Name    : 堀川 慎太老(害)
E-mail  : 
Title   : 仕事中・・・って、そんな時間に?!
Comments:
どー言うお仕事ですか、空転さん・・・まさか、お(バキッ!!)
・・・大変失礼痛しました{;;}。「井沢心酔者」です。
>「日本空母保有論」、いや、たいした話では・・・ただ、SAPIO誌に載っ
た「おおすみ改型空母」なる妄想(著述者ご本人がおっしゃる程ですから)に触発
されただけで・・・つい、そのぉ・・・。
私個人の意見としては、「日本が空母を保有したからって、それを他国にとやかく
言われる筋合いはねえよ(内政干渉じゃないっすか、それ?)」・・・乱暴な表現
ですが、こんなとこです。ただ、現状の日本において、空母保有が正しい選択か?
と言われると、「?」と思わざるを得ない。あまりに多くの制約がありすぎて・・
・。建造費用、時間、運用ドクトリン、艦載機の選定確保、パイロットの
育成・・・。どれをとっても、今の日本の政治家には荷の重い(メンド臭い)課題
です。・・・ちなみに「外圧」に関しては、全く問題にしてません(お隣の超大国
は、常に近隣諸国の軍備に難癖つけたがる「ノミの心臓」ですし)。
さて、そこで「おおすみ」です。何故あんなカタチなのか?タダの輸送艦なら、な
にもあんな「強襲揚陸艦」まがいのスタイルにする必要はない(中身はまったくの
輸送艦なのだから)、しかし「おおすみ」が、ああ言う姿をしていることには意味
がある、つまり「空母」まがいの艦に造ることによって、暗に「日本には、空母を
造るだけのチカラがあるんだぞ」と言う意思を示してるんじゃないか・・・
(掲示板の御大方から「根拠のない邪推」と言われそう…)。
・・・なにが言いたいのか、自分でもわからなくなってきましたねぇ;:。
2mさんへ:

>本土爆撃も原爆も、・・・
はっきり言って同意見です。特に原爆を投下したパイロット達への非難に関しては
(感情的にはよくわかるのですが)、「彼らはアメリカ軍人であり、下命された任
務を遂行する義務がある」と言う事実を無視した言い分だと思います。ただ日本人
の感情としては、「許せない」とは言わないまでも、やはり後世に大きな禍根を残
したと言わざるをえないでしょう(私個人は、明確な「実験」であったと確信して
ますが)。・・・知らない世界がみえるかも・・・ではこれにて。


Time    : 2000/ 7/ 1(土) 15:20:52

Name : なみ E-mail : Title : test Comments: test Time : 2000/ 7/ 2(日) 09:48:21
Name : 2m E-mail : Title : 堀川 慎太老?(害?)さんへ。 Comments: >私個人は、明確な「実験」であったと確信してますが 原爆投下の事ですか・・それもあったと思います。原爆の恐ろさがどの程度の物 なのか、実験して試したかったと思います。・・・結果として、滅多に使用できる 代物で無いと解った筈です。もし、それらの実験がされず原爆の恐ろしさが浸透し なかったら、その後、核戦争が起きていた可能性は高まった筈です・・「人間万事 塞翁が馬」だと思いますが。 しかし小林よしのりさんの「戦争論」にあった様に、「始めから日本向けに開発 」していたとは思いません。新しい爆弾の開発はどこの国でも進めていました。も し原爆投下ができる段階でナチスが生き残っていたなら、そちらの方が先だった可 能性もあります。たまたま日本との交戦状態が続いていたから、日本に投下された と言う所だと思いますが。 >>将棋と戦争 ネタバレです。 戦争を将棋に例えていましたが、これは逆です。将棋が戦争を元に作られたので す。だから、あの例えは解り易くて当り前なんです。将棋には格言がかなりありま すが、これは兵法に良く通じています。例えば・・、 1.歩の無い将棋は負け将棋(「戦争論」にありましたが、太平洋戦争時の日本軍と 逆) 2.攻めは飛角銀桂、守りは金銀三枚(以前書いた物の元ネタの一つです。) 3.敵駒の再利用 他多数。・・「3.」は日本将棋(小将棋)固有の物です。確か将棋は室町時代頃 、確立した筈です。戦争ばかりやっていた時代背景を反映して高度に発達し、他の 親類(西洋のチェス・中国将棋など)よりも戦況を良く現している様です。それが 良い事なのかどうかは判断しかねますが・・・ゲームとしては、親類より数段面白 くなっているのは確かな様です。チェスをしていた人が将棋の魅力に取りつかれた 、と言う話を聞いた事があります。 Time : 2000/ 7/ 2(日) 12:24:04
Name : 空転 E-mail : Title : 戦略爆撃の歴史? Comments: とりあえず、仕事が終わりました。私、絵書きなんです、って言ってもアンダーグ ラウンドですが。(笑)  本土爆撃(戦略爆撃)っていうと無差別爆撃ですね。3月10日の「東京大空襲 」が代表ですね。あれは「下町爆撃」でしたから。(もっとも、中小企業の密集地 でもあります。今でも日本を支えてる階層ですね。) 井沢先生のお話の中にも開戦当初から「マンハッタン計画」がすすめられてきたこ とは書かれていましたが、当時から戦略爆撃の研究もすすめられていました。表面 上で見るとこっちの方が「ズルい」?気がしますねえ。だって日本の中国侵攻の時 の「渡洋爆撃」を大々的に非難していたんですから。 「都市の無差別爆撃とは非戦闘員である市民を攻撃することだ。」 これはスペイン内戦での、あの有名なドイツ軍によるゲルニカ村に対する無差別爆 撃を非難するものと同じで、当時世界の常識では無差別爆撃はいけなかったのです 。しかし、この事件を連合国軍部は「有効的な攻撃」として研究したのです。(戦 略爆撃の概念自体はWW1の時からありますが。)  開戦前、日米の緊張が高まる頃の1941年6月アメリカ軍部はまだ設計段階で しかない爆撃機を500機、ボーイング社に発注します。これには議会からクレー ムが出たそうです。だってまだ設計図だけで「海のものとも、山のものとも」の状 態だったんですから。しかし、この設計図が3年後日本を焼け野原にする「B-29ス ーパーフォートレス」(通称B-29)の原形だったんです。アメリカは枢軸国の無差 別爆撃を非難しつつも、戦争勝利のために無差別爆撃を考えていたのです。  日本の戦略爆撃を計画的に進めたアメリカ戦略空軍第20爆撃群の司令官ルメイ はこう言っています。 「日本を焼け野原にする。そうすれば上陸戦をまたずに10月には戦争は終わるだ ろう。」 そういって日本の生産力、なによりも国民の戦意をうばったルメイは物静かな男で した。しかし、ルメイの予言より2ヶ月はやい8月に戦争は終わりました。それは 「原子爆弾」という新しい無差別爆撃によって...。  「あくまで目標は軍事施設」これがピンポイント攻撃の考え方です。しかし、こ の攻撃方法で止めさせるはずであった戦争は終わりませんでした。内戦が続き市民 に未来もないユーゴ。だからといって焦土と化せば終わったかとはいえません。ピ ンポイント攻撃もベトナムの反省からうまれたものなんですから。でも、つぎの戦 争はどうなっているだろうと考えると恐ろしい気がします。 なんだか感傷的な書き込みになってしまいました。 ちなみになんですが、好戦家(皮肉でもなんでもなく)の私としても「戦争論」に は懐疑的です。悪いことばっかいえば「教科書」(今はちがうのかな)だし、いい ことばっかいえば「戦争論」だし。大本営発表そのまんま、ってとこもありますし 。 ある種、「啓蒙した本」で意味があるかとは思います。ですが事実認識としてはや めたほうがいいかもしれません。私としては堀川さんが「とまり木」に書かれた認 識が的確な評価ではないか、と思うのです。 ちなみにですが「原爆開発」は明確に日本向けではないのは当たり前でした。ただ 、「オレンジ計画」(対日戦略案)に組み込まれていたのは確かです。まあ、その あたりの話はどってことないんですが。(笑) ちなみに私は井沢先生のファンでもありますから日本軍はコトダマ軍だったと思い ます。(作戦にはそう言う面がたくさん出てきます。)「七生報国」「ハッコウ一 宇」コトダマの可能性は大きいです。軍の評価よりなによりもコトダマの評価をし た方がいいと思うんです。 Time : 2000/ 7/ 2(日) 15:22:23
Name : 堀河 慎太瑯(邪の諸葛) E-mail : Title : グッタリ・・・ Comments: 暑気当りの自称「井沢心酔者」です。 どうやら、「青森講演問題」は「ゼミ」にいっちゃったみたいですね。「言論の自 由」のみならず「教育においての講演」の是非について、(私のオツムからは到底 論じ得ない程)高尚な論議が成されててとても面白い・・・キチンと理解する自信 はありませんが。 2mさんへ: >>私個人は、明確な「実験」・・・ コインの表裏、ですね。了解です。もっとも、それが「使用者」の側に教訓として 残ったか・・・いや、残ってますか(朝鮮戦争の折り、マッカーサーは原爆の使用 を真剣に”検討”していたらしいですし)。 ・・・ノーミソが・・・白い、ノーミソが耳から・・・ではこれにて(直後着底) Time : 2000/ 7/ 3(月) 13:45:05
Name : 2m E-mail : Title : 堀河 慎太瑯?(邪の諸葛?)さん、空転さんへ。 Comments: 堀河 慎太瑯?(邪の諸葛?)さんへ。 >暑気当り 大丈夫ですか?変な物でも食べました?・・・2mのネタとか?・・なわきゃない ですか。 じゃ「青森講演問題」については、その内書き込みます(どっちにしよう・・) 。ざっと「ゼミ」を見た所では・・、「何かアタマ痛い人がいるみたい」って所で す。ちょーーと、左翼臭い意見がちらほら・・・何れ指摘してみます。なお井沢先 生が書いた「SAPIO」の論は、基本的に正しいと思います。(余り深読みしてません が) 空転さんへ。 >「戦争論」には懐疑的 他 はい。確かに、「戦争論」には事実とは思えない事が何割か含まれています。し かし、事実と思える事も結構含まれています。一つ一つ検証するのが良いのでしょ うけど・・そんな時間はありませんよね。でも、旧日本軍は兵隊を大切にしていな かった、と言う記述などは結構信用しても良いと思います。(これが旧日本軍で一 番問題な所、と2mは思いますが) 後、「コトダマ軍」ですか・・。2mはそれより、「中国大陸の甘い汁吸いたい軍 (長い!)」だと思ってますけど、どうでしょう?確か、陸軍の暴走のせいで「ハ ルノート」食らったと思いましたが・・。 Time : 2000/ 7/ 4(火) 22:01:56
Name : 空転 E-mail : Title : 七生報国 Comments: 旧軍が兵を大切にしていなかった、のは常識ですね。問題はそれを支えた思想です 。 「七生報国....七度死しても国に報いる。」 そして「死して護国の鬼となって...。」 これが白兵突撃、肉弾攻撃を生み「死」を軽視させた言葉です。間違っては不味い なあと思うのは、これは「死」を軽視させている言葉なんです。 そこで思い出したいのは戦争論の最後に美しく載せられている特攻隊員の言葉。 死を軽視してはいないか。それを美しいとしていないか。 それは氏も指摘している兵の命を粗末にした思想なのではないか。 まあ、きっとこの手の批判はでることは御承知の上だったんでしょうね。 私も言いたいことは判ります。今までの人は戦死した一千万の同胞の死をあまりに も軽んじ名誉を傷つけてはいないか、彼等はアジア独立の為死を賭して戦い散って いったのだ。 実は戦争論に書かれていることは戦場に赴く将兵にたいして言われていたこと、そ のままです。大本営が発表した戦争目的そのままなのです。しかし、そこで兵が見 たのは地獄でした。「ガダルカナル」「インパール」「フィリッピン」。 彼等はそれを信じ、そのままに「死」を軽視した思想のもとに創られた作戦に赴き 、まさに勇敢に死んでいきました。「死んでこい。」という命令がこうも大々的に 実行された軍はありません。また、それを思想に組み入れた作戦もありませんでし た。彼等の勇敢さ、名誉を尊ぶなら再びこの思想を軍に取り入れてはいけないと思 います。この思想を美しくあつかってはいけないと思います。軍隊を創るなら「死 んではいけない軍隊」を創るべきです。太平洋戦争時のアメリカ軍のように。 太平洋戦争の敗戦は「七生報国」思想にあると思います。兵たちを言葉でごまかし た軍部。コトダマ軍だと思います。(それだけでなく軍事行動、作戦にも色濃くで てきます。七生報国の具体例はやめますね。) なにか語ってしまった気が...。ただ大平洋戦争を調べはじめると一番最初に誰もが 陥ることでもあるかなあとも思うんです。「日本軍ってそんなに悪いかなあ。」「 日本軍って強かったジャン。」私も思いました、特に後者。それの良い例が荒巻さ んの「紺碧の艦隊」。 「私は大平洋戦争を調べていく内に何故日本が負けたか判らなくなった。詳細に調 べたところ私だったら勝てる。」 それで戦艦に「ヤマトタケル」ってつけるのぉ?ほんとに調べたの? (でもSF物語としては面白いですけどネ。) でも、ホント「提督の決断」では勝てるんですけどねえ。 Time : 2000/ 7/ 5(水) 01:55:25
Name : 空転 E-mail : Title : すこし書き過ぎました。 Comments: 軍にとりいれる云々はものの例えでして。 すみませんでした。 Time : 2000/ 7/ 5(水) 02:42:34
Name : 2m E-mail : Title : 空転さんへ Comments: >「七生報国」・コトダマ軍 2mは、井沢先生の「コトダマ論」について全面肯定はしていないんです・・・。 「コトダマ」は、歴史の謎を解く鍵にはなるでしょうけど、歴史の謎そのものでは ないと思っています。 「コトダマ」は人の行動を制限する、言って見れば一種の呪文です。正しく使わ れれば相応の価値がありますが、間違って使われれば酷い事になります。だから、 「コトダマ」が異常に強くなった時代が解れば、間違った使用方法が解ります。・ ・平安時代、昭和初期、それと、ここ十年。・・最近は「宗教は自由であるべき」 と言う人間を知らない無知な輩のお陰で、日本にある宗教の堕落振りは酷いもので した。そう言った他人の行動を抑え付け、自分達の欲望のための言葉をばら撒くの が「コトダマ」の悪用です。「七生報国」・「六こう一宇」思想も何らかの欲望の 為にばら撒かれたと推測して、根源を探すのが良いと思いますが。 「行動」の根源は「思想」。「思想」の根源は「欲望」と2mは思います。・・・ これは、ちょっと宗教っぽいですね。 >「戦争論」 「戦争論」の死生観は甘い、と言いたいのですか?・・2mは、その通りだと思い ます。でも、解る所もあると思いますが。 Time : 2000/ 7/ 6(木) 20:45:36
Name : 堀河 慎太老(人ボケ) E-mail : Title : 小澤治三郎の「小澤治三郎的ココロ」=アウトレンジ戦法(?) Comments: 唐突なボケですみません。自称「井沢心酔者」です。 2mさん、お見舞いありがとうございます。単に、ワタクシ暑さに弱いと、それだけ のことなんですが・・・暑気当たり・に>変な物でも食べました? ・・・見事なツッコミ、ありがとうございました。でも、今時分の状態は・・・。 「ゼミ」を覗いて来て、マジに「トーフのノーミソ」が”食当たり”してます。 ・・・まぁ、予感はしてましたが・・・井沢氏の「万邦無比」発言問題にスライド しちゃってますねぇ。「ゼミ」に皆様、賛否こもごもですが(発言者ご本人に何事 かコメント頂けると面白いのですが)、私自身、「国体」発言(森首相の)を論じ る位、”意味の無い”議論だと思ってます(まぁ、この”空疎感”を味わいたい、 と言うなら、それなりに意義はあるでしょうが・・・言いすぎですか?) 空転さん、お久し振りです。 >「紺碧の艦隊」:私は第4巻までしか読めませんでした: 第5巻以降は、仰せの通り、「SF海洋冒険”英雄伝”」です(後続の”新・艦隊 シリーズも同様です)・・・コミックはフォローさせて貰ってますが。 ちなみに”超戦艦”「ヤマトタケル」、私なら「蝦夷(えみし)」とでも名付けた いですね!電車の時間だ、・・・ではこれにて。 Time : 2000/ 7/ 6(木) 20:46:48
Name : 空転 E-mail : Title : アウトレンジっていいかも。 Comments: う〜ん、玄人ですね-、掘河さん。(なにが?) ベテランが必要でしたからねえアウトレンジには。 2mさん、私も「言霊」が全てだとは思ってないんです。けど、他の時代には詳しく 無いのでどうだとは言えないんですが。 ただ、大平洋戦争の時の日本軍の行動は「言霊」がしっくりくるんですよね-。 ちなみに前の書き込みと矛盾するように見えますが、 (攻防のバランス--以前のは政治から見た「戦力」を考えた場合です。それに日露 戦争の場合でしたしね。あの時は2mさんが政略面で述べられていたのを勘違いして すみませんでした。) 日本軍の軍略、作戦、戦術、兵器の「攻撃重視」「防御軽視」の指向も上手く説明 できちゃったりするんです。色々な作戦の「謎?」も説明できるんですよね。 旧日本軍の場合はこの思想が問題でして、戦争論ではこの思想もひっくるめて 「日本軍はいい」みたいに書かれてるので「それは違うんじゃ無い?」といってみ たかったんです。(笑) もうわかったよ!!って言われそうですが、私は 「軍組織」は認めるけど「旧日本軍」は認められない 「軍」は必要だけど「旧日本軍(の思想)」は必要ない(むしろ害である) って思ってるんです。ただ、これだけだったんだなあ。 それと以前書いたB-29開発は1941年5月で最初の発注数は250機でした。(500機は 真珠湾の後。これと間違えました。)アーノルド陸軍航空隊司令の発案で。あだ名 は「30億ドルの大博打」です。(博打には勝ちましたね。) そういえば以前の「原爆開発」はあきらかにドイツ向けでしたよね。対日とされた のはドイツ降服以後。(厳密にはちがうと思いますが。)いわゆる「ユダヤ人の科 学」でしたから。 まあ、もういいですね。(笑) ところで「蝦夷(えみし)」って地名(旧国名)なんでしょうか。 「紺碧の艦隊」にはもっとすごい名前あったかなあ。ありそうだなあ。 失礼しました。 Time : 2000/ 7/ 7(金) 03:16:03
Name : 2m E-mail : Title : 空転さんへ Comments: >「言霊」あれこれ えーと。2mが伝えたい事と、ちょっとずれが起きているみたいです。言葉が足り ず、すみません。 2mが問題視しているのは、「言霊」に乗っかって動いていた人達です。「言霊」 もただじゃないと思います。それに乗って動く事で何らかの「利害」が発生してい る筈です。「言霊」ではなく、その「利」を求めて動いていた人達の「心」を見る 事で、本当に「謎」が解明できると思うのですが・・・。 「戦死者に申し訳無いから・・」と言って戦争を続けた陸軍の人。これはただの 言い訳に過ぎず、本当に戦争を続けたい理由は別にあったと思います。財閥や武器 製造会社から賄賂を貰い続けるために、それらの言い訳を言って戦争を続けていた のだと思うのですが・・穿ち過ぎでしょうか。 Time : 2000/ 7/ 8(土) 14:15:47
Name : 空転 E-mail : Title : そうですね。 Comments: 究極的にはそうなるんでしょうねえ。科学で言うと大統一理論みたいなものですか 。 私の理解だとその理論だけで全ての物理現象が説明できるって究極の理論ですよね 。ただ、現在ではもちろんまだ出来てないんですけど。量子論と相対性理論をくっ つけるのが大変なんですって。量子重力理論ってのが出て一部ではなんとかなった らしいんですけどねえ。 大雑把な言い方で乱暴ですけどマクロ宇宙を述べる時は「相対性理論」、ミクロ世 界を述べる時は「量子理論」って理解してるんですよね-。 さて、得意分野?での大平洋でいうとやっぱり統一した信念はあるんだろ-な- とは思いますが、もし「欲」だ、っていうとフロイト理論みたいで「それはそうな んだけど」って感じになるんですが。(あ、あれは愛欲ですか。) 人間は「欲」を求めるものだ。それが全てを生む。 そうだとしたら「欲=利害」を求めるのに日本軍人は何故そういう行動、思想を選 択したのか。日本にはそういう選択をゆるす土壌があるのか。 ってのを考えるのが日本の独自性、ひいては日本人を発見できるかなあと思うので す。 国家や人が「利害」で動くのは当然で、アメリカ陸軍のマッカーサーの行動が顕著 ですよね。彼は「欲=利害」で動いたんですけど、彼を支えた思想は「アメリカ帝 国主義」ってわけです。(フィリッピン戦略みると明らかなんです。日本では民主 主義の父みたいに言われてるけど。)もちろん断言はできませんがアメリカにはそ れを許す土壌があり、それがアメリカ人なのかもしれません。それらを探ることこ そが国家と人を考えることだと思うんですよね-。 そういう観点から日本軍をながめると(例えば小さい?例ですが) 「インパール」が欲しいー「インパール作戦の発動」それは判るけど なんでイギリス軍を過小評価して(日本軍を過大評価して)補給を考えず 肉弾攻撃(これもムチャ)で勇敢に「死ね」と命令しておきながら その勇敢な兵士の半数を戦いではなく「餓死」させるような作戦を生んだのか。( 戦闘で死んだんなら二千歩譲って意義があったかも、と心のどこかで思うことでき ますが。) 「欲=利害」を充足させる為に、何故こんな方法を日本人は選択するのだろうか。 私はこれが大平洋戦争から日本人が考えることかなあ、 と思うのです。 その時、「言霊」もキーワードの一つだなあと感じるわけなんですよね-。 仮に欲をとおすにしても、 中国戦線で「戦死者に申し訳ない」が戦争理由としてまかりとおるのは 日本だけなんでしょうね。おそらく当時。(井沢先生も言ってたけど) そう言えばアメリカミサイル迎撃システムが4度目の失敗をしましたね。 ロシアと揉めなくてすんだかな。(笑) Time : 2000/ 7/ 8(土) 18:31:24
Name : 空転 E-mail : Title : 「欲=利害」が理由であるとすると Comments: が、抜けていました。いつも長い文ですみません。 なんとか端的に纏めようとは思っているのですが。 すみませんでした。 Time : 2000/ 7/ 9(日) 04:20:05
Name : 2m E-mail : Title : 空転さんへ Comments: ちょっと間が空いてしまいました、すみません。やはり、2つ同時進行は無理があ りますね・・止めときます。(好きほーだい言ってる人がいますが、取りあえず置 いときます) 以前、旧日本軍は「桂香歩」しかいなかったと書きました。そう言った器の低い 人達は、目先の利益しか考えない事が多い様です。そして彼らは「戦争」=「金儲 け」としか考えていなかったと思うのですが。 ・・時代背景を追って行きます。日本は開国以後暫くの間不景気に喘いでいまし た。それが一息付けたのが日清戦争の賠償金です。その後の日露戦争では領土は得 ましたが賠償金は無く、そのせいもあって日比谷焼き討ちは起きました。その後の 第一次大戦では、日本は戦場にならず、軍需により極めて儲けられました。しかし 第一次大戦後、再び不景気になりました。・・・戦前は「戦争」=「金儲け」が成 り立っていた様です。だから、犠牲を省みずに戦争を仕掛けて行ったのではないで しょうか。 Time : 2000/ 7/13(木) 21:41:33
Name : 空転 E-mail : Title : 御苦労さまでした。 Comments: 大変でしたねえ。お隣は敷き居が高いので私等はとてもとても。 ただ、「表現の自由」を現在進行形で闘っている身(?)としては やはり「教育と表現の自由」は相容れない物なんだなあと痛感した思いです。 (カッコよく言うと「基礎教育と芸術」かなあ-笑) やっぱり、しばらくはPTAとある種の@性団体はテキですねえ。(笑) なるほど、そういう視点から書かれていらっしゃいましたか。 でも、似たかんじかなあと思うんですよね。 戦争って、とどのつまりは国同士の利益収奪戦でしょうか。 そう考えると、背景のちがいこそあれ、どの国も目的は「利益」でそう違わないと 思うのです。たとえば冷戦の軍拡競争もお互いの思想の拡大競争で利益収奪戦でし ようね。でも、同じ利益を求めるにしても求め方がちがいますよね。 もちろんそれが「資本主義」と「共産主義」なんでしょう。そしてそれがアメリカ であり、ソ連だったんでしょうね。 誰でも金儲けするけど、その人はどうしてそんなやり方したんだろう。 おそらく、小さい頃からの教育とか、あるいはトラウマとか、その人個人の個性に よるものでしょう。そしてこの個性こそが個人を特定付けてるんでしょうね。 では、日本は何故「金儲け」に「日本軍(的な手段)」をつかったのでしょう。こ れを考えることは日本人の個性をみることかなあと感じるんです。なんでかと言う と、今だに「日本軍の思想」はのこってると思うからなんですよね。 (七生報国とか八紘一宇ってのじゃありません。-笑) 軍隊って官僚組織なんですよね。その日本軍の組織としての問題は 「順送り人事」「一度動き出した計画(作戦)は止まらない」「陸軍省と海軍省と の連絡不徹底と対立(縦割り行政の弊害)」「問題(作戦失敗等)の先送り」「責 任者不在」「責任論の回避」「責任追求の不徹底」.....等など。 これを考えるのに日本は変なところ(?)「反省、反省」って言ってきたけど、こ の反省をまったくしていないんじゃ無いか、って思うんです。 何故、日本はこの反省をしないのか、いや出来ないのか。 これが近代の大事件から日本の人が考えることじゃないかとおもうんですよね-。 ここについてを説かれる井沢先生の説を期待している次第です。(笑) そいいえば冷戦っていうと二大勢力の軍拡はおさまったけど、周辺諸国のいわば「 再軍備」は広がってますよね-。世界の総軍事費(ど-やって算出するか不明ですが )は変わってないそうです。これは今まで冷戦構造に押さえられていた国々が個々 に軍備を始めた為でしょう。(なんせヨーロッパミサイル防衛構想はEUとロシア互 いに協調しようって感じになってます。だとしたら、これアメリカのミサイル構想 に対抗して?なのかなあ。まあ。独自色出そうってことでしょうけど。)核の拡散 もあることだし、「新しい軍拡」って言われてるみたいですよ。 まあ、本論には関係ありませんが現代批評なんでそれらしい感じもと。(笑) (そんなだいそれたつもりはないのですが。) どうも失礼しました。 Time : 2000/ 7/14(金) 07:09:21
Name : 2m E-mail : Title : 空転さんへ Comments: >誰でも金儲けするけど、その人はどうしてそんなやり方したんだろう。 むー。難しいですね。糸口になるかも知れないので、前回書いた「景気の波」が 発生した理由を考えてみます。 開国以後、なぜ日本が不景気に陥ったかと言うと、余りにも不平等な貿易協定 (日米修好通商条約・関税自主権なし)があった為と考えられます。これを他国と も結ばされたお陰で、日本は列強の半植民地化されました。・・これでは、景気が 良くなる筈はありません。小村寿太郎のお陰で、1911年にどうにか撤廃できました が・・。 そして、欧米列強は植民地主義により、植民地を持ち無理な収奪を行って利益を 得ていましたが、日本は逆に赤字の植民地経営を行っていました(戦争論からの引 用です)。これは良い事の筈なんですが・・やっぱ「人間万事塞翁が馬」ですね。 このため、日本は植民地を得ても好景気にならず、戦争と言う非常事態の時だけ 好景気になったと思います。だから、「桂香歩」の人達が後先考えず、戦争を続け て行ったと思いますが・・好景気になれば、内閣支持率も上がりますし。 Time : 2000/ 7/16(日) 13:17:49
Name : 望月 山水 E-mail : kenpo43@hotmail.com Title : 昭和ヒトケタ病について Comments:  井沢先生、先生の「昭和ヒトケタ病」に関する評論に関する意見を述べさせてもら います。どこに書き込んだらよいかわからなかったので、ここに書き込ませていた だきます。場違いであったら、お許しください。まず、先生の論文の趣旨大枠その 通りだと思います。昭和4,5年から10年くらいの人たちは確かに、超国家主義と も言える教育の犠牲者だったかもしれません。ただし、同じ昭和ヒトケタ生まれと 言っても、さらにこの年代を細かく分ける必要があります。この人たちは、終戦時 小学校高学年から、16〜17歳だったわけですが、人間の成長段階から言って、こ の時の1年の違いは、先生もおっしゃるとおり、ものすごく大きいわけです。  端的に言って、終戦時に一番、その人生の過程の中で、一番色濃く影響を受けた のは、昭和6〜7年生まれの人間だと思います。何故かと言うと、彼らは終戦時に 14〜15歳の思春期にあたります。それまでと、打って変わった教育を強いられ た時、彼らはどんな心境になるか。私は教育者ですから、この時期の人間がいかに 難しいかよくわかるのです。彼らは、小学校6年のとき、天皇の名を暗誦させられ ます。そして、中学校くらいの年齢のときは、学校へ行かず、工場で勤労奉仕をさ せられていたという年代にあたります。まさに軍国主義一色のときに、感受性の豊 かな時期を送ったと言えましょう。これが、少し上の昭和4〜5年になってくると 16〜17歳くらいの青春期になりますから、少し落ち着きができて、時代の変わ り目を多少は冷静に受け止められます。終戦時12歳〜13歳はまだ小学生で、先 生べったりの認識で、工場労働もありません。終戦という時代の変化が一番激しく 人生の過程にのしかかってきたのが、昭和ヒトケタの中でも昭和6〜7年生まれの 人間だと思います。実際、この年代が一番札付きの不良になったという人間が多か ったとききますし(もともと悪がきになる年頃であるのですが)、実際、共産党に 走って、戦後の武装闘争の中心になったのもこの年代です。そこらへんのところを さらに、細かく分析したらおもしろいです。実際、彼らは、現在では70に手が届 く年ですが、今だに日本の言論界に影響を与えている面はないかどうか、確かめて 見れば面白いと思います。 Time : 2000/ 7/17(月) 01:32:12
Name : 空転 E-mail : Title : 植民地経営 Comments: 実はこれは大平洋の前後では機構の問題を抱えていたんですよう。 分かりやすく言うと 「都市整備公団」ならぬ「植民地経営公団」ってな感じだったんですよね-。 「お役所が効率的な経営をするはずが無い」日本の常識?ですね。だから「赤字経 営」が良い経営だったとはこの場合、いえないんじゃあ、と思うんです。 特に軍政以後はめちゃくちゃでして、最初っから軍政だったフィリッピンは悲惨を 極めました。そりゃそうですよ、経営の素人が軍の傘をきて独断で行うんですから 。軍票(=軍の規定したお金)の乱発により強烈なインフレがおき、物価は最初の 2ヶ月で100倍。貨幣経済は根本から崩れました。そこへ以てきて アメリカから輸入できなくなった綿花の栽培強要。(大本営ではこれを「植民地へ の農業支援」と発表してました。)これはフィリッピンのような亜熱帯?の地では 育たず大量の失業者を生みます。そこへ持ってきて日本軍による米の買い占め。最 初の一年目に飢饉がおきてます。 これは戦争前に決められた「南方占領地行政実施要綱」に書かれている、 「軍の自活」「資源の収奪」「治安の回復」 による物でした。これはどう見ても「軍」のため、としか思えません。事実これに よる「住民への重圧」は我慢させよ、とも書かれていますから。 今、考えるに現在の「@@公団」とか「@@団体」とか天下りの受け皿の外郭団体 ってこんなんばっかですよねえ。変わってないよなあと思います。 ちなみに実際良心的な経営がなされていた所もあります。例えばジャワ島など。し かしこれはむしろ「日本軍の命令に逆らった司令官」という感が否めません。ジャ ワの今村中将に南方軍総司令官寺内元帥は「いたずらに占領地住民を甘くあつかう べからず」という批評を送っていますから。一将軍の采配が軍の思惑と違う、本来 ならこれも問題なんですけどね-。(今村均将軍は仁将として有名な方です。たしか にジャワでは日本軍は解放軍でした。) Time : 2000/ 7/17(月) 02:11:33
Name : 空転 E-mail : Title : 私も新参モノのくちですが.. Comments: 場違いではないと思いますよ、望月さん。 私も新参なもので偉そうには言えないのですが...。 なんか今は「血なまぐさい話」(笑)ばっかで失礼してます。 Time : 2000/ 7/17(月) 02:27:51
Name : 腐儒 E-mail : Title : 望月さんはじめまして Comments: >少し上の昭和4〜5年になってくると16〜17歳くらいの青春期になりますか ら、 北杜生氏なんかはこれに入りましょうか。「ドクトルマンボウ青春期」にそこら辺 の心理がかかれていたように思います。 Time : 2000/ 7/17(月) 02:48:49
Name : 泉谷文夫 E-mail : idutani@smile.ocn.ne.jp Title : 初代遣隋使 Comments:  隋書600(開皇20)年は誤り。日本書紀607年大使小野妹子一行が正しいとの情報 を得ました。  理由、多利思比孤=息長足日広額(在位629−641年)、利歌弥多弗利=天豊財重 日足姫。  平成11年9月発行、古事記物語(前)無学館泥石800円新風書房06−6768−4600  ご賢察の程、ご教授願えれば幸いです。 Time : 2000/ 7/17(月) 20:23:42
Name : 望月山水 E-mail : kenpo43@hotmail.com Title : 昭和ヒトケタ病について再論 Comments:  先日、井沢先生の「昭和ヒトケタ病試論」について、拙論を載せましたが、実は 少し異論というか、補足しなければいけないと思うことがあるのです。  先生がおっしゃる「昭和ヒトケタ病」は正確には「昭和6・7年病」と言った方 がいいと思います。先に書いたとおり、この世代は終戦時13歳から14歳の思春期 という、時代の変わり目に、自分の人生の激動期が重なるという色濃い影響を思春 期に味わっているわけです。世に不信感を、特に国家とか社会とか一番不信感を持 つようになったと言えます。その理由は先にも書いた通りです。さらに、詳しく、 この世代の経歴を追っていくと、まず小学校3年から4年時に国民学校(昭和15年発足 )への転換を経験しています。初等教育の軍事色が強まったときに、一番軍国主義 のイデオロギーを叩き込まれた年代と言えます。山中恒の「ボクラ小国民」はこの年 代であり、一番軍国少年であった年代です。小学校6年には先にも書いた通り、神武 から今上天皇までの名前の暗誦を強要されます。  井沢先生の視評で、 <この事についてはすでに司馬遼太郎氏(大正13年生まれ)がエッセーの中で指 摘している。それは次のようなものである。  「ボクの青少年期は、天皇ということはあまりは言われませんでしたよ」と、昭 和初年生まれの人に言っても、説明するのに、大変な言語量がいる。特に七、八歳 あるいは十歳下の昭和一ケタ生まれの人たちにそんなこと言うと、奇異な目で見ら れる。齢(とし)の差はそれほどもないじゃないか、ということもあり、それに今 はともにジジイなのである。>  とあるのは、国民学校を経験したかしなかったかの違いです。  思春期の心のひだが微妙に揺れ動く時期に(こころ・からだ共に激動期である) 新しい時代の変化に一番戸惑ったのがこの年代です。だからこそ、少し上の昭和4 〜5年生まれの人間は、成長している分、適応が早く、企業戦士となって、戦後の 高度成長を支える中核となっていきましたが、1・2歳下のこの年代はそう素直に適応 とはいかなかったはずです。心のどこかに、屈折したものを一番持っているのが昭 和ヒトケタの中でこの年代です。共産党の武装闘争に参加したのに、この年代が多 いと書きました。例えば、「血のメーデー事件」で中核になった年代を調べてみれば 大体この年代が多いはずです。言わば、彼らこそ、教育の最たる犠牲者なのかもし れませんが、もういい加減に、心の屈折は卒業して、本当に世のため・人のためとは 何なのかを一番かんがえなければならないのはこの年代ではないでしょうか。   Time : 2000/ 7/18(火) 20:23:10
Name : 2m E-mail : Title : 望月さん、空転さんへ Comments: 望月さん、初めまして。 空転さんへ。 >「赤字経営」が良い経営だったとはこの場合、いえないんじゃあ、と 思うんです。 えーと・・。とりあえず朝鮮や台湾での話です。良く考え直してみたら、これは 「植民地経営」ではなく「属国経営」だと思います。確か当時の日本政府は、同化 政策を取っていた筈ですし。それなら、赤字経営でも別に問題無い筈ですよね。長 い鎖国政策で、朝鮮自体の経済力は余り無かったと思います。・・・ま、別の意味 での問題はありますが。それでも、強引な収奪よりはずっと良い筈です。 >軍政以後 第二次大戦中の話ですか。・・・そう言うネタに関しては、「3割4割引きは当り 前ー」と言う視点を持つ事にしています。戦後の混乱期に幾らでも歴史操作が可能 な訳です。特に、日本は負けた訳ですから、日本に不利なネタは幾ら転がっていて も不思議は無い筈です。・・勿論、実話の可能性も当然あるので、嘘と決め付けた りはしませんが。 だから第一次対戦中に、ドイツが中国に持っていた植民地を日本軍が占領した時 に、どう言った統治をしていたかを参考にすれば、その話の虚実が少しは解ると思 うのですが。 >「血なまぐさい話」 いやー。でも戦争を知らずに戦争の話をするより、ずっと健全だと思いますが。 Time : 2000/ 7/19(水) 20:51:18
Name : 空転 E-mail : Title : 一ついえることは Comments: 3割4割引いても問題は変わらないと思うんです。 日米の戦史研究誌でもここはそう変わりませんもの。 フィリッピン・レイテ島駐屯第16師団長発伏せ字の命令書が当時のまま戦史研究 室に残ってます。 「捕獲した現地民は尋問を要するもの以外ただちに@@せよ。」 (@@部分伏せ字) 「@@にあたりては現知民の現任者なきごとく、留意せよ。」 「@@にはなるべく一ケ所に集め、弾薬の無駄を省くべし。」 さて@@にはどんな言葉が入るのでしょう。 まあ、良いことでないのは確かでしょう。良いことなら伏せ字にすることはありま せんものね。 どうしてこういうことになったのか。 これは井沢先生も以前かかれていましたが、無理な同化政策にあるんじゃあと思う のです。 まあ、すこし解る気がしますね。現在、いきなり他の国の人が日本に来て「今から この国は共産国だ。我々の仲間になるんだ。」と言って共産政策とりだしたら、や っぱりタマランものなあ。(当時フィリッピンはキリスト教の価値観の国だもの。 ) ただ、歴史とは難しいものだ、と感じるのは明治維新の時の軍人と大平洋の軍人で は明らかに質が違うと言うことです。これは 望月さんが唱える「昭和6.7年生ま れ」の人とそれ以前の人とは同じ年代でも行動様式が違うと言うことにも少し共通 するかと思います。(細かいですが、国民学校になるの16年の戦時準備体制の時 じゃなかったでしたっけ。間違ったらごめんなさい。もちろん御説には影響しませ んしけど。) なんせ、闘いの仕方、一つとっても明らかに違いますもの。 日清、日露、青島(チンタオ)攻略戦(第一次世界大戦)では柔軟な用兵が使われ ており大平洋戦争の時のように、とにかく「白兵突撃」な-んてあほな戦術見られま せんもの。明らかに軍人の質が違います。 このことからも第一次世界大戦と大平洋戦争とを一緒にはできないんじゃあ、と思 うんですよねえ。 第一次では連合国の一員でして国際憲章が守られていたんです。当然捕虜などの扱 いも国際的?で、下関にあった捕虜収容所では収容されていた捕虜を付近の住民は 「ドイツさん」と親しみをこめて呼んでいたそうです。(なんと出入り自由。)当 然軍は国際憲章にのっとって行動してました。(断言はできませんが) さて大平洋では?「ジュネーブ条約?なにそれ。」前線に向かう兵士すべてが国際 憲章の存在自体知らされていませんでした。知っているのは「鬼畜米英」だけです 。ここにちょっと前に問題になっていた「万邦無比」がはいってたりしました。万 邦無比---にほんが一番。日本人が一番。こういう知識の持ち主が占領地の経営(軍 政)をしていたんです。 同じ人でも質が違えば行動は違う。 そういう意味でWW1時とWW2時の日本人は同じとは言えないと思うんですよね-。 (では、現在はどうなのかなあ。) そういえば最近昭和17年作、国策映画(大本営監修)「東洋の凱歌」の一部を再 び観ました。戦争論ってこれも資料にしたのかなあと感じましたよ。興味がありま したら御覧になれば良いと思います。まあ、御存じ「大本営発表---」ですが。 >いやー。でも戦争を知らずに戦争の話をするより、ずっと健全だと思いますが。 そういっていただけると助かりますです。では少しかっこつけて。(しったかぶり して) 「汝、平和を欲すれば、戦争を理解せよ。」--B・H・リデル・ハート かっこいい-。(笑) Time : 2000/ 7/20(木) 10:09:21
Name : ※※※※※※ E-mail : ×××××@×××.×××.ne.jp Title : はじめまして Comments: (投稿者からの申し出により、本文を削除いたしました) Time : 2000/ 7/20(木) 16:10:48
Name : 2m E-mail : Title : 空転さんへ Comments: >日清、日露、青島(チンタオ)攻略戦(第一次世界大戦)では柔軟な用兵が使わ れており大平洋戦争の時のように、とにかく「白兵突撃」な-んてあほな戦術見られ ませんもの。 揚げ足取りになってしまいますけど・・書いときますね。 日露戦争での日本陸軍の用兵は、とにかく「白兵突撃」です。旅順攻略に当って 、1904年8月以降3回も総攻撃をかけても陥落せず、決死隊による強行突破は死傷者 を出すだけでした。1905年1月、ロシア軍は降伏したが、日本軍の死傷者は攻撃軍の 約半分、5万9000人だったそうです。・・・その後もありますが、それは日露双方と も甚大な被害があったので省略します。 確か日本陸軍は、日露戦争での戦闘を金科玉条としていたと誰かが書いていたと 思いました。・・2mは歴史は繋がっていて、余りに繋がりが不自然な個所では、操 作されたと思っていますけど・・。 >最初っから軍政だったフィリッピンは悲惨を極めました。・・・最初の一年目に 飢饉がおきてます。 では「3割4割当り前」で、6割位不信を以って聞いたフィリッピンの事です。・・ 別に、空転さんに対しての不信ではないので勘違いしないで下さいね(余計なお世 話ですね)。 まず第1の不審点は、そんな南の国で起きた事を、正確に把握できた日本人がどれ だけいたかと言う事です。・・つまり、歴史操作をするには格好の材料だと言いた いのです。 第2に、そんな出鱈目をされたのなら、フィリッピン人は日本人に極めて強い不信 感を持つ筈ですが、今まで余りそんな話を聞いた事がありません。それに対して、 フィリッピン人のアメリカに対する不信はかなり大きいと思われます。 第3に、フィリッピンは、確かアメリカ唯一の植民地だと思いました。アメリカが 出鱈目政策での自国の責任を逃れるため、敗戦国の日本に押し付けた可能性がある と言う事です。 ・・・勿論、こう言った可能性があるのではないか、と言うだけで、これらが本 当だとは言い切れません。ただ、歴史を見る時には、そう言った視点を持った方が 良いのではないかと思うのです。 後、別件ですが一つだけ書いときます。 「世の中で最も害毒となる人は、私欲のために他者を傷つける事を平気でする 人。そんな人が人の上に立つと、その国は間違い無く滅びる。」 ・・誰か言っているかも知れませんが、歴史を見ているとそう思います。 Time : 2000/ 7/21(金) 23:00:39
Name : 空転 E-mail : Title : いえいえ、とんでもございません。 Comments: 旅順戦における白兵は日露戦争の中では例外なんです。 実はこれはよく間違われることなのでしかたがありませんが...。 ロシア・クロパトキン野戦軍の南下に対して日本軍はどうしても後方の旅順を落と しておく必要が出来ました。陸軍は最初、第三軍による包囲作戦をとっていました 。しかし、海軍の再三の要求(旅順要塞に逃げ込んだロシア東洋艦隊の撃滅)もあ り旅順攻略を決したんです。最初の攻勢の直後、リバウ軍港からロシア・ヨーロッ パ艦隊出航の報が入ります。(いわゆるバルチック艦隊です。)と、同時にクロパ トキン野戦軍南下の徴候が見られはじめました。旅順をはやく落とさねばならなく なりました。 乃木第三軍司令官は「白兵でベトン(コンクリート)の要塞は落とせん。」という 参謀長の意見を振りきり、第二次総攻撃、続く大三次総攻撃を行い、このふたつの 総攻撃で軍戦力の半数を失うんです。この失敗により乃木更迭問題が出て、有名な 天皇裁可による乃木の第三軍司令官続投が決定。この後は御存じの児玉参謀長によ る28サンチ砲の集中射撃による203高地攻略、そして旅順要塞陥落となるので す。 実は日本陸軍の教科書「歩兵操典」が書き換えられるのはこの後です。どこで読ま れた資料かは解りませんが、明治の歩兵戦術は「集中射撃」が基本でした。これは 薩摩の「斬り込み隊」が政府軍の農民兵の持つスペンサー銃に打ち据えられた、と いう経験からきているモノなんです。 しかし、「難攻不落の旅順要塞を落としたのは白兵攻撃」(勘違いなんですが)と いう経験から『白兵攻撃は凄い』っていいだすやつまで出て、日露戦争後書き換え られた「歩兵操典」では白兵重視ってなっちゃったんですよ。以後書き換え(一部 を除く)はありませんでした。 さて、フィリッピンに対する御返事ですが まず1)についてフィリッピンは残ってると思いますよ。 南洋諸島なんかぜんぜんないですが...。 有名どころでは「人見日記」これは報告書の類いでもあり 報道部宣伝課長大尉でもあった「対日感情に対する報告」などがあります。 日本人がいかにフィリッピン人を知らずに統治していたかがかかれてますよ。 戦後50年を経過して喋り出したひともおられます。元比島軍政部員参謀であられ た大槻章大佐。軍政官和知鷹二少将の部下でもあられた大佐がNHKの番組でもおしゃ っておりました。あ、本は原書房だったと思いますよ。 2)については まったく逆です。最初、日本軍は対米感情を利用しようとしましたが失敗しました 。 「アメリカは確かに富を独占した。しかし、たばこを与えチューインガムを与え、 仕事をもたらした。しかし、日本はなにも与えなかった。」フィリッピンの対米批 判の歴史家コンスタンチーノ氏でもそう言いますもの。 そこをマッカーサーに上手く衝かれたんです。 あの有名な『アイシャルリターン』。 マッカーサーは人気取りのために潜水艦でフィリッピンにいろんな物(鉛筆、チュ ーインガム、チョコ、缶ずめ、もちろん銃、弾薬も。)を送ってるんですが、すべ てに『アイシャルリターン』の文字を入れ、自由主義の闘いを強調してました。フ ィリッピン上陸後、マッカーサーは「自由フィリッピン軍」を編成して対日ゲリラ をアメリカ軍として扱います。これらのゲリラが実は日本軍の強敵だったんですよ 。素直に考えてもなんせ、住民は日本人よりフィリッピン人の味方をしますから。 ゲリラと住民の区別がつかず処刑すると反感がまた強まる。っていたちごっこだっ たワケです。(アメリカもベトナムで同じことをやりましたね。) 3)については半分は解ります。 ウッデイマイヤー将軍(元アメリカ陸軍作戦企画参謀)が戦後に書いた 「第二次世界大戦に勝者なし」という本の中で 「ルーズベルトが対日戦を画策した時、極東陸軍壊滅は止むなし」という思いを持 っていたと言ってます。極東陸軍ってのがフィリッピンのアメリカ軍のことですか ら。しかし、敗戦国の日本に押し付けてはいないと思いますよ。 1946年のフィリッピン独立。 マッカーサーは主賓として招かれスピーチをしてますが この独立の裏ではアメリカの権益確保、一部の財閥とアメリカによる利益の独占が 仕組まれていました。2)でかいた 歴史家コンスタンチーノ氏はこういっています 。 「あれは再占領だった。我々は日本と闘ったようにアメリカとも闘うべきであった 。マッカーサーは帝国主義者であり、アメリカの権益を取り戻す為にスピーチしに きていたのだ。」と。 かつて井沢先生がウェークアップ(日テレ)の中でイギリス軍の報告書を取り上げ て 「日本兵は階級が上がる程、ばかになる、とかかれている。」 とおっしゃりました。 私も同感なんです。日本兵はひとりひとりは勇敢で我慢強く、誇り高い優秀な兵士 だったと思います。しかし、これが軍となると、とたんにメチャクチャになる。 日本人はひとりひとりは優秀だが、集団になるとワケが解らなくなる。 大平洋戦争を調べるとこういう日本人が見えるような気がするんですよね-。 Time : 2000/ 7/22(土) 01:04:22
Name : 空転 E-mail : Title : 長くなってしまって恐縮ですが Comments: すこし補足として(笑) あんな遠い南の島ですが、南方資源ルートの最重要中継地でした。 後期の捷号作戦では(1、2、3号があります。)1号がフィリッピン決戦案でし て1944年10月に発動してます。 日に日に悪化するフィリッピンの対日感情は大本営にも知らされていました。情報 将校一木大佐(レイテ第16師団指令部付)がつくった反日地図というのも残って いて、後期になると師団指令部の回りを除くと日本兵はひとりでは歩けませんでし た。マッカーサーはこうした住民感情を知って、オーストラリア・ブリスベーン指 令部から秘密通信網を創り情報を集め、フィリッピンでも最も反日感情の強いレイ テ島を上陸地点に選んだんです。 レイテの日本軍はカンギポット山で全滅しますが、逃げおくれた日本兵を住民が襲 っているんです。 日本に対する不信の念。東南アジアではフィリッピンが最も強かったのは良く知ら れてますよね-。 Time : 2000/ 7/22(土) 03:45:00
Name : 2m E-mail : Title : 空転さんへ Comments: 前回の推測ついでに、思い付いた事を書いてみます。 >・・そこへ持ってきて日本軍による米の買い占め。最初の一年目に飢饉がおきて ます。 幾ら市場米の買い占めを行っても、強奪でもしないと一年目から飢饉になるとは 考え難いですが・・。ちょっと、頭を捻って見ました。 1.元々アメリカはフィリッピンから、かなりの収奪を行っていたが、日本軍がやっ てくると聞いて殆どの食料を掻き集めた。 2.この為、フィリッピンの食料は日本軍が来る前から、極めて少なくなっていた。 3.日本軍も余りにフィリッピンの食料が少ない為、買占めをせざるを得なかった。 4.そしてフィリッピンでは飢饉が起こり、統治者の日本軍に対する感情が悪化した 。 5.予めそうなる事を予測していたマッカーサーは、フィリッピンに援助物資を贈り フィリッピン人を味方に付けた。 ・・・と言った所です。もしこの通りなら、アメリカ軍は極めて「孫子の兵法」 に則った戦いをしたと思います。わざわざ敵に塩を贈る事も無いですし・・フィリ ッピン人には気の毒としか言えませんが・・・。しかしこの通りだとしても、「ア メリカは汚い」と言う人は、戦争の恐ろしさを知らない無知な人、と2mは批判しま す。そう言うのが戦争だと思うからです。 Time : 2000/ 7/22(土) 20:34:36
Name : 空転 E-mail : Title : なるほど。 Comments: そういうことも言えるかもしれませんねえ。 全部読んだわけでは無いのですが、「マッカーサー回想記」にもそんな記述があり ましたねえ。 私、マッカーサーの「負けず嫌い」「カッコ付け」が有名なだけに「すべての手を 打って後退したのだ。」的な記述を「負け惜しみ」って見てた感がありますもの。 「アイシャルリタ-ン」なんか「意地でも戻ってやるぜ!!」ですもんねえ。 (その最たる例は戦後のマッカーサーの命による山下泰文将軍の素早い絞首刑でし ょう。当時、東京裁判がまだまだ進行中なのに一将軍の有罪判決。そして素早い刑 執行。どう見ても自分を負かした山下将軍への報復です。) まあ、実際、抵抗組織を残したり、通信傍受組織をゲリラに与えておいたりしてか らコレヒドール島から逃げていますから、やるべきことは確かにやってますけど。 まあ、基本的な答えだとすると、フィリッピンはもともと米があまりとれない国で して 食料自給率の低い国だったんです。だけど、サトウキビなんかの輸出(対米)なん かで当時のアジアの中では飛び抜けて「お金持ち」でしたので米とか食料は周辺国 から輸入してました。(なんかどっかの国に似てますな-)しかし、 戦争が始まり周辺国からの輸入がほとんど無くなったこと。 その周辺国の日本軍が「軍の自活」の命令で各地で独自に食料を確保してしまった こと。 海上輸送がアメリカ潜水艦の驚異にさらされていて、輸送船が連日撃沈されたこと 。そして、連合艦隊が攻撃重視を押し通し、シーレーン防衛に戦力を割かなかった こと。 これらのことの複合的な結果だ、というのが今までの考えですね。 最後のシーレーン防衛の不備はフィリッピンだけでなく、日本全体を飢えさせまし たが。 ちなみにですが、ソ連軍がもっと凄いことをやってます。 ウクライナに攻め込んだドイツ軍に対してソ連軍は撤退の折り、 すべての町、村、畑、作物を壊滅させています。その名もまさに「焦土作戦」。 ドイツ軍は都市を占領したにもかかわらず、野外で野営するはめに陥りました。た だでさえ夏装備のドイツ軍にロシアの冬の夜は最大の敵となりました。 でも、これでウクライナの農民も20万人が餓死したと言われてます。まさに全体 主義国家ならではの戦術ですねえ。 Time : 2000/ 7/23(日) 11:53:24
Name : 2m E-mail : Title : 空転さんへ Comments: ちょっと間が空いてしまいました。すみません。 >山下泰文将軍の素早い絞首刑 ・・少し気になりますね。マッカーサーに何処で勝ち、その後どの様な経過を辿 ったか・・出来れば教えて下さい。 >シーレーン防衛 山本五十六は、短期決戦なら勝てるが長引けば負けると考えていた様です。・・ つまり「守っていたら負け」な訳ですね。だから攻撃を重視して、食料の確保など の防御を疎かにしたのかも知れません。 Time : 2000/ 7/27(木) 22:15:30
Name : 空転 E-mail : Title : いえ、すみません。 Comments: 誤解を生んでしまってすみません。 「どう見ても自分を負かした山下将軍への報復です。」この部分です。 フィリッピンの日本軍は第14方面軍なんですが、 開戦当初の司令官は本間雅治中将でした。 当時直接コレヒドールを攻略したのはこの本間第14軍です。 山下将軍は「馬来(マレー)の虎」というニックネームからもわかるように 開戦時はマレ-攻略第25軍の司令官でした。 コタバル上陸から破竹の進撃、シンガポール攻略で勇名を馳せ、イギリス軍司令官 パーシバルとのYES-NO会談でも知られた勇将です。 その山下将軍がフィリッピン防衛第14軍の司令になったのは昭和19年で まさにマッカーサーのレイテ上陸の寸前でした。 御存じの通り日本軍は圧倒的な物量のアメリカ軍に組織的な抵抗は封じられ それでも頑強に密林でゲリラに苦しめられながらも抵抗戦を続けていたんです。そ の敗戦時のフィリッピンの日本軍こそ山下第14軍だった訳なんです。 山下将軍はその為、マッカーサーの子供じみた復讐の対象になったのです。 いろいろあるんですが、まず裁判。 これはデッチ上げの可能性が高い、と当時の山下将軍の弁護士(アメリカ陸軍少佐 だったと思います。-名前は忘れてしまいました。)が徹底的に争点としようとしま した。 まず、海軍陸戦隊によるゲリラ討伐戦による虐殺罪。 陸軍の将軍である山下は当然、海軍の陸戦隊に指揮権はありません。 マニラ市街での少女暴行事件。 (なかった、とは断言できません。というよりこの手の事件は「軍隊」には日本軍 に関わらず付き物なんです。戦後直後の東京、ドイツ、ベルリン。最近でも沖縄が 例ですもの。日本軍だけは例外、とは考えにくいです。ただ..と、今回はいいです ね。まあ、機会があればまたちょっと。) 暴行を受けたという少女が証言しますが、スラスラと理路整然に話します。 それを見て「あれが本当に暴行を受けた少女だろうか。」という疑問を持ったとし ています。 主にこの二つで「悪将軍山下」をフィリッピン人に植え付けました。最近まで戦中 の人の間で一番有名な日本人は山下だったそうです。そのイメージは当然「大きな 犠牲をもたらした悪将軍」。マッカーサーの目論みが成功した証拠ですね。そして 、アメリカ・マッカーサーこそが解放軍、というイメージを作り上げたわけです。 なんだか中途半端ですが、仕事の締めが近づきまして少しの間失礼します。また、 シーレーンのことなんかも書ければ書きたいと思いますが、今は忙しくまた私の長 い話も..なんですね。(笑) 失礼しました。 Time : 2000/ 7/28(金) 17:12:47
Name : 腐儒 E-mail : Title : フィリピンの戦犯裁判の問題点 Comments: これは山本七平氏の 「洪思翊中将の処刑―山本七平ライブラリー第8巻」(文芸春秋社刊)に詳しいです。 山下大将や洪思翊中将が処刑されてしまったのは,日米における組織観と責任意識 の違いが原因だと書いています。 捕虜を統括する責任者が誰かと言う事に対して,アメリカ軍に誤解があり,さらに 日本人はそれを戦犯法廷でうまく説明する事ができなくて,処刑されてしまった戦 犯は多いと言う事です。 Time : 2000/ 7/28(金) 23:52:40
Name : 2m E-mail : Title : 腐儒さん、空転さんへ Comments: 腐儒さんへ >責任者が誰かと言う事に対して,アメリカ軍に誤解があり・・・ どうでしょうか。アメリカ軍は自分達を「正義の解放軍」として見せ付ける為に 、解っていたにも関わらず、次々と戦犯として処刑したのでは無いでしょうか。 当時の時代背景では、日本ではアメリカ軍は「鬼畜米英」と言われ、やって来た ら皆殺しにされる、と多くの日本人が脅えていたそうです。だから、占領政策を上 手く遂行する為にも、ガムやチョコレートを配り、そんな噂をばら撒いた日本軍を 処刑すべきと考えたのだと思います。・・この効果が絶大だったのは、良く解りま す。現代までを見ると、悪影響と言う意味でもですが・・。 空転さんへ >マニラ市街での少女暴行事件 戦時にはありがちな事ですよね・・・。戦国時代では、武田信玄も兵に許可して いたそうです・・。確か織田信長やその部下達は、規律を厳しくしてそんな事態に ならない様にした、と聞きました。だから彼らは天下人になれたとも。 Time : 2000/ 7/30(日) 15:59:20