Name    : 宮永英行
E-mail  : hidemaro@alles.or.jp
Title   : ここの使い勝手について教えて下さい
Comments: 
井沢さん、みなさんこんにちは。初めて投稿します。
歴史の問題に関してではないのですが、ここのシステムについて質問および
要望があります。この掲示板にアクセスするといつも、

「スクリプトがタイムアウトしました
 /scripts/bbs.asp
 スクリプトを実行する時間の制限を超えました。この制限時間は、プロパティ
  Server.ScriptTimeOut に新しい値を指定するか、IIS 管理ツールの値を変更
 することによって変更できます。」

というメッセージがでて、全部の掲示内容が表示されません。これはこちらの
環境に問題があるのでしょうか?
同じような事に悩んでいる方はいらっしゃらないのでしょうか?

みなさん、かなり熱心に議論をされていらっしゃいますようで、一つ一つの発言
が質量ともにかなり密度の濃いものになっていますのでこのようなことになるの
だと思います。それをできれば拝読させていただきたいと思いますので、出来れ
ば過去の発言などをまとめて「過去ログ」なんかにして取り出せるようにしてい
ただければ、うれしいなぁー、なんて勝手に思ったりしてしまいます。

このような場を運営されていらっしゃる方々はかなり大変な労力を使われている
でしょうに、さらにこのような負担を多くするお願いは申し訳ないと思いました
が余力が出来たときなどにご検討いただければということで申し上げさせて
戴きました。
よろしくお願いします。


Time    : 1999/ 1/ 2(土) 22:12:46

Name : 管理人 E-mail : k7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : ホームページの拡充について Comments:  宮永様、初めまして。  井沢のホームページは、段階的に拡充を行っております。井沢のコラムや、 BBSの過去ログを収めるライブラリーは、次の拡張で設けたいと思っていま す。また、サイト側では、さらに機能を強化したBBSプログラムの開発に取 り掛かっています。  掲示板の内容がすべて閲覧できないとのことですが、宮永様のシステム環境 をお知らせください。サイト側の技術者に問い合わせてみます。おそらく、ロ グが大きくなすぎてしまったのが原因かと思いますが。そうであれば、古いも のカットせざるをえません。やはり、BBSプログラムのパワーアップか、ラ イブラリー設置が課題です。                      管理人 Time : 1999/ 1/ 2(土) 22:39:43
Name : サイト側の技術者 E-mail : maeda@total.co.jp Title : 障害等について Comments:  宮永様の御指摘、管理人さんの回答については、そのようなことであろう と考えております。  そのようなことにならないよう、新しく、ふぉーらむ、とまり木を開設 した訳ですが、この「井沢掲示板」についても、同様にした方がいいか どうかについては、ふぉーらむ、とまり木のシステムに問題が無いかどうか が明らかになった時点で考えないと、いままでこちらを使われていた方々に 障害が起きては困るだろうということで、今はこのようなかたちにしており ます。(つまりこの「井沢掲示板」については、まったく以前のままの システムで動いています)  実際、とまり木で以前、藤田様が御指摘されたような問題があるようですし (これについては、こちらの環境、あるいは、関連会社での環境でも確認でき なかったので、どうにも対処しようがない、というのが実状です)。  システムをどのようにするかは、そのようなことを総合的に考えてからで ないと、なんともできませんので、御了解ください。  尚、例えば、ネットスケープ2.0以上、インターネットエクスプローラ3.0 以上でないと、ちゃんと動かないだろうとか、そういう意味での、ユーザー の選択(切り捨て)は存在します。全てに対して対処するということは、 とうてい出来ません。現時点において、比較的多数と考えられる条件の範囲で どうシステムを組むかを考える訳です。  このような考え方には、ある種の問題が含まれているかな、と思いつつ、 その中でしか、なんともやりようがないというのが、現状だということです。 Time : 1999/ 1/ 4(月) 21:42:20
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : KANAK様へ Comments:  遅くなりましたが、BBSの皆様あけましておめでとうございます。 また、年末年始のごたごたでRESが遅れてすみません。 まだ言葉足らずだったようですが、小生の意見を誤解されています。 貴方のご意見は一定度理解しているつもりです。 輔住様も同様の意見と存じますが、再度繰り返します。 土左衛門に「美人」とつけるのは「常識」だとしても、生きている女性に 「美人」といって「わたしはおぼれて死ぬ予定はない!」と文句を つけるだろうかということなのです。 また、死後そう呼んでも、親族から文句はでないとおもいます。  普通名詞の誉め言葉に、常識として悪い意味が含まれていても 抗議不可能ではないかという意見なのです。  まだ誤解される可能性もありますので、実例を挙げます。 ある研究者集団において、「貴方は秀才だ」というのは誉め言葉ではないのが 常識だといわれています。説明しないと外部の人にはほとんど理解不能だとおもいますが、 「人の理論はすぐ飲み込めても、自ら大胆でオリジナルな理論を組み立てることは できない奴だ(したがって、研究者としては一流になれない)。」という意味です。 これは常識化しているらしいのですが、いまだかつて表向きに抗議された例は ないそうです(小生は当然だとおもっています)。  怨霊鎮魂説が常識であっても、「貴方は徳のある方だ」といわれて、 「私は死後に怨霊にならない!」と抗議するでしょうか? また、死後に「徳」をつけられ、「皆からいじめられた不幸で怨霊化しそうな人では なかった」という抗議が(ありそうに思えませんが)たとえ親族からあったとしても、 そんな意味ではないと簡単に退けられます。 そこが普通名詞の誉め言葉を使う巧妙さで、二重の意味の使い分けが可能なので、 (表向きには、「怨霊鎮魂説」を否定しておいて) 「我々は本当に大いに徳のあった方であったと評価しています」といわれれば、 反論のしようがないのでは?というのが小生の意見です。 これ以上抵抗すれば、「本当に徳のないひどい人だった」と死者を鞭打つことになり、 今度は親族が怨霊のターゲットに転化しませんか?(この説明がいやならば、 自らの品位を落とすことになりませんか?と読み替えてください) 常識化していてもいなくても、結果的にはあまり変わらないとおもいます。 その意味で、反論になってなくて少しずれているのでは?と申し上げたのですが、 いかがでしょうか? 説明がまずく、ほとんど同じ事の繰り返しのようで申し訳ありませんが、 比較的普通のレベルの意見と存じます。また、井沢先生も同じ視点とおもわれます。 Time : 1999/ 1/ 5(火) 10:28:33
Name : 輔住 E-mail : Title : 大阪JF生さんへ Comments: わたしの説明不足を補ってもらって感謝しています。 ありがとうございます。 Time : 1999/ 1/ 5(火) 17:39:16
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(35)「称徳諡号」 FIN? Comments: 大阪JF生さん、みなさん、明けましておめでとうございます。 ・・・KANAKです。 新年早々あまり言いたくはないのですが・・・ >>土左衛門に「美人」とつけるのは「常識」だとしても、生きている女性に「美 >>人」といって「わたしはおぼれて死ぬ予定はない!」と文句をつけるだろうか >>ということなのです。 >>また、死後そう呼んでも、親族から文句はでないとおもいます。 普通名詞 >>の誉め言葉に、常識として悪い意味が含まれていても抗議不可能ではないか >>という意見なのです。 私は、次のとおり申し上げたはずですが・・・お読み頂いてませんか? >・・・いいですか? 「美人」にはマズ負の意味はありませんね? >従って、「美人」は単純なほめ言葉であり、イヤがる人はいないでしょう。 >「美人」→「土左衛門」の連想なんか土台アリッコナイんですからね。 >しかし、井沢さんは・・・ >「・・・『徳』という字を含む諡号は『不孝な生涯を送り無念の死を遂げた >人に贈るものだ』という常識があったからではないか」     P146 >・・・と記述されているのですよ! つまりは・・・ >「X徳諡号」→「不孝な生涯・無念の死」の連想が、常識だと主張されてい >るのです。 >この井沢説を拒否されるならば・・・貴方のご意見は正しいでしょうね。 もう一度だけ、繰り返します・・・これ以上はご勘弁下さい。 今私が問題にしているのは、井沢さんが主張されている・・・ 「X徳諡号」→「不孝な生涯・無念の死」という「常識」があったかどうか? ・・・「高野」に対する「称徳」諡号は、その常識による「怨霊鎮魂諡号」と 理解し得るかどうか? なのですよ! いかに土左衛門に「美人」とつけるのは「常識」だとしても、逆に・・・ 「美人」→「土左衛門」という「常識」は絶対に成立していないでしょう? だからこそ生前・死後に係わらず、女性を「美人」と呼んでも何の問題も有 り得ないのです。(何度申し上げればご理解いただけるのですか?) 私は、「X徳諡号」→「不孝な生涯・無念の死」という「常識」も成立して いないだろう(成立していれば)”生前 ”の「高野」にワザワザそのような 「尊号」を奉ることは有り得ないのではないか・・と申し上げているのですよ。 言い換えれば・・・ 「美人」→「土左衛門」という「常識」があったならば・・・生前の女性に 「美人」とは言わないはずだ。 (その様な「常識」は無いのだから「美人」と言っても文句は出るはずが無い) ・・・同様に 「X徳諡号」→「不孝な生涯・無念の死」という「常識」があったならば・・ 生前の「皇帝≒天皇」に「徳」の「尊号」は贈らないはずだ。 (その様な「常識」は無いのだから「称徳」と言う「尊号」を贈っても問題は 起こるはずが無い) ・・・ということなのですよ! 「秀才」の例も全く同じです・・・実に当を得た良い例ですね。 >ある研究者集団において、「貴方は秀才だ」というのは誉め言葉ではないのが >常識だといわれています。 十分ありうることでしょうね・・・ 貴方はこういった研究者集団において、その大御所の前でワザワザ「貴方は 秀才だ・・・」と公言されますか? 私が、その研究者集団に属していれば・・・”絶対に”そのようなことは公 言しないでしょうね。大御所どころか同僚・後輩にも言わないでしょう。 これが言葉使用の常識です。(現にビジネスマンの間でも”秀才”は理屈ば かりで商売センスの無い人間を指すことが多く、部下を叱るとき以外は通常 禁句ですワ。) (だからこそ恵美押勝が、ワザワザその様な危険なニュアンスを持った言葉 を使用することは”絶対”に有り得ない・・・逆に言えば、その様な危険な ニュアンスを持った言葉では無いから、単純にゴマスリ「尊号」に「徳」を 使用したと申し上げているのでしょう?「秀才」と同じことなのですよ!) 一度「続日本紀」を通読されては如何かと存じますが・・・正に「聖」「徳」 の氾濫ですね。天皇の言葉には必ず「薄徳ながら・・・」と言う慣用句がつ いており、臣下の上奏には天皇の「聖・・」「徳・・」がつけられています。 つまり、「徳」は「美人」と同様の単純な佳語であり、「X徳」諡号にも 『不孝な生涯を送り無念の死を遂げた人に贈るものだ』という常識などは ない。 まして「高野」の生前に奉られた「上台宝字称徳孝謙」と言う「尊号」・・ その一部を採った「称徳」諡号・・・にはその様な意味を見出すことは出来 ない・・・と申し上げているのです。 >>そこが普通名詞の誉め言葉を使う巧妙さで、二重の意味の使い分けが可能 >>なので、(表向きには、「怨霊鎮魂説」を否定しておいて) >>「我々は本当に大いに徳のあった方であったと評価しています」といわれれ >>ば、反論のしようがないのでは?というのが小生の意見です。 ・・・本来「怨霊鎮魂」のため「X徳」の諡号を贈ると言うのが井沢説なの でしょう? >>表向きには、「怨霊鎮魂説」を否定しておいて ??誰が、何故に、表向きには否定するのでしょうか? ??誰が、何を「反論」するのでしょうか? ??「高野」の生前中の「尊号」なのでしょう? ??生前に「怨霊鎮魂説」も何も有り得ないでしょう? 私には、この部分は全く理解できませんが・・・ 蛇足だとは思いますが・・・この問題には終止符を打ちたいので、以下・・ みなさんもご承知のとおり、「漢字=言葉」の意味は、時代と用法によって 大きく変化します。 何時か申し上げたと思いますが・・・日中交渉に当たり、田中首相が我が国 の中国に与えた侵略行為を「迷惑・・」と表現して、物議を醸したことがあ りました。 (確か井沢さんも、これに触れておられたと思いますが、何処か忘れました) 現代中国語では、「迷惑」は通行人に打ち水の飛沫をかけた程度の行為を意 味するからだそうです。 しかし、さる中国人(誰だったか忘れました)が・・・本来「迷惑」の古義 は、そのような些細な意味では無かった・・・田中首相は、その古義に基づ いて「迷惑」と表現したのである・・・と解説したそうです。 社会主義国とはいえ、文化教養的には「尚古」主義的傾向がありますので、 かえって田中首相の古典的教養が称えられ?事なきを得たと言う逸話が残っ ています。(これが実話であるかどうかは・・・知りません) これは「名詞」・・・さらには「名称」「尊称」についても言えることで、 TPOによって用法・意味は当然異なりますね。 現代日本語では「XX居士」と言えば死者に付ける「戒名」と言う「常識」 があります。 しかし、「戒名」と言う言葉そのものが、本来は「受戒」に際して新たに授 けられる「法名」であり、死者とは何の関係も無いものです。 それと同様に「XX居士」も本来は、在家のママで出家僧よりも遙かに高い 「悟り」に達した人に対する「尊称」であり死者とは全く関係のないもので すね。(「維摩経」における「維摩居士」の如く、諸菩薩・阿羅漢より優れ た者でさえあるのです) ところが一旦「XX居士」が「死者に付ける死後尊称」であるという「常識」 が成立してしまうと・・・迂闊に生きている人に対して「XX居士」なんて 尊(呼)称で呼べなくなくなってしまいます。相手が、余程のユーモリスト でもなければ、喧嘩を売ったことになりかねませんね。 (ただ、現在でも「頑固一徹居士」「一言居士」と言う風に普通名詞的には 使えますし、本人が生前に「戒名」を決めておくこともありえます。しかし 他人が本人に無断で「XX居士」と呼ぶことはありません。) 「成仏」も本来の仏教思想で言えば、生前に「悟りに達し仏に成る」という 最高の佳語でしょう。しかし、現代語ではこれが「死」を意味することが 「常識」となっていますので、迂闊に「貴様も早く成仏なさいませ・・」と いえば喧嘩になるでしょう?(親しい間柄で勝負事には使えますが・・・) 本来は「貴」も「様」も佳語であり、従って「貴様」は「尊称」でした。 しかし、あっという間に「卑称」に変化してしまいましたね。 「お前」だって同様です。もっと極端なのは「女中」さらには「女郎」でし ょうね。 要するに「徳」だって、これと同じことでしょう。私は井沢さんの主張、 「・・・『徳』という字を含む諡号は『不孝な生涯を送り無念の死を遂げた 人に贈るものだ』という常識があった・・・・」  が正しいとは毛頭思いません。従って生前の高野天皇の「尊称」が「称徳」 であっても何の不思議も感じません しかし、仮にこの時代に、井沢さんの言われるような「常識」があったとす れば、これは単なる褒め言葉ではなく、完全に逆鱗に触れ兼ねないモノです。 つまり・・・貴方の会社の社長に対し「XX居士」と呼ぶよりも、ある研究 者集団の大御所に「大秀才」と呼ぶよりも・・・さらに危険なモノですよ ・・・と申し上げているのです。 逆に言えば・・・高野天皇に「称徳」という生前「尊号」が奉られたことは ・・・当時、井沢さんの言われるような「常識」が無かったことを意味する。 ここまで申し上げても「X徳」諡号には『不孝な生涯を送り無念の死を遂げ た人に贈るものだ』という常識があった・・・・ そして「称徳」諡号は「高野」に対する「怨霊鎮魂諡号」であると主張され るのならば・・・ご随意になさって下さい。 これ以上は、皆さんの健全な理性による判断にお任せいたします。 Time : 1999/ 1/ 5(火) 23:22:32
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : KANAK様へ Comments:  ご回答ありがとうございます。 しかし残念ながら、小生のいいたいことを全く理解しておられず、 打ち切りたくとも一言いわざるを得ませんので、書かせていただきます。  輔住様も同意なさっているように、常識的なレベルで納得できると思うのですが、 恐らく、そうだからこそ井沢説を誤って解釈されるのだとおもいます。 >貴方はこういった研究者集団において、その大御所の前でワザワザ「貴方は >秀才だ・・・」と公言されますか? 大御所は(そうでない場合もあるでしょうが)一流なのであって、その意味で 秀才とは呼ばないでしょうが、貴方の意味で言わないのではありません。 それから、同僚間では「秀才」はよく使われる言葉だと聞いています。 それでも、怒る方はいないともきいています。それは当然のことで、 「秀才」は一定度の高いレベルにあることを誉めている言葉でもあるからです。 だからこそ挙げた例なのですが、このように歪曲されるとは思いませんでした。 >>そこが普通名詞の誉め言葉を使う巧妙さで、二重の意味の使い分けが可能 >>なので、(表向きには、「怨霊鎮魂説」を否定しておいて) >>「我々は本当に大いに徳のあった方であったと評価しています」といわれれ >>ば、反論のしようがないのでは?というのが小生の意見です。 これは貴方の立場に立って説明したもので、括弧内は小生は不要だとおもいます。 「徳=鎮魂が常識だったならそんなことはありえない」 と主張されたので、常識であったとしてもありえることを説明しただけです。 対象は特定しなくても「誰であっても」そうだという議論ですので、 したがって貴方の主張は成り立たないと思います。  輔住様が言葉少なに反応されていますように(小生は無粋なので言葉が多いですが) 言わずもがなのことをこれだけ繰り返しても納得いただけないのなら、 これ以上の議論は無駄だとおもいますので、打ち切りには賛同いたします。 Time : 1999/ 1/ 6(水) 10:37:44
Name : 一見の客 E-mail : すみません Title : KANAKさんと大阪JF生さんの論争への感想 Comments: 「土座衛門→美人」は、常識(というか、世間でよく言われている) 「美人→土座衛門」は、常識ではない という考えは、もっともだと思います 同様に 「不幸な人生→○徳」が、もし仮に常識であったとしても(私はそうは思いません) 「○徳→不幸な人生」には、結びつかないと思います 余談ですが、私は「秀才」と呼ばれたことはありませんが、よく「大先生」と呼ばれます 確かに性格はかなり「きつい」し頑固で人の意見はあまり聞き入れません 当然、「誉め言葉」ではなく、一歩引かれてしまっているのでしょう Time : 1999/ 1/ 6(水) 11:36:41
Name : 三枝 貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : 死者はけなしちゃだめ Comments: 私は、井沢先生の説を読んだとき、「徳という文字は不幸な御生涯であった という意味」とまで言ってしまうのは、言い過ぎかもと感じたのですが。 諡号というのは前例を考えてお付けするものでしょうから、同じ文字を持った 帝は、同じような御生涯であったと、当時の人たちが考えていたということは ありえるかもしれません。 それにしても、その方が不幸な生涯であったにせよ、幸福な生涯であったに せよ、未だに日本社会では死者を批判すると、それがどんなに正しい評価で あっても、批判した側の方が問答無用で批判されてしまうという習慣が根強く 残っていますね。 あれはいったい何なのでしょうか。 Time : 1999/ 1/ 6(水) 11:54:24
Name : 輔住 E-mail : Title : 「*徳」問題ラスト Comments: みなさんお元気ですか? わたしもこの問題に対し述べるのはこれで最後にしようと 思います。 どうも「常識」という言葉の受け取り方のちがいが根底に あると思います。 改めて私の考えをのべます。 (KANAKさんの言いたいこともわかるので反論ではありません) 1.「徳」という言葉は誉め言葉として定着している(常識になっている)。 2.怨霊を誉めて鎮魂しようとすることも定着している(常識になっている)。 3.怨霊を「徳」という言葉を使って鎮魂しようとすることも起きてくる。 4.もちろん従来の誉め言葉としても日常使用される。 「こういう考え方もあるんだな」と思ってくれれば幸いです。 Time : 1999/ 1/ 6(水) 12:16:03
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 感想文 Comments:  一見の客様へ 貴方のおっしゃるように説明すればよかったようですね。 輔住様が、最初から「多義性」について指摘されていましたので、 同じ事だとおもいこみ、小生も同じ路線のつもりだったので 全くまずい説明に終わってしまい、KANAK様にも記事を 読んでいないような誤解を与えてしまったようです。 でも言葉というのは、新たな使用法が生まれて、変化を受け、 (広辞苑に項目が増えるように)意味が広がることは当然と 思い込んでしまっていました。 まずい討論をお見せしてすみませんでした。 また、ご指摘ありがとうございました。 「一見さん」でおわらずに、これからもご意見お聞かせください。  三枝様へ 死者に対して公正に評価しづらいのは、やはり怨霊のせいでは? それと、負の評価をする場合に「反論不可能な立場なのでフェアーじゃない」 という感覚があるかもしれません。 小生の場合、この二つが混合しているように思います。 こうお考えの方も多いと存じますが、もしそうならやはり歴史として 正当な評価をしていくことは非常に難しいことだとおもいます。 したがって本当の意味の正史を確定するのは、 ほとんど不可能なのではないかと感じています。 本人ですら、自分の体験を公正に客観的にあらわすことができない実例は 山ほどありますので、ましてや他人が外から見て、当人がどのように考えて 行動したのかは、本当のところ不明でしょう。 Time : 1999/ 1/ 7(木) 13:04:17
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 謚号について Comments: 私も、平城天皇と淳仁天皇に「徳」がつかないことは疑問でした。KA NAKさんのいう、「徳」が怨霊である人に送られるようになっったの は文徳天皇以後ではないかという意見には説得力があるような気がし ます。それ以前は、不幸な方々を褒めておこうという、軽い気持ちか ら付けたのかもしれません。平安時代ほどは、「徳」の字に霊的な効力 は、奈良時代の人は見ていなかったのかもしれない。ただ、聖徳太子、 孝徳天皇、称徳天皇が不幸だったのは間違いありません。それを観て、 平安時代の人たちは、「徳」の字に特別な意味があるように錯覚したの かもしれません。 私が、仁徳天皇といとく天皇を誤差ではないかといったのは、私自身と しては2人は怨霊ではないかと考えているのですが、「いとく天皇から 称徳天皇まで同じ人が付けてしかも2人が怨霊でないのだとしたらこう も考えられる」というつもりでいいました。ちなみにに、いとく天皇と 仁徳天皇が怨霊かもしれないというのは、仁徳天皇陵を発掘してみたら、 案外首の無い遺体が出て来るかもしれないというほどの意味です。しか し、2人は伝説上の人物ですので、根拠にして話を進めるのは史料主義 の立場からも不可能ではないかと私は考えます。 奈良時代に「徳」の字がそれほど重要視されていなかったとしても、や はり異常な人たちに付けられているのですから、「徳」に意味を感じる のはそれなりの意味があると思います。 少々不遜なのですが、この議論で、みなさんには儒教からの視点が少し 欠けているのではないかという感想を受けました。私も、論語と孟子し か読んだことが無いのでまったく儒教は素人です。でも、聖、徳、文、 武、智、は、儒教では非常に深い意味がある字なのです。私が書いた文 章の中の、そこの部分にも誰か気付いて欲しかったです。 Time : 1999/ 1/ 7(木) 13:50:22
Name : 輔住 E-mail : Title : 謚号問題これが本当に最後 Comments: 謚号問題については前回で言うのは終わりにしようと 思ったのですが最後にもうひとつ 謚号に「徳」の字をいれるのは相手を誉めてなだめる ひとつの「方法」でしかありません。 「絶対」ではないのです。 「徳」以上に相手が喜ぶ(と考えられる)言葉が あればそれが優先されるでしょう。 平城上皇は平城京に愛着があってそこで亡くなった。 だから「平城」の方が良いと思ったのではないでしょうか。 相手に喜んでもらわなければ「怨霊鎮魂」にはなりませんから。 Time : 1999/ 1/ 7(木) 14:34:48
Name : Toshy E-mail : Title : 推理の破綻 Comments: ここには初めて投稿いたします。 私には「徳」とか「怨霊」の話はサッパリわからないので、勘弁してもらいます。 が☆ 私が興味を持つ鎌倉史のこと。 将軍実朝暗殺事件のことで、井沢先生の推理には破綻が見られます。 義時黒幕説はない、なぜなら公暁が仲章を殺したから (公暁は義時と仲章が入れ替わったことを知らないはずだ) 御家人総意説・・・・義時が仮病を使って仲章と入れ替わり、実朝と仲章を殺した というところです。 もし入れ替わったことを知っていたとすれば、義時黒幕説も成り立つはずです。 私は先生の説に賛同するものですが、なんか永井路子先生の顔を立てて つまり「義時黒幕説<三浦黒幕説」を書きたかったのかもしれませんが、 読む側は納得しないでしょう。 Time : 1999/ 1/ 8(金) 00:47:11
Name : 安部奈亮 E-mail : s00v0128@ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : 私も是で最後の謚号問題 Comments: 謚号の議論は一段落したようですが、年末年始の議論を読んで私の意見 も変わりましたので、それを書きたいと思います。 7世紀までに、日本人は権力闘争に破れた貴人が怨霊になるという怨霊思 想を作り上げた。怨霊の祟りから逃れる手段として次の方法が取られた。 (1)死後の世界で満足させる 壮麗な神社や寺に祭ってあげることに依って、怨霊を鎮めることです。 例、出雲大社、法隆寺、東大寺 (2)虚構の世界で満足させる 物語(民間の伝承も含む)の世界で怨霊に活躍してもらうことです。 例、万葉集、平家物語、太平記 (3)現実の世界で復権させる 官位の死後追贈や子孫の登用です。 例、早良親王に崇道天皇の称号が与えられたこと、柿本人麻呂の子孫 の登用 謚号を華美にするのは(3)に入れます。 次に、日本人は「徳」の字を最高に価値ある字と考えていたといえます。仏 教でも儒教でも「徳」の字はとてもよい意味がありますけれども、日本人は それ以上に重んじたといえます。冠位十二階の最高位は大徳ですし、怨霊い かんに関わらず古代最高の偉人に聖徳太子というあだ名が与えられています。 そこで、奈良時代と平安初期には不幸な目にあった天皇には最高級の賛辞で ある「徳」の字を与えて怨霊を鎮めようとした。但し、平城天皇のようにも っと相応しい名がある場合はその限りではなかった。つまり、「徳」の字は あくまで誉め言葉であって、キョンシーの御札や、意味は分からないけれど もありがたいお経のような呪術的な意味はなかった。実際の業績はともかく、 誉めることに依って怨霊を鎮めようとした。生きている人に対して「徳」を つけても誉め言葉として通用した。むしろ、生きている人に対して誉め言葉 になるからこそ、怨霊も喜ぶと考えられたといえます。 「徳」の字がつく天皇は、10世紀中盤の文徳天皇を最後に12世紀の崇徳天 皇までありません。その間に「徳」の字に呪術的な意味が加わったと私は考 えます。つまり、「徳」という字自体に怨霊を鎮める効果を見出すようになっ たのです。 ここで、ターニングポイントが文徳天皇であることを見逃すわけには行かない と思います。文徳天皇の側近はかの六歌仙(そのうち何人かは実在が怪しいで すが)です。理性的な中国文化一辺倒の時代が終わり、呪術的な言霊が幅を利 かす国風文化の時代が始まったといえると思います。 私は、文徳天皇は誉めて鎮める意味での「徳」だと思います。しかし、聖徳太 子、孝徳天皇、称徳天皇、文徳天皇を見渡した平安時代の人達は、「徳」に何 か特別な意味があると錯覚したのだと思います。 聖徳太子、孝徳天皇、称徳天皇、文徳天皇はやはり怨霊であり、怨霊であるか らこそ「徳」の字がつけられました。懿徳天皇と仁徳天皇が怨霊でない(怨霊 であるという証拠がない)からといって、先の4人が怨霊でないことにはなら ないです。それは、この私の文章を読んでくだされば分かると思います。そも そも井沢先生が「徳」の字に注目したのは、それが怨霊を意味していると疑っ たからだと思います。彼らが怨霊だと証明できれば、「徳」の字にこだわった目 的は達成されたと見るべきで、別に「徳」がついていれば全て怨霊であるという 法則を井沢先生は作り上げようとしたわけではないと私は思います。 Time : 1999/ 1/ 8(金) 11:28:49
Name : 輔住 E-mail : Title : 実朝暗殺事件 Comments: みなさん、お元気ですか 実朝暗殺事件のことがでたので その事に関する私の疑問点を 「愚管抄」によると公暁は仲章を義時だと思って殺したらしい。 そうすると黒幕も義時の命も一緒に狙った可能性も高い。 そうだとすると井沢先生の御家人総意説は少し疑問がわきます。 この点は永井路子氏の三浦義村説だとすっきりするのですが、 永井説だと次の疑問点が浮かびます。 (1)北条と三浦の合戦にならなかったこと (これはお互いに「時期が早い」と判断したかもしれないが) (2)鶴ヶ丘八幡宮で公家に対する見せしめのような殺し方を取ったこと これは井沢説ならすっきりします。 私はこの問題を考えると、どどう廻りのようになってしまうのです。 Time : 1999/ 1/ 8(金) 12:25:29
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(36)怨霊 WHO’S WHO Comments: 井沢さん、みなさん、明けましておめでとうございます・・・KANAKです。 本年も、よろしくお願いいたします。 さて今回は、欽明期以降・・・死因等から怨念を残したと思われる皇族を抽出 して見ました。(力量は独断です) 力量   要因/死因    実子ー子孫    社寺 井沢鑑定 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 穴穂部皇子 ○      弑殺    ??       ??  ?? 宅部皇子  △      弑殺    ??       ??  ?? 崇峻天皇  ◎      弑殺    蜂子ーXX    ??  怨霊? 孝徳天皇  ◎      憤死?   有馬ーXX    ??  怨霊 有馬皇子  △   冤罪・誅殺    XX       ??  ?? 聖徳太子  ◎      自殺??  山背ー滅亡   法隆寺? 怨霊 山背大兄  ○      弑殺    滅亡      法隆寺? 怨霊? 古人大兄  ○   冤罪・誅殺    倭姫ーXX    ??  ?? 天智天皇  ◎      暗殺??  多数(後皇統)  ??  怨霊 大友皇子  ○      敗死    葛野(淡海氏) 三井寺? 怨霊 大津皇子  ○   冤罪・誅殺    粟津ー??    ??  ?? 長屋王   ○   冤罪・自殺    (高階氏)   東大寺??怨霊 贈淳仁天皇 ○ 廃立・33歳憤死     ??       ??  ?? 新田部親王 ○ ?? 道祖・塩焼の誅殺 ?? ?? 道祖王   ○  廃太子・誅殺    ??       ??  ?? 塩焼王   ○ 恵美連座・誅殺    ??       ??  ?? 和気王 ○ 謀反? 誅殺 大伴ー?? ?? ?? 称徳天皇  ◎      ??    XX       ??  怨霊 他戸親王  △   冤罪・誅殺    XX       ??  ?? 贈崇道天皇 ◎   冤罪・憤死    XX      御霊神社 怨霊 伊予親王  △   冤罪・誅殺    配流       ??  ?? 平城天皇  ◎  失権・??    高丘廃立(在原氏)??  ?? 文徳天皇  ○      急死    清和(3皇統)   ??  怨霊 ・・・そこで彼等が怨霊となったか?ならなかったのか?・・・何によって それが判断出来るのか? 何方かご説明頂けるでしょうか?? 因みに・・・ 1.「崇峻」は「X徳」ではありません。「孝徳」に比して明らかに怨恨は 深いと思われますが・・・彼は怨霊になったのでしょうか? また、「穴穂部皇子」等はどうなんでしょうか? (「崇X」は「崇峻」「贈崇道」「崇徳」と並べれば怨霊系諡号とも思わ れますが・・・例外もあり、やはり無理でしょうね。) 2.彼等に対する鎮魂宗教施設がよく理解できないのですが・・・井沢さん が挙げられている法隆寺?三井寺?東大寺??(私は納得していません が・・・)の他に何か明確な施設があるのでしょうか? 無ければ・・・何故無いのでしょうか? 3.「長屋王」は子孫を残しており、怨霊レベルとしては「古人大兄」「有 馬皇子」「大津皇子」「道祖王」「塩焼王」「和気王」等と変わりが無 いのでは?・・・また729年の「長屋王」自尽から8年も後の藤原兄弟の 死亡が本当に祟りと認識されたのでしょうかね? 3.勝手放題に生きた「称徳」は誰に対して怨恨を残したのでしょうか・・・ 天武系から天智系「光仁」への変遷も言わば彼女自身の所為でしょう? 「淳仁」「塩焼」等が「称徳」を怨むなら分かりますが・・・ 4.「早良親王」の怨霊に苦しめられた「平城」は何故「伊予親王」を誅殺し たのでしょう・・・現実にはさほど怨霊等を恐れていなかったのかも? また「平城諡号」が本人の喜ぶ「佳号」だから「怨霊鎮魂諡号」だとする ならば・・・全ての「天皇諡号」は本人の喜ぶ「佳号」ですから・・・ 全諡号が「怨霊鎮魂諡号」足り得ることにならないでしょうかね? 5.「文徳」と「平城」については、既に申し上げました・・・「文徳」が 怨霊とされた痕跡(鎮魂社寺等)は本当にあるのでしょうか? (欽明以降の父系主要皇統・・・│は親子、─は兄弟です。) 29 27 28 欽明ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー安閑ー宣化 │30          31  32   33 │ 敏達ーーーーーーーーーーーー用明ー崇峻ー<推古>ー(穴穂部)(宅部) │          │       (押坂彦人)ー(難波)ー(竹田) (聖徳) │ │ │ │ (栗隈) (山背) │34              舒明ーーーーー ーーーーーーーーーーーー(茅淳) │38          40    │36 35 37 天智ー(古人)ー(賀屋)ーーーー天武 孝徳ーーー<皇極/斉明> │ │ │ │ │ (有馬) │    39?  41   43 │ (施基)ー弘文ー<持統>ー<元明> (草壁)ー(大津)ー(舎人)ー(高市)ー(新田部) │49 │   │42   44  │47 │ │ 光仁 (葛野) 文武ー<元正>  淳仁 (長屋) (道祖・塩焼) │50 │45  │ 桓武ー(他戸)ー(早良)  聖武   (和気) │52 51  53     │46 48 嵯峨ーー平城ー淳和ー(伊予) <孝謙/称徳> │54 │ 仁明 (高丘) │58 55 光孝ーーーーーー文徳 │59 │56 宇多 清和ーー(惟喬) │60 │57 醍醐 陽成 │61 62 朱雀ーー村上 │64 63 円融ーーーーーーーーーーー冷泉 │66 │65 67 一条 花山ーー三条 │69 68 後朱雀 ーーーーーー後一条 │71 70 後三条 ーー 後冷泉 │72 白河 │73 堀河 Time : 1999/ 1/ 8(金) 23:14:02
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 怨霊の洗い出し Comments: KANAKさんお久しぶりです。 古代の怨霊の洗いだし、ありがとうございます。あなたは、梅原先生や井沢先生が取り上げた 怨霊を門前払いせずに真摯に取り組んでくださっており、2人の支持者としてもうれしいです。 まだあやふやなところもありますが、やはり怨霊思想は少なくとも7世紀からあると思います。 そして、今もわれわれの生活に影響を及ぼしていると思います。 難しいのは、怨霊思想には明確な教義がないことです。 怨霊思想の申命典がどこかにあって、怨霊の定義、鎮めかたが細かに規定されていれば、 都合がよいのですが残念ながらありません。そして、古代人自体体系的に怨霊を捕らえてはいなかったでしょう。 いかにも日本らしいところです。 その時々によって祭る側の都合で鎮めかたはまちまちだったと思います。 今日はまだ無理ですが、あなたの一覧表を本に私なりに検証しようと思います。 一覧表を見て気づいたことですが、怨霊に祟られる側の立場も考える必要があるでしょう。 怨霊を作ってしまったがすぐに権力闘争に負けてしまってミイラ取りがミイラになってしまったような人は、 祭られなかったり、変則的になるかもしれませんね。急いでいるので文章が分かりづらくてすいません。 寺社や、官位を怨霊に与えられたのは、犯人の方が一定期間権力を保持し続けた必要があると思います。 恵美押勝に連なる人物については2通り考え方があります。 (1)本当に謀反人で罪があるので、怨霊になりはしないと称徳天皇は考えた。     怨霊になるのは無実の罪を受けた人と井沢先生が書いています。 (2)犯人である称徳天皇がすぐに死んでしまったので祭る暇がなかった。    あるいは、何か方法が取られたかもしれないけれども、王朝が変わったので抹殺された。 もう一つ、光仁天皇後継に選んだのは称徳天皇ではなくて、藤原氏の陰謀です。 でなくては、吉備真備の憤慨が説明できません。 この事に関しては11月の易姓革命の論争で私の立場はそちらにも伝わっているはずです。 光仁天皇の易姓革命に関してはまた長くなるので、取り合えず横に置きましょう。 Time : 1999/ 1/ 9(土) 12:13:53
Name : 宮永英行 E-mail : hidemaro@alles.or.jp Title : ご回答ありがとうございました Comments: 以前にログが全部みれないと申し上げたものでございます。 管理人様、サイト側の技術者様、遅くなりましたが御礼申し上げます。 しばらくアクセスしていなかったのですが、今日来てみますと98年12月 分までで止まるようになっていて、以前の「タイムアウト、、、」なんていう 表示はでてこなくなりました。いろいろ改善していただきましたようで ありがとうございます。また、ライブラリーができることをおまちしております。 Time : 1999/ 1/ 9(土) 18:14:26
Name : Toshy E-mail : Title : さねともあんさつじけん Comments: 輔住さん、こんにちは。 私は基本的に、井沢先生の御家人総意説に賛成です。 それに関してはなんの問題もないのですが☆ ただ、先生の本の書き方に不満があるだけです。 >『愚管抄』の言うように「義時だと思い込んで殺した」のなら、 >義時は黒幕ではないことになる といいながら、 >義時がわざわざ仮病(だろう)を言い立てて仲章と入れ替わったのは、・・・・ という書き方では、義時黒幕説を否定しているのか、肯定しているのか、 まったくわからない。事件の真相よりも、こっちのほうが謎です。 それなら御家人総意で義時まで殺そうとした、といったほうが よっぽど説得力があるというものです。 怨霊のことはさっぱりわかりませんが、これだけ論議が激しいのは、 井沢先生の書き方にもうひとつ説得力がないためでは? と思わずに入られません。(失礼をお許しください) Time : 1999/ 1/10(日) 00:11:46
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(37)「称徳」の怨念?? Comments: 安部さん、みなさん、今日は・・・KANAKです。 RESありがとうございます。 >天武系から天智系「光仁」への変遷も言わば彼女自身の所為でしょう? >「淳仁」「塩焼」等が「称徳」を怨むなら分かりますが・・ >>もう一つ、光仁天皇後継に選んだのは称徳天皇ではなくて、藤原氏の陰謀 >>です。でなくては、吉備真備の憤慨が説明できません。 >>この事に関しては11月の易姓革命の論争で私の立場はそちらにも伝わっ >>ているはずです。光仁天皇の易姓革命に関してはまた長くなるので、取り >>合えず横に置きましょう。 念のために申し上げますが・・・もちろん私は「称徳」が「光仁」を後継者 に選んだとは考えておりません。(言葉足らずだったでしょうか?) ”言わば彼女自身の所為”と言う意味は・・・ 1.聖武天皇遺勅による道祖王(新田部親王系)を廃太子、大炊王(舎人親 王系)立太子。 2.橘奈良麻呂事件で道祖王・黄文王(長屋王系)誅殺、安宿王(同)配流。 3.淳仁(大炊王=舎人親王系)を即位後廃立、憤死せしむ。 4.和気王(舎人親王系)誅殺。 5.恵美押勝事件で塩焼王(新田部親王系)誅殺、船王・池田王(舎人親王 系)等を片っ端から配流。 ・・・要するに「道鏡」擁立のためもあって、天武系有力皇族を次々に皇位 継承から遠ざけ、その死後天武系皇族として吉備真備の持駒となったのは、 僅かに「長親王系」で既に臣籍降下した文屋兄弟程度・・・という状況を作っ たのは他ならぬ「称徳」自身である。 これでは天智系とはいえ「聖武」の子「井上内親王」の夫であり、「聖武」 の孫「他戸」の父でもある白壁王の方に軍配が上がるのも無理からぬところ であり、彼女がそれを怨む筋合いは一切有り得ない。(ご承知のとおり、私 は天智系・天武系は基本的に舒明系同一血族であると考えております・・・) 従って井沢さんの言われる・・・ 「つまり、彼女が亡くなった後で、その一生を振り返ってみれば、皇位を自 分の望んだ相手(道鏡)に与えられなかったどころか、逆に天智系に奪回さ れてしまった『失意』の天皇、ということになる。また彼女には子供がいな かったのだから『子孫が絶えてしまった』と言うこともできないことはない。 これは息子の代で『子孫が絶えてしまった』、徳のつく皇太子と同じではな いか。これが『称徳』天皇なのである」 P145 ・・・は全く訳が分からない・・・ということです。 *そもそも、「道鏡」皇位擁立と「天武系」皇位維持とはアンビバレンツな ものではないでしょうか? *彼女が「天武系」皇位維持(「天智系」奪回阻止)に拘って、何か努力を 行ったでしょうか? 彼女は天武系皇統を保つことには殆ど拘りを持っていなかった・・従って 「失意」等は感じない・・・としか思えませんが? *独身の彼女に子供がいなかったことが怨恨の種になるのでしょうか? 『権力によって子孫を絶たれた・・』と『自ずから子孫が絶えた・・』と では全く怨念が異なるでしょう? 要するに「道鏡」を皇位につけると言う馬鹿馬鹿しい希望が適えられなかっ た・・・それとポルノ紛いの真偽不明の死因・・・以外に怨恨等は見られず、 他の「怨霊」候補の怨恨とは比較にならないものである。 従って「称徳」諡号が生前「尊号」によるものと併せ見て、仮に当時「怨霊」 信仰が有ったとしても・・・彼女は「怨霊」足り得ない。 これが私の井沢説批判なのですが・・・ なお、聖徳太子論批判については、ご納得頂いたのでしょうか? 是非ご意見をお聞かせ下さい。 Time : 1999/ 1/10(日) 12:46:09
Name : 輔住 E-mail : Title : 井沢説の解釈 Comments: 私自身は前回のとおり実朝暗殺事件では 井沢説と永井説で悩んでいるのですが、 井沢説の解釈について私なりの意見を >『愚管抄』の言うように「義時だと思い込んで殺した」のなら、 >義時は黒幕ではないことになる (これは義時"単独"黒幕説の否定) >義時がわざわざ仮病(だろう)を言い立てて仲章と入れ替わったのは、・・・・ (ただし御家人総意だから義時も加わっていた) という意味ではないでしょうか? 「逆説の日本史」は従来の説に対し新説をぶつけるという性格上 議論になるのはむしろ自然でしょう。 百人中、百人を完全に納得させるのは誰でも難しいと思います。 Time : 1999/ 1/11(月) 12:28:26
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 源実朝暗殺事件私見 Comments: 鎌倉幕府に関しては、私も大変興味があります。実朝暗殺に関しては、 よく知らないのですが、推理小説でも解く気持ちで私の意見を一つ。 警備が厳重な場所において暗殺が成功するためには、警備している側 自体が犯人であるかシンパである必要があります。蘇我入鹿暗殺では 会の主宰者(本来なら主宰者が同業者を殺すはずがない)が犯人でし たし、インディラ=ガンジーは警備の兵に暗殺されました。 鶴岡八幡宮は山の中にありますが、そんなに大きな山ではないし、す ぐ近くに街が有るので、警備を厳重にすれば不振人物は進入できない。 ならばやはり警備する側、つまり御家人に公暁のシンパがいたはずです。 御家人が全員犯人と言うのも難しい気がします。何処かで源実朝にも漏 れるのではないでしょうか。 和田合戦で三浦が一族の義盛を裏切って北条義時についていることから も、まだこの時は、三浦氏と北条氏の中は決裂してはいないと思います。 ただ、いつかは決着を付けなければならないと両者思っていたでしょう。 となると、北条義時と三浦の共犯はどうでしょうか。北条義時ならば、 公暁が自分を恨んでいるのを見越して三浦氏を通じてけしかけることく らいするでしょう。そして、御家人は、幕府の両巨頭が結託しているの を知っていたから何も言わなかった。聖域での王殺しは、朝廷との決別 を京都にも御家人にも見せ付けたのではないでしょうか。 御家人は、将軍暗殺に消極的に参加した後ろめたさから結束したとは言 ないだろうか。今度将軍を暗殺すると言う回覧版が御家人に回ったわけ ではないでしょうが、御家人はうすうす感じながらも見て見ぬふりをし たのではないでしょうか。そして、承久の乱と言う幕府存亡の危機を前 にしてうやむやになってしまった。 鶴岡八幡宮でこともあろうか将軍暗殺が起こるなんて本来なら大恥です。 国会議事堂で麻薬取引が行われるようなもので、自らの統治能力の無さ を証明するようなものです。やはり特別な意味があったと思います。 どちらかの単独犯ならこれを口実にして朝廷と結託して片方を滅ぼすこと も起こり得ると思います。それがなかった以上、共犯ではなかろうか。 これは私の意見です。 Time : 1999/ 1/11(月) 12:51:07
Name : kazu E-mail : Title : 美人はあくまで誉め言葉 Comments: 久しぶりに投稿します。謚号問題が終わってしまいそうなので、これだけは書きた くて遅ればせながら投稿します。 美人はあくまで誉め言葉です。女性の水死体を「美人」と呼んだとしても、それは 「水死した女性を美人といえば慰霊になる」と考えた人がいて、そのように呼んだ までで、時代が下がっても、「美人」の意味に「女性の水死体」が加わることはな いと思います。 勿論、誉め言葉が(皮肉に使われて)そのまま相手を誉めることにならない、とい うことはありますが、それは別なことと考えます。 「*徳」天皇も同じ事ではないでしょうか? 「*徳」天皇の多くが無念のご生涯を終えた天皇であったとしても、すべてが慰霊 の為でなく、ほんとうに徳のあった(と考えられる)天皇も含まれていると思いま す。仁徳天皇は、その意味で付いていますし、おそらく懿徳天皇もそうだと考えま す(推測ですが、日本書紀編纂当時、何らかの伝承があった?)。 謚号の問題は、結局、誰が付けたかということと併せて考えないといけないと思い ますが、「聖徳太子」がターニングポイントになったと思われます。何しろ即位し ていないにも拘わらず謚号が贈られているわけですから。 ただし、それ以後慰霊のために「*徳」天皇が贈られることになったとはいっても それは怨霊化を防ぐ一方法であって、他に適当な方法があればそれがとられるで しょうし、2つ以上の方法が採られることもあると思います。 もう一ついえば、怨霊対策が行われるのは、怨霊化が危惧される天皇であって、 客観的にみてご不幸な生涯であっても怨霊化が考えられない場合は特に慰霊はされ ないと思います。(コラムで井沢先生が挙げられた陽成天皇のように) なお、称徳天皇については付言します。 この女帝や仲麻呂が大変な中国かぶれだったことに異論はないと思います。この 場合の「徳」は中国語で語られた、つまり本来の意味での「徳」が語られている と思います。(他の資料に「徳」があふれていたとしても、それは中国語として 語られていると思いますが...) ただ、謚号を「称徳」・「孝謙」とせずに、「孝謙」・「称徳」との順にしたのは 何か意図があるのでは、と思えますが今のところは何ともいえません。 今後も、皆様のご意見を楽しみにしています。 Time : 1999/ 1/11(月) 12:59:49
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 怨霊思想は屈折している Comments: 怨霊の鎮魂というのは屈折しています。どの文明でも、時代でも、権力闘争に負 けた者は公式には「悪」とされ、勝った方は「善」とされます。勝てば官軍です。 でも、祟りは恐い。したがって、出雲大社みたいな変則的な祭り方をしたり、 「徳」のように表面的には誉め言葉で通用する謚号をあげるわけです。言い逃れ出 来るようにしておくわけです。ましてや日本は革命的な権力交代は起こっていない。 全員前の権力の正当な後継者で通っているわけです。自分の非を明らかにしたりは しません。天神様のように、朝廷がその非を全面的に認めることはまれでしょう。 (ということは、天神様の祟りはよっぽど強烈だったのだと思います)それだけに、 KANAKさんのように論理の整合を第一とする人には分かりにくいかもしれません。 淡海三船に関しては、私は実を言うとよく知らないのです。いろんなところに謚号 を一括してつけた人物と書いてあるので、漠然と聖武天皇か称徳天皇ぐらいまでつ けた人のつもりで使っています。誰か、淡海三船がどこまで謚号をつけたのか、そ してそれは何時の事かご存知ならばお教え下さい。 怨霊の鎮魂にはタイムラグがあると思います。政敵を追い落してすぐに怨霊を鎮め るようなことをする人はいないです。自分の権力の正当性を傷つけるようなことを すぐにする馬鹿はいません。やはり祟りがあってからだと思います。それまでは、 「徳」のようなおざなりな方法を取って、最悪の状態になってから、寺社を建てる ような大掛かりなことをするのでしょう。基本的に権力者は怨霊をおおっぴらに祭 りたくないのです。「私はイリーガルな方法で権力を握った」と発表するようなも のですから。 怨霊思想が古代の日本人を規制していたというのは、怨霊思想が日本人が人殺しす るブレーキになっていて(中国では政変があるといとも簡単に万単位で人が殺され ます)、どうしようもなく人を殺してしまった場合は祟りに恐れおののいて暮らさな ければならないという意味です。 KANAKさんがおっしゃているように、「日本人が怨霊を恐れていたなら、怨霊を生 み出すようなことはしないはずだ。なのに、古代の日本人は、何度も、無実の人を殺 して怨霊を生産している。これは怨霊思想が日本人を規制していなかった証拠だ。」 という論理は成り立たないです。 怨霊を恐れていても、生きて祟られる方が、自分が怨霊になることと比べれば雲泥の 差です。食うか食われるかの権力闘争に身を置けば、怨霊を生むと分かっていても、 人も殺すでしょう。怨霊思想があったことは、古代日本の政変で殺される人数の少なさ と、いろいろな鎮魂の事実から分かるのです。 しかし、この屈折した、そして奥深いことこそ、いかにも日本らしいと私は思うのです。 Time : 1999/ 1/11(月) 15:32:33
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 訂正 Comments: 下の文章の「KANAKさんがおっしゃるように」は 「KANAKさんがおっしゃたような」の間違いです。 失礼しました。 Time : 1999/ 1/11(月) 15:37:31
Name : 輔住 E-mail : Title : 実朝が殺された原因 Comments: 阿部さんの北条・三浦共謀説はなかなか説得力がありますね。 井沢説・永井説に続いて有力な説が出たので私はさらに悩みますが(笑)。 実朝が殺されたのに幕府が黒幕探しに深入りしなかったのは 実朝が御家人の支持を失っていたからではないでしょうか? 実朝は朝廷に対して、友好的な態度をとっていた。 しかし、御家人と公家の間では領地の争いが絶えなかった。 このへんに実朝が殺された原因があると思います。 Time : 1999/ 1/13(水) 12:19:27
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(38)「淡海三船」と諡号選定 Comments: 安部さん、みなさん今日は・・・KANAKです。 >>しれません。淡海三船に関しては、私は実を言うとよく知らないのです。 >>いろんなところに謚号を一括してつけた人物と書いてあるので、漠然と聖武 >>天皇か称徳天皇ぐらいまでつけた人のつもりで使っています。誰か、淡海三 >>船がどこまで謚号をつけたのか、そしてそれは何時の事かご存知ならばお教 >>え下さい。 コメントが無いようですので、極く基本的なことのみですが、以下・・・ 淡海真人三船(722−785)系譜 大友皇子 │ーーーーー葛野王ーーー池辺王ーーー御船王(淡海真人三船) 十市皇女 (天武・額田王の子) * 上記のとおり、天智・天武両天皇の孫である葛野王の孫に当たり、 従って両天皇の玄孫である。 *漢詩に秀で、石上宅嗣と並び文人の首と称される知識人であった。 *太宰少弐に左遷された理由として検括酷苛・専権独断と評されている。 *『続日本紀=797』前半の編集にたずさわったとされている。 *『懐風藻=751』の選者とする説も有力である。 *『唐大和上東征伝=779』撰修ともされている。 *『釈日本紀』によれば 天平宝字年間(757-765年)に歴代天皇漢風諡号を 勅命により選定したと伝えられる。 (「称徳孝謙」及び「聖武」の尊号・諡号奉呈への参画は不明) 略暦 720年 (元正6)舎人親王「日本紀」選修・・・漢風諡号未選定 722年 (元正8)出生 729−749年(聖武 )出家?法名「元隅」 749−750年(孝謙 )勅命還俗? 751年 (孝謙3)「淡海真人」賜姓 756年 (孝謙8)朝廷誹謗事件連座・・「聖武太上天皇」崩御 758年 (淳仁1)尾張介任命・・・・・「上台宝字称徳孝謙皇帝」尊号奉呈 「勝宝感神聖武皇帝」諡号奉呈 760年 (淳仁3)山陰道巡察使兼務 761年 (淳仁4)参河守任命 764年 (称徳1)正五位上(恵美押勝乱鎮圧に功績)・・・淳仁廃帝 766年 (称徳3)東山道巡察使任命 767年 (称徳4)兵部大輔兼務 同年 巡察使・兵部大輔解任ー太宰少弐任命 770年 (光仁1) ・・・「称徳」崩御・「光仁」即位 771年 (光仁2)刑部大輔 772年 (光仁3)大学頭文章博士兼務 780年 (光仁11)従四位下 781年 (桓武1)「光仁」大葬時 御装束司任命 782年 (桓武2)因幡守兼大学頭文章博士 784年 (桓武4)刑部卿兼因幡守兼大学頭 785年 (桓武5)逝去 ・・・井沢さんは「天智=紂王」諡号説より、天智直系孫である「淡海三船」 による歴代天皇諡号選定を否定されており、また「懿徳」「仁徳」と「聖徳」 「孝徳」の諡法が異なることから一括選定自体も否定されているわけですが、 それにも係わらず何時どのような時代背景のもとで各諡号が選定されたのか を明らかに示しておられません。(実際には上記のタイミングからして一括 選定としか考えようが無いのですが・・・) また「天智=紂王」諡号説に至っては、天武系天皇といえど母系では天智直 系孫であること、諡号選定時期と天智直系「光仁」即位時期が極めて近接し ており、「光仁」以下天智直系天皇が「天智=紂王」と言う直系祖に対する 最大の侮辱を放置することは有り得ない・・・より、全く理論的根拠を欠く ものであると考えていることは既に申し上げたとおりです。 私は、『釈日本紀』の解釈には一定の根拠が有り、淡海三船を中心とする文 人貴族により760年前後に「神武」〜「元正」の漢風諡号が一括選定されたと 考えています。(或いはもう少し後かも知れませんが・・・) 従って諡法的には「懿徳」「仁徳」(「聖徳」)「孝徳」が同一グループで あり、「称徳」は奉呈経緯より別グループと見るべきでしょう。 なお、「聖徳太子」については「書紀」文注等より、これに先んじて一種の 「法名」として「聖徳法王」という尊号が成立していた可能性もあるのでは 無いかと想像していますが、イマイチ根拠に自信がありません。 Time : 1999/ 1/15(金) 18:31:51
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 雑文 Comments:  石井一旭様 こちらではあまりお見掛けしなくなりさびしい限りですが、 御先輩の芥川賞受賞おめでとうございます。 (あまり関係ないとおっしゃるかもしれませんが、 一応めでたいことですので・・・) 貴方のこれからのご活躍にも期待しております。  KANAK様 淡海三船についての記事、大変勉強になりました。 安部様にも遠く及ばない知識しかありませんので、 解説していただけると非常にありがたく思います。 −−−美人の辞書に土左衛門が載らない意味について−−−  kazu様の記事を拝見しての感想ですが、小生が編者ならいざ知らず、 通常の日本人的な感覚なら、載る可能性はまずないと小生も思います。 そこで、それについて感じたことを話題提供として記します。 皆様のご意見がいただければありがたく存じます。  このような慣習が過去のものとして忘れ去られるか、まったく 知らない外国の人から見た場合、土左衛門の女性に「美人」とあれば、 素直に信じてしまうでしょう。それがもし、歴史上重要な人物で (西郷隆盛のように)容姿が不明な場合は、それが史実として 確定してしまうのではないでしょうか。  このようなことは歴史上、しばしば起こっているように思います。 誰が考えても「正史」として権威が揺るがない「辞書」に記載がないのですから、 文句のつけようのない「史実」でしょう。 すると真実に近づく道はわずかにのこる(民間の)伝承・伝聞か、 多少いかがわしい大衆小説を頼って、怨霊的感覚で「美人」と呼んだのだと 推理するより手がありません。もちろん、これらの史料的価値は辞書に 遠く及ばないため、省みられない可能性が高いとおもいます。  井沢先生がいいたいことの一つは、上記のような事例とおもっています。 西洋史では、「年報学派」(カタカナで表現すべきでしょうが、根が低俗なので 抵抗があるため、こう表現します)が、主にフランス革命を中心に このようなアプローチで歴史を構築しているときいています。 身近な例では、岩波同時代ライブラリにある ダーントン「猫の大虐殺」 があるようです。(猫いじめの習慣とブルジョアへの抵抗を重ねているのですが、 あまり読みやすい本ではありません。ちなみにダーントンを読むなら、 「パリのメスマー」でしょうとある人から言われましたが、 残念ながら絶版のようで、入手できませんでした。以上蛇足です.) 歴史へのアプローチとしての意見ですが、いかがでしょうか? Time : 1999/ 1/16(土) 08:48:32
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 残念ですが・・・ Comments: KANAKさん、ご丁寧な回答有難う御座います。察するに、御蔵書に 歴史辞典があるのでは?さすが、玄人裸足の御知識です。 KANAKさんの淡海三船の資料からも、「逆説の日本史」の援護は出来 るのですが、残念ながら、私はある結論にたどり着いてしまいました。 「逆説の日本史第1巻」は、井沢先生のおっしゃる通り、全面改訂もあり えます。聖徳太子より昔のことは、恐らく誰にも確言は出来ませんから、 これはしょうがないと思います。私が最近読んだ本から見て神話の解釈は、 梅原先生さえ、かなり怪しい部分もある。 しかし、「逆説の日本史第2巻」は、結論は正しいものの、それに至るまで の理論にかなり無理がある上に、資料との照らし合わせが非常に甘い。せめ て、自書に登場させた人物をすべて歴史辞典で確認くらいしておくべきでは なかったかと思う。 皆様、御安心下さい、「逆説の日本史」は、巻を進める毎に著述がしっかりし ています。特に第6巻の、鎌倉仏教の解説は素晴らしい。でも、第2巻は大幅 な改定が必要かもしれません。 しかし、広範な議論のたたき台になりました。事業を進める上で一番たいへん なのは、たたき台を提出することです。 Time : 1999/ 1/18(月) 15:15:44
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 淡海三船を逆説の日本史の世界で活躍させてみました Comments: 私は、淡海三船が神武〜皇極の謚号を一括してつけた立場を取ります。 しかし、一人で43人もつけるのは困難でしょうから、神武、仁徳、継 体などの歴史的に意味があるものは、既にできていたのかも知れません。 上宮王家殺害には、皇極天皇は間接的に関わっています。それにより、 中大兄皇子の皇位は安泰になったのだから、聖徳太子は天智系と天武系 共通の怨霊です。 孝徳天皇は、中大兄皇子と大海人皇子の両方にとって邪魔であったけれ ども、中大兄皇子の方をより恨んでいると思われます。 よって、淡海三船が両者を鎮魂することには問題ない 漢文の常識では、「武」から連想されるのは周の武王です。これに異議 を唱える人は、漢文の常識を知らないことを露呈しているに過ぎません。 壬申の乱に勝利した天武天皇は、聖王武王に比せられたことになる。で は聖王に負けた敗者紂王(これも漢文の常識)は誰かと言うと、この場 合大友皇子よりも天智天皇でしょう。天智剣が紂王の宝物であるのなら、 天武天皇=武王、天智天皇=紂王、壬申の乱=易姓革命、は間違いありま せん。 これはいかがわしい邪推ではありません、漢文の常識にのっとっているの です。そして、奈良時代の日本人が持っていた漢文の才能は、今とは比べ 物にならないほど高かったはずです。 淡海三船は、父祖の敵に媚びたことになります。大津王子を密告した川島王 子や、軽皇子(文武天皇)の立太子を擁護した葛野王子(淡海三船の祖父) のようなものです。弱者としては、権力者に媚びるしかなく、権力者として も強力な身内よりも弱い旧敵の方が扱いやすい。藤原不比等だって、天智側 であって、若い頃は世を忍んでいますが、その後最高権力者にまでなりまし た。 淡海三船が孝謙天皇即位と同時に還俗しているのは、恐らく聖武天皇が孝謙 天皇の藩屏となることを期待してのことだと思います。そして、聖武天皇の 死と同時に一度失脚しています。更に、聖武天皇は娘の井上内親王を白壁王 (光仁天皇)と結婚させているから、聖武天皇末期には、天武・持統朝と天 智系は、親密になっていたと言えます。 恵美押勝の乱と道鏡事件は、このままでは皇位を他の天武系か天智系に 譲らざるをえなくなった称徳天皇の異常な心理が引き起こした事件でし ょう。恵美押勝の乱で天武系がほとんど失脚したことと、道鏡の即位が 失敗したことは、天智系の即位を意味しますが、それは称徳天皇の本意 ではなかったはずです。もし病気が回復したら、再び他の天武系と天智 系の即位阻止に動いたのではないかと思います。持統天皇の血を引く女 性も光明子も気が強く気位が高いです。称徳天皇は、「怒りの宣命」を乱 発していることからもその性格は想像できます。自分の意図がくじかれた ショックは大きかったでしょう。 称徳天皇の死はそのためであり、悶死に近かったのではないかと思います 。天皇を助けるための積極的な措置は取られなかったです。やはり称徳天 皇は怨霊だと思います。 淡海三船はその血統上、光仁天皇即位後も重用されます。もしかしたら、 光仁天皇即位の立役者の一人かもしれません。当時最高の学者で兵法にも 通じていた(恵美押勝の新羅征討計画では将軍になっている)吉備真備に 対抗できる学識と軍才(恵美押勝の乱の鎮圧で活躍している、兵部大輔に なっている)があるのは彼しかいないと思う。淡海三船は、称徳天皇に天 智系への譲位の意志がないのを知ってから、天智系の参謀になったのかも しれないです。 Time : 1999/ 1/19(火) 14:42:55
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 訂正、補足 Comments: 訂正 「神武〜皇極」ではなく、「神武〜元正」です。 補足 KANAKさんは、「天智=紂王」という連想を催す謚号を放置することはあり得 ない、と述べていますが、 漢文の常識からするとこの連想は十分理由のあることでして、むしろなぜ放置したのかと考 えたほうが善いと私は思います。 それに、謚号が一括に制定されたのは、天武・持統朝の天下の時期であるので、まず、天武 ・持統朝の視点で制定されたでしょう。 それと、これは質問なのですが、制定時期と光仁天皇が即位した時期が接近していることと 、天智天皇の謚号の変更はどうつながるのですか? Time : 1999/ 1/19(火) 16:43:07
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(39)諡号「武」について Comments: 安部さん、みなさん、今日は・・・KANAKです。 淡海三船論・諡号「武」論等につき楽しく拝読しました。 ・・・以下疑問点です。 >>私は、淡海三船が神武〜皇極の謚号を一括してつけた立場を取ります。 >>しかし、一人で43人もつけるのは困難でしょうから、神武、仁徳、継 >>体などの歴史的に意味があるものは、既にできていたのかも知れません。 私は、淡海三船が ”一人で”漢風諡号を選定したとは思いません。 (藤原不比等説も捨て難いとは思っていますが・・・どちらかと言えば三船 説に魅力を感じている程度です。) 朝廷の方針により歴代天皇に漢風諡号を付ける場合・・・当然選定グループ (官員・吏員)が任命されるでしょう。その責任者が淡海三船であったと理 解すべきであり、40名程度の選定が特段困難だったとは思えません。 また、特定の天皇については一括選定に先だって既に選定されていたという 想定について何か根拠があるのでしょうか? 私にはそのような選定経緯は、 全く窺えませんし、理解も出来ません。 (聖徳太子については既に申し上げたとおり、天皇諡号一括選定とは別の原 理による一種の法名かも知れないと考えていますが・・・) >>漢文の常識では、「武」から連想されるのは周の武王です。これに異議を >>唱える人は、漢文の常識を知らないことを露呈しているに過ぎません。 私は、残念ながら漢籍についても浅学非才の身ですので、安部さんのように ”漢文の常識”を語る能力はありません。 従って、次の手法によって検証したいと思います。 1.中国において「武」を冠した帝王名 前漢・・・・・・・・第7代 武帝(B.C.141〜87) 後漢・・・・・・・・初代 光武帝(25〜57) 魏朝・・・・・・・・太祖武帝<曹操>(155〜220) 西晋・・・・・・・・初代 武帝(265〜290) 東晋・・・・・・・・第9代 孝武帝(372〜396) 宋・・・・・・・・・武帝 北魏・・・・・・・・太祖 道武帝(386〜409) 第3代 太武帝(424〜465) 第7代 宣武帝(499〜515) 北周・・・・・・・・第3代 武帝 北斉・・・・・・・・初代 神武帝 第6代 武成帝 周・・・・・・・・・則天武后(690〜705) 唐・・・・・・・・・第15代 武宗(840〜846) *初代に多いのは「諡法」の関係でしょう・・・4を参照下さい。 2.中国周辺諸国(真偽不明分あり)の例 高句麗・・・・・・・第3代 大武神王 新羅・・・・・・・・第29代 武烈王(654〜661) ・・・・・・・・第30代 文武王(661〜681) ・・・・・・・・第45代 神武王(839) 百済・・・・・・・・第25代 武寧王(501〜523) ・・・・・・・・第30代 武王(600〜641) 3.倭・日本 倭王武・・・・・・宋書上表(478) 漢風諡号・・・・・ 1 神武・25武烈・40天武・42文武・45聖武・50桓武 ざっと見渡したものですが、以上の例から・・・遺憾ながら安部さんの「漢 文の常識」にはとても賛同いたしかねます。(文武・聖武はどう理解されて いるのでしょう?) 4.「帝諡考」諡法例 神武・・周書諡法「・・剛彊直理曰武、威彊叡徳曰武、克定禍乱曰武、刑民 克服曰武、大志多窮曰武」 ・・史記正義諡法「剛彊直理曰武、威強敵徳曰武、克定禍乱曰武、刑民 克服曰武、誇志多窮曰武」 天武・・周書、大明武、畏厳大武曰維四方畏威乃寧、天作武修戎兵以助義正 違。(以下の部分は神武と同じ) 国語、楚語下「王問三事於観射父、対曰、天事武地事文民事忠信」 その他諡号「武」に関する「諡法」解釈は一度「帝諡考」ででもご確認され れば如何かと存じます。 私の読解力では、少し読みにくい部分もありますが・・・安部さんならば 何の問題もないと思いますので、その上で「漢文の常識」を再度ご勘案願い ます。 Time : 1999/ 1/20(水) 00:23:54
Name : 安部奈亮 E-mail : s00v0128@ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : 香椎宮と仲哀天皇の怨霊 Comments: 香椎宮(福岡県福岡市東区) 記紀によれば、熊襲征伐のために九州に赴いた仲哀天皇、神功皇后が仮宮(本営)をおい た所であり、仲哀天皇が新羅を討てとの神託を受けながらそれを信じなかったため、急死 したという。社伝によれば、養老7年(723年)の神託により、九国に課役して大廟を 香椎の地に造営し、よって香椎廟と称したという。 香椎宮は「延喜式」の神名帳に名前が見えず、民部式に「諸神宮司並びに橿日廟宮」と あり、香椎宮に「廟司」を置き「守戸」を定めると書かれている。そして、これによれば この宮は山陵(天皇陵)と同じ扱いを受けていたことになる。 祭神…定説なし (1) 神功皇后説 (2) 仲哀天皇説 (3) 神功皇后・応神天皇・住吉大神説(社伝) (4) 神功皇后・武内宿禰・応神天皇・住吉大神説 「日本の神々―神社と聖地(1)九州」(白水社)より 行政界は、昭和59年現在 私が考えるに、これは仲哀天皇の怨霊を祭った神社です。 Time : 1999/ 1/20(水) 10:38:17
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 鏡神社と藤原広嗣の怨霊 Comments: 鏡神社(佐賀県唐津市) 祭神…一宮は息長足姫尊(神功皇后) 二宮は藤原広嗣 天平12年(738年)に反乱を起こした藤原広嗣が、松浦郡で斬られた(「続日本紀」)。 天平12年(745年)吉備の真備(藤原広嗣の仇敵)に鏡明神を祭らせ、天平勝宝6年(754 年)その吉備真備が奏して神田を鏡神社の神宮寺の無恨寺に寄進した。(「松浦廟宮本縁 起」) これは明らかに、吉備真備が藤原広嗣の怨霊を恐れて祭った神社と寺です。無恨寺という 名も、怨霊を考えさせます。 Time : 1999/ 1/20(水) 10:51:35
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 謚号問題「武」編 Comments: KANAKさん御解答ありがとうございます。 私も漢文は「論語」「孟子」「中庸」「大学」「史記列伝」しか読んだことがありませんが、 これらの書は漢文の最も基本的なものでしょうから、この書の中での常識は大分広く通用 すると思います。ただし、儒教に偏るきらいはあるかもしれません。 「武」に関してはもっと調べようと思いますが、今思い付くことを書いておきます。 (1)初代に「武帝」が多いのは、易姓革命だからです。 (2)周王武は、軍事に長けていましたので、軍事的才能を持った皇帝にも与えられたで しょう。前漢の武帝や桓武天皇(蝦夷征伐)はそうでしょう。 (3)「文武ノ道」というのは、孔子先生が理想として何度も口にしている言葉です。周 の文王と武王のことです。文武は、天武・持統朝の正当な継承者として持統天皇の愛を一 身に受けた彼に与えられた美称でしょう。だからといって怨霊ではないと思います。でも、 武烈天皇は分かりません。「烈」という字には、否定的な意味があります。武烈天皇は、 古代では最低の天皇とされています。これは、継体天皇で王朝が代わったことを正当化す るための伝説だと思います。彼に「武」が与えられた理由は、私も分かりません。 (4)則天武后は、姓は武で、皇帝になる前から「武后」と呼ばれていました。この人は、 仏教と道教に凝っていたので儒教の価値観とは分けて考える必要があるかもしれません。 儒教では、女帝などあってはならないことです。ちなみに、懿徳太子は中宗の長男で、701 年に武后から死を賜りました。懿徳天皇との関係は不明です。また、持統天皇などの女帝 は、則天武后をかなり意識していたのではないかと梅原武先生は述べておられます。 「武」から連想されるのは、やはり周の武帝でしょう。残りの皇帝のことは追って調べま す。 Time : 1999/ 1/20(水) 11:48:41
Name : 輔住 E-mail : Title : 「天智」謚号問題 Comments: わたしは天智天皇暗殺説を支持していますが、 唯一よく分からなかったのが「天智・天武」の謚号に関してです。 そして阿部さんとKANAKさんの論争を見ているうちに「疑問」に変わりました。 井沢先生の説によれば 1.天智=紂王 2.天武=武王 3.持統=正当な血統(天智)を維持 これは矛盾していると思います。1.で天智を最大級に罵倒しているのに、 なんで3.で「正統な血統」となるのか? 少なくても、天智=紂王だけは違う気がします。 Time : 1999/ 1/20(水) 12:36:05
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 素人が謚号論争をみて・・・ Comments:  謚号論争、興味深く拝見させていただいていますが、 全く知識不足で個人的な見解はありません。 でも、素人のとんでもない見当違いの質問かもしれませんが、 「漢風」と「和風」には、何の関連もないのでしょうか? 素人考えだと、両方を比較・吟味した議論でないとなんとなく ○○落ち(言霊国の差別用語ゆえ伏せ字)と思うのですが。 どなたか御見解をお聞かせいただけませんでしょうか?  安部様 武烈の解釈をなさっていましたが、金春秋も武烈王だったですね? 何か関連はないのでしょうか?時代は前後しているかもしれませんが、 謚号選定の時期からみて、関連があってもいいように素人として感じます。 御意見お聞かせください。  さらに、ついでにもっと前の御意見ですが、 >しかし、「逆説の日本史第2巻」は、結論は正しいものの、それに至るまで >の理論にかなり無理がある上に、資料との照らし合わせが非常に甘い。せめ >て、自書に登場させた人物をすべて歴史辞典で確認くらいしておくべきでは >なかったかと思う。 は、具体的にどの部分を指しているか教えていただけないでしょうか? 既に述べられたのかもしれませんが、力不足で読み取れませんでしたので、 単純なお願いです。 Time : 1999/ 1/21(木) 09:37:00
Name : 三枝貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : 大陸に関する知識 Comments: 記紀が書かれた時代の漢字(中国語)や中国本土の歴史・政治に関する 知識は、今の日本人にとっての英語やアメリカの政治に関する知識のような ものだったのではないかと考えてみるのも一つの手だと思うのですが。 もっとも近い外国、あらゆる意味でお手本であり、もっとも意識する第一 の国という意味で。 私たちは日常、ごく当たり前に会話に英語をまぜて話すこともある一方、 あやしげな和製英語も平気で使用しています。日本人同士で通じるのなら それでかまわなかったりするんですね。 子供の名前も、英語での意味や響きを考えて名付ける人がたくさんいる 一方、そんなことお構いなしの人もいます。 店の名前、車の名前、料理の名前、英語だらけです。でも、どれほどの 人が本当の意味をわかってつかっているのでしょうか? 意味がわかって いないことで、同じ日本人にとがめられるのは、どの程度以上の間違い からでしょうか? その境目は極めてあいまいです。 問題は、今の日本人にとっての英語や米国と、記紀の時代の人にとって の中国語と中国の、どっちがより密接であったかなのですが。 どなたか、ご意見はお持ちでないですか? Time : 1999/ 1/21(木) 10:11:38
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(40)「天武・天智」諡号について Comments: 安部さん、大阪JF生さん、みなさん、今日は・・・KANAKです。 安部さん・・・・ RESありがとうございます。ただ私の言葉足らずのためか・・・少し論点が 食い違っているようです。 私が申し上げたかったのは・・・・安部さんの主張される。 A. >>漢文の常識では、「武」から連想されるのは周の武王です。これに異議を >>唱える人は、漢文の常識を知らないことを露呈しているに過ぎません。 ↓ B. >>壬申の乱に勝利した天武天皇は、聖王武王に比せられたことになる。では聖 >>王に負けた敗者紂王(これも漢文の常識)は誰かと言うと、この場合大友皇 >>子よりも天智天皇でしょう。  ↓ C. >>天智剣が紂王の宝物であるのなら、天武天皇=武王、天智天皇=紂王、壬申 >>の乱=易姓革命、は間違いありません。 という論理構成の前提となっているA部分に関する問題なのです。 つまり、安部さんは・・・ 1.「武」からは「周の武王」を連想するのが「漢文の常識」である。 2.従って、「天武」は「聖王武王」に比せらたことになる。 3.即ち、(天智諡号と合わせてみれば)壬申の乱=易姓革命、は間違いない。 ・・・と仰っているわけですね。 これに対して、私は・・・ 1.「武」諡号は諡法「剛彊直理曰武、威彊叡徳曰武、克定禍乱曰武、刑民 克服曰武、大志多窮曰武」等によるものと考えるのが「漢学の常識」   である。 2.この「武」の「諡法」は「周武王」に由来する部分もあり得るが、他の   多くの「諡法」と同様「武」の「字義」そのものに由来すると考えられ   る。 3.従って、「武」諡号者について直接「聖王武王」に比することは無理が   あり、まして直ちに「易姓革命」と関連付けることは不可能である。 4.このことは中国皇帝、韓国王の「武」諡号者の多くが初代ではなく、   「易姓革命」とは何らの関係も窺えないことからも論証出来る。 5.本朝においても 神武・武烈・天武・文武・聖武・桓武を総体的に見た   場合、「諡法」を通してなら兎も角、直接「周の武王」を連想すること   は困難である。 6.従って、「天武」に「武」が含まれることを以て、直接「聖王武王」に   比し、或いは「易姓革命」に関連付けるのは牽強付会の類である。 ・・・ことを申し上げたかったのです。 なお、ここで念のため「天智」に関する「諡法」解釈を繰り返します。 井沢さんは・・・ 「『天智』というのは、殷の紂王が最期まで身につけていた宝石の名前なの である。これが何を意味しているか、もうおわかりだろう。つまり、『天智 天皇』は『「殷の紂王』だと言っているのだ。・・・・・」 ・・・と主張されていますね。これは私の漢文解釈からすれば・・・井沢さ んならではのチンプンカンプンの誤読だと思っています。 此処で「周書」が述べているのは・・・「天智玉」は当初「紂王」の身を飾 っていたが「紂王」は自らの焚死に際し、共に消滅させようとした。しかし 「天智玉」は火中にあっても些かも損なわれること無く、 「天智玉五在火中不銷、凡天智玉武王則寶與同、注、天智玉之上天美者也」            ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ つまり・・・上天の美を保ち、「聖王武王」を飾ることとなった・・・ と言うことなのです。これが何故「天智玉=紂王」なのでしょうか? 寧ろ全く逆であって・・・「天智玉」は「天命」が「紂王」から「武王」に 革したことの象徴と解釈する方が遙かに妥当だと思います。だからこそ「上 天美者」と表現され、大元帥陛下の股肱の臣「森鴎外」が「帝諡考」で真っ 先に取り上げているのでしょう。 (天智玉=紂王 ならば「上天美者」等と言う表現が有り得ないのは、漢文 に造詣の深い安部さんならばご理解頂けると思うのですが・・・) なお、「帝諡考」では「天智」の「諡法」として次のモノを挙げています 書、商書、仲X之誥、天乃錫王勇智、表正萬邦、纉禹旧服 淮南子、主術訓、人主者以天下之目視、以天下之耳聴、以天下之智慮・・ 韓非子、解老、聡明叡智天也、動静思慮人也、人也者、乗於天明以視、寄於        天聡以聴、託於天智以思慮 ・・・・要するに「紂王」どころか、最大級の佳語でしょう。 おそらくこれは「蘇我氏」による「天皇家滅亡」の危機を救った「天智」の 「聡明叡智」を称えた「諡号」ではないかと思います。 ことのついでに「武烈」の「諡法」についてですが・・・    礼、祭法、文王以文治、武王以武功、去民之当、此皆有功烈於民者也。 周書、諡法、「・・剛彊直理曰武、威彊叡徳曰武、克定禍乱曰武、刑民 克服曰武、大志多窮曰武、又有功安民曰烈、秉徳遵業曰烈」 史記正義、諡法、(同内容) 呉志、孫権伝、追尊父破虜将軍堅為武烈皇帝、母呉氏為武烈皇后 ・・・となっています。従って安部さんの解釈・・・ >>「烈」という字には、否定的な意味があります。 とされる根拠が理解できませんが・・・やはり「武」と一種の「対語」とな っている「佳語」でしょうね。 ここでは「呉志、孫権伝」のみを挙げましたが、その他の用例も挙げられて います。 「帝諡考」は「諡号」考察の入門書としては、かなり便利な著書ですから 鴎外の様なドシロウトの「諡号論」等と馬鹿にせず、一度通読されることを お勧めします。 なお、 >>それと、これは質問なのですが、制定時期と光仁天皇が即位した時期が接近 >>していることと、天智天皇の謚号の変更はどうつながるのですか? ・・・については、「天智諡号・・寝た子論」等を通じて過去何度か申し上 げていますので、ご確認頂けるでしょうか? 要するに、自分の祖父が「暗殺された上、さらに殺されても当然の悪逆紂王 に比される」と言う最大の屈辱を味わった・・・とすれば、その後間もなく 最高権力者の地位についた光仁(桓武)が・・・それを放置しておくでしょ うか? と言うことです。 これに対し、何方かが「寝た子を起こさないためだろう」と言う解釈を提起 されたので・・・時期的に寝た子では有り得ないし、諡号の性格(国内外に 喧伝し、未来永劫に伝える)からしても、そのような妥協は考えられない ・・・ことを申し上げたモノです。 大阪JF生さん・・・・ 新羅王について「武烈」をご指摘頂きましたが・・・ (ウッカリ洩らしていました) 結構重複例は多いようですね。あまり詳しくないのですが・・・ご参考迄に 18實聖王ー19訥祇王ー20慈悲王ー21火召智王ー22智證王ー 23法興王ー24真興王ー25真智王ー26真平王ー27善徳女王ー 28真徳女王ー29武烈王ー30文武王ー31神文王ー32孝昭王ー 33聖徳王ー34孝成王ー35景徳王ー36恵恭王ー37宣徳王ー 38元聖王ー39昭聖王ー40哀荘王ー41憲徳王ー42興徳王ー 43喜康王ー44閔哀王ー45神武王ー46文聖王ー47憲安王ー 48景文王ー49憲康王ー50定康王ー51真聖女王ー52孝恭王ー 53神徳王ー54景明王ー55景哀王 *29武烈(654〜661)・30文武(661〜681)・32孝昭(692〜702)  33聖徳(702〜737)・45神武(839)が重複していますが、相互関  係は分かりません。 *父祖の名を継承(真興王ー真智王ー真平王)する例が多いようですね。 *徳(8例)・聖(6例)・真(5例)・景(4例)が多用されています。 Time : 1999/ 1/21(木) 22:36:47
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 謚号問題「武」編(3) Comments: KANAKさんが引用された「帝謚考」の「武」の定義の文章は、孔子先生が「武王の道」 と顕彰している徳そのものです。私が読んだ限りですが。 天智玉が、正当な王位継承を意味するものだったとは知りませんでした。天智=紂王は、 違うかもしれません。となると、天武・持統朝は分裂病的ですね、 (1)正当な皇位継承者の証「天智」を「持統」して、「元」を「正し、明らか」にする。 (2)易姓革命をした「天子武」「文王と武王」「聖王武」 となると、「武」というのは、「周王武」と見せかけて、天武天皇は「簒奪者」だと言って いるのかもしれない。ますます、淡海三船が謚号を付けた可能性が高いです。 (3)本当の皇位継承者は、天智天皇、大友皇子の男系子孫である淡海三船である。 と言いたいのでしょうか。淡海三船の祖父である葛野王子の「皇位は親(持統天皇=大友 皇子)から子(軽王子=葛野王子)へ伝えられるべきである。」と言う言葉にも合います。 Time : 1999/ 1/22(金) 09:51:45
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 素人が謚号論争をみて2 Comments:  KANAK様 新羅王について、解説いただきありがとうございました。 きちんとした資料が手元にないので非常に助かります。  ところで、KANAK様としては不本意に思われるかもしれませんが、 次のくだりは小生にとって非常に説得力のある物でした: >此処で「周書」が述べているのは・・・「天智玉」は当初「紂王」の身を飾 >っていたが「紂王」は自らの焚死に際し、共に消滅させようとした。しかし >「天智玉」は火中にあっても些かも損なわれること無く、 >「天智玉五在火中不銷、凡天智玉武王則寶與同、注、天智玉之上天美者也」 >           ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ >つまり・・・上天の美を保ち、「聖王武王」を飾ることとなった・・・ >と言うことなのです。これが何故「天智玉=紂王」なのでしょうか? >寧ろ全く逆であって・・・「天智玉」は「天命」が「紂王」から「武王」に >革したことの象徴と解釈する方が遙かに妥当だと思います。だからこそ「上 >天美者」と表現され、大元帥陛下の股肱の臣「森鴎外」が「帝諡考」で真っ >先に取り上げているのでしょう。 なぜ天智玉を連想させる「天智」が文句が出なかったのかという疑問に対し、 これが明確な答えではないかと感じました。 しかし、天智=紂王は、 全面否定されたのではなく、いわば隠し味として使われたのではないでしょうか。 その点、井沢先生は重きを置きすぎたのでしょう。 つまり、小生の感想ですが、 皇位継承争いにおいて、中大兄=天智は確かに残虐非道な方法を採り、 身内からも恐らく(表だってではないにしろ)非難轟々だった。 その意味で少しは「紂王」的だったといわれても仕方がなかった。 しかし、後に大海人=天武が路線継承したように、天皇制強化のための体制作り という大切な「玉」は残された。けれども(ここが不本意だとおもいますが)やはり、 天智から天武へは、「革命」であった。 と考えられませんでしょうか。あくまで表向きには天智玉は大切に継承すべきもので、 天智に悪い意味はないと建前を作っておいたのです。  全くの素人考えで議論する価値もないかもしれませんが、もしこれが真実に 近いものならば、淡海三船率いる諡号チームは、なんと思慮深い集団であったのかと 恐れ入ります。またこれは脱線しすぎですが、大友が弘文として即位していたのは 自然に思うのですが、これを「正史」では隠すことによって、上記の解釈は一層 引き立つように思います(失礼ですが、間に余計な人がはいらないので)。 以上全くの素人の感想でした。 Time : 1999/ 1/22(金) 10:20:33
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 謚号問題「武」編(4) Comments: 付け足し程度ですが、出家していた淡海三船は (4)淡海三船は簒奪者武王を認めないで山野で憤死した「伯夷・叔斉」である。 とも言いたいのかもしれません。 ただし、まだ大義名分論が出来る前ですから、「伯夷・叔斉」にそれほど重きが置かれて いたかは分からないです。 中世以降の日本人は漢文を知識としてしか知りませんでしたが、奈良時代の日本人は中国 語をネイティブ並にしゃべっていました。 Time : 1999/ 1/22(金) 10:20:41
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 謚号問題「武」編(5) Comments: 大学がテスト期間に入った、 私のようなスチャラカ学生には暇な時間だ(コラッ!勉強しろ) というわけで、でしゃばってもう一回だけ投稿させて下さい。 大阪JF生さんが、「武烈」は「金春秋」の謚号でもあると教えて下さいました。 だとしたら、「武烈」の説明はつきます。 金春秋は日本と百済にとって不倶戴天の敵です。彼のせいで、百済は滅亡し、日本は大変 革を余儀なくされました。白村江の敗戦はペリーの黒船以上、アジア太平洋戦争の敗戦並 の衝撃だったと思います。それどころか、唐から軍事顧問団が日本に派遣されて、大津京 政権は占領下に置かれていたと言う人もいます。 「武烈」は最大級の悪口です。「ルーズベルト天皇」みたいなものでしょう。 謚号とは全然関係ないのですが、大日本帝国憲法の発布が1989年、敗戦が1945年で、 その間55年です。 今年は敗戦から54年です。 その間の歴史が完全に繰り返すとはいいませんが、年表を書いて並べてみると、いくつ か重なる部分もあります。 日韓基本条約から去年で35年(日帝35年)そろそろ、本当に仲直りできる時期だと思いま す。 第二次産業革命が進んだ1900〜1920年は、高度経済成長期に当たります。 ワシントン条約のあたりに、東京サミットがきます、5大大国=先進国と言うことです。 オイルショック(1975年)と昭和恐慌は重なる。 となると、十五年戦争は何に当てはまるかと言うと、プラザ合意から始まるバブル、不況 だと思います。 こんな事を書くと、残されたのは敗戦しかなくなってしまいますが、それを防ぐのは、自分 取り戻すことしかないと思います。戦争もバブルも自分を見失ったからだと思いますから。 Time : 1999/ 1/22(金) 11:17:19
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 本居宣長の亡霊 Comments: 日本史学者、考古学者だからといって仏教と儒教を知らなくても構わないというのは誤り ではなかろうか。 仏教と儒教を知らなくては、日本古来の思想と舶来の思想の区別がつかない。魚は、水を 認識することはできないからだ。 本居宣長だって、仏教と儒教に通暁していたからこそ、もののあわれを抽出することがで きたのだと思う。 Time : 1999/ 1/22(金) 16:32:13
Name : 輔住 E-mail : Title : 謚号問題の感想 Comments: 謚号問題の感想 いつも楽しく読ませてもらっています。 私はみなさんのような知識はありません。 素人であり、漢字が大の苦手な人間には 場違いかもしれませんが、感想を述べてみたいと思います。 天智の謚号については前回も意見を 述べましたが改めて、天智=紂王と考えるなら 天智系統にあまりよいイメージを持ってないの でしょう。それなら天武系と考えられる持統天皇の 謚号が不自然だと思います。 天智系統に悪いイメージを持っているのなら 持統には別の謚号をつけるでしょう。 「武」という文字は色々な意味や使い方もありそうで 必ずしもこの意味合いで付けた。と断定することは 難しいでしょう。 「武」が謚号についている天皇は 性格的にもバラエティに富んでいます。 時には誉め言葉として時には悪い意味で 使った気がします。 最後に井沢先生の本を読む前や この掲示板を見る前は謚号の意味なんて あまり考えたことがありませんでした。 謚号て深いですね。(シミジミ) Time : 1999/ 1/22(金) 18:51:43
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(41)「天智・天武」諡号追加 Comments: 輔住さん、安部さん、大阪JF生さん、今日は・・・KANAKです。 「天智」諡号問題につき・・・一定のご理解を頂き(ですね?)ありがと うございました。 「天智玉≠紂王」論証を通じ、井沢さんの主張される「天智=紂王」説が 単なる妄想に過ぎないことが、ほぼ明らかになったのでは無いかと思いま す。(輔住さんの「持統」指摘も、正鵠を得たものですね。) 当然「天武=武王」も同様です。 これは同時に「壬申の乱=易姓革命」説、「天智・天武非兄弟」説の否定 に繋がるものであり(中世史書による所謂天智・天武年齢問題の欺瞞につ いても、既にご理解頂いたと思います)、さらに「日本書紀」が井沢さん の主張される「天武系大本営発表」ではなく、「天智・天武系=つまりは 天皇家の公認発表」と見るべきものであることも、ご理解頂けたと思いま す。 つまり、「天智・天武」は「舒明・斉明」の間に生まれた実兄弟であり、 「壬申の乱」は「伯父・甥」の皇位継承戦争である・・・とする「日本書 紀」の記述は、少なくとも現段階においては、大筋において史実を反映し たものであると考えざるを得ないのです。 この基本的歴史認識に比べれば、以下は取るに足りない問題ではあります が・・・ 輔住さん・・・・ >>「武」が謚号についている天皇は性格的にもバラエティに富んでいます。 >>時には誉め言葉として時には悪い意味で使った気がします。 「武」諡号を「悪い意味で使った・・」例は全く思い当たりませんが? 「小泊瀬稚鷦鷯」が「記紀」において「悪い君主」として記述されている のは事実ですが、「武烈」諡号自体にはその様な意味はありません。 むしろ、唐・日本という大国の狭間で、巧みな外交・戦略を展開し、仇敵 「高麗・百済」を滅ぼし、韓半島を統一に導いた・・・「新羅」にとって 最大の英雄「金春秋」が「武烈王」とされているように、「武烈」自体は 明らかに最大級の褒め言葉です。(諡法をご参照下さい) なお、「持統」諡号は・・・奈良時代の皇族・貴族にとって偉大な天皇で ある「天智・天武」の両血統を「文武・聖武」に正統に伝えた・・・ 「元明・元正」も、その正統根元を「公明正大」に伝えた ・・・とでも 言うところでしょうか?? (^0^)" 安部さん・・・ >>「武烈」は「金春秋」の謚号でもあると教えて下さいました。だとしたら、 >>「武烈」の説明はつきます。・・・・・・ >>「武烈」は最大級の悪口です。「ルーズベルト天皇」みたいなものでしょ >>う。 「小泊瀬稚鷦鷯」の諡号「武烈」は・・・「金春秋」の「武烈」を借用した とでもお考えなのでしょうか? 当時の国際情勢(日本と新羅の力関係)を 少し考えれば、その様な想定が如何に「非常識」なものであるか容易に判 断できる筈です。 私はそう言った「誤解」が生じないように・・・ >*29武烈(654〜661)・30文武(661〜681)・32孝昭(692〜702) > 33聖徳(702〜737)・45神武(839)が重複していますが、相互関 > 係は分かりません。 ・・・と申し上げておいたのですが・・・(^0^)” 貴方の論法では「文武天皇」は「武烈王」の子で「新羅」統一を完成した 「文武王」を借用した「トルーマン天皇」みたいなもので、最大級の悪口 ・・・になるのでしょうか? >>日本史学者、考古学者だからといって仏教と儒教を知らなくても構わないと >>いうのは誤りではなかろうか。 これは一体何のことを言っておられるのでしょうか? まさかとは思いますが・・・これでは恰も歴史学者が仏教や儒教の研究を怠 っている・・・とさえ受け取れますね。 言うまでも無いことですが・・・文献学者は勿論考古学者にとっても仏教・ 儒教・道教・神道・(景教・妖教)・・・等々は必須知識に属します。 私のようなドシロウトでも銅鏡等の文様や文言を理解するため、仏教・儒教 ・道教(神仙思想)について一通りの勉強をしたものです。 仏教や儒教を理解せずに「記紀」を始めとする諸史料が解釈出来る筈が無い でしょう? 井沢さんも宗教思想をもう少し勉強されていれば、「聖徳太子心中」説など と言う馬鹿げた誤解をされることは無かったと思いますが・・・(>_<;) 大阪JF生さん・・・ >>なぜ天智玉を連想させる「天智」が文句が出なかったのかという疑問に対し、 >>これが明確な答えではないかと感じました。 しかし、天智=紂王は、 >>全面否定されたのではなく、いわば隠し味として使われたのではないでし >>ょうか。その点、井沢先生は重きを置きすぎたのでしょう。 繰り返し申し上げますが・・・「天智玉=紂王」→「天智=紂王」は「漢文 の常識」に欠ける井沢さんの単純な誤読に過ぎません。 従って、諡号選定者・諡号承認者はもとより、以降1200年間の貴族・漢 学者(皇円・慈円・北畠親房・森鴎外を含め)でその様な誤読をした人はお そらく皆無であり、「天智」はあくまで「佳号」なのです・・・従って、文 句なんて出る筈がないでしょう? >>皇位継承争いにおいて、中大兄=天智は確かに残虐非道な >>方法を採り、身内からも恐らく(表だってではないにしろ)非難轟々だった。 >>その意味で少しは「紂王」的だったといわれても仕方がなかった。 前段はお説のとおりでしょう・・・私は「扶桑略記」の記述はその様な天智 に対する仏教者の非難の意味が有ると考えています(既出) しかし、後段は全くの誤解です。天智が親族に対し残虐非道であったとして も、これは「紂王」の所業とは全く次元が異なっており、少しも「紂王」的 ではありませんね。 >>またこれは脱線しすぎですが、大友が弘文として即位していたのは自然に >>思うのですが、これを「正史」では隠すことによって、上記の解釈は一層 >>引き立つように思います 私も、大友は形式的には即位した可能性が高いと思います。しかし伯父「大 海人」はもとより、倭姫皇后・栗隅王等の諸皇族はそれを承認しなかったの でしょう。従って天智・天武系を問わず奈良時代の皇族・貴族にとって、大 友は正統の天皇とは認められなかったのでは無いでしょうか? Time : 1999/ 1/23(土) 17:45:55
Name : Toshy E-mail : Title : しばらくぶりに実朝 Comments: 実朝暗殺について、井沢先生の「歴史不思議物語」という本を拝見しました。 「愚管抄」では、義時が病気になったのではなく、実朝に供を許されなかった ということですね。すると義時が実朝・仲章をまとめて葬ろうとしたと考えて よさそう。 三浦義村黒幕説は無理があると思っていました。もし公暁がいれば将軍の後ろ 盾になり得るのは三浦だから、殺す必要はないからです。第一、名乗りをあげ たことが変。名乗ったことは「犯人=公暁」を否定するものと見ていいのでは ないでしょうか。 つづいて、三浦が公暁を殺したことも、総意説(あるいは義時・義村共謀説) を裏付けているようです。実朝は死んだけど、公暁を将軍に、という動きがあ っていいのに、源氏をまとめて絶やしたのは、鎌倉の政権にとって邪魔な存在 でしかないと映ったからなのでしょう。 私が不満なのは、「逆説の日本史」で永井先生に遠慮したか、あるいは顔を立 てるために中途半端な書き方になったことです。研究において、情は不要です。 結局は永井先生の説を否定されるのですから。 先に記した本の中で、関ヶ原のことを書かれたページがありました。 豊臣政権の武将派・北政所vs奉行派・淀君の対立のようなことをお書きでし たが、これは誤謬です。北政所が支持していたのは石田三成で、武将派を避け ていたことが知られています。 今後「逆説の日本史」をまた執筆なさるのを楽しみにしています、ただし関ヶ 原のところで、三成を過小評価するありきたりの説=人望がなかったとか、戦 争の素人だったとか=にならないことを祈っています。 Time : 1999/ 1/24(日) 16:58:10
Name : 輔住 E-mail : Title : 素人の邪推 Comments: KANAKさん御返信ありがとうございます。 >「武」諡号を「悪い意味で使った・・」例は全く思い当たりませんが? >「小泊瀬稚鷦鷯」が「記紀」において「悪い君主」として記述されている >のは事実ですが、「武烈」諡号自体にはその様な意味はありません。 悪い意味というより、「皮肉」だと思ったのですよ。 「天武」「桓武」と違って「聖武」は「武」というのがピンとこないので お世辞半分、皮肉半分かな〜と思った素人の邪推です。 >なお、「持統」諡号は・・・奈良時代の皇族・貴族にとって偉大な天皇で >ある「天智・天武」の両血統を「文武・聖武」に正統に伝えた・・・ おっしゃる通り、「天武」から一文字取ったという可能性もありますね。 名前を付けるとき親や先祖から一文字拝借することはよくありますからね。 Time : 1999/ 1/25(月) 12:22:08
Name : kazu E-mail : Title : 諡号問題ふたたび Comments: 諡号問題について、再度投稿させていただきます。 まず、諡号の命名者については、私も淡海三船による一括命名であろうと思いま す(勿論、複数の命名者グループが存在し、三船はその代表者でしょう)。 これに関する続日本紀の記事は、この命名作業が十分画期的なことであり、記録 に値する事業だったからでしょう。 これは井沢先生のいわれる「中日ドラゴンズの理論」からいっても理解できると 思いますが。 次に、この選定過程で、優れた天皇に対し「徳」号を贈る(本来の「徳」)一方 で「ご無念の生涯を終えられた天皇にも「徳」号を贈りお慰めしよう」と考えら れたのではないでしょうか。 その適用第一号が「孝徳」天皇であり、二番目が「称徳」天皇でしょう。以後の 「*徳」天皇が、「徳」に相応しい天皇とは思えません。 (これがタタリを恐れたためであることは勿論ですが、あくまで一つの方法ですの で、「徳」の付かない事もあり得ます。) 「天智」=紂王か? 私はYESと思います。 天智・天武非兄弟説については私も否定的なのですが、天武が壬申の乱により近江 朝を滅ぼしたことは事実です。天武が己の行為を正当化しようとして易姓革命を持 ち出すことは当然です。 従って「天智」=紂王・「天武」=武王として描かれることになります。 「武烈」天皇にも「悪い天皇」=紂王のイメージがありますが、「武」が美称であ るなら、なぜ「悪い天皇」に付くのでしょうか。やはり「武烈」=金春秋と考えた ほうが適当であると思います。 ただし、皇室はアマテラス以来万世一系、すなわちすべての天皇は一族ということ になっていますので、悪く書くといっても自ずと限界があり、「天皇として相応し くない」以上のことは書けなかったのではないでしょうか。 「天智」=「天智玉」=紂王としても、そのことを仄めかすような書き方をするの が精一杯で、しかも「天智は紂王か」と問いつめられたら「天智玉のことで・・」 と逃げられるようになっていたとしか思えません。 「武烈」にしても表面的には美称ですから、表だった非難はできないはずです。 諡号が淡海三船以下の命名グループによるものであるなら、その知識と配慮の深さ には感心するほかありません。 やはり日本は千年前から玉虫色の国ですね。 Time : 1999/ 1/25(月) 13:18:48
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 感想です Comments: 一言言って措きますけれども、私の謚号問題「武」編の文章は、井沢先生の意見を補完し こそすれども否定する内容ではありません。輔住さん文章も、井沢先生の意見を否定する ものではないでしょう。KANAKさん、あまり他人の文章を自分に都合よく一方的に解釈 しないで下さい。 関ケ原の井沢先生の意見は、司馬遼太郎さんと山本七平さんの徳川家康像を引き継ぐもの ではないかと思います。豊臣家の、文官、武官、北政所、淀殿、の関係は一筋縄ではいき ませんが、大筋では武官と北政所、文官と淀殿と言う構図になったと私は見ています。 Toshyさん、北政所が石田三成を頼りにしていたとは、初めて聞きました、できれば 詳しくお教え願えるでしょうか。 私は、「徳川家康」(山本七平 文藝春秋社)の徳川家康像が一番実物に近いのではないか と思います。タヌキ親父は明治以降にできた嘘で、嫌味なほどに実直だったのです。関ヶ 原も、安国寺恵慧、直江兼次、石田三成と言う3人の小才が利く連中に、大人肌の毛利輝 元が騙されたと思っています。北政所のアンビバレントな感情は、司馬遼太郎さんが良く 描いていると思います。 北政所の高台寺は、徳川家の知恩院に見下される位置にあります(近くに住んでいるもの ですから)。監視下に置かれていたのでしょう。豊臣秀吉と淀殿の寺である方広寺と豊国 神社は、そのもっと下にあります。偶然かもしれませんが、当時の人間関係がはかられま す。 Time : 1999/ 1/25(月) 13:34:53
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 崇徳上皇の怨霊 Comments: 金刀比羅宮(香川県琴平町) 最新…大物主命(大国主命)、崇徳上皇 明治以前の神仏習合時代は、金毘羅大権現も祭られていて、インドのガンジス河の ワニを神格化したクンピーラであると言われ、仏教では薬師如来十二神将の一つと なるが、古来、水神(海紳)として信仰されてきた。 言わずと知れた、航海の神様。 保元の乱(1156年)に敗れて讃岐に流刑となり、当宮を崇拝した崇徳上皇を、その死の翌年 (永万元年、1165年)にいち早く合祀して今日に至っている。 「日本の神々(2)」(白水社)より Time : 1999/ 1/25(月) 13:51:35
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 江戸時代の怨霊信仰 Comments: 和霊神社(愛媛県宇和島市) 祭神…宇和島藩家老職総奉行、山家清兵衛公頼(やんべせいべえきんより) 山家公頼は、草創期の宇和島藩を、民衆には仁政、藩士には負担、の方法で乗り切った。 そのため、民衆からは慕われたが、藩士から恨みを買い、桜田玄蕃の讒言を聞きいれた藩 主伊達秀宗の指示により、一家惨殺された(元和6年、1620年)。 おりしも山家公頼の死後宇和島藩には凶事・災厄が続く。玄蕃が金剛山大隆寺の山門が倒 壊して下敷きとなり、横死(寛永9年、1632年)。凶作で領民に餓死者が続出(寛永19 年、1642年)。領内宇和群一帯に大地震発生(慶安2年、1649年)。この間、領民によっ て密かに児玉明神として祭られていた山家公頼の参拝は盛況を極め、凶事変事の続出を「公 頼人霊の祟り」として密かに鎮祭が重ねられていた。ついに秀宗も人心収攬のため不明を わび、盛大に法要を営んだ(慶安4年、1651年)。 「日本の神々(4)」(白水社)より、 Time : 1999/ 1/25(月) 14:13:34
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 訂正 Comments: 誤り・・・下の「日本の神々(4)」 訂正・・・「日本の神々(2)」 Time : 1999/ 1/25(月) 14:19:49
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 崇徳上皇の怨霊 Comments: 金刀比羅宮(香川県琴平町) 最新…大物主命(大国主命)、崇徳上皇 明治以前の神仏習合時代は、金毘羅大権現も祭られていて、インドのガンジス河の ワニを神格化したクンピーラであると言われ、仏教では薬師如来十二神将の一つと なるが、古来、水神(海紳)として信仰されてきた。 言わずと知れた、航海の神様。 保元の乱(1156年)に敗れて讃岐に流刑となり、当宮を崇拝した崇徳上皇を、その死の翌 年(永万元年、1165年)にいち早く合祀して今日に至っている。 「日本の神々(2)」(白水社)より Time : 1999/ 1/25(月) 14:25:44
Name : 輔住 E-mail : Title : 実朝問題など Comments: あれから、実朝問題について色々考えたのですが 総意説または義時・義村共謀説の方が永井説より 説得力があると思いました。 私がこの問題で一番不思議なのは「源氏宗家の根絶やし」です。 普通、実朝が死んでも源氏の一族を「みこし」にするでしょう。 なのに公暁も殺し、(本当に実朝を殺したかは五分五分でしょう) この事件後、「将軍になろうとした」ということで 安濃時元(頼朝の弟の子)まで殺されてしまいます。 なんでここまでしたのでしょう? 確かに源氏将軍は「公武協調路線」を続ける可能性はありますが、 「絶対」ではないでしょう。 なぜ「源氏宗家が滅びたか」みなさんの意見を聞きたいのですが。 話は変わって天智諡号問題では井沢先生の意見に疑問をぶつけましたが、 天智問題全般に対してではないので、あしからず。 Time : 1999/ 1/25(月) 14:42:54
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : KANAK様へ Comments:  拙論を真剣に論じていただき、ありがとうございます。 しかし、安部様と同様に、小生の意見も基本的には井沢説の補完であって、 否定するものではありませんし、kazu様もおっしゃっているように >「天智玉≠紂王」論証を通じ、井沢さんの主張される「天智=紂王」説が >単なる妄想に過ぎないことが、ほぼ明らかになったのでは無いかと思います。 >・・・ >繰り返し申し上げますが・・・「天智玉=紂王」→「天智=紂王」は「漢文 >の常識」に欠ける井沢さんの単純な誤読に過ぎません。 とは思っておりませんので念のため。(おそらく他の方の意見もそうでしょう) それから、小生の文章中の >>なぜ天智玉を連想させる「天智」が文句が出なかったのか という疑問はKANAK様御自身が発せられたものです。 ただ小生も強く反論できなかったので気になっていたのですが、 KANAK様の前回のご説明のおかげで、個人的に決着が付いたという報告です。 また >これは「紂王」の所業とは全く次元が異なっており、少しも「紂王」的 >ではありませんね とおっしゃる意味はよく分かりますが、小生の使った「紂王的」は所業まで 同じという意味でなく、非難を受けるような王であったという程度の意味です。 (kazu様もそのおつもりでしょう) 以上かなり誤解されていましたので、一言書かせていただきました。  結局大まかな線で、(不本意でしょうが)KANAK様のご説明によって、 小生自身は井沢説について更なる確信を得たということをいいたかったのです。 Time : 1999/ 1/25(月) 15:19:32
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 室町時代は自由だった? Comments: 早速再会された「逆説の日本史」を読みました。室町時代まで来ていたんですね。私が一 番好きな時代は南北朝から室町時代にかけてでして、あのカオスがたまりません。そこで、 その時代に関して私が感じていることを書きます。 日本人が一番自由だった時代は、室町時代です。あまりにも自由で、生存権さえ脅かされ ていました。人間を縛る決まりは一つもなく、あるのは個々人間のギブ・アンド・テイク だけでした。 民衆は一揆を結成して自治を叫び、税金も払わなかった。税金を払わない自由があったの です。逆に取りたてる方は、武装して盗賊まがいの方法で取りたてた。取りたてる自由も あったのです。 ヨーロッパも、当時は同じ状態でした。教皇が複数存在し、百年戦争が起こり、古代ヨー ロッパ栄光の象徴のビザンティウムは陥落しました。 旧世界は、どこの国もこういう状態を潜り抜けて、それに懲りています。今のアメリカを 見ていると、日本の室町時代を連想してしまいます。 Time : 1999/ 1/26(火) 11:59:32
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 室町時代は自由だった? Comments: 早速再会された「逆説の日本史」を読みました。室町時代まで来ていたんですね。私が一 番好きな時代は南北朝から室町時代にかけてでして、あのカオスがたまりません。そこで、 その時代に関して私が感じていることを書きます。 日本人が一番自由だった時代は、室町時代です。あまりにも自由で、生存権さえ脅かされ ていました。人間を縛る決まりは一つもなく、あるのは個々人間のギブ・アンド・テイク だけでした。 民衆は一揆を結成して自治を叫び、税金も払わなかった。税金を払わない自由があったの です。逆に取りたてる方は、武装して盗賊まがいの方法で取りたてた。取りたてる自由も あったのです。 ヨーロッパも、当時は同じ状態でした。教皇が複数存在し、百年戦争が起こり、古代ヨー ロッパ栄光の象徴のビザンティウムは陥落しました。 旧世界は、どこの国もこういう状態を潜り抜けて、それに懲りています。今のアメリカを 見ていると、日本の室町時代を連想してしまいます。 Time : 1999/ 1/26(火) 11:59:37
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(42)「天智・天武」諡号・・・要するに・・ Comments: みなさん、今日は・・・KANAKです。 「天智・天武」諡号問題についてRES頂きましたが・・・どうも良く分かりま せん。 要するにみなさんは・・・「周書」の「天智玉」記述をどのように、ご理解 しておられるのでしょう? A.易姓革命により「紂王」から「武王」にその主を変えた「天智玉」 B.「紂王」焚死にも係わらず、火中でも損なわれることの無かった「天智玉」 C.「上天美者也」と最大級の形容で称えられた「天智玉」 ・・・この「天智玉」は井沢さんが言われるように「殷の紂王」を意味して いるのですか? いないのですか? 井沢さんの主張・・・ 「『天智』というのは、殷の紂王が最期まで身につけていた宝石の名前なの である。これが何を意味しているか、もうおわかりだろう。つまり、『天智 天皇』は『殷の紂王』だと言っているのだ。・・・・・」 この主張が正しく・・・「天智玉」が「紂王」を意味しているならば・・・ 「天智天皇=紂王」の可能性がありますね。 (^0^)" 「天智=紂王」ならば・・「天武=武王」の比定も有り得るかも知れません し、「壬申の乱=易姓革命」だったことを示唆しているかも知れませんね。 私の主張・・・ 「『天智』というのは、殷の紂王と運命を共にすること無く、武王のものと なり、「上天美者也」と称えられた宝石の名前なのである。これが何を意味 しているか、もうおわかりだろう。つまり『天智天皇』は『殷の紂王』など と言うことは有り得ないのだ。・・・・・」、 これが正しく・・・・・「天智玉」が「紂王」を意味していないならば・・ 「天智天皇≠紂王」です。 (^^;) 「天智≠紂王」ならば・・・「天武≠武王」であり「神武・武烈・天武・文 武・聖武・桓武」と同様に「武」の一般諡号でしょう。 要するにそれだけのことです。従って・・・「天智=紂王」・「天武=武王」 だとか「壬申の乱=易姓革命」だとか仰るのならば・・・この両説の妥当性 を比較し・・・A〜Cについての私の主張を論破して下さい。 その上で・・・ 1.天智直系孫の淡海三船が、こともあろうに自分の直系祖を「悪逆紂王」   に比定する可能性があるか?(私は・・井沢さんが、そんなことは有り   得ないとされるのは、極めて尤もだと思います。「紂王」に比定すると   言うことは、安部さんが言われるような、権力抗争にどう身を処する   か・・・と言うようなそんなモノとは次元が異なる問題なのです。) 2.天智女系孫の「文武・聖武・称徳」が、自分の母系祖を「悪逆紂王」   に比定することを命じる(認める)可能性があるか?(私は・・井沢さ   んが、淡海三船は有り得ないとされながら・・・「文武・聖武・称徳」   がそれを命じる(認める)、とされているのは決定的な自己矛盾だと言   っているのです。・・・「淳仁」は傀儡ですしね。) 3.「天智」諡号選定後、間もなく天智直系の「光仁」が最高権力者として   即位するが・・・彼は自分の直系祖に加えられた最大の侮辱をそのまま   国内外に公表し続け、永久に後世に伝えることがあり得るか?   (「光仁」は諡号選定期には朝廷の高官であり、諡号選定の経緯・意味    も十分に理解しうる立場にありました・・・誤解や誤魔化しが利くと    は考えられません。) 761年 (淳仁4)淡海三船 従五位下参河守(この前後に諡号選定か?) 762年 光仁 従三位中納言 764年 (称徳1)淡海三船 正五位上(43歳) 光仁 正三位(56歳) 桓武 従五位下(28歳) 766年 (称徳3)淡海三船 東山道巡察使任命 光仁 大納言 桓武 従五位上 大学頭任命(30歳) 767年 (称徳4)淡海三船 兵部大輔兼務 同年 同 巡察使・兵部大輔解任ー太宰少弐任命 770年 光仁即位 771年 (光仁2)淡海三船 刑部大輔 772年 (光仁3)同 大学頭文章博士兼務・・・この頃諡号選定かも?? 784年 (桓武4)淡海三船 従四位下 刑部卿兼因幡守にて逝去 (安部さん・・・淡海三船は光仁擁立等と言うような大それた地位ではなく、 光仁即位後の論功行賞で目覚しい出世をしたこともありませんよ。) 4.「天智=紂王」としながら「天智」の正統を伝えるモノとして「持統」   と言う諡号を付けるのは矛盾していないか?(輔住さんご指摘) 5.「天武」天皇が「万世一系」の建前を貫くため「実父」を偽ってまで   「天智」の実弟と称した・・・と想定しながら、一方でその子孫の天皇 が「天智=紂王・天武=武王」という諡号で、「易姓革命」を称した ・・・と考えるのは自己矛盾では無いか?   (「天武」を「新羅人」の子とする想定の「非現実性」については、    既に再三に亘って申し上げたところです。) ・・・等の諸問題について、健全な理性により合理的かつ整合性のある説明 を行って下さい。それでなければ何ら井沢説を補完することにはなりません。 それなしに「私はそう思う・・」と言うのは「科学」では無く「信仰」に他 なりません。 kazuさん・・・・ >>天智・天武非兄弟説については私も否定的なのですが、天武が壬申の乱によ >>り近江朝を滅ぼしたことは事実です。天武が己の行為を正当化しようとして >>易姓革命を持ち出すことは当然です。 天智・天武非兄弟説について否定的なのは大いに結構です。 それならば・・・「壬申の乱」は「伯父・甥」の皇位継承戦争と理解される のでしょうね? 「易姓革命」とは「天命」が・・・ある「王朝=王の家系」から他の「王朝 =王の家系」に移ることを言うのですよ。 同一家系に属する「伯父・甥」の皇位継承争いを正当付けるために「易姓革 命」を持ち出すことなんか金輪際有り得ないことをご理解下さい。 >>まず、諡号の命名者については、私も淡海三船による一括命名であろうと思 >>います(勿論、複数の命名者グループが存在し、三船はその代表者でしょう) >>これに関する続日本紀の記事は、この命名作業が十分画期的なことであり、 >>記録に値する事業だったからでしょう。・・・・ >>その適用第一号が「孝徳」天皇であり、二番目が「称徳」天皇でしょう。 「続日本紀」には諡号選定記事はありません。あるのは「恵美押勝」一派に よる「宝字称徳孝謙皇帝」の生前「尊号」奉呈と、「勝宝感神聖武皇帝」の 「諡号」選定、舎人親王に対する「祟道尽敬皇帝」の追贈諡号選定だと思い ますが・・・? 従って、「称徳」天皇は淡海三船によって一括命名されたのではありません。 これについては繰り返し申し上げた筈ですが・・・? >>やはり「武烈」=金春秋と考えたほうが適当であると思います。 これについても、「文武王」と「文武天皇」の例や・・・当時「新羅」出兵 すら論じられた国際情勢から、想定不可能と申し上げた筈ですが・・・ この点はどの様に考えられるのでしょう?(自国の君主に敵国の王の名を冠 するのは「悪口」ではなく・・・「屈辱」だと思いますが、安部さん自身は はどうお考えですか?) >>「天智」=「天智玉」=紂王としても、そのことを仄めかすような書き方を >>するのが精一杯で、しかも「天智は紂王か」と問いつめられたら「天智玉の >>ことで・・」と逃げられるようになっていたとしか思えません。 仄めかす? 精一杯? 誰が・・誰に・・何を・・何のために・・?? 仰る意味が全く理解できませんが・・・何か主張されたいのならば時代背景と 人物を明確に示した上で、具体的に仰って下さい。 私は、科学的史論について議論したいと思っていますので・・・(^0^)" Time : 1999/ 1/26(火) 23:33:56
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 科学談義(その1?) Comments:  以前に美人辞書論に引っかけて皆様の歴史観をお聞きしたく、 年報学派まで引っ張り出して疑問を投げかけたのですが、何の反応もなく 残念です。文句が出ないのは当然と受け止められたと解釈もできますが、 同調の意見もないのは単に興味を持っていただけなかったと言うことでしょう。  そこで、方向を変えて皆様の御意見を聞かせていただこうとおもいます。  教育改悪が続いたために、日本人の理科離れがひどい状態であることは つい先日の新聞報道にもありました。C.P.スノーが文科系・理科系の 断絶を問題にして以来、(特に日本では)事態はますます悪くなっているようです。 基本的な線での相互理解がないと、いろんな面で不都合が生じるとおもいます。 ここに参加されている学生さんたちは非常にしっかりした方ばっかりでいいのですが、 一般的傾向としては、日本の将来に不安を抱かせるレベルに落ちてきているでしょう。 しかしその責任の大半は「科学あるいは科学教育にあるのではないか」といいたいのです。  以前ここでも科学談義がなされていましたが、小生は一応知的アナキストのつもりで、 科学万能主義者ではありません。オカルトに好意的な井沢先生もそうでしょう。 しかし、こと歴史に関しては井沢先生は科学的に追求なされているとおもいます。 ロシアのジョークで、政府当局の大本営発表と新聞紙名を引っかけて、売り子に 「プラウダ(真実)はありません。あるのはイズベスチャ(報告)だけです。」 といわせていますが、歴史がそうならないように理論化を試みておられるのでしょう。 一般論として、学問が他の分野から観て難解であるのは、まだ未成熟だからだとおもいます。 「この理論は世界中で一握りの人しか理解できないだろう」 という台詞は、自慢どころか未熟さを露呈した恥だと考えています。 そういう意味でも歴史の平易なレベルへの理論化を目指されている井沢先生には 頭が下がります。  前置きが長くなりすぎましたが、科学に関してもまだまだ未成熟で、おこがましい 私見ですが、ニュートンの古典力学すらいまだにこなれていないとおもいます。 大上段に論じるのはあまりに長くなりすぎますので、今回は次のクイズで皆様の 興味を喚起したいとおもいます。(シリーズ化したいのですが、興味がなければ 紙面の無駄使いは止めます。) 「ビルの2階へあがるのに10秒かかった。同じ調子であがれば、4階へは何秒かかる?」 この問題で20秒と反応した人はいませんか?(正解はもちろん30秒) 4を2で割るのは意味がないのですが・・・なぞ解きとしての私見は次回として、 間違った方が多いならば、このような単純で身近な問題さえ間違いを犯してしまうような 物理感覚しか与えてくれなかった科学教育に疑問をお持ちになりませんか? Time : 1999/ 1/27(水) 09:56:03
Name : 輔住 E-mail : Title : 科学談義(返信) Comments: 大阪JF生さん、こんにちは >「ビルの2階へあがるのに10秒かかった。同じ調子であがれば、4階へは何秒かかる?」 この問題、見事ひっかりました。(笑) (数秒後、勘違いに気づく) 科学教育なんていうと私にはレベルが高すぎてなにも言えないのですが、 数学は苦手で本当にいやでした。 数学が得意な友達は「簡単だよ」などと言ってましたが今でも信じられない。 科学論議の続き楽しみにしてますが、質問することが多くなるかもしれません。 よろしくお願いします。 Time : 1999/ 1/27(水) 12:29:26
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 雑説 Comments: KANAKさん、あなたは真実を見つける課程で井沢先生を否定なさっているのですか? それとも、井沢先生を否定するために真実を持ち出しているのですか? 私がこの場で述べた怨霊と謚号の論文は、井沢先生の論と順序は変わってしまっているか もしれませんが、それなりに筋は通っていると思いますよ。これ以上理論を並べるだけだ と神学論争になってしまうので、前から進めていますが、怨霊を祭っている神社仏閣をし らみつぶしに書きますので、それを私の答えだと思って下さい。 大阪JF生さん、私は科学が万能ではないとは言え、科学がやはり一番大事と思っていま す。理学部の学生でもありますし。 科学の研究と八百万の神の研究を平行してやっていこうと思っているのですが、この平行 線がユークリッド平面にあるのか、非ユークリッド平面にあるのかは不明です。 私自身は、永遠に交わらなくても別に構わないと思います。 不合理を不合理と知りながらも、合理だけではなく不合理も頭に入れていかないと、人間 は精神のバランスが崩れるのではないかと私は思っています。 Time : 1999/ 1/27(水) 16:29:28
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 安閑天皇を祭る神社 Comments: 伯太彦神社(大阪府柏原市) 祭神…伯太彦命、広国押武金日命(安閑天皇) 伯太姫神社(大阪府柏原市) 祭神…伯太姫命、大年大神、八幡大神(応神天皇)、子安大神、厳島姫大神(市杵島姫) 両社とも、古代田辺史氏の祖神を祭ったもの。 近くに、4世紀中頃から後半にかけての前期前方後円墳を主体とする玉手古墳群があり、 丘陵の東南麓には6〜7世紀の横穴古墳が発見されて話題を呼んだ。また不動堂の横穴か らは陶棺が見つかり、現在、安福寺に保存されている。なお、この安福寺境内には、直弧 文のある割竹形石棺が手水鉢として置かれていて、考古学上有名である。 高屋神社(大阪府羽曳野市) 祭神…饒速日命、広国押武金日命(安閑天皇) もとは饒速日命であり、後に広国押武金日命を合祀したものと思われる。地元の伝承では、 宣化天皇3年(538年?)に勅令によって創建されたというが、真偽については不明であ る。 伝安閑天皇陵古墳所在地 「日本の神々(3)」より 「日本の神々(3)」には、安閑天皇が祭られている説明はない。怨霊としての安閑天皇を 祭っていると私は思う。しかし何故はっきりと安閑天皇を祭っていないのだろうか。もし かしたら、安閑天皇は即位していないのかもしれない。 Time : 1999/ 1/27(水) 16:58:26
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 仁徳天皇を祭る神社 Comments: 伊居太神社(いけだじんじゃ)(大阪府池田市) 祭神…穴織姫、応神天皇、仁徳天皇 末社…阿知使主、都加使主 呉服神社(くれはじんじゃ)(大阪府池田市) 祭神…呉織姫、仁徳天皇 多田神社(兵庫県川西市) 祭神…日本武尊、オオササギの命(仁徳天皇)、イザナギの命、イザナミの命 多田源氏の守護神。隣の多田神社には、源満仲、源頼光、源頼親、源頼信、源義家が祭ら れており、多田源氏発祥の地である。 「日本の神々(3)」より、 上の2つは、養蚕伝説から仁徳天皇を祭ったのかもしれない。3社とも、大阪府堺市の大 山古墳からは離れている。応神天皇を祭る神社は多いが、仁徳天皇を祭る神社は非常に少 ない。仁徳天皇が怨霊である可能性がこれで0ではなくなった。 Time : 1999/ 1/27(水) 17:13:20
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 科学談義(少し生き延びてその2) Comments:  輔住様、早速の返信ありがとうございます。 これからも御意見よろしくお願いします。 その2を書く前に少し補足させてください(完全回答はさらに次回になりそうです)。  安部様の御意見を読んで、誤解を与える文章だと反省しました。 あまり前置きが長いとまずいと思って急ぎすぎたので、何がいいたいのか わからなかったのかもしれません。  科学万能主義でないという意味は、無条件に自然科学をそのまま受け入れるのでなく、 外部からの批判的な検討が必要だというつもりです。 つまり学者内部のみの慣習・常識まで、外部に強制はすべきではないという意見で、 簡単にいえば、理論はもっと素人にもわかりやすく再構築すべきであると言うことです。 自然科学は、特に批判を受けにくいという特権を得ている唯一の学問のように見えます。 もちろん初期には、ニュートンに対するバークレー神父のように外部からの (といっても宗教関係者主体ですが)批判はあったかもしれませんが、 ニュートンの成功以来、外部に対するある種の絶対性を得たように感じます。 (ちなみに当時の批判は無限小に関する物ですが、現在ではA.ロビンソンの 「非標準解析」によって、合理的に解決されています。でもここでは無関係です。) もちろん、内部では量子力学の歴史のように、相互批判があるのは知っていますが、 自然科学も、あらゆる学問と等しく、もっと外部の素人の視点からの質問に 耐えうるような形にまで成熟させるべきだという意見です。 ここでの歴史談義にも、小生はこの素人としてのスタンスで意見を述べています。 いわば、裸の王様に裸という真実を告げられる「子どもの視点」を大切にしているつもりです。 単に不合理性も受いれよといっているわけではありません。 知識の乏しい素人が合理性のみを武器に考えてみようとする試みです。 実際小生が述べようとしていることは、合理性の枠をほとんどはみ出ないとおもいます。 しかし、御批判・御意見は大歓迎で、そのために記事を書いておりますので、 よろしくお願いします。  さて本題ですが、「高さ」や「位置」といった概念は、数値的に足し算や掛け算・割り算 といった計算ができないものです。ビルの高さを「階」で表すとき、下から1、2とする アプリオリな必然性はありません。上から1、2でも良いはずです。 ただ、本質的でない便宜上の理由あるいは歴史的慣習によってそう決められているだけです。 違和感がある方は、下から0、1、2としても問題無いといわれれば納得なさるでしょう。 つまり、通常の「4わる2」という計算の意味は、「3わる1」かもしれないのです。 (実は後者の計算では、正解に達します。) ただ、「位置」などの数値は、計算不可能ながら、何か計算可能な量的な物がシンクロして いるように思われるはずです(これが問題を解決するキーと考えています)。  同様に、「時刻」や「日付」も計算不可能な数値です。もし 「1時+2時=3時」 という計算が本質的な意味を(日本で)もつならば、1時間の時差のある中国からこの計算を 眺めた場合、 「0時+1時=2時」 というチンプンカンプンな計算になってしまいます。  ところが、ニュートン力学の外部に示された最も強力な武器は、物体の運動で 「ある時刻での初期条件が与えられたなら、どの時刻の位置でも特定・予測できる」 というものでしょう。たとえば、放物運動では、tという時刻の位置は、tの2次関数で 与えられます。すると、 「位置も時刻も計算不可能な数値なのに、掛け算・足し算が平気で使われています!」 これを、どのように素人に説明すればよいのでしょう?(ここでいいたかった質問!)  一応の見解は次回に示しますが、特に時刻についてコメントしておきます。 個別の概念として、英語では、  (時刻) What time ? ・・・ 9 o'clock  (時間) How long ?  ・・・ 9 hours という表現があるにもかかわらず、時刻・時間といった総体としての概念の区別がなく、 両方とも「time」です。英語は後発的な言語ゆえ、西洋的常識としての混同で、 上記のような概念の区別があまりされなかったのかもしれません。 (力量不足ゆえ、多言語について調べたわけではありません。単なるあて推量です) 実は、上記のような構造を定式化したのは、数学・物理学・哲学に通じている ヘルマン・ワイルの 「空間・時間・物質」(絶版かもしれませんが、邦訳が数種類あったとおもいます) という古典的名著です。原著はドイツ語なので手が出なかったのですが、英訳本が 出ていましたので調べますと、時刻・時間は、それぞれ、 time−point、 time−length という「造語」で訳されていました。やはり区別がなかったのでしょう。 Time : 1999/ 1/28(木) 10:44:23
Name : 安部奈亮 E-mail : s00v0128@ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : 昨日の「ここが変だよ日本人」を見て Comments: 関西では、水曜日の21:00〜22:00にTBS系が放映している番組です。外人と日本人が お互いに対する不満を真っ向からぶつけ合う珍しい番組です。司会のビートたけしとスペ シャルバイザーの小錦がいるから放映中止にならないですんでいると思います。 昨日は「日本人の大逆襲」と題して、外人労働者を雇って痛い目に遭った日本人経営者が 出てきていました。激論が交わされたのですけれども、いまいち噛み合わなかったのは両 者にある階級意識と契約に関する考えの違いと私は考えます。 仮にA国人とします。A国人のエスタブリッシュであるBさんは、日本人の経営者Cさ んの「A人はさぼり癖がある」の言葉を差別だと思います。 しかし、CさんはかつてA国人の出稼ぎ人のDさんを雇って痛い目に遭いました。しかも、 A国人の出稼ぎ人のさぼり癖はその業界では定評がある。そこでCさんは、「A人はさぼ り癖がある、もう雇わない」と結論した。 これは、外人と日本人間の階級意識の差が起こす問題です。 Bさんは、エスタブリッシュのA国人と、単純労働者のA国人を、同じA国人とは考え ていません。というより、単純労働者のことなど脳裏にもありません。 日本には今も昔も厳密な階級はありませんでしたし、社会的地位で仕事の条件を差別する のは良くないことだという意識があります。この場合実際に日本に階級があるかないかは 別問題で、意識の問題です。Cさんには、エスタブリッシュのBさんも、単純労働者のD さんも、同じA国人にしか見えません。 しかし、日本以外の多くの国では、国籍の違いよりも階級の違いの方が大きいです。これ を良いか悪いかと思うのは文化の問題です。 Bさんは、自分が自分の属する階級にふさわしい扱いを受けなかったから怒っているので す。特にああいう番組に出て日本語を流暢にしゃべる人たちはほぼ全てエスタブリッシュ と言って良いでしょう。 もう一つが契約です。 啓典の民は、契約が絶対であって、一度結ばれた契約は変更できません。変更するには、 変更のための契約を結ばなければならない。ですから、契約が結ばれるまでの交渉に命懸 けになるのです。日本人が「一所懸命」ならば、彼等は「契約懸命」です。 日本人は、両者の良心を信じて任せます。それは、日本人なら、日本人共通の決まりに従 ってやってくれるだろうから、細かい契約はいらないだろう、と暗黙のうちに思っている からです。これは、山本七平さんが日本教と読んだものです。日本人のソシオグラマーと いってもいい。罰則規定は村八分です。 啓典の民は、嘘を並べても契約が結ばれてしまえばこっちのもので、騙された方が悪いと 思っています。日本人は、自らの人間性(日本人が契約を結ぶさいの唯一の根拠)を自ら 否定するような彼等の行為を見て唖然とするのです。 どちらが良いとは言えませんが、どちらもこのことを知っておいたほうがいいでしょう。 Time : 1999/ 1/28(木) 11:34:29
Name : 三枝貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : 科学は Comments: 「科学は倫理を扱わない」 たいていの科学論の最初に述べられる項目でしょう。 科学には善や悪を判断する能力がないのです。科学が扱うのは、正か 誤か、それだけです。 ところが科学的真実を守るために殉教(?)した、偉大な先人達のおか げで、科学者は社会的なオピニオンだという誤解を受けているのが現 状でしょう。 科学は大切でしょう。私もそれで飯を食っています。 しかし、倫理も宗教も愛も、いずれも大切で、その優先順位は人に よって違うでしょう。 違う自由があると思います。 Time : 1999/ 1/28(木) 13:23:07
Name : 三枝貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : 訂正 Comments: 失礼。前発言で「オピニオンリーダー」から「リーダー」の一単語が落ちて います。 ううう、変な日本語を書いてしまった。 Time : 1999/ 1/28(木) 13:30:59
Name : 奥村真 E-mail : oku@total.co.jp Title : 関東に一声、不平あり Comments: 科学の守備範囲が納得できません。宮澤賢治はすべてを解決しようとして、 「ほんとうのこと」を希求して、吾が身をすりせらしたのではなかったで しょうか。 Time : 1999/ 1/28(木) 14:07:04
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : レポートの締め切りは5時 Comments: レポートの締め切りは5時なのに私はここで何をしているのじゃあああ。 宮沢賢治には、日蓮宗のおせっかいな使命感があったと思いますよ。 「逆説の日本史第6巻」にありますが。 Time : 1999/ 1/28(木) 15:14:56
Name : 奥村真 E-mail : oku@total.co.jp Title : ほんとうのこと Comments: 「法華宗」に関わることではありません。『銀河鉄道』の台詞ですが、 「かがくのようににんげんのこころのうちが、なにがほんとうか、  きちんとわかるようにしたい」そういった内容だったと思います。  いま手元に本がないので曖昧です。 Time : 1999/ 1/28(木) 16:14:11
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 科学談義(ほとんど瀕死状態でおわりか?その3) Comments:  奥村真様の御意見 >科学の守備範囲が納得できません。宮澤賢治はすべてを解決しようとして、 >「ほんとうのこと」を希求して、吾が身をすりせらしたのではなかったで >しょうか。 は、小生に対しての物でしょうか? またしても拙文のせいで誤解を生んだのでしたら、謝罪いたしますが、 問題にしようとしているのは自然科学で、その全体を解決しようなどという 野心は毛頭ありません。(小生は自然科学も社会科学もあまり区別をしていませんが) しかも、話題を高校程度のかなりポピュラーであろうとおもわれる 古典力学の運動論に限っています。(狭すぎるということでしょうか?) ニュートンは物理では古典力学、数学では微積分を生み出し、両者は一体だと おもっているのですが、数学というか算数にすぎないということでしょうか? それに対する御意見なら、もう少しお待ちください。 まだ物理的な話に到達していないだけです。 それ以外の意味を持つるのですが、少し真意を測り兼ねる状況です。 頭の回転が鈍い方ですので、もう少し詳しく御意見をお聞かせください。  さて、あまり反応がなく、今回で終わりにするかもしれませんが、 言いっぱなしにしないように、一応の意見を急いで述べておきます。 位置・時刻というのは、地点・時点という言い方があるように「点」で、 これは足し算・掛け算・割り算が本質的に無理であると述べてきました。 しかし、「引き算」を除いていたことに気づかれたでしょうか? 変化量というか差分というか、これは、(移動)距離・時間として意味を持ちます:  3時−2時=1時間 (あるいは逆算として、2時+1時間=3時) これは、時差を考えても成立する計算です。(位置についても同様です) しかも、差分である距離・時間というのは足し算・引き算も何倍もできる「ベクトル」 といわれている量です(これがシンクロしていた量)。スローガン的にいえば、  「引き算した量でないと、計算できない!」 ということです。その1で出した問題は、「差」を考えないと計算できません。 つまり、今いるのは1階であるという暗黙の了解の下で、  4−1を2−1で割って、移動量が3倍であることから、10かける3で30秒 というのが正解だとおもいます。これは「階」の数値表現を変化させても答えは同じです。 点について数値とシンクロさせた「座標空間」を導入したのはデカルトですが、 そこからのニュートンの本質的な進歩は、このような「差」の量との関わりだと指摘したのは、 ボホナー「科学史における数学」みすず でしたが、上記のスローガンが新鮮に聞こえるならば、彼の慧眼を見ぬいた人は残念ながら ほとんどいなかったということでしょう(この本もスタンダードな古典です)。つまり  出発点+変化量=終着点(目的地) というごく当たり前のしくみを考慮し、差分を採りその比を考え、さらに極限を求めたのが 「微分」だったのです。残念ですが、詳しく突っ込んでいる余裕はありません。  掛け算はどうなっているのだということですが、物理的には「テンソル」といわれる量で、 どういう量に比例・反比例しているものかということです。たとえば、単純な仕事の量として 「2人で6日かかる」、「3人で4日かかる」、「6人で2日かかる」 ものは同じとみなせないでしょうか?それで、仕事の量は人数と日数に比例する量で、 数値としては、 2かける6=3かける4=・・・=12 と新しい量を導入するのです。 (人数に日数をかけるなんて!と違和感があるかもしれませんが、結論を急ぎます) 「万有引力の法則」は、引力が質量という根源的な力の源に比例し、距離の2乗に反比例する ことを意味しますが、後者の反比例部分のみ説明が付けばよいでしょう。 力が及ぶ様について、風船が膨らむイメージを思い浮かべてください。 力の総量が不変だと納得すれば、範囲が広がれば効果は薄くなります。 定量的に考えれば表面積に反比例し、表面積は距離(半径)の2乗に比例し、結論に達します。 もしこれが波のように等速で広がっていくならば、距離は時間に比例します。 したがって、時間かける時間(数値として)が意味を持ってくることが分かります。  出発点+「出発時刻との差」としての時間の2乗に比例する変化量=目的地 これが、(放物)運動の本来的な式表現でなければなりませんが、形式上も理念的にも 現状ではこのようなことは塵ほども省みられていないのではないでしょうか? 数式が使えないので表現に苦労しましたが、以上が素人の戯言でした。 Time : 1999/ 1/29(金) 10:39:36
Name : 三枝貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : その「お約束」は成立するか? Comments: もし科学が善悪を判断できるとするならば、そこには一つの「お約束」が、 前提条件として、合意されていなくてはなりません。 その「お約束」とは、             【正しいものこそ、善である】   です。 Time : 1999/ 1/29(金) 10:54:08
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 雑説2 Comments: 奥村さんと私が勘違いしたのは、自然科学の理と人間が生きる上での理がどこかで一致す るのではないかという結論を大阪JF生さんが出すのではないかと思ったことではないか と思います(迂遠な文章でゴメン)。 どうも違ったみたいですね、このままでは、この掲示板の性格と大阪JF生さんが言おう としたことの関連が不明のままなので、私としてはできれば続けて欲しいです。 自然科学の理と人間が生きる上で乗りが一致するという考えは世界中にありました。朱子 以降の儒教はその性格が強いです。そして、日本人はそういう考えが今でも好きです。私 は、宮澤賢治はそこに引っかかってしまったのではないかと思いますが、宮澤賢治の本は ほとんど知らないので大きいことは言えません。法華経徒は、最後までこの考えを捨てな かったから「化城」とかいう話になったと思います。 戦国時代のキリスト教宣教師は、キリスト教と自然科学をわざと混ぜて教えました。そし て、日本人はそれにころっと参ってしまいます。京都でキリスト教に初めて改宗した人は、 暦を司る賀茂氏でした。つまり、当時の科学者です。 Time : 1999/ 1/29(金) 10:56:40
Name : 輔住 E-mail : Title : 質問など Comments: みなさん、お元気ですか。 大阪JF生さんへ: >出発点+「出発時刻との差」としての時間の2乗に比例する変化量=目的地 この数式の意味が理解できないのですが、分かりやすく説明してくれませんか? (自分の無知を棚に上げてお願いします。) どうも私みたいに「算数」まででギブアップしてしまった人間には 分かり難いのです。 大阪JF生さんがどういうことを言いたいのか知りたいので是非続けて下さい。 三枝さんへ: >【正しいものこそ、善である】 このお約束は私もあまり成立してほしくありませんが、 あらゆる場面で成立してる気がします。 Time : 1999/ 1/29(金) 12:30:21
Name : kazu E-mail : Title : これが最後の「諡号問題」 Comments: 皆様の諡号問題についての投稿を拝見しての、素朴な疑問と私なりの理解です。 まず、「武」に特別な意味はないのでしょうか? 周の武王にちなむ美称(「武」が美称ならば残虐な天皇に「武烈」を贈るのは私 にとっては矛盾です)の「天武」を贈る一方で、天智に贈る諡号を、なぜ悪名高 い紂王の周辺から(天智玉の所有者は紂王ですよね)取らなければならないので しょうか? 大友(弘文)から天武への皇位継承は表面的にせよ平穏に行われたわけではなく 壬申の乱によっています。 天武には己の行為を正当化する必要があり、日本書紀がそのための「大本営発表」 であるという考えには賛成です。 もちろん、天武と大友は同姓ですから「易姓」にはなりません。また、天智の他 の皇子たちを根絶やしにしているわけではありません(持統も天智の娘です)。 実に中途半端です。けれども、これが「革命」でなければなぜ天智系の桓武天皇 は王朝交代を意味する儀式を行ったのでしょうか。 これも壬申の乱が「革命」であったとして初めて理解できるのではないでしょう か。(他に適当な表現が思い浮かびませんので、敢えて「革命」とさせていただ きました。) KANAK様へ 他の方と違い私のような浅学非才の身でKANAK様に納得いただけるような 回答をするのは甚だ困難でありますが、日本史の一ファンの考えを少しはご理解 いただけましたでしょうか。 なお、先回の投稿で、 >その適用第一号が「孝徳」天皇であり、二番目が「称徳」天皇でしょう。 としておりましたが、これは贈「徳」慰霊法適用の第一号、第二号といいたかった ので、「称徳」の命名者は三船とは考えていません。 これは私の書き方が不適切でしたので、補足させていただきます。 今後も機会がありましたら、また投稿させていただきます。 Time : 1999/ 1/29(金) 12:57:17
Name : 奥村真 E-mail : oku@total.co.jp Title : 造悪論 Comments: 「善人なおもて往生す、いわんや悪人おや」を逆手にとって、親鸞の息子 は悪の限りをつくそうとしたそうです。善悪を価値とする考え方には限界 があります。 Time : 1999/ 1/29(金) 13:10:31
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 科学談義(補足のため、その4) Comments:  御意見ありがとうございます。 当初皆様との「対話」形式で話を進めるつもりだったのですが、 全くまずい小生の文のせいで、思惑と違う方向になってしまい、 店じまいしないとだめかなと支度してしまったのでした。 確かにこれでは騒ぎを起こしただけですね。どうもすみません。  歴史談義に参加するのと全く同じ方法で、科学談義をしたかったのですが、 通常素人として歴史などを議論することはあっても、自然科学に対しては、 同様のことがほとんど起こらないように思います。 もちろん「科学とは?」という哲学的・倫理的考察としての議論はありましたし、 この場でも何度かなされていますが、歴史談義の場合はそういう議論でなく、 むしろ内容に踏み込んで真偽について考察する、まさに歴史学そのものでした。 しかし、自然科学は素人が内容に踏み込んで議論することはめったにないことでしょう。 それはできないことではないと皆様に訴えたかったのです。 いやもっと積極的にそうならないから、理科離れが進む要因の一つとなるのでしょう。  一般に自然科学は、仮説ではなく真実としてかなり絶対視されすぎているのでは ないかとおもっています。その主要原因が古典力学の成功にあり、世界観を固定化した といっても過言ではないぐらいでしょう(相対論的修正はあったにせよ)。  小生は、かなり真実に近いとはいうものの、自然科学も仮説の集まりであり、 歴史同様しばしば定説が覆ることがあっても構わないとおもっています。 その意味で、社会科学と区別せず、自然科学も相対化したいのです。 しかし、そのためにはやはり素人の視点が大切だとおもっています。 以前に森鴎外を引っ張り出して、同様のことを言いましたが、 「こんなことは専門家に任せておけ、素人は口出し無用!」 という態度はあらゆる学問についてあって欲しくないのです。 ところで「理論」とは、天才でなくても真実に近づける枠組みであるとおもいます。 そういう意味で、 「隣接分野の人にもわからないようなものが、理論といえるのか」 という抗議をしているわけです。もっといえば、素人に分からないような理論は、 マヤカシであると非難されても仕方がないのではないかともいえます。 (かなり言い過ぎていますが、明言した方が議論としてはわかりやすいでしょう。) その意味で、古典力学すら未熟なレベルではないかという大胆発言をしたわけです。 その証明をするために、小生が納得できるレベルでの説明を構築したのですが、 まったく力量不足でした。補足的に説明させていただきますので、 よろしくお願いします。  なお、この試みがうまく行けば、 「(素人の疑問に耐えうるような)理論の構築は、本来専門家の仕事ではないか?」 と、言ってみたかったのですが・・(井沢先生が歴史学者に向けた言葉と同義です)  さて、唯一内容について意見をくださっている輔住様に対する補足説明をします。 出発点+変化量=終着点(目的地) という式は、足す順序を変えて「変化量+出発点」では意味を失うことにご注意ください。 ところが、時刻tの位置は、無造作に(2次式のつもりです。うまく画面に出るかな?)       2     at +bt+c で表現されています。小学生の気持ちになってください。式をたてることは、 考え方の表現であったはずです。すると、足せるのかどうか?足す順序の問題、 時刻(あるいは時間)の2乗とは?など、疑問だらけだといいたいのです。 前回考察したことは、放物運動だと、時刻Tに高さHから放り投げれば、             2     H+a(t−T) でないと、意味のある式とはいえないという主張です(比例定数はいいかげんです)。 これは、足し算の順序も変えられないし、時刻の引き算をして時間にしないと、 2乗も不可能なはずなのです。  もちろん、この程度のことはプロなら混同したままでも、うまく扱えるでしょう。 しかし、物理学者に向かって、もし小学生が「おじさん本当に力学が分かってるの?」 といわれたなら、返す言葉があるでしょうか?やはり、理論としては未熟なのでは? といいたかったのですが、いかがでしょうか? このように量を理解していたならば、その1のクイズは間違いにくいとおもいます。 (ひょっとすると式の導き方を質問なさっているのかもしれませんが、まだそれは説明 していません。ここまでの段階で、意味のある式の形に整えたに過ぎません。) Time : 1999/ 1/29(金) 16:29:14
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 科学談義(謝罪と補足をかねてその4) Comments:  御意見ありがとうございます。 当初皆様との「対話」形式で話を進めるつもりだったのですが、 全くまずい小生の文のせいで、思惑と違う方向になってしまい、 店じまいしないとだめかなと支度してしまったのでした。 確かにこれでは騒ぎを起こしただけですね。どうもすみません。  歴史談義に参加するのと全く同じ方法で、科学談義をしたかったのですが、 通常素人として歴史などを議論することはあっても、自然科学に対しては、 同様のことがほとんど起こらないように思います。 もちろん「科学とは?」という哲学的・倫理的考察としての議論はありましたし、 この場でも何度かなされていますが、歴史談義の場合はそういう議論でなく、 むしろ内容に踏み込んで真偽について考察する、まさに歴史学そのものでした。 しかし、自然科学は素人が内容に踏み込んで議論することはめったにないことでしょう。 それはできないことではないと皆様に訴えたかったのです。 いやもっと積極的にそうならないから、理科離れが進む要因の一つとなるのでしょう。  一般に自然科学は、仮説ではなく真実としてかなり絶対視されすぎているのでは ないかとおもっています。その主要原因が古典力学の成功にあり、世界観を固定化した といっても過言ではないぐらいでしょう(相対論的修正はあったにせよ)。  小生は、かなり真実に近いとはいうものの、自然科学も仮説の集まりであり、 歴史同様しばしば定説が覆ることがあっても構わないとおもっています。 その意味で、社会科学と区別せず、自然科学も相対化したいのです。 しかし、そのためにはやはり素人の視点が大切だとおもっています。 以前に森鴎外を引っ張り出して、同様のことを言いましたが、 「こんなことは専門家に任せておけ、素人は口出し無用!」 という態度はあらゆる学問についてあって欲しくないのです。 ところで「理論」とは、天才でなくても真実に近づける枠組みであるとおもいます。 そういう意味で、 「隣接分野の人にもわからないようなものが、理論といえるのか」 という抗議をしているわけです。もっといえば、素人に分からないような理論は、 マヤカシであると非難されても仕方がないのではないかともいえます。 (かなり言い過ぎていますが、明言した方が議論としてはわかりやすいでしょう。) その意味で、古典力学すら未熟なレベルではないかという大胆発言をしたわけです。 その証明をするために、小生が納得できるレベルでの説明を構築したのですが、 まったく力量不足でした。補足的に説明させていただきますので、 よろしくお願いします。  なお、この試みがうまく行けば、 「(素人の疑問に耐えうるような)理論の構築は、本来専門家の仕事ではないか?」 と、言ってみたかったのですが・・(井沢先生が歴史学者に向けた言葉と同義です)  さて、唯一内容について意見をくださっている輔住様に対する補足説明をします。 出発点+変化量=終着点(目的地) という式は、足す順序を変えて「変化量+出発点」では意味を失うことにご注意ください。 ところが、時刻tの位置は、無造作に(2次式のつもりです。うまく画面に出るかな?)       2     at +bt+c で表現されています。小学生の気持ちになってください。式をたてることは、 考え方の表現であったはずです。すると、足せるのかどうか?足す順序の問題、 時刻(あるいは時間)の2乗とは?など、疑問だらけだといいたいのです。 前回考察したことは、放物運動だと、時刻Tに高さHから放り投げれば、             2     H+a(t−T) でないと、意味のある式とはいえないという主張です(比例定数はいいかげんです)。 これは、足し算の順序も変えられないし、時刻の引き算をして時間にしないと、 2乗も不可能なはずなのです。  もちろん、この程度のことはプロなら混同したままでも、うまく扱えるでしょう。 しかし、物理学者に向かって、もし小学生が「おじさん本当に力学が分かってるの?」 といわれたなら、返す言葉があるでしょうか?やはり、理論としては未熟なのでは? といいたかったのですが、いかがでしょうか? このように量を理解していたならば、その1のクイズは間違いにくいとおもいます。 (ひょっとすると式の導き方を質問なさっているのかもしれませんが、まだそれは説明 していません。ここまでの段階で、意味のある式の形に整えたに過ぎません。) Time : 1999/ 1/29(金) 16:29:21
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 本当の謝罪 Comments: すみません、長ったらしい文が二重になってしまいました。 お許しください。 Time : 1999/ 1/29(金) 16:30:57
Name : 輔住 E-mail : Title : 返答ありがとうございます Comments: 大阪JF生さんへ: 質問への御解答ありがとうございました。 式の意味や 大阪JFさんの意図がようやっとわかりました。 >出発点+変化量=終着点(目的地) >という式は、足す順序を変えて「変化量+出発点」では意味を失うことにご注意ください。 >式をたてることは、 >考え方の表現であったはずです。すると、足せるのかどうか?足す順序の問題、 >足せるのかどうか?足す順序の問題、 >時刻(あるいは時間)の2乗とは?など、疑問だらけだといいたいのです。 そのとおりですよね。もし解けたとしても意味が無いし、混乱するだけでしょう。 「算数」はともかく、「数学」は覚えておけば「こういう時に役立つ」という視点が 欠けていると思います。(もしくは学ぶほうからすると分かりにくい) Time : 1999/ 1/29(金) 18:02:20
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(43)「仁徳」は怨霊か? Comments: 安部さん、みなさん今日は・・・KANAKです。 >>KANAKさん、あなたは真実を見つける課程で井沢先生を否定なさっている >>のですか?それとも、井沢先生を否定するために真実を持ち出している >>のですか? 私は、ドシロウトながら古代史に興味を持つものとして、現在我々に与えら れた文献その他の諸史料をもとに、その真実に一歩でも近づきたいと努力し ている者です。 その過程で偶々井沢さんの所説に接し、あまりの誤謬(牽強付会)の多さと 歴史学者に対する謂れの無い愚弄嘲笑に驚かされました。そこで井沢さんの 言論人としての良心に訴え、その訂正と陳謝を求めているものです。 ところで真実を持ち出せば・・・井沢さんを否定することになるのですか? >>「日本の神々(3)」より、上の2つは、養蚕伝説から仁徳天皇を祭ったの >>かもしれない。3社とも、大阪府堺市の大山古墳からは離れている。応神天 >>皇を祭る神社は多いが、仁徳天皇を祭る神社は非常に少ない。仁徳天皇が >>怨霊である可能性がこれで0ではなくなった。 私には、「仁徳」の諡号を受けた「大鷦鷯」が怨霊であるとは考えられませ ん。その限りにおいては「仁徳」諡号に対する次の井沢さんの意見は極めて 尤もだと思います。 「古代において、はじめて大陸から『聖徳』ないしは『徳』という言葉が伝 わった時は、やはりこれはその通りの意味で、たとえば第四代の懿徳天皇 (実在には疑問があるが)とか第十六代の仁徳天皇は、この本来の意味で名 付けられたのであろう。・・・・」 P165 何故ならば・・・以前にも申し上げたとり、「大鷦鷯」の実像(実在性を含 め)は誰にも分かりません。しかしながら「記紀」成立後、おおよそ宝字 (757〜764)年間前後に漢風諡号が選定されたとすれば(こう考えるのが最 も妥当です)、諡号選定者が意識した「大鷦鷯」像は「記紀」記述によると 考えざるを得ないのです。 そこには「大鷦鷯」が怨霊となる何らかの要素が認められるでしょうか? 勿論一切ありませんね。だからこそ井沢さんは「仁徳」諡号が怨霊諡号では 無いとされたのです。(論理的に当然の帰結ですね・・・ところがこの後が 諡号一括選定を否定する訳の分からない論理になるのですが・・・(^^;) ところで、安部さんは神社祭神をどのように理解されているのでしょうか? まさか・・・祭神とされている人物が即怨霊候補と、お考えでは無いでしょ うね。 極めて大雑把に言えば、人物祭神は・・・ 1.先祖(始祖・中祖)崇拝・鎮魂(怨霊鎮魂ではない)によるもの。 2.英雄(威霊)崇拝・鎮魂(怨霊鎮魂ではない)によるもの。 3.それらに縁を有することで合祀されたもの。 4.怨霊鎮魂によるもの。 5.産土神(霊)として意識されたもの。 等がありますね・・・従って、「大鷦鷯」が祭神とされている場合、彼がこ のどれに該当するかを考察することが重要であり、当然ながら直ちに怨霊に 関係付けるべきものではありません。 それでは・・・伊居太神社における祭神「大鷦鷯」の場合は、どの様に理解 出来るでしょうか? ご承知のとおり伊居太神社は式内社とされていますが・・・本来の伊居太神 社は兵庫県尼崎市塚口東にあったとされ、祭神に「大鷦鷯」が含まれていた かどうかは明確ではありません。 一方現在池田市に在るの伊居太神社は元々「秦上社」とも呼ばれ、呉服神社の 「秦下社」と一対の秦氏の氏神であったと考えられています。 しかしながら平安中期にこの一帯は東漢系坂上氏の勢力範囲となり、阿知使主 ・織姫神(穴織)を祭神とする神社となったようです。 (室町期に尼崎から池田に移設か?・・・神社考察に当たっては、遷座・祭神 変化・後世合祀を考慮する必要がありますので、とてもヤヤコシイのです。) そこで・・・東漢系坂上氏と織姫神・応神・仁徳の関係ですが・・・ 応神紀三十七年条「阿知使主・都加使主を呉に遣わして、縫工女を求めしむ、 ・・・呉の王、工女兄媛・弟媛・呉織・穴織、四の婦女を与う。」 応神紀四十一年条「阿知使主等、呉より筑紫に至る。・・・武庫に及りて、 天皇崩りましぬ。及ばず。即ち大鷦鷯尊に献る。是の女人等の後は・・・」 ・・・とあります。 阿知使主は漢の霊帝の後裔を称する東漢系坂上氏の始祖ですから、これで 織姫神(穴織)・応神・仁徳・阿知使主の各祭神がワンセットで揃う訳です。 従って伊居太神社祭神「仁徳」は上記の3に相当し(合祀時期はよく分かり ません)、怨霊とは程遠い存在でしょうね。 勿論「応神・神功」は祭神界の大スターですが、彼等が英雄崇拝の対象でこ そあれ怨霊とは無縁の存在であることは、ご承知のとおりです。 ところで・・・「日本の神々(3)」というのは何方の著書でしょうか? ああ、それから本論とは関係ありませんが・・・2000年問題について言 えば・・・ >>西暦を最初に制定した中世ヨーロッパ人が、紀元前1年と紀元後1年の間 >>に0年を入れ忘れたのです。というより、0を知らなかったといったほうが >>早いでしょう。 0(ZERO)ー1(ONE)ーーーーー2(TWO)ーーーーー3(THREE)  0thXX ー1st=th(FIRST)ー2nd=th(SECOND)ー3th(THIRD) の関係をお考え下さい・・「0」の概念ではなく「0th」の概念の問題だと 思います。因みに平成元年は平成1年(1th)であって平成0年(平成0th) ではありませんね。(日の数え方でも同じです。0日はありませんからね。) Time : 1999/ 1/29(金) 22:27:53
Name : KANAK E-mail : SAME Title : 「逆説の日本史2」(44)「大本営発表」の意味は? Comments: kazuさん、みなさん、今日は・・・KANAKです。 >>大友(弘文)から天武への皇位継承は表面的にせよ平穏に行われたわけ >>ではなく壬申の乱によっています。天武には己の行為を正当化する必要 >>があり、日本書紀がそのための「大本営発表」であるという考えには賛 >>成です。もちろん、天武と大友は同姓ですから「易姓」にはなりません。 私も、このご見解には全面的に賛成です。私達は「天智・天武」が実の兄 弟であり、「壬申の乱」が「伯父・甥」の皇位継承であると言う基本的歴 史認識に立っていますね。 その枠内においては・・・「日本書紀」は「天武」を正当化する「大本営 発表」だと言うのは当然でしょう。 (「天武系天皇」の権力の下で成立した「史書」ですからね・・・そして 基本的には「同族」である「天智系天皇」の権力の下で公認され続けた 「史書」でもあるのですが・・・・。) しかしながら、井沢さんの基本的歴史認識は・・・私やkazuさんとは全く 違っています。 井沢さんは「天武」は「新羅人の子」であり「文武・聖武・称徳」等は 「新羅人の子孫」だと主張しておられるのです。そして「光仁」即位によ って正統王朝が「復辟」したと主張しておられるのですよ。 その基本認識と密接不可分の意味において・・・「天智・天武」諡号は、 「紂王・武王」に由来するとされ、中世史書の「年齢問題を」問題とされ、 「壬申の乱」は実質的に「易姓革命」だと主張されているのです。 そして「日本書紀」は「万世一系」の建前を維持するために「天武」が、 「新羅人の子」だという事実を隠蔽し、「天武」を「天智」の実の兄弟だ と言う大嘘を信じさせるための「大本営発表」だと言っておられるのです。 お分かりですか?・・・同じ「大本営発表」でも全くその意味するところ が違うでしょう? kazuさんも基本的歴史認識において、私同様に「天武」が「新羅人の子」 であるという井沢説を真っ向から否定されていますね。 その意味では、基本的に私と全く同意見で・・・「天智・天武」に関する 「逆説の日本史2」の基本部分を完全に否定しておられるのでしょう? 従ってkazuさんがおっしゃる・・・ ”日本書紀がそのための「大本営発表」であるという考えには賛成です” は井沢さんとは根本的に違う意味の「大本営発表」の筈ですね。その他の 諸問題についても同様でしょう。 「天智・天武」が舒明・斉明を両親とする実の兄弟である・・・と言う私 達の共通認識に立って、「称徳」や「桓武」の思想・行動を解釈なさって 下さい。自ずから井沢さんの主張が如何に非論理的なものであるかが見え てくると思います。 Time : 1999/ 1/31(日) 12:58:32
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 雑説3 Comments: 「日本の神々 神社と聖地(全13巻)」は、谷川健一氏編集の複数の研究者による協著です。 発行は昭和54年です。私は現在読み進めているところです。 ひたすら神社の歴史と祭祀、祭神を記述している本です。 私が見たところ、八百万の神は本当に奥が深いです。 梅原先生や井沢先生の記述がまだ生ぬるいくらいに私は思えます。 日本史全体を研究する歴史家は、自分の理論の都合でしか地方を見ないので、 往々にしてとんちんかんな証明をしています。 有名所ばかり見て、自説を強化するはずの場末の神社に見向きもしていないことが多い。 逆に郷土史家は、何でもかんでも土着の神にしてしまって、 中央の歴史と関わる部分ははすべて後世の付会としてしまう傾向があります。 または、日本史の登場人物をすべて郷土とつなげてしまいます。 確かに、神社は祭祀年代や順序がややこしいのですが、 だからといってそこでとどまっては面白くありません。 それに、ここは学会ではなく、素人にも楽しく議論のできる場ですから、 素人の蛮勇を大事にしたいものです。 それに、考古学者や歴史学者の時代区分は学会の慣行に基づいており、 かなりあやふやな部分があります。 人文科学はどうあがいても、自然科学のように厳密ではなく、人間の主観が入っています。 科学的史観など幻です。所詮は研究者も小説家もそんなに差はない。 「ない」ということは考古学では証拠になりません。 明日にも、今まで何もなかった場所から何かが出土するかもしれないからです。 富本餞は出ましたし、都城盆地から日本最古の稲作の跡が見付かりました。 否定的な証明はしない方が良い(これは自然科学にも当てはまると思う)。 大抵ハ恥をかく。 人間の想像力なんてたいしたことがないのだから、 いつか実現するか既に過去にあったものであろう。 Time : 1999/ 1/31(日) 16:10:55