Name    : Sin
E-mail  : 
Title   : こりずにまたおじゃまします
Comments:
戦国時代の終焉とともに、徳川氏を頂点とする身分の固定化作業が行われていたと
き、「道々のもの」の存在は徳川氏にとって非常に都合の悪いことだったと思いま
す。
徳川政権が「道々のもの」の差別政策をとった理由はいくつかあるように思います
が、Sinが考える理由としてはこんなとこではないかと思います。

「道々のもの」の中には、高度な技術を持った集団があり、戦国大名の多くが彼ら
の定住化に苦労したと、どこかで読んだ記憶があります。高度な技術を持つ集団が
時の最高権力者である徳川氏を主と認めないで放浪をしているのは、徳川氏から見
ればこれほど物騒な話はありません。この技術集団の定住化は織豊体制下において
も進められてきましたが、徳川政権下において、より強力な定住化の完成の為とい
う事がまず一つめの理由として考えられると思います。自分から進んで「同火も許
さず」という身分には誰もなろうとは思わないでしょう。定住した者に対しては商
人よりも上の身分が保証されるとあっては尚更だと思います。
二つめの理由として、徳川政権が禁中並公家諸法度等に代表される各種法度によっ
て天皇、寺社等の権威を押さえつけていく中で、天皇の権威で成立していた「くが
い」の特権及び「道々のもの」の持つ「諸国往来勝手」の特権を見過ごす筈は無い
ということが考えられると思います。「くがい」の特権は、駆け込み寺に代表され
るようにあらゆる法はその中では効力を失う、つまり天皇の権威により徳川氏の法
の権威の及ばない土地を認めることになり、「諸国往来勝手」の特権は徳川の権威
で発行された手形を持たない者の自由な往来を、天皇の権威で認めるという事にな
ってしまいます。庶民の目に見える形で、天皇の権威が徳川氏の権威を上回る姿を
見せることは、徳川氏にとっては到底認められないことでしょう(江戸時代にも駆
け込み寺は存在しましたが、それには権現様のお許しによりなどと、徳川の権威の
強調に利用されたように思います)。
たしかに室町以降、神聖なものの権威が以前ほどの力を無くしたといっても、徳川
氏による差別政策が無ければ、ここまで彼らが権威を失うことは無かったように思
えるのですが・・・

Time    : 1999/ 5/ 2(日) 03:16:50

Name : Sin E-mail : Title : う〜ん・・・ Comments: 自分でいうのもなんですが・・・下を読み返すとかなり穴だらけではないかという 気が・・・ Time : 1999/ 5/ 2(日) 03:22:08
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : Title : 論点なあに? Comments: 旅行から戻ってきました。新幹線はかなり混んでいましたよ。ふぅ。 Shinさんの5月2日のご意見、私の「断絶っていうか・・」へのご批判と解釈 すれば良いのでしょうか?「徳川がこれだけ推し進めた事実があるのだから『より 強固』というよりやはり『断絶』だろう」という意味にとってよいでしょうか?誤 読してコメントを返すのも失礼かと思いますので、わたしの解釈が間違いであれば おっしゃってください。 ところで、当初の論点は「後醍醐天皇と異形のものたちの関わりについて」でし たよね?そのつもりで少しずつ調べてみたりしていたのですが、最近それについて 出てこないので、書いてよいものか迷っています。発展していく話題の流れを重視 すべきですか?このフォーラムに参加して日があさいもので、そのあたりのマナー がよくわかっていません。どうしたらいいのでしょう? Time : 1999/ 5/ 5(水) 00:19:42
Name : Toshy E-mail : Title : 聞きたい Comments: 米子のなきうさぎさん、はじめまして。 お調べになったこと、興味あります ぜひ投稿してください。 Time : 1999/ 5/ 5(水) 20:16:03
Name : Sin E-mail : Title : 米子のなきうさぎさんへ Comments: Sinの5月2日の書き込みについてのお問い合わせですが、Sinとしては批判 というよりも、米子のなきうさぎさんのご意見に対しての批評(のつもり)と、S inの愚考です。 >「徳川がこれだけ推し進めた事実があるのだから『より強固』というより >やはり『断絶』だろう」 という意見ではありません。 >思想の断絶があった、というよりは、転換期を終えて明確な形をもった とのご見解に対して、基本的には賛成です。 ただ、Sinは「道々のもの」がなぜ法的根拠まで得て差別される存在になってい ったかということに対して、徳川氏の都合を見落としてはいけないのではと思った 次第です。特に天皇の権威は秀吉があれだけ利用した以上、叩きつぶさない限り安 心できなかったはずですから・・・ >ところで、当初の論点は「後醍醐天皇と異形のものたちの関わりについて」 >でしたよね? 実はSinもそれは意識していて、前回は「こんなことを書き込んでもいいのかな ・・・」と思いつつ書き込みました。 私自身も参加して日のあさい分際でなんですが、「ふぉーらむ」は学会の論文発表 的な堅苦しい場ではないと思いますので、ある程度自由に書き込んでいっていいも のではと思います。Sinはぜひ米子のなきうさぎさんのお調べになったことを拝 見したいです(Sinはそのあたりについてあまり知識がないので見てるだけ状態 になってしまう可能性大ですが・・・)。 Time : 1999/ 5/ 6(木) 02:39:43
Name : 輔住 E-mail : Title : 米子のなきうさぎさんへ Comments: みなさん、お久しぶりです。 米子のなきうさぎさん是非投稿して下さい。 結構きになってるテーマですので、途中で 終わってしまうと帰ってすっきりしません。 よろしくお願いします。 Time : 1999/ 5/ 6(木) 12:32:11
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : Title : 調べたこと@ Comments: sinさん、私の誤読だったようで、申し訳ありませんでした。m(__)m 皆様、こんばんは。書こうと思うことはたくさんあるのですが、とりあえず文観に ついて調べたことを書こうかと思います。 文観は、出自もはっきりしない人物です。後醍醐の父である後宇多天皇が信任して いた道順から灌頂をうけたのが縁で、後醍醐天皇に接近したといわれています。彼 は祈祷という手段にとどまらず、世俗的な部分でも大きく貢献し、大きな後見も持 たずひたすら天皇の寵を頼りに異様なまでの出世をとげました。勧進上人として職 人や非人(道々のもの)、悪党にまで関わりをもつ一方で、六波羅探題の評定衆で あった伊賀兼光などにわたる広い人脈は、おおいに頼りにされたようです.楠木 正成と天皇を結びつけたのも彼であったとする見方をされています。討幕勢力の柱 として寺社の武力、畿内およびおの周辺の小領主(悪党)、反北条氏の有力武士の 3つがあげられるなか、これらの勢力をとりこむのに彼がはたした役割はとても 大きなものだったのです。ですから、新政確立後に文観が大きな勢力をもったこと により、彼に組織されていた人々も、大きな顔ができるようになり、文観僧正の 手のものと称して徒党を組み、「ばさら」な風俗を洛中に蔓延させました。文観 があまりに厚い信任を得たことは人々に不満の種をまき、立川流を邪教とみなす 真言宗のなかからも、彼を排斥しようとする勢力が表れました。建武の新政の立役 者であると同時に、崩壊の火種をもつくった人物だったといえると思います。 このほか、悪党をめぐる社会的背景、当時の寺社勢力とそれに積極的であった後醍 醐天皇のこと、度会家行と北畠氏のかかわりなどについて知識をえましたが、また 機会があれば、ということにします。 主に参考にした資料は、小川信監修「南北朝史百話」、網野善彦著「中世的世界と は何だろうか」です。このほかいくつか読みたい本があるのですが、まだ手に入れ ていません。ちなみに、HP「鎌倉時代」の野村さんには、資料をさがすにあたっ てお世話になりました。皆様、野村さんのホームページものぞいてみてください。 Time : 1999/ 5/ 6(木) 22:51:12
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : Title : ちょっとつけたし Comments: 読み返してみてちょっとあいまいさを観じたので、付け足します。 ようするに文観は後醍醐天皇と異形の者を結びつけるパイプ役をはたし、それにと どまらず、幕府の有力者とのパイプ役をもはたしたのです。 端的にいうとこういうことです。 ではまた。 Time : 1999/ 5/ 7(金) 13:23:14
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 「SAPIO」10周年記念講演会 Comments:  東京と大阪で行われる井沢の「SAPIO」10周年記念講演会に、それぞ れ5名様前後を、御招待いたしたいと思います。御希望の方は、私あてに、お 名前、年令、御住所、電話番号、御職業を明記の上、メールを下さい。  締め切りは、12日です。申し込みが多い場合は、井沢がアミダくじで選び ます。                       管理人 Time : 1999/ 5/ 8(土) 21:30:57
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : Title : しらべたことA Comments: 悪党が南朝に味方した社会背景について 鎌倉幕府末期から南北朝初期にかけて特徴的な「悪党」は、自らの本拠地での勢力 拡大のため、しばしば荘園領主と鋭く対決しました。播磨国矢野庄の寺田法念、伊 賀国黒田庄の覚舜・清高などについて資料が残っているようです。鎌倉幕府は荘園 領主擁護の立場をとっていたために悪党は幕府とも対立していくようになったので す。その結果、討幕のおおきな力として活躍しました。 彼らが、後醍醐天皇らが自分たちの権利を保障してくれると考えて協力したのかど うかは、私がしらべた中でははっきりわかりませんでした。 寺社勢力と後醍醐天皇 当時、延暦寺や興福寺の僧兵、紀州熊野三山(水軍でも有名)や吉野の金峰山の山 伏などは、大きな勢力を誇っていました。後醍醐天皇はこれに早くから着目してい たらしく、様々な積極的行動をとっています。比叡山天台座主として息子の護良親 王、宗良親王を送り込んだり、山伏の全国的ネットワークをもっていた聖護院に養 子の尊珍法親王を入れるなどしています。また本人も、その頃には絶えて久しかっ た春日社、延暦寺、東大寺などへの行幸をおこない、お膳立てを整えていました。 渡会家行と北畠氏 渡会家行は、伊勢神道の大成者であり、そもそもこれは、伊勢神宮の内宮と外宮の 対立という内部争いの中で、外宮の地位を優位にしようとするところから形成され たといってもよい思想です。この思想をまとめた本を後宇多天皇、後醍醐天皇親子 の叡覧に供されたこと、また北畠親房が伊勢滞在中に親交を深めたことなどから、 一貫して南朝に協力を続けました。神皇正統記にも、度会家行の影響が表れている そうです。伊勢が経済の発達した豊かな国であったことに天皇の期待もよせられ、 家行は神領民を蔵人所供御人(以前書きましたが、道々の者たちも自分たちの利益 を守るために供御人となっていることが多くありました)として組織して協力した り、家人に指示して北畠軍の中核として活躍させたりしました。 仏教界、山伏のみならず、伊勢神宮の神主にも、南朝を支持する強力な人物がいた のです。 ところでそろそろ、新しい話題とかもないんでしょうか?私は自分で命題たてられ るほど歴史に詳しくはないので、面白そうなテーマがあれば教えていただきたいで す。 Time : 1999/ 5/ 9(日) 01:30:24
Name : 勇者ロト E-mail : Title : 新しいテーマ Comments: 米子のなきうさぎさんこん@@は。BBSのほうでは、妻木晩田遺跡のご紹介あり がとうございます。 あたらしいテーマという事ですが、{なぜ平家はほろんだか?}でお願いします。 もしくは、「南朝は何故、後醍醐の死後も続いたのか?」についてご意見お聞かせ 下さい。源平と南北朝、小説しか読んだ事がないので教えて下さい。 あっ「逆説の日本史」はもちろん読んでいます。 Time : 1999/ 5/ 9(日) 07:37:51
Name : Toshy E-mail : Title : 東国武士と西国武士 Comments: みなさんこんにちは 米子のなきうさぎさん、まずは、興味深い書き込み、ありがとうございました。大 変勉強になりました。 で、勇者ロトさんの「平家」について。少し論点と違うことを書き込みします。 ある文化史専門の方の研究によると平家のホームグラウンド・京都の文化に馴染んで いた西国では、白米を中心とした食事で、カロリーは2100ほど、対する東国武 士の食事は玄米中心、カロリーは3500くらい。東国武士はつねに武芸に励んで いたから、コレステロールがたまることはなかったということ。 そうすると、和歌・蹴鞠などに専念する貴族化したひよわな(?)西国武士と、筋肉 の塊みたいな東国武士が戦ったのでは、最初から話にはならんというらしい。 もっとも平家軍で主力として戦ったのは中国・四国・九州の地侍たちだったでしょう から、これは少し強引かもしれませんが.... Time : 1999/ 5/ 9(日) 10:42:34
Name : Toshy E-mail : Title : 南朝が続いたわけ Comments: 後醍醐天皇の死後も南朝側に与力する武士が少なくなかったのは、ひとつには足利 氏による守護大名制度への反発が考えられます。 この頃になると楠木・新田・菊池以外にこれといった将は南朝側に存在しませんが、 それでも反抗しつづけた。戦っていたのは、土豪といわれる、地方の有力者たちで しょう。悪党と呼ばれる人たちも、その中に入れてかまわないと思います。 例えば、越前を例にとると。。 斯波氏がここの守護に任じられたのですが、するとそれまで支配してきた里見氏( 名前、ちょっと不明)が、自分たちの権限を奪われてしまったので反抗する。新田 氏が越前に入り、共通の目的を持つものとして手を組む。。それを繰り返してきた のが南北朝の争いと見られます。 ちなみに幕府側が、楠木氏に守護の地位を保証したとたん楠木が南朝を見限ったと いうことがありました。 Time : 1999/ 5/ 9(日) 10:50:51
Name : Toshy E-mail : Title : 里見じゃなくて、瓜生でした Comments: どっからこんな間違いを・・・・・・(^^;; Time : 1999/ 5/ 9(日) 12:10:48
Name : 輔住 E-mail : Title : 南北朝の長期化 Comments: 南北朝時代が長く続いた理由は様々な要員があると思っていますが、 そのひとつに足利幕府の統制力が弱かったことがあります。 佐々木道誉・斯波高経・山名時氏・仁木頼章などの 有力大名のいざこざで南朝対策に集中できなかった。 また南朝の拠点が武家勢力が弱い大和地方だったのもあると思います。 Time : 1999/ 5/10(月) 16:50:41
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : ZVM11106@nifty.ne.jp Title : 観応の擾乱 Comments: 幕府に内輪もめである観応の擾乱も、要因の一つじゃあないでしょうか。 その乱の結果として幕府から疎外された武将の中には、南朝に帰順する人たちも 多かったようです。この乱の途中では、尊氏が南朝と講和して北朝を廃し、弟の 直義を討つために鎌倉にくだって、その隙に南朝が京都を占領して北朝の上皇らを 吉野に連れ去る、ということも起こっています。 平家の話題については、まともな書きこみができるようには時間がかかりそうで す。私の場合、どの時代についてであろうと、まず背景をつかめそうな小説など を探す段階からはじまるもので・・・。 Time : 1999/ 5/10(月) 20:00:03
Name : 輔住 E-mail : Title : 一時的に降伏してもいいという考えが Comments: みなさん、こんにちは 米子のなきうさぎさんのいうとおり 観応の擾乱も大きな要因のひとつですよね。 3上皇が連れ去られたのも大きいですが、 「尊氏や直義だって一時的に南朝に 降ったのだから、俺達も都合が悪くなれば、 南朝に降ればいい」というムードを 作ってしまったのはもっと痛手だと思います。 Time : 1999/ 5/11(火) 15:36:29
Name : Toshy E-mail : Title : 南北朝 Comments: 直義・直冬養父子が南朝に寝返り、かれらの武将たち−桃井、山名−が南朝側につい たのは大きいですよね。 また九州では北朝方の少弐と大友、畠山と島津が反目しあっていたため、そこを菊 池氏につけこまれた。 南北朝とは名ばかり、実際は守護大名たちが勝手気ままに領土争いをし、その所有 権を保証してもらうために武家方と宮方をいったりきたりしていたのが、実状なの でしょう Time : 1999/ 5/12(水) 12:19:10
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : ZVM11106@nifty.ne.jp Title : 菊地? Comments: Toshyさん、こんばんは。あのお、菊池氏っていうのがよく解りません。どの あたりが本拠地で、誰が特に有名なのですか?教えていただけると嬉しいです。 今ちょっと忙しくて、歴史のお勉強がままならない状況です。落ち着いたらまた、 書きこみにきますね。今は専ら、不良債権問題についてやってます・・・。 Time : 1999/ 5/15(土) 00:34:36
Name : Toshy E-mail : Title : 菊池 Comments: 米子のなきうさぎさん、こんにちは。 太平記の中には、あまり九州戦線が出てきませんね。そういえば。でも全国的に敗 戦ムードの中、九州だけは唯一南朝が優勢だったのですよ。 さて、菊池氏です。本拠地は肥後ですから、熊本ですね。少弐、大友、島津をして 「九州三人集」なんていわれていましたが、単身それに対抗して南朝を守り立てて いました。 有名なのは菊池武光、九州における最大の南北朝の戦い、「筑後川の合戦」の総帥 です。南朝方5000の兵で、「九州三人集」を相手に大勝し、その後太宰府をと って見事に九州を南朝の手にしたのです。 しかし10年近い南朝の天下も、今川了俊(今川義元のご先祖)の九州上陸によっ てやぶれ、武光は戦陣で病死しました。いご菊池氏の勢力は衰え、北朝に帰順した のです。 ついでですから、南北朝の九州における戦いのめまぐるしさを、簡単に紹介します 。 1.足利尊氏が京都から九州に上陸。菊池氏、迎え撃つも少弐と大友が背後から襲 撃したため、足利軍の勝利。 2.足利家の内紛。北朝側の武将の中で、高氏寄りの一色と直冬を支援する少弐が 対立。一色敗れ、大友と手を組む。 3.直義の死で、少弐が孤立。やむなく菊池氏と連合し、一色・大友と対決。菊池・ 少弐軍勝利、一色は逃亡。九州全土、南朝に帰順。 4.尊氏の死後、一色氏が権威を失う。敵がいなくなった少弐、菊池と手を切る。 5.菊池vs少弐・大友・島津の「筑後川の戦い」南朝が勝利。 6.少弐氏、逃亡し、太宰府は菊池氏が制圧。 7.菊池氏京都を目指すが、大内氏による瀬戸内海封鎖で実現せず。 8.島津氏、ふたたび菊池氏と対立。今川氏、九州に上陸。太宰府から菊池氏逃亡 。 9.菊池氏の総帥・武光死す。 なんともこんがらがった南北朝の対立でした。 Time : 1999/ 5/15(土) 01:49:56
Name : Toshy E-mail : Title : 追加説明 Comments: 下の書き込みにちょっと補足を。 下の 1 は1336年の尊氏九州落ちのことです。だから、1 と 2 の間は 20年近い歳月が流れているのです。この間の九州戦線、資料が手元にないので不 明。 2 のところから、菊池武光の登場です。 3 の「九州全土、南朝に帰順」は、形だけで実際のところは違うというべきです ね。少弐氏は孤立を避けるため菊池氏と手を組み、島津氏は足利氏一門の畠山氏と 対立していたので、「南朝が勝った、こっちについていたほうがいい」という感情 であり、大友氏は「降伏しておけば領地は安泰」という程度。 4 で、一色氏が九州に戻ってこないことを知り、少弐氏はまた北朝につきます。 大友氏、島津氏も相次いで南朝から離反。 7 と 8 の間は10年の歳月が流れています。この間、九州で菊池氏に逆らえ る勢力はありませんでした。 ところで、筑後川流域に「太刀洗」という場所があります。地図でご確認を。これ が合戦の場所。菊池武光が、戦いの後川で太刀を洗った場所なのです。 Time : 1999/ 5/15(土) 09:32:37
Name : 管理人 E-mail : rk7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 「SAPIO」10周年記念講演会 Comments:  今回は、「SAPIO」10周年記念講演会の招待プレゼントに御応募いただき ありがとうございました。  東京講演の招待状は、14日(金)に、同誌編集部から直接お手元に郵送されま した。  大阪講演の招待状は来週に出来上がりしだい、編集部から発送されます。 なお、大阪講演につきましては、座席に余裕があり、また期日まで日がありますの で、10名様を追加御招待できます。御希望のかたは、私あてにお名前、 年令、御職業、御住所、電話番号を明記の上、メールをください。先着10名様を 追加御招待します。                 管理人 Time : 1999/ 5/15(土) 18:21:40
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : Title : ふむふむ Comments: toshyさん、ありがとうございました。はじめて知ったことだらけでした。太 平記をきっちり読んでいないのに言うのもなんですけど、確かに九州戦線のことは あまり出てきてない気がします。ずっと前、大河ドラマで太平記が放送されたとき も、ほとんど尊氏中心のできごとだったですし(小学生くらいの時の話なので、記 憶が定かでないんですが)。 九州で南朝が有力だったというのも、言われてみれば「なるほど」と思います。懐 良親王(?)あてに明から倭寇取締りを求める書状が来たりしてますものね。案外 九州では、南朝に関する地元の伝説みたいなのが多く伝わっているかもしれません ね。 Time : 1999/ 5/15(土) 21:04:05
Name : Toshy E-mail : Title : 少弐 Comments: 九州戦線のことで大事な書き忘れがありました。 少弐は直冬を擁立し高(こう)氏寄りの一色と対立しましたが、 (たかうじ じゃないよ。下のカキコも) その時娘を与え、姻戚関係にあったのです。 それにしても、九州戦線の三人集は、生き残るためなら何でもする。菊池氏はなん の打算もなく南朝についていました。気持ち的には菊池氏が好きです。でも実際自 分がこの立場なら、少弐と同じ事をするでしょう(^^;) Time : 1999/ 5/16(日) 12:23:32
Name : があ E-mail : shige5@sam.hi-ho.ne.jp Title : 始めまして。 Comments: 私も室町時代、特に南北朝時代に興味があります。なぜ、統率力のない足利将軍 に従うのか、また十五代もまがりなりにも存続するのか?非常に不思議です。 太宰府に育ち、少弐一族についても関心があります。よろしくお願いします。 Time : 1999/ 5/16(日) 21:37:31
Name : Toshy E-mail : Title : 足利氏にしたがった理由 Comments: みなさんこんにちは。 >なぜ、統率力のない足利将軍に従うのか 南北朝の争乱は、もともと有力武士たちによる土地の争いであったと考えられます 。鎌倉政権がつぶれ、天皇家は武士の領土をすべて取り上げ、昔ながらの天皇によ る政治を行おうとしました。それが武士の反感を招いたのです。 力ずくで取っても、保証がありません。そこで武士たちは、足利氏こそ自分たちの 領土を保証してくれるものとして、「担いだ」わけです。 下の少弐と一色の争いなんかは、同じ「北朝方」といいながらもこれを顕著に示し ています。少弐は直義に、一色は尊氏に近いので、尊氏と直義が仲間割れすれば、 どっちが自分を立ててくれるかと考えると、....なんですよ。 だから尊氏が死に、すでに九州での権力を失った一色が不用になった幕府は、少弐 に「罪は問わないから帰順せよ」という手紙を送ると、土地が保証されるというの で南朝と手を切るわけです。 なお、足利氏が担がれたのは、頼朝が担がれた理由と同様、源氏という武家の頭領 だからだと思っています。 少弐については、詳しいことは知らないので、ご勘弁願います。 Time : 1999/ 5/17(月) 22:13:13
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 官位の力 Comments: 以前、井沢掲示板に書いたのですが、南北朝から室町時代にかけては、相続制度 、経済、社会制度が激変したので、世の中を安定させるよすがが無くなってしまい ました。各豪族や守護、民衆の力も拮抗していました。 そこで自らを守るために、「一揆」つまり横の連帯が盛んに作られました。しか し、一揆だけでは各階級がそれぞれの利害を一方的に主張してますますアノミーに なります。 そこで、天皇、足利氏を頂点とする、古典的な権威の秩序にとりあえずは従うこ とによって、安定がもたらされました。 一揆が横糸、官位が縦糸になって13〜16世紀は動くとも言えます。その意味でも 、縦糸の上と下が出会う後醍醐天皇に私は興味を覚えた訳です。 足利義満と義教は天皇と将軍の権威を統合して日本に真の安定をもたらそうとし たのだと思います。義政は、文化的権威だけで国を治めようとしたから混乱が襲っ たのでしょう。 Time : 1999/ 5/18(火) 12:52:38
Name : 輔住 E-mail : Title : 室町時代 Comments: 室町時代というのは天皇や将軍などより 下の地位の人たちがかなり力を得た時代だと 思います。 ただその分絶対的な力を持つ人は少ない。 (それを目指したのが後醍醐や義満や義教でしょう) だから官位を得て利用しようとした人も多いでしょうね。 だから官位を与える人間である天皇や将軍は力が弱まりながらも 生き延びたのでしょうね。 Time : 1999/ 5/18(火) 17:54:58
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : Title : 最高の内閣 Comments: お久しぶりです。ここの所忙しくてこのページをのぞいていなかったのですが、よ うやく落ち着いたので、またこさせていただきました。 ちょうど今日「日本史再検討3」を読み返したのですが、「歴史上最高の内閣を組 閣する」という試み、面白いと思われませんか?とりあえず戦国時代の人物限定で いくつかのポストについて考えてみました。 総理・・徳川家康 官房長官・・直江兼続 防衛庁長官・・島左近 建設大 臣・・武田信玄 文部大臣・・細川幽斎 外務大臣・・安国寺恵けい 法務大臣 ・・上杉謙信  他のポストについては、あまり良い考えがうかびませんでした。特に、大蔵大臣と かは、非常に難しい選択だと思います。 けっこう面白い話題だとおもったのですが、いかがでしょう?「平家はなぜ滅亡し たか」についても調べようとはしたのですが、どうも手にあまってしまいまし て・・・。「南朝はなぜ続いたか」については、だいたいのところ安部さんのご意 見と同じです。一つ付け加えるとしたら、後醍醐天皇が生前にみせた執念への恐れ のようなものも一因かと思います。 Time : 1999/ 5/21(金) 01:44:51
Name : Toshy E-mail : Title : 面白いので、ひとことだけ Comments: 大蔵大臣には、なんといっても豊臣政権の財政を管理していた石田三成がピッタリ でしょう 後世の評価は決して高いほうではありませんが、汚職を嫌う潔癖なところは、彼し かいないという感じです いや、大蔵大臣には、汚いヤツがお似合いかな(笑) Time : 1999/ 5/21(金) 03:19:19
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 近畿地方の室町時代 Comments: 近畿地方は、その先進性と、細かい地形から、南北朝が終わる頃には、国人ごと に戦国大名体制が出来上がってしまいました。彼らは独立心が強く、しかしあまり お互い反目し合っても守護に付け入れられるので、足利将軍の権威には随おう、と いう国人同士の合意ができていました。彼らは、守護大名の家来になる事には激烈 に反抗しましたが、独立を認めてくれれば、守護の命令にある程度随いました。 このように、少なくとも近畿地方においては室町幕府の役職に就く事は「力」に つながったのです。 応仁の乱は、あくまで室町幕府の主導権を握る争いだったのです。 また戦国大名が上洛にこだわったのもこのことがあるからです。 そして、織田 信長ははじめ、近畿の国人たちに受け入れられますが、織田信長の真意が彼らを支 配する事にあると知ったとき、一斉に蜂起します。 Time : 1999/ 5/21(金) 15:57:33
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 2日ともたない内閣? Comments: 「日本史再点検」は面白いですよね。 私も古代編考えてみました。 総理大臣・・・天武天皇、 官房長官・・・吉備真備 大蔵大臣・・・蘇我馬子、 防衛庁長官・・・継体天皇 外務大臣・・・藤原仲麻呂、 農林水産大臣・・・行基 建設大臣・・・和気清麻呂、 労働大臣・・・山上憶良 厚生大臣・・・光明子、 文部大臣・・・最澄 法務大臣・・・藤原不比等、 特別顧問・・・空海 野党の党首または革命家・・・聖徳太子 大蔵大臣と外務大臣と法務大臣のあくの強さをなんとか官房長官にまとめてもら いたいところです。しかし、法務大臣を強く監視しておかないと、これでは検察国 家になってしまう可能性がありそうです。聖徳太子と空海は、おそらく内閣という 枠には入りきらないでしょう。 Time : 1999/ 5/21(金) 16:28:47
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : Title : 内閣のこと Comments: こんばんは。Toshyさんの大蔵大臣=石田三成についてですが、整理回収機構 の会長のほうが適任ではないでしょうかね?内閣のポストではありませんが、彼の 潔癖さと事務能力をいかせる立場としてはこちらのほうが向いているような気がし ます。だったら大蔵大臣は誰が適任かといわれると、答えられないのです が・・・。 安部さんの古代編、厚生大臣=光明子というのは絶妙ですね。戦国時代バージョン だったら、厚生大臣や農林水産大臣は誰がいいのでしょう?武人がクローズアップ されている時代なので、こういった役職の適任者を探すのって難しいです。 Time : 1999/ 5/21(金) 23:11:48
Name : Toshy E-mail : Title : それなら、大蔵大臣には Comments: だれがいいかといわれても、思い浮かびませんね 厚生大臣には、小西行長を推薦します 太平記を読んだのは小学生の頃でした。 もう一度読み直してみたいと思います Time : 1999/ 5/23(日) 15:30:49
Name : Angelix E-mail : deviling@mail.goo.ne.jp Title : 百人斬り Comments: 井沢氏がぶった切った百人斬りですが,以下の site に対しては,反論の効果が無 いようです.論点が,捕虜 の据え斬りにずれこんだりしているのです.そして,ある者は,井沢氏の事を,無 知等と言ったりしています. 私は,この点を検証して,百人斬りの論点が,白兵戦での民間人・あるいは捕虜や 敵兵の殺害にある事 を一刀両断にした文章を知らないのですが,氏は書かれたのでしょうか?そうであ れば,著書を御教示下さい. 本多研 (本多氏の改竄などの研究をしている)と言う ML(http://www.geocities .co.jp/WallStreet/8442/ に結果 の一部が公開されている.)で,調査が甘いの,引用が不正確だのそれだけならま だしも,“本気で白兵戦で 斬ったと思っている”(と言うよりも,白兵戦での話ではないのだと言う意味か? )等と言う人がおり,井沢ファン (?支持派であるのは確かです.)として,百人斬り否定派,山本七平ファン(と 言うか,小室直樹氏と並び, 昔好んで読んでいた.今はあまり読んでおらず,本も手元に無い)として,どうも 不愉快になるもので… http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/hyakunin.htm http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/genron-main.htm 私に分かる範囲で,否定派側に有効な反論は,二人の少尉の用語法と,軍制の問題 (砲兵が捕虜をとれる ものでしょうか?),後は,井沢氏が“朝日新聞の正義”で述べた中では,刀の使 い方,支給開始年次でしょうか?(南京軍事裁判であれば,もう我々の論点そのま まなのですが…) 下手すると,論破した積もりが,論点が逸れているせいで梃子摺ります.(実際, 私も梃子摺った.)ただ, 捕虜斬りとか言っているのも,証言に関する限り戦闘途中の話にしかなっていない と言えばお終いなのかも 知れませんが… Time : 1999/ 5/24(月) 19:14:53
Name : 輔住 E-mail : Title : 戦国内閣 Comments: わたしなら建設大臣は豊臣秀吉でしょうね。 Time : 1999/ 5/25(火) 09:07:33
Name : 石井一旭 E-mail : Title : 戦国内閣 Comments: ひさしぶりに顔を出したら、なんか面白そうな企画やってますね。 私も混ぜて下さい。 総理・・・徳川家康 官房長官・・・本多正信(謀略内閣) 大蔵・・・石田三成、下っ端に増田長盛他 建設・・・藤堂高虎 外務・・・豊臣秀吉(歳を取ったら 黒田官兵衛) 防衛庁長官・・・加藤清正 文部・・・細川幽斎 なんてのはどうでしょう? 外国政府には容易に負けない政権だと思いますが。 (とくにトップが。) Time : 1999/ 5/25(火) 12:51:12
Name : 米子のなきうさぎ E-mail : Title : 通産大臣 Comments: こんばんは。なんだかいろんなバージョンの内閣ができてますね。石井さんとは文 部大臣の意見が一致していてうれしいです。織田有楽斎もちょっと考えたんですけ ど、やはり彼は政治家であるより芸術界の重鎮であるほうがいいですよね。 そういえば、誰も「通産大臣」に言及していないのではないかと思います。商人に 顔がきいて、新しい産業などにも対応できる人が適任なのかな?誰やろ。 Time : 1999/ 5/27(木) 01:52:40
Name : 余暇人 E-mail : Title : 本多勝一氏について Comments: Angelixさんが本多勝一氏の百人切り論争に関して触れられているので、 本多勝一氏に関する傍観者としての感想です。 こういったHP(百人切り肯定論)を作っているような人物は 多分本多氏の信者なのでしょうが(恐らく愛読書は「週刊金曜日」)、 彼らは恐らく本多氏を「反体制ジャーナリスト」だと信じて疑わない 左翼な人たちなのでしょう。 しかし、彼のリクルートお抱えスキー接待疑惑と、その記事の掲載による 「噂の眞相」編集部との決裂を見てもわかるように、彼は決して 反体制ジャーナリストなどではなく、ゴリゴリの体制派なのです。 リクルートといえば、日本資本主義の中で最も成功を収めた会社であること からもわかるように、彼の言っている社会主義国理想論のようなものは大嘘で、 本音は日本資本主義にべったり浸かっているということがわかるでしょう。 その「体制」の対象が日本以外の国に広がっている点が 彼ならびに朝日新聞の異常な特徴なのですが。 つまり、本多氏の支持者は一見左翼のように見えるが、 実は(日本には限らないが)体制派、ということがいえると思います。 リクルート接待疑惑に関する詳しい情報は http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/links.html からいろいろとたどれるので、参照されるとよいでしょう。 この手の二重基準は朝日のお家芸で、検察の則定氏の不倫疑惑を 糾弾したニュースステーションコメンテーターの菅沼栄一郎氏が 自身も同様のことをしていた、ということも 記憶に新しいところです。 また、この論争の中で本多氏は岩瀬達哉氏のような フリージャーナリストのことを 「人類の中でもっとも卑しい職業とされる売春婦よりも卑しい連中」 という格言を残しています。 つまり、自分のような朝日新聞出身のジャーナリストは 常に社会正義をふりかざせる高潔な存在なのである、 といいたいわけです。 この発言から本多氏が元慰安婦をどのように見ていたかが よくわかります。 ちなみに、歴史問題でなどの嘘がばれて世間から 見放されつつある彼らは、ついに総会屋も真っ青の 企業恫喝をはじめたようです。「週刊金曜日」の 「買ってはいけない」という企画がそれですが、 さまざまな企業に言いがかりをつけて商品の販売を妨害しようという 前代未聞の企画です。単行本がたまたま近くの書店にあったので 立ち読みしてみたら、もう大笑いせざるを得ない内容になっていました。 1例ですが、B社の電気カミソリに対して、 「モーターによって強烈な電磁波が発生し、それを顔の近くに当てるので 体への影響が懸念される。だから危険な電気カミソリを捨て、 電磁波を発生しない安全なT字カミソリを使おう」 なんだそうです。今まで電気カミソリの電磁波の影響で死んだ人など 聞いたことはないのですが(笑) また、私は肌が弱いのでT字カミソリなどを使ったら一発で 肌が負けてしまうのですが、そういった人はきっとどうでもよいのでしょうね。 井沢先生に難癖をつけている連中は大概がその程度なので、 あまり相手にしないほうがよいと思います。 Time : 1999/ 5/27(木) 04:45:09
Name : 川村 E-mail : MASAKAWA@mc.med.keio.ac.jp Title : 通産大臣 Comments: >米子のなきウサギさんへ 通産大臣は黒田長政あたりはどうでしょうか? Time : 1999/ 5/27(木) 13:06:04
Name : Toshy E-mail : Title : 農林水産大臣 Comments: 自国の農産物生産拡大に力を注いだ武田信玄に、一票 水産業の方はわからないだろうから、九鬼をつけてやろう Time : 1999/ 5/28(金) 11:33:08