいることが必須なのでしょうか、それとも奉納 した人や作成者が仏像だ、といえばそれまでなのでしょうか?  そもそもアマテラスの像が珍しいようですが、女性の形に作ろうとするとどうい うことになるか、ということも疑問で、神官の形に作った、という説がかなり強く 迫ってきます。 Time : 1999/11/30(火) 10:17:50
Name : TAKATOKU E-mail : Title : たくさんのご意見ありがとうございます Comments: Awajiさん、きんたろうさん、みなさんこんにちは&たくさん のご意見ありがとうございます。どこから返事を書けばいいのか悩 みますが、ここから返事させてください。 Awaji wrote (11/20 10:28): > 先日は、失礼いたしました。浮世の付合いも厳しいもので??? > (酔ったら書くな・・書くなら飲むな・・ハイ!) いえいえ、私のコメントは今回もアルコールの力を借りて書いてお ります。アルコールを飲みながら歴史について考えるのが、とても 面白いもので。ただ、投稿時点ではシラフですが。 Awaji wrote (11/17 22:58): > 一度TAKATOKUさんの「顕幽分離」概念を整理・説明して頂けないでしょう > か? この時のAwajiさんのコメントで、私は、井沢先生の「顕幽分 離論」の定義を正確に知らないということに気づかせてもらいまし た。従って、以下は私が字の雰囲気等から想像した「顕幽分離論」 です。南朝正統論に関して言えば、以下の3点が私の考える「顕幽 分離論」による「怨霊鎮魂」です。 1:南朝を唯一の正統と認めること。(以前にも述べたように、南 北並立の段階でも既に怨霊鎮魂行為のような気がするが、証拠がな いので、この意見は取り下げます。) 2:欠徳の後醍醐を朱子学でいう所の「王」と認める。 3:忠臣の楠木正成を称える事など。 この中には足利尊氏が鎮魂のために寺を建てたことは入れていませ ん。この3つの意見を集約すると、「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂 行為」ということになるでしょうか。したがって、『太平記』の後 半部分も顕幽分離と言えます。 Awaji wrote (11/17 22:58): > つまり、源義経について言えば、頼朝が永福寺を建立したのは「権」で、 > 民衆の判官びいきは「衆」だと思うのですが、いかがでしょう? 私の想像した定義によれば、永福寺建立は顕幽分離ではなく、判官 びいきは顕幽分離になります。しかし、私の定義では、依然として、 主語が不明瞭なので、Awajiさんは納得できないと思いますが。。 Awajiさんの権衆分離論に一つだけコメントさせてもらえば、 「和」社会で独裁者の出にくい日本において、権衆を分離するのは 難しいような気がします。どこまで分離できるのか、と考えるのも 重要ですが。。 先週の話題にもコメントしたかったのですが、今日はここでタイム アップです。先週分については、明日以降にコメント致します。み なさんのペースについて行けなくて、すみません。 Time : 1999/11/30(火) 18:38:42
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「円空木端仏」?? Comments: inaさん、今日は。Awajiです。 >>ところで、円空には愛知県に、木材をバッと砕いて、単4電池くら >>いの大きさの仏像を沢山作っているのがあります。 円空さんは、十六万体の造像を祈願したといわれていますので、中に はペンダントのような仏像も沢山あるようですね。 これも龍泉寺にある木端仏が有名で、観音千体仏と思われる4から20 センチのものが約600あるそうです。 「作りおく 千々の御形の 神成るや 万代迄の 法の かげかも」 >>仏像、というのは人形、とどう区別するのでしょうか? >>合掌か何かの印を結んでいることが必須なのでしょうか、それとも >>奉納した人や作成者が仏像だ、といえばそれまでなのでしょうか? 通常仏像とは「如来・菩薩・明王・天部(権現)・祖師」像を言いま すので、それぞれ儀軌に沿った相好・印相が求められますが、円空さ んの祈願した「仏像」には、神像・狛犬等(今上皇帝なんての)も含 まれているようですし、相好・種子等が儀軌と食い違っているため、 その像の正体を巡って種々議論がなされているようですね。 良く「鰯の頭も信心・・」と言われますが、製作者が信仰の対象とし て造像したものは、例え木片のようなものでも、すべて”仏像”と言 って良いと思いますし、野にさらされ原型を止めない石仏等も人々が 信仰心を持って接する限りは”仏像”だと思います。 ところでinaさんは、美並村天照像を実見されたのでしょうか? 写真で見る限り、円空さんの迸るような作風では無く、初期作品らし く、かなり硬い感じを受けますね。 それに比して龍泉寺天照像は、円空さんそのものの作風で、比較すれ ばとても面白いと感じました。 この話題をご提供(勇者ロトさんにも)頂いたおかげで、ササヤカナ ガラ円空さんに関する理解を少し進めることが出来ました。 とても感謝しています。 Time : 1999/11/30(火) 21:27:14
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「顕幽分離論・・・追加」?? Comments: TAKATOKUさん、お久しぶりです。Awajiです。 以下簡潔に?申し上げます。 >>以下は私が字の雰囲気等から想像した「顕幽分離論」です。・・・ >>この3つの意見を集約すると、「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂行為」 >>ということになるでしょうか。 スミマセンが、概念が抽象的すぎて良く分かりません。 >>1:南朝を唯一の正統と認めること。 「南朝正統」とは1911年の内閣決定のことをおっしゃっているのです か? これに関して「怨霊鎮魂」とは考えられないことを、散々申し上げた 筈なんですが、反論なさるならばこの意見に関して具体的にご指摘願 います。 (本来はこれが怨霊鎮魂に基づくものであるかが論点なのですが?) >>2:欠徳の後醍醐を朱子学でいう所の「王」と認める。 欠徳であろうと無かろうと、朱子学であろうと無かろうと、後醍醐は 万人が認める正統の天皇として即位した人物であり、「王」以外の何 者でもありません。「王」たるに相応しい徳があるかどうかは別の問 題であることも既に申し上げた筈ですが? >>3:忠臣の楠木正成を称える事など。 悲劇の忠臣を忠臣と称えるのは、君臣制の本義によるもので、怨霊鎮 魂とは無関係だと思いますが? >>私の想像した定義によれば、永福寺建立は顕幽分離ではなく、判官 >>びいきは顕幽分離になります。 当然です。Awajiが申し上げているのは、これらが「顕幽分離」かどう かでは無く、権力側からなされた「怨霊鎮魂行為」か民衆側の英雄崇 拝心理に近い同情的「鎮魂行為」かと言うことなのですが? >>足利尊氏が鎮魂のために寺を建てたことは入れていません。 これも当然です。Awajiが申し上げたのは、尊氏でさえこの程度の「怨 霊鎮魂」行為しか行っておらず、「顕幽分離的鎮魂行為」は行ってい ないと言うことです。 「権=怨霊鎮魂行為(加害権力者による崇りの防止)」 「民=同情的鎮魂行為(崇りのトバッチリ防止??)」 「権=顕幽分離的怨霊鎮魂行為(崇りの防止のための幽界栄誉授与)」 を少し整理して頂けないでしょうか? >>「和」社会で独裁者の出にくい日本において、権衆を分離するのは >>難しいような気がします。 申し訳ありませんが、全く意味が分かりません。 独裁者であろうと無かろうと、君主制であろうと民主制であろうと、 権力側の行為と、民衆側の行為は別に考察しなければ「怨霊鎮魂=崇 り防止行為」はもとより、殆どの歴史分析は困難になるのでは無いで しょうか? 「義経」や「赤穂義士」に関しても、権力側の感情・行為と民衆側の 感情・行為とは明らかに分離分析すべきものだと思いますが? もっとも「赤穂義士」に関しては、彼等の「祟り」を恐れた痕跡は権 力・民衆ともに全く見えませんので、これを「怨霊鎮魂」に結び付け るのは明らかに無理があると思いますが・・・・ 彼等は一体誰に「祟る」と言うことなのか訳が分かりませんね? Time : 1999/11/30(火) 22:59:19
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「追加の追加」?? Comments: Awajiです。チョット追加です。 >>「言霊的信仰に関する怨霊鎮魂行為」 に関してですが・・・ 救世観音と「源氏物語ワンスモア」1999/10/22(金) >また敢えて申し上げるならば、『言霊理論』の本質は『顕幽合一の >法則』に由来するものと考えられますので、この点も整理されたほ >うが良いと思います。 と申し上げておりますが「言霊的信仰」とは、言葉と言う非現実界 (幽界)の霊力をもって、現実界(顕界)にその言葉の意味するとこ ろを実現させると言う信仰思想です。 従って、幽界と顕界を別物として、その栄誉を分離授与すると言う 「顕幽分離思想」とは思想的に相反関係にあると思うのですが・・・・ 如何でしょう? Time : 1999/11/30(火) 23:32:02