Name    : Yuukoku
E-mail  : 
Title   : A Happy Newyear To Mr.2m
Comments:
From China

Time    : 2001/ 1/ 1(月) 03:37:39

Name : マサヒコ E-mail : Title : 文章作成 Comments:  あけましておめでとうございます。さてぼくは、数日間自分の文章改革を、考え ましたところ、大きく2つの欠陥が見つかりました。 1:要旨がはっきりとしていない。 2:話題がずれてしまう。 1がしっかりしないと、2もその傾向におちいりやすくなるので、しばらくの間、 要旨を意識して、意見をのべたいと思います。 <文章作成の順序> 1:要旨をはっきり確認する。 2:段落でわけ話の展開をはっきりさせる。 3:最後に要旨にのっとりまとめる。     今年もよろしくお願いします。 Time : 2001/ 1/ 1(月) 20:47:00
Name : 2m E-mail : Title : 新年おめでとうございます Comments: 新年おめでとうございます。 今年もムチャ書こうかな・・って面倒くさがっていたりします。困った事に、今 年もネタには困りそうも無いし、予定も消化していないしで・・・やれやれです。 Yuukokuさんへ Yuukokuさんって、憂国さんの事かいな。なーんで、相手が2mだけなんや。ちょっ と気味悪いわー、ほんまに。(関西弁で失礼!) 空転さんへ >「軍服着てコンピュータ戦争ゲームをやっている」という表現はやめていただけ ないでしょうか 100%冗談で書きました。蔑むつもりも毛頭ありません。空転さんが、様々な魅力 的な武器などへの興味を持つのも理解できます。・・とは言っても気にされるので あれば撤回します。で、2度と使いません。マジメに取られると危険な冗談ですし、 たいへん失礼致しました。 Time : 2001/ 1/ 1(月) 21:54:52
Name : 2m E-mail : Title : ダーヴェルさん、マサヒコさんへ Comments: ダーヴェルさんへ 横レスって言うそうですけど・・失礼します。 >「14歳だから(なのに)」を言い訳に出来ない、と言うことをくれぐれもご自 覚なさるように。余計なお世話かも知れませんが。 余計なお世話じゃないでしょうか。 言い訳を考えなければ討論できない状態なら、討論する事自体止めておく方が良 いです。足りない事を自覚しながらも・・2mも同じ様なものですが、意見を述べよ うとしているのだから、差し出がましい事は言うべきではないと思われます。 言い訳を認めない、と言うのも変な話です。本当に小さな間違いなら見逃し、大 きな間違いなら意見を提示し見直す様に説得すれば良いのではないですか。ま、2m に説得しても聞かない、と言うか聞けない場合が多い様ですが。 マサヒコさんへ 上のダーヴェルさん宛てに書いた物も読んで下さい。 「トム・ソーヤーの冒険」、「ハックルベリ・フィンの冒険」、「こじき王子」 、面白いだけでなく、マーク・トウェインの真意を何となくでも掴めたら良いです ね。ま、面白いからと言う理由で読む事を薦めて置きます。・・ちょっとだけ書い ておきます。とりあえず2回目は「身分差別・黒人差別」などに対する考えに、注目 して読む事を薦めます。 大サービスで「人類を構成しているもの。それは危険なほどに狂った人間と、そ れほどではない狂人だ。」の解説をしちゃいます。 「危険なほどに狂った人間」とは、「自らを人間と認識し狂った事など一つも無 い」と思い上がっている「人間」です。 「それほどではない狂人」とは、「自らの内に狂気が潜んでいる事を自覚し暴走 を抑えよう」としている「狂人」です。 自分で書いてて正しいかどうか・・この通りなら、どっちになりたいかが大変な 問題です。 ちなみに2mの宗教観は、マーク・トウェインの考えも根底にしています。・・だ から嫌う人も多いのでしょうね。本当かどうかはともかく、説教後の募金箱から2ド ルくすねる人ですし。ちなみに2mは・・多分同じ事をしますね。つまんなくて、役 に立たないんで。 Time : 2001/ 1/ 2(火) 01:01:45
Name : 2m E-mail : Title : 森首相と暴力団員の写真について Comments: 今回は別件です。 少し前、森首相と暴力団員が一緒に写っている写真が問題になっていた様です。 ・・だから何だって感じですが。 まず、その写真が本物かどうかと言う問題があります。ネガを顕微鏡で拡大して 継目などが無い事を確認しないと、信頼性がほとんど無い筈です。ネガがなくコン ピュータの画像データとすると、全くと言って言い程信頼性がありません。最近の 画像ソフトなら、素人でも簡単にインチキ画像データを作れる訳ですし。・・それ を示さずに森首相は辞めるべき、と言う新聞は駄目ですね。 それに、もしその通りだとしても、それだけで森首相を全否定できるとは思いま せん。彼らも日本国民には違いない訳ですし、その人達と会っていた、と言うだけ では辞めろとは言えない筈です。何らかの利益供与を図ったと言う証拠でもあれば 別ですが。 2mは森首相の政治の詰めの甘さを指摘し、辞めた方が良いとは思います。が、こ んなやり方で追い落とそうとする人は全く信用できません。・・やはり政治家より もメディアの方が信用できませんね。どっちもどっちの所もありますが。 Time : 2001/ 1/ 2(火) 20:44:19
Name : マサヒコ E-mail : Title : 要旨:二世の国会議員 Comments:  第一段落:森さんはなぜ早稲田を裏口入学し、(しかもラグビーで)ラグビーさえ も落ちぶれてしまった。なのに、なぜ日本国首相まで上り詰めたのでしょうか?教 えてください。二世なのですか???                      第二段落:さて、僕は国会議員の二世に疑問があります。このままでは、貴族政 治のように、世襲のようになると思うのですが・・・・   第三段落:日本人は「血統」に弱いのではないでしょうか?例えば、最近でも細 川氏の子孫である首相がいますし・・・ 「織田信長の子孫」が TV番組に出て いました。これは私たちのコンプレックスなのでしょうか・・・(ほとんどの人が 農民出という) Time : 2001/ 1/ 3(水) 15:55:50
Name : ウサチュウ E-mail : Title : はじめまして Comments:  はじめまして、ウサチュウと申します。今後とも宜しくお願いいたします。 さて、新参者で大変失礼かも知れませんが、マサヒコさんの疑問にお答えします。 1.リーダーには凡庸な人物を置き、それを組織の中枢がコントロールを企てる、 ということは組織の中では良くあることです。悲しいかな、森首相の場合は凡庸で すらなかっただけのことです。 2.日本には二世議員(三世もいるかな)が非常に多く存在します。それは何故か ?彼らも日本国の議員である以上、選挙で当選することで議員になる訳で、何も議 員という地位を世襲している訳ではありません。つまり、二世の候補者は、他の候 補者よりも優位にあるのです。選挙の当否は、いわゆる「三バン」、地盤(後援会 や支持団体など)・カバン(選挙資金)・看板(知名度)によりますが、二世の候 補者はこれらを親から受け継ぐことが出来ます。これが二世の候補者が、選挙に当 選する非常に大きな要因となっています(中国の科挙といっしょです)。一般人が 当選するためには相当な労力が必要ということを考えると実質世襲制に近い面も あるかと思います。しかし、単に二世議員の立候補を禁止しては参政権の否定にな りますし問題の解決に至らないと思います。 3.血統というものには、強弱の差はありますが、どこの国でもコンプレックスが あります。特に日本が非常に強いと思えませんが。 Time : 2001/ 1/ 4(木) 02:58:19
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 血統のコンプレックスについて Comments: 「家名を先に表記することは血統の尊重を意味し、個人名を先に表記する方式は 逆に個人の尊重を意味する」という主張ですが、果たしてそうでしょうか?双方と もに家名が表記されているのだから、単に慣習の違いであり、慣習というものは余 程のことがない限り変わらないからだと思いますけど。  確かに個人名を先に表記する西欧社会は一見、個人を尊重するイメージがありま す。ただ、それは「民主主義・個人主義の発祥地」という点から連想されるだけの ことでしょう。実際、イギリスには未だに王室・階級差は存在するし、アメリカは 、いわゆるWASP(White・AngloSaxon・Protestant )でなくては名門・上流家庭ではありません。「ノーブレス・オブリーシュ(オブ リージュだったけ?)」や「シェフ・ナチュレル」なんて言葉もありますよね。  各国の歴史・慣習・文化を見れば、どこの社会でも血統の尊重という考えが存在 していることに気づくはずですし、比較すれば特に日本が血統を重んずるようには 思えません。また名前の表記方式というものは、慣習の中でも特に形骸化している ものだから、現在において日本が特に血統を重んずる社会であるとする証拠にはな らないでしょう。 Time : 2001/ 1/ 5(金) 20:11:15
Name : マサヒコ E-mail : Title : ウサチュウ様    要旨:血統のコンプレックス Comments:  >>特に日本が強いとは・・・  なぜ僕が日本は特別に血統を重んじるかというと、日本では先祖代代伝わる、苗 字わ前に、一代限りの名前は後ろにおきます。(例)田中 太郎  しかし、欧米では逆に、名前が前で苗字は後ろです。(例)Tarou Tanaka これは、英語のみではなく、ドイツ語・フランス語なども当てはまります。   いかがでしょうか? Time : 2001/ 1/ 4(木) 08:07:58
Name : マサヒコ E-mail : Title : ウサチュウ様   要旨:血統のコンプレックス Comments:  それでは、もう1つ・・・最近アメリカでは東洋人や南米人を養子にする家庭が 増えていると聞きますが・・・日本の血統主義からみると形式的にも人種・血統が まったく違う、よそものを息子にするとは・・・・・言語道断。             どうでしょうか Time : 2001/ 1/ 5(金) 20:40:07
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 遅くなりましたがご返答いたします。 Comments:  西欧社会の根本には聖書があります。   祝いをするより、   悪をやめ不義をやめ、   不幸なものをなぐさめ助け、   みなし子に手を差しのべ、   やもめたちの味方となれ。   (イザヤ書)     ユダヤ教は神の長子たるユダヤの民のみが神の救済を受けるとあるのに対し、キ リスト教では神の子である全人類が神の救済の対象となっています(実は旧約聖書 中にもユダヤ以外の他の全民族に対する救済に触れている個所が多数ありますが、 当時のユダヤ人はそのような部分を全く無視し、自らに都合のよい部分のみを抜き 出して律法は硬直・形骸化する一方でした。もっとも彼らにそうせざるを得ない事 情があったのですが。その状況を打破したのがキリストであると思って下さい)。 つまり、キリスト教はインターナショナルな活動を行わざるを得ない訳で、教会の 活動範囲は全世界であり、そこら中に孤児院があります。信仰心の篤い信者が国際 養子縁組に積極的であって当然、となります。  キリストはこうも教えています。      父、母、妻、子、兄弟姉妹、そして   自分自身の命の方を   わたしよりも貴しとする者は   わたしの弟子にはなり得ない。     私見を言えば、こういった血縁や血統を否定する教えが社会のベースにあるのに それらを尊重する西欧社会の方が尊重度の度合いが大きいと思いますが。 Time : 2001/ 1/ 7(日) 22:59:50
Name : 三四郎 E-mail : Title : 専門化と血縁 Comments: 突然ですが書き込みます。 正月に井沢氏の言霊の本を読み大変興味を持ちました。 この掲示版での過去の流れを無視した意見をするかもしれませんが私なりに思った ことを書きます。 血縁のことが議題になっていますが、アメリカ大統領も二世がなりました。なぜ二 世が優位かというと。単純に親の地盤と幼年期からの教育の専門性による競争での勝 利だと思います。このような現象は話は飛びますが。社会形成の形成期と円熟期に起 こりやすいのではないでしょうか。古代社会の王制は血縁でした。またいまアメリ カはひとつの制度が円熟化しており景気もよいしイデオロギーの戦いでも一応勝利 を収めたせいか保守化しているのではないでしょうか。 私も血縁を否定しません。実際何かをしようト思えば三代かかると思います。 だがしかし血縁で決まる社会ほど若者にとってむなしいこともないでしょう。 今日本で問題になっている諸問題はこの身内重視の良さ、あるいは行過ぎた専門性 、そして言霊などこれまで社会の中軸にあった。しかも歴史的に成功してきた方法 論の限界が原因なのではないでしょうか。 またこれらを読み解くには細心の注意と広い視野が必要だと思います。 といあえず今回はこれくらいで・・・・ Time : 2001/ 1/ 9(火) 01:37:23
FONT COLOR="#0000C0">Name : 茶MAX E-mail : Title : はじめまして。 Comments: みなさん、始めまして。 私、井沢先生と、小林先生の 共著であります、朝日新聞の 正義以来、朝日大嫌いの不信 者です。 今回、私が不信に思ったのは、 日本の予感、金型革命です。 さすが、科学に弱い朝日の 真骨頂でした。 何よりも腹が立ったのは、 匠の技不要という文字が 嫌でした。現在では、 ほぼ全部がNC旋盤で金型を、 彫りますが、完成したさい、 ほとんどの金型は不具合を 起こします。そのさい必要 なのは、金型職人の感性と 技術です。NC旋盤一台あれば 原爆から玩具もつくれますが、 最後の精度等は職人の匠の技 だと思います。例え無人化しても 完成度が悪ければ買う側も買わないし、 例え、朝日の大好きな?町工場でも、 職人の感性がよければその金型を買い手は 買います。 ITうんぬん言われていますすが、(朝日が 書けばもう時代遅れと言う言葉があります) 日本が誇りとする大事な部分は大事にして欲しいです。 ちょっと私個人、怒りに刈られて駄文をかきましたが みなさんどう思いますか? Time : 2001/ 1/10(水) 14:15:56
Name : 三四郎 E-mail : Title : 敵視しないで Comments: 何か不具合や不安、不満があるとき、どこかに陰謀者がいるという論理はそれこそこ こでいう朝日の欺瞞とおなじです。かといってこの世のすべての原理が解かったと してもそれほど満足が得られるものでもないかも知れません。信じていたものに裏 切られるとうらみも倍増です。しかし、語尾を捕まえて感情的になるのは面白くない と思います。日本における戦後の朝日的思考は戦争に負け外圧にさらされた中で何 とか精神の安定を保つために用いられた方法論の一種であったと思います。保守に 対して反保守というのも保守あってのこと、保守が揺らぐと逆に保守側に回ったりす る。子供の自由意志に任した教育といっても本当に自由に発言され始めると、道徳 がなくなったと嘆く。かといって究極的に道徳とは何かと聞かれたら、はっきりとは 答えられない。この際100点なんかないと思ってそれらのいっさいを認め、どうやっ たら敏速に状況を改善できるかを考えるしかないと思う。 今この敏速さにストップをかけているのは、60年から70年代日本、あるいは世界中で 高揚したカルチャーである、それこそ朝日的な、どこかに理想があって現実はこんな に汚い、でもそれを知っている私はなんて自由なんでしょう(誇張しますが)という 思考の商業主義的な面のみが増大した点だと思います。簡単にいうと、loveと書い てあるチョコレイトをやすく多く作るため中年の工場長が過労死しているような状 態で(例えが悪いかな)、よくよく考えると、何でこうなったのかな、と思ってしま い思考停止におちいってしまうことです。多分、何事も程度問題なのでしょうが、人 間は程度を超えたものが大好きです。そのことを認め少しずつしか変わらないことを 、ひとつずつ変えていくしかないのではないかな・・・・・・ Time : 2001/ 1/11(木) 02:45:19
Name : H・M E-mail : Title : 知っている事があったらおしえてください Comments: 突然ですが、はじめまして。 藤原泰衡の子孫の事を誰か知っていたら教えてほしいのです。 頼朝に滅ぼされた後藤原氏は、3家に分かれたそうです。 そのうちの1家の宍戸家のことを誰かしっていたら教えて下さい。 Time : 2001/ 1/11(木) 16:38:54
Name : マサヒコ E-mail : Title : H・M 様   14歳ながら  要旨:宍戸氏 Comments:  さて、僕は広島に住んでいるのですが広島といえば毛利氏です。さてその毛利氏 の家臣に宍戸氏という者が居ます。一族は毛利家の本拠地郡山城のとなり五竜城に 居を構え国人領主として君臨しました。16Cになり毛利氏の版図の拡大に伴いい ちはやく従いました。3つ矢のエピソードが有名ですが宍戸隆家は毛利3兄弟とど うとうに扱われています。  関係あるかな???? Time : 2001/ 1/11(木) 21:50:05
Name : 2m E-mail : Title : ウサチュウさん、マサヒコさんへ Comments: ウサチュウさん、始めまして。少し前の議題ですみません。 >本人は「血統」に弱いのではないでしょうか?例えば、最近でも細川氏の子孫で ある首相がいますし・・・ 「織田信長の子孫」が TV番組に出ていました。 案外、そうでもない様です。上杉膺山は知っているかと思いますが、彼は他家か らの婿養子です。中身を知っていたとは思えないけど、伊藤博文は親と共に伊藤家 に養子に入りました。あと、大きな旧家でも似た様な事は良くあったそうです。確 か、ずっと前に小林よしのりさんも書いてたような・・。 現代の二世・三世議員の問題は、ウサチュウさんの指摘通りです。「三バン」だ けで何の政治能力もない人が、大量に政治家になっています。これは国にとって極 めて有害な事です。「政治能力」は「洞察力」と思います。「洞察力」は「未来予 見能力」とも言える筈です。「未来予見能力」は「予言・預言」とは違いますので 、あしからず。・・・「国家百年の計」と言う言葉がありますが、政治家は常に先 の事を見据えて、先手先手で政治を行わなければ国は破滅します。それが欠けてい る人が国を動かしているのが、危険極まりない事の訳です。 ・・もしかすると、政治家の「血統」が重視されると言う事は、国家体制が崩壊 する前触れかも知れません。 Time : 2001/ 1/11(木) 21:59:22
Name : 2m E-mail : Title : ウサチュウさんへ Comments: 2mはマーク・トウェインと同じで、キリスト教団を好ましい宗教団体とは思って いません。十字軍以後は、邪教としての部分が極めて多いですし。「キリストが今 ここにいたら、一つだけなりたがらないものがある。キリスト教徒に。」・・マー ク・トウェインはキリスト教団の宗教団体としてあるまじき行為を、良く知ってい たのでしょうね。 孤児院や、その他ありとあらゆる善行を穏やか(これがキリスト教団や新興宗教 は激しいですし)に薦めるのは、宗教団体として当り前です。当り前の事を、「善 行をしているのだ」と言う態度で誇る人に、2mは猛烈な嫌悪を覚えます。何かやま しい事を裏で企んでいると読み、大方はその通りです。 Time : 2001/ 1/11(木) 23:35:52
Name : マサヒコ E-mail : Title : 2m様  要旨:キリスト教への嫌悪 Comments: 2m様、お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか・・ >>キリスト教は邪教・・・・・ @僕はそうは思いません。実は僕は広島学院というミッションスクールに通ってい ます。そこにはイエズス会の神父様が5、6にんほどおられるわけですが、ものす ごく人間的に優れて居ラシャルと思います。2m様の言うような、1195年ウルバヌ ス2世が決定した十字軍以来、邪教になったとは思いません。 A宗教は世俗・改革を繰り返します。(改革運動としてはクリュニー修道院が有名 ですね。創価学会も同じでしょう。)2m様は世俗のほうばかりを見ているのではな いでしょうか。 B>>善行をしているのだという態度・・・・この点は僕も同じことを考えます。 モチロン素晴らしいことをしている方が多いですが、(僕の先生で神父のかたは授 業に対し無報酬です。)しかし中に善行をやましいことを企み薦める・・・ひどい 嫌悪を覚えるのは同感です。 Time : 2001/ 1/13(土) 17:40:53
Name : 2m E-mail : Title : マサヒコさんへ Comments: まずは・・十字軍を出した事で解るとは思いますが、2mが好ましくないと思うキ リスト教は、ローマ・カトリック派とその影響が濃厚な派です。他の派まで調べる と、時間が無闇にかかる上に、それほど成果は上がらないでしょうし。 >イエズス会の神父様が5、6にんほどおられるわけですが、ものすごく人間的に 優れて居ラシャルと思います 「人は見掛けに依らぬもの」です。それに同じ人間でも、時と場合によっては人 間性が劣る事がないとは言い切れません。・・確かに、全てのキリスト教徒が悪い 事を企み実行しているとは思わないし、思いたくはありません。ただ、最高位の人 の行動が「あれ」では、疑いたくもなりますが。・・やはり反省サルと同等だった ・・・今の所、そんな評価しかできません。 >僕の先生で神父のかたは授業に対し無報酬です。 おかしな話です。殆どの人は何らかの行為に伴って報酬を受け取り、それによっ て暮しを立てています。その人達も誰からかの報酬を受けて生活している筈です。 完全な自給自足の生活なら別ですが、説教の合間では無理の筈です。それに「授業 に対し無報酬が明らかな事」は、「善行をしているのだという態度」とも言えます 。そう言う場合嘘でも「必要な分貰っている」とするのが宗教家の態度と思います 。これでは、誉められる事に陶酔しかねないからです。 ずっと前に書きましたが仏教では、「隠す善行」を「陰徳」と呼び、「明らかな 善行」を「陽徳」と呼びます。そして「陰徳」は本当の善行で、「陽徳」は悪行と も言えるとしています。しかし仏教にも「陽徳」がない訳ではありませんが・・。 完璧な宗教もあり得ない事を認識しておいて下さい。ただ、暴走している部分は正 すべきですが。 Time : 2001/ 1/14(日) 01:21:28
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 人間の性について Comments:  2m様、マサヒコ様へ。以下の私見がお役立ていただければ幸いです。  カソリックが邪教としての部分が極めて多い、ということですが、その原因は、 カソリックが良かれ悪しかれ人間の性(さが)というものを極めて鋭く洞察してい る為だと思っています。  例を挙げると「天国」・「地獄」というものは聖書に記載されておりません。が 、中世ヨーロッパにおいて、彼らは民衆に対して「人間には原罪があり、教会に従 い罪を悔い改めることのみが救いの手段であり、教会に従わなければ地獄に堕ちる 」と教え、民衆を支配しました。これは救いを欲する人間の心理を巧妙についた情 報操作といえます。十字軍遠征は参加した者には完全免罪されるとの理由で、民衆 に熱狂的に支持された訳です。しかしながら、カソリックには「告解」等で見られ るように人間の性を肯定し、人々に救いを与える面もあります。  結局のところ、私は人間とは「悪を行いつつ善を行い、悪を行いつつ、善も行う 」といった矛盾の塊であり、イエスがまことに神であり、彼の言葉・行いの源がキ リスト教にあるとしても、それを制度化し運用していくのは人間である以上、矛盾 は避け得ないと思っていますが。 Time : 2001/ 1/14(日) 03:17:53
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 前文訂正(申し訳ない) Comments:  書き込んで気が付きました。 「イエスがまことに神であり、彼の言葉・行いの源がキリスト教にあるとしても」 →主客転倒していますので、「イエスがまことに神であり、彼の言葉・行いがキリ スト教の源であるとしても」とします。申し訳ない。 Time : 2001/ 1/14(日) 03:24:47
Name : マサヒコ E-mail : Title : 2m様  要旨:キリスト教への嫌悪 Comments:  おはようございます。 >>神父の神父の先生は無報酬は・・・おかしな話  絶対に譲れない意見です。彼らの生計の立て方とは・・僕の学校には聖堂の隣に 神父さんが住んでいる別館があります。そこでの生活は、まさに清貧です。例を挙 げますと、個人でTV・車等の高級なものは一切所有していません。別館では規則 正しい生活を送り、質素ながら美しい生活を送っています。さてその生活費はどの ようなルルートから回ってくるかというと、バチカンへの寄付金が回ってくるので す。   誤解があるようなので、訂正しておきますが、神父様自身からそのよう なことは決して自らの口では決して言いません。確かに完璧な宗教でないことは分 かっていますが、キリスト教を批判したのなら、少しでも美しさをわかっていただ ければ幸いです。 Time : 2001/ 1/14(日) 07:57:47
Name : ペンネームK E-mail : Title : What is 邪教? Comments: 邪教とは何でしょうか。 イデオロギー的なもので言う、正統争いのことでしょうか。 正統かどうかについては、何を以て判断するのでしょうか。 教義に忠実なこと? 社会的に権力を有していること? 教義の字面ではなく精神に忠実なこと? 教義に忠実ということで言えば、 現在キリスト教を「唱えている」ローマカソリックを始め 諸プロテスタントやギリシャ正教などの 殆ど全てが邪教に分類されるでしょう。 何故ならば聖書は偶像崇拝を禁止しています。 形が問題ではないという人もいます。 聖書の神ヤハウェも、コーランの神アラーも 更には仏教における仏陀も いずれも最高神だという人もいます。 (厳密には仏陀は違いますが) しかし神には名前があります。 その名前とは異なる固有名詞で呼ばれることに 神はどれだけ寛大でいられるでしょうか。 この「正統論争」のような話と、 各信者の個人としての人間性の話とは、 ことキリスト教徒に限って言えば、 あまり相関性は無いでしょう。 キリスト教徒を口だけ名乗る「統○○会」の類は別にして、 どんな宗派にも立派な人はたいていいるでしょう。 教義に忠実であろうとすればするほど 自らを磨くことに懸命になり、 結果的に人格者が生まれることは充分に考えられます。 どなたか「邪教」の定義を明らかにして下さい。 Time : 2001/ 1/14(日) 21:49:25
Name : zzz E-mail : Title : 速度論 Comments: 宗教は人と人を結合するものでありそれには目的が表現されています。例えば神の 国を作るとかです。いまだどの宗教もその意味では達成していないのではないでし ょうか。また宗教は死生観を与えると言う面もあります。 知走りやすく,行なりがたしという言葉がありますが、目的を達成するには何事も 時間がかかるものですし、人間は賢いといっても生の生命体であり機械ではないの で新しい状況に適用するには時間がかかります。 しかしまれに頭の中で機械的に物事を組み立て,それに悪い意味での純真さみたい なものがくっついて、あたりまえの現実や歴史など、また長期的にかかることをす ぐに実現しようとし、それに前述した集団思考や死生観などがくっついて非日常的 行動に出る場合,それに大義名分を与えた宗教みたいなものを邪教と言えないでし ょうか。 ある意味すべての宗教がそうなる可能性がありますが、一言で言えば、急ぐ傾向が あり、そしてその時代の社会との間にあつれきを生じたものを言葉上、邪教と言う のでしょう。 Time : 2001/ 1/15(月) 02:34:34
Name : Ponya E-mail : Title : 正邪善悪の定義 Comments: お久しぶりです。 宗教の話題は抽象的な部分を言葉で表現しにくいので関わりづらいのですが、定義 として納得いかないまま読んでいてもスッキリこないので、疑問を提示させていた だきます。 ●絶対的な悪行である(または善行である)というベクトルは実際あるのかどうか  またそれを示すことが出来るのか?という点。 絶対的なベクトルが存在しないという条件の元での「邪教」をあらわす相対的な定 義としては、zzzさんの「速度論」がもっとも簡潔に表現されていると思います。 あるAという社会の状態があるとき究極的にはBという状態を目指す教義は、(そ のBの方向性に関係なく)A→Bという方法を用いたとき「邪教」とされ、A→A ´→B´→Bという方法をとったときは受け入れられやすい。三四郎さんのおっし ゃっていた「人間(社会)は少しずつしか変わらない」という趣旨の意見と一致し ていますね。つまり、この分類は人間社会の「少しずつしか変わらない」という特 性を考慮するかどうかの「方法論」ともいえそうです。ウサチュウさんのおっしゃ る、邪教とは「人心を惑わし社会不安を引き起こす教え」というのも、大方の部分 でこれに一致していると思います。「人心を惑わし社会不安を引き起こす教え」は 大抵大きな変化を含んでいることが、社会不安の原因になっているからです。 ところで、2mさんのおっしゃる陽徳にあたるか陰徳にあたるかは、やはり行いその ものの方向性ではなく方法論の問題で、同じ行為であってもその方法によって善行 か悪行(に結びつく?)かが分かれるという分類法ですね。もちろん、方向性では なく方法論こそが問題なのだという定義も可能でしょう。しかし、ある宗教機関( または企業でもよい)が陽徳を行うとき、それが陽徳である必然性というものは無 いのでしょうか?  たとえば、寄付金を元手に慈善事業を行う場合、偽善的に捉えられるかもしれな いけれども、あえて善行を公言することによって寄付金を集め、陰徳では無し得な いような広い善行を行おうとする場合などは、これに当たりませんでしょうか?( 個人が自分の力のみで善行を行う場合に、善行を明らかにするのは多くの場合偽善 に当たるのは、なんとなく分かります) おなじ、方法論的な分類方法であるけれども、「人心を惑わし、社会不安を起こす 」方法をとれば、目指す方向性には関係なく「邪教」であるするのと、「善行を明 らか」にするかどうかで「善悪」を分けるのでは、結果的に大きな違いになりそう な気がします。(それとも「陰陽」の違いは「正邪」を見分ける為の方法論?) このあたりの違いを残したまま、教義の「正邪」を議論しても何か空しさのような ものがあって、どうも議論に参加しにくいのです。 私の本音としてはやはり、無理に「正」「邪」、「善行」と「悪行」を絶対的に定 義しようとしても、我々が絶対的な存在でもないかぎり、絶対的な価値観を示した り受け入れたりすることは言葉上では難しかろうと思うのですが、いかがなもので しょうか?(それとも何か別によい定義があるでしょうか?) Time : 2001/ 1/17(水) 00:20:07
Name : ウサチュウ E-mail : Title : こんなもんかな Comments: 言葉が足らなかったようで補完します。 「首尾一貫して善を行う、又は悪を行うといった存在であれば話は簡単だが、人間 とは中途半端に出来ていて、矛盾の塊。善を為すことがあれば悪を為すこともある 。善を為した時は特に問題はないが、悪を為したときには人間は救いを求める」  私は前記を人間の性(さが)と定義しています(人間性ではありません)。又、 宗教とは「救いを求める為の行動規範」と定義しています。例えば、仏教における 救いとは、覚を開き輪廻転生から脱却し永遠の死を迎えることが救いで経典・戒律 はその為の行動規範であり、キリスト教はイエス・キリストを信じ、その教えに従 う(行動規範)ことで神の国(天国ではありません)に向かうこと(救い)。イス ラム教は最後の預言者たるマホメットが起こした最大の奇跡であるクアラルン、そ してその下位規範を堅く守り、緑園に向かうこと。  邪教とは「人心を惑わし社会不安を引き起こす教え」です。宗教は、行動規範な ので人間の行動を制約しますから(すべし・すべからず)、どの様な宗教でも邪教 となる萌芽があります。ここはZZZさんのご指摘通りで、特にマイノリティの状況に ある初期段階、もしくは他地域に伝播された直後は他の社会規範と真っ向から衝突 します。古代ローマではキリスト教は社会秩序を乱すという理由で迫害されたのは 、ご承知のとおりでしょう。仏教も中国に伝播した際には出家制度が社会問題にな り、迫害された歴史があります。しかし、社会・地域に衝突する度に宗教も社会及 び地域も相互に変化していきます。キリスト教は土着宗教の儀式や制度を取り入れ 、仏教も各地域に適合して浸透されていった訳です(守護聖人や聖母信仰、戒律の 廃止等。井沢さんの「井沢元彦の世界宗教講座」でも軽く言及されています)。  今回は特にカソリックが争点になっていますので、カソリックにのみ言及します が、悪意ある解釈を行えば、カソリックは救いを求める人間の性を利用し、布教を 行い、民衆を支配した洗脳集団と言えます。本来、神と人間との間には愛以外には 何者ないのですが、彼らは法王を地上における神の代理人と称し、神と人間との間 に介入・干渉し儀式(中世における免罪符の発行等や、現在でもとり行われている サクラメントがいい例でしょう)をとり行い、民衆を支配することが可能な体制を 構築した点で、他の宗教にはない特色をもっています。  私はマーク・トウェインを読んだことがありませんが、2mさんのカソリックに対 する反感はこの辺にあるのではないでしょうか?確かに、このような解釈をすれば カソリックは「人心を惑わし、社会不安を起こす」邪教としか見えませんから。 Time : 2001/ 1/15(月) 22:24:09
Name : 2m E-mail : Title : マサヒコさん、Ponyaさん、ウサチュウさんへ Comments: マサヒコさん、Ponyaさんへ >彼らの生計の立て方とは・・僕の学校には聖堂の隣に神父さんが住んでいる別館 があります。・・・バチカンへの寄付金が回ってくるのです。 揚げ足を取る様で悪いのですが・・。「清貧な暮し」は「宗教家」として問題あ りません。「マサヒコさんがそれを知っている事」が問題なんです。「清貧な暮し 」を他人に見せる、もしくは他人が知っているのは「陽徳」にあたります。徹底的 に隠さなければ、「宗教家」としての態度とは思えません。すぐ近くではなく、遠 くに住めば良い事ですし。 「清貧な暮し」は、「見掛けの美しさ」です。宗教家に必要なのは「魂の美しさ 」です。安易に判断できるものではありません。もし「見掛けの美しさ」を誇りと するなら、その人は「汚れた魂の持ち主」になるからです。 >寄付金を元手に慈善事業を行う場合、偽善的に捉えられるかもしれないけれども 、あえて善行を公言することによって寄付金を集め、陰徳では無し得ないような広 い善行を行おうとする場合 人によっては、そう言う事をしなければならなくなる人もいる筈です。「政治家 」もそんな人の一部と思います。・・はっきり言って、これは「陽徳」です。だか らこそ、その後が大事です。簡単な対処法は、「慈善事業をした事を全部忘れ去る 」のが正しい態度で「陰徳」と思います。もし「慈善事業をした事を誇りとする」 なら、「陽徳」に成り果ててしまいます。・・それを行った人の心次第で「陰徳」 と「陽徳」は分かれます。他人が判断しようとしても、その人が死んでも解らない 場合もあると思います。 2mが「陰徳」と「陽徳」を分ける基準は、「善行を忘れようとしている」か「善 行を誇りとしている」かの態度で見ます。 ウサチュウさんへ フォローありがとうございます。・・ついでに一言。 >イエスがまことに神であり、彼の言葉・行いの源がキリスト教にあるとしても 「十字架で神への恨み言を吐いたイエス・キリスト」は、「神」ではなく「祟り 神」なのかも知れません。その「祟り」を恐れて拝み始めたのかも知れません。・ ・・なんつーか、ここにぴったりかも、な話です。別に、イエス・キリストを侮辱 している訳ではなく、その場にいた人達がそう思ったとしても、状況はおかしくな いからです。 Time : 2001/ 1/17(水) 23:12:27
Name : 2m E-mail : Title : 駄文 Comments: どーにか、2mの宗教についての考えも纏まってきた気がします。 ・・つまらん事は置いといて、また下らん事を書きます。 世の中には、「天才」と呼ばれる人が何人かいます。ただ、どうやら「本物の天 才」と「偽りの天才」がいる様です。現代人の実名を出そうかとも思いましたが、 色んな意味で気が引けるので止めておきます。でも、その傾向を書いておきます。 「本物の天才」は、一つ、またはそれに近い分野で、次々に新しい流れを作り続 けていけます。 「偽りの天才」は、様々な分野で能力を発揮しますが「本物の天才」の後追いで 、その人自身が新しい流れを作る事はできません。 歴史上で言うと・・ 多分、老子、ソクラテスは「本物の天才」です。 孔子、アリストテレスは「偽りの天才」でしょうか。・・多大な功績を各方面で 残してはいる様ですが、纏めただけの気がします。時にはロクでも無い事もしてい る様です。 「偽りの天才」は「秀才」とも言えるかも知れません。ただ、「秀才」は「天才 」には絶対に勝てないそうです。上記の違い等があるからかも知れません。 Time : 2001/ 1/19(金) 23:10:24
Name : zzz E-mail : Title : 憶測ですが Comments: ●絶対的な悪行である(または善行である)というベクトルは実際あるのかどうか  またそれを示すことが出来るのか?という点。 私なりに答えます。 悪には善、善には悪が定義として必要です。 つらい表現ですが悪がはびこっている時,善という言葉がより美しい物語性を放つ でしょう。 しかし,シンプルにいろいろ矛盾が多かった人間の歴史をみて、この矛盾をイメー ジできる状態を表現するとすれば、善とは全員の普通の幸せが守られている状態で はないでしょうか。悪行とはそれを破壊する行動だと思います。 検証すると生物学的、人文科学的立証という難解さはあるでしょうが。 シンプルに,繁栄と滅亡ではないでしょうか。 Time : 2001/ 1/20(土) 01:18:59
Name : みず E-mail : kouta@pg.highway.ne.jp Title : 少し疑問があるのですが Comments:  2mさんの書き込みについて、どうもよくわからない所があるので、質問 させてもらいます。2mさんは、善行をしていることを他人に知らせるor知 られることは、「陽徳」=偽善であり、善行をしていることをわざわざ隠 すことこそが「陰徳」=善、とされているように思えますが(違っていた ら、ご指摘下さい)、何故知られてしまう場合でも、偽善とされるのかが どうも理解できません。それが正しければ、例えば以下のような例も偽善 ということになりますが、2mさんはどう考えられるでしょうか。よろしけ ればお聞かせ下さい。  Aさんが、火事の家の中に命がけで飛び込んでいって、中に取り残され ていた人を救出したとします。その時、「たまたま」テレビ局の記者がその様 子を目撃していたとします。Aさんは、テレビ局がその様子を報道しようと しているのを後で知りましたが、Aさんは、強いてそれを止めさせようとは しませんでした。  この場合、Aさんは、少なくとも助けに行った時点では、自分の善行を 知らしめようとはしていなかったのは、明白です。報道するのを止めさ せようとしなかった時点では、ひょっとしたら自分の善行を知らしめよう と思っていたかもしれませんが、既に「善行」は行われた後です。 Time : 2001/ 1/20(土) 14:48:59
Name : 憂国 E-mail : oddsonjapan@nifty.com Title : お久しぶりです Comments: 空転様がちょっと前にかかれていた事に対してなのですが、、、 >日本人は先の戦争に対して反省をしていない、、、云々、、。 まったく同感です、、、と同時に先の「おたく」発言にも通じるのですが 目的のない知識ほど無意味なものはないように思えるのです、ただの言葉 遊びと言うか、脳の無駄というか、 専門的な知識は目的を明確にして使われるべきものであって、ただの自己満足や 余暇の楽しみだけであるものならば、それは娯楽でしかありえない、、、 井沢先生のHPであると考えた時に彼の著書とははたして娯楽の域のもの なのでしょうか、、、、、、私にはそうはおもえないのです、彼の視点は あくまで今現在にあり、過去から現在を学びそれを生かしていく、そのよう な意図が本質であるように強く見受けられるのです。 隣の掲示板をみますとあいもかわらず言葉遊びにふけり、井沢先生のいわんと する本質も考えずにさもわかったように、事実誤認だ、牽強付会だのと 揚げ足とりに奔走している、、、、、 ソクラテスではありませんが、「無知の知」と言いたくなります。 しかしながら公の場所としてはふさわしくない発言であったことは素直に 認めてこれが最後の書き込みとさせて頂きます。 Time : 2001/ 1/20(土) 20:16:23
Name : 2m E-mail : Title : みずさんへ Comments: >何故知られてしまう場合でも、偽善とされるのかがどうも理解できません。 >Aさんが、火事の家の中に命がけで飛び込んでいって、中に取り残されていた人を 救出したとします。その時、「たまたま」テレビ局の記者がその様子を目撃してい たとします。Aさんは、テレビ局がその様子を報道しようとしているのを後で知りま したが、Aさんは、強いてそれを止めさせようとはしませんでした。 ・・ちょっと、ややこしいですね。 「陽徳」も、その後の処置次第では「陰徳」になったり、「陽徳」になったりす ると書きました。みずさんの書いたAさんも、テレビ放送された時点では「陽徳」で す。その後、Aさんが自分の行為を誇って自慢したりするようなら、本当に「陽徳」 です。逆に、誇らず自慢したりしなければ、誰も忘れていき「陰徳」に変ります。 要は、その後のAさんの心持ち次第の訳です。・・驕りの心を持つか持たないか、 平常心を持つか持たないか、です。 ・・「善行」をしたくてやっている人は極めて「偽善」に近い様です。 Time : 2001/ 1/21(日) 01:41:37
Name : Ponya E-mail : Title : 善のベクトル Comments: zzzさん、お答えいただいてありがとうございます。 >善とは全員の普通の幸せが守られている状態 そうですね、私も似たようなことを考えたことがあるのですが、この「全員」とは いったい誰を指す言葉なのでしょうか? ある限られた地域で生活する人間でしょうか?それとも人間という種でしょうか? それとも地球という環境における「生物全体」を指すのでしょうか? こういう事にこだわりだすと、人間という種が地球生命圏における癌細胞ではない か?という「ガイア理論」に嵌ってしまいそうですが、人類全体が「普通の幸せ」 を獲得した状態が、地球生命圏にとって「滅亡への道」である可能性は容易に否定 出来ません。俯瞰すればこれも一種族のエゴイズムからくる刹那的な「善」の姿で あると言えます。つまり、限られた種にとっての限られた時間での「善」ですね。 もちろん、「善悪」などというものは人間という種のみが振りかざすイデオロギー であることを考えれば、生命全体にとっては意味のないものでありますから、所詮 強い種が生き残り、生き残った種も自分たちの行為によっていずれ滅びる。そのよ うな変遷を繰り返すのが自然でどうにもならない事であり、どうにかすべきもので もないという、2mさんが昔述べておられた「無為の善」に近いところに行き当たる のかもしれません。 Time : 2001/ 1/23(火) 01:11:53
Name : zzz E-mail : Title : 普遍性 Comments: >検証すると生物学的、人文科学的立証という難解さはあるでしょうが。 善悪は,それを評価する単位(10年、1000年 10人,1000人など)によって変わっ てきます。 だからといって目の前で死にかかっている人を100年単位の地球の健康のためといっ て見殺しには出来ません。 言葉に普遍性がないからといって,何をしてもいいんだ(極端ですが)というのも なんですが、こと善悪に関しては感情論にならざるを得ません。ひとつ,ひとつの 善を行うことが大きな悪を犯しているかもしれませんがそれを完璧に評価すること は基本的には出来ないでしょう。 また,これも感情論ですが、凶悪犯ならともかく,人間は全員(地球上の人すべて )一応普通に幸せになる権利があると思います(厳密に幸せの定義を話し出すと袋 小路に入る) また前程としてそうしておかなければ、善悪の定義は出来ないでしょう。 他の種の動物の権利については基本的には同じ権利を持っているといえると思いま すが、ある動物を生かすために人が死ぬなどがあるというのは考えにくい。 また生物学的にいうと生物は,どんな種類でも条件があれば無限にその数を増やそ うとします、よって人間にも潜在的にその性質はあり,わけもなくある方向(増大 )に向かうでしょう、英知によってそれをコントロールしようとするのは,何かあ たりまえのことを否定するような気がします。しかし地球規模での公害や多種との 共存を考えるのは,それこそ長期的に必要だと思います。悪意はないのだが科学と いう間接的な条件下で重大な公害などが発見されたら隠さず敏速に対応する勇気が 必要なのが現代の課題でしょう。 答えておいてあいまいにしましたが、結局目の前の不幸(定義は止めましょう)に ひとつずつ対処していくしかないと思います。 Time : 2001/ 1/23(火) 23:45:36
Name : マサヒコ E-mail : Title : みなさま Comments:  お久しぶりです。また議論に参加して良いですか? Time : 2001/ 1/24(水) 18:03:02
Name : 2m E-mail : Title : Ponyaさん、zzzさんへ Comments: Ponyaさんへ >所詮強い種が生き残り、生き残った種も自分たちの行為によっていずれ滅びる。 そのような変遷を繰り返すのが自然でどうにもならない事であり、どうにかすべき ものでもないという、2mさんが昔述べておられた「無為の善」に近いところに行き 当たるのかもしれません。 ・・どうにかすべきものです。それが「無為の善」の役割、と2mは思っています 。 zzzさんへ >生物学的にいうと生物は,どんな種類でも条件があれば無限にその数を増やそう とします どんな種類でも、と言う訳ではありません。 基本的に「草食獣」は増やそうとします。しかし「肉食獣」は、ある程度の所で 「間引き」を行い調整を行うそうです。・・弱い生物は多くなる事で強くなろうと し、強い生物は少なくなる事で弱くなろうとする事で、自然界は釣合いを保ち成り 立っている様です。 人間界も似たものの様です。本当に弱い人ほど強がりを言い、本当に強い人は滅 多に強さを示そうとしない事が多い様です。 Time : 2001/ 1/24(水) 22:02:53
Name : zzz E-mail : Title : 肉食獣 Comments: >肉食獣」は、ある程度の所で 「間引き」を行い調整を行うそうです。 このとき間引きされる対象とはどんな性質を持った子供でしょうか。 人間界では間引きは倫理的に出来ないでしょう。 また,肉食獣の数は草食獣の数に比例して増えます。 しかしここで揚げあし取りを始めようとは思いません。2mさんの文脈の意味は解か ります。 やっぱり何事も程度問題なのではないでしょうか。 Time : 2001/ 1/24(水) 23:33:37
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 善と悪の定義について、と私信 Comments:  善と悪の定義について(ちょっと古いかな)  言うまでもないことだと思いますが、善と悪とは慣習や現行規範等からなる社会 的事実の一つです。オルテガの言うところの「信念」。時代性・地域性が出てきて 当然です。このように捉えないとZZZさんが言われる通り、単なる言葉遊び過ぎず、 何ら実りのない議論となると思いますが。    2mさんへ >フォローありがとうございます。・・ついでに一言。  いえいえ、こちらこそ新参者ですが宜しくお願い致します。イエスを祟り神と考 えるのは面白いとは思いますが、祟り神という存在は自然崇拝の風潮が必要で、ゴ ルゴダにいた人達の大半がユダヤ人であったことを考えると、ちょっと無理だな、 と私は思います。 Time : 2001/ 1/25(木) 19:03:53
Name : Ponya E-mail : Title : 善の理想について Comments: ## マサヒコさんへ ここは議論への参加自由な掲示板ですから、ご自分で参加できそうな話題ならばい つでも途中参加してよいと思います。また、ご自分から別の話題をご自由に振って もよろしいでしょう。ただし、あなたの発言に対しての批判も自由な世界ですから 、そのへんはご承知の上発言されますように。 文章の下手な私が言うのも変ですが、最近のあなたの文章は要旨をハッキリさせる ことを心がけてらっしゃるので理解しやすくなってます。最初のころとは別人のよ うに良くなってますよ。 ## zzzさんへ >検証すると生物学的、人文科学的立証という難解さはあるでしょうが。 あ、これはそういう意味だったんですね。すみません、理解が足りませんでした。 たしかに目の前にある不幸への対処も一切否定するのであれば、多くの人は実行し ないでしょうし、現実的にそういう前提はやはり必要ですね。 ## みなさまへ いろいろ補足していただきましたが、ローカルな目標達成(短期的には目の前の現 実への対処、中期的には環境への一時的な対処など)のための紆余曲折で一時的に 方向が違うことはありながらも、長期的に、また総合的には、「繁栄と滅亡」こそ が善と悪の方向性であると。大体そういうことで皆さんもよろしいでしょうか? ではその善の方向性に沿って長期的な総合的な「善行」を考えたとき、個人よりも むしろ団体の行為や影響力の強いリーダーの行為の善悪について論じるべきだと思 うのですが、そのときに気になるのが、2mさんのご意見にあった「陰徳・陽徳」「 善か偽善か」です。以下に、それに関する提言を示します。 ●提言 個人的な善行は「陰徳」が理想かもしれませんが、企業や有名人は「陽徳」であっ てもよい(むしろ、そうあるべき)ではないか?(善行を誇るべきではないか?) ●理由 企業(特に株式会社)というのは現実的な利を求めるので、あからさまに善行を行 うことで自社の優位な立場を築くなどの企業利益が無いことには現実的に動けない 面がある。また、大衆に強い影響を与えるような有名人の場合は、善行をあからさ まにすることによって、多くの大衆を導く可能性がある。本人も別の目的があった ほうが動きやすい。 少し補足します。 もちろん、企業は善行が目的ではなく、消費者や取引先や行政などの好意的な感情 を買っているのであり、有名人は売名によってさらに有名な存在になることで、本 来の自己の目標を遂げているのです。しかし、現実的にはこの「本来の目標」を外 れていないことが大事な気がします。なぜなら、それらの多くは継続でき、真似を し易いからです。そしてそれらの「一見不純とも思える目的」は、結果においては マイナスではないのです。 Time : 2001/ 1/25(木) 20:09:47
Name : zzz E-mail : Title : かいつまんで Comments: 善的なものを育てるにあたってはダライラマのエリート教育は参考にならないでし ょうか。また企業の善については、あるイメージ(自由ややさしさ,精錬潔白、清 そ)で売っている役者が宣伝すると,実際に売上が伸びるという現実を解析してみ ることはどうでしょうか.(解かりやすいことから) Time : 2001/ 1/25(木) 20:57:01
Name : ペンネームK E-mail : Title : 老子より Comments: 上善は水のごとし。 水は善く万物を利してしかも争わず、 衆人の悪(にく)む所にいる。 故に道に幾(ちか)し。 上徳は徳とせず、是をもって徳有り。 下徳は徳を失わず、是をもって徳無し。 以下省略します。 中公文庫「老子」小川環樹訳注より 議論の腰を折るかもしれませんが、 善の真偽(もしくは善悪)や徳の陰陽は だれが、どういう基準で、判断するのでしょうか。 どうもその辺りが…。 余談ですが、 陰極まれば陽になるという言葉があったと思います。 Time : 2001/ 1/25(木) 22:17:56
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 善悪の源泉 Comments:  ペンネームKさんへ  無論、善悪の価値判断は各個人が自分の頭の中で行います。ただ、人間の頭の中 の観念には二つの層が存在していることに留意しなくてはなりません。それは「思 いつきとしての観念」と「思い込みとしての観念」です。前者は意識的に考えるこ とで生み出され、後者は既に自明のこととして持っている観念です。オルテガは前 者を「観念」と呼び、後者を「信念」と呼んで峻別しました。私は前者をイデオロ ギー、後者を慣習と理解しましたが。  何が正しく何が間違っているのか?は通常、我々が物心がつき、社会に出て得ら れる「信念」の体系によって為されます。あなたも日々の生活を「信念」によって 営んでいる筈です。私は「判断は各個人、基準は現状社会」と思います。  提言について  現在考え中。乞うご期待       Time : 2001/ 1/26(金) 02:02:50
Name : 2m E-mail : Title : zzzさん、Ponyaさんへ Comments: zzzさんへ まず、変な文脈があったのは謝ります。すみませんでした。 >間引きされる対象 映像だけではっきりとは断定できませんが、乳児の様でした。 >人間界では間引きは倫理的に出来ないでしょう 人間界での間引きは、日常茶飯事だった様です。対象は乳児と老人の様です。「 姥捨山」の話は日本のあちこちにある様ですし。全員が餓死するのを避ける、非常 手段として認めざるを得ない筈です・・。 以前の情報ですが、ローマ・カトリックは、避妊具の使用・中絶を禁止している そうです。間引きも禁止でしょうね。・・・彼らのせいばかりにもできませんが、 それでは人口爆発は起きるべきして起こったと言わざるを得ないです。全ての人が 餓死するまで、そんな悠長な事を言っているつもりでしょうか。・・心情的に言っ ても、せめて避妊具の使用くらいは認めないと、まず破滅しますね。「見掛けの美 しさ」を増大させた結果がこれでは、しゃれになりません。 Ponyaさんへ >現実的にはこの「本来の目標」を外れていないことが大事な気がします。 その状態なら「陰徳」に入る様です。ただし、「それが本当に可能なら」、と言 う条件付きです。 「利益」を求める余り地球を破壊しかねない現状は、「本来の目標」を外れてい ると思います。人間を豊かにする筈が逆に破壊するのでは、本末転倒ではないでし ょうか。 「善行をあからさまにすること」自体は、止むを得ない人には認めるべきと思い ます。ただし、善行を誇るべきではありません。それは、その人だけでなく周囲の 人も破滅させます。「百害あって一利なし」の状態が「陽徳」と言えると思います 。簡単に言えば「自惚れ屋」を認めるべきではないと言っているまでです。 Time : 2001/ 1/26(金) 23:40:50
Name : 腐儒 E-mail : Title : 2mさんへ Comments: 安藤昌益という江戸時代の思想家を御存知ですか? あなたそっくりなことを言っています。 彼は仏陀も孔子も働かないで口先だけで金を儲ける大盗賊であると言ってのけてい ます。 安藤昌益の思想はアナーキズムに近いものであり,一時期もてはやされた事があり ました。 Time : 2001/ 1/27(土) 00:25:23
Name : 2m E-mail : Title : 腐儒さんへ Comments: >安藤昌益という江戸時代の思想家を御存知ですか? 安藤昌益の思想は、「全人間が農業活動をする」「平等主義」と言うマルクス主 義に近い思想の様です。理想主義で現実を伴っていません。だから一時期もてはや されたのではないですか。・・2mの「皆が同じになってはいけない」と言う考えと 正反対です。 >あなたそっくりなことを言っています。 所々近い事を書いたからと言って、そっくりとするのは早計ですね。極めて不本 意です。 Time : 2001/ 1/27(土) 18:46:47
Name : ウサチュウ E-mail : Title : 提言について Comments: ●提言 個人的な善行は「陰徳」が理想かもしれませんが、企業や有名人は「陽徳」であっ ても良い(むしろ、そうあるべき)ではないか?(善行を誇るべきではないか?)  色々考えましたが陰徳を是とし陽徳を非とするのは、あくまでも個人が「徳を積 む」際の戒めである筈です。「徳を積む」とは様々な定義が可能ですが一般的には 、「善行を行い、人格を高める」ことであり、陽徳では人格を高めるどころか、周 囲から賞賛され増長し、人格を低めるから非とされる訳です。またペンネームKさ んの「陰極まれば陽になる」という言葉も、同じく陰徳にも増長のワナがあるとい った警句と思われます。あくまでも「徳を積む」ことを目的とするならば、有名人 でろうと、無名人であろうと陰徳でなければならないと思います。さらに言うと「 徳を積む」こと、と「善行」は切り離して別個に考えるべきでないでしょうか? Time : 2001/ 1/28(日) 00:07:05
Name : zzz E-mail : Title : 交通事故 Comments: 自動車事故は必ず起こります。もしこの世から交通事故をなくそうと思えば自動車 をなくすしかないでしょう。人間生活はそのような不測な事故が多く待ち受けてい ます。だからといって車には乗らない、〜はしないという世界に私たちは生きてい ません。このようなことをいえばすぐにヒステリックに反応するのは解かりますが 。人間は二重の世界に生きていると思います。ひとつは報われる世界でひとつは報 われない世界です。またみんな同じであってほしいと思いながら,何とか自分だけ は選ばれたいと思うものだと思います.そんな中で何とかバランスを保つため何か確 かな答えを探そうとします。 ある人は大金を投じた制癌剤の開発に取り組み、ある人はなるべく地球環境にやさ しいように山にこもって省エネルギーに暮らすでしょう。 イメージと現実の間のギャップを埋めるため,いろいろ思索をするのは重要です、 しかしこれから生まれてくる子供に この世は汚れきっている とは言えないのも 現実です、またそのようなことが思索し、議論出来ないという世が逆に汚れている ともいえます。 多くはイメージだけでもいい方を選ぶでしょう。 テレビで僧侶の方が 悪い時代になった と言っているのをみましたが,いったい いつと比べて悪くなったのでしょうか。 地球規模の人間の公害などが解かったことを意味しているのでしょうか もう少しこのイメージというものを理解する必要があると思います. Time : 2001/ 1/28(日) 15:54:39
Name : なかの E-mail : Title : 善について Comments: はじめまして、なかのです。 善行と徳については、ウサチュウさんが言われるように 別個のものであると思います。 むろん相関性は否定できません。 ZZZさんが言われたことの揚げ足取りかもしれませんが、 「悪い時代になった」「昔はよかった」という種類の愚痴は 現代に始まったことではないのでは? 善については、かつてペンネームKさんが 老子を持ち出されましたが、 私はむしろ聖書でイエスキリストが言った言葉の方が、 カトリックに否定的見方をしている2mさんには皮肉かもしれませんが、 近いように思えます。 「人に注目されようとして自分の義を人の前で行うことが ないようによく注意しなさい。そうでないと、 天におられるあなた方の神のもとであなた方に報いはありません。 ゆえに、憐れみの施しをするときに、 偽善者たちが人から栄光を受けようとして会堂や街路でするように、 自分の前でラッパを吹いてはなりません。 あなた方に真実に言いますが、彼らは自分の報いを全部受けているのです。 しかしあなたは、憐れみの施しをする際、 あなたの右手がしていることを左手に知らせてはなりません。 あなたの憐れみの施しがひそかになされるためです。 そうすれば、ひそかに見ておられるあなたの神が報いてくださるでしょう。」 (以上、新約聖書マタイ伝6章より抜粋) 2mさんの意見に対する批判ではないですが、一言だけ。 聖書の創世記には「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という 有名な言葉があります。 「地に満ちる」まで増え続けるのは神のお言葉ですので、 カトリック(だけでなく本来はキリスト教すべて)は 避妊や中絶は採用しないでしょうね。 避妊等を容認しているクリスチャンは 以前のペンネームKさんの言葉を借りれば「邪教」になるってことですかね? すみません、一言を越えてしまいました。 Time : 2001/ 1/28(日) 16:45:02
Name : 2m E-mail : Title : なかのさんへ Comments: >私はむしろ聖書でイエスキリストが言った言葉の方が、カトリックに否定的見方 をしている2mさんには皮肉かもしれませんが、近いように思えます。「人に注目 されようとして・・・あなたの神が報いてくださるでしょう。」 2mは、イエスキリストの言った事を守らないどころか無視しているのが、ローマ カトリックと思っています。それに「」内の話は、老子も殆ど同じ、と言うか最重 要項目として挙げています。「名を隠し、才能を隠す」のが、老子の第一の学説で す。一方で「徳を厚く積む」事を薦めてもいます。 「十字架で神への恨み言を吐いたイエス・キリスト」を、2mは侮辱していないと 書きました。と言うか、「神話」に出てくる「神」は完璧ではいけない様です。幾 つか知っていますが、「ギリシャ神話」の「大神ゼウス」はスケベ親父で、后ヘラ の嫉妬で浮気相手も酷い目に遭います。「日本神話」の「アマテラス」は早とちり で、弟スサノオの傍若無人な振舞いを止められなくなりました。で、「イエス・キ リスト」は驕り高ぶったせいで磔にされ、おまけに神を侮辱しました。 「神話」は、人間のために書かれた筈です。これらは「反面教師」としての役割 を持つと共に、「幾ら高い地位に上っても勝手な事は慎め」と言う意味とも繋がる 筈です。・・そう言う観点からすると、「神への恨み言を吐かないイエス・キリス ト」は、実はとんでもない過ちを犯している事になる筈です。 Time : 2001/ 1/28(日) 23:34:35
Name : Ponya E-mail : Title : 偽善のすすめ Comments: レスをくださった皆さま、ありがとうございます。 そしてウサチュウさん、「提言」を直球で受け止めていただいて感謝します。 まさにウサチュウさんのおっしゃった事が、私の言いたかったことでもあります。 善をおこなうことと徳を積むことは本来別のものであって、善の行い方によって 結果的に「徳」に結びつくかどうかと、「善行」が他に与える結果とは別にして 考える必要があると思うのです。 以前にタレントの泉谷しげるさんが、薬害エイズのボランティアを通して次のよう なことを言ってました。 「よく、こんなの偽善じゃないかとか言われるんだけども、俺たちゃ別に聖人君子 に見られたくてやってるんじゃない。だから偽善でいいじゃないか。自己満足でも いいじゃないか。善いことしたなんて思わなくていいんだよ。偽善だからやるのを 躊躇するってんなら、誰も動けやしない。俺のやってることは「偽善」なんだと、 分かっててやれば、肩の力抜きながらやれば…、人の評価なんか気にするなって。 偽善、偽善、と心のなかで唱えときゃいいんだよ。"一日一偽善"ってな(笑)」 泉谷さんは「偽善」と自覚して笑い飛ばすことによって「偽善」のマイナスイメー ジを価値相対化しているわけですね。そして同時に原点が「偽善」や「自己満足」 から発足したことだから、誇っちゃいけないと、感謝を要求するなと、それを心に 刻んどけと、注意を呼びかけてもいるわけです。 「愛は地球を救う」…かどうか分かりませんが、「偽善は地球を救う(笑)」と いうのも、やり方によっては成立するかと思うのですよ。 ●蛇足 日本にも「情けは人の為ならず」なんていう諺がありますね。 これは本来、「情けを人にかけておけばそれがめぐりめぐって、いつか自分にも よい報いが来るから人には親切にせよ」という意味合いに使われる諺ですが、私は この少ない文字の中に「偽善なんだ、それでいいんだ」という意味合いも含まれて いるような気がしているのです。 ●蛇足の蛇足 最近この諺を「他人に情けをかけるとその人を甘やかすことになるので良くない」 という意味に誤解している学生が多いのは、教育関係者では有名な話だそうな…。 Time : 2001/ 1/29(月) 07:40:17
Name : なかの E-mail : Title : お返事 Comments: 2mさま> レスありがとうございました。 ローマカトリックがキリストの教えを守らない云々については、 最近だけでもウサチュウさんやペンネームKさんが言及しており、 あまり述べません。 (ごめんなさい、本格的な宗教論争になりそうなので。) 聖書からの引掲部については、その宗教的(?)な趣旨はともかく、 両者は確かに類似していると思います。 ただ、聖書と老子とでは、死生観が根本的に異なることは 念頭に置いておく必要があると思います。 また、神が完璧かどうかについて、 私は専門でないので詳しく言えず申し訳ありませんが、 聖書の神は唯一神であり、ギリシャ神話や日本の神話などに 出てくる人間臭の強い神々と同列に論じるのは 無理があると思います。 そもそも「完璧」という概念自体が曖昧ではないでしょうか? Time : 2001/ 1/29(月) 19:01:11
Name : 山森 国造 E-mail : Title : 拝啓 天皇皇后両陛下 様  からの お知らせ Comments: 西暦2001年1月1日に、今上天皇皇后両陛下へのお手紙(W通)を、 私のホームページに記載する。 よろしければ、御覧下さい。 検索エンジン good等  検索キー 拝啓天皇皇后両陛下様 山森国造 Time : 2001/ 1/30(火) 02:02:20 Name : マサヒコ E-mail : Title : 要旨:宗教戦争は切り上げまして・・・・ Comments:  お久しぶりです。学校がはじまったので、足が遠のいていました。         @さて、議論が白熱しているようですが、ここで僕からあらたな議題を提出した いと思います。この議題の決着は新たな、発見がない限り、真実を確かめることが できないのですが・・・・・。それは邪馬台国です。もし真実がわかるとき「やっぱり宗だ った・・」と思えるような議論をしましょう。  Aここで僕の意見は九州説です。理由は後日述べるとして、皆さんの意見を伺いた いです。宗教の話のほかにこの論争にも、参加していただける方はまずご自分の意 見を、簡潔に述べてください。  Bかってなお願いですが、なにとぞよろしくお願いします。 Time : 2001/ 1/29(月) 21:11:27
Name : なかの E-mail : Title : マサヒコ様へ Comments: はじめまして、なかのです。 邪馬台国の論争を望まれているようですが、 以前に井沢先生が「逆説」シリーズで書かれていることに たいして、それ以上のものを求めているということでしょうか。 私は、あれはあれで一つの結論に達していると思います。 邪馬台国の位置についてはいろんな説があり、 文献資料からの検討はどの説からみても半ば恣意的に 説明がなされてしまっており、それだからこそ ここまで結論がでていないのでは・・? つまり新たな決定的資料が出ないうちは 仮定の話で終わってしまうと思うのです。 それでもよろしければ、茶飲み話の延長のような感じで 時間が許す時におつきあいします。 Time : 2001/ 1/30(火) 08:03:23
Name : 2m E-mail : Title : Ponyaさん、なかのさんへ Comments: Ponyaさんへ >泉谷しげるさん 面白い人ですね。・・2mは、泉谷しげるさんを「偽善者」として罵る事も「善人 」として誉める事もしません。そしてもし泉谷しげるさんを「偽善者」として罵る 人や「善人」として誉める人がいたら、「偽善者」と罵ります。 ややこしいですね。でも、今まで書いた「陰徳・陽徳」についての考えを纏める と、そう言う行動になります。それ以上は・・言いたくないですね。 >「情けは人の為ならず」・・「偽善なんだ、それでいいんだ」という意味合いも 含まれているような気がしているのです この場合は、「情け=陰徳」と思います。2mとしては、そういう意味合いは含ん でいないと判断します。 なかのさんへ >「完璧」という概念自体が曖昧ではないでしょうか 本質的にありえない物ですから、曖昧にもなりますよね。でも「不完全」ならあ りふれているので解りますよね。 >聖書と老子とでは、死生観が根本的に異なること そうですね。「どんどん増え、支配しろ」と「自然を師として調和しろ」では根 本的に違います。 「神への恨み言を吐かないイエス・キリスト」が追加された時期は、恐らく十字 軍の前後と思います。「どんどん増え、支配しろ」も同じ時期かも知れません。歴 史は書換えが簡単な人には簡単なので、より前にされているかとも思いますが。 過激な膨張を行う破滅思考を持つ・・一言で言っていまえば「神の使い」から「 悪魔の使い」に変貌した時期とも言えるかも知れません。 Time : 2001/ 1/30(火) 23:45:33
Name : マサヒコ E-mail : Title : 要旨:魏志倭人伝の信頼 Comments:  @さて、僕は魏志倭人伝をよみ、考察したことは、まず漢文というものは書いた 人自身にしか本来の意味はわからないということを、学者たちは分かってるのか? ということ。だからこそ多種多様な見解がでてくるのでしょうから・・・つまり魏志 倭人伝をそのまま鵜呑みにしては、ならないということです。  A次に本当に魏の使者は日本に着たのかということである。なにか魏志倭人伝を読 んでいると、客観的に・・・つまり誰かから聞いた話ではないかと思った他のです 。調べてみました・・・・・陳寿(倭人伝の作者) は人から40年前の話を聞き、倭人伝にしたようなのです・・・ >>日山君  僕のトモダチです。議論に参加しましょう。 Time : 2001/ 1/31(水) 08:36:59
Name : ウサチュウ E-mail : Title : マサヒコさんへ Comments:  魏志倭人伝の信憑性については、西尾幹二氏の「国民の歴史」の第7章、「魏志 倭人伝は歴史資料に値しない」に詳しく記載されてます。今日は時間がないので、 要約は記しませんが、興味があれば一読をお勧めします。 Time : 2001/ 1/31(水) 13:56:52
Name : アキ E-mail : Title : はじめまして(邪馬台国「論争」について) Comments: はじめまして、アキです。 邪馬台国についてちょっと書き込みさせていいただきます。 邪馬台国「論争」・・・・・・ですか。 正直、考古学会ではもはや「論争」は存在していません。 倭国の盟主たる邪馬台国は近畿に求めることができるからです。 文献史学会でももう激しい「論争」は存在しません。 まだ存在していると思うのは、井沢さんはじめ「作家」同士の論争が主だというこ としょう。 と、いうより、専門家達の間でもっとも問題とされていることは、邪馬台国所在地 ではなく、権力構造の変化、政権の確立経過に重点が置かれているようです。 こういう点を、井沢さんはあんまり考えていらっしゃらないように思いますが・・ ・・・・ Time : 2001/ 1/31(水) 15:20:31