Name    : 管理人
E-mail  : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp
Title   : きんたろう様
Comments: 

>以前に郡名や月番について質問をしたのですが、誰からも回答がなくて
>少し残念でした。

 ごめんなさい。過去のログは、とりあえず「蔵」に保管してしまいました。

>日本国中鳥居は存在しますが、どうも朝鮮半島や中国大陸では存在しない
>のではないかと個人的には思っています。

 香港の「黄帝廟」の門を見て、鳥居に似た印象を受けた覚えがありますが、
たぶん私の記憶違いでしょう。
 
 でも、機会があったら、中国人の友人に尋ねてみます。韓国人の友人もいま
すが、国際電話で聞くには誤解を招きそうな話題なので、会ったときに質問し
てみます。

                     管理人


 


 


Time    : 1998/10/ 1(木) 02:49:59

Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : オケチャン、大阪JF生 様 Comments:  枚方市の「片埜神社」に、お電話して確認いたしました。 同神社のお話によると、アテルイとの由縁は、要旨、以下の 通りです。 「坂上田村麿呂が東北遠征での戦いに勝利をおさめて、蝦夷 の酋長・アテルイと副酋長を捕らえて凱旋したのですが、ア テルイが立派な人物であることに感服した田村麿呂は朝廷に 何度も助命を嘆願しました。ですが、アテルイを生かしてお けば再びの反乱の火種を残すために、助命はかないませんで した。そして、アテルイが処刑されたのが、この近くの宇山 にあった処刑場だったということです。地名は、植山、守山 と何度か変わりましたが、ここであったことは間違いないと 枚方市では認めています。神社には首塚があり、隣は公園に なっております。毎年、東北からアテルイの慰霊供養のため に、グループで訪ねてみえる方が大勢いらっしゃいます」  大阪JF生さん、ぜひ、同神社を訪ねてみてください。                管理人   Time : 1998/10/ 1(木) 17:35:35
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 天智天皇暗殺説論争 番外 Comments: お久しぶりです。大島重雄です。 せっかく井沢さんにニフティーにご登場願えたのに後一回だけの発言しかして いただけないとは残念でなりません。あのKANAKさんの三文小説発言が原因 だとしたならあれを不用意にそのまま転載した私にも責任の一端があります 深くお詫び申し上げます。ただあの発言は前にも書いたとおり井沢さんの 著作に対してではなく天智天皇暗殺説に対してであり、しかもコメントの相手 が私であったためのもので、明らかに文筆業を営んでいる方があいてであった ならKANAKさんもあのような書き方はしなかったものと思います。 このまま議論が打ち切られてしまうのはここに論争を転載させたいただいた 私の本意ではありません。とりあえずあの発言に対するKANAKさんの釈明を 掲載し、引き続きKANAKさんの反論を掲載したいと思います。 めいくわんしさん、いつも会議室の正常な運営にご苦労いただき、ありがとう ございます。 また、この度は私の「三文小説発言」につきご心労をおかけし、まことに申し 訳ありませんでした。本発言の本旨は大三元さん他の皆さんがご指摘頂いてい るとおり「天智暗殺説」そのものについての「印象」を述べたものであり、 決して井沢さんを「三文作家」と断じたものではありません。しかしながら井 沢さんが「天智暗殺説」を題材とした「小説」をご発表されていたとすれば、 その様な誤解が生じかねない表現であり、その意味で不用意な発言であったと 反省いたしております。 また「三文小説」という表現自体が「文学作品」に関する評価の問題であり、 それが妥当な「史論」に立脚しているかどうかとは本来は別の問題でした。 (「史論」として荒唐無稽な説に立脚したものであっても、「文学作品」とし ては素晴らしいものも文学論としては有り得る訳ですから・・・) 従って「史論」としての妥当性を議論すべき本会議室における発言としては不 適切なものであったかも知れません。 これらの点につき、会議室スタッフの皆様にご迷惑をお掛けしたことに関し、 深くお詫び申し上げます。 ただ井沢さんは、ご自分の「小説」を「文学作品」であると同時に「一種の史 論」としておられる様ですので・・・「天智暗殺説」を含む「逆説の日本史2」 全体の「史論」としての妥当性を論ずることで、井沢さんのご指摘にお応えし たいと存じます。(めいくわんしとはフォーラムマネージャーのハンドルです) 今後とも、よろしくお願い申し上げます。      98/09/26 Time : 1998/10/ 1(木) 18:29:23
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 天智天皇暗殺説論争 番外その弐 Comments: 大島重雄です KANAKさんからの希望もあり先日の井沢さんのニフティーへの掲載文に対する KANAKさんの反論を転載します。 原文そのまま 井沢さん、はじめまして・・・KANAKです。 (大三元さん、おひさしぶりです・・・ワザワザお出まし頂き恐縮です。) ご多忙中にもかかわらず、長文のコメントをお寄せいただき光栄です。 先ず申し上げたいのですが、井沢さんは私の本件に関する一連のコメントを お読みいただいたのでしょうか? 会議室の性格上大島さん、その他の方々との意見交換の中で議論が発展して おりますので、コメント全体をご一読になった上でご指摘いただきたいと存 じます。 それは、さておき早速具体論に入らせて頂きます >>とですから、ここでは繰り返しません。ただし私への反論者が巧妙に避けて >>いる二点について、敢えて指摘しておきたいと思います。 >> 一点は天智、天武という名前(諡号)です。この『逆説の日本史』等を読め >>ばおわかりになるように、天智という名前は中国における暴君で、叛乱によっ >>て死に追いやられた王を暗示しています。一方、天武という諡号は、その暴君 >>を死に追いやったほうの王に由来しています。(改行失礼) ・・・については、決して回避などいたしておりません。 #1405 >つまり持統は天智の娘、文武は天智の母系孫、元明は天智の娘、元正は天智 >の母系孫、聖武は天智の曾孫、孝謙/称徳は天智の曾々孫です。 >廃帝淳仁以外は何れも天智とは血統で繋がっています。 >(この血縁関係を全面的に否定するならば別ですが・・・要するに淡海三船 >と同じ立場ですね。)) >彼等は自らの母系祖を悪逆紂王になぞらえさせるでしょうか? >私には人情として信じられません。 >さらに万々一、彼等がそれを認めたとしても49光仁、50桓武は一片の勅令で >天智の諡号を容易に変更出来る筈ですね。何故自らの直系祖である天智を紂王 >になぞらえたまま放置するのでしょうか? #1744 >(我々の常識では「諡」が本字と思っていますが”漢語に精通している鴎外” > だからこそ、逆に「謚」を本字としたのかも知れません) >次ぎに、”大日本帝国陸軍軍医総監森林太郎”が”「謚」は「笑う」という意 >味”で、”おそれ多くも「大元帥陛下」”の先祖の”諡号”を論じるでしょう >か?・・・これは天皇諡号を”笑い事”にすると言うことですよね。 >私には一寸信じられません。やはり本字として「謚」を使った可能性が高いと >思います。 >さらに、肝心の部分ですが・・・「天智」が紂王の身を飾った玉の名であった >としても、「天智=紂王」とは限らないでしょう。 >「天智玉五在火中不銷、半天智玉武王則寶與同、注、天智玉之上天美者也」 >・・・とは、紂のような悪逆王の身を飾っても、共に亡びることなく上天の美 >を保ったという意味を示しているとも考えられるからです。 >「天智天皇」諡号が紂王を示唆しているという決め付けは、これらの諸点から >も余りに短絡的ではないでしょうか?(別観点からの疑問は#1405でUP済み) また、この部分についてはスズメ♂さんが、#1858でさらに詳細に批判されてい ます。 そもそも、井沢さんは「書紀」に関して 「では、この編纂の責任者、現代風にいうなら編集長である舎人親王とは何者か といえば、天武天皇(大海人の皇子)の息子なのである。そして「書紀」が完成 した720年(養老4)とは、天武の玄孫である元正女帝の治世なのである。つ まり「日本書紀」は、天武天皇の時代にきっかけが作られ、その孫の女帝の治世 に、息子である編集長が完成させた史書なのである。」 逆説の日本史2 P214 という「天武系天皇の大本営発表論」を展開されていますね。しかし良くお考え 下さいね・・・仮に井沢さんの筆法を持ってすれば 「・・・大本営発表であり、かつ天智系天皇のGHQ(?)検閲を経て公認の 「正史(諡号)」として、その後も尊重され続けたものでもある・・・」 なんですよ。 「桓武天皇」どう見ても自分に転げ込んだ皇位の正統性を「天智天皇」直系に求 め、天智を最大限に持ち上げた天皇でしょう? その政権・・或いは後継政権下において「天武系大本営発表の書紀」及び「天智 =紂王」を意味する「諡号」を何故に公認し、尊重し、講義し続けたのですか? 或いは「彼等」は早くも「天智=紂王」とする「諡号」の意味を忘却したとでも 仰るのでしょうか? 私には理解出来ません・・・この点に関する井沢さんのご見解を是非お聞かせ頂 きたいと存じます。 >> 更にもう一つ言っておけば、天智暗殺説は私の完全なる独創ではなく、先人 >>がいます。それは、『扶桑略記』という、今から何百年も前の本に書かれてい >>ることであって、その意味でも「売らんかなの三文小説」というKANAK氏 >>の決めつけは完全なる間違いです。 『扶桑略記』については#1376において私なりに批判しております。御一読願いま す。まさか『扶桑略記』も知らずに「天智暗殺説」を論じる筈がないでしょう? >>ってしまうので、ここで詳しく述べることはできませんが、簡単に言えば日本 >>人は敗者を中近東や西洋のように抹殺せず、その子孫を優遇することによって >>怨霊封じをしようという発想があるということです。それが私の理論の根幹な >>のに、KANAK氏はその基本理論さえ理解していない。 私がここで指摘しているのは・・「単に子孫を優遇する」の問題ではありません。 その様な「理論」がこの時代に成立するかどうか自体疑問ですが、さらなる疑問 は仮に”子孫を優遇することによって怨霊封じ”を行うとしても、そのために 「皇位継承権」をもつ皇族として遇し、国政中枢に関与させるでしょか? (現実にソノ結果天皇位についたわけですね。)・・と申し上げているのです。 論点を曲解しないで下さい。 「歴史の真実」に少しでも近づきたいが故の「野人」の率直な意見です。 ご寛恕のほどを・・・・・なお、井沢さんの「著書」では「恨の法廷」を拝読 いたしております・・・では、また。                          98/09/18 Time : 1998/10/ 1(木) 19:23:25
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 天智天皇暗殺説論争 其の参 Comments: 前回転載したKANAKさんの反論の原文を転載します #1405 大島さん、瀧本さん・・・・KANAKです。 井沢氏の「逆説の日本史」古代怨霊編・・本屋さんで立ち読みしました。 ざっと見ですが「天智諡号=殷の紂王」説以外はほぼ小林説に準拠してお られる様ですので、以下その他の小林説に関して検証いたします。 小林氏が挙げられている天智・天武非兄弟説・・根拠の第一番目は *天武天皇と漢高祖の関係・・・・です ”天武天皇の年齢と出自を知るに当たって・・・その特性の中でも、最も 出自と関係すると思われるものに、天武天皇の漢高祖を範とし、自らを任 じたという意見がある。・・・” として詳細に天武と漢高祖の関係を論じておられます。その結果 ”中大兄と同両親をもつ兄弟であるならば、当時貴種中の貴種であるはず なのに、何故漢高祖のような下層の遊民にして王朝の始祖たる者に、自ら を擬し、後継者もそれを認めているのか・・・・・・・・・・・・・・ 斉明自身・・・敏達の曾孫、押坂大兄の孫、茅淳王の娘という出自である。 皇統ではあっても皇位にほど遠く、当時の権力者、蘇我一門にも関係せず、 しかも外来人と浅からぬ血脈を持つ王の娘に過ぎない。そうであってみれ ば唐国帰りの学者高向漢人玄理は若き日の斉明には、むしろ、ふさわしい 相手であったと想像されよう。・・・以上の理由より、天武天皇の実父は、 比較的新しく渡来した新羅系外来人の血統である、高向漢人玄理であると 推定する。” としておられます。結論は少し異なるようですが、天智・天武非兄弟説の 根拠としては、ほぼ井沢氏も追随しておられますね。 私も、天武が漢高祖を範としたと言う意見については否定いたしません。 問題はそれが「天武の出自」を推定する根拠になるか?・・ですね。 私は、天武が漢高祖を範とした理由として、主に次の二つがあると思います。 A.漢高祖が卑賤の身から漢帝国を興した・・自分も卑賤の身で帝王となる。                       (小林説ー>井沢氏追随) B.漢高祖は出自に拘わらず帝王の鑑である・・自分も帝王の鑑となりたい。                       (私の思い付き説) それではB説は成立するでしょうか。 秦  始皇帝   B.C.259ーB.C.210 王族   二代滅亡 前漢 高祖劉邦  B.C.247ーB.C.195 庶民  B.C.202ー8 新  王莽    B.C. 45ー   23 貴族   一代滅亡 後漢 光武劉秀  B.C. 6ー   57 王族?   25ー220 晋  司馬炎     236ー  290 貴族   265ー316 宋  武帝劉裕    363ー  422 庶民   420ー479 隋  煬帝      569ー  618 王族   589ー619 一応天武の時代における著名な帝王(結果的に創業者になります)は上記 のとおりでしょうが・・・・・・・・これらの帝王の内から、専制君主を 目指す天武が、帝王中の帝王として範とすべき人物は誰でしょう? 王族にして実質一代で国を滅ぼした始皇帝・煬帝はお話になりませんね。 私が天武ならば、やはり200年(前後通算では400年)の漢の基礎を 築いた高祖劉邦を選ぶと思いますが如何でしょうか? その出身が王族か庶民か・・・そんなことを賢しらに論じる後世の歴史家 の度量を天武は呵々大笑するのでは無いでしょうか。 (天孫を持って任じる天武にとって、常に王朝交替を繰り返す中国皇帝の 出自等は元々問題にならないと考えたかも知れません・・・・) 以上の結果、A説(天武非皇族)成立の可能性は高くない・・・・・・ と思いますが如何でしょう? 根拠の第二番目「年齢問題」「泉涌寺問題」等はすでに論じましたので、省 略します。 次ぎに井沢氏独特の説と思われる・・「天智諡号問題」について記憶を辿りな がら以下で検証いたします。 井沢氏の主張は「天智」諡号が殷の紂王に因んだものであり、即ち天智天皇を 紂王になぞらえた・・・と言うことですね。 この主張を検証するに当たっては、「天智」諡号がいつ頃、誰によって選ばれ たかが問題でしょう。 私の記憶では天智等の諡号の選者は、淡海三船とされていたと思いますが・・ 淡海三船は天智ー弘文(大友)ー葛野王ー池辺王ー三船の系統であり、いわば 天智の直系孫です。幾ら権力者の命によるものといえ、三船が自分の直系祖を 悪名高い紂王になぞらえるとは一寸考えられません。 (この点は井沢氏も認めておられ、三船諡号選者を否定されていましたね) それでは、奈良時代に於ける淡海三船以外の人物ならばどうでしょうか? ここで考えなければならないのは、所謂天武系天皇の出自です。 父系       母系      配偶者 41   持統   天智天皇    蘇我遠智娘    天武天皇   42   文武    草壁皇子    元明天皇     藤原宮子           (天武・持統の息)           43   元明     天智天皇    蘇我姪娘     草壁皇子                44   元正     草壁皇子    元明天皇                                      45   聖武     文武天皇    藤原宮子     光明皇后               46   孝謙     聖武天皇    光明皇后                    47   淳仁     舎人親王    当麻山背娘                        48   称徳     ***                                          つまり持統は天智の娘、文武は天智の母系孫、元明は天智の娘、元正は天智 の母系孫、聖武は天智の曾孫、孝謙/称徳は天智の曾々孫です。 廃帝淳仁以外は何れも天智とは血統で繋がっています。 (この血縁関係を全面的に否定するならば別ですが・・・要するに淡海三船 と同じ立場ですね。)) 彼等は自らの母系祖を悪逆紂王になぞらえさせるでしょうか? 私には人情として信じられません。 さらに万々一、彼等がそれを認めたとしても49光仁、50桓武は一片の勅令で 天智の諡号を容易に変更出来る筈ですね。何故自らの直系祖である天智を紂王 になぞらえたまま放置するのでしょうか? (これは前レスでも提起した疑問です) 結論はただ一つ・・・”天智天皇を紂王になぞらえた”と言う主張は為にす る全くの妄想である・・・と考えますが如何でしょうか? その他、桓武の平城京から山背(長岡ー平安)遷都に関する説は、天武系聖 武天皇の恭仁京・難波京遷都の動きを無視されている様ですし、 >>ただ、井沢氏の説には、うむむ、と感じさせられる部分が(私には) >>ありますので、 は残念ながら発見出来ませんでした。見落とした部分もあると思いますので、 ご指摘頂ければ有り難いのですが・・・・ よろしくお願いいたします。 Time : 1998/10/ 1(木) 19:45:22
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 天智天皇暗殺説論争其の四 Comments: KANAKさんの反論の原文です #1744 大島さん、今日は・・・KANAKです。 この際ですので、次の部分についても重ねて疑問を呈しておきます。 「天智」というのは、殷の紂王が最期まで身につけていた宝石の名前なのであ る。これが何を意味しているか、もうおわかりだろう。つまり、「天智天皇」 は「殷の紂王」だと言っているのだ。・・・・・ そう言えば、本来なら「帝諡考」と書くべきところを、「帝謚考」と書いたの も、天皇家に憚ってのことかもしれない。「諡」と「謚」は本来は同じ意味だ ったが、後に意味が分かれ(「謚」は「笑う」という意味)、「おくりな」の 意味なら「諡」の方を書くのが正式だからだ。漢語に精通している鴎外が、こ のあたりのことを間違うはずがないのである。        P279 謚・・・@オクリナ。俗に諡に代用(一説に諡のほうが本字)A笑うさま。 諡・・・謚は俗用の字、もと別字、一説に謚が本字@オクリナ、死者に贈られ     る名。多くは生前の行為によってつける。諡号Aおくりなをつける B称号のこと。 (新明解漢和・・三省堂) 先ず、漢和辞典で見る限りどちらが正式とは言えないようです。 (我々の常識では「諡」が本字と思っていますが”漢語に精通している鴎外”  だからこそ、逆に「謚」を本字としたのかも知れません) 次ぎに、”大日本帝国陸軍軍医総監森林太郎”が”「謚」は「笑う」という意 味”で、”おそれ多くも「大元帥陛下」”の先祖の”諡号”を論じるでしょう か?・・・これは天皇諡号を”笑い事”にすると言うことですよね。 私には一寸信じられません。やはり本字として「謚」を使った可能性が高いと 思います。 さらに、肝心の部分ですが・・・「天智」が紂王の身を飾った玉の名であった としても、「天智=紂王」とは限らないでしょう。 「天智玉五在火中不銷、半天智玉武王則寶與同、注、天智玉之上天美者也」 ・・・とは、紂のような悪逆王の身を飾っても、共に亡びることなく上天の美 を保ったという意味を示しているとも考えられるからです。 「天智天皇」諡号が紂王を示唆しているという決め付けは、これらの諸点から も余りに短絡的ではないでしょうか?(別観点からの疑問は#1405でUP済み) Time : 1998/10/ 1(木) 19:51:30
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 間違えました Comments: つまらないことですが 前々回の天智天皇暗殺説論争其の参は四其の四は其の五でした。 Time : 1998/10/ 1(木) 22:12:19
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 天智天皇暗殺説論争其の六 Comments: KANAKさんの反論の原文です。 #1376 扶桑略記に関するものです 大島重雄さん、今日は・・・お久しぶりのKANAKです。ここのところ多忙でした ので遅くなりましたが、天智暗殺説についての私の意見を以下申し上げます。 >>天智天皇暗殺説の根拠は以下の通りです。 >>日本書紀に天智天皇の埋葬された日にちが記載されていないそれどころか陵の場所が記 >>されていない、ほかの記述のある天皇の陵の場所が全て記載されているのにも関わらず >>です井澤氏によればこれこそ天智天皇の死に方が異常なものであった一つの証拠といっ >>ています。理由はながくなるのでここでは割愛させていただきます。 理由が割愛されているので、解釈のしようが無いのですが、これは死亡に関する異常性 ではなく、造陵に関する異常性と考えるのが妥当ではないでしょうか? 書紀で明らかに記述されているとおり、天智御陵の造営が壬申の乱のキッカケのなった わけですが、その後文武三年にあらためて越智山稜(斉明)、山科山稜(天智)の造営 詔が出されたことが、『続日本紀』に記述されています。 従って書紀に陵の場所が記載されている筈がありませんね? (斉明陵は改修と思われます) これが何故天智暗殺に繋がるのか良く理解できないのですが・・・ なお、天智死亡の状況については倭姫皇后の哀悼歌がありますのでご参考までに再UPし ますが(#709)、暗殺などとはほど遠いものだと思います。 井沢氏の天智暗殺説では妻倭姫皇后・娘持統天皇はそのことを了知していたことに為っ ているのでしょうか? 天原 振放見者 大王之 御寿者長久 天足有(147) 天の原 振り放け見れば 大君の 御寿は長く 天足らしたり 青旗乃 木旗能上乎 賀欲布跡羽 目爾者雖視 直爾不相香裳(148) 青旗の 木旗の上を かよふとは 目には視れども 直に逢はぬかも 人者縦 念息登母 玉蘰 影爾所見乍 不所亡鴨(149) 人はよし 念ひやむとも 玉かづら 影に見えつつ 忘らえぬかも (天智天皇が病に倒れ、崩御されるに到った時、倭姫皇后が詠まれた歌三首です。)  *青旗は崩御にさいし、掲げられるものです。 人によっては、ゴーストライターの作品だと、言われるかも知れませんが、 私は素直に、倭姫皇后の天智天皇に対する愛情が、感じ取れる作品であると思います。 従って仮に天智天皇が天武側に暗殺されたのであれば、倭姫皇后は大后の権威を持って 天武側に対抗され、壬申の乱の帰趨は全く別のものと為っていたかも知れませんね。 >>もう一つは平安末期に皇円という僧がかいた「扶桑略記」のなかで天智天皇は山科 の郷>>へ遠乗りに出かけたまま行方不明になってしまい帰ってこなかったしかたがな いので、>>その沓が落ちていたところを陵としたという記述がある。そしてそのほか に以下のよう>>な意味不明な部分がある。 以往諸皇不 知 因果 恒事 殺害 >>この部分は意味不明なのですが殺害とある以上皇円はこの行方不明事件を殺害とみ なさ>>れていたと考えるべきではないか。この皇円という人は天台宗の高僧であり、 天台宗の>>総本山の一つである三井寺は大友皇子の息子の与多王の創建でありその関 係から檀家で>>ある天智天皇の死についてほかでは得られないえられない情報を持っ ていたのではない>>かと考えられる。そしてそれが真相だと信じるに足る理由があっ たからこそ皇円は略記 先ず園城寺についてですが・・・ ”延暦寺を山門というのに対して、寺門と称する。天智・弘文両帝の造営の遺志をつい で、大友与多麿(*弘文皇子与多王)が天武天皇十五年(686)に建立したと伝えるが これは寺門に対する付会説で、実際は当地の大友村主の氏寺として奈良時代末期に創 建されたとする。のち円珍が中興し、貞観元年(859)落慶・・ 永祚宣命の騒乱により正暦四年(993)円珍門徒は下山して当寺により、山門・寺門の 分裂を見た。その後両門の争いは激しく、永禄元年(1081)をはじめ幾度か山門徒に焼 かれ・・・”                   (総合仏教大辞典 法蔵館)  のとおり、園城寺の与多王建立説は疑問が持たれており、”檀家である天智天皇”の 死について情報を得たというのも、充分な根拠があるとは言えません。 (私自身は与多王建立説を全面的に否定する者ではありませんが、井沢氏のように単 純に全面肯定するのも矢張り躊躇します。) 次ぎに著者である皇円の法暦については・・ (皇円) ”平安時代後期の僧。三河守藤原重兼の子。比叡山で顕教は皇覚から、密教は成円に 受けている。その学識は比叡山三塔(東塔・西塔・横川)に響いた。法然も比叡山時 代に皇円を第三番目の師としている。功徳院に住し門弟を育成した。また史才があっ て、神武天皇ら堀河天皇まで五百五十年間の歴史を記した『扶桑略記』三十巻を著し た。嘉応元年(一一六九)六月十三日寂といわれているが、明確ではない。”                    (鎌倉・室町人名辞典・・新人物往来社) ”?−嘉応元年(一一六九?) 比叡山の学僧。肥後阿闍梨という。摂政藤原道兼の孫、三河権守重兼の長子。肥後玉 名郡築地村の人、比叡山に唱生の皇覚に顕密を学び功徳院に住して多くの学徒を教え た。法然もその一人。後年弥勒の出世を待って遠江国笠原荘の桜が池に身を投じて、 蛇身に変じたと伝えられ、また扶桑略記三十巻の著者として知られる。”                          (総合仏教大辞典 法蔵館) のとおり、天台宗山門派の学僧であり、寺門派の牙城である園城寺(三井寺)との 深い関係は窺えません(絶対に無いとは言いませんが)。従って三井寺で天智天皇の 死因について特別の情報を得たという推測も必ずしも明白とは思えません。 (園城寺別当に任じられた等の事実があれば、秘事を知り得たと言う可能性が強くな るかも知れませんが・・・・) 最後に基本根拠となっている「扶桑略記」の性格ですが、 ”引用文献は82種に及び六国史以下の史書や寺院縁起・流記・僧伝などを典拠とし て現在散逸したものも含まれる。記事の大部分は仏教関係で、仏教史として後世まで 重視され、「水鏡」「愚管抄」など鎌倉時代の歴史書にしばしば引用され影響を与え ている。現在でも仏教史史料としての価値は高い。・・・”                           (日本史大辞典 平凡社) と言うものであり、一定の仏教的潤色を想定する必要があるでしょう。 そこで本文についてみると、 十月 天皇臥病。召於東宮大海人皇子(天武)引入大殿。詔曰。朕病弥甚。後事付汝。    宜嗣帝位。皇太子大海人皇子固辞。奏曰。・・・・    (以下に日本書紀類似の記事が述べられています。) 十二月三日 天皇崩。同月五日大友皇太子即為帝位(生年二十五) 一云、天皇駕馬。幸山階郷。更無還御。永交山林。不知崩所。   (只以履沓落処、為其山稜。以往諸皇不知因果、恒事殺害。) 問題の「一云・・」の部分ですが、確かに山科で行方不明になったので、その沓が落 ちていた場所を山稜にしたと言う記述ですね。 私には天智の古人大兄誅殺等の苛酷さを批判した仏教説話の臭いが感じられますが、 真の意味はよく分かりません。 だだし「以往・・殺害」の部分は 「以往(こののち)も諸皇は因果(原因と結果の法理)を知らず、恒に殺害を事とした」 と読めるので、奈良時代の皇族間の継承争(誅殺)を仏教的見地から批判したものと思 われます。これを如何に読めば天智暗殺を示唆したものと為るのでしょうか? 意味不明だが殺害と書いてあるので、天智暗殺と見なす・・・のは私には不可解です。 Time : 1998/10/ 1(木) 22:21:52
Name : きんたろう E-mail : kintaro@po.net-ibaraki.ne.jp Title : 管理人様 Comments: 早速のレスありがとうございます。 ほっとしました。 よろしくお願いします。 これは帰化人が古代において実は主流にはなっていないという証明になるもの だと思っているのです。 それと壬申の乱について話題が独占されているようですが、壬申の乱と言えば 戦前から大乱だったという事は周知の事実だったはずです。 これは何かといえばイレギュラーが発生したという事に他なりません。 だからこそ話題にしているんだと言われればそれまでですが、私は案外義満の先人 で成功した人物だったのではないかと思っています。 Time : 1998/10/ 1(木) 22:59:59
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : きんたろう様 Comments:  そうですね。渡来系の豪族(王朝)は、すぐれた技術や文化を持参金に土着 豪族に娘を嫁入りさせて、つまり政略結婚によって勢力を全国にマダラ状に拡 げていった。東北蝦夷(えみし)の末裔を自認するわが妻は、そう申しており ますが...。  とりあえずは、天津神と国津神について調べていくと面白いのではないでし ょうか。 Time : 1998/10/ 1(木) 23:20:28
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 大島様、ありがとうございます Comments:  大島様、お手数をおかけしました。実は、このHPを置かせてもらっている サイトのオーナーからは、掲示板を幾つかにわけてはどうか、との助言を受け ています。歴史や現代社会についての論争の場、フリートーク(落書き帳)、 ファンクラブetc...。井沢のコラムのバックナンバーや掲示板の過去ログのラ イブラリーなども、やはり設けたいですしね。  井沢はもちろん、サイト側とも協議して、いずれ結論をだせると思います。                     管理人 Time : 1998/10/ 1(木) 23:37:36
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 愛と憎しみの女帝 Comments: 私は、日本武尊から戦国時代までに渡る天皇家とその周辺の氏族の系図を書いたことがあります。 全長3メートルの大作でした。 特に、歴史書では区切られてしまう部分のつながりが面白かったです。 例えば、継体天皇と仁徳天皇の娘達との関係 藤原良房と藤原経基の関係 後嵯峨帝が後鳥羽帝の孫である、 細川氏と三好氏の関係などです。 その中でも、一番ドロドロとしていたのは、持統天皇です。 中大兄皇子は、持統天皇の母親を一番愛していました。 しかし、持統天皇のは母方の祖父が、無実の罪で中大兄皇子に殺されます。 持統天皇の母親は、その為に狂ってしまいます。 その時に身ごもった王子は(持統天皇の弟)、母親のストレスのためか、口が聞けませんでした。そして、夭折します。 持統天皇と、その同母姉は、大海人皇子に嫁ぎます。 持統天皇は草壁の王子を、姉は大津皇子をほぼ同時に産みます。(草壁皇子の方が兄) しかし、中大兄皇子(草壁皇子にとっては母方の祖父)は大津皇子だけを可愛がります。 やがて、持統天皇の父である天智天皇は、夫の大海人皇子の命を狙います。 つまり、持統天皇は自分に流れる天智天皇の血を守りつつも憎んでいたと思われます。 さらに、草壁皇子と大津皇子は仲が良かったらしく才能豊かな大津皇子に羨望さえ抱いていました。 しかし、母親の持統天皇が大津皇子を自分を天皇にするために殺してしまい、それを気に病んで死んでしまいます。 はっきり言ってお笑いです。 このように事はj複雑です。 しかし、持統系の天皇は、天智天皇の血に対して複雑な感情を抱いていたのは確かでしょう。 Time : 1998/10/ 2(金) 13:59:01
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 管理人様・オケチャン様へ Comments: しばらく留守にしていたため、返事が遅れてすみません。 いまどき遅れているかもしれませんが、モバイル機器を持っていませんので、 このBBSすら覗くことができませんでした。 9月27日付オケチャン様、9月30日及び10月1日付の管理人様の 記事を拝読させていただきました。 お知らせいただきほんとうにありがとうございます。 ぜひそのうち暇を見つけてたずねるつもりです。 お手数をおかけして、重ねてお礼申し上げます。 Time : 1998/10/ 5(月) 10:49:51
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 上條様へ Comments: 返事が遅れてすみません。  9月29日付の記事をを拝見いたしましたが、やはりおっしゃっていることは 概ね逆ではないかと思います。根拠のない断定を繰り返されても困るのですが、 勘のみで発言なされてももう少し真実に接近しそうなのに、見事に外しておられます。 おそらく小生の9月29日分は全く読まずに返事を書かれたと推察されます。 根拠は、一言もそこでの発言に触れていないからです。小生が指摘したのは、 基本的に「人の意見を考慮せず、自分の意見のみを述べるのは議論としての マナー違反である」という一点に絞ってあり、その意味で上條様がNiftyに 投稿された時点のレベルより、さらに後退しているのではないでしょうか? 論点は何かが全く分かっておられないようです。  確かに根拠のない「微笑」や「初心者呼ばわり」「感情論よばわり」というのは 議論に手慣れた人が使う小手先のテクニックで、それは身についたかもしれませんが、 相手の意見を良く聞くというのが、議論の基本的マナーで、それを放棄なさっては 困ります。  何度も述べているのですが、井沢説というのは井沢史観から出ているので、 トータルな集合体であって、切り離して議論は不可能だと述べてきたつもりです。 したがって、史観を無視して個々の事例を切り離し、「井沢説」うんぬんは困ると いっているのにどうして感情論なのでしょうか?個々の部分を無視して細かい記述 あるいは認識のミスを捉えて「井沢説否定」というのは羊頭狗肉だと申し上げたのです。 だれも井沢先生の資料の取扱に一つのミスもないとはファンですら思っていないでしょう。 実際「お蔵」入りした記事の中にその類の苦言を呈したものがあったと記憶しています。 それを指摘されるのは、むしろお互いのために必要だと9月29日付の記事に述べておきました。 しかしそれはあくまでお互いの立場を認め合って上でのことで、まともな議論にすべきで、 片方でもルール・マナーを踏み外せば成立しないことなのです。小生がいいたかったことは その1点だけであり、他の個々の事例についてはそれを説明するための例として 述べていたにすぎません。  したがって、相手の議論をきちんと聞いた上で、「史観に興味がない」というのは、 まったく論旨を理解していないということなのです。それが、「聞く耳を持たない。 真摯な対応でない。読めていない。読んでいない。」と小生が判断する根拠です。 このように目の前の文書すらまともに読めないような方が、真贋の判定の難しい歴史的資料を フェアーに吟味できているのか?という疑いを持たれても仕方のないことだと思います。  ようやくKANAK様も「三文小説発言」の重要さが少し分かりかけてきたようですが、 ことはそれだけではありません。また、大島様がこれを紹介した責任をお感じになっておられ ますが、それは問題ではありません。そのような発言を咎める環境でなかったいうことが問題 なのです。ましてや大島様まで「洗脳」されかかっていたのですからことは重大です。  で、相変わらず見事な物量攻撃を続けていらっしゃるKANAK様ですが、文章を読んでも 少しも説得力が感じられないのは、上記のマナーというよりも「断定にあたっての根拠が やはりあいまいである」という別の違反があることが原因ではないでしょうか? 非常に多くの個所に見受けられるのでいちいち挙げられないのですが、たとえば最新版の その5(10月1日付大島様)の最後の行に >意味不明だが殺害と書いてあるので、天智暗殺とみなす が井沢説だという根拠は全く説得力がありません。こんな根拠で「井沢説反論(又は否定)」と いうのは議論として飛躍がありすぎますし「不可解」という断定の方が不可解です。 豊富な知識量と一見フェアーにみえる資料の記述にごまかされていますが、議論の運びかたは 一事が万事この稚拙な調子で結論に至っています。 上條様の引用にもありますように小林説の反論しか述べていないのなら、それもふくめて どうして井沢説反論になるのでしょうか?つまり個々の細かい資料の吟味に絞るといって おきながら、結論として天智関連の説を全部否定するという飛躍・すりかえがあるのです。 全く根拠がない断定で、井沢先生が「断定の根拠を示していただきたい」と声を大にして おっしゃるのは当然ではないでしょうか?  ここからは全くの個人見解ですが、「同じ資料でも違った結論を導くことができる」という 事実は認識なさっているのでしょうか?たとえばある先生が教室で斬新な授業をしてテストした 結果平均点100点満点で60点だったとしましょう。(この場合資料が偽物かどうかということは 問題ではありません。) さて、この場合「斬新なアプローチなので良く理解した」なのか「残念ながら従来同様できが 良くなかった」のかどちらでしょう。 異論があるかもしれませんが、通常は断言不可能という立場がフェアーでしょう。 ここには、ある「視点」なくしては結論を導き得ないという事例の存在を示していると 思われます。よしんば「視点」に目をつぶっても、単に「・・・と思う」という議論は無意味 でしょう。やはり何らかの根拠なくしては単なる感想文でしょう。 その「根拠」も納得のいくものでなければなりません。でなければ単なる中傷です。 KANAK様の文章にはその傾向が見えると思います。井沢先生が「つきあいきれない」と お感じになった(違っていたらお許しください)のはこれも大きな原因と思われます。 まず、議論する相手のいいたいことを良く吟味なさった上で、ルールに則って意見を述べられる ことを望みます。  何度も同じような無駄使いをして申し訳ありませんが、議論の正常化のために必要なことと お察しいただき、BBSの皆様にお許しいただきたいと思います。 Time : 1998/10/ 5(月) 12:38:24
Name : 石井一旭 E-mail : j00w0194@ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : 天智天皇暗殺説への素朴な疑問 Comments: 以前に簡単な書き込みをさせていただいたものです。 ずいぶん「天智論争」が白熱しているようですね。 ところでKANAKさんの天智天皇暗殺説への反論にあった 「なぜ天智が悪い謚ならば桓武帝は謚を代えなかったのか?」 というのを読んでいて思ったのですが、 過去の天皇に贈られた謚を「悪い意味だ。」として 否定してしまうのは、逆に天智が暴君だったと公式に 発表してしまうことになりはしないでしょうか? この謚はあくまで「なぞらえた」だけのことであり、 誰の目にもハッキリと「悪」だとは分からないようにしてある ものです。(だからこそ、天智の謚号に 込められた意味(天智=天智玉)が忘れられているのです。) また、「なぞらえただけ」だからこそ桓武や光仁も敢えて 変更しなかったのではないでしょうか?下手に騒ぎを起こすと 「寝た子を起こす」事になってしまうと思うのです。おっしゃる通り 桓武は天智を祭り上げましたが、それならばなおのこと 「天智という謚は意味が良くないから変更する。」とは 言えないと思います。「じゃあ、天智は悪い謚を贈られるような 天皇だったのだな。」と誰にも思われてしまうからです。 謚の意味とは「分かる人だけがその意味を 汲み取ることが出来る」暗号のような ものなのではないでしょうか? 最後になりましたが、井沢先生御身体の方は 順調でしょうか?復活を楽しみにしています。 でも無理はしないで下さいね。 乱筆乱文すいませんでした。 Time : 1998/10/ 6(火) 11:38:45
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 参加しやすい天智問題 Comments:  こんな言い方をすれば失礼になるかと思いますが(単なる事実の記述としてお許し 願います)、石井様の記事はもっともだと存じます。隠そうとしていることを相手に 分かるように書くというのは、古代の知識人をまったく間抜けだと断定するに等しい と思います。それは現代人の思い上がりではないでしょうか? いつの時代にも 「できる」ひとは存在したと思います。  昨日の小生の記事は天智天皇殺害問題が主体ではありませんでしたので、一般的な 例にとどまっておりました。天智天皇問題の議論の仕方の多くの問題の一つとして、 今回は次の一点に絞ってみたいと思いますので、ぜひ皆様のご意見をお聞かせください。 次のKANAK様の議論の仕方が前回の記事に述べた問題の多い議論の典型ですので ご覧ください。これは、扶桑略記の天智天皇「個人」のことを述べた後に出てきている ものです(10月1日付大島様の記事内の引用): >「以往(こののち)も諸皇は因果(原因と結果の法理)を知らず、恒に殺害を事とした」 >と読めるので、奈良時代の皇族間の継承争(誅殺)を仏教的見地から批判したものと思 >われます。これを如何に読めば天智暗殺を示唆したものと為るのでしょうか? 当時の知識人が天智天皇個人のことを述べている個所で、いきなり一般論を述べるセンス の無さを持ち合わせているとは思えないのですが、この読み方を認めたとしても 「これを如何に読めば天智暗殺を示唆したものとならないのでしょうか?」 この後もということは、日本語として天智は当然含まれるでしょう。ましてや この部分は天智天皇のことを述べている部分ですので除外不可能でしょう。 それで皇族間の継承争(謀殺)が恒だとご本人が解釈されているにもかかわらず、 どうして天智は殺されたのではないという結論にいたるのでしょうか? 到底理解しがたい論述だと思われますが、皆様いかがでしょうか? Time : 1998/10/ 6(火) 13:52:30
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 御心配をおかけしましたが Comments:  皆さんに、ずいぶんと御心配をおかけしましたが、井沢の目は順調に回復し て、矯正の眼鏡を使用しながらも車の運転ができるまでになりました。まだ、 通院はしておりますが、視力が完全に元に戻れば、専用の眼鏡も不要になるよ うです。  一旦、連載を再開すると簡単には休載できませんので、もうしばらく様子を みてから、「逆説の日本史」などの執筆に再び取りかかることになりそうです。                     管理人 Time : 1998/10/ 6(火) 19:48:17
Name : 志田糺 E-mail : mituda@total.co.jp Title : 井沢史観 Comments: 大蔵芳人様、加藤岳彦様、大いなる批判を頂きながら、回答も申しませんで申し訳ありません。BBSに参加する時間 も少なく、失礼をお詫びします。といいますのも、このBBSの過熱な議論につきましても、相当の興味を持っております が、その勢いで、初めて、井沢さんの著作「逆説の日本史」を急遽読ませていただきました。いわゆる、高橋克彦さん の言を借りれば歴史分析の新たな武器としての「言霊」、「怨霊」をもっての歴史学への登場です。更には、作家という 自由な筆致も、我々を思う存分楽しませかつ歴史の学徒への道を開いてくださいました。ただ、堂々とした正攻法での 歴史学界への挑戦状ですので、むしろ、今後の展開を楽しくではないですが、やはり、自分の問題として捉えて行かな ければと自らを叱咤激励するものです。その意味で、現日本国憲法は近くて資料価値一級品ですが、それをどう扱う かは後世への我々の意思表示でもあります。また、これは日本人が世界に発したメッセージでも有りますので、先般 の掲示板内容につきましては、我ながら慎重みを欠いた発言と言わざるを得ません。しかし、全体としての趣旨は変 わりませんので、近いうちにも、回答を掲示したく思っています。さて、井沢史観というよりは、学界に対する姿勢は、 その思想的基盤の違いは別と致しまして感激いたします。それ故に、井沢ファンというよりは、これからの歴史学学徒 としての姿勢を問われているようで、決して、井沢史観を孤立させることはあってはならないとも考えます。すなわち、 「正史」に対する挑戦は極めて無謀であり、相当の敵を予想しなければなりません。そのためにも、本掲示板での論 争は極めて重要と考えます。といいますのは天皇史で歩んできた日本史が現代史をどう説明出来るかかつ人心を掌 握出来るかが重要です。すなわち、小説でもなく、「従来型の正史」を否定する歴史学が新たに求める地平とは、現代 、未来を歴史として予想していくための方法論でなければならず、それは、学界としてのクロージャーを取り外したとこ ろに位置すると思われます。現代、憲法の制定史、その実現史も解明されてはおりません。60年から70年の歴史も ディスクローズはされてはいません。学界なるものはそれだけで解体すべきものでありましたが、残念ながら、歴史は 試行錯誤の道を歩んでおります。腐敗もそこから生まれます。日本史の先には、世界史があります。頂点にあるのは、 私であり、同世代であり、そして、現代の日本人であり、現代の世界の人々です。この掲示板も頂点にあるべきです。 それをあえて決行されている井沢さんには頭の下がる思いです。我々は、その歴史の頂点としての現代にいるわけで すから、自信をもって。「事の善悪」と「事の真偽」を頂点にあるその立場から発言するべきでしょう。私は、「井沢史観」 をそのように受け止めます。歴史学の三大欠陥を指摘しての日本史の再現は見事です。この種の方法論レベルでの 反論を期待したいものです。私の立場は現代史からの日本史再現ということで、同じ位置にありたいと思います。井沢 さんのように、古代から現代につなぐ大ストーリはたやすく出来るものではありません。批判をしたとしても、それを補う 事実検証になるでしょう。それ以外は、井沢史観レベルでの日本史を再編するしかないと思いますし、現在、BBS上で の事実認証は極めて重要です。残念なのは私を含めて、その議論を参加するだけの「資料」を用意できないという事で す。しかし、その結論としての現代史への発言は素人であるかいなかを問わず可能です。少々の齟齬はあっても、堂々 と発言し、自らが、現在「何を恐れているのか」をはっきりさせながら、日本で見えない世界をそして、日本人が見る世界 像を打ち立てることが重要です。憲法には誰でもが知らねばならず、誰でもが発言しなければなりません。我々は国を 代表した憲法宣言を世界に、歴史の登場させたのですから。井沢さんの著作には井沢さんを始め、沢山の憲法コメント があります。出来る限りのそうしたコメントへの私の意見を述べたいのですが、時間との戦いです。 Time : 1998/10/ 6(火) 21:08:59
Name : 横山 雅彦 E-mail : Title : 「トンデモ」について Comments: 悪徳栄氏は「井沢先生に責任はない」とおっしゃっておられま すが、私としては本当に井沢先生が五島勉の本に推薦文を寄 せたのかということです。「逆説の日本史」の読者としてはどうし ても信じられないもので。 Time : 1998/10/ 7(水) 01:14:01
Name : 石井一旭 E-mail : Title : ニュースにおける人物名の読み方 Comments: 先日ニュースを見ていてふと疑問に思ったのですが、 何故中国の人物名は現地の読み方、つまり中国語で読まず、 たとえば毛沢東を「もうたくとう」、江沢民を 「こうたくみん」と日本語で読むのでしょう。 朝鮮の人物ではたとえば金正日を「きむじょんいる」と読み、 韓国でも金泳三を「きむよんさむ」と現地語で読むのに、また 同じ中国でも地名は北京を「ぺきん」と読むというのに、 何故人物名は日本語で読むのですか? どなたかご存知でしたら教えてください。 Time : 1998/10/ 7(水) 13:09:52
Name : 石田治 E-mail : Title : >人物名の読み方 Comments: 初めて書き込みます。 詳しくは知りませんが、以前ニュース番組で、韓国とは双方の合意の元、固有 名詞等を現地語で表記します、という報道協定のようなものを結んだことを報 じていました。中国とは上記の合意が成されていないのではないかと思います。 Time : 1998/10/ 7(水) 13:51:18
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : >人物名の読み方 Comments:  香港では、英国統治時代に、中国名が発音しにくいので、イングリッシ ュ・ネームを冠した経緯があります。香港人の友人達は、内心はこれが気 に入っていて、返還後も捨てる気はないようですが。  江沢民は「Jiang Zemin」と英語表記しますが、これをカタカナ表記する と「チアン・ツォーミン」となるはずです。どうも、ピンとこないですね。 北京語の発音は、アルファベット表記がそのまま音にならない気がします。  ちなみに、私は、初対面の中国人に紹介されるときなど、名前を中国読み されます。親しくなれば、相手も、一所懸命に日本語よみしようとして、口 の中でくり返してくれるものですが...。                      管理人 Time : 1998/10/ 8(木) 03:25:05
Name : 上條信治 E-mail : ZXE06231@nifty.ne.jp Title : 大阪JF生 さんへ (返信その2) Comments: ご多忙の所、貴重なお時間を割き反論をいただきありがとうございます。 私が9月28日付けの発言で大阪JF生 さんに発した意見(疑問)は >聞く耳を持っていないようなので困りま >すが「日本史の常識・定説」に対し「日本史研究の方法論」 >の欠陥を指摘して「逆説」を唱えているということが全くお分 >かりになっていません (大阪JF生 さんの9月7日付けの発言) なぜこの様なことがいえるのか、というものです。 その前提として私が主張していることは、KANAKさんの3回の 論説(8/22、9/3、9/4付け)は、「天智天皇に関する仮説」に対する、彼の 考えを述べただけであり、 >つまり、膨大な論争の中に、井沢史観やその方法論を批判する >文章は全くありません。また、その説を直接取り上げ非難している >個所もありません(9/29付けの私の発言) というものです。 これに対し、大阪JF生 さんは9月29日付けの発言の中で、 KANAKさん発言を引用した上で >と発言されていますが、ご本人のいいたいことだけを述べているだけで、 >これを「聞く耳を持たない」といわれてどこが違うのでしょう。 といわれています。これは確かに、私が発した意見に対する、 大阪JF生 さんの回答です。この意見に対し、多少反論はありますが、 とりあえずおいておきます。 9月29日付けの大阪JF生 さんの発言には、残りの部分、即ち >・・・「日本史の常識・定説」に対し「日本史研究の方法論」 >の欠陥を指摘して「逆説」を唱えているということが全くお分 >かりになっていません ということがなぜいえるのか? 更に付け加えれば >つまり、膨大な論争の中に、井沢史観やその方法論を批判する >文章は全くありません。また、その説を直接取り上げ非難している >個所もありません(9/29付けの私の発言) と、私が判断したKANAKさんの論説に対し、 >・・・「日本史の常識・定説」に対し「日本史研究の方法論」 で始まる非難とも取れる発言をすることがなぜ可能なのか? という私の疑問に対して、明確な解答が無かったと判断した為、また、 私の説明が不足していたと考えた為、前回9月29日付けの私の発言と なりました。 前回、及び前々回の私の発言が、質問ではなく意見の形を取っていた為、 分かり難いものとなっていることをお詫びします。 以上、よろしくご考察の上ご回答をお願いいたします。 Time : 1998/10/ 8(木) 12:22:30
Name : 石井一旭 E-mail : Title : 天智天皇暗殺説論争その六への疑問 Comments: まず、先日の私の質問にお答えいただいた石田さんと管理人さんにこの場で お礼を申し上げたいとおもいます。 さて、タイトルのとおりこの度はKANAKさんの 天智天皇暗殺説の6に対して反論を申し上げたいと存じます。 それは園城寺の与多王建立説に対するものです。KANAKさんは、 >園城寺の与多王建立説は疑問が持たれており、”檀家である天智天皇”の死につ いて 情報を得たというのも、充分な根拠があるとは言えません。 (私自身は与多王建立説を全面的に否定する者ではありませんが、井沢氏のように単純に 全面肯定するのも矢張り躊躇します。) と、述べられていますが、KANAKさんは「逆説の日本史・古代怨霊編」を本当に お読みになったのでしょうか?井沢先生はその中で、与多王建立説を 無視する学会の考えを根拠を挙げて否定しておられます。 その根拠として井沢先生は 1・この寺の境内に大友皇子の墓がある事(天武によって殺された大友の 墓があるところにそれとは何の関係もない一族が寺を建てられるはずがない。) 2・怨霊鎮魂の最適任者はその子孫である事から、大友皇子の子である 与多王が三井寺を建てたという寺伝はきわめて納得の行くものである事。 3・三井寺の守護神が天智系天皇と対立した新羅の名を冠した「新羅明神」である以上、 たとえ学会の支持する大友村主一族が信仰していた神であったとしても 弘文陵のある三井寺境内に祭るはずはない事。 (それなのに現在も祭られている理由は、天武にとっては天智・大友(弘文)の 「怨霊に対する押え」としたためであり、また後の「天智王朝」においては 新羅明神は出雲大社のごとく前時代の支配者(すなわち天武)を祭ったものに 性格が変化したためである。) 以上3つの理由を挙げて「三井寺は大友一族の建立ではなく、 大友の子与多王の建立したものである。」と結論づけているのです。 あなたの言う様に「単純に全面肯定」しているわけではけしてありません。 ですから反論する場合はまず井沢先生が独自の視点から挙げたこれら3つの理由を 打破する必要があると思います。いや、それよりもまず、「逆説の日本史2」の 「天智天皇編」をじっくりと再読し、井沢先生の論旨を再確認すべきだと思いますが。 Time : 1998/10/ 8(木) 23:12:12
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 天智天皇暗殺説(KANAK説索引) Comments: 今日は大島重雄です。私がここにニフティーの論争をUPした甲斐があってやっ と議論が盛り上がってきたようです。特に石井さん後発言有り難うございます。 ここでKANAK さんのご希望もありニフティー上の論争を全て転載させていただ きたいと思います。とりあえずは索引を転載します。 この論争はかなりの期間にわたっており最初はKANAKさんは井沢さんの著書 を読まない状態で私のコメントに反論していましたがそのうちに実際に逆説の 日本史を読んでおります。その経過も一応書いてありますのでそれを見てから コメントをお読み下さい。 井沢さん、及びファンの皆様・・・KANAKです。 ご静養中でいらっしゃったのですね。そう言えば大島さんもそのように仰って おられました。呉々もご自愛のほど願い上げます。 さて、会議室での議論の進め方は原則として「対論」型式になっておりますの で、「意見」がさまざまな部分に分かれている場合があります。 従って初めて御覧いただく場合は、どの部分にどの「意見」が掲載されている かが判断しにくく、今回の井沢さんの反論のように誤解が生じることがありま す。 私の「意見」も本書を拝読せず紹介者及び先行意見(主に小林説)による段階、 書店で本書をザット立ち読みした段階、古書店で本書を入手した段階があり、 「意見」そのものもそれぞれの段階でニュアンスが若干異なっています。 (基本部分はほとんど変化していないと考えていますが・・・・) ついては極めて大雑把ですが、私の「意見」についての大凡の索引を設けました。 ご反論に当たり参照いただきたいと存じます。 なお、他の方々からも貴重なコメントが付けられていますが、ご迷惑がかかって もいけませんので、省略させていただきました。 03/28 #1157 壬申の乱について教えて下さい 03/29 #1159 RE^2 壬申の乱について教えて下さい・・・出発コメント 04/06 #1231 省略 04/12 #1267 RE^5 同・・・泉湧寺問題(小林説) 04/18 #1316 RE^6 同・・・泉湧寺問題(小林説)補足 04/22 #1339 RE^7 同・・・泉湧寺問題(小林説)再補足 05/02 #1376 RE^8 同・・・天智暗殺問題{万葉集・扶桑略記} 05/05 #1388 RE^9 同・・・万葉集補足 05/06 #1396 RE^10 同・・・万葉集補足・天武出自問題 05/09 #1405 RE^11 同・・・漢高祖(小林説)・天智諡号問題(立読) 05/10 #1411 RE^11追記・・・大仏殿・万葉集問題補足 05/16 #1422 RE^12 逆説の日本史(聖徳太子)の疑問(著書入手)             ・・・クダラ・隋国書・天皇家姓・聖徳太子心中・            「徳」諡号・間人名問題等 07/29 #1641 RE^14同追記・・「徳」諡号問題補足(神皇正統記) 07/29 #1642 RE^15 天智・天武年齢と「神皇正統記」・・年齢問題 07/29 #1648 RE^16 天智・天武年齢その他追記・・・曲筆問題 08/02 #1656 RE^17 天智・天武年齢妄想(長文)・・年齢問題推定等 08/09 #1696 RE^18 天智・天武年齢(一代要記)・・同上補足 08/12 #1703 RE^19 皇族の類似名・・・間人名問題 補足 08/14 #1711 RE^20 天智・天武年齢の錯覚・・・年齢問題(愚管抄) 08/16 #1720 RE^21 天智・天武年齢と曲筆・・・年齢と曲筆問題 08/16 #1721 RE^22 天智・天武年齢(天武65歳推定)・・同上 08/21 #1744 RE^23 天智諡号問題(追記) 07/24 #1615 壬申の乱コメントツリーのみなさまに 09/03 #1859 RE^2 壬申の乱コメントツリー 09/05 #1873 RE^3 壬申の乱コメントツリー・・・総論 05/20 #1434 奇説:天武天皇の正体 05/23 #1443 RE 奇説:天武天皇の正体・・・年齢問題・天武忍者問題                       四娘同婚問題(大和説)                        98/09/20 Time : 1998/10/ 9(金) 13:07:28
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 上條様へ Comments: まったく落胆いたしますが、今回も小生の記事を読まずに記事をかいて おられると思います(根拠は前回同様)。御「判断」は相変わらず反対です。 「論」と「史観・方法論」の不可分性、「三文小説発言」「蒸し返し発言」を 指摘しているにもかかわらず、 >つまり、膨大な論争の中に、井沢史観やその方法論を批判する >文章は全くありません。また、その説を直接取り上げ非難している >個所もありません(9/29付けの発言) とおっしゃり続けるのですから恐れ入ります。 回答もすべて終えたのですが、ろくに読まずに >明確な解答が無かったと判断した とおっしゃられては処置無しです。記事2回分は全く無駄だったわけです。 「参加しやすい天智問題」と題して10月6日づけで記事を出したのですが、 KANAK様の議論同様「根拠不明の判断で、結論が逆」という構図は同じです。 白を黒と強弁なさるのは、使っている言語体系が違っているのか?という思いで いっぱいですので、このままでは論争不可能だと思われます。 そこでお願いなのですが、「参加しやすい天智問題」に対して、意見を述べていただけ ないでしょうか?真摯に対応していただければ、理解も進み、「回答」としてご満足の いくものが書けるかもしれませんので、よろしくお願いします。  なお、本日付けの大島様の記事でのkanak様のとられている態度は非常にフェアーと 思われますが、いままでの発言は何だったのでしょう?もはや、この問いは追求せずに おくべきで、この点については静観すべきなのかもしれませんが。 これ以降、正常な議論になることを望むのみです。 Time : 1998/10/ 9(金) 15:56:45
Name : 傍観者 E-mail : Title : 掲示板の運用は難しい??? Comments: 議論が白熱し、内容の濃い掲示板になっているようではありますが、 段々と寡占化が進しんできたことを危惧しているのは、私だけでしょうか。 Time : 1998/10/10(土) 00:01:09
Name : 正岡 E-mail : Title : ツリー式の方が読みやすいかも Comments: 私は、言いたいことがある…というより書きたいことがある方がたくさん 書かれるのはいっこうにかまいません。毎日読むものがあってけっこうです。 しかし、誰が誰に何を言ったのか、来るたびに忘れている私には、 ちょっとしんどい…。 ツリー式だったら、わかりやすいかなー。 それともテーマ別になんか掲示板を分けると前に言われてましたよね。 「ご訪問台帳」みたいなのがあると、初めていらした方には楽しいのでは ないかと。特にこれといって意見のない読者です<私 Time : 1998/10/10(土) 00:57:47
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 傍観者、正岡様 Comments:  掲示板の運用についての御意見、ありがとうございます。ツリー構造にする のは、かなり難しいとは思いますが...。少なくとも、掲示板を幾つかに分ける ことは、なるべく早期に行いたいと思います。井沢からは、概ね了解が得られ ましたので、サーバー側との折衝次第です。                      管理人 Time : 1998/10/10(土) 14:46:06
Name : 逆説の日本史一読者 E-mail : Title : 最近の論争について思うこと Comments: 井沢先生、皆様、こんにちは。井沢説、特に天智天皇暗殺説につ いて白熱した議論が交わされていますが、日本史にはまったく素 人でありますが、逆説の日本史については熱心な読者の一人で あると自認しておりますので、一言意見を述べさせてください。そ れは、井沢先生の議論の進め方についてです。先生の議論の進 め方はおおむね次のようになっていることが多いように思います。 A説の根拠は以下のとおりである。 なぜならばP(断定はできないが、6,7割の確からしさはありそ うだ。)、Q(同様に、確からしいだけで反論の余地あり。)、R(以 下同様。)、S、T、....だからである。 ただし、XあるいはYという一貫した見方からすれば、P,Q,R, S,T、...は非常にすっきりとつじつまが合う説明でき、したがって 全体としては他のいかなる説よりもA説を私は支持する。 つまり、井沢説を論破するために必要なのは、根拠の一つ一つを 個別的に批判あるいは否定することではなく(もちろん明らかな誤 りであれば別ですが。)、XあるいはYに代わるZという視点を用意 した上で、p、q、r、s、t、...が確からしい、したがって全体としてB 説が正しい、というような論の進め方をすべきだと思います。これ は、自然科学のアプローチとは少し異なる(100%正しい根拠 がもしあればそれだけでよい。)でしょうが、歴史学の特性上(10 0%正しい根拠はまずありえない。)、最も本質に近づきやすいア プローチだと思います。。その意味で、先生の場合は必ずXやYを 挙げておられ(怨霊信仰はその一つ)、それに対してZに当たるも のの提示なくして、個々の根拠のみについてあれこれ言うのは無 意味と思います。天智天皇暗殺説に関してもそのような態度で井 沢説に対抗すべきです。 そう考えると、逆説の日本史を十分吟味した上でなければ、少なく とも反論などする資格はないと考えます。私は自然科学者のはし くれですが、だいたい論文あるいは著作をしっかり読まずして意 見を言うなど暴挙、もっとはっきり言えば愚行です。皆さんどう思われますか。 Time : 1998/10/10(土) 21:31:47
Name : 北村和也 E-mail : kazuktmr@mint.or.jp Title : 史実論争に思う Comments: 全くのしろうとの立場から、白熱している史実に関する論争について思う事があり ます。 拝見していると歴史に取り組む姿勢によって、様々な見方や考え方が有るようで、 これは至極当然の事だと思います。 一方では、様々な資料に基づく史実を核にして様々な推理や仮説を駆使して肉付け を試みようとする人。 又、一方では過去の資料だけが事実を証明する唯一の道である考え、その資料にこ だわり続け、一切の推測や仮説を受け入れようとしない人。 等々、その他にも様々な取り組み方や考え方が有ると思います。 そのいずれも各人の自由であり、なんぴともそれを非難攻撃する事はできないと思 います。 つまり、それぞれの立場の違いだけの事であり、なんとか過去の歴史の真実を知り たいと思う点では全く同じだと思うのです。 従って、お互いの立場の違いを認め合う中から、自分達には無い部分を補い合い、 共に切磋琢磨していく事が大切なような気がします。 ただ私は、人間は今という瞬間を生きている(生かされている)訳ですから、過去 の歴史の真実を知る事によって、それが今の(ひいては将来の)自分達の生き様に 生かされてこそ初めて意味を持つと思うのです。 過去の歴史を証明する完全無欠な資料を得る事は不可能に近いと思います。 それは現代において発生した様々な事件事故でさえ、その真実は闇の中と言う事実 が少なくない事を見ても容易に理解できる事です。 どんな超一級の資料を持ってしても、際限無く真実に近づき続ける事は出来ても、 真実は知り得ないという事が言えます。 今を生きている自分自身の考えや行動の理由すら解らない時が有るのですから。 この意味に於いて、資料を絶対視するあまり、資料に無い事は事実では有り得ない と否定する様な事があったとしたら、これは大変憂えるべき事だと思う次第です。 個人的には、かって私達が学んできた味気ない年代と史実だけを羅列し丸暗記させ られた歴史教育(とはいっても私の場合中学高校までですが)よりは、井沢先生の 史実に大胆な推理や仮説を合わせたロマン漂う作品群の方が好きですし、学ぶとこ ろが大きいと思います。 以上ずぶのしろうとの見解でした。 Time : 1998/10/10(土) 22:46:51
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 質問 Comments: 歌手の三波春夫氏の著書の中で、「憲法十七条の『篤く三宝を敬え〜』という 項は、のちの仏教関係者が時の勢いに乗じて作ったもので、 聖徳太子が書いたものではない」といった旨の記述があったのですが、 これは本当なのでしょうか? 「定説」ではどうなっているのか、それと、井沢さんや皆さんはどう お考えになってるのかお訊きしたいのですが。 Time : 1998/10/12(月) 00:51:47
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : アテルイ塚訪問記 Comments:   オケチャン様・管理人様からお知らせいただいた片埜神社に 昨日行ってきました。再度のお礼をかねてご報告いたします。  神社は、今では分かりませんが豊臣秀吉も重要な地点であると 認識していたと解説にありましたので、昔は交通の要所であったの だろうと推察されます。  神社に2礼2拍手1拝(作法が図入りで解説してありました) でお参りしたあと、社務所でアテルイのことを尋ねると、場所は 境内の中でなく、となりの牧野公園中央にある石碑であると 教えてくれました。また資料について尋ねると、北天会(関西 アテルイ顕彰会)会長をなさっている高橋敏男氏が、96年12月に 著した  「大和政権と蝦夷の確執」 アテルイ・モレ之碑建立記念出版 という本を紹介していただいたので購入しました(1200円也)。  石碑自体は、何が書いてあったのか全く分からないほど風化して、 公園中央にそびえる樹木を囲った部分に存在しているだけの 石碑とはいえないほどの粗末な物で、何の解説もありませんでした。 これでは地元の人も、全く何か重要なゆかりのあるものだとは気付か ないでしょう。あまりの粗末さに、アテルイに対する過酷な仕打ちを 思い出し、そっと合掌してしまいました。  上記の本によれば、89年に枚方市に働きかけて供養碑建立を嘆願 されたそうですが、確証がえられないという理由で認められなかった そうです。おそらくアテルイ自体の知名度がほとんど無かったことも あったと思いますが、全く官僚的な対応で残念です。  そこで、苦肉の策として田村麻呂ゆかりの有名な京都の清水寺に、 門前払い覚悟でお願いしたところ、なんと快諾をえて一等地を提供して くださったそうです。それで94年11月にアテルイ・モレ顕彰碑が 完成し、今では修学旅行生なども多く訪れる名所になっているそうです。 これには、募金活動の弾みになった93年のNHKドラマ「炎立つ」 での里見浩太郎氏のアテルイ快演による知名度アップが大きかったと 分析されています。  全くの無知に恥じ入りますが、全部初耳でした(逆説の日本史でも 炎立つには触れていましたが)、とくに「炎立つ」は、たしか井沢先生と 親しい高橋克彦氏の力作だったと思いますが、小生自身は見ていなかった ので残念です。 高橋氏は東北復権を願っていらっしゃったと記憶していますが、 今では、アテルイも中学校社会の教科書に正当な形で取り上げられ、 (上記の本には東京図書の出版見本が挙げられていましたが、アテルイ たちが自衛目的で戦ったことや、田村麻呂らの助命嘆願にかかわらず 河内国で処刑されたことまでフェアーに表現されていて驚きました) こんなところにも影響を与えていたのはご存知なのでしょうか? たぶんご存知とは思いつつですが、この話を初めて知れば、にこやかな 高橋氏のお顔が、さらににこやかになると想像されるのですが・・・。  なお、アテルイ処刑地「杜山」の地名は現存しておらず、写本の中に 「植山」「椙山」という表現もあって、光圀の「大日本史」では「植山」 とされ、「枚方市史」でもそれを支持しているそうです。で、牧野の旧名 である「宇山」は元和年間以前は「上山」と呼ばれていたことと、アテルイ 伝承と合わせて、上記の本ではこの石碑が本物であろうと推察しています。  以上、つたないレポートで申し訳ありませんが、お礼の替わりとさせて いただきます。また、興奮さめやらない下手な文章なので、不明な点が ありましたら、追加説明いたしますのでお知らせください。なお、資料を 実際に手に入れたいと思われる方もあると思いますので、北天会の連絡先を 念のため記しておきます:  〒565-0861 吹田市高野台3丁目5−18 高橋敏男方  電話:06−831−8110 Time : 1998/10/12(月) 09:34:24
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : ログ消失のお詫び Comments:  皆様へ  いつも貴重な御意見や、楽しい話題を寄せていただき、ありがとうございます。 さて、この掲示板の9月1日以降のログが、突然に消失するアクシデントが発生 いたしました。  原因は不明であり、サーバー側の技術者に調べてもらっております。せっかく にも貴重な投稿をしていただいた方々には、深くお詫び申し上げます。                     管理人 Time : 1998/10/12(月) 18:23:22
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : うーむ...。 Comments: >大蔵 様  もう、十年以上前に、新宿ゴールデン街で文壇バーを営む元・書評紙編集者に 「三波春男は、なかなかの理論家だよ」と、文芸批評誌に寄稿された天皇論を見 せられたことがありました。酩酊していた私は、残念ながら、内容を読まずにす ませてしまったのですが...。  三波氏が「十七条の憲法」について論じている著書の題名をお教え願えると幸 いです。 >大阪JF生 様  貴重なレポートを寄せていただき、ありがとうございました。普通、史跡でき そうな曰くがあれば、地方自治体は奪い合うようにして名乗りを上げるものです が...。清水寺は、さすがに功徳をわきまえていますね。  でも、少なくとも東北の高校は修学旅行で牧野の首塚を訪ねるようにすれば、 石碑が野ざらしにされることもなくなるかもしれません。  ちなみに、『炎立つ』は、放送されるとともに、全4巻の単行本になっていま す。もしかしたら、もう、文庫本になっているかもしれません。御一読ください。                     管理人 Time : 1998/10/12(月) 20:16:45
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 管理人様ありがとうございました Comments:  昨日記事を載せましたところ、BBSの表示がおかしくなり、 BBSをご覧の皆様、とくに管理人様に多大なご迷惑をかけて しまいました。今見て、直っているのでほっとしましたが、 ほんとうにすみませんでした。  管理人様は何もおっしゃっておりませんが(「うーむ」が それにあたるのかもしれません)、修復にはかなりの労力を お使いだったのではと恐縮いたしております。 重ねてお詫びいたします。 Time : 1998/10/13(火) 10:06:57
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 山本さんと梅原先生と井沢先生 Comments: 私は、最近山本七平さん本に凝っているのですが、 井沢先生本人がおっしゃっているように 井沢先生に対する山本七平さんの影響はかなり大きいです。 山本七平さんが明らかにした日本教、 それを生み出した文字に現れない民俗的なものを 井沢先生は追及しているのではないでしょうか? あと、梅原猛先生の古代と、 山本さんの近代を結ぶ、 井沢先生の中世といった感もあります。 その意味で、鎌倉仏教に関する研究は珠玉でした。 古代は怨霊の時代ですが、 中世は穢れの時代です。 その原始的な信仰が何故、ヨーロッパと肩をならべる江戸時代の近代 及び明治戦後の大発展をもたらしたのか、 そして、アジア太平洋戦争と、平成構造不況をもたらしたのかが、 「逆説の日本史」の隠されたテーマではないかと私は思います。 これは、ものすごいことです。 ですから、井沢先生、お体に気をつけて頑張って下さい。 Time : 1998/10/13(火) 16:31:22
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 河川と郡名 Comments: きんたろうさん私も茨城県北の出身です。 里美村と、大子町と、日立市にいたことがあります。 そう言えば、多摩川もそうですね。 これは、河川が南北に流れる東海地方と山陽地方 そして、河川の流れる向きが逆の山陰地方ではどうなっているかを調べれば良いのではないでしょうか? 答えになっていませんが・・・すみません。 しかし、これは場合によっては大発見かもしれませんよ。 Time : 1998/10/13(火) 16:47:19
Name : 上條信治 E-mail : ZXE06231@nifty.ne.jp Title : 大阪JF生 さんへ (返信その3) Comments: 反論いただきありがとうございます。 まず、10月9日付の大阪JF生 さんの発言を取り上げます。 その2行目以下で > 御「判断」は相変わらず反対です。 >「論」と「史観・方法論」の不可分性、「三文小説発言」「蒸し返し発言」 >を指摘しているにもかかわらず、 と発言されています。また、10行目で私の発言を引用して >>明確な解答が無かったと判断した >とおっしゃられては処置無しです。 と発言されています。ここで、大阪JF生 さんは過去の発言において、 私の発言の何処が『反対』であるか、明確に回答したといわれている わけですが、その様には思えません。以下その理由を説明します。 大阪JF生 さんは、9月29日付けの発言の冒頭で、 >BBSを拝見いたしましたが、おっしゃっていることは概ね逆ではない >かと思います。 >このページの読者は同じ事の繰り返しでうんざりなされているかもしれ >ませんが、 と発言されています。『逆では・・・』といわれていますが、次の文で話が 飛躍してしまう為、 私の発言の何が逆であるか、なぜ逆なのか、それが私の意見に対するも のか、それとも前提条件に対するものなのか、 が分かりません。その先の発言を読んでみると、 >あまりの鈍感さにはっきりいってしまいますが、「天智暗殺説等は売ら >んかなの三文小説としてもあまり上手とは思えませんね」という発言 >は、作家に対する最大の侮辱であり、しかもまともに相手の本を読まず >に発言なさっているのですよ。 と発言されていますが、これがその直前の発言の続きであるのか、私の 発言の何処かを捕らえての反論なのかも明確ではありません。 このため、私は9月28日付けの私の発言が不適切であった為、この様に 捕らえどころの無い反論になったと判断し、9月29日付の発言で最初の 発言を補足説明しました。 次に、大阪JF生 さんは、10月5日付けの発言の冒頭で、同じように > 9月29日付の記事をを拝見いたしましたが、やはりおっしゃってい >ることは概ね逆ではないかと思います。 と発言されていますが、やはり何がどのように逆であるかの説明がありま せん。つまり私が2回目の発言で取り上げた >つまり、膨大な論争の中に、井沢史観やその方法論を批判する >文章は全くありません。また、その説を直接取り上げ非難している >個所もありません(9/29付けの発言) このことに対し、明確に反論している発言が見当たりません。私の発言の どの個所に対して反対なのか、なぜ反対なのか明確な反論をいただかなけ れば、こちらとしても反論の仕様がありません。 したがいまして、私はこのような議論の道筋を明確にする為、 10月8日の発言で自分の意見を明確にした上で、改めて質問させていた だいたわけです。 繰り返し申し上げますが、一つの意見に対しなぜそう言えるのか、直接 明確に説明を付け加えなければ、その趣旨が曖昧となります。思いのまま に述べられて、発言の中にそれと匂わすことを散りばめるのでは、明確な 反論とは言えないと考えます。 10月9日付の大阪JF生 さんの発言にもどります。 > 御「判断」は相変わらず反対です。 >「論」と「史観・方法論」の不可分性、「三文小説発言」「蒸し返し発言」 この発言が私の >つまり、膨大な論争の中に、井沢史観やその方法論を批判する >文章は全くありません。また、その説を直接取り上げ非難している >個所もありません(9/29付けの発言) この前提に対する反論であると判断し、以下にそれに反論します。 まず、『「論」と「史観・方法論」の不可分性』についてです。 繰り返しになりますが上に引用してあるように、私の発言の前提条件は KANAKの論説は井沢史観や井沢史論とは直接関係が無いというもの です。したがいまして、この『「論」と「史観・方法論」の不可分性』と いうのは、この前提条件が崩れて初めて出てくる話ですので、私の発言へ の反論とはなり得ません。 次に『三文小説発言』についてです。 まず、その元となる8月22日付けのKANAKさんの論説を引用します。 >天智天皇暗殺説については >天智暗殺説等は売らんかなの三文小説としても余り上手とは思えませ >んね。 この文章をそのまま読み下せば、 天智暗殺説等は小説のネタとしても詰まらないものである としか読めません。つまり、直接井沢さんを非難したものではありません。 確かに間接的ではあるが、井沢さんを非難しているとも、とることのでき る文章です。しかしながら、先に述べたように、相手の意見の何処が間違 いであるのか、なぜ間違いであるのかを指摘しなければ反論になりません。 したがいまして、KANAKさんの論説のこの個所は、天智暗殺説に対す る彼の感想を述べたものにすぎません。 つまり「井沢史観やその方法論に対する批判」ではありません。 次は『蒸し返し発言』についてです。 KANAKさんは8月22日付けの論説の中で「天智 天武 非兄弟説」 に対して彼の意見を述べた上で >従って現在の資料を前提とすれば、井澤説は過去に否定された説の蒸し >返しだと思います(原文ママ) これも『三文小説発言』と同じように井沢説に対する反論の形を成してい ません。やはり「井沢史観やその方法論に対する批判」ではありません。 以上のことから、 >「論」と「史観・方法論」の不可分性、「三文小説発言」「蒸し返し発言」 これらの三点は 私の発言に対する反論として は適当でないと判断し ました。従いまして、KANAKさんの三回(8/22、9/3、9/4付け)に 渡る論説は井沢説に対する反論ではなく、天智天皇に係る仮説に対する 彼なりの意見を述べただけのものです。 大阪JF生 さんは、10月5日付けの発言の中で >どうして井沢説反論になるのでしょうか? といわれていますが、繰り返し申し上げていますようにKANAKさんの 発言は井沢説に対する反論ではありません。 もう一点、補足して説明します。 改めて申し上げますが、私は「井沢史観」「井沢史論」或いは 「KANAKさんの論説」の内容が史論として正しいか間違っているかを ここで議論し、意見する予定はありませんし、これまでもしていません。 私が問題としているのは只一つ、9月7日付けの大阪JF生 さんの >聞く耳を持っていないようなので困りま >すが「日本史の常識・定説」に対し「日本史研究の方法論」 >の欠陥を指摘して「逆説」を唱えているということが全くお分 >かりになっていません これ以下の発言です。上で述べましたように、KANAKさんの論説は 井沢史観や井沢史論を直接取り上げて批判していません。井沢史観や井沢 史論を問題にしていない以上、この発言はKANAKさんに対する反論と して適切ではありません。さらに、その発言の中には >はじめから知識量に物をいわせて、結論は >決まっているかのごとく論じられるので閉口します。 >ファンの言葉じりのみを捉えて >井沢批判をされるのですから、 このように、反論ではなく非難と取れる文章を含んでいます。これは謂れ の無い中傷です。「三文小説発言」「蒸し返し発言」のような発言がある ではないか、と言われるかもしれませんが、これを井沢さんに対して失礼 である、と考えるのであれば、直接その発言を批判すれば事足ります。 井沢史観や井沢史論を直接取り上げていない以上、このような中傷をいわ れる理由はありません。 大阪JF生 さんのこのような発言が、井沢説に大なり小なり反論のある 人が、このHPに発言をする機会を奪っていることをご理解下さい。 井沢説に賛同する人の意見しか集まらないのでは、議論の場として健全に 発展しえないことを、井沢さんの著書を読まれた方であれば、否、読まれ ていなくてもご理解いただけると思います。 以上、宜しく御熟読の上、御判断下さい。 Time : 1998/10/13(火) 21:33:10
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 上條様へのお願い Comments: 返信その3を読ませていただきましたが、又同じ説明を繰り返さなければなりません。 おそらく、貴方も納得しないし、小生も納得しません。 貴方がおっしゃているように、ことの真偽は別にして、まず、 「参加しやすい天智問題」 に対する意見をお聞かせ願えないでしょうか? 議論になっていませんので、議論をかみ合わせるためにも 説明の仕方を変える必要があると思われますが、 今のところ小生の最善の方法を取ってきたつもりですので、 貴方がどういう根拠を重視され、どういう道筋で判断を下されているかを 知りたいのです。前回分はそのお願いだけです。 その後で、今回の御「反論」について答えたいと思いますので、 よろしくお願いいたします。 Time : 1998/10/14(水) 10:48:29
Name : 上條信治 E-mail : ZXE06231@nifty.ne.jp Title : 大阪JF生 さんへ (返信 番外) Comments: 昨日(10/13)の発言にて書いたとおりです。 この場で、歴史上の問題について議論を行う予定はありません。 私が異議を挟んでいるのは大阪JF生 さんの発言そのものです。 ただ、それだけです。 説明の仕方を変える必要はありません。私の意見は昨日の発言で述べたと おりです。不明な点があれば、その点を指摘して質問していただければ、 それで事足ります。 大阪JF生 さんの発言を問題にしている以上、私の発言の根拠は、 この掲示板上でなされた発言以外にありません。 すぐに反論がほしいとは思っていません。 3日でも4日でも考えてから反論して下さい。 Time : 1998/10/14(水) 14:04:21
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 上條様へ Comments: 今のままでは同じ事を繰り返さなければなりません。 それでは無駄なので、お願いしているわけですが、聞き入れて もらえないなら、小生の文章をもっとちゃんとお読みくださいと 言うほかにありません。 それに歴史上の問題について議論する気がないならば、 単に個人攻撃をしているだけですね。 そんな記事をこのBBSの人は誰も読みたいと思わないでしょうし、 創造的な議論でないので小生も付き合いかねます。 小生の記事が井沢先生に対する反論の封じ込めをおこなったと、 判断される根拠がありませんし、そのつもりもありません。 もしそうなら、貴方以外の方の根拠ある批判を甘んじて受けます。 それより、このような無駄遣いを恐れていますので、 このBBSの他の方の熱烈な続行に対する要望がない限り この議論は打ち切らざるをえません。 前回分も相変わらず読めていませんが、歴史上の議論としてでなく、 根拠の選択の仕方及び判断至る道筋が小生には全く理解不可能なので、 質問に答えていただきたいといったのですが、相変わらずで残念です。 これ以上このBBSに迷惑をかけるわけにはいきません。 Time : 1998/10/14(水) 15:32:28
Name : 上條信治 E-mail : ZXE06231@nifty.ne.jp Title : 大阪JF生 さんへ (返信 番外その2) Comments: 私は”単に個人攻撃をしている”わけではありません。それがいかなるもの かは、昨日(10/13)の発言に書いたとおりです。それは大阪JF生さんの 9月7日付けの発言はKANAKさんに対する”謂れの無い中傷”である、 と言うものです。これはこの掲示板における大阪JF生さん の姿勢を問う ものです。そして、ここで歴史上の論議をする以前の問題です。 私は昨日の発言で根拠をあげて、大阪JF生さん は、この私の意見に対し 明確に反論されていない旨を説明しました。したがいまして、ここで議論を 打ち切ると言うことは、私のこの意見を、大阪JF生さんが 容認したこと になるのですが、それでよろしいのでしょうか? 大阪JF生さん は >小生の文章をもっとちゃんとお読みくださいと >言うほかにありません。 といわれていますが、それに対し私なりに昨日の発言の中で反論しています。 従いまして、大阪JF生さん の次の発言は、この私の発言に対しての反論 ないしは、不明な点を質するものでなければ意味を成しません。 また、私は昨日の発言の中で”反論”とはどういうものであるか、私の 意見を述べています。よって現状では、私のこの「”反論”とは」の主旨に そぐわない発言は、単なる無意味な意見、もしくは思い付きと判断せざる をえません。 この発言に対し、大阪JF生さん が以下の2点以外の発言によって、 この議論を回避し、はぐらかそうとするのであれば、それは単なる無意味 な意見、であり無意味な思い付きとなります。その場合、私の昨日の反論が 認められたものと判断します。よって議論は終了となります。 @ 昨日の私の発言に対する反論 A 今日のこの発言に対する反論(但その場合、私の昨日の「”反論”と は」の主旨にそっている場合に限る) Time : 1998/10/14(水) 18:53:28
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 三波氏の著書 Comments: >管理人さん レス、ありがとうございます。三波氏の著書のタイトルを調べてきましたので、 報告させていただきます。 『聖徳太子憲法は生きている』という、井沢ファンなら思わず「おっ!?」と思って しまいそうになるタイトルの本がそれです。 その中で氏は、 Time : 1998/10/15(木) 00:29:57
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 三波氏の著書 Comments: >管理人さん レス、ありがとうございます。三波氏の著書のタイトルを調べてきましたので、 報告させていただきます。 『聖徳太子憲法は生きている』という、井沢ファンなら思わず「おっ!?」と思って しまいそうになるタイトルの本がそれです。 その中で氏は「第2条は聖徳太子が作ったものではない」ということの理由として 「国家公務員に対して、こんなことを言うわけはない」と書いています。 「そもそも、『三宝』ではなく『三法』である」とも言っているのですが、 具体的説明はここには書かれていませんでした。 Time : 1998/10/15(木) 00:33:09
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 三波氏の著書 Comments: >管理人さん レス、ありがとうございます。三波氏の著書のタイトルを調べてきましたので、 報告させていただきます。 『聖徳太子憲法は生きている』という、井沢ファンなら思わず「おっ!?」と思って しまいそうになるタイトルの本がそれです。 その中で氏は「第2条は聖徳太子が作ったものではない」ということの理由として 「国家公務員に対して、こんなことを言うわけはない」と書いています。 「そもそも、『三宝』ではなく『三法』である」とも言っているのですが、 具体的説明はここには書かれていませんでした。 私も立ち読みでしたので、ちゃんと読んだわけではないのですが、 ちょっと気になったので、質問させていただいた次第です。 ちなみにこの本は、井沢さんの『逆説の日本史』同様、小学館文庫で出ています。 Time : 1998/10/15(木) 00:37:14
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 失礼しました。 Comments: >管理人さん すみません。なぜか変な登録になってしまいました。 はじめの二つは削除してください。 お手数かけさせてしまい、申し訳ありません。 Time : 1998/10/15(木) 00:40:16
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 脳について Comments: 歴史問題について場が白熱してる中、少々場違いとも思わせる書き込み、 お許し願います。 >ゆみこさん レス、ありがとうございます。ゆみこさんは医師でいらっしゃるそうですが、 UFOとかの話とはまたべつに、ちょっとお訊きしたいことあります。 私も農学部で生物について学んでいる者として、 「科学」について考えるには、ちょうどよい話題だと思ったので、 勝手ながら問題提起させていただきますね。 現在、世界中で「脳」の研究が盛んですよね。「21世紀は生物学の時代だ」とまで 言う人がいます。脳の研究は、そのもっとも課題となる分野であるように思います。 さて、この「脳」の研究、何年かかるかとかそういった時間的な問題は別としまして、 はたして完結するのでしょうか。脳の機能は全て解明されるのでしょうか。 ちなみに私は「絶対に無理だ」と思ってます。本当の意味での「解明」はできないと 考えています。名探偵・御手洗潔、いや、作家・島田荘司氏の言葉を借りれば、 「『脳の機能を知る』ということは、すなわちそれは、『脳自身がそれを理解した』ということに過ぎない。 パラドックスなのである。つまり、自分自身とは永久に握手できないのである」ということです。 つまりこれは科学力・技術力の問題ではなく、論理の問題ですね。 脳自身がいくら脳のことを理解したところで、ウラのとりようがないから、 客観的に(つまり、神の視座で)解明されたことにはならない、 ってことですね。私もそう思います。 ですから私、医学に応用できる範囲での研究だけならともかく、「全機能を解明してやるぜ!」 と張り切っている研究者をみると、「アホじゃないか?」とか思ってしまうんですよ。 本人がどんなに「すべて解明した」と思い込んでも、それを判断できる者は誰もいない。 なぜなら、判断するのは結局「脳」であり、研究対象も「脳」であるから、究極的な 判断はできないわけです。なのに、そうだということを知ってか知らずか、熱心に 研究しているのは、その研究姿勢は認めますが、「頭が悪い」としかいいようがありません。 似たような問題に「脳死判定」があります。これもやはり論理の問題で、 医学がどんなに発達しようが、患者の「脳死」を客観的に判断することはできないと思うんです。 医師がいくら「多くの検査の結果、『脳死』だと判断できます」と言ったところで、 まあ、おそらくほんとに脳死なんでしょうが、他人がそれを知ることはできないはずなんです。 なぜなら、他人だから。外部からの検査の結果がどうあろうが、内部でなにが起きてるかは、 確認のしようがない。本人じゃないから、ウラのとりようがないんですね。 いや、本人ですら、自分が生きてることに気づいていないかもしれない。 にもかかわらず、外国では平然と臓器移植がなされてる。日本では「和田移植」の苦い経験からか、 他国より臓器移植がやりにくい状態ですが、これに関してはほっとしてます。 論理遊びをするつもりはないのですが、結局、なにが言いたいかといいますと、 「脳」に関することは、もはや「科学」の範疇を超えているような気がするんですよ。 以前、「『不可思議なもの』は、必ずや科学によって「当たり前のこと」になる」 などと書きましたが、「脳」に関することは別だと思うんです。「当たり前だと思う」 と考えるのも「脳」なわけですから。 現場の(?)医師の方はどう思ってるのかお訊きしたく、こんな事を書いてみました。 Time : 1998/10/15(木) 06:02:06
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 上條様への last res. Comments:  もう貴方の議論には付き合うつもりはなかったのですが、 これ以降小生が沈黙しても、貴方の意見を容認したわけではないことは、 既に述べた通りで、理解不能だと述べたのです。 相変わらず文章をよく読まずに曲解なさっています。  貴方がそんな曲解をなさらなければ言うつもりはありませんでしたが、 >9月7日付けの発言はKANAKさんに対する”謂れの無い中傷”である、 >と言うものです。 に関しては何度も説明していますので、同じ事を繰り返すのはやめて、 貴方の文章に応じて説明します。(「参加しやすい・・」の問題に答えてもらって いませんので、説明を聞いても絶対納得しないでしょうが。)  やっと本音を漏らしてきはじめたと思いますが、10月13日付分で > 天智暗殺説等は小説のネタとしても詰まらないものである >としか読めません。つまり、直接井沢さんを非難したものではありません。 >確かに間接的ではあるが、井沢さんを非難しているとも、とることのでき >る文章です。しかしながら、先に述べたように、相手の意見の何処が間違 >いであるのか、なぜ間違いであるのかを指摘しなければ反論になりません。 >したがいまして、KANAKさんの論説のこの個所は、天智暗殺説に対す >る彼の感想を述べたものにすぎません。 とおっしゃていますが、ここにかなりの本質が含まれています。 直接か間接かは問題ではなく、天智暗殺についての著書を著している井沢先生に とっては礼を失した発言なのは言うまでもありません。 それに現在もなおお気づきでないので、客観的に、礼に対して「鈍感」と申し上げたのです。  それにもまして問題にしたいのは最後の「感想」です。 これも失礼な発言なのは言うまでもありませんが、 あなたがたの文章は「詩的感想文」 だったのですか?もしそうなら、この点だけは小生の認識不足だったことを謝罪いたします。 「詩的感想文」なら「白いものを見て黒く感じ」ても、「青空を見て、空がないている」と 表現されても問題はありませんし、それに対し論理的に分析して文句をつけるのは 確かに非難でしょうし、根拠うんぬんは野暮でしょう。 しかし、いかにも論文風の記述の中に「詩的感想」を混ぜるのは、ルール違反ではない でしょうか?  それで相手の意見のどこが間違っているかを要求どおり指摘すると、その点は 「興味がない」「一般論・抽象論はしない」「その点は議論するつもりでない」 と逃げられるのですから、小生が納得するはずはありませんし、反論にもなっていません。 小生が質問した肝心の問題には、一度もお応えになっていません。 貴方が寡黙な方ならこんな要求はしませんが、少なくとも片方が根拠をあげて解決済みと 判断した内容にこれだけのエネルギーを注げるのですから、小生がお願いした 「参加しやすい」問題の意見を聞かれてなぜ逃げるのでしょう。こちらが説明不可能な 鍵が潜んでいるかもしれないと指摘しているにもかかわらず。議論をはぐらかして、 問題を解決しにくくしているのは残念ながらこちらのせいではありません。  以上述べたように、「詩的感想文」を聞かされていたという一点を除けば、小生の意見は 前のままです。したがって、ちゃんとお読みくださいといったわけです。 「参加しやすい」問題に対する真摯な解答がない限り、小生の意見に変化が生じる要因は ありません。沈黙は、意見を認めたのでなくむしろ逆で、説得に対する「あきらめ」と 解釈してください。  なおBBSの皆様には、本当にご迷惑をかけてお詫びいたします。もうこれ以上の発言は 控えたいと思います。 Time : 1998/10/15(木) 10:07:45
Name : 逆説の日本史一読者 E-mail : Title : 大蔵様の御意見についての感想 Comments: 大蔵様は、脳が脳のことを解明できるはずがなく、単にただ理解 できるに過ぎないとおっしゃっていますが、これはもっともです。た だ私の場合、それが脳を対象としているということによるものでは なく、対象が何であっても、神の視座で解明できるものなどほとん どありえないからだというのがその理由です。つまり、脳の研究だ けが特別視される理由がわかりません。脳が脳の機能を知ること ができるというのはパラドックスだというのは一見もっともらしいで すが、ではなぜそれがパラドックスなのでしょうか。突き詰めて論 理的に、自分なりにでもその解答を見つけたことがありますか。 少なくとも私はその理由を論理的に説明できません。所詮科学は 人間の立場でいろいろなことを説明しているわけで、自然に対す る近似値を求める作業であると思います。すばらしい成功例を挙 げれば、物理におけるニュートン力学や量子電磁力学などです。 もともと、脳の立場で自然の近似値を追求していくのが科学であ る、と私は認識していますので、脳だけが研究対象として特別な 存在とされることには強い違和感を感じます。また、本人じゃない からウラのとりようがないという考えの中には、人間の意識や感 性というものは科学を超越している(これこそ脳は特別という考え 方の根拠かもしれませんが)というニュアンスを感じますが、意識 や感性すらやがては科学の領域に入ってくるだろうというのが私 の考えです。ただ現時点では、まだ遠いなとは思いますが。ちな みに私は現場の(?)医師です。 Time : 1998/10/15(木) 11:39:51
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 玉音放送のルーツ Comments: 終戦の玉音放送は、その発送の原点が未だ不明です。 当時としては、破天荒の事でした。 私は、勘に過ぎませんが、玉音放送の元のようなものをみました。 それは、エドワード8世の退位ラジオ演説です。 昭和天皇は、皇太子時代のヨーロッパ行きで、 同じく当時皇太子だったエドワード8世と親交を深めたそうです。 昭和天皇は、親友が国民に苦しい立場を直接に訴えた姿を思い出したのではないでしょうか。 少々場違いかもしれませんが、思いつくままに書いてみました。 Time : 1998/10/15(木) 15:16:06
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 不遜極まりない門外漢の意見 Comments: 古代史の研究と江戸時代の研究は、 それぞれ梅原猛先生と山本七平さんに負うところ多大です。 しかるに、2人は日本の研究家の主流にはいないので過小評価されています。 2人の業績を無視して話を進めるので、 巷にある古代史と江戸時代の研究は、梅原先生と山本さんより1歩遅れています。 井沢先生のように、2人の業績を認めて、なおかつそれを土台に発展させてはどうでしょうか。 2人の業績を無視するならまだしも、 盗んで平気な顔をしている人もいます。 学問的に不完全だからと言っても、発想を盗んでよい事にはなりません。 学問的に主流の参考文献はこれ見よがしにならべるのに、 主流でない文献を踏みにじるのは俗物のする事です。 梅原先生が言うように、他人の創造性を尊重しない人に、 創造的な仕事はできません。 と言っても、これから歴史研究を志す人たちは、 学者の死んだ歴史ではなく、 2人や井沢先生のように生きた歴史に憧れて歴史を志すでしょうから、 変わっていくとは思います。 Time : 1998/10/15(木) 15:35:40
Name : 小島 徹也 E-mail : katze@gld.mmtr.or.jp Title : 「参加しやすい天智問題」へ Comments: ひさしぶりに投稿します。 まず、本論に入る前に1つお詫びをさせてください。 以前、私は9/10の「弥彦神社について(1)」の中で  「お伊勢さんも『四拍手』だったと記憶して・・・」と 述べてしまいましたが、記憶に(思いっきり)誤りがありました。 申し訳ありませんでした。  北村さんから9/11にご指摘をいただいたので、 簡単に調べなおしましたところ、以前私はお参りした時に拍手を8回打って おりました。北村さんの仕方(2回)とは異なってしまいましたが、公刊さ れている資料によると、両方とも根拠のある事のようです。  この件については、まだ整理がついておりませんので、また次の機会に投稿 させてください。    (北村さんへ:ご指摘いただきましてありがこうございました。           決して無視していたわけではございませんので           ご了承ください。           もしさしつかえなければ、直接質問メールを出           したいのですが、よろしいでしょうか?     管理人さんへ:細かい議論の場合の投稿の仕方がむずかしいです。            「直接メール」はご法度ですか?            それとも、自己責任でしょうか?            よろしくご指導ください。         )  さて、本題ですが、私は10/6の大阪JF生氏の意見に、全面賛成です。 分析・結論・感想(?)のどれも一致しております。  勇気を持って論点を整理された(いや、いつもされている)、大阪JF生氏 の力量には心から敬服しております。 >>>>> 「以往諸皇不知因果、恒事殺害」 <<<<<  以下、私の考えの述べさせていただくと、  この問題は、純粋に資料解釈の問題だとおもいます。  ただ、「文脈の中の一文としては」意味不明なので、議論に取り上げない 方が安全とする向きもありますが、それはさておき・・・。  扶桑略記本文によると、(文脈として)   1.天智天皇は、自分が死にかけているので天武天皇を呼んで・・云々。   2.天智天皇は死んだので、2日後に大友皇子が即位した。   3.話によると、(英語での"One said,"か?)  「山科で行方不明なった。山林もあり遺体を発見することができなかった。   ただ、靴の落ちていたところ一帯を山稜とした。」   とあり、問題の一文   『以往諸皇不知因果、恒事殺害』   で、終わる。  この後、壬申の乱がおきる訳ですから、   1.天智天皇の死   2.「以往諸皇不知因果恒事殺害」   3.壬申の乱 という文脈であることは間違いないでしょう。 この一文、 「以往(こののち)も諸皇は因果(原因と結果の法理)を知らず、  恒に殺害を事とした」とみなさん読み下されていますね。 ここで、提起したいのですが、論理的可能性として 「以往(こののち)も諸皇は因果(原因と結果の法理)を知らず、  恒に殺害を事とした」の出だしは、   a)以往(こののち)「も」諸皇は・・云々   b)以往(こののち)「は」諸皇は・・云々 の二通りが考えられませんか?  とすると、文章の意味は   a)「も」:それ以前もたびたびあったが、天智天皇殺害事件に        象徴的に代表されるような、暗殺が横行している        その時代の皇族たちを、仏教の倫理に基づいて非難した。        なお。壬申の乱については、大規模殺人であるので        問題外の扱いになっている。   b)「は」:天智天皇が亡くなるまではそんなことはなかったが、        壬申の乱に代表されるように、その後は皇族ともあ        ろう者たちに殺人が多かったことを、仏教に基づき        倫理的に非難した。 となると、私は思います。  両方とも仏教的に非難していると見る事はできると思いますが、(b)は 明らかに事実に反しています。とすれば、トータルでみて、(a)の解釈を するのが、おおむね正しいのではないでしょうか?    そもそも、元が漢文であるので、「は」か「も」のどちらかなのかは 決定的に断定することはできないでしょう。  しかし、我々は「悪を見抜く使命をもった、正義の裁判官」ではないの ですから、「文章を自然な読み方をすれば、ほぼ妥当な結論に向かう。」 としてよいのではないでしょうか?  私は、「こののち『も』・・・殺害を・・した」とするのが自然だと 思います。  とすれば、「天智天皇は殺害された」としか考えられません。論理的には。                         以上、乱文乱筆失礼。 P.S.  最近、「あきれて物が言えない」こと、多くありませんか?  なんか、いやな世間になってる気がするんですけど・・・。(30才、男)  それから、井沢先生の「死ぬまでの僅かな時間」読みました。  すばらしい恋愛小説でした。いっそうファンになりました。 Time : 1998/10/15(木) 17:57:15
Name : 北村和也 E-mail : kazuktmr@mint.or.jp Title : 小島徹也様 Comments: ご丁寧なレス、有難うございました。 直接メールの件ですが、それぞれの責任において行う限り何等問題は無いと私は思 います。 大いに歓迎致します。 ただ、私の場合このBBSの場にはどうも場違いな人間だと、強く感じています。 又、歴史に関してはそれこそ全くのしろうとですので、お答えできる事はほとんど 無いとは思いますが、私に出来る範囲で対応させていただきます。 分らない事は分からない、出来ない事は出来ないとはっきり申しあげますのでご心 配無く。 それではよろしくお願いいたします。 Time : 1998/10/15(木) 20:20:53
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 逆説の日本史一読者さんへ Comments: 貴重なご意見、ありがとうございます。 >対象が何であっても、神の視座で解明できるものなどほとんどありえない はい、まったくその通りですね。で、「神の視座で解明できるものなどまったくないのだから、 なぜ、脳だけ特別視するのか」とおっしゃるわけですよね。 以下、私の意見を述べます。 多くの自然現象を解明しようとするとき、また解明したとき、それは、 我々の「脳」が解明したわけですよね。で、それらはそれでいいんです。 つまり、もともと人間は神の視座でモノを見ることができないのだから、少なくとも、 人間の頭で理解できて実際の現象と矛盾がなければ、解明したことになります。 既存の科学法則はすべてそういうものですよね。一般相対性理論のように多少の矛盾はあっても、 限りなく近似値的な法則もあります。そのおかげで飛行機も飛ぶこともできるし、宇宙にもいける。 たとえ神の視座を持っていなくとも、問題はないからこれでいいわけです。 しかし、「脳の研究」には、様々な倫理的な問題がからんできます。 先に延べた臓器移植なんてのもそうですね。脳の研究が進んでくると、たとえば極端な例を挙げますと、 「最先端の脳の研究と実験、それによって得られた検査法によって、この人は『脳死』と診断できます。 よって、今から心臓を摘出します」といったシチュエーションも出てくるでしょう。 しかしですよ、未来にどんなに優れた医療機器が開発されて、また、 脳死判定基準が一万くらいに細分化されたとしてもですね、それはあくまで外からの判断であって、 ほんとのところは本人以外わかりようがないんですよ。その診断が正しいのかどうか最終確認できるのは、 「脳死状態」の患者しかいないんですね。「限りなく脳死の可能性が高い」といっても、 その最終確認は他人(医師)には絶対できません。もう一度言います。これは科学技術の問題ではなくて、論理の問題です。 つまり、人間の能力(脳力)には限界があり、絶対にわからないこと(わかっても、その真偽を確認できないこと)というのは 存在するわけです。人間の視座で脳の研究を進めていくと、このように、「外から見ると脳死患者」の人間を殺しかねないのです。 だから、「脳」の研究に対しては私は神経質になっているのです。決して「脳」を特別視しているわけではありません。 「脳の研究」を特別視しているのです。 >本人じゃないからウラのとりようがないという考えの中には、人間の意識や感性という >ものは科学を超越している(これこそ脳は特別という考え方の根拠かもしれませんが) >というニュアンスを感じますが、意識や感性すらやがては科学の領域に入ってくるだろ >うというのが私の考えです。 ですから私、「脳は特別」だなんて考えてないんですよ。脳だって、ただ単に物質に過ぎないでしょう。 意識や感性だって、脳内での物理化学的現象ですよ。別に私、オカルト信者なわけではないですから。 ただ、もし他人の意識や感性がわかるようになったからといって、それが通常の人間相手なら確認がとれるから いいのですが、生死の判定に使われたくないんです。「疑わしきは罰せず」と同じで、外から見て百%「死んでい」ても、 最終確認がとれないのなら「死」を判断してはいけないわけです。 結局、人にはどうしてもわからないことがあるってことです。 それは、幽霊とかUFOとかのことを言ってるわけじゃありません。 理屈で考えて、わかりようがないものもあるってことです。どうか、誤解なきよう。 Time : 1998/10/16(金) 03:01:13
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 逆説の日本史一読者さんへ Comments: 貴重なご意見、ありがとうございます。 >対象が何であっても、神の視座で解明できるものなどほとんどありえない はい、まったくその通りですね。で、「神の視座で解明できるものなどまったくないのだから、 なぜ、脳だけ特別視するのか」とおっしゃるわけですよね。 以下、私の意見を述べます。 多くの自然現象を解明しようとするとき、また解明したとき、それは、 我々の「脳」が解明したわけですよね。で、それらはそれでいいんです。 つまり、もともと人間は神の視座でモノを見ることができないのだから、少なくとも、 人間の頭で理解できて実際の現象と矛盾がなければ、解明したことになります。 既存の科学法則はすべてそういうものですよね。一般相対性理論のように多少の矛盾はあっても、 限りなく近似値的な法則もあります。そのおかげで飛行機も飛ぶこともできるし、宇宙にもいける。 たとえ神の視座を持っていなくとも、問題はないからこれでいいわけです。 しかし、「脳の研究」には、様々な倫理的な問題がからんできます。 先に延べた臓器移植なんてのもそうですね。脳の研究が進んでくると、たとえば極端な例を挙げますと、 「最先端の脳の研究と実験、それによって得られた検査法によって、この人は『脳死』と診断できます。 よって、今から心臓を摘出します」といったシチュエーションも出てくるでしょう。 しかしですよ、未来にどんなに優れた医療機器が開発されて、また、 脳死判定基準が一万くらいに細分化されたとしてもですね、それはあくまで外からの判断であって、 ほんとのところは本人以外わかりようがないんですよ。その診断が正しいのかどうか最終確認できるのは、 「脳死状態」の患者しかいないんですね。「限りなく脳死の可能性が高い」といっても、 その最終確認は他人(医師)には絶対できません。もう一度言います。これは科学技術の問題ではなくて、論理の問題です。 つまり、人間の能力(脳力)には限界があり、絶対にわからないこと(わかっても、その真偽を確認できないこと)というのは 存在するわけです。人間の視座で脳の研究を進めていくと、このように、「外から見ると脳死患者」の人間を殺しかねないのです。 だから、「脳」の研究に対しては私は神経質になっているのです。決して「脳」を特別視しているわけではありません。 「脳の研究」を特別視しているのです。 >本人じゃないからウラのとりようがないという考えの中には、人間の意識や感性という >ものは科学を超越している(これこそ脳は特別という考え方の根拠かもしれませんが) >というニュアンスを感じますが、意識や感性すらやがては科学の領域に入ってくるだろ >うというのが私の考えです。 ですから私、「脳は特別」だなんて考えてないんですよ。脳だって、ただ単に物質に過ぎないでしょう。 意識や感性だって、脳内での物理化学的現象ですよ。別に私、オカルト信者なわけではないですから。 ただ、もし他人の意識や感性がわかるようになったからといって、それが通常の人間相手なら確認がとれるから いいのですが、生死の判定に使われたくないんです。「疑わしきは罰せず」と同じで、外から見て百%「死んでい」ても、 最終確認がとれないのなら「死」を判断してはいけないわけです。 結局、人にはどうしてもわからないことがあるってことです。 それは、幽霊とかUFOとかのことを言ってるわけじゃありません。 理屈で考えて、わかりようがないものもあるってことです。どうか、誤解なきよう。 Time : 1998/10/16(金) 03:41:11
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : >管理人さん Comments: すみません。私の下の書き込みの一つ、削除してください。 不手際で同じものを二度登録してしまいました。 二度もお手数かけさせてしまい、大変申し訳ありません。 Time : 1998/10/16(金) 03:46:58
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 小島徹也様、BBSの皆様 Comments:  小島様の記事を拝見させていただきました。小生の提起した問題に 真摯な態度で対応されているので感激いたしました。また、 まだまだ自分自身の分析に甘さがあるなと実感いたしました。  あまりの低レベルの記事を載せ続けた責任を感じていたのですが、 (それで、論じる価値もないと無視されていたのだと思っていました) 同日の北村和也様の記事のように、皆様に「場違い」という感じを 与えてしまったのならば、お詫びいたします。 力不足でどうも申し訳ありません。 (管理者でもないのにでしゃばってすみませんが)知識量に関係なく、 自由に意見を交わしていただくのが小生の希望です。  また、小島様には結論を支持していただき、ありがとうございました。 一連の論争で、皆様の反応がないので、小生の感覚のほうが 異常なのかな?という思いにまでいたっていましたので、 大袈裟ですが、救世主に助けられた気分です。  ところで、記憶違いについて気になさっているようでしたが、 細かい点につきましては、このような場ですので、いくらでも 修正可能と存じます。 それよりも、弥彦神社について、研究中とのことですので、 自由に思考を張り巡らせて、結論を発表していただけるように 希望いたします。  今後のご発表を心よりお待ちしております。 Time : 1998/10/16(金) 10:13:37
Name : 輔住 E-mail : Title : 天智問題 Comments:  久しぶりに投稿します。 「天智問題」についてですが、扶桑略記を読んだら、天智は暗殺されたとしか 思えないですし、私もその可能性が高いと思います。私がこの問題で一番 不思議なのは大友皇子の即位は認められているのにその前後の事情は 「日本書紀」をそのまま信じている歴史学者が多いことです。 これはすごい矛盾だと思うのですが、どうでしょうか? P.S 大阪JF生さん 記事のことで随分悩まれたと思いますが、元気を出して下さい。 Time : 1998/10/16(金) 12:23:51
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 輔住様 Comments:  記事を読ませていただきました。 励ましありがとうございます。 おかげさまで元気が出てきましたが、 又うるさくなったら、遠慮無しに抗議してください。 やはり寡占状態は良くないと思いますので。 (御意見に賛成なのは言うまでもないですよね。) Time : 1998/10/16(金) 14:59:28
Name : 北村和也 E-mail : kazuktmr@mint.or.jp Title : 伊勢神宮の拝礼の仕方について Comments: 先日、小島様よりレスをいただいた事をきっかけに、又、皆様の真実を知る為の真 摯な姿勢を垣間見るにつき、ただ単に自分達がそうしているからといった安易な気 持ちであった事に気付き猛烈に反省させられました。 そこで、私なりに地元の利を生かして、伊勢神宮の拝礼の仕方について調べてみま したので報告させていただきます。 その内容は次の通りです。 1.「IBM-インターネットでお伊勢参り」のホームページ  これはIBMが神宮司庁の許可を得て、貸与された素材を元に構成したものという事  ですが、それによると下記の通りです。(原文のまま)   >一般的な参拝の方法は、二度頭を下げてパンパンと拍手(かしわで)を二つ打   >つ、さらにゆっくり頭を一度下げてお祈りをする。伊勢の人は、しゃがんで頭   >を下げながらパンパンと四拍手することもあります。  驚いた事に、四拍手の表記が有るのです。但し、この四拍手は地元の人達でもあま  り知られていません。 2.神宮司庁が地元、旧神領民へ配布した写真雑誌「神宮」  ここでは、神嘗祭(かんなめさい)の由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)の  儀において行われる拝礼について次のように書かれています。   >そこで大宮司が祝詞(のりと)を微音で奏上し、神嘗の由貴の大御饌を奉る由   >来を申しあげ、皇室の弥栄と国民の平安をお祈り申しあげ、祭主以下全員が八   >度拝という起ったり坐ったりを繰り返し伏し拝み、八開手(やひらで)の拍手   >を打ち拝礼します。 3.皇學館大学祭式研究部への質問に対する回答  皇學館大学祭式研究部に質問メールを送ったところ、本澤氏から快い回答を得る事  が出来ました。  その回答の内容は下記の通りです。   >拝礼の仕方は、歴史的にみるとさまざまあり、一定しておりませんでしたが、   >現在一般神社や参拝者は、再拝(二拝)二拍手一拝となっています。   >ただし、古いしきたりを残している神社や伊勢神宮の神職による祭の際には、   >伝統的な拝礼の仕方をします。伊勢では立ちながら拝をする起拝という作法   >で再拝を二回(計四拝)し、ひれ伏して八拍手、そして小さく一拍手(短手と   >いう)、さらに四拝します。   >従って、一般の参拝であれば、再拝二拍手一拝でいいと思います。 以上、つたない調査ではありますが皆様の参考になれば幸いです。        Time : 1998/10/16(金) 15:06:22
Name : 上條 信治 E-mail : ZXE06231@nifty.ne.jp Title : 大阪JF生 さんへ (返信 番外その2) Comments: >これ以降小生が沈黙しても、貴方の意見を容認したわけではないことは、 >既に述べた通りで、理解不能だと述べたのです。 >相変わらず文章をよく読まずに曲解なさっています。 10月13日の発言で、大阪JF生さんの発言は反論になっていない旨説明 しました。また、同じく『反論』についての私の見解も説明しました。 人が発した意見に対し、真摯に反論しなければ議論にならないと思うので すが。また不明な点があれば、何処が不明であるかを明示した上で、質問 すれば議論は続けられます。暗号を解読しているわけでは無いのですから、 全て分からないでは人の意見を聞く気が無いに等しい、と思うのですが違 うのでしょうか。私は私なりに10/13の発言の中で反論を試みているので すから、次は大阪JF生さんが、私の発言の何処を捕らえて、曲解と言わ れるのか、真摯に反論するのが順番だと思いますが。 ただ「相変わらず・・・」と自分の言いたいことだけを言われても、 答えようがありません。 また 『既に述べた通り・・・』といわれていますが、私の反論に対し、 真摯に反論もせず、自分から一方的に議論を打ち切るということが、私に 反論することを放棄し、結果として容認したと取られるという論法と、 話の筋が通っていません。 >に関しては何度も説明していますので、同じ事を繰り返すのはやめて、 繰り返しますが、適切には説明されておりません。 >(「参加しやすい・・」の問題に答えてもらって >いませんので、説明を聞いても絶対納得しないでしょうが。) 「参加しやすい・・」とは、全く次元の違う話をしているのですから、 このようにいわれる謂れはありません。また自分の意見が100%と正し いと確信していたら、議論など続けません。大阪JF生さんが真摯に反論 されるのであれば、私もそれに真摯に反論するだけです。 > やっと本音を漏らしてきはじめたと思いますが、 なぜこのような言葉「本音」が出てくるのか理解できません。私のここ での発言には、裏も表も無く、ここで発言したことがすべてです。もし、 私の発言に悪意がある、或いは底意があると思われて発言されているので あれば、それは大変な誤りです。議論において、相手の意見に対し底意や 悪意を想定するのは『言霊』そのものです。たとえ、悪意があったとしても、 その様なものを想定していては議論が噛み合うはずがありません。繰り返 しますが、私の意見は掲示板に今まで書いた以上でも以下でもありません。 >直接か間接かは問題ではなく、天智暗殺についての著書を著している井 >沢先生にとっては礼を失した発言なのは言うまでもありません。 >それに現在もなおお気づきでないので、客観的に、礼に対して「鈍感」と >申し上げたのです。 失礼かどうかは必ずしも議論の本旨ではありあせん(大阪JF生さんの 発言の妥当性を論じているわけですから)。そのため、KANAKさんの 発言が失礼かどうかは明言しません。 私は10/13の発言のなかで大阪JF生さんの発言が問題であると再定義し た上で以下のように発言しました。 >このように、反論ではなく非難と取れる文章を含んでいます。これは謂れ >の無い中傷です。「三文小説発言」「蒸し返し発言」のような発言がある >ではないか、と言われるかもしれませんが、これを井沢さんに対して失礼 >である、と考えるのであれば、直接その発言を批判すれば事足ります。 >井沢史観や井沢史論を直接取り上げていない以上、このような中傷をいわ >れる理由はありません。 発言が失礼だと思うのであれば、その個所を指摘した上で「これは失礼だ」 「不適切な表現だ」と言えばそれで十分です。相手の発言が失礼だから といって、中傷するのでは喧嘩にしかなりません。 > それにもまして問題にしたいのは最後の「感想」です。 >これも失礼な発言なのは言うまでもありませんが、 >あなたがたの文章は「詩的感想文」 >だったのですか?もしそうなら、この点だけは小生の認識不足だったこと >を謝罪いたします。 私の10/13の発言の最後の個所は、私の発言(大阪JF生さんの発言は謂れ の無い中傷である)が正しかったら、という前提で話しています。その ことを明記しませんでしたので、分かり難かったのでしょうか?お詫びし て訂正します。 一つの説に対し簡単な反証を掲げただけで、中傷が帰ってくるようでは、 発言を控えたくなるというのは特別な感覚だとは思いません。また、反論 しても真摯な反論が帰ってこないのでは同じことです。したがって失礼な 文章とは思いません。 > それで相手の意見のどこが間違っているかを要求どおり指摘すると、 (中略) >小生が質問した肝心の問題には、一度もお応えになっていません。 これは明らかに私の本旨とは関係の無い話です(なぜ無関係かお分かりい ただけなければ、いつでも説明します)。関係の無い話を持ち出して、 話をそらすのはやめて下さい。 >「参加しやすい」問題の意見を聞かれてなぜ逃げるのでしょう。こちら >が説明不可能な鍵が潜んでいるかもしれないと指摘しているにもかかわ >らず。議論をはぐらかして、問題を解決しにくくしているのは残念なが >らこちらのせいではありません。 再三申し上げますが、「参加しやすい」は私の本旨とは全く異なるものです。 参加しなければならない理由はありません。真摯な反論を行わず、無関係 な話を持ち出して議論をはぐらかしているのは大阪JF生さんです(違う というのであれば、私の10/13の発言の最初の個所に反論して下さい)。 >沈黙は、意見を認めたのでなくむしろ逆で、説得に対する「あきらめ」 >と解釈してください。 議論によって説得しようという姿勢は間違いです。説得ということは、 自分の意見が正しいことが前提になるわけですから、それは議論ではあ りません。私は自分の意見の何処が正しいく、何処が誤りか、まずそれを 明らかにしたいだけです。 この発言に反論をする気がないのならそれでもかまいません。ここで発言す ることが、残念ながら今の私の生活の中ではマイナスでしかありません。 私がここで主張すべきことはとりあえずし終えました。 真摯な質問や反論があればお応えします。 打ち切っていただいても、いっこうにかまいません。 Time : 1998/10/16(金) 19:16:31
Name : gyakuse逆説の日本史一読者 E-mail : Title : 大蔵様の御意見に対する回答 Comments: 大蔵様、さっそくのレスをありがとうございます。今日は、現場の 医師としてもう少し具体的にお話しようと思います。わかりやすく するため、話を脳死判定に限ることにします。 まず、脳死の判定ができないということは科学の問題ではなく、論 理的に明らかなのだとおっしゃっていますが、前回も述べたように 、なぜそれが論理の問題なのでしょうか。まったく理解不能です。 たとえば、大蔵様が、御自分の脳の状態を、リアルタイムに解析 する、ということでしたら、これは論理的に不可能といわれても理 解できなくはありません。なぜなら、時々刻々解析しようという意 志を持つこと自体が、時々刻々脳の状態を変化させているからで す。次元は違いますが、量子力学の不確定性原理に似た考え方 ですね。しかしながら、他人の脳について脳死判定を行うことは 他人の脳だからこそ、科学的に絶対に可能です。ここで誤解のな いように言いたいことは、現在の脳死判定基準がまったく妥当で 議論の余地がないと言っているわけではないということです。個 人的には現在の脳死判定基準を支持します(現在医師によって 通常行われている死亡確認をはるかに上回って、科学的に妥当 であると思います。)が、それはここではおいておきましょう。少な くとも、大蔵様のおっしゃる意味で脳死を判定することは 、移植を進めるという立場とは相容れませんが、たしかに現時点 では無理だと思います。なぜなら、大蔵様の文章から受ける感じ では、大蔵様は脳死の条件として、脳細胞のすべてが完全に死 んでいることを要求しているようにとれるからです。(いやそうでは ないといわれるかも知れませんが、全脳細胞が一つ残らず細胞 死んていればこれは脳死と認められるということに異論はないと 思います。)しかし私が問題にしているのは、脳死判定は、論理的 に、できないとおっしゃっているところです。ここで、全脳細胞が一 つ残らず細胞死していればこれは脳死と認められるということに は異論はないという立場で話を進めますが、(もしこの立場すら 認められないとおっしゃるのでしたら、大阪JF生様が嘆いておら れたように、使う言語が違うということですので、これ以上の議論 は私たちの間では残念ながら不可能です。)全脳細胞が一つ残 らず細胞死しているということが、科学的にではなく、論理的に、 なぜ他人から証明不可能なのですか。なぜこれができるのは、 論理的に、本人しかいないのでしょうか。大蔵様は生物学を専攻 なさっているとのことですが、それならなおさらわかりやすいこと ですが、細胞死を判定することは現在の科学で容易に、そして絶 対にできます。それなら脳細胞の細胞死も判定できるわけで、あ とは数だけの問題です。ということは、脳細胞の一つ一つについ て150億回ほど細胞死を判定していけば、脳死の判定はできる ことになります。生きているかもしれない人の脳細胞すべてにそ んなことができるわけがないというのは、ここでは反論になりませ ん。なぜなら、ここで問題にしているには、脳死判定は純粋に科 学の問題であり、論理の問題ではありえないということだからです 。もし大蔵様があくまでも脳死判定の不可能性は論理的に明らか であると主張しつづけるつもりなら、いま述べた脳死の判定方法 が、実際問題としてとか、倫理的にとかではなく、論理的に誤って いる、ということを証明しなければなりません。(科学的にはあまり に非効率的でばかげているし、現時点では脳に損傷を与えずに 全脳細胞の細胞の状態一つ一つ確認することはできないから、 倫理的にきわめてまずいでしょう。蛇足ながら、現在の脳死判定 方法はまったく脳自体に悪影響を与えません。) 次に、最終確認ができない限り死と判断してはならないと述べて いますが、それならなぜ通常行われている心臓死(心臓という臓 器の死をもって人の死とする。)の判定は、人の死の最終確認に なっていると言えるのでしょうか。大蔵様は、脳死判定は人間の 死の最終確認になっていないが、心臓死の判定は人間の死の最 終確認になっている、とお考えになっているという前提で以下の話 を進めます。(そうではない、心臓死の判定も含めて、医師による (他人による)死の判定そのものが納得できないんだということで したら、これはまた次元の違う話になりますので、これから私の 述べることはとんだ見当違いということになります。その場合は、 さぞ現在の状況(死亡確認は他人によってしかなされない。)は御 不満でしょう。)そもそもなぜ心臓死は受け入れられやすいのでし ょう。わかりやすい、ということが一番に挙げられます。心臓が鼓 動しているかどうかは、その人の胸に耳をあてさえすればわかる からです。しかし、もっと重要なことは、数十年前までは、<必ず 脳死の後に心臓死が起こり、心臓が止まってしまったのに生きて いる人はいない>というのが常識だった、あるいはそう信じられて いたということだと思います。今もこれが事実であるとすれば、心 臓死を最終確認としたほうが安全であると言えるでしょう。ところ がこれ(<>)は、現場の医師の立場からすれば、まったくいいか げんです。つまり、心臓死の判定は大蔵様がおっしゃる意味での 最終確認にはまったくなっていないということです。例を挙げて説 明しましょう。たとえば、ガンの末期で外からの判断でまったく意 識がないと思われる患者の心電図モニターがフラットになった場 合、数分後には、通常医師は死亡宣告を患者に家族に対して行 います。これを大蔵様は容認なさるのでしょうか。まず、これは心 臓死の確認にすらなっていません。なぜなら、心臓は、適切な処 置を施せば、停止後15分くらいなら蘇生可能な場合があるから です。つまり、通常の方法では、死亡宣告が行われた時点で、心 臓が生きていることが往々にしてあるということです。ましてや心 臓の全細胞が死んでいるということはまずないと断言してさしつか えないでしょう。にもかかわらず、心臓死の立場をとる人は、この ような死亡宣告には違和感がないのはなぜでしょうか。つまり、こ れは、心臓死の立場をとっている人は、心臓という臓器の死をも って人の死と受け入れているのではなく、心臓という臓器の見か け上の死が脳死の最終確認になっている(心臓が止まった人は 意識がないし、意識が戻る、つまり生き返る可能性は絶対にない 。)と、無意識に(違和感なく)信じているからだ思います。もし、脳 とは無関係に、つまりたとえば意識がたとえあったとしても、心臓 が止まったことをもって人の死と判定すると言われたら、大蔵様 はこれを容認できますか。絶対にできないはずです。(実際、補 助人工心臓のたぐいを用いれば、心臓の機能がまったく停止した 後でも、通常の見方からすれば生きていると判断される状態は容 易に作れます。いや、埋め込み型人工心臓で数ヶ月以上生きて いる人(この人たちは、自分の心臓の機能はまったく停止している 。)がいる以上、脳と無関係に人の死を判定することこそ非常識で す。)つまり大蔵様も、(通常の死亡確認には違和感がないとす れば)心臓死をもって脳死の最終確認に用いているに過ぎないと いうことになります。次に、通常の死亡宣告のやり方では、心電 図モニターがフラットのなった後に行う脳に対する検査としてはた んに瞳孔の対光反射を見るだけですが、これは脳死の判定方法 としてはきわめて不十分です。それでも、ガンの末期で心臓が止 まった以上、意識はないし生き返る見込みはない、つまりそれより 先に脳死に陥っているというのはまず 事実で、したがって脳死の立場から見てもほぼ妥当なのですが、 大蔵様のように、脳死判定された患者ですら生きている可能性が あるとお考えになる方が、(もしその人に意識があったらどうする んだ、あるいは、本人にまったく意識がなくてもまだ死んでいない かもしれないじゃないか(このこと自体はまったく当然のことで、植 物状態にあるとされる人がその例です。)という意味のことを言っ ておられましたね。) 脳死判定すらされないで死んでいく人の死は自然に受け入れ られると言うのは奇妙としか言いようがありません。考えられる唯 一の結論は、やはり、心臓死は脳死の最終確認になっていると( 無意識にかもしれませんが)お考えになっているということです。 ところが、心臓死は脳死の最終確認には全然なっていないという のが事実です。少なくとも、現在の脳死判定基準に対して、完全 でない、100%の信頼はおけないと考えるならば、心臓死という 脳死判定基準は、まったく信用できないとして然るべきです。簡単 な例を挙げれば、さきに述べたように人工心臓で生きている人が いるからです。それは詭弁だ、そういう人は特殊で、その人の場 合は血液循環が保たれていることが心臓の代わりになっている のだから、人工心臓が止まったことをもってその人の死とすべき だと誰かが主張したとしましょう。それなら、何分、あるいは何時 間人工心臓が止まったらその人の死を宣告することができるので しょうか。大蔵様は、たとえばそういう患者の場合は、人工心臓が 止まってから24時間後を、たとえ意識があったとしても死亡時刻 とすると決められていたとしたら納得できますか。できないはずで す。意識がある患者は生きているに決まっているからです。実際 は、循環が停止してから脳死が起こり始める(一部の脳細胞が死 に始める)まではほんの5分弱ですから、今のような仮定はありえ ないわけですが、それなら人工心臓停止後12時間後、1時間後 、いや10分後を死亡時刻とすると言われたらどうでしょう。ますま すその人に意識がある、あるいは生きている可能性が高くなるわ けですから、当然反対ですね。つまり、脳の状態と無関係に人の 死を決めることは絶対にできないということです。それならばその 脳の状態に的を絞って死の判定をするのがなぜ科学を超越して いる、倫理的でない、あるいは(驚いたことには)論理的でないとさ れるのでしょうか。少なくとも、現在医療現場でごく普通に行われ ている死亡確認に比べれば、現在の脳死判定基準のほうがずっ と科学的であり、患者の脳の状態をしっかり診断した上で死を宣 告する以上、心電図モニターがフラットになったから死亡宣告を する、というよりもずっと(その患者の意識の有無、あるいは脳の 生死という観点から見て)安全です。心臓死も認めない、あるいは 他人の死亡確認は認めないというのならともかく(その場合、人は いつまでたっても死んだことにならないと思いますが)、現在医療 現場でごく普通に行われている死亡宣告は死の最終確認になっ ているのに対し、脳死判定基準は最終確認になっていないとお考 えになっているのでしたらのは、まったくの誤解、迷信、あるいは たんにそう信仰しているに過ぎないとしか言いようがありません。 大蔵様にはたいへん御不満かもしれませんが、現在医療現場で 一般的に行われている死亡宣告は、何も大蔵様のおっしゃるよう な意味合いで死の最終確認をとって行ってわけではなく、現在の 医学の 常識から見て生命の維持が不可能だと判断された時点で行われ ているに過ぎないからです。 もっとも脳死判定基準自体ではなく、基準を適用する人間が信頼 できないというので したら話は別です。私は、脳死判定基準に対する日本人の嫌悪 感の根元には、医師 に対する、もっと正確に言うならば、心臓外科医に対する不信感 が存在しているのではないかと思います。これは日本の医局講 座制に対する不信感ともつながっていると思いますが、具体的に 言うならば、おまえたちは自分が移植をやりたいために、でたらめ な基準で人の死を決めようとしているんじゃないか、とか、本当に 厳密に基準を適用するとはどうも信じられない、とか、普通の心 臓手術ですら大手術だといって大騒ぎしているのに、本当に移植 された患者はちゃんと助かるのか、とかです。つまり、脳死が受け 入れられにくいのは、われわれ医師の側にも大きな責任があると いうことです。 今回は、私達がごく日常接している問題に対して、私からすれば <地球が太陽の周りを回っているだって、とんでもない。太 陽が地球の周りを回っていることは、空を見れば明らかじゃない か。聖書にだって書いてあるぞ。>と昔の科学者が言われたであ ろうのと同程度の意見であると(失礼な言い方になって申し訳あり ません。)感じられましたので、長々と意見を述べさせていただき ました。今までの大蔵様の御意見に対する私の意見としては、ほ ぼ言い尽くしたつもりです。それともうひとつ、脳死に陥った患者 は(正確に言えば、脳死判定基準を満たした患者は)、人工呼吸 器をつけた上でいかに強心剤を投与しようとも、たかだか一週間 から10日で、絶対に、通常の意味での心臓死に陥ります。これ は、ときおり脳死が心臓死に先立って起こることを経験する医療 現場(たとえば心臓外科)の人間ならみんなが知っている事実で す。最後に、私は脳の研究者ではありませんが、 脳を究極まで解明しようと日夜努力している研究者を頭が悪い呼 ばわりすることは、まったく感心できません。 Time : 1998/10/17(土) 00:33:08
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@assahi-net.or.jp Title : 小島様、大阪JF生様 Comments: >小島徹也 様  基本的にはオープンな話し合いが望ましいと思いますが、先方の合意があれば 直接メールで意見交換をなされても良いと思います。ただし、対立的な意見であ っても、常に耳を傾けるスタンスを大事になさってください。インターネットの ニューズグループを講読、投稿する専用プログラム「Newswatcher」は、投稿する 際に「本当に、この内容でよろしいのですか。もう一度、考えてから送信ボタンを 押して下さい」という主旨の確認メッセージが表れます。また、第二次大戦前後、 世間では犬猿の仲とみられていた某外務大臣と陸軍の某大物が実は熱心に書簡を 交わしていた、と一方の遺族が打ち明けてくれたことがあります。肝要なのは相手 に対する敬意です。これを忘れない限り、掲示板であろうと、直接メールであろう と、前向きの交流が可能ではないでしょうか。                          >大阪JF生 様  井沢も、私も、本業がありますので、なかなかホームページの改造に着手できず、 御負担をかけているように思います。サイト側と相談して、ライブラリーの新設、 ならびに掲示板の多極化を実現する意向を持っています。商業BBSのように、ツリー 構造、あるいは検索機能を持てるのが理想ですが、これはもっと先の課題です。                   管理人                       Time : 1998/10/17(土) 17:48:39
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 大蔵様 Comments:  ごめんなさい。木、金は、新聞の論説委員、月刊誌の編集者と酒席で打ち合わせが あり、夜はつぶれていました。後で、二重登録の削除の依頼に気づきました。  また、三波氏の著作名をお教えいただき、ありがとうございました。小学館文庫は 新設のものです。なかなか、面白いラインナップを揃えているのですね。ともあれ、 三波氏の著書を読んでみます。                      管理人 Time : 1998/10/17(土) 18:31:20
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 石井一旭さんへ Comments: 石井さん今日は 天智天皇暗殺説論争に参加していただいてどうも有り難うございます。 石井さんの御発言とくに10月8日のものは非常に効果的な反論と思います。 つきましてはあの御発言をニフティーに転載させていただきたいのですが いかがでしょうか。ご承諾いただけましたら、この掲示板上にUPされるか 私に直接メールをいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。 Time : 1998/10/17(土) 22:25:10
Name : 石井一旭 E-mail : j00w0194@ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : 大島重雄さんへの御返事 Comments: 大島さん、今日は。 私の発言はもともと客観的に(素人の目から)KANAKさんと大阪JF生さんの 議論を見た上で「ここはなんだか変だなあ」というちょっとした疑問を 書いたまでのものでして、御二方のように専門的な知識も持たない いわば門外漢の意見なのですが、それで宜しければ転載してもらって結構です。 ところで、ニフティーのフォーラムにはどう行ったらいいのでしょう? 自宅のほうはニフティーに加入してるのですが、フォーラムがどこにあるのか わかりません。教えていただけたら、幸いです。 Time : 1998/10/18(日) 11:52:02
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 石井一旭さんへ Comments: 転載の件ご承知いただきまして誠に有り難うございます。早速ニフティーに UPさせていただきます。せっかく天智天皇暗殺説論争を転載したのにあまり 前向きな議論が少なかったので少しがっかりしていたところです。 たぶんKANAKさんの反論もすぐあると思いますのでまたこちらに載せたいと 思います。 なおニフティーのフォーラムへのアクセス方法ですが、まずインターネット でニフティーのHPにアクセスします。するとブラウザの画面の上の方に メール フォーラム 天気予報などの文字があります。それをクリックすると 次にフォーラムの大まかな分類表がでてきます。それの社会/文化/研究 (一寸違ったかもしれません)をクリックすると各フォーラムの一覧が でてきますその中の歴史フォーラム日本史館をクリックすると中に入れます。 討論に参加するためには入会する必要がありますが、討論内容を読むだけなら 一時立ち入り(これも少し違うかも)だけでも大丈夫です。入会したとしても 特に料金を取られるようなことはありません。 ではまた Time : 1998/10/18(日) 14:05:00
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 井沢さんへお願い Comments: 井沢さんへお願いがあります。私がニフティーの天智天皇暗殺説論争をこちらに UPさせていただいてかなりになります。その間様々な人たちの御意見がこちら に載りましたが、まだ井沢さんご自身のコメントがまだいただいておりません。 もちろん井沢さんは病気療養直後の身でしかもご多忙で頻繁には議論に参加 できないであろうことは重々承知しておりますが、できれば今まで私がUPした ぶんの一部でいいですからコメントを寄せてはいただけないものでしょうか、 もちろんニフティーに対する井沢さんのスタンスは管理人さんのコメントから よく分かっております。この掲示板上で結構ですからよろしくお願いいたしま す。 Time : 1998/10/18(日) 14:20:29
Name : 横山 雅彦 E-mail : Title : 山陽新聞の連載について Comments: 現在病気療養中ということで、「逆説の日本史」及び「逆説の 日本歴史観」は休載になっています。ところが山陽新聞の連載 小説はずっと続いています。この違いはどこからくるのでしょう か。書き溜めでもされていたのでしょうか。誰か教えてください。 Time : 1998/10/18(日) 15:31:18
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 天智天皇暗殺説論争 石井一旭さんへ Comments: 石井一旭さん今日は 石井さんの御意見をニフティーにUPさせていただきました。早速KANAKさん よりの反論が掲載されましたのでこちらに転載します。 先ず、石井さんのご指摘の段階では(5/02 #1376)井沢さんの著書は未読でした。 しかしながら、『扶桑略記』『園城寺建立縁起』は存じていましたので、未読の まま発言したものです。その後「逆説の日本史2」を拝読しましたが、論旨はほ ぼ私の予想通りの内容でした・・・従って結論は全く変わりません。 次ぎに、私自身は与多王建立説を全面的に否定する者ではありません。 「扶桑略記=是歳。大友大臣子。大友與多大臣家地造御井寺。今三井寺是也。 依父遺誠建立之。云々・・・」には一定の根拠があるだろうと考えています。 ただ、園城寺が与多王の建立であろうと、無かろうと「扶桑略記=天智論」の 解釈にはあまり影響を及ぼさないだろうと思います。 何故ならば・・・ 1.園城寺は与多王の建立である。 2.従って、園城寺には天智死亡に関する秘密が伝わっていた可能性がある。 3.「皇円」は天台宗の高僧であり、園城寺とも関係が深い。 4.従って、園城寺に伝わる天智死亡の秘密を知った可能性がある。 5.即ち「扶桑略記」の「一云記事=天智論」は与多王に由来する可能性があ   る。 ・・・と言う論理(だと思いますが)は飛躍が大きすぎると思うのです。 つまり2は単なる憶測であり(天智直系の子孫=秘密が伝わりうる男家系は、 弘文系葛野王、川嶋皇子系三室王・高丘王、施基皇子系白壁王(光仁)・春日 王・榎井王・湯原王 等の子孫がありますので与多王に限る必要はありません) 3には山門・寺門の問題があることを申し上げました。 「慈円」は天台座主ですが「愚管抄」には「天智」死亡に関する疑義はなく、 「書紀」類似記事があるのみですね。 その意味では園城寺が与多王の建立かどうかには、それほど問題では無いので すが・・・折角ですから石井さんのご意見に沿って、井沢さんが与多王建立と される論拠について検証してみます。 >>1・この寺の境内に大友皇子の墓がある事(天武によって殺された大友の >> 墓があるところにそれとは何の関係もない一族が寺を建てられるはず >> がない。) 先ず、亀丘古墳は「大友皇子」の墳墓かどうかです。私の記憶ではこの古墳が 「弘文陵」と認定されたのは明治初年の軍事施設建設中に若干の遺物が発見さ れたのがキッカケであり、延喜式(天智系天皇時代)等にも一切記述がありま せん。・・・井沢さんも、 「大友皇子の墓についても実は他にも候補地があった。だが少なくとも三井寺 「境内」にあったこの墓が、大友皇子の墓の最有力候補であったことは間違い ない」 P357    ・・・・と記述しておられる様に、要するに宮内庁が何と言おうが有力候補の 一つに過ぎず、真実は不明なのです。不明なモノをそれと断定し、その断定? を根拠として「・・はずがない」等という結論を導いてはいけませんね。 次ぎに、寺域ですが・・・園城寺ならずとも寺域は時代と共に変遷します。 園城寺の最大領域は現在よりハルカニ広大だったでしょう。しかし創建当時の 寺域が亀丘古墳を含んでいたかどうかも亦不明なのです。 従って「この寺の境内に・・・がある」という事も明確ではないのです。 何しろ天智建立の巨大寺院=崇福寺の所在さえ確定していないのですから。 さらに、大友村主一族が寺を創建したと仮定した場合・・・「大友皇子」死亡 以前であったと想定することも有り得る訳です。この前後関係も必ずしも明ら かではありませんからね。 (大友一族は東漢系の渡来氏族であり、大津京以前にこの地を本拠としている 可能性が高いので、壬申の乱に先立って寺院を建立したことも考えられます。 ・・・穴太廃寺) >>2・怨霊鎮魂の最適任者はその子孫である事から、大友皇子の子である >> 与多王が三井寺を建てたという寺伝はきわめて納得の行くものであ >> る事。 怨霊鎮魂については・・・論評いたしません。 >>3・三井寺の守護神が天智系天皇と対立した新羅の名を冠した「新羅明神」で >> ある以上、たとえ学会の支持する大友村主一族が信仰していた神であったと >> しても弘文陵のある三井寺境内に祭るはずはない事。 ここでも、弘文陵と言う前提に立った推論ですが・・・それはさておき、 私も、大友村主(東漢氏)一族が「新羅明神」を祭祀した可能性は極めて疑問だ と思います。 それは・・・東漢氏は頑ななまでに韓人であることを否定し「後漢献帝」後裔で 有ることを主張しています。つまり楽浪・帯方から加羅を経由して渡来した漢人 であるとしているのですね。即ち「新羅等」に圧迫され「倭国」に逃れた・・・ いわば「新羅」は仇敵と言う考え方も有り得るからです。 私は、寺伝のとおり「円珍814〜891」の招来と考えて特に問題はないと思います。 九世紀後半に至って、一宗教家が天智(弘文)と新羅の関係にそれ程神経質にな るとは思えませんので・・・・ 「天智・大友親子の怨霊に対する押さえとしてである。・・・親新羅政権である          ^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 天武王朝が、新羅の神を祀ったのだ。」 P369 「ここで、天智と天武の立場は逆転した。・・・そこで円珍は、新羅明神を丁重 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ に祀る必要があったのだ。」 P370 ・・・と言う「論理?」に疑問を感じられませんか? なお、ことのついでのことに「山科」について申し上げます。・・・ 「現場付近の「領主」であった栗隈王が犯行と死体隠しに協力した」 P334 ・・・とされていますが、宇治市大久保〜山科を地図で確認してみて下さい。 直線距離で約14K・・・長岡京〜山科とほぼ同距離です。 通常この時代で「山科」と言えば・・・藤原氏を思い浮かべるのが普通でしょう。 1.藤原不比等(659〜720)は母「車持君与志古娘」の縁者、「山科」の田辺史   の養育を受けたと言う伝承がある。(家伝) 2.斉明三年、内臣鎌子於山階陶原家(在山城国宇治郡)始立精舎及設斎會。 3.斉明四年、中臣鎌子。於山科陶原家、屈請呉僧元興寺福領法師。・・・ 4.天智八年五月、天皇獲山科野。 5.天智九年九月六日、大織冠内大臣、改葬山城国山階精舎。   (以上 2〜5『扶桑略記』より) 6.天智八年五月、天皇從猟於山科野。大皇弟・藤原内大臣及群臣、皆悉從焉。 7.天智八年十月、藤原内大臣薨。(日本世記曰 ・・遷殯於山南=山科南?)   (以上 6・7『日本書紀』より) 私は、この様な個々の「事実」を無視した「史観」等は理解不能なのですが、 間違っていますでしょうか?                   98/10/18 Time : 1998/10/18(日) 22:40:28
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 横山雅彦 様 Comments:  三陽新聞での連載とは、小説『超時空伝奇 滝夜叉』のことでしょうか。 共同通信や時事通信などは地方紙にニュース配信を行っていますが、新聞 小説をやはり地方紙等に配信する文芸専門の通信社もあるのです。上の連 載小説は、そうした専門通信社の依頼で早くから書きためられたものが掲 載されているのです。同じ作品を掲載した中日スポーツ新聞などでは既に 連載が完結しています。                    管理人 Time : 1998/10/18(日) 23:34:54
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 逆説の日本史一読者さんへ Comments: 厳しいご意見、ご批判、ありがとうございました。歴史の議論が為されている中、 このようなテーマの意見、質問を述べることに多少抵抗がありましたが、脳死について深く考えることが できたので、今となってはよかったと思っています。今回の私の書き込みも、 脳死について書かせていただきます。 さて、早速、回答と意見を述べさせていただきます。 まず、話を明確にするため、私の見解を先に述べさせていただきますね。 (1) 脳死をもって人の死とする。よって、「通常の死」において、心臓が不可逆的に停止しても、 その時点でその人が死んだとは思わない。 (2) ここで私が言う「脳死」とは、脳細胞が物理的に不可逆的な状態になっているもののこと、 また、そうでなくても「100%すべての細胞が死んでいる」と判断できるものである。 つまりそれは、例えば事故によって脳全体がつぶれて飛び散っている状態であるとか、 自己溶解を起こしている状態、また、何らかの検査法が確立されて、細胞の生死をすべて調べ、 「すべての細胞が不可逆的に機能が停止している」と診断できる状態などである。 (3) (2)の状態にある人が「死体」であることは明らかに科学的に判断可能である。 私が問題にしたいのはこれらではなくて、「脳の状態は(2)に該当しないが、 検査によって『脳死』と判断できる」という事例である(もちろんこの時、心臓は人工呼吸器によって 動いている)。これを「脳死」だと判断することは、論理的に考えてできない。 主にこの三つです。 まず(1)ですが、逆説の日本史一読者さんも人工心臓の例を挙げましたが、 私も「『心臓死』をもって人の死とする」という考えには賛成していません。極端な話、 ナタで首を切り落として、即座に首に人工心肺を取り付ければ、理屈ではこの人は生き続けることが できるからですね(まあ、長生きはできんでしょうけど)。また、当然、 心臓もある時ピタッと止まるわけではないし、つまり、「いつ次の拍動が起こるかわからないけど、 とにかく拍動が微弱で、さらに拍動と拍動の間隔が長いとき」をもって心臓死としているわけです。 これが適切な表現かどうかはわかりませんが、概念としてはそういうものですよね。 これではあまりにも乱暴だと思います。「心臓死」と診断された後、蘇生する人も少数ながらいるわけですから。 やはり、人が人である理由は、脳があるからだと考えます。よって、「脳死=人の死」であると思います。 さて、(2)ですが、これに異存はないと思います。少なくとも、こういう状態であるならば、だれだって「脳死」だと認めるでしょう。 人間の意識は脳細胞(神経細胞)の活動によって発生します。外部に発現される意識もそうだし、内的意識(外部には発現されない)も 細胞の活動によって為されます。つまり、一度破壊された細胞(細胞でなくなった細胞)が元に戻るということは絶対にありません。 いったん増大したエントロピーは無限に広がっていきます。元の場所に戻ることはありません。 肝臓みたいにホイホイ再生されるといったこともありません。 よって、この人の意識(外的・内的ともに)がないことは他人から見ても明らかであり、この状態にある人は「死体」です。 また、すべての細胞が死んでいれば(こういう事例はきわめて少ないと思いますが)、それも「死体」でしょう。 問題は(3)です。「自己融解もまだ起こしていないし、脳の物理的損傷もさほど見受けられない。生きた細胞と死んだ細胞が混在している。 そして、心臓は(人工呼吸器のおかげで)動いている。しかし、検査の結果『脳死』である」という状態において、 心臓移植に踏み切られる事例が多々あるということです。 例えば将来、脳細胞の生死をすべて調べることができる医療機器が開発されたとしましょう。 実際は人体実験は許されていないので、こういった機器の開発には限界があると思いますが、 ここではそういう倫理的、または技術的なことは問題ではありません。仮にそういう機械が発明されたとします。 で、その機械でまず、健常者相手に検査を行ったとします。 「この人の脳細胞は100%(便宜上、100%としておきます)機能している。脳死ではない」という検査結果が出ますね。 被験者も「なに言ってんですか〜。当たり前ですよ。実際にこうして私、生きてるじゃないですか」などと言うかもしれません。 この場合、なぜ、この機械の検査結果が正しいと言えるかというと、被験者の確認がとれるからなんです。 被験者の意識が外部に発現されているのを見てはじめて、「ああ、この検査結果は正しいんだな」と認めることができる。 また、植物状態の患者に検査したとしましょう。「脳幹部は100%(同じく、便宜上)機能しているが、その他の部位は0%(同様)機能している」 という結果が出たとします。これも、患者が自発呼吸をしているというその一点を見ただけで、外的意識はなくとも生きていることは確認できます。 「生きてるんだからあたりまえじゃないか!」などと言わないでください。「脳死者」であっても、確認がとれるのならそれでいいんです。 しかし、実際はそううまくいかない。(3)に該当する患者にこの検査を行ったとします。そして、「この人の脳細胞は5%(同様)機能している。 脳死である」という結果が出たとします。これをもって「脳死」と判断し、臓器移植に踏み切っていいのでしょうか。 検査では100%「脳死」でも、それを証明する術がないのではないか、そう思うんですよ。 完璧な検査というのは、「100%正しい結果を示し、それを証明(確認)できる」ことが絶対条件だと思います。 証明(確認)できなければ、100%だなんて決して言えないわけですから。しかし、証明(確認)できないこともあるわけです。 それが、このような「脳死者」相手の検査です。一万年前でも一万年後でも、 いつの時代でも「脳死者」が言葉を発することはありません(当たり前ですが)。 それだけではなく、意識、いや、正確には外部に発する意識もありません。ということは、 どんなに科学が発達しても、「脳死者」の胸の内を知ることはできないのです。 医師が「脳死者」の体に憑依してその患者の内的意識の有無を確認できるのならいいのですが、 そんなことは何万年経っても当然できません。検査結果が「絶対脳死だ。当然、内的意識もない」と言っても、 物理的に脳細胞が壊れている(溶解等)のならともかく、そうでないのならば私はその裏付けを望みます。 しかし、当然ウラをとることはできません。 これが、私が「論理的に考えて、『脳死』は科学では(科学以外でもそうだが)判定できない」とする所以です。 「100%死んでいる」と言われても、その真偽を知っているのは本人だけだということです。 「内的意識をさぐる器械」が発明されてその有無を検査されても、外部に意識を発することができない「脳死者」はその検査結果の真偽を アピールできないのです。ですから理屈では、こういう患者に対して脳死判定はできなくなってしまうわけです。 ここで勘違いして欲しくないのは、あくまで(3)の事例について述べている、ということです。 こういう状態の患者に対しての脳死判定は、行うことはできても確認がとれない、ということです。 だから、「この完璧な検査でも『脳死』と出てるし、やっぱりどう考えても死んでるとしか思えない」というだけでは、 「死」と判断してはいけないと思うんですよ。 まあ、 こんなことを言ってますが、私自身、実際に家族がこのような機器で検査されて「脳死だ」と言われたら、 おそらく信じるでしょう。ほんとに死んでるんだと思います。でも、生きてる可能性(内的意識を保持してる可能性)は皆無でも、 それを証明できない以上(外部から検査しただけでは証明にはならない。たとえそれが「完璧」といわれる機器であっても、である)、 臓器移植はきっと許さないとおもいます。脳が溶け出してはじめて家族の死を実感するでしょう。 こんなことを言ってると、「じゃあ、検査で癌がみつかったとき、『私はそれを実感していない。よって、認めない』と言うのか」 などと言われてしまいそうです。でも、そんなことはありません。なぜなら、これが本当であろうと誤診であろうと (本当である可能性の方がはるかに高いですが)、手術をする分にはなんら問題はないからです。手術が失敗でもしない限り、 死ぬことはありません。この診断が私の生死に直接作用することはまずないのだから、 その時は医師に従います。しかし、「脳死」の判断は「生死」の判断でもあるわけです。 生体と死体では扱いがまったく違います。人を「死体」と判断する時は、決して間違いがあってはいけません。 だから、「検査の結果の確認ができない患者」を「死体」のカテゴリーに入れたくないのです。 また、「だから、『脳死者』が外部にアピールできないのはあたりまえだ!確認などとる必要はないではないか!」 という反論(?)もあるかもしれません。確かに、プラクティカルに考えるとはそんな必要はないかもしれません。 その脳はいずれにせよ溶け出すわけですし、つまり、内部意識の有無などは別として、「脳全体が不可逆的に機能停止している」 と外部から判断した時点で「死」と認めても、なんら不都合は起きません。 しかし、思弁上においては重要な問題だと思います。「確認」は必要です。しかし、当然確認などとれない。 とれない以上、「死」と判断するのはもう少し後でもいいのではないかと思うのです。 また、逆説の日本史一読者さんは私に「 『太陽が地球の周りをまわっているのは空を見ても明らかではないか。 聖書にも書いてあるぞ』 と言った昔の科学者と同じようなものを感じる」といった旨のことを言われてますが、 大変申し訳ないですが、これは逆ではないかと思います。もちろん私は、「いや、あなたがこの科学者と同じなのだ」 などと失礼なことを言うつもりはありません。ただ、同じではありませんが、同じ間違いをおかしやすいのは 逆説の日本史一読者さんの方だと思うのです。 「太陽が地球の周りをまわっているのは空を見ても(この完璧な検査の結果を見ても)明らかではないか。 聖書にだって(判定基準にだって)書いてあるぞ」 どうでしょうか。少なくとも、私の理論では死者を生者と勘違いすることはあっても、 生者を死者と勘違いすることはありません。間違いをおかしてもさほど問題ではないように思えます (移植医やレシピエントにとっては不都合に感じるかもしれませんが)。 繰り返し言いますが、確認がとれないものは、限りなく100%だと思われても、 確認がとれない以上100%とは言えないのです。だから、脳が自己融解を起こすまで待っても いいのではないかと思うのです。 死後の世界があるかどうかを生きてる人がいくら論じても、見当をつけることはできても 実際に死んでみないとほんとのところはわからないのと同じように、(3)の「脳死者」に内的意識があるかどうかは、 外から見当をつけることはできても、「脳死者」になってみないとほんとのところはわからないのです。 いや、わかりようもないのです。 結局、一番言いたいのは、「外からの判断では、どんなに完璧といわれようがウラをとることはできない。 なぜならウラがとれるのは患者本人だけだからだ。そして、その本人が外的意識を持っていない。 よって、我々が真意を知ることはできない」ということです。論理的に考えて、 (3)の状態の「脳死」を知ることは絶対にできないのです。 私が言いたいことは全部言ったつもりです。もうなにを訊かれても、 いろいろ喩えなどは出せますが、自分の文章力の無さも手伝って、結局は同じ説明になってしまうと思います。 ですから、理解・納得はされなくてもぜんぜん構わないのですが、私が言いたいことが うまく伝わるかどうか、それだけが心配です。同時に、うまく逆説の日本史一読者さんへの 回答になっているのならば幸いです。 また、「頭が悪い発言」は確かに礼を失していると、今更ながら自分でも感じます。 もし不快に感じられたのならば謝ります。失礼いたしました。 追記:「通常死」における、心臓が不可逆的に止まったとされる時点で 「死」を宣告するのは、思弁上、個人的には不満ですが、 程なくして脳死になることはまず確実であるし、プラクティカルな状態においては さほど重要ではないと思うので、「仕方ないかな」とは思います。 Time : 1998/10/19(月) 04:45:39
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : ありがとうございます Comments: >管理人さん お忙しい中、お手数かと思いましたが、 二重登録の削除、ありがとうございました。 また、ちょっとお訊きしたいことがあります。 井沢さんの『逆説の日本史』シリーズは、文庫版で『〜3』までしか 出ていないように思いますが、『〜4』はいつごろ出る予定なのか、 だいたいでいいのですが、決まっていましたら教えていただけないでしょうか。 貧乏学生ゆえ、文庫版しか買えないのです。 Time : 1998/10/19(月) 04:58:42
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 大蔵様 Comments:  『逆説の日本史』シリーズを御愛読いただき、ありがとうございます。第4巻の 文庫の発売予定がわかりましたら、後程、お知らせいたします。                      管理人 Time : 1998/10/19(月) 09:13:27
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 石井様およびBBSの皆様へ Comments:  もう既に宣言しましたとおり、上條様との議論は打ち切らせていただきました。 小生としましては、「参加しやすい」問題に答えていただかなかったこと、 及び、BBSの方から指示いただいたことで決着が付いたつもりで、 上條様の「信仰」に対し、説得を試みるつもりはもはやありません。  それよりも問題なのは、18日付の石井様の記事にあるような >議論を見た上で「ここはなんだか変だなあ」というちょっとした疑問を >書いたまでのものでして、御二方のように専門的な知識も持たない・・・ というご意見で、前半の責任の半分は小生にありますからお詫びしますが、 KANAK様は玄人はだしの専門知識を持っておられますけれども、 小生は歴史は素人で「逆説の日本史」だけは一応ちゃんと読んだ読者にすぎません。 その素人の視点から「プロ並みの知識がありながら、議論が稚拙でマナーが良くない」 と異議を申し立てただけなのです。  以前にも申し上げましたが、「素人が意見を述べるのに抵抗がある場」とか、 「素人の素朴な疑問に対する真摯な対応がない」と行った状況は良くないと思います。 これについてあまり明確な説明をしてきませんでしたので、この場をお借りします。  薬害エイズ問題、原発問題、汚職問題、教育問題など例を挙げれば現在も数多くありますが、 まだ不確定な部分が多いと思いますので、以前話題に出た「帝し考」の森鴎外の例を挙げます。 (いろんな本に出ているようですので、一般的な知識とおもいます) 彼の本業は軍医とあるように医学博士「森林太郎」で、細菌学に特に造詣が深かったようです。 その本業で彼は次のような失敗をしたと記録に残っています。それは、 「専門家が素人の意見を相手にしなかった」 ことが原因でした。当然ですが、専門家の方が常に正しいとは限りません。 当時軍隊で流行していた脚気は、細菌学の専門家として森は「脚気菌」が原因と思い込んで いたようです。当時はまだビタミンDが発見されておらず、経験的にほとんどの人が指示して いた麦飯療法を森は全く受け付けず、麦飯導入を妨害していたとさえいわれています。 結果的には麦飯を食べて大部分の病状が回復したそうですが、それでも麦飯の効果があった とは思えないという意見だったようです。そのように頑なになった主な原因は、彼が熟知して いた「西洋医学」に、そのような説やデータが存在しなかったということのようです。  この話からも分かりますように、学界の定説や学問的データに固執し過ぎ、素人の意見を 全く受け付けないというのは良くない態度です。彼が「経験的な知識も受け入れる」だけの 度量の広さがあれば、真実から遠ざかることはなかったと思います。  そういう類の話は世の東西を問わず多く耳にしますので「素朴な疑問」は大切にすべきだと 思いますし、そのような疑問に答えてくれたからこそ、小生のような歴史音痴の素人が 「逆説の日本史」ファンになったのです。また、そのような意見の重要性こそが「陪審員制」の 利点ではないかと、素人ながらに思っています。  皆様「素朴な疑問」を大切にしてください。 Time : 1998/10/19(月) 10:39:23
Name : 石井一旭 E-mail : j00w0194@ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : KANAKさんへの反論 Comments: KANAKさんへの反論です。 >1.園城寺は与多王の建立である >2.従って、園城寺には天智死亡に関する秘密が伝わっていた >可能性がある。 >3.「皇円」は天台宗の高僧であり、園城寺とも関係が深い。 >4.従って、園城寺に伝わる天智死亡の秘密を知った可能性 >がある。 >5.即ち「扶桑略記」の「一云記事=天智論」は与多王に由来す >る可能性がある・・・と言う論理(だと思いますが)は飛躍が大き >すぎると思うのです。 ・・・とのことなのですが、まず氏は与多王建立説を 認めている、或いは一定の理解を置いているものとして 論を進めたいと思います。これをやると前回の繰り返しに なってしまうので。 そこでまず2ですが、 >つまり2は単なる憶測であり(天智直系の子孫=秘密が伝わり >うる男家系は、 >弘文系葛野王、川嶋皇子系三室王・高丘王、施基皇子系 >白壁王(光仁)・春日 >王・榎井王・湯原王 等の子孫がありますので与多王に限る >必要はありません) 私もそうだと思います。もちろん与多王のみが「天智暗殺」の 真実を知っていたとは思いません。そうすべき理由が見当たらないからです。 おそらくそのことは天智の子孫全てが知っていたことでしょう。 父や祖父が現政権に暗殺されたという屈辱を伝えない、 或いは伝わらないということは人間的にもないと思います。 そのうちでたまたま与多王が園城寺を建立しただけのことです。 >3には山門・寺門の問題があることを申し上げました。 >「慈円」は天台座主ですが「愚管抄」には「天智」死亡に関する >疑義はなく、 >「書紀」類似記事があるのみですね。 まず山門と寺門の問題に関して言うと、両者が別れたのは 正暦四年(993)のことであり、 円珍が園城寺で両部大法を授けたのが貞観五年(863)です。 この間100年以上の開きがあります。この間に園城寺に 伝えられていた「秘密」が比叡山にも伝わったとは考えられませんか? この様な大きな「秘密」が天台宗の本山の片方に伝わって いたのですから、もう片方も(少なくとも分裂以前に)知ったものと考えていいと思います。その後対立が始まったのならそれこそ 比叡山側はその事実を伝えたのではないでしょうか?つまり、 「我が寺(比叡山)は伝教大師が仏法を発展させるため建立したのに対して、 あいつらの寺(園城寺)は元々怨霊鎮魂の寺じゃないか。 正当な仏教の形とかけ離れている。」と思っていたのでは? それから「愚管抄」は幕府を倒そうとする後鳥羽上皇を諌めるために「世の中の道理」を示そうと 書かれたものですから、天智暗殺のことなど書く必要はなかったものと思います。本筋にはまったく関係のないものだからです。 次に >先ず、亀丘古墳は「大友皇子」の墳墓かどうかです。 >私の記憶ではこの古墳が >「弘文陵」と認定されたのは明治初年の軍事施設建設中に >若干の遺物が発見さ >れたのがキッカケであり、延喜式(天智系天皇時代)等にも >一切記述がありま >せん。・・・井沢さんも、 >「大友皇子の墓についても実は他にも候補地があった。 >だが少なくとも三井寺 >「境内」にあったこの墓が、大友皇子の墓の最有力候補で >あったことは間違い >ない」 P357    >・・・・と記述しておられる様に、要するに宮内庁が何と >言おうが有力候補の >一つに過ぎず、真実は不明なのです。 >不明なモノをそれと断定し、その断定? >を根拠として「・・はずがない」等という結論を導いては >いけませんね。 ・・とのことですが、 「国史大辞典」には「亀丘古墳」は「長等山前陵」として次のように 載っていました。 「園城寺の北約500メートルにあたる。(弘文の)陵所は久しく不明で諸説があったが、長等山の東麓園城寺「地内」に亀丘という 古墳があり(中略)同寺は御子与多王が父の家地に建立したという 縁もあるので、明治十年六月に当所を陵と定めた。」 (カッコ内、かぎ括弧引用者) だそうです。つまり古墳が園城寺の「地内」にあることは誰の目にも明らかなことなのです。そして亀丘は大津京の領域内 であり、天智に縁の深い土地です。その土地にある古墳に 該当するものは限られてくるでしょう。少なくとも天智に縁の深い人間です。 また与多王建立説を認めるとするならば、 そのような所に寺院を建てられるのはその子孫しかいませんよね? 滅ぼされた前代の支配者を祭れるのはその子孫だけです。 その寺院があるということは、その古墳が天智系のもの、 つまり大友のものである可能性は高いと思います。 最もこれは発掘調査してみない限りわかりませんが。 >さらに、大友村主一族が寺を創建したと仮定した場合 >・・・「大友皇子」死亡以前であったと想定することも >有り得る訳です。この前後関係も必ずしも明ら >かではありませんからね。 園城寺創建説は私の知る限りは 「与多王が建てた」というものと「大友村主一族が奈良時代末に 建てた」の2つしか ないと思います。「大友死亡」以前だというのなら「新説」として その根拠を示して欲しいです。建築的に飛鳥様式だとか、 炭素年代測定したら飛鳥時代だったとか。 ところであなたは「怨霊」問題に関しては保留しておられますが、 井沢先生の「日本の歴史は怨霊が動かしている。」といった 考えをどうお考えでしょうか? もし「怨霊説など信じない」というのでしたら、 話をそこから進めねばならなくなります。 井沢先生の説は独自の「井沢史観」を用いて出されたものであり、 これを否定されると井沢先生の説を初めから要約しなければならないという、 私なんぞには荷が重すぎることをやらなければならなくなります。 「怨霊説」の方は私は責任を負いかねますのでご了承のほどを。 井沢先生の諸著作を読んで下さい。 >大阪JF生さんへ 少々誤解を招く書き方だったようですね。 申し訳ございません。あまりに的確に相手の急所を つく見事な文章に幻惑され、ついあのような書き方になってしまいました。 貴方の考えには大賛成です。 元々井沢先生の史観自体が「専門家にわからないことを門外漢が 解き明かす。」といったものですから、その精神は井沢史観の 根本であると思います。私もその考えを忘れずにいたいです。 という訳で、今後ともよろしく・・・。 Time : 1998/10/19(月) 12:17:55
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : トンデモ本と科学の違い Comments: 日本人が、日常「科学的」といっているところの者は、 自然科学とは異なります。 江戸時代に、無神論と進化論を述べた山片番桃という人がいましたが、 所詮アリストテレスと同じで、「科学的」であっても自然科学ではありえません。 こんな事を言うと科学万能主義だとお叱りを受けそうですが、 真実は、自然科学にしかありません。 いくら科学が人情に反しようとも、 じゃあ人情とは何かと言うと、 当事者間の自己満足に過ぎません。 厳密な実証を経ていない理論は、いくら緻密であってそれらしく見えても、憶測の域を越えません。 占いや風水は科学だ、少なくとも昔の人にとっては科学だったという人がいます。 私は、たとえ占いや風水が科学的に実証されようとも、実証されるまでは、まじないの域を出ないと思います。 科学というなら、少なくとも以下の条件が必要でしょう。 方法さえ分かれば、だれが行っても等しい結果が出る。 結果の差異は、霊感の違いだという人がいるなら、その霊感というものを証明して下さい。 また,世にノストラダムスの預言なるものがあります。 あれが、暗号であることは間違いないでしょう。 でなければ、ノストラダムスは頭がいかれてたのでしょう。 暗号であれば、必ず答えがあります。 しかし、それを真実かどうか信じるかは、個人の信条です。 たとえ、例の預言が成就しようとも、信じなかった人を馬鹿呼ばわりしては行けません。 自然科学でも、法律でもないのですから、個人を拘束する権利はないのです。 文系の議論には、以上の面があることを忘れてはならないと思います。 議論を尽くしたら、後は発掘で白黒つけるしかないのです。 Time : 1998/10/19(月) 15:23:51
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : くたばれ森鴎外 Comments: あれは、権威とか門外漢以前の問題です。 森鴎外の逆をいった人に、名前は忘れましたが海軍の軍医がいて、 反対を押しきって麦飯を兵隊に食わす実験をしました。 結果、麦飯を食わした軍艦のかっけは激減しました。 彼は、理由は分からないが、麦飯はかっけを予防する、 よって兵隊の命を救うために麦飯を食わせると決定したそうです。 彼は後年、医学のために患者がいるのではない、患者のために医学があるのだ、と言いました。 森鴎外の態度は、研究者としては結構ですが、 臨床医としては最低です。 彼は自分のメンツのために兵隊を万単位で殺したのです。 日露戦争で海軍のかっけがほとんどいなかった以上、森鴎外は言い逃れできません。 自分が学者として失脚しようとも兵隊に麦飯を食わせるべきでした。 あいつは人間ではありません。 Time : 1998/10/19(月) 15:42:26
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : くたばれ森鴎外2 Comments: 麦飯は、新薬と違ってれっきとした食べ物です。 麦飯でエネルギーを摂ることと 白米でエネルギーを摂ることに差はありません。 ならば、かっけを防ぐ(らしい)麦飯を兵隊に支給することに問題はありません。 さらに海軍という前例があったのだから。 もしかしたら、陸軍が海軍の後をいけるかというメンツがあったのかもしれませんが、 なおさらあほと言うしかありません。 また、苦労する兵隊さんに美味しいものを食べさせようと言う銃後の空気もあるにはありました。 その結果、帝国陸軍は、ジャングルの中を、干し米にすれば重量が3分の1になるのに玄米を担ぎ、 敵に撃ってくれと言わんばかりに、米を炊いて煙を上げました。 これは、物事を理性的に考えられない日本人の起こした愚行です。 森鴎外の話の根は深いのです。 Time : 1998/10/19(月) 15:56:35
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 安部奈亮様・石井一旭様へ Comments: 誤解を与えるような書き方をして、御2方にご迷惑をかけてしまったようで、 お詫びいたします。  森鴎外については、(小生らしくなく?)あまりにもソフトな表現を採ったため、 人道上の問題を軽視していたかの印象を与えてしまったようで、安部様のお怒り ごもっともです。でも、人間として許せない気持ちは同じです。それよりも、 「学説に固執するのでなく、その方面で真実を追究する」 のが学者の本分としたら、学者としても許されない態度だといいたかったので、 さらに実質は安部様よりきついことを述べたつもりでした。  また石井様には決して抗議をしたつもりではなく、小生を買いかぶっておられると いいたかっただけで、謝る必要など毛頭ありません。 誤解を与えて、謝るべきなのはこちらの方です。お許しください。 小生と違って、冷静に判断されているご説をいつも拝見しておりますので、 こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。  KANAK様への反論も冷静に分析されていると思いますし、少なくとも 小生には十分納得のいくものです。 これからの部分は単なる蛇足にすぎませんし、本当によけいな意見かもしれませんが、 この事について少し述べさせてください。  石井様が怨霊問題について質問されていますが、これは当然すぎる要求で、 KANAK様は絶対に答える義務があると思います。といいますのは、議論上の ルール違反をまたぞろおかしているからです。 >怨霊鎮魂については・・・論評いたしません。 といいながら、 >「天智・大友親子の怨霊に対する押さえとしてである。・・・親新羅政権である >         ^^^^^^^^^^^^^^^^^^ >天武王朝が、新羅の神を祀ったのだ。」 P369 >「ここで、天智と天武の立場は逆転した。・・・そこで円珍は、新羅明神を丁重 > ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ >に祀る必要があったのだ。」 P370 >・・・と言う「論理?」に疑問を感じられませんか? という論評をする論理に疑問を感じるからです(しかも傍線まで丁寧に付いています)。 保留したのなら、触れないのが当然のルールでしょう。 (今までの経緯から判断して、また逃げを打つことを心配していますが)  ついでながら、「山科といえば、藤原氏」という証拠を列挙された後、 >私は、この様な個々の「事実」を無視した「史観」等は理解不能なのですが、 >間違っていますでしょうか? といわれていますが、間違っていると思います。これはむしろ山科あたりに好んで狩に 出かけた理由ととらえるべきで、天智がある種安心できる場所だったのでしょう。 だからこそ、油断が生じ易いとにらんで、この場所で(おそらく)誘拐し別の場所で殺害 というのは犯罪として良くあることでしょう。どの程度ポピュラーか分かりませんが、 関西では製菓会社Gの社長は、くつろげる風呂場で誘拐されたとされています。 資料の読み方が間違っていると思いますが、いかかでしょうか? Time : 1998/10/20(火) 10:14:50
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 大阪JF生さまへ Comments: 興奮して書いたので、迷惑をかけてしまいました。 森鴎外の話にかこつけて、日本人の問題点を言おうとしただけです。 別にあなたの意見に対して他意はありませんでした。 お騒がせして申し訳ありません。 Time : 1998/10/20(火) 16:26:37
Name : 上條 信治 E-mail : ZXE06231@nifty.ne.jp Title : 最終 Comments: この様な形で最終を迎えるとは、当初は予想していませんでした。 議論が成立しない以上、また真摯な反論を頂けない以上、私がここで発言 する理由はもはやありません。 議論というものについて、自分なりの意見を述べさせていただきましたが、 議論を的確に行うということの難しさを、改めて勉強させていただきました。 以上でこの掲示板における、私の発言は一切終了いたします。 どうもありがとうございました。 追伸 10月16日における私の発言のタイトルは、 「大阪JF生 さんへ (返信 番外その3)」 の誤りでした。お詫びして訂正いたします。 Time : 1998/10/20(火) 17:18:50
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 石井さんへKANAK氏よりの反論 Comments: 石井一旭さんKANAKさんより再反論がありましたので転載いたします。 大島さん、今日は (石井さん、間接ながらはじめまして)・・・KANAKです。 石井さんから早速の「反論」を頂いた様ですが・・・一見して井沢さんの意見 とは可成り乖離したもので、井沢さんがこのご意見をどの様に評価されるかが 全く分かりません。従ってどの程度議論を進めるべきか躊躇していますが、折 角のご意見ですので今回に限り私の考えを申し上げます。 >> 私もそうだと思います。もちろん与多王のみが「天智暗殺」の真実を知って >>いたとは思いません。そうすべき理由が見当たらないからです。 >>おそらくそのことは天智の子孫全てが知っていたことでしょう。 >>父や祖父が現政権に暗殺されたという屈辱を伝えない、或いは伝わらないと >>いうことは人間的にもないと思います。     (改行失礼) 「天智が暗殺されたのならば」・・・と言う「 」つきで私も全く同意見です。 ついでにと言っては何ですが・・・ 「父や祖父が現政権に悪逆紂王にされたという屈辱を晴らさない、或いは後世 に伝えるということは人間的にもないと思います。」 ・・・とはお考え頂けないでしょうか? 「諡号制定」は井沢説では大凡730年〜770年のことでしょう。 ・・・つまり光仁20歳〜62歳、桓武〜34歳です。彼等は眼前で先祖を紂王とさ れた屈辱を如何に受け取ったか・・・石井さんなら、ご理解いただけますよね。 >>この間100年以上の開きがあります。この間に園城寺に伝えられていた >>「秘密」が比叡山にも伝わったとは考えられませんか? >>この様な大きな「秘密」が天台宗の本山の片方に伝わっていたのですから、 >>もう片方も(少なくとも分裂以前に)知ったものと考えていいと思います。 この部分も「天智が暗殺され」「その事実?が園城寺に伝わっていれば」 ・・・と言う「 」つきで、充分あり得ることだと思います。 即ち「石井説」は天智系皇族・天台宗高僧の間では・・・言い換えれば少なく とも平安初期の中央貴族にとっては「天智暗殺」は殆ど周知の事実だった ・・・と言うことになるのでしょう? 井沢さんは、以下のとおり記述しておられますね・・・ 「当然、皇円は大檀那の天智ファミリーについて、他では得られない情報を得 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ことができたはずである。今でも、檀家の人間の死について寺の住職が世間に 公表された「事実」と違う真相を知っている、というケースはままあることだ。 しかも、天智一族は大檀那なのである。その寺の「住職」ともいうべき皇円が ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ・・・」 P223 私が問題にしているのは、この様な読者を誤解に導き易い記述なのです。 「石井説」とは、かけ離れた見解だとは思われませんか? 私は、井沢さんが「一種の秘事」だとされているのは、『扶桑略記』以外に一 切「天智暗殺?」に関する文献が残っていないことの理由説明を含んでいる、 と解釈しておりますので「石井説」の正否は是非井沢さんにお尋ね下さい。 (私は、基本的に「天智暗殺の事実」も「伝承」も否定しておりますので、 これ以上伝承経路を云々するつもりはありません。) >>つまり、「我が寺(比叡山)は伝教大師が仏法を発展させるため建立したの >>に対して、あいつらの寺(園城寺)は元々怨霊鎮魂の寺じゃないか。 >>正当な仏教の形とかけ離れている。」と思っていたのでは? この説も「(園城寺)は元々怨霊鎮魂の寺」と言う井沢説に立てばあり得るか も知れませんね。 ところで・・・円珍はそもそも、その様に考えていたのでしょうか? そのようなイチャモン付きの「元々怨霊鎮魂の寺?」を何故本拠と定めたので しょうね? 私には「園城寺寺伝」は、むしろ「与多王創建」を誇らしげに語っている様に 思いますが・・・この点も是非井沢さんにご確認下さい。 >>だそうです。つまり古墳が園城寺の「地内」にあることは誰の目にも明らか >>なことなのです。 私も「園城寺」最大寺域において「古墳」が「地内」にあったことを些かも疑 っておりません。私が疑問に思っているのは・・何故井沢さんが「創建時寺域」 も「古墳」を含んでいたと断言出来るのか?と言うことなのです。 >>園城寺創建説は私の知る限りは「与多王が建てた」というものと「大友村主 >>一族が奈良時代末に建てた」の2つしかないと思います。「大友死亡」以前だ >>というのなら「新説」としてその根拠を示して欲しいです。建築的に飛鳥様 >>式だとか、炭素年代測定したら飛鳥時代だったとか。 おっしゃるとおり、「園城寺創建」に関する考古学上の知見は無いと思います。 その意味では「大友村主一族が奈良時代末に建てた」とする根拠も明白なもの               ^^^^^^^^^^^^^ ではありません。当然「大友死亡」の前?後?も決して定かではありません。 ただ「三帝産湯の伝承」は、この地が何らかの「聖地」であったことを物語っ ている可能性があり、天智以前に宗教施設があり得たかも知れないと考えたモ ノです。(可能性もあり得る・・・と言うだけですよ。) 要するに私は与多王創建も有り得るが、所詮「不明なモノは不明」であり、 それを「断定」して「推論」を組み立てるのはお止め下さい ・・・と申し上げているのです。 >>最もこれは発掘調査してみない限りわかりませんが。 そうですね! 正にそのとおりなのです。是非井沢さんに、そう仰って下さい。 >>ところであなたは「怨霊」問題に関しては保留しておられますが、井沢先生 >>の「日本の歴史は怨霊が動かしている。」といった考えをどうお考えでしょ >>うか? 私は、既に申し上げたとおり、「キリスト教」「イスラム教」「中華」「マル クス」「ナチ」「ユダヤ」「皇国」・・・「怨霊」の如何を問わず「史観」と 言う「主観的フィルター」を通して歴史を考察するつもりは全くありません。 アァ、それから念のため申し添えますが・・・以往諸皇不知因果、恒事殺害。 は当然天智を含む・・・と言うより天智の古人大兄・有馬皇子謀殺を指してい ると考えています。 ・・・ところで、彼等の「怨霊鎮魂の寺」ってどうなっているんでしょうね? 取り敢えず上記のとおりです・・・これ以上は井沢さんの基本見解を待って議 論させて頂きたいと思いますが、如何でしょうか?                          98/10/19 (ニフティーの原文そのまま) 以上がKANAKさんよりの反論です。 ところで前々回も書かせていただきましたが私も井沢さんご自身のコメントを いただきたいと思うのですが。何といってもここは井沢さんのHPですし、 内容は井沢さんご自身の御説に対するものなのですから。よろしくお願い いたします。 Time : 1998/10/22(木) 15:06:48
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 大島重雄様へのお願い Comments:  お久しぶりに大島様あての記事を書かせていただきます。 見るに見かねてのことで、少し困難なお願いをしたいと思いますので、 冷静にご判断くださるよう切にお願い申し上げます。  大島様は歴史論争に巻き込まれ反論もままならず、つらい立場にあって 藁をもつかむ気持ちで井沢先生の「反論」に期待されている気持ちはよく 分かります。しかし、それは無いものねだりではないかと存じます。  井沢先生はおそらく(小生の目から見てもそうですので)KANAK様の 意見は「根拠の不明なたわごと」あるいは「詩的史的感想文」程度にしか感じて おられないと思います。  それに対し、KANAK様の方は「史観など主観的な物を軸に論じられない」 とおっしゃっているわけですから、議論になり様がありません。 それにもかかわらず「反論を待つ」というのは「水の無いプールで泳げ」と 言っているに等しい要求で、最低限「水」を入れてくれなければ反論のしようが ありません。具体的には、「史観」少なくとも石井様が要求された「怨霊」に 関してどう考えているかを明らかにしない限り議論は進まないと思います。 それでお願いとは、議論を進めるのならKANAK様に真摯な回答をするように 説得していただけないでしょうか。これ以外に道はないように思うのですが。  これだけの部分で分かっていただけたらありがたいのですが(その場合、 以下の込み入った議論は不要です)、抽象的に述べただけでは、おそらく 分かりにくいかと存じますので、以後詳細に論じます。  以前、逆説の日本史一読者様(10月10日付記事)が指摘されましたように、 論理的記述の基本には3段論法があるのは、アリストテレス以来認められていること でしょうが、KANAK様はこのような論理性ですら危ういところが見受けられます。 「大前提」という根拠のもとに「推論」はなされているわけですが、しばしばこの 大前提が不明なのです。小生が根拠不明というのはこれで、「客観」も何を意味するのか が不明です。こっそりと「参加しやすい問題」にも答えていただいていますが、 やはり根拠の無い感想です。(また、発言から導かれる論理的帰結にも注意を払っている 様子は一貫して見受けられません。)  小生の好みでは全くありませんが、立場として次の3段階に分類してみます:  (1)大前提は(権威付けられた)歴史的資料に限る。  (2)大前提は(権威付けられた)学説も(1)に加えてよい。  (3)大前提は(明示的に述べられなくてもよいが)一定の考え方も(2)に     加えてよい。 KANAK様ご本人は(1)または(2)の立場をとっておられるように見え、 しばしば厳格に(1)を主張しているように見えるときがあります。いわく 「不明な・・断定し、結論を導いてはいけませんね」と。しかし、厳密に言えば、 資料の真贋は100%保証できることはまずありませんのですべて不明です。 つまり、資料から確実に言えることは何もありません。この場合、歴史は単に資料の 寄せ集めでしかなく、しかも、本物かは不明という無意味な集合体になってしまいます。 まさかこんな立場を本気でとられているはずはないでしょう。もし本気なら、 それでも何らかの結論を主張されているKANAK説は「詩的感想文」あるいは 単なる「信仰」であるという小生の指摘が正しいことになってしまいます。また >私はシロウトながら、様々な「文献史料」その他考古学・民俗学等の所見によって >出来るだけ歴史の真実に近づきたい・・・と考えています。  のようにもおっしゃっていたので(2)も考えるられるわけですが、様々な「史観」や 「観点」からなっている説も多くありますし、観点を正直に述べていない説も多く、 すべてを排除なさっているようにも見えません。特に排除されている「井沢史観」は 多くの人が注目している「日本人論」で民俗学的でもありますが、上記の意見から言って、 なぜ無視なさるのでしょう?「権威づけられていないから」という理由以外に考えられ ないのですが、そうなら井沢先生に対しまったく失礼な話です。 もし本気でこの立場だとおっしゃるならば、「森鴎外」宣言と見なされても文句は 言えないはずです。学説の真贋を、何を根拠に判断されているのでしょうか?  今までのいずれかが当てはまれば別ですが、KANAK様ご自身の発言からの論理的 帰結が上記2つであると気付いておられたら、まさかこうは言わなかったでしょう。 そういった杜撰な発言からも、議論が稚拙だと小生は評してきたわけです。  そこで最も無難な解釈が(3)ですし、これなら多少マナー違反や論述の稚拙さが あっても「議論」は成立します。しばしば使われる「常識です」「と思います」という 言い回しから「何らかの考え」を元に判断しているのだと、ご自身の主張とは逆の結論に 至らざるをえないのです。やはりこれも、ご自身が嫌っておられる「史観」の一種だと 思います。したがって、史観否定は文字どおり「歴史を観ていない・考えていない」ことに なると思います。その点が石井様と異なるところでしょう。 何らかの考えがあるからこそ、資料や学説に対し「考察」が可能なわけで、無から有は (この場合)生じません。  比較的簡単な原理で多くの事実を語るのが「井沢史観」で、その点も小生たちには 小気味よく感じられるのですが、これは個人の好みです。その原理が単純な物でなく、 いわく説明しがたい集合体であってもトりあえずは構わないと思います。 研究が進めば、ぜひ明らかにして欲しいものですが。  しかし、残念ながらこの部分は巧妙に逃げまくっていますので、小生たちには全く 実態が見えません。したがって(1)の「詩的感想文」や(2)の「森鴎外」という 誤解を受けてしまうのです。森鴎外がとるべきだった態度は「そんな迷信のような物は 学説やデータとして無かったし認められない」ではなくて、「自分の西洋医学の観点 から本当に麦飯に効き目があるのかを真剣に検討する」だったのです。そうすれば、 彼こそが「ビタミン概念」いや少なくとも「ビタミンD」の発見者になりえたかも しれないのです。何よりも多くの人の命を救えたでしょう。研究の発展とは、本来 こうあるべきものではないでしょうか?  「森鴎外」でないなら、迷信的であっても、まず石井様の要求である「怨霊」に ついて、真剣に取り組んでいただく必要があると思います。その場合にはじめて (3)を認めたことになると思いますが、何か躊躇すべきことがあるのでしょうか? これが本当にお互いの立場を認めあった議論であり、KANAK様の立場もなんら 影響は受けません。むしろ、まともな議論になり、双方に有益な展開だと思います。 そういった意味でも答えてもらいたいと思うのです。  長々と書いてきましたが、小生の稚拙な文章ながらも伝えたい熱意だけは表せたの ではないかと思いますが、これは単なる詩的感想です。 双方の意見を見渡せる立場にある大島様ならばご理解いただけるものと信じております。 (これも言葉通り信仰です。) もし議論の続行を望まれるならば、なんとかKANAK様をうまく説得して、 石井様の要求に真正面から答えていただくようにしていただけませんでしょうか? 今のままでは全くの知性と資源の無駄遣いと存じます。 千日手を解除できるのは、KANAK様の方であって、井沢先生ではありません。 これが不首尾に終われば、小生が感じ続けていたように議論は続行不可能でしょう。 無限ループに落ち込むか、リセットボタンを押すかしか手はなくなります。  ご賢察のほどよろしくお願い申し上げます。 Time : 1998/10/23(金) 10:23:44
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : お詫び Comments: 以前に起こしたトラブルを又やってしまいました。 皆様にご迷惑をおかけして、本当にすみません。 今管理人様宛てにメールを送り、修復をお願いしましたので、 しばらくの間ご辛抱いただきますようお願い申し上げます。 Time : 1998/10/23(金) 10:51:49
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 大阪JF生様へ Comments: 大島重雄です 毎回の御反論有り難うございます。 しかしながら私は大阪JF生様とは違った見方をしております。 私は日本人の行動原理の奥底に怨霊や祟りを恐れるという意識が働いている という井沢説については現代人のひいては自分を振り返ってみても十分に 納得できるものと思っております。 しかしながら同時に怨霊信仰を認めなければいっさい歴史を語ることは できないとも思っておりません。 今回の天智天皇暗殺説を論証するにあたっても井沢さんは一から十まで 怨霊信仰と言えば事がすむとはおっしゃっていないはずです。具体的な 資料の解釈を通して最終的に井沢史観を語ろうとしているはずです。 でなければ多くの読者を引きつけることもできなかったでしょう。 KANAKさんもその具体的な部分で論争を挑んできているわけです。 私もそう思ったからこそこの論争に参加し、とうていかなわないと思って このHPに持ち込んだ訳です。そして石井さんもそう思って下さったから こそ、それに応じてくれたのだと思います。 井沢史観というのは今までにない全く新しい思考方法です。 それに対してKANAK さんは従来のオーソドックスな方法で歴史にアプローチ しておられます。つまり宗教などの主観的なフィルターを通してではなく史料 と考古学的な知見による歴史の理解です。そしてオーソドックスというのは だてにオーソドックスな訳ではなく大勢の人の検証の上になり立っているからこそ わけです。それをいきなり新しい考え方を押しつけそれが受け入れられなければ 議論が成り立たないと言うのは自らの説を広げることを放棄したのに等しい と思います。賛成者を集めるだけではなく反対者を説得してこそその説の 正しさを証明することができるのだと思います。そして KANAKさんは理詰め でものを考える人であり、理を尽くせば説得できる人であると思ってこの場に 引っぱり出したわけです。そして期待通り石井一旭さんとの間に活発な論議 が始まりました。(石井さん本当に有り難うございます。) そして井沢さんご本人であるならもっとKANAKさんを上回る論を展開できると 思い井沢さんのコメントを期待しているわけです。 ですから何回もお願いしておりますが。井沢さんここらへんでコメントをお願い いただけないでしょうか。もし大阪JF生さんのおっしゃるようにコメントの価値 も無いとお考えなのでしたらそのようにコメントしていただけますか。もしそうな ら私は徒にこのHPを騒がせる種をまいただけという事になりますので、この件に 関しての発言及びニフティーその他からのコメントの転載をいっさいやめます。 Time : 1998/10/23(金) 13:10:28
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 管理人さんへ Comments: 掲示板の過去の書き込みが全く読めなくなっているようですが編集かなにか なさっておられるのでしょうか。このままだと大阪JF生さん及び私の発言 が何のことを言っているのか初めて読む人に分からなくなってしまうのですが。 Time : 1998/10/23(金) 13:34:23
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 大島重雄様へ Comments:  HPのトラブルは小生のせいだと思われます。 管理人さんはまだ気づいておられないか、 調査して修復中だと思われます(依頼中です)。 ご迷惑をかけて申し訳ありません。  一つだけ勘違いなさっている部分がありますので、述べさせてください。 小生は「怨霊信仰を認めなければならない」とは一言も いっておらず「KANAK様の立場から批判してください」と お願いしております。 現在は全く意見を述べておられませんので、井沢先生も 対応しづらいだろうと言ったつもりですので、 よろしくご配慮お願い申し上げます。 Time : 1998/10/23(金) 15:27:05
Name : 青虫 E-mail : blueworm@cosmos.ne.jp Title : 失業率の話 Comments: こんにちわ、青虫です。 最近の調査で、私の地元の失業率が9パーセントを越えたと聞きました。 日本全体でも4パーセントの時代、政府はやれ金融再生だの長銀問題だのでもめてます。 もちろんそれも重要課題ですが、庶民の立場からは非常に遠いところにある議論に思え てなりません。もっと身近な問題、例えば雇用問題などについて政治家は国政の場でさ らに議論を深めて、効果的な施策を実行して欲しい。 Time : 1998/10/24(土) 04:29:21
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 大阪JF生様へ Comments: 前回の大阪JF生様へのご返事です。 <<小生は「怨霊信仰を認めなければならない」とは一言も <<いっておらず「KANAK様の立場から批判してください」と <<お願いしております。 に対してですが.すみません私の書き方が悪かったようです つまりKANAKさんは従来のオーソドックスな歴史へのアプローチをされており 常々井沢さんが批判してる様な歴史における宗教的影響などは考慮しない立場 におられる方です。ですから論評しないという返事になるのは当然のことと 思います。しかも今回の論争の争点に関しては怨霊信仰の有無を考えるかという 事は全く関係ないことだと思っておられるようです。ですからKANAKさんに 怨霊信仰についての論評をさせようと思ったら今回の論争を通じてKANAKさん を論破し、そこの話題まで持っていくかさもなくば今回の議論に怨霊信仰の 影響の考慮が非常に重要と認めさせることが必要と思います。それを怨霊 信仰の影響に対してコメントしないから議論にならないというのは理屈に ならないと思います。そして井沢さんならそれができるであろうと期待 しているのです。是非コメントをお願いいたします。 Time : 1998/10/24(土) 14:28:40
Name : 東京リリアン E-mail : Title : いいかげんにしろ! Comments: こら!大阪JF生!! てめえ、また掲示板をこわしやがって たいがいにしとけ!!! Time : 1998/10/24(土) 14:30:13
Name : ゆみこ E-mail : Title : 大蔵様へ Comments: 大蔵さんにレスをいただいて,早く返事をせねばといろいろ考えているうちに,脳死問題等, 議論が進んでしまいました.そこで,「ヒトの死」についての私の医師としての考えを述べさせて いただきます. 私は「ヒトの死」に関しては「論理」と「倫理」の問題があると思います. まず「論理」ですが,現在では死亡を判定するのに「死亡判定の3徴候(呼吸停止・心停止・瞳孔散大)」 を慣習として用いています.これはあくまで慣習といわれていますが,実際問題上は「死の定義」として 用いられています.本来ならば,その個体の全細胞の死の時点をもって「死」とすれば絶対確実なので しょうが,それは調べる術がありません.しかし心肺停止の継続は確実に全細胞の死につながるため, 3徴候が揃った時点で「死」と判定するのですが,これは現時点における「死の基準」に他なりません. なぜならば「死」について何らかの基準をつくらないと実際問題上様々な面倒が生じるからです. 最近「脳死」という新しい「死の基準」ができました.これは脳細胞の全てが死滅しているかどうかは 調べません.色々な間接的な検査により,全脳の不可逆的な機能の喪失があることを「脳死判定基準」に のっとって確認し条件を満足すれば「脳死」と判定してよいのです.そして脳死後の臓器移植の ドナーにおいては「脳死」を「死」と考えてよいのです.これが「死の論理」です. しかし現実はそううまくはいきません.それは「倫理」の問題があるからです. たとえば完全に脳死状態で,人工呼吸器と薬物投与によってもあと数日の命しかないことがわかっている 患者さんが,もし元気なときにドナーとなることを希望していたとして,家族はそう簡単に「脳死」を 「死」と認め,臓器提供に納得することができるでしょうか?目の前の患者さんは,まだ心臓も動き, 体も暖かいのです.日本では脳死者からの臓器移植がまだ1例も行われていません.やはり心肺が停止し, 体が冷たくならないと納得できない人が多いのです.いくら法律が先行しても,日本ではこういう倫理的 な問題が生じるであろうことは容易に予測できたはずです.日本で脳死患者からの臓器提供をさかんに するためには家族の意見よりもドナーの意思を優先するという規則をつくっておくべきだったのです. もちろん全ての日本人にこのことを納得させるためにはもっと慎重に議論をしておくべきだと思います. つまり,「論理」と「倫理」の問題を消化しきれていないうちに「脳死」という基準を決めてしまったために 定着しきれない状態になってしまっていると思うのです. ところで話は変わって,森鴎外のことですが,私も嫌いです.彼は自分の考えに固執し,医師であるにも かかわらず多くの助かるはずの人々を見殺しにしたからです.彼は当時としては学歴は最高で,しかもドイツで 最先端の医学(科学)を学んできたエリートの陸軍医です.それに対し,海軍医の高木兼寛はイギリスの医学を 学んでいます.2人の違いは科学・理論に基づいて考えるか,経験に基づいて考えるかです.鴎外は脚気に対する 麦食療法は科学的でないと退けました.しかしこれはその後のビタミンB1の発見で科学となったのです.つまり 自分達の科学の未発達を非科学的と言っていただけなのです. 少し話は変わりますがこれと似たようなことに,西洋医学者(日本の医学部出身の医者は全てここに含まれる) による東洋医学の軽視というものがあるように思うのです.日本の医者は漢方薬をあまり信用していない傾向が あると思うのです.しかし実際漢方薬というものは,患者の体質にぴったり合えば,びっくりするほどよく効く ことがあるのです.それなのになぜ日本の医者が西洋薬(いわゆる病院で処方される薬)ばかり信用するかというと, 西洋薬は程度の差こそあれ,基本的に必ず効くようにできているからです.それに対し漢方薬は効くときも効かない ときもあります.また漢方薬は,1つの薬が,互いに無関係に思える複数の症状に効くのです.それは経験に基づいて, 処方がなされているからです.なぜ効くのかはあまり解明できていません.つまり,西洋薬は科学であり,漢方薬は 経験なのです.漢方薬は科学的でないゆえに信用しない医者もいるのです.しかし患者さんの側からいえば, 科学的であろうとなかろうと,効けばいいのです.実際よく効く症例があるのだから医者はしっかりと東洋医学に ついて勉強していなければいけません.しかし,実際日本の医学部で東洋医学の講座を設けているところがあるで しょうか?東洋医学は経験であり,科学でないというのが,医学部に東洋医学講座がない理由でしょう.しかし, 将来的には東洋医学の謎も科学で解明できるはずです.現在少しずつ,解明できているものもあります. 実際には病院で,医者が漢方薬を保険で処方しています.漢方薬が効くと知っている医者は独学で漢方を勉強し, 処方を考えているのです.医者に漢方薬を使わせるなら,しっかりと学生時代に教えるべきです.そして医学部でも 東洋医学の科学的研究をすべきです.それをしていないのは,やはり,東洋医学を軽んじているからではないでしょうか. Time : 1998/10/24(土) 21:56:44
Name : 横山 雅彦 E-mail : Title : お礼 Comments: 管理人様、ご返事ありがとうございます。SAPIOによれば次の号から「逆説のニッポン歴史観」 が再開されるそうで、今から楽しみです。井沢先生の体が一番であることはわかっていますが、 「逆説の日本史」も一刻も早く再開されることを願っています。それでは井沢先生によろしく お伝えください。 追伸 新聞の名は「三陽新聞」ではなく、「山陽新聞」です。 Time : 1998/10/25(日) 10:30:45
Name : 横山 雅彦 E-mail : Title : お礼 Comments: 管理人様、ご返事ありがとうございます。SAPIOによれば次の 号から「逆説のニッポン歴史観」が再開されるそうで、今から楽 しみです。井沢先生の体が一番であることはわかっています が、「逆説の日本史」も一刻も早く再開されることを願っていま す。それでは井沢先生によろしくお伝えください。 追伸 新聞の名は「三陽新聞」ではなく、「山陽新聞」です。 さらに追伸 うっかりして改行を忘れました。前の投稿は削除しておいてくだ さい。 Time : 1998/10/25(日) 10:33:32
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 再びお詫び Comments: 東京リリアン様 >こら!大阪JF生!! >てめえ、また掲示板をこわしやがって >たいがいにしとけ!!! お怒りごもっともです。どうもすみません。 まだ修復できていないので、BBSの皆様には 引き続きお迷惑をおかけしています。 重ねて、お詫びいたします。  原因はおそらく小生が使っているエディタの仕様を 良く分かっていなかったことにありそうですが、 確定したことはいえませんけれども、外部エディタを お使いの方は少しご注意ください。 Time : 1998/10/26(月) 09:43:05
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 大島様へ Comments: 大島様の記事の最後のところ >そして井沢さんならそれができるであろうと期待 >しているのです。是非コメントをお願いいたします。 は、井沢先生に求められているのですね? もし、小生あてでしたら、おっしゃっていることは分かるの ですが、「史観」「怨霊」支持派がKANAK様にそれを 求めても無理なような気がします。 水を飲む気のない方に飲ませるのは ほぼ不可能だと思います。 そこで、ニュートラルな立場の大島様にお願いしたのですが・・。 元々少し困難でぶしつけなお願いだったと思いますので、 拒否されるのは当然かもしれません。 おそらくよけいな横やりだったのでしょう。 どうも勝手なお願いをしてすみませんでした。 Time : 1998/10/26(月) 10:25:45
Name : 東京リリアン E-mail : Title : 反省 Comments:  大阪JF生 様  ついかっとなって怒鳴ったりして... 本当に申し訳ございませんでした。 Time : 1998/10/26(月) 16:33:57
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 掲示板の修復について Comments:  ちょっと目を離した間に、また、掲示板がちぎれてしまったようです。土、日 をはさんだために、技術的な対応が遅れて、御迷惑をおかけしています。  今回は、ちょっと手間がかかり、修復には数日を要すると思いますが、どうか 御容赦ください。  また、大阪JF生さんを、この件で責めることはおやめください。確かに、あ る種のエデイタに原因が求められますが、掲示板のプログラムに技術的な処理を 施すことで、トラブルの防止は可能です。しかしながら、半面、プログラムに様 々な制約が生じるそうです。(サイト側の技術者によれば、この掲示板には、画 像を貼りこむことも可能だといいます)  ともあれ、掲示板の増設と機能アップ、ライブラリーの新設など、改善策を詰 めていますので、しばらく御猶予ください。                       管理人   能 Time : 1998/10/26(月) 19:17:32
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 謝辞その他 Comments: 管理人様  ご迷惑ばかりかけてすみません。 寛容なご対応ありがとうございます。 よろしくお願い申し上げます。 東京リリアン様  お気になさらないでください。 べらんめえ調でお叱りを受けかえってすっきりしています。 (故上田吉二郎を連想したのですが年が知れますね) これからもご意見お聞かせください。 ゆみこ様  森鴎外に関するご意見読ませていただきました。 東洋医学に関することも含め、大賛成です。 また、小生がビタミンの種類を間違えていたようで、 さりげないご指摘ありがとうございます。  まったくいいかげんな知識ですみませんでした。 Time : 1998/10/27(火) 09:42:36
Name : ど素人 E-mail : http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8402/ Title : 別の掲示板を作って!! Comments: 議論のないページを一つ作ってください。 込み入った内容が多いので ビギナーにはどうにも入りにくいです。 井沢先生の病状は今はどうなんでしょうか? なんだかすごく心配です。 Time : 1998/10/27(火) 13:19:29
Name : 石井一旭 E-mail : Title : 秋の鞍馬の夜は寒かった。 Comments: 風邪をひいたり鞍馬山に篭ったりしていたためパソコンは久しぶりです。 ええと、なんだかその間に例の「天智論争」に関して 大島さんと大阪JF生さんとの間に論議があったようですね。 私もこの問題に関わる片割れとして発言させていただきたいと思います。 まず私の立場を明確にしておくと、私はそもそも先日のKANAKさんの「天智暗殺説への疑問6」 (過去ログが現在表示されていないので 記憶を頼って書いてます。間違っていたら、ご容赦ください。) をよんで、氏が井沢先生の「逆説の日本史」を読まずして天智暗殺説を 論じていた事に対して反駁したのです。 そしてその例証として三井寺の問題に触れたのです。 そこでKANAKさんからの反論が寄せられたのですが、 そこに確か「三井寺を誰が建立しようと天智暗殺説には 関わらないと思いますが・・・」といった趣旨の事をおっしゃっていたと記憶しています。 これは氏が「怨霊史観」を理解していない、あるいは相手にしていないという態度表明ではないでしょうか? そもそも天智問題に何故三井寺が絡んでくるかといえば、 そこに「怨霊説」があるからではないですか? 少なくとも私は「三井寺問題と天智暗殺はおおきくかかわっている」 と判断して(そしてKANAKさんもそれを承知していると 思って)議論を受けたのです。 それを関係ないといわれると、私の反論もKANAKさんの 反論も本来の論題である「天智暗殺説」から かけ離れたものになってしまいはしないかとの危惧を 私は抱いたのです。 >ですから論評しないという返事になるのは当然のことと >思います。 こう言われると、私としては反論の仕様もなくなり、 議論の方も「天智暗殺説の是非」から逸脱してしまうと思いますが・・・。 Time : 1998/10/27(火) 14:33:45
Name : 輔住 E-mail : Title : 天智問題 Comments: 私もきのうまでしばらくコンピュータに触ってなかったので、 前半部分が良く分からないのですが、天智問題で動きがあった みたいですね。KANAKさん、あなたが天智問題と三井寺が 関係ないと思う理由を教えてくれませんか? 「関係ない」だけでは納得できないのです。 それに大阪JF生さんや石井一旭さんも何をいっていいのか 分からないと思います。 Time : 1998/10/27(火) 18:16:12
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.r.jp Title : ど素人 様 Comments:  議論の場ではない掲示板を別に作ってほしい、との御希望を確かに承りました。 おそらく、御期待に添えるかと思います。また、他の方の投稿を参照しながら、自 分の意見を書き込める「ポップアップ」機能など、掲示板の機能をパワーアップす ることも検討しています。    井沢の健康をお気づかいいただき、ありがとうございます。手術した目は、順調 に回復しています。ただし、雑誌等の連載は一旦再開すると容易には休載できない ので、慎重に再開時期をみはからっているところです。テレビや講演の仕事には復 帰しております。                     管理人 Time : 1998/10/27(火) 19:28:49
Name : まさまさ E-mail : masaoka@e-press.co.jp Title : 先生のSF物が好きだ! Comments: 「瀧夜叉姫」毎日楽しく読んでいます。 ところで「復活シリーズ(レイ・ヤマト)」は もう書かないのですか? Time : 1998/10/28(水) 10:27:07
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 日本に政治はあるか? Comments: よく考えてみたら、有史以来、日本の政府と言うのは 行政は地方の自治に任せて、 問題が起こった時の調停者、公正な裁判官としての機能しか持たなかったのではないかと思います。 鎌倉時代と江戸時代が顕著です。 例外は、律令制度が機能していた時代と、 明治から現代にかけてです。 最近地方自治が叫ばれていますが、自然なことだと思います。 特に外敵もなく、自然も厳しくない日本において、 膨大な官僚制度と、重税はなじまなかったのではないでしょうか? 逆に、国難が迫れば、緊急避難的に、組織的な政府が作られ、 日本人も率先して支えるのどと思います。 しかし、目先の問題がなくなると、政府は無用の長物としか映らなくなり、 日本人は、現今のように、金や利権をふんだくることにしか政府に価値を見ることができなくなるのだと思います。 日本人が、なぜか政府に悪口しか言わないことの、原因の一つだと思います。 Time : 1998/10/28(水) 13:46:48
Name : 石井一旭 E-mail : Title : 天智問題の補足 Comments:  天智論争に関して、若干の補足をしたいと思います。 大島さんは以前に >しかも今回の論争の争点に関しては怨霊信仰の有無を考えるかという事は >全く関係ないことだと(KANAKさんは)思っておられるようです。 と書かれておりましたが、(括弧内は引用者) こうなると「園城寺論争」と「天智暗殺説」を繋ぐものがなくなってしまいます。  私は前回KANAKさんへの反論にいろいろ資料を持ち出して反論しましたが、 それはKANAKさんの持ち出された資料的反論に対して 私が「資料的に井沢説が立証できないか?」と考えた上で私なりに行ったものです。  しかしよくよく考えてみると、天智問題に園城寺が絡むのは 怨霊信仰あってのことなのです。そしておそらくKANAKさんは 「誰が園城寺を建てようと天智暗殺問題には関わらない。」との 趣旨の発言から怨霊説を否定しておられるものと思います。  私がKANAKさんに明示していただきたいのはこの点です。 すなわち、KANAKさんは怨霊説をどう思っているか、という事です。 あるいは怨霊信仰の原則、つまり「怨霊を祭るのにもっとも適しているのは その子孫である。」といった事などをご存知かどうか、なのです。  ですから私は、そして恐らく大阪JF生さんもでしょうが、 KANAKさんに「怨霊説を信じろ」と言っているのではありません。 ただそのように歴史を見る事に対しての態度表明を求めているのです。  もしKANAKさんが怨霊説に否定的ならば、私の反論もまったく空しいものになってしまう との危惧から、前回の反論の最後に「怨霊説に関してどう思いますか?」と 質問させていただきました。  KANAKさんが資料に非常に忠実な方だとするなら、(今までの文章や反論からして、 多分そういう方なのでしょうが)「怨霊信仰は桓武以後だ。」と考えておられるのかもしれません。 繰り返しますが、そうであるなら「天智暗殺説の真偽を問う」という 本議論の根本的意義が失われてしまうのです。  結局の所どうなのでしょう? KANAKさんは「怨霊説など成り立たない、だから、天智問題とは関わらない 園城寺問題は相手にしない」と考えておられるのでしょうか?前回の 文章を見ると、どうもそんな感じがするのですが・・・。  大島さんにはご足労でしょうが、ぜひともそこの所にたいしての 明快な解答をKANAKさんより聞いていただけないでしょうか?  よろしくお願いします。 Time : 1998/10/28(水) 16:38:40
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : ちょっと視点を変えてみたら? Comments: 怨霊史観のことで、熱い議論が交わされています。 しかし、井沢先生の著作からだけで議論をしょうとしたら、 どうしても資料も見方も限られたものになりがちです。 ここらで、怨霊史観を取り上げている、別の著述家の理論も見てみるとよいのではありませんか? これでは、井沢先生の作品に重圧がかかりすぎるでしょう。 私は、その手の作品は、梅原先生の、 「隠された十字架」「水底の歌」「さまよえる歌集」「聖徳太子」しか読んだことはありませんが、どれも面白いですよ。 議論を見ていると、堂々巡りになりがちのような気がします。 私は、詩人や天才が一瞬で到達したところに、 学者が学問的に厳密に研究して、30年かかったとしても、 それは学者として正しい態度だと思います。 ただ、権威になったらお仕舞ですけれどね。 私の経験からすると、人間の思考と言うのは変わらないものです。 怨霊信仰だって、コンピューターのある現代でも残っています。 普段は、そんなこと気にもとめませんが、 土壇場に追い詰められると、日本人の心には、自分の意思に反して怨霊や占いのことが頭に浮かびます。 怨霊信仰が平安時代にできたとしても、それが1200年も残ったのです。 ならば、早良親王の怨霊がいくら強烈だったとしても、 何もないところから突然怨霊信仰が沸いて出たとは考えにくいです。 やはり、桓武天皇は早良親王が死ぬ前から怨霊信仰を持っていたと考える方が無理がありません。 怨霊信仰が、日本人の行動を規制する第一要因となったのは確かに平安時代からだったかもしれません。 奈良時代や、飛鳥時代の人たちは、かなり合理的な考えをしていますからね。 特に、国際感覚は、現代の日本人なんか比べ物にならないほど優れていました。 でも、たとえ第一要因でなくとも上代の人たちも怨霊信仰は必ず持っていたでしょう。 それに、天皇家自身が権謀術策の張本人だったということは、 彼らが権力の中枢にいたことの証拠に他なりません。 別に、大海人皇子の手が天智天皇の血で汚れていたとしても、 日本史や今の天皇家を汚すものではありません。 大体、そんぐらいでなければ、英雄とは言えないでしょう。 日本の古代史は、現在信じられているよりもダイナミックなものだったと思います。 Time : 1998/10/29(木) 12:36:02
Name : ど素人 kotoとてちん E-mail : http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8402/ Title : 管理人様 Comments: ありがとうございます。がんばってくだしゃい。 期待しております。 Time : 1998/10/29(木) 13:36:07
Name : 薩摩人 E-mail : Title : お久しぶりで、ごわす Comments:  久しぶりにのぞいてみました。 なんか掲示板が軽くなった (パソコンのこと。内容ではありません)と思ったら、故障中だったのですね。  ど素人様、管理人様  議論の場でない掲示板の件、大賛成です。 今の雰囲気はどうも書きこみがしにくい様な気がします。    天智も天武も1300年後に自分たちがこんなに議論のネタに なっているとは、きっと草場の陰でびっくりしていることと思います。  ところで、よけいなことかもしれませんが、また2点質問があります。  大阪JF生様  お名前の読みは「オオサカ ジェイエフオ」ですか。 ちょっとひねって「オオサカ ジェフオ」ですか。よろしければ教えて下さい。  もう1点は誰に尋ねたらいいのかもわからないのですが、 「KANAK」様の読みは「カナカ」。いや、ぐっとひねって「上から読んでも 下から読んでもKAN」でしょうか。みなさんはどう読んでますか。  もし、この掲示板がこのまま千年以上、人目に触れずにいきなり 発見されたら、後世の人たちはきっと頭を悩ませることだと思います。  どうか、よろしくお願いします。 Time : 1998/10/29(木) 16:07:46
Name : 大島重雄 E-mail : bxw02272@nifty.ne.jp Title : 石井さんへKANAKさんからの返事 Comments: 怨霊信仰について論評をしないというKANAKさんの姿勢を私から説明したの ですがどうも御納得いただけないようなのでKANAKさんより怨霊信仰の歴史 における影響についてのコメントをいただきましたので以下にUPさせていた だきます。 <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< いわゆる「怨霊史観」についての考えを以下のとおり追加いたします。 1.死者の復讐に対する恐怖は、人類一般に認められるものである。   ギリシャ悲劇・シェイクスピア悲劇・中国小説等においても「幽霊=怨霊」   の復讐は一般的題材となっている。 2.従って、我が国においても特定の歴史局面で死者の復讐に対する恐怖が行   動の動機に成ることも有り得る。 3.我国においては苛酷な民族的対立が少なかったこと、或いは「絶対神」や   「儒教」と言った「普遍的思想」が根付かなかったこともあり、他国より   もこの様な原始的感情が強かったかも知れない。(理由は単に推測です) 4.しかしながら、歴史上の人間行動の動機は様々であって、特に死者の復讐   に対する恐怖を中心に考えることは出来ない。 5.歴史事象の考察に当たって、個々具体的に「死者の復讐に対する恐怖」を   検証することも当然ありうるが、要はその結果が歴史事象の解釈に当たっ   て、より妥当性・適合性があるかどうかを個々に判断すべきものである。 以上です 例えば・・・私が現在 #1996で井沢さんに疑問を呈している以下の部分を論じ るに当たって「怨霊史観」は全く関係が無いと思います。 (以下一部抜粋再録)               *********************************************************************** #1405 >つまり持統は天智の娘、文武は天智の母系孫、元明は天智の娘、元正は天智 >の母系孫、聖武は天智の曾孫、孝謙/称徳は天智の曾々孫です。 >廃帝淳仁以外は何れも天智とは血統で繋がっています。 >(この血縁関係を全面的に否定するならば別ですが・・・要するに淡海三船 >と同じ立場ですね。)) >彼等は自らの母系祖を悪逆紂王になぞらえさせるでしょうか? >私には人情として信じられません。 >さらに万々一、彼等がそれを認めたとしても49光仁、50桓武は一片の勅令で >天智の諡号を容易に変更出来る筈ですね。何故自らの直系祖である天智を紂王 >になぞらえたまま放置するのでしょうか? #1744 >さらに、肝心の部分ですが・・・「天智」が紂王の身を飾った玉の名であった >としても、「天智=紂王」とは限らないでしょう。 >「天智玉五在火中不銷、半天智玉武王則寶與同、注、天智玉之上天美者也」 >・・・とは、紂のような悪逆王の身を飾っても、共に亡びることなく上天の美 >を保ったという意味を示しているとも考えられるからです。 >「天智天皇」諡号が紂王を示唆しているという決め付けは、これらの諸点から >も余りに短絡的ではないでしょうか?(別観点からの疑問は#1405でUP済み) そもそも、井沢さんは「書紀」に関して 「では、この編纂の責任者、現代風にいうなら編集長である舎人親王とは何者か といえば、天武天皇(大海人の皇子)の息子なのである。そして「書紀」が完成 した720年(養老4)とは、天武の玄孫である元正女帝の治世なのである。つ まり「日本書紀」は、天武天皇の時代にきっかけが作られ、その孫の女帝の治世 に、息子である編集長が完成させた史書なのである。」 逆説の日本史2 P214 という「天武系天皇の大本営発表論」を展開されていますね。しかし良くお考え 下さいね・・・仮に井沢さんの筆法を持ってすれば 「・・・大本営発表であり、かつ天智系天皇のGHQ(?)検閲を経て公認の 「正史(諡号)」として、その後も尊重され続けたものでもある・・・」 なんですよ。 「桓武天皇」どう見ても自分に転げ込んだ皇位の正統性を「天智天皇」直系に求 め、天智を最大限に持ち上げた天皇でしょう? その政権・・或いは後継政権下において「天武系大本営発表の書紀」及び「天智 =紂王」を意味する「諡号」を何故に公認し、尊重し、講義し続けたのですか? 或いは「彼等」は早くも「天智=紂王」とする「諡号」の意味を忘却したとでも 仰るのでしょうか? 私には理解出来ません・・・この点に関する井沢さんのご見解を是非お聞かせ頂 きたいと存じます。              ************************************************************************** また、前回のRESにおいて・・・以下のように申し上げましたが(以下再録) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >>2・怨霊鎮魂の最適任者はその子孫である事から、大友皇子の子である >> 与多王が三井寺を建てたという寺伝はきわめて納得の行くものであ >> る事。 >怨霊鎮魂については・・・論評いたしません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは次の理由です。つまり・・・ A.亀丘古墳は大友皇子の墳墓である。 B.三井寺は亀丘古墳の関連寺院である。 ↓ C.三井寺は大友皇子の「怨霊鎮魂」の寺である。 ↓ D.怨霊鎮魂の最適任者はその子孫である。 ↓ E.大友皇子の子 与多王の三井寺建立という寺伝は極めて納得出来る。 ・・・において、前提となるA・Bを議論している訳ですから、D・Eを論評 する必要は無いだろう・・・と言うことなのです。 次ぎに「新羅明神」ですが、(以下再録) ************************************* 「天智・大友親子の怨霊に対する押さえとしてである。・・・親新羅政権である          ^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 天武王朝が、新羅の神を祀ったのだ。」 P369 「ここで、天智と天武の立場は逆転した。・・・そこで円珍は、新羅明神を丁重 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ に祀る必要があったのだ。」 P370 ・・・と言う「論理?」に疑問を感じられませんか? ************************************* の意味するところを申し上げますと・・・ 「怨霊史観」には「怨霊鎮魂」のために「敵対神」を押さえとして祭祀するこ とがあるのでしょうか? これでは「怨霊」は益々怒り狂う様な気がします。 さらに、「怨霊史観」では復辟政権が自分達への「押さえのための敵対神」を 丁重に祀る必要があるのでしょうか? 滅ぼした者の「怨霊」を丁重に祀るのとは全く異なる思想であり、その必然性 は何に基づくモノなのでしょう? ・・・と言うことなのです。(正直に云って、良く分からないのです。) 私は、確かに井沢さんの「怨霊史観」については良く知りません。 しかしながら、井沢さんがほぼ追随されている(?)「梅原怨霊説」について は明確に疑問を抱いています。 例えば・・・昭和48年に坂本氏が「梅原怨霊説」を批判された次の論文があ ります。(当然井沢さんもご存じの筈ですし、或いは著書の中で既に反論され ているかも知れませんが・・)私はこの坂本氏の見解の方が遙かに納得出来る ものだと考えていますので、皆さんも興味をお持ちの「四拍手問題」を中心に 一部抜粋紹介いたします。 法隆寺怨霊寺説について(二) 二 法隆寺と出雲大社の対比、及び偶数性四と死との連想  梅原氏の法隆寺怨霊寺説には重要な前提がある。それはたたり神についての氏 一流の理解に始まる。氏によると、個人で神々に祭られるのは、 (1)一般に政治的敗者が多い。 (2)その時彼等は罪なくして殺されたものである。 (3)その罪なくして殺された人が、病気とか天災・飢饉によって、時の支配    者を苦しめる。 (4)時の権力者は、そのたたりを鎮め、自己の政権を安泰にするために、そ    のたたりの霊を手厚く祭る。 (5)それと共に、そういうたたりの神の徳をほめたたえ、良き名をその霊に    追遣するのである。 神話に伝えられる大国主神や平安時代の菅原道真などには、こうした筋書きは ピッタリであろう。しかし、これが一般的に日本の神のあり方だとは言えない。 ・・・・・・ 出雲大社にしても大国主神の死霊を祭っているというのは独断である。 ・・・・殿内に閉じこめて、魂の外に出ることを禁ずるという思想は、毛頭そ こには存在しない。 このように、法隆寺と出雲大社との類似を説くのは、もともと無理であるが、 梅原氏は別に偶数性の原理、四と死との連想から法隆寺に死の影のまつわるこ とを力説する。偶数が奇数に比して不吉であると果たして言えるのであろうか。 周易では・・・・・しかし、日本では偶数の方を貴ぶ。神話の伝説でも、八百 万神といい、大八州国といい、・・・・・。 四と死を連想することは、後世になってはいざ知らず、少なくとも飛鳥・奈良 の時代にはなかったことであると思う。・・・遣唐使が四船で組織されたこと などは、死の恐怖にもっとも敏感な人の間でも四の数が決して忌まれていなか ったよい証拠になろう。・・・・ 梅原氏はまた四と死との連想を強調しようとして、出雲大社ではカシワ手を四 つ打つ。カシワ手を四つの神社は他にはないという。しかし、このことは出雲 大社が大国主神の死霊を祭ったという証には少しもならない。神に対し四拝ま たは四拍手することは、日本古来の一般の風習であり、出雲大社に限ったこと ではない。今日出雲大社で四拍手を行うとすれば、それは旧儀を忠実に伝えて いるだけのことである。 四拍手が古礼であることは、『儀式』巻三践祚大嘗祭儀に、・・・・跪いて手 を拍つこと四度とあり、・・・・・『日本後記』延暦十八年・・の文もある。 これによって正月朝賀の拝は通例四拝であったことがわかる。渤海使の参列を 慮って四拝を再拝にかえたというからである。 これについて、平安時代 藤原公任の著した『北山抄』の説明は丁寧である。 『本朝之風、四度拝神、謂之両段再拝』・・・これらの文献によって、四拝が 決して珍しいことではなく、古来から伝えられた慣習であること、従って死の 観念などの介入する余地の全くないことは、明らかであると思う。            「日本古代史叢考」 坂本太郎著 吉川弘文館                        98/10/26 <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< 以上原文のまま転載させていただきました。   Time : 1998/10/29(木) 21:19:50
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 薩摩人様へ Comments:  余計なことで、悩ませてすみません。 何のひねりもなく、 「おおさかじぇいえふせい」 とお読みください。 当方まだまだ修行中の身という意味で、 学生・書生の生をつけました。 今後ともよろしくお願いいたします。  ただ、小生の気持ちとしては、 ユーモアあふれるほっとするような記事もないと、 論争のみのページでは、 性格的にやりきれない気もするので、 どんどん気楽に投稿していただきたいと思います。 (またでしゃばって、管理人様すみません。) Time : 1998/10/30(金) 10:00:42
Name : 薩摩人 E-mail : Title : お気楽、極楽 Comments:  大阪JF生様  お返事ありがとうございました。 申し遅れてすみません。わたしも全然ひねりなどなく「さつまじん」です。 因みに、今の鹿児島の人は「ごわす」とか言いません。あれはテレビや小説だけです。 もっと詳しく言いますと、小学生か中学生1・2年までは凄まじいほどの 「さつまべん=さつおん」で話しますが、それからピッタリと止まり 妙に標準語っぽくなり、変な丁寧語になります。そしてじいさんや、ばあさんになると またさつおんに戻ります。わたしの考察?によれば特に鹿児島市内では 90%以上の人がこうなります。(他の地区や離島はちがうみたいです。)  ところがですね、酒を飲んで他県の人と西郷隆盛・大山巌・東郷平八郎のこと 明治維新や日露戦争の話になると、自慢気になり急にさつおんを連発しだします。  これは、ごく限られたほんのひとにぎりの人です。(わたしのことか?)  とりとめのないことを書きました。「逆説の日本史」がはやく近現代にこないかなと 思ってます。怨霊信仰や宗教を通じて、この時代をみたらどうなるのか とても期待しています。 オオクニヌシと出雲大社、アマテラス=卑弥呼で 邪馬台国と宇佐神宮と天皇家の関係など「スバリ!その通りだ」と思わせる 説得力がありました。あの切れ味でこれからも日本史をズバズバぶった切って 頂きたいです。もちろん、先生の体調第一です。5年でも10年でも待ってます。 Time : 1998/10/30(金) 11:55:25
Name : 輔住 E-mail : Title : 投稿 Comments: 大島さん、KANAKさんへ:いままでKANAKさんの歴史の見方が  あまりよく分からなかったのですが、今回の記事でよくわかりました。  どうも、ありがとうございます。 大阪JF生さんへ:いままで「おおさかじぇいえふお」と読んでました。すいません! ちなみに私のペンネームですが、読み方まで考えてなかったので自分の読みやすいように 読んで下さい(笑)。 Time : 1998/10/30(金) 12:48:30
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : もろもろ、お待たせしていますが... Comments: >きんたろう様  上海出身の青年実業家にして、華東師範大学の客員教授務める知人に近く取 材であうことになると思いますので、中国の道教の寺院などに「鳥居」に類す るものがないか、尋ねてみるつもりです。  忠清北道出身で、韓国政府の高官を務める友人は、「村への入り口に当たる 場所で、道の両脇に2体の守護神像を立てている」と教えてくれました。 >大蔵様  『逆説の日本史』シリーズの、最新文庫本は、井沢によれば「12月じゃな かったかな」とのことです。 >掲示板が重いと、御不満の皆様  井沢から、最終的な了解が得られましたので、掲示板の改造、ライブラリー の新設に、近く踏み切ります。掲示板については、サイト側で新機能の導入を 研究しており、段階的なパワーアップになろうかと思います。 >「天智天皇暗殺説」論争を、もっと理解したい方へ  古代史研究家の小林恵子さんとの対談集、「『記紀』史学への挑戦状」(現 代思潮社刊)が発売されました。中国や朝鮮の厖大な史料を駆使する小林さん と井沢の対談は、あなたの疑問を大いに解き明かしてくれるでしょう。                     管理人 Time : 1998/10/30(金) 22:46:13
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 掲示板について Comments:  この掲示板を、とりあえず、「ふぉ−らむ」と「とまり木」に分ける予定で す。「ふぉ−らむ」は、歴史談義、現代批評など、様々な意見交換の場にいた します。また、「とまり木」は、馴染みの酒場やカフェに寄ったつもりで、気軽な会話を楽しむ場です。  実は、井沢のHPのグラフィックデザインは、書籍の装丁デザインなどを手 掛けているプロのグラフイックデザイナ−さんにお願いしているので、そのスケジュ−ルが心配です。年末進行といって、出版界はこれから大忙しになるも ので...。(書籍も年内は12月初旬までに書店の棚に並べなければ、とか不文 律があって、急かされるのです)                       管理人 Time : 1998/10/30(金) 23:14:59
Name : 藤田 潔 E-mail : kfj@mail2.netwave.or.jp Title : 「死ぬまでの僅かな時間」について Comments: 井沢先生の新作「死ぬまでの僅かな時間」を読みました。現代ミステリーであり、 また歴史に対する考察がほとんどないのは、先生の初期の短篇集を思い起こさせま した。ところで、2時間ほどで読み終えるほど面白かったものの、小説の内容に ついては、少しだけ疑問を感じました。 1.ナイフで腹部を一突きして、速やかに殺人を遂行するには、それが大血管を 損傷する必要があります。その場合被害者は大量出血をし、心臓が止まります。 この時凶器を抜去すれば、返り血を浴びるものでしょうか? 2.レイプ殺人の被疑者の無実を証明するには、アリバイもありますが、体液の 鑑定をすれば一発だと思います。犯人像を絞るにも有力な証拠と思います。しかし、 それに対する話が出てこないのは何故でしょうか? 3.主人公の行為と心理には突飛なものを感じます。これは犯人と対比させるためなのでしょうか?  以上、専門が法医学でも、心理学でもないが、少しばかりは関連領域で仕事をする者の疑問です。 井沢先生、あるいは管理人様に回答をいただければ幸いです。 Time : 1998/10/30(金) 23:27:09
Name : 藤田 潔 E-mail : kfj@mail2.netwave.or.jp Title : 大杉 博著「天皇家の大秘密政策」について Comments:  もう一つ最近読んだ本のことです。在野の歴史研究家大杉 博氏の「天皇家の大 秘密政策」の中には邪馬台国について井沢先生と論争をしたと書いていました。  確かに四国の山上に邪馬台国があったというのは面白い意見だし、それを証明す るのが、井沢先生とは手法が異なっており、面白いと感じました。また四国在住の 者として、四国山脈の高いところに何故集落があるのか不思議には思っていまし た。また、もし著者の説が本当なら、天皇家の姓は「天」であったのではという、 井沢先生の説とも合致しそうで面白いと思いました。  しかし、現在でも冬はとても寒い四国の山間部で、本当に古代に国家をなしてい たのかという疑問を感じますし、天皇家がその出自を隠す理由が、本著では古代ユ ダヤと結び付けており、あまりに荒唐無稽ではないかと思いました。また著者は皇 統が交代していたはずとか、天武は正当な皇位継承者ではなかったはずだというこ とを考慮もしていません。  さらにもし四国が本貫なら、そんなところに崇徳上皇など何人もの天皇を遠島に するはずがあろうかという疑問がわいてきます。  これらの点につき、皆さんどうお考えでしょうか? Time : 1998/10/30(金) 23:56:48
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 観ました? Comments: 突然ですが皆さん、昨日(今朝)の「朝生」は観られましたでしょうか。 どう思われたかお聴きしたく質問してみました。ちなみに私は、 松井氏の男性を馬鹿にした発言にただただあきれるばかりでした(苦笑)。 >管理人さん・井沢さん ありがとうございます。12月ですね。楽しみに待っております。 Time : 1998/10/31(土) 11:27:42
Name : 薩摩人 E-mail : Title : 邪馬台国は山の上にあった? Comments: >藤田 潔 様  邪馬台国がどこか、ほんと興味は尽きませんよね。天皇家がユダヤ人である、 という説は私も読んだことがあります。(作品名、著者は忘れました。10年以上前です)  ・ 日本とユダヤの言葉や習慣・風習に多くの共通点がある。  ・ 藤ノ木古墳の被葬者が身に付けていた金具とダビデ王の紋   章が同じで、    伊勢神宮にも同じものがある。  ・ 皇族の人相(顔つき)、特に鼻がユダヤ人のようである。 だいたい、こういう内容で、その中に「四国にソロモン王の財宝があって 天皇家とも所縁の深い地である」とありました。古代なので史料至上主義ではなく、 仮説を基に現地を訪れ伝承や考古学の発掘物等で実証していくスタイルでしたが、 藤田さんがおっしゃるように荒唐無稽の感がありました。それは今になって 解ったのですが、個別の事象をポツン、ポツンと取り上げるので 前後の繋がりが 無いのです。これに対し「逆説の日本史」では怨霊信仰、宗教を核に据え、 これを通じて歴史を見直すので、どこから読んでも理解しやすいのだと思います。  日本史は異民族による征服王朝がない?ので、通史はやりやすいそうですが、 なかなか良いものがありませんね。家や血統による「大本営発表」が原因でしょうか。  今後ますますの先生の奮戦が期待されるところですね。  せて、邪馬台国は四国の山上か?私は先生の説の宇佐神宮と思いますが、 山の上というのは結構いけるかなと思いますよ。(山頂は別です)  山上のちょっとした平地を、○○台とか○○ノ台とか言いますよね。 「山の上→ヤマノダイ→ヤマタイ」、あまりに短絡的でしょうか(笑)  また、軍事的に考えると「城=支配者の所在地」が平地におりてきたのは、 秀吉の大阪城からでしょう。平城京や平安京、その他の宮殿も軍事的に 外敵が侵入しにくく、いざという場合逃げやすい位置だと思います。 信長の安土城でさえそうですし、鎌倉や福原もそうです。  邪馬台国といえばかなり戦争があってたみたいだし、中国大陸や朝鮮半島の 脅威もそうとうあったと考えられるので、私が王なら山の上に住むかもしれません。  四国でひっかかるのは、当時の生産力がどうだったかな?という点です。 弘法大師の時代でも少雨に苦労しているし、鉄の産地とかはあったのでしょうか。 海運は瀬戸内づたいに関門海峡を抜ければ、対馬や朝鮮半島へもいけるので 問題ないと思います。(でもちょっと潮目がきついですかね?)  遠島の件は、人里に居てもらっては困るが、ほったらかしにする訳にもいかない人を 隔離するのに未知の場所より状況がわかっている場所の方が、監禁し易い と考えると、天皇家と四国は何か関係があるのかもしれませんね。  宇佐神宮は先生の説以外にも、なかなかいい線いってます。 生産力は北部九州で問題ないし、九州西岸から上陸すると宇佐はかなりの 山越えとなり、九州東岸に位置します。それに阿蘇や高千穂へと連なる山々は なんとも言えない良い雰囲気があります。いざという場合は海を渡ってすぐに 四国や近畿へ逃げることもできます → 重要(笑)  「卑弥呼=アマテラス=太陽神」とすると、国東半島は北部九州では唯一、 海からの日の出が見れる場所です。これは呪術的にとても重要と思うのですが。 Time : 1998/10/31(土) 12:43:18