Name    : 安部奈亮
E-mail  : 
Title   : 東山参拝記
Comments:
先日京都の東山をまわってきました。紅葉が美しかったです。そして、寺社の位置
関係からいろいろ想像できました。
一番高いところに浄土宗の総本山の知恩院があります。徳川家が篤く信仰した寺で
すが、要塞化されています。山を南に下ると、ねねが最晩年を過ごした高台寺があ
ります。ねねは知恩院を通じて徳川家の監視化にあったことが分かります。ちなみ
に今年は、太閤さんの400回忌です。
八坂の塔を右手に見ながら、二年坂、三年坂、五条坂を下ると、方広寺と豊国神社
があります。これは、淀君と太閤さんの寺社で、知恩院からは見下ろされる格好に
なります。近くに耳塚(朝鮮の役)があります。
その南の、三十三間堂の東隣に、淀君と秀忠夫人が浅井長政を供養した養源院があ
ります。ここの天井は鳥居元忠以下200名が切腹した伏見城の血天井です。伏見城は
、長政とお市の方の娘3人が束の間の幸せの一時を過ごした思い出の場所です。
向かいの智積院は明智光秀と関係があるようでした。光秀は、斎藤利三と春日の局
を通して徳川家と繋がっています。
さらに南に行くと伏見になります。
このように、さりげない位置関係にも、当時の人間関係が見られて面白かったです
。

Time    : 1998/12/ 1(火) 16:22:16

Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 日本軍のトラウマ Comments: 井沢先生は、日本人は穢れ観から軍隊を嫌っていると述べています。山本七平さん の日本軍の研究を見れば分かるように、日本人は戦前も、「集団としての日本軍」 には敬意を払っていましたが、「日本軍の一兵士」は軽蔑しきっていました。私も これは陰湿な「いじめ」だと思います。 「日本資本主義の精神」(山本七平)を読めば分かるように、日本人は与えられた 仕事をさっさとこなしてノンビリしているよりも、仕事がなくても始終忙しそうに している方を評価します。 この2つが日本軍のトラウマになったのではないでしょうか? ヨーロッパでは、軍人は尊敬の的であって、軍人たるだけで下級階級の出の人も重 んじられます。しかし、大正時代には、まともな戦争はなかったので、「穢れ観」 からも「忙しそうにしていないこと」からも、日本軍人は「穀潰し」と見られてい たのではないかと思います。 ですから、「戦争をして、忙しそうな振りをしなければならない」と思ったのでは ないでしょうか。 勿論、表向きは日本の不景気を解消するためでしょう(この解決法が見当違いだっ たことは言うまでもありません)。しかし、日本軍の行動を見ていると「目的」が 見出せないのです。戦争状態を継続するために戦争をしていたように見えるのです 。 このようなトラウマが、日本軍にはあったのではないでしょうか。 Time : 1998/12/ 3(木) 14:17:02
Name : 安部奈亮 E-mail : s00v0128@ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : いじめについて思うこと Comments: ちょっと挨拶 石井一旭さん御心配なく、私だって先月20歳になったばかりの2回生です。一緒 に生意気パワーを炸裂させましょう! さて本題 私は最近の子供ですので、いじめは多く見聞きしてきました。その中で特徴的と思 ったものを書いてみようかと思います。 まず「エンガチョ」です。これは明らかに「穢れ観」に基づいたいじめ方です。「 あいつの触ったものは汚い(穢れている)」というわけです。では汚れているのは なぜか?というと、子供の集団の雰囲気により勝手に決められるわけです。 私のクラスで、ある女の子が「無視」に遭ったことがあります。初めは、女の子の 間だけでしたが、いじめの輪は男の子にも広がり、参加していないのはその子と私 だけになってしまいました。そこで私は友人(男)に「なぜ彼女をいじめるのか? 」と尋ねました。「あいつにも悪いところはあるのだ」と答えました。しかし、ど う悪いのかは教えてくれませんでした。私は考えました。「彼女と交際のある人が 彼女をいじめるのならまだ分かるが、最近まで彼女がクラスにいることさえ気にか けなかった男子がなぜいじめに積極的に参加するのだろうか?」「一にも二にも、 クラスの雰囲気次第なのではないか、これほど恐ろしいことはないのではないか」 いじめは、私が先生にクラスの事態を説明(告げ口?)して止めさせました。 つまりいじめは交通事故と同じです。クラスの穢れ(ストレス)を発散(清める) ためにスケープゴート(人型)として誰かが選ばれます。そして罵り言葉(言上げ )「臭い・デブ・汚い」がいつか実体となり(言霊)、罵り言葉を満載された子は( 流し雛のように)クラスから追い出されるのです(化外の地への流罪)。 元々実体の無いものですから、それを覆い隠すためにいじめはエスカレートします 。 しかし、実体が無くクラス全員でしたことですので、終わってみれば、罪悪感は残 りません。 最悪なのは、日本教の「人間は本来は善」と言う考え方が、喧嘩両成敗的な解決し か許しませんので、先生は「いじめられた・・・ちゃんにも悪いところがあったんじ ゃないの?」などと言うことです。 いじめと差別は絶対悪です。これがどれだけいじめられた子を傷つけるのかを知ら ない先生が多すぎる。 最近は、外国でもいじめがあるそうですが、やはり日本のいじめは、日本文化が持 つ負の面の現われなのです。 Time : 1998/12/ 4(金) 13:11:26
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : おやじは何故「クサイ」のか? Comments: 一部の家庭では、父親が罵詈雑言を投げかけられているそうです。これも私は、「 虐め」だと思います。一番ポピュラーな言葉が「クサイ」であるのが証拠です。集 団は悪者を作るとまとまると言います。別に父親に非があるわけではなく、ストレ スを発散したいだけなのですから、「クサイ」などという架空のイメージを使うの でしょう。なまじ、「おまえは資本家の奴隷にすぎない」などと言えば、「じゃあ 、その奴隷に食わしてもらっているのは誰だ。」と言い返されるからです。しかも 、日本では金の話をすると1ランク下の人間に見られるという悪習がありますので 「俺はお前達のために働いてんだぞ」と言うと、却って家族が味気ないものになっ てしまうのです。私は、家族のために汗水たらして働くことは崇高なことだと思い ますが・・・ しかし、こんな事を親に言うのは日本だけでしょう。古代ローマやユダヤ、アラブ 、インドでそんな事を言ったら、父親に殺されます。そして、父親には殺す権利が あるのです。経済なんかどうなってもいいですが、こんな事を言う奴が出てくるよ うでは、日本も本当におしまいかもしれません。 Time : 1998/12/ 5(土) 13:37:53
Name : 管理人 E-mail : k7m-ysd@asahi-net.or.jp Title : 「いじめ」について Comments: 安部さんが、よい問題提起をなさっているので、皆様からも積極的にレスをつけ ていただけるよう期待します。  とりあえず、私からは、以下の事例を紹介いたしたいと思います。 1.学校での「いじめ」は日本特有か?  経済評論家の梶原一明氏が、私の取材に、こんなエピソードを語ってくれました 。  日本の自動車産業が進出したために、アメリカの同産業が大幅リストラを余儀無 くされたときのこと。アメリカ中部にある自動車産業の街のプライムスクールに、 進出日本企業の社員の子供が通っていました。あるとき、クラスメートのひとりが その子を指差して、「ぼくのダディーは、こいつらがやってきたせいで、会社を首 になった」となじりました。最初は、他の子供達は遠巻きに様子をみていたのです が、ある子が星条旗を手に2人に寄っていくと、皆も日本人の子ひとりに詰め寄っ ていき、「アメリカから出ていけ」の大合唱をしたそうです。しかし、ただひとり 、それに同調せずに日本人の子をかばう者がいました。在米韓国人の子だったそう です。「父親の仕事のことで、なぜクラスメートを責めたりするのだ」と、大勢を 相手に抗議したそうです。 2. プラス要素も「いじめ」の原因  過日、小中学生の不登校問題についてのシンポジウムを取材したとき、あるお母 さんが、こんなことを訴えていました。 「昔は、家が貧しい、勉強ができない、あるいは運動が苦手といった子がいじめの 標的にされていました。でも、私の子が通う学校では、成績優秀、性格は明るく、 スポーツも万能と、とても恵まれた条件を備えた子がいじめられています。いった い、どういうことでしょうか」  これに対する、講師の答えはこうでした。 「いまは、他人よりも優れている、目立っているということだけで、いじめのマト にされるものです。クラス内の画一性、和を乱すもの、とみられるのでしようね」  これは、きわめて日本的なものですね。 3.「オヤジ」いじめ  子供は親を否定して成長する存在ですから、一概に「いじめ」ではとらえられな いと思いますが。ただ、いずれは自分も親と同様に社会の管理システムにがんじが らめにされていくのではという恐怖が、「オヤジ」いじめには介在しているのでは ないでしょうか。ルイジアナ州立大学で家族社会学を教えている友人(准教授)は 、プライムスクールに通う息子たち2人に、「いつ、なにで、どうやって負けてや るか」を自分の課題にしていると話してくれました。                        管理人 Time : 1998/12/ 5(土) 15:34:52
Name : 正岡(初號機) E-mail : masaoka@din.or.jp Title : 先物取引市場発祥の地が大阪とは! Comments:  NHKの特集でやっていたのですけど、初めて知りました。こんなこと学校で習 わなかったわ。  歴史の勉強って、なんとなく古い時代から新しい時代に向かって文明が「進化」 「進歩」「発展」という右肩上がりのイメージなんけど、なんか実は「折れ線グラ フ」なのですね。たまには「後退」もあったわけ。  ちなみに、私、大学はキリスト教系だったのでマルクス経済学は講座がなかった 。受けた講義は「中世ヨーロッパの三圃制農業」で、暗黒の中世というイメージと はちがっていたです。  もうちょっとしっかり歴史をおせーてほしかった。<がっこー Time : 1998/12/ 6(日) 23:33:54
Name : 正岡(初號機) E-mail : masaoka@din.or.jp Title : 江戸時代の大阪…(下記補足) Comments: おおっと…意味不明の書き込みになってる〜(^_^;) 世界初の先物取引は江戸時代の大阪で、維新でそれはなくなってしまった。シカゴ はそれより100年も後だそうです。江戸時代の日本て、ひょっとして超文明国だった ? でも学校の歴史ではそういう風には習わないですよね。 Time : 1998/12/ 6(日) 23:49:01
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 江戸時代の参考資料 Comments: この手の話は、山本七平さんの 「日本資本主義の精神」「江戸時代の先覚者達」「勤勉の哲学」 イザヤ=ベンダサンの 「日本の商人」 が詳しいです。 それと、NHK「お江戸でござる」の杉浦日向子さんのコーナーは非常に勉強になりま す。 Time : 1998/12/ 7(月) 12:14:31
Name : 服部 E-mail : makoto-hattori@msg.biglobe.ne.jp Title : 「いじめ」について思うこと Comments: 興味深いテーマなので書き込みます。 私自身、今までいじめをしてもきたし、されたりもしました。 それで思ったのが、いじめは必要悪だということです。 ないほうが良いに決まっているが、なければないでまた問題 なのでは? また「いじめは日本特有か?」については、日本人というものを 必要以上に特殊視しているからそう思われているのではないでしょうか。 Time : 1998/12/ 7(月) 12:17:41
Name : とて夫 E-mail : totetin@geocities.co.jp Title : 「日本的」ないじめ Comments: 日本人の無意識の中には「和」が刷り込まれている、 「和」が日本人に(良い意味でも悪い意味でも)多大な影響を与えている、 というのは井沢者の皆さんにとっては周知の事実。 日本のいじめは日本特有のものだと思います。 「中華思想」の濃い中国人のいじめは やはり中国特有のものと言えるのではないでしょうか。 文化に違いがあるように 文化(人)の数だけいじめがあるっちゅうことですわ。 もちろん、文化は違えど同じ人間。 根本的には似たようなもので「必要悪」なものなのかと思います。 僕も「必要以上に特殊視して」はいけないと思います。 Time : 1998/12/ 7(月) 14:10:31
Name : 三枝貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : 現実に起こっている「いじめ」 Comments: 実は私は、わりと場所を考えずにものを言ってしまう人間なのです。掲示 板の方で書き込んでしまったこともそうですね。 疑問であることを疑問であると言い、間違っていると思うことを間違って いると言いますと、「和」を乱します。よく言ってくれたと思ってくれる人間 の何倍もの人が、「なんだこいつは」と思うのは致し方ないことでしょう。 あるネットの出版関係の会議室で、大変多くの人を敵にまわしてしまった ようなのです。「ようなのです」と言うのは、そういった人たちは表に出ず、 裏からとやかく言って来たのです。 なんと、私ではなく、私のボーイフレンドだった人の仕事を妨害するという 行動をとったのです。 彼は、デビューを直前に控える小説書きです。このまま私とつきあって いると、そのデビュー作の出版が怪しくなるということで、私たちは先週 別れました。 仕方がないと思いながらも、人間というのはそういうことのできる生き物 なのだなあと、多少、人間不信に陥っているところです。 Time : 1998/12/ 8(火) 13:14:39
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 間人(たいざ)の由来 Comments: 以前ここで地名の話をしたので、京都府の間人の由来をここに書きます。 若狭の国には、間人皇女(聖徳太子の母親)の領地がありました。そして、皇女は 、蘇我氏に逆らって追われた兄をここにかくまったそうです。 「聖徳太子」(梅原猛)に書いてありました。 Time : 1998/12/10(木) 16:19:38
Name : 三枝貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : 不況で良いこと Comments: 不況でどこも大変なのでしょうが。 不況になることで、「すぐれていても」「劣っていても」いじめの原因とす るような日本人の体質が、多少は改善される可能性があるのではない かと、期待しています。 社員が全員、同僚と同じことを、先輩のやったのと同じことをやり、目立 たないよう行動することを何よりとするような会社では、この状況下で は、潰れるほかありませんものね。 Time : 1998/12/10(木) 18:14:48
Name : 服部 E-mail : Title : なし Comments: 私個人の考えでは、先人と同じことを やるのも重要なことだと思っています。 それがある種の大前提なのではないか? などと思ったりもします。 Time : 1998/12/11(金) 11:57:54
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : たったてやる〜〜!!! Comments: 「穢れ」にかなうのは「怨霊」しかない、ということでこんないじめ解決法はどう でしょうか? 学校で早良親王とか後鳥羽上皇とか怨霊の恐ろしさを叩き込んで、「いじめなんか したら生き霊に祟られるぞ」と子供の時から思わせてしまう。 でも、復讐を薦めることになるから駄目かな? Time : 1998/12/11(金) 14:28:53
Name : ゆみこ E-mail : Title : 「女性と穢れ」 Comments: みなさん,お久しぶりです.「ふぉーらむ」に来るのは初めてです. 今回お話しするのは「穢れ」についてですが,最近「女性と穢れ」という言葉を目 にし,そういえば女なのに一度も深く考えたことがなかったなと思い,ちょっと考 察してみました.しかし,これまでこの話題についてあまり興味がなかったため, 全くといっていいほど文献を読んでおりませんので,話が稚拙なものになってしま うかもしれませんが... まず「穢れ」の最も基本となるものは「死」で,次いで「血」だと思います.「血 」が穢れているのは「死」につながるからでしょう.多量に出血した時だけでなく ,少量の出血でも感染死やショック死の原因となる場合があるからです.そういう ところから,わずかな出血であっても汚らわしいということになっていったと思わ れます. 女性が穢れているのは,この「血」に関係する「月経」と「出産」があるからです .本来「月経」も「出産」も生物学的にみれば子孫繁栄のために大変おめでたいこ とのはずですが,穢れであるとされています. 「出産」は現在でさえも,完全に安全なものになったわけではありません.いまだ 母・子あるいは両者の死を伴う危険性があります.昔は出産にまつわる死亡率は今 よりはるかに高かったために,母子が完全に安全な状態になったと見極めるまでは めでたいどころではなかったのだと思います.「出産」は常に死に直面する出来事 であったために,自宅に死の穢れを持ち込まないようにわざわざ「産屋」を作った りしたのです.現在,お産の時に実家に帰る人が多いのは,実家のほうが女性にと って精神的にも肉体的にも楽であるということなのでしょうが,ひょっとしたら, 嫁ぎ先の家を汚さないようにするために,外に出されているだけなのかもしれませ ん. 「月経」も出血することが,直接穢れの原因と考えられるのでしょうが, 「月経」で死ぬ人はいません.しかし「血」→「死」と考えられていたならば,女 性は「月経」の時に「死ぬ」とされていたとは考えられないでしょうか.つまり女 性は,沈む夕日が毎日死んでは昇る朝日で再生し,また欠けて死にゆく月が新月か ら生き返るように,死と再生を繰り返していると考えられていたのではないでしょ うか.女性は月経の時に一旦死に,月経が終わると再生するのだと.だから「月経 」は一時的にでも「死」に通じるために穢らわしいのだとされていた,というのは 考えすぎでしょうか. もしこれらのことが正しいとしたら,元来,女性の穢れと言うのは期間限定のもの ,つまり,妊娠可能年齢の間のさらに「月経」と「出産」の期間だけであったはず です.しかも元々,これは女性差別ではなく女性自らが,自分はその期間穢れにま とわりつかれているのだと怖れていたのだと思います.その証拠にこれは昔の日本 だけでなく,外国でも少女時代は聖職に就けるが,初潮をむかえるとその職を解か れるといったことがあります.初潮前の女性は清く,初潮後の女性は穢れていると されるのです.神は穢れを嫌うため,「月経」などでいつ穢れた状態になるかわか らない女性が聖域に入るのを阻止しているのだと思います.だから女人禁制の聖域 があり,土俵の上に女性は上がれないのです.これも別に女性差別とかいうのでは なく,神を怒らすことを怖れて,女性自らも聖域に入らないようにしていたのでし ょう. このように,「女性の穢れ」は元来,「期間限定」で「女性自ら怖れていた」もの であったのが,その後の男性上位の社会制度や男尊女卑の思想などの影響で,「女 性=穢れ」というように変化していったのでしょう. ところで聞いた話で詳細は知りませんが,日本では昔「花嫁」は「穢れ」ていると いう思想があり,そのために死に装束である白無垢をきて嫁入りしたというのです .それを聞いて思ったのですが,花嫁というのは妊娠可能年齢,つまり女としては 穢れている時期です.先程の理論でいえば,「死」と「生」の 境にいる時期で,そのために「女」→「異形のもの」→「鬼」というように考えら れたのではないでしょうか.だから昔の花嫁は死に装束に身を包み,角隠しで鬼の 角を隠し,夜中に花嫁行列という名の百鬼夜行を行ったのでしょう.そしてひょっ としたら,姑の嫁いびりなども,もう穢れた時期を過ぎた女の,家に穢れを持ち込 む女に対する,排除の気持ちからくる行動なのかもしれません.(考えすぎ?) と,いうような結論になってしまいましたがいかがでしょうか.本当に文献を読ん でいないので自信がなく,掲示板でなくここに来てしまいました. どなたかこのようなことにお詳しい方,いろいろと教えてください. Time : 1998/12/12(土) 02:27:19
Name : ひのもとあや E-mail : i-mitu@mx1.tiki.ne.jp Title : いじめについて Comments: 外国の「いじめ」についてはよく知りませんが、 日本の「いじめ」というのはつまり下記のような図式になっているように思います 。 1.全員を同じレベルにしようという作用がはたらく 2.そのため「出る杭」をたたく、あるいは排除しようとする 3.逆に「引っ込んだ杭」(「出る杭」の逆の意味)もたたく、あるいは排除しよ うとする 4.2と3の手段を達成するために、「いじめ」を行う 付け加えるならば、「いじめ」の手法(?)としては、 1.「いじめられる人」の人権、または存在そのものを無視する 2.「いじめられる人」の行動を、直接、間接的に妨害する 3.「いじめる人」は「いじめられる人」より大人数で行動する といったところでしょうか? まあ、こんな事をずらずら書いても、「いじめ」がなくなるわけではありませんの で、 この辺にしておきます。 私が思うに、「いじめ」をなくすには、 「いじめる人」と「いじめられる人」以外の、 「見て見ぬふりをしている人」をなくすしかないのではないでしょうか? ちょっと昔だったら親が子供をしかるのは当り前だったのに、 今は親が子供に対して「見て見ぬふりをしている」のではないでしょうか? 悪い事は悪い、と言えない人が増えているのではないでしょうか? この辺にいじめの「根」があるように思えてなりません。 Time : 1998/12/12(土) 06:14:55
Name : ひのもとあや E-mail : i-mitu@mx1.tiki.ne.jp Title : 三枝さんへ Comments: さぞおつらいでしょう。 現実にそういう「卑怯な人間」がいるのは事実です。 私も似たような経験をしたことがあります。 「逆境」に負けないで頑張ってください。 デビューしたらぜひ小説のタイトルを教えてください。 「逆境」に負けない強い登場人物が出てくる事を期待しています。 Time : 1998/12/12(土) 06:26:52
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 日本特有のいじめ Comments: 生意気だから、おとうちゃんをクビにしたから、といった原因のいじめはまだ分か ります。理解できると正しいは別問題ですが。しかし、私が見たいじめは、特別な 所が全くない人が突然いじめられたのです。これは日本特有のいじめだと思います 。昨日まで自分の集団の一員だった人に突然白羽の矢を立てていじめ出す心理は、 どこから来るのでしょうか? Time : 1998/12/13(日) 13:07:55
Name : 三枝貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : ありがとうございます Comments: ひのもとあやさん、お気遣い本当にありがとうございます。 Time : 1998/12/14(月) 10:58:26
Name : 三枝貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : 御所では死ねない Comments: ゆみこさん。 参考になるかどうかわかりませんが、思い出したことがありますので。 御所では、昔、帝以外は死ぬことができなかったそうです。 ですから、中宮や女御のような身分の高い帝の后たちも、死にそうに なったら大慌てで、御所の外に担ぎ出したのだとか。 Time : 1998/12/14(月) 11:04:17
Name : きんたろう E-mail : Title : 茨城県について Comments: 茨城県はどうして茨城と名付けられたのでしょうか。 旧国名の常陸の国と下総の国の一部が(要するに利根川の北側ですね)茨城県とな りました。ですから茨城県はそのほとんどがもとの常陸の国といえるわけです。そ の常陸の国は大化改新によって作られました。常陸の国は律令時代には上国として 、親王統治下にある地方だったわけですから上位にランク付けされていました。 戦国時代の末期には佐竹氏がほとんどを支配し有力な大名として歴史上にあります 。江戸時代は御三家の水戸徳川家が支配していました。 以上のように歴史的に見ても、茨城県の地域は関東の地にあってよい場所だと認識 されてきたと思われます。 県名をつけるについては、明治維新の時に官軍のところは県庁所在地と同じで、賊 軍とされたところはそうではないというのが原則としてあったそうですが、水戸藩 は元々は尊皇攘夷の本家ともいえる場所だと思います。それからするとどうして茨 城などというはっきり言ってひどい名前を付けたのかよく分かりません。まるで人 跡未踏の地のような印象を受ける名前だと思います。御前山に流された道鏡が「き たなまろ」と読んだと同じようなものかなと思います。 水戸は確かに今年の大河ドラマの徳川慶喜の出身地ではありますが、当時は個人と いう血よりも家というものが上位にあったので、徳川宗家を次いだ慶喜は薩長サイ ドから見ると敵側のボスそのものでしょうが水戸は別だと思うのです。 実際水戸の殿様の血筋は代々公家からお嫁さんをもらっているわけですから、家康 の血筋と言うよりも大きく言って天皇家の血筋の方が強かったのではないでしょう か。 ところで茨城を今でもいばらきと発音しない人が多いのはどうしてなのでしようか 。私のまわりでもいばらぎと濁って発音する人が多いのは不思議な気がします。 Time : 1998/12/14(月) 13:15:21
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 上野駅の13番ホームから向こうは東北? Comments: きんたろうさん、これは私の想像ですが、明治維新のルーツが水戸藩であることを 隠そうとしたからではないでしょうか?それに、徳川慶喜が謹慎したということは やはり将軍をかくまったわけですし。 水戸藩は、安政の大獄までは勤王運動をリードしてきましたが、大獄で大打撃を受 けて、藩の近代化にも遅れ、幕府滅亡の頃には、水戸のあの狭い中で内乱を起こし て、藩士同士が殺し会うという醜態ぶりでした。 しかし、「茨城」自体は由緒ある名でして、「万葉集」の東歌にも載っています。 常陸国は多分、大和朝廷の奥州征伐の前進基地だったと思います。毛の国には、大 和朝廷ではない勢力がありましたが、常陸国は大和の植民地だったようです。鹿嶋 神社からは、中臣鎌足と太安麻呂が出ています、そして、2人は親戚です。このこと は、古事記編集を考える上で重要なことです。常陸国風土記が残ったことと関係が あるかも。そお言えば石岡駅の壁画はユニークですね。 佐竹氏というのは、名家ですが、何故か常に時の権力に刃向かって討伐されていま す。頼朝にも、尊氏にも、家康にも反抗して痛い目にあっています。美濃の土岐氏 も似たような感じです。佐竹義宣が転封された秋田には、常陸国と同じ地名がある です。故郷を偲んだのでしょう。 私が以前川崎にいたとき、神奈川の子供たちは山梨県を関東地方に入れていました が茨城県を忘れていました。くそっ山梨の方がよっぽど田舎じゃねーか(どんぐり の背比べ?) Time : 1998/12/14(月) 15:02:38
Name : 三枝貴代 E-mail : MXA04115@nifty.ne.jp Title : RE:日本特有のいじめ Comments:  ほとんどのいじめは、ひのもとあやさんがおっしゃるように、平均から逸脱 した人をターゲットにしたものだと思います。  しかし、安倍奈亮さんのおっしゃるように、特別なところがない人がいじめ られるということも、確かにあります。  その場合は、その集団に、平均から逸脱した人が存在しないのではない でしょうか?  つまりその集団は、「いじめる相手を必要としている」のです。  そこに平均と違った人がいれば、いじめるための特別の一人を捜し出す ことは簡単にできるので、その人がいじめのターゲットになります。ですが、 そういう人がいない場合にも誰かが必要なので、たまたま何かのタイミン グがあってしまった普通の人がいじめられるのでしょう。  そう考えれば、いじめは、いじめられる側に問題があるのではなく、いじ める側に問題があるのだと、よくわかります。 Time : 1998/12/14(月) 18:38:39
Name : きんたろう E-mail : kintaro@po.net-ibaraki.ne.jp Title : 茨城県を考える!! Comments: 安部さんこんばんわ。 確かに茨城という名は常陸の国ができる前は新治とか茨城とかの7つのクニに分か れていましたから根拠としてはそのあたりだと思います。でも茨に覆われたの城と いうのは僻地そのものといったイメージが強くて昔から改名できないものかなと思 っていました。 例えば宮城という名前は「きゅうじょう」と読みますから、東北地方でも茨城より はるかによい名前だと思います。 常陸国はその名のとおり平野部分が広いため耕作可能面積としては全国でも有数だ ったため付けられた名前だと思います。今でも農業県として全国的にも有名です。 またこれは当然ながら居住可能面積としてもかなりあります。今、県人口は茨城都 民の増加によって約300万人位になっていますので、都府道を除いた普通の県の 中では人口的には大きい県のはずです。 日立市は常陸国と同じ発音で朝日が昇ってくる所ということから付けられた名前だ と思いますが、どうせならこの「日立」を県名にした方がよかったと個人的には思 っています。 ところで過日梶山代議士が首相選に出馬した時、本拠地の常陸太田駅前でテレビが 近所の人にインタビューをしていましたが、その人はなんと「代議士も落ちてしま えばいい」と言っていました。テレビ局の選択の意志の結果かもしれませんが、ど うも茨城県民気質というのは、応援していこうという意志が弱いような気がします 。(まあ他県の人ならいい加減に引退しろよ、と思うのかもしれませんが) 水戸っぽと呼ばれるものが茨城県人気質、特に北部においては当てはまると思いま すが、端的に言えば他人の足を引っ張りたいという意識がまずあるようなタイプで はないでしょうか。天狗書生の乱は武士だけのものではなかったような気がします 。 Time : 1998/12/14(月) 22:49:06
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 梶山さん、ありがとう! Comments: あまり内輪ネタで盛り上るのもなんですが、これは日本全国に関わることですので 。 私は、幼少時に梶山静六の地元に住んでいましたが、彼が偉くなるたびに村の道が グレードアップしていきました。砂利道が舗装され、車線が増え、ガードレールが つき、歩道が出来・・・ これはうがった見方かもしれませんが、梶山静六が作ったのだと話したものです。 う〜ん、まさに土建行政だ・・・ Time : 1998/12/15(火) 16:30:19
Name : ゆみこ E-mail : Title : 三枝様 Comments: 三枝様,どうもありがとうございます.以前から高貴な方々が 亡くなられる時はどうしていたのだろうと疑問に思っていましたので,ご指摘いた だきよくわかりました. Time : 1998/12/15(火) 18:39:26
Name : きんたろう E-mail : kintaro@po.net-ibaraki.ne.jp Title : 郷土の話題はさておいて Comments: 本当はローカルな話題第3段として例えば水戸の地名の由来などについて書こうか なと思ったのですがまあ次回にします。 今日はいじめについてです。(本当は言いたくないのですが) これについては色々なパターンがあるとは思いますが、私の体験したのは1体1の 喧嘩からでした。私は元々結構単純というかリニアロジックと言ったものでストレ ートな気質だと思っています。確かに客観的に見れば欠点も多々あるとは思います が人間ですから当たり前だと思っています。 当時、私は確か小学4年生くらいだったと思いますが喧嘩をしました。そいつとは 何が原因だったのかははっきりしませんが要するにそれは喧嘩両成敗でお互いに悪 いところがあったのだと思います。100歩ゆずってその全てが私が悪かったこと にしましょう。 でもそれは相手との1体1の関係のはずです。 その喧嘩は私の圧勝に終わりました。 相手は相当悔しかったのでしょう。こいつは基本的なルールを平気で破りました。 それはあること無いこと言いふらして(当然私がいないところで)評判をおとしめ ることに専念したのでした。要するに村八分作戦です。 確かに私も嫌な奴だったのかもしれません。そしてこの人達はどういう戦術に出た かというと学級委員の選挙に私に投票しないような活動をしたのでした。 自分としては別にやりたいと言ったわけではないけれど、急に票が減ったことは当 時の子供の自分としては驚異でした。(私の頃は成績が上位の者が大体なっていま した) 当然当時の先生も不信がりました。はっきり言って卑怯な手で敵を討たれてしまっ たというわけです。 Time : 1998/12/15(火) 19:28:51
Name : 伊藤 隆 E-mail : aac39900@pop17.odn.ne.jp Title : 日本海をみて考える Comments:  私は大学生の時、北陸の金沢に住んでいました。いつも日本海をみながら 暮らしていたわけですが、よくニュースで「環日本海文化圏」という言葉を 目にしました。特に古代から中世にかけては、北陸は中央政府の支配から、 比較的自由で、独自の外交や貿易を行っていたとの研究が進んでいるようです。確 かに石川県(特に能登半島)には、変わった地名や祭り・風習がたくさん残ってま す。私も色々文献などを調べてはみたのですが、中央政府(大和朝廷)史観の資料 ばかりで、地方の一勢力の資料がとても少ないのが現状です。  どなたか、古代から中世にかけての、北陸の勢力が詳しくわかる資料を教えてい ただけないでしょうか?特に朝鮮半島や大陸との文化交流がわかる資料が 知りたいです。  返事はE-mailでお願いします。  アドレス aac39900@pop17.odn.ne.jp Time : 1998/12/17(木) 14:06:57
Name : きんたろう E-mail : Title : いじめの一歩 Comments: 一番卑怯な言葉 一番卑怯な言葉はみなさんにとってはどんな言葉ですか。 それは例えば殴り合いだろうが口喧嘩で言葉だけだろうが、喧嘩をしたときは本来 一対一の関係のはずなのに、「みんなが」という言葉を持ち出すことではないでし ょうか。 俺はおまえが嫌いだ、みんながそう言っている。 あるいは、「みんなが嫌っている」、このような言葉は最悪の暴力だと小さいうち から家庭や学校で十分にたたき込んでおかないと使われた相手の精神を破壊させか ねないと思います。トラウマになって一生の傷になることもあるような気がします 。 それに対応するには、まだ熱い鉄である「小学生」の時代に言葉の暴力について十 分にたたき込んでおくこと以外にはないと思っています。 ところで、「みんな」とは一体何人のことを言うのでしょうか。私はずっと疑問と してありました。 先日、みんなとは3人以上のことである、とある本に書いてあるのを見つけました 。 3人になると文殊の知恵も生まれるし、元就の3本の矢の教えにもつながってくる というわけです。 これは恐るべきことだと思います。たった3人で多数派になる可能性があると言う ことなのです。 Time : 1998/12/17(木) 15:04:57
Name : 安部奈亮 E-mail : s00v0128@.ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : 言霊と穢れを教える必要性 Comments: きんたろうさんのゆう通りだと思います。これはまさしく「和」の悪用ではないで しょうか。思想というのは、諸刃の剣だと思います。これから逃れる方法は、自分 の思想を等身大に捉えることです。 ですから、井沢先生が、日本人の「和」「穢れ」「言霊」を白日にさらそうとして いることは、ものすごく価値のあることなのです。 子供まで、「和」「穢れ」「言霊」を知るようになれば、「そんな差別は、500年前 の人が勝手に作ったもので、全然とらわれる必要が無いんだ。」「多数派だからっ て、何がえらいの?個人の人権よりも和の方が大事だって言うの?」というふうに 、自由になれると思うのです。 幕末の日本人は、鎖国が日本開闢以来のことだと思っていたそうです。しかし、幕 末の本の200年前まで、日本人は南蛮人と対等に付き合っていて、宣教師は天皇に手 紙を送ったりしているのです。それさえ知っていれば、幕末にあんなに騒ぐ必要も 無かったのではないでしょうか? 我々の周りには、ほんの数百年のあいだに作られた神話が多いと思います。 Time : 1998/12/17(木) 15:26:33
Name : 安部奈亮 E-mail : s00v0128@ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : アドレスの間違い Comments: 下のメールアドレスは間違っていました。 「@.ip」ではなくて「@ip」です。すみません。 Time : 1998/12/17(木) 15:39:47
Name : 輔住 E-mail : Title : 言霊 Comments: 自分も井沢先生の「逆説の日本史」や「言霊」を 読むまでは言霊なんて意識したことはなかったです。 しかし(日本人ならほとんどの人がそうだと思いますが) 無意識のうちに影響は受けてました。 自分では気づいてないから、さらに恐いですよね。 Time : 1998/12/17(木) 18:16:13
Name : 日向守 E-mail : BZV03371@nifty.ne.jp Title : お答えはいただけないかも知れませんが Comments:  書くべきかどうか非常に悩んだのですが、やはり物言わぬは腹ふくるるわ ざとも言いますので、意を決して書き込ませていただきます。私は井沢さん のファンだったのですが、11月の歴史エッセイを拝見して衝撃を受けました。 そして、どうしても質さなければならない点が二点出てきたのです。  一つ目は、井沢さんは官名の使い方のルールについて「これに手を着ける 人がいない」とおっしゃってますが、何故小川恭一氏の研究を無視されるの でしょう? 『江戸幕藩大名家事典』や『江戸幕府旗本人名辞典』(いずれ も原書房)の解説編に、江戸時代の官名についてのルールは詳しく記載され ていますが。(ちなみにこれらの本は、化学技術者である私が趣味で官名に ついて調べようとしたときに真っ先に読んだ本です。たまたま近所の図書館 で見かけたのですから、こう言ったことに興味がある人は必ず目にしてると 思うのですが)  もう一つは、のべ163人(途中で官名を変えている人が居るので使用されて いる官名はもっと多い)の老中の中でわずか三人しか居ない相模守(『日本史 総覧』新人物往来社による)を「老中に相模守を名乗るルールとまではいき ませんが、逆に相模守を名乗る老中が結構多い」と仰ったのでしょう?  このようなエッセイを公の場に発表されるとは、いったいどういった意図 からの物でしょう? ご自分の言動の根拠となる部分をかくも不正確な情報 に依存されていては、今後井沢さんの言説全てに疑いの目を向けざるを得ま せん。 Time : 1998/12/17(木) 20:21:16
Name : 石井一旭 E-mail : j00w0194@ip.media.kyoto-u.ac.jp Title : 日本の外交姿勢を考える Comments: 昨日米英がイラクに爆撃を始めました。 とうとうやってしまったなあ、という感じです。今回は前と違って一般からも国際 社会からも支持が少ないようですし。 クリントンは第二のブッシュにはなれないようです。 それにしても相変わらず日本の対応は良く分からない。 何でもクリントンがベトナムにいた小渕総理に連絡を 取れなかったということで、野中さんが会見に出てました。 まったく危機管理が出来ていません。これが「米国の 北朝鮮攻撃」だったらどうなっていたでしょう?自衛隊は 首相命令なしには「防衛出動」すらできないのですから、 小渕さんと連絡がつくまで日本はミサイルの袋叩きに されかねません。恐い話です。 日本は昔から「宣戦布告」というか「戦闘参加」が下手糞な国で あることは皆さんご存知の通りです。第一次大戦も、英国の 救援のためにヨーロッパに陸軍を送るとかシーレーン防衛を 買って出るとかしてやれば良かったのです。 (史実では地中海に第二特務艦隊を派遣していますが、 規模が小さすぎです。)なんだか掃海艇しか派遣しないで 世界から文句を言われた湾岸戦争を思わせます。 自分の領土拡張欲を丸出しにして青島なんか獲って喜んでいずに、「日英同盟」存 続のためにもっと積極的に英国支援を 行うべきだったと思います。 下手糞な参戦といえば「太平洋戦争」も全くそのとおりで、 タイプライターが打てないために宣戦布告が遅れた等という どう考えても公務を怠ったとしか思えない愚行で アメリカ世論を怒らせてしまっています。 この不手際は、一体なにが原因なのでしょうか? 日露戦争であれだけ見事に勝利を収めた国家が、 たった10年でこんなにも変わるものなんでしょうか? 「コトダマイスト」の繁殖というのはそんなにも早いもの なのでしょうか? 皆さんは、どう思われますか? Time : 1998/12/18(金) 11:53:25
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 日本人の豹変、他 Comments: 石井一旭さん、日露戦争とアジア太平洋戦争での日本人の豹変の理由を理解するに は、「存亡の条件」(山本七平、講談社学術文庫)をお読みになるといいでしょう 。すでにお読みかも知れませんが、「坂之上の雲」(司馬遼太郎)、「私の中の日 本軍」「一下級将校の見た帝国陸軍」「ある異常体験者の偏見」(山本七平、文春 文庫)をあわせてお読みになるといいかと思います。 日向の守さん、そんなにゼロサムで考えることはないと思います。私は、「史記」 の「列伝」(明治書院)を読んだことがありますが、「史記」の記述は、間違いだ らけだそうです。この調子で行くと、司馬遷も低俗小説家になってしまいかねませ んが、彼が中国史を一貫した視点で記述した功績は全く消えはしないのです。 僭越ですが、私達がこの掲示板で検証を進めて、「逆説の日本史」を、よりよくし ていくのが、創造的だと思います。 Time : 1998/12/18(金) 17:12:21
Name : 大蔵芳人 E-mail : zodiac12@mail.goo.ne.jp Title : 日本の対応 Comments: 米・英のイラク攻撃について、日本政府は「米・英を支持する」との見解を発表し ましたが、これって、具体的にどういう意味なんでしょうかね? 例えば、仮にアメリカが日本の軍隊の参戦を要求したら(しないとは思いますが) 日本はどういう対応をするんでしょうか?「支持する」という見解を、米・英は どのように受け取ってるんでしょうか?また、日本政府はどういう意味で「支持す る」と言ったのでしょうか?いまいちよく分かりません。これからの小渕さんの言 動が楽しみではあります。 Time : 1998/12/19(土) 01:33:26
Name : 日向守 E-mail : Title : 発言の意図 Comments:  安部奈亮さんこんにちは。レスありがとうございます。でも私の発言の意 図は理解いただけなかったみたいですね。先に提示した二点は「井沢さんに とっては」自らの信用に関わる重大問題だと思うのですが。だからこそ、お 節介を承知で一言苦言を呈したのです。  まず、一点目は「すでに結果が存在する研究を『研究するどころか重要性 にも気づいていない』と非難した」のではないか?という疑問です。これは、 井沢さんは「相手の業績を調べもしないで非難する」ような人なのではない かという疑念に繋がります。  二点目は、「ちょっと調べればすぐ判ることを確認もせずに書いた」ので はないか?ということです。  上記のようなスタンスで書かれたものが、もし井沢さんの著作でなければ あなたはその著者を信頼できますか? むろん、井沢さんにはこのようなミ スをしてしまった何らかの事情はおありだと思います。でも、こうして指摘 を受けた以上、ご自分の信頼のためにも何らかの釈明をなさる必要があるの ではないでしょうか? もし、納得のいくご説明が受けられたので有れば、 私もゼロサムで考える必要もなくなるのですが。  なお、私たち読者には井沢史観をより良い物にするために行動する義理は 基本的にありません。先の発言は「猿丸幻視行」以来のファンとして井沢さ んに裸の王様になって欲しくないという想いからの苦言ですが、私にとって 一番楽な(そしておそらく多くの人が実際取ったと予想される)行動は、単に 井沢さんの「逆説の日本史」を読むのをやめるというものです。 (井沢さんにも私の発言意図が伝わっていないことをおそれて、あえて蛇足 を加えさせていただきました) Time : 1998/12/20(日) 20:06:51
Name : 正岡(初號機) E-mail : masaoka@din.or.jp Title : メールか手紙はお書きになったの? Comments: 日向守さん。そんな大事なお話、直接電子メールかお手紙で指摘なさいましたか? (出版社あてに) 直接お返事は来ないかもしれませんけど、きっと先生も感謝さ れて次の著作に生かされると思います。それでよいではありませんか。 Time : 1998/12/21(月) 00:04:31
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 県名と県庁所在地と藩の去就 Comments: 24日には、帰省してしまって当分ここには来られなくなりますので、今年のうちに 言っておきたいことを書きまくっています。 「幕末維新三百藩総覧」(神谷次郎、祖田浩一 新人物往来者)という面白い本を 手に入れました。 県名が、県庁所在地(その国の主要な藩名)になったかどうかは、戊辰戦争に従軍 したかどうかのようです。 で、我が水戸藩はどうだったかというと、1968年9月22に会津藩降伏、9月23日庄内 藩降伏だというに、未だ連合赤軍顔負けの内ゲバを繰り広げており、10月11日水戸 藩諸生党、会津の残兵と共に弘道館占拠、大手橋を挟んで藩兵と戦う有様。とても 、新政府のために戦える状態ではなかった。イデオロギーの戦いがいかに不毛かを 物語って余り有ります。 他にも、岡山藩(池田氏)と、高松藩(松平氏)の藩主が水戸斉昭の子供だったと か。会津と桑名と尾張が兄弟だとか色々意外なことが分かりました。 天狗党の傍若無人な有様は、幕府の権威失墜を進ませたようです。 徳川家斉は相当の子沢山で、そこら中の藩に養子や嫁を出しましたから、幕末には 、大藩の藩主の殆どは彼の子か孫になっていたそうです。ここから先は私の想像で すが、このことが、大藩の幕府に対する劣等感をなくして、討幕の罪悪感を減らし たのではないかと思います。 また暇がありましたら、45都府県の名前と藩の動きを書いてみたいです。 Time : 1998/12/21(月) 16:11:45
Name : 日向守 E-mail : Title : お騒がせしました Comments:  みなさまこんにちは。近頃フォーラムをお騒がせしております日向守です。  正岡さん、この件では別途にメールは出しておりません。そもそも、この ホームページに掲載された文章なのですから、指摘は意見交換の場であるこ こにするのがもっとも適当であると判断したのです。(ここに書かれたことは 井沢さんの目に触れるはずですよね)  安部奈亮さん、「二つの目」を拝見いたしました。どうも、発言の意図を 取り違えていたのは私の方だったみたいですね。お詫びすると共に、「二つ の目」で書かれていたことに全面的に同意させていただきます。これを拝見 したおかげで、自分の発言を少し引いて見ることができました。  一連の発言ですが、どうも井沢さんへの思い入れが強かった分だけ過度の 期待を抱いてしまっていたようです。もし、先の発言で示したような文章を 書いたのが他の作家であったなら、私も全く別の行動をとったでしょう。い ずれにせよ、指摘すべき事は指摘しました。これを井沢さんがどう受け取ら れたかは知る由もありませんが。みなさま、今まで招かれざる客におつきあ いいただきましてありがとうございました。 Time : 1998/12/21(月) 19:38:02
Name : きんたろう E-mail : kintaro@po.net-ibaraki.ne.jp Title : 安部さんへ Comments: 昨日メールを出しました。多分届いていると思います。 Time : 1998/12/21(月) 23:25:32
Name : きんたろう E-mail : kintaro@po.net-ibaraki.ne.jp Title : 郷土の話題について2 Comments: 茨城県の県庁所在地は水戸市ですが(水戸黄門の水戸ですよと言うと大体全国何処 の人でも頷きますが、東北地方にあると勘違いしている人が結構多いです)、この 水戸という地名は鎌倉時代の頃からあるそうです。 元々字のごとく水に関係がある地のことです。 道路の交通網が整備される前は、水上交通網がより重要でしたから、それに関わっ てこの地域の中心になる要素があったのです。 水戸、神戸、八戸など読み方は違いますが「戸」と言う漢字は元々港という意味で 使われたそうですから何となく分かるような気がします。水戸は那珂川という今年 の夏も氾濫した河川沿いにある町ですから、あまり大きな船が使われなかった時代 に於いては十分に港としての役割を果たしていたのかもしれません。 佐竹氏の頃は「三戸」と書いたそうです。水戸と言う字になったのは江戸時代にな ってからと言うことです。 そういえば大阪も秀吉の時は大坂と書いたはずなのですが、どうして「阪」の字を 使うようになったのでしょうか。 Time : 1998/12/21(月) 23:47:32
Name : 正岡(初號機) E-mail : masaoka@din.or.jp Title : 本の感想はここでいい? Comments: 小林恵子先生と井沢先生の対談「記紀」史学への挑戦状 読みました。 実は小林さんの本は読んだことがなかったので(<勉強不足)とても面白かった。 1冊でお得な気分です。 装丁もおしゃれで気に入ってます。(<装丁も料金のうち) Time : 1998/12/22(火) 00:49:07
Name : 安部奈亮 E-mail : Title : 取り止めのない話 Comments: きんたろうさん、メールと届きました。ご丁寧にありがとうございます。 最近、島根県(ちがったかも)の湯布津で、難読町村サミットと言うのが開かれた そうです。そこの町長さんが、名刺を出しても読んでくれなかったから、逆にそう いう町村で集まったそうな。 ご存知の人もいるかも知れませんが、全国太田の会とか言う集まりもあるそうです 。私は、太田のルーツは、韓国の太田(デジョン)ではないかと踏んでいます。 日向守さん、招かれざる客なんて寂しいことを言わないで下さい。メンバーが固定 してしまうのが、集団の動脈硬化の始まりです。いろいろお話しましょう。 しかし、この掲示板は、全くのカオスから、秩序ができていく研究材料にでもなり そうな気がします。 Time : 1998/12/22(火) 12:53:55
Name : 石井一旭 E-mail : Title : 大阪の由来 Comments: きんたろうさん、こんにちは。はじめまして。 「大阪」の名前の由来ですが、 「坂」の字は「土に返る」という風に読めるため 縁起が悪いとして「阪」の字に変えたとかいうことです。 Time : 1998/12/22(火) 14:06:22
Name : 石井一旭 E-mail : Title : 日本人の戦争 Comments: 日本人にとって戦争というのは他国にはない特殊な意味を 持っていたのではないでしょうか。 外国のことを考えてみれば、「戦争」の相手というのは ほとんどが「異人」です。つまり民族的に異なっていたり、 (中国の「夷」征伐やローマ帝国対ゲルマン民族など) 宗教的に対立している(言うまでもなくキリストvsイスラムなど) といった「自分達とは異なるもの」との 戦いが、一般的な意味での「戦争」ではないかと思います。 つまり、相手とはけして相容れないもの同士の戦闘です。 今で言えば異星人と戦うような感覚なのでしょう。 ところが日本人はご存知の通り異民族との戦争を 近代に至るまでほとんど体験していません。 「エミシの征伐があるではないか。」 「ハクスキノエはどうだ。」などといわれるかもしれませんが、 これらの戦いは「国民(国家という概念があったかどうかは べつとして、とにかくそういう括りをつけられるもの) 全体の意思」に基づいたものではないでしょう。 少なくともエミシは畿内はおろか関東にも進出できず、 ハクスキノエ以後にしても「民衆全てが唐の侵略におびえる」 ことはなかったように思います。 「またオカミが何かやってらァ。」 素朴な日本人はみな、こう思っていたことでしょう。 それ以後の「戦争」、例えば南北朝時代にせよ戦国時代にせよ 相手は同じ「日本人」です。 領主が負けても領民にはほとんど関係がありません。 今で言うなら「市長が変わった」くらいの感覚だったのでは ないでしょうか? 日本人の「戦争に対する考え方」は明治維新という「革命」後も しっかりのこりました。ここで「異国の干渉」などが加わって 清のように「租借地」ができることもなく、日本人は「内乱」だけで 近代国家の体裁を整えたのです。 当然、「外部からの進入者による強烈な意識変革」は 存在しませんでした。 庶民にとってはオカミが「徳川様から天子様に御代わりになった」 程度のことだったのでしょう。 その後の日進、日露戦争においても日本人の戦争感覚は 変わりませんでした。 「国家を護る」戦争の意味、そして敗北の恐ろしさを 日本は学ぶことはできませんでした。 (もちろん、負けていればいいといっているわけではありません。 両戦争は「勝たなければならなかった」戦いだと、 私は考えます。) そのつけは結局「太平洋戦争の敗北後の極端なアメリカ礼賛」という形で現れてき ます。(諸外国ではここまで勝者側に くら替えすことはありえません。ドイツに何度も負けたフランスを みれば一目瞭然です。)) 最後まで日本人は「戦争」を 諸外国と同じ認識でもって捉えられなかったのです。 これも、日本の「世界史上まれに見る平和国家」という 性質の生み出した「負」の遺産なのです。 P.S 安部さん、本の紹介ありがとうございました。 正月休み中に読んでみようと思います。 Time : 1998/12/22(火) 14:38:21
Name : きんたろう E-mail : kintaro@po.net-ibaraki.ne.jp Title : 石井一旭さんへ Comments: 今日は石井さん。 簡潔明瞭なご回答をどうもありがとうございました。 Time : 1998/12/23(水) 17:18:55
Name : きんたろう E-mail : kintaro@po.net-ibaraki.ne.jp Title : ちょっと遅いメリークリスマス Comments: こんばんわ みなさんはクリスマスをいかが過ごされましたか。 我が家では今年は子供にプレーステーションをプレゼントしました。 半分は自分で遊ぼうと思っていますから安いものです。 ところでクリスマスはいまや新しい節句のような気がします。 昔は日本国中で12回ある節句には餅をついて食べたようですが(今でもそうした 風習を維持しているところがあったような気がしますが思い出せません)、クリス マスも(そしてバレンタインデーも)現代の節句といえると思います。 季節ごとのイベントに日本人が熱中するのは、やはり農耕民族の名残なのでしょう か。 そうすると最大のイベントは村祭りと言うことになりますが、これは現代では何に 当たるのかなとか考えてしまいました。 Time : 1998/12/25(金) 21:43:43
Name : きんたろう E-mail : kintaro@po.net-ibaraki.ne.jp Title : ローカルな話題 Comments: 茨城県の水戸市の約20キロメートルほど北に常陸太田市という人口4万人ほどの 町があります。何の変哲もない小さな地方の町ですが、ここは茨城県に於いては歴 史的にかなり重要な地でありました。 ここの地に6世紀頃、大田部と呼ばれた開墾集団が岐阜県から移住してきたそうで す。彼らは朝廷から派遣されたテクノクラートのようなものだったのでしょうか。 アメリカ西部の開拓民と言うよりは明治の屯田兵に近い存在だったのでしょう。 いずれにせよ渡来人そのものであったかどうかは別にしても、当時としては先端の 技術を所有していたに違いありません。 彼らがこの付近の水田の開墾、水利、治水工事、稲作の耕作を行いました。こうし て出来た水田は屯田と称して直轄領にされました。そしてこの大田部を管理する役 人を大田臣といい、その事務所を常陸太田市に設けたようです。 これによって大田(太田)と言う地名が生まれました。 群馬県や島根県にも大田(太田)と言う町がありますが、おそらく同じようにして 開墾された土地ではないでしょうか。 まさしく字とおり田を広くするとか、田を太らすと言う事ですから開墾された土地 と言うことなのでしょう。 韓国の太田も同じような意味が当然あると思います。 あるいは韓国の太田の出身者が大田部と呼ばれた部民の故郷なのかもしれません。 Time : 1998/12/25(金) 21:49:41