Name    : DEHA
E-mail  : 
Title   : はじめまして
Comments:
はじめまして DEAHといいます。
いつも皆さんの読ませていただいております。
今日は書き込もうと思ったのは、邪馬台国ではないんですが、
サッカーのワールドカップ(以下W杯)のことです。

2002年日本と韓国で、ワールドカップ(W杯)が開催されるのはご存知だと思
います。
このことはご存知の方もいると思いますが、その名称の表記で韓国と論議?(クレ
ームが正確)になってるそうです。
説明しますと
W杯の正式名称は
「2002年FIFAワールドカップ韓国/日本」です。
英語で
「2002FIFA WORLD CUP KOREA JAPAN」
FIFAは協会名です。
まあ、問題は韓国と日本の順番なんです。
このあたりはFIFAが決め決定したことなんですが
アルファベットでみればJが先だから日本が先と思うんですが、フランス語では
Kの方が先になるそうです。
FIFAという略語自体、フランス語らしいですしそれはいいんですが
FIFAは各国でのことには感知しないということで日本は、日本語での名称は
日本を先にしています。
これが韓国では気に入らないらしく、間違いやすいから正式(韓国を先に)しろと
いってきてるそうです。
日本としてはチケットに関しては国名をはずすそうです。
私はどっちでもいいんですけど、国内向けそれも日本語ということで限定ですし、
日本が先でも良いんじゃないかなあと思ってます。
どうも、このあたりでも主張する韓国、黙る(又は謝罪する)日本があるような気
がします。
ではでは

Time    : 2001/ 2/ 1(木) 20:22:17

Name : なかの E-mail : Title : そうですか。 Comments: なかのです。 DEHAさん(DEAHさん?)はじめまして。 そうですか。 私は個人的にサッカーにあまり興味もなく、 W杯自体にも関心がありませんので、 関係記事に疎くて申し訳ありませんが、 やっぱりここでも日本の外交下手が出ているとは・・。 外交下手といえば、今日(2月1日)の朝刊に、 首相の施政演説に当たり、有事法制に関する内容で 1人の大臣が執拗に反対したという記事がありました。 私が今更言うまでもないですが、 あの外相だけは何とかしてもらいたいものですね。 外相だけでなく部下の官僚も散々批判されていますけど。 あと2分裂した宏池会の両方から担がれている方も・・。 Time : 2001/ 2/ 1(木) 20:58:55
Name : マサヒコ E-mail : Title : アキ様   要旨:邪馬台国論争の必要性 Comments:  @はじめまして。アキ様。さて、あなたは邪馬台国の所在地を近畿とし、論争の必 要性がないことを述べられています。トンでもございません。ただいま学会では九州 説の方を支持している学者のほうが多居のです。僕が考えるに、近畿説はどうもコジ ツケが多いです。(南を東に間違えるなど・・・・」当時世界有数の海運国がそのよう な過ちを犯すとは・・・・)  Aなぜ所在地が重要視されるか????モチロン日本国家形成にあたり、どのよ うな経緯で大和朝廷につながったかということが含まれているのです。 Time : 2001/ 2/ 2(金) 21:17:58
Name : なかの E-mail : Title : 「3大欠陥」についても・・ Comments: なかのです。 マサヒコさま、アキさま> アキさん、はじめまして。 マサヒコさん、以前言いましたとおり、 茶飲み話の延長でおじゃまします。 邪馬台国論争、それも存在した位置について、 学会の支持とか専門家とか言われておりますが、 考古学の結論は別に多数決で決めるわけではありませんので、 数の多寡や趨勢はこの際あまり関係ないのではないでしょうか・・? また井沢先生は、特に考古学・歴史学の分野においては いわれる学会等における「3大欠陥」についてコメントしています。 この問題についても「3大欠陥」について触れられており、 それに則って井沢先生なりの調査及び研究をなさって、 「逆説」等で結論を出されています。 もしも、学会もしくは専門家について言われるのでしたら、 特に「作家同士の論争が主」とされているアキさんには、 いちおうは井沢先生のBBSですので、 井沢先生が述べられている「3大欠陥」についての意見や反論も 併せてお願いします。 Time : 2001/ 2/ 2(金) 22:24:24
Name : ウサチュウ E-mail : Title : それがそうでもない Comments: マサヒコさん、アキさんへ   はじめまして、アキさん。ウサチュウと申します。今後とも宜しく。  さて、議題の邪馬台国の所在についてですが、中国・朝鮮で使用されていた古地 図の発見により、畿内説が有力視されているとのことです。その地図によると日本 列島は東シナ海に北から南に横たわるように描かれており、南へまっすぐ「水行十 日陸行一月」(水行すること十日、さらに陸行すること一月)で畿内にたどり着く とのことです。 DEHAさん、なかのさんへ  W杯の正式名称ですか。私が聞いたところによると、日本は5年前(?)にFI FA、韓国双方に日本名称(日本が先)の了承を得たようです。但し、口頭で。去 年の秋に韓国側の代表団が変わり、今回の騒動になったようで確かに文書化してい なかった点は甘かったと言わざるを得ません。 Time : 2001/ 2/ 3(土) 02:36:42
Name : なかの E-mail : Title : そうなんですか? Comments: こんにちは、なかのです。 ウサチュウさま> レスありがとうございます。 ところで、古地図の件ですが、そうなのですか? それは知りませんでした。 もし分かりましたら、それが記載されている雑誌等について 名前及び一般人に入手可能かどうかを教えていただきたいと思います。 ウサチュウさんのレスを読んでいて気になった点がありますので・・。 (以下はウサチュウさんへの問いかけではありませんので、 回答はご無用です。) 1つは、「中国・朝鮮で使われていた」とされていますが、 その地図そのものが本物であると考古学的に検証されているのか、 その具体的内容(地名や国名など)について検証されているのか、 日本のどこかの国の人が直接描いたのか、それとも大陸で伝聞で描いたのか、 またそうならばいつの時代に作られて いつの時代までどこでどういう目的で使われていたものであるかということ。 2つは、「日本列島が北から南に横たわるように描かれていた」ことで、 中国東北部に高句麗という国が、朝鮮半島にも諸国があった筈ですが、 それらの国からは越の国があったとされる日本の福井県や 因幡の国の島根県との往来はどうだったのか、 あったとしたら日本列島として認識されていなかったのか、 つまり大陸から見た2次元的な日本列島像について 言及しているのかということ。 というのは、「北から南」とありますが、 方角を厳密に意識して地図が作成されているかが分からないためです。 とはいえ、1つめの疑問の内容(特に後半)って、 今ではほとんど分からないと思われることばかり・・。 最後に、アキさん、マサヒコさんへ。 邪馬台国の位置については、大和岩雄氏や安本美典氏などの研究家が、 「最初は北九州にあったが後に今の畿内へ移った」という説を 地名パターンの一致等の検証に基づいて出しており、 単純に九州説・畿内説と分けられないこともお忘れなきよう・・。 ご存じだとしたらよけいなお節介かもしれませんが・・。 Time : 2001/ 2/ 3(土) 14:52:49
Name : アキ E-mail : Title : 私が思うに Comments: こんばんは。 邪馬台国の問題は、現在は位置の問題よりもそれに至った権力構造の変化を考える 事が重要な気がします。 弥生時代の九州の権力構造はどのようなものだったのか?など。ちなみに吉野ケ里 遺跡では、特別に墳丘に埋葬された人は比較的体格の良い男性が多く、相互に血縁 関係が認められていないそうです。ということは、権力は世襲ではなかったと言え ます。 墳丘墓は本当に権力の誇示だったのでしょうか? 3世紀に大和盆地に広域の地域から物があつまりましたが、これの状況も権力構造を 考えて、どう理解するかが問題であります(ここが邪馬台国だとかいう問題よりも ) 最近は「古墳時代像を考える」という本が出ていて、若手考古学者が通説批判(大 和中心主義を批判)をしています。「学者は権威主義だ」と言われていますが、近 頃は少し変化が見られるようです。 それから「日本の歴史学の三大欠落」についてですが 井沢さんは「歴史学」とひっくるめていらっしゃいますが、文献史学と考古学とで は歴史を考える時の基本が異なります。文献を基本にするか、物を基本にするかで その研究方法は大きく異なります。 史料至上主義は、学問ならある意味当然だと思います。「ただこう思う」だけでは 説得力に欠けます。根拠は客観性のあるものでないと批判ばかりあびる目にあうで しょうし。それに、文献史学も考古学も「なぜ××なのか?」に対する理由を考え る場合もありますが、「当時の政治的体制はどのようなものだったのか?」「当時 の思想、風習はどのようなものだったのか?」ということも考えなくてはいけませ ん。こういうときは史料に基づいて考えます。主観だけでは言えません。 権威主義は、存在します。しかしこの頃はその古い慣習も少しづつ変化が見られる ようです。先ほどあげだ「古墳時代像を考える」の、三人の筆者は彼らの恩師の批 判をして、逆のことを書いていたりします。しかし恩師の方は「侮辱だ!」と怒っ てはいらっしゃらないようです。むしろほめた方もいるとかで(もちろん批判はさ れるようですが)。もちろん、もっと開けた世界になるべきことはあるわけで、改 善しなくてはいけない点だと私も思います。 呪術的なことの軽視 これはちょっとどういう意味が理解できなかったのですが……当時の思想を考える 時、文献史学も考古学も難しい場合が多いようです。はっきりした史料が少ないで すから。 あと、なかのさんのご指摘「地名パターンの一致等の検証」も、土器の流れから見 ると、3世紀代に九州から大和盆地への大移動は見られず(むしろ逆に流れていま す)、地名についても一番古い記録は律令時代のものであり、大和の地名を真似た とも言えてしまうのであまり説得力のある考えとはいえません。 Time : 2001/ 2/ 3(土) 23:50:22
Name : Ponya E-mail : Title : 呪術的な側面の軽視、無視 Comments: 私も一応井沢ファンのはしくれなのですが、「日本の歴史学の三大欠陥」について アキさんのおっしゃるように、「呪術的な側面の軽視」は最初意味がわかりません でした。それについての客観的な史料が少ないから軽視せざるを得ない、つまり、 「史料至上主義」と同じことではないかと思ったのです。 しかし、井沢氏はこの「呪術的な…」をなにより三大欠陥の第一に挙げています。 宗教は過去において人間の基本的な行動を決める規範となった重要な要素であり、 これが欠落しては正しい歴史解釈などしようがない。と…最も重要視する理由を述 べています。 そこで、私なりに解釈したんですが…、これは 仮に歴史上の出来事についての史料が幾つか残されているとして、その史料の中で 政治的なこと、技術的なこと、呪術的なこと、それぞれについて同じだけ史料があ ったなら、そのうち特に呪術的なことについての史料を重視すべきだ。 …ということを言っているのであり、また、 歴史学界として「呪術的な側面」をさらに深く研究できる下地をつくるべきだ。 …ということではないか?と思いました。 もちろん、それは歴史学界にとって無理な注文であることも理解できます。 仮にそれに取り組んだとして、参照すべき基本的な史料を何に求めればよいのか、 そしてどの程度重要視するかについて客観性を保持できないからです。 Time : 2001/ 2/ 4(日) 18:16:55
Name : なかの E-mail : Title : 三大欠陥について Comments: おはようございます、なかのです。 アキさん、Ponyaさん、コメントありがとうございます。 三大欠陥の「呪術」について私が「逆説」を読んだ時に感じたのは、 史料の多寡もさることながら、 福沢諭吉以来、意図的かどうかはともかく、 そういう視点が蔑ろにされてきたということへの疑問と反省を 述べた上で、自分は改めてそういうアプローチを試みたいと 意思表明しているものと解釈しました。 正直言いまして、「呪術」面が蔑ろにされたということについての知識は 井沢先生の論述を見て「そうなのか・・」という程度しかありません。 ただ特に戦後、「津田史観」と呼ばれる「記紀」等を軽視した 左翼的な議論が学会の主流となっていた(現在も?)ことは知っています。 「記紀」(特に古事記)、「風土記」などについてはもっともっと、 歴史学・考古学において重視すべきかと思います。 また、アキさんが言われるように、 地名については言われるとおり、安本美典氏の論拠とする資料が 筑後→近畿ではなく、その逆もあり得るものと思います。 私は特に九州説でも近畿説でも、また東遷説にも 与しているわけではありません。 ただの史料では、これまでいろんな説により半ば恣意的な説明が 与えられてきたことは事実であり、文献以外の史料だけでは 年代を単純かつ厳密に絞り込むことは困難です。 そして、邪馬台国論争はどうしても大和朝廷の存在抜きには語れないこと、 また井沢先生も触れられた大和朝廷と宇佐との関係なども 一連で解明していくべき事柄だと思います。 Time : 2001/ 2/ 6(火) 08:22:13
Name : Ponya E-mail : Title : 「邪馬台国畿内説」有力報道について Comments: 邪馬台国に話を戻しますと… 邪馬台国論争で「畿内説」が有力とされたのは、たしか週刊読売などの特集記事で 奈良の黒塚古墳からの「三角縁神獣鏡」の出土や「ホケノ山古墳」の発掘について 発掘者の(…誰でしたっけ?)方の意見を垂れ流しにしていたのが、以後の連日の マスコミ発表に影響しているのではないでしょうか? 私の知り合いの学者さんからは、各方面からの細かい批判や疑問の発表もあったと 聞いてますが、どうもマスコミ受けの良い発表ばかりが大きな報道となって、いつ のまにか方向が決定されていたような気がします。 その知り合いの学者さん(無名な方です)によれば、今のところ考古学的には「畿 内説」有利な出土品が多いそうですが、それは「畿内説」を仮説として発掘した例 が多いだけで、それ以外のものが出土していない可能性も高いそうです。 また、文献史学的には「畿内説」だとどうもうまく説明できない矛盾が多くあって 支持できないとおっしゃってました。 どのへんが矛盾点なのか、機会があれば一度ゆっくり訊ねてみたいと思います。 Time : 2001/ 2/ 7(水) 02:37:07
Name : アキ E-mail : Title : 「畿内説」とか「九州説」だとかではなく Comments: Ponyaさんこんにちは。 >今のところ考古学的には「畿内説」有利な出土品が多いそうですが、それは「畿 内説」を仮説として発掘した例が多いだけで、それ以外のものが出土していない可 能性も高いそうです。 そういうことではありません。「畿内説」だとか「九州説」だとかの問題ではなく 、近畿地方の特に大和盆地に新しい勢力とみられるものが現れているということは 本当のことなのです。仮に九州説に有利なものが大量に出土しても、この事実はか わりません。 この現象を「邪馬台国」に結び付けるからどうかが「畿内説」かどうかということ です。 多くの考古学者(私が知る限りですが)この現象を邪馬台国に結び付けているよう です。しかしその中でも見解がまちまちであり、そもそも「邪馬台国」の定義とい うものが人それぞれであるということもあります。 もっとも、考古学者の問題とするところは「邪馬台国はどこか?」ではなく、「弥 生時代から古墳時代への変化はどういう現象か?」ということに置かれているよう ですが。 邪馬台国の問題をかたる場合、まず首長の発生(権力の発生)の過程を考え、次に 勢力の発生と構造を考え、そして邪馬台国の位置づけをし、その後の発展などを考 えなくてはいけません。 ただ所在地の問題を考えるだけでは終わらないということです。 もちろん、考古学「だけ」では邪馬台国の問題は語れませんし、文献「だけ」でも 同じです。いずれにしても、所在地「だけ」の話で終わることはできないので、も っと視野を広げて考えるべきだと思います。 Time : 2001/ 2/ 7(水) 09:35:56
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 2m様へ、時代遅れのコメントですが・・ Comments:  ご無沙汰しておりましたが,少しお邪魔します。 (今年初めての発言で、タイムリーでないコメントです。) ずっと前からの2m様をめぐるやり取りを見ていて, コメントしたほうがいいか(板の選択も)迷っていたのですが, このところ2m様に対する風当たりがきついこともあり, 小生以外の方はどうも2m様にあまり理解を示されていないようですので、 失礼もある可能性を恐れずここで発言させていただきます。 (将棋論議については以前既に拙見は述べましたので、 この件では、とんぼ様のご意見に概ね従うとのみ記しておきます。)  陽徳・陰徳論議もそれなりに面白かったですが, やはりPonya様がおっしゃる「陽徳も使い様」という結論が 小生には最も正しい考えだと思いました。 しかし、どなたもおっしゃらなかったのですが, この議論で役割が違うのでは?と、少し奇異な感じを受けていました, 2m様が序列をつけたり分類・分析をなされたりするのに対し、 Ponya様が現実的な地に足のついた意見を述べられる・・。 これは別の板で、パンダ様と2m様がなされた役割に似ていませんか? ヤクザ論議をされたとき,ヤクザの慈善行為は「陽徳」だと分析し、 さげすんだのはパンダ様であり,それも使い様だとおっしゃったのは 2m様だったのではありませんか? その意味で,小生は2m様のご意見の方がbetterだと思っておりました。 (ただし、この件では小生は違う認識に立っていましたので、 議論の流れを壊さないように黙っておりました。 お二人はヤクザは違う人種であるという基本的認識を持っておられましたから。)  概して教科書的な分類・分析・序列付けは、現実的な問題の解決にはあまり 役立たないと小生は考えます。 その意味で,現実問題にあまり結びつかない議論のされ方は2m様らしくありませ ん (と勝手に決め付けてスミマセン)。 逆の場合は,2m様のご意見をおおいに傾聴に値すると感じてもおります。 それは、小生だけではなく、輔住様も同様におっしゃっていましたね。 ただ、どうもディベート癖があるというか、発言によって敵を作る場合が多く, ご意見の真意が相手に届いていないようにしばしば見受けます。 たとえば「わかってもらえなくて結構」などといわず、相手にみだりにレッテルを はらず、気楽に議論できるようもう少しソフトな路線で議論されたらいかがでしょ うか。 (造語的に言えば,ややコミュニケータブルでないと存じます。) 板はコミュニケーションの場であって,相手のいない勝手な発言の場ではないと 思いますので・・・。  エラソーに言いすぎついでに、右翼の極致・北一輝の言葉をささげます: 「順逆不二の法門」 物事を分類・分析したり、序列をつけたりすることが必ずしも正しいとは限らない という一面の真理をついた言葉です。絶対視は禁物という警句です。 どうも失礼しました Time : 2001/ 2/ 7(水) 09:57:50
Name : 2m E-mail : Title : 大阪JF生さんへ+ Comments: >「陽徳も使い様」 2mは「陽徳」の意味を、「最終的にその人自身や周りの人の心を腐らせるもの」 と思って書いています。だから、泉谷しげるさんの様に、「一見すると「陽徳」だ が心が腐る可能性が低い場合」は消極的に肯定します。そして、その人や周囲の人 が腐るか腐らないかは、「その人の心持ち次第による」と書きました。 単に、「陽徳」と言われたので否定したのです。・・まとめるとこんなものです が、どうでしょうか。 >>「神への恨み言を吐かないイエス・キリスト」 ・・が追加されたのは十字軍の前後、と書きましたが理由を省いてしまったので 追加します。 1.第一回十字軍でエルサレムを占領した十字軍は、略奪の限りを尽くした。 2.その汚い金をローマ・カトリックは受け取った。 3.そのため、異教徒の神殿を荒したせいで磔にされたイエス・キリストを、否定し なければならなくなった。 4.間違い無い悪行をした十字軍を継続すると、神に対する侮辱とされる。 5.「聖書」に追加を加え、ついでに十字軍の継続に問題になる所も変更した。 こんな所でしょうか。3.がちょっと足りない気もしますが・・指摘があれば追加 します。言葉は心になり、心は行動になり、行動は歴史になって行く様です。更に ・・、 6.反対者は「魔女」として、どんな高位の人でも処刑した。 ・・でしょうね。「魔女狩り」が極めて盛んになるのは十字軍より後だと記憶し ています。十字軍以前とは歴史の流れ方が全く違っています。彼らが重んじてきた 「宗教」が極端に変容した結果と考えるのが自然です。 Time : 2001/ 2/ 7(水) 20:04:15
Name : なかの E-mail : Title : 邪馬台国論争に思うこと、及び2mさんへ Comments: こんばんは、なかのです。 邪馬台国論争につきましては、 個人的には「最初に説ありき」で展開している感が否めません。 もっともそれが「キャッチー」だからこそ、 Ponyaさんが言われるようにマスコミが関わってきて、 結果的に歪んでしまうのでしょうが・・。 そのあたりについても含め、 ある程度アキさんがまとめていらっしゃいますが、 その「権力構造」というところで大和朝廷がどう関わってくるのか、 そして論争に対する新しいアプローチとなりうるのか、 とりあえず「専門家」の方々の手腕を 高みの見物ということでよいかと・・(笑)。 勝手に結論を出してしまいました。すみません。 議論を続けてください。 2mさま> あれ以降は偽物騒動が無いようで何よりです。 ところで、「神への恨み言・・」の理由について、 2→3の論理的展開がよく分かりません。 当時はイベリア半島での「レコンキスタ」に見られるように、 キリスト教に限らず、異教徒への敵対は特別ではありません。 もちろん異教徒に寛大な政権もありましたが、それは主に政治的理由です。 イエスの事例を出されていますが、 異教の排除(時には力ずくでも・・)というのは 宗教というものにおいて、むしろ当然の姿なのではと思います。 そうなると1も2も・・? ところで、本日首相選があったというイスラエルを中心とした、 現在の中東での騒動はどうでしょうか・・? また3について、イエスが磔になったのは、「メシア」を称しながら 一般的ユダヤ人にとっての現実的な「メシア」、 つまりユダヤ民族の救世主として独立への道を拓くことをしなかったために ユダヤ人の支持を失ったのが原因とされています。 そして、4にあった「間違い無い悪行」というのは 後世の客観的道義的価値観に基づくものであり、 当時の関係者がそれを「悪行」と認識していたかは 分からないのではないでしょうか・・? Time : 2001/ 2/ 7(水) 23:06:22
Name : 大阪JF生 E-mail : Title : 2m様、拝復 Comments:  早速御返事頂き、ありがとうございました。 おっしゃりたい意味もわかりました。 ただ、おっしゃってきた事が >2mは「陽徳」の意味を、 >「最終的にその人自身や周りの人の心を腐らせるもの」 >と思って書いています。 という限定が付く事は非常に読み取りにくいと思います。 恐らくこういった事が誤解を生む原因なのでしょうか。 端的に表現する難しさは分かりますが、 この点十分留意頂ければ幸甚です。  しかし、これはかなり特殊なケースではないでしょうか。 というかほとんど議論の対象にするほどではなく、 この場合は「徳」とよばないで、単なる詐欺や偽善ではないでしょうか。 人は「ほめられたい。認められたい。」と言う感情でも成長します。 とくに精神がナイーブな人はなおさらです。 Ponya様が提案なさった意味は、  最初はあからさまに周囲の目を意識しての「陽徳」であっても、  周囲の反応に対する心地よい感情が、真の徳に成長させる可能性も有るし、  よしんばそうでなくても、行為自体は善なのだから  社会的損失は全くないだろう・・ というご意見だと受け止めました。 (Ponya様、勝手に解釈して申し訳ありません。 違っていたらご指摘ください。) そう言う意味で、小生はPonya様のご意見に賛成です。  もちろん、2m様のご意見を変える必要もありませんし、 個人の見方を示したに過ぎません。ただ、前半に述べたように ご意見を読み取れなかったという事だけご承知頂けたら幸いです。 Time : 2001/ 2/ 8(木) 10:01:08
Name : Ponya E-mail : Title : みなさまへ Comments: アキさま、大阪JF生さま、2mさま、なかのさま、みなさまにコメントを頂戴 しておりますが、残念ながら暫らくアクセスできません。いろいろ書きたいこと があるのですが、とりあえずご報告まで。 (大阪JF様のご意見に目を通しまして、解釈していただいた通りであることを  ご報告しておきます。) 詳しくは、とまり木で報告したとおりです。 Time : 2001/ 2/ 8(木) 21:51:07
Name : マサヒコ E-mail : Title : 要旨:邪馬台国近畿説否定の根拠 Comments:  いかがお過ごしでしょうか?お久しぶりです。ぼくは中学生ですのでいつか言わ れたとおり勉学に励んでいます。そのため長期休暇以外ここに来れないのですが・ ・・まあ高校受験はないですから。・・・・ @さて近畿わ邪馬台国とみると魏志倭人伝の「東」を「南」と読み替えなければな りません。しかし当時の中国の海の交通は世界有数の技術を誇っており、ましてや 近隣の「倭」の位置を間違えるとは思えないのですが・・・・ Time : 2001/ 2/ 9(金) 21:55:04
Name : なかの E-mail : Title : マサヒコさんへ Comments: こんばんは、なかのです。 マサヒコさま> 勉学に励まれているとのことで、あまり時間の余裕がないようですが・・。 すみませんが、 2001/ 1/31(水) 13:56:52付けのウサチュウさんの書き込みや、 2001/ 2/ 3(土) 14:52:49付けの私の書き込み、 そしてその間のアキさん、Ponyaさんの書き込みを 再読されることをおすすめします。 あと、当時の中国が「海の交通は世界有数の技術」だったとされています。 中国が昔から天文学に優れていたことは文献等に記されています。 三国志でも、呉と遼東とで往来があった等の記録がありますので、 航海技術は確かに優れていたとは思いますが、 そこまで強調されている根拠は、具体的にはどういうことでしょうか。 例えば当時、方角がわかる磁石があったということでしょうか・・? Time : 2001/ 2/ 9(金) 22:23:48
Name : 2m E-mail : Title : なかのさん、井沢先生、管理人さんへ Comments: なかのさん、井沢先生、管理人さんへ >あれ以降は偽物騒動が無いようで何よりです。 全くですね。「以前書いた人と同一人物かを知る手段」が「名前」以外にないの で以前から不安でした。3時間せずに見つけ、全面否定したので被害はそれほどでは ありませんでしたが・・。もし、3日経ってから見つけて全面否定しても、受け入れ られたかどうか極めて危ないです。パスワード制でも導入したらどうでしょうか。 「名前」と「パスワード」を登録して一致しなければ書き込めない様にすれば、こ の問題は起こり難くなる筈です。・・ただこれでも、100%とは言い切れませんが。 なかのさんへ >2→3の論理的展開 少し考えてみましたが、極めて長くややこしそうなので、簡単な方から書きます 。すみません。 >異教の排除(時には力ずくでも・・)というのは宗教というものにおいて、むし ろ当然の姿なのではと思います それまでにも、「キリスト教国家とイスラム教国家の対立」と言う事はあった様 です。しかし、「キリスト教とイスラム教の対立」が起きたのは「十字軍」が始め てだと思います。その時の対応が一般化して当然の姿になったと考えられます。 ・・直接関係ありませんが、「キリスト教とイスラム教の関係」ほど聞いたもの が相反しているのは少ないです。「イスラム教は、ユダヤ教徒・キリスト教徒を啓 典の民として尊重している」と聞きましたが、「イスラム教圏では、キリスト教を 示す「十字」は現在でもタブー」とも聞きました。・・前者に、歴史操作の匂いが します。 >イエスが磔になったのは、「メシア」を称しながら一般的ユダヤ人にとっての現 実的な「メシア」、つまりユダヤ民族の救世主として独立への道を拓くことをしな かったためにユダヤ人の支持を失ったのが原因 しかしこれでは、キリスト教徒が十字軍以前に「ユダヤ教徒の村」を容認してい たとは考え難いです。こう言った「イエスとユダヤ教の関係を悪化させる」所は、 十字軍が「ユダヤ教徒の村で略奪をした」事に対する言い訳が、そのまま正当化さ れたとも考えられます。十字軍以前にイエスを磔にした人がユダヤ教徒と見なせる 記述が聖書にどれだけあったかが解れば良いのですが・・難しいでしょうけど。 >「間違い無い悪行」というのは後世の客観的道義的価値観に基づくものであり、 当時の関係者がそれを「悪行」と認識していたかは分からないのではないでしょう か・・? 少なくともまともな宗教家なら幾ら他教徒に対してでも「略奪・強奪=悪」と見 る筈です。認めれば、自分達の物を他教徒から略奪されても認めざるを得なくなる 筈です。この辺は現代でも千年前でも、そうそう変らない価値観と思います。 これを傲慢に「他教徒からの略奪・強奪=善」と見なし、見なさない人や聖書を 排除した結果、破滅宗教に成り下がったと考えています。・・ま、ローマ・カトリ ックの「宗教好き」よりも「謀略好きで政治好き」は、その歴史が始った時からだ そうです。十字軍以前も随分澱んでいたが、十字軍を契機に大幅に拡大したと見る べきなのかも知れません。 Time : 2001/ 2/10(土) 01:01:25
Name : ウサチュウ E-mail : Title : ちょっと待った! Comments:  色々異論はありますが、とりあえず、この個所だけ指摘します。 >「キリスト教とイスラム教の関係」ほど聞いたものが相反しているのは少ないで す。「イスラム教はユダヤ教・キリスト教徒を啓典の民として尊重している」と聞 きましたが、「イスラム教圏ではキリスト教を示す「十字」は現在でもタブー」と も聞きました。・・前者に、歴史操作の匂いがします。  これは「歴史操作の匂い」などといった陰謀めいた言葉を一切、使う必要なく、 簡単に説明できます。ユダヤ・キリスト・イスラムの神は同一です。ですから、キ リスト教やイスラム教でも旧約聖書が大変重要なテキストとして扱われています。 そこで、旧約聖書のモーセの十戒の中に偶像崇拝の禁止があったことを思い出して もらえば.....。  はい、もうおわかりですね?イスラム教(ユダヤ教も)は偶像崇拝をキリスト教 と比べ物にならないほど禁止しています。ましてやイエスを神とは認めず、預言者 の一人としているのですから、イエスを神とし崇拝の象徴としている十字架をタブ ーにして当然です。  ちなみにコーランには「人々は自由に自分の宗教を信じて良い」とあります。い わゆる「右手にコーラン、左手に剣」なんてのは西欧のプロパガンダです。他宗教 に寛容であったことは歴史上いくらでも例がありますよ(コンスタンチノープルの 陥落以後のギリシャ正教の存続等)。 Time : 2001/ 2/11(日) 09:07:57
Name : なかの E-mail : Title : 十字軍について Comments: こんにちは、なかのです。 2mさん、レスありがとうございました。 ウサチュウさんも横レスありがとうございます。 最初に、個人的見解ですが、「十字軍」というものは、 キリストの教え(というより聖書の精神)に合うものではないと思います。 イエスキリストは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と 言うとおり、現世的な「ユダヤ王国」などに関して否定的でした。 そういう意味で、本来のキリストの教えを守る人にとっては、 略奪の有無云々よりも、十字軍の存在そのものに疑いを持っていたと 思えます。(そんな人が当時いたかどうかは分かりませんが・・) 「キリスト教とイスラム教の対立が起きたのは十字軍が始めてだと 思います」とされていますが、レコンキスタというものがあります。 西暦375年のゲルマン民族移動により南欧にはゴート族が移動し、 ローマカトリック傘下のキリスト教が定着しましたが、 イベリア半島に8世紀にイスラム勢力が及び、 ウマイヤ王朝そして後ウマイヤ王朝が栄えていました。 それに対し、西暦771年からキリスト教勢力による レコンキスタと呼ばれる解放運動(というより失地回復運動)が始まり、 西暦1492年のグラナダ陥落によるイスラム勢力完全撤退まで続きます。 むしろこれを西暦1096年より始まったいわゆる十字軍の 雛形と見る方が妥当ではないでしょうか・・? 「少なくともまともな宗教家なら幾ら他教徒に対してでも 「略奪・強奪=悪」と見る筈です」とされていますが、 井沢先生が織田信長の延暦寺焼き討ちについて、 旧約聖書にある、私と違い(笑)、本物の預言者であった ヨシュアについて述べられています。 (ヨシュアは「予言者」的な部分も持ち合わせています) ヨシュアはアイなどカナンの31以上の王と国民を片っ端から殺し、 エリコに至っては土地に呪いをかけています。 この時のヨシュアに「良心の呵責」などは全くなく、 むしろ妙な「手抜き」は神の御心に反する行為だった筈です。 例示に適していたか分かりませんが、 「まとも」というのはやはり後世の客観的価値基準ではないでしょうか・・? もっとも、この時に「略奪」された物は個人の所有になるというより、 恐らく神殿に捧げられたか廃棄されたかのどちらかでしょうが・・。 そしてこの記述を当然ながらローマカトリックは知っています。 すると、「滅亡」より程度の軽い(?)「略奪」をすることに、 十字軍はためらいを感じなかったように思えますが・・? 少なくとも初期の十字軍は建前として、宗教的要素がかなり強くあった ものと思えます。一時的とはいえ目的を達成できましたし・・。 ただ後に、「本家争い」をしているビザンチン帝国や、 北欧をも「十字軍」として襲うようになりました。 そこから先は正直言って「正義」が立たないように思えますが・・。 ウサチュウさんが言われた「右手にコーラン、左手に剣」は むしろカトリック勢力に当てはまるのでしょうか・・? イスラム教徒は商売人の勢力が強いのでしょうか、 他宗教に対して(政治的理由でしょうが)寛容であることが多く、 むしろ被征服側が自らの利便のため改宗したようです。 そういう意味で「西欧のプロパガンダ」とされているのでしょう。 最後に(ご存じとは思いますが念のため)、 イエスキリストは決して偶像崇拝を認めていません。 キリスト教(を名乗る殆どの宗派)が偶像崇拝を部分的に認めていることの 理由及び経過については、井沢先生が述べられているので省略します。 Time : 2001/ 2/12(月) 17:10:08
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 簡単に言うと Comments:  カソリックの十字軍は結局のところ 「イエスを神として認めないお前らは人間ぢゃねぇ!この俺が叩き斬ってやる!」 っていうことです。ユダヤもイスラムもアリウス派(ニケア信条に反対した為に追 放され、辺地、特にゲルマン人への布教を熱心に行った一派)もイエスを神として 認めず、故に人間扱いされなかったという訳です。  以前書き込みした中国・朝鮮で使用されていた古地図(日本列島が東シナ海に北 から南に横たわって描かれている為、邪馬台国が畿内にあったという証拠とされる 地図)ですが、私は西尾幹二氏の「国民の歴史」第7章の「魏志倭人伝は歴史資料 に値しない」というくだりで目にしました。山尾幸久氏の「新版魏志倭人伝」から 参照とあります。確認しようと思いましたが、時間がなく、徒に時が過ぎてしまっ たので申し訳なく思っております。 Time : 2001/ 2/14(水) 02:04:07
Name : なかの E-mail : Title : お礼 Comments: おはようございます、なかのです。 ウサチュウさん、ありがとうございました。 私も一読した筈なのですが・・気付きませんでした。 事情により長くコメントできませんが、 取り急ぎお礼まで・・。 Time : 2001/ 2/14(水) 08:27:11
Name : 2m E-mail : Title : なかのさんへ Comments: レスが遅れてすみません。それと「2→3の論理的展開」は、資料不足のため暫 く先になると思います。一言で言ってしまえば「金の奴隷になった」ですが・・重 ね重ね、すみません。 >レコンキスタと呼ばれる解放運動(というより失地回復運動) これは詳しい事は解りませんが、一応感想を書きます。 概略から判断すると、これは「宗教戦争」と言うよりも「民族戦争」に近いので はないでしょうか。支配階級に異民族が入ると様々な文化・習慣の違いから、被支 配者層と軋轢が生まれる事は想像に難くありません。 それにローマ・カトリックもそれほど絡んでいない様です。・・こちらでも「宗 教家が前面に立って」いれば「宗教戦争」と思いますが、「領主や王が前面に立っ て」いれば「民族戦争」の方が強いと思います。 >本物の預言者であったヨシュアについて述べられています。・・・むしろ妙な「 手抜き」は神の御心に反する行為だった筈です。 「逆説の日本史」にも書いてあった事ですね。感想を書きます。 これだけだと「ヨシュアは人間味の欠片すら無い、傲慢で残酷な殺戮者」です。 ・・凄く反発されそうなので、更に反発されそうな事も書きます。この文は、「土 地に呪いをかけているのではなく、ユダヤ教徒に呪いをかけている」と判断します 。この残虐行為をしたのは、「ユダヤ人」とされている筈です。そんな人達を信頼 できる筈がありません。「イエスを処刑したのはユダヤ人」も多分同じです。キリ スト教徒からすれば、そんな人達は相容れない存在になります。 これらは「ユダヤ人」を排斥する為に、ローマ・カトリックが後から付け加えた 、言ってみれば「呪い」と考えますが・・。次々にユダヤ教徒の村を潰して行った 彼らなら、そんな事も簡単に出来ると思いますが。 他に考えられるとすれば、「ユダヤ人がちりぢりにされた理由の一つを留めて置 いた」からかも知れません。「反面教師」として、こちらも考えられなくはありま せんが・・・。 Time : 2001/ 2/14(水) 21:20:00
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 2mさんへ Comments:  とすると、「十字軍の後、ローマ・カトリックの悪意によって改竄されたヨシュ ア記を、ユダヤ人は聖書(旧約)として認め、今日に至る」、という結論になりま すが、この結論は、妥当性がありますか?  敢えて申し上げますが、あなたは聖書(旧約・新約)、またはユダヤ教・キリス ト教・イスラム教の研究や解説書を読まれたことがありますか?  非礼であることは承知の上、敢えてご質問させていただきました。冷静かつ誠実 なお答えを期待しております。 Time : 2001/ 2/15(木) 17:21:48
Name : なかの E-mail : Title : ヨシュア記の改竄説その他について Comments: こんばんは、なかのです。 2mさん、ウサチュウさん、レスありがとうございました。 2mさんが言われたのは、 「ヨシュアがこんな悪いことをしているんだよ、 そしてそれはユダヤ人の総意でもあり、だからこんな 悪どい事をするユダヤ人は赦せないのだよ」 として、ユダヤ迫害の口実にしたという意味と理解しましたが、 これ、正直に言うと屁理屈に近いと思います。 だからといってこれが有り得ないというのではなく、 実際そういう理論を使ってユダヤ人を迫害した人が いたかもしれませんが・・。 イデオロギーや教義の争いはこの場に相応しくないと思いますので (正直言いまして専門知識も自信もありませんし・・)敢えて避けますが、 少なくともヨシュアは「神」の命令により上記のように行動しており、 その「神」とイエスキリストの教えの「神」とは同一であるとしており、 ローマカトリックは少なくとも、 その教えを「信奉」していると自称しているのです。 ローマカトリックがイエスキリストの正統の後継者を自称する以上、 この理論をふりかざすことは自分の首を絞める行為だと思えます。 そのため、ローマカトリックがこの理論を前面に出すとは 考えにくいと思えるのですが・・。 またユダヤ人が自分達の教典の「改竄」、 それも自分達に対し悪意のある改竄を受け入れるとは思えません。 実はこのあたり、ウサチュウさんが言われた「新約・旧約」の話も絡んできますの で あまり自信を持って反論できません。 ユダヤ人迫害については、中世以降のヨーロッパで異教徒扱いされたことが 主な差別の原因とされています。 ・・というより、自分の国も根拠も持たないのに 排他的な宗教をかざしている民族(集団)があれば、 差別・迫害されたのは当たり前のようにも思えますが・・。 なお、「ユダヤ人」というのは、最初は民族的な分類だったのが、 中世の頃からは「ユダヤ教を信じる人の集団」という意味で使われています。 古代中国に「内憂外患」という言葉がありましたが、実に至言です。 内部に問題を抱えている為政者は得てして外部に「共通の敵」を設定し、 外患を訴えることにより内憂を抑えるという傾向があります。 この「政治学上の原則」がユダヤ人にも働いているようで、 ペストが流行したときにユダヤ人が虐殺されたのも、 ヒトラーがユダヤ人を目の敵にしたのも、こういう面があったとされています。 最後にウサチュウさんが言われた改竄について、 「死海文書」を巡る論争があったのを思い出しました。 すみません、内容はあまり覚えていませんので・・、 ウサチュウさん、皆さん、そのあたりはお願いします。 長くなりましたが、私は、字句はともかく、 ヨシュア記の構造的な改竄は無かったと思います。 Time : 2001/ 2/15(木) 20:44:58
Name : なかの E-mail : Title : 訂正と追加 Comments: 再びなかのです。 下の私の書き込みの 「ローマカトリックがイエスキリストの正統の後継者を自称・・」で、 「イエスキリスト」を「パウロ」に訂正してください。 私がヨシュア記の構造的改竄が無いとした理由ですが、 少なくとも十字軍の時には、ユダヤ教徒の他にも、 ローマカトリックに服さない巨大なキリスト教勢力が東にありました。 ヨシュア記がローマカトリックにより改竄されたならば、 なぜ東ローマ教会はカトリックの身勝手な改竄にお付き合いする必要があるのかを 説明する必要がありますし、 さもなくばギリシャ正教という形で現在に至っているその教会勢力に、 「改竄」前の記録が残されているでしょう。 何しろ最大のライバルが「改竄」という形で墓穴を掘っているのですから。 十字軍前に構造的改竄があったかどうかは考古学的な要素もあり、 改めての議論ですが・・。 Time : 2001/ 2/15(木) 22:16:53
Name : 2m E-mail : Title : ウサチュウさん、なかのさんへ Comments: ウサチュウさんへ >ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の研究や解説書を読まれたことがありますか ? 聖書自体は読みましたが、解説書はありません。・・と言うか、そんなものに頼 って思索を封じてしまったら、それこそ正しく読み解く事は不可能になる筈です。 解説者の思考を鵜呑みにするほど、安易で危険な行為はありませんし。その解説者 が絶対に正しいと言う保証も、どこにもありません。 なかのさんへ >ユダヤ人迫害については、中世以降のヨーロッパで異教徒扱いされたことが主な 差別の原因とされています。・・というより、自分の国も根拠も持たないのに排他 的な宗教をかざしている民族(集団)があれば、差別・迫害されたのは当たり前の ようにも思えますが・・。 なぜ当り前になってしまったかが、問題だと考えています。それまではそんなに きつくなかった様ですし。・・それに他宗教の排斥は確かに自滅行為に等しいから です。 >「ヨシュアがこんな悪いことをしているんだよ、そしてそれはユダヤ人の総意で もあり、だからこんな悪どい事をするユダヤ人は赦せないのだよ」として、ユダヤ 迫害の口実にしたという意味と理解しましたが、これ、正直に言うと屁理屈に近い と思います。 「イエス・キリストに対する処刑」では、ユダヤ迫害の口実の一つで殆ど間違い ありません。 それに「聖書の改竄」は歴史的な事実の筈です。他宗派が何も言わないのは、「 言わないのではなく言えなくされた」と考えます。ローマ・カトリックの勢力は圧 倒的の筈ですし、小さい宗派が異議を唱えても無視されるか得意の謀略で潰されて 終わりにできます。 >ペスト その内細かく書きますが、これもローマ・カトリックの変貌がもたらした災厄の 一つと考えています。 Time : 2001/ 2/16(金) 00:31:34
Name : なかの E-mail : Title : 聖書の改竄について Comments: こんばんは、なかのです。 2mさま> 「聖書の改竄は歴史的事実の筈」とされていますが、事実と言われるのでしたら、 具体的にどの部分がどのように、またどのような考えにより、誰によって、 いつ頃改竄されたのかを客観的証拠に基づき言わねばなりません。 少なくとも、この時期の記述はこうで、別の時期の同じ箇所の記述はこうであり、 単なる表現の解釈程度の差異を越えた構造的な違いがある・・、くらいの 証拠が無いと、説得させることはできないでしょう。 (私は生憎資料に恵まれておらず、何とも言えませんが・・) また東ローマの教会を軽んじてはいけません。 ローマ帝国の遷都そして分裂により教会も東西に分かれ、 西のローマと東のビザンチンとは対立していました。 十字軍がイスラム勢力ではなく東ローマ帝国を侵略したこともあります。 東ローマ帝国が1453年に滅んだ頃には、 ギリシャ正教はスラブ系及びロシアの諸国に継承され、 最終的にはロシア帝国に継承されたのです。 Time : 2001/ 2/16(金) 23:29:24
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 2mさんへ Comments:  先日の非礼な質問にお答えいただき、誠にありがとうございます。何故、あのよ うな質問をしたのかといえば、私が思うに、あなたは中世ヨーロッパにおけるカソ リックの宗教活動や当時の世界情勢について勘違いをされておられる、もしくは圧 倒的に少ない知識・情報で己が独断と偏見のみで語っておられるように見受けられ ました。  己が直感のみを信じ、思索し主張することが如何に危険で愚かなことか?このこ とは差し置き、あなたがカソリックについてどのような考えを持ち、また、どのよ うな仮説を立てようとも、それはあなたの自由であり、私の関知するところではあ りませんが、ただ、それを公に主張されるに当たっては、最低限度の責任を果たし て頂きたい。今後、納得のいくご説明をして頂く様、期待しております。また、以 下の駄文を参考にしていただければ光栄です。  中世カソリックには宗教学上、驚くべき特色があります。それは「信者に聖書を 読ませなかった」という点です。これはキリスト教が啓典宗教(最高教典がある宗 教)であることを考えると極めて奇怪です。他の啓典宗教、例えばイスラム教では 子供が物心つく前に「コーラン」を読ませ、暗記させますし、ユダヤ教でも「トー ラー」(律法、モーセ五書。旧約聖書と思ってもらって構いません)の暗記が教育 の重要課題となっていることを思えば不思議なことです。では何故に?  理由の一つは、聖書の原典がギリシャ語で書かれていたことが挙げられます。ロ ーマ帝国の公用語はラテン語ですが、文化人・知識人・上流階級においては、ギリ シャ語が使用されており、聖書に限らずありとあらゆる書物は、当時の国際語であ るギリシャ語で書かれていました。初期のキリスト教は反ギリシャ思想と言っても よく、ギリシャ哲学の影響を受けず、それどころか対立姿勢をとっており、また、 西ローマ帝国を没落・滅亡させ、支配者となったゲルマン人は野蛮人でギリシャ・ ローマの文化遺産の相続に熱心ではなかった。要するに、元々ギリシャ文化に冷淡 であった西欧のキリスト教徒は西ローマ帝国の没落と滅亡によりもたらされた混乱 によって、ギリシャ語の取得はおろか、社会的・組織的・文化的活動自体が困難と なっていった。そんな西欧の混乱をよそにギリシャ・ローマの文化を爛熟させたの が東ローマ帝国とサラセン(イスラム)帝国。特に東方社会を席巻したイスラムは 「ギリシャ語は智慧の言葉である」とのスローガンの下、ギリシャ・ローマ文化の 継承活動を行い、偉大な先人達の業績の研究、翻訳まで成し遂げました。ギリシャ ・ローマの後継者というとヨーロッパとの思われがちですが、実はサラセン帝国こ そがギリシャ・ローマの正当伝承者と言えます(おお、ケンシロウ)。イスラムに おいても旧約聖書の大部分、福音書(新約聖書)はコーランに次ぐ正典とされたた め、サラセン人達はこれらを熱心に研究し、逆に西欧の神学研究はお粗末なもので (カソリック僧侶でもギリシャ語を解する者は少なかった)、カソリックの有力な 神学者達がサラセン帝国に留学し、イスラム教徒の神学者からキリスト教神学やギ リシャ哲学を学ぶほどでありました。確かにウルガタ版(ラテン語訳の新約聖書) は5世紀の初頭に成立したものの、中世ヨーロッパにおける識字率は良くて10% 、下手をすると2%という研究報告(これはラテン語の識字率です。ギリシャ語と なると皆無に等しい)や印刷技術がなかったことを考慮すれば、「読ませなかった 」というよりは「読めなかった」とするのが妥当と思えます。まあ、要するに学力 不足ということです。  第二の理由(これが真の理由であると私は思っていますが)、それは布教の為で す。キリスト教の根本原理は理解に苦しみます。特に「予定説」は苦しむ、どころ か凡人には理解不能といってもいいぐらいです。予定説とは、 「此の世が出来上がる前に、神は既に救われるものと救われざるものを予め定めて いる」  つまり、神は人の行いには依らず、人間の善悪の判断とは無関係に救済を与える のだ、という考えでとうてい民衆の理解・支持を得られるものではありません。ど れほど善行を行うとも神に選ばれない人は救済されず、逆にどんな悪行をしようと も神に選ばれた者は救われる。こんな教えでは支持されない、という考えたカソリ ックの僧侶は、この原理を曲げ儀式による救済(サクラメント、秘蹟のこと。まあ 一般的なものは洗礼)を活動の柱にし、また土着宗教の習慣も取り入れ布教を行っ た訳です。まあ、民衆に迎合した、といってもいいでしょう。ただ、これは聖書に は一切記述されていません。というか、キリスト教の根本原理を大きく逸脱し、異 端と言えます(まさにルターは、この点をついて宗教改革を行ったのであって、別 にカソリックの金権体質を否定したわけではなく、それは副産物的に理解する必要 があることをお忘れなく)から、聖書を読ませてはまずかった訳です。  さて、長々と書き連ねてきましたが、要約すると、 @中世ヨーロッパでは聖書は読まれなかった。何故なら Aギリシャ語が出来ないバルバロイであった為。 Bまた、キリスト教神学の家元はギリシャ・ローマ文化の正当後継者であるサラセ  ン帝国であり、 C西欧(カソリック)は、その出来の悪い弟子に過ぎなかった。 Dにも関らず、我田引水な布教活動を行うが、 E出来の悪い弟子に過ぎない訳であるから聖書の改竄までは出来ず F身内から痛恨の一撃を食らった  せめて、これくらいの理解はして欲しいものです。 Time : 2001/ 2/17(土) 21:34:35
Name : 2m E-mail : Title : .「言葉は神なりき」ではなかった Comments: なかのさんへ、ウサチュウさんへ >「聖書の改竄は歴史的事実の筈」とされていますが、事実と言われるのでしたら 、具体的にどの部分がどのように、またどのような考えにより、誰によって、いつ 頃改竄されたのかを客観的証拠に基づき言わねばなりません。 かなり難しい事を簡単に言いますね・・・。都合が悪い事は謀略で消されます。 2mが「改竄された個所」として知っているのも、2箇所だけです。誰が変えたか何時 頃かと言うのは、とっくに歴史の闇に葬られている筈です。 1.イエスの行為とブッダの行為とで殆ど同じ所があり、聖書からその部分が削られ た。 2.「言葉は神なりき」ではなかった。・・うろ覚えですが「言葉は善でもあり悪で もある」と言った所です。 1.については、「勿体無い」と言う所です。折角の良い物語を削るとは・・でも 、これは大した問題ではないです。 2.はかなりの問題ですね。この文があると言う事は、「宗教」として出鱈目だと も言い切れます。もし「言葉が神」なら、言葉を使って詐欺行為を働く人に何の批 判もできなくなります。「現実との乖離」が甚だしく、「人が生きる為にある宗教 」とはとても言えません。それを信用する人は、既に彼らの詐欺行為に巻き込まれ ているとも言えます。 「文字とは月をさす指に過ぎない」・・言葉も同じ事です。 昔の中国の禅の高僧に、「仏典は全て悪魔の書」と言いきって師匠から誉められ た僧がいたそうです。2mも99%以上100%未満で同意します。ついでに「全ての宗教書 は悪魔の書」とも言っておきます。勿論「聖書」も「法華経」も含みます。・・ど んなに優れた精神が込められた書物でも、読む人の精神が追いついていなければ、 ただのゴミクズに過ぎません。間違った結論を早計に得ている事に気付かず、間違 った行動を取りがちです。 「言葉は善でもあり悪でもある」は、東洋宗教に近いだけでなく、本質的な「宗 教」の役割を果たしています。 ウサチュウさんへ >「信者に聖書を読ませなかった」 上記からも解ると思いますが、これは「非常に正しい事」です。「西洋宗教」だ けで「宗教」を判断していませんか。・・宗教の正しい認識を持たない人がそんな 書物を読んだ所で、「ただの頭でっかち」になるだけです。ただし、「非常に正し い事」は「非常に間違った事」にもなる事が極めて多い様です。だから、ローマ・ カトリックが堕落していくのを「批判する人」は出ても「止められる人」は出なか ったのでしょうね。 ・・13世紀、教皇イノセント3世は各国の国王や皇帝を操り、宗教裁判で教会内部 の反対や不平を抑え教皇権を強めた。そして「教皇は太陽であり、皇帝は月である 」と言う言葉を残した・・・。 教皇が強硬に凶行を行った、って所ですね。・・こうなると止められる人は誰も いません。腐るだけ腐りその内、教会内部では誰も腐っている事に気付かなくなっ た、と言う所の様です。 Time : 2001/ 2/18(日) 00:39:57
Name : なかの E-mail : Title : 聖書の「言葉」は・・? Comments: 2mさま> レスありがとうございました。 私自身、登録されてからちょっと意地が悪い質問だったかもしれないと 思いましたが、ご丁寧に返事いただき感謝します。 ご指摘があったのは、新約聖書のヨハネの書(バプテストのヨハネ)の 冒頭部分のことかと思います。 「始めに言葉があり、言葉は神と共にあり、言葉は神であった。 この方は初め神と共にいた・・」 (新約聖書ヨハネ伝1章より抜粋) 宗教的な解釈は出来るだけ避けたいのですが・・、 レスの文脈では、2mさんが言い出したことではなさそうなので、 こんなことを言うとまた怒られるかもしれませんが・・。 ここの「言葉は神」を「言葉は善であり悪」とすると、 前後の脈絡がおかしくなります。 ヨハネ伝を「書いた人」は詳しく知りませんが、 恐らくペテロかパウロあたりかと思います。 創世記では「神の言葉」により光や生命が生まれていますので、 現在のままですと素人目にも何となく意味が通じますが、 これが「事はは善であり悪」だったとすると、 書いた人はここで何を言おうとしているのかが分からなくなります。 また、「言葉は神」というのは字面通り解釈すると ひょっとしたら2mさんの言われるようになるのかもしれませんが、 聖書では「言葉」について触れているのがここ以外にもたくさんあります。 聖書は旧約39編、新約27編が一応は神が書かせたことになっていますので、 「言葉は神」は字面通り解釈するのではなく、 他の記述と合わせて解釈する必要があるのではと思います。 改竄されたと「知っている」と言われる2箇所について、 その根拠を教えていただきたいと思います。 Time : 2001/ 2/18(日) 16:57:06
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 一旦総括してみました。 Comments:  総括してみたんだけど、  「カソリックは十字軍を正当化するために聖書の改竄を行った」  当時は信者に聖書を読ませなかった(信者が読めなかったの)であるから、仮に 聖書を改竄しても正当性を訴えることが出来ない。  「ヨシュア記はカソリックが作成したユダヤ人誹謗文書の一つである」  ヨシュア記は旧約聖書、ユダヤ人の正典である。ユダヤ人は何が悲しゅうて自ら を誹謗する文書を正典としなければならないのか?ヨシュア記はユダヤの歴史書と 考えるのが妥当であろう。  「カソリックは圧倒的勢力で、謀略により他宗派を沈黙させた」  西欧(カソリック)が圧倒的な勢力であったとするの誤り。当時、西欧は発展途 上国群で、逆に東方が先進国群であった(特にサラセン、イスラム帝国)。武力に 関しては野蛮人であった西欧のほうが勝っていたかもしれないが、文化的には弱小 であったことは事実である(キリスト教神学ですら、東方からもたらされたのであ って西欧は東方社会の弟子に過ぎない)。先進国の東方正教・イスラム教が発展途 上国のカソリックの言いなりになるか?普通。  ほとんど論破していると思うですが......。 Time : 2001/ 2/18(日) 19:36:36
Name : なかの E-mail : Title : 追加とお願い Comments: おはようございます、なかのです。 ウサチュウさま> 総括ありがとうございました。 よろしいかと思いますが、2mさんは如何でしょうか・・。 2mさま> ・・とはいえ、 2mさんに酷な質問をして私だけ楽をしていたのも気が引けましたので、 さわりだけですが・・。 長くなりますが、お付き合い願います。 日本聖書刊行会から出版されている「聖書」新改訳では、 ヨハネ伝冒頭の「ことば」について    「ことば」はキリストのこと。したがって「初めに」は    キリストの永遠的存在を意味する。 という注があります。 ヨハネ伝1章の冒頭部を以下に記します。    @初めに言葉があった。    A言葉は神と共にあった。    B言葉は神であった。    Cこの方は初めに神と共におられた。    Dすべてのものはこの方によって造られた。    E造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 先に述べたとおり、ここでの「言葉」(ロゴス)はイエスキリストの こととして解釈されています。 この記述は、創世記で神が天地創造に際し、「○○よ、在れ」と 「仰せられた」ことを意識しているものでしょう。 更にヨハネの啓示書19章には、    その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神の言葉」と呼ばれた。 という記述もあります。 AとCの「神」は文脈から同一意義と解釈できます。 問題になっているBの「神」については意見が分かれるところです。 ジェームズ王欽定訳ではAもBもGodとしていますが、 中にはBをGodではなく、a godとしているものもあります。 この違いがイエスキリスト=創造主とする宗派とそうでない宗派との 違いでもあり、キリスト教徒ならずとも耳にしたことのある 「三位一体」論、つまり教義の根本に関わってくる事柄です。 単純に考えて、AとBの「神」が同一(God)であるとすると、 AとBの文に矛盾が生じます。 むしろ、Bの「神」は「神性」(a god)とする訳の方が 私は適切ではないかと思いますが・・。 これは井沢先生も言われていましたが、 聖書のGodを「神」と訳してしまったことが 日本人にとってこの箇所をわかりにくくしているのです。 また、以前からこのコーナーでも議題にあがっている「善悪」論に ついて、聖書ではローマ人への手紙等に書かれています。 例えば、ローマ人への手紙12章には    だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、    すべての人が良いと思うことを図りなさい。 とありますが、ここでの「悪」は素直に考えれば、現代日本語の 「悪意」に相当する意味だと思います。 「善であり悪である」という老子のような考え方は、聖書の思想と 合う部分もありますが、相違点もあるでしょう。 それは善悪の定義によるものだと思います。 そこを述べないで、「全ての宗教に遍く通用する原理」としてしまう ことは、やや短絡的に思えます。 創世記には「善悪の知識の木」の有名な話があります。 この話は、善悪の価値基準は元来神によって定められるべきものが、 人間であるアダムがそれを侵してしまい、いわゆる「原罪」を 背負う結果となったことを示しています。 これに関して、ヤコブ人への手紙1章には    誰でも誘惑にあった時、神によって誘惑されたと言っては    なりません。神は悪に誘惑されることのない方であり、    ご自分で誰を誘惑なさることもありません。    人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、    誘惑されるのです。    欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。 とあります。 また、ヘブル人への手紙5章には    この方について、私たちは話すべきことをたくさん    持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、    説き明かすことが困難です。    あなた方は年数からすれば教師になっていなければならない    にも拘わらず、神の言葉の初歩をもう一度誰かに教えて    もらう必要があるのです。       あなた方は堅い食物ではなく、乳を必要とするようになって    います。    まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じて    はいません。幼子なのです。    しかし堅い食物は大人の物であって、経験によって良い物と    悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。 とあります。 聖書における「善悪」は、経験により見分ける感覚を訓練されて 身につけるものであるようです。 あと、聖書について少し調べましたので、報告します。 いわゆる旧約聖書はヘブライ語もしくはアラム語で記されました。 しかし状況の変化により、他国語への翻訳が行われました。 比較的名が知られているのがアラム語訳の「タルグム」や、 ギリシャ語訳の「セプトゥアギンタ」です。 セプトゥアギンタは紀元前3世紀前半から72人のユダヤ人による 翻訳が始まり、紀元前150年頃までに完成したとされています。 その写本のうち断片ながら現存する最古のものは 紀元前2世紀のものであるとされており、完全版も紀元5世紀の ものがバチカンに保管されているそうです。 新約聖書はギリシャ語で記されてましたが、西暦2世紀から シリア語訳が作られました。その頃の著作として知られるのが タティアノスの「ディアテッサロン」です。 このディアテッサロンはアラビア語訳や3世紀のギリシャ語の 獣皮紙断片写本、4世紀の注解のアルメニア語訳などが 現在にまで伝わって残されています。 ほぼ完全な形で残る最古のものは、5世紀ごろの写本とされている クレトニア写本及びシナイ写本です。 また西暦508年頃に、ヒエラポリスの司教フィロクセヌスは ポリュカルポスにシリア語ペシタ訳の改訂版を作らせました。 このペシタ写本は数多く現存しています。 これら以外にも、ゴート族のためのゴート語訳や、エチオピア語訳、 エジプトのコプト語訳、アラビア語訳、スラブ語訳などが 西暦4世紀から9世紀にかけて作られています。 聖書研究家は昔から数多くいました。 有名なところではアイザック・ニュートンという人もいました。 そういった人たちが常に色々な角度から記述内容を検証しており、 改竄の入る余地はさほど無いと思われます。 特に十字軍以降はウサチュウさんが言われたような社会情勢の問題の他に、 上のような翻訳の状況があったため、よしんば改竄していてもバレていると 思うのですが・・。 2mさん、この問題はこれ以上進むと教義の論争になるのが予想されます。 正直言いまして、私はこれ以上お付き合いできないと思います。 折角ウサチュウさんが総括して下さったので、言い出しにくいのですが、 ここらで一息つきませんか・・? ・・・ 最後にヨシュア記についての蛇足ですが・・。 特に「逆説」の読者で聖書を読んだことのない方々は、 ヨシュアは殺戮ばかりした残虐無人の人物のように 思われているかもしれませんが(笑)、 事前に講和を求めたギブオン人や、エリコでヨシュアが放った斥候を 匿ったラハブという名の娼婦とその一家を助けたことは 一応コメントしておくべきでしょう。 そもそもヨシュアがカナン人を皆殺しにしたのは、 カナン人が道徳的に堕落していたという側面があります。 井沢先生はかつて、ソドムとゴモラを引き合いに出されましたが、 聖書の記述によると、カナンの地でも、 偶像礼拝や性の乱れ、呪術、我が子を犠牲に焼く儀式などなど、 ソドムとゴモラに匹敵するというよりむしろ それ以上の「忌まわしい」文明が栄えていたとしており、 最近になって考古学的にもそれが立証されているようです。 ヨシュアは本当の意味で、無用の殺戮はしていません。 「朱に交じれば赤くなる」ことを避けるための措置でしょう。 ギブオン人はただ単に政治的講和をしたのではなく、 講和時にイスラエルの神を受け入れているのです。 「イスラエルの神を受け入れる」というのは 単に宗教的なことのみならず、厳しさで知られる イスラエルの戒律をも受け入れることを意味しています。 ギブオン人はずっとイスラエルの庇護下にあり、 イスラエル初代王のサウル王がギブオン人をイスラエル民族ではなく エモリ人の末裔だからとして抹殺しようとしたのを、 後のダビデ王が救うという一幕もありました。 またラハブは後にイスラエル人のユダ部族の者と結婚し、 その子孫からダビデ王が出たとされています。 Time : 2001/ 2/19(月) 08:02:25
Name : 2m E-mail : Title : なかのさん、ウサチュウさんへ Comments: なかのさんへ >ここの「言葉は神」を「言葉は善であり悪」とすると、前後の脈絡がおかしくな ります。 >改竄されたと「知っている」と言われる2箇所について、その根拠 ここだけでなく、この辺り全体が全く異なっていました。勿論、出典は「まとも 」と言える本ではありません。「削られたキリスト」は、誰かが宗教以外の事につ いても色々書いた内の一説です。10年近く経っている上、記憶力が無い為それ以上 は忘れました。「言葉は神ではない」は、五島勉さんが書いた本です。空想小説と 思って読んでいたのですが、この人の空想力だけでは書けないと判断してこの部分 についてはある程度信用しています。・・最近本屋でもめっきり見掛けなくなりま したが、確か最終刊に書いてあります。 >「言葉」(ロゴス)はイエスキリストのこととして解釈されています これは、キリスト教徒の視野ですね。ユダヤ教徒は完全に否定すると思います。 ・・道徳教でも「精神は不滅」としていますが、傲慢で磔にされたイエスには、そ ぐわない解釈と考えます。 ウサチュウさんへ >「カソリックは十字軍を正当化するために聖書の改竄を行った」 >当時は信者に聖書を読ませなかった(信者が読めなかったの)であるから、仮に 聖書を改竄しても正当性を訴えることが出来ない。 教会内部での不平を抑える事は可能です。しかも一般人が積極的に十字軍になる 事を、神父達に薦めさせなければなりません。神父達が「聖書に反しているから、 殺し合いを薦める事はできない。」とされたら、ローマ・カトリックの立場はなく なります。・・この時期に改竄された可能性は極めて高い筈です。 >「ヨシュア記はカソリックが作成したユダヤ人誹謗文書の一つである」 >ヨシュア記は旧約聖書、ユダヤ人の正典である。ユダヤ人は何が悲しゅうて自ら を誹謗する文書を正典としなければならないのか?ヨシュア記はユダヤの歴史書と 考えるのが妥当であろう。 これはどちらとも言えません。ただし「神は絶対に正しい」と言う言葉があるせ いで、ユダヤ人に対する呪いになります。ただの「歴史書」なら反面教師にもなれ るので問題ありませんが。 >「カソリックは圧倒的勢力で、謀略により他宗派を沈黙させた」 >西欧(カソリック)が圧倒的な勢力であったとするの誤り。・・・先進国の東方 正教・イスラム教が発展途上国のカソリックの言いなりになるか? なぜ、そんな片田舎の人達が世界を制圧する事が出来たか、不思議ではありませ んか。・・彼らの宗教が破滅・侵略を目的とするモノに化けたからと考えています 。これは、以前書いた「間引き」とも深く関わっている様です。その辺は次回書き ます。 それに、全ての聖書の書換えが十字軍の時期に完了したとは書いていませんけど 。 Time : 2001/ 2/19(月) 21:59:14
Name : ウサチュウ E-mail : Title : ウサチュウ、またの名を○ラ○も○ Comments:  「頭でっかち」って言われて、真っ先に頭に浮んだのが ♪あたまデッカ、デーッカ。さえてピッカピーッカ。  それがどうした、ぼくド○え○ん。  一瞬、真剣にハンドルネームの変更を考えちゃいました(笑)。 Time : 2001/ 2/20(火) 15:14:19
Name : なかの E-mail : Title : 未来の世界の・・ Comments: こんばんは、なかのです。 ウサチュウさま> あの歌って、「デッカデーッカ」だったのですか? 私は「テッカテーッカ」だとばかり思っていました・・(笑)。 聖書について少し調べたのですが、疎漏がありましたら教えてください。 2mさま> レスありがとうございました。 前回の私の書き込みの後半に、「聖書」の翻訳史(?)について少し述べましたが 、 その上でも改竄されたと言われるのでしたら、 折角苦労して書き込んだ私の努力に免じて(自分で言うのも何ですが・・)、 5世紀以前にどういう理由で改竄されたのかをご説明願います。 出典が「まとも」でないというのは、恐らく社会的権威のことを言われているのだ と 思いますが、むしろそれが「偽書」であるかどうか、そして成立したのがいつなの か、 その辺りを考古学的手段などに則ってきちんと検証されているものならば、 「まとも」でない物でも構いませんので・・。 あと「言葉=イエスキリスト」というのは、仰るとおり、そして私もそのつもりで 書いたのですが、あくまでもキリスト教徒からの解釈です。 しかし、そもそもユダヤ教徒はヨハネ伝を「教典」と見なしていないので、 ユダヤ教徒がこの記述と、そしてこの記述の解釈とを否定するのは 別に当たり前だと思いますが・・。 五島勉氏の「言葉は神ではない」という本については存じませんが、 私が前回述べたように、ヨハネ伝の記述についても、 「言葉=神」(つまり三位一体論)を否定する考え方もキリスト教の中に あるのですから、だからここでどうという事ではないと思います。 言うまでもありませんが、「キリスト教=カトリック」ではなく、客観的に見て、 カトリックはただキリスト教の「本家」を自称しているだけなのですから。 くどくなりますが、問題なのは、その「削られたキリスト」・・という本ですか、 2mさんが出典としている本での関連する記述内容が、 論理的・歴史的・考古学的な検証に耐えうる物なのかどうかであり、 その検証をしないまま正面にぶつけるのでは、 いわゆる「トンデモ」になってしまうだけです。 もしその本の内容が分かるようでしたら、ご報告下さい。 Time : 2001/ 2/20(火) 22:02:27
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 法○ウサチュウ]世から、○王2mZ世、なかのY世へ。 Comments:  2mさまへ  確かに教会内部に対しては何らかの措置が必要とされます。が、聖書の改竄では 法王(十字軍推進派)にとっては不都合が生じます。  なかの様も言われましたが聖書という訳語は、読んで字のごとく「神が書かせた 聖なる書物」(本当にこの翻訳はいい仕事ですね)です。仮に聖書の改竄を行うと したら神の介在、即ち奇蹟が必要とされます(少なくとも「預言者出現」級の奇蹟 が必要と思われます。もっともそれでも賛同が得られるかは疑問ですが)。では、 その奇蹟はどのように認定されるのか?法王がすぐにエイヤッとできるのか?  答えは「出来ない」んですよ、いくら法王でもすぐには。奇蹟の認定には、枢機 卿や神学者、科学者(これ本当です)等からなる委員会の審査が必要とされます。 この審査は最近の「ご利用は計画的に」とか言う金融業のそれとは違って、ものす ごい時間がかかります。何せ奇蹟を審査するんですから。良くて数十年、下手をす れば何百年ですな(実際、そのような例があります)。まあ、仮にウサチュウT世 が奇蹟を自作自演したとして、ウサチュウT世の治世下に認定されることは、まず ありません。では次の、なかのV世(なかの様、すみません)ではどうか?これで も難しいですな。ではでは、次の次の2mU世(2m様申し訳ない)ではどうか? まあ、程度の良い奇蹟だったら、この辺りでしょうな。でも聖書の追加・削除なん て大それたことに繋がる奇蹟ならば、かなり下ってウサチュウ]世・なかのY世・ 2mZ世でも認定されない、なんてことになりかねません。  また、法王庁は当時、いや現在においても世界最大規模の官僚組織であり、また 国際政治の場でもありました。対外的には一枚岩に見えても、その内部においては 権力闘争に明け暮れ、また各国の利害の衝突や駆け引きが日常茶飯事に行われてい ました(枢機卿は各国の代表でもあります)。前法王の路線が継承されるとは限り ませんし、ある国の影響下に入ってしまうこともありました。そのような事実から すると、?としか思えません。  仮説を立てられることは、とても良いことですが、それと同じくらい、いやそれ 以上に検証が必要です。酷な言い方になりますが、自然科学においては適正な実験 ・観察に基づかない仮説は「トンデモ」話に過ぎません。歴史も人文科学の一つな のですから仮説を立てたら、まず事実と照らし合わせることが肝要と私は思ってお ります。  なかの様  「テッカテーッカ」なんてデマだー!国家権力・米軍の謀略だぁー! 無論、冗談です(笑)。それにしても、よくここまで調べられましたね。私は70 人訳にしか知りませんでした。いい勉強になります。  「ありがとうございます。おつかれさまでした」  いや、別に「お別れ」ってことではないですよ。念の為。 Time : 2001/ 2/21(水) 02:58:30
Name : なかの E-mail : Title : なかのY世から法○ウサチュウ]世へ返信 Comments: おはようございます、なかのです。 ウサチュウさま> レスありがとうございました。 ウサチュウさんが言われた「70人訳」とはセプトゥアギンタのことですね。 他の方へ念のための解説ですが・・ 以前に、「セプトゥアギンタは紀元前3世紀前半から72人のユダヤ人による 翻訳が始まり、紀元前150年頃までに完成したとされています。」と書き込みを しましたが、なぜかこの翻訳は70人を意味する「セプトゥアギンタ」と 呼ばれました。 私も精一杯調べましたので、これ以上は、振っても何しても出てきません。 ご了承願います。 Time : 2001/ 2/21(水) 08:25:03
Name : 2m E-mail : Title : なかのさんへ Comments: >くどくなりますが、問題なのは、その「削られたキリスト」・・という本ですか 、2mさんが出典としている本での関連する記述内容が、論理的・歴史的・考古学 的な検証に耐えうる物なのかどうかであり 何度も繰り返しますが、まともな本ではないと言います。確か「大予言」の最終 刊です。もしその辺に転がっていたら読んでみたらどうですか。こーゆー本は持た ない主義なので全文を書けないのが残念です。 それから、もし「歴史を正しく見極めたい」と思うなら、「今伝わっている歴史 が正しい」と言う見方は、「勝利者への賛辞」に過ぎないので止めた方が良いと思 いますよ。「歴史は勝利者に依って作られている」訳ですから。「勝利者への賛辞 ・敗者への冒涜」は正当として持ち上げられ、「勝利者への冒涜・敗者への賛辞」 は不当として貶められ、更に忘れ去られるものだとは思いませんか。 「歴史」を間に受けていたら、取り返しのつかない過ちを犯しますね。戦前の「 古事記・日本書紀」と同じで。だからこそ「勝利者への冒涜」は、まともと言えな い本でも重視するのは、視点の偏りを減らす格好の材料と考えています・・勿論、 内容にも依りますが。 2mは2mが持っている宗教観を元に、固定観念を出来る限り捨てて歴史を見ている だけです。それが誰かに不都合な言葉だとしても撤回しません。完全に謝りと認め れば別ですが。・・本当に、しち面倒臭い作業ですけどね。 Time : 2001/ 2/21(水) 21:26:25
Name : 2m E-mail : Title : 失礼しました Comments: >>彼らの宗教が破滅・侵略を目的とするモノに化けたからと考えています。これは 、以前書いた「間引き」とも深く関わっている様です。その辺は次回書きます。 長くなりそうなので、すみませんが今週末にします。 Time : 2001/ 2/22(木) 00:10:36
Name : 高尾太夫 E-mail : Title : 幾らなんでも Comments:  おはようございます皆さん。半年ほど前から閲覧していましたが、 初めて書き込みをさせていただきます。高尾です。  横から見ているだけなので余り大きな事は言えませんし、 知識も何も有ったものではないので、不快に思われる言い回しが 有るかもしれませんが、一つ大目に見てやってください。  本日までの宗教改竄論争を見ていると、あまり2m様に分がある様に 見えませんね。(大きなお世話かもしれませんが)  資料偏重主義は確かに大きな(取り返しのつかない)過ちを犯しかねませんが 故意に資料を否定するのも同様だと思われます。  2月14日の時点で2m様はヨシュアの殺戮を>「ユダヤ人」を排斥する為 >ローマ・カトリックが後から付け足した  と断定されています。 他のお二方はその根拠が「眉唾」だといっていますが、改竄そのものが まったく無いとは言っておられないように思われます。       つまり  全くの余所者から見ると、2m様のお考えは「トンデモ」にしか見えない ということです。  ご自分の持っていらっしゃる宗教観、歴史観、世界観をご披露なされる のは一向に構いませんが、他者に対する反論が余りにも自己中心的なのは 否めない事実だと思います。誤りを認めることを(今回の問題に限らず) >しち面倒臭い作業 と言われてしまっては、何をしても無駄ですよね。  隣の頁で偽者騒ぎが有りましたが「2mって自分のこと完全無欠だと思ってるんだ ろうな。」というのはここに訪れた多くの人の感想だと思いますよ。 ご自分では否定為さっておられますが、行間からはどうしても独善的なものを 感じてしまいます。  「おまえなんかに言われたくない」とお思いでしょうが敢えて今回だけ 言わせていただきます。  別に煽っている訳では有りませんのでレスを付けていただかなくても結構 ですし、あたしも再反論する気はありません。  只、ここは井沢先生のHPなのでファンの方が寄り道をした時に居心地の 良い場所であるよう願っています。  なんかとても失礼な文章ですね、ごめんなさい。 それではさようなら。 Time : 2001/ 2/22(木) 01:00:20
Name : 2m E-mail : Title : 高尾太夫さんへ Comments: >「2mって自分のこと完全無欠だと思ってるんだろうな。」 >改竄そのものがまったく無いとは言っておられないように思われます んじゃ、お答えします。・・「聖書は改竄が、資料的にも説明し切れない」「聖 書は神が創った」と思い込み、自分なりの「聖書」の本質的な分析を避けている人 よりは、「完璧に近い」とは思っています。「完璧無比」とは思いませんが。それ らの行う場合と行わない場合とでは、思索の総量に決定的な差が生じている筈です 。恐らく1割にも満たないと思います。それなのに、「偏っている」とか「殆ど全否 定」をされると、少し腹が立ちますね。 「誰かの意見を参考」にするのは良いかも知れませんが、「それ以外は反対」で は、「その人の分析を受売りしている」だけです。 まるで攻略本を読みながら、コンピューターRPGゲームをしているのと同じ状態で す。ちょっと選択を変えれば更に「良い物」を手に入れられるのに、攻略本の作者 がそれを試さなかったばかりに、遊んでいる人もその「良い物」を得られない結果 になります。・・・物凄く惜しく、またつまらない事と思いますが。 Time : 2001/ 2/22(木) 20:12:02
Name : 2m E-mail : Title : なかのさんへ Comments: >この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、・・・経験 によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。 >とあります。 ちょっと前のレスをします。・・これは当り前の事ですね。でも人によって経験 の度合いは異なるので、「あなた方は年数からすれば教師になっていなければなら ないにも拘わらず」と言うのは少しだけ問題がありますね。ま、それ以外はOKです 。現実味も極めて高いです。 ただし、これと「言葉は神」と言う言葉は完全に矛盾しています。ここの論旨は 「言葉だけでは駄目だ」、と言う事で全く一貫性がなくなっています。別人が書い た物で、更に「言葉は神」の方は以前も書きましたが現実味が全く欠けているので 、相当のロクデナシが書いた物の筈です。 ・・ここまで矛盾しているのに、「神が書いた」では手抜かりも良い所ですね。 Time : 2001/ 2/22(木) 23:31:01
Name : なかの E-mail : Title : 「歴史的事実」と歴史における「評価」 Comments: 2mさま> レスありがとうございました。 こちらこそ繰り返しますが、 「まとも」かどうかについて、2mさんがどういう判断基準でなされているのかが いまだ十分に見えてこないのですが、 それが正当な検証に耐えうるものであるならば問題は無いと思います。 むしろ「定説」に対して異論を唱えるのでしたら、 検証に耐えうる(と判断できる)論拠を提示しなければなりません。 隣のコーナーで「清和」「陽成」の論争が起こったのも、 問題の源頼信の願文が様々な検証の結果、 信用に足ると判断されたからこそなのです。 かつて陳舜臣氏が「敗者から見る歴史」について触れられていました。 「歴史は勝利者に依って作られている」のはある程度事実です。 歴史に政治の関与は避けられません。 だからこそ、「春秋左氏伝」で「董孤の筆」の故事が 大きく扱われているのでしょう。 しかしいくら権力者を憚るとはいえ、100%の「曲筆」など あり得る筈もなく、それに近い物は過去にも幾つかあったようですが、 ふつうは歴史により淘汰されます。 例えば北魏王朝の歴史を記した「魏書」など・・。 「今伝わっている歴史が正しい」と誰が言ったのか知りませんが・・。 (少なくとも私は言っていないと思いますが・・) 現在残されている歴史書の大半は、極端な言い方をすれば「大本営発表」です。 しかしそれを「大本営発表」だとして全て否定するのは非現実的です。 現にそれらの大半は、当代及び後世の厳しい検証・淘汰を経て、 歴史史料として認められ、現在に至っているのです。 記紀については、戦前は100%真実、 戦後はほとんど虚構として扱われました。 これら両方とも、「正しい」歴史的検証とは思えません。 そして、人類、特に日本人はこの手の過ちをしばしば犯しますが、 「歴史的事実」と「評価」を混同してはいけません。 「賛辞」「冒涜」はあくまでも「評価」の一部に過ぎません。 例えば、三国志の時代、魏・呉・蜀の3国が互いに争い、結局は 魏を乗っ取った司馬氏の晋(西晋)が呉を併呑し統一を果たしました。 ではその西晋は3国のどれを正統とみなしたかというと、 司馬炎は魏の禅譲を受けたのですから、当然ながら魏を正統としました。 しかし、八王の乱により異民族が侵入し、晋の王族の一人が江南へ逃れて 東晋を建てました。ではその東晋はというと、 僻地で正統を主張した先例ということから、蜀を正統としました。 同様のことは北宋と南宋でも起こっています。 北宋時代の作品である「資治通鑑」は魏を正統としています。 三国志時代の「評価」は、時の政権の在りようにより代わりました。 しかし現実には、全体10に対し、魏7、呉2、蜀1としています。 (数字については異論があるかもしれませんが・・。) あと、怒られるかもしれませんが、「宗教観」自体が 「固定観念」になっている可能性はどうなのでしょうか。 少なくとも、「聖書は神が創った」というのが、 聖書の存在そのものの本質であり、 大前提となる概念だと思うのですが・・。 高尾太夫さま> 書き込み歓迎します。 Time : 2001/ 2/22(木) 23:39:53
Name : なかの E-mail : Title : 三国人発言騒動 Comments: おはようございます、なかのです。 2mさま> くどくなりますが・・。 ヨハネ伝の「言葉は神」云々につきましては、 以前にも言いましたが、創世記の天地創造を意識しての 表現であろうと思います。 まずこの箇所の「改竄」の有無そのものにつきましては、 正直言って分かりません。 ただ、紀元5世紀の記録が複数、それも異なった形で現存しており、 それまでの聖書の記述がそれらにより検証されているのですから、 少なくとも十字軍の頃に改竄があったというのは 無理があると思います。 またこの箇所の記述内容につきましては・・。 神が「○○よ在れ」と「仰った」ことにより生じた、 言い換えれば神の「言葉」が創造に携わったことを 示しているだけのことで、 ここでの「言葉」は一般的な「言葉」という語としてではなく、 何かの比喩であると見なすほうが前後の文脈に沿っています。 (キリスト教ではそこでの「言葉」をイエスキリストのことと解釈していますが・ ・) 単語は複数の意味を持つことが多く、 また文脈やTPOに応じ同じ表現でもニュアンスが違ってきます。 それらを考慮せずに一緒くたに「言葉」という表記だけで 括ってしまうのは問題があるでしょう。 つまりここで言いたいのは・・、 ヨハネ伝の「言葉は神」という文面だけを 前後の文脈を無視して切り出し、それだけで語るということが アンフェアであるということです。 以前に井沢先生が指摘されましたのでご存じでしょうが、 石原都知事の「三国人発言」に対し 共同通信社が取った態度がまさにそうだったと 記憶しているのですが・・。 Time : 2001/ 2/23(金) 08:21:56
Name : ウサチュウ E-mail : Title : お断り Comments:  断っておくが、以下の書き込みは2m氏に対するものである。 Time : 2001/ 2/23(金) 14:32:08
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 吉○御○状 Comments:  2001/2/22(木)20:12:02付の2m氏の書き込みは、2001/2/22(木)01:00:20付の 高尾太夫氏に対するレスであり、本来、私がとやかく言うべきではないのであろう 。が、これまでの経緯からして看過し得ないので以下の通り主張する。    @新約聖書は(一読すれば分かるが)どうとでも解釈出来る「ことわざ・格言」 集に思える。しかし、だからといって、自分とは異なる解釈をする既存のキリスト 教徒、学者達を否定し、また自分のお気に入りの「ことわざ・格言」が含まれてい ないからといって「愚書」扱いするのは如何なものか?それほど気に食わないので あれば、お気に入りの「ことわざ・格言」を含んだ文書を「発見」し、自分の解釈 をもってプロテスタントの一派を創立、布教を行えば宜しかろう(もっとも、素人 に反証・論破されるようでは先が思いやられるが)。  A自分なりの仮説を考えるのは結構だが、仮説を立てるのは知識を得るための一 里塚に過ぎない。事実と反している仮説は、どこかに誤りがあるということだから 他の仮説を考えなさい。それに公に主張するからには、せめて「立証責任」を果た してもらいたいものだ。それが面倒くさい、また反証・論破されるのがイヤという のなら主張をせず、心の奥にしまっておくことだ。  B「相手方を貶め、自分を自画自賛し正当化すること」をもって反論とする傾向 があるが、それは辞めなさい。みっともないったらありゃしない。 Time : 2001/ 2/23(金) 14:29:15
Name : 2m E-mail : Title : なかのさん、ウサチュウさんへ Comments: なかのさんへ >「まとも」かどうかについて、2mさんがどういう判断基準でなされているのか がいまだ十分に見えてこないのですが 1.紹介者が怪しい。・・「空想」どころか「妄想」が多い時がある。どう見ても「 妄想」を「現実」にこじつけている時がある。 2.中身が怪しい。・・恐らく「原文」と思われる所と「空想」が入り混じっていて 、区分けが困難。 3.設定が怪しい。・・中身がうろ覚えですが、確かロシアで見せてもらったと書い ていた。可も無く不可も無くと言った設定だが、言っているだけの可能性も否定で きない。 とりあえずこんな所です。 >「今伝わっている歴史が正しい」と誰が言ったのか知りませんが では「今伝わっている聖書が正しいとは思わない方が良い」、と言います。どち らも同じ様な理由で書換えがあった筈ですから。 >「宗教観」自体が「固定観念」になっている可能性はどうなのでしょうか。少な くとも、「聖書は神が創った」というのが、聖書の存在そのものの本質であり、大 前提となる概念だと思うのですが それが大きな間違いです。「宗教」の根底は、道徳経で言う「道」、仏教で言う 「大日如来」・・万物の中に普遍的に存在する法則を感じとる事の筈です。「聖書 」にも、その傾向が見えていますが、ロクデナシどもの努力によって見えなくされ ているだけです。 「この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、・・・経 験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」・・ この言葉からは、作者の高い精神性が読み取れます。「解らないとも思うが、人が 人として生きる為に必要な法則を教える。」とこの作者は書いています。全ての宗 教の根底は、そんな物と認識しています。それと異なり「絶対正義の観念」を押し 付けるのは、「宗教」とは言えないモノです。 ウサチュウさんへ >自分の解釈をもってプロテスタントの一派を創立、布教を行えば宜しかろう(も っとも、素人に反証・論破されるようでは先が思いやられるが)。 何を言っているのかよー解りませんが。そんなしち面倒臭い事をする気は全くあ りません。大体そんな気があんなら、こんなトコに書き込むのは時間の無駄です。 それに、そんな「宗教家として低レベル」な事はこっぱずかしくてできません。「 大隠は市に隠る」って諺もありますし、「宗教団体」なんてのはどんなに優秀でも 「宗教家としては二流」です。老子の第一の学説、「才能を隠し無名である事」を いきなり破っていますし。 >B「相手方を貶め、自分を自画自賛し正当化すること」をもって反論とする傾向 があるが、それは辞めなさい。みっともないったらありゃしない。 ウサチュウさん自身の事でもありますね。「自画自賛」の傾向は、見る人によっ てはあると思うので書いておきます。「2mはかなりのロクデナシだからこーゆー事 が書ける」と言う訳です。 Time : 2001/ 2/23(金) 22:30:19
Name : GS E-mail : Title : おじゃまします Comments: 初めまして、GSといいます。 これまで右隣のとまり木におじゃましていましたが、こちらへ引っ越すことにしま したのでよろしくお願いします。 こちらへ引っ越してきた訳は、以前からの田中知事関係の内容はこちらのコーナー の方がふさわしいと自分で勝手に判断したためです。 ********** 田中知事の「脱ダム」宣言論争が全国版マスコミでも大きく取り上げられ始めまし た。 何でもこれ、「ポツダム宣言」のパロディだそうですが、駄洒落(というよりオヤ ジギャグ?)のセンスすら持ち合わせていないのでしょうか、この方は。景山民夫 さんが生きていたら、ボロクソにけなされていますね。 知事は宣言してから数日たって、「数百通もらったけど反対者は片手だった」とし ていますが、この一見開放的な手法自体にも否定的な意見があります。 この宣言に対する意見は長野県HPにメールの窓口がありますが、メールの内容は 一般に公開されず、田中知事しか見ることが出来ないのです。つまりその知事が「 数百通もらって反対者が片手」と言っても、客観的信憑性は全くありません。しか し大半のマスコミはこれについて報じていません。 また、県民のうち田中知事を支持する層と嫌う層とでは、メールの使用率はどうな のかとか、そういった検証も行われていません。 ********** 以前になかのさんが隣コーナーで「脱ダム宣言」について要約していましたので、 それを拝借させていただきますと: @補助金制度の問題点とダム建設の是非とは別に論じるべきではないか? Aダムは自然への負荷が多くてダメでも、自然の宝庫を開発する道路はいいのか? B県議会に対する「約束違反」、そして独断専行とされるその手法 C宣言に至るまで、「透明性」や「しなやかさ」に欠け、「プロセス」を蔑ろにし た? D「ダム中止」の先(治水代替え、水源確保など)が見えず、ダム中止ありきでは ないか? E造林による「緑のダム」はコンクリートダムの代わりとなりうるのか? でしたが、かなりうまく整理されていると思います。 現在地元で騒がれているのは主にBの問題ですが、それよりも大事なのはCとD( AEはDに関連していると判断しましたので、ここでは省略)です。 この宣言が「理念先行」であるということは多くの方がそう言っており、地元から も「治水代替え」や「他の水道水源」の論議なくして、ただ単に突然のダム中止は おかしいという意見が出されています。 現に下諏訪ダムでは、「治水」は代替え案を検討し、「利水」つまり水道水源は他 の水源をこれから検討するとしています。 逆でしょう?先に「○○という水源があるからダムは不要ですよ」という議論があ って、ダム中止となるのなら分かりますが、ダムを中止してから水源を求めるとい うのでは。本当に「下諏訪ダムを中止する理由が見あたらなかったから「宣言」を 行ったのだ」と見られても仕方ないでしょうし、実際そうだったと思っています。 これについてダム反対派は、これまで水源を求めようとしなかった岡谷市等の態度 を批判していますが、これこそ本末転倒としか言いようがありません。 先に問題となった浅川ダムが「再調査」という形で残ったのに対し、なぜ下諏訪ダ ムが「再調査」でなく「中止」なのかが見えてきません。昨日の信濃毎日新聞にも 、田中シンパとする県内企業のトップの声として、「田中ファンを自称していたが 、今回の突然の宣言には首を傾げざるを得ない」としています。 また、何も問題なく進んでいた飯田市の「郷士沢ダム」も、知事の意向を受けて用 地買収を中断しましたが、地元から怒りの声が挙がっています。知事はダム反対派 の意見しか聴かないとする声が大きくなっています。 誤解してはいけないのは、怒っている人の大半は「理念」そのものへの反対という よりむしろ、「知事」個人の「独断的」かつ「性急に過ぎる」手法に対する反対な のです。そのため地元では、「県」の見解ではなく「知事」個人の説明を聞きたい とするところも少なくありません。 幹部以下の県職員や県議会と全く意志疎通を図ることなく物事を進めていくことに は、志田糺さんが言われるような「腐敗を守ってきた人達は耳を貸す必要がない」 とする意見もあると思いますが、それとこれとは話が違います。 少なくとも県職員は知事の意向を受けて行動するスタッフであり、県議会は知事の やろうとすることを審査する立場にあります。これまで「馴れ合い」だったとはい え、健全な関係を自ら唱えた以上、自分からそれを歪めるのでは、二枚舌と言わざ るを得ません。 100%とは言わないまでも、ある程度の意志疎通を図らないことには、文字通り 「理念倒れ」になってしまうのがオチです。 Eの「緑のダム」については、専門家から否定的な意見が数多く出されています。 ちょっと考えれば当たり前です。雨が降って木が膨張するなぞ聞いたことも見たこ ともありません。それとも、雨が降らない地帯の木は中が空洞なのでしょうか? 日本は高度成長期から現在まで、日本史上でも稀なくらいの森林王国です。そして これまでも、一時期伐採による禿げ山が現れたことはあったものの、概ね森林には 恵まれていました。 それでも洪水は数多く起こっており、多くの被害を出しているのです!! いくらダムが嫌いだからといって、理念というより感情論だけでのダム否定は無責 任に過ぎます。 ダムを否定するのならば、代替えとなる治水案、それも単なる河川の改修では洪水 被害を下流へ押しつけるだけになってしまいますので、洪水をプールするという発 想での代替え案が必要になります。 洪水による「被害」は昔は田畑だけでしたので、「被害」というよりも、土地が肥 沃化するということで、昔はあまり語られていません。しかし現代は、川沿いに人 家や商業地が並び立つようになっているため、治水というものの位置づけがこれま でにないくらい重要になっているのです。 先日の河川審議会での結論に自分が反対であるのも、流域に人家などが張り付いて いるという現状をあまりにも蔑ろにしているからです。 利水もまた、必要だから、そしてダムによる水源こそが最も適当と判断して始まっ ている筈ですので、水源確保の議論とその必要性についても、十分に論議してから ダムの必要性を語るべきです。 この議論は、車の存在が社会や環境に多大な負荷を与えているからという理由で車 社会を否定しつつも、自分は堂々とガソリン車を乗り回している、また自衛隊の存 在そのものは否定しても必要なときには使うことも是とする○産党の主義主張にそ っくりです。 河川の流量の安定化というのが、ダム不要論では必ずといっていいほど見落とされ ているのも不思議でなりません。 実はこれは、ダム以外に具体的対策が無いため、ダム不要論者は論じるのを意図的 に避けているのでしょう。 河川を自然のあるがままの姿に、という理念はまさにその通りだと思います。しか し現実として、河川の流量は年々減る傾向にあります。特に上で大規模な取水をし ているのではなく、河川の水自体が減っているのです。 これは雨量の傾向を見てもある程度説明がつきます。これまで時間的・平面的にば らけて降っていた雨が、ここ最近になって、局所に集中的に降ることが増えていま す。これは皆さんも実感していると思います。 その結果、降るときはどかんと降り、降らない時は全く降らないということになり 、川は洪水になるかチョロチョロしか流れないかのどちらかになってしまうのです 。 河川の環境に川の水は不可欠であり、川の水の安定化を語らずして河川の環境を語 ることはナンセンスです。 ダム不要論を語る時には、ただ単にコンクリートが嫌だという前に、そういった事 も合わせて論じていただきたいと思います。 また、アメリカやヨーロッパではダムを否定しているという議論がよく出されます が、これを論じる前に、日本と大陸とでは地勢条件が大きく異なることを論じなけ ればなりません。 アメリカのように一部山地はあるものの、大半は広大な平原、砂漠といった国では 、しかもダムによる貯水量が日本の20倍もあるという国では、ダム不要論が出ても おかしくはないでしょう。 しかし日本は狭い国土、しかも殆どは山地であり、洪水は瞬間的に発生して瞬間的 に被害を及ぼすため、どうしても生命を守るという観点に立てば、ダムのような治 水対策にならざるを得ないという事情があり、また水資源事情もあります。 少なくともほぼ毎年、渇水に悩まされている人達、例えば首都近郊の1000万以上の 人達がダム反対を唱える心理が分かりません。そういった人達は自分達のライフラ インである水源をどこに求めようというのでしょう。まさか輸入?それこそ外交の 自殺行為です。 日本は水資源が決して豊かな国ではないのです。これはPRしなかった国土庁(現 ・国土交通省)にも大きな責任がありますが、「無責任なダム不要論」は亡国の音 でしかありません。 ********** 自分がここまでダムの議論に関心を抱いたのは、田中知事の行動もさることながら 、これまでのダム不要論があまりにも無責任に展開されていると思えたからです。 たしかにコンクリートの構造物が大自然の中にデンと鎮座する姿は見ていて好まし いものではありません。しかしそれは、そうする必要があったからこそ、そこに存 在しているのでしょう?それが補助金制度や業界談合と併せて語られること自体が 不毛の論議です。 公共事業が業者の懐を暖めるだけで談合の温床だから不要だとするのは、不祥事ば かり起こしているから警察システムが不要だというのと同じ論理構造です。 水を利用するだけ利用して、河川の改修をすれば被害を防げるというようなダム不 要論は、逆に言えば下流へ洪水の被害を押しつけるということであり、上流側の怠 慢です。 洪水被害は防げても、洪水の発生は防げないのです。だからこそ、上流の人にはダ ムでも何でもいいので、洪水を下流へそのまま渡さないというそれなりの対策をと る義務があります。上流でおいしいきれいな水を独占しているのですから。 また下流の人も、自然環境という理念だけで現実を無視した議論をそのまま上流へ 持ち込むのはやめましょう。口だけしか出さず、上流へ金も汗も落とさない人はは っきり言って迷惑です。無責任な議論が繰り広げられるだけで時間の無駄です。 あまり言って、国土交通省の手先と思われてもいけませんので、このくらいにしま す。 かつて「平成教育委員会」というテレビ番組で田中知事と共演したことがある、「 コマネチ」で知られるお笑いタレントの第一人者で「世界的監督」の方が、田中知 事について、決して「自分が誤っていた」とは言わない人だと評していたそうです 。 田中知事には、上記のACD、そして「コンクリートダム」でない「フィルダム」 (土砂や小石を積み上げて創るダム)ならいいのかどうか、また他人の意見をどれ だけ聴いているのかどうか、その辺りははっきり返事をしてほしいものです。 ********** 最後に2mさん、初めまして。 こちらのコーナー初顔の自分がレギュラーのあなたにこんなことを言うのも僭越か もしれませんが、あなた、他人の意見を聴く耳を持っていらっしゃいますか? 相手の言葉の一部を不適当に取り上げて批判をしたり、自分の意見に反対する人の 意見を聴こうとしないなんて、まるでどこかの自称作家の政治素人の知事か、はた また中身真っ赤っかの「3000万の隠れ読者」をもつ某通信社じゃあないですか。 左のコーナーでパンダさんやウサチュウさんに散々に子供扱いされた理由が分かっ ているのですか? あれは決して2mさんへのいじめなどではなく、あなたが他の人からの意見を聴かず 、過誤を指摘されても謝らず、ろくに根拠も示さないまま持論ばかりをごり押しし ていることに辟易したためだと思いますよ。 なかのさんやウサチュウさんが言われていることへ「まっすぐ」反論なさってから にした方がよろしいのではと思うのですが、ここでの宗教論争に限って言えば、あ なたに分が悪く、どう見てもなかのさんやウサチュウさんの方が客観的に筋が通っ ていると見えますので、早めに誤りを認められた方がご自分のためと思いますので 、老婆心ながら…。 自分からあなたに贈る言葉は、「過ちを改むるに憚ることなかれ」です。 最後に、あなたの名は「田中康夫」というのでは?(失礼!) Time : 2001/ 2/24(土) 13:59:58
Name : GS E-mail : Title : おじゃまします Comments: 初めまして、GSといいます。 これまで右隣のとまり木におじゃましていましたが、こちらへ引っ越すことにしま したのでよろしくお願いします。 こちらへ引っ越してきた訳は、以前からの田中知事関係の内容はこちらのコーナー の方がふさわしいと自分で勝手に判断したためです。 ********** 田中知事の「脱ダム」宣言論争が全国版マスコミでも大きく取り上げられ始めまし た。 何でもこれ、「ポツダム宣言」のパロディだそうですが、駄洒落(というよりオヤ ジギャグ?)のセンスすら持ち合わせていないのでしょうか、この方は。景山民夫 さんが生きていたら、ボロクソにけなされていますね。 知事は宣言してから数日たって、「数百通もらったけど反対者は片手だった」とし ていますが、この一見開放的な手法自体にも否定的な意見があります。 この宣言に対する意見は長野県HPにメールの窓口がありますが、メールの内容は 一般に公開されず、田中知事しか見ることが出来ないのです。つまりその知事が「 数百通もらって反対者が片手」と言っても、客観的信憑性は全くありません。しか し大半のマスコミはこれについて報じていません。 また、県民のうち田中知事を支持する層と嫌う層とでは、メールの使用率はどうな のかとか、そういった検証も行われていません。 ********** 以前になかのさんが隣コーナーで「脱ダム宣言」について要約していましたので、 それを拝借させていただきますと: @補助金制度の問題点とダム建設の是非とは別に論じるべきではないか? Aダムは自然への負荷が多くてダメでも、自然の宝庫を開発する道路はいいのか? B県議会に対する「約束違反」、そして独断専行とされるその手法 C宣言に至るまで、「透明性」や「しなやかさ」に欠け、「プロセス」を蔑ろにし た? D「ダム中止」の先(治水代替え、水源確保など)が見えず、ダム中止ありきでは ないか? E造林による「緑のダム」はコンクリートダムの代わりとなりうるのか? でしたが、かなりうまく整理されていると思います。 現在地元で騒がれているのは主にBの問題ですが、それよりも大事なのはCとD( AEはDに関連していると判断しましたので、ここでは省略)です。 この宣言が「理念先行」であるということは多くの方がそう言っており、地元から も「治水代替え」や「他の水道水源」の論議なくして、ただ単に突然のダム中止は おかしいという意見が出されています。 現に下諏訪ダムでは、「治水」は代替え案を検討し、「利水」つまり水道水源は他 の水源をこれから検討するとしています。 逆でしょう?先に「○○という水源があるからダムは不要ですよ」という議論があ って、ダム中止となるのなら分かりますが、ダムを中止してから水源を求めるとい うのでは。本当に「下諏訪ダムを中止する理由が見あたらなかったから「宣言」を 行ったのだ」と見られても仕方ないでしょうし、実際そうだったと思っています。 これについてダム反対派は、これまで水源を求めようとしなかった岡谷市等の態度 を批判していますが、これこそ本末転倒としか言いようがありません。 先に問題となった浅川ダムが「再調査」という形で残ったのに対し、なぜ下諏訪ダ ムが「再調査」でなく「中止」なのかが見えてきません。昨日の信濃毎日新聞にも 、田中シンパとする県内企業のトップの声として、「田中ファンを自称していたが 、今回の突然の宣言には首を傾げざるを得ない」としています。 また、何も問題なく進んでいた飯田市の「郷士沢ダム」も、知事の意向を受けて用 地買収を中断しましたが、地元から怒りの声が挙がっています。知事はダム反対派 の意見しか聴かないとする声が大きくなっています。 誤解してはいけないのは、怒っている人の大半は「理念」そのものへの反対という よりむしろ、「知事」個人の「独断的」かつ「性急に過ぎる」手法に対する反対な のです。そのため地元では、「県」の見解ではなく「知事」個人の説明を聞きたい とするところも少なくありません。 幹部以下の県職員や県議会と全く意志疎通を図ることなく物事を進めていくことに は、志田糺さんが言われるような「腐敗を守ってきた人達は耳を貸す必要がない」 とする意見もあると思いますが、それとこれとは話が違います。 少なくとも県職員は知事の意向を受けて行動するスタッフであり、県議会は知事の やろうとすることを審査する立場にあります。これまで「馴れ合い」だったとはい え、健全な関係を自ら唱えた以上、自分からそれを歪めるのでは、二枚舌と言わざ るを得ません。 100%とは言わないまでも、ある程度の意志疎通を図らないことには、文字通り 「理念倒れ」になってしまうのがオチです。 Eの「緑のダム」については、専門家から否定的な意見が数多く出されています。 ちょっと考えれば当たり前です。雨が降って木が膨張するなぞ聞いたことも見たこ ともありません。それとも、雨が降らない地帯の木は中が空洞なのでしょうか? 日本は高度成長期から現在まで、日本史上でも稀なくらいの森林王国です。そして これまでも、一時期伐採による禿げ山が現れたことはあったものの、概ね森林には 恵まれていました。 それでも洪水は数多く起こっており、多くの被害を出しているのです!! いくらダムが嫌いだからといって、理念というより感情論だけでのダム否定は無責 任に過ぎます。 ダムを否定するのならば、代替えとなる治水案、それも単なる河川の改修では洪水 被害を下流へ押しつけるだけになってしまいますので、洪水をプールするという発 想での代替え案が必要になります。 洪水による「被害」は昔は田畑だけでしたので、「被害」というよりも、土地が肥 沃化するということで、昔はあまり語られていません。しかし現代は、川沿いに人 家や商業地が並び立つようになっているため、治水というものの位置づけがこれま でにないくらい重要になっているのです。 先日の河川審議会での結論に自分が反対であるのも、流域に人家などが張り付いて いるという現状をあまりにも蔑ろにしているからです。 利水もまた、必要だから、そしてダムによる水源こそが最も適当と判断して始まっ ている筈ですので、水源確保の議論とその必要性についても、十分に論議してから ダムの必要性を語るべきです。 この議論は、車の存在が社会や環境に多大な負荷を与えているからという理由で車 社会を否定しつつも、自分は堂々とガソリン車を乗り回している、また自衛隊の存 在そのものは否定しても必要なときには使うことも是とする○産党の主義主張にそ っくりです。 河川の流量の安定化というのが、ダム不要論では必ずといっていいほど見落とされ ているのも不思議でなりません。 実はこれは、ダム以外に具体的対策が無いため、ダム不要論者は論じるのを意図的 に避けているのでしょう。 河川を自然のあるがままの姿に、という理念はまさにその通りだと思います。しか し現実として、河川の流量は年々減る傾向にあります。特に上で大規模な取水をし ているのではなく、河川の水自体が減っているのです。 これは雨量の傾向を見てもある程度説明がつきます。これまで時間的・平面的にば らけて降っていた雨が、ここ最近になって、局所に集中的に降ることが増えていま す。これは皆さんも実感していると思います。 その結果、降るときはどかんと降り、降らない時は全く降らないということになり 、川は洪水になるかチョロチョロしか流れないかのどちらかになってしまうのです 。 河川の環境に川の水は不可欠であり、川の水の安定化を語らずして河川の環境を語 ることはナンセンスです。 ダム不要論を語る時には、ただ単にコンクリートが嫌だという前に、そういった事 も合わせて論じていただきたいと思います。 また、アメリカやヨーロッパではダムを否定しているという議論がよく出されます が、これを論じる前に、日本と大陸とでは地勢条件が大きく異なることを論じなけ ればなりません。 アメリカのように一部山地はあるものの、大半は広大な平原、砂漠といった国では 、しかもダムによる貯水量が日本の20倍もあるという国では、ダム不要論が出ても おかしくはないでしょう。 しかし日本は狭い国土、しかも殆どは山地であり、洪水は瞬間的に発生して瞬間的 に被害を及ぼすため、どうしても生命を守るという観点に立てば、ダムのような治 水対策にならざるを得ないという事情があり、また水資源事情もあります。 少なくともほぼ毎年、渇水に悩まされている人達、例えば首都近郊の1000万以上の 人達がダム反対を唱える心理が分かりません。そういった人達は自分達のライフラ インである水源をどこに求めようというのでしょう。まさか輸入?それこそ外交の 自殺行為です。 日本は水資源が決して豊かな国ではないのです。これはPRしなかった国土庁(現 ・国土交通省)にも大きな責任がありますが、「無責任なダム不要論」は亡国の音 でしかありません。 ********** 自分がここまでダムの議論に関心を抱いたのは、田中知事の行動もさることながら 、これまでのダム不要論があまりにも無責任に展開されていると思えたからです。 たしかにコンクリートの構造物が大自然の中にデンと鎮座する姿は見ていて好まし いものではありません。しかしそれは、そうする必要があったからこそ、そこに存 在しているのでしょう?それが補助金制度や業界談合と併せて語られること自体が 不毛の論議です。 公共事業が業者の懐を暖めるだけで談合の温床だから不要だとするのは、不祥事ば かり起こしているから警察システムが不要だというのと同じ論理構造です。 水を利用するだけ利用して、河川の改修をすれば被害を防げるというようなダム不 要論は、逆に言えば下流へ洪水の被害を押しつけるということであり、上流側の怠 慢です。 洪水被害は防げても、洪水の発生は防げないのです。だからこそ、上流の人にはダ ムでも何でもいいので、洪水を下流へそのまま渡さないというそれなりの対策をと る義務があります。上流でおいしいきれいな水を独占しているのですから。 また下流の人も、自然環境という理念だけで現実を無視した議論をそのまま上流へ 持ち込むのはやめましょう。口だけしか出さず、上流へ金も汗も落とさない人はは っきり言って迷惑です。無責任な議論が繰り広げられるだけで時間の無駄です。 あまり言って、国土交通省の手先と思われてもいけませんので、このくらいにしま す。 かつて「平成教育委員会」というテレビ番組で田中知事と共演したことがある、「 コマネチ」で知られるお笑いタレントの第一人者で「世界的監督」の方が、田中知 事について、決して「自分が誤っていた」とは言わない人だと評していたそうです 。 田中知事には、上記のACD、そして「コンクリートダム」でない「フィルダム」 (土砂や小石を積み上げて創るダム)ならいいのかどうか、また他人の意見をどれ だけ聴いているのかどうか、その辺りははっきり返事をしてほしいものです。 ********** 最後に2mさん、初めまして。 こちらのコーナー初顔の自分がレギュラーのあなたにこんなことを言うのも僭越か もしれませんが、あなた、他人の意見を聴く耳を持っていらっしゃいますか? 相手の言葉の一部を不適当に取り上げて批判をしたり、自分の意見に反対する人の 意見を聴こうとしないなんて、まるでどこかの自称作家の政治素人の知事か、はた また中身真っ赤っかの「3000万の隠れ読者」をもつ某通信社じゃあないですか。 左のコーナーでパンダさんやウサチュウさんに散々に子供扱いされた理由が分かっ ているのですか? あれは決して2mさんへのいじめなどではなく、あなたが他の人からの意見を聴かず 、過誤を指摘されても謝らず、ろくに根拠も示さないまま持論ばかりをごり押しし ていることに辟易したためだと思いますよ。 なかのさんやウサチュウさんが言われていることへ「まっすぐ」反論なさってから にした方がよろしいのではと思うのですが、ここでの宗教論争に限って言えば、あ なたに分が悪く、どう見てもなかのさんやウサチュウさんの方が客観的に筋が通っ ていると見えますので、早めに誤りを認められた方がご自分のためと思いますので 、老婆心ながら…。 自分からあなたに贈る言葉は、「過ちを改むるに憚ることなかれ」です。 最後に、あなたの名は「田中康夫」というのでは?(失礼!) Time : 2001/ 2/24(土) 14:00:13
Name : なかの E-mail : Title : お付き合い、そして意見状 Comments: こんにちは、なかのです。 GSさま> レスありがとうございました。 ずいぶん早かったですね。 こちらに引っ越したとのことなので、こちらでお付き合いします。 本日の朝、井沢先生が久しく休まれていたウエークアップに 出演されていました。 私は寝坊しましたので途中からしか見られませんでしたが、 ちょうど田中知事の「脱ダム宣言」についての話が出ていました。 GSさんはご覧にならなかったのでしょうか・・? 井沢先生はごくごく正論を述べられていました。 脱ダムは全世界の傾向でもあり、 理念は大事だが治水・利水を検討しておかないと理念倒れに なることや、日本の国土で人命を守るとなれば 「コンクリート漬け」にせざるを得ず、逆にそれが建設省側の 大義名分として使われてきたこと、 トップダウンでないとこういった改革は進まないこと、 また他国での事例を用いてきちんと説明することなどです。 ただあの番組で「アメリカではダムを一切建設しておらず、 寧ろ壊している」という酒井アナのコメントがありましたが、 それは恐らく事実誤認で、ダム関連のHPによると、 アメリカでも数十のダムが現在建設中だそうです。 GSさんは恐らく分かっていて指摘しなかったのだと思いますが・・、 私の出した@〜Eに「河川環境」という考えがありませんでした。 しかし変な話ですね・・、 「環境に負荷をかける」筈のダム建設が、 むしろ下流に川の水を安定的に提供するということで、 総合的な河川環境のためには有効であるという考え方は・・。 まさに一種のパラドックスです。 しかし、国土交通省やダム事務所のHPなどを見ますと、 最近改正されたという河川法には、 河川環境の保全という考え方が明示されており、 実際にダム建設にもそれが謳われているようです。 建設促進側の立場からの屁理屈という見方もできますが、 諏訪の漁協関係者がダム建設を積極的に知事本人に訴えたという 話などから考えますと、あながち嘘ではないのかもと思います。 いずれにしましても、田中知事の「脱ダム宣言」につきましては、 知事本人も、その支持者も、ダム不要論者も、県議会も、地元も、 そしてマスコミも含めて国中で、 冷静、慎重かつ客観的合理的に対応してほしいと思います。 GSさんもやや熱がはいっているようですが・・。 以前私が隣で述べたように、21世紀は 水が国家戦略の鍵を握る存在になりそうです。 「水は別扱いすべきだ」などというような 非現実的なきれい事を言うのではなく、 国土交通省などにより積極的に国家戦略を立てていくべきであり、 その一環としてのダム建設というのならば、 自然への負荷ということとは別に、検討していくべきと思います。 日本のダムの総貯水量はアメリカ全体の20分の1、 現在建造中の中国の三峡ダムの約2分の1だそうなので・・。 敢えて暴論を言わせてもらえば・・、 どうしても「自然への負荷」を増やしたくないということならば、 冗談でなく、これからは人間を間引きするしかないでしょう。 私の提示したAである通り、自然の宝庫である森林を開発して 道路を建設するなどもってのほかのことです。 日本単独ではこれから人口が減るそうですが・・。 最後に、私も似たようなミスをしたので言いにくいのですが・・、 左のコーナーでパンダさんと一緒に2mさんを批判していたのは ウサチュウさんではなくToshyさんでは・・? 2mさま> レスありがとうございました。 前回私が、「聖書は神が創ったというのが、聖書の存在そのものの 本質であり、大前提となる概念」としたのは・・。 始めに聖書があって、それに対しユダヤ教やキリスト教が 後から「これは自分達の教典だ」と言い出したというのではなく、 先にユダヤ教があり、その教典として 「(旧約)聖書」というものが新たに彼らから提示され、 更に、(キリスト教側からの見解では)それを受けて キリスト教が生まれ、「(旧約・新約)聖書」というものを キリスト教徒が一部追加して新たに自らの教典として提示したのである、 ということです。 少なくともそういう建前になっているので、冒頭の記述をしたわけです。 ここから先はウサチュウさんの投稿と重複しますが・・、 彼らが「教典」として提示された物に対し、後から いろんな要素を求めるのは大いに結構だと思いますが、 自分の考えに合わないから、合わない部分を「改竄」だと言うのは 筋が通らないと思います。 以前にも言いましたが、中国とヨーロッパとは、異なった哲学を 持っているのです。聖書と老子とは共通する部分もありますが、 思想の基幹は異なるのです。 これ以上表記だけの話をしていても繰り返しで終わりそうなので、 根本的な質問をします。 ○意見状 私やウサチュウさんが、十字軍の頃(もしくはそれ以降)の聖書の改竄が、 状況証拠等により、あったとは考えられないとしていることに対して、 改めて異論を唱えられるのであれば、 自ら信じるに足る論拠を立てた上で反論してください。 しつこいようですが、自分で「まともでない」などと言うのは、 自らそれを「論拠に足らない」と暴露しているようなものです。 また反論に相応しい論拠が用意できないのでしたら、その旨を 明らかにここで「宣言」してください。 私やウサチュウさん、そして他の方々は、2mさんという人が憎くて 反論しているのではなく、2mさんの説やそのプレゼンについて 疑問を感じたところがあるからこそ、質問・反論をしているのです。 本当に憎いと思っていれば、「勝手にしろ」とばかりに、 何を言われようとも(名誉毀損等ともなれば別ですが)無視していると思います。 私も自分勝手なことを色々と書いて、このBBSだけでも何度か、 他の方にきつい指摘をされています。 しかし無視されたまま放っておかれるより、意見・反論を受けて、 自分の意見を冷静かつ客観的に見直し、 直すべきは直し、直さざるはきちんと論拠をつけて反論する、 そういう姿勢をとり続けていたいと思っています。 またそういう態度をとらないと、別の場所でもっと大きな恥をかくことになります 。 ウサチュウさんだけでなく、高尾太夫さんやGSさん、その他の方々は、 おためごかしと言われるかもしれませんが、 2mさんのことを考えて発言なさっているのですから、 その意見を真正面から受け止めてください。 先の「意見状」にまっすぐにお答えにならない限り、 私はこの件に関する議論のお相手はできかねます。 あとはウサチュウさんや皆さんにお任せします。 ウサチュウさま> ・・ということで、誠に勝手ながら、そうなった場合にはお願いします。 しかし思い切ったことを言いますね・・。 このBBSを読んでいる「過激派」クリスチャンがいるかもしれないのに・・。 本名は名乗られない方が身の安全のためかもしれませんね、お互いに(笑)。 Time : 2001/ 2/24(土) 17:57:17
Name : なかの E-mail : Title : お付き合いの続き Comments: 再びなかのです。 GSさんの投稿を読んでいて感じたことが2つありましたので・・。 1つは、GSさんが森林の状況について「森林王国」とされていることについて その根拠がどこにあるかということです。 もう1つは、昔と現代とでは、「治水」の重みが変わっているということです。 これは感覚的に理解できますし、実際そうだと思います。 そしてこの話を読んで、思わず韓非子の「守株」の逸話を連想しました。 最近、中国かぶれになりつつあるなあ・・。 Time : 2001/ 2/24(土) 18:19:01
Name : なかの E-mail : Title : お付き合いの更に続き Comments: 三度なかのです。 GSさま、皆さま> 「緑のダム」がどうも感覚的に理解できないので、 いくつか本を探してみました。 すると、ズバリ「緑のダム、人工のダム」という本があるではないですか。 もし知りたければ同書を購入してお読み下さい。 (岡本芳美著、亀田ブックサービス発行、ISBN4-906364-07-1 C0061、1,400円) 1995年発行ですので取り寄せになるでしょう。図書館にあるかもしれません。 緑のダムは、変なたとえかもしれませんが・・ ちょうど戦国時代、敵軍が自分の平城を攻めてくるとします。 その時、常識的には、城を堅固に構え、兵糧や武器を城内に貯えると共に、 平城の周りに堀を巡らすでしょう。 確かに堀は効果があり、敵軍の軍勢によっては堀だけで撃退できるかもしれません が、 相手が大軍ならば、堀を乗り越えるか埋められるかして、 最後は籠城して他国からの援軍を待つことになるでしょう。 ここでの敵軍が「洪水」であり、堀がいわば「緑のダム」、 城がいわゆるダムを含めた河川の構造物というのが私なりのたとえです。 異論がありましたらご指摘を・・。 Time : 2001/ 2/24(土) 18:33:15
Name : 2m E-mail : Title : ヨーロッパの世界制圧 Comments: >>片田舎の人達が世界を制圧する事が出来たか、不思議ではありませんか。・・彼 らの宗教が破滅・侵略を目的とするモノに化けたからと考えています。 一応、予定しておいたので書きます。 1.十字軍により兵役が増えたので、人員を増加する必要があった。 2.それまでたまに行われてきた「間引き」を止めさせた。 3.十字軍が終了したが、「間引きの禁止」は継続した。 4.その為各地域で、人口増加による「食糧」・「衛生」の環境が悪化した。 5.結果「ペスト」が流行し、「暗黒の中世」と化した。 ・・でしょうか。「間引き禁止」と言う「良い事」が、「ペスト流行」と言う「 悪い事」になったと思われます。ま、「人生万事塞翁が馬」ですし、歴史ではあり がちな事ですが。 6.ペスト対策などの為、医療技術・科学技術が大幅に進歩した。 7.医療技術・科学技術などの発展は、戦争にも大きな変化をもたらした。 8.人員などの問題が減り更に科学技術の発展でヨーロッパは、他地域を圧倒する軍 事力を持てる様になった。 今度は逆に、「ペスト流行」と言う「悪い事」が、「圧倒的軍事優位」と言う「 良い事」になったと思われます。他地域にとっては迷惑ですが。・・ま、こんな物 でしょうか。 ・・・無闇な人口増加を助長し圧倒的軍事優位を持てたのは、キリスト教がそれ までの「常識」を破壊した結果と考えます。 今日のレスは、後でします。 Time : 2001/ 2/24(土) 21:36:25
Name : 2m E-mail : Title : なかのさんへ Comments: >聖書の改竄が、状況証拠等により、あったとは考えられないとしていることに対 して、改めて異論を唱えられるのであれば、自ら信じるに足る論拠を立てた上で反 論してください。 状況証拠はあります。「現実と乖離した文」と「現実に沿った文」とが、同居し ている奇妙な点です。この二つは、「猛毒」と「薬」の関係です。「薬があるから と言って毒を好んではならない」と誰かが言っていたと思いますが、それが一つの 書物にあり、しかも「両方とも絶対に正しい」と言うのは変な話です。 誰かが「薬」の部分を書き全体も成立したが、その上から誰かが「猛毒」の部分 を書き込んだと見るのが正しいと思います。そして歴史の視点から見ると、それは 「十字軍の前後か、その後」と推測できます。 >「この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、・・・経 験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」 自己の経験に基づき、「良い物」と「悪い物」の判別を行う・・当り前の事です ね。他人に判断して貰っていたら、何時まで経っても身に付かない能力でもありま す。 「ここに書いてあるのは絶対に正しい。」と言う人は、「絶対に正しいと思って 読まれないと不味い。」と言う事を暗に言っています。「絶対に正しいと思って読 まれないと不味い。」と思う人は、「とんでもない間違いに気付かれたらやばい」 とも思っている筈です。 ・・彼らの言葉を鵜呑みにして、「聖書」を読むのがどれほど危険極まりない事 か認識できていないのは、「自己の経験に基づく「良い物」と「悪い物」の判別」 ができない証拠に、2mには見えます。 Time : 2001/ 2/25(日) 14:39:42
Name : なかの E-mail : Title : 閑話休題 Comments: なかのです。 あまりダムの話ばかりでも何ですので、歴史の話も・・。 現在、産経新聞で古代日本を舞台にした歴史物語を連載しており、 ちょうど継体天皇の出現にさしかかっています。 著者は玄人作家ではなさそうですが、読み応えはあります。 暇ができたら、古事記を読み直し、更に他の記録も参考にして、 天皇家の家系図について研究してみたいと考えています。 ちょっと前にあった邪馬台国論争についても頭の中を整理したいので・・。 2mさま> 表現こそ変えているものの、 ウサチュウさんが何度も何度も私と同じことを言われていますので、 ここで改めて述べませんが、私の以前の書き込みを再掲します。 ○意見状 私やウサチュウさんが、十字軍の頃(もしくはそれ以降)の聖書の改竄が 状況証拠等により、あったとは考えられないとしていることに対して、 改めて異論を唱えられるのであれば、 自ら信じるに足る論拠を立てた上で反論してください。 しつこいようですが、自分で「まともでない」などと言うのは、 自らそれを「論拠に足らない」と暴露しているようなものです。 また反論に相応しい論拠が用意できないのでしたら、その旨を 明らかにここで「宣言」してください。 Time : 2001/ 2/25(日) 16:39:49
Name : なかの E-mail : Title : 閑話休題の付け足し Comments: コピーし損じました。 下記の書き込みの「再掲」のつづきです。 (ヨハネ伝の「言葉は神」という文面だけを) 前後の文脈を無視して切り出し、それだけで語るということが アンフェアであるということです。 以前に井沢先生が指摘されましたのでご存じでしょうが、 石原都知事の「三国人発言」に対し 共同通信社が取った態度がまさにそうだったと 記憶しているのですが・・ Time : 2001/ 2/25(日) 16:42:58
Name : ウサチュウ E-mail : Title : いかん、いかんなあ。 Comments:  2mさま  いかん、いかんよ。カソリックの所業に対して憤りを感じ、それを主張するのは いいんだが、論拠がなければ説得力がないでしょう?論拠がなければ、それはただ 単に「俺の言うことを信じろ」ってことで 「目がさめると傍らに緑色の小人がいて、次に気が付いたときには、以下略」 「そのとき光が、光がみえたのです。その光は、以下略」    なんていう「トンデモ話」といっしょでしょう?  カソリックの功罪については歴史学・宗教学・社会学見地から充分に立証可能だ し、それは常識にさえなっている。きちんと文献を調べなさい。もし、それをする のが面倒くさい、出来ないと思うなら正直に言いなさい、引き受けてあげるから。  なかのさま  「過激」...ですか。でも「無知と独断と偏見」からは、極力避けているつも りですけど。何と言っても匿名ですからな、その三者には取り付かれたくないもの です。いや別に過激と言われて、気分を害している訳ではないですよ。まあ、格好 つけると、 「ビッテンフェルトの名は伊達じゃない」 ってことですな。という訳で今後とも宜しく(どういう訳なんだか)。  GS様  お初にお目にかかります、ウサチュウと申します。隣の板での書き込みは拝見さ せて頂いて(この敬語は正しいのか?)おりましたが、何せ現実問題には疎いもの で....。と言う訳で不束者(猪突猛進?)ですが宜しくお願いいたします。 Time : 2001/ 2/25(日) 18:43:48
Name : 志田糺 E-mail : Title : GSさま、なかのさま Comments: 決して、田中知事を支援する立場ではないですが、 「脱ダム宣言」が平成のカンフル材であったことを好ましく 思う立場です。何かが変わるときには、得てして、この種の人材も、 そして、キャンペーンを必要で、その勇気を称えるべきです。 ところで、「長野県、特にその土木部」、「ダム」についても 深くは知らないですが、環境に関してのコメントをします。 ダム工事をする際には、環境面の配慮は必須ですので、相当に 突っ込んだ調査が為される必要がありますが、 実際には、調査がおざなりの例が多いです。 調査といっても、前後100年ぐらいのターゲットでないと、 生物なり、植物の調査にはなりませんが、こうした調査がされた 形跡はありません。これは私の経験と推測です。 もちろん、環境に対すると同じに人への配慮はもっと大切ですが、いわゆる、 住民意志という奴です。これも長野県がどのように住民意志を図ってきたのか というと、選挙結果からみれば、住民無視が続いたのではないでしょうか。 そして、最後にダムがどのように社会的効果をもたらすかですが、 ここは、企業との癒着とか、難しい話が出るでしょう。 GSさんがいわれる流量安定化については、必要最低限の流量を確保することと、 自然が必要とする時の流量を確保することとのギャップがあると 思いますが、一体全体、長野県の自然がどのようにしておくのがよいかと というコンセンサスが得られないままに、一時の利害で、 沢山のダム工事を起こしてきたことが今回の事件のように思えるのです。 今、見直すことは、決して早すぎることでもないし、この機に徹底して、 長野県民がその自然を考えるべきだと思います。 これは、日本人が日本の国を見直す時期に来ているということと同じです。 なお、ダムにもいろいろあって、工業国日本の見直しの中で、 果たして、有資源の中で、何処のダムが、河川のみならず、海域を含めて 考慮する必要がありますし、現在、緊急に進めるべきは都会での貯水ダム、 都会での原子力発電が効果のある施策のようにも思えます。 何れにしても、折角の課題の提供、真剣に受け止めるのも必要かも。 Time : 2001/ 2/26(月) 19:05:03
Name : なかの E-mail : Title : 「評価」は難しいです Comments: こんばんは、なかのです。 志田糺さま> レスありがとうございました。 田中知事の登場がカンフル剤であるということは 私ももっともであると思いますし、 その田中知事が「脱ダム宣言」のようなことをすることそのものについては、 今までの言動から私も特に驚きもないですし、別に構いません。 そして今までの長野県というか、国も地方も行政がそういう傾向に あったことも、全てとは言いませんが、 ある程度はそうだろうなあと思えるところがあります。 ただ、私がGSさんの言われたことに同調したのは・・、 そういったことを「おかしい」として支持を集めた筈の田中知事が、 今までとただ立場を変えただけで旧態依然の、 田中知事が自分の口で批判していた事を自ら行ったことに対する批判、 そしてこれは田中知事だけではないですが、洪水の被害に遭った人の 感情などを無視した「無責任な」ダム不要論に対する疑問、 そして私も茶化す仲間となりましたが、 ただ単に「コンクリートダムはダメ」としたことから感じられる不誠実さ、 この3つの事柄です。 私は別にダム推進派でもありませんし、アンチ田中知事でもありません。 また宣言の発想そのものに対して否定もしません。 ただダムが推進されてきた経過には、洪水による被害というものや 水道が欲しいというものが(少なくとも過去には)あった筈であり、 そういったものに対する現時点評価などの検討を全く行わずして 一方的にダム中止を決めたことが、行政のトップとして そして河川の管理者として無責任に感じました。 つまり志田糺さんの言われた「長野県の自然がどのようにしておくのが よいかとというコンセンサスが得られないままに」、 いわば独断で「中断して再調査」ではなく「中止」したことに対して、 しかも「中止」を一方的に決めたまま、 「ではどうするの?」という地元の声に対して具体例を提示せずに 「これから検討します」としたまま何もしていない態度に、 私は疑問に思っており、 そしてGSさんが言われるには、地元が怒っているのです。 また「不誠実」というのがわかりにくいと思いますが・・。 知事という立場にある以上、ダムについて少しでも勉強すれば、 コンクリートを使わないフィルダムというものがあることや、 治山目的の治山ダムや土石流を防ぐ砂防ダムというコンクリートダムが 未だ求められていることは分かる筈です。 治山・砂防は治水のダムと違い、代替え案は普通はありません。 細かいことを言えば土砂搬出に数十億円という非常識なことも疑問です。 あの宣言の文を読む限り、田中知事がろくに調べず、 そういった事を怠ったと見られても仕方ありません。 田中知事の場合、去年の浅川ダム騒動時に同様の「前科」もあるようです。 そして「ダム」はダメでも、自分を支援した人に便宜を図りつつ、 自然の宝庫を開発する「道路」はいいのかという疑問も残ります。 作家ですので表記に凝るのはともかく、 かりにも政治家なのだからまず中身が大事でしょう。 だから「不誠実」としたのです。 以前のGSさんの投稿の再掲になりますが・・、 田中知事が宣言で盛り込んだ、 ダムの必要性や補助金制度についての疑問は論議すべきだと思いますが、 今回の知事の手法により、知事の行動そのものが問われてしまい、 肝心の内容が議題にならないのではというのが心配です。 GSさんの内心がどうかは知りませんが・・、 私は宣言の理念そのものはともかく、 その提出した手法の拙さ等に疑問を感じています。 田中知事の今回の行動は正直言って勇み足だったと思います。 まあ結果は歴史がよかれ悪しかれ評価してくれるものでしょうが・・。 ウサチュウさま> レスありがとうございました。 「ビッテンフェルト」・・すみません、まだ読んでいません。 あと「過激」というのは、別に非難した訳ではありませんので・・。 気にされたようなら謝りますが、誤解なさらないようお願いします。 Time : 2001/ 2/26(月) 22:19:31
Name : なかの E-mail : Title : 「評価」は・・つづき Comments: 再びなかのです。 GSさんが言われた「流量の安定化」の問題ですが・・、 私も考えてみたのですが、やはり他の方法が思いつきませんでした。 強いて言えば、ダムに似た発想の遊水池くらいでしょうか・・。 しかし・・、ダムの「代替え」に河川改修で対応というのは、 GSさんではないですが、確かに、上流で起こった洪水の始末を 下流に全て任せるということですよね・・。 上流の人にとってムシがいい話のように思えてきました・・。 志田糺さま> すみません。コメントの補足です・・。 下の書き込みはあくまで私の弁明であり、質問ではありませんので・・。 敢えて意見を言わせていただくとすると、ダムは単価が高いため、逆に、 一時の利害だけでできるものかどうか分からないといったところ、 そして「環境」という概念が確立したのが最近であり、 それ以前のダムにそれを当てはめるのは、ある意味やむを得ないですが、 当時の人たち(国や県だけでなく住民も)に酷な気がすることぐらいです。 あと遅れましたが、貯水ダム等に関するご賛同ありがとうございました。 Time : 2001/ 2/26(月) 22:55:13
Name : 2m E-mail : Title : なかのさん、ウサチュウさんへ Comments: >自ら信じるに足る論拠を立てた上で 論拠は、前回2つばかり挙げた筈です。「矛盾の多さ」と「傲慢な事を言い張って いる」の2点です。 2mとしては、それらが十分な根拠になると思っています。もし足らないなら足ら ない理由を、十分に書いてくれませんか。それを書かないなら、2人ともこの件につ いて論じる気が無いと思います。・・2mも、そろそろ停滞した論議に飽きてきたの で、止めようと思っていたので。 Time : 2001/ 2/26(月) 23:19:36
Name : なかの E-mail : Title : ・・・ Comments: おはようございます、なかのです。 2mさま> まともな議論ができないのなら、この議題はやめましょうと 以前から提案しているのは私の方です。 くどいですが・・、以前の意見状を要約して再掲します。 ○意見状(要約) 「十字軍の頃の聖書の改竄」を唱えられるのであれば、 自ら信じるに足る論拠を立てた上で反論してください。 自分で「まともでない」とするものは、「論拠に足らない」と見なします。 また反論に相応しい論拠が用意できないのでしたら、その旨を 明らかにここで「宣言」してください。 前後の文脈を無視して切り出し、それだけで語るのはアンフェアです。 以前に井沢先生が指摘されましたのでご存じでしょうが、 石原都知事の「三国人発言」に対し共同通信社が取った態度です。 ウサチュウさま> どうしましょう・・? Time : 2001/ 2/27(火) 07:57:37
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 苦笑と共に Comments:  これは、これは(笑)。まあ、いいでしょう。観客の皆さんには不平・不満があ るかと思われますが、既に我々はこの論争の目的を達しているし、剣を納めようと している敗残の兵を掃討することは今回の場合は無用どころか、文人(武人?)の 名折れになりますからな。これをもって終戦としましょう。まあ、勝敗は観客の皆 さんに委ねるということで...。どうでしょうか? (しかし、やりたかったなあ。飯沢本彦著「逆説の世界史」、第1章「中世ローマ カソリックは、実はキリスト教ではなく「プレ・キリスト教」であった」。こんな ペンネームも題名も決めていたのに。)  なかのさんへ  別に気にしちゃいませんよ。でも、スーパーウサチュウが何っていうかなあ? ウソウソ。本当に気にしちゃいませんのであしからず。  テレビのCMネタが出たところで、このところ賑わしている例の「脱ダム宣言」 について一言。あの「可及的速やかに」ってところで「ダカラ」のCMを思い出し て思わず笑ってしまったことぐらいしか、今のところ話のネタはありませんな。    そうそう、今回の論争で十字軍だとか、サラセン帝国だとかに興味をもった方に 是非お勧めしたいのが「アラブが見た十字軍」(著者 アミン・マアルーフ、訳者 牟田口義郎・新川雅子、ちくま学芸文庫)。  その名のとおり、イスラム教徒側の史料からの反十字軍史で客観的に書かれてい ますから、世に出回っているキリスト教徒からの十字軍史と併せて読むと面白さ倍 増です。  また、ビジュアル系ではアントニオ・バンデラス主演、「13ウォリアーズ」と いうビデオがお勧めですね。これはアントニオ・バンデラス扮するイスラムの詩人 (名前を忘れた)が外交官として赴いた西欧の地で何がなんだか分からないうちに 闘争に巻き込まれる、というお話で「西欧=発展途上、東方=先進」というのが良 く分かる作品です。レンタルビデオ店にあると思います。  いや、別にちくま学芸文庫や配給会社の回し者、ではないですよ。本当に。 Time : 2001/ 2/27(火) 18:54:43
Name : なかの E-mail : Title : 飯沢本彦の「迷説の世界史」・・? Comments: おはようございます、なかのです。 田中知事の件ですが、どうも今回の騒動は 「田中知事の取り巻き(ブレーン集団)vs.県庁土木部官僚(&県議会)」 というような位置づけがなされているようです。 県議会との関係は別にして、 田中知事が今回の「宣言」騒動で敵に回してしまったとされている、 スタッフである筈の県職員をどう味方に取り込むのか・・、 これから注目したいと思います。 ウサチュウさま、レスありがとうございました。 私も2mさんがどう対応される積もりか分かりませんが、 とりあえず現時点で、「かっきゅ〜てき速やかに」 矛を収める(元々矛なぞ出していないような気も・・?)ことにします。 タイトル名の著述がある時には、声をかけて下さい。 Time : 2001/ 2/28(水) 07:59:11
Name : PAKU E-mail : Title : 子供は帰って寝なさい Comments: 子供は帰って寝なさい Time : 2001/ 2/28(水) 22:53:35