Name    : だむす
E-mail  : 
Title   : Toshyさんへ
Comments: 
はじめまして。ノストラダムスはお好きですか?

どうも私の質問の仕方がわるかったようです。お手間をとらせました。

私がAnonさんに聞きたかったことは、朝貢をしないということはすでに中華世界から脱却しているのではないでしょうか?という事です。

Anonさん曰く、「倭人は海洋民族」との事ですから海を渡るのは屁でもない当然の生活をしていたことになります。(ちょっと飛躍しすぎ?)

中華世界の住人で海洋民である倭人がなぜ、魏、晋への朝貢のあと長期にわたって朝貢を中止したか?という事です。

私は国家概念としての天命思想という観点はいいと思ってます。

しかし、何ゆえそこからの脱却を近江朝まで下らせるのかという疑問があるのです。

おそらく、三国の動乱を粒さに眺めることにより、天命思想に大きな矛盾を感じたはずだという事です。

それがため、半島の動乱も重なり、朝貢を止めたのではないでしょうか?

しかし、半島が動乱期を迎えたとはいえ、倭人は海洋民との事ですから、会稽や中国本土に直接上陸するくらいの技は見に着けていたのではないでしょうか?

私は、倭国の中華天命思想からの脱却は、晋の時代には成されていたと考えています。

何故近江朝なのか?という意味の質問だったのです。

Toshyさんお騒がせしました。

Time    : 1999/ 7/ 1(木) 00:03:27

Name : Toshy E-mail : Title : おっと(^^; Comments: だむすさん、ごていねいなあいさつ、どうもです。 ノストラダムスによれば、もうすぐこの世は終わるのですか。。。それもいいか(爆)。 好きでも嫌いでもないのですが、とりあえず、予言が外れることを祈っています。 だむすさんの質問の意味を取り違えて答えてしまったようですね。 でも、お騒がせではないので、お気になさらないでください。 なるほど、何故近江朝か、という質問でしたか。それは私も、ぜひAnon殿に聞きたいです。 Time : 1999/ 7/ 1(木) 00:20:27
Name : はてなマン E-mail : Title : 倭人のアイデンティティー Comments: Anonさん、おはようございます。 倭人は、白すきのえ以前は自己アイデンティティーがないということですが、これはどうしてそうお考えなのでしょう? そもそも中華思想の概念は倭人の庶民にもあったとお思いですか? 庶民レベルからは、直接統治者によって集団的アイデンティティーを押し付けられるものではないでしょうか? 倭人の統治者が自分達を絶対的権威者にみせるためには、庶民に対する教育がひつようでしょう? 直接統治者の頭越になる権威(中華思想)を庶民に教えるまたは庶民の中華アイデンティティーを認めることはないように思います。 自分たちが失脚するきっかけともなり兼ねないわけですから・・・。 倭国の統治者に不満があれば中華の皇帝に対して直訴もできるのではないでしょうか? だって交易を通じて中華と交信しているわけでしょう? 被支配者もそれくらいの智恵は浮かぶと思うのですが? 海にかこまれた日本列島です。いくら海洋技術を持とうと独立気風が何百年もそだたないはずはないと思います。 いや、海洋を渡る能力があればあるほど脱中華は早く進むと考えられるのではないでしょうか? 戦国や江戸時代においてさえ、海を渡り交易を生業とする商人たちは、国に縛られることのない世界意識をもっていたはずです。 私の考えはおかしいでしょうか?皆様。 Time : 1999/ 7/ 1(木) 01:21:10
Name : "歴史の鉄則”のkaz E-mail : Title : 疑問1 Comments: ・崇峻天皇を殺した蘇我馬子と天皇家が、その後、共存して政治を行えるのか? ・馬子は天皇家を乗っ取る意思があったのに、孫の入鹿の代まで天皇家が存続できるか? ・崇峻天皇の暗殺後、中大兄皇子が現れるまで、天皇家の血筋が殺されずに残っていられただろうか? ・馬子、蝦夷、入鹿、という名前は、絶対に替えられているはずだ? ・朝貢すれば、数倍の贈り物をする国に対して、対等に付き合おうと言う国書を出すのは、馬鹿げている。 ・高句麗に苦戦しているからといって、隋が戦争協力の以来を、東夷の国対して行うか? ・朝貢する国に対して、中国は、答礼の派遣をするのか。むしろ居丈高に指示を出すのではないか? Time : 1999/ 7/ 1(木) 01:29:10
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ拝復 Comments: ご理解いただけて幸いです。 あの発言は、Anonさん、大阪JF生さん、金融亭丸祐さんと私とで歴史 学を越えた科学本質論みたいな話をしていた時のものですので、その文脈か ら考えていただければ納得いただけると思います。 歴史学内部での「史観」問題についていえば、史料がふんだんにある近現代 史の場合、極端な史観が入り込む余地はほとんどありませんが、史料の少な い古代史の場合は「余地」の方がはるかに広く、極端な史観が入り込みやす いのは事実でしょう。しかし、単に個々のテーマのモノグラフで満足するな らともかく、その時代の全体像を描こうとすればある程度の「史観」は必要 だと思います。「史観」という言葉がよくなければ「仮説」といってもかま いません。 例えていえば、古代史は2000ピースの巨大なジグソーパズルを100ピースの 部品だけで再現しようとするようなものですから、イマジネーションをフル に活用しないと何がなんだかわかりません。いろんな絵を想像して部品を並 べ替え、直観的に「これはいける」と思った絵(仮説)があればそれにこだ わって追求して行くのは悪いことではないでしょう。但し色々検討した結果 「やっぱりだめだ」と思ったら残念でもその仮説は放棄し、別の仮説を考え る柔軟さは必要でしょうが。 その意味でAnonさんの、天智・天武朝を境とする日本の変化を中華思想 とそこからの脱却という仮説で説明しようとする試みは大変面白いと思いま す。私自身はこの仮説をかなり支持しています。ただ、Anonさん一流の 春秋の筆法とメタ言語の多用が多くの人の誤解を生み、せっかくの支持者を 逃がしているような気がしますが。 Awajiさんはどうお考えになりますか? Time : 1999/ 7/ 1(木) 09:02:20
Name : Anon E-mail : Title : だむすさんへのres Comments: 宋書の倭国(倭の5王)は、明らかに 軍事国家的な様相を見せています。 このあたりは、中国南北朝と高句麗 のパワーポリティクスの中で、倭国の 軍事力を巡っての外交活動が活発に 行われ、その結果、倭国は外部(国際 関係)から国家としての様相を作り込ま れていったと推測します。 その後に強大な隋帝国が出現することで、 このパワーポリティクスのバランスが崩れ、 倭国は外交的に追いつめられ、白村江、そして 日本建国へとひた走ることになったのでしょう。 Time : 1999/ 7/ 1(木) 09:56:09
Name : Anon E-mail : Title : Toshyさんへのコメント Comments: 朝貢を経済活動(特種な貿易活動)と 捕らえる方が多いのですが、これは間違いです。 朝貢とは「辺境の小国」が見返りを求めて 行うのではなくて、中国王朝の自作自演です。 具体的には、例えば邪馬台国の朝貢の場合、 中国王朝(魏)が、ある理由(これが重要)から 東夷からの朝貢を必要とします。そこで、東夷を 管轄する官僚が、適当と思われる国(邪馬台国) を選び、顎足枕に大量の贈り物つきで邪馬台国 の使節を招待するのです。 なぜそんなことをするのかというと、これがまた 「正統」の問題です。「正統」王朝であれば、天子 に徳がありますから、辺境の愚かな蛮人達でも 天子の徳を慕って来るはずなのです。また、そう でないと、天子の徳が足りない、イコール正統では ないとなって、王朝は倒れてしまいます。 そこで、歴代中国王朝は、朝貢を自作自演 し続けたわけです。 実際の経済活動は、政治とは直接結び つかない商人達(後の華僑です)が手広く 行っていました。 Time : 1999/ 7/ 1(木) 10:07:45
Name : Anon E-mail : Title : だむすさんへのres Comments: 日本で出版されておりノストラダムス本 は誤訳(意図的?)がひどすぎます。 それはさておき、朝貢の正しい理解は 下記の通りです。強力な思想から逃れる ことは現代でも困難です。 旧共産圏の国々も様々な矛盾を目の当たり にしながら、実質未だに脱却できていません。 近江朝は、生きるか死ぬかギリギリまで追い つめられ、開き直った結果です。心理学的な 用語を失念しましたが、このとき思想、価値観 が転換したのでしょう。 Time : 1999/ 7/ 1(木) 10:16:37
Name : Anon E-mail : Title : はてなマンさんへのres Comments: 当時の倭人の国家とは、つまるところ市場 であり、国王は市場を仕切る親分という イメージで考えてみて下さい。 中国商人との貿易利権を握る王は、航路を 守る水軍と、商品を売りさばく販路(市場) によって、その王権を維持していました。 ここで重要なのは、商取引とは一種の呪術 であるという、ちょっと一般的ではありませんが 経済人類学の定説です。 井沢氏流に説明すれば、個人の所有物は すべてケガレています。しかし、市場という 特種な空間を通ると、このケガレが消滅して ものの取引が可能となるのです。 このような市場の機能は、何らかの権威に よって保証されねばなりません。この権威が 中国王朝なんです。 Time : 1999/ 7/ 1(木) 10:24:44
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 游惟様,同感です Comments:  個人宛ての記事へ割り込む失礼をお許しください。 「Awajiさんへ拝復」の記事を拝見したのですが, あまりにも的を射ていましたので,賛同の意を 表します。(個人的には)全くそうだと思います。 余計な一言で,違うといわれるかもしれませんが, ピースの数がかなり多い(追加可能な)のが「科学」で、 かなり足りないのが「歴史学」という認識です。 逃げたAnon様の支持者より。 Time : 1999/ 7/ 1(木) 10:28:46
Name : だむす E-mail : Title : Anonさんへ Comments: では、どういう理由で倭国は朝貢を長期にわたりしなかったのでしょう? 大陸と半島の勢力争いのためなのですか? もしそうなら、朝貢をする、しないの主導権は倭国にあるといえるのではないでしょうか? Time : 1999/ 7/ 1(木) 10:56:45
Name : だむす E-mail : Title : それとも・・・? Comments: 中華国家のほうが朝貢の要請をしなかったという事なんですか? 要請がないからしないというのは、天命思想というものもする、しないには関係のない思想なのではないですか? Time : 1999/ 7/ 1(木) 10:59:57
Name : 金融亭丸祐 E-mail : Title : 大阪JF生さまへ(No.4) Comments: 「週末までは、この掲示板を見ないでおこう」と思っていたのですが、 つい誘惑に負けて見てしまった所、案の定、大阪JF生さんの意見 「反論していたつもりはなかったのですが」(6/30(水)10:35:02) が載っていました。 以下に、それに対する再コメントを書かせて頂きます。 JF生さん以外の方々には、いささか退屈な議論となるかも知れないことをお詫びします。 しかし、ある意味では興味深い記事かも知れませんので、お急ぎでない方は、おつきあい下さい。 (1)私とJF生さんの議論全般について ここまでの所、JF生さんの意見は、私の論旨をきちんと読み取った上で それにコメントするという形ではなく、JF生さんの主張したいことが先にあって、 私の論旨とは無関係に話を展開されている観があります。 その話の題材に私の意見の一部が引用され、時として私の言っていないことに 「反論」されている部分が見受けられます。 例えば、JF生さんの意見(6/29) JF生>やはり、お考えには少し無理があるように思います。 JF生>「そうあるべきだ、あるいは、あってほしい」と思われる気持ちは分かりますが(後略) に対する私の修正要求(6/29) 丸祐>「アインシュタインが『自然界は単純な法則で成り立っている筈である』 丸祐>と考えた」と言っただけであって、(中略) 丸祐>(私が)「そうあって欲しいと願っている」訳でもないのですから。 については、JF生さんのコメント(6/30)では無視されていますが、 これは私の言い分が容認されたと解釈して良いのでしょうか? まあ、こんなことばかり言っていても、揚げ足取りになってはいけないので、 JF生さんのコメント(6/30)に一つ一つ答えていきます。 (2)JF生さんの意見の要約の「勘違い」について JF生>小生の文章を良くお読みになれば、すぐわかることですが、 丸祐>>検証が不十分 JF生>だとは、小生は言っていません。当時は信頼に足ることだったのです。 上記の件に関する原文(6/28、JF生さんの意見)は、以下の通りです。 JF生>そのニュートン力学はといえば、初期段階では月の軌道で検証を受けて不合格とされ、    >原因を解明するのに50年以上かかりました。(その間でも支持は揺るぎません。)    >また天王星の軌道のずれのかなり正確な測定からも、反証されかかったことがありました。    >明らかにデータと食い違い、当時はほぼ完璧に間違いだという科学的な検証で、    >反論の余地はありませんでした。 従って、(6/30)のJF生さんのコメントは記憶違いによると考えられます。 私は上の引用部分(6/28)でJF生さんが言われていた「検証が不十分」な初期段階に対して、 その後これらの諸問題が解決して、ニュートン力学が公認された段階を 「検証済み」と呼んでいるのです。 (3)科学理論の「厳密な」検証について 丸祐>>しかし最終的にその理論が正しいかどうかの判定に際しては、 丸祐>>厳密な検証がなされている筈である。 JF生>というご見解が少し違っていませんかと、のべているのです。 JF生>(いつが最終なのですかという質問もこめて)。 ですから、その次に述べた3つの条件が満たされたと判断された時に 「厳密な検証ができた」と見なされるわけです。 JF生さんは「その時は検証できた様に見えても、後から後から修正がなされるのが歴史の常であるから、 それは『仮説』であって『真実』ではない」と言われるけど、私は 「『仮説』と呼ぶか『真実』と呼ぶかは神学論争の部類だ」 と言っているのです。結果的に「真実」であるかも知れないのですから。 確かに「最終的」という言葉を使ったのが良くなかったのかも知れません。 その時最終と思っても、その後修正されれば、結果的に「最終」ではなくなる訳ですから。 しかし物事にはどこかで区切りをつけることも必要なのです。 (強引に「きりをつける」という意味でなく) JF生さんの様に「異なる時刻や場所で、同じ法則が成り立つのか」 ということまで疑りだすと、いくらでもケチがつけられるし、 その場合には、宇宙論なぞは「何でもあり」になってしまいます。 (4)検証基準(その2)について 丸祐>>2)どのように意地悪く考えても、その理論を用いて記述するのが最も合理的であること。 JF生>と主張なさるお気持ちはわかりますが、不可能なお題目です。 JF生>そのような基準に耐えうるものはないでしょう。 これについては、「意地悪く考える」という言葉をもう少し厳密に定義しておいた方が良かったようです。 ここでは「意地悪くて頭の悪い人」とか「意地悪くて聞く耳を持たない人」までも同意させることは 想定していません。(そんなことは当然不可能です) 少なくとも、問題点を正確に把握している人、例えば分子論の論争におけるマッハのような 反対論者をも納得させることが出来た状況を意味したつもりです。 JF生>仮にそうなら、量子力学の場合のように科学者同士の論争は起こり得ません。 ですから、その様な論争がある間は、まだ「検証済み」とは言えない訳です。 (5)検証基準(その3)について 丸祐>>理論自体が内部に矛盾を含まないこと JF生>というのも、厳密には無理な注文です。「どんな厳密な論理体系においても、 JF生>矛盾が生じて判定不可能な場合がある」と証明されています。 JF生>(ゲーデルの不完全性定理ですが、ご存知ありませんか?) ゲーデルの不完全性定理については、知識としては知っているけど、内容は理解していません。 (高校時代に友人から本を借りて読んでみましたが、理解できませんでした) 私は知識だけで物を言うつもりはありません。 もしJF生さんが理解されているのなら、説明して頂ければ有り難く思います。 もし理解されていないのなら、その代わりに具体例を示して頂きたい。 ニュートン力学でも、マクスウェルの電磁気学でも構いませんが、 現時点で「検証済み」とされている理論は、それぞれどういう矛盾を内蔵しているのでしょうか? ゲーデルの言う「矛盾」がどの様なものか良く判らないのですが、具体例があれば納得できます。 具体例が見当たらないのなら、この問題はペンディングとしましょう。 (6)歴史学の仮説の信頼度について 丸祐>>「歴史学の仮説が科学のそれよりも信頼度が低い」 JF生>と違うのであれば、(中略) JF生>何に強く反論されているのか、判断に苦しみます。 もう一度繰り返します。私の文を良く読んでから反論なさって下さい。私が言った(6/29)のは、 丸祐>なお私は、「歴史学の仮説が科学のそれよりも信頼度が低い」 丸祐>と主張している訳ではありません。 丸祐>「歴史学では、どのような基準で検証を行っているか?」と問いかけただけなのですから。 これが何で「信頼度が低くない」という意味になるのでしょうか? どちらとも言ってないのですから。 (7)まとめ とにかく良く考えてから返答なさって下さい。 (もし返答なさる場合は) Time : 1999/ 7/ 1(木) 19:15:16
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「歴史の鉄則外」?? Comments: kazさん、游惟さん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>崇峻天皇が暗殺されたら、殺した蘇我家が王となるのが歴史の鉄則のは >>ず!したがって、推古天皇は、全くの作り話で、実は大化の改新までは、 >>蘇我大王家の時代であったのでは? に関して・・・ >その様な「歴史の鉄則」は、全く存在いたしません。 と申し上げましたね。 何故ならば余りにも例外が多く、この命題は成立しないと考えるからです。 従って、同時にこの「歴史の鉄則」を前提として、歴史を推理することは 無理があると考えたものです。 次いで、その例として比較的時代や、(大きな意味での)国情が似ている と思われる高麗(高句麗)の例をお示しいたしました。 >642年 ・・・高句麗 泉蓋蘇文 栄留王殺害 宝蔵王擁立 これに関しては、如何お考えなのでしょうか? 高麗と倭国は確かに状況は異なります。しかし「歴史の鉄則」という限り、 多少の状況相違はあっても、通則的に成立せねばならないもののはずです。 つまり、貴方の「歴史の鉄則」は少なくとも、この事例に関しては明らか に成立しないと思うのですが、如何でしょう? 続いて、以下に逐条検討いたします。 >>崇峻天皇を殺した蘇我馬子と天皇家が、その後、共存して政治を行える >>のか? これついては、上記の泉蓋蘇文の例が示しているとおりです。 (ご承知のとおり泉蓋蘇文は王を切り刻んで、溝に捨てた人物です。その 後王の甥を擁立します。しかし遂に王位にはつき得ず668年没しますが、 この間26年宝蔵王と共存統治です。その子供達も互いに争い王位を狙うど ころでは有りませんでした。) さて、何故このような殺害者との共存しての政治が可能かと言いますと、 王(天皇)家は必ずしも一枚板では無いからです。 (勿論、蘇我氏自体も一枚板で無いのは、ご承知のとおりです。蘇我本宗 家滅後も入鹿の従兄弟である蘇我石川麻呂は右大臣に栄進していますね。) むしろ王家内部は常に王位継承を巡って、緊張(対立)関係にあり、臣下 を使ってのライバル殺害は常態的におこなわれていました。 本件は王(天皇)の殺害ですので状況は異なりますが、基本的には殺害さ れた王と緊張関係に有る他の王族等が殺害者と共存して政治を行うことは 特段不思議とも思えません。蘇我は王家の外戚でもありますしね。 一部には、推古(及び聖徳)は崇峻殺害を暗黙のうちに承認していたので は無いか・・・或いは指示したのではないかと言う推理も為されています。 Awajiには確信はありませんが、有り得ることかも知れないとも思います。 (ただし、これを根拠にさらに推理を重ねる事には反対です。) 他にお馴染みの例では、頼家を殺害した北条が実朝を擁立し、共同統治し たナンテのは如何ですか?(相似形ですね。) >>馬子は天皇家を乗っ取る意思があったのに、孫の入鹿の代まで天皇家が >>存続できるか? >>崇峻天皇の暗殺後、中大兄皇子が現れるまで、天皇家の血筋が殺されず >>に残っていられただろうか? 疑問点が良く分からないのですが、臣下が王位を簒奪するのは、容易な事 ではありません。(下手をすれば逆に誅殺されるのは明らかですからね。) 従って、三代や四代を要することに何の不思議があるでしょう? 源氏の正統を自負する「足利」が「北条」を打倒するまで何代かかり、 「毛利」が「徳川」に復讐するまで何代かかりましたか?(ジョークです) 尤もAwajiは、本当に蘇我氏に王位簒奪の意図があったのかどうか、チト 疑問を感じてはいるのですが。代を重ねているうちにチャンスがあれば簒 奪したかも知れませんね。 新羅の善徳女王は、唐の圧力と大豪族によって退位を迫られ、殆ど憤死に 近いとされていますが、一方で王統を支持する新豪族たちにより、従姉妹 真徳女王が即位しているのは、ご承知のとおりです。 (大豪族と王の関係・・・ただし、新羅は常に高麗と倭国に圧迫され続け ていますので、倭国に比して王権力構造は遥かに弱いと考えられます。 ・・・三国史記新羅本紀等より。) >647年 新羅 田比 曇の乱(善徳女王没 真徳女王即位) >>馬子、蝦夷、入鹿、という名前は、絶対に替えられているはずだ? (?)であっても絶対といわれる以上明確な根拠が必要です。お示しくだ さいますか? >>朝貢すれば、数倍の贈り物をする国に対して、対等に付き合おうと言う >>国書を出すのは、馬鹿げている。 これも意味が良くわかりません。国益上もっとも有利だと考えれば、二兎 を追うのも一つの外交テクニックではないでしょうか? 中国学者ワン・ジュンシュ(中国社会科学院教授)さんは、隋の弱点を見 透かした聖徳の外交を以下のとおり賞賛しておられます。 *煬帝の立場では「天子」の表現は到底容認しがたい物であるにも拘わら ず、裴世清を答礼派遣したことは、尋常のことではないこと。 *この煬帝の態度は、高句麗攻撃を睨み、新羅・百済から大国と聞き及ん だ倭の支持を取り付けようとしたものであること。(「四夷来朝」等の 虚栄心ではない) *倭国は裴世清を歓迎したが、倭国自身の国威誇示という目的もこめられ ていたこと *煬帝の国書は「倭皇」ではなく「倭王」と表現されていたと考えるが、 基本的には友好的な物であったと思われること。 *聖徳太子は東アジアでの国際的地位を高めるため、先進国である中国に 範を求め、臣を称せず、册封を求めず、日本民族の特色を保持しつつ、 中国文化の吸収に成功したこと。 等です。Awajiもこの基本認識を支持したいと思います。 >>高句麗に苦戦しているからといって、隋が戦争協力の以来を、東夷の国 >>対して行うか? 中国外交の基本は「夷を以って、夷を制す」でしょう? このために上手く「夷」を誑かすのが、中国外交の要諦だとお考え下さい。 高麗が度々中国に反抗し、侵攻すらしている一つの契機は「出兵」の強制 です。外交交渉により、倭国が高麗に出兵していれば、隋は滅亡を免れた かも知れないんですよね。隋の実力はその程度のものです。 >>朝貢する国に対して、中国は、答礼の派遣をするのか。むしろ居丈高に >>指示を出すのではないか? 折角、朝貢してくれ、王朝の権威を高めてくれた国ですよ。逃さないよう に大切に取り扱うのが基本です(それが徳を示すと言う事なのでしょう)。 しかし、緊急やむを得ない時は、出兵要請をする場合もあります(国力が 弱体化した事を見透かされて、殆ど拒否されてしまいますが)。 いくら居丈高になっても、実(軍事)力が伴わねば、せせら笑われるのが 関の山でしょう?それがパワーポリティクスの原理というものです。 (新羅は唐の支援により滅亡を免れ、逆に百済・高麗を滅亡させます。し かし唐が半島の一部直轄領化を求めたのに対し完全と反抗し、戦端をひら きますね。 唐も新羅の抵抗の強さに直轄領化を放棄し、半島統一を認めます。そこに は正統思想などありはしません。 現実外交とは、所詮力と力の対決であり、思想は付け足しに過ぎないので は無いでしょうか?) 游惟さん・・・・・支持者でいらっしゃいますか? 中華思想論を称えておられる方は、未だに自己検証を提示しておられない と思います。 まず、皆さんが指摘しておられる「(王)国」の概念を示しておられませ んね。これでは「(王)国論」になりません。 Awajiは「一定の地域と住民を支配(徴税・労役などの強制)する集団機構 (国9とその支配者(王)であり、金属文明段階においてはその構成員が原 則的に数万以上」だと思います。 これは東アジアであろうと、何処であろうと関係ないもので、ましてや中 華思想などとは全く関係ないものだと思いますが、游惟さんはどの様にお 考えでしょうか。 中国の册封を受けねば国では無いとお考えですか? 3C以降の倭人が中国人としての意識を持っていたとお考えですか? 単なる海賊傭兵が百済・新羅から王子を入質させ、高句麗と覇権を争った とお考えですか? 3C後半以降に中国とは異質の巨大古墳を造営した集団機構とその支配者 を何だとお考えでしょうか? 百済が正統王朝を称したとされる根拠が何処にあるのでしょうか? (明らかに隋・唐の册封国であり、倭国依存国です。) 隋・唐の水軍が中国江南人ではなく倭人で構成されていたとお考えですか ? 聖徳が契丹人であり、天智が百済王族であると言う根拠は何だとお考えで すか? 百済王豊璋が入質していた倭国と百済の関係をどの様に認識しておられま すか? その様な倭国が国家存立の基礎を、百済の後継者であることに求めると思 われますか? 最低でも、これらの問題に説得性のあるご説明が頂ければ、さらに本格的 に本仮説について検証して見ても良いと思います。 Time : 1999/ 7/ 1(木) 22:53:27
Name : はてなマン E-mail : Title : 突厥 Comments: Anonさんに質問です。 突厥人の聖徳太子はどうして日本列島にやってきたのですか? 天智はなぜ、百済の救援から手を引き、近江に立てこもったのですか? 百済の正統を心から信じ、それを確立させるほうほうとしてどうして史書の選定だけしか行わなかったのですか? 一度の敗戦にめげずもう一度抵抗を試みなかったのはなぜなんでしょう? 北九州の防備を固め、近江に遷都する能力があるのなら更にもう一度の戦争をおこし半島に攻めこむこともできたはずではないのでしょうか? なんだか、質問の答をいただくたびにわからなくなるのが私の現状です。 あつかましいお願いなのですが、Anonさんの倭国古代歴史観を邪馬台国から時代を追う形でお教え願えないでしょうか? 私は大筋において記紀の示す内容とおりだと思ってます。 擬制外交と逸年号などに疑問の余地はあるとは思いますが、Awajiさんが示された意見を支持しています。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 00:32:19
Name : Anon E-mail : Title : だむすさんへのres Comments: 中国王朝のご招待がなかった、もしくは 倭国側でも南北どちらに行けばよいのか 判断がつかなかった、そのように想像されます。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 09:15:47
Name : Anon E-mail : Title : Awajiさんへのコメント Comments: 日本古代史において、「徴税、労役」に相当する 概念が成立するのは、まさに律令国家段階です。 つまり、古くとも天智、天武以降のことです。 それ以前の国家は、例えば上宮王国のように 宗教国家的なものこそありますが、基本的に 市場の主催、あるいはプランテーション的に 理解されるべきでしょう。をっと、日本にあった 「秦王国」というのももっと注目されてもいいのでは。 私は聖徳太子が突厥人だとも契丹人だとも考えて いません。上宮王家は北方遊牧民系の渡来人の 出自だろうとは考えています。 天智が百済出身である可能性は、状況証拠しか ありません。しかし、そう考えると、日本古代史が すっきりすると思いますよ。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 09:30:10
Name : Anon E-mail : Title : はてなマンさんへのres Comments: 倭人世界というのは、中国世界の中の東夷 として、中国王朝により認識されることから 始まります。つまり中国側から見ての存在なの であり、実体はありませんでした。 当初の中国王朝側の理解では、倭人とは越人 の傍流であり、東夷へと「堕落」したもの、でした。 戦国時代以降、中国王朝は急激に弱体化し、東夷の 倭人世界の住人は、中国王権を頼ることができなくな っていきます。 そんな中邪馬台国は、魏を後ろ盾に、この倭人世界の王 を名乗ったのですが、魏志東夷伝倭人条の記載は 弱体化した王権を反映したきわめて政治的(大月氏と のバランス)なものです。史実としてはとらえない方が よいと考えます。 倭人世界のどこかに「邪馬台国」なる国(というより 水軍と市場)があって、魏の名の下に倭国王を名 乗り、そこに30余国(水軍と市場、あるいはプランテ ーション)が支持を表明していた、くらいしか推定でき ないでしょう。もちろんこのとき、倭人世界(日本海、 東シナ海周辺あたり)には無数の「国」があったでしょ うし、逃亡中国人の植民都市(例えば秦王国)もあった ことでしょう。 その後、北方遊牧民の侵入と南北朝の国際緊張状態 の中、倭人水軍(と日本列島の交易利権)が軍事外交 上の重要カードとなり、この過程を通して、倭人世界に 倭人としてのアイデンティティが芽生えてきます。 いわゆる「倭の5王」の倭国は、そんな水軍を従えた いわば軍事王権であると考えられ、宋側の取り扱い も、きわめて丁重(政治的に)なものとなっています。 北方遊牧民の侵入の影響は日本列島にもあったと 考えるのが自然で、このとき北方経由で宗教(仏教) が伝えられたのでしょう。この宗教を国家思想とした 国家(仮称上宮王国)が成立しますが、この国は軍人 達により滅ぼされます。 このとき共闘したのが天智(上宮王家内部の百済系 渡来人か?)と別国の王であった天武でしょう。両者は まもなく決裂し、天武が勝利し、天武の国の名前であった 「日本」が、中国史上の「倭国」の後継となったのでしょう。 ちなみに、私は聖徳太子が突厥人であるとは考えませんよ。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 10:05:52
Name : だむす E-mail : Title : Anonさんへ Comments: おはようございます。 しかし、倭の五王は「呉の太伯」という言葉を使い、呉つまり江南地方に親近感?をもっているように思います。 にもかかわらず、朝貢は北朝(北の勢力)にたいして行っています。 という事は、思想より実利という感じがしませんか? Time : 1999/ 7/ 2(金) 10:07:46
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 金融亭丸祐様、拝復 Comments:  揚げ足をとるようになるのはいやなので、あまり言いたくなかったのですが, 残念ながら,記事を良くお読みで無いのは、丸祐様の方です。 小生についての一般論としても誤解されています。  小生は当初から言っていますように,丸祐様と意見は あまり違いが無いと主張しています。その上で, 細かい点について「少し違っていませんか」と問いかけたのであり, 小生を誤解していらっしゃる点が見受けられる(実際そうでした)ので, 個人的な見解を述べて誤解を解こうとしただけです。 それを自分の言いたいことだけをのべていると非難されるのは筋違いでしょう。 それで、小生は揚げ足取り発言は出来るだけ避け,実り有る議論の方に シフトさせようと努力しただけです。  残念ながら,努力は無駄に終わり,こうなっては,何を言っても無駄に なると思いますが,議論の正常化を願いつつ,最小限のコメントだけはしておきます。  小生が恐らく深読みしすぎて,危惧を抱き, JF生>やはり、お考えには少し無理があるように思います。 JF生>「そうあるべきだ、あるいは、あってほしい」と思われる     気持ちは分かりますが というのは言い過ぎの感は確かに有るでしょう。その点は素直に 申し訳ありませんと頭を下げます。しかし,その後の「基準」の 提示を見ても,危惧は外れていませんでした。それは 丸祐>>2)どのように意地悪く考えても、その理論を用いて記述するのが   最も合理的であること。 JF生>と主張なさるお気持ちはわかりますが、不可能なお題目です。 JF生>そのような基準に耐えうるものはないでしょう。 のやり取りで証明されています。 JF生>小生の文章を良くお読みになれば、すぐわかることですが、 丸祐>>検証が不十分 JF生>だとは、小生は言っていません。当時は信頼に足ることだったのです。 上記の件に関する原文(6/28、JF生さんの意見)は、以下の通りです。 JF生>そのニュートン力学はといえば、初期段階では月の軌道で検証を受けて不合格とされ、    >原因を解明するのに50年以上かかりました。(その間でも支持は揺るぎません。)    >また天王星の軌道のずれのかなり正確な測定からも、反証されかかったことがありました。    >明らかにデータと食い違い、当時はほぼ完璧に間違いだという科学的な検証で、    >反論の余地はありませんでした。 注意深く於読みいただければ分かることですし,小生の全体的な意見の文脈からして, これで「検証不充分」と指摘しているとお読みになるのは間違いです。 各段階で,確かに検証されたと判断しているのです。各時点で,暫定的に (棄却)仮説は成立していると述べ、「それでも仮説は棄却されずに生き延びた」という 趣旨の文章ですので,誤解をうけるはずはないのですが・・・ またそれは、 >ここでは「意地悪くて頭の悪い人」とか「意地悪くて聞く耳を持たない人」までも >同意させることは想定していません。(そんなことは当然不可能です) >少なくとも、問題点を正確に把握している人、例えば分子論の論争における >マッハのような反対論者をも納得させることが出来た状況を意味したつもりです。 とおっしゃる基準から観て,論外の検証なのでしょうか?  ゲーデルの不完全性定理については,すでに述べた意味以上でも以下でもありません。 この定理は,かの天才フォン・ノイマンがレフェリーしたからこそ世に出た結果だと 言われています。それほど専門家にとっても信じがたい結果でしたし、証明は 複雑なものでした。しかし、この定理はお断りしたように純粋に論理学上の問題です。 したがって,具体例というのは,当然論理学上の問題ですね? もし物理学上の問題を挙げよというのであれば, 恐らく丸祐様は「単に未解決なだけ」と反論なさって,水掛け論になるでしょう。 (量子力学におけるS行列の存在問題・ユニタリ性の問題,Haagの定理との 整合性など挙げられますが,そんな例をここで挙げて役に立つでしょうか? それよりも、このHPに全くそぐわない話になってしまいますし, そんなことは問題にしたいとは思いません。)  乱暴に論理的な例を挙げるならば,パラドクスに似ているといったところでしょう。   「この括弧内の文章は間違っています」 の真偽判定は不可能です。ふざけた例で申し訳ありませんが,このような事例に 正面からまじめに取り組んで,論理の不完全性を指摘したものだと言えます。 また、最後のご意見も >これが何で「信頼度が低くない」という意味になるのでしょうか? >どちらとも言ってないのですから。 よくお読みいただければ,小生はほかの可能性も否定していません。 >>何に強く反論されているのか,判断に苦しみます。 と申し上げているのが結論で, >>逆に質問したいのですが と断った上で,質問しているのです。それまでは,質問に対して意図と違った 答えが返ってこないようにするための説明に過ぎません。 そう読めるはずですが・・・  以上のように,冷静にお読みいただければ,普通に議論できる問題だと思います。 もっと突っ込みたい発言もあるのですが、議論が正常になることを願って, 今回は目をつぶります。 小生に対する誤解は一応解いたつもりですが,いかがでしょう。 なお、まだしばらく時間は有りますが,おそらくお返事をいただいても 週明けにしかレスできないと思いますので,ご承知ください Time : 1999/ 7/ 2(金) 10:23:58
Name : 游惟 E-mail : kanpon@ops.dti.ne.jp Title : Awajiさん、Anonさんへ Anonさん説の自己流解釈 Comments: 初めにおことわりしておきますが私は基本的に社会学徒です。したがって前の文で述べたように歴史学の方とは 異なる「史観」を持ち、社会学的観点から仮説をたてます。史料解釈の細かいことはわかりませんし、それ自体 にあまり興味ありません。それは歴史学の方にお任せします。 社会学徒としてAnonさんの仮説に魅力を感じるのは、 「高度の文明を持って文明度の低い社会を植民地化した支配者達は、原住民を教化しようとすることはあっても、 よほどのことがない限り自ら進んで文明度の低い原住民と同化しようとすることはあり得ない」という社会学的 テーゼからです。 中南米諸国、南アフリカ、インド、インドネシア、オーストラリアなどを支配している、あるいは支配していた 白人達は何世代・何百年にも亘ってそこに住んでいたとしても、自らを文明度の低い原住民の子孫たちと同一視 することなどあり得ません。 南アフリカを例に取れば、支配者たるオランダ系の白人達は300年もそこに住んでおり、客観的にみればもはや 「アフリカ人」です。しかし彼ら自身は主観的には依然として「ヨーロッパ人」であり、自らを支配下の黒人達 と同じものだなどとは全く考えておらず、つい最近までアパルトヘイト政策で彼らを奴隷に近い状態においてい たのです。 それと同じく、白村江敗戦以前の「倭」を支配していた漢人あるいは韓人の子孫達は、客観的に見れば何世代に も亘ってそこに住んでいる「倭人」ですが、主観的に見れば依然として自分たちを「漢人」ないし「韓人」と規 定し、原住民たる倭人とみずからを完全に区別していたはずです。 つまり、中国に使いを送ったり、朝鮮半島の紛争に介入していた植民地支配者たる「倭人」と彼らに支配されて いた原住民たる「倭人」とは別物なのです。そして前者は主観的にも文化的にも「漢人」ないし「韓人」なので あり、中華文明を尊び、中華思想に支配されているのが当然なのです。南アフリカの白人達が主観的に文化的に はヨーロッパ人であり、ヨーロッパ文明を尊び、キリスト教思想に支配されているのと同じです。 詳しいことは誰にもわかりませんが原住民たる倭人(弥生人)は決して同質のものではなかったはずです。その 後日本語が共通語になったことから見て沖縄と同じ日本祖語を話す南方系の部族が一番多かったと思われますが、 その他にずっと以前から住んでいたアイヌ祖語を話す縄文人系の部族、ずっと古い時代に中国から移住してきた 中国祖語を話す部族、比較的新しい時代に入ってきた朝鮮祖語を話す朝鮮族系の部族など、文化や言語を異にし 文明程度も異なる様々な部族が混在し、時には交易し時には戦争し、という状態だったと思われます。 ただ確実に言えることは、同じ日本列島に住んでおり、人種的文化的には近い部族だからといって、部族が異な れば赤の他人であり、異なる部族間で「自分たちは同じ倭人だ」などという連帯意識は全くなかったいうことで す。それはフィリピンのルソン島に住む原住民がミンダナオ島に住む原住民と「同じフィリピン人だ」などとい う連帯意識がないのと同じです。つまり同じ日本列島(倭)、同じフィリピン群島に住んでいるから、外部から 便宜的に「倭人」「フィリピン人」と呼ばれるだけであり、彼ら自身のアイデンティティとは無関係なのです。 そうした混沌とした状態にあった日本列島に、紀元前後に朝鮮半島から高度な文明を持つ漢人(韓人)達が入っ てきて、文明度の低かった原住民の諸部族を服属させ、「国」らしいものを築き、さらにそれらの「国」同士が 覇権を争って次第に拡大していったのでしょう。 しかし、どんなに国が大きくなり、何世代も倭に住んでいるがゆえに中国や朝鮮から「倭人」と呼ばれていたと しても、植民地支配者たる「倭人」は主観的には依然として「漢人」ないし「韓人」です。(これからはめんど くさいから単に「漢人」にします)。 植民統治の常道として、支配者たる「漢人」たちは支配下部族の上層部には「漢人待遇」を与えて懐柔し、また 彼らも積極的に漢人文化に同化しようとしたでしょうが、民衆は主観的には依然として「○○部族人」「××部 族人」としかみずからを規定していなかったでしょう。また支配者たる「漢人」にすれば支配下の諸部族が「同 じ倭人」という意識を持ち「反漢人」で結束なんかされたらこまるので、そんな意識を持たないように離間策を とったはずです。 倭の五王の河内王朝と天智の王朝は別系統の王朝だというのが定説のようですが、いずれにせよ別系統の漢人政 権間での覇権あらそいであって、原住民たる倭人諸部族はどちらの漢人につくかだけの問題だったでしょう。 このようにこのように考えれば、古代の支配層たる「倭人」達の目が常に国内よりも大陸に向いていたのは当然 のことでしょう。南アフリカの白人達が国内の黒人などは歯牙にもかけずその目がヨーロッパ情勢の方に注がれ ていたのと同じように。 ところが天智朝の時に、親縁関係にある漢人が支配していた百済が滅亡してしまったことによって、「漢人」達 は日本列島に取り残されてしまった。唐や新羅が攻めてくる可能性もあり、また次第に文明化されて力を付けて きた原住民たる倭人諸部族が団結して反乱を起こさないとも限らず、そうなった場合誰も助けにきてはくれない。 そこで苦渋の末発想を大転換して、みずから「漢人」であることやめて「倭人」になりこれまで歯牙にもかけて こなかった原住民たる倭人諸部族を積極的に文明化し国民化して、倭国として独自の道を歩もう、と考えたわけ です。そこで倭人諸部族と自分たちが一体化するための神話を捏造し「倭人アイデンティティー」を醸成しよう としたのです。そして今日我々が抱いている「日本人」という概念はこのときにはじまったのです。 ちょうど台湾において中国大陸から渡ってきた国民党政権が「大陸反攻」政策を放棄し、みずからを「台湾人」 と規定し、元から台湾に住んでいた本省人や異民族の高砂族とを国民として独立するようなものだと思えばいい でしょう。 Anonさんがおっしゃっりたいのは以上のようなことでしょう。細部は色々問題があるでしょうが。そして社 会学的、文化人類学的に考えれば、これは実に妥当な仮説です。 そんなものは歴史ではなくおまえの想像の産物に過ぎない、というのはご自由ですが。 少なくともこれを読めばAnonさんが何を言っているのかはおわかりになると思います。違いますでしょうか、 Anonさん。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 10:30:17
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさん、Anonさんへ Anonさん説の自己流解釈 Comments: (管理人さん、お願いですから自動改行機能を付けてください。) 内容は下と全く同じです 初めにおことわりしておきますが私は基本的に社会学徒です。したがって前の文で述べ たように歴史学の方とは異なる「史観」を持ち、社会学的観点から仮説をたてます。史 料解釈の細かいことはわかりませんし、それ自体にあまり興味ありません。それは歴史 学の方にお任せします。 社会学徒としてAnonさんの仮説に魅力を感じるのは、 「高度の文明を持って文明度の低い社会を植民地化した支配者達は、原住民を教化しよ うとすることはあっても、よほどのことがない限り自ら進んで文明度の低い原住民と同 化しようとすることはあり得ない」という社会学的テーゼからです。 中南米諸国、南アフリカ、インド、インドネシア、オーストラリアなどを支配している、 あるいは支配していた白人達は何世代・何百年にも亘ってそこに住んでいたとしても、 自らを文明度の低い原住民の子孫たちと同一視することなどあり得ません。 アフリカを例に取れば、支配者たるオランダ系の白人達は300年もそこに住んでおり、 客観的にみればもはや「アフリカ人」です。しかし彼ら自身は主観的には依然として「ヨ ーロッパ人」であり、自らを支配下の黒人達と同じものだなどとは全く考えておらず、 つい最近までアパルトヘイト政策で彼らを奴隷に近い状態においていたのです。 それと同じく、白村江敗戦以前の「倭」を支配していた漢人あるいは韓人の子孫達は、 客観的に見れば何世代にも亘ってそこに住んでいる「倭人」ですが、主観的に見れば依 然として自分たちを「漢人」ないし「韓人」と規定し、原住民たる倭人とみずからを完 全に区別していたはずです。 つまり、中国に使いを送ったり、朝鮮半島の紛争に介入していた植民地支配者たる「倭 人」と彼らに支配されていた原住民たる「倭人」とは別物なのです。そして前者は主観 的にも文化的にも「漢人」ないし「韓人」なのであり、中華文明を尊び、中華思想に支 配されているのが当然なのです。南アフリカの白人達が主観的に文化的にはヨーロッパ 人であり、ヨーロッパ文明を尊び、キリスト教思想に支配されているのと同じです。 詳しいことは誰にもわかりませんが原住民たる倭人(弥生人)は決して同質のものでは なかったはずです。その後日本語が共通語になったことから見て沖縄と同じ日本祖語を 話す南方系の部族が一番多かったと思われますが、その他にずっと以前から住んでいた アイヌ祖語を話す縄文人系の部族、ずっと古い時代に中国から移住してきた中国祖語を 話す部族、比較的新しい時代に入ってきた朝鮮祖語を話す朝鮮族系の部族など、文化や 言語を異にし文明程度も異なる様々な部族が混在し、時には交易し時には戦争し、とい う状態だったと思われます。 ただ確実に言えることは、同じ日本列島に住んでおり、人種的文化的には近い部族だか らといって、部族が異なれば赤の他人であり、異なる部族間で「自分たちは同じ倭人だ」 などという連帯意識は全くなかったいうことです。それはフィリピンのルソン島に住む 原住民がミンダナオ島に住む原住民と「同じフィリピン人だ」などという連帯意識がな いのと同じです。つまり同じ日本列島(倭)、同じフィリピン群島に住んでいるから、外 部から便宜的に「倭人」「フィリピン人」と呼ばれるだけであり、彼ら自身のアイデンテ ィティとは無関係なのです。 そうした混沌とした状態にあった日本列島に、紀元前後に朝鮮半島から高度な文明を持 つ漢人(韓人)達が入ってきて、文明度の低かった原住民の諸部族を服属させ、「国」ら しいものを築き、さらにそれらの「国」同士が覇権を争って次第に拡大していったので しょう。 しかし、どんなに国が大きくなり、何世代も倭に住んでいるがゆえに中国や朝鮮から「倭 人」と呼ばれていたとしても、植民地支配者たる「倭人」は主観的には依然として「漢 人」ないし「韓人」です。(これからはめんどくさいから単に「漢人」にします)。 植民統治の常道として、支配者たる「漢人」たちは支配下部族の上層部には「漢人待遇」 を与えて懐柔し、また彼らも積極的に漢人文化に同化しようとしたでしょうが、民衆は 主観的には依然として「○○部族人」「××部族人」としかみずからを規定していなかっ たでしょう。また支配者たる「漢人」にすれば支配下の諸部族が「同じ倭人」という意 識を持ち「反漢人」で結束なんかされたらこまるので、そんな意識を持たないように離 間策をとったはずです。 倭の五王の河内王朝と天智の王朝は別系統の王朝だというのが定説のようですが、いず れにせよ別系統の漢人政権間での覇権あらそいであって、原住民たる倭人諸部族はどち らの漢人につくかだけの問題だったでしょう。 このようにこのように考えれば、古代の支配層たる「倭人」達の目が常に国内よりも大 陸に向いていたのは当然のことでしょう。南アフリカの白人達が国内の黒人などは歯牙 にもかけずその目がヨーロッパ情勢の方に注がれていたのと同じように。 ところが天智朝の時に、親縁関係にある漢人が支配していた百済が滅亡してしまったこ とによって、「漢人」達は日本列島に取り残されてしまった。唐や新羅が攻めてくる可能 性もあり、また次第に文明化されて力を付けてきた原住民たる倭人諸部族が団結して反 乱を起こさないとも限らず、そうなった場合誰も助けにきてはくれない。 そこで苦渋の末発想を大転換して、みずから「漢人」であることやめて「倭人」になり これまで歯牙にもかけてこなかった原住民たる倭人諸部族を積極的に文明化し国民化し て、倭国として独自の道を歩もう、と考えたわけです。そこで倭人諸部族と自分たちが 一体化するための神話を捏造し「倭人アイデンティティー」を醸成しようとしたのです。 そして今日我々が抱いている「日本人」という概念はこのときにはじまったのです。 ちょうど台湾において中国大陸から渡ってきた国民党政権が「大陸反攻」政策を放棄し、 みずからを「台湾人」と規定し、元から台湾に住んでいた本省人や異民族の高砂族とを 国民として独立するようなものだと思えばいいでしょう。 Anonさんがおっしゃっりたいのは以上のようなことでしょう。細部は色々問題があ るでしょうが。そして社会学的、文化人類学的に考えれば、これは実に妥当な仮説です。 そんなものは歴史ではなくおまえの想像の産物に過ぎない、というのはご自由ですが。 少なくともこれを読めばAnonさんが何を言っているのかはおわかりになると思いま す。違いますでしょうか、Anonさん。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 10:37:08
Name : はてなマン E-mail : Title : Anonさん、ありがとうこざいました。また質問です。すいません。 Comments: >中国世界の中の東夷として、中国王朝により認識 この部分がよくわかりません。 自然発生的に国家の機能をそなえた集団というのは存在しえないのでしょうか? 先日縄文遺跡から稲作の跡とみられる遺溝が発見されています。 倭の固有文化は考えないという事でしょうか? Time : 1999/ 7/ 2(金) 13:35:20
Name : きんたろう E-mail : Title : 割り込みですみません Comments: 游惟さん、はじめまして。 こんにちは。 割り込みの感想で失礼します。 >「高度の文明を持って文明度の低い社会を植民地化した支配者達は、原住民を 教化しようとすることはあっても、よほどのことがない限り自ら進んで文明度の 低い原住民と同化しようとすることはあり得ない」という社会学的テーゼから です。 これは果たして本当に妥当なのでしょうか? わたしは少し疑問に思っています。 確かに言われているとおり人間はアイデンティティーから逃れることはできない 可能性は高い思います。 しかし、その根元を高度な文明だけに求めるのはどうなのでしょうか? 三つ子の魂百までもと言われているように、環境に対応する能力に大きく左右され るように思います。 例えばかつてアメリカへ渡った日本人は数的にもマイノリティーであがゆえに同化 しようとかなりの努力をしたと言われています。(英語の習得など) しかし、近年の日本人はかなりブロークンな英語のままでも平気なような気が します。 これは日本人ばかりではなく、例えばヒスパニックと呼ばれている中南米からの アメリカ合衆国への移民者?が英語を話すことができないことが社会問題化して いたように記憶しています。 韓国人も同様だったと思います。 ハングル文字で書かれた名前では向こうの郵便屋さんが困っているといった記事も ありました。 人間は保守的な動物であると思います。 自ら社会環境に合わせる必要がなければ人間は努力してまで合わせることはしない のではないでしょうか。 その根本となる要因は「多数か少数か」と言ったもっと単純な原因に由るのでは ないかと思っています。 日本人は人種のるつぼのように思います。 しかし、言語から推測すれば明らかに南方系が支配的であることは間違いのない ところだと思います。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 13:44:47
Name : Anon E-mail : Title : 游惟さんへのres Comments: 私の拙い発言をご理解いただき、ありがとう ございます。大枠、私の考えるところと一致して いると思います。 しいて付け加えることがあるとすれば、言語で しょうか。これも同様のご考察で、天智朝において、 日本語も創作されたと考えることができます。 倭国の支配者集団は中国語(というものはないので すが・・・)を使っていたはずです。その中国語を放棄 しようとしたとき、被支配者である倭人との間で形成 されていたピジン・クリオールを雛形に実用に耐える 言語を作り上げようとしたことでしょう。 その日本語創作過程が和歌の表記の変遷という形で 名残をとどめています。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 13:49:46
Name : Anon E-mail : Title : はてなマンさんへのres Comments: 現代人は、「自然」があるという確信を 持ちがちですが、「自然」という概念は 近代以降に発明されたものです。 「自然発生」という概念措定事態が、既に ある思いこみ(誤りと強く表記した方がよい でしょうか)を内包しています。それは、 現代人が考える日本という枠組みが、源初 から存在しているという思いこみです。 現代人というのは、歴史上で最も特異というか 奇異な人類です。古代に、現代的な概念(例え ば自然)は適用できません。 それから、日本列島で稲作を行っていたのは、 実際には中国人でしょう。労働者は倭人だった でしょうが。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 13:58:08
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「人種同化」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。チョット休憩時間です。 貴方は社会学徒ですか、Awajiはビジネスマンです。 しかしながら、以下の命題とそれを前提とした歴史解釈には恐れ入ってしまい ました。 「高度の文明を持って文明度の低い社会を植民地化した支配者達は、原住民を 教化しようとすることはあっても、よほどのことがない限り自ら進んで文明度 の低い原住民と同化しようとすることはあり得ない」 ここに言う「高度の文明」「植民地化」にも多少のヒッカカリを覚えますが、 この様なほぼキリスト教社会の、北ヨーロッパ人の、近代社会成立後の特殊な テーゼを普遍的に持ちこむこと自体が信じられない発想です。 因みに貴方のテーゼでは「文明度の高い?社会を植民地化した支配者達は」どう なるのでしょうか? (例えば・・・金=宋、元=宋、清=明、ゲルマン=ローマン、モンゴル=スラ ブ、スラブ=ポーリッシュ、マケドニアン=エヂプシャン) 「同一地域に居住する諸民族(人種)は時間の経過と共に混血融合し、夫々の 文化を継承しつつ、新たな民族・文化を形成する。しかしながら特殊な条件の もとにおいては、非常に長期の時間経過を要することがある。特に外見的特徴 が著しく異なる場合には、その混血融和には困難を伴うことが多い」 Awajiは以上のとおり理解しています。ここで問題としているアジア人について は、外見上の特徴が殆ど同一であるため混血融和は非常に速やかに行われたと 思いますし、南欧系ヨーロッパ人においても現実に生じつつある現象だと思いま す。 中国人から見た倭人は・・・・以下のとおりほぼ同質の存在なのです。  男子無大小皆黥面文身自古以來其使詣中國皆自稱大夫夏后少康之子封於會 稽斷髮文身以避蛟龍之害今倭水人好沈(*3)没捕魚蛤文身亦以厭大魚水禽後稍 以爲飾諸國文身各異或左或右或大或小尊卑有差計其道里當在會稽東治之東  其風俗不淫男子皆露{糸介}以木緜招頭其衣横幅但結束相連略無縫婦人被 髮屈{糸介}作衣如單被穿其中央貫頭衣之種禾稻紵麻蠶桑緝績出細紵{糸兼} 緜其地無牛馬虎豹羊鵲兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐡鏃或骨鏃所有無與 擔(*6)耳朱崖同  倭地温暖冬夏食生菜皆徒跣有屋室父母兄弟臥(*7)息異處以朱丹塗其身體如 中國用粉也食飲用邊(*8)豆手食其死有棺無槨封土作冢始死停喪十餘日當時不 食肉喪主哭泣他人就歌舞飲酒巳葬擧家詣水中澡浴以如練沐其行來渡海詣中國 恒使一人不梳頭不去{虫幾}蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人名之爲持衰若 行者吉善共顧其生口財物若有疾病遭暴害便欲殺之謂其持衰不謹  出真珠青玉其山有丹其木有{木冉}杼豫樟{木柔}櫪投橿烏號楓香其竹篠 幹(*9)桃支有薑橘椒襄(*10) 荷不知以爲滋味有爾(*11) 猴黒雉  其俗擧事行來有所云爲輒灼骨而卜以占吉凶先告所卜其辭如令龜法視火タク(* 12)占兆  其會同坐起父子男女無別人性嗜酒〔魏略曰其俗不知正歳四節但計春耕秋收 爲年紀(*13) 〕見大人所敬但搏手以當跪拜其人壽考或百年或八九十年其俗國 大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不淫不妬忌不盜竊少諍訟其犯法輕者没其妻子 重者没其門戸及宗族尊卑各有差序足相臣服收租賦有邸閣國國有市交易有無使 大倭監之  自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史王遣使 詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯  下戸與大人相逢道路逡巡入草傳辭説(*14) 事或蹲或跪兩手據地爲之恭敬對 應聲曰噫比如然諾 勿論、都合の悪い史料は全て曲筆だと仰る方には、無意味な史料ですが。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 14:09:44
Name : Anon E-mail : Title : だむすさんへのres Comments: resがドロップしてしまいました。 宋は南朝です。 倭武の上表文は、政治的(軍事的) 内容であるということに注意する必要が あります。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 15:58:48
Name : はてなマン E-mail : Title : Anonさんへ Comments: 早速のお返事ありがとうこざいます。 私がききたかったのは、「国家概念」の話ではなく、現実問題を解決するなかで「国家機能」 が生まれる事はないのですか?という事です。 国土統一の概念ではありません。 概念なき、国家機能という事です。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 16:01:35
Name : Anon E-mail : Title : はてなマンさんへのres Comments: 「現実問題を解決する」という設問が既に 現代です。例えば古代人の心性を推定すれば ほとんどの「現実問題」は宗教問題に相当し ます。 この「宗教」という言葉もやっかいというか、ひどく 誤解されていますが、議論を端折ってしまえば、 「国家機能」なるものと「国家概念」なるものが あるとして、両者は不可分です。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 16:36:13
Name : はてなマン E-mail : Title : そこまで Comments: 「不可分」ということは、概念・思想をもたないで国家機能を有する集団は存在しない と理解してよろしいですか? Time : 1999/ 7/ 2(金) 16:42:37
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさん、Anonさんへレス Comments: Awajiさんへ ●文明には明確に高低があります。裸で棍棒を振り回して戦うしかない部族と、鉄製鎧に 身を固め乗馬して槍や弓矢で戦う部族では後者の方が明らかに高い文明にあります。 「文明」というのは、弓矢よりは鉄砲が優れ、鉄砲よりは機関銃が優れ、馬よりは自動車 が優れ、というように個々に比較できる項目の総体です。だから項目よっては逆転する場 合もあるし、A族にはあってもB族にはないという項目もあります。こういった比較可能 な項目をすべて比較してA族の方がB族よりも優れた項目が多い場合、A族の方が高い文 明にあると表現します。社会学や人類学では「文化」(culture)には優劣をつけませんが、 「文明」(civilization)には優劣を付けます。 ●文明度の低い民族(部族)が文明度の高い部族を支配下においた場合は、支配者の方が 支配民族の文明を吸収して文明化されるだけです。女真人も蒙古人も満州人も漢民族を支 配することによって文明化されました。 私のテーゼをよくお読みになってください。私は必ず文明の高い方が低い方を征服するな んて言ってないでしょう?「高い方が低い方を植民地化した場合は」という話をしている だけです。 文明は高い方から低い方に流れるのが鉄則です。文明の低い方は高い方の民族を皆殺しに して文明そのものを抹殺してしまうことはできても、低い方の文明に従わせることはでき ません。せいぜい清が漢人に弁髪を強要したように、一部の項目を押しつけることができ るだけです。 ●「植民地化」が特殊近代的概念だとおっしゃるなら「相対的に高度な文明を持つ民族に よる低度文明原住民の服属化あるいは隷属化あるいは奴隷化」と言い変えます。 ●>「同一地域に居住する諸民族(人種)は時間の経過と共に混血融合し、夫々の文化を 継承しつつ、新たな民族・文化を形成する。しかしながら特殊な条件のもとにおいては、 非常に長期の時間経過を要することがある。特に外見的特徴が著しく異なる場合には、そ の混血融和には困難を伴うことが多い」 Awajiは以上のとおり理解しています。ここで問題としているアジア人については、外見 上の特徴が殆ど同一であるため混血融和は非常に速やかに行われたと思いますし、南欧系 ヨーロッパ人においても現実に生じつつある現象だと思います。 確かに日本列島においては諸民族の融和は比較的速やかに行われたと思います。 但しそれは外見上の問題というより、明らかにみずからの文明が支配民族に劣っていると 自覚した原住民達が率先してそれに同化しようとしたからです。天智朝の頃には原住民も かなり文明化されていたと思います。そして天智朝の「日本民族形成政策」によってさら にそれは加速されたでしょう。 近現代に於いてはニュージーランドが原住民マオリ族の同化に成功しましたが、これもマ オリ族が積極的に白人文明に同化し、また政府がそれを奨励したからです。 但し同程度の文明を持ち、政治的に独立している民族同士が平和理に融合した例なんて、 私が知る限り一つもありません。一方が一方を征服し、それが長期に亘った場合のみ可能 です。しかしイギリスに征服されて300年たった北アイルランドで今だに民族紛争が絶え ないのをみれば民族問題がいかに解決困難な問題なのかおわかりでしょう。 せいぜい連邦として共棲する場合や、アメリカやブラジルのように近代になってからの成 立した移民国家が比較的問題が少ないぐらいです。 国境を越えた結婚が増えることと政治的に統合された新しい民族ができあがることとは別 問題です。いまEUがその実験をしていますが、30世代ぐらいたてば成功するかも知れま せん。但しこれこそまさに特殊近代的現象であって、前近代社会においてはそんな例はあ りません。 ●私は社会学的な「仮説」を述べているだけであって、仮説の不明な点にはお答えします が、史料による検証は歴史学の方にお任せします。私には史料は読めませんし、読めたと しても他の史料に関する知識がないので論評できません。 AwajiさんがAnonさんにどういう感情をいだいていらしゃるかしりませんが、私にまで八つ 当たりするのはやめてください。私は純粋に学問の話をしているだけですから。 Anonさんへ 私もこの仮説では「言語」が一番問題になると思います。 「韓人」達がしゃべっていたのが中国語か朝鮮語かという問題と、原住民達の間でどの時 期にどんな言語が優勢であったかという問題もあります。 ただ、天智朝が日本語を制作したというよりも、その頃には日本語がほぼ共通語になって いたという事実があり、天智朝がそれを共通語として正式に採用したのではないでしょう か。正書法などを定めたということはあるかも知れませんが、口頭言語を人為的に制作し 普及するというのはテレビも学校もない時代にはかなり困難です。 ところで、少々苦情を言わせていただきますと それがご趣味なのかも知れませんが、そろそろ途中を飛ばして結論だけ言う「春秋の筆法」 とメタ言語ばかり用いるのはおやめになりませんか? せっかくの面白い仮説が理解してもらえないばかりか多くの人の感情的な反発を生み、お かげで私のような純粋学問的支持者まで感情的反発を受けて苦労するんです。もういやで すよ。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 18:59:51
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「倭人の形成」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。これで終わります。 「相対的に高度な文明を持つ民族による低度文明原住民の服属化あるいは 隷属化あるいは奴隷化した支配者達は、原住民を教化しようとすることは あっても、よほどのことがない限り自ら進んで文明度の低い原住民と同化 しようとすることはあり得ない。 相対的に低度な文明を持つ民族による高度文明原住民の服属化あるいは隷 属化あるいは奴隷化した支配者達は、自ら進んで文明度の低い原住民と同 化しようとする。」 と言うことですね。 1.Awajiはやはり「弓矢と鉄砲」の様な文明の格差(近代植民地時代)が ある場合に於いてのみ成立するテーゼだと思います。 ヒッタイトとエジプト、マケドニアとペルシャ、マケドニアとエジプト (プトレマイオス王朝)、ローマとカルタゴ、ローマとイスラエル、東 ローマとイスラム・・・の間で文明の高低が判定できるとは思いません。 2.中国人と日本列島原住民との間に、かなりな「文明」の差があったこ とは認めます。ただし日本列島内で両者が戦ったことがあるか、戦った とした場合、どちらが勝者となったかは不明です。 (当然ながら、文明の高低と軍事力の強弱は異なります。) 3、弥生時代の日本列島内の大乱は明らかに同程度の文明を持った集団同士 の戦闘です(戦死者の矢傷等で判断できます)。 Awajiは中国人と日本列島原住民の戦闘(中国人の侵略)は殆ど無かった と判断しています。 3.従って、中国人が日本列島の原住民を、支配者として服属化あるいは 隷属化あるいは奴隷化したした歴史的事実があるかどうかを問題にして いるのです。 その事実はおそらく無かった・・・これが混血融和論なのです。 (なお、ここで中国人と言うのは黄河流域の麦作華人ではなく、華人に 圧迫された主として揚子江流域の米作江南人と考えています。) 4.ほぼ混血融和が完了し、概ね倭人としての一体感が生じたのは、紀元 前後(弥生後期)だと思います。その後は東北地方、山岳地帯を除き、 倭人社会としての国家形成発展があったと考えています。 江上さんの5C騎馬民族王朝説は、現時点では完全に破綻した過去の仮 説です。 ましてそれ以降に、倭国に対する異民族の攻撃的移住があったとは考え られません。 以上がAwajiの純学問的な歴史学上の認識(仮説)です。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 22:19:56
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音とミス訂正 Comments: Awajiです。ミスを訂正します。 自ら進んで文明度の低い原住民と同化しようとする。」 ↓ 自ら進んで文明度の高い原住民と同化しようとする。」 でした。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 22:28:23
Name : 游惟 E-mail : Title : きんたろうさんへ Comments: きんたろうさんへ ご感想ありがとうございます。 ただ、私が言ってるのは異文化の中に住む個人のアイデンティティの問題ではなく、高度の文明を持って 文明度の低い社会を植民地化した支配者達が原住民達と進んで同化しようとする例は極めてまれである、という事実です。 裸で暮らす民族を征服した着衣民族が、服を捨ててみずから裸で暮らすようになったとか、銃と大砲で弓 矢民族を征服した民族が、それ以後は弓矢で戦うようになったなんてことは歴史上ただの一度もありません。 文明は高きから低きに流れる・・・これは自然法則に近いくらい確実です。 征服後に支配民族が原住民をどう扱うかは三つのパターンが考えられます。 @奴隷にする。 A従来の現地人の統治機構を温存し、支配層を懐柔して間接統治する。 B原住民を文明化し同化させる。 @は支配者が多数で被支配者が少数の場合には可能でしょう。 Aは支配者が少数の場合によく用いられ、最も有効な統治方法でしょう。 Bは植民地が独立した場合によく行われますが、完全な同化に至るまでには時間がかかります。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 23:09:10
Name : XXXX E-mail : Title : 休憩 Comments: Anonさま、わかりやすい言葉を使うようになってくれましたね。 私ごときのくだらん言葉を聞いていただき、ありがとう。 先日は、済みませんでした。 だむすさま ごちゅうこく、かたじけない。私は前に、不毛の論議で疲れ果てたものです。 貴殿は私のようにならぬよう、がんばってください。 アトムボーイ1さま 貴殿のおっしゃったことが飲み込めません。 >>拙者と紛らわしい言い方はやめていただければ幸いである。 これはなんのことでしょう。 それから、貴殿に対して「お前もな」といったのは私ではない。ご理解願いたし。 それと、私はあきんど2さんでもない。彼の名は5文字であり、私は4文字である。 ともあれ、不快な発言をしたことを皆様におわびいたそう。 Time : 1999/ 7/ 2(金) 23:30:59
Name : だむす E-mail : Title : Anonさんの仮説について Comments: みなさんこんにちは。 Anonさんの仮説についてのここまでの感想です。 だんだんと内容が理解できてきましたが、邪馬台国時代から天智の時代まで凡そ500年の間に進歩らしい進歩が見えないです。 この間、考古学的には、弥生、古墳、飛鳥という時代か゛過ぎています。 確かに、ある一時期を境に自然に発達したというよりも極端な変化が見られるとは思います。 という事は、文明の極端な変化の時期に大量の移民などがあったと推測できると思います。 そして、この変化はアジア情勢の混乱とも符号しているような気もします。 しかし、この段階的な変化は、アジア情勢の影響は認められるにせよ、あくまで文化の中心にいたのは、渡来人ではなく原住民つまり弥生人だと思います。 大軍での移住という痕跡が認められないからです。 渡来してきた集団が文明の高さだけではなく、一度に上陸してきた人数も圧倒的な数であるという証明ができなくては賛同は致しかねます。 XXXXさん、ご理解ありがとうございます。もう少しがんばってみます。 Time : 1999/ 7/ 3(土) 02:29:36
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「アジアにおける民族同化」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。 終わりますと言いながら申し訳ないのですが、どう考えても分からないの で教えて下さい。 日本が朝鮮(韓国)・台湾を侵略支配したケースですが、この場合はどち らが相対的に高度な文明を持っていたとお考えですか? 仮に数百年間にわたり、支配関係が継続した場合は、どちらがどのように 同化したのか、或いは同化しなかったのか・・・純学問的観点から見て、 どのように想定されますか? 仮定のケースはお答えになり難いですか?(純学問的には可能ですね) それでは過去の実例について・・・ 日本の琉球支配については、同民族と考えた方が良いのかも知れませんが (琉球の人達は、当時どう考えたでしょうか?)、どの様に理解すべきも のなのでしょうか? 最後に新羅と百済・高句麗の関係ですが、この場合は相対的な文明の高低 は、どの様に理解されていますか? そして676年の新羅統一から、242年後の高麗建国にかけては、どちらがど のように同化したのか、同化しなかったのか・・・飽くまでも純学問的観 点からお教えいただけますか? Awajiはヨーロッパ人による「原住民マオリ族の同化」等というものよりも 遥かに重要なケースだと思うのですが? Time : 1999/ 7/ 3(土) 08:19:29
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ 昨夜のレスに対する返信 Comments: これは昨日のよるのレスに対する返信で、まだ途中ですが、今日のレスに対する答も含ま れると思いますので、とりあえずお送りします @相対的に低度な文明を持つ民族による高度文明原住民の服属化あるいは隷属化あるいは 奴隷化した支配者達は、自ら進んで文明度の高い原住民と同化しようとする。」と言うこ とですね。 原住民の持っている高度な文明が支配者達に取り入れられることは確実です。例えば支配 した民族が自分たちより優れた武器や戦法を持っていればそれを取り入れるでしょう。文 明を構成する各項目はポータブルなものですから。 ただ民族として同化しようとするか否かは支配者側の意志によるでしょう。 詳しいことはAwajiさんの方がご存じでしょうが、北魏や隋を建国した鮮卑族は中国人に なろうとしたようですが、満州族の清は逆にアイデンティティーを示すために弁髪を漢民 族に強制しました。 ただみずからの方が高度文明を持つ支配者が、みずからよりも劣る原住民と積極的に同化 しようとするはずがないのは常識でわかるとおもいます。あるとすれば原住民を教化して 文明化し同化させることです。 1.Awajiはやはり「弓矢と鉄砲」の様な文明の格差(近代植民地時代)が ある場合に 於いてのみ成立するテーゼだと思います。 ヒッタイトとエジプト、マケドニアとペルシャ、マケドニアとエジプト (プトレマイ オス王朝)、ローマとカルタゴ、ローマとイスラエル、東 ローマとイスラム・・・の間 で文明の高低が判定できるとは思いません。 当然二つの文明の格差が絶対的に大きい場合と、わずかの差しかない場合とがあります。 ただ、私のテーゼは「二つの文明・文化を異にする民族が同化し新しい民族を形成する現 象自体が極めてまれである」という大前提に立ち 「まして高度文明を持つ支配民族が程度の文明しか持たない被支配民族と積極的に同化し ようとすることなんかまずない」「あるとすれば支配民族が原住民を教化して文明化しみ ずからに同化させる意志がある場合だけだ」という意味ですから、Awajiさんが挙げられ た例で同化が生じなかったからといって私のテーゼが間違っていることにはなりません。 ただAwajiさんとの論争で気づいたことはむしろ「@二つの民族の間で圧倒的な文明格差 があり、A低度文明の被支配民族が高度文明の支配民族に同化することを望み、B高度文 明を持つ支配民族もそれを許容する、あるいは積極的に同化政策をとる、場合にのみ同化 は成功する」ということです。これらの三点の必要条件に加え、「C両者が同一人種に属 し、外見的に類似している」というAwajiさんのテーゼを十分条件として加えてもいいか もしれません。 Time : 1999/ 7/ 3(土) 09:33:33
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんの今日のレスに対するレス Comments: ●日本が朝鮮(韓国)・台湾を侵略支配したケースですが、この場合はどちらが相対的に 高度な文明を持っていたとお考えですか? ○その時点では明治維新という近代化革命に成功し西欧文明を取り入れていた日本の方が 高度の文明をもっていたでしょう。 ●仮に数百年間にわたり、支配関係が継続した場合は、どちらがどのように同化したのか、 或いは同化しなかったのか・・・純学問的観点から見て、どのように想定されますか? 仮定のケースはお答えになり難いですか? ○おそらく台湾は同化したと思います。沿岸部に住んでいた中国系住民は中国本土を捨て て移民してきた人間であり、中国人という自意識はあってもそれほど強くなかったでしょ うし、山岳部の高砂族の場合は前のレスの三つの条件を満たしています。 ただ韓国は無理で、何百年統治しても「北アイルランド化」するだけでしょう。韓国は統 一新羅以来1000年以上も統一国家であり、その間に「韓民族」という明確な自意識が形 成されていますから。 私自身は韓国に四年半、香港に三年住んだ経験があり、実感としてわかります。香港では 日本で教育を受けた台湾人の年寄りを二人部下としてつかっていましたが(もちろん中国 語もしゃべれる人)、彼らは自分は日本人だと思っているようでした。 ●(純学問的には可能ですね)それでは過去の実例について・・・ 日本の琉球支配については、同民族と考えた方が良いのかも知れませんが(琉球の人達は、 当時どう考えたでしょうか?)、どの様に理解すべきものなのでしょうか? ○明治以降に限っていえば、これも前のレスの三つの条件を満たしていると思われます。 加えて同系統の言語を使用する民族だったことも同化を促進したでしょう。 ●最後に新羅と百済・高句麗の関係ですが、この場合は相対的な文明の高低は、どの様に 理解されていますか?そして676年の新羅統一から、242年後の高麗建国にかけては、ど ちらがどのように同化したのか、同化しなかったのか・・・飽くまでも純学問的観点から お教えいただけますか? ○文明の程度は殆ど同じだったでしょうし、「文化」を共有し特に共通の言語を用いてい た民族同士ですので、比較的はやく同化がすすんだでしょう。但し、今日でも韓国の地域 対立は深刻で、特に全羅道に対する差別はこの地域が百済の故地であったことに由来する といわれています。 注意しなければならないのは、@文化人類学的な意味で二つの集団が同系統の「民族」で あるということと、Aその二つの集団が「同じ○○民族だ」という意識を共有しているか どうか、は別の問題だということです。 @は、姿形がにているか、共通の言語を用いているか、風俗習慣が似ているか、などによ って客観的に調べられます。 但し、その二つの集団が「同じ民族だ」という意識を持つのは @政治的に統合されている場合 A政治的に統合されていたのが何らかの理由で分断されている場合 B明らかに文明・文化の違う別の集団からの攻撃(政治的・軍事的・文化的)に対し、利 害が一致する場合 など主に政治的な理由が中心です。オルテガという哲学者は「民族が国家を作るのではな く、国家が民族を作る」というようなことをいっていますが、これを「民族意識」と読み かえればまさにその通りです。 アフリカや東南アジアでは、人類学的に見れば同系統の民族であっても、部族が違えば敵 対している場合の方が多く、白人が入ってきて敵対部族と戦う場合にはむしろ白人と同盟 するのが普通で、それが植民地の獲得を容易にしたといわれています。 私がAwajiさんの「弥生時代末期には倭人意識が生じていた」という命題に賛成できない のは、よほど形態の整った国家が成立し「俺達は同じ○○人だ」というイデオロギー教育 を国民に施さない限り「民族意識」は生じないことを多くの事例が示しているからです。 自然発生的に帰属意識が生じるのは血縁・通婚関係にある数百〜数千人単位の「部族」が 限界、ということを多くの文化人類学研究はしめしており、それ以上の単位の帰属意識は 人為的・政治的に作り出すしかありません。 もし弥生時代末期に共有される「倭人意識」があったとすれば、より未開の縄文人に対す る「俺達は大陸から渡ってきた文明の高い部族だ」という優越感のようなものであり、部 族相互の連帯感などではないでしょう。 Time : 1999/ 7/ 3(土) 10:57:19
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「国家論」?? Comments: Anonさん、今日は。Awajiです。 貴方と直接議論するのを避けてきましたが、やはりこのままでは失礼だと 考えますので、以下順次申し上げます。 手始めに・・・・ >>現代人は、「自然」があるという確信を持ちがちですが、「自然」とい >>う概念は近代以降に発明されたものです。「自然発生」という概念措定 >>事態が、既にある思いこみ(誤りと強く表記した方がよいでしょうか) >>を内包しています。 貴方には近代以降の「自然」概念と「自然(発生)」の区別もつかないの でしょうか? 「自然(発生)」における「自然」は「おのずからなるままに(うちに)」 と言う意味で、近代どころか東洋哲学の自然発生?とともに存在する概念 であり、「Nature」では無いでしょう? 我国にも「道教」「仏教」の渡来と共に一般的に使用されるようになりま すが、概念そのものは、さらに遡ると思われます。 文化「自然発生」の概念が思い込みならば、文化「伝播」の概念も同じく 思い込みなのです。ですから個別に史料(文献・実物)によって検証し、 その蓋然性を判定しなければならないのですね。「国家」形成についても 同様です。 >>倭人世界というのは、中国世界の中の東夷として、中国王朝により認識 >>されることから始まります。つまり中国側から見ての存在なのであり、 >>実体はありませんでした。 この議論に貴方の歴史認識が象徴されていると思います。 この論法であれば、インカ帝国は西欧文明と接触するまで存在せず、実体 がないことになりかねませんが、勿論それは事実に反します。 ここで貴方が言っておられることを、言いなおせば以下のとおりでは無い でしょうか。 「(倭人世界というのは、日本列島に縄文期から存在し、大陸からの新た な移住民が順次加わることによっていわゆる弥生文化、古墳文化を形成し た集団実体である。) しかし中国側から見た場合は、中国王朝が漢時代に東夷としてその存在を 意識し、倭人(世界)と命名したことにより、中国歴史に係るものとして 明確に史書に記述されたものであり、それまではその存在すら知られてい なかった可能性がある。」 勿論、前段の部分を認めるかどうかは史料に基づき、健全な理性により判 断すべきものですが、貴方はこの部分を無視しておられるのでは? >>当初の中国王朝側の理解では、倭人とは越人の傍流であり、東夷へと >>「堕落」したもの、でした。 当初と言うのは、何時代を示しておられるのですか? 「三国志」「後漢書」で示された理解は、以下のとおりですが、上記の判 断根拠は何ですか? 楽浪海中有倭人分為百餘國以歳時来獻見云 倭人在帶方東南大海之中依山島(*1)爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯 所通三十國・・・・ 倭在韓東南大海中依山島(*1)爲居凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三 十許國・・・ >>戦国時代以降、中国王朝は急激に弱体化し、東夷の倭人世界の住人は、 >>中国王権を頼ることができなくなっていきます。 単純な間違(時代錯誤)だと思いますが、実質的に中国王朝が成立したの は、戦国時代が秦・漢の統一により終了した時以降です。 戦国時代終了以降、中国王朝は急激に強大化し・・・と言うべきものです。 (周はどちらかと言えば中原王朝と考えた方が良いでしょうね。) 邪馬台国については、既に申し上げたところであり、繰り返しませんが、 かなりの信憑性があると考えております。 なお、魏が公孫氏攻撃に際して行った渡洋作戦等に日本列島居住者が関与 してたと考える根拠は全く認められません。 >>いわゆる「倭の5王」の倭国は、そんな水軍を従えたいわば軍事王権で >>あると考えられ、宋側の取り扱いも、きわめて丁重(政治的に)なもの >>となっています。 「倭武王上表」はお読みになりましたか? 当時の「倭水軍」は、対馬海峡を渡る程度の能力しか持たず、直接大陸 南「宋」への航海能力は、持っていなかったと見るべきでしょう。 >>北方遊牧民の侵入の影響は日本列島にもあったと考えるのが自然で、こ >>のとき北方経由で宗教(仏教)が伝えられたのでしょう。 「侵入の影響」が何を示しておられるのか全く分かりませんが、江上さん の「騎馬民族王朝説」のことでしょうか? 「このとき北方経由で仏教が伝えられた」と言うのは、具体的には何時、 どの国(民族)経由を意味しておられるのでしょうか? これでは何をおっしゃっているのか、全く判断できません。 >>日本古代史において、「徴税、労役」に相当する概念が成立するのは、 >>まさに律令国家段階です。つまり、古くとも天智、天武以降のことです。 >>それ以前の国家は、例えば上宮王国のように宗教国家的なものこそあり >>ますが、基本的に市場の主催、あるいはプランテーション的に理解され >>るべきでしょう。 XXも休み休みにおっしゃればいかがですか? 天武以前の古墳(副葬品)、灌漑設備、王宮、寺院は、どのような権力が、 どのような財源で、どのような労働力で、建設・造営したとお考えですか? 皆が食料・資材を持ち寄って「自然発生的」に出来あがったとでもおっし ゃるのでしょうか? 当然ながら、あらゆる国家は法律的になんと呼ぼうが、「徴税、労役」の 概念を持ち、存立の基礎としていると考えるべきでしょう。 さらに、この部分は「国家」を如何に定義するかという問題から派生した ものです。貴方が称されている「国家」の概念定義をお示し下さいません か? その上で無ければ「宗教国家」の概念は尚更分からなくなります。 「国家」及び「宗教国家」の定義はなんですか?  貴方の言う「宗教国家」は「国家」なのですか、「国家」では無いのです か?  この定義によって判断せねばなりませんが、何を財源として宗教施設を建 設し、運営する集団実体なのですか? 律令国家段階では「徴税、労役」をより明確に制度化したのであり、創設 したのでは無いのですよ。 ああ・・・よろしければ、次の集団について貴方が「国」と判定されるか どうか、その理由は何か・・・お聞かせ頂けないでしょうか? なお同一国名であっても、ある時点から「国」と判定される場合は、その 時点及び理由もお願いします。また「国」と判定されない場合は、何と呼 ぶべきかも併せお聞かせ願います。 殷 (B.C.1400〜1020)・西周(同 1200〜771)・東周(同 771〜403) 燕 (同 600〜222)・楚 (同 612〜223)・秦 (同 461〜206) 前漢(同 202〜 8)・匈奴(同 280〜 48)・新 ( 8〜 23) 後漢( 25〜220)・鮮卑(同 93〜336)・高句麗(同 37〜663) 魏 ( 220〜265)・蜀 ( 221〜263)・呉 ( 222〜280) 晋 ( 265〜316)・前燕( 337〜370)・東晋( 317〜420) 前秦( 351〜394)・北魏( 386〜557)・百済( 346〜663) 新羅( 356〜935)・宋 ( 420〜479)・斉 ( 479〜502) 梁 ( 502〜557)・陳 ( 557〜589)・隋 ( 589〜618) 突厥( 552〜630)・唐 ( 618〜907)・吐蕃( 629〜890) 渤海( 698〜926) ご面倒ですが是非お願いいたします。それでなければ貴方の「国」概念が 全くわからないのです。 なお、もし上記の諸問題にご回答いただけるならば、逐条具体的にお願い します。 Time : 1999/ 7/ 3(土) 11:42:59
Name : はてなマン E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: 突然ですいません。 縄文人は、決して未開の人種ではありません。 青森の三内丸山などの遺跡は、弥生時代後期の遺跡よりも建築技術において高いものだと認知されています。 私の個人的主観では海洋民というのは、弥生ではなく、縄文文化を築いた人々だと思います。 Time : 1999/ 7/ 3(土) 12:03:14
Name : 金融亭丸祐 E-mail : Title : 大阪JF生さまへ(No.5) Comments: 私はもう疲れました。 7月2日(金)のJF生さまの記事を読ませて頂きました。 正直言って、納得はできません。 なぜ「検証を受けて不合格とされ」とか 「ほぼ完璧に間違いだという科学的な検証で」 という表現が、「注意深く読めば」 「各段階で、確かに検証されたと判断している」 という意味になるのか理解できないし、 「『信頼度が低い』と違うのであれば」という表現が 「『信頼度が低い』と(丸祐が述べている)可能性も否定していない」 というのも、おおかた禅問答の領域です。 (「あなたがそう言うのであれば」という表現は、if文ではなくて、 「あなたがそう言った。それならば」という意味の筈です) より本質的な部分では、もう少し真面目な議論も可能でしょうが、もう疲れました。 本掲示板は、ある意味では公共の空間であり、 こういう議論を延々と続けることは、他の人々に迷惑をかけます。 もし我々の議論をきちんと読んで頂いている方がいれば、 (そんな人はいないでしょうが) 軍配はその人に任せましょう。 なお、科学における検証基準その2 「どのように意地悪く考えても、 その理論を用いて記述するのが最も合理的であること」 を入れた理由について、追加説明しておきます。 単に「実験結果と一致する」という基準だけなら、 相当好き勝手な理論が構築可能です。 例えば、「すべての空間と物質は、1秒ごとに2倍に拡大している」 という法則を誰かが唱えたとして、それを反証することは不可能です。 物差しも電磁波の波長も同様に拡大しているのなら、 測定結果と矛盾しないからです。 あるいは、最近聞いた話では、量子力学の不確定性原理に関連して、 「物質の運動や位置が確率的にしか予測できない、 即ち『Aという結果が出る』か『Bという結果が出る』かが 測定してみないと判らないというが、 それは測定結果が『A』と出た世界と『B』と出た世界とが、 同時にパラレルワールドとして発生しているのである。 『A』の世界に移った測定者には『A』という測定結果が得られるのだ」 という説を唱えている人がいるそうです。 (第2次大戦に日本が負けた世界と勝った世界とが並行して存在する というSF小説がありましたが) これなども「そうである」とも言えるし、「そうでない」とも言えます。 なぜなら、もう一つの世界に移った自分とコンタクトを取ることが出来ないから、 確認のしようがないからです。 この様に、実験結果と矛盾しない法則であっても、 奇妙な法則はいくらでも提唱可能です。 分子論は、その初期段階において、反対論者からは、 その様なものであると非難されていた訳です。 「どのように意地悪く考えても・・・・」というのは、 「そんな法則なしでも説明出来るではないか」 という反論に耐えうる、という意味です。 この点については、納得して貰えたでしょうか? Time : 1999/ 7/ 3(土) 18:01:16
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「倭国の民族同化」FIN?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。 早速に、ご丁寧なRESを頂き、ありがとうございました。 貴方の貴重なご意見を参考とし、Awajiの最終的(今度こそ(^0^)")意見 (仮説)を申し上げます。・・・用語不熟の段は、ご寛恕を。 A=先住民族、B=移住民族が、同一地域に居住する場合の同化について は、概ね以下の要素によって、その同化の難易度(速度)が判断出来る。 1.相対的要素 @両民族の文明格差度 B>A・・・X B=A・・・△ A<B・・・○ A両民族の人種相違度 B≠A・・・X B≒A・・・△ A=B・・・○ B両民族の言語相違度 B≠A・・・X B≒A・・・△ A=B・・・○ C両民族の人口格差度? B>A・・・X B=A・・・△ A<B・・・○ 2.移住民族要素(相互に関連性がある) @移住原因 組織的(軍事的)移住・・・X 個別的(生活的)移住・・・○ A宗教・思想 排他的(一神教的)・・・・X 融合的(多神教的)・・・・○ B移住期間・移住人数 集中的・・・・・・・・・・X 分散的・・・・・・・・・・○ C本国関与(移住原因と関連) 強・・・・・・・・・・・・X 弱・・・・・・・・・・・・○ D先住者対策 強圧的・・・・・・・・・・X 融和的・・・・・・・・・・○ 3.先住民族要素 @民族構成 (複合的とは、既に民族同化的要素を持つ場合を含む) 単一的・・・・・・・・・・X 複合的・・・・・・・・・・○ A宗教・思想 排他的(一神教的)・・・・X 融合的(多神教的)・・・・○ B政治伝統 中央的・・・・・・・・・・X 周辺的・・・・・・・・・・○ 他にもあるかも知れませんが、これらの要素を個々に判定し、それを 総合することで、凡そ判断可能と思います。 過去の事例であれば、これらの要素を判定するのは「歴史学(文献= 言語学を含む、実物=人類学・生物学等を含む)」の分野でしょう。 逆に言えば移住時点から現在にいたる同化の程度を、歴史学等で確認 すれば、移住時点の状況も推理出来ると思うのです。 台湾と韓国については、概ね同意見です。両者の最大の相違は、3B でしょう。 ただこの点に対する2の配慮によっては、韓国が「北アイルランド化」するか 「スコットランド化」するかが分かれるかも知れません。 ところで、「新羅」と「高句麗」「百済」ですが、 >>文明の程度は殆ど同じだったでしょうし、「文化」を共有し特に共通 >>の言語を用いていた民族同士ですので、 と言う歴史認識については、大きな問題があります。 文明的には「高句麗」と「新羅」では、文字の使用一つを見てもかなり の差があります。(新羅の漢字使用は、むしろ倭国より遅れていたとす る説もあります。Awajiはチョット疑問に思っていますが・・・) 百済については、先住韓族(倭人に近い?)と移住扶余族(300年頃に移 住?)二重構造を推理する説もあるのですが(言語も一部相違していた 旨の記述があります。)、高句麗の言語については殆ど分かっていない のです。(現在の韓国語は、おそらく新羅語に由来すると思いますが・・) ただ、倭語と琉球語以上の本質的な差があったと思われる節があり、文 化的にもかなりの相違が認めれれていますが、これらについては今後の 歴史学(考古学でしょう)による解明を待つしかありません。 百済差別問題については、高麗建国時の特殊事情によるものとする説も 有力ですが、そこに倭国以上の根源的非同化条件があったのかも知れま せん。 >>私がAwajiさんの「弥生時代末期には倭人意識が生じていた」という命 >>題に賛成できないのは、よほど形態の整った国家が成立し「俺達は同じ >>○○人だ」というイデオロギー教育を国民に施さない限り「民族意識」 >>は生じないことを多くの事例が示しているからです。 さて、この点も通則的に言えるでしょうか? 本来様々な民族・文化に分かれていたであろう中国居住民が漢人に同化 していったスピードは驚異的なものであり、一部族に過ぎなかったモン ゴルが周辺部族を統合して世界を制覇する大帝国に発展したのは、歴史 の流れからすれば、ほんの一瞬と言っても良いものです。 ほんの数十万に過ぎない満州人が明国を滅ぼし、中国を制圧したのも歴 史の奇蹟です。(直接関係はありません) Awajiが申し上げた諸条件が整っていれば、民族同化は数百年で達成でき 得ると考えます。(弥生前期B.C,300年〜紀元前後) なお、Awajiは縄文人そのものが日本列島先住民と大陸人の断続的同化民 族であったと想像しております。 またその後の移住中国人も、中原漢人に圧迫された一種の流民であり、中 原漢人からすれば異民族的存在であったでしょう。 (この意味では、Anonさんの言われる「越人説」に近いものです。) Awajiの移住民族要素で言えば、全てが○であり、文明度も中華よりは遥か に劣位にあったと考えています。これらは「歴史学」的に解明すべきもの でしょう。 とはいえ、Awajiは「社会学」はもとより「歴史学」についても、一切専門 教育に接していない、タダの仏像愛好者です。 浅学非才のオッチャンに、忍耐強くお付き合い頂いたことに、更めて感謝 いたします。 <(_ _)>ペコ ・・・ (^_^)/~ Time : 1999/ 7/ 3(土) 22:09:04
Name : Toshy E-mail : Title : じょうもんじん Comments: はてなマンさんへの追加です。 縄文人、というか、三内円山の話ですが、貝塚からはマグロやシャチなどの骨も見つかっています。 これは、彼等が高度な航海技術を持っていた証拠だとされています。 なお、縄文人の集落同士の交流があったことは、 その土地でとれない産物が遺跡から見つかったりすることでわかります。 縄文人は、けっして未開の人種ではありません。 縄文土器や土偶の芸術性。時間と心に余裕がなければ、あのようなものはできないでしょう。 そろそろ、過去の偏見・・・・縄文の頃は貧しかった・・・・から離れてもよい時期ではないでしょうか。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 11:54:25
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音とミス訂正、「民族問題雑感」?? Comments: 游惟さん、スミマセン。Awajiです。・・・ミス訂正します。 1.相対的要素 @両民族の文明格差度 B>A・・・X B=A・・・△ A<B・・・○ ↓ @両民族の文明格差度 B>A・・・X B=A・・・△ B<A・・・○ C両民族の人口格差度?B>A・・・X B=A・・・△ A<B・・・○ ↓ C両民族の人口格差度?B>A・・・X B=A・・・△ B<A・・・○ ところで、そんなに同化の可能性があるのならば、何故に現代社会にこれほ ど多くの非同化(民族)問題が多発しているのか?と言う疑問が発生します。 これについては、概ね次のように考えております。 1.大航海(近代植民地)時代までは、概ね近接した民族による移住であっ て、文明度格差をはじめとして同化条件を満たすことが多かったが、近 代植民地においては、その条件が殆ど無かった。 2.近代以前の移住においても、国家形成とともに組織的(軍事的)移住例 が一般化し、同化条件を満たす移住が姿を消していった。 3.近代以前の移住における長期非同化(少数民族)問題は、時間の進行と ともに大半が同化したにも係わらず、特別強度な非同化条件があったこ とによる特殊後遺例であることが多い。 4.近代植民地時代において列強諸国がこれを利用干渉し、さらに自共両陣 営のイデオロギー対立が、非同化条件を増幅させてしまった。 倭国は本来アジア諸民族の坩堝であったにも係わらず、歴史の極めて早い段 階で(ごく少数の例外を除き)同化が完了した極めて例外的な国家(民族) だと言えるでしょう。 この原因は、 1.同化諸条件に恵まれた段階(国家形成以前)で大規模移住が終了した。 2.適度に諸外国(異民族)との接触があることで、国家(民族)意識が醸 成されうる環境にあった。 3.組織的(軍事的)移住を阻止し得る地政条件(島国)があった。 4.大家族主義的な民族神話とそれによる民族宗教が早期に成立した。 等が主要因であると考えます。 現在は「近代植民地主義」に対する「民族自決主義」が、少数民族の「民族 自決主義」に変質しつつあり、同化の進行を遅らせる「非同化条件の増幅= 憎悪の再生産」に進む危険性があります。 これをどのように解決するかは「社会学」の大きな使命でしょうか? Time : 1999/ 7/ 4(日) 12:01:19
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ 文明と文化 Comments: Awajiさん、御丁寧なレスありがとうございます。 社会学や文化人類学は人類普遍の法則というようなものを発見し、それで色々な社会現象 を説明してゆこうとする理論体系です。つまり人間社会である以上、現代社会も古代社会 も文明社会も未開社会も基本的には同じ法則が支配しているはずだと考え、それで理論を 組み立てます。 ただ「人類普遍の法則」と言ったって、その基本となる一つ一つのテーゼは「人は自分よ り優れた者は尊敬するが、自分より劣った者はバカにする」とか「人はいつも会ってる人 には親しみを覚えるが、初めて見る人は警戒する」とか「人は自分の子を他人の子よりも 可愛いがる」とか常識で考えればわかることばかりです。 Anonさんの説は突飛なように思えるかもしれませんが、それが史実かどうかは別にして、 こういった常識の延長線上にある社会学的観点から見れば、決して無理な仮説ではありま せん。 一度史料に基づいて真面目に検討してみることをおすすめします。(私は史料が読めませ ん) さて、「民族」という問題を考える際には、「文明」と「文化」の概念を区別して考える のが有効です。 文明(cvilization): 「人間が生活をより合理的・効率的にするために人為的に発明した道具や制度(の総体)」 具体的には生活用品・武器・乗り物やそれらを生産する技術、郵便・裁判・学校などの制 度、さらに文字や料理などもみな「文明」です。 これらは@人為的につくられたものであり、A当該の目的に照らして優劣がつけられ、B 別の社会に移植が可能である、という点で「文化」とことなります。 文化(culture): 「当該社会の成員によって自明と見なされている思考・行動様式(の総体)」 具体的には、言語・宗教・風俗習慣・家族制度・文学・芸術などが「文化」とされます。 これらは@自然発生的であり、A客観的基準がないので優劣がつけられず、B別の社会に 移植ができない、という点で「文明」と異なります。 民族や民族同化などの問題は基本的に「文化」の問題です。 ただ「文明」と「文化」は密接な関係にあり、厳密に線引きをすることはできません。 例えば「服装」や「宗教」などは文明とも文化とも言えます。 「文明」と「文化」の関係は植物と土壌のような関係だと思えばいいでしょう・ T.土壌がそれにあった植物を育てるように、文化はそれにあった文明を育てる。 U.植物が他の土地に移植できるように、文明も他の社会に移植できる V.植物が生えることによって土壌が変質するように、文明が発達すること、または移植 することによって文化も変質する。 W.但し、土壌が適合的でないと移植した植物は根付かず枯れてしまうように、当該社会 の文化が移植しようとする文明に適合的でないとうまく根付かない 文化それ自体に優劣はつけられないといっても、優れた文明をそだてた文化は優れ、劣っ た文明しか育てられない文化は劣った文化、と見なすことができます(テーゼT 実際、 建前はともかく本音ではみんなそう思っている)。 文明格差が大きい場合、低文明の被支配民族が高度文明の支配民族に同化しやすいという のは、被支配民族が自分たちの「文化」が劣っていると感じ、支配民族の文明だけでなく その文化に同化しようとします。というより、あまりに文明格差が大きい場合には文化か ら変えないと文明の受容はむりだからです(テーゼT・W)。 「文明」が劣っていることは認めても「文化」に誇りを持っている民族は「文明」だけを 受け入れようとします(テーゼU)。日本の明治期にいわれた「和魂洋才」という言葉は それを意味します。そしてなぜか日本の文化は西欧文明に非常に適合的であったので、西 欧文明は簡単に根付き、非西欧社会ではじめて近代化に成功しました(テーゼWの対偶)。 ただ、その過程で日本の文化もかなり西欧的に変質しました(テーゼV)。 日本以外の非西欧諸国も西欧文明が優れていることを認め、それを受容しようとしますが、 それが完全に根付いているとはいえないのは文化がそれに適合していないからです。イス ラム社会を見ればわかるように、西欧文明の受容はイスラム文化との葛藤を生み、時には イランのような反動革命までおこります(テーゼV・W)。 民族同化問題も基本的に文化の問題です。 文化的に極めて近い民族同士ならかなりの文明格差があっても政治的に統合されれば短時 間で同化できます。例えば今日の北朝鮮と韓国は50年間でかなりの文明格差がついてい ますが、国境が外れればすぐに同化できるでしょう。 ところが文明格差はなくて文化が異なる民族の同化は、一方が一方を併呑し、強制的に文 化を捨てさせ、みずからの文化に無理やり同化させ、その状態が何百年か続かないかぎり 不可能です。この場合特に問題になるのが当面のプラグマティックな面では言語、本質的 な面では世界観(宗教)と歴史です。併呑された民族が文字を持ち記述された宗教や歴史 を持っていれば、自分たちが併呑された民族だという記憶は永遠に残り、完全な同化は不 可能だといってよいでしょう。 やはり異文化民族の同化が成功するのは両者に決定的な文明格差があり、双方が優位民族 の文化に同化することを望んだ場合だけでしょう。 その他にAwajiさんご指摘の宗教の性質や人口の問題、人種の問題などが複雑に絡み合い ますが、それらとこの「文明」と「文化」という二つの概念を用いれば、「民族」に関す る様々な事例は殆ど説明できます。Awajiさんのおっしゃる中華民族の形成やモンゴル族 の統合も説明できると思います。 ところでご指摘のあった「高句麗」の問題ですが、私もそれは感じています。法隆寺で見 つかった高句麗使臣の絵は明らかにモンゴロイドではなく、もしかすると高句麗の人民は 朝鮮族でも支配民族はトルコ人種か何かも知れません。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 14:22:00
Name : 游惟 E-mail : Title : はてなマンさん、Toshyさんへ Comments: 私が縄文人を未開民族だといってるわけではなく、彼らを駆逐した弥生人たちは そう思っていただろう、という話しです。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 14:26:19
Name : はてなマン E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: 言葉不足でした。すいません。 私は未開人ではない縄文人と弥生人が争う中で、 国へとつながる集団意識というものが目覚めたのではないか? と考えています。そういう可能性は有り得ないのでしょうか? 未開人ではないというのは同程度の文化があったのではという意味です。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 16:27:00
Name : Toshy E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: 私も言葉不足ですみません。 游惟さんにたいする言葉ではなく、一般論として、です。 どうしても縄文時代というと、原始人のイメージをもたれていますからね。。。。。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 18:46:50
Name : 游惟 E-mail : Title : 「弥生人」と「日本語」の形成について仮説あるいは妄想 Comments: 私はAnonさんと大阪JF生さんの論争が行われていたころこのページに初めておじゃました のこのページは学問論争をするページなんだとばかり思っていました が、さっきそれ以前のところをみて、本来はよくある仲間の親睦のための掲示板 だったことに気づきました。 つまらぬ堅い話ばかりして常連のみなさん申し訳ありません。<(_ _)>ペコ お詫びに柔らかいはなしを一席・・・ 弥生人と縄文人とは明らかに骨格が違い、別の人種あるいは民族だろうといわれています。 その遺跡から紀元前3世紀ごろに北九州に入ってきて、先住民の縄文人を駆逐してゆき、 紀元3世紀頃には津軽まで達したといわれています。 現代日本人の直接の祖先は弥生人であるとすれば、弥生人は日本語をしゃべっていたとい うことになります。 北九州に入って来たとすれば、朝鮮半島から渡ってきたと考えるのが一番妥当ですが、朝 鮮語と日本語は共にウラル・アルタイ語族に属するものの、直接の親縁関係にはないとい われています。というのは文法構造はそっくりなのですが、「食べる」「飲む」「行く」「来 る」といった日常生活で使う基本単語が全然似てないのです。こういった単語は変化しに くいため二つの言語の親縁関係を調べる際の決め手となるのですが(ドイツ語と英語を比 べればよい)、それが全然似てないため、言語学者も「親縁関係にある」とは断定できな いのです。 といって、縄文人と同じ人種あるいは民族であると思われるアイヌのアイヌ語も、文法構 造は同じウラル・アルタイ系なのですが、基本単語が似ていない。結局、基本単語を見て 日本語と確かに親縁関係にあると言えるのは沖縄方言だけということになります。 するとひょっとしたら縄文人には二系統あり、南日本には沖縄方言と同一の日本祖語をし ゃべる縄文人がおり、北日本にはアイヌ祖語をしゃべる縄文人がいたのではないかという 仮説が立ちます。 ではなぜ、明らかに骨格が違う異人種の弥生人が南方縄文人の言語を受け継いだか? ここから私の仮説(妄想)が始まります。 一般には弥生人達は朝鮮半島から何十万人も渡ってきて、縄文人達を駆逐していったと考 えられがちですが、それが間違いなのではないでしょうか? 私は、多くても数千か数万に過ぎないと思います。 紀元前三世紀ごろの鉄器を使う朝鮮のある国(といってもせいぜい人口数万人)が、海の 向こうには大きな島があり、そこに住む原住民達は鉄器も知らず、殆ど農業も知らず、狩 猟採集生活をしているが、その島はなかなか肥沃らしい、という情報を聞きつけます。こ の国を仮に「弥生国」としておきましょう。あるいはそれは昔から知っていたが、その時 飢饉か何かが発生してこのままでは皆餓死してしまう、というような事態が発生したのか もしれません。 「よし、ではその島に移り住もう」と決断した酋長は、鉄器で武装した兵をのせた大船団 を組み、玄界灘を押し渡ります。といってもその数はせいぜい数百名程度でしょう。北九 州に上陸した弥生軍は、目についた縄文人集落に襲いかかり、男は皆殺しにするか生け捕 りにして奴隷にし、女は慰み者にします。 こうして北九州にまず橋頭堡を設け、国から援軍と妻子を呼び寄せます。そして又となり の縄文人集落を襲い、男は皆殺しにするか生け捕りにして奴隷にし、女は慰み者にする・ ・・・ということを繰り返して、次第に支配領域を広げていきます。 しかし、いくら鉄製武器で武装し戦闘力に勝る弥生軍も、縄文人の抵抗にあい次第に戦死 者が増えて行きます。時には逆に縄文人の夜襲にあったり、縄文部族の同盟軍に敗北を喫 することもあったでしょう。援軍を呼び寄せるといっても、元々人口数万の国ですから、 それにも限度があります。次第に戦闘員が不足してきて支配領域を拡大するどころか、縮 小する事態が起こってきます。 そうして10数年経った頃、慰み者にした縄文人の女奴隷が産んだ混血児が成長してきま す。最初はこいつらも奴隷にしようと考えていた酋長も、戦闘員不足を補う為に奴隷にす るのはやめ、半島から渡ってきた弥生人を「貴族」混血児を「平民」と位置づけ、男は兵 士に、女は召使いにすることにします。 ところが弥生人達の子供とは隔離され、縄文人の母親に育てられた混血児たちが話す言葉 は父親達の朝鮮語ではなく日本祖語なのです。これは「マザーランゲッジ現象」といって アフリカなどで文化人類学者によっていくつも事例が報告されています。 これではせっかく兵士にしようと思っても命令も通じず役に立ちませんが、幸い朝鮮語と 日本祖語は文法構造が似ており、単語を取り替えるだけで済むというところがありますの で、弥生人達は必要な「行け」とか「退け」とかいう必要な単語だけ日本祖語を覚えて間 に合わせます。 言語学的にはこのような言葉ピジン語といいます。これは狭義にはBusiness Englishを中国 語でいったもので、イギリス人とつき合うようになった中国商人が使った「Me go sell you tea, ok?」などというブロークンな英語を指しますが、広義には意味だけ通じれば いいというブロークンな言語全てを指します。 このようにして混血児の戦闘員を確保した弥生人は、また縄文人の部落を襲い、男は皆殺 しにするか奴隷にし、女は慰み者にする・・・・ということを繰り返し、その支配領域を 次第に九州から本州、四国へと拡大していきます。 それには何世代もの時間がかかり、その間には半島から渡ってきた純粋な弥生人の子孫よ りも混血児達の方が数が多くなり、侵略の主力は混血弥生人になります。純粋弥生人達は 貴族から王族へと変わり、初期の混血児達の子孫は平民から貴族に変わり、あらたな平民 混血児たちがどんどん生まれてきます。 そうこうするうちに、言語の方はもはや日本祖語の方が圧倒的に優勢になり、王族たる純 粋弥生人達も部下との意志の疎通の為に、普段は日本祖語を使うようになり、朝鮮語は王 族・貴族の間の教養ということになりました。 そして、侵略が進むうちに、本来の日本祖語を使う南方縄文人達は跡形もなくいなくなり ましたが、日本祖語だけは混血児たちにうけつがれて、後々までのこりました・・・・・ というお話です。    ちなみに、弥生人達の平均身長は167センチで現代人並であったといわれていますが、混 血児はその両親よりも体格がよくなるそうです。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 18:49:44
Name : だむす E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: >本来はよくある仲間の親睦のための掲示板だったことに気づきました。 どういう事ですか? まじめに議論できない雰囲気だという意味ですか? 私も、あなたと同じ頃から参加してます。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 19:13:06
Name : 游惟 E-mail : Title : だむすさんへ Comments: 和気あいあいという雰囲気の問題です。 私なんかが出しゃばりだしたために、堅い話しかできないという雰囲気ができあ がってしまったのではないか、と危惧しているだけです。 三週間以前の記事をみてみればわかります。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 19:34:10
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「弥生人」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。こちらこそ有り難うございました。 Awajiも一応常識的には「文明と文化」については理解しているつもりで あり、その前提で意見を提示したつもりだったのですが、さらに理解が 深まったと思います。 しかしながらやはり・・・ >>やはり異文化民族の同化が成功するのは両者に決定的な文明格差があ >>り、双方が優位民族の文化に同化することを望んだ場合だけでしょう。 この前段の部分には疑問があります。一定の条件の下では決定的な文明 差は問題にならないと思いますし、一部に文化の相違を残しつつ、或い は双方の文化を融合しつつ同化することがあると思っています。 勿論一定の条件とは、双方が同化にいたることを可能にする条件を意味 します。 例えば「家族制度」は「文化」に属するのでしょうが、倭国(日本)に おいては妻問婚(女系的)と妻取婚(男系的)が重層的複合的に共存し ています。若者宿は西日本に偏在し、東日本には殆ど見られません。 家長権の在り方も地方的にかなり異なっています。 しかしそれが、文化的軋轢(対立)を招いたとは思えません。 つまり異質の個別文化が一つの基本文化(文明?)の中で矛盾を含みな がら、ごく自然に共存し、変容している例が多いと感じています。 倭国(日本)において、この様な個別異文化に寛容であると言う基本文化 を持つこと自体が、その文化の基層において複数民族の融和的同化を意味 しているかもしれないと思っているのです。 倭国(日本)において外来文明を比較的容易に受け入れたのも、この基本 文化のゆえかも知れません。(しかし宗教等の精神文明的「文化」は極く 部分的にしか受け入れません。) 特に学問的に考察したものではありませんので、適当にお聞き流し下さい。 なお、 >>もしかすると高句麗の人民は朝鮮族でも支配民族はトルコ人種か何かも >>知れません。 朝鮮族と言う概念自体が、様々の民族が同化した融合民族だと理解すべき ものだと思います。この辺りについても「魏志東夷伝」などの記述と考古 学的所見をもとに考察するしか無いでしょうね。 ??貴方は「歴史学」は避けておられたのでは無かったのですか? 「魏志」解釈さえ避けられておられた方が、歴史認識を述べられるならば、 話は違ってきます。この歴史認識は単なるジョークですか? もしも本気でおっしゃっているのならば、対決させて頂きますが? Time : 1999/ 7/ 4(日) 19:40:52
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: 同じ日本語といっても様々な方言があるように、文化項目それぞれが社会階層、年 齢層、世代、性別等々様々な変数によって異なりますし、時代による変遷もありま す。また文化の凝集性の高い社会もあれば拡散した社会もあります。それを論じは じめたら、それこそ文化論、社会変動論すべてに言及しなければならなくなりま す。 ただ、同一社会の中で世界観や思考様式が決定的に違う集団は社会によって危険な 者とみなされ、排除されます。オウム真理教の問題を見ればわかります。 学研の「歴史群像」シリーズのように一般的に書かれた「歴史」は好きですし、よ く読みますから常識的な知識はあります。ただそれらは著者によって解釈された歴 史であり、その解釈が正しいか否かを史料に照らして考察する能力はないし、それ を自分でやろうとは思わないということです。 ただ高句麗の時代ぐらいにトルコの祖先といわれるトッケツ(漢字がない)とか鉄 勒とかが中国近辺にいたことぐらいは知っており(それがほんとにトルコの先祖か どうかを判断する能力はありません)、ひょっとしたらと思っただけです。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 20:14:21
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「学問論争」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。 >>また文化の凝集性の高い社会もあれば拡散した社会もあります。それを論 >>じはじめたら、それこそ文化論、社会変動論すべてに言及しなければなら >>なくなります。 こう言った社会特性を無視した文化論、社会変動論が有功かどうかを問題 にしています。 >>同一社会の中で世界観や思考様式が決定的に違う集団は社会によって危険 >>な者とみなされ、排除されます。オウム真理教の問題を見ればわかります。 オウム真理教は行動様式が決定的に違う集団です。だから危険な者とされ ています。この部分は何を例証されようとしておられるのか不明です。 >>高句麗の時代ぐらいにトルコの祖先・・・・ 高句麗人の人種性そのものを問題にしているのではありません。 >>文明の程度は殆ど同じだったでしょうし、「文化」を共有し特に共通 >>の言語を用いていた民族同士ですので、 >>高句麗の人民は朝鮮族でも支配民族はトルコ人種か何かも・・・ ここに示された、 *「高句麗」の民族構造に関する認識。 *「高句麗」時代における「朝鮮族」と言う概念。 *「高句麗」「百済」「新羅」の文明程度に関する認識 *「高句麗」「百済」「新羅」共通言語使用と言う断定 等の貴方の歴史認識に関する疑問を提示しているものです。 (勿論、貴方の歴史認識に相当の根拠があれば、おうかがいいたします。) この様な歴史認識の検証なしに、一定の推論をおこなわれるのは学問論争 では許されないと思いますが? なお、AwajiはこのHPは厳格な意味での学問論争の場ではなく、ある程 度の史料根拠と論理を前提に、素人が大いに歴史に関する発想(仮説)を 展開し、それを通じて勉強し合う場であると考えています。 しかしながら、何時までも蓋然性のない発想(仮説)に拘る方には、一定 の批判が集中するのは当然でしょうね。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 21:42:22
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: なぜあなたはそうやってすぐ人にかみつくんですか? これで三回目ですよ、私にかみついてきたのは。 >特に学問的に考察したものではありませんので、適当にお聞き流し下さい。 とおっしゃったのはあなたではないですか? 朝鮮の文明低度の問題にせよ、あなたが質問なさったから答えただけです。 下の「弥生人の形成云々」の記事の最初に書いたことが気にくわなかったのかもし れませんが、ここ数日私とあなたが画面を独占してしまって、本来の常連の方に申 し訳ないと思ったのでああ書いただけです。あなたとの議論自体がくだらないとい ってるわけではありません。それで誤解なさっているのならあやまります。 ただ、私は自分の仮説に蓋然性がないとは思っておりません。 「一定の非難が集中する」とおっしゃいますが、今まで非難なさったのはあなただけです。 冷静に論議なさる気がないなら、今後一切お答えしません。 Time : 1999/ 7/ 4(日) 23:10:23
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「仮説批判」?? Comments: 游惟さんへ。Awajiです。 >>ただ、私は自分の仮説に蓋然性がないとは思っておりません。「一定の >>非難が集中する」とおっしゃいますが、今まで非難なさったのはあなた >>だけです。 Awajiは貴方の社会学的ご意見(仮説)を非難した覚えは全くありません。 勿論、貴方の今までのご意見に「一定の非難が集中する」したとも申し上 げておりません。 ただ、貴方の支持しておられる方の史学的仮説に「一定の批判が集中する」 と申し上げたものです。オーム云々は正直な感想です。 貴方の古代韓国に対する歴史認識については既に疑問を呈しています。 これについて無視された(論点をすり替えられた)のは、あまり愉快では ありませんでしたが、特に問題にするつもりはありませんでした。 しかし「学問論争」云々の発言があったので、敢えて苦言を呈しました。 このご発言に、貴方の傲慢さを感じたのは事実です。 また、貴方の弥生人形成に関するご意見(仮説)を本気で提示されるなら ば、本気で批判しょうと考えております。 これは史学・言語学に関する極めて無責任な意見(仮説)だからです。 単にジョークとされるならば、何も申し上げるつもりはありません。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 00:10:13
Name : 勇者ロト E-mail : Title : しばらくぶりの投稿です! Comments: みなさん、こん@@は。おひさしぶりです。パソコンのトラブルのため、暫くア クセスできませんでした。1週間の間に相当議論が白熱してきたようですね。 游惟さんはじめまして。常連?の内の一人です。 確かに、Awajiさんのいわれるとおりある種の傲慢さを感じる意見でもあります。 一応、素人なりに学問してるなぁと悦にはいっていたこともあり少し残念です。 「同じ意見の人ばかり集まって適当に書きこみしている」と取られかねない意見 だったと思います。だむすさんの質問もそういう意味だったのでは?と思います。 まあ「学問論争」するというのもへんな話で、ここでの議論が結果的に学問への 興味につながればいいのではないでしょうか? 游惟さんの話はとても解りやすく、おもしろく読ませていただいただけになおさら 残念な気がします。 何しろ、1週間分まとめて読ませてもらったので誤解している部分があると思い ます。発言の真意を聞かせてもらつた上でですのでうっとうしい感想になっただ けかもしれません。どうもすいませんでした。 それから、「独占する」ということに気をつかわなくてもいいと思います。 読んでいる人はなにか言いたいことがでてくれば発言すると思いますので! なにしろAwajiさんの意見も游惟さんの意見もいろいろためになる意見だと思い ますので、これからもいろいろお聞かせください!! 弥生時代の民族同化については、Awajiさんの意見に賛成です。 学問的通則を歴史的考察にあてはめるには時代考証を確実なものとしなくては いけないのではないでしょうか?祭祀と生活レベルとか産業とかいう意味です。 近代にはいってからの民族問題は資料などが数多くあると思いますので学問的通則 をあてはめることはきわめて有効だと思います。 しかし、古代となるとどうでしょう?少ない資料からの取捨選択は問題の単純化に はなると思いますが、反面見逃す問題も割合が大きくなると思います。 なるべく全ての資料、材料を包括し整合させなくては説得力にかけるという事に なるのではないでしょうか? Anonさんへ 記紀が信用できないという理由に概念以外の材料はあるのでしょうか? もしあるのならご教示いただきたいと思います。 海洋民族の倭国進出が国家概念を育てたという部分には賛成いたします。 しかし、Anonさんの意見には海洋民族しか倭国にはいなかったような印象を もっています。海洋軍事国家というのはどうやって陸地の統治を進めたのでしょう? Time : 1999/ 7/ 5(月) 01:02:17
Name : Toshy E-mail : Title : 言語学?! Comments: ゆうい さんのご意見を見ていたらヨーロッパの言語に関する話があったので、 つられてでてきました。 日本史ではないのでこの掲示板の趣旨に反するかもしれませんが。 >「食べる」「飲む」「行く」「来 >る」といった日常生活で使う基本単語が全然似てないのです。こういった単語は変化しに >くいため二つの言語の親縁関係を調べる際の決め手となるのですが(ドイツ語と英語を比 >べればよい)、それが全然似てないため、言語学者も「親縁関係にある」とは断定できな >いのです 英語はゲルマン系の言語に属しますが、(つまり、確かにドイツ語に近い) 1066年の「ノルマン・コンクウェスト」により、フランス語が相当導入されました。 いってみれば、ゲルマンとラテンの混血児のようなものです。 それはさておき、ゆういさんが挙げた4つの言葉に関して。 フランス語はラテン系であり、同じくラテン系の言語に属するスペイン語とは親戚関係にあるわけですが、 行く・・・・allerとir 食べる・・・・marcherとcomer と、全然違うわけです。すると、こればかりの単語で判断するのはちょっと。。。。 もちろん、「来る」と「飲む」は、共通性がありますけど。 言葉は、年月を経て変わっていくわけですから、もともとルーツが同じでも全く変わることがあります。 英文学専攻のToshyでした。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 02:40:17
Name : 游惟 E-mail : Title : Toshyさんへ Comments: レスありがとうございます。 ただ、「基本単語が似ているか似ていないかが二つの言語の親縁関係の決め手となる」と いうのは私の意見ではなく、歴史言語学あるいは比較言語学(comparative linguistics)の常 識なんです。正確には「語の音韻対応(phonological correspondence)」といいます。 文法構造は、例えば中国語と英語のように「他人の空似」で似ていることがよくあります。 また英語はご指摘のように歴史的経緯からラテン語(フランス語)から入った単語が多い ため、表面づらはドイツ語よりもフランス語に似ています。 しかし日常よく使う基本単語は変化しにくく、英語とドイツ語は、trinken-drink , kommen-come のように多くの基本単語が似ている(音韻的に対応している)ため、英語− フランス語よりもより一層緊密な親縁関係にあると判断されるのです。挙げた四つの単語 は単なる例であり、こういった類の単語を何百・何千と調べていくつの単語が音韻対応し ているかの一致率によって、二つの言語が別れた年代も推定することもできるそうです。 現代日本語と現代韓国語は表面づら非常に似ていますが、基本単語となると殆ど違います。 私が明らかに同語源だとおもうのは「/ui/−うえ」「/yop/−よこ」「/paim/−へび」ぐらなも ので基本単語の殆どは「/kada/−行く」「/oda/−来る」「/mokda/−食べる、くう、はむ」「/masida/ −飲む」のように音韻対応関係にないのです。それ故、多くの言語学者が「日本語と朝鮮 語は地理的にも近いしよく似てるんだけどな〜」と思いつつ「親縁関係にある」と断定す るのをためらっているわけです。 また、英語のように、異なる言語をつかう民族が長期にわたって共生することによって、 どちらの言語でもない第三の言語が成立することを「クレオール化現象」といいます。 「クレオール」というのは本来中南米(のどこの国だったか忘れましたが)のキリスト教 化した原住民のことですが、その国が独立してから言語学者が調べると、クレオール達は 単に借用語が多いというレベルを越え、文法構造まで変化した現地語と宗主国語の入り混 じった変な言語をしゃべっており、しかもそれが一つの言語として完全なものである(そ の言語を用いて無限の文を生み出せる)ことを発見しこれをクレオール語と名付けました。 その後言語学者や文化人類学者が植民地から独立したあちこちの国で、このような二つ(乃 至それ以上)の言語の混交による第三言語が成立していることを発見し、それらをまとめ て広義に「クレオール語」と呼ぶようになりました。 前の文で挙げた「ピジン語」をその社会の人間が全て使うようになり、それが次世代に受 け継がれたときに発生する現象だと考えられています。 ただ、私は「英語はクレオールの一種だ」と思っていますが、世にゴマン(どころではな いでしょう)といる英語学者の反発を恐れてか、声高にそう主張する人は少ないようです。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 07:47:52
Name : 游惟 E-mail : Title : 勇者ロトさんへ・・・ Comments: まあ、確かに傲慢だととれる表現であったかもしれません。 みなさんお詫びします。 ただ、私は、例えば大学ゼミなどで10人が参加しているのに、二人の人間が延々 とわけのわからない論争を始め、他の8人は口も挟めずつまらない顔をしてただ聞 いているだけ・・・そういう図を想像したのです。 掲示板というのは一種の公共の場ですから、他の参加者への配慮も必要なのでは・ と思っただけです。 私は自分の仮説が完璧だともおもっていませんし、実際この数日だけでAwajiさんや みなさんの指摘をうけ細かいところでは色々変化してきています。 そうやってお互いに高めあっていくのがこういうコミュニケーションの理想ではな いでしょうか。 Awajiさんにしても最初は感情的に突っかかってきましたが、そのうち冷静にこちら の言い分も聞いてくれるようになり、「いい論敵ができた」と喜んでいたのです。 それがまた・・・ 顔が見えない相手だけに、一層相手の人格に対する配慮が必要なんじゃないでしょ うか。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 08:17:46
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 金融亭丸祐への最後のお願い Comments:  ご意見拝見いたしました。まあ仕方のない結末でしょう。 基本的に,相手の意見をあまり聞かない方だったようですね。  小生は,当初から述べているように、金融亭丸祐様とは そんなに意見の差はないと判断しています。 違う点は,それを金融亭丸祐様ご自身が正確に表現されていない ということで、小生の指摘はそこにありました。 したがって、反論しているつもりは全く無く, むしろ,金融亭丸祐様のご意見を整理している意識でした。  非常に軽く扱っておられる   「最終的」 という言葉を前前回のような形で弱められるならば, むしろ「暫定的」と表現するのが普通です。 すると、意見に差がないでしょう?  というのが言いたかったことです。だからこそ, 「何に反論されているのか不明」と申し上げたのです。  金融亭丸祐様が引用された多くの例もその文脈でとらえれば、 あげられた「基準」を実は弱めざるを得ないことにお気づきになるでしょう。 その意味で今回の例も受け止めています。  同じ記事をめぐって,当の本人が「解釈が違いますよ」とのべているにも かかわらず,一方的な間違った解釈をついに訂正なさることはありませんでした。 それでも、小生は金融亭丸祐様に対し,「科学的態度ではない」とは言いません。   「人間の観察は,主観からのがれられない。」   「明らかな反証があっても、仮説はなかなか覆らない」 というのは小生自身が言いつづけてきた科学史からの結論です。 今回の議論で証明されたように思います。 ただ、ひとつお願いしたいのは,今回の議論は禅問答でなく, 重要な視点を含んでいるということです。小生の主張に 耳を傾けるのがいやでしたら,どなたか金融亭丸祐様にたいし, 指導的助言をいただける方に冷静なご意見を伺うことをお勧めします。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 09:49:50
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: みなさん、こん@@は。 游惟さん、返信ありがとうこざいます。游惟さんの真意は理解できました。 煩わせたようですいませんでした。 この掲示板は和気藹々としているだけではありません。 議論が紛糾する事も度々で、それもまたいい事だと思ってます。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 09:54:19
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 論争についての謝罪とお願い Comments:  小生の今回の議論も皆様に不快を与えたと思いますので, お詫び申し上げます。それが、游惟様とAwaji様の論争に 飛び火したようで,2重にお詫びいたします。 游惟様の「論争のHPでないことに気づいた」というご発言は, こたえました。  何度も同じ過ちを繰り返しているので恥ずかしいのですが, そこから得たものはありますので、コメントさせていただきます。  以前に小生と論争していたKANAK様と、Awaji様は 非常によく似た方です。基本的に,まじめに歴史について こつこつと研究してこられ,多くの知識と多くの歴史認識を 得てこられたのでしょう。それだけに、思い入れも強く, 一生懸命に積み上げてきた「仮説」を軽軽に扱われた場合, このHPに記事を載せながらでも,井沢先生といえども 強く反論されるでしょう。  それに対し,游惟様も社会学の視点から分かりやすくご意見を まとめられ,歴史についても切り込んでおられます。 いわば、外部史的方向で,西洋史的にはこの方法も認められて きているようです。クーンなども科学史においてその方向ですし、フランスの 年報学派もそうでしょう。井沢史観もそうだと言えなくもありません。 しかし、この方法は余り日本史では受け入れられていないようです。 そこに食い違いのひとつの大きな原因があると観ます。  KANAK様と小生の議論でも,当初はひどいものだったかもしれませんが、 最後には結構まともな議論になっていたのではないかとうぬぼれています。 「個別」の歴史解釈をいろんな角度から論じていくという意味で, 接点は大いにありえます。この点は,解決できると思います。  また、小生もその傾向は大いにあり、自己反省も込めて口にしますが, このような議論においては, 「あまり大上段に、一般論として個別の事象を埋没させるべきではない」 と言うのが小生の得た教訓です。そうなると、個別事象の議論であっても、 議論はもとの一般論の方に向いてしまいますし、決着はもっと難しくなります。 個々の事象においては,未解決・ペンディングとすることは比較的たやすいのですが。 また、一般論はどうしても断定的な見解の形を取ることが多いようです。 (そうでないと、インパクトが弱すぎるからでしょう。) したがって、「仮説」でなく,公理的な「前提」と受け止められがちでしょう。 その「前提」と異なった立場の人には,かなりの説明を要することです。 そこを自覚されずに「当然のこと」として論じられると,受け入れられないでしょう。 とくにAnon様にその傾向が観うけられます。  実り有る議論にするためには,やはりお互いの立場を認め,要すれば 相手の立場で自説の説明を展開するぐらいの姿勢が必要だと思いますが, いかがでしょうか?  傲慢な意見ととられて,逆に火に油を注ぐことに成ることを恐れますが, この記事自体,軽い「仮説」で参考程度に受け止めていただき, このHPが有益な議論の場になることを願っています。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 10:41:00
Name : 游惟 E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: おわかりいただけて幸いです 勇者さんのご意見に感想を述べさせていただきます。 >しかし、古代となるとどうでしょう?少ない資料からの取捨選択は問題の単純化 >にはなると思いますが、反面見逃す問題も割合が大きくなると思います。なるべ >く全ての資料、材料を包括し整合させなくては説得力にかけるという事になるの >ではないでしょうか? 我々は20世紀という「現代」を生きていますが、現代の地球上には文明の発展段 階が異なる様々な社会が併存しています。同じ時間を共有しているからといって、 フィリピンの山奥の裸族と今日の日本人とでは世界観や行動様式は全く異なりま す。 文字史料の少ない、あるいは全くない時代のことを考察する場合は、現存する文明 発達段階が同程度と思われる社会の現象から類推して考えるのが有効です。 多くの文化人類学者がアフリカ・東南アジア・中南米などの様々な文明段階にある 社会を研究し、地理的に遠く離れた社会同士でも、文明発達段階とその他の条件、 たとえば遊牧民か農耕民か、が似ていれば、似たような現象が起こることを報告し ています。 だから、弥生時代と条件の似た社会の現象から弥生時代にもこのようなことが起 こったはずだと類推して考察することは悪いことではないはずです。 なにより、弥生時代が始まったころはもはや古代というより文献史料の全くない先 史時代であり、考古学が扱う領域に入ります。日本では歴史学の一部門だと勘違い している人が多いようですが、考古学(archaeology) はもともと文化人類学 (cultural anthropology)の一部門なのです。だから弥生時代がどのように始 まったかを文化人類学的に考えることはむしろ当然なのです。 といって、私は文化人類学の専門家ではないし(必要上人類学の文献をよく読みま すが)、考古学に至っては全くといって知りません。 文献資料の大切さはよくわかっていますが、その空隙を埋めるために、人類学を多 少囓った人間として「こういう考え方もできますよ、ご参考までに」といっている だけです。 下の「妄想」はあくまでフィクションですが、かといってアフリカなどで征服した 部族の言語が何世代かするうちに征服され消滅したはずの部族の言語に変わってい た、という事例はいくつか報告されており、決してあり得ないことをいっているわ けではありません。 あくまで、「ご参考までに」です。 こうやって、みんなが持っている知識を出し合って一つの問題を考察するのは、い いことではありませんか? Time : 1999/ 7/ 5(月) 12:04:45
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「言語学=英語」?? Comments: みなさん、游惟さん、大阪JF生さん、今日は。Awajiです。 ご心配をお掛けして、すみません。Awajiは「非難」なんてしていないんで すが・・・Anonさんに対してはそれに近いかも? さて・・・・ 言語学についてですが、「英語はクレオールの一種だ」と言うご意見は、極 めて疑問です。(それ以外の部分については、ほぼ異論はありません。) クレオール語(化)というのは、游惟さんの定義のとおり・・・ 「借用語が多いというレベルを越え、文法構造まで変化した現地語と宗主国 語の入り混じった変な言語をしゃべっており、しかもそれが一つの言語とし て完全なものである・・・」ことを言います。 ところが、英語は大きな範疇ではインド・ヨーロッパ語に属し、その枝語で あるゲルマン語系・ラテン語系のうちゲルマン語系に属しています。 さらに、ノルマン支配時代に多くのラテン語系語彙が取り入れられたもの です。(この部分については異論ありません。) 従って文法構造について言えば、殆ど何の構造変化を受けていません。 同じゲルマン語系のドイツ語に比べれば「動詞」の位置が異なる傾向があ りますが、構造変化と言うレベルではありません。元々が同一の言語構造 の枝語ですから当然のことですが・・・。 単に、ラテン語系語彙が借用語として多く取り入れられているだけで、ク レオールの概念とは全く異質のものでしょう。 なお、現代韓国語についても極めて多くの中国語が基本語に近いレベルに まで取り入れられています。(近代以降では一部「日本語」もそうですが、 徐々に排斥すべく努力されています。) しかし、これも単なる借用語であり、クレオール語の概念とは異質のもの です。 古代韓国語がどのようなものであったかについては、「百済」「新羅」 「高句麗」各語がどのような関係にあったかを含め、殆ど解明されてい ません。 これは、言語記録が基本的に「漢文」と言う表意形でしか残っていない ため、言語構造、語彙ともに分析できないためです。 (「吏読」に頼るしか無いのですが、決定的に資料が不足しています。) この点、倭(日本)語は膨大な表音言語記録(万葉仮名)が残されていま すので、かなり音韻変化もたどることが可能であり、これに記述された韓 国記事から古代韓国語の解明が進むかも知れません。 ただ、Awajiは「倭(日本)語」の形成過程では、モンゴル語系、チベット 語系(原アジア語?=越人語も同系か?)、マライポリネシア語系等の一 種のクレオール語(化)があったのでは無いかと想像していますが、これは 今後の言語学の課題でしょう。 かってレプチャ語(チベット語系?)やタミール語との関係が議論されまし たが、古代韓国語の解明とともに、これら大きな意味での中国周辺諸民族語 との関係解明が待たれるところです。 游惟さんの「弥生人」「倭語」形成仮説に極めて大きな疑問を覚えた所以 です。 なお、Awajiは「延々とわけのわからない論争を始め」たつもりは、ありま せんが、游惟さんが基本的にAwajiの意見をその様に理解されていたことは、 更めて良く分かりました。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 12:36:33
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「言語学=英語」?? Comments: みなさん、游惟さん、大阪JF生さん、今日は。Awajiです。 ご心配をお掛けして、すみません。Awajiは「非難」なんてしていないんで すが・・・Anonさんに対してはそれに近いかも? さて・・・・ 言語学についてですが、「英語はクレオールの一種だ」と言うご意見は、極 めて疑問です。(それ以外の部分については、ほぼ異論はありません。) クレオール語(化)というのは、游惟さんの定義のとおり・・・ 「借用語が多いというレベルを越え、文法構造まで変化した現地語と宗主国 語の入り混じった変な言語をしゃべっており、しかもそれが一つの言語とし て完全なものである・・・」ことを言います。 ところが、英語は大きな範疇ではインド・ヨーロッパ語に属し、その枝語で あるゲルマン語系・ラテン語系のうちゲルマン語系に属しています。 さらに、ノルマン支配時代に多くのラテン語系語彙が取り入れられたもの です。(この部分については異論ありません。) 従って文法構造について言えば、殆ど何の構造変化を受けていません。 同じゲルマン語系のドイツ語に比べれば「動詞」の位置が異なる傾向があ りますが、構造変化と言うレベルではありません。元々が同一の言語構造 の枝語ですから当然のことですが・・・。 単に、ラテン語系語彙が借用語として多く取り入れられているだけで、ク レオールの概念とは全く異質のものでしょう。 なお、現代韓国語についても極めて多くの中国語が基本語に近いレベルに まで取り入れられています。(近代以降では一部「日本語」もそうですが、 徐々に排斥すべく努力されています。) しかし、これも単なる借用語であり、クレオール語の概念とは異質のもの です。 古代韓国語がどのようなものであったかについては、「百済」「新羅」 「高句麗」各語がどのような関係にあったかを含め、殆ど解明されてい ません。 これは、言語記録が基本的に「漢文」と言う表意形でしか残っていない ため、言語構造、語彙ともに分析できないためです。 (「吏読」に頼るしか無いのですが、決定的に資料が不足しています。) この点、倭(日本)語は膨大な表音言語記録(万葉仮名)が残されていま すので、かなり音韻変化もたどることが可能であり、これに記述された韓 国記事から古代韓国語の解明が進むかも知れません。 ただ、Awajiは「倭(日本)語」の形成過程では、モンゴル語系、チベット 語系(原アジア語?=越人語も同系か?)、マライポリネシア語系等の一 種のクレオール語(化)があったのでは無いかと想像していますが、これは 今後の言語学の課題でしょう。 かってレプチャ語(チベット語系?)やタミール語との関係が議論されまし たが、古代韓国語の解明とともに、これら大きな意味での中国周辺諸民族語 との関係解明が待たれるところです。 游惟さんの「弥生人」「倭語」形成仮説に極めて大きな疑問を覚えた所以 です。 なお、Awajiは「延々とわけのわからない論争を始め」たつもりは、ありま せんが、游惟さんが基本的にAwajiの意見をその様に理解されていたことは、 更めて良く分かりました。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 12:36:55
Name : Toshy E-mail : Title : 言語 Comments: 游惟さん、こんにちは。 その親戚関係の話は、当然私も言語学をかつて勉強したことがある以上聞いたことがあったのです。 ただ、フランスとスペインは陸続きながらも発音が全然違っているので、 まして海で隔離された日本と韓国は、です。 大陸から人が入ってきたという過程は、 私は游惟さんが主張なさった意見に近いものを持っていました。 ところで、今回火を噴いたことで気になさっているようですが、勇者ロトさんもいうようによくあることです。 3週間前、よりもさかのぼってくださると、私とノムさん・999の対立が見られます。 議論とは自分の知識を披露するよりも、自分の足りないところを補っていくことだと考えています。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 12:37:19
Name : 輔住 E-mail : Title : 議論してると Comments: たまに感情的になってしまう時がありますよね。 私もAnonさんと議論をしている時少し切れました。 みなさん、申し訳ありませんでした。 まあ、自己弁護するわけではありませんが まじめに議論していて、たまたまそういうことになってしまうケースも 何度かあります。そういう時は過去の投稿をみたりして ゆっくり考えたり私はしています。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 14:05:20
Name : きんたろう E-mail : Title : ブレイクタイム Comments: 游惟さん、こんにちは。 先日は割り込みの投稿をしてすみませんでした。 早速のレスをいただきありがとうございました。 ここのところの白熱した議論は私もを楽しませてもらっていました。 Awajiさんとの論争を気になさっているようですが、まわりの人達も (Awajiさんもきっと)気にはしていないと思います。 私も過日Awajiさんと議論をしましたが、事実ためになったと思っております。 (Awajiさん、参考になりました、ありがとうございました)(^^) ここで結論は出なくてもいいのではないかと思います。 自分以外の意見に触れるだけでも素晴らしいと思っています。 またAwajiさんは非常に博識な方で且つ真面目な方です。 ですから純粋に議論をされているのだと思います。 ところで「上位文明から下位文明へと伝わる」というのはもっとものように 聞こえるのですが、現実社会(歴史)は「例外の連続である」と捉えた方がより 真実に近いのではないでしょうか。 私もマクロ的視点をより好む者ですが、游惟さんの書かれているのを読んでいると あたかも「神の見えざる手によって」自然に達成できるような印象を受けてしまい ました。 これからの活躍を期待しています。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 18:53:39
Name : 金融亭丸祐 E-mail : Title : 大阪JF生さまへの(今度こそ)最後のお願い Comments: 「今度こそ最後にしよう」と思って7月3日(土)の投稿(No.5)を行ったのですが、 JF生>どなたか金融亭丸祐様にたいし、 JF生>指導的助言をいただける方に冷静なご意見を伺うことをお勧めします。 (7月5日) てな大見得を切って終了されたのでは、「最後に言うたもん勝ち」となってしまいます。 JF生さん以外の方々には重ね重ね申し訳ありませんが、もう一言追加説明させて頂きます。 私とJF生さんとの間では、そもそも「何が争点であるか」の認識が食い違っている様です。 私が(6/29)に「こちらの意見を良く読んでほしい」と抗議したのは、 その前の投稿(6/28)において私が例示した 「分子論をめぐる論議と、それへの反省からの演繹法見直し」の文章に対し、 JF生さんが、歴史上の人物(アインシュタイン)の考えと私自身の考えとを混同した上で、 「私に対する」異論を述べられた(6/29)ので、その誤解を解くのが主な目的であったのです。 良く読んでもらうと判りますが、私の文章(6/29)の大部分は、そのために費やしています。 「私の文の主旨がうまく伝わらなかったのでは」と思い、 前と同じ内容のことを、より詳しく述べているだけです。 ところが、(6/30)の投稿において、JF生さんはこの点に触れず、 新たな問題点(検証基準の厳密性についてなど)を提示されてきました。 議論するうちに新たな問題点が出てくるのは良くあることで、 その点は別に構わないのですが、 (6/29)の私の主張点(上述)には全く触れないまま、 JF生>何に強く反論されているのか、判断に苦しみます。 と書かれたことに対し、 丸祐>私の論旨とは無関係に話を展開されている(7/1) との抗議となった訳です。もっともこの点については、その後 JF生>その点は素直に申し訳ありませんと頭を下げます。(7/2) と書かれたことでケリがついてます。 さてこの様な展開の中で派生的に出てきた「検証基準について」の話題ですが、 確かに私自身が「厳密」とか「最終的」とか「どのように意地悪く考えても」とかの 言葉を使ったことが、JF生さんをいたく刺激した様です。 その語感から、私がその後説明した以上のことを感じ取られていたのなら、 ここで訂正します。その後の説明の方が私の本意です。 なお、 JF生>同じ記事をめぐって、当の本人が「解釈が違いますよ」とのべているにも JF生>かかわらず、一方的な間違った解釈をついに訂正なさることはありませんでした。     (7/5) とのことですが、どのように解釈しても 「検証を受けて不合格とされ」とか 「ほぼ完璧に間違いだという科学的な検証で」 という表現を 「各段階で、確かに検証されたと判断している」 と理解することは不可能です。 もちろん、JF生さん自身が本当に「検証されたと判断している」と考えた上で 上の文を書かれた可能性は否定できません。 (JF生さんの頭の中は覗けないので、私にはそうであるか否かの判断はできませんが) 百歩譲ってそうであったとしても、上の文はそういう意味にはなっていません。 やはり、表現ミスだと思います。 これを本当に最後にしたいのですが、もしまだ納得できない所がおありでしたら、 どうぞ反論なさって下さい。 徹底的にやりましょう。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 18:59:40
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: 英語がゲルマン語族の一分枝であることを否定しているわけではありません。 ただ、私が英語がクレオールの一種だと考える根拠は、「元になった言語の文法構 造の著しい簡略化」というクレオール一般の特徴を持っているからです。 独・仏語と比較すると、名詞の性の消滅(独・仏)、人称代名詞の簡略化(独・ 仏)、冠詞・形容詞の格変化の消滅(独)、形容詞の性数一致の消滅(仏)、動詞 の人称変化の著しい簡略化(独・仏)、時制の著しい簡略化(独・仏)等々の複雑 な規則が殆ど消滅しています。また動詞の不定詞に規則性が見られない、という特 徴もあります。 英語がゲルマン語系だとみてもラテン語系だとみても隣接する言語に比してこんな に著しい簡略化された文法構造を持っているのは特殊だといわねばなりません。ノ ルマンコンクエストの時に突然変異でそのように自然に進化(退化?)したと 考えればいいのかも知れませんが。 しかし、ゲルマン・ラテン・スラブ系語族殆ど全てに見られ、印欧語の特徴とされ る「名詞の性」がないことは、やはりクレオールだと考えない限り説明がつきませ ん。 もう一つ、これまで(1988年まで)に発見された近代発生のクレオールの全てがS VO型の文法構造だそうで、その点でも英語は当てはまります。(1988年頃に言語 学者の西江雅之氏から直接聞いた) ただ、独仏語も基本的にはSVO型なので決め手にはなりませんが。 私はこういった理由から英語をクレオールの一種だと考えているだけです。考える のは私の自由でしょう? Time : 1999/ 7/ 5(月) 19:37:50
Name : Toshy E-mail : Title : くれおーる と SVO Comments: ゆういさんの意見、今まで考えたことはなかったけど、もっともかなと思いました。 >ただ、独仏語も基本的にはSVO型なので決め手にはなりませんが。 フランス語・スペイン語も基本的にはSVOですが、Oが代名詞の時にはSOVの形を取ります。 しかし英語ではすべてSVOですよね。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 19:47:23
Name : 游惟 E-mail : Title : Toshyさんへ Comments: 助詞や格変化のある言語は、語順は自由になります。(あまり自由に置き換えたりしませんが) 英語は格変化がないので、基本的には語順が格関係を表します。(あとは前置詞) だから常にSVOなんです。中国語も同じです。 クレオールが殆ど全てSVOなのは、それが普遍的に一番わかりやすい語順だとい うことなのでしょう。 Time : 1999/ 7/ 5(月) 20:16:08
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「クレオール」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。 お考えになるのは勿論自由です。と同時にご意見に疑問を呈するのも自 由でしょう? Awajiのクレオール語の理解は、本来言語体系が異なる言語が、混合し て出来上がった新しい言語です。文法規制や語彙変化が簡略化するのは、 その結果としての現象だと思います。 (本来は西インド諸島におけるスペイン系混血児の語る言語) おっしゃるとおり、ピジンイングリッシュも、その典型でしょうが、 SVOは両母語の基本型ですから当然です。西インド諸島の場合は先住 民の語順が分かりませんが、抱合語系ですか? 英語は確かに文法規制や語彙変化が極端に簡略化していると言う特徴が ありますが、周辺言語は(バスク語を除き?)全て印欧語系だと思いま す。 従って、少なくとも言語体系が異なる言語が、混合して出来上がった可 能性は薄いので、クレオール語の概念に一致しないと考えます。 しかし、同一言語体系における支語同士の混合もクレオール語と考える ならば、クレオール語の範疇に入れることもあり得るかも知れません。 Awajiは、中世以降も簡略化が進んでいますので、スコットランド語・ウ エールズ語・アイルランド語の同化過程の現象と思いますが、或いはノ ルマンコンクエスト時のアングロサクソン語抑圧の後遺症かも知れませ ん。これらも大きな意味での植民地現象と考えるならば、それも可能か もしれませんが、一般的概念としては如何なものでしょうか? ところで游惟さんの想定では何語と何語が混合したのでしょうか? Time : 1999/ 7/ 5(月) 22:12:46
Name : Toshy E-mail : Title : 実は「くれおーる」について Comments: ほとんど勉強していないので、Awajiさんとゆういさんの意見についていくのが大変です(^^;; べつに揚げ足を取りに来たわけではないのですが、ひとことかふたこと。 ゆういさん> >助詞や格変化のある言語は、語順は自由になります スペイン語では割合自由です。しかし助詞がないので、日本語のような自由さはないですね。 フランス語では、格変化があるけど、これは厳格なルールの元にあるようです。 他の言語は知らないので、なんともいえません。 ところでゆういさんの話からすると、中国語も「クレオール」なのでしょうか。 私は中国語のことをまるっきり知らないので、ご教授願います。 Awajiさん> >周辺言語は(バスク語を除き?)全て印欧語系だと思います。 完璧な揚げ足取りで申し訳ないのですが、フィンランド語とブルガリア語があります。 クレオールの概念からすると、ゲルマン語とラテン語は近いからAwajiさんの主張も正しいように思えますが、 例えばラテン語にはKやWがない。 このあたりを考えても、一応違った形態の言語が混ざり合ったものと考えていいのではないでしょうか。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 00:23:32
Name : Toshy E-mail : Title : 早めの自己ツッコミ Comments: >ところでゆういさんの話からすると、中国語も「クレオール」なのでしょうか。 改めて、自分が見当違いな事に気づきました。無視してください。 >例えばラテン語にはKやWがない。このあたりを考えても 文字や発音の違いだから、Awajiさんのおっしゃるような「構造上」のものではないですね。失礼しました。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 00:28:01
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: みなさん、こん@@は。クレオールと聞いて消毒剤を想像したのは私だけ?(クレゾールやんけ!)(笑) えっわらわれへんて?どうも失礼しました。(二段落ちの二段目) 確かに、それぞれの知識を考察に対する参考にすることはいいことだと思います。 ただそれだけでは、話が発展しないという弊害もあると思います。論争になること もまた、より真剣な考察を導き出す手助けともなると思います。 いろいろな意見の提示の仕方があってもいいと思ってます。 私も古代についての考察に人類学的考察をくわえるのが良くないといってるわけで はありませんので、誤解のないようお願いいたします。 ただ材料的に、古代と現代では、対象とする民族の文化レベルが同程度だとしても 周辺世界に大きな違いがあるわけですから、そのままうけいれられないという意味 です。今回の游惟さんの意見は十分古代考察についての参考にはなると思っています。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 02:16:38
Name : 游惟 E-mail : Title : クレゾールじゃなかったクレオールについて Comments: Toshyさんへ 実は私も中国語もクレオールではないかと思っています。 英語もクレオール化した当初は今よりもっと素朴なもので、語形変化の殆どない中国語の ようなものだったと思われます。 例えば、初期には三単現のsや進行アスペクトを示す〜ingの形(このアスペクト形態は ドイツ語にもフランス語にもない。ドイツ語には〜ung という形はありますが、これは名 詞化語尾です)はなかったんじゃないでしょうか。クレオール化してから時間が経つうち に、だんだん進化して(進化の一般法則は単純なものから複雑なものへ・・です)今のよ うな形になったのだと思われます。 これはあくまで私の仮説(妄想)にすぎず、何かの史料に基づいたものではありませんが、 おそらくこんな研究はゴマンといる英語学者の方がどこかでやってると思うので、興味が あれば調べてみてはいかがですか? 中国語の場合は、中原に割拠していた諸部族の言語が混交してクレオールとして発生し、 そう進化してない段階で漢字が発明され、一音節一文字に固定されてしまったため、事実 上統語的な語形変化が禁じられてしまい、世にも珍しい統語的語形変化の全くない言語と なってしまったのではないでしょうか。 このとき発明された文字が漢字ではなく音素文字(アルファベットやハングルのように子 音や母音を表す表音文字)だったら、中国語は全然ちがった形に進化していったかもしれ ません。 これはあくまで私の仮説(妄想)であり、この仮説を検証する方法はたぶんないと思いま すが。 Awajiさんへ 意見や疑問を呈するのも勿論自由ですが、それに答えるか答えないかもまた自由です。 ま、今回はかたいことは言いませんが。 「クレオール」の定義に、混交する言語は必ず完全な別系統の言語でなければならない、 という基準はないはずです。もしそういう定義があるんなら、その定義に照らせば英語は クレオールではない、というだけです。 どんな現象をどう定義しようとそれは自由ですから。ただその定義が他の人の支持を得ら れるかどうかの問題です。たとえば「宗教」の定義なんか掃いて捨てるほどあり、それを 巡っての論争が絶えません。 現代英語の元となったのは、当時イギリスで支配的だったゲルマン語の一種の古英語、当 時のフランス語であり、それにAwajiさんのおっしゃるケルト語系のスコットランド語・ ウエールズ語・アイルランド語なども混じっている、と考えるのが常識的でしょう。 ただ私は英語の専門家ではないですから、興味がおありならゴマンといる英語学者にお聞 きになった方がいいです。 前にも同じようなことを述べたかもしれませんが、私は現実に生起した一回限りの事象よ りも、その背後にあってそれを生起させる法則のようなものにこそ興味があります。 その法則のようなものを概念やパターンとして図式的に把握し、それを用いて様々な現象 を分析し、自分なりの説明を与えてゆくのが私の研究スタイルです。そしてこれは私が中 心的スタンスを於いている社会学のスタイルでもありますが、もっと厳密にいえば要する に私の「趣味」の問題です。私はこういう研究法が好きだからこういう研究をやる、それ だけのことです。 人それぞれ趣味が違い、英語の研究に一生を捧げる人もいれば、日本史の文献的研究に一 生を捧げる人もいる。私のように横断的にいろんな分野に首をつっこんで好き勝手に仮説 を立てて研究する人もいる(但しそういう人間は各分野の専門家から嫌われ、飯が食えな いという問題が生じますが)。いろんな人がいるから社会はうまくいくのです。社会学者 デュルケムは近代社会の特徴を「諸個人の差異に基づく有機的連帯」としています。 日本史学者や英語学者が実証的研究によって史実を解明してくれるから社会学者や言語学 者はそれを抽象化してパターン的に把握できます。逆に社会学者や言語学者のパターン的 認識が史実の解明に役に立つこともあるでしょう。 違いますでしょうか? Time : 1999/ 7/ 6(火) 08:14:16
Name : 游惟 E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: 勇者ロトさんへ >論争になることもまた、より真剣な考察を導き出す手助けともなると思います。 その通りだと思います。 ただ、意見の相違点を巡って論理的に話し合う「論争」と、感情的になって真っ向から相 手の意見を否定し挑発的言辞を弄して相手を侮辱することとは別だ、ということです。そ れは論争ではなくただの「喧嘩」です。 英語がクレオールかどうかの問題にしたって、人それぞれ観点があり意見がちがうのは当 然です。自分はこういう観点から英語はクレオールだと考え、他の人は別の観点から英語 はクレオールではないと考える。その相違点を巡っての「論争」は、お互いの認識を深め 実り多いものになるでしょう。しかし「喧嘩」は憎悪を生み出すだけで何の役にもたちま せん。 私は「論争」はしますが「喧嘩」はしません。 ただここでロトさんの大阪弁を聞いて考えたのですが、ネットで喧嘩がよく起こるのは、 標準語(東京方言)を用いて話しするからじゃないでしょうか。 下の記事はある相談系のページで、大阪に住む東京出身の主婦が大阪の人によく「東京の 人間は冷たい」と言われるがどうしてか、という問題に私が答えたものです。     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 東京の人が冷たく思われる理由の一つに言葉の位相が複雑なことがあります。 つまり、大阪弁は敬語も友達言葉も乱暴な言葉も対して差がないのに、標準語では時と場 合と相手との関係によって、同じ事を言うのでも言葉を細かく使い分けねばならず、間違 えると大変なことになります。それが非常によそよそしく冷たく感じられるのです。 東京「わたくし今度担当になりました田中と申します。今後とも宜しくお願いします。」 大阪「わたし今度担当になりました田中いいますねん。よろしゅうお願いしまっさ。」 東京「じゃ、近いうちにどっかで一杯やりましょうよ」 大阪「ほな、近いうちにどっかで一杯やりまひょや」 東京「田中君、ちょっとこっちきたまえ。なんだね、この書類は」   「田中! ちょっと来い! 何だ、この書類は!」(田中 ムカーッ) 大阪「田中、ちょう来い。なんやねん、この書類は」 「なんか問題おましたか?(田中 ヘラヘラ)」 東京「ばかやろう! 貴様何年この仕事やってるんだ!」   「いくら上司だからってバカとは何だ!」 大阪「あほんだら! おんどれ何年この仕事さらしとんじゃい」   「まあ、そない怒らんかてよろしがな」 東京「部長、昨日はひどく酔っていらっしゃったみたいですが、あまり酒ばっかり飲んで    いらっしゃったらいけませんよ」   「なんだとー!」(部下左遷される) 大阪「部長、きんのえらい酔うてはったみたいでっけど、あんまり酒ばっかり飲んだはっ    たらあきまへんで」   「そやのう。わしも年やし気ぃつけんとのう」 さて、どっちが冷たいでしょう?     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これからネットの標準語を大阪弁に変えれば問題は少なくなるのではないでしょうか。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 08:56:47
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 金融亭丸祐様,もうやめませんか? Comments:  このHPの皆さんに謝罪した後ですし,もう議論する気は 無かったので,単純なミスすら指摘しなかったのですが, >「検証されたと判断している」 のは、文脈から当然,  「仮説が間違いだと検証された」 の意味に取らないと通じません。 以前に「仮説の棄却」として言及したはずですが・・・。 これを指摘すると基本的な読解力にケチをつけることになるので, 他人から忠告されたほうが傷がつかないと判断しましたが、それをまた、 >大見得を切って終了されたのでは、 >「最後に言うたもん勝ち」となってしまいます。 と曲解なさるようでは,何をかいわんやです。 ちゃんとした議論なら,いくらでも付き合いますが, 一方的に誤解されたままでは,議論にならないでしょう。 議論はまず、小生がどのように考えているかを理解されてからに していただけませんか。 >丸祐>私の論旨とは無関係に話を展開されている(7/1)との >抗議となった訳です。もっともこの点については、その後 >JF生>その点は素直に申し訳ありませんと頭を下げます。(7/2) >と書かれたことでケリがついてます。 という文章も,念のため述べますが,アインシュタインの例に限定されたことで, 一般論としては違うと指摘しておいたはずです。 >「厳密」とか「最終的」とか「どのように意地悪く考えても」とかの >言葉を使ったことが、JF生さんをいたく刺激した様です。 >その語感から、私がその後説明した以上のことを感じ取られていたのなら、 >ここで訂正します。その後の説明の方が私の本意です。  小生は何も刺激されていません。用語を正確に使用し,金融亭丸祐様が本当に 言いたいことは「その後の説明」の方でしょうと確認したかっただけです。 何度も同じことを言うのはいやなのですが,そうすると,どこに大きな意見の 相違があるのですか? 小生のほうは当初から誤解していないと思いますが・・・  小生が細かなミスを全部逐一指摘しなかったことが悪かったようです。 最初のうちはきちんと意見を整理されて,議論しておられたので, その姿勢は非常に好ましく思えました。多少のミスはありましたが, 揚げ足取りもはばかられるので,間接的にミスに気づいていただこうと 努力したつもりです(無駄でしたし,逆効果でした)。  再度申し上げますが,まともな議論ならいくらでも受けますが, 過去のことにいつまでもこだわり続けられるならば,迷惑です。 (小生のミスはアインシュタインの例示を見て,深読みしすぎたことだけです ので、もちろんいきさつについて逃げるつもりはありませんが, そんな議論は皆様にも迷惑です。) もし、議論すべきまともな事項が残っているなら,まず当初に戻って, 意見を整理されてから再スタートしていただけませんか。 (小生は残っていないように思いますので、この役目は無理です。) そこでは、誤りは今度こそはっきりと逐一指摘していきたいと思います。 (小生も大阪弁でいくべきなのかな?ねえ游惟様) Time : 1999/ 7/ 6(火) 09:55:01
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 自身の問題でしたが,少しまともな話題です Comments:  無駄にHPを使用してばかりいるので, すこし、まともな意見を述べさせてください。  どこでどう違ったのか,当初の小生の目論見とは 全く違う方向にいってしまって、断末魔の状況です。 もともと、  「日本の近代化を支えた思想は,道元の禅宗テーゼである」 という、ウェーバーに匹敵するような井沢先生の見解についての 皆様のご意見を伺うつもりで始まったものでした。 その後,確かに多くのご意見をいただきました。 遅ればせながら,意見をいただいた皆様ありがとうございました。 もともと日本にそのような傾向があったことや,儒教中心の国では そのテーゼが育ちにくいというAwaji様のご意見などもあり, 道元のみに注目するのはどうかと指摘いただきましたが, 一応,個人的には道元にその栄誉をあげても良いのではないかと 結論づけたいと思います(もちろん,異論は有ると思いますので, ご意見は歓迎いたします)。  その理由ですが,たとえば「知は力なり」はベーコンに帰せられる ことになっていますが,この概念自体はアルキメデスという 先例がすでにありますので,かなりの人は分かっていたことでしょう。 しかし、はっきりと,   キ―ワード・新学術用語・スローガン・(理論)体系 にした人はそれなりの功績があると思います。意識下では理解していても, これらはそれを積極的に意識させ、定着させる効果があり, ベーコンの場合もその意味で語られていると思います。 クーンのパラダイムやウェーバーのカリスマなどもその類でしょう。 ここは、厳密な先人争いではなく,上記の意味で功績として認めたいと 思いますが、いかがでしょうか? Time : 1999/ 7/ 6(火) 10:14:05
Name : Toshy E-mail : Title : くれおーる Comments: ゆういさん、ありがとうございました。なるほど、 中国語にもそのような傾向があるかもしれない、のですね。 ところでAwajiさんに突っ込まれる前に自分で突っ込むと、 ブルガリアではなくてハンガリーですね。印欧系の言語でないのは。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 11:13:53
Name : きんたろう E-mail : Title : 関西弁ではうまいこと変換できへん Comments: と言うのが私の経験上からの感想です。(^^; (おじゃま虫でした) Time : 1999/ 7/ 6(火) 11:37:34
Name : はてなマン E-mail : Title : 游惟さん、それはちょっと(笑) Comments: >これからネットの標準語を大阪弁に変えれば問題は少なくなるのではないでしょうか。 みなさま、こんにちは。大阪弁を知らない人にはちょっとこまりますね(笑) 私は、今神奈川に住んでますが、中学生の頃大阪市内の中学に2年間通ってました。(父の転勤のため) その経験からいうと、マジで「怖かった」です>大阪弁(笑) 半年ほどでなれましたが、喧嘩を売られているのかと勘違いしたこともしばしばです。 テレビでは関西出身のタレントさんが大阪弁で会話してるのをよく目にしますが、実際目の前でやられたら最初は怖いと思います。 游惟さんは、関西の方ではないですよね? それでも関西弁の使い方がわかってるから問題を感じないと思うのです。 大阪弁を使えない人にとっては更に喧嘩みたいに聞こえるのではないでしょうか? すいません、ジョークを長びかせてしまうようなレスをしてしまって?? 後悔してます!やはり、ネットは偽標準語(笑)が一番似合う気がします。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 12:08:24
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「通則とは?」?? Comments: みなさん、 游惟さん、今日は。Awajiです。 >>意見や疑問を呈するのも勿論自由ですが、それに答えるか答えないかもまた >>自由です。 当ったり前のことどすわ。以下についてもおんなじことどして、答える答えへ んは、あんさんの勝手どす。(で良いでしょうか?) おっしゃるとおり、クレオールの定義を拡大されるのも自由です。 ただ、この言葉は一般的には「近代植民地」において発生した、言語系の異な る言語の混合語について発見され使用された概念です。 この拡張概念として同系の多言語が混在した場合に発生するかも知れない現象、 或いはその場合の概念用語として妥当かどうかは別の問題です。 これに対し疑問を提示してはいけないのですか? 多くの言語学者が「英語」をクレオール語の一種と考える事に躊躇するのはこ のためでしょう? Awajiの極めて親しい女性は、スペインだってフランスだって同じような雑居が 有ったはずなのに、どうして「英語」だけが簡略化の道をたどったの? と言っていました。大袈裟に言えば「歴史事象」の通則化にかんする疑問です。 >>進化の一般法則は単純なものから複雑なものへ・・です 本当でしょうか?日本語は明らかに複雑なものから単純なものへ変化している と思います。ドイツでも名詞性格は単純化していると聞いています。 生物の時間的変化でも単純化した例は幾らでもあります。この様に言うと・・・ 「いやそれは進化ではなく、退化である」と言われるかも知れませんね。 でも、時間的変化について「進化か退化」かは誰がきめるのでしょうか? 馬の蹄が「進化か退化」かは誰にも言えないと思います。 このテーゼ自体が「複雑化することが進化である」と言う前提による循環論のよ うな気がするのです。 Awajiは「事象の自然な時間的変化」について「進化退化」と言う価値観を導入 することには懐疑的です。 言語について言えば・・・以下のとおりと考えます。 「言語」は、それを使用してきた人達の歴史的条件により、部分的に単純化・複 雑化する事があり得る。その変化をもたらした歴史的条件は、歴史学と言語学の 共同作業により解明さるべき課題である。 西欧植民地における所謂クレオール語については、その歴史的条件は解明されて いるが、その他の簡略的(化)言語については未解明である。 出来ればこの問題は以上にさせて頂きたいと思います。 ところで、このクレオール問題や上記の疑問提示は「喧嘩」になるのですか? もしも、そうであれば疑問点の指摘はこのHPではとても難しいことですね。 次回は、歴史事象を社会学的一般通則??で解明することの問題点について考え て見たいと思います。 具体的には・・・Anonさんの百済王朝正統説を補強支持された >>それと同じく、白村江敗戦以前の「倭」を支配していた漢人あるいは韓人の子 >>孫達は、客観的に見れば何世代にも亘ってそこに住んでいる「倭人」ですが、 >>主観的に見れば依然として自分たちを「漢人」ないし「韓人」と規定し、原住 >>民たる倭人とみずからを完全に区別していたはずです。 と言うSollen歴史認識が、社会学的通則から導き得るのか、さらに史書等からそ の蓋然性が認められるのか・・・と言う当初からの疑問です。 Awajiは、この歴史認識は社会学的通則に関する議論の中で修正されと考えていま した。ところが「弥生人」に関する仮説(妄想?)から察するに、この意見は今 だに生きている様に感じます。 従って、原点に返って考えて見たいと思うのです。 文献のことなんか知らんと、おっしゃる? そらあんさん無茶どっせ。この話がほんまに近いかどうか、文献学、言語学、考 古学(遺跡・遺物・人類学)、神話学・・・・名前はなんでもよろしおす。 チョットでも役立つもんがおしたら、総がかりで調べるっちゅうのが筋どっせ。 あては、実(まこと)に近づくためには、無い頭をしぼってでも全部やりつくす。 自分に足らんとこは、人さんの助けでも、猫の手でも何でも借りて、調べつくす。 その上で、らしいか、らしないか・・・おおよその目処をつけていく・・・・ これが学問の道ちゅうもんやと、思うとります。 お前にそんな脳があるんか? それをいわれれば、確かに脳はおへん。ほいでも一所懸命つとめるのが、あ ての趣味どして、変えるつもりはおへん。 何ぞ、ご迷惑なことでも、おまっしゃろか? Time : 1999/ 7/ 6(火) 12:41:26
Name : A E-mail : Title : おひさしぶり Comments:  みなさんご無沙汰しております。Aでございます。  今の論争、あまり興味深いとは思わずに見ています。  私に言わせれば、どう考えても游惟さんの国語力に難があるようです。  このように紛糾した時に温厚な人柄で収めてこられた大阪JF生さんが 今回は当事者として巻き込まれてしまわれたことも問題を大きくしてい るかもしれません。いずれにしても >「検証されたと判断している」のは、文脈から当然 >「仮説が間違いだと検証された」の意味に取らないと通じません。 ということまで言ってもらわないと分からないようでは議論は成り立 ちませんよね。  はっきり言って無駄です。  游惟さんは前の安部さんと違って質問にはちゃんと答え様とされており、 その点では評価できたのですが、このままではちょっとね。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 12:41:34
Name : Toshy E-mail : Title : 議論の経験があるものより Comments: みなさん、こんにちは。 なんかこのところ、ここの掲示板があちこちで火を噴き(?!)、 どなたとどなたが論争しているのかわからなくなってきました。 関係ないですが、Toshyもここで、かつてAwajiさんや999とやりあいました。 今回のゆういさんとAwajiさん、大阪JF生さんと金融亭さんの論議を見て、うらやましいです。 私とAwajiさんの時は、結構面白くやらせてもらいましたが、 あとで私に喧嘩をうってきた999は、ろくな知識もないのに私を論争趣味扱いしたのですから。 ちょっとすれ違いで感情的になるかもしれませんが、 それでも知識のある人とやりあえるのはいいことです。999とやりあった私は、みじめでした(笑) ところでAwajiさん、ゆういさん。関西弁は、 東北人の私には逆にケンカ売っているみたいに見えます(^^) Time : 1999/ 7/ 6(火) 12:53:59
Name : だむす E-mail : Title : ところで Comments: Anonさんは、どこへいっちゃったのでしょうか? ご旅行かしら? Time : 1999/ 7/ 6(火) 13:01:40
Name : アトムボーイ1 E-mail : Title : 無題 Comments:  999氏は渡航前でストレスを発散したかったのかもしれんな。  確かにあの時に比べれば皆さん紳士的だし、誤解があっても真摯な態度で 好感が持てるよな。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 13:19:47
Name : 游惟 E-mail : Title : Toshyさんへ クレゾールじゃなかったクレオールその2 Comments: >>助詞や格変化のある言語は、語順は自由になります >スペイン語では割合自由です。しかし助詞がないので、日本語のような自由さはないで >すね。フランス語では、格変化があるけど、これは厳格なルールの元にあるようです。 >他の言語は知らないので、なんともいえません。 現代印欧語の格変化は普通4格、多くても7格ぐらいまでしかないのに、格助詞は例えば 日本語なら「が、を、に、で、と、へ、の、より、から、まで」など多数あるため、格助 詞を持つ言語の方が語順の自由度は大きくなります。(ちなみに「は」は格助詞ではあり ません。「は」の問題を論じると論文一つ書くような作業になるのでやめときます) 「私は彼に時計をあげる」(この場合「は」は主格助詞「が」の代用) これがドイツ語だと @Ich gebe ihm eine Uhr 、AIhm gebe Ich eine Uhr 、B Eine Uhr gebe Ich ihm が「正しい語 順」として政府から認められており、通常は@です。(どんな文法が正しいかを決めるの は言語自体ではなくその国の政府です) ただこれをCIhm Ich eine Uhr gebe、DIhm Ich gebe eine Uhr、EEine Uhr Ihm gebe Ich など としたって意味は正確に分かります。 Ich は「私が」Ihmは「彼に」であり、eine Uhr は 「〜が、〜を」の両方の場合があり得ますが、gebeの主語は一人称単数Ichに決まってい るので、eine Uhrは自動的に「時計を」に決まります。(eine Uhrが主格だったら、動詞は 三人称単数のgibtになる) ただ、gebeを文頭に持ってくると疑問文になってしまいます。 格変化だけでなく ところが中国語だと @我給他表、をA他給我表 にすると意味が反対になってしまいますし(「他」は彼、「表」 は腕時計)、B表給他我、C他我給表などとすると何がなんだかわからなくなります。 格変化をはっきりさせたい場合は前置詞「把」用いて「把表我給他」などと言うことがあ りますが、基本的には語順が格関係を表します。 ところで、中国語がクレオールだというのは案外いける仮説ではないでしょうか。 中国中原の北方を取りまくアルタイ語族のモンゴル語・満州語・朝鮮語・アイヌ語・日本 語はみな助詞を持つSOV型の言語です。ひょっとすると北東アジアの原始モンゴロイド 諸民族はみなSOV型の言語を話しており、そのいくつかの民族がBC3000年頃に肥沃な 黄河流域に集まってきて戦争や交易を繰り返すうちに共通のSVO型クレオールを話す漢 民族となり殷王朝を作った。そのクレオールは漢字によって固定された。それが殷・周・ 春秋戦国・秦・漢と漢民族の支配地域が広がることによって、中国全土の標準語となった ・・・・・う〜ん・・・・ Time : 1999/ 7/ 6(火) 13:30:45
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 東京人はつめたいのか? Comments: みなさん、こん@@は。 大阪人が、東京人に対して「冷たい」とよく口にするのは、実際「冷たい」と感じ ているわけでは、ないと思います。関西風の前向きな僻み根性が入り混じっている ジョークなので、大阪に来られた東京人の方、真剣に悩まないでください!! 和歌に枕詞があるように、「東京」に「冷たい」という枕詞がついているという 感じではないでしょうか? 実際、現在の東京弁は各地の方言を取り入れたもので成立も近代です。 江戸っ子弁とはだいぶ違う言葉でしょう? 大阪人に「冷たい」といわれて悩まれている方は、関西弁を軽く使ってみては? そうすれば、だいぶ和むはずです。使いたくない方は少しあつかましい関東弁を 使ってしゃべってみてください。丁寧な標準語はそれを十分使いこなせない人に とってはかえって嫌味に聞こえるものなのです。 関西は確認されているだけで、1000年あまり日本国の中心でした。 そのプライド?が最近の東京弁に対するコンプレックスとなっているのではないで しょうか?勿論そんなこともそろそろなくなるでしょう。 関西弁はイントネーションこそ健在ですが、単語レベルでは新語が増え、旧語が淘汰 されてきています。また新語のイントネーションは関西だけでなく各地の方言のイ ントネーションを破壊していっているのが現況ではないでしょうか? 播州でも、最近の中高生は東京弁交じりになってきています。おそらくテレビや マンガの影響でしょう。まぁ私もテレビや漫画は大すきですが。 テレビ、漫画に浸り、同年代の人間としか話をしなくなったのが原因なのかも しれません。もっといろいろな年代の人と会話する必要性があるのでしょうね? 方言がなくなってしまわないようにしたいものです。 あれ?話が変わってる?まぁ気にせんといて!! Time : 1999/ 7/ 6(火) 13:33:24
Name : 游惟 E-mail : Title : Aさんへ Comments: 私をどなたかとお間違えになっていらっしゃらないでしょうか Time : 1999/ 7/ 6(火) 13:36:07
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 関西弁についての雑感 Comments: 「大阪弁は敬語も友達言葉も乱暴な言葉も対して差がないのに」 これは、大きな事実誤認です。関西弁にも複雑な形態変化による、敬語、丁寧語、 謙譲語があり、それは厳密に区別でき得るものです。 これを中途半端に理解したまま関西弁で会話をすると余計「東京の人は大阪をバカ にしてはる。」と誤解をうけるかもしれませんのでご注意を。 特に京都弁では、顕著です。「〜〜する」=「〜〜しはる」「〜〜しやる」など です。小学校などで、地元の方言も習う時間があってもいいのかもしれません。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 13:57:29
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiはんへ れすでっせ Comments: 言うときますけど、わいはAwajiはんの説にも研究スタイルにも一度もけちつけたこ となんかおまへんで。 わいはこのページに最初にきたときから、Awajiはんは自分とはフィールドの違うお 方や思てました。そやから自分からレスしたことなんかおまへんやろ? それが突然わいのいうことが気にくわんいうて、レスしてきはったんはAwajiさんや おまへんか? まあ、それはわしが以前の議論についてよう知らんかったさかい、誤解を招いたん で、わいにも責任があるかもしれまへん。 そのあともわいがAwajiはんがAnonはんのこと嫌いやいうことようしらんで、よけ いなこというたから反発しはったんかもしれまへん。その責任もわいにあるかもし れまへん。 そやけどわいがAnonはんの説を支持してるのは自分なりの学問的な考えがあっての ことで、それについてはよう説明したし、Awajiはんかて一度はわかってくれはった やおまへんか? ここで色々いうた仮説かて自分で検証てみたいとは思いまっけど、わいが今研究し てるテーマは他にあって、そっちまで手ぇまわりまへんねん。 そやからみなさんの中でわいの言うた仮説を検証なり参考なりしてくれる人がいてはったらそれで十分ですねん。 わいのこと嫌いやったら嫌いでかめへんけど、嫌いな奴の仮説やから何でも反対す るいうのはちょっとおかしんちゃいまっか? Time : 1999/ 7/ 6(火) 13:57:47
Name : 游惟 E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: 位相のない言語はなく、関西弁にも勿論尊敬語・謙譲語・丁寧語はあります。 私は両親東京出身の関西育ち大阪・東京のバイリンガル(バイディアレクティック)で からよくわかります。 ただ、標準語より位相の幅が小さい、ということです。 たとえば 東京「部長、昨日はひどく酔っていらっしゃったみたいですが、あまり酒ばっかり飲んで    いらっしゃったらいけませんよ」   「なんだとー!」(部下左遷される) 大阪「部長、きんのえらい酔うてはったみたいでっけど、あんまり酒ばっかり飲んだはっ    たらあきまへんで」   「そやのう。わしも年やし気ぃつけんとのう」 のように、東京方言では目上の人に対する忠告というのは基本的にしてはいけない ことになっています(と私は感じています)。よっぽど言葉を選ぶか、さもなけれ ばクビ覚悟でないと。 ところが、大阪弁なら半ば冗談でできてしまうのです(と私は感じています)。 実際大阪弁で話していれば何でもないことが、東京では喧嘩の原因になることがよくあり ます。このページには関西の方、東京の方、その他の地方の方、色々いらっしゃるので、 方言と文化について話し合ってみませんか。 例えば、上の例のように上司に忠告できるかどうかとか。(いまのところ上の例も私の仮 説にすぎません) Time : 1999/ 7/ 6(火) 14:23:07
Name : 游惟 E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: 位相のない言語はなく、関西弁にも勿論尊敬語・謙譲語・丁寧語はあります。 私は両親東京出身の関西育ち大阪・東京のバイリンガル(バイディアレクティック)で からよくわかります。 ただ、標準語より位相の幅が小さい、ということです。 たとえば 東京「部長、昨日はひどく酔っていらっしゃったみたいですが、あまり酒ばっかり飲んで    いらっしゃったらいけませんよ」   「なんだとー!」(部下左遷される) 大阪「部長、きんのえらい酔うてはったみたいでっけど、あんまり酒ばっかり飲んだはっ    たらあきまへんで」   「そやのう。わしも年やし気ぃつけんとのう」 のように、東京方言では目上の人に対する忠告というのは基本的にしてはいけない ことになっています(と私は感じています)。よっぽど言葉を選ぶか、さもなけれ ばクビ覚悟でないと。 ところが、大阪弁なら半ば冗談でできてしまうのです(と私は感じています)。 実際大阪弁で話していれば何でもないことが、東京では喧嘩の原因になることがよくあり ます。このページには関西の方、東京の方、その他の地方の方、色々いらっしゃるので、 方言と文化について話し合ってみませんか。 例えば、上の例のように上司に忠告できるかどうかとか。(いまのところ上の例も私の仮 説にすぎません) Time : 1999/ 7/ 6(火) 14:34:07
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiはんへ 仲良うしまひょや Comments: 仲良うしましょや。 別にわいもAwajiはんが死ぬほど嫌いやいうてるわけや無し。 ちょっとした感情のだれでも行き違いはあることでんがな。 Awajiはんは日本史だけでなくいろんなことしってはる。 わいらが仲良うしたら、いろいろできまんがな。 研究スタイルが違うからいうだけで喧嘩しとったかて何もうまれまへんで。 わいも水にながすさかい、Awajiさんも水にながしてえな。 な、そないしょ。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 14:37:54
Name : 輔住 E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: 游惟さんへ べつにAwajiさんは人物の好き嫌いで意見をしているとは 思いませんが。そのことはAwajiさんの投稿を何度が読めば 分かると思います。 ところで方言のことですが、あなたのおっしゃいたいことはわかります。 ただ東京でうまれ育った私には関西弁だとかなり迫力がある文章に 見えますね。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 14:49:48
Name : 勇者ロト E-mail : Title : それは?? Comments: 言葉の差というよりも、地方文化の差でしょう? 関西弁で、游惟さんのいうとおりにしゅべったとしても、左遷となの場合もあるで しょうし・・。関西弁なら許されるという事は断じてないでしょう? そうお感じになるのは、関西文化を誤解しているという事です。 なにも職場で上司にケチつけるやつはおりません!! 方言は文化の象徴ではありますが、文化そのものではありません。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 15:06:14
Name : Anon E-mail : Title : まとめres Comments: ○日本語形成問題について これは紀貫之の土佐日記まで話が 広がってしまうのですが、近江朝以降も、 日本語は言葉として完成していなかった と私は考えています。具体的には、和歌 (とその周辺)しかなかったと。 ○邪馬台国時代から天智まで この間に、考古学の成果から推測できる ように、前方後円墳という新興宗教が はやったり、いくつもの王権があちこちで 群雄割拠しています。中国世界の当時の 歴史とよく連動していると思います。 ○私とAwajiさんの歴史認識について 個別の歴史認識に大きな差異はないと 思います。ただ、政治、経済、宗教などの 理解は根本的に違っているようです。 例えば古墳ですが、その建設は権力による 強制ではなく宗教的情熱によるものと、 私は考えます。 ○記紀の信憑性について 繰り返しになりますが、例えば隋書、新旧唐書 と比較すれば、その内容が記紀の記述とかなり (大きく)異なっていることが分かります。 この違いを素直に認めるか、それともあれこれ 理由付けをするのか、ま、それだけのことなん ですが・・・。 ○言語年代学について これはインドヨーロッパ語族の拡散を説明する ために、放射能の減衰曲線を言語(発音)に あてはめてみたところ、たまたまうまく一致した というもので、印欧語族以外に適用できない というのが定説です。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 15:21:07
Name : Anon E-mail : Title : 游惟さんへのコメント Comments: 漢字というのは、それ自体で独立した書字言語体系 であり、実際の言語(話し言葉)とは直接関係しません。 我読書を、マンダリンで発音しようが、返り点をつけて 「我、書を読む」と読もうが、それこそ"I read the book"と 読もうが構いません。 つまり、歴史上中国世界で実際に話されてきた言語 (話し言葉)が何だったかを特定するのは、実際には 極めて困難です。 とはいえ、いわゆる「中国語」は存在しています。これは 恐らく、商業言語として開発されたもので、まさにクレ オールであろうと、私も考えます。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 15:45:12
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 游惟様への謝罪 (A様、勝手な言動にお許しを・・) Comments:  小生の金融亭丸祐様宛ての文章の最後の一文が 游惟様の助けを求めた形になっていましたので, このところ議論も錯綜していることもあって A様が游惟様宛ての記事とと勘違いされたようです。 (游惟様も、いつもは良識をもったバランス感覚で, 双方の説を分析なさっているのですが, このところそれどころではないようですので。)  A様の文章は金融亭丸祐様宛ての文章で、 小生に賛同くださったものですよね? お礼の代わりといってはなんですが,もともとの 原因を作ったこともありますので, 代わりに游惟様に謝罪させてください。  游惟様、相手間違いごめんなさい!! Time : 1999/ 7/ 6(火) 17:05:57
Name : 金融亭丸祐 E-mail : Title : JF生さんへ、私もやめたい Comments: 私もやめたいのです。 「検証」について、何をおっしゃりたいのか良く判りました。 >「検証が不十分」 >だとは、小生は言っていません。当時は信頼に足ることだったのです。 の「信頼」とは、「仮説が間違いであるという検証結果が信頼に足る」ということですか。 あなたはそう思ってそう書いたか知れないけど、誰もそうは取りませんで。 「検証が不十分」ということを否定した上で「信頼に足る」と言われれば、 当然「(その検証の対象となっている)法則あるいは仮説が信頼に足る」 と解釈するのが普通でしょう。 「一方的な誤解」と言われてもねえ・・・。 まだまだ言いたいことは沢山あるけど、もうやめときます。 皆さん方、ご迷惑をお掛けしました。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 18:25:09
Name : 游惟 E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: そうムキにならんといてえな。 >言葉の差というよりも、地方文化の差でしょう? 「言語文化」の問題でんがな。 >そうお感じになるのは、関西文化を誤解しているという事です。 ロトさんは私が本質的には東京人だと思ってらっしゃるのかもしれませんが、私は生まれ てから高校卒業までずっと大阪で育って関西文化を内面化している人間であり、外部から の関西文化観察者ではありません。 ただ両親が東京の人間であり、家の中では標準語を聞いて育ったので、東京へ出てきても 殆ど違和感を持たなかったし、現在まですでに東京に十数年すんでおり、東京人以上に「標 準語」は上手です。(「標準語」というのは昭和20年代に定められたものであり、戦後生 まれの世代の東京方言は「標準語」とアクセントがかなりずれてきています。私の言葉は 両親の世代のアクセントを受け継いでいるため、現代の東京方言より「標準語」に近いの です。) ですから、関西弁も標準語も共に母語であり、関西人の東京観、東京人の関西観ともに内 面の問題としてよくわかります。(あるいはコウモリのように両方共よくわかってないの かもしれませんが) 言語形成期(10歳前後)の前後を通じて二重言語環境で育った人間は完全なバイリンガ ルになりますが、例えば日英バイリンガルの人間が単に英語の上手な日本人と違うのは、 英語と日本語は完全に別の体系として頭の中に入っており、英語をしゃべっているときに 日本語が混じることはなく、その逆もないという点にあります。 私もそれと同じで、大阪弁に標準語が混じることはなく、その逆もありません。だから完 全なバイディアレクティック(二重方言)だと自分を規定しております。 さて、その私が自分を資料にして考えると、全く同程度の位相(丁寧さ)の言葉を用いて も、大阪なら腹も経たないのに東京では腹が経つ、ということがあると思うのです。 例えば私は運動部にいましたが、同じ程度の語気で後輩に「何いうてはりまんの!」とい われても別に腹も立たないが、「何いってるんですか!」といわれると「なにをー!」と ぶん殴りたくなると思うのです。Awajiさんとの論争にしても最初から大阪弁でやってい れば半ば冗談で済んでいたような気がするんですが(大阪弁を母語にする私にとっては、 ですけど)。 >関西弁で、游惟さんのいうとおりにしゅべったとしても、左遷となの場合もあるでしょ >うし・・。関西弁なら許されるという事は断じてないでしょう? >なにも職場で上司にケチつけるやつはおりません!! この場合ケチをつけてるんではなく、上司といえども親しい人として忠告してると思って ください。大阪の場合は「上司である以前に親しい仲間」みたいな捉え方をするのに東京 の場合は「親しい仲間である以前に上司」というような捉え方をするんじゃないでしょう か。 >方言は文化の象徴ではありますが、文化そのものではありません。 言語がそうだから文化がそうなのか、文化がそうだから言語がそうなのか「文化と言語の 弁証法」みたいなところがありますが、両者は切っても切れない関係にあると思います。 東京の人が本当に冷たいかどうかは別として、関西の人間で「東京の人は冷たい」と感じ る人が多いという事実は否定しがたく、言語・文化の両面から考えてみる価値があるんじ ゃないでしょうか? Time : 1999/ 7/ 6(火) 18:45:58
Name : A E-mail : Title : 游惟さんへ Comments:  誠に申し訳ありませんでした。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 19:45:52
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: べつに、ムキになってるつもりはないのですが? しかし、ちょっとあなたのレスには神経をさかなでされますね。どうしてでしょうか? Time : 1999/ 7/ 6(火) 20:44:14
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: 私が突然大阪弁なんかに話を振り向けたので「バカにしやがって」などとまたカッカなさ ってるかも知れませんが、決して冗談でやってるわけではなく、これが私の本来フィール ドなんです。「日本語及び言語心理の数量的・統計的研究」というのが私の今の研究分野です。 Awajiさんは、「游惟の奴は口先ばっかりで、自分では何も検証しようとせず、こつこつ 研究している実証的研究者をバカにしている」とお思いになってらっしゃるかもしれませ んが、実際に専門としてやってるのは実に地味〜な実証研究なんです。 例えば、「大概」「大体」「大抵」という副詞の方言別用法の研究。 「ひろみとけんかしたんだって?」 「うん、だってひろみったらひどいことをいうんだもの。 私も( A )のことなら我慢するけど今度ばかりは頭に来たわ。 (B  )あの子は生意気なのよ! などという文を集め(  )の中に大概・大体・大抵のどれが入るかを、東京・秋田・大 阪・名古屋・福岡等でそれぞれ200人以上にアンケートして調べる、といった研究です。 今やってるのは日本人・韓国人・中国人に同じ言葉(女性名)を聞かせて同じようなイメ ージを描くかどうかを因子分析で解析するという研究です。 こんな地味な実証研究を「蟻ん子」のようにこつこつやってるんです。 今の研究が終わったら、大阪弁と標準語の位相研究を次のテーマにしようと考えています。 だから決して実証研究者をバカにしているわけではなく、私は自分の分野の実証研究が忙 しくてこのページで述べたような仮説の実証にまでは手が回らない、というだけです。 方法も分野も違いますが、こつこつと地道に研究している実証研究者であることはAwaji さんと御同様です。 だからもう和解しましょう。ね。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 21:02:49
Name : 游惟 E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: ごめんなさい。 気に障ったらあやまります。ただ、下のAwajiさんへのレスもごらんになってください。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 21:06:04
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と大阪弁?? Comments: みなさん、今日は。Awajiです。 Awajiは曽祖父の時代に、淡路島から旧大阪市内に移住し、商売を行っ ていた父系と、京代々の商人を母系にもち、育ちは阪神間です。 いわば生粋の関西人だと思っています。 その割に理屈っぽいと、子供の頃から良く言われましたが、せっかちで 経過より結論を急ぎ重視するのは関西人の典型的パターンです。(・_・;) 難しい話はともかく、関西弁ならお任せあれ・・・・ナ〜ンテ 勇者ロトさんも既におっしゃっていますので、重複しますが、 関西人以外の方は、大阪弁について、かなり誤解をしておられますので、 この際雑感として申し上げておきます。(^0^)" 現在テレビ等で「大阪弁」として通用しているのは、概ね「河内弁」の 系統です。 関西全般の傾向ではありますが、「河内」は武士階級が極めて少なく、 また比較的自作農が多く、農民の中でも貧富の差が少ない土地柄でした。 (大阪と言う大消費都市の近郊で、換金農業も進んでいました。) その関係で上下関係が希薄であり、敬語的表現を意識することが少なか ったのだと思いますが、友達言葉(韓国で言うパンマル)が多用されて いた様です。 土地柄の似ている「摂津弁」より、荒っぽいのは「摂津弁」が「京言葉」 の影響をより強く受けているためだと思われます。 しかし、旧大阪市内の商人(お町人さま)達やその周辺の人達の間では、 煩瑣な敬語的表現が使用されていました。 所謂「船場言葉」で、役者さんでは澁谷天外・浪速ちえ子さん達が、よ く使っておられた言葉です。(お願いいたしますでございます。)と言 うような一種の重ね表現が特徴的です。(今でもギャグになっています) Awajiの大叔母、叔母の懐古談では、相手によって極めて厳しい言葉の 使い分けがなされていました。これを少しでも間違うと物知らずと嘲 笑されたそうです。 現在では米朝さんの落語が一番参考になるでしょうね。 彼等は「河内弁」「泉州弁」をあからさまに軽蔑していたと言うのが、 正直なところです。(Awajiも「船場言葉・京言葉」の影響下に有るよう で、「河内弁」には些かの抵抗感があります。) 明治大正にかけ、これら大商人の多くは芦屋・西宮・宝塚・堺方面に生 活の本拠を移しました。(谷崎さんの世界です) そのため「船場言葉」は大阪から急速に消えてしまったような気がしま す。新たな移住者は概ね「河内弁」に染まり、「大阪弁=河内弁」にな っていったのでは無いでしょうか。 (今東光さんの「河内」シリーズが、全国的にこのイメージを広げ、大 阪人自身もこのイメージに合わせた傾向があります。) ただ、それでも関西弁全体に「公家言葉」の伝統を引き継いでいますの で、「武家言葉」中心の関東弁よりは曖昧な表現が多く、母音の発音が 明瞭で柔らかな印象があることは事実だと思います。 しかし、喧嘩言葉の凄みは「大阪弁=河内弁」に軍配が上がるかも知れ ません。手より口の土地柄ですので・・・・・ なお、Awajiの印象では江戸を除く「天領」及び「御三家=尾張・紀伊・ 水戸ご領内」においては何故か敬語表現が軽視される傾向がある様です。 大阪では、和歌山の人間は言葉使いがなってない・・・と言う定評? があります。(和歌山の方、ゴメンナサイ。) 会社では会社言葉(標準語)を使っており、関西弁は使いません。 イントネーションですぐに分かりますが、基本的に出身地による言葉の 差が生じないようにお互い努力しています。しかし本気で叱るときには、 つい関西弁が出る様です。(特に相手が関西人の場合) また、関西勤務の場合は、女性の方が殆ど関西出身ですので、つい関西 弁を使う傾向があるようです。 上司への態度(言葉)も同様に配慮していますので、あまり言葉による 差は生じないと思っています。 言葉より相手の人格、相互の人間関係で態度を決めるのが無難だと思っ て生活してきました。 ただ、大阪地場会社に一時勤務していたときは、かなり関西弁で話して いましたが、この会社はかなり古い伝統がありましたので、船場言葉の 流れを崩した関西的敬語表現が一般的でした。 游惟さん・・・・・ Awajiは貴方の事を、好きでも嫌いでもありませんし、貴方の研究手法に ついても同じです。勿論、好き嫌いで所説を判断したつもりもありません。 ただ、貴方がその様に判断されるのは、Awajiの不徳のいたすところだと 自戒して、話題を全面転換いたします。 ところで、貴方の関西弁を拝見して直感的に感じたのは、おそらく生粋 の関西人では無いだろうと言う印象でした。 これは半分外れてしまいましたが、八尾方面でお育ちですか? Awajiは「わい」と言う「自称」を実際に使う人は、子供の頃に物売りに きた河内のお百姓さんの微かな記憶しか知りません。 殆どが「わて」「あて」「わし」だったと思います。これも勿論相手との 関係で使い分け分けるのが普通です。 大阪落語でも「わい」と言うのはチョット無責任な若者に限られていま す。貴方の文中でも、一部「わし」表現がありますので、敢えて「わい」 表現で感情を強調されたのかも知れませんね。 >>「何いうてはりまんの!」といわれても別に腹も立たないが、「何いっ >>てるんですか!」・・・・ お気づきにならなかったかも知れませんが、「何いうてはりまんの!」 の「はります」は「なさ(は)ります」の転訛で敬語表現なのです。 「何いうてんのん!」「何いうてはんのん!」「何いうてはりまんの!」 の順に敬語的ニュアンスが強化されます。 ただ、極めて大雑把に言うと、赤信号をどちらが厳格にまもるか・・・ 程度の差で、関西人の方が権威主義的でないと評されることが、多い様 ではあります。(Awajiの東京勤務時代に、さる女性が言ってました。) 基本的に上下関係が武士に比べて希薄な町人社会だからでしょうね。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 21:31:14
Name : 勇者ロト E-mail : Title : わかりました!! Comments: 游惟さん、なんとなくわかりました。話題のすり替えとまではいきませんが どこか、根本的にすれ違っているようですね。 私の文章力不足がこの場合問題なのでしょうが、どうも聞きたかったことと違う ことについてお答いただいているようです。 それと、もうお気づきかもしれませんが関西弁はこういう場所でだれかに向かって つかうのは、非常に不適当な言葉です。どこかおちょくられているような感じがし ますね。そうお思いになりませんか? ギャグとか自分にむけての言葉ならいいかもしれません。 游惟さんとはもう少し文章力をつけてからお話したいと思います。それでは。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 21:43:50
Name : Toshy E-mail : Title : 日本語 Comments: Toshyです。 Anonさん >○日本語形成問題について >これは紀貫之の土佐日記まで話が >広がってしまうのですが、近江朝以降も、 >日本語は言葉として完成していなかった >と私は考えています。具体的には、和歌 >(とその周辺)しかなかったと 実際には、戦国の世までそうだったようです。 例えば島津領内の戦後処理をしに行った石田三成、 言葉が通じないため狂言・能・和歌などの言葉で会話したといいます。 江戸期になり、参勤交代で諸大名が江戸に出てくることにより、 しだいに「江戸」語が標準語化したのではないでしょうか。妄想ですが。 Time : 1999/ 7/ 6(火) 23:13:21
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「道元さん」?? Comments: 大阪JF生さん、今日は。Awajiです。 我が敬愛する「道元」さんを、評価頂いて重ねて有り難うございます。 ただ、前回もチョット申し上げましたが、この挿話は「正法眼蔵・典座教 訓」に記述されているものです。 ところがまことに残念なことなのですが、「正法眼蔵」は曹洞宗本山によ って秘伝扱いとされており、極めて限られた人しか読むことが出来なかっ たのです。従って中世・近世の庶民はおろか相当の教養人でも、この挿話 は知り得なかったと思われます。 現代でも「正法眼蔵」を知らない人は、まずいないでしょうが、読み通し た人が何人いるか極めて疑問です。(非常に難解で、抄訳でも眠り薬のよ うな効果があるんです・・・まして漢文で読むのは拷問見たいなものです。 失礼ながらお読みになられましたか? Awajiは・・夢か現かの状態ですが、 とにかく読み通しました。) 禅僧の中でさえ、百丈懐海の「一日不作、一日不食。」の方が影響力があ ったのでは無いでしょうか?(曹洞・臨済・黄檗を問わず、この言葉を知 らない禅僧はいなかったでしょう。) それよりも、昔から大和の国では「天照大御神」様でも、おん自ら機織り をなさったのじゃ・・・お天子様でも田植え稲刈りをなさるのじゃ・・・ と言う様な神話的、祭礼的事実の方が余程説得力があったのでは無いでし ょうか? 仮に「正法眼蔵」が知られていたとしても禅坊主の説法と、最高神やお天 子様の行動では、武家庶民に対する影響は比較にならなかった様に思いま すが、如何でしょう? Time : 1999/ 7/ 6(火) 23:47:10
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「方言」?? Comments: Toshyさん、Awajiです。 失礼ですが、これは方言問題です。 維新戦争時でも、東北諸藩と薩長は同じ状態だったのです。 現在でも、Awajiは青森、鹿児島のお年寄りとは(相手が余程意識して下 さらないと)殆ど会話は不可能です。 日本語成立問題とは全く関係ない問題ではないでしょうか? Time : 1999/ 7/ 7(水) 00:10:11
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: 前回の投稿は、私自身の反省のためのものです。 けっして游惟さんを非難するものではありませんのでよろしくお願いします。 「でんがな」という言葉をお使いになられていますが、「でんがな、まんがな」は 舞台の上、商売の最中以外の普段の会話では、最近使用いたしません。 ここにちょっとむかついたのは事実です。何かおちょくられたような印象をうけま した。これは、私の個人的な感情なので関西の方みんながというわけではないと思 いますが・・。 和解とおっしゃいますが、喧嘩を仕掛けているつもりはありません。 そうとられたのなら、ますます私の文章力の問題です。どうもご心配おかけしたよ うですみませんでした。これからもよろしく! Time : 1999/ 7/ 7(水) 00:22:18
Name : Toshy E-mail : Title : 日本語と方言と Comments: Awajiさん、こんにちは。 失礼いたしました。ご指摘ありがとうございます。 Time : 1999/ 7/ 7(水) 00:29:47
Name : きんたろう E-mail : Title : 一眠りして Comments: ここに来てみると急転直下してまとまりつつあるようなのでほっとしています。 まるで何かにとりつかれたような感じでしたね!! 「子供の風邪ひき状態」から脱却されて「良識ある大人」の対応を見ることが出来 てよかったと思います。(^^) (私も文章力がないので誤解されないようお願いします) Time : 1999/ 7/ 7(水) 01:41:21
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: まいりました。ようわかりまんな。河内も河内、富田林でっせ〜。 Time : 1999/ 7/ 7(水) 08:43:53
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Awaji様へ,お礼とお願いです Comments:  どなたも反応されなかったので,無視されたのかなと 思っていましたが,説得的なご意見ありがとうございました。  たしかに小生は全く「正法眼蔵」を読んでいませんが, 井沢先生が引用された部分は妙に当然のように納得し, 多くの方もそう考えておられると推測されましたので, (史料にもあたらず)前回のように判断してしまったのでした。  Awaji様のご見解では,禅宗テーゼというよりは, 「神道テーゼ」のほうが、この場合は感覚的に合うということでしょうか。  それから、百丈懐海の「一日不作、一日不食」のほうは 良く知りませんでしたので,教えていただきありがとうございました。  もうひとつ,質問も兼ねてなのですが,禅宗は「不立文字」を 重視し,文章による伝承を軽視したかの印象がありましたので, 「正法眼蔵」は読まれていなくても,もともと受け入れやすかった 禅宗テーゼ(神道テーゼ)は伝わったのかと、勝手に想像していたので, 自分なりに結論付けたのでした。その態度の是非はこの際別にしていた だいて,「不立文字」に対する印象はどの程度正しいのでしょうか? 「百科事典扱いしないでほしい」といわれていたので, 恐縮なのですが,ご教示いただけませんでしょうか? 説明が込み入るならば,うまく解説された文献をご紹介いただければ 幸甚です。よろしくお願いします。 Time : 1999/ 7/ 7(水) 09:54:02
Name : 游惟 E-mail : Title : Anonさんへ Comments: レスありがとうございます。 漢字が書字言語体系であり、一種のメタ言語であることは私も承知しております。 私は三年ほど香港に住んでんでおりましたが、香港の広東語には漢字のない単語も多く、 どうしても表記したいときは「口へん」に似た音の漢字をくっつけて用いているようです。 しかしそういう語も名詞や感動詞が殆どで、統語的な語形変化ではないようです。 やはり、古代より全く統語的語形変化が生じず現代に至ってるのは、漢字という「たが」 がはめられていたからではないでしょうか。口頭言語では多少変化が生じたとしても、正 書法によってその拡大に歯止めが掛けられ、また科挙が始まることによって正書法が全土 に普及し各地方の方言の変化にもたがをはめつづけたため、今日まで統語的変化が生じず にほぼ純粋な孤立言語として残ったのだと私は考えていますが、いかがでしょうか? ところで「日本語が完成していない」と意味が理解できないのですが。 クレオールが完全な言語であるように、母語として話される言語は全て無限の文を生み出 せる完全な言語で、不完全なピジン語しか存在しない社会はないはずです。 @少数の言語グループに別れ、統一言語としての普及が完全でないという意味なのか、A 文法構造が流動的であったという意味なのか、B正書法が定まっていないという意味なの か、C話し言葉と書き言葉が一致していないという意味なのか? ご教授いただければ幸いです。 Time : 1999/ 7/ 7(水) 17:57:39
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「不立文字」?? Comments: 大阪JF生さん、今日は。Awajiです。 ご丁寧RESなありがとうございます。 Awajiは先般「理趣経」が話題になった時にも、申し上げたとおり宗教家 ではありません。 従って、宗教・・・まして宗教的大天才である道元さんの思想(境地)に 関する意見を申し上げるなどは不遜の極みだと思いますが、道元さんのお 心の広さに甘えて、以下・・・ 1.宗教(仏教)の究極の意味は、宗教世界において、涅槃(ニルバァー ナ)=成仏=悟に達することであり、同時に他人を涅槃に導くことで ある。(大乗思想) 2.しかし、宗教世界は所詮「非論理」的な世界であり、「論理」からの 超越が必要である。(百尺竿頭進一歩) 3.一方「書物=文字」は論理的世界の所産であり、論理を超越すること は不可能である。 4.従って正法(悟)を得た師による全人格的指導が不可欠である。 (不立文字)    5.この基本思想は自力系宗教(禅・密教)に共通のものであり、他力系 宗教(浄土・啓典)とは若干異なる性格をもっている。    6.さらに道元は正師の指導の下における、只管打坐(ひたすら座禅する) のみが正法であり、さらには只管打坐自体が仏性であるとした(修証 一如) 7.しかしながら、一方では禅・密教の大天才である道元・空海はとも に膨大な宗教書を残している。これはある意味での矛盾ではないか? 8.道元の宗教書「正法眼蔵」は、宗教論理の限界を極めることによって 逆にその限界を示し超越させることで、只管打坐の必然性を教示した のか? 9.或いは正法の伝承(師嗣相承)の過程で、歪みが生ずることを懸念し、 正法の基本骨格を残そうとしたのか?   (事実歪みが生じた・・・宗派の方ゴメンナサイね。) 10、自分に接することが物理的に出来ない人達への自悟他悟の方便(次 善的手段)として、止むに止まれぬ心情で自己の思想(境地)を示 したものか? 道元は「只管打坐」を説く一方で、常に堂上説法を繰り返していますが、 その内容は、宗教知識や宗教論理なしには理解できないものです。 とすれば、知識論理(文字)を全面否定したとも思えないのです・・・? おそらく、これら全ての意味を持っていたかも知れません。 一般的には 曹洞系は ひたすら座禅を組み(只管打坐)自証を求める   黙照禅 臨済系は 座禅の中で古人の公案を思料し、見性を求める   看話禅 の傾向があるとされていますので、臨済系においても論理を超越するため の論理(文字)限界への挑戦??(よい表現が見つかりません)の意味が あるのかも知れません。 偉大な宗教家には常に偉大な矛盾があります。それを矛盾と感じる事自体 が非宗教的世界に拘泥し、超越出来ないでいる哀れさかも知れません。 全く分かったような、分からない話で申し訳ありません。 なお「勤労尊重思想」は「神道テーゼ」と言うより、もっとプリミティブ (これも表現が難しいのですが、土臭い?根元的?)なものでは無いかと 思います。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 00:01:56
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「不立文字」?? Comments: 大阪JF生さん、今日は。Awajiです。 ご丁寧RESなありがとうございます。 Awajiは先般「理趣経」が話題になった時にも、申し上げたとおり宗教家 ではありません。 従って、宗教・・・まして宗教的大天才である道元さんの思想(境地)に 関する意見を申し上げるなどは不遜の極みだと思いますが、道元さんのお 心の広さに甘えて、以下・・・ 1.宗教(仏教)の究極の意味は、宗教世界において、涅槃(ニルバァー ナ)=成仏=悟に達することであり、同時に他人を涅槃に導くことで ある。(大乗思想) 2.しかし、宗教世界は所詮「非論理」的な世界であり、「論理」からの 超越が必要である。(百尺竿頭進一歩) 3.一方「書物=文字」は論理的世界の所産であり、論理を超越すること は不可能である。 4.従って正法(悟)を得た師による全人格的指導が不可欠である。 (不立文字)    5.この基本思想は自力系宗教(禅・密教)に共通のものであり、他力系 宗教(浄土・啓典)とは若干異なる性格をもっている。    6.さらに道元は正師の指導の下における、只管打坐(ひたすら座禅する) のみが正法であり、さらには只管打坐自体が仏性であるとした(修証 一如) 7.しかしながら、一方では禅・密教の大天才である道元・空海はとも に膨大な宗教書を残している。これはある意味での矛盾ではないか? 8.道元の宗教書「正法眼蔵」は、宗教論理の限界を極めることによって 逆にその限界を示し超越させることで、只管打坐の必然性を教示した のか? 9.或いは正法の伝承(師嗣相承)の過程で、歪みが生ずることを懸念し、 正法の基本骨格を残そうとしたのか?   (事実歪みが生じた・・・宗派の方ゴメンナサイね。) 10、自分に接することが物理的に出来ない人達への自悟他悟の方便(次 善的手段)として、止むに止まれぬ心情で自己の思想(境地)を示 したものか? 道元は「只管打坐」を説く一方で、常に堂上説法を繰り返していますが、 その内容は、宗教知識や宗教論理なしには理解できないものです。 とすれば、知識論理(文字)を全面否定したとも思えないのです・・・? おそらく、これら全ての意味を持っていたかも知れません。 一般的には 曹洞系は ひたすら座禅を組み(只管打坐)自証を求める   黙照禅 臨済系は 座禅の中で古人の公案を思料し、見性を求める   看話禅 の傾向があるとされていますので、臨済系においても論理を超越するため の論理(文字)限界への挑戦??(よい表現が見つかりません)の意味が あるのかも知れません。 偉大な宗教家には常に偉大な矛盾があります。それを矛盾と感じる事自体 が非宗教的世界に拘泥し、超越出来ないでいる哀れさかも知れません。 全く分かったような、分からない話で申し訳ありません。 なお「勤労尊重思想」は「神道テーゼ」と言うより、もっとプリミティブ (これも表現が難しいのですが、土臭い?根元的?)なものでは無いかと 思います。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 00:06:30
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Awaji様へのお礼 Comments:  勝手なお願いでしたが,快くお引き受けくださり, ありがとうございました。 解説いただいた分で、小生にとりましては十分参考に なりました。宗教に内在する矛盾まで、指摘いただき, 非常にすっきりいたしました。不立文字と書物とを どのように位置付けるべきか全く分からなかったのですが, かなり整理できたように思います。 重ねて御礼申し上げます。  神道テーゼの件についても了解いたしました。 やはり、まとめの発言をした甲斐がありました。 あとは自分自身の問題として,プリミティブな部分のどの あたりから「勤労尊重思想」が発生し,定着してきたのか, 気長に追究していきたいと思います。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 09:24:17
Name : Anon E-mail : Title : 游惟さんへのres Comments: 漢字の正書法と科挙は、ほぼ政治システムとして 機能していました。具体的には、中国王朝の政治、 経済、軍事統治は、士大夫達の記述する漢字文 によって執行されていましたが、同時に士大夫達の 独占物でもありました。 漢字を独占するという特権を維持するために、漢字文 はなるべく難しい方が具合がよいわけで、事実、漢字 の字体は煩雑で、書法は難解です(このあたりが訓古 学の正しい理解の糸口です)。そのようにまでして士大 夫と一部のインテリ(科挙に落ちた連中)が漢字を独占 していました。 このように漢字を操る「上層」に対する下層(庶民 かな)という上下の空間分節が、中国世界には存在 します。この下層の人々は漢字なんか知りません。 彼らが人口の大半を占めるのですが、その話し言葉 が実際にはどのようなものであったか、情報はほとんど ありません。 五故十六国以降、中国世界ではさまざまな言語が使われ ていた可能性が高いのですが、その状況は漢字が存在する が故に(書字言語体系であるが故に)証拠として残りません。 極端な例ですが、現在のマンダリンは士大夫言語と女真語の クレオールでしょう。つまり、少なからぬ女真族はしばらく(ながら く)女真語を使っていたのでしょう。 日本語が完成していないというのは、游惟さんの指摘のすべてです。 というか、私は日本語を人工言語であると見なしています。インドネ シア語の成立過程などが参考になるかと思いますが、政治的要請に より、急遽創作されたものであろうと思うのです。 具体的には、和歌の問題です。和歌の成立過程こそが、日本語の 創世記であり、逆に、この時点での日本語は和歌という、一種歌謡 としてしか機能していなかったのではないか、そのように考えてい ます。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 09:51:45
Name : Anon E-mail : Title : Awajiさんへのコメント Comments: 「神道」を歴史的に追跡すると、明治以前(江戸中期以前 とした方が誤解がないかもしれませんが)には仏教と 分離できなくなります。つまりは仏教の一部です。 では日本式の仏教成立以前はどうかというと、「神道」 に相当するものは、ほぼローカル化した道教です。 勤労思想のルーツはめんどい議論になりますが、 意外な処(ちょっと冗談めきますが景教)にある 可能性を、私などは夢想しています。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 09:56:31
Name : 金融亭丸祐 E-mail : Title : はてなマン様への返事(遅くなりましたが) Comments: 大変遅くなって申し訳ありませんが、はてなマン様のコメント (6月25日、下記)への返事を書かせて頂きます。 ずっと気になっていたのですが、 ちょっと手が離せない用事があって遅れてしまいました。 丸祐>>「単純な状況」を人為的に作り出して実験することになります。 はてな>この古代の話題の場合、上記に当たるものが、 はてな>「日本側資料を除き、中国側資料から歴史を読み取る」 はてな>ということになるのでしょうか? これについては、「残念ながら良く判りません。」というのが私の回答です。 この時の古代の話題について、内容を正確に把握していないので、 何とも判断できないのです。 ただ、もしはてなマン様のご質問が 「『余分な要因を取り除く』とは、手に入った情報のうちの 一部を無視するということか?」という意味なら、答えはノーです。 再び惑星の運動を例にとります。 地球から見た他の惑星の運動は、その惑星自身の運動と、 視点である地球自身の運動の影響とが混ざり合って、 非常に複雑な動きをします。 「惑星とは、そもそもそういう動きをするものなのだ」 という立場に立つのが天動説なのですが、 地球自身も惑星の一つと考えて、地球と他の惑星の両者の運動から、 惑星の見かけ上の動きを説明しようとするのが地動説です。 後者の立場に立つ場合、 (a)惑星の本当の運動、を求めるには、 (b)見かけ上の動き、から、 (c)地球自身の運動の影響、を取り除く必要があります。 この時、(c)が「余分な要因」に相当するのです。 そして、(b)のデータ(観測されたデータ)は、基本的にはすべて使用します。 一部を無視する訳ではないのです。 ここで(c)を定量的に求める必要が生じるのですが、 コペルニクスの時代には、恐らく(c)自身を直接検出する手段は なかったと思われます。 そうすると、(b)のデータから推測するしかありません。 ここで任意性が生じます。 (a)の「本当の運動」を「限りなく美しく」(例えば完璧な円運動に) したければ、対象となる惑星が一つだけなら、 (c)を調節することにより、いくらでも実現可能です。 その時、地球自身の運動は複雑怪奇なものにならざるを得ませんが、 そもそも(c)自身は直接検出されないのですから、 観測と矛盾する筈もありません。 これがまさに「恣意的な単純化操作」に相当します。 (もっとも地球自身の運動は複雑化するのですが) しかしより誠実な方法としては、 「地球も惑星の一つであるから、他のすべての惑星と 同じ規則に従って動いている筈だ」と考え、 (a)と(c)とを公平に取り扱った上で、(b)のデータから これらを算出しようとするやり方があります。 結局の所、この方向でケプラーの3法則という、 地球の運動も他の惑星の運動も同等に支配している法則に 行き着くことに成功した訳です。 この方法には、上述のような意味での恣意性はありませんが、 実はもっと深いところでの恣意性 (すべての惑星が同じ法則に従う筈であるとの信念) が存在します。 もっとも、このレベルになると「恣意」と呼ばずに 「哲学」と名付けても構わないのですが、 その「哲学」が正しいかどうかは、 様々な角度からの検証により判定することになります。 さて、これらのことは、歴史学にはどの様に当てはまるのでしょうか? (あるいは当てはまらないのでしょうか?) Time : 1999/ 7/ 8(木) 11:52:56
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Anon様へ,Awaji様宛てのコメントに割り込んですみませんが・・ Comments:  お久しぶりにコメントいたします。 誤解がもとで紛糾しないように先にお断りしますが、 「神道」と言い出したのは小生で,Awaji様は みずからは一言もおっしゃっていませんので, 前半部分は,むしろ小生宛てとするべきですね? (神道ではありませんよと言及されただけです。) 神道云々への思いは小生のみでしょう。  ただ、Anon様のお説では,太子も天智も別系統で、 日本でも中国人やら何やら渾然としていたようで, 神道も仏教も同じと解釈できるかもしれませんが, 通常は,それなりに役割分担されていたように 思います。  多くの立場のもとで,共通に認められているものが やはり有効な仮説と思っていますので, どのような根拠で,結論を述べておられるか, 詳しく述べていただかないと,判断がつきかねます。 (Anon様の立場でのみ出てくる結論では,あまり 実り有る議論にはならないでしょう。) 不特定多数に向かって自説を披露なさるので無く, とくに個人宛ての記事の場合は、以上の点十分配慮なされ ないと、マナー違反だと思います。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 12:14:25
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「神道」?? Comments: Anonさん、今日は。Awajiです。大阪JF生さん、ご配慮いただき恐縮です。 Anonさん・・・ 「神道」に関する見解を述べられるのも結構ですが・・・ 一口に「神道」といっても、「古代倭人の自然・先祖・精霊信仰」を総称 する場合から「両部神道」「国家神道」まで色々な概念がありましてね・・ 「ネストリウス」の痕跡を求めるのもご自由になされば良いでしょう・・ (これ自体は、面白いテーマではありますが、マサカニ聖徳太子に直結なさ る訳ではないでしょう・・・ジョークです。) しかしそれよりもまず、貴方の「国家」「宗教国家」の概念、及びその他の 質問事項に対し、具体的見解を明示されては如何でしょうか? (エロスだのメロスだのは結構です。一般用語でお願いします) 「はじめに言葉ありき」と言いますが、我々が意見を交換するに当たっては、 現代日本語と言う共通言語を使用し、夫々の言葉の意味(概念)も略々共通 であることを前提としています。 概念が食い違う場合は、摺り合わせて誤解を解くことが先決です。 貴方しか通じない概念を延々と延べられても、議論にならんのです。 ・・・と言う事で、コメントは差し控えさせて頂きます。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 17:09:41
Name : 游惟 E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: レスありがとうございます。 私もロトさんと喧嘩してるなんて全く思っていません。ただ多少私の意図を誤解されたか なと思ったので、「下のAwajiさんへのレスもごらんになってください」と言ったのです が、それは >私が突然大阪弁なんかに話を振り向けたので「バカにしやがって」などとまたカッカな >さってるかも知れませんが、決して冗談でやってるわけではなく、これが私の本来のフ >ィールドなんです。「日本語及び言語心理の数量的・統計的研究」というのが私の今の >研究分野です・・・・中略・・・・・大阪弁と標準語の位相研究を次のテーマにしよう >と考えています。 の部分を読んで頂きたい、という意味です。つまり、冗談やその場の思いつきで大阪弁の ことに言及したわけではなく(大阪弁をネットの標準語にしよう、というのは冗談です が)、私は真剣に学問的研究対象として大阪弁のことを考えている、ということを理解し ていただきたいと言う意味です。 私はこれまでAnonさんの仮説を支持し(といっても社会学的には妥当だと言っただけ で、それが史実かどうかは歴史学者が検証すること)、自分でも「弥生人と日本語の形成」 「英語はクレオールだ」「中国語もクレオールだ」と色々壮大な仮説を唱えてきましたが、 具体的な証拠を以て実証・検証されない仮説は単なる仮説あるいは「妄想」に過ぎません。 これは自然科学だって社会科学だって同じことです。Awajiさんが私にカッカしていた最 大の理由は、「おまえは仮説を唱えるだけで自分では検証する努力を全くしてないじゃな いか」ということです。 Awajiさんのおっしゃるとおり仮説はどんなに壮大で合理的でも、それを実証・検証する 作業はそれこそ地道な「蟻ん子」の努力です。私の「弥生人と日本語の形成」という仮説 を実証しようと思ったら、考古学者・言語学者・日本語学者・歴史学者・文化人類学者・ 自然人類学者などがチームを組み、それぞれの見地から、この仮説から演繹される下位仮 説の一つ一つを丹念に検証していき、その成果を積み上げていくしかありません。そして この仮説が最終的に肯定されるにせよ、修正されるにせよ、廃棄されるにせよ、それは何 十年何百年とかかる多くの人々の巨大な努力の体系となります。とても私一人の手に負え る代物ではなく、私個人はせいぜい言語学的・文化人類学的な下位仮説を一つ二つ検証で きればいい方でしょう。それとて大変な努力が必要です。 ただ「英語クレオール説」については、すでに英語史・独語史・仏語史及びクレオール語 の実証的研究はゴマンとあり、やる気ならば既存の研究成果を組み合わせるだけで簡単に 検証できるだろうし、専門家の中にも内心「英語はクレオールだ」と考えている人は結構 いるだろうと思います。 ただ「クレオール語」=「インチキ言語」という意味に捉える人が多数おり(本来は当該 言語の発生原因に着目するだけの価値中立的な概念なのですが)、「英語はクレオールだ 」 なんて主張したら「おまえは英語がインチキ言語だっていうのか!」と英語を愛してやま ない同僚、さらには下手をすると全英語国民を敵に回して袋叩きにされるおそれがあるの で(私が「大阪弁は敬語と乱暴な言葉にあまり差がない」といっただけで「そんなことは ない、関西弁にも敬語はある」とロトさんが反発したように)、声高にそう主張するのを 控えているだけだと思います。 研究者が用語に対する偏見と戦わなくてはならないことはよくあります。例えば戦前の日 本では「社会学」は「社会主義」と混同され、社会学をやっていたばかりに結婚を断られ たなんてことがよくあったそうです。まず「クレオール語は完全な言語であってインチキ 言語ではない」という考え方を普及させないと・・・・・。 私自身は英語の専門家ではないのでこのテーマをこれ以上つっこんで考える気はありませ んが、Toshyさん、見ていたらやってみませんか? 面白い論文が書けると思いますよ。 日本では殺されることはないと思いますから。 私がこれから検証しようとしている仮説は「標準語と関西弁とでは位相の幅が違い、それ が両文化の人間関係のあり方の差をもたらしている」というものです。 例えば、会社の忘年会であなたは下っ端の平社員であると考えてください。忘年会には部 長以下の全員と、取引先の人が何人かきています。あなたは先輩や上司に酒をついで回っ ています。 「○○、もう一杯・・・」 「いやもうええわ。わし酒弱いから」 「なにいうてはりまんのん。○○は酒豪や聞いてますで。ささ・・・」 この「○○」の部分に、三年先輩の××はん、係長、課長、部長、取引先の△△はんの誰 がきても、大阪弁なら「なにいうてはりまんのん・・・・」 で通用するとおもいません か?(・・・・の部分は多少変えなければならないでしょうが) ところがこれが東京だったら、××さんや係長ぐらいまでなら「なにいってんすか・・・」 で通用しますが、課長・部長相手となると「なにいってるんですか」では失礼、「なにを おっしゃいますか」では他人行儀、結局言葉がなく「いやもういいよ。俺酒弱いから」と いわれれば「そうですか」とすごすごと帰ってくるしかありません。その気まずさを恐れ てむしろあまり上の人には酒を注ぎにいったりしないように思います。むしろ取引先の人 は「ご冗談を」とか「ご謙遜を」といった社交辞令が通用する他人の関係なので、却って 安心という面があります。 東京ではウチ・ソト、上下によってどんな言葉を使うか常に緊張感を強いられますが、関 西ではそれが少ないように思います。そこから関西と東京では人間関係の質の差がしょう じ、関西人から見ると「東京の人は冷たい、よそよそしい」というようなイメージが生ま れるのだ、というのが私の仮説です。 関西人、あるいは京都人の立場からはどう思われますか? Time : 1999/ 7/ 8(木) 19:35:21
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 游惟さんへ Comments: ご丁寧な解説ありがとうございます。私が游惟さんが関西弁、関西人を誤解されて いると感じたのは、下記に引用させいいただいた点です。 「東京ではウチ・ソト、上下によってどんな言葉を使うか常に緊張感を 強いられますが、関西ではそれが少ないように思います。そこから関 西と東京では人間関係の質の差がしょうじ、関西人から見ると「東京 の人は冷たい、よそよそしい」というようなイメージが生まれる。」 前回の投稿にも、上記のような論旨がみえましたので敢えてちょっと違うのでは? と感じたのが前回の私の投稿なのですが、少しはしょりすぎたため言いたかった事 と違う捕らえ方をされたように感じたのです。 私は関西文化の一つ、「会話自体を楽しむ」という部分について言及したかったの です。関西弁自体が人間関係を良くするという要素は少ないと思いますし、(全く ないという意味ではありません)前回の例に挙げられたような会話は、おそらく関 西弁だろうと、東京弁だろうと、忠告された上司の方は同じ印象しか受けないと思 います。つまりその一言をいうタイミングとそれまでの人間関係がどう捕らえるか ?の指標になるのであって方言はこの場合関係ないという事がいいたかったのです。 実際、上司との会話、お客様との会話はイントネーションこそ関西弁的ですが、 文字に直すと標準語なのです。意外でしょうが東京など関西以外で働いている 時のほうが関西弁を使用したりするのです。とくに営業関係の仕事などはその傾向 が強いと思います。 それと、今回の例についても関西ではおそらく通用しないでしょう。東京という 関西以外の場所で使うとまたその効果は違ってくると思いますが。 それは、何故かというと、方言が関西人気質を象徴しているという事だからだと 思います。関西弁が、東京弁がというのではなく、その地域にあるイメージが方言 にかぶさっていると私は思っています。こうなると卵と鶏になってくるかもしれま せん。方言が先か地域気質が先か?という意味です。 「冷たい」と関西人に評価される人(地方)はムダ話をしないという事があげられ ると思います。方言かどうかという前にいらない事までしゃべるかどうか?という 部分が、その判断を左右すると思うのです。 関西はある意味「ムダ話の世界」です。たとえば用件を伝えるにも東京よりも 余分な会話がどうしても混じります。たとえば「昨日、阪神が勝った」という いう一言をつたえるまでに、 a「昨日、何してたん?」 b「えっ何かあったん?」 というふうに、質問されたbさんの方が質問に質問で返すというようなところが 関西人には多いと思います。つまり会話の目的より会話自体を重視する楽しむ、 という事なのです。 この部分に対応できる人なら、何弁を使う人でも「冷たい」という印象を持たれる 事はないであろうと思うのです。 方言の語感は、あまり関係ないように思っているのです。あくまで私個人の考えな のですが。私は真剣にこのテーマについて検証しようと思ったことはないので単な る思いつきなのですが、いかがでしょう? 高校生の頃まで?富田林に居られたようですが、高校生としての会話と、社会人 としての会話は、同じ関西弁でも大きく違うと思います。これも私の個人的な感想 なのですが、高校をでたばかりの頃は、言葉遣いに大分苦労しました。 「しはりませんか?」だけでなく「しやはりませんか?」など相手によって違う 言葉遣いをしなくてはいけなかったためです。今でも敬語を上手く使えているか どうかは自分でもよくわからない状態です。 関西弁なら面白おかしくしかも相手に印象を柔らかく言葉を伝えられるというよ うな事はないと思っています。 関西でも、内、外、上、下に対する言葉遣いの緊張感は同じなのです。 関西弁に言葉遣いの緊張感が感じられないというのは、遠回りのムダ話のお陰なの かもしれません。このムダ話の中で社交辞令を行うのです。会談の目的よりもムダ 話を長くするということが、かえって、ムダ話を無駄にしてないという事ではない でしょうか? また今回もずれた回答をしたかもしれませんが、お許し下さい。イマイチ簡潔にまと められなかったので、ムダが多く論点自体がずれてしまっているかもしれません。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 22:14:19
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「関西の位相表現」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。 何にでも反対するとは思わないで下さいね。 Awajiは生っ粋の関西人であることに誇りを持っている人間です。 従って、既に申し上げたとおり「河内弁」中心の「大阪弁」には些かの抵 抗感を感じている者です。 「わい」と言う自称が大阪では通常使用されないことも、既に申し上げた とおりです。(嫌な言い方ですが「下層階級」を自認する言葉です。) 游惟さんは無視されていますが、既に申し上げたとおり「はる」は敬語的 表現なのです。 >お気づきにならなかったかも知れませんが、「何いうてはりまんの!」 >の「はります」は「なさ(は)ります」の転訛で敬語表現なのです。 >「何いうてんのん!」「何いうてはんのん!」「何いうてはりまんの!」 >の順に敬語的ニュアンスが強化されます。 もう少し詳細に言えば、 「何いうてけっかる」・・・「何ぬかす」 「何いうとる」・・・「何いうとるんや(じゃ)」 「何いうてんのん」 「何いうて(な)はんのん」・・・「何いうていはんのん」 「何いうて(な)はりまんのん」・・「何いうてい(や)はりまんのん」 「何いうて(な)はりますのん」・・「何いうてい(や)はりますのん」 「何(を)おっしゃる」 「何(を)おっしゃってますのん」 「何(を)おっしゃって(い)はりますのん(やら)」 以上の他にもあると思いますが、これらの位相表現を使い分けており、 「なにいってんすか・・・」は、ほぼ「何いうてんのん」〜「何いうては んのん」の中間位に当るでしょう。 「はる」はおそらく「なさる」→「なはる」→「はる」でしょう。 つまり、日常表現において既に敬語的表現を使用しているのです。 本来は「江戸弁」にも、こういった微妙な使い分けがあったのだと思いま すが、(江戸弁は良く知らないので分かりません)おそらく標準語使用に よって日常表現から失われたのでは、無いでしょうか? 関西人が「東京の人は冷たい、よそよそしい」と考えているかどうは疑問 ですが、「東京弁」はそういった印象があります。 これは敢えて言えば・・・関西人は「関西弁」はケの場面、「標準語」は ハレの場面で使用することが多いのです。 つまり「標準語」は「文語体」の様なもので、微妙な感情の起伏を示すに は不適な言葉という意識があるのでは無いかと思います。 ところが、東京人は常に「標準語」を使用している様に思えるので、これ では感情をどうして示せるのか?・・・感情を示さない冷たい印象を持つ。 のかも知れません。他にも純粋の関西人の方にご確認下さい。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 22:28:57
Name : 勇者ロト E-mail : Title : またまたすいません>游惟さんへ Comments: 投稿したあと、私の投稿を読みなおしたのですが、「游惟さんの意図」とはまた ずれてしまったようですね。どうもすいません。 游惟さんの「方言から人間関係の質の差を考える」ということも必要な事と思って いますので、がんばってください!! おまけなのですが、私は関西の中でも言葉遣いの悪いといわれる「播磨」の者で す。(笑)けつして上品な「京都」ではありませんので、よろしくね! (そんな奴が言葉遣いにくちだしすんなっちゅうねん!!)           ↑           ひとり突っ込みです 上品(?)な関西弁がしゃべれる方はどうお思いになりますか?slashdogさん!! Time : 1999/ 7/ 8(木) 22:32:41
Name : はてなマン E-mail : Title : 金融亭さんへ Comments: みなさん、こんばんは。 金融亭さん、私の下らない質問を気にかけていただきうれしく思います。 ありがとうございました。 >『余分な要因を取り除く』とは、手に入った情報のうちの >一部を無視するということか?」という意味なら、答えはノーです。 私が聞きたかったのは、この部分の説明(ご意見)で十分です。 例にあげていただいた惑星の法則の話が、歴史学にあてはめられるかどうか?私もわかりません。 ただ、歴史の場合は、証拠としての資料があるわけです。 記紀と中国の史書に相反する事が記述され、しかも歴史書としては中国の史書のほうが信用できるから、記紀は空想であるというのは短絡過ぎると考えています。 いいお話ありがとうございます。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 23:47:09
Name : Toshy E-mail : Title : くれおーる Comments: 游惟さんとAwajiさんの「クレオール」論を拝見して、 大学時代には文学ばかり勉強して語学をおろそかにしたこと、非常に後悔しています(笑) 游惟さん、ご教授ありがとうございました。 今回のことで興味が湧いてきたので、調べて見たいと思います。 Time : 1999/ 7/ 8(木) 23:51:06
Name : slashdog E-mail : Title : 東京、大阪の言葉について思うこと Comments: 勇者ロトさんに意見を求められましたので、関西に住む者として 少しひとり言など・・・ 「東京の人は、冷たい、よそよそしい」と感じるのは「言葉」のせいでは ないような気がします。元々、東京の人間ではない人が、東京人に成りきろうと して、(あるいは、東京人ではないのを隠す為)他人との関わりを絶って いるような感じを受けます。 むこうの知り合いとしゃべっていても、「冷たい」感じはありませんし。 確かに、大阪弁と比べると、「温かさ」は感じにくいですが。 それから、その土地の歩んできた「歴史」の差、なんでしょうか? 根っからの「商売人」の町と、「人が住む所ではない」といわれた 田舎の開拓地。その「気質」の差、なのか? 私は研究してるわけではないので、答えは出せませんが。 「はる」は、確かに敬語ですね。 京都の人はよく使うように思います。 昔のように、京都弁、河内弁、○○弁という、線引きが曖昧になってきているし、 どんどん、「純粋な言葉」が消えていっているように、感じます。 名古屋弁が、無くなっていってるように。 若い人のほとんどが、東京弁です。 最後に、東京弁も大阪弁も、社会における内外、上下、の言葉使いの緊張感 (私は特に緊張感は感じませんが)は同等でしょう。 その「差」がでる原因はその人個人が育った環境の「差」ではないですか? Time : 1999/ 7/ 9(金) 02:43:53
Name : Anon E-mail : Title : 游惟さんと、たぶんAwajiさんへのコメント Comments: なんというか、日本の史学は根本的におかしい のではないか、私はそんな不遜な考えを持っています。 特に古代史で顕著なのですが、日本以外の歴史との 整合性と言うことを視野に全く入れていません。 古田史学のように一見、東アジアの歴史を視野に 入れているかのような史観は異端扱いですし、明確に 視野に入れている小林恵子氏は、なんともトンデモ 扱いです。これでは井の中の蛙です。 実際、日本史の概説など、日本人のために日本語で 書かれた本よりも、英語ネイティヴのために英語で 書かれた本の方が、遙かにわかりやすかったという 情けない経験が、私にはあります(なぜわかりやすい のかは、一読されれば分かります)。 、 そのうえ、繰り返しになりますが、史学と考古学を安易に 結びつけるというカテゴリーエラー問題をあまりに軽視して います。「比定」なんていう言葉がまかり通るのは日本 (と一部の関連国)だけです。 游惟さんが、私の仮説に好印象を持たれたようなのも、 実は理由は同じ処にあると推測します。つまり、他の 学問分野(国際的に切磋琢磨する分野)の仮説体系と の折り合いがよいと言うことです。 もうちょっと手を滑らせてしまいますが、「語学」という 分野も、史学と類似の状況があるように見受けます。 古代史関連に話を絞って、例えば上代特種仮名遣い なども、言語学の常識を適用すれば、その理解は困難 ではありません。8母音説がまず成り立たないことも、 容易に論証できます。 しかし、そのような説は唱えられることさえありません。 私もいちおう学者(まったく違った分野ですが)のはしくれ ですが、このような史学(や日本語学)の状況は 異様としか考えられません。 Time : 1999/ 7/ 9(金) 09:35:09
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさん、勇者ロトさん、slashdogへ Comments: 色々ご意見ありがとうございます。 私も「はる」が敬語であることは百も承知しております。(一応現代語の専門家でっせ) 位相という問題を考えると標準語には「はる」に相当する便利な語がないのです。 大阪弁なら一つ年上の先輩であろうと、部長であろうと、取引先であろうと「はる語」を 使っておけば(勿論語気や態度の問題はありますが)殆ど問題は起きません。見知らぬ人 に会ったときもそうですし、目下の者に対して使っていけないということもありません。 ところが標準語では、先輩に使う敬語、部長に使う敬語、取引先に使う敬語をTPOにあ わせて細かく使い分けなければなりません。相手と自分の関係によってどの程度の言葉を 使えばよいか、瞬時に相手の自分の「内外」「高低」の値を測定しそれを敬語方程式に代 入して計算せねばならず、測定や計算を間違えると問題が生じます。大阪弁なら相手が 「外」あるいは「高」であれば、その値に関係なく自動的に「はる語」と答が出てくるの で非常に楽なのではないでしょうか? ただ大阪弁は敬語の位相の幅は小さいのに対し、Awajiさんご指摘のように軽卑語(敬語 の反対。相手を貶める言葉)の位相は標準語よりむしろ細かく別れているかもしれません。 また言葉の位相の問題とは別に、標準語は@母音の無声化が多い(「〜です」の「す」な ど)、A促音が多い、B無声化母音、促音の後の音が有気化する(「やっぱり」の「ぱ」、 〜しちゃったの「ちゃ」など)などの特徴があり、センテンスの中で母音が切れ切れにな り、語気が強く歯切れよい冷たい印象を与えるようです。(大阪弁はその逆で、殆ど母音 が鳴りっぱなしで、角がとれている) ロトさんのおっしゃるように現在の関西弁は語彙自体は殆ど標準語と変わりなく、上のよ うなこととアクセントと若干の文法に差があるだけですが、関西人は東京人より「会話自 体を楽しむ」ということがあるとすれば(これも計測してみないとわかりませんが)、こ のような言語的な特徴がそれに作用しているとも考えられます。 これらは言語自体の問題ですが、その他に対等な人間関係を大切にする商人の町と上下関 係を大切にする武士の町の伝統(私自身はあまりこの手の類型化は好きではありませんが) なども関係しているでしょうし、slashdogさんのおっしゃるように、現在の東京 は地方から上京してきた人間が作っている町なので、皆自分が田舎者だと思われないよう に緊張している、という要素もあると思います。 まあ、これら様々な言語的・社会的要因が重層的に相互に関連して、関西と東京の文化差 を生み出しているわけで、それを因数分解し一つ一つの要因の影響力を測定していくのは なかなか大変な作業です。いまその分析方法を模索している段階であり、みなさんのご意 見は大変参考になります。ありがとうございました。 Time : 1999/ 7/ 9(金) 10:14:05
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Anon様,再度割り込みお許し願います。 Comments:  またまた割り込んですみません。 以前,質問したり、一般論として述べて宙ぶらりんになっている ことと関連がありますので,コメントさせてください。  Anon様の説が,一見他の分野と折り合いがよさそうに 見えるのは,ある種外部史的方法を取っておられるからでしょう。 しかし,根本となっているのは「中国内部史」のように見えます。 その点,外部史を好む小生が、一度はAnon様の説に注目しながらも, 不信感を抱いた所以です。  以前「中華史観」なのではないですか? とお尋ねしたときに はぐらかされてしまいました。テキストクリティークとからめて、 中国の史書は偏狭の日本の記述においても,信頼性がどの程度 おけるのか質問したのですが,それもむしろ許容される虚偽も ありうるというお答えでした。 >日本以外の歴史との整合性と言うことを視野に全く入れていません。 は、どの事実をおっしゃっているのでしょうか? 現在までうかがったご意見と、ほかの方のご意見を総合すれば, 「全く」とは決して言えないと思いますし,何と何との 整合性か良く分かりません。具体性のない一般論は お止めになったほうが良いと思います。  また、小生は多くの批判を受けながらも日本の独自性を 追究しているのですが,特に「日本史」や「日本語学」が 日本独自のものであっても,特殊性の存在がありうる限り, 別にかまわないと思います。 全く他を気にしていないなら,問題でしょうが・・・。 グローバル・スタンダードなどという語は,真の意味で グローバルではなく,やはり特定の集団の意見でしかありません。 現在の「世界史」はやはり一般的には西洋偏重でしょう。 小生も西洋の学にどっぷりと浸かっています。 (引用しているものはほとんどその類です。) けれどもすべてそれに従う必要はないと思います。  それから、小生は小林女史をトンデモ扱いせずに著書も読んだり しますが,比較的自由な発想をされている井沢先生でさえ, 結論には少しついて行けないところがあるように, (もちろんはっきりとおっしゃっているわけではありませんが) お二人の対談の本で述べておられます。井沢先生の説さえ反対の立場を 取られている方が,小林説をトンデモ扱いするのは分からないでもありません。 しかし、それは,「日本以外の歴史との整合性」というよりもむしろ 「大陸偏重」のキライがあり、ドラスティックすぎるから多くの批判を 受けているように思います。それは,反面楽しいことでもありますが・・。  以上のように,今回のご意見は特に的が外れているように感じます。 もうすこし、具体性を持った説得力の有る例示をされながら, ご意見を述べられたらいかがでしょうか? Time : 1999/ 7/ 9(金) 10:43:28
Name : 輔住 E-mail : Title : 関西弁 Comments: ロトさん、slashdogさん、Awajiさんさん、游惟さん。 関西弁講座は非常にためになります。とても関東の人間が 遊び半分では使えませんね。 Time : 1999/ 7/ 9(金) 12:42:43
Name : 志田 糾 E-mail : Title : 勇者トロさん、皆様 Comments: この掲示板も議論分野が広くなり、相当の知識が要請されます。 いわゆる百科事典の感がありますが、少しばかりの感想を述べたい気になりました。 「言葉の差というよりも、地方文化の差でしょう?」、「言語文化の問題でんがな」というのは勇者トロさんと游惟さんとの会話ですが、素朴な立場からの見解。 私も関西は播州、さらにはもっと土着的な地に生まれ、大学以降は東京。言葉の 問題では相当に悩みました。駅で切符さえ買えないというほどの言葉の差があっ たとは。今でも何故か不明ですが。現在は、私を関西育ちという人はいないでし ょう。余程、関西のイントネーションを経験していない限り。 しかし、言語文化と地域文化は相当に深く関係し、鶏と卵そのとおりです。 特に播州は弥生時代からの集落が未だに維持されています。集落が安定であるこ とはそこの地域文化を維持しているわけで、基本は差別です。全国に稀にみる差 別社会は崩壊しつつも未だに健在です。差別社会は敬語を含む特別な言語文化を 作り出します。 それは日常的な緊張関係から生じると思うのですが。私も親から相当に言葉使い の注意を受けつつ育ちました。それでも親戚から見れば親のしつけがなっていな いという苦情を受けるようです。地域社会ぐるみで、言葉使いやしきたりが継承 され、子供ごころで言葉使いを緊張をもって行うという訓練は現在の私も受け入 れています。これは人間性の問題で、どちらかという哲学(思考)の問題です。 確かに哲学は思想(イデオロギー)ではありませんが、言葉を日常的に醸成しま す。ここも仮説を立てると大変な議論となります。 しかし、これらのこと、私の子供には強制はしませんが、外からの言語破壊の方 が厳しくて、家庭内では太刀打ちできないというのが実状でしょうか。 現在、東京のようにあらゆる人種と地域とが混在し、言葉自身に原理を見つける のは困難な時代と思うのですが。20年前になくなった叔母が東京育ちですが、最 後の日本語(標準語)を話せる先生としてNHKに子供を連れて出演していたとい う話を聞いたことがあります。それぐらいに、日本語は混乱してしまったといえ るのですが。言葉は社会の影響を受けて、どんどん進化(退化)する筈ですが、 その方向を誰か予測することは出来ますでしょうか。少なくとも、江戸弁や関西 弁や、その他地域文化が生んだ言語はその地域文化の崩壊とともになくなります。 敬語も差別社会の崩壊の中でなくなります。和歌山地方に敬語がないということ でびっくりしました。実際に、役所では上下関係が言葉からは理解できませんで した。 しかし、探せば、地域文化と言語文化が一体化している地域社会があるような気 がします。東京と関西(大阪)の比較では、相当縮退した関係を紐とかなければ ならないわけで、游惟さんのおやりになっている統計的手法ということが最適な んでしょうね。当然、南洋の孤島や、日本でも孤立した地域社会でもその原形が 見られると思うのですが、東京と大阪では、気の遠くなるような話です。大変さ をお察しします。 ここで、私が勇者トロさんに発想の一致をみるのはいわゆる育ちの同じという ことなのでしょうが、それよりもなによりも、四方八方に飛び火しつつある議論 についていくには、どうしても、発想の同じ人物との接点をみつけることが楽で す。これも地域文化の名残なんですが。 この掲示板も井沢仮説を前提に賛成も反対もあるのですから、比較的議論につい ていきやすいことは明らかです。1つのバーチャルコミュニティの形成です。 「万世一系」批判は「国家」「国旗」問題でいつかは世論形成に役立つのですが どう役立ちますか、皆様のご意見をお聞かせ願えればと思います。昔は社会学、 歴史学、遺伝学が総動員されて、それを歌い上げましたが今度はそういうことは ないでしょうか。 Time : 1999/ 7/ 9(金) 13:42:52
Name : きんたろう E-mail : Title : 無理な比較 Comments: 感想です。 方言は日本全国何処にでもにあるし、ここで游惟ゆういさんが言われている (?ように感じるのですが)関西弁だけが標準語に匹敵するような物言いは 傲慢すぎると思います。 郷土の誇りは日本全国何処にでもあるのです。 これは関西弁を使用する地域だけのものではないはずです。 どうしても独りよがりのように感じてしまいます。 ちなみに茨城ではもはや方言はあまり聞かれなくなってしまいました。 茨城弁のアクセントは尻上がりですから、東北弁と同系統であるにもかかわらず 歯切れはいいと思います。 こちらでは子供の頃は方言を使っていても、だんだんと標準語にシフトしていく のが一般的です。 ですから私も方言では敬語的表現や丁寧な使い方が実はよく分かりません。 本当はあるはずだと思いますが。 ですから関西弁の中にはそのような表現がまだ残っているのを聞いて羨ましい気が しましたが...。 Time : 1999/ 7/ 9(金) 16:42:54
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「関西の位相表現」U?? Comments: みなさん、今日は。Awajiです。 きんたろうさんは、茨城ですね。失礼ながらAwajiの三大敬語未発達地域? に該当します。(うちの嫁はんは関西人ですが一時カルチャー・ショック を受けたようでした。) 游惟さんが、標準語と関西弁を比較されているのは、関西(大阪)弁が方 言としてもっとも強固に存在し、喋る人も多いのでサンプルが取りやすい からでしょう。傲慢とは受け取らないで下さい。 なお、ヒツコイと嫌われるかもしれませんが・・・游惟さんへ一言です。 >>私も「はる」が敬語であることは百も承知しております。(一応現代語 >>の専門家でっせ) >>位相という問題を考えると標準語には「はる」に相当する便利な語がな >>いのです。 そのとおりで、標準語には何故か「なさる=はる」表現が欠落していると いうことなのです。 しかしながら、当初の貴方の認識は以下のとおりでした。 >>さて、その私が自分を資料にして考えると、全く同程度の位相(丁寧さ) >>の言葉を用いても、大阪なら腹も経たないのに東京では腹が経つ、とい >>うことがあると思うのです。 >>例えば私は運動部にいましたが、同じ程度の語気で後輩に「何いうては >>りまんの!」といわれても別に腹も立たないが、「何いってるんですか >>!」といわれると「なにをー!」とぶん殴りたくなると思うのです。 Awajiが「敬語的表現」である事を繰り返し強調したのは、 A・・・「何いうてはりまんの!」 B・・・「何いってるんですか!」 においては、Aは敬語的表現であり、Bはそうではない。従って、 両者を「全く同程度の位相(丁寧さ)の言葉」と考えるのは如何なもので すか? Aは敬語的表現だから別に腹も立たないんではないですか? 「はる」が敬語的表現だと言うことが全国的にどの程度認知されているの でしょう? と言う意味で申し上げたのです。余計なことですが、研究課題とされる場 合はこういった論理はキッチリと整理された方が良いと思います。 >>目下の者に対して使っていけないということもありません。 これはどうでしょうか? 確かに「目下の者」に敬語的表現を使ってはい けないことはありません。 しかし、敢えて使えば奇妙な雰囲気が生じます(概ね「嫌味」表現になり ます)ので、通常は絶対に使いません。勿論「はる」についても同様です。 (極めて例外的に、幼児に対してのみは使用できますが、これは対幼児敬 語という一般的な言語慣習によるものでしょうか。) 例えば、ある方と・・・中学・高校先輩、大学同期、社会人後輩と言う関 係を持つ事があります。(双方ともに関西人とします) この場合随分微妙な関係になり、「はる」を使うべきかどうか迷うことに なります。結局は双方共に「はる」で押しとおすことになるでしょう。 つまり双方敬語表現を使うのですが、社会人同期生から「お前らは何や?」 と不審がられることになりますね。 (周囲から見れば、当然異常さを感じさせるものなのです。) このような例では無くとも、自然年齢と地位の逆転は日常茶飯事に生じま す。どのように、この「位相」を表現すべきか・・・敬語的表現がある限 り、何らかの解決が求められる難しい問題でしょう。 ところで、もっとも基本的な親族名称は「母」でしょうが、関西では「成 人男性」の場合、 「おかん」「かかさん」「かかさま」 「かあちゃん」「かあさん」「かあさま」 「おふくろ」「おふくろさん」「おふくろさま」 「おかあちゃん」「おかあはん」「おかあさん」「おかあさま」 「はは」「ははうえ」「おははうえ」    みなさんは、このどれどれが、一般的に使用(可能)されると思われます か?  他の地域ではどうなのでしょうか? また、「Wife」を「嫁は(さ)ん」と称するのも、地方格差があるようで すが、アホバカ文化圏と相関しているのでしょうか?  江戸弁では「カミサン」が多いようですね。 あれは「女将」の流れでしょうか・・「お上」か「お神」か「狼」か?? Time : 1999/ 7/ 9(金) 22:03:17
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 東京弁 Comments: みなさん、こん@@は。輔住さん、志田さん、感想ありがとうこざいます。 游惟さん、「はる」だけでは心もとない(敬語の使い方として)ともおもうのです が、この言葉にこだわるのも、仮説としては面白くなるかもしれませんね。 slashdogさん、バトンをうけてもらってありがとうこざいました。 Awajiさんも他地域ではどうなのか?という事に興味がおありのようですが 私も同感です。今回例にとられた「母」にかんしてなのですが、播磨地域という ことでなく、私個人の場合としては、話す相手によってあげられた例、例えば幼 馴染には「おかん」、ちょっとした知り合いには「おかあさん、〜はん」など、 いろいろ使いわけをしているように思います。 ところで、今回の話は「関西人が東京人を冷たいと感じる」という点からスタート しましたが、逆に、東京人は関西人をどう感じているのでしょう? 東京の方、そして関西以外の方、軽くお教えねがえませんか?でも軽くでいいで すよ。難しい話にしたくはありませんので一般的なイメージをお聞かせ下さい。 PS 志田さんも、播州人ですか?土着的な地というのはどの辺りなのでしょう? ちなみに私は、姫路の西方です。でも土着的というのはすごい表現なのでちょっと びびってしまいました。そして私のハンドルネームはトロではありません。ロトで す。(笑)以後お見知りおきをお願いします。 Time : 1999/ 7/10(土) 00:22:09
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさん、きんたろうさんへ Comments: Awajiさんへ A・・・「何いうてはりまんの!」 B・・・「何いってるんですか!」においては、Aは敬語的表現であり、Bはそう ではない。 だからまさにそういうことをテーマにしてるのです。大阪弁ならたかが高校の一年 先輩に対してでも自然に「何いうてはりまんの!」が出てくるのに、標準語なら同じシチュエーションで「なにをおっしゃってるんですか!」などという言葉は出て こない(これはたかが高校の先輩に対しては過剰敬語)だろうということです。 これは今の段階では私の主観(仮説)に過ぎないので、本当にそうかをこれから統 計的に実証していこうということです。 (ただ「デスマス体」は丁寧語であり敬語の一種です) きんたろうさんへ。 私の言いたいことはAwajiさんが代弁してくださっていますが、それに加え私は双方 を母語として内在化しており、双方の心理が内面からわかるという理由もありま す。 Time : 1999/ 7/10(土) 00:24:55
Name : きんたろう E-mail : Title : 長所から短所へ Comments: こんばんは、みなさん。 Awajiさんの分析によると三大敬語未発達地域?(笑)に住むきんたろうです。 確かに茨城県人は自分たちの使う言葉が(かなり)美しくない事を十分に把握して います。(^^; 歴史的に見ると(常陸風土記によると)茨城≧常陸国は >そもそも常陸国は、その領域はきわめて広大で、他国との境界も遥かに遠く、 耕地という耕地は全てよく肥えており、未開墾の原野も耕地に劣らず豊かである。 開墾された土地と山海の幸とに恵まれて、人々は心安らかで満ち足りていて、家々 は富裕で賑わっている。 と書かれているように当時の水準としてはかなり豊かな土地だったと思われています。 この理由はひとえに耕地可能面積が大きかった事によるものと思われます。 これは常陸国が関東平野の北部にある事からも分かるように、ほとんどが平野だか らです。 茨城県以外のほとんどの県はその面積の半分以上が山間部であるという理由のため (かどうかは?ですが)県庁所在地一極集中現象を起こしています。 しかし茨城は全く違います。 こうした都市化をしなくても食べていける環境が現代においてはマイナスの要因 になっているのかも知れません。 ただAwajiさんの奥さんが驚かれたのは恐らく「そうだっぺー」という聞き慣れ ない(強力な尻上がりのイントネーションの)言葉に接したからだと思うのです が、...どうなのでしょう? Time : 1999/ 7/10(土) 00:43:14
Name : きんたろう E-mail : Title : 茨城弁にもっと光を Comments: Awajiさん、游惟さん。 了解しました。 それにしても関西弁には微妙な表現が残っているとのこと、羨ましいですね。 Time : 1999/ 7/10(土) 01:43:36
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「茨城弁」?? Comments: きんたろうさん、今日は。Awajiです。 三大地域なんて、失礼なことを言ってしまいましたが、嫁さんは約半年位 で言葉・気風に慣れてからは、茨城県が大好きになりましたので念のため。 彼女によると、無愛想で、突っ慳貪で、商売不熱心で、言葉使いが悪いけ ど、裏表が少なく、実直で人間の質(たち)は他地域より良い人が多いと のことでした・・・・ 「そうだっぺー」自体は面白がっていましたので、やはりショックだった のは初対面の人間に対する敬語的表現の欠如だったと思います。 それと若干関係があると思うのですが、語調が命令的、断定的、直接的で 全体的に強圧的な印象があったのではないでしょうか? 「ちゃうのん(と)ちゃう?」・・「ちがうっぺー」 「あかんのとちゃう?」・・・・・「だめだっぺよー」 「行かへん?」・・・・・・・・・「行くっぺー」 (勿論「ちがうんでねか?」と言う疑問形もあるのでしょうが、割合的に 「ちがうっぺー」と言い切る用例が多いのでは無いでしょうか?) 游惟さんの言われることと関係しますが、もともと方言として・・・ 「行か(き)はれへん?」「行きはりません?」に相当する言葉が見当た らない様に思います。 >>それにしても関西弁には微妙な表現が残っているとのこと、羨ましいで >>すね。 ところが、これは茨城弁だけではなく、東京弁を含めて大方の方言も同じ だと思います。むしろ「はる」用法等の微妙な表現は関西弁の特徴なのか も知れません。 Time : 1999/ 7/10(土) 11:17:47
Name : 志田 糾 E-mail : Title : 勇者ロトさん、AWAJIさん Comments: 勇者ロトさん 姫路の西は赤穂市、竜野市、揖保郡しかありません。 猛烈に開発が進み、人口増加率が兵庫県の上位です。 3つとも、土地を守るについては相当の葛藤がありますが、 終焉に近い気もします。 AWAJIさん 昔は母名称だけでも出身地が分かります。 A部落、おっか B部落、おかあちゃんそしておっかとは使えません。 子供のときはおかあちゃんでも大人ではおかあちゃんはつかえません。 しかし、もうそうしたものがなくなりつつあります。同化現象ですが。 Time : 1999/ 7/10(土) 13:50:55
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんはじめ皆様へ Comments: 私の大阪弁仮説についていろいろご意見を頂きありがとうございます。 ただ、私は現時点においては「私の仮説は正しい」などと主張しているのではありません。 以前のロトさんへのレスで書いたとおり、具体的な証拠を以て実証・検証されない仮説は 単なる仮説あるいは「妄想」に過ぎません。 私は以前「君の名は? −女性名のイメージ研究−」という論文を書いたことがあります。 (この研究は今も続行中です) 名前を聞いただけで何となくその人物のイメージが浮かんでくるということは誰しもある でしょう。(ここでまず反論がきます。「そんなのはおまえの思いこみだ」と) 例えばネットのHNで「ひろみ」「めぐみ」「れいこ」などとあったら、私は「ひろみ」 だったらボーイッシュで元気のいい下町風の女の子、「めぐみ」だったらセーラー服の似 合うおとなしいお嬢さん風の少女、「れいこ」だったら颯爽とスーツに身を固め英語ペラ ペラで上司と不倫でもしてそうなキャリアウーマンタイプの女性を思い浮かべます。(こ れは私の自由ですから反論はこないでしょう) しかし「みなさんも結構同じようなイメージをもってるんじゃないですか?」なんて言っ たらそれこそ山のように反論が来るでしょう。「俺も確かにそう思う」という人もいる一 方で「いやいや、ひろみのイメージはおとなしいお嬢さんだ」とか、「名前が同じだって 人はみんな違うんだから」とか「俺の女房はれいこだが、そんな女じゃない。バカにする な!」とか・・・。そしてこのことを延々と論議しつづけたって所詮水掛け論で永遠に答 はでません。 私が女性名を研究し始めたきっかけは友達と上のような論争をしたことからですが、まず 研究の第一段階として@人は名前を聞いただけで一定の人物像を思い浮かべ、Aその人物 像は多くの人に共通する、という現象の存在を実証しなければなりません。(もっともこ の現象の存在についてはアメリカなどで多くの先行研究があって既に定説となっており、 実証というよりも追試ということになります) そのために私はまず、上の3つの名前を含めた12の名前を調査対象とし、SD法(意味微 分法)という方法を用いた調査票をつくって、大学生を中心とする18〜25歳の男女それ ぞれ100名以上を被験者として実験を行いました。またそれを傍証するために6つのキャ ラクターの違うイメージ画(マンガ)を描き、それぞれの絵に上の12の名前を一つずつ 選んでつけさせるという実験も並行して行いました。 その結果を統計的に解析すると、二つの実験とも同じような結果を示し、@人は名前を聞 いただけで一定の人物像を思い浮かべ、Aその人物像は多くの人に共通する、という仮説 を99%以上の統計的信頼率(1%有意)で支持しています。但し、この調査は被験者の世 代が限定されてますから、厳密には「同一世代の間では」という限定がつきます。 だからこの段階で「そんなのはおまえの思いこみだ」と批判を受ければ「思いこみじゃな い」と99%以上の自信を以て反論できます。(但し一般的傾向がそうだというだけで当然 個人差はあります。誤解なきよう) ただ、個別にみると強烈な共通イメージがある名前(例えば「れいこ」カイ自乗値158.2 以上で1%有意なのに、1571.9もある)もあれば、ぎりぎり1%有意に達する比較的拡 散したイメージの名前(例えば「かおる」カイ自乗値169.3)もあります。(但し通常の 検定は危険率5%以内なら有意と主張して構わないことになっており、1%以内なら十分 です) また、因子分析・クラスター分析によって、少女型(かおり、めぐみ、ゆみ)、悪女型(れ いこ、まりこ、きょうこ)、おてんば型(ひろみ、かおる)、良妻型(まゆみ、みゆき、 ともこ)、おばさん型(かずこ)などのいくつかの類型に固まることもわかりました。(各 類型の命名は私の主観ですが、類型分けは客観的基準です) 次に研究の第二段階として「何故にそのような共通のイメージが形成されるか」を考察し なければなりません。共通イメージが形成される要因として、次のような諸要因が考えら れます @社会的要因: a.個々人は当該の名前を持つ人物のイメージに引きずられる  b.故に多くの人が思い浮かべる当該の名前を持つタレントなどが共通イメージの主要な 形成要因である A言語的要因: a.言葉の意味からの連想「れいこ→冷蔵庫→つめたい」「ともこ→友達→やさしい」 b.発音する際の音韻の影響(「りよ」「りさ」は意味はないがイメージは違うでしょう?) c.文字(漢字)の意味の影響(「しのぶ」でも「忍」「志宣」では違うでしょう?) d.文字(漢字)の視覚的効果の影響(「かおる」でも「薫」「香」で違うでしょう?) 私は当初からAの言語的要因、特にAaが主要な原因だと考えていました(今でも考えて います)。なぜなら、被験者たちが思い浮かべた人物が当該被験者のイメージの形成源な らば、A.同じ名前を持つ人間はすべて同じようなキャラクターを持つ場合、もしくはB. 多くの人が同一人物を想起した場合、に限り共通イメージが現れるということになります。 そしてAは常識的にあり得ない(と思っていた)のでBさえ否定できれば言語要因説は 自動的に承認されることになります。 それよりも言語的に形成されるイメージが被験者の脳裏にアプリオリにあり、被験者が誰 かを想起して回答したとしても、その人物はアプリオリなイメージに合致する人物として 無意識に選択されただけである。そしてそのアプリオリな言語的なイメージ形成の主要因 はAa、すなわち多くの被験者が同じ言葉から同じようなイメージを描くため、同じよう な共通するイメージが現れるのだ、と考えた方が合理的です。 事実、この実験調査では、回答の際に人物を思い浮かべたとしても(想起率平均64%) その大半は「同級生」を中心とする単なる「知り合い」であり、有名人が多数想起された のは「きょうこ」「まりこ」「れいこ」「かずこ」「みゆき」など一部の名前にすぎず(そ れらのうち「有名人」が「知り合い」を上回っているのは「かずこ」だけ)、想起人物が ない場合とある場合、知り合いを想起した場合と有名人を想起した場合など、様々に分類 集計して相関係数を計算し比較しても、全体としては殆どイメージ差はない、という結果 がでました。明らかに特定の有名人が共通イメージに影響を及ぼしていた(小泉を想起し た場合としない場合に明らかに異なるイメージが現れる)のは「きょうこ」における「小 泉今日子」(調査をした90年当時人気絶頂だった)だけでした。 その他に「まりこ」の項で「加賀まりこ」が多く想起されていましたが、加賀まりこみた いな年増が大学生に想起されるのなら、「かおり」の項で「桃井かおり」が想起されても よさそうなものですが桃井かおりを想起した者はただの一人もいません。上に述べたよう に「まりこ」は悪女型、「かおり」は少女型に分類されます。加賀まりこはそのアプリオ リなイメージに合致し、桃井かおりは合致していないために想起されないと考えるしかあ りません。「かずこ」に於いて多く想起された「かとうかずこ」、「れいこ」に於ける「か とうれいこ」もそうでしょう。 このようなことから、有名人が共通イメージの形成源という仮説は否定できます。 その他文字による影響や、被験者の男女差、当該の名前が好きか嫌いかによる分類集計、 など考え得るあらゆる集計を行い、それらの影響はあっても限定的という結果を得、一応 全ての解析結果が出たのが構想以来ほぼ3年後のことでした。 そして、この解析結果から、名前を聞くと多くの人が共通の人物イメージを描く現象の存 在は証明され、そのイメージの形成源が特定の有名人の影響であるという仮説は否定され、 間接的・消去法的にAaことばから連想が共通イメージの形成の主要因あるという仮説が 承認され、メデタシメデタシということに・・・・・はなりませんでした。 実験の解析が終わった段階で、「かずこ」のイメージと他の11との乖離が大きいことが気 になりました。調査票に「先生」「母親」「おばさん」などと書き込んだ被験者がたくさ んおり、明治生命が行っている名前調査では、昭和二年生まれから「和子」(昭和の「和」 の字をとった)という名前が大流行し、昭和2〜27年までの26年間に実に23回命名数の トップを占めたのですが、その後下火になり、被験者世代(平均昭和46年生まれ)では むしろ少数派になっています。これは世代の影響を無視しては語れません。 そこで他の11の名前にも世代の影響があるかどうかを調べる為に、ある名門女子校の同 窓会名簿を入手し昭和2〜49年生まれの20108人分の資料をパソコンにインプットしま したが、それには毎日3時間ずつやって4ヶ月かかりました。というのはふりがながない ため例えば「裕子」が「ひろこ」か「ゆうこ」かを調べるには巻末の50音順の索引をひ いて同姓で「ひろみ」より前にあれば「ひろこ」後にあれば「ゆうこ」というような確認 作業をしなければならないからです。(当時はCDロムなんて便利なものは普及してなか ったし、あったとしても私のパソコンでは使えなかった) そうやって四ヶ月掛けてデータベースを作り、他の11の名前の流行を調べると、「かずこ」 は被験者世代の母親以上の年の世代に多く、悪女型三つは被験者が物心つく頃には既に二 十歳を過ぎた大人になっている世代、良妻型三つ・お転婆型二つは被験者たちと同世代が 五、六年上ぐらいまでの「優しいお姉さん」の世代、少女型のうち「かおり」「めぐみ」 は被験者達より後の世代に流行した名前であり、「ゆみ」を除けば(これは良妻型と同世 代に流行)この「世代要因」によって、上の諸類型は殆ど説明がついてしまうのです。 即ち「同じ名前を持つ人間は同じようなキャラクターに見える」ということはあり得るの であり(例えば「タケ」とか「ウメ」などという名前を持つ人は現代ではおばあさんしか いない)、それらの類型的なイメージが幼児期に形成され保持される、という社会的要因 説は否定できません。(但し、実験の際に誰も想起しなくても同様のイメージが現れるこ とから、人物よりもアプリオリにイメージが存在していることは否定されません) このような明らかな反証が見つかった以上、私のAa「ことばから連想が共通イメージ形 成の主要因」という仮説は廃棄されないまでも「一つの主たる要因」という風に大幅な修 正がせまられます(今のところ何の証拠もないですから)。 またそうなると、この実験の被験者世代の90年当時の共通イメージこのようであったと しても、別の世代の人は別のイメージを抱いているかもしれず、この世代の人も何十年後 かに再調査すればイメージが変わっているかも知れない、という新たな対立仮説が生じて きてしまいます。つまり共通イメージが存在するのは相対的な「世代」の影響か、絶対的 な「時代」の影響かという問題がしょうじ、その検証もせまられます。 でも、私は未だに直観的・主観的には、社会的要因よりも言語的要因の方が影響力の方が 強いと考えており、現在それを証明するために同じ名前を用いて韓国・香港・日本で同じ 実験をして仮説Ab「音韻の影響」、即ち文化・社会に関係なく、同じ音韻の名前は同じ ような人物像を想起させる、という仮説の検証をしているところであり、ほぼ仮説通りの 結果がでています。ただこの実験は@被験者が日本文化の影響下にある韓国・香港との比 較であることA被験者は日本語の学習者であること、などの欠点があり、これで仮説通り の結果が出たからといって@Aの影響を割り引いて考えねばなりません。 肝心のAa「言葉からの連想」仮説の検証は、それをどうやって検証すればよいかよい方 法がわからず、今は放ってあります。 と長々と私の過去の研究について述べてきましたが、私がいいたいことは、実証研究とい うものはそんなに生やさしいものではない、ということは私自身がよくわかっているとい うことです。 たとえ、思いつきで始めた「女性の名前」というような軟弱なテーマの研究であっても、 研究者が研究者としての信念とプライドにかけて研究を始めれば、一切の妥協は許されず、 あらゆる可能性あらゆる反論に対して実証的データで答えていかなくてはなりません。 そしてこうやって10年近くかけて研究したって、興味のない人からは「女の名前の研究 なんて、暇なことやってんのね。バカじゃない?」と言われるのが落ちです。別にそれは 構いません。私の雅号「游惟」は「惟う(おもう)ことを游ぶ(あそぶ)」という意味で、 考えることを楽しんでいるだけですから。(ただ、こんなことばっかりやっていても飯が 食えないという切実な問題が生じますが) ですからAwajiさんなどは私が甘い見通しで大阪弁の研究を始めようとしてるんじゃない か、と思って忠告してくださるのだと思いますが、私も研究者の端くれ、一旦研究を始め れば一切妥協は許さないのでご安心ください。 ただ、現時点に於いて私の言うことは実証されていない仮説(思いつき)の域を出ておら ず、東京の高校生が先輩に対して「なにおっしゃてるんですか!」とは言わない、という のは私がそう思っているだけで、客観的データに基づいたものではありません。現時点に おいて私の仮説を批判されれば、現時点で考えていることで反論はできますが、実証デー タがない以上いくら議論をつづけても水掛け論に終わってしまいます。 だから何年かしたら、今度はちゃんとデータに基づいて大阪弁と標準語について論じま すので、それまで議論はお待ちください。 Time : 1999/ 7/10(土) 17:01:47
Name : きんたろう E-mail : Title : 納豆と茨城弁 Comments: こんにちは、みなさん。 Awajiさん、分析をありがとうございます。 >三大地域なんて、失礼なことを言ってしまいましたが、嫁さんは約半年位 >で言葉・気風に慣れてからは、茨城県が大好きになりましたので念のため。 ありがとうございます。(^^) Awajiさんも茨城に遊びに来て下さい。 >彼女によると、無愛想で、突っ慳貪で、商売不熱心で、 これは茨城に住む人でも県外で生活をしたことのある人(他地域から来た人、 Uターンも含む)は感じていることです。 要するに、それでも生活していけると言う環境にあるということなのだと思います。 >言葉使いが悪いけど、裏表が少なく、実直で人間の質(たち)は他地域より良い >人が多いとのことでした・・・・ 茨城は牧歌的ではありますが、県人口はほとんど300万人位ありますので(11番目) ??かも知れません。 以前タモリが名古屋弁をお笑いの材料にしていましたが、「どこが汚い言葉なの?」 と思った記憶があります。 Time : 1999/ 7/10(土) 18:07:34
Name : ina E-mail : Title : 游惟さんへ Comments:  こんにちは  はじめまして  興味深いおはなしをありがとうございました。  この論文はどの学会誌に掲載されたものなのでしょうか。別刷があれば読んでみ たい位です。何やら、井上章一先生の御本を読んでいるような感じで。 < 因子分析・クラスター分析によって、いくつかの類型に固まることもわかりました、ということですね。  ところで、游惟さんの想定された理由の検証が今一つ証拠不充分との事ですが、 すこし、周辺のことを質問させてください。  1想定した人物がいたかどうか、は質問のかたちでされていますが、こういった イメージを尋ねる場合、質問されても即答できない潜在意識にあるイメージが何ら かの役割を果たす場合もあると思うのですが(例をあげれば、昔親と一緒に見た、ホームドラマ、「ありがとう」の登場人物とか)。  まずはこの点について教えてください。 Time : 1999/ 7/10(土) 21:13:52
Name : 游惟 E-mail : Title : inaさんへ Comments: 下の >それらの類型的なイメージが幼児期に形成され保持される という文がそのことを指しています。 つまり例えばある人が持つ「かずこ」というイメージは、特定の「かずこ」ではな く、人の名前というものが理解できるようになった幼児期から出会ってきた多くの 「かずこ」という人物の類型的イメージが潜在意識の中に刷り込まれるのではない か、と考えています。 でもこれも厳密にいうと仮説にすぎず、検証を必要としますが。 Time : 1999/ 7/10(土) 21:45:57
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「東アジア」?? Comments: みなさん。今日は。Awajiです。 外国歴史(史書)の取り扱いについては、既にご理解頂いていることと存 じますが、Awajiは極めて重要視しているつもりです。 (勿論専門の歴史学者の大部分が、そうしている言ことはうまでもありま せん。) ところが外国史書を重視すべきことを声高に主張される方々は、往々にし て外国史書間の異同確認すら無視され勝ちです。 本来は「旧唐書」の記述についても、前後の「隋書」「通典」「新唐書」 「翰苑」「会要」等のすべての史料の異同を対照し、その記述の意味を考 察すべきものなのです。後世の「三国史記」「三国遺事」等の外国史書と の対照も欠かせません。 ところが往々にして「旧唐書」等の部分的記述のみを金科玉条のように重 視され、仮説の根拠とされています。そしてその他の「外国史料」は一般 読者の無知識を良いことに、素知らぬ顔をしておられることがあります。 ハッキリ言いますが小林さんの手法などは、その典型でしょう。 この方は八切・佐治・鹿嶋さん達より、史料そのものは厳格に示しておら れる(選択と解釈が独断偏重)だけに余計に誤魔化され易いのです。 天武を新羅王族と言ったと思えば、何時の間にか高句麗の権臣泉蓋蘇文に 擬するのでは、開いた口がふさがりません。 倭人以外の誰でも良いなら、お次は唐人でも探してきますか?何なら適当 な武将でも推薦いたしましょうか?と言いたいくらいなものです。 こんな方が東アジアの歴史を明確に視野にいれておられるとは噴飯もので す。 我々から見れば、一体何が日本歴史と外国歴史との整合性ですか?と言う ことなのです。 古代史については確かに史料が限定されます。従って、その間隙を埋める 作業が欠かせませんが、これを利用してトンデモをでっちあげるのは実に 簡単なのです。 例えば、百済武寧王(501〜523聖明王の父王です)の古墳が発掘調査され ていますが、王と王妃を収めた木棺が日本産の高野槙製であり、銅鏡三面 が副葬されている等の韓国では珍しい特徴が確認されています。 書紀で、筑紫の各羅嶋で生まれたので「嶋君」と名づけたと記述されてい る王ですが、末多王の子か蓋鹵王の子か孫か系譜に混乱があります。 この王の出生に関係が深い昆支は倭国に入質していた可能性があります。 「三国史記」にも「斯摩」とあるのですが、「シマ」と言う倭風の諱名に 疑問を唱える向きもありました。しかし墓誌の発見によりこの名称記事の 正しさが実物により確認されたのです。 これだけの材料によって、王妃の倭人説・・・聖明王の混血説をデッチア ゲルことくらいは極めて簡単でしょう。後は聖明王が親倭国路線をとった 記事を寄せ集めば、如何にもラシイ仮説になるのです。 さらに武寧王倭人説すら不可能ではありません。少なくとも天智百済王族 説よりは、余程に状況証拠が揃っています。 しかし、蓋鹵王の敗死、文周王の暗殺、三斤王の夭折、東城王の暗殺、と 言う混乱の極致にあったとはいえ、この時期の百済で余一族以外のものが 王に為る可能性は、まず考えられないのです。 従って、倭人説を主張すればトンデモ以外の何者でもありません。 これは逆に倭国とて同様で、こういった東アジアの各国状況を視野に入れ るることが、重要なのではないでしょうか? 史学と考古学のカテゴリーミスがあろうと無かろうと、武寧王時代の百済 を解明するために、これら考古学所見と文献は密接不可分の関係にあるの です。エジプト学において王墓の比定が常に問題にされたのも、ご存知の とおりです。 木簡の出土状況から天武が天皇称号を名乗っていた可能性が認められ、冨 本銭作成記事も確認されるのです。船氏墓誌を認めるならば、天皇称号が 少なくとも天智に遡る可能性が高くなるのです。 (中国学者ワンさんは、「隋書」天子並立記事から推古期天皇称号を想定) これら考古学との関係を無視して、歴史の真実解明が可能かどうか、良く お考え頂きたいものです。 Time : 1999/ 7/11(日) 00:22:40
Name : ina E-mail : Title : 游惟さんへ Comments:  レスありがとうございました。  かつて、東大に入りやすい名前、というのが週刊誌で特集され、げんみつな 統計的な解析というよりは、単に多い名を列挙しただけだったのですが、タケ シでした。  あと、カ行の多い名はキツイ性格とか、美がつくと、やはり美人が多いとか、 音声と心理だけでなく、環境や、いろいろ考慮すべき要素が多くて、大変ですね。  又、少しずつでも研究のご紹介頂ければ幸いです。 Time : 1999/ 7/11(日) 13:36:45
Name : 輔住 E-mail : Title : 勇者ロトさんへ Comments: >逆に、東京人は関西人をどう感じているのでしょう? >東京の方、そして関西以外の方、軽くお教えねがえませんか? 関西弁のイメージから東京の人より喜怒哀楽を表に出すような感じがします。 (まったくの誤解かもしれませんが) Time : 1999/ 7/12(月) 12:19:18
Name : きんたろう E-mail : Title : 郷には入っては Comments: こんにちは、みなさん。 勇者ロトさんの質問ですが、わたしからも少しだけ言わせて下さい。 関西弁については私個人としては特に悪い印象はありません。 私もたまに(特に酔っぱらうと)関西弁バージョンに自然に入る場合もあります。(^^) でも東京などで(水戸でもそうですが)平気で関西弁を使っているのを聞くと 自分で使っているにもかかわらずも無性に腹が立ちます。 (矛盾していてすみません) 私は東京では標準語を使って欲しいと思います。 (茨城に来た場合は茨城弁) 言葉は音感とその反射神経でいくらでも切り替えることができるはずだと思うの ですが、単なる勘違いかも知れません。 Time : 1999/ 7/12(月) 14:41:46
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 言葉の使い方? Comments: みなさん、こん@@は。輔住さん、きんたろうさんレスありがとうございました。 喜怒哀楽を表に出すということは確かにあると思います。しかし正直に感じたそ のままをだすより、より大げさにしてしゃべることが多いように思います。 そのほうが「うけるだろう」と考えて半ばわざとらしい感じもするかもしれません。 喜怒哀楽を逆にして大げさに話をするという事も多いと思います。 この面が関西人は「いつもふざけている」というふうに感じる人もいるのでは ないでしょうか?よく言えば「会話のサービス精神」が関西弁だと表現しやすい のだと思っています。 郷にいっては・・。というのは耳が痛い関西人は多いのかもしれません。 東京にいっても関西弁を通す人は他の方言を通す人より断然多いでしょう。 この背景には、標準語が話せないというのもあるでしょうが、関西では東京弁を ギャグにする場合が多いので、東京弁を使う事に抵抗感を感じているというのも あると思います。 きんたろうさん、茨城にいったら茨城弁をという事ですが、無理して変な茨城弁 になるとかえって腹が立つかもしれませんよ(笑) では、そろそろ方言の話題からはなれましょうか?皆様、お付き合いいただき ましてありがとうございました。 Time : 1999/ 7/13(火) 00:42:38
Name : 游惟 E-mail : Title : Anonさんへレス Comments: レスありがとうございます。 私は日本史・古代史については人並みの関心と知識しか持っておらず、古田史学とはなん なのか、小林恵子氏とはどんな人物でどんなことを言っているのかも知らないので、Anon さんとAwajiさん、JF生さんの論争について判断する能力もないし、そんな興味もありま せん。ただ自分なりに言えることは科学・学問一般についてのことだけです。 私は全ての科学あるいは学問は一定の解釈モデル(史観あるいは仮説)を立て、具体的な 証拠(史料なり実験観測データなり)、それが得られない場合は状況証拠によってそのモ デルが妥当かどうかを考察していくものだと考えています。 これには大別して最初にモデルを考えそれに証拠をあてはめていく演繹法と、まず様々な 証拠を集め、それを組み立てることによってモデルを構築していく帰納法とがあります。 そしてAnonさんは演繹法の立場に立ち、Awajiさん初め伝統的な日本史学は帰納法の立 場に立っていると私は判断しています 科学一般は証拠を以て語らせる帰納法を尊ぶ傾向があり、大半の地道な研究者は帰納法的 研究法をとっていますが、各分野で「革命的」といわれる変化をもたらしたモデル、例え ばガリレオの地動説(地動説の創唱者がガリレオかどうかはわかりませんが)、アインシ ュタインの相対性理論、経済学におけるケインズ理論、言語学に於けるチョムスキーの変 形生成文法などは最初は天才的な創唱者の「ひらめき」による演繹的モデルであったよう に思います。 しかし、最初はひらめきによる演繹的モデルであったとしても、それは後多くの研究者に よる実験や観測、調査等によって帰納的に確認され、またそこから演繹的に下位仮説が導 き出され、それは帰納的に確認され、という風に、今日定説となっている全ての理論は、 演繹と帰納の繰り返しによって誤謬が訂正され精緻化されてきたものであり、演繹法と帰 納法は本質的に対立するものではなく相互補完的なものです。 ただ、上に挙げたような天才のひらめきによる演繹法的モデルは、それが当時の学界及び 世間一般の「常識」を覆すものであるが故に「トンデモ」とみなされ、多くの誤解や偏見、 心理的・感情的抵抗を生み、その真意が伝わって「定説」として承認されるまでには長い 時間が必要になります。(チョムスキーは比較的速やかに受け入れられたようですが)。 ニュートン力学の常識になじんだ人の多くは「時間や空間が伸び縮みするなんてそんなバ カげたことがあるかい!」とアインシュタイン説に感情的に反発し、それに対抗するモデ ルを必死で構築しようとしましたが、アインシュタインの予言通りの実験・観測結果が続 々と現れるに及んで、次第にアインシュタイン説を受け入れざるを得なくなって行きまし た。しかし、その当のアインシュタインですら、次世代に現れた量子力学に対しては、い くら証拠を見せられても死ぬまで感情的反発を感じつづけていました。 広く受け入れられている常識的モデルを覆す革命的モデルというものは、初期には必ず誤 解や偏見に基づく感情的反発を受けるものなのです。従来の常識で安定している社会や個 々人の世界観がそれによって一時的に崩壊するわけですから、その反発は「本能的」とい ってもいいくらいなものです。 ただ自然科学の場合には、そのモデルが本当に妥当なものであれば、実験・観測データが それを支持し、金融亭丸祐さんのいう(1)誰がいつどこで実験しようとも、その理論を 検証できること。(2)どのように意地悪く考えても、その理論を用いて記述するのが最 も合理的であること。(3)理論自体が内部に矛盾を含まないこと、という条件が次第に 満たされてくるため、感情的反発者たちもそれを受け入れざるを得なくなり、自ずと決着 します。 しかし、歴史学まして古代史などになれば証拠自体が少なく、さらに実験や観測などで証 拠を増やすこともできない分野であれば、感情的に反発した人々が従来のモデルに固執し たとしても、証拠を以てそれを論駁することはできません。なによりAnonさん自身が歴 史はレトロスペクティブスタディの壁が立ちはだかるため、科学ではなく文学だと主張な さっているのですから、それはゲーテが好きかユーゴーが好きかといった問題と同じで、 どんなモデルに固執しようと好みの問題だということになります。 私は歴史学も科学だと思っていますが、歴史はタイムマシンでも発明されない限りはどう がんばっても「定説」あるいは「支持者の多い仮説」以上のものは構築できないという限 界がある点で、自然科学や他の実証的社会科学とは異なります。 したがって、歴史学において従来の常識を覆すモデルを提示し、それを「定説」にしよう と思うならば、できうる限り感情的反発を招かない形で新しいモデルを提示し、多くの人 に冷静に検討してもらって、そのモデルの合理性を納得してもらい、支持者を増やして行 くしかありません。少なくとも最終的にそのモデルを支持されるか支持されないかは別と して、そのモデル自体が理解してもらえなければ決してそのモデルが「定説」になること はあり得ません。 古田史学や小林女史のことは知りませんが、私からみるとAnonさんさんがこのページで やっていることは逆のことのように思えます。多くの人は最初Anonさんの提示するモデ ルに興味を示しますが、次第に中間をとばして結論だけ言うAnonさんの春秋の筆法に辟 易し、モデル全体を理解する以前にAnonさん個人に感情的反発を覚え、結果的にモデル そのものを拒否してしまっています。 Anonさんは理系の分野の研究者かもしれませんが、理系の論文を書くのなら専門知識を 持つ研究者だけを読者に想定し、素人にわからないテクニカルタームと数式を延々と連ね、 「わからなきゃわからない奴が悪い」とふんぞり返っていても構わないでしょう。しかし ここは特定分野の研究者コミュニティーではありません。いろんな分野の人が集まり、専 門的知識の程度も皆違います。新しいモデルを提示して支持者を増やそうとおもうなら、 誰にでも理解できるように親切に説明する必要があります。「わからなきゃわからない奴 が悪い」という態度で臨むなら、いたずらな反発を招き、孤立化し、異物として排除され るだけです。 私がAnonさんの説を支持しているといっても、それは「社会学的・文化人類学的にはそ う考えてもおかしくない」という消極的支持にすぎず、これから史学に転向し自ら史料に あたってAnonさん説を裏付けていこうなんて気はさらさらありません。日本史・古代史 は専門外であって、人並み以上の興味は持っていないのです。「日本の史学はおかしい」 と憂えるなら、史学の内部に支持者を増やすべく努力すべきです。 さらに社会学的に考えると「日本の史学は根本的におかしい」「日本人のために日本語で 書かれた本よりも、英語ネイティヴのために英語で書かれた本の方が、遙かにわかりやす かった」というAnonさんの意見は語るに落ちているところがあります。 Anonさん自身が「歴史を書くことは政治的な作業である」というようなことをどこかで おっしゃっていましたが、それは中国史書や日本書紀だけでなく、現代にも当てはまると いうことを忘れていらっしゃるのではないでしょうか? 時の政府・教育当局者が自国の歴史を自国(時の政権)の主権を正当化するのに都合よく 書き、それを国民に「正しい歴史」として教育し、結果として研究者を含めその教育を受 けた国民がそれを無批判に正しいと信じているのは当たり前であり、それこそがグローバ ルスタンダードです。 日本列島に利害を持たぬ外国人が外国語で書くからこそ客観的・グローバルな視点の日本 史が書けるのであって、その当人だって自国の歴史を客観的・グローバルな視点で書くの はためらうはずです。我々日本人がアメリカ史を「16世紀にヨーロッパからやってきた 白人侵略者達が東海岸に上陸し、原住民の土地を侵食していき、19世紀に西海岸まで支 配領域を広げると、さらにハワイにまで侵攻し王を島流しにして、その土地を奪った」と 書いても別に問題にはなりませんが、原住民以外のアメリカ人がこういう風に書きそれが 教科書に採用されたらどうなりますか?  「天智天皇は百済人であった」ということが定説になれば、「故に日本列島は韓国領であ る」という主張に結びつくし、現に韓国の右翼の中にはそう主張している者もいます。(証 拠の写真もあります) ただ、たとえ天智天皇が百済人であったにせよ、白村江敗戦以降は日本は朝鮮半島の政治 勢力からは完全に独立し、以後の中国歴代王朝、そしてなにより新羅・高麗・李朝等の朝 鮮半島の政権自身が日本列島に対する主権を主張したことはなく、日本を独立国として認 識(承認)していた明らかな証拠があり、また百済の主権を引き継いだ新羅王朝自身が消 滅したの日本王朝は現在まで1300年以上も継続しているのだから「日本列島韓国領説」 には無理があります。 このように考えていけば、自国民の研究者が自国の歴史を近隣諸国の歴史との整合性にお いてwertfreiheitの立場から客観的に考察しても大した政治問題にならないのは世界中で日 本ぐらいであって、日本以外のどの国においても自国民が自国の歴史を近隣諸国との整合 性において客観的に記述するのは非常に危険なことであり、現在の政権を転覆してやろう という明確な意図を持っていない限り、それをためらうのは当たり前です。 外国人の方がわかりやすい日本史を書いているのではなく、外国人だからわかりやすい日 本史が書けるのです。 だからAnonさんのような見方によっては自国の主権を危うくするような学説を発表して も問題にならない日本の方が世界的に見れば異常なのであって、むしろ幸せだと考えた方 が妥当でしょう。 日本語の問題については長くなりすぎますので後日稿を改めて書きます。 Time : 1999/ 7/13(火) 09:58:19
Name : 游惟 E-mail : kanpon@ops.dti.ne.jp Title : inaさんへ Comments: もし私の研究に興味がおありでしたら、論文のコピーをお送りしますので、 上のアドレスに住所をお知らせください。 学会誌といっても同人誌みたいなものですけど。 Time : 1999/ 7/13(火) 10:40:22
Name : はてなマン E-mail : Title : 百済正統 Comments: >「天智天皇は百済人であった」ということが定説になれば、 >「故に日本列島は韓国領である」という主張に結びつくし、 >現に韓国の右翼の中にはそう主張している者もいます。(証 >拠の写真もあります) と、游惟さんはおつしゃってますが、というより、Anonさんの意見をみている と、百済と日本は同じ国であり、倭国の百済地方という気もしないではないです。 そもそも海洋民の性格が壬申の乱の頃まで強く残っているとしたら明確な国境な どないも同じことだではないでしょうか? Time : 1999/ 7/13(火) 10:44:01
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 游惟様のご意見を読んで Comments:  割り込みになるかもしれませんが,小生の記事もお読みの上で、 ご意見を述べられているようですので,一言コメントさせてください。 大筋でご意見に異論はありませんが、その上で,少し違うように 思われる点についてのみ意見を述べます。 (ただし、小生がもはや触れたくない問題については言及しません ので、ほかの点でも異論が無いわけではありません。) >Anonさんは理系の分野の研究者かもしれませんが、 >理系の論文を書くのなら専門知識を持つ研究者だけを読者に想定し、 >素人にわからないテクニカルタームと数式を延々と連ね、 >「わからなきゃわからない奴が悪い」とふんぞり返っていても >構わないでしょう。 というのはちょっと理系を誤解されていると思いますが,それよりも Anon様の使われているテクニカルタームは分からないものではなく, 使用法が間違っているということを小生は指摘しつづけてきました。 (Awaji様もその点では同じだと思います。) それは、どんな研究分野でも許されることではないでしょう。 もし、独自の意味で使用される場合ははっきりと断り書きを いれるべきだと思います。それすらされずに,「使用法は 間違っていない」と突っぱねられたので,もはや救いようが 無いように感じました。どのような分野でも,まともな説明抜きで 突飛な結論を分かりにくい用語を交えて述べられるならば, 相手にされないでしょう。その点で,他分野を批判するほうが、 どうかしていると思います。それから、 >天智天皇は百済人であった」ということが定説になれば、 >「故に日本列島は韓国領である」という主張に結びつくし、 >現に韓国の右翼の中にはそう主張している者もいます。 という主張もありえるかもしれませんが,以前安部様がこの類の問題に ついて意見を求められたときに,このHPでは,   「天皇が外国人であっても,何ら問題にならない」 という方向にまとまっていったのではないかと記憶しています。 (念のため申し添えますが,特定の天皇が外国人と主張しているのでは ありません。) もちろん游惟様ご自身のお考えでなく、そう考える人もいるという スタンスだと思いますが、必ずしもそうとは限らないと思います。 英国ノルマンディー公がフランス人であったりする例もありますので, >日本以外のどの国においても自国民が自国の歴史を近隣諸国との >整合性において客観的に記述するのは非常に危険なことであり、・・ とおっしゃるのは少し違うように思います。 むしろ、これが危険で無くなるような情勢を望んでいるといった方が, 正確な表現かもしれませんが、整合性を持った歴史構築は必ずなすべき ことだと思いますし,この点では、反対された方は今までいなかったと 思います。Anon様にももっと本気で取り組んでほしいのです。 現段階では,Anon様のご意見は,「偏った意見に基づいた 思いつきの結論」を述べているようにしか聞こえません。 もっと、多用な角度から耐えうるような意見を構築されるべきでしょう。 どんな分野にでも共通するような,最低限の研究方法は有ると思うのですが。  ちょっと脱線しそうでしたが,以上大まかに2点について, コメントさせていただきました。 Time : 1999/ 7/13(火) 12:15:37
Name : ”歴史の鉄則外”のkaz E-mail : Title : 「天智天皇は百済人であった」について Comments: 私は、大化の改新で蘇我大王家が倒されたと考えていますが、話の筋が合わないことがあり、ずっと悩んでます。 「天智天皇は百済人であった」として、このストーリーが、宇佐八幡宮に、弓削道鏡への天皇位の禅譲を確認に行く話とツジツマが合うのでしょうか? つまり、天皇家と八幡宮との繋がりが説明できるのか教えてください?? Time : 1999/ 7/13(火) 12:42:31
Name : はてなマン E-mail : Title : Anonさんへ Comments: みなさんこんにちは、大阪JF生様、以下の部分についての感想です。 ちなみに大阪JF生様へのものでなくAnonさんへの意見です。 >Anon様の使われているテクニカルタームは分からないものではなく, >使用法が間違っているということを小生は指摘しつづけてきました という事なんですが、私のような素人には、用語の一般的な意味さえはっきりと理解しかねています。 游惟さまもおっしゃってますが、もう少し普通の言葉で投稿していただかないことには、反論どころかろくな感想さえもつことはできません。 まあ小林先生のご本をよんだほうが早いのかもしれませんが??? Time : 1999/ 7/13(火) 13:25:19
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 天皇家と外国人について Comments: 私は継体天皇以降の天皇は日本人、外国から来たとしても、 日本に定着して100年以上は経っている人であろうと思っています。 それを外国人といえないこともありませんが、そうしたら徳川 綱吉も中国人になってしまうことでしょう。 ただし、天皇が外国人であることはありえないことではなく、 1つの仮説として想定することは許されると思います。 そしてその仮説の説得力が高ければ、あるいは定説になるこ ともありえるかもしれません。 このような議論をする際に一番危険なのは、道義的な評価と 渾然一体になってしまうことです。 Time : 1999/ 7/13(火) 13:27:24
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 古代人ウソつかない Comments: 私は秋篠寺を調べた時に感じたのですが、(すみません結論はそのうちに書きます) 神話、伝承、歴史書というのはほとんど事実を伝えており、 恣意的な書き換えはほとんど無いのではないかということです。 但しそれを読み解くにあたって、専門学者も、アマチュアの人も 固定観念や自分の野望が混じっているのではないかと思います。 しかし、正確に読み解くことが出来ればかなり真実に迫れるのではないかと思っております。 新は、伝承、歴史書自体の信憑性はそんなに疑う必要はないと思います。 ただし、後世の人間の解釈は疑ってかかる必要があると思います。 それが専門家でも、アマチュアでも。 Time : 1999/ 7/13(火) 13:39:24
Name : Anon E-mail : Title : 大阪JF生さんへのres Comments: 日本古代史とされる世界は中国世界の一部です。 大阪JF生さんが「中国内部史」と言われる時に 暗に想定されている「中国外部史」は中央アジアに 繋がる北方遊牧民には想定できても、韓半島から 日本列島では独立したものを想定できません。 中国史書は、いわば大阪JF生さんの言われる「中華 史観」で貫かれているわけですが、その史観の構造 を理解できれば、中華史観(正統史観の方が良いように 思いますが)に捕らわれることはありません。 「日本以外の歴史との整合性」とは、例えば、当時の 東アジア国際情勢を再構築してみます(これは「中国史書」 が存在するおかげで可能です)。すると、東夷の納まるべき 場所、構造、関係が、ある程度見えてきます。この見えてき た像と日本古代史の定説めいたものを照らし合わせると、 ほとんど(まったく)整合しません。そういうことです。 「世界史」とはつまるところ西洋史と言えると思います。しかし、 この「西洋史」を実際に実現した端緒はモンゴル帝国ですし、 同様に現代の西洋史は、まさに世界史(西洋ではなく世界の 歴史)です。誤解のないように「人類史」と呼んだ方が良いで しょうか。 日本史もまた、その人類史の一翼であるべきでしょうし、その ための努力が必要であると、私は考えます。現行の日本史に それだけの実力があるでしょうか。 Time : 1999/ 7/13(火) 14:29:34
Name : Anon E-mail : Title : Awajiさんへのコメント Comments: 内容からして私の記述に対するご意見と推察します。 繰り返しになりますが、個別の史実認識について、私と Awajiさんに大きな違いはないと思います。 違いがあるとすれば、「シマと言う倭風の諱名」という 考え方を私はしないということでしょうか。 それから、小林説は私も採りませんが、その考え方の 基本は大変参考になります。小林説の重要な点は、 「天武を新羅王族と言ったと思えば、何時の間にか高句麗 の権臣泉蓋蘇文に擬する」といったことではなくて、 倭人世界もまた、当時の東アジア世界の一部なんだよ という考え方です。 Time : 1999/ 7/13(火) 14:42:48
Name : はてなマン E-mail : Title : Anonさんへ Comments: 以下の部分に質問です。 もうちょっと手を滑らせてしまいますが、「語学」という 分野も、史学と類似の状況があるように見受けます。 古代史関連に話を絞って、例えば上代特種仮名遣い なども、言語学の常識を適用すれば、その理解は困難 ではありません。8母音説がまず成り立たないことも、 容易に論証できます。 しかし、そのような説は唱えられることさえありません。 私もいちおう学者(まったく違った分野ですが)のはしくれ ですが、このような史学(や日本語学)の状況は 異様としか考えられません。 という事なんですが、容易に論証とはいいますが、賛同を得られないということは閉鎖的な学会というのをあらわしているのではなく、 証拠がたりないという事ではないのでしょうか? この意見に対して学者の方々は「権威のない学者又は研究者の説だから相手にできない」といっているのでしょうか? もしそうなら、問題ですね。 Time : 1999/ 7/13(火) 14:43:01
Name : Anon E-mail : Title : 游惟さんへのres Comments: いつも丁重なお返事、痛み入ります。 私がなぜこのようなスタイルを選択したのか、 もちろんそれにはそれなりの理由があります。 別に天才を気取ったり、ブレークスルーを狙うとか あるいは現状を憂うということでもありません。 しいて言うなら、井沢氏のファンであれば、多少の 異端にも目を背けることはないだろうとの期待のもと、 私のような考え方もあるのだよということを示してみた かったのかもしれません。 自説を主張するとか、そういう意図は基本的には ありません。そのあたり、誤解なり、不愉快に思われ る方がおられましたら、申し訳ありません。 言うこと、 Time : 1999/ 7/13(火) 15:16:19
Name : Anon E-mail : Title : はてなマンさんへのres Comments: 日本語学の世界がへんてこりんなのは、 レプチャ語起源説やタミル語起源説をみても 分かると思います。 上代特種仮名遣いは、言語学(音韻学)の常識が あれば比較的容易に説明できます。 具体的には、連結する子音を選別する母音という のは、言語学的に見てイレギュラーです。つまり、 まずあり得ない。ということは、特種仮名遣いは 言葉の弁別としては機能していないのです。 では何を反映しているのか、甲乙の区別のある 子音、区別のない子音には明瞭な規則性があります。 ということは、この区別は子音の影響で変化した 母音の音色を記述していると考えられます。 つまりこの音色の違いは記述者には聞き取れたが、 話者は意識していない可能性が高いのです。 Time : 1999/ 7/13(火) 15:39:53
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Anon様へ Comments:  ご回答ありがとうございます。 あまり具体的ではありませんでしたので,再度具体的な 「整合性の無さ」をご指摘お願いできませんでしょうか?  小生は(そしてほとんどの方もそうでしょうが) Anon様とAwaji様は個別の史実認識で, 大きく違っていると思います。勘違いされていませんか? 具体例を挙げておられない段階ですので,抽象的にしか 申し上げられませんが,Awaji様が, >外国歴史(史書)の取り扱いについては、既にご理解頂いていることと >存じますが、Awajiは極めて重要視しているつもりです。 >(勿論専門の歴史学者の大部分が、そうしていることは >言うまでもありません。) と心にとめて,日本古代史について考察されていることと, Anon様が,「整合性がない」とおっしゃることは矛盾します。 > 例えば、当時の東アジア国際情勢を再構築してみます >(これは「中国史書」が存在するおかげで可能です)。 >すると、東夷の納まるべき場所、構造、関係が、ある程度見えてきます。 と、おっしゃることは,中国史書をどのようにテキストクリティークし、 どの程度の信頼性を獲得した上でのご意見なのでしょうか? >日本古代史とされる世界は中国世界の一部です。 と、当時の中国人が考えるのは勝手ですが、われわれも(当時の日本も)そう 考えるべきだとおっしゃる根拠は何なのでしょうか? たとえ、天皇が中国人であったり,日本の住民の多くが中国人であっても、 中国とは同じ世界だとは考えていないかもしれません。 当時の「中華」に満足していたら,日本などにはこないのが普通でしょう。 したがって,「日本の史書は反発してでたらめを書いているのだ」という 観方も可能ですが,逆に、だからこそ「中国史書のでたらめな部分は こちらで訂正しよう」ということもありえます。Anon様のご説明では, 本質的にまったく理由が述べられておりませんので,どちらか判断できません。 (しいて言うなら,中華史観で中国史書が絶対的に正しいというだけ・・)  だから、Anon様は「歴史物語(文学)」を語っておられるのですか? その際には,あまり断定的に言わずに,フィクション(Awaji様流では ジョークでしょうか)らしく述べていただけませんでしょうか?  多くの方は,歴史を追究されるときに,「歴史文学でいいや」とは あまり思っておられないでしょう。学術論文なみの学問研究とは いわないまでも、それなりに「確度」を高める努力をしておられます。 そこのところをご理解いただき,まともな議論をお望みならば,物語でなく、 研究に近い方向にレベルを上げていただけないでしょうか? Time : 1999/ 7/13(火) 15:52:40
Name : はてなマン E-mail : Title : Anonさんお手間をとらせましたすいません Comments: 私に子母音の区別を聞かせていただいたのですねすいません。 おてまをとらせました。 私がいいたかったのは、どうしてAnonさんのいわれた母音についての考察が支持されないのでしょう? という単なる質問だったのです。 これも游惟さんのいわれる検証不足という事ではないのでしょうか?という事です。 Time : 1999/ 7/13(火) 16:38:44
Name : 游惟 E-mail : Title : Anonさんへ 日本語について Comments: Anonさんの日本語に関する説についてですが、日本語が人工言語であるという説には同 意できません。 どの辺まで人工言語だとおっしゃるのかはわかりませんが、たとえば帝政ロシア宮廷でフ ランス語が使われていたように、それまで宮廷内では朝鮮語を使っていた王族・貴族達が、 白村江以降、倭人の言葉を原型にした「日本語」を急造し、またそれに併せて万葉がなの ような正書法をこしらえ宮廷内で使うようになった、という程度のことならば大いにあり 得ることでしょう。 しかし、当時何百万人もいた全人民に人工的に作った言語を普及するなどということは、 学校制度もテレビもない時代には不可能ですし、なによりも沖縄方言と日本語が親縁関係 にある事実を説明できなくなります。人工言語が政治的にも経済的にも隔絶していた八重 山諸島にまで普及していったなどということはありえないでしょう。 さらにAnonさんは上代特殊仮名遣いに対する国語学の常識自体を誤解なさってるのでは ないでしょうか? >具体的には、連結する子音を選別する母音というのは、言語学的に見てイレギュラーで >す。つまり、まずあり得ない。ということは、特種仮名遣いは言葉の弁別としては機能 >していないのです。では何を反映しているのか、甲乙の区別のある子音、区別のない子 >音には明瞭な規則性があります。 >ということは、この区別は子音の影響で変化した母音の音色を記述していると考えられ >ます。つまりこの音色の違いは記述者には聞き取れたが、話者は意識していない可能性 >が高いのです。 とおっしゃっていますが、もともとこの説を唱えた有坂秀世も金田一京介もこの八母音が 言葉の弁別として働くなどとは主張してはいません。同一単語内の子音と母音の組み合わ せによって変音するといっているだけであり、言ってることはAnonさんと同じです。金 田一はこれをウラル・アルタイ語の特徴である母音調和の現象であると捉え、日本語がウ ラル・アルタイ語の一系統である証拠として考えています。(金田一京介 国語史系統編 1938) もし、Anonさんの「日本語人工言語説」を上のような宮廷言語と限定的に考えるなら、 八母音を使い分ける朝鮮語の癖を残した人々の言葉を、やはり朝鮮語の癖を残した書記官 が書き取ったと考えれば納得できます。(ちなみにここで言う八母音とはハングルの母音 字のことではなく、音声学的な意味です) 日本語の系統に関する研究の殆どは戦前のものであり、戦後殆ど進歩してないことは確か ですが、それは戦前は朝鮮・台湾は日本の領土であり、さらに中国語はじめ満州語・モン ゴル語など周辺諸語の研究が満鉄調査部など国策機関によって今日よりずっと活発に行わ れていたからです。敗戦によって日本列島に押し込められ、長い間周辺諸語の研究から切 り離されている間に、戦前の研究者は死に絶え、後継者が生まれなかったというだけのこ とです。 さらに日本語業界内部の事情を話すと、厳密な区別ではありませんが「日本語学」と「国 語学」とはすこし違います。国語学というのは要するに大学の国文学科出身者がおこなう 「日本人の日本人による日本人の為の日本語研究」であり、外国語との比較や一般言語学 との整合性はあまり問題にせず、通時的研究を重視します。 それに対し日本語学というのは、一般言語学や英語学その他の外国語学等の研究から日本 語研究に転じてきた人たちの行う日本語研究であり、外国語との比較や一般言語学との整 合性を重視し、共時的研究を中心に行います。 同じ日本語を研究対象としながら両者はあまり仲がよくありません。ほんの30年ほど前 までは日本語研究は国語学者の独擅場でしたが、チョムスキーの生成文法が流行りだした 頃から言語学者や英語学者が日本語研究の分野に進出してきたからで、国語学者にしてみ れば面白かろうはずがなく、両者間で品詞の定義や用いる概念も違い、「ら抜き言葉」な ども日本語学者は認めようとする者が多いのに、国語学者には反対する者が多いといった ことが起こります。ただ、日本語の通時的(歴史的)研究に関しては完全に国語学者に分 があり、日本語学者で通時的研究をしている人は殆どいません。 日本語の起源などを論じるなら、国語学者、日本語学者、言語学者、文化人類学者などの 共同作業が必要だとおもうのですが。 Time : 1999/ 7/13(火) 22:11:49
Name : 死体王 E-mail : Title : 北東アジア?東北アジア? Comments: 日本は北東アジアに属しますが、何故東北アジアとはいわないのでしょうか? 東南アジアといいますが、何故南東アジアといわないのでしょうか? どれが基準かわからないのですが? 恥ずかしくて他の人には聞けないので教えてください。 Time : 1999/ 7/13(火) 22:37:13
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「東アジア世界の倭人」?? Comments: Anonさん、Awajiです。 殆どの部分は大阪JF生さんから、ご指摘頂きましたので、その他の部分。 >>小林説の重要な点は、・・・・・倭人世界もまた、当時の東アジア世界 >>の一部なんだよという考え方です。 貴方は「倭人世界が当時の東アジア世界の一部では無い」と思っておられ たため「小林さんの考え方」に感動されるかも知れませんが (^0^)" この考えは、歴史学者はもとより、Awajiから中学生に至るまで共通の認 識であり、「倭人が人間である」と言うに等しいものです。 小林説の重要点は、この様な当り前の共通認識をワザワザ大仰に言いたて、 訳の分からないトンデモ説を言いたてていることでしょうね。 >>それから、小林説は私も採りません・・・ 大いに結構です。小林説が採りえないのは、結局は小林さんが東アジア世 界も、日本世界も充分理解されていないことに由来しているのでは? そもそも歴史学が科学では無いと主張される方が・・・外国歴史と日本歴 史の整合性を問題にされ,日本の歴史学者を批判されると言うこと自体、 ブラックジョークとしか思えませんが・・・小林説についもその蓋然性を 検証されたのでしょうね。それって科学なの? 科学じゃないの? >>中国史書は、いわば大阪JF生さんの言われる「中華史観」で貫かれてい >>るわけですが、その史観の構造を理解できれば、中華史観(正統史観の >>方が良いように思いますが)に捕らわれることはありません。「日本以 >>外の歴史との整合性」とは、例えば、当時の東アジア国際情勢を再構築 >>してみます(これは「中国史書」が存在するおかげで可能です)。 >>すると、東夷の納まるべき場所、構造、関係が、ある程度見えてきます。 >>この見えてきた像と日本古代史の定説めいたものを照らし合わせると、 >>ほとんど(まったく)整合しません。 何と言う・・・美しくも、空虚な言葉の羅列でしょうか。 確かに、これは科学的史論というより、情緒的詩論でしょう・・・ なお、Awajiは天皇の先祖が何処から来ようが、来るまいが一向に気になり ません。Awaji自身の遠い先祖が、ポリネシアンであろうがミクロネシアン であろうが、はたまたコリアンであろうと興味が無いのと同様です。 (韓国の右翼によれば、中国北部は全て韓国人の所有に帰すべきものだそう ですね。ショービニズムってやつは・・・・(>_<;)) どうせ我々人類はルーシーの縁戚?であり、我々アジア人は北京原人の縁 戚であるモンゴロイド諸人種(民族?)の混血児です。 現代の漢民族も韓民族も、その点では大同小異でしょう。 天智が百済王族の可能性も100%は否定しません。新羅・百済の王が倭人で あることが100%否定できないのと同様です。 或いは宇宙人であることさえ、100%否定できるかどう分かりません。 (この部分はジョークです。) しかし現在我々に与えられた史料(考古学的所見が重要な位置を占めている のは言うまでもありません)と、その論理的解釈による限り、殆どその仮説 が成立する蓋然性は無いだろうと思うだけのことです。 確かに人文科学は、その程度の検証(論証)しか出来ません。 なお、Awajiはタダの仏像愛好家ですから、古代史に関する自由な発想は大 好きです。何も帰納法にこだわるつもりはサラサラありませんし、演繹法大 歓迎です。 ただ大人の言論である以上は、演繹的発想は直ちに自己検証し、検証不足の 点を指摘されれば、素直に再考或いは再構築すべきだと思うだけのことです。 これが出来なければ、タダのガキッチョの論議になってしまうでしょう。 Time : 1999/ 7/13(火) 22:41:28
Name : Anon E-mail : Title : 大阪JF生さんへのres Comments: 直截な表現になりますが、私は、近江朝以前に 「日本」はなかったと考えます。「日本」なる国号が ないという意味ではなくて、なんらかの国家存在 としての「日本」はなかったと。 また、近江町以後も、現代の私たちが考える「日本」、 日本列島という領域の定まった「日本」は存在しなか ったと考えます。現代的な意味での「日本」に近い 意識が多少とも発生するのは江戸時代以降でしょう。 近江朝以前には「日本」という枠組みがありません。 そこは中国世界によって東夷、倭人世界と認識され るという形でのみ歴史に登場するのです。 その倭人に、後の「日本」という意識があるかと言えば、 もちろんそんなものはありません。彼らの意識は中国 世界のマージナルゾーンとしてのそれです(ちなみに このようなアイデンティティは実に江戸時代まで持続 します)。 このような世界観にある倭人世界が、漢王朝の崩壊 から始まる混乱(具体的には三国時代における漢民 族の滅亡、北方遊牧民の侵入による大混乱の後の 鮮卑系隋王朝成立)に対応し(せざるを得ず)、最終的に 「日本」アイデンティティに辿り着いたと考えると、 この過程はみごとに当時の東アジア情勢と連動(という よりも一致)していることがわります。 逆に、倭奴国で国家意識に目覚め、邪馬台国という 大国を形成するに至り、東遷説でも大和説でも九州 王朝説でも良いですが、5世紀には九州から関東ま でを支配する倭国が成立した、みたいなシナリオでは、 あたかも東アジア世界の激動と無関係であるかのよう です。 それどころか、上記例のような理解では、外と内、暗黙の 「日本」の枠組みである日本列島という内部と、それ以外 の外国という外部という構造が、無思慮に組み込まれて います。この「内部」にあたる「日本」概念は近江朝に初めて 発生したのだよというのが、私の考えです。 Time : 1999/ 7/14(水) 11:48:48
Name : Anon E-mail : Title : 游惟さんへのres Comments: 游惟さんのご理解の通りで、私もこの特種仮名 遣いの正しい理解は、非ネイティヴによる記述の 結果と考えます。 ところが、実際にかつて日本語(正しくは倭語)が 8母音だったのだと考える方が古代史家には多い のです。例えば名前が思いつくところで安本美典氏 などは完全に定説扱いしています。 上(かみ)と神(かみ)は上古、別の言葉だった、などと 議論されるのです。 日本語の起源問題については游惟さんのおっしゃる とおりだと思います。 Time : 1999/ 7/14(水) 11:58:20
Name : Anon E-mail : Title : Awajiさんへのres Comments: 大阪JF生さんへのresと重なりますが、 東アジアの一部に「日本」なるものがあるのではなくて 後の「日本」となる場所が、東アジア世界の一部 なんです。そこには「日本」はありません。 小林恵子氏の議論は、そのような東アジア世界 という枠組みから倭人世界(後の「日本」)を見ようと している点で、少なくとも私には有意義です。 「漢民族」という言葉も多くの誤解があると思うの ですが、漢王朝を築いた民族という意味であれば、 三国時代に漢民族は滅亡しています。 中華文明を受け入れたものという理解であれば、 朝鮮人も日本人も広義の「漢民族」です。東夷の 化外といわれればその通りですが、 鮮卑も北狄 の化外でありながら隋王朝(正統王朝)を建てて います。 Time : 1999/ 7/14(水) 12:09:06
Name : 輔住 E-mail : Title : 申し訳ないけど割り込みます Comments: Anonさん、みなさん、ちょっと話に割り込んでしまいますが、 >「日本」はなかったと考えます。「日本」なる国号が >ないという意味ではなくて、なんらかの国家存在 >としての「日本」はなかったと。 Anonさんの意見の内容は分かりますが、 「理由」が分かりません。 大坂JF生さんも何度がご指摘していらっしゃいますが...。 今のままでは「質問」だけになってしまい、「議論」になりません。 Anonさんがそのように考える「理由」が分かれば「議論」になるはずです。 お互い一方通行みたいになってしまっていると、考えてるのは 私だけかな? Time : 1999/ 7/14(水) 12:13:15
Name : 輔住 E-mail : Title : 何度も同じ失敗を繰り返してしまった Comments: 大阪JF生さん また「大坂」と「大阪」を間違えてしまいました。 ごめんなさい。 Time : 1999/ 7/14(水) 12:19:55
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 輔住様、お久しぶりです Comments:  その名前の間違いは許容範囲と存じます。 気になさらないでください。 それよりも、割り込んでいただいて、 ありがとうございます(ちょっと変な感じですね)。 思いは皆同じだと思います。 Time : 1999/ 7/14(水) 12:40:45
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Anon様、外の世界の言葉をうまく解釈してください Comments:  輔住様が,核心部分をおっしゃっていただいたので, あまり言うことはありませんが,天智以前がすべて架空と いうことでしょうか?もう少し全体像を描いていただかないと, よくわかりませんが、聖徳太子があちこちに建てて今も現存している 建物および地名(太子町など)までも偽者扱いですか? (たとえ中国人であってもです。それはすでに断ったはずですが・・)  もし、現在の日本列島に住んでいた民族や地名のことを「日本」と 言わないだけならば,議論の本質に全く関係ありませんね。 われわれは,仮にそれを日本とよんでいるだけで,名前が問題なのでは なく、実態を問題にしているのです。 わざわざ議論を分かりにくくする必要はないでしょう。  小生の質問を言い換えますと,  当時日本列島に住んでいた人々も,  「われわれは中国本土に住む人々の支配下にあり、    われわれ独自の仲間意識は全く持っていない」  と考えていたとどうして言えるのですか? という質問です。Anon様がどのような立場に立っておられようと ご自由ですが,小生の質問を上記のように読みかえることも不可能ならば, 単純な通説ですらまともに理解されていないと判断されるでしょう。 これでは議論になりません。小生は国語の先生ではありません。それから >現代的な意味での「日本」に近い意識が多少とも発生するのは >江戸時代以降でしょう。 >・・・ >5世紀には九州から関東までを支配する倭国が成立した、 >みたいなシナリオでは、あたかも東アジア世界の激動と無関係で >あるかのようです。 については、理由が全くわかりません。一度も具体例を挙げられないで, 結論のみ具体的に出てくるのはどういうわけでしょう? 何度もお断りしていますが,同じ説明は不要です。 もっと具体的にきちんと理由をつけ,筋道をおって説明いただけません でしょうか。さらに以前にも言ったことですが, >近江朝以前には「日本」という枠組みがありません。 >そこは中国世界によって東夷、倭人世界と認識されるという形でのみ >歴史に登場するのです。 このようにおっしゃって、なおかつ中華史観でないとおっしゃる意味が 良く分かりません。小生がつかう中華史観とは、このように中国人の 視点からしかものを見ないことを言うのです。 やはり、こんなことまで説明を要するようでは,Anon様は本当に 中華思想の権化で,外の世界は存在していても「存在していない」としか 認識されていないようですね。外の世界の言葉が全く通じていませんよ。 当時の日本列島に住んでいた人々は,存在しないも同然だと、 自ら進んで思っていた(信じていた)と本気でおっしゃるのでしょうか? もし、そう思っていらっしゃるのなら,質問はもうしません Time : 1999/ 7/14(水) 13:11:27
Name : 游惟 E-mail : Title : Anonさんへ Comments: 私がそのように理解しているというより、上代の8母音説というのは本来そういう 説なのです。万葉がなの研究から上代特殊仮名遣いを最初に発見した橋本進吉はた だ「そういう使い分けがある」と述べただけであり、昭和7年に有坂秀世が古事記 から「も」にも甲乙の区別があり、橋本の発見したものと併せるとウラルアルタイ 語族の「母音調和」の規則に一致するという説を発表し、金田一京介がそれを支持 して広まったのですが、有坂も金田一も乙類の3母音は単なる音韻的調和現象とし て出現すると述べているだけであって意味の弁別的素性として機能しているなどと は一言も言っていません。 今日の昼間、ある国語学者に会ったので聞いてみましたがその人もやはりそのよう に理解していました。 Anonさんのいう「上」「神」別語源説は私も聞いたことがありますが、、最近(と いっても10年以上前)否定されたということを宗教学関係の論文で読んだ覚えがあ ります。戦後の国語学者の誰かの勇み足と言うところではないでしょうか。 ところで日本語人工言語説を何かの文献で知ったのでしたら教えてください。検討 してみますので。 Time : 1999/ 7/14(水) 18:36:30
Name : Toshy E-mail : Title : 日本と外国・辺境 Comments: こんにちは。 >また、近江町以後も、現代の私たちが考える「日本」、 >日本列島という領域の定まった「日本」は存在しなか >ったと考えます。現代的な意味での「日本」に近い >意識が多少とも発生するのは江戸時代以降でしょう。 平安期の「今昔物語」では、本朝(日本)、唐(中国)、天竺(インド)に分かれて編集しています。 なにが「現代的」かが不明ですが、日本としての枠はあったと思います。 なお、都から離れたところは「辺境」であり、また隠れ里や海の向こうは「異郷」となっていすが、 日本という枠組みがなければこのような概念は出てこないはずではないでしょうか。 きっと、Anonさんの、「現代的」がなにか特別な意味を持っているのでしょう。 それを具体的な例を挙げて、ご説明願います。 Time : 1999/ 7/14(水) 22:09:36
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「民族」?? Comments: Anonさん、Awajiです。 基本的な部分は、大阪JF生さんや輔住さんが充分おっしゃっていますの で、ここでは言葉遊びをしましょうね。 >>「漢民族」という言葉も多くの誤解があると思うのですが、漢王朝を >>築いた民族という意味であれば、三国時代に漢民族は滅亡しています。 仮定(〜であれば)と結論(〜である)の問題ですね。 仮定が間違っていれば、結論が間違うのはアタリマエ・・・誤解してる のは貴方だけでは? 王朝が滅亡した時に民族が滅亡するならば、ユダヤ民族は存在しえない。 クルド民族も勿論存在しない・・・デスワ。 魏・蜀・呉王朝を築いた民族を・・・貴方は何と呼ぶの? 魏・蜀・呉王朝は正統王朝ではないから存在しないの?・・・マサカ! それじゃ晋王朝を築いた民族はどうなるの? 彼等の子孫達を隋・唐時代には何と呼ぶのかしら? 宋・明王朝を築いた民族を・・・・何と呼べばいいの? 元王朝の滅亡とともにモンゴル民族って存在しなくなったのかな? >>中華文明を受け入れたものという理解であれば、朝鮮人も日本人も広 >>義の「漢民族」です。 これも同じ! グレコローマン文明を受け入れても、ゲルマンはゲルマン、 スラブはスラブ、フィンはフィン・・・・お分かりですか?? 「民族」と言う言葉を使う以上、その概念を規定しなくては・・・ 貴方には分かんないでしょうけど、Awajiは、教えてあげません・・・。 イロイロな定義を誰かにお聞きになれば? 游惟さんならば、きっと丁寧に解説して頂けると思いますよ。 でも、それが貴方に理解できるかどうかは、Awajiには分からない。(>_<;) Time : 1999/ 7/14(水) 23:47:31
Name : Anon E-mail : Title : 輔住さんへのres Comments: なぜそう考えてみないのですか?とま、逆手に 取るような記述は顰蹙ものなのでしょうね。 繰り返し述べていることなのですが、現代人が 想定する「国家」に多少とも該当する「国家」が 当時存在したとして、そのような「国家」には何 らかの国家思想が不可欠です。 東アジアで該当するものは、当初中華思想(天命 思想)しか存在せず、北方遊牧民族の侵入後に、 神話的始祖伝説を拠り所とする王権という思想が 東アジアにもたらされます。 その基本構造は天孫万世一系思想と類似しており、 影響は明らかでしょう。とすれば、それがいつ倭人の 地に根付いたのか。 私はそれを近江朝以降に求めるのが最も妥当であると 考えるのです。国号を変え、王号を変え、史書を編纂 する、それは思想統制以外の何者でもないでしょう。 とすれば、それ以前の倭人の地にあったものは天命 思想です。つまり、倭人の地は中華世界なのです。 Time : 1999/ 7/15(木) 09:47:21
Name : Anon E-mail : Title : 大阪JF生さんへのres Comments: まさにクーンの言うパラダイムシフト(異常科学) を見る思いですが・・・。 繰り返し述べていることですが、上宮王権は 後の日本とは直接関係しない(当然、間接的には 関係します)別の国家と考えるべきだと思います。 私もまさに「実態」を問題にしているのであって、 倭人世界と後の日本とは別の概念であり、倭人 世界は中国世界、後の日本は中国世界との決別 後の状態だと考えるのです。 「中国本土に住む人々の支配下」という時、こっそりと 被支配者という架空の実態が忍び込んでいます。 このような支配ー被支配といった線引きには、暗黙の 日本なるものの枠組みが忍び込んでいます。このような 架空の「実態」、暗黙の枠組みは何の根拠もないのです、 というか、現代日本人の思いこみです。 「中国人の視点からしかものを見ない」のではなくて、 繰り返し述べていますように、倭人世界とは中華 世界のマージナルエリアであり、当時、その外の 概念は存在しないのです。外の世界は存在しない のです。常識のように外があると考えるのは、私たちが まさに現代人だからです。 Time : 1999/ 7/15(木) 09:59:32
Name : Anon E-mail : Title : 游惟さんへのres Comments: いつもありがとうございます。 恐らく私の思い違いなのでしょうが、このように 明快に教えていただけるのは有意義です。 日本語人工言語説は、私の知人のオリジナル です。文献化されてはいませんし、彼も公表する 意志はないようです。興味深い説だったのでご紹介 がてらということでした。 Time : 1999/ 7/15(木) 10:03:43
Name : ina E-mail : Title : ちょっと質問させてください。 Comments: ちょっと質問させてください。 Anonさまの前回のご意見(輔住さんへのres)は近江朝以降に神話的始祖伝説を 拠り所とする王権という思想が日本にもたらされた、ということですよね(第四、第五パラグラフ)。 ところが、第六パラグラフで近江朝以前に倭人の地にあったものは天命思想です、と ありこれは、国家思想に該当するものだと、第二、第三、パラグラフで述べられてい るわけで、結局、近江朝以前にも日本に国家思想に該当するものがあったとおっしゃ っていることに成るのではないでしょうか。   Time : 1999/ 7/15(木) 10:07:33
Name : Anon E-mail : Title : Toshyさんへのres Comments: 日本は天孫思想によって中華世界と決別しましたが、 その後、小中華となってしまいます。天皇の都が小中華 世界の中心であり、そこから離れるにつれて文明度(小 中華度)が下がり、辺境、異教となって行きます。 しかし、これは本家中国世界同様、領域を意識した 概念ではありません。当時の交通手段はほとんど 水運(海、川、湖)であり、主要な町(市場、宿場)は 航路に沿って点在していました。 その点と点を結ぶ航路という形で世界認識が形成さ れています。航路が繋がっている町なりが辺境であり、 航路外の町なりがあるとして、それが異境です。 つまり、航路権益の及ぶ範囲が小中華たる日本であり、 その外のどこかから本家中国世界の航路権益が出現 します。境界はあやふやと言うか、そのような概念自体が 存在しません。そこにはマージナルゾーンが広がり、日本 人というアイデンティティのない倭人が活動しています。 天竺は空間分節上、他国ではなく、異世界(当時の天国、 地獄と類似概念)に属しています。 Time : 1999/ 7/15(木) 10:16:09
Name :E-mail : Title : Anonさんへ Comments:  Toshyさんへのresなら、あなたのおっしゃる「現代的」、という概念 を説明しないとresになりませんよ。 Time : 1999/ 7/15(木) 10:29:37
Name : Anon E-mail : Title : Awajiさんへのres Comments: あはは、ということで、教えてはくれないそうなので、 そうではないよというお話でも。 漢書によると、前漢の人口はおよそ6000万人です。 これが恐らく漢民族のピークでしょう。その後人口は 急減し、魏志によれば、三国時代には600万人弱 となってしまいます。餓死したか、殺されたか、逃げた わけですね。ちなみに少なからぬ逃亡中国人は日本 列島に来たことでしょう。 人口が10分の1に減るということは、民族が滅亡した と言うことです。10分の1でも残っているからいいじゃ ないかと考える方がいるかもしれませんが、では、現代 日本人に当てはめてみたらどうでしょう。親族が10人 いるとして、生き残れるのは1人のみ・・・。 そこで、魏の曹操は無人と化した中原に北方遊牧民族を 強制定住させ、農業の復興を試みます。この中華化された 北方遊牧民族が、後の中国人となり、隋統一王朝に結実 するわけです。 中国王朝は王統、民族ともに幾度となく断絶しています。 それが連続して見える、中国4000年に見えるのは、まさに 天命思想によります。 ちなみに、コメントあったので一言追加。 「民族」概念は近代以降の発明ですが、安易(と 私には思われるのですが)に過去へも適用され ています。 Time : 1999/ 7/15(木) 10:35:33
Name : Anon E-mail : Title : inaさんへのres Comments: 中華思想があるということは、倭人の地は 中国世界の内部であると言うことです。 中国世界と決別することで中国世界以外の 何者かになりうるのですが、その決別には 外部からの思想の流入が必要だったわけです。 Time : 1999/ 7/15(木) 10:43:04
Name : A E-mail : Title : Anonさんへ Comments:  三国時代の600万人がどれだけ大きな数字か考えたことがおありでしょうか? どこの辞書に600万人の民族を滅亡した、という用例があるのでしょうか?  それにあなた自身、10人のうち一人、を生き残れるのは1人のみ、と 「生き残れる」と表現されているではありませんか? Time : 1999/ 7/15(木) 10:44:27
Name : Anon E-mail : Title : Aさんへのres Comments: 例えば「領域国家」、例えば「日本」という暗黙の 枠組み、例えば空間分節という概念への無理解 (常識的に世界は斉一であるという思いこみ)等、 まだまだありますが、それが「現代的」ということです。 これでいいですか? Time : 1999/ 7/15(木) 10:46:02
Name : Anon E-mail : Title : Aさんへのres Comments: 類例にはなりませんが、例えばカンボジアの 大虐殺で殺された数は、恐らく数人〜10人中 一人程度です。漢民族とは逆の比率ですね。 けれども、カンボジアは致命的な打撃を受け、 現在も文化の復興などままなりません。 漢民族の打撃はこれをはるかに上回ります。 事実、後漢以前と隋唐以降では、言葉も 文化も(民族も、誤解があると行けないので カッコつけ)別物となっています。 Time : 1999/ 7/15(木) 10:56:16
Name :E-mail : Title : Anonさんへ Comments:  だとすれば、そういう思いこみを当時の中華思想が含んでいなかった、 ということはどうして言えるのでしょうか。あなたのおっしゃる「日本」 という暗黙の枠組み、例えば空間分節という概念への無理解、は結構普 遍的なものに思えるのですが。  どうして現代人の理解ではその影響をまぬかれず、その当時の中華思想はその 影響を免れていた、と言えるのでしょうか? Time : 1999/ 7/15(木) 10:57:57
Name :E-mail : Title : Anonさんへ Comments:  この用例の問題は多数決の問題だと思います。  三国時代に600万人いた漢民族を、滅亡した、と言う表現が適切と思うひとが 多いかどうかです。  それを滅亡したという表現を適切でない、というひとが多ければ、あなたが、 いくらその意味で使った、といってもあなたはその用法をやめなければ、議論 はできません。 Time : 1999/ 7/15(木) 11:03:05
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Anon様への返事 Comments:  まったく同じことばかりおっしゃっていますね。 (もう言いたくありませんが,Anon様のクーン理解は 全く間違っています。いくらこのHPでクーンが良く知られていない とはいえ,以後,引用はお止めいただきたいとおもいます。)  ご意見の是非はさておき、なぜそう考えられたのかを 聞いているのですが,埒があきませんね。 単なる想像ですが,理由も述べずに大前提と結論ばかり 繰り返してばかりいるところを見ると,Anon様は ご自分で仮説を組み立てたのではなく,どなたか (理由は不明ですが)個人的に信頼されている方の説を 受け売りなさっているだけではないのでしょうか? 現段階ではそのようにしか考えられません。 まったく筋道を示しておられませんから,途中の部分は他人が やったとしか解釈不可能です。  しかし受け売りにしてもかまわないのですが,その方の説を ご自分なりに良く理解された上で議論していただけませんか? Anon様のどの方面の仮説も、もはやこのHPではどなたの 支持も得ていないのはお気づきでしょう? 単なる多数決原理でなく,非常に理性的な判断の結果だと小生は 受け止めています。  Anon様が,どんな分野の研究者かは存じておりませんが, このような議論の方法が、その分野では通用しているのでしょうか? ちょっと信じられませんね。  愚痴をこぼしていても仕方ありません。質問から逃げてばかり おられるので,方向を変えて具体的にお聞きいたします。 Awaji様がすでにご指摘のように,日本史の研究者も 当然東アジアの情勢を十分考慮なさっているでしょう。 小生のような門外漢でも,多少触れることは出来ます。 坂元義種先生は「古代東アジアの日本と朝鮮」という著書を書いて おられるようですが,小生が見たのはもっと一般向けの解説書 「古事記と日本書紀の謎」(学生社)のひとつの章に過ぎません。 それでも、きちんと史料を挙げ,  「隋書倭国伝」における「日いずる処・・」の文書以来,日本と 呼ばれるようになっても,一貫して中国に対し対等の尊大な 態度で接しつづけてきたことを検証されています。 倭と日本の関係は,「旧唐書日本国伝」では日本国は倭国の別種で あるとか、倭国自体が改名して日本になったとか,小国日本が成長し 倭国全体を統合したとか,さまざまな説が挙げられています。 要するに中国もそのあたりは確定的には把握できていなかったという ことでしょう。日本となってからも使者は相変わらず尊大であると 記述されています。それは、「新唐書日本伝」でも同様です。 つまり、中国を逆に「蕃」と位置付けるぐらいの扱いをしていたと 述べておられます。日本側の史料でも、中国への使者はせいぜい四位 クラスで,王族は決して出かけていかないことと,新羅からは中国に 王族クラスが使者にでかける(なんと日本にも,金春秋などがきている) ということからみても、中国の内の世界の範囲がうかがえると 傍証として挙げておられます。  ほんの一例ですが,この説を見る限り「倭と日本の間に大きな違いを 中国は認めていなかった」としか解釈できませんが,いかがでしょうか? また、「中国がなんぼのもんじゃ」というような意識が伺えるのですが, 中国の史料に書かれていることなのに、それでも倭や日本は中華の 「外の世界」ではないとおっしゃるのですか? どのように史料を検討されたのでしょうか? Time : 1999/ 7/15(木) 11:07:53
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「中国の人口」?? Comments: Anonnさん、・・・・Awajiです。 >>漢書によると、前漢の人口はおよそ6000万人です。これが恐らく漢民族 >>のピークでしょう。その後人口は急減し、魏志によれば、三国時代には >>600万人弱となってしまいます。餓死したか、殺されたか、逃げたわけ >>ですね。ちなみに少なからぬ逃亡中国人は日本列島に来たことでしょう。 資料的根拠を「該当原文」で示してくれますか? Time : 1999/ 7/15(木) 11:15:25
Name : ina E-mail : Title : Anonさま Comments: >中国世界と決別することで中国世界以外の何者かになりうるのですが、 >その決別には外部からの思想の流入が必要だったわけです。  お説は理解してるつもりですが、前回私が問題にしたのは、日本の国家意識 の成立が近江朝以前かどうか、ということで、問題の輔住さんへのRESからは、 近江朝以前と読めるようだが、ということです。再度質問させてください。  如何ですか? Time : 1999/ 7/15(木) 11:55:47
Name : 輔住 E-mail : Title : Anonさんへ Comments: Anonさん、返信ありがとうございます。 ただ、これを読んでも近江朝以前に 「国家思想」がないと思われる「理由」が まったく分かりません。 外から思想が来ないかぎり、思想はないのですか?倭から思想が出てくることはないのですか? たとえば「近江朝以前の****という部分から見て ”国家思想”はないと考えられます」のように 返答してくださるとありがたいのですが。 あと、私のイメージからよると「東夷」「南蛮」などと中国から 呼ばれている場所は中国以外の立場からすると「中国以外の国」を 指していると思うのですが。 後漢書「東夷伝」に日本が書かれていることから考えると、倭の立場から 言えば「中国」と別の国と考えた方がしっくりくる気がするのですが。 Time : 1999/ 7/15(木) 12:28:23
Name : Toshy E-mail : Title : Anonさんへ Comments: レスありがとうございます。 しかしお答えがどうも私の求めているものと違っているのが残念です。 私は中華思想には興味がないので、別の返答をいただけますか。 領域に関して、確かに境界線みたいなものはあやふやでしょう しかし、いずれにしても「日本」という枠組みそのものはあったわけです。 天竺は空間的に地獄天国の分類なのはともかく、 本朝と唐とが区別されているのは、境界ははっきりしないにしても、 外国と日本の区別をしているのではないですか? 江戸期以降というのであれば、それ以前の秀吉による天下統一及び太閤検地は、 一体どう説明すれば良いのでしょう。 あれは「日本」を統一し国内の土地を調べたものであり、 もしそれ以前に国境線がないのであれば、朝鮮出兵は天下統一の延長線ということですか? なお、航路の点ですが、当時から東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道とあり、 陸路だってきちんとした交通手段でしたが。 Time : 1999/ 7/15(木) 12:55:41
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : ベンジャミン安部 Comments: 人の迷惑省みず、やってきました電線マン・・・ 私が首を突っ込むと議論が余計にややこしくなりそうな気もしますが、 APONさんの頭の中では理論が完結しているのかもしれませんが、 私も含めほとんどの人には貴方があるものとしている 前提の知識がないのだと思います。 一度体系的にはじめから説明してくれればそうご理解が深まると思いますがいかがでしょうか? APONさんは、漢民族を中華思想を受け入れた人達、 ちょうどユダヤ人のようにとらえているのでしょうか? 確かに生物学的なユダヤ人は存在せず、ユダヤ人は 思想の上、つまりユダヤ教徒であるかないか、だけの存在です。 面白い意見ですね。 紀元五4〜6世紀に中国大陸で大民族移動が起こりました。 ゲルマン人の大移動とセットで考えることが出来、 地球の寒冷化でユーラシア大陸内陸部の草原が 枯れてしまったことが通常は原因とされています。 それが漢帝国をになった民族が滅亡、あるいはボートピープル化 したことを原因と捉えているのでしょうか? 有り得ないことではありませんが、6000万人は漢帝国全土の人口で、 600万人は中原のみの人口を記述しているのかもしれません。 統治がうまく行っている会いだの中国の統計は信用もできましょうが、 戦乱に入ってしまうととたんに信用度は下がってしまいますが そこらへんはどう考えていますか? 百済が滅亡したときに20万人の朝鮮人が日本に帰化したという話もありますが、 さて王朝をになう民族が変わってしまうほどだったのか、 あったとしても井沢先生が挙げる天智天皇と天武天皇みたいに 兄弟くらいの親密な血縁にある人の間で皇位が移動したと私は思います。 日本という概念ができたのを7世紀末と考え、 それ以前に日本列島で活動していた人達を一律に日本人 と呼ぶことはできないということでしょうか? Time : 1999/ 7/15(木) 13:31:41
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 五胡十六国 Comments: 五胡の侵入により住む場所を失った漢民族の多くは、 江南に大民族移動をしました。 これが南朝です。 後漢の末期から鮮美族の南下は始まっています。 しかし北方の遊牧民が大規模に南下するのは 曹操のときではなく、西晋のときです。 APONさんは、そこをごっちゃにしていると思います。 Time : 1999/ 7/15(木) 13:42:02
Name : きんたろう E-mail : Title : 思い出したこと Comments: Anonさんの文章を読んでいて急に思い出したことがあります。 ポルトガルの教科書では「アメリカ発見」と同様に「日本発見」とあるそうです。 Time : 1999/ 7/15(木) 19:04:32
Name : Toshy E-mail : Title : ポルトガル Comments: きんたろうさんのカキコで思い出しました。 ポルトガルはリスボンの海洋博物館の「日本発見」ですが、1541年とありました。 日本の教科書には1543年にポルトガル人が種子島に来た、とあるのですが。 話題がずれましたが、ちょっと息抜きに。 Time : 1999/ 7/15(木) 23:09:52
Name : Anon E-mail : Title : Aさんへのres Comments: 現代人の時代精神と、例えば古代人の時代精神は 当然異なります。例えば空間分節という観念は正しい 正しくないではなくて、それをパラダイム(拡大クーン?笑) として受け入れるか受け入れないかの選択の問題です。 当時の中華思想には、当然、近代概念である斉一性が あろうはずはありませんし、当時存在しなかった「日本」 という枠組みも当然ありません。 ちなみに科学は斉一性を前提としますから、空間分節を 受け入れることができません。上記パラダイムは、科学 革命(by Kuhn)の概念範疇とは存在層が異なります。 大阪JF生さん、添削をよろしく。 もうひとつ、「民族の絶滅」というのは複雑な(多層化 した)概念になります。「民族」という言葉の問題、 「漢民族」とは何者か(狭義漢民族でさえ単一民族 ではない?)、何をもって「絶滅」とするか・・・。 とま、そんなことをいろいろ愚考したうえで、私などは そのように考えますよ、ということです。 Time : 1999/ 7/16(金) 09:41:02
Name : Anon E-mail : Title : 大阪JF生さんへのres Comments: 自説のオリジナリティをどのように解釈する かは難しいものですよ。 私の考えの基本線は、以前にも書きましたが、 岡田英弘氏の論考によります。これに加えて、 倭人世界の理解には、鳥越憲三郎氏、井上秀雄氏 村井章介氏の論考を参照しています。私の理解は これら諸賢を越えるものではありません。 で、偏った研究にばかり捕らわれているのではありません という言い訳ですが、津田史観の重鎮(水野裕氏など) 半津田史観?の方々(安本美典氏、古田武彦氏)の 論考も参考とさせていただいています。 日本古代史の研究者の主流は、まさに一つのパラダイム (by Kuhn)にありますが、そのパラダイムの欠陥(と私に 理解されるもの)が、東アジアの歴史という視点です。 大阪JF生さんのリファされた坂元義種氏(不勉強にて私は 読んでいません)も、大阪JF生さんの記述を見る限り、 そのパラダイムに属しています。 Time : 1999/ 7/16(金) 09:53:11
Name : Anon E-mail : Title : inaさんへのres Comments: 天命思想は「日本」の国家思想とはなりませんというか、 存在様式が異なります。天命思想によって「日本」という 国家アイデンティティを産み出すとすれば、それはずっと 以前に書きましたように、正統を宣言しなければなりません。 この正統は中国世界の正統と言うことになり、つまりは ここでいう「日本」が中国正統王朝と言うことになります。 「日本」ではなく、中国王朝なんです。 このような国家思想の問題が、日本書紀には埋め込まれ ています。 Time : 1999/ 7/16(金) 09:57:50
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Anon様の作文「Aさんへのres」の採点 Comments:  繰り返しますが,小生は国語の先生ではありません。 A様とのやり取りを添削しろというのも変な話ですが, リクエストにこたえるのも一興でしょう。 >常識的に世界は斉一であるという思いこみ >それが「現代的」ということです。 そのような意味で,「現代的」を使用されているのは Anon様だけですので,お止めになったほうが良いでしょう。 >常識的に科学は斉一であるという思いこみ もお止めになったほうが良いと思います。 それから、(拡大クーン?笑)とされているところは、 珍しく用法を誤っておられません。(でもなぜ拡大・笑なの?) 以上のように,作文としてはテイをなしておられません。 不合格です。 ついでながら、小生へのレスでは、全く具体的に返答されていないので, コメントは控えます。 Time : 1999/ 7/16(金) 09:58:24
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Awaji様、またまた質問お許しください Comments:  当初からAwaji様はAnon様の説をトンデモ扱い されていましたが,小生にはそれだけの歴史についての 力量が絶対的に不足していましたので,気づくのが かなり遅れてしまいました。  国家概念をどう捉えるかによると思いますが, Anon様は,Awaji様のご質問に一度もきちんと こたえられていないので,おそらくいいかげんに用語を 使用なさっているようです。それはさておき、 ちょっとご迷惑かもしれませんが,ご本人とやり取りしても なにもえられそうに無いので,Awaji様に質問させてください。  すでにご指摘のように、巨大古墳群の存在は当然(宗教的であろうと) 国家といえる「まとまり」の存在を示しておりますが, 国史編纂という点でも,日本書紀・推古12.1(620)に  天皇記・国記・臣連伴造国造百八並公民等本記   (並の旧字体がみつかりませんでした) の記事が載っています。これは,太子と馬子の共同作で日本書紀の ひとつの源流らしいながらも焼失し,名前のまとまりの無さから, 仮の名前をつけた未完成品だとされているそうですが, 国家意識の芽生えとして位置付けられるものであるというように 個人的には理解しています。 それで、この文書の存在がどの程度現在評価されているか, また小生の理解がどれぐらい外れてはいないのか, まことに勝手なお願いなのですが,ご教示いただけませんでしょうか。 いつも質問ばかりですみませんが,よろしくお願いいたします。 Time : 1999/ 7/16(金) 10:00:04
Name : Anon E-mail : Title : 輔住さんへのres Comments: これはずっと以前に書きました、日本書紀の コスモロジーをどのように解釈するかによると 考えます。「正統」と天孫思想に揺れた当時の 日本の姿が埋め込まれていると私は考えています。 それから、東夷、南蛮の理解は通説とされるものが 誤りだろうと思います。このあたりは下にも書きました 岡田英弘氏(肩書きは常盤大学教授、東京外語大 名誉教授、専門はモンゴル史、満州史です)の論考が 刺激的です。 Time : 1999/ 7/16(金) 10:03:57
Name : Anon E-mail : Title : Toshyさんへのres Comments: どのようなに認識だったかを棚上げすれば、 Toshyさんの言われる「境界」が存在することに 異論はありません。 秀吉の太閤検地も、最近の網野義彦氏の研究が 参考になるかと思いますが、たぶんに概念的な ものです。朝鮮出兵の思想的背景には、明ではなく 自分こそが「正統」であるという思想が隠れていたと 推測されます。 つまり意識としては近代概念である「侵略」ではなくて むしろ失地回復(あるいはレコンキスタ)的なものでしょう。 陸路が整備されたのは江戸期以降です(それ以前に存在 しなかったという意味ではありません)。これにはなぜ人は 移動するのかという、また異なった思想が絡みます。 が関係しています。 Time : 1999/ 7/16(金) 10:12:34
Name : Anon E-mail : Title : 安部奈亮さんへのres Comments: 私は日本の古代史パラダイム(by Kuhnちょっと しつこいですか?)と戦うつもりはありません。 ここのようなボードで意見を垂れ流すあたりに 安住したいのですよ。だめだと言われれば去 りますが。 中国の人口統計は、税と軍役が絡むので、 けっこう信用できます。ちなみに魏建国時点で 中原は無人の荒野と化していたとのことです。 中原つながりでもうひとつの方へのresですが、 なぜ北方遊牧民が中原まで侵入したのか、 その遠因が曹操の強制移民政策にあります。 Time : 1999/ 7/16(金) 10:20:37
Name : ina E-mail : Title : 再度 Comments: 1999/ 7/15(木) 09:47:21の輔住さんへのres中、 >そのような「国家」には何らかの国家思想が不可欠です。東アジアで該当するもの>は、当初中華思想(天命思想)しか存在せず、北方遊牧民族の侵入後に、、  上記はAnonさんの文章なのですが、( )内の天命思想、は国家思想に該当 するとおっしゃっていると理解できるんじゃないでしょうか。  どなたか、国語の先生はいらっしゃらないでしょうか? Time : 1999/ 7/16(金) 10:50:12
Name : ina E-mail : Title : 太閤検地 Comments:  朝鮮出兵の思想的背景には、明ではなく自分こそが「正統」であるという思想が 隠れていたと推測されます。  この話は「中国のようなことをやってみたい」という考えとして理解できます。  しかしAnon様のご意見では、ここの正統というのが、中国正統、という意識、ということになるのですね?  どうして中国、を頭につける必要があるのでしょうか?  これだと、巨人の星を掴んだ星飛雄馬が、いつまでも、「オレは堀内恒夫に なった」と思っていることに成ります。 彼はただ、「オレ、星飛雄馬は巨人の星を掴んだ」と思うだけじゃないでしょう か。 Time : 1999/ 7/16(金) 11:02:34
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Awaji様、承前 Comments: すみません。自分で質問しておいて間違ったことを 書いていました。太子と馬子が編纂したとされているのは   天皇記・国記・臣連伴造国造百八十部並公民等本記 でした。謹んで訂正お許しお願いいたします。 Time : 1999/ 7/16(金) 11:50:54
Name : 輔住 E-mail : Title : 私は「理由」がしりたい! Comments: Anonさん、返信ありがとうございます。 >日本書紀のコスモロジーをどのように解釈するかによると >考えます。「正統」と天孫思想に揺れた当時の >日本の姿が埋め込まれていると私は考えています。 何度も同じことを書いてしまいますが、そのようにお考えならば、 その「理由」も書いて下さい。 Anonさんは以前に書いたおつもりかもしれませんが、 私の読解力ではそれを見つけることはできません。 私の知りたいことは「理由」だけです。 >岡田英弘氏(肩書きは常盤大学教授、東京外語大 >名誉教授、専門はモンゴル史、満州史です)の論考が >刺激的です。 これも同じです。私は人の肩書きに興味はありません。 私は岡田さんの論考は知らないのでこの人の説と あなたがそれを信じる理由を教えて下さい。 Time : 1999/ 7/16(金) 11:52:29
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Anon様へのお願い Comments:  ina様も非常に困っておられるようですので,一言。 現在までのところ,合格点を挙げられるようなAnon様の 記事はほとんど皆無といえます。 念のため申し上げますが,異説・奇説を述べておられるからでは ありません。その理由を多くの方から求められているのかかわらず, 全く答えようとなさらず,意味不明の繰り返しになっているからです。  ご意見を垂れ流すだけならかまいませんが,他人とのやり取りと いう形を取っておられる以上,完全なマナー違反です。 ウンベルト・エコの「論文作法」を読めとは言いません。 せめて、清水義範氏の作文の本でもお読みになってから ご意見を述べられたらいかがですか? Time : 1999/ 7/16(金) 12:05:55
Name : A E-mail : Title : 添削ありがとうございました Comments:  大阪JF生さま  どうも、お世話になりました。 「私はZ会の先生ではありません」とおっしゃりたいかもしれませんね。  私はクーン、のことを全く存知あげず、Anonさんの私への回答もどうも良く 理解できませんでした。当時の中華思想を論じるにあたり、彼の概念を使わなく てはならないものなのでしょうか? Time : 1999/ 7/16(金) 13:02:54
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : A様、独り言に近い感想ですみません Comments:  どうもご丁寧にお礼いただき恐縮です。 思いついたことを書いてみますが,軽く読み流してください。  クーンについては、Anon様がめちゃくちゃな引用をされていますので、 ますますわけがわからなくなったのでしょう。罪な方です。 クーンは、科学者でさえも絶対的なあるひとつの視点に立って 研究にのぞんでいるので無く,一定の立場(最低限の共通合意事項で それをパラダイムとよびました)のもとでの活動に過ぎない。 いわば共通のルールのもとでのゲームのようなものに、通常の研究活動 (通常科学とよばれます)はたとえられると主張したのでした。 当然,いろんな立場がありえますので,科学の内部でも論争が起こり, なかなか決着がつかないという事態になることもあるというわけです。 その点,Anon様は科学の捉え方、パラダイム概念の双方とも クーンの説の成否は別として、まったくクーンを理解していないことに なります。(クーンを否定されるのなら,小生もわかりますが。)   普通の作文能力・読解力があれば、他人が分からないような用語を 使用しても、ある程度相手に文脈から想像させることは可能ですし, やり取りしているうちに分かってもらえるようになるはずです。 ところが、基本的なコミュニケーションのマナーを守っておられないので, 全くそのように進まないのです。 しかも説明を求めても答えてくれないのでは,処置なしです。  おそらくA様がおっしゃるように,当時の中華概念は、そんな難解な ものではないと思いますし,そこから突飛な結論がそれほどは得られない と思います。  それから、個人的な想像ですが,Anon様の議論の仕方の問題点は, 「結論を前提にすり替えている」ところにあるように思い始めています。 つまり,はじめのうちは何らかの考察のもとに出てきた結論であるかの ごとく意見を述べられるのですが,理由を問いただされると、それが 事実は議論の前提だったと常に逃げを打たれています。 したがって、最初から「理由」を求めるのは間違いなのでしょう。 すべての意見を前提にしてしまったら,議論の余地はありません。 当然,同じことを言葉を変えて述べるしか出来ないでしょう。 この想像が外れていることを祈るのみですが,あたっているように 感じています。 Time : 1999/ 7/16(金) 14:50:43
Name : Anon E-mail : Title : inaさんへのres Comments: 秀吉の意識には、中国正統王朝思想が なおあったであろうということです。秀吉には 自分が日本人であるというアイデンティティと 平行して中国世界の一員(ほぼイコール中国人) であるというアイデンティティが存在したのだろうと 推測します。 つまり日本王として、中国正統を宣言したかったの でしょうね。 Time : 1999/ 7/16(金) 16:09:01
Name : Anon E-mail : Title : 輔住さんへのres Comments: 繰り返しになりますが、日本書紀を構成する 基本原理の一つ(にして最重要なもの)が讖緯説 です。 讖緯説の原理を日本書紀に当てはめると、661年の 「革命」という認識が書記編纂者にある(あるいはあった) ことが読みとれます。 この年代の示すところは、日本は百済の正統であるという 宣言です。つまり正統思想による建国と言うことですね。 ところが、同時にその前史としての1320年分が現行の 日本書紀には存在しており、その示すところは天孫 万世一系思想です。この記述は同時に、「革命」を隠蔽 する形になっています。 私にはこれ以上の記述は必要ないと思われるのですが、 どうにも不評をかっているようなので、もう一つネタをふって みます。 天智/天武の諡号の意味は井沢氏の指摘通りなんですが、 もう一つ、和風諡号の方も興味深いのですよ。天智の和風諡号は 「天命開別天皇」です。まんま、「天命を開別する天皇」なんです。 Time : 1999/ 7/16(金) 16:23:01
Name : Anon E-mail : Title : 大阪JF生さんへのコメント Comments: 書かない方がよいのでしょうが、ちょっと整理しときますね。 時空間の斉一性ですが、これが保証されなければ、科学的 方法論を構成できません。従って科学という概念範疇の内部を 取り扱うのであれば、斉一性を受け入れざるを得ません。 ちなみに一般に斉一性は「公理」として扱われます。 科学の目的は有効性(真実などではなく)にあります。 この有効性を実現するための科学的方法論の選択は 恣意です。どのような仮説体系でも科学足り得ます。 しかしながら、有効でない仮説体系はそもそも科学では ありませんし、有効かどうかは、検証可能性(反証 可能性)によって試されます。 科学というのは人の思惟の、世界に対する試しという 構造を持っているわけです。 逆に斉一性を受け入れなければ(例えば空間分節を 公理とするなら)、科学的方法論は無効となってしまい ますから、新たに局所(規模は様々でしょう)における 有効な手段を模索しなければならないでしょう。 現行の科学は現時点では時空間の斉一性を実証する 形になっていますが、もちろん保証はありません。 Time : 1999/ 7/16(金) 17:08:02
Name : 輔住 E-mail : Title : スタートライン Comments: Anonさん、返信ありがとうございます。 でも、このままでは同じことの繰り返しです。 あなたの説と通説とはおおきな隔たりがあることはご承知だと思います。 ですから、あなたの説をトンデモ扱いされないためには 初歩的なところから説明する必要があるのです。(あなたの考えている以上に) つまり、「算数」の前に「数学」を教えているようなものなのですよ。 ですから、まずあなたが、通説に対して疑問をいだいた原因と理由から 教えて下さい。それがスタートラインだと思います。 Time : 1999/ 7/16(金) 17:22:51
Name : ”歴史の鉄則外”のkaz E-mail : Title : 天智の”建国”??? Comments: "この年代の示すところは、日本は百済の正統であるという宣言です。つまり正統思想による建国と言うことですね。"について?? 前にも書いたのですが、ここで、”建国”されたということは、宇佐八幡宮と天皇家の関係はどうなるのでしょうか? いくらなんでも、全く関係無い神様に、禅譲の許しを請いに行くとは思えませんが!! Time : 1999/ 7/16(金) 18:46:37
Name : Toshy E-mail : Title : 朝鮮出兵 Comments: の理由は、通説では過剰雇用のために財政が逼迫しはじめた子飼い大名のために、 秀吉が新たな領土を求めて進出しようとした、というものです。 朝鮮、そしてできれば明までも手中にしようとしていたわけでした。 加藤泰光のような家来を雇いすぎた者のために、唐の土地を手に入れようとした、と一柳直末に語ったとか。 (加藤泰光は家来を雇いすぎ、屋敷に入りきれなくなったという) >中国正統を宣言したかった Toshyは中華思想に関連する資料は当方持ちあわせませんが、 Anonさん、どこからこの理論が出てきたのかをご説明してくださいませ Time : 1999/ 7/16(金) 23:51:10
Name : ina E-mail : Title : Anonさま Comments:  中国正統の宣言としての大陸進出はいつまでとお考えでしょうか?  西郷隆盛の征韓論までですか?日清戦争までですか?日中戦争を含む、 15年戦争まででしょうか?それとも、現在の竹島の領有についての問題にも 中華思想の影響があるのでしょうか? Time : 1999/ 7/17(土) 06:17:32
Name : きんたろう E-mail : Title : またまた思い出したこと2 Comments: こんにちは。 以前羽田さんが総理になられたとき、羽田=秦なので中国人が日本の総理になった と騒いでいると言った記事を見た記憶があります。 (単なる与太記事だと思っていたのでいままで忘れていた!!) また、韓国の放送局の女性キャスター?が島津焼きの職人(人間国宝級のすごい人 だったような...先祖が朝鮮の役の時につれられてきたらしい) に「大変なご苦労をされた事でしょう」と語りかけた時、「バカ言ってんじゃねえよ、 俺は日本人だ」と返答され答えに窮したといった記事もありましたね。 笑ってしまいました!!! Time : 1999/ 7/17(土) 08:58:07
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「倭国を巡る東アジア情勢」?? Comments: 大阪JF生さん、みなさん、今日は。Awajiです。 >>国家といえる「まとまり」の存在を示しておりますが,国史編纂という >>点でも,日本書紀・推古12.1(620)に  天皇記・国記・臣連伴造国造百八並公民等本記 ・・・・・・・ >>国家意識の芽生えとして位置付けられるものであるというよう >>に個人的には理解しています。 Awajiは、歴史的存在としての「国家」とは・・・・ 「一定の地域と住民を支配(徴税・労役などの強制)する集団機構で、 金属文明段階においてはその構成員が原則的に数万以上のもの。」 同様に「民族」とは・・・・ 「人種・言語・文化・宗教(風俗習慣・社会的価値観)等に関して、同 質性を意識している集団で、他の同質性集団に対して対抗差別感覚を持 つもの。」 ごく大まかに概括すれば、以上のとおり考えています。さらに・・・ 1.「民族」は「国家」と言う形で政治的に統合されることにより、同質 性が強化される。 2.「民族」の同質性が強化されることにより「国家」が強固なものと なり、他の「民族」が形成する周辺「(プレ)国家」を統合拡大する ことがある。 3.統合された他民族は、「国家」と言う形で政治的に統合されること により、原則として統合民族に同化する。 ただし、統合時或いは統合後に苛酷(暴力的)な差別が存続した場合 は、非同化的状況が長期化することがある。 また人種的類似性が同化の速度に重要な意味を持つことが多い。 4.民族の一部、或いは他の民族が政治的統合を忌避する場合、その他 生産状況の変化等の事情により、他の地域に移住することがある。 この場合は、先住民族との相対的関係により様々な状況が生じる。 と考えています。(民族「同化」史観ー仮説ーかな??) そこで、倭国の民族・国家形成について大雑把に申し上げると・・・・ 1.日本列島には旧石器時代から人類が存在し、彼等自身の文化的発展を 遂げていたが、その速度は遅々としたものであり、集団形成にはいた らなかった。 2.しかしながらユーラシア大陸、或いは南方諸島から少数ながら絶えざ る移住があり、新移住民との混血・融合により縄文文化段階に達し、極 めて小規模ながら集団形成が生じつつあった。 3。一方中国大陸においては、黄河流域(華北麦作文化)及び揚子江流域 (江南米作文化)が早くから発展していたが、紀元前4世紀ころから大 規模な国家再編形成が進展した(戦国時代)。 この大規模国家形成期においては華北麦作民族(原漢民族)が優位を 占め、同質的諸民族を統合同化しつつ、江南米作民族(諸越)を圧迫 していった。 4.この様な状況の下、江南米作諸民族も漢民族に同化していったが、中 でも、特に文明発展段階の遅れた。(海洋性を兼ね備えていた)諸部族 の一部が、韓国南部・日本列島西部に大量に移住した しかし、彼等は母集団から逃亡した流民であり、組織的軍事力を持って 移住したものではないため、基本的には先住民にとの融和に努めざるを 得なかった。(非文字文明段階にあり、然程の文明格差は無かった。) 5.また、米作に関しては韓国は気候的に適性不十分であったため、移住 の主力は日本列島に傾斜し、韓国では最南端部にとどまった。 一方韓国北部においては、北方民族系の「高句麗」が国家形成を進めて いた。 6.彼等と縄文人(大陸移住民との長期にわたる混血民族)の混血融和に より概ね紀元前後に米作中心の弥生人(倭人)が形成され、国家形成期 を迎えた。(韓国最南部とはある程度の同質性を保っていた。) これとともに、新規の渡来民に対しては排他的となっていった。 中国文明とは偶発的接触はあったが、基本的には断絶状態にあった。 7.一方原漢民族は周辺民族を統合し、前200年頃極めて大規模な漢王朝国 家を形成し、韓半島北西部にも進出した。この過程で韓国北部の北方系 民族の一部が南下し、先住韓人(倭人と類似性を持つ)と混血融和を進 めた。 これが後に百済となるが、漢民族の直接干渉により国家形成は大幅に遅 れた。 8.この段階で、倭人は中国文明と大規模に接触し、その刺激により急速 に国家形成が進行した。北九州における「倭奴国」である。 「倭奴国」は倭民族の一部が形成した「国家」と考えることが出来る。 9.これら「国家」は、漢民族(中国文明)や百済族との接触・刺激によ り、倭民族の統合を進め、出雲・吉備・大和方面の「(プレ)国家」を 統合し(倭国大乱)、200年頃には北九州から大和に侵攻成立した「邪 馬台国」を中心とし、ほぼ西日本の主要部を大まかに統合する「倭国」 を形成した。(連合的大規模国家形成の完成) 10.この頃、漢王朝は滅亡に向かい、韓国南部にも国家形成が進行しつ つあったが、魏の再進出により頓挫せざるを得なかった。「倭国」はこ の半島情勢に反応し、中国(魏)との接触を再開した。 この頃の貴重な中国側記録が「魏志東夷伝」である。 11.しかし、漢民族国家「魏」「晋」は、北方民族の侵攻により、南下 を余儀なくされ、韓半島から撤退した。これを機に韓国南部において も、国家形成の動きが進み、百済・新羅が成立した。(340年〜360年頃) 最南部の任那加羅においては倭国勢力圏にあったこともあり、それら の動きは鈍かったが徐々に進行していた。 なお、倭国の中国外交は廃止され、戦乱を避けた漢系韓国人等の移入を 推進した。また最も国家形成の遅れた韓国東部(後の新羅)からは、か なりの強制移住(人民掠取)が行われたと見られる。 12.さらに、中国勢力の後退と北方民族との抗争により、高句麗が巨大 化し、韓半島南部に勢力を拡大したので、倭国との覇権を巡って戦乱が 拡大した。倭国は高句麗の騎馬戦法に苦慮し、一時は敗戦を余儀なくさ れ国内も動揺したが、この混乱を収束した倭国は騎馬戦法も採り入れ、 倭国の中央権力はさらに強化された。(百済・新羅王子の入質等) また戦乱を避けた韓人の大量移入もあって倭国の生産力も拡大した。 これらを象徴するのが河内 ・和泉の世界的巨大古墳である。 13.また、韓半島においても、戦闘から外交併用の時代となり、所謂倭 五王の中国外交が展開された。しかし、所詮は中国は頼りにならない と判断され、倭天下(中華)思想の発展と共に中国外交は廃止された。   この間百済・新羅の実力涵養とともに、韓国南部の倭勢力は後退を余 儀なくされた。(多くの任那加羅系人が流入した) 14.倭国大王の権力が飛躍的に高まったことにより、継承争いが激化し 、一時的に大王位空白時代も生じたが、大王一族の継体擁立により収 束した。この間、親倭国的「百済」が、「高句麗」と新興勢力である 「新羅」に圧迫され、「任那加羅」も弱体化した。 15.この混乱による韓南部からの後退を回復すべく、欽明〜推古にかけ て、百済への援助と、新羅への恫喝外交が展開されたが、必ずしも成 果が挙がらず、倭国内部においても「蘇我」氏勢力の巨大化が大王権 をおびやかすに到った。 ・・・・凡そこの時期に、倭国の国家体制を整備するため為されたのが、 聖徳太子の一連の政治改革であり、隋との対等外交の推進と先進文物の導 入、官僚制度の整備、国史編纂等が行われたと考えられます。 つまりは「国家意識の芽生えとして位置付けられる」と言うより、中国と 対等の天皇国家としての文化的整備の一環ではないでしょうか? Now ・・・・Mr Anon、any question?? Time : 1999/ 7/17(土) 09:04:07
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「天皇記・国記」?? Comments: 大阪JF生さん、今日は。Awajiです。 >>それで、この文書の存在がどの程度現在評価されているか,また小生の >>理解がどれぐらい外れてはいないのか,・・・ この部分については、充分お答え出来ていませんでした。<(_ _)>ペコ 是歳、皇太子嶋大臣共議之、録天皇記及国記、臣連伴造国造百八部並公民 等本記 津田さんは、これに対し後世の造作とされていましたが、理由は「国記」 の名称が「国家」を意味するとすれば、「国造本記」と矛盾する等を挙げ られていたようです。しかしこの時代に「帝紀・旧辞」類の整備が行われ たことは認めておられますので、単なる「表題」問題であるように思いま す。 坂本さんは「天皇」称号を、聖徳太子発案制定とされていますので、この 表題を含め、ほぼ事実と見なされています。 例の讖緯説についても、推古期(9年)の辛酉を起点に、1蔀21元(1260年) 説を取られ、聖徳太子発案を匂わせておられます。 (Awajiは別の可能性を考えていますが・・「救世観音と讖緯説」) 「こうした国の観念を大きく取上げ、人々に示したのは、ほかならぬ太子 自身である。・・・」と言う記述は、大阪JF生さんの認識と通じるものが あると思います。 つまり既に「自然発生的」に形成されていた「倭国」と言う存在を、更め て理論付け、人々を啓蒙したと考えられます。 ただ一部の歴史学者は、一種の「倭国」自虐史観?と言うか・・・ 船氏墓誌の「天皇」表現すら疑い、「倭国」成立を出来るだけ遅らせると 言う風潮がありましたので、この書紀の記述も曲筆扱いしていた様です。 しかし、彼等も吉野里等の大規模弥生遺跡、三内丸山等の縄文遺跡、稲荷 山鉄剣等の証拠物件により、かなり意気消沈していますね。 Awajiが考古学を「実物史学」と看做す所以です。 ただ、幾ら古代道路が発掘確認されても、 陸路が整備されたのは江戸期以降です(それ以前に存在しなかったという 意味ではありません)。これにはなぜ人は移動するのかという、また異な った思想が絡みます。 と言う訳の分からないアホダラ経を唱えている方には何も見えないのでし ょうね。 Time : 1999/ 7/17(土) 12:08:18
Name : 游惟 E-mail : Title : Anonさんはじめ皆様へ。Anonさん説の自己流解釈 Comments: だいぶ議論が紛糾してきたようですね。 Anonさんの説を私なりに要約すると、 近江朝以前は「支配階層たる倭人」と支配されている「人民たる倭人(土着の豪族を含む)」 とは別物であり、支配階層たる倭人とは実は百済王朝の分家のようなものであった。つま り百済王朝を天命を持つ中華世界の「正統」と見なし、その権威によって諸部族を糾合し 長として君臨していたのだが、百済の滅亡と白村江の敗戦によって、事実上大陸(半島) への足ががりを失ってしまっただけでなく、自らを部族連合体の長として正統化する論拠 を失ってしまった。 そこで彼らはもはや「大陸反攻」をあきらめ、「人民たる倭人」と同化してこの島国のみ を支配領域とする地方政権として生き延びる道を選んだ。そのために国号を「日本」と改 め、建国神話や歴史を捏造して「人民たる倭人」との一体感を高め、自らも「倭人語(日 本語)」をしゃべるようにし、法律(律令)や官僚機構などを整備して国家としての形態 を整えていった。 今日の我々が抱く「日本人意識」はこの時に始まるのであって、それ以前には支配階層か ら土着の豪族、人民に至るまで共通する「倭人意識」などというものはなかった。 といったところでしょう。私は大筋ではAnon説を支持しています。 近江朝以前の国家としての日本(この国号があったかどうかは知りませんが)はまだ「氏 族・部族連合」の域を脱しておらず、その段階では全ての氏族・部族を貫く「倭人意識」 などというものは生じていなかったはずです。 「部族連合」とは広域暴力団のようなものだと思えばいいでしょう。(実際文化人類学者 が描く部族や部族連合の組織図と、警察が描く広域暴力団の組織図はよく似ています) 山口組の歴史を見ればわかるように、最初は三代目田岡一雄氏と彼に個人的に心服する子 分達との擬制家族的集団だった山口組も、組織の拡大とともに地方の独立組織の親分達が 保身のために田岡氏の「盃」をもらって取り込まれていき、多くの組織の連合体に変質し ていきます。しかし、田岡氏が死ぬとそのカリスマを継承できるだけの力量を持った者が おらず、四代目山口組と一和会に分裂して対立抗争が始まり、一和会が自然消滅すること によって五代目山口組体制が確立するものの、五代目には田岡氏のようなカリスマはなく、 組織内の大幹部同士の抗争が起こっても毅然とした対応をとれない・・・ 田岡氏のようなカリスマ性のあるボスがいればともかく、多くは各組織のボスの個人的な 人間関係と利害関係で結びついているだけであり、二次団体、三次団体と下るにしたがっ て連合体に属しているという意識は希薄になり、末端の成員一人一人は直属の親分や兄貴 分に対する忠誠心はあっても連合体そのものに対する忠誠心なんか持っていないでしょ う。抗争の際に末端の組員が鉄砲玉になるとしても、それは自らの地位と直属の親分の組 織内での地位をあげる為であって、組織体への忠誠心とは別物です。 それでも今日のように「山菱」の代紋が神通力を持っている間は多くの組織は山口組から 離脱しようとは思わないでしょうが、今回の抗争が長引いて弱体化すれば、離脱して独立 したり、よその組織から「盃」をもらう組織も出てくるでしょう。 部族あるいは氏族の連合体などというものはこんなもんだと思えばよく、近江朝以前の日 本がそうだったとすれば、個々の氏族に属しているという意識はあったとしても「我ら倭 人」なんて意識はなかったはずです。 また当時の支配階層は「百済王朝の分家」ということも大いにあり得ることだと思います。 日本史を眺める際に多くの人が抱く素朴な疑問は、何故交通技術の発達していない古代の 日本が常に大陸や朝鮮半島を意識し軍事介入までしていたのか、ということでしょう。こ れは当時の日本が大陸(半島)の政権の植民国家だったと考えれば納得できます。 例えば白村江の戦いは、イギリスのインド総督がインド兵を率いて第一次世界大戦に参戦 したようなものだと考えればよいでしょう。 そして当時の支配階層が百済王族や貴族であったとすれば、彼らは古朝鮮語を母語として いたでしょうし、その彼らが白村江の戦いの後に倭人語(日本語)を共通語として採用し たのなら、完全にそれをが母語化するまでの二三世代の間は朝鮮語なまりの日本語をしゃ べっていたはずであり、それで「上代特殊仮名遣い」の謎も解けます。この仮説は私の専 門にもかかわることであり、ちょっとつっこんで検証してみようと思っています。 ただ、「中華思想」が当時の東アジアの常識であり、秀吉の朝鮮出兵までそれで説明しよ うというのはどうかと思います。 確かに大陸から来た教養ある支配階層がそう考えていたことはあり得るでしょうが、無学 な倭人の中小の豪族達が服属する相手を選ぶ際に考えるのは「誰から盃をもらい、どの代 紋をつけるのが一番有利か」ぐらいでしょう。 スペイン人が中南米を侵略する際に「キリスト教の布教」を口実にしたように、秀吉が朝 鮮侵略を正統化する「口実」を学者達に諮問し、学者達が「中華思想」を持ち出してきた ということはあるかもしれませんが、無学な秀吉自身がそんな理由で軍事行動を起こした なんて考えられません。 私は宗教の研究者でもありますが(修士論文は「宗教性の諸相とその全体像」というもの)、 各宗教の持つ体系的な思想を読み解けば当該宗教信者の思考・行動様式を演繹できるなん て考えたら大きな間違いです。体系的思想には勿論なにがしかの真理は含まれており、信 者たちが本当に信じていることと一致している場合もありますが、直接的には「聖職者の 権威付け」ぐらいの機能しかありません。 大川周明や北一輝の思想を読み解けば「大東亜戦争」が起こった理由が理解できるなんて だれも思わないように(軍部が彼らの思想を戦争を正当化する口実として利用しただけ)、 中華思想は確かに中国の王朝交代の際にはかなり影響を及ぼしたでしょうが、それが日本 の歴史まで動かしているという主張には無理があります。 Time : 1999/ 7/17(土) 12:52:34
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「韓三国史」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。 今回のご意見は歴史的事実に関する貴方の仮説ですか? それとも単なる観念論ですか? もしも、史実に関する仮説ならば、諸文献・考古学所見等との整合性を 考察せねばなら無い筈です。 少なくとも「三国史記」は百済・新羅・高麗自身の証言です。 それらが「倭国」をどのように記述しているか・・・との照合もしない で、何故貴方は史実が判断できるのでしょう? 何故、「新唐書」は「迎故王子扶余豊於倭。立為王」とし、 「三国史記百済本紀」は「迎古王子扶余豊嘗質於倭国者、立之為王」と 記述したのでしょうか?・・・書紀記述と完全に一致しています。 5世紀「宋書」の倭武王上表はどのように理解されるのでしょうか? 新羅が外国(唐)と組んで百済滅亡させた後ろめたさから、百済を誹謗 したとでもおっしゃるのでしょうか? >>近江朝以前の国家としての日本(この国号があったかどうかは知りませ >>んが)はまだ「氏族・部族連合」の域を脱しておらず、その段階では全 >>ての氏族・部族を貫く「倭人意識」などというものは生じていなかった >>はずです。 のならば、「百済人意識」「高句麗人意識」「新羅人意識」はあったので すか? もしあったとすれば、それは何処から生じたのでしょう? もしなければ、三国の抗争は単なる「ヤクザ」の出入りなのでしょうか? さらに言えば・・・「殷」には「殷人意識」があったのでしょうか? 「漢」には「漢人意識」はありましたか? >>日本史を眺める際に多くの人が抱く素朴な疑問は、何故交通技術の発達 >>していない古代の日本が常に大陸や朝鮮半島を意識し軍事介入までして >>いたのか、ということでしょう。 中国国家が常に朝鮮半島を意識し軍事介入したのと基本的には同じです。 貴方はこれに素朴な疑問を抱かれますか?? 少なくとも 「三国史記倭人伝」−岩波文庫33-447-1 「魏志倭人伝他」ー岩波文庫33-401-1 「旧唐書倭国日本伝」−岩波文庫33-402-1 程度の基本テキストは、お目を通されるべきだと思いますが? Time : 1999/ 7/17(土) 14:11:29
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「百済王子の入質」?? Comments: Awajiです。念のため・・・・ トンデモさんの常套手段ですが、百済王子が倭国に入質していたと指摘す ると、それは一種の「プリンス・オブ・ウェールズ」だと言われます。 その議論は、次の百済本紀記事から見て不可能です。 「 阿萃王 十四年 (405年) 腆支王(直支)梁書名映。阿萃之太子。 阿萃在位三年、立為太子。六年出質於倭国。十四年王薨。王仲弟訓解摂政、 以待太子還国。季弟礫礼、殺訓解、自立為王。腆支在倭、聞訃。哭泣、請帰。 倭以兵士百人衛送。」 「哭泣、請帰。倭以兵士百人衛送。」は人質の帰還以外の何者でもありませ ん。 「新羅本紀」では、ほぼ同時に入質していた新羅王子は、忠臣の犠牲で脱出 に成功したと記述されています。(この脱出記事から古田さんは、九州王朝 説を補強されていますが・・・・) これらの記事を良く読めば、倭国が何故に南韓にあれほど固執したかが、理 解出来ると思います。 Time : 1999/ 7/17(土) 15:08:27
Name : 游惟 E-mail : Title : Anonさんへレス Comments: 私が「大筋では」と言っているのは、白村江以前の日本は大陸(おそらく朝鮮半島)から やってきた王朝が盟主となっている部族連合体だっただろう、ということでなにも百済本 家説や天智天皇韓人説にこだわっているわけではありません。 倭王朝の方が本家であったかも知れないし、あるいは元々直接関係がなかったのを倭王朝 が盛んであるのを見て、百済が政略結婚や人質を出して甘心を買おうとしていたのかもし れません。ただ、既に滅びた外国の王朝を再興するために困難な渡洋作戦まで敢行しよう とするのですから、よほど親密な関係にあったことは確かでしょう。 倭王武の上表文ですが、これを全部信じたとして、やはり征された毛人55国、服した衆 夷66国というのは、要するに河内王朝が強いのをみて倭人の族長達がその盃を受けて子 分になった、と言うことでしょう。つまり河内王朝の祖がどこからか強大な兵と技術力を 持って河内にやってきて本拠を構え、最初周囲の二三の国は軍事力で滅ぼしたかも知れま せんが、後は恫喝なり懐柔なりして配下に従え、どうしても服さぬ国だけは軍事力を行使 して、徐々に部族連合体を築いていったと言うことではないでしょうか  但し服してい る諸国は河内王朝が強大であるから服しているだけで、弱体化すれば簡単に離反したでし ょうから、王朝と一体化した「倭人意識」などというものはなかったでしょう。 さらに河内王朝を築いたのが古くから日本に土着していた倭人王だとすれば@なぜこんな立 派な漢文が書けたのか、Aどうして遠く離れた朝鮮半島にいろいろな国があることを知っ ていたのか、B仁徳天皇陵をはじめ巨大な建造物を作る技術をどうやって手に入れたのか、 が不思議に思えます。やはり、河内王朝の祖先は当時の土着の倭人諸部族よりはるかに進ん だ文明を携えてどこかからやってきたと考えた方がよく、それはやはり朝鮮半島だろうと いうことになります。但しそれが朝鮮半島を経由してやってきた中国人(漢民族)か、朝 鮮半島で土着化した漢民族か、それとも中華文明を受け入れた朝鮮民族か、色々可能性は あるでしょう。 さらに以前、河内王朝と天智朝とは別系統の王朝というのが定説らしい、と述べてAwaji さんが否定なさらなかったことを見ればそうなんでしょうが、これも部族連合体の盟主が 別系統の韓人(漢人)王朝に変わったというだけのことでしょう。つまり倭人の族長達は 盃と代紋をとりかえただけ、ということじゃないでしょうか。 また天皇称号や日本国号の成立時期についてAwajiさんとAnonさんで議論なさっている ようですが、6世紀ごろの倭王朝には半島進出派(タカ派)と倭国独立派(ハト派)の路 線対立があり(台湾の「大陸反攻派」と「台湾独立派」みたいなもの)、最初聖徳太子な どの独立派が実権を握って独立路線を進めていたが、天智等の進出派がクーデターによっ て実権を奪い返す、しかし結局は白村江の敗戦によって独立路線を採用せざるを得なくな った、ということではないでしょうか。 韓国の史書は読んだことがありませんが「三国史記」の成立は1145年だと聞いています。 もしそれが本当なら常識的に考えて古事記や日本書紀よりもっと信頼がおけないのではな いでしょうか。それに私はAnonさんのように「日本書紀」や「古事記」が全面的に信頼 できないなどと言っているわけではありません。史料批判は歴史学者に任せますがやはり 多少は割り引いて考える必要があるのではないでしょうか。 また日本語の問題では、当時の倭王朝の貴族は日本語もしゃべれたかもしれませんが、日 本語が母語であったという証拠はありません。勿論古朝鮮語が母語だったという証拠もあ りませんが、上代特殊仮名遣いの8母音説から考えればその可能性はあり、それはこれか ら調べます。(私の専門ですから)小室直樹氏によると日本書紀には中国からの使者と応 対する際には通訳を使ったことが明記されているのに、百済や新羅からの使者にはそれが ない、ということですが当該箇所をご存じでしたら教えてください。 最初はこの問題には深くかかわる気はなかったのですが、「日本語」の問題となると話は 別です。Awajiさんご指摘の本も読んでみますし、これからも色々ご教授おねがいします。 Time : 1999/ 7/17(土) 17:52:01
Name : 游惟 E-mail : Title : 失礼、下のレスはAwajiさんあてです Comments: 失礼、下のレスはAwajiさんあてです Time : 1999/ 7/17(土) 17:57:15
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ、追加です。 Comments: >ならば、「百済人意識」「高句麗人意識」「新羅人意識」はあったのですか?もしあった >とすれば、それは何処から生じたのでしょう? >もしなければ、三国の抗争は単なる「ヤクザ」の出入りなのでしょうか? おっしゃる通り「百済人意識」「高句麗人意識」「新羅人意識」はなかったと思います。 三国の抗争は言葉は悪いが単なる「ヤクザ」の出入りと基本的には同じだと思います。 戦国時代に武田家が滅びていった過程を見ればよくわかるでしょう。武田信玄というカリ スマ的なボスがいる間は武田家臣団は一枚岩の団結を誇っていましたが、信玄が死んで勝 頼の代になると忠誠心は揺らぎ、長篠の大敗によって家臣ばかりが一族までが勝頼に見切 りをつけ、次々と織田や徳川に寝返っていきました。勝頼が天目山の麓で自刃したとき付 き従う家臣はわずか数十名だったといいます。 武田家は伝承によれば新羅三郎義光を遠祖としこの当時ですでに400年近く甲斐の国を支 配していた伝統のある豪族です。家臣団と主君・主家との結びつきは他の俄大名よりは遙 かに強固だったはずですが、結局家臣たる小豪族達には「武田人」とか「甲斐人」とかい う意識はな勝ったということでしょう。百済や新羅は国家だといったって部族連合の域を 脱していなければ武田家と同じことです。 きちんと定義しておかなかったのが誤解を招いたのかも知れませんが、私が言っている「〜 人意識」というのは、時の政府を自分たちの正統なる支配者あるいは代表と見なし、つま り時の「政権」を「国家」と同一視し、政権の危機は自分たちの危機だと捉えそれに殉じ よう、というような意識のことです。「国家共同体意識」とでもいいましょうか。 こんな意識が部族という範囲を越えて生じることは前近代国家においては極めてまれであ り、近代国家においても当該政権の支配が長期にわたり、教育が徹底しないかがり滅多に 生じるものではありません(そもそも「国家」という概念自体が近代的なものです)。 日本においてこのような意識が生じ始めたのはやはり白村江以降でしょう。13世紀、鎌 倉時代の元寇の際に元軍に協力するような大名や豪族はいなかったので、このころには少 なくとも海外に対しては「日本共同体」という意識はできあがっていたでしょう。これは 日本には海という自然国境があり、600年近い時間の中で律令制や鎌倉幕府の官僚機構が 日本中に張りめぐらされて、天皇を中心とする政府がこの国(領域と住民)を支配するの が当然という意識を住民すべてに植え付けていったからであり、世界的に見れば極めて早 い国家共同体意識の形成です。 しかし白村江以前には条件次第では新羅や高句麗に協力する豪族もいたでしょうし、河内 王朝が弱体化すりゃ越前王朝と簡単に寄宿先を乗り換えたでしょう。 朝鮮の場合も新羅・高麗・李氏朝鮮と領域も安定し、統一王朝が長く続いたので世界的に 見れば比較的早い時期に国家共同体意識は生まれたと思いますが、三国時代にそれがあっ たとは思えません。 中国になると、現代でもそんな意識を持っているかあやしいものです。 「扶清滅洋」ということは20世紀直前の中国でいわれたことです。つまり、中国の民衆 には西洋人に対する漢民族、あるいは中華民族という意識はあったかもしれませんが、清 は単に自分たちを支配している政権に過ぎず、自分たちが「清人」であるなどという意識 なかったと言うことでしょう。日本の侵略に対し協力する軍閥や馬賊などいくらでもいた し、現在だって中華民族という意識はあっても「中華人民共和国人」だという意識は希薄 でしょう。政府もそれがわかっているから北京語教育を徹底し、国家共同体意識を醸成す るために躍起になっているのです。 >日本史を眺める際に多くの人が抱く素朴な疑問は、何故交通技術の発達>>していない古 代の日本が常に大陸や朝鮮半島を意識し軍事介入までして>>いたのか、ということでしょ う。 >中国国家が常に朝鮮半島を意識し軍事介入したのと基本的には同じです。貴方はこれに >素朴な疑問を抱かれますか?? 抱きます。陸続きの国を攻めるのとはわけが違います。 近代ですら、ナポレオンやヒトラーはドーバー海峡を渡る渡洋作戦を躊躇したぐらいです。 今から1300年以上も前の機動艇もない時代に領土的野心だけでドーバーよりもはるかに 広い朝鮮海峡を大軍を連れて押し渡って行く必然性は感じられません。領土を広げたいだ けなら、関東以北にいくらでも処女地がありました。 Awajiさんは疑問に思わないのかもしれませんが、私の友人知人でこれを疑問に思う人を たくさん知っています。 Time : 1999/ 7/17(土) 20:20:23
Name : 極悪忍者 E-mail : Title : 全羅南道の憂鬱 Comments: 私は、あまり歴史とか詳しくないので恐縮ですが。 百済人意識、高句麗人意識、新羅人意識というのはありました。 と、言うか、いまでもあります。 金大中が長年迫害をうけ、大統領になり損ねてきたのも、彼が 全羅南道出身(つまり百済系)だったからです。 韓国では、いまだ百済系の人々に対する根強い差別と偏見があり、 それを克服するためにも今回、金大中が大統領に就任したことは、韓国に とっては朗報でした。アメリカの政治的圧力が背景にあったと言われています。 韓国人なら、子どもでも知ってるような話しですいません。m(_)m Time : 1999/ 7/17(土) 20:48:37
Name : 根来衆 E-mail : Title : もうすでに、かたりつくされた話題ですけど Comments: 比較対照で考えると、甲斐の武田軍団は戦国大名の中でも、かなり結束力の 低い、団結力のない集団だったようですね。 関東では北条や里見の結束力が強かったようにも思います。 武田信玄はつねに家臣団の離反に神経をすり減らし、 そこでの試練が彼の権謀術数に磨きをかけたようですね。 この、武田軍団の戦国有数の団結力の無さはNHKの堂々日本史で 特集されたり、洋泉社・逆転の日本史とかでも散々紹介されているので、 私が言うまでもないのですが。 武田氏は、毛利氏らと同じく、小豪族の連合体であったから、武田に 従う領主たちも、本来は主家の武田氏を盟主くらいにしか思っていない。 そこで起こったのが武田信虎の追放であり、後に起こった信玄追放信義擁立の 動きだったみたいですね。 普通そんな君主追放なんて戦国大名でもそう頻繁には起こらないですが、武田氏 では一代中で二度も起こった。しかも信玄があれほどの名将であるにもかかわらずです。 山本勘助ら、地位が低くても能力のある者を積極的に登用した信玄の能力重視主義 も、これら、小豪族の独立性を恐れ、小飼いの武将を育てようとした結果だと 言われていますね。 川中島で何度も謙信と戦ったのも、これら小飼いの武将に手柄を立てさせ、 重役に用いるためだったと言われていますね。 Time : 1999/ 7/17(土) 21:02:52
Name : ina E-mail : Title : 武田 Comments:  游惟さま  武田の例は、面白いのですが、武田家臣ー織田家臣の間のあっさりとした流動性 はむしろ、日本国家意識の強固な成立を示していると思いますが。  ちょっと、三国時代の百済人意識、高句麗人意識、新羅人意識、を語るには あまり適切でないような気が、、。 Time : 1999/ 7/17(土) 21:14:11
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「倭・韓関係」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。 早速のコメントありがとうございます。以下順にコメントいたします。 >>ただ、既に滅びた外国の王朝を再興するために困難な渡洋作戦まで敢行 >>しようとするのですから、よほど親密な関係にあったことは確かでしょ >>う。 これについては「書紀」は、明確にその理由を述べているのですが、当時 天智は扶余豊璋の帰国に際し「織冠を以て、百済王子豊璋に授けたまふ」 としています。つまり天智は(天)皇として百済王を册封したのです。 これにより百済宗主国として「唐」との対決を決意したのですが、何故に 册封したのかは分かりません。要するに国際関係を読んで政治的選択を下 したのでしょうが、Awajiは然程誤りとは思っていません。 仮に「唐」を撃退していれば、南韓は完全に「倭国」の支配下に入ったで しょう。身の程知らずと言うのは、後世の批評に過ぎません。 ただ、倭国内には激論があったと考えられます。 天智には、これを押し切る政治的・軍事的権威があったのでしょう。 >>倭王武の上表文ですが、・・・・ 「東征毛人五十五國西服衆夷六十六國渡平海北九十五國」 「自稱使持節都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大將軍倭國王」 「詔除武使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事安東大將軍倭王」 に意味があるのです。つまり「渡平海北」は「倭国」から韓国南部への進出 を主張し、その裏付けをもって「百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事」南 韓に対する軍事権を主張しているのです。しかし「宋」は当然册封国である 「百済」への軍事支配権を拒否しています。 Awajiはこのことが、「倭国」が中国册封国を離脱し、小中華を指向する契機 になり「稲荷山鉄剣の天下思想」」、聖徳太子の「天子並立外交」、天智の 百済册封に繋がったと考えていますが、論理的に矛盾があるでしょうか? この「宋書」記事を疑う理由は、一寸考えられません。 >>但し服している諸国は河内王朝が強大であるから服しているだけで、弱体 >>化すれば簡単に離反したでしょうから、王朝と一体化した「倭人意識」な >>どというものはなかったでしょう。 中央権力と地方権力との関係については、既に5世紀において幕藩体制より も寧ろ支配力があったと考えていますが、この点は考察の余地があります。 ただ、諸外国と民族?意識において差があったとは思いません。 >>@なぜこんな立派な漢文が書けたのか、 「魏」「晋」の楽浪郡滅亡(313年)等により、多くの中国人下級官僚が渡来 したと考えていますが、その子孫でしょう。(書紀に記述あり) >>Aどうして遠く離れた朝鮮半島にいろいろな国があることを知っていた >>のか、 意味が分かりませんが、任那加羅は明らかに倭国の支配下にありました。 「漢」に遣使し、「魏」使を迎え、「高句麗」の南下に当っては覇権を争 っています。当然東アジアの一員でしょう? >>B仁徳天皇陵をはじめ巨大な建造物を作る技術をどうやって手に入れた >>のか、 既に3世紀に「箸墓」を造営しているのです。明らかに技術的にはその延 長線上にありますが、その後も技術系渡来人を優遇招致したのは間違いあ りません。(その子孫と称する渡来人が多数存在します) 古墳造営は潅漑設備とも技術的に密接に関係していると思っています。 つまり、絶えず技術改良が為されていたでしょう。 >>さらに以前、河内王朝と天智朝とは別系統の王朝というのが定説らしい、 >>と述べてAwajiさんが否定なさらなかったことを見ればそうなんでしょう 申し訳ないのですが記憶にありません。AwajiはこのHPでは「邪馬台国」 議論時以降・・・高句麗が約700年間同一家系が王位を継承したのと同様 天智・天武は、九州から畿内に侵攻した部族王の直系孫と主張しています。 >>また天皇称号や日本国号の成立時期についてAwajiさんとAnonさんで議論 >>なさっているようですが、・・・ Anonさんは、この様な具体的事項については一切コメントされていません。 >>6世紀ごろの倭王朝には半島進出派(タカ派)と倭国独立派(ハト派) >>の路線対立があり・・・・ 外交方針については、3世紀以降絶えず議論があり、路線対立もあったで しょう。自国(王朝)の安全と発展を求める以上当然でしょうね。 大伴連は外交方針の失敗により没落の路を辿っています。 Awajiは「孝徳」と「天智」には、かなり深刻な対立があったと睨んでいま す。 >>「三国史記」の成立は1145年だと聞いています・・・古事記や日本書紀 >>よりもっと信頼がおけないのではないでしょうか。 高麗(1145年)金富軾の撰集です。しかし高麗は新羅から平穏に政権移動 が行われており、書物も引き継がれたと思いますので、時代の経過の割に は信頼度が高いと思っています。 何よりも中国正史にならい王朝交替後の編纂ですから、権力の直接干渉が 避けられており「書紀」より遥かに率直です。 紹介(倭国関係記事のみ)文庫であれば一時間もあれば十分ですから、是 非一度ご一読をお勧めいたします。 (全文でも大した分量ではありませんが、日本語訳は??) 特に自国(民族)の不名誉記事については、書紀とは比較にならないと感 じます。 >>「日本書紀」・・やはり多少は割り引いて考える必要があるのではない >>でしょうか。 「記紀」は、基本的には神国万世一系思想に基づく「思想的史書」です。 「外国史書」や考古学所見と照合し、大幅に割り引いてみるべきだと思い ます・・・ただ根拠も無く否認すべきでは無いと考えています。 >>百済や新羅からの使者にはそれがない、ということですが当該箇所をご >>存じでしたら教えてください。 仰るとおりです。蘇我等は通訳抜きと思われる密談記事もあります。 新羅と百済が同一言語であったかどうかも不明なのですが、両者の通訳記 事も無かったと思います。 ただ、「倭国」には多くの「韓子=倭国の南韓駐在武将と南韓女性との混 血児を言います」が父と共に帰任しており、一部は残留していたと思われ ます。さらに百済・新羅の入質王族には、当然多くの官吏が随行し帰国し ていますので、百済・新羅の使節は倭語に不便は全く無かったと思います。 これらについては、NIFTY会議室でも激論が交わされましたが・・・ 結局は韓国言語学者の努力を待つしかないと言うことになりました。 取り敢えず以上です。 Time : 1999/ 7/17(土) 21:21:18
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「民族意識」?? Comments: 游惟さん、Awajiです。取り敢えずの追加です。 >>戦国時代に武田家が滅びていった過程を見ればよくわかるでしょう。 これはチョット違います。武田と織田は民族的差異は全くありません。 「百済人」「高句麗人」「新羅人」「倭人」には明らかに民族的差異が あるでしょう・・・「百済」と「高句麗」は近親憎悪かも?? >>そもそも「国家」という概念自体が近代的なものです Awajiはこれこそ西欧文化圏の特徴であり、世界史的には疑問を感じて いるのです。 西欧文化圏は、どちらかと言えば中国一国レベルの差異しか無かった 様な気がします。 キリスト教文化、ラテン語という共通言語?言語体系の類似、人的交流 ・・・アジアは遥かに多様な世界であり、民族国家の実態が早期に成立 したのでは無いでしょうか? 東アジアでは、中国と言う巨大文化を持つ超大国があり(統一時ですが) 周辺民族の民族国家意識は、極めて先鋭に形成された(されない民族は 同化消滅)様に思います。 高句麗が中国・北方民族の不断の攻撃を受けながら、700年間国家を維持 したのは、民族意識無しには考えられません。 近代中国(清国)は異民族の支配を受けていましたので・・・・ ただ、統一意識を維持するには物理的にデッカスギますよね! >>広い朝鮮海峡を大軍を連れて押し渡って行く必然性・・・Awajiさんは >>疑問に思わないのかもしれませんが、私の友人知人でこれを疑問に思う >>人をたくさん知っています。 実利的には「金属資源」と(「人的資源」)の供給源だったからでしょう。 「三国史記」による倭国の新羅侵略も、残念ながら殆どは「人民掠取」が 狙いだった様に記述されています。 名分的には、失地回復と認識されていたためだと思います。・・・欽明の 遺言は、その様に受け取れます。 父祖に面目ないとまで思いつめていたかどうかは、分かりませんが。 Time : 1999/ 7/17(土) 22:17:49
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 古代国家(Anonさんへの質問) Comments: みなさん、こん@@は。 結局、Anonさんのいいたいことは、「思想的に統一された国家」が、百済滅 亡後「百済の統一思想」をとりいれることによって日本列島に誕生したという事 なのでしょうか? それ以前の倭=日本列島の勢力は、中華周辺の軍閥政権のようなもので国家という より徴税権をはじめとする国家機能を兼ね備えた軍事集団にすぎないという事なの でしょうか? そして、この場合、倭人を精神的にまとめた思想は中華思想という事なのでしょう か? 倭国の軍ではなく、日本列島に展開していた中華の軍閥の軍という意味なのでしょ うか? もし私の思う通りであれば、百済ではどうしていち早く中華思想しかも自らが、 天命にそった国である、という思想を手にいれる事ができたのでしょう? 百済も、もともとは倭国と同じ中華周辺の軍閥であったのでしょう? 百済が天命思想を自らの内に消化できたのは、上宮王家=大陸の遊牧民の王族のお かげなのでしょうか? 以上の点についてご教示いただけないでしょうか?おひまな時で結構です。 Time : 1999/ 7/17(土) 22:22:57
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさん、inaさん、根来衆さん、極悪忍者さんへ Comments: Awajiさんへ 早速ご丁寧なレスありがとうございます。また噛みつかれるかと思っていましたが(^0^) 私が問題にしているのはその当時の倭王朝の貴族達が日本語を母語とする人々(今日我々 が考えるような「日本人」)であったかどうかだけなのです。対外的な政治体制としての 倭王朝は早くから中国の柵封体制から離脱しようとしていたのかも知れませんし、百済を むしろ柵封していたのかもしれません。そちらの方の検証はAwajiさん達にお任せします。 ただ日本語研究者として、@金田一京介、有坂秀世らの上代特殊仮名遣いの8母音をウラ ルアルタイ語の母音調和の名残と考える仮説(この仮説自体は否定されていない)と、A 朝鮮語、満州語、モンゴル語等のウラルアルタイ諸語と日本語とに音韻対応が全く見られ ないという矛盾、これは古朝鮮語(ないしウラルアルタイの一分派)を母語としていた倭 王朝貴族たちが白村江以降土着化を決意して倭人語(日本語)を共通語として採用し、二 三世代の間古朝鮮語なまりの日本語をしゃべっていた、と考えれば合理的に説明できると いうことに着目したのです。 私の専門は現代語で古語に関しては基本的なことしか知らないので、早速方言学の本や万 葉がなに関する本を借りてきて基礎的なところから調べています。 ただ日本語という観点からみると「卑弥呼」という名はおそらく「ヒメミコ」から来たん じゃないかと思われ、そうだとすれば邪馬台国は倭人の部族連合だったということになり ます。それが謎の四世紀をはさんで河内王朝へ進化したと考えるよりは、既に任那加羅を 支配していた韓人(漢人)王朝が倭に渡ってきて部族連合の盟主の地位についたと考えた 方がいいんじゃないかと思いますが。 極悪忍者さんへ 私も韓国に四年半住んでいましたから、そのことはよく知っています。 ただ百済、高句麗の支配下にあった諸豪族は統一新羅体制下で冷遇されたため、そのような意識が後にできあがったのではないでしょうか。 江戸幕府体制下ので冷遇された外様大名のように。 inaさん、根来衆さんへ 武田についてそういう説があるとは知りませんでしたが、常識的に考えて長い間支配して いれば家臣との一体感は強いはずだと思う、ということです。 関ヶ原の後、西軍諸将のうち島津だけが改易も減封も免れ得たのも、他の俄大名とは違い 400年も薩摩を支配していたので家臣・領民との一体感が桁外れに強く、そのことが島津 の強気の姿勢を支え、また家康もそれを恐れたが故ではないでしょうか。 逆に猛将立花宗茂や長宗我部盛親ですら抵抗もせずあっさり城を明け渡したのは、所詮俄 大名であって籠城してもついてきてくれる家臣なんぞいない、と自覚していたからでしょう。 Time : 1999/ 7/17(土) 23:34:49
Name : ina E-mail : Title : 義経伝説? Comments:  ヒメミコの発音等については、私自身Awajiさまと議論したのですが、あまり重視 するのはどうか、と思います。 「そうだとすれば邪馬台国は倭人の部族連合だ、、」にどうつながるかを説明して いただきたいのですが。  多分游惟さまには先達となる、金田一京助氏、が、義経=ジンギスカン説の小谷 部全一郎と話していて、小谷部の娘の名が、いさ、であることを知り、ヘブライ語 でイサは女性の意味、だと伝えると、過剰な反応を示して驚いた、との述懐があ り、彼の論証はその種の音声の類似が多かったそうです。 Time : 1999/ 7/18(日) 10:27:49
Name : Toshy E-mail : Title : 義経伝説? Comments: 西シベリアには、ハンチマンシー族自治区というところがあります。八幡氏?! Time : 1999/ 7/18(日) 10:34:45
Name : ina E-mail : Title : Toshyさま Comments:  す、すばやい!  他には、ジンギスカンの故郷ニロン=日本、愛親覚羅が土音ではアシハラ=葦原 、あるいは、蒙古にクローという城壁があったらしいのですが、当然九郎。  この手の話は面白く、印象に在るところでは、清の乾隆皇帝の欽定古今図書集成 に皇帝の序があり、自分の先祖は源の義経で、清和から出た、依って国号を清とす る、というもの(勿論序は存在しないそうですが)など、笑えますね。 Time : 1999/ 7/18(日) 10:52:30
Name : Toshy E-mail : Title : もっと義経 Comments: inaさん ジンギスカンといえば、「成吉思汗」と書くのですが、万葉仮名風にこれを読めば 「なすよしもがな」 つまり静御前が頼朝の前で歌った歌の内容。 ついでに「吉野の誓い成りて水干(白拍子の衣装)を思う」と読み直せるとかありました。 (続く) Time : 1999/ 7/18(日) 12:02:13
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「言語学への期待」?? Comments: 游惟さん、今日は。Awajiです。 Awajiの印象ですが、概ね百済正統王朝説なるウルトラ・トンデモ説から 脱出され、トンデモ・スレスレの江上騎馬民族王朝説に転換されたよう に思います。 Awajiは、基本的にはタダノ仏像愛好家であり、言語学はおろか歴史学に ついても正規の教育を受けたわけではありませんので、この辺りで一段落 させて頂きます。 最後に老婆心ながら・・・ 1.現在の歴史学水準からは、4世紀以降に大陸からの権力機構(王朝) が日本列島に移住し、倭国において王朝交替があったと想定するすること は殆ど絶望的だと思われますので、言語的考察を行われるに当っても一応 念頭におかれた方が現実的だと思います。 2.3世紀以降の多元王朝の存在と、倭国内部における王朝交替の可能性 については、現段階でもなお歴史学者に支持者が多く、Awaji自身も考察 の余地はあると思いますが、少なくとも欽明期以降について、これを想定 することは同様に絶望的だと思われます。 (Awaji自身は、イワレヒコーヒミコー倭五王ーオオト(継体)ー天智・天武 が同一家系に属すると考えるのが、最も整合的だと考えていますが、これ は異論があり得ると思っています。) 3.万葉集には、天智以前の王族・貴族によるものと想定すべき歌謡が多 く残されています。 記紀にも同じく歌謡・地名・個人名・官職名が多く残されています。これ らの殆どがヒミコ同様に「倭語」によってしか解釈出来ません。 (古代朝鮮語によって解釈されると称する意見が如何にヒドイものである かは、ご承知のとおりです。) 稲荷山鉄剣等の金石文についても、当時(471年〜531年)の倭国の権力構 造や王族・貴族の言語が如何なるものであったかを、有力に証言しています。 このことは、少なくとも3世紀以降の「倭国」の二重言語使用を想定する ことが殆ど不可能であることを示唆するものです。一応念頭に置かれるこ とをお勧めいたします。 Awaji自身も「倭語=日本語」の多重性は、倭人の構成・倭国の形成を解 明するための大きな鍵であるにも係わらず、充分研究が為されていない分 野だと考えています。 或いは東アジア諸民族(チベット・クメール迄を含みます)の歴史解明の 鍵になるかも知れません。 言語学者の方々が、歴史学・人類学を始めとするあらゆる関連学の知識を 活用され、大胆な発想の展開と、緻密な検証を進められることを期待して います。 Time : 1999/ 7/18(日) 12:22:49
Name : 游惟 E-mail : Title : inaさんへ Comments: 首長が対外的にも日本語の名前を名乗っていたとすれば当然その部族は日本語を母語とす る集団であっただろう、ということです。少なくとも中国に対し中国風の名を名乗って文 明国であると印象づけようという発想はこの部族集団にはなかったわけです。 それに対し河内王朝の倭の五王は南朝に対し、賛、珍、済、興、武、と中国風の名を名乗 り、立派な漢文の上表文を書いています。 つまり、この両集団には中華文明の吸収度にかなりの開きがあるわけで、百数十年の間に 進化したと考えるよりは別の集団であると考えた方が妥当だろう、ということです。 金田一京助は「日本語ウラルアルタイ語族説」をとっており、それを裏付けようとして多 少無理なコジツケをやっていたかもしれません。しかし今日それらの無理な音韻対応は否 定されており、ウラルアルタイ語族説も信奉者は少ないようです。 但し、「上代特殊仮名遣い」という現象があることは完全に定説となっており、それがウ ラルアルタイ語特有の母音調和現象の名残である、という説も今なお否定されていません。 基本単語の音韻対応がないのに母音調和の現象がある、という矛盾が長い間人々をとまど わせてきたのですが、上代特殊仮名遣いをウラルアルタイ語なまりの日本語を音写したも のと考えればこの矛盾は説明できる、というのが私の仮説です。 学説というものは「大筋では正しいが部分的には間違っている」「全体としては認められ ないが部分的には見るべきものがある」ということがよくある、というより人文・社会科 学ではそれが普通なのです。金田一が多少変なことを言っているからといって、その業績 全てが否定されるものではありません。 Time : 1999/ 7/18(日) 12:41:20
Name : ina E-mail : Title : 游惟さま Comments:  どうも私の表現力がなくてすみません。  金田一京助氏の名前を出した文章で、過剰な反応をしたり、無理なコジツケを しているのは義経=ジンギスカン説の小谷部全一郎、のつもりです。  舌足らずですみませんでした。  言語の解説ありがとうございました。 Time : 1999/ 7/18(日) 13:40:33
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「漢風名称」?? Comments: 游惟さん、inaさん、Awajiです。追加しておきます。 >>この両集団には中華文明の吸収度にかなりの開きがあるわけで、百数十 >>年の間に進化したと考えるよりは別の集団であると考えた方が妥当だろ >>う、ということです。 こういう考え方は疑問です。 ヒミコ時代と五王時代で、漢字導入や中国的風習に対する理解の変化があ るのは、別段不思議な現象ではないでしょう? 国内名称と外交名称(国書名)を変えるのは、百済・新羅その他において も例が多く、この点でも別の集団と考えた方が妥当とはいえません。 むしろ、さらに文明化した時代に「隋」に対する外交名称が、漢風でない のが異例ですが・・・ 例えは良くないかも知れませんが、天皇について「漢風諡号」が制定され、 一般化したとしても、集団の性格はそれにより全く変化(進化ではありま せん)していませんね。 Time : 1999/ 7/18(日) 13:52:06
Name : Toshy E-mail : Title : 北行伝説 Comments: 義経=ジンギスカン関係でよく出てくるのは、 ・ロシアのチタ(義朝が殺された知多) ・ジンギスカンの父エスカイ(蝦夷海) ・ジンギスカンの母ホエルン・イケ(池禅師) ・家臣ソーボータイ(僧坊=弁慶) などもあります。 しかし戦術面ではさえる義経でも、政治面はからっきし駄目。 政治に無能な義経が、あれだけの大帝国を築きあげることができるか?といえばそれまで。 ところで安部頼時にも、義経同様の北行伝説があります。 源氏との戦いを避けるために北の土地を目指し、(北海道?) 川をさかのぼっていくと(石狩川?)そこには1000ほどの騎馬隊がいた、という話。 ちなみに我が範頼の不死伝説は救われない。 伊豆修禅寺を脱走、船で瀬戸内海に逃れたがそこで嵐に遭い死亡、という。 Time : 1999/ 7/18(日) 14:18:27
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Awaji様,ありがとうございました。 Comments:  返事が遅くなってどうもすみませんでした。 救世観音と「倭国を巡る東アジア情勢」??では、 国家概念も交えて,非常に詳しく解説いただき, ありがとうございました。 歴史の流れが納得できるストーリーとなっていて 大変分かりやすかったと思います。 フェア―に述べられていますし,筋の通った解説ですので, ぜひ、Anon様にも一読お願いしたいくらいです。  また、「天皇記・・・」も詳しいご説明をいただき、 大変勉強になりました。 何度も勝手なお願いを聞いていただき,重ねて御礼申し上げます。 Time : 1999/ 7/19(月) 09:38:57
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : Anon様,進歩がありませんよ Comments:  お返事はありがたいのですが,歴史の話ではないのですか・・。 以前にも申し上げましたが, >科学の目的は有効性(真実などではなく)にあります。 >この有効性を実現するための科学的方法論の選択は恣意です。 >どのような仮説体系でも科学足り得ます。 については、ひとつの考えであることは同意いたします。が 「有効性」そのものを絶対的にとらえられているように感じます。 有効かどうかも「恣意的」なはずでしょう。したがって, 「斉一性」を公理にされるのはかまいませんが,ご意見は矛盾する ことになりますよ。 すべての価値判断は相対的なものです。お認めになりませんか? >しかしながら、有効でない仮説体系はそもそも科学ではありませんし、 >有効かどうかは、検証可能性(反証可能性)によって試されます。 といわれる点は、繰り返しますが違うと思います。 ただし、もし検証や反証を「有効かどうかチェックすること」と おっしゃるならば理解できます。しかし、それは斉一性の否定に つながりますのでおそらく違うのでしょう。  従いまして,おっしゃることは全体として理解不能です。 ぜんぜんまとめになっていないと思いますが,いかがですか?  それから、肝心な問題から常に逃避されているので,ついでに一言。 以前のやり取りや上記の記述からも伺えますように、どうも「検証」の 意味がお分かりではないのではありませんか? 多くの方が,Anon様に聞きたがっていることは,  「その仮説は,どのように検証され,説明されるのか?」 の一点につきますが,一度も検証過程を示されたことがありません。 そう言う意味では,Anon様の「歴史」は、ご自身の基準からしても 「科学」ではありませんね。全く検証されていませんから。 現在のところ,多くの奇説・新説を単に切り貼りして、奇をてらって おられるようにしか見えません。たしかにまったく科学ではないですね。 以前も言いましたが,科学について古臭いイメージ    「試験管の中での実験結果により,実証された」 のみを「検証」と捉えられているのでは? このイメージでは, たしかに目の前で,繰り返し確かめられ,世界中どこでも実験結果は 変わりませんので(斉一的です),「歴史学」とは大きく違うように見えます。 しかし、何度も述べましたが,「光年」のオーダーで遠い惑星のことを 頼りないデータで考察するのも,直接の手段では確認しようのない 素粒子についての考察も,その古臭いイメージとは違っています。 もはや、単純に「行って確かめられる」レベルではありません。 このような分野は科学ではないのでしょうか?  それでも、それなりに検証され,理論化されるところは, 小生は立派な科学だと思いますし,何度も言いますが, 歴史学とそれほど違いはあるのでしょうか? Time : 1999/ 7/19(月) 10:08:47
Name : Toshy E-mail : Title : Anonさん、最近いらっしゃらなくなったのですが、ちょっと質問 Comments: Anonさん、最近いらっしゃらなくなったのですが、ちょっと質問 >つまり意識としては近代概念である「侵略」ではなくて >むしろ失地回復(あるいはレコンキスタ)的なものでしょう。 失地回復というのは、古代の任那のことを意味しているのでしょうが、 秀吉がその任那に対する思い入れがあったという史実はどちらから出たのでしょう。 陸路については、AwajiさんからもAnonさんへの反論がなされました。 ToshyもAwajiさんに賛成するものです。 西日本では確かに瀬戸内の水路があり、海路のほうが発達していたのかもしれませんが、 東日本は陸路のほうが主流だったのではないですか? 頼朝の平家討伐軍、北条泰時の征西軍、すべて東海道・東山道を進んでいるのです。 Time : 1999/ 7/20(火) 10:45:08
Name : やま E-mail : Title : いまさらの回答ですが。 Comments: Awaji さん。 お返事遅れましたが、何しろ浅学非才ゆえ、Awajiさんの問いに対して答 えるべく、日本書紀を、それこそ虚心に読んでいました。 >ここで、問題にしているのは当時の大(地方)豪族の小国としての独立性 >ですね。 >従って、彼等が臣下の礼をとって、どの程度中央政権に従属(軍事指揮権 >に従うことを含む))していたかがポイントであり、戸籍云々はチョット >違うような気がします。 私は、Awaji さんの言われた、 >仮に「島津王朝」と呼ぶならば、当然「磐井王朝」と言う事が出来るで >しょうが?(チョット乱暴な例えではありますが・・・・) という言葉に、中央集権という概念で江戸時代と古代をどう比較するのだ ろう?と単純に考えて、戸籍と述べました。中央集権の強度の尺度という のは、結局、中央がどれだけ地方の住民を掌握しているかということだと 思いましたから、そう答えた次第です。付け加えるならば、土地台帳も 入りますか。 私が、磐井王朝に触れたのは、Awaji氏との歴史認識における、地方のあ り方についてであって、それ以上でもそれ以下でもありませんので、この 際は、Anon氏のお話とは別のものとご承知ください。 私が中央と地方の結びつきをイメージした場合には、やはり大化の改新前 と後では全く違うのです。やはり、律令という制度の中で、地方の 人民の天皇家による直接の掌握というものが強くなったと思いますし、そ れ以前 はどうかというと、これは日本書紀の記述ですが、地方の 官吏が その地方の豪族におもねって中央政府に対して背任行為を働いてい たり しています。 これは、当時の中央政府が、地方の豪族とのつながりはあっても、直接 その豪族の支配する地域住民を掌握していたわけではなく、ごまかそう  と思えばいくらでもごまかせたからだと思います。そういう地方にあ っては必ずしも、中央の言う蝦夷を敵視する必要は無かったとも考え ております。どうして、そうごまかせたか、というのはすでに述べたよ うに中央からは人民の掌握もできていませんし、土地台帳というものも 無いために、結局、地方豪族の裁量が大きくものを言ったからだと思い ます。 そういう意味では、むしろ、中央にとっては蝦夷の地であっても、地方 豪族にとって は割と友好的な交流関係があっても良いと思いますし、そ ういう自治は 当時の中央からは管理できなかったと思っています。 従って、蝦夷の地というのがはっきりと境界をみせるのも改新以後だと 思いますし、そういう内と外というか、境界がはっきりしていたのは、 八世紀頃までは畿内だけだとすら思っているわけです。 (畿内より西は ちょっと違うような気もしますが) ただし、これは、日本が八世紀までは統一されていなかったということ ではありません。大化の改新以前と以後では国の体制が全く変わったの だ、そういうことだと私は思っています。 もちろん、だから天智天皇が百済正統です、という話では全くありませ んので念のため。 Time : 1999/ 7/21(水) 20:09:42
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「地方王朝」?? Comments: やまさん、今日は。Awajiです。 まことに申し訳ないのですが・・・チョット暑さでボケが来ましたので、 論点が良く思い出せないのですが・・・<(_ _)>ペコ Awajiは基本的には、概ね以下のとおり考えています。 A.中央集権国家 原則的に領土・領民を中央政権が直接掌握・管理し、軍事・外交権も一 元的に掌握されている国家。 (領土・領民の掌握が、やまさんの言われる土地台帳・戸籍等の問題で す。建て前として・・・公地公民制をとり、地方最高官も中央が任命す る律令国家は、基本的に中央集権国家だと思っています。) B.完全独立連合国家 全体として、国家的連帯感を共有するものの、領土・領民は各国の保有 する軍事力により決定され、時として外交も各国が独自に行い得る国家。 中央政権は卓越した軍事力を持たず、地方最高官の任命権も持たない単 なる象徴的存在・・・所謂戦国時代(概ね応任の乱〜織豊政権の成立迄) さて、取り敢えず「邪馬台国時代の倭国」以降我が国においては、この A〜Bの間で変動(揺れ動いて)してきたと思うのです。 天武(天智)時代の日本は、聖徳太子以降に徐々に律令国家体制を強化 しており、殆どAに近いと考えられます。 この点でおっしゃる様に「戸籍」の整備は律令国家(中央集権国家)に 不可欠の要素だと思います。 しかし、その後平安時代にかけて徐々に中央集権度が低下し、鎌倉・室 町においてはこの中間的国家になったと思われます。 戦国時代は殆どBでしょう。 その後、織豊政権の強化とともに、Aに近づきますが結局は幕藩体制と いえどAではなく、明治維新に到って近代A国家になったと考えます。 それでは、継体時代はどちらに近いでしょう? 結局は、中央政権と地方政権(集団)の軍事力の強弱により判断せざる を得ないと思うのです(反攻に対する懲罰の実効性です。) 倭国王が、各豪族に対し軍事動員命令が出せるかどうかと言う問題でも あるでしょう。(秀吉が島津に対して出兵を命じた様にです。) 同じく「島津王朝」と言っても鎌倉初期に守護に任命され、世襲守護時 代、南北朝時代、戦国大名時代、九州制覇を目指した時代、豊臣政権に よる討伐時代、関ヶ原時代、幕藩時代、幕末時代、廃藩置県までその独 立性は様々に変化していますが、これは戸籍とか土地台帳の問題で考察 すべきものかどうか・・・と言うことですね。 「磐井王朝」は敢えて言えば・・どの時代の「島津王朝」に比すべきも のか? 「島津」は、どの時代をとっても「王朝」とは言えないならば「磐井」 は何が異なっていることで「王朝」と言えるのか? その差異を示す根拠は何か? こういった問題として提起したのですが、ピントがぼけているでしょう か? Time : 1999/ 7/22(木) 00:01:32
Name : やま E-mail : Title : 地方王朝 Comments: Awajiさん、早速のご回答ありがとうございます。 >まことに申し訳ないのですが・・・チョット暑さでボケが来ましたので、 >論点が良く思い出せないのですが・・・<(_ _)>ペコ 暑さのせいばかりでは無いと思います。(笑)この磐井王朝の件について の話は、善光寺縁起を巡っての、7世紀ころの信濃をどう想定するかと言 う認識の違いについて触れた折りに私が述べたものです。 その後、Anon氏のお話が入って、そのときにAwaji氏が再度触れられ た わけで、私としては、Anon氏の話題には興味がありませんでしたので、 どう言うコンテクストで磐井王朝と島津家の話がでてきたのかちょっと 惑 いましたが、とりあえず「戸籍」とだけ答えて、あとは日本書紀をあち こ ち読んでいた次第です。 つまり、私としては、飽くまでも善光寺を巡っての7世紀、8世紀の日本 がどうだったか、ということが興味の対象でありましたので、そういう視 点からしか、今のところ歴史書を読んでおりませんし、Anon氏の説かれ る談義についていくほど、こちらには余裕はありませんでしたから、氏の 論議が活発になるのを幸いと、こちらはだんまりを決めて、日本書紀やら 地方史の本やらを図書館などで漁っていて、Anon氏の議論が尽きたころ に先の回答をさせていただいた次第です。 そういう訳で、再度もうしますが、おそらく Awaji氏が最初に磐井王朝 について触れた場面での内容は、勇者ロトさんへの問いかけではありまし たが、それは Anon氏との議論の一端としてのものだったと思います。 ただ、私はその議論には残念ながら参加しておりませんし、そういう意味 で私なりの解釈でしか回答し得なかったために Awajiさんからは却って判 りにくいお話になったかと思います。 >さて、取り敢えず「邪馬台国時代の倭国」以降我が国においては、この >A〜Bの間で変動(揺れ動いて)してきたと思うのです。 おっしゃる通りだと思います。私もおおむねそういう考えでいますが、 ただ一点付け加えたいのは、歴史の進行は不可逆的な側面があるというこ とです。 つまり、卑近な例を言えば、最近政治の世界で、地方分権が叫ばれて、 道州制なども議論されているようですが、同時に、国民基本台帳の改正 によって、総背番号制というある意味で、非常に強力な中央集権的な 制度が取り込まれようとしています。 これらを過去の基準でみれば、明らかな矛盾ですが、私はこれらが 同時に起こりうると思いますし、そういう意味で、今後実現するであろ う地方分権は、そもそも、それ以前の地方分権とは一線を画するのです。 そういう意味で言うと、大化の改新前と後で、確実に異なるのは、天皇制 で、天皇制というものの定着も考慮すべきでしょうね。 >それでは、継体時代はどちらに近いでしょう? 私は、これをBに近い状況とみています。その根拠は、倭の五王と言わ れた王朝が武烈で終わって、皇統が絶えたという説に影響されているか らで、私は継体は血筋から言うと新しい王だと思っています。 そんな訳で、継体時代の日本というのは、国が分裂するような大乱の時 代であったかどうかは釈然とはしませんが、中央政府の地方掌握力が一 時的にせよ衰えた時代だと思いますし、そういう中で磐井の乱というも のをとらえると、磐井の独立性の高さというものもある程度、首肯でき ると考えています。 >倭国王が、各豪族に対し軍事動員命令が出せるかどうかと言う問題でも >あるでしょう。(秀吉が島津に対して出兵を命じた様にです。) この点は、磐井は、新羅と盟約(?)を結んだりしておりますよね、 独自の外交路線を敷こうとしています。これは、密貿易とか、そういう ものと異なり、当時の日本が新羅と交戦状態にあったのを考慮すれば、 明確な離反行為であったわけです。一国内で、外交において分裂したの は幕末の薩摩藩などがそうだったかもしれませんが、外国との戦争にお いて分裂敵対したのは磐井だけではないでしょうか。 >「磐井王朝」は敢えて言えば・・どの時代の「島津王朝」に比すべきも >のか? >「島津」は、どの時代をとっても「王朝」とは言えないならば「磐井」 > は何が異なっていることで「王朝」と言えるのか? なるほど、確かに島津家の長い歴史の諸様相を通してみれば、あるいは似 ている部分もあるかと思いますが、その中で、もっとも独立的な要素の強 かった戦国時代においてすら、当時の各大名が競ったのは、征夷大将軍の 位であったと思いますから、(まあ、信長はちょっと違ったかもしれませ んが)やはりちょっと違うと思います。 どうしても、後世の人物と比べようとすれば、平将門はそれに近かったと は言えるかもしれませんが。。 Time : 1999/ 7/23(金) 05:18:36
Name : Anon E-mail : Title : みなさまへ Comments: 私事でしばらくアクセスできませんでしたが、 これを幸い?に、私の議論を休止しようかと 思います。 多少実験めいた試みでしたが、それなりの 成果はあったものと手前味噌で判断してお ります(游惟さんをはじめ、ありがとうござい ました)。 それではどうもおさわがせしました。 Time : 1999/ 7/23(金) 13:48:18
Name : ina E-mail : Title : Anonさま Comments:  ご無沙汰。  私は充分楽しみました。ありがとうございました。またあいましょう。 Time : 1999/ 7/23(金) 20:22:40
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「継体」?? Comments: やまさん、今日は。Awajiです。 長文のRESありがとうございました。おかげで少し思い出しました・・・ >>そういう意味で言うと、大化の改新前と後で、確実に異なるのは、天皇 >>制で、天皇制というものの定着も考慮すべきでしょうね。 先ず「天皇制」と言う言葉は、何を示しているのかと言うことです。 当然「天皇」と言う称号を名乗ったということでは無いですね。おそらく は、「大王」制と対比して中央集権状況が一段と強化されたことを意味し ておらると思います。 Awajiも仰るとおり「孝徳」時代に、最大豪族である蘇我氏を打倒したこと により飛躍的に中央(大王=天皇)集権が進み、最終的には、天智・天武 を待って律令国家的中央(天皇)集権が完成したと考えていますので、基 本的には全く異論がありません。 問題は、それ以前の中央(大王)政権と地方政権?(勢力)の関係ですね、 >>私は、これをBに近い状況とみています。その根拠は、倭の五王と言わ >>れた王朝が武烈で終わって、皇統が絶えたという説に影響されているか >>らで、私は継体は血筋から言うと新しい王だと思っています。・・・ >>中央政府の地方掌握力が一時的にせよ衰えた時代だと思いますし、そう >>いう中で磐井の乱というものをとらえると、磐井の独立性の高さという >>ものもある程度、首肯できると考えています。 と言うことであれば武烈までの王朝では、かなり中央集権的国家であった が、一時的に地方勢力が強大化し磐井王朝的独立性を持つに到ったと言う ことでしょうか? それならば、一時的逆行?現象と言うことになりますが、この様な場合に 王朝と言うべきでしょうか?チョット疑問です。 >>この点は、磐井は、新羅と盟約(?)を結んだりしておりますよね、 >>独自の外交路線を敷こうとしています。これは、密貿易とか、そういう >>ものと異なり、当時の日本が新羅と交戦状態にあったのを考慮すれば、 >>明確な離反行為であったわけです。 ことは事実でしょうね。つまり「倭国」からの独立?或いは倭王朝打倒を 目指して、外国勢力と提携を図ったが、簡単に討伐され失敗に終わっただ けのことではないでしょうか? 確かに「倭国=日本」の歴史においては、極めて珍しい事態ですが、諸外 国の歴史においては然程珍しいことでは無いと思います。 これも「磐井王朝」と言うべき問題ではない様に思うのです。 やはり「磐井王朝説」と言う場合は、武烈までの時代においても「磐井王 朝」が存在し、倭五王は「磐井王朝」の祖であると言う「古田九州王朝説」 に立たなければ、苦しいと思いますが、如何でしょう? (この説に立てば、新たな問題が山積してくると思いますが・・・・。) さて九州王朝説は別にして、ここでは「継体」について考えて見たいので すが、Awajiは「継体」は倭五王と同一家系・同一王朝と見做しています。 やまさんは、南北朝と言うような単なる比喩ではなく、全く別系統の王朝 とお考えでしょうか? 仮にそうお考えであれば、どの様な根拠によるものでしょうか? 一度この問題について考えてみませんか? (みなさんの横レス大歓迎です・・・・(^0^)" Time : 1999/ 7/23(金) 22:58:25
Name : やま E-mail : Title : 継体大王の時代 Comments: Awajiさん。みなさん、こんXXわ。やっとサーバーが復旧したようですね。 さて… >先ず「天皇制」と言う言葉は、何を示しているのかと言うことです。 >当然「天皇」と言う称号を名乗ったということでは無いですね。おそらく >は、「大王」制と対比して中央集権状況が一段と強化されたことを意味し >ておらると思います。 そうなんですが、あえて付け足すと、中央集権化と、後の天皇機関説に結び つくような、天皇という地位の確立ですね。大王の時代だと、下手をすると 大王自身が簡単に殺されてしまうような、そういう状況がありますが、天皇 制が定着すると、天皇の地位は不動になり、天皇の名の下で、国の執政権を 巡って争うようになります、そしてそれが一番大きな違いだろうということ です。 >問題は、それ以前の中央(大王)政権と地方政権?(勢力)の関係ですね、 私は、応神天皇から始まる王朝は、地方諸国家を治める首長たる国造を 支配する部族連合国家だった、という説をほとんど鵜呑みにしています。 >と言うことであれば武烈までの王朝では、かなり中央集権的国家であった >が、一時的に地方勢力が強大化し磐井王朝的独立性を持つに到ったと言う >ことでしょうか? >それならば、一時的逆行?現象と言うことになりますが、この様な場合に >王朝と言うべきでしょうか?チョット疑問です。 この辺は言葉の表現の問題ですが、私は、最初に出現した統一国家というの は上述したように、地方の首長を束ねる地方分権国家だったと思います。 従って、中央があろうとなかろうと、地方の王はかなりの独立性を持ってい たと考えますし、乱暴なことを言ってしまうと、大王と王の差というのは あまり無かったと思っています。 つまり、ある程度の血縁と名目があれば 地方の王がいつ大王を名乗ってもおかしくなかったと思うのです。 >やはり「磐井王朝説」と言う場合は、武烈までの時代においても「磐井王 >朝」が存在し、倭五王は「磐井王朝」の祖であると言う「古田九州王朝説」 >に立たなければ、苦しいと思いますが、如何でしょう? >(この説に立てば、新たな問題が山積してくると思いますが・・・・。) 私は、上述の観点から、磐井王の問題を無理に倭の五王の末裔としなくても 良いと思うのですが。 >さて九州王朝説は別にして、ここでは「継体」について考えて見たいので >すが、Awajiは「継体」は倭五王と同一家系・同一王朝と見做しています。 >やまさんは、南北朝と言うような単なる比喩ではなく、全く別系統の王朝 >とお考えでしょうか? 私は、この点はほぼ水野祐氏の説で良いと思っています。ただ、天皇の血統 についてですが、継体大王の血筋はどうかわかりませんが、継体大王が大和 の手白香皇后を娶っているのでつながっているのだとは思います。その結果 百済本紀によるように、継体とその皇子(安閑、宣化?)があるとき同時に 亡くなった、というのは応神の血を引く欽明天皇が皇位を奪ったと、考えて もおかしくないと思いますし、そういう切迫した国内事情があって、継体の 時代の韓半島に対する政策がうまくいかなかったのだと思います。 さらに、以上のように考えると、応神王朝というのは畿内でも数々の地方豪 族との争いを構えていること、そしてそれがまさに上述の地方分権国家の日 常であったということが見えてくるように思います。そしてそう見ると、そ の後に蘇我氏が崇峻天皇を暗殺したという事例がでてきますが、これもそう いった時代の 流れで見ればむしろ特別なことだとは思えないのです。 それをことさら、蘇我氏だけが天皇の暗殺という大罪をおかしたかのように 書いている点に、私は日本書紀の作為のようなものを感じています。 つまり、応神王朝というのは古代地方分権国家の宿命として内紛を抱えてお りその終焉において継体大王や磐井の台頭というような事態をもたらしたの ではないでしょうか。そしてそのような内紛が韓半島経営に思わしくない結 果をもたらし、ひいては日本という社会自体の弱体化を招きかねないという 危機感から、日本は7世紀に入って急速に中央集権化への模索を始めるのだ と、そういうふうに見るとなんとなく、応神王朝から継体〜欽明〜推古〜と というあたりの歴史的つながりがしっくりくるような気がするのですが。 Time : 1999/ 7/25(日) 05:31:34
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「継体・欽明の関係」?? Comments: やまさん、今日はAwajiです。暑いですね・・・・ RESありがとうございます。 >>大王の時代だと、下手をすると大王自身が簡単に殺されてしまうような >>、そういう状況がありますが、天皇制が定着すると、天皇の地位は不動 >>になり、 皇帝・天皇・天王・大王・王・・名称の如何に係わらず、簡単に殺される 状況があるとは思えませんし絶対に殺されることが無いとも思えません。 Awajiは否定的ですが・・・このHPにも「天智」や「称徳」が殺された とされる方もいらっしゃいましたね。 勿論、天皇と大王時代との権力の在り方は異なるでしょうが・・・・ それは、さて置き・・・ >>私は、応神天皇から始まる王朝は、地方諸国家を治める首長たる国造を >>支配する部族連合国家だった、という説をほとんど鵜呑みにしています。 何方の説でしょうか? 「国造」はどう見ても「郡」程度の首長ですから、「部族国家」とはチョ ット・・・レベルから見て、大袈裟すぎるような気がします。 敢えて言えば、中央から一定の領地・領民支配を認められた「地頭」クラ スと見るべきでは無いでしょうか? (用語には拘りません。要するに大王と国造とは隔絶した地位にあり、 磐井・吉備等は幾つかの国造を糾合した勢力と見るべきだと思います。) >>最初に出現した統一国家というのは上述したように、地方の首長を束ね >>る地方分権国家だったと思います。従って、中央があろうとなかろうと、 >>地方の王はかなりの独立性を持っていたと考えますし、 前段はAwajiも同じ考えです。そしてその状況が中央集権的に変化する過 程が「倭国大乱」であり、「卑弥呼・臺与」時代にほぼ収束したと考える のですが、何処か矛盾があるでしょうか? >>乱暴なことを言ってしまうと、大王と王の差というのはあまり無かった >>と思っています。 つまり、ある程度の血縁と名目があれば地方の王が >>いつ大王を名乗ってもおかしくなかったと思うのです。 Awajiは・・・・・政治的先進国であった「高句麗」における「高一族」 さらに、明らかに政治的後進国であった「百済」においてすら「余一族」 の「王位独占権」は明確であり、「新羅」もこれに似た状況を形成して いきます。何故「倭国」が何時までも「(大)王権」が不安定な状況に あったと考えられるのか、良く分かりません。 この様な政治情勢はチョット考えられないのですが、定住農耕国家で、ど こかに例がありますか? >>私は、上述の観点から、磐井王の問題を無理に倭の五王の末裔としなく >>ても良いと思うのですが。 ・・・とすると「倭五王」は、大和を基盤とする王朝であり、かつ「磐井 等地方王朝」の盟主(中央政権)として韓国に出兵し、中国との外交を展 開したことになると思うのですが。 ・・・とすれば「倭五王政権と磐井王政権」の関係は「豊臣中央政権と島 津地方政権」程度の力関係になるのでは無いでしょうか? 大陸の遊牧民であっても、遠征のためには強力な中央統制が不可欠ですが、 まして渡洋作戦の実行には、水軍との共同・補給等の複雑な組織統制が必 要であり、「豊臣中央政権と島津地方政権」程度以下のレベルは殆ど考え られないと思うのですが・・・ >>その結果百済本紀によるように、継体とその皇子(安閑、宣化?)がある >>とき同時に亡くなった、というのは応神の血を引く欽明天皇が皇位を奪っ >>たと、考えてもおかしくないと思いますし、そういう切迫した国内事情が >>あって、継体の時代の韓半島に対する政策がうまくいかなかったのだと思 >>います。 具体的想定が、良く分からないのですが・・・継体と欽明はどういった関 係なのでしょうか?このまま理解すれば・・・ 1.倭五王中央王朝は継体地方王朝に倒され、継体が中央王朝の主となっ た。 2.倭五王王朝の血統を持つ欽明は、継体王朝を打倒し、再び中央王朝の 主となった。(一種の復辟ですね。) 3.その上で欽明は、倭五王王朝を簒奪した継体及びその後継者(安閑、 宣化)を大王と認め、さらに自己の父親(倭五王の血族)を完全に抹 殺し不倶戴天の仇である継体を「父」と称した。 4.敏達・用明・崇峻など欽明の子は、継体は祖父ではなく、自らの祖先 である倭五王王朝を一時的に簒奪した人物であると知りつつ「祖父」 とし続けた。 5.欽明の孫である聖徳太子等は、その事実を知ってか知らずか・・・正 史に継体を彼等の祖先(曾祖父)とし、顕彰した。 ・・・・と言う想定でしょうか? チョット信じられないのですが、想定が間違っていますか? Awajiは「書紀否定論」にたたない限り、少なくとも「継体ー欽明」が実子 である蓋然性は、認めるべきだと思いますが?? 百済本記(百済本紀ではありませんね。)記事については、継体とその太子 (即位前死亡により正史に記載されず)及び王子が一時に死亡し、安閑が急 遽即位したと考えることもあり得るのでは? Time : 1999/ 7/25(日) 23:44:20
Name : やま E-mail : Title : 継体大王の時代 その2 Comments: Awajiさん、こんばんわ。あついですね、夕立が欲しいところですが、夕立も ありません。。 >>皇帝・天皇・天王・大王・王・・名称の如何に係わらず、簡単に殺される >>状況があるとは思えませんし絶対に殺されることが無いとも思えません。 程度問題ではどうなのですか?私も、理不尽には殺したり殺されたりした、と は思いませんが天皇(大王)が中央豪族の認知が得られなければ争いの当事者 として様々な紛争に巻き込まれる確率は高かったろうというのが私の考えです。 つまり、皇位を誰が継ぐかに関しては曖昧さがあり、それが常に王権の不安定 要因になっていたと思います。そしてこの要因は、八世紀に至ってようやく整 然とした皇位継承のルールができて漸次、安定していったと見ています。 >>Awajiは否定的ですが・・・このHPにも「天智」や「称徳」が殺された >>とされる方もいらっしゃいましたね。 称徳天皇はともかく、天智暗殺説は当のホームページ主催者の井沢氏の著作で 小説にもなっておりますね。 >>何方の説でしょうか? 中央公論の日本の歴史、1巻、神話から歴史を書かれた井上光貞氏による解説 です。 >>「国造」はどう見ても「郡」程度の首長ですから、「部族国家」とはチョ 私は、当時の国というのはどうみても都市国家レベルだと思っていますからそ んなに大げさに思えないのです。乱を起こす際には、近くの部族と連合したり 併合したりするので、そのときだけ膨らむことはあると思いますが。。 さらに言えば、国造を私は「県」レベルだと思います。「郡」だと「評(こおり )」がありますからね。広辞苑では、くにのみやっこ、3として、孝徳天皇時 代以後、郡の大領の称とはありますけどね。 仁徳天皇が、国民の貧困を知って、徴税を3年中止したというお話がありますよ ね。あのとき仁徳天皇が国民の景気の判断を山に登って、民の家から煙が立って いるのを見て判断されている、そういう感覚でものを言っています。(笑) あ、これ半分冗談で言っているますので、それはサンプリング検査だなんで突っ 込まないでくださいね。(笑)飽くまで、イメージの問題ですので。あ、県レベル だとこのイメージではまだまだ小さすぎることになりますか。。。(笑) もっとも長野県レベルと石川県レベルでは大きさが違いすぎるので、こういう当 てはめ方自体にも問題はあるのですが。。。 >>「卑弥呼・臺与」時代にほぼ収束したと考える >>のですが、何処か矛盾があるでしょうか? 私には、卑弥呼から応神がどうつながるかは全くわかりません、しかし応神王朝 時代においても、内紛はかならずしも収束していなかったと考えているのです。 特に、大王の皇位継承を日本書紀では応神王朝の時代など整然と行われたかのよ うに書いていますが、私は、その辺「はいそうですか」、と簡単にうなずけない のです。 つまり、大王が統治している間はどうやら落ち着いた状況があっても、その大王 が崩御した後や、王権が衰えたときには、後継紛争がかなりあったと思っていま す。それが内紛だったか、それとも国対国の日本を分裂させかねないような戦争 であったかは判りませんが、継体の時代にあってはかなり後者の様相を帯びてい たのではないか、と思うのです。 >>何故「倭国」が何時までも「(大)王権」が不安定な状況に >>あったと考えられるのか、良く分かりません。 私は、これは単純に、日本は島国だったから。と思っておりますが。 韓半島は常に、中国と大陸でつながっており、その強大な軍事力の影響を 受けていたので、中央集権化という必要性に強く迫られていたと思います。 >>この様な政治情勢はチョット考えられないのですが、定住農耕国家で、ど >>こかに例がありますか? さて、このような問題で他国の例を引用する必要はあるでしょうか? これは日本にユニークな状況だった、と言ってすましても私は全くかまわな い、とも思いますが。。。でもまあ、敢えてあげれば、ギリシャの都市国家 が似ているかもしれませんと言えるでしょうか?ギリシャの都市国家もそれ ぞれ非常に小さいし、しかし、まあ独立性という点ではずっとギリシャの方 があるので、やはり例にはならないでしょうね。でも、あのギリシャ都市国 家の独立性は、あのバルカン半島の地勢的な条件無くしてはなりたたなかっ たと思うのです、都市国家としては、独立していても共通の外敵に対しては まとまって戦ったギリシャは最後まで一つの統一王朝とはならず最終的には ローマに飲み込まれてしまったのでしたっけ?とにかく、マケドニアのアレ キサンダー大王の時代以外は小国分裂状態ですよね、あるいは連合状態。 それと同じで、日本と韓半島の政治形態の違いは、日本が島国であることが 決定的だったと私は思っています。隣接する強烈な敵国が無かったために、 国内的には比較的ゆるやかな連合関係でいられたが、そのために内紛も抱え 込んだ、これは前すでに言ったことですね。 >>・・・とすれば「倭五王政権と磐井王政権」の関係は「豊臣中央政権と島 >>津地方政権」程度の力関係になるのでは無いでしょうか? ですから、これがたぶん私とAwaji氏の根本的に違うところだと思いつつ あるのですが、豊臣時代は確かに、秀吉が実権を握ったとしていても天皇制 というものが確固としてあって、それを認めた上での対立ですから、私は全 く別の次元ではないですか、と申し上げているのですが。。。 仮に、継体大王と磐井王の戦いで、磐井王が勝ったら、それなりの理由をつ けて磐井王は大王を名乗ったのではないでしょうか、ところが、戦国時代で は秀吉を破っても、関白になるか、征夷大将軍になって幕府を開くかはあっ てもそれは、天皇制下の官位というか職位の争奪戦なわけで、私は、そうい う意味で、両者は比べられない、と思っています。 >>水軍との共同・補給等の複雑な組織統制が必要であり これはおっしゃる通りで、水軍の確保は長く日本の王朝の至上命題だったよう に思います。すでに過去のログで、日本は緩やかな連合国家だった、と思うが、 西日本ではそれは少し違っていたかもしれないと言ったのはまさにこの部分で す。瀬戸内海沿岸の村などの人間の掌握は水夫の確保のためにかなり早い時代 から正確に行われていたようですね。しかし、それでも全体としては、私は緩 やかな連合国家だった、そう思うわけです。水運とその人手は、東アジアと畿 内を結ぶ水路上に点として把握されていたのではないでしょうか。それに対し て、陸の統治は面です。それは地方豪族の支配がメインであったと思うわけで す。つまり、交通の要衝には政府の直轄地のようなものを置いて、人身の直接 的な掌握がされていたと思います。 >>具体的想定が、良く分からないのですが・・・継体と欽明はどういった関 >>係なのでしょうか?このまま理解すれば・・・ 親子関係です。欽明は手白香(白髪)皇后との間にできた子供ではないでし ょうか。一方、安閑、宣化の母親は、目子郎女(尾張連娘)です。継体大王 が大和に入るに当たって、手白香皇女を娶った訳ですが、この皇女は明らか に応神朝の出自ですよね。 つまり、継体大王がいかに応神五世の孫であったとしても、所詮、一地方豪 族を両親に持つ子供である、安閑、宣化と、それなりに由緒ある手白香皇后 の子である欽明の皇位を巡って中央の豪族たちの間にさまざまな思惑は当然 あったと思いますし、継体大王の権威が衰えていると感じられるときに、そ の後継を巡って争いが起きたとしても不思議はないと思うのは、その後にお いても、こうした皇位継承における内紛が頻繁に起きているからです。この 時代だけは聖人君子のごとく整然と継承が行われたとは考えにくいのですが。 >>百済本記(百済本紀ではありませんね。) 私も最初アップロードするときにあれ、「記」だったかな、と思って、手元の 日本書紀、講談社学術文庫の下巻をパラパラめくっていたら百済本紀という記 述を見つけたので、あ、これでも良いのかと思って そのままにした次第です。 今読み返したら、欽明朝の記述ではすべて「紀」で書かれているようですから、 どうやら原典でも混合して使っていたのかもしれませんね。私は原典というか 原文を見ていませんのでこれ以上は何とも言えませんが、どうでしょうか? もちろん、継体朝での記述は「記」であくまで書籍に忠実に言えば、上の文脈 ではこの「記」を使うべきだったと思います。 <(_ _)> Time : 1999/ 7/26(月) 22:05:29
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「継体の出自」?? Comments: やまさん、今日は。寝不足気味のAwajiです。 暑さと、某氏との議論によって・・・?一寸勘がズレていたようです。 継体・欽明関係は、基本的には「書紀尊重論」でいらっしゃる訳ですね。 >>天皇の血統についてですが、継体大王の血筋はどうかわかりませんが、 >>継体大王が大和の手白香皇后を娶っているのでつながっているのだとは >>思います。その結果百済本紀によるように、継体とその皇子(安閑、宣 >>化?)があるとき同時に亡くなった、というのは応神の血を引く欽明天 >>皇が皇位を奪ったと、考えて・・・ この表現から・・・継体・欽明についても親子関係を疑問視されているの だと誤解しました。欽明と安閑、宣化に関して、大王家の宿命とも言うべ き兄弟間の継承争いが窺えると言うことならば、特段異論はありません。 >>つまり、皇位を誰が継ぐかに関しては曖昧さがあり、それが常に王権の >>不安定要因になっていたと思います。 大王(皇)位継承順位に曖昧さがあったのは、異論がありません。 ただ継承関係の不安定さは、王権の不安定さとは別の問題だと思います。 中国歴代皇帝でも継承争いは絶えませんでした。逆に帝(王)権が強大化 すればするほど、継承争いが激化することもありますので・・・・ 要するに地方勢力が王位継承に関与したのではなく、王位継承権者の相克 に、中央豪族勢力が関与したと見るべきだと思いますが・・・・ >>仁徳天皇が、国民の貧困を知って、徴税を3年中止したというお話があ >>りますよね。あのとき仁徳天皇が国民の景気の判断を山に登って、民の >>家から煙が立っているのを見て判断されている、・・・飽くまで、イメ >>ージの問題ですので。 別に突っ込むつもりはありませんが・・・Awajiは河内・和泉に林立する、 あの馬鹿デカイ古墳群が物語る大王権の巨大さをイメージしています。 要するに近親者(子孫)の証言(書紀)よりも、古墳群と言う物証を重ん じたいと思うのです。(^0^)" 他の地方にも巨大古墳はありますが古墳群総量で見れば、全く比較になら ない規模ですね。このことが大王家と地方豪族(王?)の権力の懸隔を示 していると思うのですが、如何でしょう? >>私には、卑弥呼から応神がどうつながるかは全くわかりません、しかし >>応神王朝時代においても、内紛はかならずしも収束していなかったと考 >>えているのです。 卑弥呼と応神のつながりについては、諸説が有りうるでしょうね。 (Awajiは既に申し上げたとおり、同一家系と見なしていますが・・・) しかし、「魏志東夷伝」における「倭国」をどの様に判断するかと言うの は、この問題とは切り離して論じ得ます。 此処に記述された「邪馬台国女王」は、それが大和ならば勿論・・・九州 であったとしても、三十ヶ国連合に君臨する最終段階を示しているように 思います。 Awajiは魏志を全て信じているわけでは有りませんが、大筋として3世紀中 頃の倭連合国家の姿を記述していると考えていますが、やまさんは架空記 述説ですか? また、公開土王と南韓で覇権を争ったのは、概ね応神前後だと思いますが、 筍の背比べ状態の連合王国盟主が渡洋作戦を継続実行し、百済・新羅と言 うレッキとした王国から王子を人質を取り得るものでしょうか? Awajiも応神については、書紀が記述するとおり明らかに大王位継承戦争が あったと思います。・・と言うより同一王族内部の大王位簒奪戦争と見る べきだと思っています。 その意味での内紛ならば良く分かるのですが、別家系の大王位争奪内紛と する根拠が分かりません。全く別家系ならば、それを正当付ける別の形で の大王家系伝承が残された筈だからです。 >>大王の皇位継承を日本書紀では応神王朝の時代など整然と行われたかの >>ように書いていますが、私は、その辺「はいそうですか」、と簡単にう >>なずけないのです。 Awajiにはあまり整然と行われたと言う印象はありません。むしろ継承権者 間の相克はかなり激しく記述されていると思います。(仁徳しかり・・) しかし、飽くまで同一家系の王族間の争いに大豪族が絡んだもので、他の 家系が大王権を伺った形跡は殆ど見られないと思いますが・・・ >>私は、これは単純に、日本は島国だったから。と思っておりますが。 >>韓半島は常に、中国と大陸でつながっており、その強大な軍事力の影響 >>を受けていたので、中央集権化という必要性に強く迫られていたと思い >>ます。 島国ではあっても、常に南韓情勢を睨み、これに関係(干渉)していると は思われませんか?  仮にそれを認められるならば、島国と言うことは 理由にならないと思いますが・・・ >>仮に、継体大王と磐井王の戦いで、磐井王が勝ったら、それなりの理由 >>をつけて磐井王は大王を名乗ったのではないでしょうか、ところが、戦 >>国時代では秀吉を破っても、関白になるか、征夷大将軍になって幕府を >>開くかはあってもそれは、天皇制下の官位というか職位の争奪戦なわけ >>で、私は、そういう意味で、両者は比べられない、と思っています。 磐井が勝利すれば、倭国(継体)から完全に独立し単独王国となるか、或 いは継体を倒し、倭国の大王となるか何れかでしょう。 島津が秀吉に勝利すれば、中央の干渉を排した独立的地位を保つか、或い は秀吉を倒し、関白か征夷大将軍になるか何れかでしょう? >>天皇制下の官位というか職位の争奪戦なわけで、私は、そういう意味 >>で、両者は比べられない、と思っています。 Awajiは官位・職位の争奪とは思いません。要するに実質的な最高権力者と 言う地位の争奪戦であり、一面では中央権力者と地方権力者の支配従属関 係を巡る争いだとおもいます。この観点に立てば、両者は殆どパラレルだ と思いますが・・・・ >>これは日本にユニークな状況だった、と言ってすましても私は全くかま >>わない、とも思いますが。。。 >>でもまあ、敢えてあげれば、ギリシャの都市国家が似ているかもしれま >>せんと言えるでしょうか? 皮肉ではなく、ギリシャと言うのは凄い発想だと思います。(確かに中世 以降で見れば、日本は東アジアよりも西欧に近似的ですね。これについて はAwajiなりの解釈を持っていますが・・・・) しかしながら、Awajiは基本的に同一地帯(東アジア)、同一産業(定地性 農業)における、各国家は、特別な事情が無い限り、まず類似的状況を想 定するべきだと思います。(特別な状況を否定する訳ではありませんが、 それには明確な根拠が必要でしょう) 何故に時代・人種・文化・政体・・・あらゆる状況が異なるギリシャを引っ 張り出さねばならないのでしょうか? 基本的には、まず相互に近接し交流がある国家との類似性を推定するのが 自然ではないでしょうか?? >>隣接する強烈な敵国が無かったために、国内的には比較的ゆるやかな連 >>合関係でいられたが、そのために内紛も抱え込んだ、これは前すでに言っ >>たことですね。 隣接する強烈な敵国が無かったために、その地に支配権を及ぼそうとして、 外征までしているんですがね・・・・構造的に内紛を抱え込んだ国がそん なことをするのでしょうか?? ところで、要するに・・・継体は応神に繋がる王族家系と、お考えですか? それとも王族家系とは無関係な単なる地方豪族と、お考えですか? 後者とお考えならば・・・何故に越前あたりの地方豪族が、大王位に就き 得たと思われますか? (古墳等から見ても、さほど巨大勢力が有ったとは思えませんが・・・) Time : 1999/ 7/27(火) 23:39:33
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 継体大王について Comments: みなさん、こん@@は。新庄やりましたね!後半戦の弾みにできたら最高です。 Awajiさん、やまさん、こんばんは。嵐が過ぎ去った後のようですね。 継体と、それ以前の大王家との繋がりについてなんですが、100%記紀の通り かどうかは、私にはわかりませんが、必ず血統が繋がっているいると思います。 血の濃さというのは薄かったのかもわかりませんが、応神以降の大王と血統的な つながりはあったと思います。 継体が全く違う血統の出身だとすれば、外戚としての権勢を振るう事しか出来な かったのではないでしょうか?継体に限らず大きな勢力を維持した半独立勢力は 他にもあったと思います。その中から越という遠隔地から移動してきた大王が、 前王の血筋の女性との婚姻があったとはいえ、新しい大王として大和の豪族達に 認められるものなのでしょうか? もし、認められるとしたら余程の巨大な軍事力を背景にしていたという事しか今 の私には想像できません。継体の時代、越の国は日本海文化を背景にした出雲と 同じ程度の勢力だったと想像しています。この勢力が他に先んじて大和入りを果 たし得た理由は、継体自身がもともと大和王権の血筋を持っていたという事だと 思います。 Time : 1999/ 7/28(水) 00:10:07
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: しばらくご無沙汰しております。 本格的に「上代特殊仮名遣い」の研究をはじめ、いまは言語学・国語学関係 から攻めていますが、これから史学関係の文献にあたろうと思います。 そこで質問ですが、 @最近の日本古代史の研究書で、Anonさんのような「異端的」な説まで 含めて網羅したよい本があったら教えてください。特に参考文献のいっぱい出ているもの。(出来るだけ新しいものがよい) A「三国史記」の文庫本があるのでしたら、出版社を教えてください。 B日本武尊の熊襲・隼人征伐は神話でしょうが、史実としてはいつ頃行われたというのが定説でしょうか? C「やまさん」との間で継体朝と河内王朝との連続性について論議されていますが、それはともかくとして、河内王朝に比べ、継体朝以降倭国は朝鮮半島への介入に消極的になっているように思えますが、任那が滅亡したから消 極的になったのか、消極的になったから任那が滅亡したのか、どちらだとお考えになりますか?それとも消極的にならざるを得ない国内事情でもあったのでしょうか? 以上、お暇でしたらお教え願います。 Time : 1999/ 7/28(水) 19:13:09
Name : やま E-mail : Title : 継体大王の時代 Comments: Awajiさん、勇者ロトさん。毎度お騒がせしております。 >>暑さと、某氏との議論によって・・・?一寸勘がズレていたようです。 >>継体・欽明関係は、基本的には「書紀尊重論」でいらっしゃる訳ですね。 (^^ゞ 私も前の議論が白熱していた上にテーマが近いので誤解を受けないよう に慎重に話していたつもりだったのですが。。「日本書紀尊重論」というか、ま あ他にはあまり知らないというのが正確なのですが。。。 さて、毎回私の回答に対する Awajiさんのレスに一つ一つ答えていくと、段々 お互いに文が長くなって来るようなので、この辺でちょっと問題を絞りたいと 思いますがよろしいでしょうか。もちろん、回答を避けるという訳ではなくて テーマごとに複数のレスにしようと思います。それによって時間はかかるかも しれませんが、まあ、すこしゆっくりやりませんか。(笑) ここまでで、見えてきた問題というのは、 1.継体大王は応神の血を引くか? 2.天皇制とは何か? 3.当時の韓半島と日本の関係 が、私にはあるように思うのですが、 まず、問題1が、最初に Awajiさんが提起さ れたものです。そして、それに関しては、私は、その辺の歴史書や歴史解説書の知 識しか持ち合わせておらないのです。ですから私としては、語ることはあまりありま せん。しかし、こういう議論の中で、私の中で曖昧になっている諸説が少しずつ合理 的に筋道を立てて頭の中で整理されていくのでおもしろいですけどね。 2は、おそらく Awajiさんと私が根本的に意見が食い違っているというか、たぶん認 識が全然違うかもしれないところだと思います。 3は、一番最近に出てきたお話で、この辺のお話をされると実は私は非常に弱い(笑) というか、ぶっちゃけた話、ほとんど知らないのですが、まあ、なんか思いつくまま 話しますけど、笑わないでくださいね(笑)もう、自分で笑ってますけどね。。。 さて、そうこうしている内にもどんどん文章は長くなってしまいますから、そろそろ 本題に入りますけれど、今回は、勇者ロトさんも入られたので、継体大王問題だけに 限らせていただきます。 まず、結論から申しますけど、私は、継体大王、別王朝論を取ります。これはすでに 過去のログで何回か言ってますよね。 その場合には、中央大和に対する巨大勢力はどこか、ということになりますが、これ は尾張連ですね。継体大王(ヲホド王)の最初の奥さんの目子媛の出てきたところで す。Awajiさんが当時の大王の古墳をその勢力を示す指標として挙げておられますが、 この尾張連の拠点には、6世紀の初めの古墳として断夫山古墳(全長150メートル )そして、味美二子山古墳があります。あとは当然、近江の勢力も継体大王に合流し ていたと思います。 もちろん、仁徳陵には遠く及びませんが、大和の王朝の墓もこれを境に段々小さくなっ ていますから、6世紀としては地方豪族といえどもけして小さな古墳ではないのではな いでしょうか。そういう尾張連をバックにヲホド王は中央に挑んだのだと思います。 これは後の、大海人皇子が不破の関で東国の勢力を味方につけて(私は、この東国の勢 力を伊勢近辺の勢力だと見ていますが)勝利するのに似ていておもしろいと思いません か? しかし、一番は、武烈天皇のところで、天皇が自ら跡嗣ぎがいない、と言っているこ とですね。実際には手白香皇女が仁賢天皇の娘としているように、5世もさかのぼれ ば、当然、何人かの皇子もいたと思いますし、後宮に何人もの后を迎えたであろう古 代の天皇の皇子が全く絶えてしまうということは考えにくいと思います。そのときに、 わざわざ近江から5世の孫という遠縁の王を大和に招くのも不自然だと思います。王 朝が絶えたのは事実だが、それは単純に跡継が大和内にいなくなったからではない、 そう考えています。 純粋に後継問題だけならば大和でやりくりできたであろうところを、この越の大王が 出てきたのはやはり王朝の交代と考えた方がよいと思います。そんな紛争の中で、よ く韓国の経営までできたな、と言われますが、当時の国家統一形態が、地方分権的な ものだからこそ、中央での王朝交代があっても全体としてはそうバランスを崩すこと は無かったとも言えると思います。つまりある程度の紛争は常に折り込み済みだと言 うことです。大王内部の紛争であれ、大王と地方の王の紛争であれそれは同じだった のではないでしょうか。 力で国家を統一していた応神王朝は、地方分権的な国家体制の中で、応神、仁徳の時 代には絶大な権力を発揮したものの、小さな紛争を繰り返してゆく中で弱体化し、そ こに近江、越、尾張連合軍の継体が王朝を交代した。そういうふうに見ているのです。 こうした紛争で、応仁王朝も、武烈のころには疲弊し弱体化したとすれば、地方豪族 の連合軍に負けてもおかしくないと私は思いますけどね。 更に、任那について言えば、私は、当時の大王がある意味で直轄していたと考えられ る島々が結ぶ水路の一方の端にあったのが任那だと思います。つまり、任那から瀬戸 内海を経て難波に至るこの水路上の拠点は基本的に大和王権の直接の支配下にあった と考えるのが自然でしょう。従って、継体大王が手白香皇女を娶って大和に入った段 階でこの経路にある島々とその終端にある任那は継体の管轄に移ったと考えて良いと 思います。 磐井王は新羅と同盟した際に、その水路を九州北部を遮ったと思われ、その意味では 磐井の反乱を押さえることと任那の統治は同一の問題であった訳で、この紛争と韓半 島経営は切り離せる物ではないと思います。紛争の中で韓半島の経営が有ったわけで はなくて、継体が大和入りした段階で北九州での韓半島経営を巡る紛争が勃発したの だ、そういう風に私は見ています。 Time : 1999/ 7/28(水) 23:10:27
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 王朝交代説とは? Comments: みなさん、こん@@は。やまさん、Awajiさん、私は継体についてよくは知ら ないので、私の意見は質問のようなものだと思ってください。 別王朝ということは、朝廷の構成が大幅に変わることだと思っています。 継体が大和入りしてからの大きな変化は息長氏の勢力が伸びたという事だけのよう な気がしています。前王朝時代からの臣・連はそのまま継続されていたのではない でしょうか?つまり朝廷内に大幅な変更が行われなかったという意味です。 継体の場合は、王朝交代というほどのフルモデルチェンジでなく、大王(継体)の 交代にともなうマイナーチェンジ(阿部氏、息長氏の勢力伸長)といえるのではな いでしょうか? Time : 1999/ 7/28(水) 23:59:00
Name : やま E-mail : Title : 王朝交代 Comments: 勇者ロトさま。 一言だけ、今、ここで問題になっているのは、継体天皇の血筋の問題だと 心得ているつもりです。 従って、王朝の交代というのは別の血筋の人が 大王になったというだけのことを言うのに用いているだけで、その組織 云々については残念ながら念頭においていません。 地方分権的な体制に置いては、位階などは世襲だと思いますし、 そういう意味では急に変更することはむずかしかたっと思います。 つまり、大陸的な異民族によるような王朝交代ならばドラスティックな 変化もあり得ますが、ほぼ同じ民族の間の交代ですから、そういうこと はおこりにくいのではないでしょうか。 Time : 1999/ 7/29(木) 00:24:18
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「家系の断絶」 Comments: やまさん、勇者ロトさん、今日は。Awajiです。 やまさんの「継体別王朝」説の基礎には、仁徳系が断絶したことに 対する疑問がある様に思います。 >>後宮に何人もの后を迎えたであろう古代の天皇の皇子が全く絶え >>てしまうということは考えにくいと思います。そのときに、わざ >>わざ近江から5世の孫という遠縁の王を大和に招くのも不自然だ >>と思います。王朝が絶えたのは事実だが、それは単純に跡継が大 >>和内にいなくなったからではない、そう考えています。純粋に後 >>継問題だけならば大和でやりくりできたであろうところを、この >>越の大王が出てきたのはやはり王朝の交代と考えた方がよいと思 >>います。 そこで、直接対比させるのは如何なものかと思いますが(御三家、 御三卿という特殊性があります)家系が明確な「徳川家」における 継続性を見ると・・・ 秀忠系は、2世「家綱」「綱吉」、5世「家継」において直系継承 が果たせず、遂に頼宣系の「吉宗」に移行しています。つまりは秀 忠系は5世にして断絶しているのですね。 その吉宗系も2世「家治」、5世「家定」で直系継承が途絶え、傍 系「家茂」・・・さらに頼房系?「慶喜」に移行します。 つまり、極めて大雑把に言えば・・秀忠=仁徳、頼宣=若野毛二俣 と考えれば、ほぼ類似の事態が生じていると考えられます。 しかも秀忠系内部においては、継承に関する相克は見られませんが、 仁徳系内部においては、履中系と允恭系の相克が明らかであり、こ れが仁徳系の人材を枯渇させ、断然を早めたと思われます。 天武系とて、近親同族を排斥し過ぎたため結局4世にして断絶し、 天智系に移行していますね。 Awajiはこれらの点から見ても、仁徳系が4世にして断絶しても、然 程の不自然さは感じないのですが・・・・いかがでしょう? しかし書紀自体が記述する様に、傍系王族は全国に点在していたと 思いますが、その中で何故に継体が選ばれたのか・・・・ その辺になると、個人の資質とともに係累等の力関係もあったと思い ます。 家康@ │ 頼宣ーーー秀忠Aーーーーーーーーーーー頼房 │ │ │ XX 家光B │ │ 吉宗G 家綱Cーー綱吉Dーー綱重 │ │ XXーーー家重HーーXX 綱豊 │ │ │ │ XX 家治I XX 家宣E │ │ │ 家斉J XX 家継F │ │ 家慶K (XX) (XX) │          │        │ 家定L 家茂M       慶喜N 15 応神 │     16                 (若野毛二俣)ーーー仁徳 │       │17    18   19        (意富富抒) 履中ーーー反正ーー允恭       │        │        │20 21    (乎非)      (市辺押磐)     安康ーー雄略     │   │23  24 │22    (汗斯)   顕宗ーーー仁賢  清寧 │26      │25            継体      武烈ーーー<手白香>  34     舒明 │38               40   天智ーーーーーーーーーーーーーー天武    │    39  41   43  │          (施基)ー弘文ー<持統>ー<元明> (草壁)ーーーー(舎人) │49       │42  44  │47 光仁              文武ー<元正>  淳仁         │50            │45  桓武              聖武 │51              │46 48      平城             <孝謙/称徳>                                 >>地方分権的な体制に置いては、位階などは世襲だと思いますし、 >>そういう意味では急に変更することはむずかしかたっと思います。 この問題については、ロトさんと同意見です。 王朝交替においては、その王朝を支える権力構成が変わるのが当然です。 やまさんが想定されているように、尾張氏等の武力を背景に応神系王朝 を打倒し継体王朝が成立したのならば、当然新王朝を支える勢力は尾張 氏中心となり、応神王朝を支えていた物部・大伴・葛城(蘇我)等の旧 勢力は凋落するはずです。 (それが期待できないならば、尾張氏が継体を担ぎ、旧王朝と武力対決 するリスクをおかすことは有り得ないでしょう・・・) 仮に継体系内部で、欽明ー安閑・宣化の対立があったとしても、王朝創 業の尾張氏は、新王朝において然るべき地位を獲得する筈でしょう。 これは、同民族内であろうと無かろうと人間の権力欲に基づく、否定出 来ない鉄則です。 中国・韓国における同民族的王朝交替、日本における実質最高権力交替 においても、これは明らかでしょう・・・ (平家→源氏→北条→足利・・・織田→豊臣→徳川) しかしながら、本件においてはその様な権力構成の根本的変化は見られ ません。つまりは、王朝交替に類する事態は無かったと考えざるを得な いのです。 また、継体が応神系で無いならば、祖先(祖神)を偽っていることにな りますね。これは現代人の感覚では然程のことも無いかもしれませんが、 古代人にとっては重大問題でしょう。 その様な欺瞞を継体が敢えて行い、それを周囲の同族が承認するでしょ うか?それならば、むしろ継体祖先中心に倭国の歴史(伝承)を再編す る筈では無いでしょうか? 仮に系譜を偽るならば、何もワザワザ5世孫と言わず、清寧の子とでも 安康の孫とでも何とでも言える筈ですね。何故王族とも言えない5世孫 と言ったのか? これらの諸点を冷静に考えれば、継体は応神5世孫の家系であったと考 えるのが最も整合性があると思うのですが、如何でしょうか?? Time : 1999/ 7/29(木) 22:06:09
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 継体関連ですが,単なる自己満足かな? Comments:  お騒がせの方が後始末もせずに去ってしまって,困りますが, 静かに議論は進んでいるようですね。 (学生さんたちは夏休みで帰省かな?)  継体天皇を巡る議論,楽しませていただいておりますが, 何せ知識不足で意見を挟む余地がありません。 自分なりに日本書紀を読んでいますが,無知をさらに自覚するのみでした。  でも、収穫はありました。Awaji様から禅宗テーゼをめぐって 「天皇自ら農業に手をつける」という指摘をいただき, 労働尊重精神がかなり古くから有ることを改めて感じましたが, なんと,継体天皇自らが,詔していたのですね。 Awaji様などは良くご存知でしょうが,小生のように 初めて知る方もいると思いますので,宇治谷孟氏の訳ですが, 引用してみます: 継体元年3.5.「男が耕作しないと天下はそのために飢えることがあり, 女が紡がないと天下はこごえることがある。だから帝王は自ら耕作して, 農業を勧め,皇妃は自ら養蚕をして桑を与える時期を誤らないようにする・・」 もちろんそのように詔させる背景はもっと古いものでしょうが、 このあたりが一応のルーツとみなせるのでしょうか。 その意味でも,継体論議は興味を持って見ています。 Time : 1999/ 7/30(金) 09:55:11
Name : やま E-mail : Title : 継体大王の右腕 Comments: Awajiさん、勇者ロトさん、そしてみなさん、こんばんわ Awajiさんの応神王朝の系譜の説明ありがとうございました。おっしゃること はごもっともですが、もう少し継体別王朝説で話させてください。私は別に 継体大王は絶対に別王朝だ、と言い張るつもりではないのです、なにしろ問題 がかなり微妙だと思いますから、ちょっとしたことで血のつながりはあるとも 無いとも言えると本心は思っています。ただ、それでは議論になりませんから そういう意味で私はもう少し別王朝説を貫こうと思います。 >>この問題については、ロトさんと同意見です。 >>王朝交替においては、その王朝を支える権力構成が変わるのが当然です。 それはその通りです。ただし、私には、当時の中央の大豪族というのがしかと わからないのです。大伴氏しかり、物部氏しかり、蘇我氏に至っても、どうな っていたのか良くわからない。しかし、この問題が重要なのは事実で、私とし ては、先に提起した三つのテーマの内の2番目に関わる問題だと思って、その ときに触れようかと思っていたのですが、テーマがテーマだけに手に余るかな と躊躇というか自分でもまとめきれるのか、そういうふうに思っておりました。 しかしながら、いろいろ考えて、ちょっと思いつくことなど段々増えて参りま したので少し自分の考えを述べてみたいと思います。もちろん、かなり自説が 入っていますから、「トンデモ」な理論かもしれないことはご承知おきくださ い。 まず、当時の王朝交替において、その権力構成が変わった節が読みとれる部分 が二つあります。一つは書記から、そして一つは当時の尾張氏ゆかりの地の所 在からです。 まず、書記では中央でどのように政治が変わったと、そういうことは書かれて いませんが、継体が大和に入ってすぐに近江毛野臣を任那に派遣しております。 先述した通り、任那は大和王権の直轄地ですから、ここに継体の地元の臣下で ある毛野臣を使わせたのは、はっきり言ってこれは権力構成の変化を明確に示 す事実であると思います。 更に、尾張連は、伊勢湾の海部をまとめる豪族だと思われますが、この尾張氏 と関係のあると思われる神社、地名が瀬戸内海沿岸に点在していることです。 これはある時期に尾張氏がこの沿岸の海運を担ったことを伺わせる証拠だと思 いますし、尾張氏の古墳の状況から見て、6世紀の尾張連草香のころの時代に この海路での覇権を広げたと考えるのが合理的だと私は思っています。 以上二点は、少なくとも尾張氏と近江毛野臣といういずれも継体大王に近い氏 族が大王家の政治の非常に重要な部分を担った証拠と見て良いのではないでし ょうか。そしてこのような体制を認めるだけの中央での体制の変化も当然あっ たと見るべきだと私は思います。 さて、ここでちょっと話の矛先が変わりますが、時代を遡って、崇神天皇の逸 話に国に疫病が流行ってそれを鎮めるのに大物主大神を祀ったというのがあり ます。この神を祀るに当たって、太田田根子が抜擢されますが、この人は大物 主大神の子孫ということになっています。これをどうみるかについての諸説は あるかもしれませんが、私はおそらく、崇神天皇が滅ぼした敵の中に大物主大 神を祀っていた一族(三輪氏系?)がいた。それが祀る人がいなくなったため に祟りがおき、やむを得ず子孫の太田田根子を探し出し祭祀者として迎えた、 という話だと理解しています。 つまり、皇統に限らず、当時の社会ではそれぞれいたと思われる一族が祀った 神を祀る人がいなくなる(つまり血筋が絶える)ということは、少なくとも日 本では、一大事だったのだと思います。祀られない霊は祟る、これが一つ、日 本人のコスモロジーの根幹にあると思います。従って、日本の王家は、中国な どと違って?王家の血筋を根絶やしにする、そういうことはなかなかできなか ったのだと思います。 そして上述のような怨霊思想に支配されていた日本人は、倒した敵の祭祀を自 分たちの中に取り入れるということを積極的に行ったのだと私は考えています。 そして祭祀者にはその神を祀っていた王の親族か、またはその王と関係の深い 地元の豪族が行ったと思います。そのために権力の交替というものがはっきり と見えにくいのではないか、そういう思いがあります。 失脚した権力者は、あの世で政治を執る、つまり祀りの世界はそういう世界だ と思います。だから、あの世から下手に現世に戻ってこないように、それを祀 る人が必要になり、そういう祭祀者を亡くなった権力者の子孫や臣下から選ん だのではないか、と思いますし、そういう人たちは、仮に宿敵だったとしても、 そう簡単に殺せなかったのだと思います。 さて、ここまでぐだぐだ語って、では継体の第一の部下は誰なのか?確かに祭 祀は習合しても実際の権力者はやっぱり変わったろう、特に中央での権力の中 心人物が判らなければだめだ、という話は残るので、ここからがトンデモの始 まり始まり。。 私は、中央で継体について権力を握ったのは蘇我氏だったと思います。馬鹿を 言うな蘇我氏は、大和の豪族じゃないか、そう言われる方がほとんどだと思い ますが、安閑、宣化両天皇の名前がそれぞれ、勾大兄皇子、桧隈高田皇子と、 いずれも蘇我氏ゆかりの地と考えられる、曲、桧隈の地名を冠している点、宣 化天皇の記述には、明らかに蘇我大臣が名前を連ねているところから100% 嘘だとは言い切れないのではないかと思います。応神王朝の中心的な中央豪族 はそういう意味では大伴氏と物部氏だと思います。 この蘇我氏と継体がどこでつながったのか、そういうところがわかりませんが、 とにかく蘇我氏は継体の第一の臣となった。臣下になったのは、大和入りする 前だと思います。後に皇位争いが欽明と継体、安閑の間に起きて、この大王と 皇子が相次いで亡くなった。継体の皇統はわずか一代で絶えた訳ですが、これ を祀る人物は必要になる、そこで蘇我氏(と宣化?)がこれを祀る役割を担っ た、そして継体が信奉した宗教というのが仏教だった。こういうことは、継体 大王が別の血筋だったと考えた方が理解しやすくありませんか? こうすると、欽明朝でことさら蘇我氏に仏教崇拝を認めたと記述している理由 が判ると思います。欽明朝に仏教が伝来したとありますが、実際はそうではな くて、継体が亡くなったために、継体の信奉していた仏教で霊を祀ることを大 王家として認めなければならなくなった、そういう経緯が後になって仏教の伝 来という話に変化したのだと思います。本当は亡くなった継体王家(もちろん 宣化は生きていてもかまいませんが)の祭祀者として蘇我氏を承認した事件だ ったから重要だったのではないでしょうか。 その後、仏教が中央政府に普及してしまって、もはや仏教を認めないという訳 には行かなくなっている訳です、その段階では蘇我氏の仏教への貢献という物 も一般に、認知されてしまっている。 しかし、継体が仏教信奉者だったなんてことを言ったら、皇祖神を祀る万世一 系の系譜を重んずる後世の天皇家としては具合が悪い、そこで欽明天皇のとこ ろで仏教が渡来した、とそういう逸話を入れる必要があったのではないでしょ うか。継体が死んで、その仏教を蘇我氏が祀った、なんて書いたら、そこで何 が起こったかばればれになってしまう。だから隠したのだ、そう思います。 皇族間の争いなら、もっと後の壬申の乱があるではないか、あれはどうなのだ とも言えますが、これは宗教的に見ても親族間の争いですから、まだ血統に疑 問の入る余地は少なかったのだと思います。 さて、ここまで考えてくると、なぜ権力争いにおいて、後世に出家することで 難を逃れられるという考えが出てきたのか、なぜ善光寺が余善光の寺になるの か、そういうことに自然と納得のいく説明ができるように思われます。 余善光というのは、言ってみれば百済の最後の王の遺族です。もちろん、善光 の子孫はいても失われてしまった百済の地の王の霊を祀る必要が余善光という 存在によって生じてきたのではないでしょうか。更に百済から来た人々を20 00人近く東国に住まわせていますが、私はこれが信濃の地であってもおかし くないと思います。 もちろん、善光寺は最初は蘇我氏との関わりで考えていた訳ですが、なんか、 継体大王だとかそういう諸々と併せて考えているうちに、こんなん出てきまし た。ちょっと話がそれてしまったかもしれませんが。。。 Time : 1999/ 7/30(金) 22:15:32
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「参考文献」??(・_・;) Comments: 游惟さん、お久しぶりです。Awajiです。 Awajiのような仏像オタクの興味本位の「古代史遊戯」では無く、研究と なれば大変でしょうが・・・頑張ってください。 取り敢えずですが・・・ >>@最近の日本古代史の研究書で、Anonさんのような「異端的」な説ま >>で含めて網羅したよい本があったら教えてください。 >>特に参考文献のいっぱい出ているもの。(出来るだけ新しいものがよい) 申し訳ありませんが、一寸無理だと思います。 Anonさんの議論の基礎は、ご自分でおっしゃっているとおり、 「古代朝鮮と倭族」−鳥越憲三郎著ー中公新書 等だと思いますが、 論旨は全く違っており、本編はユニークな視点から倭族を捉えた興味有る 仮説です。要するにオーソドックスな歴史学者の所説と、いわゆる「異端 説」は現時点では全く別ジャンルですので、双方を網羅した本は無いと思 います。 Awajiが主として参考にしているのは(残念ながら最近説とは言えません) 日本の古代(全15巻 別巻)ー中公文庫 (第14巻「ことばと文字」に言語学的考察があります) 日本の歴史(全26巻)ー中央公論社 日本書紀(全5巻)−岩波文庫 古事記ー岩波文庫 主として以上の書籍ですが、おそらくこれらを一読されれば、必要最低限 の基礎知識は掴めるのではないでしょうか?(参考文献も概ね記載) その他としては・・・ 正史 三国志(全8巻)ーちくま学芸文庫・・第4巻 「邪馬台国」はなかった 他ー古田武彦著ー朝日文庫 日本史探訪(1〜18?)ー角川文庫 日本の古代遺跡(全60巻)ー保育社・・・の一部 XX県の歴史散歩・・・・の一部 日本の中の朝鮮文化(全8巻)ー金達寿著ー講談社文庫 東アジアの古代文化ー大和書房・・・の極一部 (これはカナリ異端説が出ていますし・・最新説もあります) その他・・・講談社現代新書・講談社学術文庫・中公新書・岩波新書いろ いろです。最新説はやはり大学の論集等で見るしかないと思います。 >>A「三国史記」の文庫本があるのでしたら、出版社を教えてください。 三国史記倭人伝ー佐伯有清編訳ー岩波書店 (極く部分的です。) 三国史記全訳ー井上秀雄訳ー東洋文庫 古代朝鮮ー井上秀雄ーNHKブックス が参考になると思います。 >>B日本武尊の熊襲・隼人征伐は神話でしょうが、史実としてはいつ頃行 >>われたというのが定説でしょうか? 単なる神話とする説から、何らかの史実の反映とする説(少数)まであり 定説は無いと思います。 C「やまさん」との間で継体朝と河内王朝との連続性について論議されて いますが、それはともかくとして、河内王朝に比べ、継体朝以降倭国は朝 鮮半島への介入に消極的になっているように思えますが、任那が滅亡した から消極的になったのか、消極的になったから任那が滅亡したのか、どち らだとお考えになりますか?それとも消極的にならざるを得ない国内事情 でもあったのでしょうか? Awajiの印象ですが・・・ 1.基本的に友好国であった「百済」が「高句麗」の圧迫により劣勢とな った。・・・475年漢城→熊津遷都(倭武王時代) 2.基本的に対立国であった「新羅」が「高句麗」の支援により優勢とな った。・・・503 年新羅王制の採用、任那に勢力拡大 (飽くまでも、基本的に・・・であり状況は様々に変化していますが) 3.雄略以降、倭王継承争いが深刻(混乱)化したが、傍系の継体の大王 即位と言う異常事態もこの結果であり、伝統支配(或いは世襲・血統 カリスマ)力が弱体化した。 そのため磐井の反乱等の国内情勢が混乱し、内政整備優先のため外交 余力が低下した。また外交路線も統一性を欠き半島諸国の信頼を失っ た。 4.これらの結果「新羅」の「金官国」併合、「百済」「新羅」の抗争等 に際しても、有効適切な対応が出来ず、任那全域にわたり「新羅」勢 力の浸透を招いた。(欽明期 554年百済聖明王戦死、562年任那滅亡) ・・・以上極めて大雑把に言えば、倭国の半島における勢力は、百済・新 羅が国家体制を確立するに従い・・・応神(神功)以降・・・徐々に退潮 を余儀なくされた。これを補うためには百済との連携(支援)が不可欠で あったが、海外出兵は容易ではなくタイミングを失することは避けられな かった。さらに国内的にも王位継承が円滑を欠き、外交余力が弱体化した。 と言う両面があったと思います。敢えて言えば・・・韓半島南部が弱体で あってこそ倭国が一定の勢力を保ち得たのであって、百済・新羅が強力に なるに従い、後退したのは当然だとおもいます。 聖徳太子が新羅出兵を断念した時点で、この方向はほぼ決定的になったの ではないでしょうか?(隋・百済と連携し、高句麗・新羅と対決していれ ば、状況は変化したかもしれませんが・・・その結果は神のみぞ知るとこ ろでしょう。もっともAwajiは聖徳太子の新羅出兵はどちらかと言えば、 ブラフではなかったと思っていますが・・・) ・・・あまりお役に立たない雑感でスミマセン。<(_ _)>ペコ Time : 1999/ 7/30(金) 22:36:18
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 臣と連 Comments: みなさん、こん@@は。やまさん、Awajiさんこん@@は。 今日は、古代代王家と豪族の関係について考えを述べたいとおもいます。 私は、当時の巨大氏族は徳川幕府における外様大名と譜代大名のようなものに別れ ていたと思っています。 それは、臣=外様、連=譜代、というのに近い関係だったとおもいます。 臣には弥生時代から地方にあった王権勢力の後裔が任じられ、連にはかなり早い段 階(神武、応神の頃)から、大和の大王家(天皇家)に仕えた氏族があたっていた という事です。ですから蘇我臣と物部連では、存在意義自体が根本的に違っている と思っています。 蘇我は外様の代表であり、物部は譜代の代表という事です。 やまさんが例にとられた尾張は連姓でありますので、中央(大和)から地方に派遣 された形の地方勢力であると思われます(ちょっと強引です)。 継体大王の大和入りに際しても大伴連が深く関与しています。つまりこの時点では 大王家の継嗣問題に関しては臣姓の氏族より連姓の氏族のほうに主導権があったと いう事です。 臣姓の氏族は大王家との主従関係を半独立的に結んでいたという事も考えられます。 大王家は完全なる家臣ではない臣という豪族を朝廷内部に取りこむために連姓の豪 族にたいしてより、積極的に婚姻を結ぶことをしたのではないでしょうか? この婚姻政策を重ねるたびに臣姓の豪族は独立性を薄めていったのだと思っています。 ちょっと横道にそれたかもしれません。 Time : 1999/ 7/30(金) 23:53:38
Name : やま E-mail : Title : RE:臣と連 Comments: 勇者ロトさん。こんばんわ >それは、臣=外様、連=譜代、というのに近い関係だったとおもいます。 私も似たものを感じています。 >蘇我は外様の代表であり、物部は譜代の代表という事です。 私も同感です、ですから継体もそういう意味では地方豪族(つまり臣的性格が強い )と思います。ただし主従関係としては継体が上に立ったと思いますが、それは 継体が越、近江、尾張連合の長となっていたという実質的権力があったからだと 思ってます。 >やまさんが例にとられた尾張は連姓でありますので、中央(大和)から地方に派遣 >された形の地方勢力であると思われます(ちょっと強引です)。 これはどうでしょうか?私は感覚的に、尾張氏は地方豪族(国造)的だと思いますが 。とにかく応神朝の歴史の中で臣、連の力関係は継体の頃には大きく崩れていたと思 いますので、杓子定規に考えるのは却って誤解のもとだと思います。 例えば、宣化の時に蘇我臣は、尾張連に尾張の屯倉から食料を九州に運ぶようにとい う指示を出しています。地位的には蘇我氏のほうが尾張氏よりも上になっている例で す。 蘇我大臣と物部大連は欽明に至って肩を並べて権威を競っています。ここでは 臣、と連は新興勢力と守旧勢力ぐらいの差しかないと思います。 最終的に連である 物部氏が負けたのは歴史の記しているとおりだと思いますが。 >継体大王の大和入りに際しても大伴連が深く関与しています。つまりこの時点では >大王家の継嗣問題に関しては臣姓の氏族より連姓の氏族のほうに主導権があったと これは、連という問題より、中央政府の中枢にいたということだと思います。 この場合の大伴氏はやはり応神王朝を支えてきた氏族だという、そういう由緒は あると思いますが。 加えれば、私は継体が大伴氏となんらかの連携を取った時期が あったか、という問いにはかなり否定的です。大伴氏は、継体天皇が大和入りした 時期くらいから急速に凋落しているという様子が書紀の記述から伺えるからです。 >臣姓の氏族は大王家との主従関係を半独立的に結んでいたという事も考えられます。 国造が大王家と半独立的な主従関係だったというのは、そうだと思います。ただ、臣 、連というものに捕らわれていた人たちがいるとすれば、それは応神王朝の人たちで しょう。つまり大王家の秩序に捕らわれない人たちは、臣、連に捕らわれずに有力者 同士が連立をしていったと思います。継体大王の強さというのは、結局、そういう 歴史的由緒などに捕らわれない実力集団を作ったところにあるとも言えるかもしれま せん。 Time : 1999/ 7/31(土) 02:05:47
Name : やま E-mail : Title : 海部族の特殊性 Comments: 勇者ロトさん、追加です。 尾張氏が連なのは尾張氏の一族が海部族であることと関係している かもしれません。古来、大王家は海部族を重要視していたと思います。 尾張氏はそういう意味では、年魚市潟や味蜂間の海を拠点にする海運を担って いました、これは主に東国(関東方面)と河内を結ぶ水路だと思いますが、 そういう重要性があったので、はやくから連姓を賜ったのだと思います。 Time : 1999/ 7/31(土) 03:07:36
Name : 游惟 E-mail : Title : Awajiさんへ Comments: コメントありがとうございます。 一夏かけてご指摘の文献をあたってみます。 ある程度目途がついたらまたご報告致します。 Time : 1999/ 7/31(土) 09:35:03
Name : Awaji E-mail : Title : 救世観音と「姓(カバネ)」?? Comments: やまさん、勇者ロトさん、今日は。Awajiです。 >>それは、臣=外様、連=譜代、というのに近い関係だったとおもいます。 基本的には、それで良いと思いますが、さらに本来の姿で言えば・・・ 君=外様、臣=親藩、連=譜代、だったのでは無いかと思います。 つまり中国で「王」は本来最高権力者を意味していましたが、「皇帝」称 号の制定とともに地方権力者の意味に変化し、さらに皇帝親族及び蛮夷権 力者称号に変化したようなものです。 本来は「オホキミ(大王)ーキミ(王)」であり、その時点では「オミ」 は大王の親族系統権力者称号、「ムラジ」は別系統権力者称号だったので は無いでしょうか? それが「キミ(王)」の没落とともに、新たな大王親族称号に変化したと 思います。「磐井」は「キミ」ですから、あるいは本来の「キミ」の意味 を残した外様的存在だったのかも知れません。 なお「オミ(臣)」「ムラジ(連)」に対して・・・ 「オホオミ(大臣)」「オホムラジ(大連)」が有りますが、これは職位 的色彩が強いでしょうね。 もっとも、姓(カバネ)問題を論じ出すとキリが有りませんので、この辺 にしておきます。 >>継体が大和に入ってすぐに近江毛野臣を任那に派遣しております。 継体は先ず「穂積」「物部」を派遣していますね。さらに「磐井」に対し ては矢張り「物部大連」に軍事全権を与えています。近江毛野臣を抜擢し たのは、継体の親近感によるものかもしれませんが、最終的には継体の期 待に応え得ず強制召喚されるのですね。 とても権力中枢の変化を物語るとは思えないのですが・・・ 尾張連は安閑・宣化の外戚ですから、ある程度勢力を伸ばすのは当然なの ですが、継体は大伴大連・許勢(武内系)大臣・物部大連を中枢に据えて おり、尾張氏が中央に進出した形跡は一切窺えません。 宣化も許勢氏に替わり同系の蘇我氏を起用していますが、特に尾張氏に配 慮した気配はありません。つまり権力構成は微動だにしていないのです。 >>私は、中央で継体について権力を握ったのは蘇我氏だったと思います。 蘇我は履中、雄略時代から中央で勢力を得ていますから、これも完全な旧 勢力でしょう。その延長線上で葛城・平群・許勢等の同系豪族代表として、 宣化期に大臣になっていますが、特に継体との特別な関係は窺えません。 >>日本の王家は、中国などと違って?王家の血筋を根絶やしにする、 >>そういうことはなかなかできなかったのだと思います。 Awajiは、おそらく連合王国時代から統一王国に移行する過程で、多くの 王家が根絶やしにされたと思っていますので、この点で日本的特殊性があ ったとは思いません。 (所謂マツロワヌ者達も、その地では固有の祖神・神話を持った「王」だ ったでしょう。彼等は無慈悲に根絶された・・・これが倭国の歴史です) その後は・・・王家は同族であり、根絶やしすることは有り得なかっただ けのことでは無いでしょうか?(大物主は連合国の中でも、特に有力かつ 同質の王家であったため、贖罪意識があったと思いますが・・・) 歴史時代以降も同族内の抗争においては、かなり徹底した家系根絶が見ら れるのはご承知のとおりです。 >>安閑、宣化両天皇の名前がそれぞれ、勾大兄皇子、桧隈高田皇子と、 >>いずれも蘇我氏ゆかりの地 でしょうか?高市郡は渡来人が開拓した土地ですから、皇子の壬生地と して活用されただけでしょう。本来は蘇我氏とは無縁の土地です。 (蘇我の本地は、河内石川(葛城西麓)→大和曽我(畝傍西側)で、桧 隈方面を根拠地としたのは、後に強大な権力を掌握してからのことです。) >>継体の皇統はわずか一代で絶えた訳ですが、・・・・・ >>親子関係です。欽明は手白香(白髪)皇后との間にできた子供ではな >>いでしょうか。 この両説の関係は一体どうなっているのでしょうか? Awajiが確認した時点では、継体の血統は欽明を通じて現在まで繋がって いるとされたのですが、何故一代で絶えたことになるのでしょうか? 従って怨霊、仏教云々と言う論理はAwajiには全く理解できません。 それよりも継体が応神系でないならば、何故彼(或いは彼の子孫)が応神 五世孫を名乗ったのか・・についてはどの様に解釈されるのでしょうか? 一般的には、万世一系を擬制するためにそうしたのだろうと言う解釈がな されますが、既に申し上げたとおりそれならば倭国の歴史を、継体系祖神 神話を中心に別の万世一系を作成すれば良い筈です。 系譜を偽ると言うことを、余りにも簡単に考えすぎてはいないでしょうか? なお、ご参考までに主要な南韓関係者を挙げておきます。 南韓派遣将軍等(神功〜仁徳の年代は出鱈目) 神功期(265)・・・葛城襲津彦(380年頃)・・・武内宿禰系 同(306)・・・・斯摩宿禰 同(307)・・・・千熊長彦 同(309)・・・・荒田別・・・・・・・・・上毛野君系 同(309)・・・・鹿我別・・・・・・・・・上毛野君系 応神(332)・・・紀角宿禰(392年頃)・・・武内宿禰系 応神(332)・・・羽田矢代宿禰・・・・・・・武内宿禰系 応神(332)・・・石川宿禰・・・・・・・武内宿禰系(蘇我祖?) 応神(332)・・・木菟宿禰・・・・・・・・・武内宿禰系 同(345)・・・・平群木菟宿禰(405年頃)・・武内宿禰系 仁徳(365)・・・竹葉瀬・田道・・・・・・・上毛野君系 雄略(463)・・・吉備上道臣田狭・・・・・・吉備臣系 雄略(463)・・・吉備海部直赤尾・・・・・・海部系? 雄略(464)・・・膳臣斑鳩・・・・・・・・・阿部同系 同(465)・・・・紀小弓宿禰・・・・・・・・武内宿禰系 同(465)・・・・蘇我韓子宿禰・・・・武内宿禰系(蘇我系) 同(465)・・・・大伴談連・・・・・・・・・大伴系 同(465)・・・・小鹿火宿禰・・・・・・武内宿禰(紀)系 顕宗(487)・・・阿閉臣事代・・・・・・・・大彦(阿部)系? 同(487)・・・・紀生磐宿禰・・・・・・・・武内宿禰系 仁賢(493)・・・日鷹吉士 継体(512)・・・穂積臣押山・・・・・・・・物部系? 同(515)・・・・物部連・・・・・・・・・・物部系 同(527)・・・・近江毛野臣・・・・・武内宿禰系(羽田同系) 宣化(537)・・・大伴連磐・狭手彦・・・・・大伴系 欽明(543)・・・津連守・・・・・・・・・・渡来系 同(562)・・・・紀男麻呂宿禰・・・・・・・武内宿禰系 同(562)・・・・河辺臣瓊缶・・・・・武内宿禰(蘇我)系 同(562)・・・・大伴連狭手彦・・・・・・・大伴系 敏達(573)・・・吉備海部直難波・・・・・海部系? Time : 1999/ 7/31(土) 12:09:41
Name : やま E-mail : Title : 継体20年、吉野屋牛丼一筋80年(意味不明) Comments: Awajiさん、こんにちわ。 >>継体は先ず「穂積」「物部」を派遣していますね。さらに「磐井」に対し >>ては矢張り「物部大連」に軍事全権を与えています。 これを日本書紀のとおりにとるとそうなのです。しかし、私はこの日本書紀 の記述はそのまま鵜呑みにできないところが多いのです。 そもそも、継体大王にとって、欽明は傍系で嫡子は、安閑、それから宣化そ ういう順だったと思います。欽明はそのままだったら出目はなかった、そう 思っています。 確かに「穂積」「物部」の百済派遣はありますが、それは継体20年より前 です。継体20年というのは大王が大和に遷都される年ですが、私はこの年 こそ継体が初めて大王となった年だと考えています。それまでは継体は、南 韓情勢にノータッチだ、そういうことをこれまで言ってきたつもりなのです が。。。 ではそれまではどうだったかと言いますと、私は、継体と河内朝(武烈、大 伴、物部)とにらみ合いといいますか、対立状態にあったと思います。そう 言う中で手白香皇女はほぼ人質に近い形で継体の后に迎えられたと見ていま す。 この20年というのも本当に20年か?というと継体大王が82歳も生きて いますから、当時の状況からしてちょっと眉唾だと思いますが、まあしかし 記述を基準に話せば、以上のような見方の方がものごとの道理がとおると思 います。 第一に、穂積、物部、までを継体王朝のできごととしてしまったら、継体の 南韓経営というのが、ひっちゃかめっちゃかではありませんか? 穂積と大伴は百済から賄賂をもらって、勝手に任那の4県を割譲してしまっ ています。私は、その後の新羅との紛争はこの4県割譲が引き金だと思って いますが、違いますか?何かと問題の多い、百済と新羅の緩衝器的役割のあ った任那のうちの4県も百済に渡してしまったら、南韓の均衡が一気に崩れ るのではないでしょうか?おまけに、当任那の防御機能まで下げてしまう。 何一つ良いことがありません。その失政のつけを近江毛野臣が兵6万をつれ て拭ったんでは継体大王の治世ってのはまるでポンチ絵のようではありませ んか。 しかも、その失政を裁かれるのは、ずっと後の欽明の世になってです。しか も日本書紀には「罪を許して、前よりも手厚くもてなした」ってんですから 開いた口がふさがりません。。。 私は、この継体20年より前の任那4県割譲は、応神王朝の政策だったと思 っています。つまり、東から継体軍の圧迫を受けて、王朝がたち行かなくな るのを悟って、大伴氏は任那4県を百済に明け渡したと見ています。大伴氏 のこの策略は当たって、この機を幸いと新羅が動き出します。おかげで、継 体は大和に入って大王位を手にした直後から任那の紛争処理に追われること になります。 ここで、初めて、自分の腹心の部下である近江毛野臣を派遣ということだと 思います。おまけにそれと同時に九州で磐井の乱が起きます、当然手が足り なくなる。そこで物部氏を派遣した。 よく敵の武将を反乱軍の鎮圧などに使えるな、と言われるかもしれませんが、 私は、継体にとって、手白香皇女は人質としての意味があったと思います。 なぜなら、日本書紀には記されていませんが、応神王朝では飯豊青皇女が皇 位についた記事があって、つまり手白香皇女は単独で皇位継承権を持ってい ると継体側も応神王朝側も認識していたと思うからです。 しかし、継体のこの緊急対策は失敗し結果として大きな痛手を受け、最終的 に継体の勢力は衰退します。つまりここにおいて、大伴の策略は非常に優れ ていたということになります。紀の記述どおりだったらアホみたいですが、 こうみればとんでもない話です。   こうした状況が、すでに崩壊しかけていた応神王朝系に力を貸し、継体朝打 倒に向かうことになると見ています。 つまり、継体の記述はそれを鵜呑みにするよりは、以上のように継体20年 を本当の継体即位の年と考えた方が、よっぽど当時の政権を巡っての攻防が ヴィヴィッドに視野に入ると思います。 継体大王は25年崩御ということになっていますから、継体の治世は実質5年 だったわけで、崩御というよりもどうも応神王朝勢力によって倒されたと見る のが正しいと思います。ここで勾大兄皇太子(安閑)も亡くなります。あるい は桧隈高田皇子(宣化)も。 (百済本記からの連想) 欽明は一躍ここで大王の嫡子を宣言し宣化を幽閉し(日本書紀)、大王の霊を 蘇我氏に祀らせた。こう言い換えれば納得いただけますか?応神体制は微動だ にしていない、と言われれば、私も結果的にそうだとは思いますが上記のよう に見ればそれは無理もないことだと思うのですが。 *ここで日本書紀と書いたのは、日本書紀の記述から連想すれば、そういう 意味です。宣化はある意味で冥界の王と言う形になるのではないでしょうか。 欽明朝も、それにしても任那の多くを手放してしまったので痛手には違いなか ったと思います。それが大伴連への非難となるのもおかしくはない。大伴氏の 策略は成功したものの、それがその後の大伴氏の政治的立場を危うくしたのも 事実でしょう。 ここで、もう一度、欽明天皇の大伴連に対する言葉を思い出してください。 天皇は、大伴連が住吉の家にこもり出仕しなかったときに、「忠誠の心を持って 、長らく公に尽くしたのだから、人の噂を気にしなくてもよい」そういって、 大伴連の罪を許し、いっそう手厚く待遇されたわけです。 この意味は日本書紀に書かれたまま理解した場合と上記のような文脈で理解した 場合でどうちがうでしょうか?? >>その後は・・・王家は同族であり、根絶やしすることは有り得なかっただ >>けのことでは無いでしょうか?(大物主は連合国の中でも、特に有力かつ >>同質の王家であったため、贖罪意識があったと思いますが・・・) この認識は私は全く違います。大物主大神、大国主大神、大己貴命、というのは そもそも先住していた民族の国つ神で、天尊系の天つ神とは別です。つまりこれ らの神はマツロワヌ人々の祀った神々だと理解しています。たしかに、少数の強 盗集団のようなものの討伐にはいちいち鎮魂などしなかったかもしれませんが、 こと政争のような場合にはかなりの確率でその後の祭祀という問題を真剣に考え ていたと思います。 やはりこの辺の認識が私と Awajiさんとでは違うようです。 >>でしょうか?高市郡は渡来人が開拓した土地ですから、皇子の壬生地と >>して活用されただけでしょう。本来は蘇我氏とは無縁の土地です。 >>(蘇我の本地は、河内石川(葛城西麓)→大和曽我(畝傍西側)で、桧 >>隈方面を根拠地としたのは、後に強大な権力を掌握してからのことです。) なるほど、了解しました、実はここは私も付け焼き刃というか、勝手な当て推量 でえいやっとやってしまったのでした。でも、蘇我氏が祭祀に当たったんだとい うことはあり得ると思います。 >>この両説の関係は一体どうなっているのでしょうか? 上の説明でご理解いただけましたでしょうか。 >>一般的には、万世一系を擬制するためにそうしたのだろう 私もこの域を出ておりません。 >>継体系祖神神話を中心に別の万世一系を作成すれば良い筈です。 宣化の嫡子が大王家を嗣いでいたら結果的にそうなったでしょうね。 >>系譜を偽ると言うことを、余りにも簡単に考えすぎてはいないでしょうか? 偽っていないと思います。少なくとも応神王朝の系譜では。。。 つまり、仁賢→手白香皇女→欽明という血のつながりはどこからみても自明に 記紀では書かれておりませんか?継体→安閑→宣化の系譜は確かに偽りが入って いる訳ですが上記のような危機というか一時的にせよ王朝交替があった事実があ る以上、万世一系を重視するか、系譜の真実を重視するかのやむにやまれぬ選択 の中でとられた措置だと考えております。 そもそも、系譜の重要性を語るには、その系譜がなぜ重要だと考えるようになった か、そういうことが判っていないといけないと思いますが、なぜ大王家は系譜を大切 にするようになったと Awaji さんは思いますか? 私は、大王家こそ系譜を大事に考えたけれど、多くの地方豪族、臣や国造系の人たち は割と後世までそういう系譜には無頓着だったと考えております。つまり古くからそ の地に住み着いている豪族たちは系譜なんて物はあまり重要視しておらず少し古くな れば割と簡単に偽りも入れたと考えております。それは祖神を祀るということとは必 ずしも一致しておらなかったと私は考えているからです。 Time : 1999/ 7/31(土) 17:21:20
Name : やま E-mail : Title : 継体の血筋 Comments: ちょっと私も混乱しているかもしれません。 私が言いたいのは、継体→欽明の血筋はつながっている、そう思います。 しかし、欽明が即位した段階で継体の本当のところは隠されただろう、少なくとも 後世に於いても故意に継体が新しい王朝であることは隠したと思っています。 欽明を初めとして後世の天皇家は、武烈→継体→安閑→宣化→欽明として 無理に継体三代を応神王朝と欽明以下の間にいれたけれども血筋は、 継体→安閑→宣化 (本当は目子媛との間に書かなければならないんですが) | |→欽明 | 仁賢→(手白香皇女) が実体で、継体は応神とつながっていない、と思います。つまり王朝の系譜と して見れば、実体は継体王朝なのですが、そこを応神からつながっているかのよう に日本書紀も書いている、そう言っているつもりなのですが。 だから、応神からずーっと同じ王朝だとみなさん言っているけれど、 本当は継体から新しい王朝なんだよねえ、そう言っていたつもりですが? それは今も変わりません。ただ、欽明はそういうことを隠したかったし、隠した と思います。それに抵抗したのは蘇我氏だと思います。蘇我氏が仏教を徹底的に 利用した背景にはそういう理由もあるのではないか、そういうふうに思えてきた のです。 Time : 1999/ 7/31(土) 21:22:57
Name : やま E-mail : Title : 少しずつ整理します。 Comments: そこで継体王朝ですが、結局2系統になったんだと思います。 目子媛 |→宣化 |→安閑 | (↑こちらがわが本命) 継体大王 | |→欽明 (実際に歴史に残った継体の子孫) | 手白香皇女 継体は、端から安閑、宣化、つまり目子媛系の子孫を正嫡としてあつかって いきたかったのだけれども、欽明が旧応神王朝勢力を集めて最終的に勝利を 治めた。王朝としては継体王朝だけれど、欽明が実際に配下においたのは 応神王朝の勢力だった。そういう意味で言うと、応神王朝色の強い継体王朝 の子孫が正嫡になった。そういうことだと思います。 Time : 1999/ 7/31(土) 21:37:06
Name : やま E-mail : Title : 継体の宗教 Comments: そこで欽明が継体大王を応神系の系譜に組み込むのに何か問題はなかったか。 扶桑略記では、仏教は継体朝に日本に来たとあるようですね。そこでここからは 全くの「空想」ですが。 継体は仏教を祀っていたんじゃないか、と妄想した訳です。 そうすることで、蘇我氏と仏教、仏教と欽明そういう諸々の関係がつながる そういう非常に多くの事例が出てくるというふうに考えている訳です。それを いっぺんにまとめたら下のような文章になった訳ですが、ちょっと詰め込みすぎ でしたよね、さすがに。。。 しかし、王朝が変われば権力体制が変わるけれども、すでに述べたように、 5年の在位ではほとんど変えられない、しかし、祭祀に関わる問題ならば 継体の死後も残るからそれは隠せないはずだ。それは何か、と考えると 欽明から現れる仏教なんですね。欽明は仏教を中央に取り入れないけれど その理由は何か、そういうことを推測して書いた文章だったわけですが、 一番簡単なのは、そんなの全部関係ない。継体も応神と同じ神を信じていたんだ ということです。しかし、そうすると任那の経営のずさんさがでてくる、だから やっぱりどこかおかしい、そういう風に考えています。 Time : 1999/ 7/31(土) 21:53:06